Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20150331(Tue)

[][]雪深きカシミールを舞台に繰り広げられるハムレット悲劇〜映画『Haider』 雪深きカシミールを舞台に繰り広げられるハムレット悲劇〜映画『Haider』を含むブックマーク 雪深きカシミールを舞台に繰り広げられるハムレット悲劇〜映画『Haider』のブックマークコメント

■Haider (監督:ヴィシャール・バールドワージ 2014年インド映画)

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分離独立を巡り軍とゲリラとが熾烈な紛争を繰り広げるインド・カシミール地方を舞台に、シェイクスピア4大悲劇戯曲の一つ『ハムレット』の物語を展開した、というインド映画である。主演は『R… Rajkumar』のシャーヒド・カプール。また、監督のヴィシャール・バールドワージはこの『Haider』の他にもこれまで『マクベス』『オセロー』のシェイクスピア戯曲を映画翻案しているらしい。

カシミール紛争に揺れる1995年、医師ヒラール(ナレーンドラ・ジャー)はゲリラに対する外科治療を行ったことから逮捕監禁され、さらに銃撃戦の末その家は焼かれてしまう。大学から故郷の町に帰ってきたヒラールの息子ハイダル(シャーヒド・カプール)はその事実に驚愕するが、さらに彼を驚かせたのが母ガザラー(タッブー)が父の義弟であるフッラム(ケイ・ケイ・メーノーン)と再婚していたことだった。行方不明の父と母の不義理に苦悩するハイダルに、ある日ルーフダール(イルファーン・カーン)という男が接触し、父ヒラールの非業の死を告げる。ルーフダールはゲリラの一人であり、かつて父と同じ収容所に収監されていたのだ。そこで父が語ったのは、義弟フッラムの陰謀に陥れられたという事実であり、そしてハイダルに、復讐を果たしてほしい、というメッセージだった。

陰鬱である。ひたすら陰鬱な物語である。雪深く灰色の雲垂れ込めるカシミール、その地を血の赤と爆炎の黒に染めるゲリラ闘争、その水面下で進行する薄汚い陰謀。そして燃え上がる復讐の情念、成すべきか、成さざるべきか、という究極の葛藤。映画『Haider』は20世紀のインドの町をシェイクスピア悲劇の舞台である陰鬱なるヨーロッパへといとも容易く塗り替えてしまう。物語は徹頭徹尾重苦しく息苦しく、屍累々たる映像はシェイクスピア原作でさえここまでではなかったはずだと思わせるほど凄惨だ。こうして映画『Haider』は魂すら凍えるような悲劇を徹底的に描きつくそうとする。物語は『ハムレット』を非常に丁寧になぞっており、父の死とそれに関わる陰謀、それを主人公に伝える謎の声、母の不貞、狂気を装う主人公、復讐、葛藤が盛り込まれ、登場人物の配役にしても端々まで抜かりはない。

しかし原作の翻案通りではあるけれども映画として見ると唐突だったり説明不足だったり(オレの理解力不足もあるが)、「現代で考えるとちょっと有り得なくないか?」と思わせてしまう部分がちらほらありはしないか?同時に、これはこの映画に限ったことではないが、戯曲作品の映画化は簡単なように見えて原作を映画の映像に移し替えるとシチュエーションや展開が極端だったり急すぎたりすることがあるのだ。戯曲には戯曲ならではの物語時間と物語空間があるから、それを不用意に映画に移し替えると微妙なちぐはぐ感を生んでしまう。『Haider』にはそういう印象を持った。例えばハムレットが狂気を演じるようにハイダルが狂気を演じてもなんだかやはり可笑しいし唐突だし、オフィーリアのようにヒロインは自死するけれども、現代的に考えるならそんなことで死んじゃうかあ?と思えてしまう(※原作のオフィーリアは自死か事故死かは曖昧にされている)。

それとやはり、非常にリアルでシリアスな政治問題をハムレット物語に持ち込んだのは失敗に感じた。シリアスな政治問題を持ち込みながら文芸作品として堂々成功する作品もあるけれども、この場合さらにシェイクスピア作品って、う〜んなんだかテーマ二つは盛り込み過ぎのように思えるんだがなあ。そもそも、ハムレット物語の「殺された父の復讐」ってある意味ファンタジー(絵空事)なわけで、それなら舞台も絵空事なもののほうが落ち着くんじゃないのか。しかしこれをリアルな舞台に持って来られると、観ているこっちもリアルに反応して「復讐という選択肢以外ないってどういうこと?」と思っちゃうんだよ。さらに言ってしまえばカシミール問題がなくてはならない重要な背景ではなく、ハムレットの復讐物語を成り立たせる為の便宜的な舞台でしかない、ということもいえてしまうんだよな。物語の徹底的な救いの無さも含めて、そういった部分でオレには合わなかったなあ。

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20150330(Mon)

[]埼玉県こども動物自然公園カピバラを見に行く 埼玉県こども動物自然公園にカピバラを見に行くを含むブックマーク 埼玉県こども動物自然公園にカピバラを見に行くのブックマークコメント

先日は相方さんと一緒に「埼玉県こども動物自然公園」までカピバラを見に行きました。横浜から電車で2時間ほどかかりましたが、乗り換えが1回程度でスムーズに行けるんですね。埼玉って用事が無いのでまるで行ったことがなかったのですがびっくりしました。

まずは高坂駅で下車、駅前のバスに乗ればすぐ動物園です。

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入場券を買って中に入ると、動物園というよりはまさに公園なんですね。

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さてさっそくカピバラ舎へと向かうと…。

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いました!

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埼玉のカピはデカイ!!

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オスの彦馬は「増えすぎないように」という理由で別舎に入っております。看板に書かれたこの理由を読んでどのお客さんも「ネズミだからねえ」と口々に呟いておりました。

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しばらくカピを愛でて動物園内を一周。なにしろこの『埼玉県こども動物自然公園』、「自然公園」と謳っているだけに、広い公園にぽつぽつと動物の入れられた柵があり、公園でのびのび寝転がったり、あちこち散策してもよし、合間合間に動物たちを愛でてもよし、というとてもユニークな作りをしてるんですね。敷地が広大で、一周回るだけでもちょっとしたピクニックになるんですよ。

そしてしばらく他の動物を見て歩きまわった後もう一度カピ舎に戻ると、「カピバラ温泉」が既に行われていた模様。

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ぬん?

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温泉に浸かるカピの姿を眺め、見ているこっちも「ぬーん」としてきた頃には既に夕方、結局この日は5時間ぐらい動物園をうろうろしていました。そんなこんなでカピたちに別れを告げ、この日は帰ってきました。

◎埼玉県こども動物自然公園HP

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20150327(Fri)

[]今度のバトルフィールドは刑事モノだ!〜ゲーム『バトルフィールド ハードライン』 今度のバトルフィールドは刑事モノだ!〜ゲーム『バトルフィールド ハードライン』を含むブックマーク 今度のバトルフィールドは刑事モノだ!〜ゲーム『バトルフィールド ハードライン』のブックマークコメント

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麻薬戦争に揺れるマイアミで、新たに刑事に任命された警官ニック・メンドーサ。 パートナーのベテラン女刑事カイ・ミン・ダオとともにストリートから麻薬流通の源流へと迫る。 捜査は次第にきな臭さを増し、やがて2人の刑事は権力と腐敗が法の両側に等しく作用するものだということを、その身を持って知ることになるのだった。

人気FPSゲームシリーズ『バトルフィールド』の新タイトル『バトルフィールド ハードライン』であります。『バトルフィールド』シリーズは『3』『4』をやったかな?この辺りは『コール・オブ・デューティー』や『メダル・オブ・オナー』タイプのミリタリーFPSだったんですが、今回の『ハードライン』はなんと警察モノのFPSへと様変わりしているんですね。ナンバリング・タイトルではないので外伝的なものと思われますが、この方向転換がどのように功を奏しているでありましょうか。

キャンペーン・モードのストーリーはマイアミを舞台にした警察vsギャングの麻薬戦争を描いたもの。主人公は赴任したての刑事ニック・メンドーサ。彼はパートナーとなったベテラン女刑事カイ・ミン・ダオと共に麻薬流通ルートを追って捜査を進めますが、そこで次第に浮き上がってきたのは同僚刑事の汚職、警察の腐敗でした。ニックは正義を貫き通そうとしますが、どす黒い陰謀が彼を窮地へと陥れてしまうのです。

オープニングからの流れはハリウッド映画やTVシリーズでお馴染みのまさに「警察もの」として進行してゆき、これまでミリタリーFPSをさんざんやってきた目から見ると一味違う新鮮さがあります。今回「警察もの」にしたのはこの新鮮さを狙ったからでしょう。「警察もの」のゲームといえば『マックス・ペイン』シリーズというTPSゲームがあり、最新作『3』では相当にヘヴィーで凄まじい世界が展開していましたが、こちらはあくまで一匹狼デカ。この『ハードライン』では警察内部の人間関係が物語を盛り上げていて、これはドラマ部門の監督・シナリオライターにアメリカ有名TVドラマのスタッフが関わっているというのもあるでしょう。ゲームパート冒頭のカットシーンでは物語の流れをじっくりと説明し、さらにこの物語も二転三転してゆき、次第に熾烈なものへと変化してゆくのです。

このゲームでは最近のミリタリーFPSのようにハイテク兵器が登場し世界規模の大戦争が巻き起こる、といった派手さやスケールの大きさはありませんが、警察vsギャングの抗争はそれはそれで緊張感を孕んでいます。確かに携帯できる武器は地味で、投擲武器がないのが時々物足りなくなります。その代り導入されているのが「犯人逮捕」のモードで、これは戦闘中に犯罪者をただ撃ち殺すのではなくホールドアップさせ、逮捕に持ち込むというもの。射殺・逮捕どちらを選んでもいいのですが、逮捕を狙う場合はスニーキングが必要となり、自分の好きなスタイルでゲームを進めることが出来るんですね。

また、犯人逮捕に持ち込むとベテラン警察ポイントが加算され、武器などのアンロックすることができるようになります。ゲーム中には「捜査」を行い、証拠品を集めるといった行動も要求されますが、マップ内を証拠品探して歩き回るのは面白さのひとつとなっていますね。グラフィック的には例えば屋外の風景は『バトルフィールド』らしい美しく精緻な映像を堪能できます。キャラクターの造形も細かく生々しい。ただ屋内のテクスチャは割とのっぺりした部分もあり、この辺場所によって差が激しいかも。

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20150326(Thu)

[]巨大な象牙を巡るきらびやかなSF宇宙史〜『アイヴォリー ある象牙の物語』 巨大な象牙を巡るきらびやかなSF宇宙史〜『アイヴォリー ある象牙の物語』を含むブックマーク 巨大な象牙を巡るきらびやかなSF宇宙史〜『アイヴォリー ある象牙の物語』のブックマークコメント

■アイヴォリー ある象牙の物語 / マイク・レズニック

アイヴォリー―ある象牙の物語 (ハヤカワ文庫SF)

銀河暦6303年、〈調査局〉に勤めるロハスのもとに最後のマサイ族マンダカが訪れた。三千年以上、所在不明になっているキリマンジャロ・エレファントの象牙を見つけてほしいという依頼だった。調査を始めたロハスは、悠久の歴史の中でこの史上最大の象牙がたどった数奇な運命と、象牙にかかわった人々の織りなす多様なドラマを垣間見ることになる…。アメリカSF界で人気絶頂のレズニックが満を持してはなつ銀河叙事詩。

SF小説『アイヴォリー ある象牙の物語』は失われた一組の象牙を求めて、キリスト歴1885年から銀河歴6304年までに及ぶ途方もない時間を経巡ってゆくという物語である。「キリマンジャロ・エレファントの象牙」。それは長さ3メートル、重さ90キロを超えるまさに怪物級の象牙だ。実はこの象牙は現存しており、現在英国自然史博物館に所蔵されているとされ、小説の冒頭にも実際に撮影されたその写真が載せられている。

その写真の象牙は確かに凄い。並んで写る現地人と思しき人物の頭の高さを優に超え、その太さも女性の胴回りぐらいはあるかもしれない。この大きさの象牙を持つ象であるなら、その体躯の巨大さはいかほどのものであったか、想像するだけでも身震いが起きてしまう。そして、そんな象がかつてこの地球の、アフリカの大地を悠然と闊歩していたのだ。原作者マイク・レズニックもこの実物の象牙から想像力を膨らませ、その象牙が古のアフリカから遥か未来の銀河の片隅に至るまでの膨大な時間と空間の旅を描こうと思い立ったのだろう。

物語は銀河歴6304年、博物館調査員のダンカン・ロハスのもとにブコカ・マンダカと名乗る謎の男が訪ねてくることから始まる。ブコカはダンカンに、何千年もの間銀河の何処かに行方不明になっているキリマンジャロ・エレファントの牙の所在を突き止めて欲しいと依頼する。そして銀河に散らばるデーターベースを検索しながらブコカが知ったのは、その巨大な象牙の辿った数奇な運命だった。物語は象牙とその所有者の出会ったさまざまな出来事を、連作短篇の如き短い章立てで紹介してゆく。

