Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20150530(Sat)

globalhead2015-05-30

[]そういえば歯医者の通院が終わってた、そして歯医者で怪我をした。 そういえば歯医者の通院が終わってた、そして歯医者で怪我をした。 を含むブックマーク そういえば歯医者の通院が終わってた、そして歯医者で怪我をした。 のブックマークコメント

そういえば1年弱通っていた歯医者の通院が終わっていた(3週間ぐらい前?)。前歯の差し歯を都合3本直した。他にもガタの来た歯を見つけられて2,3本直したかな。毎週日曜日のお昼に通っていた。これだけ通っていても担当医も助手の人も、たいてい後ろに立っているか自分の顔がタオルで覆われているかで見ておらず、顔を全然覚えていない。この病院で顔を覚えているのは受付の人だけだろうか?

最終日、治療用の椅子に座ろうと腰をかがめたら、椅子の横にあったパイプ型のハンガーの角に思いっきり額を突っ込み怪我をするという思わぬ事故に遭った。詳しく説明すると、まずハンガー立てにハンガーがかけられていますよね。そのハンガーの片方の端が壁に接しており、そのもう片方のハンガーの尖った端に頭から突っ込んでいったような形になってしまったわけですよ。言ってみれば壁から突き出したパイプに正面から頭を突っ込んだ、といった感じでしょうか。

いやー、額だから血ィ出る出る。びっくりするほど出る。実は額は大昔一回怪我したことがあるので(何針か縫った怪我で、今でも額に傷がある。自分ではこっそり『愛と誠』のタイガマコトだと思ってる)、血が沢山出るのは知っていたから特に慌てなかったが、周りはびっくりしただろうな。そんなわけで歯科医院に行って歯医者の先生に額に絆創膏を貼ってもらえる、という地味だが普通はあり得ない体験をしたのである。

こういうのってハンガーの場所ガーとか言い出す人とかいるのかもしれないけど、ホント偶然たまたま在り得ないはずのアクシデントに遭っちゃった、というわけで、病院を攻めちゃアカンと思う。オレがどんくさかっただけのことである。帰りに院長先生らしき人が出てきて治療費発生したら請求してくださいと頭を下げていたが、言ってくれるだけありがたい。お騒がせしてすいません。

傷はパイプ型ハンガーの側面ということで丸くて、なんかパンチで穴を開けられたような形。さすがに額に絆創膏の格好はちょっと恥ずかしかったので、外に出るときは帽子を被っていた。傷は一週間ぐらいで塞がり、絆創膏をしなくて済むようになった。まだ跡は残っているけどたいした気にはしていない。それにしても相方さんが面白がって写真を撮らせろとうるさかったので撮らせたが、なぜなんだ。

しかしこんなふうに額が傷だらけのオレって、いったいどこの悪役プロレスラーなんだ。

20150529(Fri)

[][]辺境の地を訪れた男女を襲う暴力の恐怖〜映画『NH10』 辺境の地を訪れた男女を襲う暴力の恐怖〜映画『NH10』を含むブックマーク 辺境の地を訪れた男女を襲う暴力の恐怖〜映画『NH10』のブックマークコメント

■NH10 (監督:ナヴディープ・シン 2015年インド映画)

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「NH10」とはインドの国道10号線(National Highway 10)を指し、それはデリーから始まりインド北部パキスタン国境近くのパンジャーブ州ファジルカまで続く403キロの道路である。映画『NH10』は旅行に出掛けていたカップルがこの国道10号線で出遭った恐ろしい出来事を描くサスペンス・スリラーだ。主演は映画『pk』への出演で今乗りに乗っているアヌシュカー・シャルマー、共演はニール・ブーパラム。

《物語》都会で暮らすミーラー(アヌシュカー・シャルマー)とアルジュン(ニール・ブーパラム)の夫婦は休暇を利用して車の旅に出ていた。彼らは途中立ち寄った食堂で若いカップルが男たちに暴行を受け車で連れ去られるのを目撃する。止めに入ろうとして殴打されたアルジュンは腹の虫が収まらず、ミーラーの制止も聞かずに男たちの車を尾行する。そして今まさに殺害されようとしているカップルを発見するが、ミーラーたちは姿を見られてしまい、しかも車は使えなくなっていた。怒り狂う男たちに追跡され、ミーラーとアルジュンはどことも知れぬ土地を逃げ惑い続ける。

