Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20150430(Thu)

[]『ミステリマガジン700 【海外篇】』読んだ 『ミステリマガジン700 【海外篇】』読んだを含むブックマーク 『ミステリマガジン700 【海外篇】』読んだのブックマークコメント

ミステリマガジン700 【海外篇】 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

日本一位、世界二位の歴史を誇るミステリ専門誌“ミステリマガジン”の創刊700号を記念したアンソロジー“海外篇”。一九五六年の創刊当時から現在に至るまでの掲載短篇から、フレドリック・ブラウンパトリシア・ハイスミス、エドワード・D・ホック、クリスチアナ・ブランド、ボアロー&ナルスジャック、イアン・ランキン、レジナルド・ヒルら、海外の最新作を紹介し続けてきたからこその傑作がここに集結。全篇書籍未収録作。

ミステリは実はそんなに得意ではない。子供の頃に読んだ(というか読もうと試みた)ホームズやルパンや江戸川乱歩あたりがどうにもピンとこなかったのが挫折体験となり、それ以来疎遠なジャンルだった。その後ハードボイルド小説やスパイ小説、冒険小説などを読むようになり、これらは大いに楽しめたが、直球で【ミステリ】となるとやはり食指が動かなかったりする。だから早川書房から出ているミステリマガジンもきちんと読んだことはないのだ。

そんなオレがミステリマガジン700号記念アンソロジー「ミステリマガジン700 【海外篇】」を読んでみようとしたのは、この間読んだSFマガジン700号記念アンソロジー「SFマガジン700【海外篇】」が非常に面白かったからである。「え?SFマガジンアンソロジーの海外篇が面白かったら次はSF国内篇にいくもんじゃないの?」と思われるかもしれないがそうじゃないのである。この辺がオレひねくれたところなのかもしれないが、それなりに理由がある。

オレはいわゆる「奇妙な味」と呼ばれる作風の作品が結構好きで、早川から出ている「奇妙な味」のアンソロジー「異色作家短編集」も全20巻読み通した経験がある(ちょっと自慢)。「奇妙な味」とはミステリともSFとも怪奇小説ともつかない、ある種不条理めいた作品といえばいいだろうか。オレが「ミステリマガジン700 【海外篇】」を読んでみようと思ったのは、ミステリ・ジャンルの傍流であるこの「奇妙な味」の作品が、アンソロジーの中に多少なりとも収録されているのではないかと睨んだのである。そして実際読んでみたところその予感は的中、収録作の多くはきちんとミステリではあったが、その中に妖しく輝く「奇妙な味」の逸品が幾つか収められていたのだ。ううむオレは楽しいぞ、うひょひょ。

さてこの「ミステリマガジン700 【海外篇】」、ミステリマガジンの通算700号を記念して組まれたアンソロジーであることは最初に書いたが、「SFマガジン700【海外篇】」と同様、「ミステリマガジンに掲載されつつ今まで国内編纂の短編集に収録されることのなかった作品」を中心にセレクトされている。収録作は16篇、ミステリに暗いオレには名前の知らない作家が半数以上を占めるが、フレドリック・ブラウン、ジャック・フィニイなどSF界でも有名な作家や、「奇妙な味」の代表的な作家ジェラルド・カーシュの名前もあり、実は意外とっつきやすかった。それと同時に、馴染の無い作家の作品がえもいわれぬ面白さだった、ミステリ門外漢のオレでも楽しめるミステリ作品があった、という発見の喜びもあった。

ざっくりと感想を書くと、「決定的なひとひねり」A・H・Z・カー「アリバイさがし」シャーロット・アームストロングは古典的かつ古風な味わいが可、「終列車」フレドリック・ブラウンは異様なおどろおどろしさが面白く、「憎悪の殺人」パトリシア・ハイスミス「拝啓、編集長様」クリスチアナ・ブランドは歪んだ精神の有様がうすら寒く、「マニング氏の金のなる木」ロバート・アーサーは予想できるラストながらその過程が秀逸、「二十五年目のクラス会」エドワード・D・ホックは設定がいい、「すばらしき誘拐」ボアロー、ナルスジャックは皮肉なオチが効いていて、「名探偵ガリレオ」シオドア・マシスンは歴史上の人物が探偵という着想が目新しく、「子守り」ルース・レンデルはじわじわくる恐怖が堪えられず、「リノで途中下車」ジャック・フィニイの賭博描写は迫真であり、「肝臓色の猫はいりませんか」ジェラルド・カーシュはその不気味さが作者ならではと思わせ、「十号船室の問題」ピーターラヴゼイは実はその舞台となるところは…でニヤリとさせられ、「ソフト・スポット」イアン・ランキンは刑務所の封書監視員が主人公という部分で既にうまいところを突いており、「犬のゲーム」レジナルド・ヒルは酒場のバカ話から始まる事件の導入が非常に巧く、「フルーツセラー」ジョイス・キャロル・オーツは死んだ父を巡る謎をひんやりとした筆致で描き今アンソロジーの中でも最も光る逸品だった。

20150428(Tue)

[][]悲惨!陰惨!もう降参!な復讐ドラマ〜映画 『地獄曼陀羅 アシュラ』【SRK特集番外編】 悲惨!陰惨!もう降参!な復讐ドラマ〜映画 『地獄曼陀羅 アシュラ』【SRK特集番外編】	を含むブックマーク 悲惨!陰惨!もう降参!な復讐ドラマ〜映画 『地獄曼陀羅 アシュラ』【SRK特集番外編】	のブックマークコメント

■地獄曼陀羅 アシュラ (監督:ラーフル・ラワィル 1994年インド映画)

f:id:globalhead:20150226110434j:image

日本語版の出ているインド映画をDVDレンタル店のHPであれこれ物色していると、「…これナニ?」と目に飛び込んでくる作品がこの『地獄曼陀羅 アシュラ』である。地獄。曼荼羅。アシュラ。おどろおどろしい単語が賽の河原の石のように積み重なり、『恐怖奇形人間』とか『妖怪百物語』みたいなじっとりどんよりしたカルトなホラー臭を漂わせているはないか。しかもDVDジャケットがこれだ。

f:id:globalhead:20150226110633j:image:left

地獄で曼荼羅でアシュラなだけではなく、「女・神・発・狂」だなんてわざわざナカグロで区切ったコワい言葉が書かれている。そもそもナカグロで区切ると焼肉定食でさえ「焼・肉・定・食」となにやら訳あり風になってしまうからナカグロというのは侮れない。

それにしても、これホントにインド映画なのか?と思った訳なのである。タイあたりの残酷映画がたまたま混じっちゃったんじゃないか?と思った訳なんである。世間一般だとタイもインドもアジアでひとくくりだからな。しかーし!説明をよく読むと、なんと主演はシャー・ルク・カーン!?シャールク主演で地獄で曼荼羅でアシュラなのか…これはいったいどうなってるんだ…。ブルース・リーのバッタもん俳優ブルース・リとかブリーズ・ルーとかがいたように、実はこれはシャールクのバッタもん俳優シェー・ルキ・クーンとかショー・リュク・チョーンとかいう人の間違いなのではないか、と目を疑ったのである。しかしやはりどう見てもシャー・ルク・カーンなのであった。

その粗筋はというと、とんでもないストーカーに目を付けられ、人生全てを破壊された女の復讐劇だというではないか…。ううむタイトル同様怖そう…。そんな物語でシャールクの役回りはストーカー被害に遭った女性を助けるヒーローなのかな、と思ったらさにあらず!なんとシャールク自身がストーカー!ううむこれは由々しきことだぞ…。

とまあなにやら暗くてドロドロしてそうだし、なるべく沢山のインド映画を観ようと心掛けているオレではあるが、この映画だけはあまり積極的に観る気がせず、存在しなかったことにしておこう…と胸に誓ったのだが、なんとその矢先、この映画をGYAOで無料配信する、という情報が(今はやってません)。ああ、これはもう「観なさい」というヒンドゥー神の思し召しなのであろうと観念し、それにタダだしなあ、と思い、こわごわと観てみることにしたのだ(顔を覆った手の指の隙間から)。

お話は主人公であるスチュワーデスのシヴァニー(マードゥリー)が、資産家の男ヴィジャイ(SRK)にしつこくしつこくつきまとわれ、不幸と悲劇の綴れ織りみたいな坂道を転げ落ちていってしまう、といったもの。これがもう徹底的に悲惨。シヴァニーはヴィジャイのせいで夫を亡くし、妹と娘を亡くし、刑務所にまで入れられて酷い目に遭いまくる。さらにはお腹の子供まで亡くして、遂に彼女は復讐の狼煙をあげるのだ。酷い男はヴィジャイだけではなく、ヴィジャイの腰巾着の警官、シヴァニーのギャンブル好きの義兄など、誰も彼もゲス野郎のオンパレード。そしてここままで酷い目に遭わせながら、ヴィジャイはシヴァニーに「ボクは君のことを愛しているんだよォ〜〜」とやってるもんだから気持ち悪さは倍加する。

しかしこの徹底的に気持ち悪いサイコパス野郎を演じるシャールクがなにしろいい。この映画はデビュー間もない頃の作品なのだが、どこかやんちゃそうなシャールクが初々しいのだ。演技のほうもギラギラした目つきや耳障りな笑い声がなかなかにイラつかさせてくれて貫禄たっぷりだった。一方どこまでも哀れなシヴァニーを演じるマードゥリーもなかなかの美人ちゃんだ。さらにこんな陰惨な物語なのに歌も踊りもあり、おまけにヒジュラの皆さんが現れてドタバタを演じてくれるから物語のカオス度はいやが上にも高まってくる。物語はストーカーによるサスペンススリラーから女囚モノへと変わったかと思うとウルトラバイオレンスの炸裂する復讐劇へとなだれこみ、上映時間もインド映画安定の3時間弱と、もうこれでもかという作りになっている。

そんな中でやはり強烈にインドらしさを感じたのが、主人公シヴァニーが今まさに復讐を誓う瞬間をヒンドゥードゥルガーの祭祀と絡めて持ってくる部分だろう。ドゥルガー神は戦いの女神であり、ある意味主人公がドゥルガー神に化身することにより復讐が成されるということなのだ。先ごろ公開された『女神は二度微笑む』でもこのドゥルガー・プージャー(ドゥルガーを祝う祭り)が絡められ、物語の一つの暗喩となっていたが、シヴァニーの復讐は個人を越え、勧善懲悪の神意となって成敗をする、ということでもあるのだ。陰惨なだけのバイオレンス・ドラマのように見えながら、そこにはやはりインド的な心象が見え隠れした作品なのだ。

D

地獄曼陀羅 アシュラ [DVD]

地獄曼陀羅 アシュラ [DVD]

20150427(Mon)

[][]そして運命の輪が廻る〜映画『Kuch Kuch Hota Hai』【SRK特集その11】 そして運命の輪が廻る〜映画『Kuch Kuch Hota Hai』【SRK特集その11】を含むブックマーク そして運命の輪が廻る〜映画『Kuch Kuch Hota Hai』【SRK特集その11】のブックマークコメント

■Kuch Kuch Hota Hai (監督:カラン・ジョハール 1998年インド映画)

f:id:globalhead:20150425130355j:image

I.

亡くなった妻の心から願ったことは、大学時代に自分が仲を引き裂いてしまった女性と夫が再び巡り会うこと。映画『Kuch Kuch Hota Hai』は主演をシャー・ルク・カーン&カージョルという『Dilwale Dulhania Le Jayenge』黄金コンビが演じ、ダブル・ヒロインとしてこれが映画初出演のラーニー・ムカルジーが顔を見せるラブ・ロマンスだ。さらに後半ではインド映画界ではシャールクとタメを張るとんでもない大物スターの登場が!監督は『家族の四季 愛すれど遠く離れて』『マイ・ネーム・イズ・ハーン』のカラン・ジョハール。これが監督デビュー作となる。

《物語》ティナ(ラーニー・ムカルジー)は大学時代に知り合ったラフール(シャー・ルク・カーン)と結婚し、娘一人をもうけて幸福に暮らしていたが、病魔に冒され死期が近づいていた。彼女が娘に残した手紙に書かれていたのは夫との出会い、さらに夫が親友として付き合っていた女性アンジェリー(カジョール)のことだった。あのころ夫はアンジェリーへの愛に気づいておらず、自分が二人の仲を引き裂いたことに心を痛めていたのだ。ティナが亡くなり、その手紙を読んだ8歳の娘アンジェリーは、自分の名前が父のかつての親友から付けられたことを知り、その女性アンジェリーを探し出すことを決意する。そして、父と彼女を再び引き合わせることも。だが、そのアンジェリーは、結婚が既に間近に控えていたのだった。

物語をなぞるだけなら、これは恐ろしく卑怯な物語であるし、心情的に納得しにくい部分のある物語でもある。前提として大学時代の三角関係があるのだけれども、まず片方の女性には愛を呟き、片方の女性には親友だと言い切って同時に付き合うラフールは、女性目線から見るなら既にアウトだろう。結局片方の女性と結ばれるのだけれども、その彼女が、身を引いたほうの女性のことをいつまでも気にしていることも考えにくい。さらに、自分の娘に、その女性の名前が付けられることを許すことなど有り得ない気がする。だがしかし実はこういうことなのかもしれない。全てはティナが自分の死期を悟ったうえで、残された夫と娘を支え真に幸福にできるのはかつての夫の親友であり、実は心の恋人であったアンジェリーだけだろうと察し、自らの愛するものたちをアンジェリーに引き渡そうという決断だったのだと。これは一人の女からもう一人の女への壮絶な委任状だったのだ。これは後半、再び巡り会ったラフールとアンジェリー二人を見つめ微笑むティナの幻影、という形で表われる。そう考えるとこの物語は愛の持つある種の業の深さを秘めたものだと言うこともできるかもしれない。

II.

映画はインターミッションを挟んだ前半後半でカラーががらりと変わるインド映画らしい構成で、前半にはティナの死から始まり、娘への手紙による回想という形でティナ/ラフール/アンジェリーらのキャンパス・ライフ、彼らの出会いと別れのいきさつが明るくコメディ・タッチで描かれてゆく。このキャンパス・ライフの描写は非常にアメリカナイズされたポップかつ非インド的なもので、そのポップさが映画的な誇張が甚だしいのと同時に、80〜90年代ポップカルチャー特有の薄っぺらさをそのまま体現してしまったがゆえに、今観るとどうにも古臭く居心地の悪い映像に感じてしまった。これはこの作品に限らず、それがハリウッド作品でも、やはり80〜90年代ポップカルチャーが映し出された映像というのは、観ていて居心地が悪く感じるのは、これはその時代に青春時代を過ごした自分自身の、個人的な感慨であるのもまた確かだ。だからこの感想はあくまでオレ自身のものだと思って貰って構わない。この前半では友情と愛情の区別がつかないラフールのドン臭さが描かれるが、むろんそれは若さゆえの至らなさということで片付けておけばいいだろう。

物語がその真価を発揮するのは後半だ。子供のほうのアンジェリー(紛らわしいので以下「ジェリたん」と表記)はラフールのかつての親友であったアンジェリー(こっちは「アンジェ」と表記)の所在を突き止めるも、彼女は既に婚約を済ませ1週間後に婚姻することになっていたのだ。そしてこの結婚相手アマンを演じるのが…なんとサルマーン・カーン!まさか彼が出演しているとは知らなかったのでびっくりした。つまりこの作品はシャー・ルク・カーン&サルマーン・カーンというインド映画二大スターの共演作だったのだ!こりゃもう猪木vs馬場、ゴジラvsガメラ、スーパーマンvsバットマン、シュワvsスタローンの如き宇宙一頂上対決の様相を呈しているではないか!?二人の共演作があるっていうこと自体知らなかったので本当に驚いた。しかし親の決めた結婚だから本当はヒロイン・アンジェにあんまり愛されてないという設定のサルマーン、既にして「俺は当て馬じゃねーんだぞ?!」という恨み節が聞こえてきそうな配役ではある。この作品がもとで二大カーンが決別したとかいうことはないんだろうか。

III.