それは象牙を賭けた銀河のならず者たちの賭博であり、惑星考古学者の権力闘争であり、象牙を狙う異星人の陰謀術策であり、異星で展開される強奪作戦であり、また政治プロパンガンダの材料ともされ、この象牙を巡り暗殺が成され、さらには戦争が勃発する。これらが銀河6000年のきらびやかなSF宇宙史の一端として語られてゆくのだ。きらびやかなSF宇宙史、それは遠大な宇宙空間を一飛びで超え、尊大な銀河人類と奇怪な異星人と惑星文明と宇宙戦争とが描かれるSF世界のことだ。

しかしこの物語はキリマンジャロ・エレファントの象牙を単なるマクガフィンとして採り上げている訳では決してない。キリマンジャロ・エレファントの象牙探索を依頼するブコカは実は宇宙最後のマサイ族であり、失われつつあるマサイ族の、秘密とされているある悲願を達成するために、象牙発見に血道を上げていたのだ。それは大きな目で見るなら、失われつつあるアフリカの魂の復権を成すがために行われる探究だったのだ。それは同時に、『サンティアゴ』「キリンヤガ・シリーズ」など、失われつつあるアフリカの魂をSF世界の中で再び蘇らそうとする作者マイク・レズニックの願いでもあるのだろう。傑作である。

yoyoshi yoyoshi 2015/11/23 22:56 レズニック大好きです!依頼人との間に友情というか縁が生まれ最後まで見届けるのが良いです。近代のアフリカで象を狩る凄腕のハンターはイサク・ディネセンの恋人だったハンターを思い起こさせます。サンティアゴ、夢望獣、パラダイス、暗殺者の惑星、全部好きです!

globalheadglobalhead 2015/11/24 09:10 レズニックは今まで読んだことがなかったのですが、人に勧められて読んでみました。すると非常に驚かされる物語で魅了されました。

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20150325(Wed)

[]バンドデシネ2作読んだ / 『バウンサー』『ウィカ―オベロンの怒り』 バンドデシネ2作読んだ / 『バウンサー』『ウィカ―オベロンの怒り』を含むブックマーク バンドデシネ2作読んだ / 『バウンサー』『ウィカ―オベロンの怒り』のブックマークコメント

■バウンサー / アレハンドロ・ホドロフスキー、フランソワ・ブック

バウンサー

南北戦争直後のアメリカ。少年セトは、牧師の父ブレイクとネイティブ・アメリカンの母に育てられ、慎ましやかながら幸せな生活を送っている。ある日、散策に出かけた彼は、とある峡谷でミイラ化した女性の遺体とその脇に置かれた2丁の拳銃を見つける。それはいわくつきのダイヤ“カインの目”とともにブレイクの家族をバラバラにした呪われた拳銃だった。まもなくブレイクは“カインの目”奪取を画策する実の弟ラルトンに惨殺される。父の遺言に従い、セトはバロ・シティのバウンサー(用心棒)のもとに向かう。実はブレイクたちの兄弟だった彼は、セトに“カインの目”と死神の拳銃の来歴を語る―。『エル・トポ』の監督ホドロフスキーが贈るマカロニ・ウエスタンBD!

バンドデシネでウェスタン、というとメビウスことジャン・ジロー『ブルーベリー 黄金の銃弾と亡霊』を思い出すが、こちらはメビウスの盟友であるアレハンドロ・ホドロフスキーが原作を務め、フランソワ・ブックがグラフィックを担当したウェスタン・ストーリーとなる。そしてホドロフスキーでウェスタン、とくればこれはもう必然的にホドロフスキーの代表作『エル・トポ』を思い出さずにはいられないではないか。この段階で既にバンドデシネ『バウンサー』は"買い"でしかない、と断言できるが、とりあえずつらつらと感想などを書いてその素晴らしさをここで喧伝したい。

ホドロフスキーの『バウンサー』は呪われた運命を背負う3人の兄弟と、その中に一人に両親を惨たらしく屠られた少年の、凄まじい復讐の物語なのである。少年の名はセト、牧師の父ブレイクとネイティブ・アメリカンの母に育てられ、アメリカ西部の荒野ですくすくと育った彼の生活はしかし、南北戦争終了後もいまだ南軍の勝利を信じて狼藉を働き続ける群盗の長、ラルトンの襲撃によって脆くも崩れ去る。ラルトン一味にその命を奪われる直前、父ブレイクはセトにバロ・シティのバウンサー(用心棒)に会え、と告げる。この隻腕の用心棒こそ実はセトの叔父であり、さらに父を殺めたブレイクとの腹違いの3兄弟の一人だったのだ。セトはバウンサーに"殺し"の極意を伝授され、そして血を分けた兄弟同士の憎しみに彩られた運命の歯車が回り始めるのである。

無法のならず者たちが跋扈する西部の大地を舞台に、血塗られた出生の秘密、呪いに満ちた財宝、血縁同士の怨念、虚無と哄笑に塗れた死が次々と描かれ、その無情の中で復讐だけがただ一つの理由となった生が鬼火のごとく赤々と燃え上がる。アレハンドロ・ホドロフスキーの『バウンサー』はホドロフスキーがこれまで描いてきたおぞましい運命のただ中にある激烈なる情念をここで再び展開しながら、その地獄巡りの如き運命の道程はこれまで語られたホドロフスキーのどのような物語よりも鮮烈な暴虐に溢れ返っている。ここには烙印の如き原罪と逃れられぬ悲劇が存在し、物語に登場する誰もが血と屍の海に飲み込まれ、狂気を宿した目をしばたたかせながら悶えあがきまわるのだ。

これまでホドロフスキー原作のバンドデシネ作品はSF世界を舞台にし、その荒唐無稽な世界の中であり得ることのない暴力と破壊を描き切っていたが、この『バウンサー』では西部開拓時代のアメリカという現実的な舞台装置を得ることで物語の持つ暴虐さと陰惨さは生々しいほどに突出することになる。その情念の発露はどこまでも迫真に満ち、狂おしいまでに昏く輝き渡たる。それはある意味次元の違う世界で展開されるもう一つの『エル・トポ』ではないかとすら思わせる。アレハンドロ・ホドロフスキーの『バウンサー』はこれまで日本で訳出されたホドロフスキー作品の中でも白眉といっていい傑作かもしれない。

■ウィカ―オベロンの怒り / トマス・デイ、オリヴィエ・ルドロワ

ウィカ (Euromanga collection)

遠い昔、人間たちの世界から遙か遠く離れた妖精王国。美しき妖精女王タイタニアは、妖精王国を統べるオーディンの息子オベロンに憎まれ、夫である公爵クレイモア・グリムとともに命を狙われる。2人の間にはウィカという名の娘がいた。彼女もまた狼女ロウェナに襲われるが、忠臣ハギスの働きで、一命を取りとめ、強力な妖精の力を封印したまま、ある農夫に育てられることになる。やがて、妖精王国は、オベロンの統治のもと、狂気と闇の時代に突入することになる。13年後、成長したウィカが、王都アヴァロンに辿りつく。その地で、彼女は自らの生い立ちを知り、運命に翻弄されるまま、オベロンの軍勢と立ち向かうことになる―フランスが誇るダークファンタジーの帝王オリヴィエ・ルドロワ見参!目眩く人工楽園で繰り広げられる、真夏の夜の“悪”夢。機械仕掛けの暗黒妖精譚。妖精物語×スチームパンク

ケバい。トマス・デイ原作、オリヴィエ・ルドロワ絵のファンタジー・バンドデシネ、『ウィカ―オベロンの怒り』はその表紙からうかがえるように内容もまたどこまでもケバいグラフィックで綴られた物語である。絢爛豪華、という言い方もあるかもしれない。いや、しかし、やっぱり、「ケバい」のほうが当たっているような気がする。そのセンスは一昔前の日本の少女漫画と通じるところがあるかもしれない。しかし同じ妖精物語を描いた山岸涼子の傑作コミック『妖精王』の淡白な絵柄と比べると、水墨画と油絵ぐらいに濃厚さが違う。おまけにオリヴィエ・ルドロワのグラフィックは時として不安定であり、書き込んであるというよりはごちゃごちゃとした煩さがある。そしてケバい。やはり肉食ってる奴はこうも違うものかとすら思わせる。肉食ってる奴ならではのネチっこさ、血圧の高さは物語にも反映されており、それは適度に暴虐的かつ扇情的である。作者は「自分の娘にも読める物語を」と思って描いたらしいが、ホントかよ?と思ってしまう毒々しい作品だ。この物語はまだ続くらしいのだが、続巻が出たら読むか?と言われると、う〜んでも怖いもの見たさでもう一巻ぐらい見守ってもいいかな、という気はする。それよりも下のビデオで紹介している『レクイエム』という作品のほうがよりスチームパンク的だし面白そうなのだが。

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20150324(Tue)

[]アメコミ2作読んだ / 『デッドプール:デッド・ヘッド・リデンプション』『クァンタム&ウッディ:世界最悪のスーパーヒーロー』 アメコミ2作読んだ / 『デッドプール:デッド・ヘッド・リデンプション』『クァンタム&ウッディ:世界最悪のスーパーヒーロー』を含むブックマーク アメコミ2作読んだ / 『デッドプール:デッド・ヘッド・リデンプション』『クァンタム&ウッディ:世界最悪のスーパーヒーロー』のブックマークコメント

デッドプール:デッド・ヘッド・リデンプション / ジェイソン・アーロン、マイク・ベンソ、カイル・ベイカー、ロブ・ライフェルド

デッドプール:デッド・ヘッド・リデンプション (MARVEL)

俺ちゃん、再々上陸!? 冗舌な傭兵デッドプール、日本語版第3弾! 記念すべき『デッドプール』誌900号と1000号を収録した読み切り作品。ハチャメチャでクールなデップーさんが所狭しと暴れまわる! 併録された「デッドプール・チームアップ」では日本の相撲部屋が登場!? 日本人女性“サザエ"との交流も描かれた本書は、日本のデップーファン必読のコミックです!

真紅のコスチュームを身にまとったぼんくら系ヒーロー、デッドプールがまたまた帰ってきた!?という『デッドプール:デッド・ヘッド・リデンプション』でございます。いやあ、デッドプール、好きなんですよ、アホアホで。日本初登場の『デッドプール マーク・ウィズ・ア・マウス』ではダイナミックでシリアスなアクションや物語をちょっとばかりうかがわせていたデップーですが、この『デッド・ヘッド』はひたすら下らなくて、実はこっちが本分なんだろ?と思えてしまいました。なにしろ今回は「真紅のコメディアン傑作短編集!」と銘打たれているように、中編数作の他は10ページ前後のショートストーリーがぎっちりと詰め込まれた構成になっているんです。アメコミではライターとペンシラーが毎回違ったりしますが、これだけの数が詰め込まれると、作画のバラエティの多さがまた楽しさの一つになっていますね。また、作品数が多い分お得感も満載です。デップーのようなキャラはこういった短めの構成のほうが合っているのかもしれません。他のマーベル・ヒーローを茶化した作品や楽屋落ちが多かったりもしますが、アメコミにたいした詳しくないオレでも十分楽しめたな。

■クァンタム&ウッディ:世界最悪のスーパーヒーロー / ジェームズ・アスムス、トム・ファウラー、ジョーディ・べレア

クァンタム&ウッディ:世界最悪のスーパーヒーロー (ShoPro Books)

真面目で堅物な黒人エリックと陽気で軟派な白人ウッディは、血の繋がらない兄弟だった。ある日、彼らの父親が何者かに殺された。父親の死を解明する途中、アクシデントに見舞われた二人は不思議なパワーを手に入れるのだが……と、シリアスな物語が始まるかのように見えるが、謎の山羊ビンセントも加わり、対照的な二人の絶妙な掛け合いと、コントさながらのテンポの良さが爆笑を誘う。今までにない“笑撃"的なスーパーヒーローコミックを目撃せよ!