安全で快適な都会を一歩離れ、辺境へと車で訪れた男女が、文明果つるかのようなその土地に住まう者たちによって、暴虐と死の恐怖にさらされる。これは『悪魔のいけにえ』をはじめとするアメリカのスラッシャー・ホラー作品の常套的なプロットではないか。こういったプロットを持つスラッシャー作品の本質にあるのは都市部と地方との乖離だが、それは都市部の文明化に置き去りにされたその土地ないし集落に特有の不合理な因習や習俗に負う部分が大きいだろう。それはある種の【野蛮さ】だ。文明化された暮らしに慣れ親しんでしまった者にとってその野蛮さは恐怖へと繋がるだろう。そしてそれは暴力性のみならず対話や理解が一切不能であるという恐怖であり、しかもそれが、自国内に存在しているという不気味さでもあるのだ。

インドのホラー映画は殆ど観ていないので分からないが、このようなプロットを持つ作品が作られ、しかもそれが有名女優を主演に据え製作される、というのはインド映画では案外と珍しいのかもしれない。都市部に住むインド人が、僻地の集落に住まうインド人の野蛮さと暴力にさらされる、というストーリーは、彼らがその国内に内包する野蛮さへの忌避と嫌悪を娯楽作品としてあからさまに映像化したことに他ならないのではないか。その野蛮さは、単に頭の弱い野卑な田舎者どもが暴虐を振るうといったものではない。ではその忌避と嫌悪の対象となったインドの野蛮さとはいったいなんだったのか。それは「名誉の殺人」と呼ばれる行為である。

劇中「アンベードカル」の名前や「マヌ法典」といった単語が出てくる。ビームラーオ・アンベードカル博士はインドの政治家、思想家であり、インド憲法の草案作成者であると同時に、反カースト(不可触賎民〈ダリット〉改革)運動の指導者でもある。「マヌ法典」は紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられている聖典だが、アンベードカル博士はそのマヌ法典が不可触民への過酷な扱いへの大きな根拠になっていると考え焚書した*1。しかし物語ではアンベードカル博士の起草したインド憲法など手の届かず、むしろマヌ法典定める厳格なカースト制度を支持する者たちの住むコロニーが登場し、そこでカーストを無視した男女同士の関係を家族が死によって購わせる決まりがあることが描かれるのだ。これは「名誉の殺人」と呼ばれるもので、女性の婚前・婚外交渉(強姦の被害による処女の喪失も含む)を女性本人のみならず「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。インドの名誉殺人の犠牲者数は年間数百〜千人ともいわれている*2

物語は前半、主人公らが迂闊に暴漢どもに接近してゆく描写、どことなく愚鈍そうなその暴漢、典型的すぎるスラッシャー・ホラー展開など、このジャンルが好きなすれっからしのホラー・ファンだったら凡庸に感じるかもしれない。実際オレもそうだったが、しかし一般の方ならインド映画らしからぬ異様な雰囲気に固唾を飲んで見守ることになるだろう。そしてどんどんと追い詰められてゆく主人公、警官すら手を出せない治外法権の中にある村落、そしてインドのある種の現実がそもそもの発端であることが明るみになるにつれ、単なるスラッシャー作品にはない重さと凄みが増してくるのだ。クライマックスの凄惨さはホラー映画ファンでも溜飲が下がるだろう。まあホラーではなくサスペンスなのだが、ホラーと言ってしまいたくなるような暗闇がこの物語にはある。

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20150528(Thu)

[][]妻子を殺された男の復讐の行方〜映画『Badlapur』 妻子を殺された男の復讐の行方〜映画『Badlapur』を含むブックマーク 妻子を殺された男の復讐の行方〜映画『Badlapur』のブックマークコメント

■Badlapur (監督:シュリーラーム・ラーガヴァン 2015年インド映画)

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この『Badlapur』は銀行強盗犯により妻子の命を奪われた男が15年の時を経て復讐へと動き出す、という物語だ。主演は『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』『Main Tera Hero』のヴァルン・ダワンが演じ、新境地を開く。また『めぐり逢わせのお弁当』『女神は二度微笑む』のナワーズッディーン・シッディーキーが卑屈な悪党を好演している。