後半からはジェリたんが出向いたサマーキャンプを舞台に展開する。そしてそのサマーキャンプを引率をしていたのがアンジェだったのだ。パパとアンジェをくっつける為に様々な策を弄するいたいけなジェリたん。アンジェがいるとも知らずのこのことジェリたんのいるサマーキャンプにやってくるパパ・ラフール。ここで遂にラフールとアンジェは再開する。突然の出会いに驚きと喜びと決まりの悪さで変な表情を浮かべながらモジモジと怪しい動きをしまくるラフールとアンジェの二人の姿に、もう観ているこっちまで妙なドキドキが止まらない!くっそー、メチャクチャいいシーンだぜ!ここから物語は一気呵成にこれまでの溝を埋めてゆく二人を描いてゆく。この後半からの昂揚感と幸福感はなぜこの作品が名作と謳われているのか大いに頷きたくなるような素晴らしさに溢れている。豪雨の中あずまやに駆け込んだ二人がお互いを見つめあい気持ちを高めてゆくシーンなどはこの作品屈指の、ひょっとしたらインド映画史でも屈指の名シーンといえるだろう。だが、そんな幸福は束の間だったのだ。アンジェの婚約者アマンがサマーキャンプにやってきたのである。

この作品を観て思ったのは「偶然の不思議さ」である。物語は様々な偶然を重ねながらラフールとアンジェを次第に近づけてゆく。しかしその偶然の不思議さは決して強引さを感じさせず、そこに運命の綾を見出させてしまうのだ。実はアンジェの結婚式は星占いにより延期させられていた。しかし同時にジェリたんが「パパとアンジェを引き合わせてください」と神に祈るシーンが挟まれた。これは単なる偶然である。ラフールとアマンが初めて出会うのは「アンジェリー」からの呼び出し電話による電話の取り間違えだった。これもまた偶然だろう。自分と同じ名前の娘の存在に不思議がっていたアンジェが、観ていたTVに偶然写っていたラフールの「愛してるよ、ジェリたん!」という言葉に全てを察してしまう。しかしTVを観ていたのも偶然だ。しかしこの「偶然の不思議さ」は、運命というものがズルズルと登場人物たちをたぐり寄せている感覚が非常にするのだ。タイトルは「何かが起きてる」という意味なのだが、この何かとは、「運命の輪が廻っている」ことに他ならないのではないか。そして運命とは生々流転するカルマであり、インド国旗にあるあの法輪のことである。そしてそれは神命の謂である。すなわち映画『Kuch Kuch Hota Hai』は神の意志によって再び引き合わされた男女を描くラブ・ロマンスだったのではないだろうか。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150427

20150424(Fri)

[][]その二つの名は同時に呼ばれてはならない〜映画『Veer-Zaara』 【SRK特集その10】 その二つの名は同時に呼ばれてはならない〜映画『Veer-Zaara』 【SRK特集その10】を含むブックマーク その二つの名は同時に呼ばれてはならない〜映画『Veer-Zaara』 【SRK特集その10】のブックマークコメント

■Veer-Zaara (監督:ヤシュ・チョープラ 2004年インド映画)

f:id:globalhead:20141006121833j:image

I.

パキスタンのとある刑務所に、22年間誰とも口を聞かず収監されているインド人がいた。彼は刑務所で「囚人番号786」とだけしか呼ばれておらず、いわばそれが彼の名前だった。そこにある日一人の女が訪ねてくる。彼女はパキスタン初の女弁護士サーミヤー・スィッディキー(ラーニー・ムカルジー)。彼女が囚人に「あなたの名はヴィール?」と呼びかけると、囚人はその名に反応し、おずおずと彼がこの刑務所に入れられることとなった事件を語り始めた。それは22年前のある日、ふとしたことから知り合った、パキスタン女性とインド人男性の物語だった。

シャー・ルク・カーン、プリーティ・ズィンター主演、監督は「ロマンス映画の帝王」と呼ばれ、インドを代表する大監督ながら、2012年に惜しくも逝去したヤシュ・チョープラ。この『Veer-Zaara』は公開年の2004年にインドで最大のヒットを記録した作品であり、紛争の続くインドとパキスタンの、国境を越えた禁断の愛を描いた作品なのだ。タイトル『Veer-Zaara』は、主人公となる男女のそれぞれの名前だが、劇中、「その二つの名は共に呼ばれてはならない」という台詞が出てくる。二人にはいったい何が起こったのだろうか。

II.

22年前。インド空軍のパイロット、ヴィール(シャー・ルク・カーン)はパキスタン女性ザーラー(プリーティ・ズィンター)をバス事故から救う。ザーラーは印パ分離独立時にパキスタンに移住した祖母の遺灰を、故国インドの川に流すためにやってきていたのだった。ヴィールは無事目的を遂げたザーラーを、ローリー祭の最中である自らの生まれた村へ誘う。実はヴィールは、事故救出時にザーラーへほのかな想いを寄せていたのだ。見果てぬ田園の続くインドの田舎町の片隅に、ヴィールの家はあった。そこでは父母無きヴィールを育てた叔父(アミターブ・バッチャン)と叔母(ヘーマー・マーリニー)が待っていた。ヴィールの家族に温かく迎え入れられたザーラーは、また再びこの村にやってくることを約束した。

この前半の、インドの田園風景が美しい。それはどこまでものびのびとした解放感に満ち溢れ、そこにいる人々は気さくで気兼ねなく、空気の温かさまで画面から伝わってきそうだ。そしてここで登場するアミターブ・バッチャン、実は自分は今まで、カメオ出演という形で映画に登場するアミターブ・バッチャン以外を観たことがなく、この映画での出演も知らずに観ていたので、突然の「インド映画の皇帝」の登場に驚きそして嬉しかった。ここでアミターブ・バッチャン演じる叔父は、女性の立場を理解し、またザーラがパキスタン出身でも、イスラム教を信教していても何一つこだわらないコスモポリタンな男性として登場するが、これが実は後半の展開と陰影を成しており、登場時間こそ少ないものの重要なキーパーソンとなっているのだ。それと合せ、ここで登場するローリー祭の様子は実に素朴で賑やかで、気持ちを和ませた。

III.

ヴィールはパキスタンに帰るザーラーを見送るが、そこで彼はザーラーに求婚しようと考えていた。だが、彼女に婚約者がいたことを知り、彼は静かに身を引く。しかしザーラーもまたヴィールを愛していることに気づき、そのことを母にほのめかしてしまう。それを見ていた使用人の電話により、ヴィールは一路パキスタンへと駆けつけるが、二人の関係が不可能なものであることを悟った二人は、別れを決める。しかしパキスタンを去ろうとしていたヴィールを、警官が取り押さえ、スパイ容疑で逮捕してしまう。実はそれは、結婚前に顔に泥を塗られたザーラーの婚約者の陰謀だった。ザーラーの幸福のために、ヴィールは濡れ衣の罪を受け入れ、そして22年の歳月が過ぎて行ったのだ。

ここからの展開はパキスタンが主な舞台となる。インドとパキスタンの相克を描いたインド映画というと思い出すのは『Bhaag Milkha Bhaag』だ。『Bhaag Milkha Bhaag』でも印パ分離独立が物語の鍵となり、そして大会でパキスタンに乗り込むところがクライマックスとなる。この『Veer-Zaara』でも、インドとはまた違う家屋様式、人々の服装、文化・生活の在り方を垣間見ることがとても興味深かった。これは国民の殆どがイスラム教である、という部分における違いなのだろうが、映画の内容とは関係なくその「イスラムとしてのパキスタン」の光景が目新しかった(当然セットもあるのだろうが)。

IV.

そして「イスラムとしてのパキスタン」としてもう一つ面白かったのは、主人公ヴィールの囚人番号「786」である。冒頭、ヴィールと面会した女弁護士サーミヤーはこの番号を聞いて驚く。そして「この囚人は神に愛されている」と呟くのだ。それはなぜか。「786」とはイスラム教聖典「コーラン」における「仁慈あまねく慈悲深き、アッラーの御名において」という定型の祈祷文を数秘術により数字化したものなのだという(「786」の聖なる意味)。ここにこの映画のイスラム神秘主義的側面が見えるが、これは物語後半における奇跡のような驚くべき展開と呼応するのだ。

この物語、後半で弁護士サーミヤーがヴィールの自由を訴える法廷劇へと発展するのだ。しかしザーラへの愛ゆえ冤罪に耐えてきたヴィールは、法廷でザーラの名を出さないようサーミヤーに要求する。だがこれではヴィールが収監された理由を説明することができない。万事休すのサーミヤーは、しかしあることを思いつく……。ここからはもう怒涛と驚愕の展開、目の前で起こっていることに心打ち震え、優れたシナリオに感嘆することだろう。最初ありふれたラブ・ストーリーとして始まったものがメロドラマへと様相を変え、さらに政治劇、法廷劇を経た後に、運命の不思議、奇跡とも呼べるものの顕現を見せつけ、感動のうちに大団円を迎える。なんとこれは驚くべき物語なのだろう。およそ3時間という長尺だが、長尺だから見せることのできる大河ドラマの如き濃厚な作品、それがこの『Veer-Zaara』なのだ。

D

20150423(Thu)

[][]シャー・ルク・カーンがダサ男とイケメン二役を演じるラブ・コメディ〜映画『Rab Ne Bana Di Jodi』 【SRK特集その9】 シャー・ルク・カーンがダサ男とイケメン二役を演じるラブ・コメディ〜映画『Rab Ne Bana Di Jodi』 【SRK特集その9】を含むブックマーク シャー・ルク・カーンがダサ男とイケメン二役を演じるラブ・コメディ〜映画『Rab Ne Bana Di Jodi』 【SRK特集その9】のブックマークコメント

■Rab Ne Bana Di Jodi (監督:アディティヤ・チョープラ 2008年インド映画)

f:id:globalhead:20141007100807j:image

親の遺言で憧れの女性と結婚できたのはいいけれど、ダサ男だったばっかりに「あなたのことは愛せない」と打ち明けられ、家庭内離婚状態だった主人公が、一念発起してイケメン(?)ダンサーに変装し、妻のハートをゲットしようと近づいちゃう!?というシャー・ルク・カーン主演のラブ・コメディです。監督は伝説の名作『Dilwale Dulhania Le Jayenge』のアディティヤ・チョープラ。タイトルは「夫婦は神によって創られる」といった意味だとか。

主人公の名はスーリー(シャー・ルク・カーン)。真面目だけが取り柄のとことん地味ィ〜なオッサンである彼は、恩師の娘ターニー(アヌーシュカ・シャルマ)に一目惚れ。「でも僕なんて相手にされないだろうなあ…」と思っていた矢先、恩師が「わしの娘を貰ってやってくれ……」と遺言を残し逝ってしまいます。そして目出度く結婚したのも束の間、ターニーに「私、良い妻になることは誓うけど、あなたを愛することはないわ……」と告げられ、家庭内離婚状態へ。落ち込むスーリーでしたが、ある日ターニーがダンス教室に通いたい、と言ってきたことからある計画を思いつきます。それは、ギンギンのイケメン男に変装し、ターニーのダンス・パートナーとなって、彼女のハートを射止めちゃおう!というものでした。

面白かったです。「親に決められた結婚なんかひっくり返して、大好きなあの人を奪っちゃおう!」というパターンのインド映画はよく見かけるんですが、この映画のように「親に決められた結婚で大好きなあの人と結ばれたのに、相手が自分を好きになってくれない!」というパターンのインド映画は初めてだったもんですから、「お、こりゃ新しいな」と思って観ることが出来ましたね。「略奪婚」は「こういうことができたらいいのに」という願望を描いたファンタジーなんでしょうが、この作品のようにせっかく結婚しても家庭内離婚状態であるというのは、「こんなんなっちゃったけどどうしたらいいんだろう……」という部分でもっと切実な問題なのかもしれません。

この作品でまず楽しめるのがSRK演じる「ダサダサ夫スーリー」と、そのスーリーが変装した「イケイケ男ラージ」のルックスでしょう。ペッタリ撫でつけられた七三の髪に黒縁メガネと口髭で、服装も白シャツ+スラックス+運動靴というひたすらおっさん臭い男をインドの国民的大スターSRKが演じる、というのも面白いんですが、その彼の変身した姿である「イケイケ男ラージ」がカッコいいかというと、これが実はそうでもない、というのがまた哀れを誘うんです。ルックスこそヘアサロンをやっている親友に指南され、ファッショナブルに生まれ変わっていることはいるんですが、中身がそもそもおっさんなので、言動や行動が浮付いていて、結局「田舎者の勘違い男」にしか見えないんです。

だからダンス・スクールの奥さんの元に颯爽と現れパートナーになる「イケイケ男ラージ」ですが、そのあまりの素っ頓狂ぶりに妻ターニーは「なんなのこの人……キモッ」という反応を示しちゃうんです。映画だからってカッコいい男に変身していきなり奥さんを魅了しちゃう、なんて都合よくいかないんですよ。しかしそんな中、ターニーがラージに惹かれる瞬間が訪れるんです。それは、「俺ってイケてるだろ?」と演技しまくるラージではなく、そんなラージが無意識に見せた、スーリーへの素の優しさの部分なんです。こうして二人は信頼関係となりますが、それは妻ターニーが、ラージの中にあるスーリーの心に触れたからこその信頼だったのですよ。もう、こういった部分が泣かせるじゃないですか。

そこまで信頼されたなら「実はこれ、僕だよ!」と正体を明かしてしまえばいいじゃないかと思うでしょう。でも、スーリーはそうしません。スーリーにとって、妻ターニーに信頼されているのはあくまでラージなんです。ラージでいる時だけが自分は妻に信頼されている、と思い込んでいるんです。それはスーリーが、妻に拒絶されたことに、実は深く深く傷ついていたことの表れだと思うんです。そしてその傷は、ラージが信頼されたからといってもやっぱり治らないものだったんです。