この『クァンタム&ウッディ』、どんなキャラでどんな物語なのか全く知らなかったんですが、なにやら楽しげな雰囲気が漂っていたので「えいやあ!」とばかりに購入してしまいました。するとこれがびっくりするぐらい面白い。冒険ってしてみるもんですね。主人公はガチムチのガタイした硬派の黒人エリックとヘラヘラした軟派白人ウッディ。この二人、血の繋がらない兄弟なんですが、ある日父親を殺され、父親の研究所で偶然にもスーパーパワーを身に着けてしまいます。そして二人は父を殺したと思われる秘密組織に戦いを挑む…という訳なんですが、なにしろ水と油みたいなこの二人、しょっちゅう喧嘩しては仲違い、物語は秘密結社との戦いと共に二人の掛け合い漫才みたいな罵声と拳の応酬を描いていく、というものなんですね。設定それ自体はそれほど珍しいものではないにしろ、絶対の危機ともいえるような状況ですら言い争いを繰り広げる二人のドタバタの様子が可笑しくてたまらないんです。そしてそんな大喧嘩の合間にふと見せる、彼ら同士や死んだ父への強い絆や愛情が、とってもいい具合にエモーショナルなんですよ。対する敵役も十分に不気味で気持ち悪い連中で、相手に不足無しなんですね。それと、なんだかやたら強力みたいなヤギが出てきて…。そしてこの『クァンタム&ウッディ』、マーベルやDCといった大手コミックではなく、バリアント・エンターテインメントという中小規模のコミック出版社からの作品である、といった部分も珍しいですね。続きが出たらまた是非読んでみたいです。

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20150323(Mon)

[]アラン・チューリングは電子頭脳の夢を見るか?〜映画『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』 アラン・チューリングは電子頭脳の夢を見るか?〜映画『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』を含むブックマーク アラン・チューリングは電子頭脳の夢を見るか?〜映画『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』のブックマークコメント

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 (監督:モルテン・ティルドゥム 2014年イギリス・アメリカ映画)

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イギリスの天才数学者アラン・チューリングの名前はコンピューター・サイエンスの本やSF小説から知った。彼はコンピューター誕生に関わる偉大な業績を世に残した男だったが、しかしその生涯を調べたときに、無理解と偏見によるあまりに非業な最期を遂げていたことを知って大いに胸が痛んだ。ドイツの暗号機エニグマも、第2次大戦を舞台にした冒険小説や、やはりSF小説でその存在を知ることになった。当時の技術では解析不可能とまで言われたこのドイツの暗号機には様々なドラマが存在する。結果的にチューリングを始めとする連合国側に解析されるが、暗号機自体を奪取するための熾烈な戦いもまた繰り広げられていたのらしい。

エニグマ、そしてアラン・チューリング、解析不可能な暗号と、その不可能を可能にした男のドラマは、それだけで大いなる興味を掻き立てられる。しかもそのチューリング演じるのが現在最も注目すべきイギリス俳優、ベネディクト・カンバーバッチと聞いては、もはや観ないわけにはいかないではないか。そして観終わった後、予想を遥かに超えて展開するその綿密に構成された物語に、どこまでも圧倒された。

物語は3つの時間軸を交差させながら進んでゆく。1951年、盗難事件の通報にチューリング宅を訪ねた刑事が、チューリングの態度に不審を覚え彼を逮捕し、その真相に迫る。1939年、第2次大戦勃発とともに、ドイツの誇る難攻不落の暗号機エニグマを解析するために召集されたチューリングとその仲間たちが、エニグマ暗号の解析に挑む。そして1920年代後半、パブリック・スクール通うチューリングの多感な少年時代。これらを通しながら映画はアラン・チューリングという稀代の天才のその足跡、秘められた私生活と奇矯な性格、悲劇に満ちた最期を描くけれども、しかしこの作品は決して「チューリング伝記」としてのみ製作されてはいないのだ。

この作品にはあらゆる要素が詰まっている。不世出の天才のその煌びやかな知性の奔出を垣間見る物語であると同時に、この作品は諜報戦をクローズアップさせた戦争映画であり、その中心となる暗号機エニグマの物語であり、それを打破するために制作された人類最初期のコンピューター誕生の物語であり、それと同時に、一人の男の愛と孤独の物語であり、もう一人の天才数学者ジョーン・クラークを通して描かれる女性民権問題であり、さらにはこの物語のもう一つのキーワードである同性愛への、当時の法律が下した愚劣な無理解と差別の問題である。こうして一つの物語の中に、これらあらん限りの要素がひしめき、それらは相互に化学反応を引き起こしながら、結果的に非常に芳醇で、そして知的な物語として完成することに成功しているのだ。まさに今年を代表する堂々たる傑作のひとつと言っていいだろう。

そしてこの作品の成功を可能にしたのも、ひとえに主人公アラン・チューリングを演じたベネディクト・カンバーバッチの、卓越した演技とその存在感にあるといって過言ではない。彼の名を知らしめたTVドラマ『SHERLOCK シャーロック』でも、天才と奇矯さの狭間を行き来する名探偵シャーロックを演じたカンバーバッチだが、この『イミテーション・ゲーム』でその演技はさらに深みを見せ、架空の存在シャーロック・ホームズとは違う、ぐねぐねとどこかいびつなものを内在させながらなおかつ自らの人間存在へと迫ってゆく男を鬼気迫る様子で演じていた。この作品を観てしまうとアラン・チューリングを演じられるのはもはやカンバーバッチしかいないのではないかとすら思わせてしまう。

さらに興味を引くのがこの物語のもう一つの主人公、劇中では「クリストファー」と呼ばれる暗号解読器の存在だろう。コンピューター理論自体は1823年に「コンピュータの父」とも呼ばれる数学者チャールズ・バベッジにより既に発案され、階差機関(ディファレンス・エンジン)と呼ばれる計算機械が制作されようとしていたが、この計画は完成目前で頓挫している。実際の電子式汎用計算機は1942年のジョン・アタナソフとクリフォード・ベリーが制作したデジタル計算機ABC、1946年にエッカート/モークリーによって制作されたENIACがあるが、暗号解読専門とはいえ、やはりチューリングのマシンが先を行っていたのだ。そのマシンがまさに動いている様を見ることができる、というのは一人のSF好きであり、パソコンの恩恵を受けるものとして非常に興味深かった。

イミテーション・ゲーム』は決してSF作品ではないが、このようにどこかSF好きの心をくすぐる作品でもある。劇中登場する「チューリング・テスト」などはフィリップ・K・ディックSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に登場し、映画『ブレード・ランナー』でも描かれた「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」そのままではないか。そもそも「フォークト=カンプフ測定法」自体の元ネタがチューリング・テストだったのだろう。チューリング・テストは「ある機械が人工知能であるかどうかを判定するためのテスト」であり、フォークト=カンプフ測定法は「人間かアンドロイドかを判定するテスト」であった。高度に知的な機械頭脳の開発に尽力し、人間の狭量な無理解と偏見に断罪されたチューリング。フォークト=カンプフ測定法的にいうならば、果たして人間的だったのはどちらであったのだろう?

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20150320(Fri)

[][]煉瓦を武器に戦うリテーシュ・デーシュムク君主演のマラーティー語映画『Lai Bhaari』 煉瓦を武器に戦うリテーシュ・デーシュムク君主演のマラーティー語映画『Lai Bhaari』を含むブックマーク 煉瓦を武器に戦うリテーシュ・デーシュムク君主演のマラーティー語映画『Lai Bhaari』のブックマークコメント

■Lai Bhaari (監督:ニシカント・カマト 2014年インド映画)

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■リテーシュ・デーシュムク君主演の復讐の物語

髭ぼうぼうで顔中血だらけのリテーシュ・デーシュムク君が憤怒の表情を浮かべ両手に煉瓦を持ってあらぬ方向を睨みつけている…!こんな風に映画『Lai Bhaari』のポスターはただならぬ雰囲気をたたえているんですね。どういう映画なのか全く知らなかったのですが、なにやらバイオレンスチックな物語に違いない…よく分かんないけどタイトルの意味はきっと『煉瓦』に違いない(多分違います)…というわけでリテーシュ君と煉瓦が大好きなオレは早速観ることにしてみました(いやそんな煉瓦好きなわけじゃないですが)。

《物語》ニンバルカー家のプラタップ・シンは篤志家として知られ住民たちから敬われていたが、子宝に恵まれず不幸であった。妻スミトラー・デビは家政婦の助言により、ヒンドゥー教の聖地、マハーラーシュトラ州パンダルプールのヴィトーバー寺院へ祈りを捧げに行く。そこでスミトラーはヴィトーバー神に「最初の子供を供え物として捧げるので子供を産ませてほしい」と願ってしまう。プラタップ・シンはそんな願いをした妻に怒るが、スミトラーは悔い改め、そんなつもりはない、と夫に約束する。願いが届いたのかニンバルカー家には男の子が生まれ、アブヘイ(リテーシュ・デーシュムク)と名付けられた。そして25年後。アブヘイは海外留学から帰ってくるが、野望に満ちた彼の従兄弟サングラムの村人への暴虐を目の当たりにし、さらに父が謎の急死を遂げてしまう。実はサングラムはニンバルカー家の財産を狙っており、アブヘイを亡き者にしようと企んでいたのだ。

映画が始まりしばらくして、寺院に集う大勢のインドの人々、そして鮮やかな祝祭風景が描かれ、実に心が躍らされます。自分がインド映画にはまった要素のひとつは、インドのこういった宗教性と色彩が乱れ飛ぶ祝祭の光景からだったのですよ。それまで何一つ知らなかったインド文化の一面をいきなり映像体験させられ、驚かされたのと同時にすっかり魅せられてしまったのです。あー自分はインド映画のこういう部分が本当に好きなんだよなあ、としみじみ思わされるオープニングです。しかしこの宗教色濃厚な映像は、決して映画の彩りではなく、これから始まる物語の性格を如実に示すものだったのです。それは子宝を授かるためにヴィトーバー神に祈願したスミトラーの、「最初の子供を供え物として捧げる」という約束が、ひとつの因縁となってこの物語全編を運命付けることになるからです。

■ヴィトーバー神と煉瓦、あとマラーティー語映画について

ここで物語の重要な鍵となるヴィトーバー神ですが、今まで聞いたことのないヒンドゥー神なのでちょっと調べてみました。ヴィトーバー神はマハーラーシュトラ州とカルナータカ州で礼拝されている神で、ヴィッタラ、パンーンドゥランガとも呼ばれ、クリシュナ神と同一視されています。6世紀頃に同地方の牧畜業の人々らによって信仰され、13世紀パンダルプールにヴィトーバー寺院が建立され、現在人口9万人ほどのこの町は、ヴィトーバー神信仰の中心なのだとか。劇中に挿入される巡礼の映像はワールカリー派(「巡礼(ワーリー)を行う人」の意味)の人々による年に2回の巡礼のものでしょう。このパンダルプールには年に60〜70万の巡礼者が訪れるそうです。

そしてこのヴィトーバー神、通常は煉瓦の上に立っている姿で描かれているらしいのですよ。ここでリテーシュ君がなぜ煉瓦を持って戦っているのか?の謎が解けましたね。ではヴィトーバー神はなぜ煉瓦の上に立っているのでしょう。神話によると、プンダリカという名の親孝行な男がおり、その日も熱心に親の足を揉んでいるところにヴィトーバー神が現れたのですが一向に相手にせず、神になぜかと問われて「親は自分にとって生き神であるから、孝行が済んでからあなたとお会いします。それまで煉瓦の上で待っていてください」と告げるんですね。その親孝行ぶりに感心したヴィトーバー神は、以来煉瓦の上に立った姿として描かれているということなんですね。つまり映画『Lai Bhaari』は、親と子の強烈な情愛の様子をヴィトーバーの神話に託して描こうとしていた、ということが言えるわけなんですね。

そしてこの『Lai Bhaari』はマラーティー語の映画なんですが、自分は「マラーティー語」「マラーティー語映画」ってよく分かってなかったので調べたところ、「アジア映画巡礼」様のこちらの解説がとても分かり易かったです。

マラーティー語ってどこの言葉かご存じですか? ムンバイ、旧名ボンベイのあるマハーラーシュトラ州の言葉なんですね。ヒンディー語と同じくデーヴァナーガリー文字を使っているのですが、一部違う文字があります。(中略)マラーティー語の映画はヒンディー語映画と同じくムンバイで作られていて、近年製作本数が増えています。というのも、「ボリウッド映画」と呼ばれるヒンディー語映画があまりにもハリウッド映画に近くなりすぎて、それを敬遠した地元の人々がマラーティー語映画に流れているんですね。

マラーティー語を習ってみませんか? / アジア映画巡礼

■それは鬼神だったッ!