《物語》幸福だった筈のラグー(ヴァルン・ダワン)の人生は一瞬にして砕かれた。買い物に出ていた妻ミーシャー(ヤーミー・ゴウタム)と息子ロビンは乗っていた車を二人の銀行強盗犯に強奪され、その挙句命を落としてしまったのだ。警察は犯人の内の一人リヤーク(ナワーズッディーン・シッディーキー)を捕えるものの、もう一人は取り逃がす。リヤークは自分は運転手でしかなく、ラグーの妻子を殺したのはもう一人の男で、その男の素性も知らないと主張し、懲役20年の刑を宣告される。それから15年の月日が流れ、癌に犯されたラグーは仮出所することになる。そしてこの時、15年間怨念の炎を燃やし続けたラグーの復讐の火蓋が切って落とされるのだ。

洋の東西を問わず、復讐のドラマは最もアンモラルな喜びを呼び起こすフィクション・テーマだろう。復讐に至る理由が痛切であればあるほど、その方法が完膚無きものであればあるほど、そのドラマは怒涛のように盛り上がる。インド映画でもこれら復讐の物語はお馴染みではあるが、最近このスタイルに疑問を投げかけるような作品が登場した。それはモーヒト・スーリー監督による映画『Ek Villain』(2014)だ。『Ek Villain』は復讐の物語でありながら、そこに「相手に赦しを与える余地はないのか」という疑問を投げかける。それは同時に「悪に赦しは必要なのか」という問いかけでもある。これは別に「善悪の彼岸」を論じるものなのではなく、単に復讐のドラマの変化球としての脚色なのだろうが、それでも物語に格別のひねりを与えていた。そして今回また新たに「復讐のドラマ」に疑問を投げ掛けた作品がこの『Badlapur』だ。

『Badlapur』が復讐のドラマであることに間違いはない。妻子を殺され絶望の淵に立たされた男ラグーが、犯人の一人リヤークが仮出所した15年後に復讐を開始する。ラグーのターゲットはリヤークだけではなく、15年間姿を隠したままのもう一人の犯人をも含まれる。15年間口をつぐみ続けたラグーの最初の接触相手は盗んだ大金を持っているもう一人の男だろう。こうしてラグーはその男の居場所を割り出し、遂に復讐計画の実行へと移るのだ。ここから物語は冷徹なバイオレンスの世界へと突入するのだが、しかし物語が進行するにつれ主人公ラグーの報復手段が次第に苛烈さを増し、陰惨なものへと化してゆくのである。実際の所観ているオレなどは陰惨であればあるほど盛り上がりまくる類の人間なのだが、そのオレをして「意外と徹底的にやっちゃってるねこいつ…?」と感心するぐらいなのだ。

一方ナワーズッディーン・シッディーキー演じるリヤークの小悪党ぶりにもニヤリとさせられるものがある。ラグーの妻子を死に追いやったのは実際はリヤークなのだが、彼はそれを警察にもラグーにも知られていない。ラグーは妻子を殺したのはもう一方の犯人だと思い込み復讐へと向かう。要するに相手を間違っているわけで、物語はここで「復讐とはそもそも正しいのか」を示唆する。けれども、復讐鬼と化したラグーにとってはどの道全員葬り去る気満々だろうから、オレは単なる誤差でしかないと思えた。ここで死期間近のリヤークが悔悛を見せるのかどうかも物語のポイントとなり、シナリオが「赦しの是非」というテーマを物語にもたらす。ただしそれは理解できたが、どの道15年も燻り続けてきた怨念が簡単に覆るわけもない。そんな部分で、テーマにしたかったであろうものの訴えかけ方が若干弱く感じた。それよりも「ハンマー?また韓国映画の影響かな?」とかそっちのほうに興味を持った。2015年のインド・サスペンス映画はどこか韓国映画のリアリズム(実はあまり好きではない)に傾倒している部分を感じるのだ。

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20150527(Wed)

[][]幼女誘拐事件を巡る深い闇〜映画『Ugly』 幼女誘拐事件を巡る深い闇〜映画『Ugly』を含むブックマーク 幼女誘拐事件を巡る深い闇〜映画『Ugly』のブックマークコメント

■Ugly (監督:アヌラーグ・カシュヤプ 2014年インド映画)

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映画『Ugly』は『Gangs of Wasseypur』『Dev.D』のアヌラーグ・カシュヤプによる監督作品だ。カシュヤプ監督はボリウッド屈指のストーリーテラーと呼ばれているそうだが、この『Ugly』は幼女誘拐事件を中心に、人間たちのどろどろとした心情を浮かび上がらせてゆくノワール作品となっている。