それともうひとつ、ラージが最も望むこと、それはスーリーに常に幸福でいてもらいたい、ということなんです。スーリーは自分といる時は幸福ではない。でも、ラージといる時になら幸福だ。だったら、自分がしゃしゃり出たりしないで、スーリーはラージといればいいんだ…こう考えたスーリー/ラージはある行動に出てしまいます。決して許されることではないにせよ、それが、ラージにとっての幸福だと思って。例え自分は愛されなくとも、ラージには幸福になって欲しい。なぜならラージは、どんなに傷つけられていようとも、心の底から、ラージを愛しきっていたからなんです。

D

 

USA-PUSA-P 2015/04/23 22:57 それまで私にはピンとこなかった”King Khan”の観方が解ったというか腑に落ちた作品で、鑑賞後に所有してた彼の出演作を観返してしまいました。あとこの映画って日常風景の撮り方の綺麗さとか、Blu-ray版まで買っちゃったくらいにこの映画、私も大好きです。第2回沖縄国際映画祭で外国映画部門グランプリを獲得した時に日本公開して欲しかったなぁ… ただ、EDロールの、あのやっつけ加減だけは!(笑)

globalheadglobalhead 2015/04/24 08:45 逆に自分なんかはインド映画を最近観始めた口なので、シャールクぐらいしか知っている俳優がいなかったものですから(あとラジニとかね)、安心して観ることが出来る部分で好きなんですよ。そして観てみると、確かに名作が多い。インド映画のウェットな情緒の部分をしっかりと体現した俳優じゃないかと思ってます。EDロール…実は自分、映画の感想文って書き溜めるほうで、この映画も1年ぐらい前に観て感想書いた作品だったからすっかり忘れちゃってる…。

20150422(Wed)

[][]我が友人は大スター〜映画『Billu』 【SRK特集その8】 我が友人は大スター〜映画『Billu』 【SRK特集その8】を含むブックマーク 我が友人は大スター〜映画『Billu』 【SRK特集その8】のブックマークコメント

■Billu (監督:プリヤダルシャン 2009年インド映画)

f:id:globalhead:20140929163039j:image

インドの田舎町でしがない床屋を営む男ビッルーが、子供時代に彼の親友であり、今はインドを代表する大スターとなった男の来訪により、町中挙げての大騒ぎに巻き込まれる、という物語です。ビッルーを『めぐり逢わせのお弁当』で渋い演技を見せてくれたイルファーン・カーン、そして彼の親友だった大スター・サーヒル・カーンをシャー・ルク・カーンが演じています。

それにしてもびっくりしました。映画が始まり、長閑な田舎町が描かれた後に、煌めくようなSFチックなセットの中で踊りまくるSRKとディーピカー・パードゥコーンのシーンが突然挿入されるもんですから!SRKが出演しているのは知っていましたが、まさかディーピカー様が登場するとは思ってなかったんですよ。しかもそれだけじゃないんです。ディーピカー様の後には、カリーナ・カプール、プリヤンカー・チョープラーまでが登場する踊りのシーンが挟まれ、この豪華さに頭がクラクラしそうになりました。実のところこの人気女優3方は、あくまで踊りのシーンだけの客演ということで物語には関わりはしないんですが、この顔合わせを見るだけでも儲けものの作品であることは確かですね。

さて実際はこの物語、主演はSRKではなく床屋店主のビッルーなんです。どうにもボロなビッルーの店は客の入りが悪く、奥さんと二人の子供を抱えながら生活もままならない毎日でした。そんなある日、インドの国民的大スター、サーヒル・カーンが映画撮影の為この町に滞在することになり町は大騒ぎになります。そして町中である噂が流れます。「ビッルーは大スターのかつての友人だったって!?」この噂で人々はビッルーに取り入るようになり、ビッルーを通して大スター・サーヒルに会おうと画策します。急き立てられ、サーヒルに面会しようとするビッルーですが、厳重な警備は彼を阻むのです。

この物語でまず面白いのは、「大スタ−・サーヒル・カーン」が、実は彼を演じるSRKそのものとして描かれている、といった部分です。物語内ではサーヒル・カーン主演作品の華々しい1シーンが次々と紹介されますが、これ、どう見てもSRKの主演作を思い起こさせるものばかりで、そこで紹介される映画ポスターも、やはりSRK主演作のパロディみたいなものばかりなんですよね。この辺SRKファンならニヤニヤが止まらないでしょうし、ましてやインドでは大受けだったことでしょう。

映画ではこのサーヒル・カーンに一目会いたい人たちのドタバタが滑稽に描かれてゆきます。ロケ現場は見物客たちでいつも大パニック、スターとそれを取り巻く熱狂的なファンの構図はどこの国でも同じようです。人々は今まで小馬鹿にしていたビッルーに掌返しでおもねり、サーヒルに会って自分を紹介しろ!とねじ込みます。しかしそんな羨望はいつしか嫉妬に変わり、その嫉妬が今度はビッルーへの攻撃に変わってしまいます。町の人々のこの態度は浅ましさを感じさせるほどで、コメディタッチで描かれてはいるものの、翻弄されるビッルーがどうにも不憫に思えてしまいました。

しかし渦中の人であるビッルーは寡黙を貫き、騒ぎに抗うでも乗じるでもなく、どこか上の空で周りの思惑のなすがままに行動します。きっとそれは、かつて友情を育んだものの、今は貧しい生活に甘んじている自分と、天上人のようになってしまったサーヒルとの、この現在における関係を図りかね、戸惑っていたからなのでしょう。こんなビッルーの繊細な感情を、イルファーン・カーンは非常にきめ細やかな演技で演じます。このイルファーン・カーンのリアルな存在感と、オーラに包まれたSRKとの対比、貧しい生活の人々が熱狂する煌びやかな映画の世界との対比に、自分などはどこかアイロニカルなものを感じてしまいました。それはインドの極端な貧富の差、夢と現実との拮抗です。しかし映画のクライマックスはこれらを、【友情】という言葉でもって易々と乗り越えて見せるのです。シナリオ的には「もしも自分の友人が大スターだったら…」といった妄想を膨らませた程度のものなのですが、SRKの嫌味を感じさせない善人ぶりが物語を爽やかなものにしていました。

D

20150421(Tue)

[][]精霊と人間の娘の愛を描くファンタジックなドラマ〜映画『Paheli』 【SRK特集その7】 精霊と人間の娘の愛を描くファンタジックなドラマ〜映画『Paheli』 【SRK特集その7】を含むブックマーク 精霊と人間の娘の愛を描くファンタジックなドラマ〜映画『Paheli』 【SRK特集その7】のブックマークコメント

■Paheli (監督:アモル・パレカール 2005年インド映画)

f:id:globalhead:20140606132918j:image

最近よくインド映画を観ているんですが、たいした知識も無いので「とりあえず新し目の作品」ということで選んで観ていたんですね。それらの作品は新しいだけあって、それまで漠然と持っていたインド映画のイメージをことごとく覆す作品ばかりで、非常に驚いたし新鮮でした。ただ、本数をこなしていくうちに、最新型じゃなくていいからオーソドクスな、というかステレオタイプなインドのイメージの作品も観てみたいなあ、なーんて思ってくるわけなんですよ。どんなのかというとターバン巻いた男性とサリー着た女性が出てきて宮殿であれやこれやするお話、ということなんですが(想像力貧困すぎてスイマセン…)。ただ調べるとそういう作品は重厚そうな歴史ものになっちゃうので、もっと軽く観られるのはないかなあ、と思って観てみたのが2005年作、『Paheli』なんですが。

昔々、インドのある所に、結婚式を挙げたばかりの夫婦がおったのですな。奥様の名前はラッチー(ラニー・ムカルジー)、旦那様の名前はキシャン(シャー・ルク・カーン)。このキシャン、豪商の息子なのですが、商売の事で頭がいっぱいで、結婚早々ラッチーを置いて5年の旅に出てしまうんです。悲しみに暮れるラッチー。しかしそのラッチーの前に、旅立った筈のキシャンが現れるのです。ラッチーは歓びに沸きますが、同時に不思議に思います。実はこのキシャンは本当のキシャンではありませんでした。ラッチーに恋した精霊が、キシャンの姿を借りて現れたものだったのです。しかしその真実を知ってもラッチーは精霊のキシャンを愛することに決めました。二人は子供までもうけて幸せに暮らしていました。しかしある日その二人の前に、本物のキシャンが姿をあらわしたのです。

インドの古い時代を舞台に、人間の姿を借りた精霊と娘の愛を描くこの物語、しっかりとお伽噺の世界です。ロケ―ションも雰囲気たっぷり、衣装もきらびやか、ラニー・ムカルジーは美しいサリーを着ているしシャー・ルク・カーンもターバンぽい何かを被ってましたので当初の予定通りです。そもそも「人間の姿を借りた人間以外の存在」と人間との結婚、いわゆる異類婚姻譚というのは世界中に存在するフォークロアで、ギリシャ神話のキューピッドとプシケー、ドイツの水の精ウンディーネ、フランス伝承のメリュジーヌ、日本では鶴の恩返しなんてのもお馴染みですね。『Paheli』の精霊は井戸から現われましたが、いろんな姿に変身できるばかりか、魔法を使うことも出来るんです。映画では派手さは無いにしろVFXを使ってしっかりその辺を描いていて楽しませます。

しかしこの物語内容で141分はなんだか間延びした印象があります。物語の殆どは精霊キシャンとラッチーとの愛に満ちた日々を描きますが、ちょっと退屈なんです。そして盛り上がるのは後半、本物のキシャンが現れてからなんですね。この本物キシャン、最初は情の薄いヤツのように描かれますが、実は男女の愛にちょっと疎かっただけで、旅先でラッチーのことを思い出して恋しくなっちゃったりしてるんですね。しかしそんなラッチーは既に精霊に寝取られてたんですね!まあしかしラッチーにとっては自分をほっぽらかしにする本物の人間よりも愛してくれる精霊のほうが大切な訳なんですよ。この辺「女はほっぽらかしかしちゃいけない!」という良い教訓ですね。そしてクライマックスは「どっちが本物対決」が待ち構えているんですが、ここももうちょっと盛り上げてほしかったな。でもまあ、シャー・ルク・カーンが出ているからいっか、てな感じで観終わりましたね。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150421

20150420(Mon)

[][]圧倒的な美術と幻想に彩られた悲恋の物語〜映画『Devdas』 【SRK特集その6】 圧倒的な美術と幻想に彩られた悲恋の物語〜映画『Devdas』 【SRK特集その6】を含むブックマーク 圧倒的な美術と幻想に彩られた悲恋の物語〜映画『Devdas』 【SRK特集その6】のブックマークコメント

■Devdas (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2002年インド映画)

f:id:globalhead:20140928183138j:image

「デーヴダースが帰ってきたよ!デーヴダースがロンドンから帰ってきたよ!」広々とした、あまりにも豪奢なインドの邸宅に声が響く。家の人々は喜びに沸きながらその言葉を唱和し、その声は家の女主人の耳に届く。女主人は一人の娘にそれを伝えると、娘は喜びに涙を流す。そしてそこで、華麗極まりない歌と踊りが始まる――。だが外では雷鳴が鳴り響き、豪雨が降り始めるのだ。幸福に溢れている筈のこのシーンに、不吉な影を投げかけながら。映画『Devdas』はこうして始まる。

10年振りにロンドン留学から帰ってきた男、デーブダース(シャー・ルク・カーン)。彼の帰りを待ちわびていた娘は、幼い頃から結婚の約束していたパロ(アイシュワリヤー・ラーイ)。久方ぶりの再会に、二人の心は大きく燃え上がる。月影の下で、赤くゆらめくランプの元で、水面きらめく夜の小川で。二人には素晴らしい未来が待っている筈だった。身分を巡り、二人の両親が醜くいがみ始めるまでは。激高したパロの父母はパロを別の男に嫁がせ、デーブダースは失意の内に家を飛び出す。そんなデーブダースを高級娼婦チャンドラムキー(マドゥーリ・ディクシット)は優しく慰めるが、デーブダースは生きる気力を失い、次第に酒に溺れ、破滅への道を歩みだそうとしていた。

絢爛豪華なセット、美を極めた衣装、どこまでも幻想的な映像、そして虚無と破滅に満ち溢れた慄然たる物語。映画『Devdas』は2002年にインドで破格の製作費を掛けて製作され、公開後は数々の賞と観客たちの絶賛で迎え入れられた作品である。1917年発表のサラットチャンドラ・チャトパディーによる小説を原作とし、これまでも数度インドで映画化されているという。

なによりまず驚かされるのはその圧倒的な美術だ。劇中でのパロの邸宅はいたるところにステンドグラスが配され、色とりどりの光が溢れるその光景はまるで御伽噺の中のお城のようだ。それ以外の邸宅ですら、その広さ大きさはもとより、調度も装飾も王侯貴族を思わせる豪奢さだ。邸宅の庭園を抜け夜の街に入ると、そこでは白を基調とした街並みに橙色の灯がそちこちで揺らめき、あたかも幻灯機の映像の如き光と影の踊る世界が広がっているのである。そこで役を演じる登場人物は、これもまた王侯のような目も彩な色彩の衣装と金に銀に輝き渡る装飾物に身を包み、そしてこれら全てが形造る光景は既にして神話を思わせるファンタジー世界なのだ。

このような美術の中で演じられるのは一組の男女の固く深く結びついた愛の物語であると同時に、その至高であったはずの愛が酷くも引き裂かれたことによる痛苦と懊悩の物語なのである。ことインドにおいて結婚は絶対だ。どれほど愛していようと婚儀を交わしてしまった相手に思いを持ち、さらにそれを奪おうとすることなど絶対のタブーなのである。即ち、デーブダースと、結婚してしまったパロとの愛は、絶対の不可能なのである。不可能の愛、それにいかに身悶え呻吟しようと、そこに待つのは絶望だけなのだ。そう、この物語は、地獄の如き絶望に身も心も焼かれ、破滅へとひたすら転げ落ちてゆく一人の男の昏い物語なのである。

ことインド映画に関しては、ひとつの想いをたゆまず貫き続け、必ずそれを成就するために切磋琢磨するというドラマツルギーを持つものだと思っていた。そういったポジティビティー、為せば成るの精神、それがインド映画なのではないかと思っていたのだが、この『Devdas』は違っていた。この物語には、救いが全く無いのだ。最初から不可能であったものが、ただひたすら、最後まで不可能なのである。この恐るべき無情さ、残酷さ。そしてこのような無慈悲な物語を、光と色彩の踊る究極の美術で描き切った問題作、それが『Devdas』なのだ。また、その強烈な文学性も、この作品の持ち味となっているだろう。これまで自分がインド映画に持っていたイメージを覆すと同時に、これまで以上にインド映画の凄まじさを思い知らされた傑作であった。インド映画恐るべし。

f:id:globalhead:20140928183426j:image

D

踊りも凄い。

D

USA-PUSA-P 2015/04/20 23:19 はじめまして。この作品、好みではないんですが本当に豪奢で途中で資金難で何度か撮影が中断になったってのも頷けるくらいで時々観返してしまうんで、EROS社はBS用のHD版持ってるんだからBlu-ray版を出して欲しいです… https://www.youtube.com/watch?v=Jbn39j-xa-k

globalheadglobalhead 2015/04/21 05:42 こんにちは。コメントありがとうござます。ブログのほう、造詣が深くて凄いなあと思いつついつも拝見させていただいてます。
そうそう、この映画、難を言えばDVDの画質がイマイチで、せっかくこれだけ作りこまれた美術が堪能できないんですよねえ。
とか思いつつリンク貼っていただいた動画観たら、いやーなんっすかコレ。凄いじゃないですか。HDあるんじゃないですか。別モンじゃないですかコレ。これは確かにBlu-ray版で観たいし、Blu-rayで出すべき映画ですよねー。

20150417(Fri)

[][]ロマンチックが止まらない〜映画『Dilwale Dulhania Le Jayenge』 【SRK特集その5】 ロマンチックが止まらない〜映画『Dilwale Dulhania Le Jayenge』 【SRK特集その5】を含むブックマーク ロマンチックが止まらない〜映画『Dilwale Dulhania Le Jayenge』 【SRK特集その5】のブックマークコメント

■Dilwale Dulhania Le Jayenge (監督:アディティヤ・チョープラー 1995年インド映画)

f:id:globalhead:20140923170108j:image

ボリウッド・ラブ・コメディの金字塔!