つらつらと書きましたが、これはあくまで背景であり、物語自体はこれらの宗教的側面を知らなくとも全く楽しめるものです。物語はインターバルを挟んでのインド映画らしい2部構成になっており、前半ではニンバルカー家におけるアブヘイ誕生の秘話と、成人し「プリンス」と呼び親しまれるアブヘイが従兄弟サングラムの陰謀に巻き込まれるまでが描かれてゆきます。そして後半はサングラムの悪逆非道な企みに、遂に怒髪天を衝き反撃の狼煙を上げるリテーシュ君の疾風迅雷の戦いが描かれてゆくのです。

この辺の展開は南インド映画的なバイオレンス風味を感じさせますが、しかしアクションばかりが連打されるような徹底的な力技で物語を牽引するのではなく、適度な駆け引きを演じながら映画の流れに緩急を付けているところがこの映画らしさだと感じました。また、「最初の子供を供え物として捧げる」という冒頭の神との約束が、どういった具合に物語に関わってくるのかがひとつの謎として観客を引っ張ってゆきます。マラーティー語映画は自分にとってこの作品が初めてですが、南インド映画的なバイオレンスを持ち込みつつも、ストーリーテリングにやはり比重を置こうとしていることを感じさせ、これがマラーティー語映画の特色なのかな、とちょっとだけ思ったのですがどうなのでしょう。ストーリーに重点を置いているだろうというのは、その台詞の多さ、若干のややこしさから感じることなんですね。

そしてなにより、この後半におけるリテーシュ君の無敵ともいえる戦いっぷりが凄まじい爽快感に満ちていて熱いんですね!前半で悪役サングラムが遣りたい放題の非道さを見せ付けた後なので、復讐の炎を赤々と燃やすリテーシュ君が相手を完膚なきまでに叩き潰してゆく様が、惚れ惚れしちゃうぐらいカッコイイ!もう画面に向かって「やれやリテーシュ!やったれ!ギタギタにしたれ!」と声援送ってたぐらいです。ここでのリテーシュ君はまさに一騎当千の強さ、鬼神の如き強力ぶりを見せ付けます。

以前『ダバング 大胆不敵』を観た時に、インド映画において悪党を徹底的に叩き潰す様はそれこそ神意であり、だから鬼神の如く戦うのではないのか、と思ったのですが、この『Lai Bhaari』においてはまさに戦いの最中にヴィトーバー神巡礼の映像がオーバーラップされ、その戦いが神意のものであることがあからさまにされているんですね。ここでは神と人とのうねるような交信の様が描かれ、映画そのものに凄みを与えているんですよ。こういった、ひとつのエンターティメント作品の中にインド人の生に関わる土俗と宗教とを絡めてゆく構成のあり方に、インド映画を観る醍醐味を感じさせてくれる傑作でした。

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20150319(Thu)

[][]熱烈な映画オタクが繋ぐ分断した二つの国家〜映画『Filmistaan』 熱烈な映画オタクが繋ぐ分断した二つの国家〜映画『Filmistaan』を含むブックマーク 熱烈な映画オタクが繋ぐ分断した二つの国家〜映画『Filmistaan』のブックマークコメント

■Filmistaan (監督:ニティン・カッカル 2014年インド映画)

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インド人映画助監督がパキスタンのムジャーヒディーン(聖戦士)の村に拉致され、明日をも知れぬ日々を過ごしていたが、「映画」を通じて次第にお互いの心を通わせてゆく、という物語である。

冴えない風貌ながら映画愛だけは人一倍強いサニー(シャリーブ・ハーシュミー)は、ドキュメンタリーを撮りに来たアメリカ人撮影クルーに助監督として参加し、インド・パキスタンの国境近くを訪れる。しかし夜半一人でいたサニーは、アメリカ人誘拐を狙ったムジャーヒディーンに間違えて拉致され、そのままパキスタンの小さな村に軟禁されてしまう。まんじりともしない日々を過ごすサニーだったが、その村にインド映画の海賊版ソフト販売を生業とする男、アーフターブ(イナームルハク)が帰ってきたことから、状況は奇妙な変化を見せる。アーフターブは大のインド映画好きで、村でインド映画の上映会を開くほどだったが、サニーが映画関係者と知り色めき立ち、二人は意気投合し始めるのだ。しかし村のボスはそれを決して快く思っていなかった。

インドとパキスタンは1947年の印パ分離独立時から、混乱と衝突、痛ましい大虐殺を経て、それは三度の印パ戦争にまで発展し、現在も緊張状態が続いている。インドで多数を占めるヒンドゥー教徒と、パキスタンに多いイスラム教徒との不信と憎悪がそのきっかけとなったのだという。ただ、宗教は違えどももともとは同じ民族だったのであり、国家分断の嘆きや悲しみはどちらの国の国民にも存在しているのだろう。自分は実のところ、こういった事実をインド映画を観始めてから初めて知った。先日日本でも公開されたインド映画『ミルカ』では印パ分離独立時の生々しいトラウマが物語のテーマとなり、シャー・ルク・カーン主演の名作『Veer-Zaara』はインド人男性とパキスタン人女性の恋が陥る悲劇を描いたものだった。そしてこの『Filmistaan』も、そんな分断された国家の悲喜劇を描いた作品となる。

とはいえ、この作品は決してガチガチにシリアスな政治ドラマではない。むしろ主人公サニーの、どうにもイケテないキャラクターが、既にしてこの物語をコミカルなものにしている。主人公サニーは映画オタクだ。映画が好きで自らも俳優になりたくて、何度もオーディションを受けるも当然の如く落とされる冒頭の描写は、哀れではあるがどうにも情けない男として彼を描く。しかしなにしろ映画への偏愛は強烈だ。ムジャーヒディーンたちが犯行声明ビデオを撮ろうとした時、拉致監禁されている本人である筈のサニーが監督を買って出て、「こうしたほうが緊迫感あるよ!」などと演出してしまうシーンは思わず爆笑してしまった。さらに村でボリウッド映画上映会が開かれると、軟禁された部屋でその映画の台詞を全てソラで唱えてしまうばかりか、途中音声の不具合が出てしまうと、なんと危険も忘れて部屋から忍び出て、村民の為にアテレコまでしてしまうのだ!その時に上映されていた作品がサルマン・カーンの初期作であるという部分にも、一人のインド映画ファンとしてニヤリとさせられてしまう。

こうした【映画愛】が、次第にインド人・サニーと、パキスタン人の村人、さらにはムジャーヒディーン戦士たちとの心を近づけてゆくきっかけとなるのだ。それは、【映画】が、国家や宗教、信条などを越え、その「楽しさ・喜び」ゆえに人々をひとつにしてゆくという過程だ。いやむしろ人は、「楽しさ・喜び」の中ではもともとひとつのものであるということの証明だ。こうして『Filmistaan』は人間の普遍性を説きながら、それがいとも容易く国家や宗教を凌駕し、一つの繋がりを容易にする過程を描き切る。そしてそれを可能にした【映画】という装置の素晴らしさに、限りない【愛】を表明するのだ。愛は世界を救えないかもしれない。しかし映画愛は、どこかで我々を繋ぎ、そして救うかもしれない。こうして『Filmistaan』は映画への愛を高らかに謳い上げながら、二つの国家となってしまったインドとパキスタンの融和を訴えるのだ。

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20150318(Wed)

[][]貴族の屋敷で玉の輿!?ディズニー配給のインド・シンデレラ・ストーリー『Khoobsurat』 貴族の屋敷で玉の輿!?ディズニー配給のインド・シンデレラ・ストーリー『Khoobsurat』を含むブックマーク 貴族の屋敷で玉の輿!?ディズニー配給のインド・シンデレラ・ストーリー『Khoobsurat』のブックマークコメント

■Khoobsurat (監督:シャシャンカー・ゴーシュ 2014年インド映画)

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貴族のお屋敷に務めることになった普通の女の子が、あっけらかんとした明るさで厳格すぎる貴族一家の心を融かし、跡継ぎ息子も次第に彼女に惹かれてゆくが…というラブ・コメディです。インド映画ですが、ディズニー製作という所がちょっと珍しいですね。素敵な王子様と普通の女の子が出会う、というファンタジー・ロマンスの王道を行くような物語は、確かにディスニー映画らしいとも言えます。しかし、このお話は、それだけではない魅力があるんですよ。

理学療法士のミリー(ソーナム・カプール)はある日、足の悪いラトール家当主の治療を紹介され、住み込みで働くことになります。ラトール家に着いたミリーはびっくり、そこは広大な敷地に壮麗な豪邸が建ち、多くの召使たちがうやうやしくかしずくような所だったからです。「すてきー!すっごーい!」最初こそはしゃぎまくっていたミリーでしたが、家に入って目にしたのは、格式でがんじがらめになって生きる貴族一家の姿でした。しかしミリーはあくまで自分らしく自由闊達に行動する事を止めません。家族は次第にミリーに惹かれるようになり、さらに息子のヴィクラム(ファワード・カーン)と心を寄せ合うようになります。しかし、ヴィクラムには既にフィアンセがおり、当主の妻は「あんな一般人の娘!」と尊大な態度を崩そうとしないんです。

監督はなんとあのカルト・ムービー『Quick Gun Murgun』を撮ったシャシャンカー・ゴーシュ。相当シュールで奇妙奇天烈な作品だった『Quick Gun Murgun』ですが、その監督がラブコメディを、しかもディズニー配給でって、人選した人相当冒険したね!しかしこの人選には誤りはなかったようで、『Quick Gun Murgun』のぶっ飛んだ色彩感覚と摩訶不思議な世界観は、この作品でポップでファンシーな色遣いとコミック・タッチのファンタジックな世界観という形で花開いているんですね。これ、スノッブな美術をひけらかしていたターセム・シン監督が『白雪姫と鏡の女王』でキッチュでポップな作風へと様変わりしたのと似たものを感じましたね。

ゴーシュ監督の色彩センスが最も生かされていたのはソーナム・カプールの衣装なんですね。1シーンごとにソーナム・カプールの衣装が違う!というのがなにしろ凄いんですが、しかもその衣装というのがどれもこれもカラフルな多色使いの柄物の組み合わせという難易度の高いもので、ソーナム・カプールが着ているからオシャレに見えるんですが、これって一歩間違うとただひたすらケバイだけの服装になるので一般人はマネしないように!っていうか、こんな洋服どこで売ってるんだよ!この衣装を見るだけでも女性の方は楽しいんじゃないかな。

もうひとつゴーシュ監督のセンスが生きていたのはそのおとぎ話チックな物語にもあるんじゃないでしょうか。背筋のピッと伸びたハンサムな王子様と普通の女の子の恋、ここからして既におとぎ話チックだし、日本の少女コミックにも探せばありそうですね。ハーレクイン・ロマンスにだってきっとあるでしょう。それを現代のインドを舞台にして描く際に、嘘くさくなく、かといって格調高すぎず、あくまでファンシーなセンスとコミカルで初々しいロマンス・ストーリーとしてきちんと描いた部分にゴーシュ監督らしさを感じました。

また、格式ばった貴族の屋敷に普通の女性が入り、その家の窮屈な雰囲気を次第に融かして、困難の未に貴族と結ばれる…といったプロットからは『王様と私』『アンナと王様』あたりをちょっと思い出しましたね。ただ、元気で自由闊達なミリーの描写は、逆に自由過ぎてガサツに感じる部分もあります。現代っ子でももうちょっと遠慮するものではないでしょうか。これはあくまでも保守的な貴族一家の対比としての描き方だと思いますが、もう少しうがった見方をすると、欧米的な自由さに、保守的なインドの生き方が変えざるを得ない局面に立たされていることを揶揄しているようにも思えました。

そして物語の大きな魅力となっているのはヒロインであるソーナム・カプールの見入ってしまうような美しさ、貴族の息子ヴィクラム役であるファワード・カーンの水も滴るイイ男ぶりでしょう。この二人がラブコメのお約束ともいえる、くっつきそうでくっつかない、キスしそうでキスしない、お互い意識しあってるのに表に出せずなんだか悶々とばかりしている様子、そしてその切なさが、じれったくもまたドキドキ感をあおってゆくんですよね。この作品はオシャレなラブコメディとして女性に人気を集めるでしょうが、オレのようなムサイおっさんですら始終によによしながら観てしまう楽しさがありましたね。

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20150317(Tue)

[][]お犬様の相続した遺産を狙え!?〜映画『Entertainment』 お犬様の相続した遺産を狙え!?〜映画『Entertainment』を含むブックマーク お犬様の相続した遺産を狙え!?〜映画『Entertainment』のブックマークコメント

■Entertainment (監督:サージド-ファルハド 2014年インド映画)

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「その遺産は俺のものだ!」億万長者が飼い犬に残した莫大な遺産を巡り、億万長者の息子と悪者たちが右に左に大騒ぎを繰り広げちゃう!というコメディ映画です。主演はアクシャイ・クマール、監督は『Singham』『Bol Bachchan』『チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー参上』の脚本担当で今回が初監督となるサージドとファルハド。ちなみにタイトルの「Entertainment」は遺産を受け継いだお犬様の名前です!

その日暮らしのお気楽男アキル(アクシャイ・クマール)はある日、自分の本当の素性がバンコクに住む億万長者の息子だということを知ってしまいます。しかもその大金持ちが先日亡くなったことも!「やった!俺は明日から大金持ちだ!」葬儀に駆けつけ素性を明かし、さて遺産は自分のもの…と思っていたアキルでしたが、その遺産が実は億万長者の飼い犬「エンターティンメント」に残さたことを知り大パニック!しかも億万長者のまたいとこである悪党兄弟もまた遺産を狙っていたため、お話は思わぬ方向に向かっていくんです!