物語は売れない俳優ラーフルラーフル・バット)が長年の付き合いであるエージェントのチャイタニア(ヴィニート・クマール・シン)との打ち合わせに車で向かう所から始まる。車には離婚した妻シャリニとの10歳の娘カーリーが乗っていた。しかしそのカーリーが行方不明となり、ラーフルとチャイタニアはその近くでカーリーのスマートフォンを持っていた男を追跡するが、男は逃走の未、車にはねられて惨死する。警察に行くラーフルだったが、警官たちはからかうばかりで事件をまともに取らない。やっと現れた警察署長ボズ(ロニット・ロイ)はしかし、ラーフルにひたすら冷酷に対応する。なんとボズはシャリニの再婚相手だったのだ。その陰で、チャイタニアは事件を利用して犯人に成り済まし、身代金を奪おうと画策し始めていた。

誘拐事件とその被害者、そして犯人を追う警察官、というドラマは幾らでもあるが、この『Ugly』では被害者である筈の者たち、さらに正義の側にいる筈の警察官もまた、その心に言い知れぬ暗い情念を抱えている。この物語の中心となる者たちは誰もが真っ当に描かれない。確かに主人公ラーフルは娘の行方を必死になって探すけれども、別れた妻と再婚相手である警察署長の間で常にわだかまりをたぎらせている。警察署長ボズは自らの職務を的確に遂行してゆくけれども、権力志向が強くいつも目つきは虚ろで、妻の電話通話を常に盗聴している猜疑心の強い男だ。その妻シャリニは鬱病でアルコール漬けとなっており、自殺を願っている。チャイタニアは友人である筈のラーフルの事件を利用して濡れ手に粟を狙っている始末なのだ。

こうして『Ugly』はそのタイトル「醜さ」そのままに、幼女誘拐事件を中心としながらその周りにいる者たちの醜く歪んだ内面を描き出す。物語は誘拐事件の真犯人が浮かび上がらないまま、それに関わる者が沼地を這いずり回るかのように汚濁と虚無の中を彷徨う姿が描かれてゆく。ある意味これはひとつの【地獄】についての物語である。そのあまりの暗さ、救いようの無さ、遣り切れなさは、内容や完成度こそ違いはあれ、ハリウッド映画『セブン』や『悪の法則』に通じるものを感じた。特にこの『Ugly』において事件の7日間の流れを曜日を表示させながら区切って見せてゆく演出方法は、映画『セブン』における7日間の演出と酷似しており、これははっきりと意識したものである言い切って構わないだろう。『セブン』『悪の法則』はキリスト教的な【原罪】の中から神無き世界を描こうとしたが、そういった部分で、映画『Ugly』もまた、神無き世界を描いた作品だということもできるのだ。

それにしてもこのインド映画らしからぬ寒々とした陰鬱さと救いようの無さは何なのだろう。この作品は実際には2013年に完成しカンヌのフィルム・アワードで一度公開されており、その後2014年暮れにインドで一般公開されたのだが、当時のインド映画の潮流から見てもどうにもピースのはまる箇所の見られない鬼っ子の様な作品だ。ある意味野心的ともいえる作品なのだが、例えばこの映画はインド映画ファンしか知らないだろうし観ることの無い映画であるにもかかわらず、インド映画ファンにはあまり好かれないけれどもインド映画に興味の無い一般的なノワール映画ファンなら大いに受け入れられる作品であるとも思えるのだ。これはもうアヌラーグ・カシュヤプ監督のストーリーテリングがどこかで突き抜けてしまった作品としか言いようがないだろう。後味の相当の悪さも含めて問題作だろう。

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20150526(Tue)

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■ベアゲルター(2) / 沙村広明

ベアゲルター(2) (シリウスKC)

ベアゲルター(2) (シリウスKC)