インド映画好きなら知らないものがいないと言われ、あのシャー・ルク・カーンの代表作でもあるボリウッド・ラブ・コメディの金字塔『Dilwale Dulhania Le Jayenge(DDLJ)』をやっと観ました。1995年に公開され大ヒット、ムンバイのとある映画館ではほぼ20年、述べ1000週以上のロングラン公開をした、というインド映画史に残る映画でもあります。ちなみに1995年というとあの『ムトゥ 踊るマハラジャ』のインドでの公開年でもあるんですよ。この作品、なにしろ有名作なだけに、インド映画の紹介文を読むと事あるごとにタイトルを目にします。それだけ後々のボリウッド・ラブ・コメディに影響を与えている、ということなんですね。そして実際に観てみたところ、自分が今まで観た最近のインド映画に様々なモチーフが流用されていることが確かに分かりビックリしてしまいました。

物語はシャー・ルク・カーン演じるお調子者の大学生ラージと、カージョール演じるロンドン育ちの娘シムランがヨーロッパ旅行で出会い、最初ギクシャクドタバタするものの次第に想いを寄せ合ってゆく、というもの。しかしシムランには父親(アムリーシュ・プリー)の決めた顔も見たことの無い婚約者がおり、二人の仲は風前の灯となってしまうんです。結婚のためにインドへ旅立つシムラン。それを追ってやはりインドへと向かうラージ。ラージはシムランの父と向き合い、なんとか自らの真心を理解してもらおうと努めますが、その気持ちはなかなか伝わりません。しかし二人の仲を知ったシムランの母は、二人に「そこまで想い合っているのなら駆け落ちしなさい…」と助言するのですが、ラージはそれを善しとしなかったでした。けれどもシムランの結婚の日は刻一刻と近づいていくのです。

■ロマンチックが止まらない!

映画を観始めて間もなく、主演二人の純粋さ、初々しさに顔がほころんでしまいます。ラージの子供っぽいヤンチャぶり、シムランの恋に恋する純真な様子、今やラブ・ストーリーではこういったキャラクターが登場することは難しいかもしれませんが、無垢な愛を基本とするインド映画では基本中の基本であり、だからこそラブ・ストーリーの古典的かつ王道的なキャラクターとして彼らは登場するのです。実際の所、初登場時は二人とも野暮ったく見えるのですが、物語の進行に合わせどんどん魅力的に見えてくるのが不思議です。そしていつもヘラヘラしたラージとお堅い子女のシムラン、初めて出会った二人は水と油でまるで意見が合わず、バカやってるラージの隣でシムランが常にうんざりさせられている様子がコミカルに描かれてゆきます。二人は列車に乗り遅れてグループから離れてしまい、二人きりでいる事を余儀なくされます。しかし共に行動するうちに、お互いに恋の炎が燃え始めるのです!ここから映画はコミカルさの中にロマンチックさがどんどん加味されてゆき、次第にそのロマンチックが止まらなくなってゆくんですね!

まずぐっときたのは、二人がお互いの想いを知りながら旅の終りに別々にならねばならなくなった、その後の二人の描写でしょう!それぞれの家に帰るため別れた二人ですが、彼らの脳裏にはお互いの姿が鮮やかに焼き付いており、各々の目の前に、旅の最中の豊かな思い出が、楽しかったひと時が、フラッシュバックとなって蘇ってゆくのです。そしてたった今別れたばかりの恋しい相手の幻が、今まさにそこに立っているかのように見えてしまうのです。くうぅー!これだ、これだわ!恋愛してる時ってこういうのだわ!街中歩いていてもそこにいない筈の好きな相手の姿が見えてしまったりするもの!歌と踊りを交えて演じられるこのシーンでのロマンチックさと切なさはまさに最高潮、もう心とろけさす素晴らしいシーンなのですよ!そして私は結婚するから…と別れたシムランの家へ諦めきれずに向かうラージ、そこには既にシムランンの姿は無く、絶望するラージでしたが、ふと見ると玄関先に二人の旅の思い出の品が…ここでラージはシムランの本当の気持ちを察するのですが、いやあ、このシーンは観ていてワタクシ、「うおおおお!行ったれ!行ったれやラージ!行ってシムランば奪ってこい!」と拳握って盛り上がりまくってましたよ!(…どんだけなんだオレって)

■決して君を諦めない!

結婚を目前に控えたシムランのいるインドの家へとラージは辿り着きます。ここでラージは、シムランへの想いをひた隠しにしながら、彼女の父に、「自分という人間の誠実さ」を理解してもらおうと奮迅します。シムランも、シムランの母も、もう駆け落ち以外に道はないのでは、とラージに持ちかけますが、ラージはこれを跳ね除け、「家族みんなが幸せになるのが結婚の正しい姿なんだ」と説得するんです。しかーし、この父親ってぇのが一筋縄にはいきません。まさにインドの超保守的で家父長制度の申し子みたいな父親を代表するかのような存在で、実際の所インドの親父ってぇのはこうなんだろうナァ、と思わせてくれます。最近はどんどん変わってきているようですが、基本的に親の決めた結婚ってぇのはかの国では絶対だったりするのでしょう。そして、だからこそ、この物語のような「親の決めた結婚を素っ飛ばして好きな相手と結ばれる」みたいなお話が、ひとつのファンタジーとして成立するのでしょう。このモチーフはもうホントにインド映画の基本系で、『DDLJ』が最初だったかどうかはオレは知らないのですが、どちらにしろインド人に「我が意を得たり」と思わせる構成だったからこそ大ヒットに結び付いたのでしょう。

そしてもう一つこの物語の根幹となるのは、「決して逃げださず、諦めず、障害となるものに真摯に向き合って、それをなんとしてでも解決しようとする」という、どこまでも前向きなアクティブさでしょう。これなども実は、多くのインド映画の根幹となるテーマの一つなのではないかとオレなんかは理解しています。これはヒンドゥー教の聖典である『バガヴァッド・ギーター』の、詩句の中に散見する教義でもあるのです。それは「執着することなく、常になすべき行為を遂行せよ(3章)」であり、「不殺生、忍耐、廉直。師匠に対する奉仕、清浄、堅い決意、自己抑制(13章)」という"正しい知識"の中に語られていることなんです。ラージの行動とはまさにこれであり、彼の行動の隅々からそれを伺うことができるんです。こうしてインド人の心をがっちり掴みながら、物語は怒涛のクライマックスへと向かうのですが、ああああああのラスト!あのラスト!「走り出した列車から…」ってこれ、あんなインド映画やこんなインド映画が目に浮かぶ浮かぶ!

D

20150416(Thu)

[][]『HNY』『OSO』のファラー・カーン監督とシャー・ルク・カーンがタッグを組んだ娯楽作〜映画『Main Hoon Na』【SRK特集その4】 『HNY』『OSO』のファラー・カーン監督とシャー・ルク・カーンがタッグを組んだ娯楽作〜映画『Main Hoon Na』【SRK特集その4】を含むブックマーク 『HNY』『OSO』のファラー・カーン監督とシャー・ルク・カーンがタッグを組んだ娯楽作〜映画『Main Hoon Na』【SRK特集その4】のブックマークコメント

■Main Hoon Na (監督:ファラー・カーン 2004年インド映画)

f:id:globalhead:20141207141601j:image

TV出演中のインド陸軍将軍をテロリストが襲撃!そこへ一人の男が颯爽と現れ敵に応戦!彼の名はラーム少佐(シャー・ルク・カーン)、彼の疾風迅雷の活躍により事態は鎮圧、しかし護衛に付いていた彼の父は銃弾に倒れていた。いまわの際に父は息子にこう告げる。「実はお前には異母弟がいたのだ…」。その後ラーム少佐は将軍からダージリンの大学に通う将軍の娘の護衛を命令される。そしてその大学にはラーム少佐の異母弟がいる筈だった…。こうして緊迫に満ちた冒頭から大学へと場面が移ると、なんと映画は学園ラブコメになっちゃうんですね。

『オーム・シャンティ・オーム 恋する輪廻』『Happy New Year』のファラー・カーン監督が、『OSO』に先駆け2004年にシャー・ルク・カーン主演で制作した映画『Main Hoon Na』であります。ファラー・カーン監督にとっての初監督作であり、また、これまでのコレオグラファーのキャリアを生かし振り付けもファラー監督自ら行っているんですね。物語は幾つかのテーマが平行して語られながら大きな流れを形作ってゆきます。まずひとつはシャー・ルクとテロリストとの熾烈なアクション。もうひとつは覆面捜査官として潜入した学園での友情や恋の大騒ぎ。そしてもうひとつは正体を偽り母と弟に再会したシャー・ルクが、長年の確執を乗り越えることができるのか、という人間ドラマなんです。

まずは学園ドラマ。身分を隠し転入生に成りすまし、大学に潜入するシャー・ルクですが…シャー・ルクがどう見ても学生に見えないのは老け顔だからってことにしておきましょう!この時、周囲の学生たちがアメリカ〜ンなカジュアルなところを、シャールクはダサダサな服装センスで現れ笑いを取るんですが、今見るといわゆるナードなファッションってことであんまりおかしく見えないのがちょっと面白かった。そして学園に到着するや否や、いけすかないライバル登場!そしてライバルとの確執!戦い!しかしその確執を乗り越えて育まれる友情!…といった学園ドラマの王道展開が待ってます。そしてこのライバルというのが実は…という訳なんですね。もちろん学園にはかわい子ちゃんもいますが、シャー・ルクはいい年したオッサンなので学生なんかには手は出しません!そのかわりとってもグラマラスな女教師との嬉し恥ずかしラブロマンスが待ち構えているんです!

もうひとつ、シャー・ルクが久々に出会った家族との確執。実はシャー・ルクは本当の正体を偽り、母の元に下宿するんです。そしてそこには母と暮らす弟もいるのですが、なにしろ二人ともシャー・ルクの正体を知りません。そして母も弟も、彼らを捨てたシャー・ルクの父を心の底から憎んでいるんです。やっと会うことのできた母と弟に自らの正体も、父が死んだことも、そして自分がどれほど彼らを恋焦がれ愛しているのかも告白することのできないシャー・ルクの複雑な心境が物語を切なく盛り上げてゆきます。それとは別に、シャー・ルクが身辺警護を依頼された将軍の娘とその将軍との、断絶と関係修復がもう一つのテーマとして加わることになります。つまりここでは「家族の絆」というインドらしいテーマが盛り込まれているという訳なんですね。

そして物語のそもそもの発端である、テロリストとの戦いです。このテロリストの首領がインド陸軍将軍に私怨を持っており、将軍の娘に仇なすことによって恨みを果たそうとします。そして企まれる学園無差別殺人!しかーし!それをシャー・ルクが超人的な軍人スキルを活かして果敢に阻止してゆくんですね。それまでダサダサの老け顔学生をしていたシャー・ルクが、今まさに!という場面で疾風迅雷の大活劇を演じます。けれども学友たちには決してその正体を明かさずに行動しなければならない…という部分がスーパーマンぽくてカッコいいんですね。そしてテロリストたちの謀略は次第に過激になってゆき、ついにクライマックス、学園を舞台にした恐ろしい大事件へと発展してゆくんです!