アクシャイ・クマール演じるアキルはお犬様を亡き者にして遺産を自分のものに!とあれやこれやの悪巧みを講じますが、なぜかお犬様のほうが一枚上手でどんな企みもあっさり見抜かれ、そればかりか自分で仕掛けた罠に自分が引っ掛かり酷い目に遭ったりしています。お犬様が大変賢いせいもあるんですが、犬すらも見抜ける罠しか思いつかず、その犬すらも引っ掛からない罠に引っ掛かるアキル…お前は犬以下かよ!?…とまあ前半はことごとくお犬様に出し抜かれ、煮え湯を飲まされるアキルの七転八倒ぶりに大いに笑わされるんですね。

お犬様の遺産を狙うのはアキルだけではありません。遺産を狙い脱獄してきた二人の男、アルジュンとカラン。この悪党二人をなんと、『ダバング』1、2作でそれぞれ悪党を演じたソーヌー・スードとプラカーシュ・ラージが演じてます。もうこの二人をコンビの悪党で登場させ、そして二人があれやこれやと掛け合いしている様子を見られるって時点で、この映画は既に必見になっているではありませんか!?いやああまりにズルイ配役だなあ!しかもコメディなだけにこの二人、微妙にマヌケなキャラ設定になっているのがまた可笑しいんですよ。

しかし、物語中盤で起こったあることをきっかけに、アキルはお犬様の味方となり、まんまと遺産を手に入れた悪党どもを倒すために立ち上がります。なんとお犬様軍団まで登場し、悪党どもをてんてこ舞いに陥れる様などは痛快ですね。ここでアキルの取った戦法は決して実力行使ではなく、口八丁手八丁で悪党どもを攪乱する、なんて部分がインド・コメディらしい安定の展開なんですね。今回のアクシャイ・クマールは実に当たり所の役柄だったし、お犬様も可愛らしかった。お話自体は非常に他愛のないものだし、特に深みがあるわけでもないのですが、逆にとても気楽に観られてスカッと笑える、そんな軽快さが楽しさに繋がる良作でした。

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20150316(Mon)

[][]復讐と赦しの狭間で引き裂かれてゆく男の情念〜映画『Ek Villain』 復讐と赦しの狭間で引き裂かれてゆく男の情念〜映画『Ek Villain』を含むブックマーク 復讐と赦しの狭間で引き裂かれてゆく男の情念〜映画『Ek Villain』のブックマークコメント

■Ek Villain (監督:モーヒト・スーリー 2014年インド映画)

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『Ek Villain』はシリアル・キラーに恋人を殺された一人の男が、憤怒と絶望の中で殺人者を追いつめてゆく、という物語だ。しかし、この作品は単にそれだけでは終わらない様々な寓意が錯綜する物語に仕上がっている。主演は『スチューデント・オブ・ザ・イヤー』のシッダールト・マルホトラ、そしてリテーシュ・デーシュムクが狂った殺人者を堂々と演じているところも見所だ。今回は若干ネタバレしているのでご注意を。

主人公の名はグル(シッダールト・マルホトラ)。マフィアの殺し屋だった彼の人生は、難病により余命幾ばくもない娘アーイシャー(シュラッダー・カプール)との出会いにより一変する。アーイシャーの愛に触れたグルはマフィアから足を洗い、真っ当な人生を歩もうとしていた。しかしそんな矢先、アーイシャーは惨たらしい死を迎えてしまう。それは巷を恐怖に陥れている連続女性殺人者の凶行だった。絶望と憤怒に身を震わすグル。一方、一人のうだつの上がらない男が今日も妻になじられていた。愚直な笑みを浮かべながら、彼はまた女を殺すことを夢想していた。その男ラーケーシュ(リテーシュ・デーシュムク)こそが、アーイシャーを殺した連続女性殺人犯だったのだ。

物語は暴力と殺戮から幕を開ける。度を越した借金の取り立てで相手を焼き殺してしまうグル。虚ろな目をしながら次々に女性を殺してゆくラーケーシュ。そしてラーケーシュがグルの新妻アーイシャーを惨殺する所から、復讐の情念に満ち溢れた物語が動き出す。物語は中盤まで、グルとラーケーシュが遂に対峙するまでを描く。その間、この二人が、どのような思いでこれまでを生きてきたのかが語られる。かつて両親を殺され、マフィアの殺し屋となったグル。しかしアーイシャーの輝く様な生き方に触れて改心し、足を洗って新しい生活を始める筈だったグル。そして常に妻になじられながれも、そんな妻を愛しきっていたラーケーシュ。この二人が対峙する時、そこに復讐のどす黒い情念が燃え上がる。

怨念に満ちた復讐者。虚無と狂気に堕ちた殺人者。物語はどこまでもドロドロとした情念を孕みながら展開し、これは復讐の物語であると一見思わせる。しかしだ。ラーケーシュと出会ったグルは、ラーケーシュをボロボロになるまでぶちのめすが、あえて彼を殺さない。いや、殺せないのだ。憤怒と怨念に体中を焼き尽くされながらも、ある思いが彼の手を止めさせた。それはかつて彼が殺してしまった相手の親族に、彼が赦された、ということ。そして愛するアーイシャーが彼に、赦すことの尊さを説いていたこと。これにより彼は引き裂かれる。復讐と赦しの狭間で彼は苦悶する。だがここでラーケーシュを赦してしまうことで、新たな惨劇が巻き起こってしまうのだ。

こうして後半から物語は錯綜し始める。グルにとって、ラーケーシュを赦すことは、それはかつて殺してしまった男への贖罪であり、殺された妻の願いを聞き入れることによる、自らの魂の救済だった。だがその赦しが、更なる殺戮を生み出してしまうのだ。では赦しとはなんなのか?絶対の悪に対して、赦しは相容れないものなのか?すなわち、赦しは、無意味でしかないのか?それでは自分は、また再び殺戮者となって相手の息の根を止め、アーイシャーと出会う前の虚無の中に戻らねばならないのか?グルの中では、これら決して答えの得られない問いが渦巻いていたに違いない。こうして拮抗しあう想いがもつれあい、物語は強大な情念を溶岩のように滾らせながら、圧倒的なクライマックスへとひた走ってゆくのだ。

一つ感じたのは、この『Ek Villain』が、デヴィッド・フィンチャーの問題作『セブン』のラストへの、インドからの回答ともとれる作品だったということだ。冷徹な殺戮者ジョン・ドゥは、最後にミルズ刑事の復讐を受け入れることで自らの犯罪を完成させようとした。この『Ek Villain』でも主人公は『セブン』と同様に妻を殺され、さらに殺人者から自分を殺せ、と促されるのだ。そこで主人公はどうしたのか?がこの作品の重要なポイントになるのだが、結末に関わってしまうので多くを書くことはできない。ただ、『セブン』は7つの贖罪を題材としながら神無き世界を描いたが、この『Ek Villain』は、神無き世界に生きる男を描きながら最後に神の顕現を見せるのだ。そしてこれが非常にインドらしい結末と言うことが出来、ある意味インドという国の深遠を垣間見せられたよう思えた。

ドロドロとした情念を描きつつ、この『Ek Villain』は同時に、非常に美しい情感もまた描く。この振り幅の大きさもまたこの作品を狂おしいものにしている。監督はオレの嫌いだった映画『Aashiqui 2』の監督でもあり、なるほどこうしてみると、あれも情念の映画だったな、と納得がいった。またこの作品は韓国映画『悪魔を見た』との類似点を指摘されており、オレはその作品を観ていないが、調べてみると確かに中盤までは同じ流れかもしれない。ただ中盤からの展開は独自のものであると思える。どちらにしろ『Ek Villain』は、2014年を代表するインド映画の一つとして数え上げることができるはずだ。

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20150313(Fri)

[]最近購入したDVDとかBlu-rayとか 最近購入したDVDとかBlu-rayとかを含むブックマーク 最近購入したDVDとかBlu-rayとかのブックマークコメント

デヴィッド・ボウイ主演のカルトSF映画、『地球に落ちてきた男』がBlu-rayになったよ!

地球に落ちて来た男 [Blu-ray]

オレにとってナンバーワン・ロック・アーティストといえばこの人しかいない、デヴィッド・ボウイが主演したカルトSF映画『地球に落ちてきた男』がBlu-rayになって登場したよ!これはもう買うしかないね!今だとAmazon価格は1300円程度だ!この『地球に落ちてきた男』はオレにとってオールタイムSF映画作品No.1作品として、かつてブログ記事『オレ的SF映画ベストテン!』に挙げたこともあったぐらい好きな作品だ。感想はこの辺で書いた。

今回はBlu-rayということで最高の画質で堪能することができたが、これまで何度も見返したことのある映画なのに、画質向上により今まで気付かなかった部分を改めて発見できたりして物凄く有意義だったなあ。ちなみに『地球に落ちてきた男』のソフトは、VHS1本(当時1万5千円ぐらいした!)とDVDをジャケ違いで2枚、さらにBlu-rayは海外版を1枚所有している。この海外版Blu-ray、「日本じゃきっとBlu-ray化しないだろうなあ…」と思って買ったものなのだが、実はリージョン違いでオレん所の環境だと観れなかったんだよね!ええ、ろくに調べずあわてて買ったんです…。

だからこそ今回の日本版Blu-ray発売はとっても嬉しかったし、発売を今か今かと待ってたんですよ。という訳でこのBlu-ray、ファンのオレには既に宝物です。

■水曜どうでしょうDVD第22弾『中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!/前枠・後枠 傑作選』

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おおっといつの間に出てたんだ「水曜どうでしょうDVD」の第22弾。調べたら2015年01月14日発売というから、リリースされてそんなに経ってはいないけれども、いつもこの「水曜どうでしょうDVD」は発売日を逃してしまう。慌てて購入したけれども、なにか発売予告とかすぐ分かる方法はないものか。

さて今回のタイトルは『中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!/前枠・後枠 傑作選』。2001年春頃に放送されたものらしく、メインの内容はタイトル通り中米・コスタリカに行って「幻の鳥」を激写する、ということになっている。幻の鳥の名は「ケツァール」。手塚治虫の漫画『火の鳥』のモデルにもなったという大変美しい鳥なのらしい。

というわけでいつものメンバーがコスタリカに訪れるわけなんだが、なにしろあの人たちのやることなもんだから、余計な道草ばかり食って全然"幻の鳥"に辿り着かない。まあこの辺は「どうでしょう」らしいお約束。しかし今回の幻の鳥撮影、例によって大泉さんがやらされるんだが、渡されたのが大砲か?と見紛うばかりの巨大な600mm望遠レンズ。これがデカイ。無意味にデカ過ぎる。しかも完全玄人仕様。要するに大泉さんには使いこなすことがムリ。

どう考えてもわざとなんだろうけど、そんなムリ目な機材を渡され愚痴り罵倒し悪戦苦闘する大泉さんの安定のトホホぶりが今回の目玉です。まあ、南米行けたんだからいいじゃない?

ご購入はこちらで。

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■SF映画DVDあれこれ買った

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古いSF映画のDVDをコレクションしようと思ったのである。これはいちSFファンとしての懐古趣味もあるのだが、実はちょっと前に『タイムマシン』(1960年作のジョージ・パル版)を久しぶりに観て、これが改めて面白かったのと、新しい発見や大昔観たときと違った感想を持ったからで、それでかつて1度は観たことのあるSF映画作品をもう一度観直してみようと思った、というのがある。さらに、観たつもりだが殆ど内容を忘れている、古典すぎて実は観ていない、なんて作品もちらほらあるのだ。それと、昔のSF映画DVDはどれも千円以下の安い価格で出回っているのでコレクションしやすいのだ。

今回買ったのは『華氏451』『サイレント・ランニング』『アンドロメダ…』『禁断の惑星』『地球の静止する日』の5本。どれも名作の誉れ高いSF作品だ。ちなみに今回買った『地球の静止する日』は1951年ロバート・ワイズ版とキアヌ・リーブス主演の2008年版『地球が静止する日』とのカップリング。『地球"の"』と『地球"が"』の違いなんだね。このタイトル違い今回初めて知ったよ。2008年版は実の所どうでもよかったんだが、特典ディスク付き4枚組で1000円という安さだったもんだからついついこっちのほう買っちゃった。

華氏451 [DVD]

華氏451 [DVD]

アンドロメダ・・・ [DVD]

アンドロメダ・・・ [DVD]

禁断の惑星 [DVD]

禁断の惑星 [DVD]

20150312(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■Fabriclive 79 / Jimmy Edgar

FABRICLIVE 79: Jimmy Edgar

FABRICLIVE 79: Jimmy Edgar

FABRICLIVEの79番目はデトロイト出身のエレクトロ・ファンク・プロデューサーJimmy Edgar。ゴリッと芯の固いフューチャリスティック・ファンク・サウンドの数々をミックス。 《試聴》

■Aydszieyalaidnem / Der Dritte Raum

Aydszieyalaidnem

Aydszieyalaidnem

ジャーマン・テクノ・シーンの大ベテランDer Dritte Raumによるニュー・アルバム。ジャーマンテクノをベースにしながらも様々なサウンドが交錯するカラフルでポップなテクノ・サウンド。 《試聴》

■Purposely Uncertain Field / Lake People

Purposely Uncertain Field

Purposely Uncertain Field

ドイツのMartin EnkeがLake People名義でリリースした1stフルアルバム。メランコリックで幻想的なテック・ハウス/ミニマル・ハウス/ディープ・ハウスが展開される。《試聴》

■Versammlung 1 / Wolfgang Voigt

Versammlung 1

Versammlung 1

ケルンの名門レーベルkompakt総裁であるWolfgang Voigt。彼が運営するプライベート・レーベルProfanからリリースされたニュー・アルバム。シンプルで執拗なリズムが生み出す眩惑的なサウンド。このリズムは「ドイツ人だなー」という気がしてくる。 《試聴》

■Carter Tutti Plays Chris & Cosey / Carter Tutti

Carter Tutti Plays Chris & Cosey

Carter Tutti Plays Chris & Cosey

今は亡き伝説のインダストリアル・バンドThrobbing Gristleのメンバー、Chris CarterとCosey Fanni TuttiによるデュオCarter Tuttiが、彼らの前身であるChris & Cosey時代の楽曲とセルフ・リミックスをまとめたニューウェーブなアルバム。 《試聴》

■Glaive / Nathan Fake

Glaive

Glaive

Nathan Fakeがスタートしたニュー・レーベルCambria InstrumentsからリリースされたNathan Fake自身のニュー・シングル。これまでのNathan Fakeサウンドからまた一歩進化したプログレッシヴ・テクノが新鮮。 《試聴》

■Projections / Romare

ロンドンの気鋭プロデューサーArchie Fairhurstによるソロ・プロジェクトRomare、期待のデビューアルバム。アフロ・サウンドをサンプリング/コラージュし、新感覚のサイケデリック・ダウンビートを構築している。 《試聴》

■Superlongevity 5 / V.A.

フランクフルトの老舗レーベルPerlonがが2010年にリリースしたコンピレーション・シリーズ「Superlongevity」の第5弾はクリック・ハウス/ミニマル・ハウスが中心。ミニマル系の流行はもう終わったのだろうが、当時そんなに好きじゃ無かったのに今聴くと音圧が高く無くて聴いてて疲れないのがいい。 《試聴》

■Ndikho Xaba and the Natives / Ndikho Xaba

Ndikho Xaba and the Natives

Ndikho Xaba and the Natives

こちらはエレクトロニック・ミュージックではなく、ジャズ、それもスピリチュアル・ジャズと呼ばれるサウンドのものらしい。アルバムは1969年に発売されたもののリイシューであり、Ndikho Xabaというアーチストのこともよく知らないのだが、一聴してプリミティブで土臭く、同時に伸び伸びとしたサウンドに心打たれて購入してみた。 《試聴》

■British Murder Boys / British Murder Boys

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Surgeon+RegisというUKハードミニマル/インダスストリアルの2大巨頭がタッグを組んだ最強プロジェクトBritish Murder Boys。彼らのコンピレーション作品を収めたCDとフォトブック、そして東京でのファイナルライブの様子を収めたDVD、という超弩級にハードでゴリゴリなBoxSet。 《試聴》

■Masterpiece / Armand Van Helden

Ministry Of Soundの『Masterpiece』シリーズ最新作はボストン出身の大物ハウスDJ、Armand Van Helden。USハウスには興味が薄いのだが『Masterpiece』シリーズということで聴いてみた。フロア仕様というよりもArmand Van Heldenが自身のDJ史を振り返る形の私的なミックスとなっている。3枚組。 《試聴》

■After Life After Party / Jacques Greene

After Life After Party

After Life After Party

《試聴》

■Phantom Vibrate Remixes / Jacques Greene

Phantom Vibrate Remixes

Phantom Vibrate Remixes

《試聴》

■Ready EP / Jacques Greene

Ready EP

Ready EP

《試聴》

■Lay It Down / Jacques Greene

Lay It Down

Lay It Down

《試聴》

モントリオール出身で、現在はニューヨークを拠点とするプロデューサーJacques GreeneがLuckyMeレーベルその他からリリースしたシングルを4作をドドッと聴いてみた。特に新作はLuckyMeレーベルらしいアップデイトなエレクトリック・サウンドの中にポップでひたすらドリーミーなメロディが展開する。これはお気に入り。

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20150311(Wed)

[]自然災害映画としてのゴジラ〜映画『GODZILLA ゴジラ自然災害映画としてのゴジラ〜映画『GODZILLA ゴジラ』を含むブックマーク 自然災害映画としてのゴジラ〜映画『GODZILLA ゴジラ』のブックマークコメント

GODZILLA ゴジラ (監督:ギャレス・エドワーズ 2014年アメリカ映画)

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ギャレス・エドワーズ監督による『GODZILLA ゴジラ』を観た。賛否両論あるのかもしれないが、オレ的には見せるべきところは見せ驚かせるべきところは驚かす、丁寧に作られたいい映画だったと思う。ギャレス・エドワーズ監督のデビュー作『モンスターズ/地球外生命体』の延長線上にあるモチーフも幾つか見られたが、要するにすっごいモンスターの、即ちゴジラのことが好きな監督なんだろうな、というのはよく分かった。特撮も演出もおおむねよかったが、なにより、冒頭の日本を舞台にした原子力発電所事故のくだりはやはり重いものを感じた。このようなエピソードをあえて挿入したギャレス・エドワーズ監督の采配にまず感嘆した。

ひとつだけ物足りなかったといえば、ゴジラに「破壊神」としての恐怖をあまり感じられなかった、という部分かもしれない。今回も暴れまわってくれたゴジラではあるが、しかし実際は敵役モンスター、ムートーを倒すための「地球の守護神」的な役割なのらしい。これはゴジラという存在をどう描くか、という主眼の置き方の問題なのだろう。ゴジラぐらい歴史が長く世界に沢山のファンがいる作品ともなると、「ゴジラとはなにか?どうあることがゴジラらしいのか?」という定義や思い入れのありかたに様々なものがあるだろう。そういった部分を包括したうえでの今回のゴジラということなのだろう。

オレなどは白状するとそれほど強烈な思い入れがあるわけでもなく、逆にファンの間では不評な1998年作のローランド・エメリッヒ版『GODZILLA』もかなり面白く観たぐらいだ。今回は予告編の禍々しさに「破壊神」としての恐怖を期待してしまっていた。それは例えば2008年に公開され「ゴジラ映画の再来」とも言われたモンスター・パニック映画『クローバーフィールド/HAKAISHA』に通じるような禍々しさだ。この作品に登場するモンスターが、なぜ現れ、なぜ街を破壊するのかは明らかにされていないが、このモンスターがあからさまに破壊と殺戮への明確な「意志」に満ち満ちていたことは伝わってくるだろう。その「意志」が目的とするのは人類を根絶やしにし、文明を灰燼に帰すことなのだ。

今日が3月11日だからというわけでもないが、今回のゴジラ、敵役モンスターであるムートーも含め、「自然災害をテーマにしたディザスター・フィルム」に近いものを感じた。ディザスター・フィルムは大事故や大災害を描くが、自然災害に限っていうなら地震やら台風やら竜巻やら津波やら大寒波やら隕石やらと様々で、地球滅亡の危機まで描いたりもする。その大破壊の中で阿鼻叫喚の渦に叩き込まれる人々の様子に恐怖し、そんな絶望的な状況においても一人でも多くの人命を救おうと尽力する人々に共感する、そんなカタルシスを生み出すのがディザスター・フィルムなのだ。しかし自然災害は、なにしろ殆ど防げない。それは自然や宇宙の摂理があまりにも強大だからであり、そもそも人間がいようがいまいが関係ないところで成り立っているからだ。

そしてこれら自然災害のようにゴジラもムートーも恐るべき破壊の猛威を振るい、建造物も人間も埃屑のように吹き散らかされ、彼らが通った後には瓦礫しか残らない。しかし彼らモンスターが破壊の猛威を振るうのは、実は生存本能や生殖行為といった理由付けがされ、それら生物の摂理がなにより優先しているだけの話で、それは自然災害と同じように人間がいようがいまいが関係ないところで成り立っているのだ。この中で人間の存在はただただ無力なだけであり、ただただ蹂躙されるだけなのだ。今回のゴジラには「破壊神」の凶暴さが希薄だったとはいえ、この「人智を超えた圧倒的な暴威に対する絶望感と無力感」はたっぷりと漲っているのを感じた。そしてなにしろ、ゴジラがとんでもなくデカイのがいい。

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GODZILLA ゴジラ[2014] Blu-ray2枚組

GODZILLA ゴジラ[2014] Blu-ray2枚組

GODZILLA ゴジラ[2014] 3D&2DBlu-ray3枚組

GODZILLA ゴジラ[2014] 3D&2DBlu-ray3枚組

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20150310(Tue)

[][]画集『生頼範義 緑色の宇宙』 画集『生頼範義 緑色の宇宙』を含むブックマーク 画集『生頼範義 緑色の宇宙』のブックマークコメント

生頼範義 緑色の宇宙 (玄光社MOOK illustration別冊)

スターウォーズ帝国の逆襲」、平成版「ゴジラ」シリーズなど数々の映画ポスター、平井和正幻魔大戦」や小松左京日本沈没」「復活の日」などの装画・挿し絵を手がけ、約50年にわたり第一線で活躍してきた伝説のイラストレーター・生鯣狼繊0掬歸な画力で膨大な仕事量をこなし、特にSFや戦記物の分野では輝かしい実績を残しており、生鬚気鵑留洞舛鮗けたイラストレーターは数多く存在します。2014年2月に代表作約300点を網羅した初の大規模な展覧会をみやざきアートセンターで開催。本書はその展示作品を中心に、代表的な仕事や作品をアーカイブした1冊です。

生頼範義の名前を初めて目にしたのはハヤカワ文庫JA(早川書房の日本人作家小説文庫)だっただろうか。SF小説を読み始めて間もなかった中学生の頃、手にした小説は小松左京の『復活の日』。青みがかった巨大な嚢胞から、苦悶のポーズを取る彫像が飛び出し、手前には海上から潜水艦が艦橋を覗かせ、背後には土色の空に赤い太陽が昇る。禍々しく暗示的なその表紙には作品内容同様深く魅せられてしまった。そして同じく小松左京の『果てしなき流れの果てに』の表紙が決定的だった。やはり重々しいミケランジェロ風の彫像の前に配された一機の未来マシン。そしてその背後には、燦然と輝く幾千もの星と緑色した大宇宙。陶然と魅入ってしまった。なんと美しい宇宙だろう。

『生頼範義 緑色の宇宙』はイラストレーラー生頼範義がこれまで携わってきた様々な表紙絵やイラストを一堂に会したムック本だ。前述の小松小説以外で生頼の仕事をよく目にしたのは平井和正の「狼男シリーズ」で、これも作品内容同様お気に入りだったが、もっと若い方には映画『スター・ウォーズ』『ゴジラ』のポスターがお馴染みかもしれない。ゲーム好きの方には『信長の野望』等コーエーのゲーム・パッケージで見知った方もいるだろう。これら生頼作品は卓越した描写力や独特の画面構成と併せ、彫りの深くグラマラスなキャラクターがなにより特徴的だろう。言うなれば、生頼作品は「こってりと濃い」のだ。その濃さはどこか日本人離れした感性とも言える。

これら生頼氏のグラフィックを眺めながら、SF読みだった少年の頃から慣れ親しんできたあの小説・この小説、読んではいないが名前は聞いたことのあるあの作家この作家の表紙絵の懐かしさに触れるのもまた善し、その息を呑む描写力に改めて感嘆するのも善し、「生頼宇宙」の深遠に触れ楽しむことのできる充実の1冊だった。全作品網羅な作品集というわけではないけれども、これだけ楽しめて2000円という安価な価格で手に入れることができるこの『生頼範義 緑色の宇宙』、多分すぐ品切れになって将来的にプレミア価格がつくこと必至であろうから、気になった方はすぐさま購入することを是非お勧めする。

yoyoshi yoyoshi 2015/11/24 18:31 家にあるSF本の過半数に生頼画伯の美麗な装丁が・・・。アルフレッド・べスターの虎よ!虎よ!は画伯の筆無しには情景が浮かびません。多岐に渡る膨大な量の仕事なのに一目で画伯と判る素晴らしさ!ご冥福をお祈りいたします。

globalheadglobalhead 2015/11/24 19:48 訃報には自分も驚きました。あのグラフィックがもう見ることができないのは残念でなりません。

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20150309(Mon)

[]メビウス&ホドロフスキーの伝説的バンドデシネ『アンカル』の前日譚を描く『ビフォア・アンカル』 メビウス&ホドロフスキーの伝説的バンドデシネ『アンカル』の前日譚を描く『ビフォア・アンカル』を含むブックマーク メビウス&ホドロフスキーの伝説的バンドデシネ『アンカル』の前日譚を描く『ビフォア・アンカル』のブックマークコメント

■ビフォア・アンカル / アレハンドロ・ホドロフスキー(作)、ソラン・ジャニエトフ(絵)

ビフォア・アンカル

第2014地球。確然たる階級制がこの惑星を支配しているが、その地下都市では、貴族、平民、ミュータントが入り乱れ、猥雑な様相を呈している。そこで育った少年ジョン・ディフールは、ある事件をきっかけに、発明家の父と娼婦の母を失い、体制に対する敵意を募らせる。ひょんなことから探偵になることを決意した彼は、最終試験として、この惑星のタブーを捜査することになる。やがて彼の捜査は惑星全体を巻き込む大騒動に発展していくが、その一方で、彼はこの愛が失われた世界で、真実の愛を知る唯一の存在となる―。ホドロフスキー&メビウスの『アンカル』で宇宙の救世主となるジョン・ディフールの青春時代を描いた前日譚。冒険はここから始まった!