という訳で、アクション、学園ラブコメ、家族の絆、という盛り沢山の内容の作品となっているんですね。しかもファラー・カーン監督が元コレオグラファーのキャリアを活かし、これでもかといわんばかりの歌と踊りの大盤振る舞いで、「この映画3分の1は歌と踊りなんじゃないのか!?」と思わせるほどの賑やかさ、初監督作品に賭けるファラー監督の意気込みが目いっぱい感じられるんですね。ここまで長々と書きましたが、魅力や見所はまだまだ紹介しきれないほどたっぷりと詰まっており、娯楽作品の面目躍如たる堂々とした映画として完成しておりましたよ。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150416

20150415(Wed)

[][]インド富豪一族の愛と確執〜映画『家族の四季 愛すれど遠く離れて』【SRK特集その3】 インド富豪一族の愛と確執〜映画『家族の四季 愛すれど遠く離れて』【SRK特集その3】を含むブックマーク インド富豪一族の愛と確執〜映画『家族の四季 愛すれど遠く離れて』【SRK特集その3】のブックマークコメント

■家族の四季 愛すれど遠く離れて (監督:カラン・ジョーハル 2001年インド映画)

f:id:globalhead:20150217141521j:image

2001年に公開されインドの富豪一族の愛と確執、そして和解を描き大ヒットした大河娯楽作品です。この作品、なにしろ配役がスゴイ。中心となるラーイチャンド家の家長をアミターブ・バッチャン、その妻を実際のアミターブ夫人であるジャヤー・バッチャン、ラーイチャンド家長男をシャー・ルク・カーン、その彼と絡む女性二人がカージョルとラーニー・ムケルジー、ラーイチャンド家次男がリティク・ローシャン、その彼と絡む女性がカリーナ・カプール、というなんかもうインド映画好きなら頭がクラクラしそうな超豪華メンバーなんです。しかもシャールクの子供時代をシャールクの実際の息子が演じているというではないですか。これと比することのできるハリウッドのオールスター映画と言えば『エクスペンダブルズ』ぐらいなものでしょう(いや違う)。監督はインド映画界ナンバーワンヒットメーカーとも言われるカラン・ジョーハル、さらに振り付けは『OSO』『HNY』監督のファラー・カーンが務めております。

《物語》大富豪ラーイチャンド家の次男ローハン(リティク・ローシャン)には心を悩ませていることがあった。それは10年前、強権的な父ラーイチャンド(アミターブ・バッチャン)により勘当された兄ラーフル(シャー・ルク・カーン)のことであった。ラーフルには父の決めた許嫁ナイナー(ラーニー・ムケルジー)がいたが、下町の娘アンジャリー(カージョル)と恋に落ちてしまったのだ。父ラーイチャンドに身分違いの結婚を反対され、兄ラーフルはアンジャリーと共にロンドンに移り住んだまま帰ってこなかった。絶対権力者の父の決めたこととはいえ、母(ジャヤー・バッチャン)はいつも悲しみに暮れていた。そんな兄に帰ってきてもらうためにローハンはロンドンへと向かい、アンジャリーの妹プージャー(カリーナー・カプール)の協力のもと、身元を隠して兄の家の居候となる。

いやーもうインド汁湧きまくりの大作でした。「家族の絆」というインド映画王道のテーマを中心に据え、父と子、母と子、夫と妻、兄弟姉妹、恋人同士の関係を、これでもかこれでもかと描き切ってゆき、涙と笑い、歌と踊りをとことん演出し尽くし、それをゴージャスな出演陣とゴージャスな美術で徹底的に魅せてゆく、という「これぞインド映画」という作品に仕上がっていました。物語それ自体も濃厚な情感でもって描かれますが、富豪一家が主役ということでそこここに豪華なセットを配し、衣裳の煌びやかさと合せてその贅沢さにはひたすら目を奪われます。なにより歌と踊りがハンパない。10分ドラマがあった後に5分は踊ってるんじゃないのか!?という分量で、要するに3時間半のドラマのうち3分の1は歌と踊りだったんじゃないのか…とすら思っちゃいました。しかしこれだけてんこ盛りで3時間30分も上映時間があるにもかかわらず、観終わった後は「もうちょっと長くてもよかったんじゃないのかな…」と思ってしまったオレは既にもうすっかりインド映画脳なのかもしれません。

そしてやはり配役でしょう。アミターブの息子がシャールクとリティクというだけで「いったいどんな家庭なんだ」と思わせる凄まじさがありますね。シャールクは安定のチャーミングさで、変形八の字に眉毛を歪ませ迷子の子犬のように瞳をウルウルさせる演技をさせたらこの地球で彼を超える者はいないでしょう。そしてアミターブ。家族に強大な権力を振るう父親を演じる彼ですがなにしろ怖いです。シャールクを叱るシーンでは一言一言発するたびに雷の鳴るSEが被るのには相当ヤヴァイものを感じました。インドでもやはりカミナリ親父という言葉があるのでしょうか。さらにリティク。若いです。顔がツルツルです。この頃から「パースが狂ってんじゃないのか?」と思ってしまうような超絶的逆3角形した肉体美を誇っています。あとカージョル。下町の娘役のせいなのかワワアギャアギャアと煩いです。早口過ぎて英語字幕だと読み切れなかったでしょう。そしてなにしろカリーナ・カプール!後ろ向きで尻振りながら現れた挙句ハンカチ程度の面積しかない洋服で学校に行くシーンで「これ、感動大作だったよね?」とDVDを取り出してタイトルを再確認したぐらいでした。

それにしてもインドは強権的な家父長制度が存在するといったことは聞いたことはありますが、ここでのアミターブはまさに権力者なんですね。そしてその子供たちもあくまでそれを尊敬し敬愛し尽くし、決して疑問を持ちません。今のインドの家族事情が実際どうなっているのかは分からないのですが、こういった家族像はもう古めかしいものになってはいないのかな、とちょっと思いました。ここでは父との離反と和解はあっても、父を乗り越えるといった物語はないんです。徹底的に保守的なんですね。ただ逆に、インドの絶対的な父親の権力の様、というのを見ることができるのは面白く感じました。それと、インドの歴史というのは循環史観である、というのを聞いたことがありますが、ある意味この物語は王族たちがインドで何千年も繰り広げられてきた物語の再話なのではないか、と思えました。彼らは富豪じゃなくて、王族なんですよ。最後にもうひとつ、この作品はシャールクが主人公であるように作られていますが、ストーリー全体を見渡すと、運命や現実を変えるべくアクティブに家族に働きかけていた弟リティクこそがこの物語の本当の主人公なのじゃないか、とちと思いました。

D

20150414(Tue)

[][]イスラム教徒は、テロリストなんかじゃない。〜映画『マイネーム・イズ・ハーン』【SRK特集その2】 イスラム教徒は、テロリストなんかじゃない。〜映画『マイネーム・イズ・ハーン』【SRK特集その2】	を含むブックマーク イスラム教徒は、テロリストなんかじゃない。〜映画『マイネーム・イズ・ハーン』【SRK特集その2】	のブックマークコメント

■マイネーム・イズ・ハーン (監督:カラン・ジョーハル 2010年インド映画)

f:id:globalhead:20150217142038j:image

シャー・ルク・カーンが主演した2010年公開のこの作品は、『たとえ明日が来なくても』に続きアメリカを舞台にしたインド映画だ。しかし『たとえ明日が来なくても』がアメリカを舞台にしながらインドが舞台でも十分通用しそうなメロドラマだったのに比べ、この『マイネーム・イズ・ハーン』はアメリカという国とアメリカに住むインド系移民・在外インド人との非常にシリアスで密接した問題をテーマにしている。それはテロリズムに伴うイスラム教信者迫害という問題だ。

この作品では2001年に起こったアメリカ同時多発テロの余波を受け、テロ首謀者であるイスラム過激派と一般のアラブ系住民やイスラム教徒を混同し、彼らにいわれなき差別と暴力が行使された問題を扱っている。つい最近でもシャルリー・エブド襲撃テロ事件後のイスラム教徒弾圧・迫害といった形で巻き起こったことは記憶に新しい。これらはアメリカ、ヨーロッパでの話だが、さらにその後、ISILによる邦人殺害事件に及び、日本でも誤解による日本在住イスラム教徒への差別発言が行われた例がある。隣人としてのイスラム教徒とその差別というのは既に海外だけの問題ではないのだ。これらはイスラム教に対する無知や偏見によりもたらされているものだが、特に信仰それ自体が希薄な日本においては信仰者そのものへの偏見というが存在していることも考えられる。そんなことを書いているこの自分がイスラム教をきちんと把握しているかというと、ざっくりした知識程度なので案外と怪しいものかもしれない。

どちらにしろ、映画『マイネーム・イズ・ハーン』は911テロ事件をその根底としながら、実は非常に今日的であり普遍的な問題を扱った作品だということができるのだ。かといってこの作品は決してシリアス一辺倒のガチガチに政治的で陰鬱な作品ということはない。親子の情愛や人との繋がりをその基本として描き、非常に情感豊かなエンターティメント作品として仕上がっているのだ。

物語は空港で一人の男が取り調べを受けているところから始まる。彼の名はリズヴァーン・カーン(シャールク・カーン)、彼はインド系ムスリムであったが、同時にアスペルガー症候群でもあり、その挙動不審な振る舞いから尋問を受けることになってしまったのだ。そこで彼は取調官にこう言う。「僕はワシントンに行き、大統領にメッセージを伝えたいんだ。僕の名はカーン。僕はテロリストではない、ということを」。彼はなぜ大統領に会いメッセージを伝えようとしているのか。そこには、インドからアメリカに渡り幸せな結婚生活を送りながら、911テロを境に悲惨なムスリム差別に遭い、家族をバラバラにされてしまったカーンの悲しい過去が関わっていたのだ。ちなみに主演であるSRKも実際にムスリムである。

この作品は日本でも吹き替え付きのDVDソフトとして発売され、手軽に観る機会があったのだが、「911+アスペルガー症候群」という題材にどうも狙い過ぎな印象を受け、実は若干敬遠していたのだが、実際観てみるとその豊かな表現の在り方に大いに感銘を受けた作品だった。それは先に挙げたテーマの今日性ということもあるが、アスペルガー症候群という一歩間違うと嫌味になるキャラクターを、主演のシャールクが堂々と演じ、そのチャーミングさに魅了されられた、ということもある。これはそういった障害を持ちながらも、人を愛しそして人から愛され、家族を持ち夢と希望を持ちながら生きようとする男の物語であり、その男が大きな悲劇と困難に出遭い、それを乗り越えようとする物語であるのだ。そして主人公がアスペルガー症候群であるのは、それらの困難が抱える問題の本質を、無垢なる者の持つ曇りない目で描こうする試みなのだ。

なにより主人公カーンが初めてアメリカの地を踏み、そこで恋に落ち愛を成就させ、幸福な家庭を築くまでのいきさつがどこまでも美しく楽しく心躍らす。これらは回想の形で挟まれるけれども、しかしその回想が幸福に満ちているからこそ、はからずも起こってしまった悲劇はあまりにも痛ましくショッキングだ。「なぜこんなことが起きなければならなかったのか?」こうしてカーンは旅に出る。彼は大統領のもとへ赴くその道程において様々な人々と出会う。それらのエピソードの中には急進派ムスリムの存在もあり、ムスリムにもまた亀裂があることを描くのを忘れてはいない。最も胸を打つのはアフリカ系アメリカ人の村に迎え入れられるエピソードだろう。国家に省みられることのない貧しく悲惨な境遇の中にある彼らとカーンが出会うことにより、物語はムスリムだけの問題ではなく、マイノリティと有色人種がアメリカという国で生きることの困難をクローズアップするのだ。そして物語はこれら困難の中で人同士が手を繋ぐことの尊さを力強く描き出してゆく。

D

20150413(Mon)

[][]NYに住むインド人一家を描くメロドラマ〜映画『たとえ明日が来なくとも』【SRK特集その1】 NYに住むインド人一家を描くメロドラマ〜映画『たとえ明日が来なくとも』【SRK特集その1】	を含むブックマーク NYに住むインド人一家を描くメロドラマ〜映画『たとえ明日が来なくとも』【SRK特集その1】	のブックマークコメント

■たとえ明日が来なくとも (監督:ニキル・アドヴァーニー 2003年インド映画)

f:id:globalhead:20150209085531j:image

シャー・ルク・カーン主演によりオール・ニューヨーク・ロケで撮影された2003年のインド映画です。インドではこの年興収第2位を記録する大ヒット作となりました。共演はヒロインにプリティ・ジンター、その友人にサイフ・アリー・カーン。監督は『チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ』のニキル・アドヴァーニー、脚本を『家族の四季』の人気監督カラン・ジョーハルが担当しています。なおこの作品は2008年に日本公開され日本語版DVDも発売されましたが現在は廃盤となっており、自分はツタヤのレンタルで見つけて視聴しました。

ニューヨークに住むナイナー(プリティ・ジンター)は諍いの絶えない家族のせいかいつも暗い顔をして毎日を過ごしていました。そんなある日、隣家に陽気な青年アマン(シャー・ルク・カーン)が越してきます。なにかとお節介焼きのアマンはナイナーの家に出入りし、そのうちすっかり家族の人気者になってしまいます。アマンはナイナーにもちょっかいを出してきますが、彼女は素直に彼を受け入れることができず、MBAコースの同級生ローヒト(サイフ・アリー・カーン)をボーイフレンドに仕立て上げ、アマンには興味がないことをアピールしようとします。しかしそれは実は、アマンを愛する気持ちの裏返しでした。一方アマンもナイナーを愛し始めていましたが、彼は明かすことのできない重大な秘密を持っていたのでした。

最初に書いちゃうとこの『たとえ明日が来なくとも』、もう砂糖菓子みたいにベッタベタに大甘のメロドラマです。186分の長尺の中に笑いあり涙あり、恋と友情と家族の絆、歌と踊り大盤振る舞いという、実にインド映画らしい大娯楽作なんですが、後半からはこれでもかこれでもかと卑怯なぐらい泣かせの演出が入りまくり、もうメロメロにメロなメロドラマへと化してゆくんですね。アマンとローヒトの間で揺れに揺れるナイナーの心、といった三角関係が物語の基本なんですが、アマンはナイナーを愛しながらも彼女をローヒトとくっつけようとするんです。それはなぜ?というのがこの物語の核心でありメロドラマたる所以であり、そして『たとえ明日が来なくとも』というタイトルの理由となるところなんですが、特にここではネタバレは避けておきます。

物語だけ取り出してみるとメロドラマ展開にやり過ぎな部分を感じますし、個人的にもあまり得意ではないのですが、この作品では憎らしいぐらいうんざりさせられる一歩手前の部分で寸止めしているんですね。それはひとえに主人公であるアマンのキャラクターに負うものであり、それは当然演じるSRKの巧さと魅力によるものと感じました。前半におけるSRKはとにかく軽いノリで会話のテンポも速く、相手はそれに巻き込まれる形でSRKの言うことに納得してしまいます。かといって決して軽薄ではなく、どこか達観した雰囲気さえ漂わせているんです。特に三角関係になってからの徹底的なはぐらかし芸が凄い。ここだけでも台詞のセンスの良さを感じさせます。こうして観客は物語の登場人物たちと同じようにSRKに魅せられてしまうんですね。

それと同時に、共演であるローヒト役のサイフ・アリー・カーンにも光るものを感じました。これまで自分が観たサイフの作品は、ニヒルぶってるかコメディ・キャラのどちらかだったんですが、この作品ではちょっとおっちょこちょいながら純なハートを持つ青年を好演します。自分が今まで観たサイフ作品の中ではベストアクトのように思いました。一方ナイナー演じるプリティ・ジンターはちょっと依怙地過ぎるしメソメソし過ぎるので残念ながらそれほど魅力を感じなかった。それとアメリカが舞台ということで時折実にアメリカ〜ンな歌と踊り・演出が入りますが、これはサービスだったのでしょうがあまりいただけませんでしたね。劇中何度も繰り返されるテーマソングは非常に素晴らしく、映画を観終わった後でも頭の中で何度も繰り返してしまいました。

D

20150412(Sun)

[]本当の俺はこうじゃない〜映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)本当の俺はこうじゃない〜映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を含むブックマーク 本当の俺はこうじゃない〜映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のブックマークコメント