バンドデシネ界の鬼才メビウスとカルト映画界の巨匠アレハンドロ・ホドロフスキーが手を組み世に送り出し、大友克洋を始めとする日本の名だたる漫画家らに多大なる影響を与えた伝説的バンドデシネ・コミック、『アンカル』(拙レビューはこちら)。その『アンカル』の主人公であるジョン・ディフールを主人公とし、『アンカル』の物語へと繋がる前日譚を描いたのがこの『ビフォア・アンカル』だ。

ただしこの『ビフォア・アンカル』、原作こそホドロフスキーだが、グラフィック・アーチストはメビウスではなく、その後『テクノ・プリ―スト』(拙レヴューはこちら)で再びホドロフスキーとタッグを組むことになるソラン・ジャニエトフが担当しており、ソラン・ジャニエトフの実質的なデビュー作でもある。企画は『アンカル』連載途中に始まり、メビウスの了承の元に進められたらしい。だがそこはしかし、世には右に出る者のいない卓越した描写力を持ち、バンドデシネ界では神の如き存在であるメビウスと、ぽっと出のセルビア人作家ソラン・ジャニエトフ、同じ土俵でやるにはあまりにもその実力の差は激しすぎる。いくらホドロフスキーに「洗練されたスタイルになる前のメビウスに似ている」と注目されたとはいえ、そもそも相手がメビウスではこの世に誰一人彼を凌駕できる者など存在しないだろう。

そんなわけだから、『アンカル』を念頭に置いて読んでしまうと、メビウスにはとうてい太刀打ちできていないのが容易にわかってしまうのと同時に、新人作家であることの、まだ発展途中の画力の不安定さに微妙にとまどわされてしまうことは否めない。だがしかし、懸命にメビウスのテイストを真似ようと悪戦苦闘するソラン・ジャニエトフの努力の様をそこここから読み取ろうとするのは、それはそれで楽しかったりもする。また、『アンカル』では微細に描きこまれたグラフィックに割とフラットなカラーリングが施されていたのを、この『ビフォア・アンカル』では立体的なカラーリングを試みており、また違った楽しみ方ができる。

そういった部分で、『アンカル』ファンはそれなりに楽しめると思うし、また、ホドロフスキー・ファンなら彼ならではの流浪と暴虐のロマンを楽しめる、といったことを評価できるのではないか。物語のラストで『アンカル』にきちんと繋いで見せているのもまた嬉しい。また、この作品の後に『アンカル』のその後を描く『ファイナル・アンカル』も6月に日本刊行予定だと聞く。ここは3巻全て揃えて『アンカル』ワールドの全貌を楽しむのもいいかもしれない。

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

[] 購入コミック覚書 / 『ワタシとこどもの14章』『監獄学園(16)』  購入コミック覚書 / 『ワタシとこどもの14章』『監獄学園(16)』を含むブックマーク  購入コミック覚書 / 『ワタシとこどもの14章』『監獄学園(16)』のブックマークコメント

■ワタシとこどもの14章 / いがらしみきお

ワタシとこどもの14章

ワタシとこどもの14章

『ワタシとこどもの14章』は漫画家いがらしみきおとその愛娘ちゃんとの可笑しく楽しい毎日を描いた作品だ。「子育て漫画」という惹句はあるけれども、どちらかというと「子供観察日記」といったほうが合ってるかもしれない。この作品ではいがらし氏ならではの卓越した観察眼と独特のツッコミで成長してゆく愛娘ちゃんの様子を描き、さらに奥さんまで巻き込んでいがらし家の日常を垣間見せるのだ。14章というのは1章が2ページ見開き14コマで描かれているという部分に由来するのだろう。しかし読んでいると、この愛娘ちゃんの成長が非常に早い。80ページ程度の薄い本なのだが、最初は小さなお子ちゃまだったのがいつの間にか高校生にまでなっている。この作品は朝日新聞出版社から出版されている季刊誌「AERA with Kids」に年3回、2006年春号から2015年春号まで10年近くに渡って掲載されたものらしく、要するに3章で1年経っていることになるのだ。だからそのスパンの長さがどうやらそう感じさせるのだろう。それにしても家庭の中ではいがらし氏が意外とガミガミとうるさいのが分かってそんな部分がまた楽しかったりする。しかしそんないがらし氏に愛娘ちゃんも奥さんも暖簾に腕押し柳に風といった風情で、いがらし氏のいうことを聞いているんだか聞いていないんだか分かんない、といった部分がまた可笑しい。この作品は娘の成長日記であると同時にいがらし氏の家庭日記でもあったのだ。

監獄学園(16) / 平本アキラ

監獄学園(16) (ヤンマガKCスペシャル)

監獄学園(16) (ヤンマガKCスペシャル)

おかしい…前々からおかしかったがこの巻は前にも増しておかしい…頭がおかしすぎるよ監獄学園!前巻がどちらかというと大人しめの展開だったので、「ははあん…これは次巻で大爆発するな…」とが思ってたんだが、この16巻は堰を切ったようなお下劣の大洪水!とうとうモザイクまでかけている始末!こ、こんなのをアニメ化するなんてどうにかしてるよ!いやあ、楽しいなあ!楽しいなあ!

20150306(Fri)

[][]悪党どもを叩き潰すため、あのスィンガムが帰ってきたッ!?ガオーッ!!〜映画『Singham Returns』 悪党どもを叩き潰すため、あのスィンガムが帰ってきたッ!?ガオーッ!!〜映画『Singham Returns』を含むブックマーク 悪党どもを叩き潰すため、あのスィンガムが帰ってきたッ!?ガオーッ!!〜映画『Singham Returns』のブックマークコメント

■Singham Returns (監督:ローヒト・シェッティ 2014年インド映画)

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タレサン口髭の暴力デカが帰ってきたッ!?
ヤツの名はスィンガム!チュルブル・「ダバング」・バンディと並ぶインド映画界もう一人の最凶デカだッ!
スィンガムが跳ぶ!スィンガムが駆ける!
ヤツの前では全ての悪党がオシッコちびり、命乞いをしながら地べたにひれ伏す!
さあ、俺にビンタを張られたい奴はいつでもかかってこいッ!?

ガオーッ!!

というわけでインド名物暴力デカ映画、『Singham Returns』でございます。リターンズというぐらいですからコレ、映画『Singham』(2011)の続編となっているわけですね。『Singham』、大変面白い作品でしたね。詳しくは拙ブログレビュー「俺の名はスィンガム!町の正義は俺が守るッ!!(ガオーッ!)〜映画『Singham』」を読んで貰えるとその笑っちゃうような物凄さがお分かりいただけるかと存じます。

そしてこの『Singham Returns』は1作目と同じローヒト・シェッティ監督、引き続き主演をアジャイ・ディーヴガンが演じ、そしてヒロインとして新たにカリーナー・カプールが抜擢されております(ええっと…大人の事情とは思うけど、前のヒロインどうなっちゃったの?)。また、スィンガムと相対する悪党を『スタンリーのお弁当箱』の監督であり、生徒のお弁当を失敬する変な先生役も務めたアモール・グプテが演じてるんですね。だからといってこの映画は、お弁当を奪われたスィンガムの壮大な復讐劇ってわけでは決してありません!

さて今回のスィンガムの敵役は悪徳政治家と彼と手を組む怪しげな宗教家です。不正資金の出所を捜査するスィンガムを彼らの手下たちが阻むのです。前作ではスィンガムの繰り出す物理法則を全く無視した肉体派アクションがメインでしたが、今作では「これはシュワルツェネッガー映画か!?」とすら思わせる派手な銃撃戦がメインとなり、機関銃はバリバリだわRPG(対戦車擲弾ってヤツですな)は撃ち込まれるわ、人は死に車は吹っ飛び街中火の海になっちゃうじゃないですか!?遂には爆弾テロ、暴動にまで発展し、もはや舞台となるムンバイは戦場の如き有様ですよ!?

敵となる宗教家は多数の信者から膨大なお布施を巻き上げ、それを悪徳政治家の政治資金としていたんですね。宗教家が裏で操る殺し屋たちは傭兵並みの兵器を装備し、暗殺や襲撃、脅嚇を平気で行う恐ろしい相手です。彼らが宗教を隠れ蓑に行う暴力行為の数々は以前日本を騒がせたあのカルト宗教集団を思わせるものがあります。さすがのスィンガムもこれまで以上に凶悪な敵に大いに手こずらされます。しかもメディアを巧みに利用した敵の情報操作に、捜査は続行不能に追い込まれそうになります。しかし!耐えに耐えて耐え抜いたスィンガムの、マグマのように熱い怒りが遂に爆発するのです!

という今回のスィンガムですが、敵が強大で凶悪なせいか、少々お話の流れがシリアスになり過ぎてしまった部分があります。前作はチンピラとヤクザ相手に「気は優しくて力持ちな田舎警官の大活躍!」という大らかさがあったのですが、今作では大都市を舞台にしたテロ戦です。そりゃあシリアスにもなっちゃうでしょ、というのも分かるんですが、前作のバカバカしさが後退してしまったのはちょっと寂しい気がしました。肉弾戦ではなく銃撃戦がメインになった部分も、これはこれで緊張感たっぷりでしたけど「でもスィンガムの空中ビンタ見たかったんだよなあ…」とつい思ってしまうんですよ。

とまあ、「悪くはないけどコレジャナイ…」と思って観ていた所、とんでもない展開を迎えるクライマックスで全ての不満がチャラにされました!観ていたオレの反応→「わははははは!なーんじゃこりゃあ!なーんじゃこりゃあー!」…いやあもう楽しくて楽しくて笑って観てしまいましたよ。いいなあ、これでこそスィンガムだよ!ここまで法律無視していいのか!?いや、スィンガムだからいいの!あれ観て「白ランニングシャツとチノパンの時代、始まったな…」と思わせてくれましたね。と言うわけでここ日本ではそろそろ春の兆しも見え始めてきましたので、オレも白ランニング&チノパンで怖い顔しながら街を練り歩きたいと思っております!ガオーッ!!

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20150305(Thu)

[][]傷だらけの天使たち〜映画『Kill Dil』 傷だらけの天使たち〜映画『Kill Dil』を含むブックマーク 傷だらけの天使たち〜映画『Kill Dil』のブックマークコメント

■Kill Dil (監督:シャード・アリー 2014年インド映画)

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愛に目覚めた殺し屋が、殺し屋家業から足を洗おうとするが…というアクション&ラブコメ作品です。主演の殺し屋を演じるのは『Goliyon Ki Rasleela Ram-leela』『Lootera』のランヴィール・シン、その相棒役を『Mere Brother Ki Dulhan』のアリー・ザファル。ヒロインを『Hasee Toh Phasee』の演技が非常に印象的だったパリニーティ・チョープラー、さらにマフィアのボス役をベテラン俳優ゴーヴィンダーが演じます。

孤児として生まれたトゥトゥ(アリー・ザファル)とデーヴ(ランヴィール・シン)は幼い頃にギャングのドン、バイヤジー(ゴーヴィンダー)に拾われ、そのまま暗黒街で育つことになりました。いつしか腕利きの殺し屋となった二人は、今日もバイヤジーの指令の元、冷徹に仕事をこなしていきます。しかしある日、デーヴがクラブで出会った少女ディシャー(パリニーティ・チョープラー)と恋に落ちたことから、彼らの運命は大きく変わってゆきます。殺し屋であることを隠してディシャーと交際するデーヴでしたが、愛に目覚めた彼は人を殺すことができなくなってしまうのです。そしてそんなデーブをバイヤジーは面白く思っていませんでした。

この『Kill Dil』、ピンクやグリーンといった非常にビビッドな色使いのポスターやビジュアル・イメージから、スタイリッシュな映像を追求した作品かと一瞬思わせますが、実際映画を観てみると、スタイリッシュというよりもポップでライトな作風である、と言ったほうがいいかもしれません。ギャングの殺し屋が主人公で、確かに殺しのシーンもありますが、緊張感みなぎるハードボイルドな作品という訳ではないし、銃撃戦こそありますがそれが中心のアクション映画というものでもないんですよ。むしろコミックのノリに近い軽さに満ち満ちてるんですね。そしてその軽いノリの中心にいるのが主人公であるトゥトゥとデーヴのチンピラ二人組、というわけなんです。

友情とも兄弟愛ともつかぬ熱い感情で固く結びつきあったこの二人の関係は、オレには最初知る人ぞ知る日本のTVドラマ、『傷だらけの天使』を思い起こさせました。萩原健一と水谷豊が主演となるこのドラマは、二人のホモソーシャルともいえるチンピラ同士の主従関係が奇妙な面白さを持つ作品でしたが、この『Kill Dil』でも、頼りがいのある兄貴分トゥトゥに少々子供っぽいデーヴが寄り添う形で関係が成り立っているんですね。ここでトゥトゥ演じるアリー・ザファルはどこかニヒルなキャラクターで、ルックスもちょっとジョニー・デップ入ってます。一方、デーヴ演じるランヴィール・シンが、ある意味今作の主役となっているといってもいいでしょう。

実は映画を観始めて最初、「ランヴィール・シンをアホっぽくしたような俳優が出てるけどこの人誰?」と思っっちゃったんですが、実はそのアホっぽいヤツがランヴィール・シンだった!?ランヴィール・シン、オレは『Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela』で初めて見て、「なんだかインドにはスゴイ(いろんな意味で)俳優がいるなあ…」と感心してたんですが、その後180度キャラの違う『Lootera』で益々感心し、そして『Gundy』の非常に分かり易いマッチョキャラでまたもや感心してたんですね。そしてまたもや趣向の違う今回のキャラを観て、意外とランヴィール・シンって器用な俳優なんじゃないかと思いました。

映画は前半がオチャラケ殺し屋二人組によるアクションが若干挿入された後、中盤から後半にかけてはデーヴとディシャーの恋愛模様、そして殺し屋家業という烙印に苦悩するデーブの様子が描かれてゆきます。デーヴを殺し屋に復帰させたいバイヤジーの暗躍(バイヤジー演じるゴーヴィンダはなかなかの迫力でした)こそあるものの、物語の流れは結構な甘ったるさを覚えるものとなっています。全体的に小粒で深みを望めるような作品ではありません。この辺で好みの分かれるところとなると思いますが、しかし個人的には殺し屋二人のキャラの軽快さ、ヒロインの魅力などから、気軽に観られるライトな作品として楽しむことが出来ました。