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 2014年アメリカ映画)

f:id:globalhead:20150412113219j:image

  • 長回しの凄い映画でしたね(棒読み)。
  • (でもどうして長回しだと凄いんだろう…)
  • あとはうーんっと…なんだか主人公が始終ウダウダグダグダしまくってて、そこん所うんざりさせられた映画だったなあ。まあ退屈はしなかったんですが、絶賛するほどの映画かあ?てな感じ。
  • アメリカ演劇に携わる人間の逡巡と葛藤を描いた映画なんですが、観てるオレ自身が演劇とかブロードウェイとか興味ないので「どうでもいいやあ」と思えてしまうんですよ。アメリカ人はブロードウェイ演劇だのショウビズ絡みが好きだからその辺であっちの国ではウケたんでしょうけどね。
  • 自らが初演出初出演の演劇作品に携わることの苦悩、ってのは分かるんですが、なーにしろ主人公グダグダし過ぎで、「おめーは覚悟ってもんが足りねーんだよ!」とイラつかされましたよ。だってそれ、あんたの選んだ仕事だろーが。と思う訳なんですよ。
  • これが演劇っちゅうなんだか芸術ぽいジャンルだからたいそうな苦悩のように一見見えてしまうのかもしれないけど、仕事って意味では誰だって苦悩や葛藤はあるわけじゃないですか。そういった意味じゃあ「甘えてんじゃねえ」と思っちゃうんだけど。
  • だったらブラックな企業で長時間残業させられてるサラリーマンだって大変でしょうから、そんなサラリーマンの仕事ぶりを徹底した長回しで描いて、合間に「俺は本当はユーチューブで3万アクセスさせた男なんだ!」とか言わせたらこの映画の構造と同じ風になるんですね。まああんまり見たくないけど。
  • しかしこの映画にはかつて主人公が演じて大人気を得た【バードマン】というスーパーヒーローキャラの影をちらつかせることで、なんか凄い深いことを言っているかのように見せてるんですね。じゃあこの【バードマン】っちゅうのはなんなのか?ということをちょいと分析してみましょう。
  • まず主人公はなんだか知らないけど超能力を使えます。ただし人の見てないところだけで。この演出からこの超能力は妄想なんだな、ということは誰でもわかるでしょう。ではなぜこんな演出が入るのか?というと、これは「本当の俺はなんでもできるはず」という主人公の全能感への強烈な欲望を表しています。しかし現実にはそうではない。つまり「本当の俺」と「現実の俺」の乖離がここにあるわけです。
  • では人気キャラ【バードマン】はその全能感の象徴なのか?というとそうではないんです。【バードマン】は主人公のかつての栄光ではあるにせよ、それは主人公自身により「下らないガキ向け映画キャラ」として否定されているんです。現在の主人公が芸術的な演劇を目指しているところから分かるように、ここでも「本当は芸術志向な俺」と「現実はガキ向け映画で人気者になった俺」という乖離があるわけです。
  • つまりこの映画は「本当の俺はこうじゃない」といういい年こいて現実見ずにみっともないことを言ってるおっさんの戯言についての映画ということができるわけです。
  • 「本当の自分」なんて存在しねーんだよ!今ある手も付けられない、しょーもない、グダグダのあんたが本当のあんたなんだよ!
  • 映画では途中途中で「バードマンの声」が聞こえて主人公を苛みます。それは「現実に気づけよ」という声でもあるのです。
  • しかし物語途中でバードマンと一体化したかの如く空を駆け全能感にひたりまくる主人公の姿はなんだったのでしょう。主人公はバードマンという望まぬ過去の栄光を容認したわけでも自らのグダグダの現実に気づいたわけでもないにも関わらずです。
  • むしろこれは、「現実の自分」を容認できず、「本当に自分」にも手が届かなかった主人公の、徹底的な自己否定の果てにある窮極的な絶望状態、そしてそれによる思考の破綻、思考の停止を表したものなのでしょう。
  • ではあのラストは?これは【無知がもたらす予期せぬ奇跡】という副題にあるように、自己否定の果てに自分が《ゼロ》になった者がはからずして大どんでん返しを演じてしまった、という意味になります。
  • しかし、自分が《ゼロ》になってしまった者が誰しも大どんでん返しを演じるわけではありません。結局あれはたまたまです。現実に対してなにがしかの方策を講じなかったにもかかわらず最後はどうにかなってしまっただなんて虫のいい話だと思います。
  • そういった部分で、この物語は現実に対し葛藤し苦悩し逡巡する人間に対して何一つ示唆を与えるものではありません。そんな所が、なーんかイマイチな映画だよなあ、とオレは思いましたね。

D

20150410(Fri)

[]伝説の珈琲店「北山珈琲店」で究極の珈琲を飲む 伝説の珈琲店「北山珈琲店」で究極の珈琲を飲むを含むブックマーク 伝説の珈琲店「北山珈琲店」で究極の珈琲を飲むのブックマークコメント

f:id:globalhead:20150405151353j:image

上野に珈琲一杯に精魂を込め、珈琲一筋、珈琲一徹の珈琲親父が営む珈琲店があるという。ただただその珈琲だけを味わって貰いたいがために、珈琲を味わうこと以外の目的での入店を断ってすらいるという。その店の入り口にはこんな張り紙がしてある。「事務、読書、商談、その他待ち合わせ等、珈琲を味わう事以外でのご入店はおことわり致します(30分以内でのご利用をお願いします)」

…料理を食べる際の順序作法にまで口を出す注文の多い頑固親父の頑固ラーメン、頑固レストランというのは聞いたことがあるが、いうなればこれは頑固珈琲店である。しかも、そんな親父の出す珈琲は、その辺の喫茶店、コーヒーチェーン店が供するコーヒーなんぞとは比べ物にならない味と、そしてびっくりするような値段が付けられているという。その店の名は「北山珈琲店」。いったいどのようなお店なのであろうか。コーヒー好きの相方さんのたってのリクエストでその店に行ってみることにしたのである。

いったい何が待っているのか…お店のドアを開けると、カウンター席に座っていたお店のマスターと思しき上品な紳士に「表の貼紙は読んでいただけましたか?」と一言掛けられる。事情は全て知っていたので「はい」と答えて中に入る。おおう…しかし知ってはいたけれどもやっぱり緊張するなあ…。実のところ、行く前にネットで事前調査していたので、あれこれ注文はあれど、実際は少しもオッカナイ店ではないことは知っていた。お店のマスターも珈琲に一家言あるにせよ、物柔らかな紳士であることも知っていた。しかし実際マスターの顔つきや物腰を見てみると、頭に詰め込んだ情報とは関係なく、その柔和な人柄が一目で伺えた。

お店はカウンター席と4人掛けのテーブル2つという小さなもので、中は若干暗めでジャズが掛かっている、という珈琲店定番のものだが、珈琲店らしい内装以外に、座席の後や店の奥に珈琲豆が入っていると思しき麻袋が山のように積まれている。それよりもお店に入ってまず驚かされるのは、お店中に立ち込めるその濃厚な珈琲臭である。立ち込める、というよりも珈琲臭で煙っている、といったほうがいい。後で調べたがこれは珈琲焙煎器から立ち上る煙の匂いなのらしい。お店の来歴やら珈琲店としての内装以前に、まず、この香りで異世界に持っていかれること必至だ。

さて注文だ。メニューにざっと目を通したが、実は入る前から既に決めていた。「雅セット」である。一般のコーヒー店でコーヒーのセット、というとコーヒーなどのドリンクにケーキなどのスイーツがついたものを指すのだろう。しかし北山珈琲店は違う。なんと、珈琲と珈琲のセットなのである!それは15年以上の熟成豆だけを使ってブレンドした珈琲【雅】と、ショットグラスに冷たい珈琲を入れ生クリームを浮かべた【雫】のハーフサイズ、いわば北山珈琲店の最高自信作2点のセットなのである。そして実はこの2点の間に口直しとして小さなカップに入った薄目の温かい珈琲が供される。だからこれはある意味珈琲3杯分のセットともいえるのである。そしてそのお値段は2500円。二人で頼めば5000円である。しかしこんな機会はそうそうないだろうと思い、思い切って注文してみたのだ。

そして出されたその味は…。くどくど説明せずに一言で言うなら、「びっくりした」。【雅】は、ガツンと苦い。苦くて濃い。珈琲カップにスプーンを立てたらそのまま立っていそうなぐらい濃い。にもかかわらず、そんな苦さや濃さがありながら、全く濁りのない味なのだ。そしてその香りは、今まで嗅いだどんなコーヒーの香りとは比べ物にならない、焙煎のくすんだような深い香りだ。そしてその【雅】を半分ほど飲んで、ミルクと砂糖をたっぷり入れる。するとオレと相方さんが「なんだこれは」と目を大きく見開く。「ああこれか!これだったのか!」と珈琲をとことん突き詰めたその味に驚くのだ。

そして口直しの小さな珈琲を飲んだ後に【雫】が出される。これが足の付いた本当に小さなショットグラスに入っている。どこまでも黒に近い褐色の珈琲の上に数ミリほどの厚さで生クリームが広がる。これを混ぜずに生クリームの下の珈琲から先に口に入るように飲むのだ。そして【雫】を口に含んだオレと相方さん、思わず「うおお…」と小さく唸ってしまう。冷たくキリッとした苦みが生クリームの甘さによってさらに際立たせられ、アイスコーヒーではなく冷製珈琲とでもいうような今まで体験したことのないような味にとにかく驚かされる。おまけに最初に飲んだ【雅】の強烈なカフェインが体中を駆け巡っているのも相まって、奇妙な昂揚感すら覚えるではないか。これさあ、変な言い方するけど、バカなドラッグやるより絶対キマルぜ?

まあ、お店の緊張感、雰囲気、そしてそれなりに高価なお値段、ということでいろいろ気分的に「盛っている」というのも十分あるだろう。500円で同じものを出されたら自分はどんな反応をするだろう?と思えなくもないのは確かだ。しかし体験としては相当面白いものだった上に、とてつもなく旨い珈琲だったというのは間違いない。とは言いつつ、その「珈琲と格闘する」かの如き緊張感を和らげるため、北山珈琲店を出た後に普通のどこでもあるコーヒーチェーン店に入って一服しながら気を落ち着けた、という笑い話のような行動を取ったオレと相方さんであった。珈琲+珈琲のセットというのも初めてだが、珈琲店をはしごする、というのも初めての体験なのであった。

◎参考:「ウエスタン北山珈琲店…上野 / オールアバウト グルメ」 「コーヒーを飲むこと以外は、許されない喫茶店 / デイリーポータルZ」

◎北山珈琲店 〒110-0004 東京都台東区下谷1丁目51 営業時間:12:00-19:00 月曜定休

20150409(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■Music for the Uninvited / Leon Vynehall

Music for the Uninvited

Music for the Uninvited

UKポーツマス出身のディープハウサーLeon Vynehallによる1stアルバム。これが非常に繊細かつ技巧的に構築された音世界を表出させており、エレクトロニクス音の狭間にストリングスや鍵楽器、ヴォイスサンプルなどを効果的に配し、それぞれの曲があたかも絵画の様に美しい構図を切り取りながら、同時に物語の無い映像作品の様に感性豊かに構成されているのだ。それでいてソウルフルなディープハウスとして十分に機能している。2014年にリリースされた作品だが、これは実に完成度が高いアルバムだ。実の所最近こればかり聴いている。オススメ。 《試聴》

■MARCHROMT30a Edit 2b 96 / Aphex Twin

MARCHROMT30a Edit 2b 96

MARCHROMT30a Edit 2b 96

Aphex Twinのニューシングルは最新アルバム『Syro』の日本版限定トラック「MARCHROMT30a Edit 2b 96」とその別バージョン、同じく『Syro』収録「XMAS_EVET10[120]」の別バージョンの3曲を収録。しかし『Syro』って2015年グラミー賞のダンス/エレクトロニック部門受賞作だったんだね。 《試聴》

■Digital Solutions / Model500

Digital Solutions

Digital Solutions

デトロイト・テクノの重鎮Juan Atkinsによるユニット、Model500の16年ぶりになるというフル・アルバム。Juan Atkins自身も来年で活動35周年だとか。そもそもJuan Atkinsが参加したCybotronの「Clear」が1982年だ。オレも含めテクノ古参はどんどん歳取ってくなあ。さてアルバムのほうはModel500らしいエレクトロ・ファンクで、往時よりフュージョンぽくはなっているが根っこの部分は変わらずにパワフルなデトロイトのスピリッツを伝えている。Mark Taylor、Mike Banks、DJ Skurgeの参加もあるらしい。 《試聴》

■Claustrophobia / Scuba

Claustrophobia

Claustrophobia

Hotflush Recordingsの主宰、ベース・ミュージックの第一人者Paul RoseによるプロジェクトScuba、待望のニュー・アルバム。ポツポツとリイシュー盤やDJMIXが出ていたがオリジナル・アルバムとしては3年ぶりのようだ。音的には例によってミニマルかつダークなベース・ミュージックが展開されているが、以前より分厚くそして細かなトリートメントの施された音へと進化しており、Scubaの音が常に現在進行形であることがうかがわれる。Scubaのアルバムはとりあえず出たら買っちゃうな。 《試聴》

■Flame Rave / Clark

Flame Rave

Flame Rave

先ごろアルバム『Clark』をリリースしたClarkのニュー・シングル。アルバム収録曲2曲のリワークと新曲2曲が収録されているが、不穏な音像の蠢くClarkらしい充実した完成度だ。デビュー時より才能溢れるアーチストだったが、今現在テクノ・ミュージック界のなかで最も受け入れられやすく先端的な音を出しているアーチストなんじゃないかな。少なくともAfex Twinよりは分かり易いアプローチをしている上にロック的なフィールドにも近い。 《試聴》

■Folk / Nick Hoeppner

f:id:globalhead:20150402144158j:image

ベルリン・Panorama Barの長年に渡るレジデントであり、かつてレーベルOstgut Tonのマネージャーも務めていたNick Hoeppnerによる初のアルバム。パワフルなリズムと浮遊感溢れるメロディを備え、ジャーマン・テクノならではのサウンドを響かせる安定の良作。これはオススメ。 《試聴》

■Living Fields / Portico

Living Fields

Living Fields

ロンドンを拠点に活躍するバンド、Portico Quartetのメンバーによるエレクトロニカ・ユニットPortico。彼らのデビュー・アルバム『Living Fields』はJames Blakeを思わせるような静謐なエレクトロニック・サウンドにファルセット・ヴォイスが乗るソウルフルな作品だ。個人的にはJames Blakeよりも好きだな。 《試聴》

■EX Club Mixes / Plastikman

Ex Club Mixes (2x12i)(dixon/tale Of Us/recondite [12 inch Analog]

Ex Club Mixes (2x12i)(dixon/tale Of Us/recondite [12 inch Analog]

この『EX Club Mixes』はRichie HawtinによるPlastikman名義の2003年のアルバム『EX』をDixon、Recondite、Tale Of Us、Dubfireらによりリミックスしたもの。ニューヨークのグッゲンハイム美術館にて行われたRaf SimonsのファッションショーにおけるHawtinによるライブを録音したものらしい。大幅なリミックスはされていないが、Plastikmanらしいミニマル・テクノ音はやはりハマる。 《試聴》

■Dream A Garden / Jam City

Dream A Garden

Dream A Garden

ロンドンを拠点に活動するJack Lathamのユニット、Jam Cityのニュー・アルバム。カラフルなエレクトロニック・サウンドにJack Lathamのエモいヴォーカルがかぶさるいわゆる"歌モノ"で、インディー寄りのテクノといった音。 《試聴》

■Dark Energy / Jlin

インディアナ州のゲーリーの女性プロデューサーJlinによる次世代シカゴ・ハウス。シカゴ・ゲットー・ミュージックの系譜を受け継ぎ、ジューク/フットワークを通過した、実に硬質で機械的なビートがグネグネと蠢く大胆なサウンド。 《試聴》

■Mix The Vibe: Deeep Detroit Heat / Terrence Parker

Mix the Vibe: Terrence Parker - Deeep Detroit Heat

Mix the Vibe: Terrence Parker - Deeep Detroit Heat

キャリア35年を誇るデトロイト・ハウスのオリジネイター、Terrence ParkerがKing Streetの人気シリーズ"MIX The Vibe"に参戦。ベテランならではの絶妙のテクニックで構成された心憎いMix。 《試聴》

■Next Stop Soweto 4: Zulu Rock, Afro-Disco & Mbaqanga 1975-1985 / Various Artists

Next Stop Soweto 4: Zulu Rock, Afro-Disco & Mbaqanga 1975-1985

Next Stop Soweto 4: Zulu Rock, Afro-Disco & Mbaqanga 1975-1985

このアルバムはエレクトロニック・ミュージックではなく、STRUTによる南アフリカ産レア音源コンピレーション・シリーズの第4弾となるものだ。1970年代から1980年代を中心に、アパルトヘイト政策下にあった黒人たちの熱い魂が炸裂するズールー・ロック、アフロ・ディスコ・コレクション。 《試聴》

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150409

20150408(Wed)

[]古生物なあいほんケース買った 古生物なあいほんケース買ったを含むブックマーク 古生物なあいほんケース買ったのブックマークコメント

f:id:globalhead:20150405140547j:image

なんかカブトガニとか三葉虫とかウミサソリ的ななにかとかがいる古生物あいほんケース買った。現在あいほんの壁紙もこの柄。結構気に入っている。ちなみに見た通りまだ5Sです。

[]そこは恐竜の森だった! そこは恐竜の森だった!を含むブックマーク そこは恐竜の森だった!のブックマークコメント

先週「埼玉県こども自然動物公園」に行った時、広い広い公園の一角に「恐竜コーナー」というのがありました。木の生い茂る森の中に高さ8mのブラキオザウルスをはじめ、大小20体ほどの恐竜のモニュメントが設置されており、その中の何体かをちょっと撮影しておきました。というわけで恐竜モニュメント写真などをどーぞ。

フンギャー!

f:id:globalhead:20150405140555j:image

フンニョロー!

f:id:globalhead:20150405140554j:image

ガオガオ!

f:id:globalhead:20150405140553j:image

グガー!

f:id:globalhead:20150405140552j:image

グゴゴゴ!

f:id:globalhead:20150405140551j:image

グギョー!

f:id:globalhead:20150405140550j:image

グギャアグギャア!

f:id:globalhead:20150405140549j:image

ばっさー。

f:id:globalhead:20150405140548j:image

埼玉県こども自然動物公園

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150408

20150407(Tue)

[]驚異の超展開〜『プリムローズ・レーンの男(上)(下)』 / ジェイムズ・レナー 驚異の超展開〜『プリムローズ・レーンの男(上)(下)』 / ジェイムズ・レナーを含むブックマーク 驚異の超展開〜『プリムローズ・レーンの男(上)(下)』 / ジェイムズ・レナーのブックマークコメント

f:id:globalhead:20150127114909j:image f:id:globalhead:20150127114907j:image

オハイオの田舎町で「プリムローズ・レーンの男」と呼ばれてきた世捨て人が殺された。なぜか一年じゅうミトンをはめていたその老人は、殺害時、すべての指が切り落とされミキサーで粉々にされていた。ノンフィクション作家のデイヴィッドは、編集者にこの事件を調べるよう求められた。愛妻の死後、断筆を続けていたが、この事件には何か特別なものを感じる。作家は調査の乗り出すが、信じがたい事実が次々と明かされ…。

デイヴィッドは「プリムローズ・レーンの男」殺害の第一容疑者として警察にマークされていた。地元のゴシップ紙がそれを報じ、彼は好奇の目に晒される。やがて殺された男と死んだ妻の関係を示唆する証拠が発見されると、デイヴィッドへの疑念はさらに高まった。挙句の果てに、彼は妻の殺害容疑まで着せられて窮地に追いこまれる。だが、あまりに意外な人物が彼の救出に現れるのだ!怒涛、衝撃、唖然、驚愕!圧倒的スリラー。

物語は奇妙な殺人事件から始まる。一軒家に一人で暮らす老人が拳銃で撃たれ、その老人の全ての指は切り落とされミキサーにより粉々にされていた。物取りの犯行ではなかった。生前の老人は他人と殆ど接触を持たぬ隠遁者で、常にミトンをはめている変わり者として近所で知られていた。そして調べると老人の身元は偽りであり、銀行には多額の預金が存在していた。この謎だらけの事件を著作にするため、主人公である犯罪ドキュメンタリー作家は調査を開始する。しかしその謎も解明されないまま、調査の途上にある連続幼女誘拐殺人事件が浮かび上がり、さらに主人公の死んだ妻との関連性までが疑われはじめたのである。

この『プリムローズ・レーンの男』、帯の惹句に「二転、三転、四転、五転!?この物語はどこへ向かうの?」「予想の斜め上を行く展開に目が点になり続ける!!!」などとあるように、とにかくとことん予想を裏切りまくる物語展開を見せる小説である。そしてその意外な展開は、物語の真相が明らかになるにつれ、「意外」どころか「とんでもない超展開」へと発展するのだ。冒頭の殺人事件からは政府やマフィアがらみの陰謀か…と思わせながら、なぜかそのあと延々と主人公とその家族、亡くなった妻との出会いの場面が続く。これはいったいどうなっているんだ?と思わせておいて、過去に起こった連続幼女誘拐殺人事件が唐突に浮かび上がり、さらに「死んだ妻とよく似た女性」の影がちらつき、しまいにはその妻を殺した嫌疑が主人公にかけられてしまうのである。

それだけではない。上巻の中盤で、「え??」と呆気にとられるような異様な出来事が起こり、それがなんなのか、物語の本筋とどうかかわるのか何の説明もないまま物語は続いてゆく。この「え??」と思わせる出来事がまさにこの物語後半の「とんでもない超展開」の予兆となるのだが、次々に投げ出され膨らみ続けてゆく謎、予断を許さぬ展開、それらと合せて読者は大いに翻弄されながら物語を読み進めてゆくことになるのだ。そして、それがこの物語の最大の面白さということができるだろう。

この物語のキモとなるのはこの「超展開」の真相であり、その驚天動地ともいえる真実が読者に突き付けられた瞬間であるが、ここでその「真相」をどう受け止めるかで評価は変わってくるだろう。しかもこの物語はその「真相」が明かされて終わりになるのではなく、その「真相」をアクセルとして、物語がそれまでと全く違う次元へとさらに加速し展開してゆくのだ。膨大な謎を投げかけその伏線をパズルを解くように回収しつつ思いもよらぬラストを組み立ててゆく手腕にも唸らされる。まさしくあっと驚く”奇想”サスペンス、『プリムローズ・レーンの男』は今までにないスリラーを読みたい方に大いにお勧めしたい。そして、呆然とするがいい。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150407

20150406(Mon)

[]『大アマゾン展』に行ってきた。アーマーゾーンッ! 『大アマゾン展』に行ってきた。アーマーゾーンッ!を含むブックマーク 『大アマゾン展』に行ってきた。アーマーゾーンッ!のブックマークコメント

先日は上野の公園にある国立科学博物館で開催されている『大アマゾン展』に行ってきました。アーマーゾーンッ!

まずはアメ横にある「昇龍Part2」でラーメンとギョーザで腹ごしらえ。

f:id:globalhead:20150405144319j:image

ワンタンメンとジャンボギョーザを注文しました。写真だと分かり難いですがこのジャンボギョーザ、直径15センチもあるんですよ。

f:id:globalhead:20150405143751j:image f:id:globalhead:20150405143750j:image

アメ横から国立科学博物館に道すがら、どこかの居酒屋の店先にマグロの頭が仲良く5個並んでいました。

f:id:globalhead:20150405144243j:image

上野公園はまだお花見の真っ盛りでしたが、前日の風のせいか散りかけていて、ちょっと寂しかったかな。

f:id:globalhead:20150405144242j:image

国立科学博物館に到着。

f:id:globalhead:20150405144525j:image f:id:globalhead:20150405144524j:image

中に入るとアマゾンの小動物やナマケモノの剥製がッ!?

f:id:globalhead:20150405144701j:image f:id:globalhead:20150405144700j:image

ああ!カピバラさんまでが剥製にッ!?(涙)

f:id:globalhead:20150405144956j:image

アマゾンのオオカミ!アマゾンの鳥!

f:id:globalhead:20150405145108j:image f:id:globalhead:20150405145107j:image

アマゾンの魚!アマゾンの蛇!

f:id:globalhead:20150405145204j:image f:id:globalhead:20150405145203j:image

アマゾンの蝶!アマゾンの部族衣装!

f:id:globalhead:20150405145454j:image f:id:globalhead:20150405145353j:image

ほとんどが剥製展示でしたが、最後のコーナーにあった「アマゾン体感!4Kシアター」というのが壁一面を使ったスクリーンに4Kのウルトラハイデフ画面でアマゾン川流域の映像を映し出し、これはびっくりするぐらい綺麗だったな。

帰りはおみやげコーナーでカピバラノートを買って帰ってきました。実はこれが欲しかったから行ったという噂も…。

f:id:globalhead:20150405145653j:image

というわけで『大アマゾン展』でした。アーマーゾーンッ!

f:id:globalhead:20150405150117j:image

大アマゾン展 上野国立科学博物館で6月14日まで

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150406

20150405(Sun)

[][][]最近買ったコミックやらDVDやらゲームやら 最近買ったコミックやらDVDやらゲームやらを含むブックマーク 最近買ったコミックやらDVDやらゲームやらのブックマークコメント

■最近読んだコミック

ちいさこべえ(4) / 望月ミネタロウ

山本周五郎の短編『ちいさこべ』を原作とした人情ドラマ『ちいさこべえ』が遂に完結。ラストであるこの巻ではヒロインである"りつ"さんの逡巡が中心となるが、それにしてもオオゴマ使って"りつ"さんが様々なポーズをとる全身像が描かれまくり、もはや"りつ"さんの萌えコミックと化しているような気がちょっとした。物語のほうは収まるべきところにきちっと綺麗に収まり、望月ミネタロウの卓越したグラフィックも相まってさわやかな幕切れを見せた。

◎食の軍師(4) / 泉昌之
食の軍師 (4) (ニチブンコミックス)

食の軍師 (4) (ニチブンコミックス)

今回の『食の軍師』は社寺仏閣周辺の飯屋・一杯飲み屋が中心として展開する。取り上げられている飲み屋は知らなくても社寺仏閣なら「あああそこか」と分かるのが今回面白かったところ。それにしても主人公であるトレンチコートの男が行く店行く店でライバル力石と鉢合わせしまくりなのだが、これはリアリティ云々の問題ではなく、力石がトレンチコートの男の、心理学でいうところの「シャドウ」ってことなんだろうな。あ、だから「明日のジョー」の力石→ボクサー→シャドウボクシング→シャドウってことなのか?

◎イノサン(8) / 坂本眞一
イノサン 8 (ヤングジャンプコミックス)

イノサン 8 (ヤングジャンプコミックス)

豪華絢爛残虐非道お耽美恐怖ギャグ歴史ドラマ(長い)、『イノサン』の8巻目。もはやこのコミックのやりたい放題ぶりにはひたすら感心し突っ込む気すらしないのだが、いやーしかしマリー・アントワネットで百合展開とは…。一応物語はきちんと進行しており、今回は主人公である死刑執行人シャルル・アンリ・サンソンと妹で同じ死刑執行人であるマリー・ジョセフとがいよいよ血で血を洗う決闘を開始する。

■古いSF映画DVDをまたもやあれこれ買った

f:id:globalhead:20150405160740j:image

「古いSF映画の安価なDVDをコレクションしよう!」という目論見のもと、前回に引き続きちらほらとDVDを集めているわけなのである。今回購入したのは『光る眼』『トリフィドの日〜人類SOS!〜』『モノリスの怪物 宇宙からの脅威』『地球爆破作戦』の4作で、このうち『モノリス』と『地球爆破作戦』は未見である。観るのが楽しみである…いや実はインド映画ばっかり観ていて全然観れてないんだけど。

光る眼 [DVD]

光る眼 [DVD]

トリフィドの日~人類SOS!~ [DVD]

トリフィドの日~人類SOS!~ [DVD]

地球爆破作戦 [DVD]

地球爆破作戦 [DVD]

■『Bloodborne』プレイしたのだが…

f:id:globalhead:20150405151549p:image

いやあ、全然オレ向きじゃなくてあえなく挫折しました…。そういや同じフロム・ソフトウェアの『DARK SOULS』も全然駄目だったなァ…。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150405

20150403(Fri)

[][]踊る大泥棒!?全篇フェステボー&カーニボーなお祭り映画『Happy New Year』 踊る大泥棒!?全篇フェステボー&カーニボーなお祭り映画『Happy New Year』を含むブックマーク 踊る大泥棒!?全篇フェステボー&カーニボーなお祭り映画『Happy New Year』のブックマークコメント

■Happy New Year (監督:ファラー・カーン 2014年インド映画)

f:id:globalhead:20150217140205j:image

■ハッピー・ニュー・イヤー!

みなさんあけましておめでとう!…という時期はとっくに過ぎておりますが、インド映画『Happy New Year』でございます。主演にシャー・ルク・カーンとディーピカ・パドゥコーンという、名作『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』や大ヒット作『チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー参上』で共演したインドの2大スターがみたび共演しているのがまず話題なんですね。

さらに『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』のファラー・カーンが監督ということで、期待度MAXの作品として製作され2014年10月に公開されました。公開後はあれよあれよという間に売り上げを伸ばし、最終的に2014年インド映画興行収益でアーミル・カーン主演作品『PK』に次いで第2位、歴代興行収益でも第4位を記録したという人気作なんですね。お話はダイヤ強奪計画を描くものなんですが、なぜかそこにダンスが関わってくる?というのがとにかく見所なんです!

■ダイヤ強奪計画+ダンス大会?