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20150304(Wed)

[][]3人のディヴィッドによる3つの物語〜映画『David』 3人のディヴィッドによる3つの物語〜映画『David』を含むブックマーク 3人のディヴィッドによる3つの物語〜映画『David』のブックマークコメント

■David (監督:ヴィジョーイ・ナンビヤール 2013年インド映画)

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時代も場所も違う世界で生きる3人のディヴィッドを追ったドラマです。映画はそれぞれのディヴィッドを巡る3つの物語として進行してゆきます。そしてこの3つの物語、それぞれテーマが違うばかりか、各々が異なった映像手法で撮られているのが面白いんですね。

1975年のロンドン。一人目のデイヴィッド(ニール・ニティン・ムケシュ)はイスラム系コミュニティを支配するマフィアのメンバーであり、殺しも厭わぬ30歳の男です。しかしある日、彼はマフィアのドンと彼の両親にまつわる信じられない話を聞かされ、大きく心が揺らぎます。さらに彼の愛する女性がドンの息子と無理矢理結婚させられてしまうことを知るのです。

このロンドン・パートは冷ややかなモノクロの映像で撮影されています。殺しと裏切りがテーマになったその物語はどこまでもニヒルで、激しい銃撃戦まで描かれますが、主人公と恋人とのロマンティックでムードたっぷりなラブ・シーンも挿入されているんですね。

1999年のムンバイ。二人目のディヴィッド(ヴィナイ・ヴィルマーニ)はロック・ミュージシャンを目指す19歳の少年です。彼の父はキリスト教司祭でしたが、ある日その父がヒンドゥー教系の狂信者たち襲われ、酷いリンチを受けてしまいます。怒りに震えるディヴィッドは、裏で襲撃を指示したマフィアとヒンドゥー教系政治家に「なぜこんなことをするのだ?」と詰め寄ります。

このパートではインド都市の住宅街を舞台に、通常のカラー映像で撮影されています。やんちゃな少年と家族との明るく賑やかな暮らしは、いわれなき暴力により一変します。ここから物語はバイオレンス色を強めていき、少年は満身創痍になりながら暴動の首謀者たちに迫ってゆくのです。

2010年のゴア。三人目のデイヴィッド(ヴィクラム)は、飲んだくれで暴れん坊の、30歳になる漁師です。今日も楽しく酔っぱらっていた彼は川を下る小舟に乗った一人の女性に恋をしてしまいます。しかしなんとか探し当てたその女性は聾唖であるばかりか、友人であるピーターの婚約者でした。デイヴィッドは彼女の結婚を阻止しようと奔走しますが、やることなすことトンチンカンで…。

このパートは舞台である避暑地ゴアの自然の色彩を強調した非常にカラフルでヴィヴィッドな映像で撮影されています。ここで見られるゴアの風景は時折息を吞むほど美しく幻想的です。そして主人公を巡る物語もどこかすっとぼけていてナンセンス、ダメ男の恋がコミカルに描かれてゆきます。

この3つのパートはそれぞれが10分未満程度の短い時間に細切れにされ、同時進行しながら交互に物語られてゆきます。別々の物語ではありますが、起承転結といいますか序破急の流れは足並みが揃えられており、映画の進行に合わせそれぞれの物語が同時に盛り上がってゆく様が独特なんですね。これは3つのショートストーリーを順番に見せられるよりも一つの映画の大きなうねりとして観ることができ、思わぬ効果を上げているんですよ。それぞれの物語も短いとはいえ実に充実していて最後まで興味を持って観ることができるんです。

そしてそれぞれのパートのトーンは違いますが「一人の男が困難を乗り越えようとする物語」という統一感は感じられ、決してちぐはぐなものを見せられているような気にはならないんです。この辺、実に実験的であると同時に野心的なものを感じました。演じる俳優たちも、ゴアのディビッドを演じたヴィクラムぐらいしか見知った俳優はいなかったのですが、誰もが存在感のあるとてもよい演技をしており、見応えが満点だったなあ。同時に、映像が本当に綺麗なんです。パートにより撮影手法を変えていましたが、撮影それ自体にもこだわった作品なのではないでしょうか。DVDで観たのですが、その画質自体も優れていましたね。

ただし、ディヴィッドという名前以外にこの3人に共通点はないし、時代が離れているといった理由も含め物語自体も特に関連性が無い、といった部分が気になるかもしれません。自分は「まあそれぞれの話は十分楽しめたからいいやあ」と思ってクライマックスを眺めてたんですか…おおっとそうきたか!?いやー、してやられました。これは技ありだよなあ!実はこの作品、全くのノーチェックだったのを観たのですが、ある意味思わぬ拾い物とも言える良作でしたね。

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20150303(Tue)

[][]ハリウッド映画『ナイト&デイ』をリメイクしたインド版痛快アクション〜映画『Bang Bang !』 ハリウッド映画『ナイト&デイ』をリメイクしたインド版痛快アクション〜映画『Bang Bang !』を含むブックマーク ハリウッド映画『ナイト&デイ』をリメイクしたインド版痛快アクション〜映画『Bang Bang !』のブックマークコメント

■Bang Bang ! (監督:シッダールト・アーナンド 2014年インド映画)

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「彼氏が欲し〜い!」。ネットの婚活サイトで相手を見つけた女性がカフェで待ち合わると、そこに現れたの超イケメンの男子!「うほっいい男(はあと)」と心ときめかせていたのも束の間、カフェに乗り込んできた正体不明の悪漢たちと男は大立ち回り!ナニ?ナゼ?どうして?そう、実はこのイケメン、世界を股にかけた大泥棒であり、盗んだ宝石のせいでテロリストに追われる危険度100%の男だったのです!

『クリッシュ』のリティク・ローシャン、『チェイス!』のカトリーナ・カイフが主演のアクション・ラブコメ『Bang Bang!』であります(しかしインド映画ってなぜかいっつも即物的なタイトル付けるよなあ…検索する時大変なんだよなあ…)。そしてこの物語、実はトム・クルーズキャメロン・ディアスの共演で2010年に公開されたアメリカ映画『ナイト&デイ』のリメイク作でもあるんですね。

物語はごくごく普通の女の子ハーリーン(カトリーナ・カイフ)が謎の大泥棒ラージヴィール(リティク・ローシャン)と出会い、ラージヴィールを追う凶悪なテロリストたちの攻撃に巻き込まれてしまう、といった形で進んでゆきます。映画は無敵のラージヴィールが繰り出す超絶アクションがテンコ盛りとなって観客を楽しませ、さらに最初は「もう勘弁して!」と悲鳴を上げていたハーリーンが次第にラージヴィールに惹かれゆき、成り行きでハーリーンを連れまわしていたラージヴィールもまたハーリーンに恋してしまう、というラブコメ展開が盛り込まれます。

この作品でなにしろ見所となるのは主人公ラージヴィールを演じるリティク・ローシャンのその水も滴るイイ男ぶりと、「いったいどうなってんの!?」と驚かされる鍛え上げた肉体美、さらにそのパーフェクトなルックスと肉体から繰り出される華麗なアクション、そして超絶的なダンスの腕前でしょう。いやあリティク・ローシャン、あんまりイイ男すぎて男のオレでも惚れそうですわ…(ポッ)。そんな彼と絡むのがボリウッドでも名うての美人女優カトリーナ・カイフってぇんだからその眼福ぶりはとどまるところを知りません。

この点、ある意味"とうが立った" ハリウッド・スターであるトム・クルーズキャメロン・ディアスが、あたかも夢よもう一度とばかりに出演した『ナイト&デイ』と比べると、若々しさとはじけ具合がまるで違うんです。個人的には映画『ナイト&デイ』は結構好きな作品で、あのアクションとコメディのバランスの良さはお気に入りなんですが、比べる相手がリティク・ローシャンとカトリーナ・カイフじゃあ、ホントに悪いんですけどボリウッド・スターのほうに軍配が上がっちゃいます。

しかも、もともとよく練り上げらたシナリオに対し、『Bang Bang!』では数こそ少ないですけど実に楽しい歌と踊りが盛り込まれ、『ナイト&デイ』では熾烈な銃撃戦であるような部分が奇想天外な秘密兵器でもって乗り越えちゃったりするんですね(海のシーンのアレ、ホントは存在するの?)。そしてクライマックスに登場する「これ反則だろ!?」と思わず笑っちゃうアレの凄まじいパワーとスピードといったら!そういった意味で、原典である『ナイト&デイ』よりも、こちら『Bang Bang!』のほうが十二分に楽しめちゃうんですよ。まあ、観た後何も残らないといったらそれまでですが、爽快感たっぷりの娯楽作品として、是非お勧めしたいですね。

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(この曲とかメッチャ好きでサントラ買っちゃいましたよ…)

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20150302(Mon)

[][]御大サルマーン・カーンが大胆不敵な大泥棒を演じる大ヒット作『Kick』 御大サルマーン・カーンが大胆不敵な大泥棒を演じる大ヒット作『Kick』を含むブックマーク 御大サルマーン・カーンが大胆不敵な大泥棒を演じる大ヒット作『Kick』のブックマークコメント

■Kick (監督:サージド・ナディアードワーラー 2014年インド映画)

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『ダバング 大胆不敵』のサルマーン・カーンが主演となり、またもや大胆不敵な男を演じるというアクション大作です。今回のサルマーンさんの役どころは神出鬼没な大泥棒。タイトルの『Kick』は「刺激」を意味するらしく、主人公はその人生に「刺激」を求めて大暴れするというわけです。この作品は2014年7月に公開され大ヒットを記録しました。

主人公の名はデーヴィー・ラール・シン(サルマーン・カーン)。人生に「キック(刺激)」を求める彼にとって、たいていの仕事は退屈すぎて長続きしません。そんな彼が駆け落ちカップルを助けるため大立ち回りを演じているとき、精神科医シャイナ(ジャクリーン・フェルナンデス)と出会い、いつしか二人は恋に落ちます。しかし刺激に満ちた破天荒な生き方を愛するデーヴィーは結局シャイナと別れることになってしまいます。月日が経ち、シャイナは親の勧める結婚相手で、警察官でもあるヒマンシュ(ランディープ・フーダー)にかつての恋人デーヴィーの思い出を語ります。しかしヒマンシュは知りませんでした。このデーヴィーこそが、今彼が捜査を続ける大泥棒「デヴィル」の正体であることを。

この『kIck』、とりあえずサルマーンさんの面目躍如ともいえる作品として仕上がっています。オープニングから「うわー金掛けてんなー」と思わせるシーンが目白押しなんですよ。海外ロケ、ド派手なアクション、豪華セットのダンス・シーン、今や押しも押されぬインドの人気大スターとなったサルマーン・カーンの映画なんだから大ヒット目指してお金掛けないわけにはいかないだろ!?という製作者の意気込みが伝わってきますね。

前半の「遊び人のサルマーンさん」キャラはいつも通りインチキ臭くて楽しいうえに、豊富なダバング・ネタを散りばめてくれていて、観ていてニヤニヤが止まらないんですね。『ダバング』1,2作で出てきたおかしな太っちょの悪者も出てきて今回もイジられているぐらいです。おまけに主人公のお父さんまでインチキ臭くてこれまた愉快なんですね。ヒロインを演じるジャクリーンさんも大変な美人で目の保養になります。

後半ではいよいよ主人公の裏の顔である大泥棒デヴィルが登場し、奇想天外な盗みの数々を見せます。そしてデヴィルの宿敵である刑事ヒマンシュとの確執も激化してゆくんですね。また、デヴィルが狙う大富豪シヴを『女神は二度微笑む』『めぐり逢わせのお弁当』のナワーズッディーン・シッディーキーが怪演しているところも見どころの一つとなります。そしてクライマックスではなんと…おおっと言えねえ言えねえもう言えねえ!

そんな『kIck』なんですが、このゴージャス感ってなーんかどっかで観たことあるよなあ、と思ったら『チェイス!』なんですね。大泥棒が主人公という以外ストーリーが似ているわけではないんですが、この作品が2013年にインドでナンバーワンヒットを記録した『チェイス!』をなぞるような形で制作されているような気がちょっとだけしましたね。ただ、『チェイス!』が派手であると同時に大変ユニークな脚本を展開していたのと比べ、この『kIck』も派手で楽しいけれども、惜しいことに大味でもあることも確かなんですよ。

それというのも主人公デーヴィーさんが実はとある善意を成すために大泥棒になったっていう設定があるからなんですが、これによりデーヴィーさんのキャラがどっちつかずの曖昧なものになってしまっているんですよ。そもそも「人生に刺激が欲しい」と言って生きていた刹那的なキャラだったはずだし、それが義賊になるのはかまわないとしても、向かってくる相手は半殺しにしてみたりするんですよね。しかもその「善意」というのが『Jai Ho』あたりのちょっとした臭さがあって…。まあそんな部分さえ気にしなければゴージャス感たっぷりの大ヒット作として楽しめると思うんですが。

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