主演であるシャールクの役どころは時価5000万ドルにのぼるというダイヤ強奪を狙う男チャーリー。しかしチャーリーは決して私利私欲のためにダイヤを奪おうとしていたのではありません。ダイヤの入れられた難攻不落の大金庫を管理する男チャランは、かつてチャーリーの父を陥れ無実の罪で刑務所送りにした男であり、チャーリーはその復讐を果たそうとしていたのです。ダイヤ強奪計画のメンバーが次々とチャーリーの元に集まります。爆薬の専門家ジャグ(ソーヌー・スード)、金庫破りのタミー(ボーマン・イラーニー)、ハッカーのローハン(ヴィヴァーン・シャー)、計画の鍵を握る男ナンドゥ(アビシェーク・バッチャン)。

しかし、計画は完璧でしたが、重大な問題がありました。大金庫を地下に有するドバイのホテルでは世界ダンス選手権が開催されることになっており、これに出場を果たさなければ大金庫に近づくことが出来ないのです。けれども強奪メンバーの男たちはダンスのダの字も知らないドンクサい連中ばかり…。そこで白羽の矢が立てられたのがダンサーのモーヒニー(ディーピカー・パードゥコーン)!彼女にダンスを教わりダンス大会に出場しようと目論む男たちでしたが果たしてその結果は…ッ!?

■イケテない強盗団登場

いやーとことん楽しさの詰まった大娯楽作でありました。鉄壁の大金庫を狙うダイヤ強盗団!というとシリアスなクライム・ストーリーを思わせますが、実際はトホホな部分で一癖も二癖もありまくる連中が、右や左へドタバタジタバタしながら大騒動を繰り広げちゃう、というコメディ仕立てになった物語なんです。特に母親を侮辱されると怪獣の如く暴れまわるジャグ、なにかというと癲癇を起こすタミー、呑兵衛でしょっちゅうゲロ吐きまくっているナンドゥなど、問題あり過ぎてこいつらホントに大丈夫なのか…強盗向いてないんじゃないのか…と観ていて頭がクラクラしてきます。

一方シャールク扮するチャーリーとディーピカ扮するモーヒニーの関係もラブラブだったりギクシャクしたりと忙しい。モーヒニーのラブラブ光線が辺りをいちいち火の海にするというくだりはマンガチックすぎて爆笑必死、そんなモーヒニーにいつも心無い対応をしてしまいモーヒニーを泣かせるチャーリーの木偶の坊ぶりも徹底的なお約束展開。こんな連中がダンス大会へとチャレンジするんですが、なにしろひたすらヘボい連中なんでまともな踊りをすることすらできず、呆れるようなズルをして毎回なんとか乗り切る始末。イカシた踊りで魅せるインド映画は多々ありますが、どうにもイケテないダサダサなダンスで開き直ったかのごとく徹底的に攻めるインド映画はこの『HNY』だけかも!?この辺、一流のコレオグラファーでもあるファラー・カーン監督がわざとダサダサのダンス・シーンを演出する、という可笑しさもあるんですね。

■圧倒的な祝祭空間

しかし、今作で何よりも目を奪うのはオープニングとクライマックスに用意されたゴージャス極まりない映像です。メインの舞台となるアラブ首長国連邦ドバイ、贅を尽くした未来的な建造物が立ち並ぶその街のホテルが世界ダンス大会の会場となりますが、そのドバイの都市全てが巨大な祝祭空間と化しているのです。天を貫く幾百のサーチライト、打ち上げられる幾千の花火、目まぐるしく明滅する幾万の電飾、ありとあらゆる色彩が踊り光が瞬き、ダンスミュージックが轟音を響かせながらリズムを刻み、会場をみっしりと埋め尽くす観客たちは熱狂の中で歓声を振り絞り踊り狂うのです。

そしてその歓声の向こうに立つ姿は、シャールクでありディーピカーであり彼らの仲間たちです。彼らのまとう圧倒的なオーラは神々しさを通り越し既に神の姿そのものであり、そして観客たちはその宗教的な法悦の中で我を忘れ歓喜するのです。インド映画の醍醐味はその多幸感にあるといわれますが、この『HNY』はまさに溢れんばかりの多幸感にどこまでも特化した作品だということが出来るのです。

実の所この作品は物語的な整合感を求めると沢山の瑕疵があります。設定も粗雑だし、ダイヤ強奪計画もよく言えばコミック的、悪く言うなら子供騙しの範疇です。そもそも物語それ自体はスティーブン・ソダーバーグ監督の現金強奪映画『オーシャンズ11』にインド監督レモ・デスーザのダンス大会映画『ABCD』を掛け合わせ、コメディ風味を振り掛けたような内容で、決してオリジナリティのあるものではありません。しかしそういった欠点も、次から次へと描かれてゆくアクションや笑いによりとてもいい具合に帳消しにされているんですね。むしろ物語というものの持つ逐次的な説明の煩わしさをあえて切り捨て、刹那の楽しさと歓喜をどこまでも追及したのがこの作品ではないかと思うのです。あたかも極上の多幸感を生み出すために作り出された快楽装置の如き作品、天上の凱歌と神々の祝福を観る者に体験させてしまう作品、それが映画『Happy New Year』なのです。

なおDVDはあんまり画質がよくないので観るときは絶対Blu-rayを購入することをお薦めします。ってか劇場で観たいからさっさと日本公開しなよ!

D

20150402(Thu)

[][]アジャイ・デーヴガンが演じるウルトラスーパーバイオレンス・ガイが暴れ狂うマサラアクションムービー『Action Jackson』! アジャイ・デーヴガンが演じるウルトラスーパーバイオレンス・ガイが暴れ狂うマサラアクションムービー『Action Jackson』!を含むブックマーク アジャイ・デーヴガンが演じるウルトラスーパーバイオレンス・ガイが暴れ狂うマサラアクションムービー『Action Jackson』!のブックマークコメント

■Action Jackson (監督:プラブーデーヴァ 2014年インド映画)

f:id:globalhead:20150326135958j:image

AJ!AJ!
三白眼に口髭のむさ苦しい伊達男、アジャイ・デーヴガン!
その彼が『Singham』に続き再びウルトラスーパーバイオレンス・ガイを演じる!
その名は『Action Jackson』!
憤怒の表情に鋼鉄の剛腕!両手に握るは日本刀!
AJにたてつく者は地獄で後悔するがいい!
AJ!AJ!ヤツの名はAJ!

インド映画一バイオレンスとターバンの似合う男アジャイ・デーヴガン。というかオレがバイオレンスとターバン以外のアジャイ映画を観たことが無いからかもしれないが(コメディもちょっと観ました)。そのアジャイが2014年、『Singham Returns』に続いて出演したマサラアクションムービー大作がこの『Action Jackson』だ。『Action Jackson』…ゴロはいいが何も考えて無さそうなタイトルである。しかし何も考えて無くても少しも構わないのである。むしろ何も考えて欲しくない…そしてそれを観るオレのほうも何も考えたくない…オレがアジャイ映画に期待するのはグタグダした理屈だのベチャベチャした情緒だのではなく、パキッとカリッとクリスピーにハジケきった軽快なアクションだからである。

『Action Jackson』の物語は、物凄く大雑把に言うとアジャイ扮する苦み走ったバイオンス・ガイが、凶悪なマフィアの軍団を叩き潰す、といったものである。実はもうちょっとアレコレあるのだけれども、煎じ詰めればそういうことなのである。監督はコレオグラファーであり映画監督としても『Rowdy Rathore』、『R...Rajkumar』でガッツンガッツン激しいアクションをキメてくれたプラブーデーヴァ。スマートで踊りも巧い伊達男のくせに泥臭いアクション映画撮らせてもスゴイ、とは卑怯な男である。このプラブーデーヴァとアジャイがタッグを組み、新たなアクション・ヒーローA.J.を生み出したという訳である。さらにヒロインはソーナークシー・シンハー。『ダバング 大胆不敵』ではサルマーン・カーンと、『Rowdy Rathore』ではアクシャイ・クマールと、そして今作ではアジャイと、もう【暴れん坊キャラのガールフレンド】といえばこの人しかいないッ!!という鉄板ヒロインではないか。

さてあんまり物語の内容を説明しなかったのには訳があって、何か書くとネタバレしそうだったからである。物凄いネタ、というわけではないが、オレは途中で「おおそういう話だったのか!」とびっくりしたからである。しかし別の方の感想を読んだら「普通に最初からわかる」といったことが書かれていて自分自身の理解力に著しく不安を持ったのも確かである。まあちょっと書くと同じプラブーデーヴァ監督の『Rowdy Rathore』と若干構造的に似ているかもしれない。プラブーデーヴァ、意外と芸の無いヤツなのかもしれない。まあしかし象を助けに行くアクション映画にばかり出ているトニー・ジャーというタイ人俳優もいるぐらいだから、アクション映画のストーリーに小賢しい小手先の芸なんかいらないんだよッ!ということでいいのかもしれない。いやそういうことにしておこう。

そしてメインとなるアクションが、惚れ惚れするぐらい馬鹿馬鹿しくていい。インドのアクション映画は馬鹿馬鹿しくてナンボ。笑って観られるアクション映画、それがマサラアクションムービーの醍醐味である。アジャイが地球の重力を完全に無視した空中殺法を繰り出すのは当たり前、やられた敵が慣性の法則を無視してぶっ飛んでゆくのも当たり前なのである。アイザック・ニュートン先生がこの映画を観たら高熱を出して臥せってしまうこと必至であり、万有引力の法則も発見されなかったかもしれないぐらいである。しかしここまでならマサラアクションムービーとしてはまだ普通。後半ではなんと二刀流に日本刀を構えたアジャイが障子張りの部屋でザックザックと敵をぶった切ってゆく超展開が待ち構えているのである。さらにBGMは尺八だ…。このあたかもタランティーノ映画の如き何か勘違いしてるジャポネスクが愉快で楽しくて堪らない。ああ…アホアホやん…この段階で既に映画『Action Jackson』は2014年を代表するヒンディー映画に決定したのである。

このアホアホぶりを加速させるのがアジャイの敵となるマフィア軍団だ。ザコキャラは全員赤いスーツ着用、そのザコキャラを率いるのがプロレスラーみたいな巨漢の不細工な顔したキャラだ。この段階で既にショッカーの怪人と戦闘員である。そしてマフィアのドンとなる男は骸骨みたいな禿げ頭にゴルバチョフ書記長の如くベーコンを乗っけ、さらに片目が銀色の光彩をした義眼的ななにかである。まあいわゆるショッカー幹部である。そしてアジャイに横恋慕かました挙句振り向かないアジャイを亡き者にせんとするドンの娘が適度に気の狂ったメンヘラキャラで、これがインド映画では珍しい種類のイカレ具合を見せていて新鮮なのだ。演じているのはマナスヴィー・マムガイという女優だが今後が楽しみである。こんな具合に馬鹿馬鹿しいアクションとコミック乗りの悪役、そしてアジャイの三白眼に眉間の皺と、愉快なものだらけで構成されたマサラアクションムービー『Action Jackson』、評論家の評価は低いようだがだからこそ信用できる傑作である。

D

20150401(Wed)

[][]自然体なディーピカー・パードゥコーンがとっても素敵なロードムービー『Finding Fanny』 自然体なディーピカー・パードゥコーンがとっても素敵なロードムービー『Finding Fanny』を含むブックマーク 自然体なディーピカー・パードゥコーンがとっても素敵なロードムービー『Finding Fanny』のブックマークコメント

■Finding Fanny (監督:ホーミー・アダジャーニヤー 2014年インド映画)

f:id:globalhead:20150316113202j:image

返還された手紙をきっかけに、大昔の恋人の元を訪ねようとする老人と、その知り合いの老若男女とが織りなす奇妙なひと時を描いたのがこの『Finding Fanny』です。主演がディーピカー・パードゥコーン、そのお相手役にアルジュン・カプール。不憫な老人役を『Ishqiya』のナスィールッディーン・シャーが演じております。ちなみにこの作品、ヒンディー語版と英語版があってそれぞれ編集が違うそうですが、自分はヒンディー語版を観てみました。

《物語》インド西海岸、風光明媚で知られるゴアの小さな町。ここに住む老人ファーディ(ナスィールッディーン・シャー)は投函された手紙に驚愕します。なんとそれは47年前に恋人に出したプロポーズの手紙。返事が無いから断られたと思っていたら、そもそも届いてすらいなかったは…悲嘆に暮れるファーディでしたが、その恋人が今どうやって過ごしているのか訪ねてみようと決心します。彼は知り合いのアンジー(ディーピカー・パードゥコーン)にそれを打ち明け、さらに整備工のサヴィオ(アルジュン・カプール)、変わり者の老人ロージーとドン・ペドロを引き連れて、かつての恋人探しの旅に出掛けるのです。

この作品の見所はまず、舞台となるゴアの豊かな自然と明るい陽光、開放的な家々の佇まいでしょう。リゾート地としても知られるゴアはあたかも南欧を思わせるような柔らかな色彩と爽やかさに満ち溢れ、このロケーションを眺めるだけでも心が和らぎます。最近日本公開された『インド・オブ・ザ・デッド』もゴアが舞台でしたね。こんなゴアの土地で繰り広げられる物語もどこかゆるくてノホホンとしたお気楽さを醸し出しています。

もう一つの見所はなんといっても主演であり語り部であるディーピカー・パードゥコーン様の美しさでありましょう。今回のディーピカー様はどこにでもいる町娘といった風情で、その伸び伸びとした自然体の健やかさは、これまでのディーピカー様主演作品とはまた違う非常にリラックスした演技を見せ、ディーピカー様の新たな魅力を引き出しております。もう薄物着てシャナリシャナリ歩いているディーピカー様の素敵さといったらありません。オレは映画の間中ディーピカー様の肩甲骨とか二の腕とかふくらはぎとか顎の下のぷっくりした脂肪とかお臍のあたりとか存分に眺め回しておりました(なんかヤラシイ書き方でスマン…)。というかこの作品、ある意味ディーピカー様のアイドル映画、イメージビデオといってもいいぐらいディーピカー様の美しさを存分に堪能できる作品として仕上がっているのですよ。

それとこの映画、なんとランヴィール・シンがチョイ役で出演しているんです。ディーピカー様とランヴィール・シンといえば、そう!あの『ラムリーラ』でのコンビじゃないですか!『ラムリーラ』の素晴らしさでインド映画にハマったオレとしては結構盛り上がりましたね。しかも今回のランヴィール・シン、ディーピカー様と結婚したのはいいけど結婚式で食ったウェディングケーキを喉に詰まらせてさっさと死んじゃう!というしょーもない役回りで、「ランヴィール・シンらしいアホアホぶりだよな…」と妙に納得しておりました。

実はこの物語、さっさと死んじゃうランヴィール・シンに代表されるように、どことなく不条理でブラックなユーモアがそこここに横溢しているのも特徴です。そしてそれがドタバタではなくどこか淡々と描かれてゆくのです。物語には特に事件らしい事件は起こらず、車で旅を続ける老若男女の心に去来するちょっとした変化が描かれる程度ですが、この「特筆すべきことがなにも起こらないまま淡々と語られてゆく乾いた抒情」からはどこかジム・ジャームッシュ映画を思わせるような匂いを感じました。ただ逆に、その淡白さと事件の無さが退屈に感じられる部分があるのも否めず、この辺は好みが分かれる作品ではないかと思いましたね。ま、その辺はディーピカー様の美しさに免じて勘弁してあげればよろしいんじゃないでしょうか。

D