ウオオン!沙村広明の『ベアゲルター』2巻がやっと発売だ!1巻目から2年も待たされたよ!『ベアゲルター』は昭和任侠にバイオレンス映画の要素を盛り込んで現代に蘇らせたようなお話で、ぶっちゃけ『キル・ビル』のあの雰囲気を日本を舞台にやっちゃいました!ってな感じの作品なんだよね。作者は「中2テイスト任侠活劇」とも言っていたな。なにしろ主役となる3人の女が一癖も二癖もある連中ばかり、一人は日本人のいわゆる"ズべ公"(まあここは意外と普通)、一人はロシア人で隻眼義手の殺し屋、一人は拳銃の仕込んだヌンチャク(!!)を操る中国人格闘家、とまあ狙い過ぎで嬉しくなっちゃうようなキャラなんだよね。で、1作目は日本のどこかにある"売春島"を舞台にヤクザ絡みの死闘がド派手に演じられるわけだが、どうも背後にとんでもない設定らしきものが見え隠れしていたんだよ。で、この2巻でその物語の核心となるものが描かれるのだけれども、これがもう世界規模で繰り広げられる不気味な陰謀ってェヤツで、物語世界がいきなり広がっちゃうんだよ。同時に3人の女もキャラクターを掘り下げていっていて、これがまた物語をより面白くしているんだね。さらに作者の好みらしいエロ要素も満載、いやもうこれはとんでもなく快作だなあ。問題は次の巻もまた2年も待たされるの?ということなんだが…。

■西遊妖猿伝 西域篇(6) / 諸星大二郎

西遊妖猿伝 西域篇(6) (モーニング KC)

西遊妖猿伝 西域篇(6) (モーニング KC)

ウオオン!いつの間に出てたんだ『西遊妖猿伝 西域篇』第6巻…。アマゾンでも品切れだったから本屋探し回っちゃったよ…。さて今回の第6巻、ひょっとしたら『西域篇』最大の盛り上がりを見せるんじゃなかってぐらいの展開を見せてるんですよ。孫悟空と二人の仲間の都合3人と、追撃隊の騎兵200騎との大立ち回りが演じられるんですね。3対200の数の差がありながら、地の利を生かした策略でもって敵兵を次々に倒してゆく悟空と仲間たち、諸星さんこんなにアクション展開巧かったっけ?と思っちゃうほど盛り上がりまくるんですよ。そして作者十八番のグヂャドロなオカルト展開もガッツリ見せてくれます!さらにこの8巻では外伝版の『逆遊奇談』が収録されているんですが、これがオカルト密室殺人事件てな風情の作品で、諸星さんこんなのも描けたのか!?と驚いちゃうような佳作でしたよ。

■あもくん / 諸星大二郎

あもくん (単行本コミックス)

あもくん (単行本コミックス)

ウオウオオン!(くどい)諸星大二郎の短編作品集なんていつの間に発売されてたんだあ!どこの書店も品切れでしばらく探し回ったぞう!…というわけでこの『あもくん』なんですが、怪談専門誌「幽」において2004年から10年以上連載していたものをまためた作品集となっております。内容はある男の平凡な日常に起こる奇妙な出来事を描いたものなんですが、諸星さんらしい少しボヤッ…とした日常が、夢かうつつか…といった不気味な雰囲気を醸し出しているんですね。ただどうも本当に日常のちょっとしたことからの思いつきで作られていて、「後ろに誰かがいるような…」といった似たような話が多いんですよねえ。その辺ちょっと物足りなかったなあ。むしろ最後に収められている、自分の子供に語って聞かせたというお話をまとめた短編小説集「ベッドサイド・ストーリー」のほうがみるものがありました。

■エリア51(10) / 久正人

エリア51  10 (BUNCH COMICS)

エリア51 10 (BUNCH COMICS)

「エリア51全体を吹き飛ばすというサトリの少女・ネモリを殺すため、アメリカ軍は、エリア51全住民を避難させ、あることを行おうとするが…?」という今回の『エリア51』、「全てを予知するサトリをどう殺すのか?」という命題に主人公マッコイが挑みます。なぜエリア51が崩壊しちゃうのか?という理由はちょっと強引過ぎる様な気もしましたが、今回も面白かったからまあいいや。 "サトリ事件"終結後、さらに幾つかのエピソードも収められております。

■フォービリオンナイツ 久正人傑作短編集 / 久正人

久正人の未発表初期作も含む3編が収録された短編集。実は作者の初期長編『グレイトフルデッド』が個人的にイマイチだったので2001年の初期作2作「或る仇討の話」「カマイタチの日」は若干心配もあったが、どうしてどうして手堅くまとまっており楽しめた。「或る仇討の話」はちょっと『キックアス』入っているしね。そして2009年作「フォービリオン・ナイツ」、これが実に面白い!"科学博物館分館剪定課"なる架空の秘密部署が挑むのは日本の妖怪!という展開がイカス。なにしろ主人公となる女性自衛隊員"上木三曹"の高い身体能力と特殊装備は萌えポイントが実に高い。設定も実に練られたもので、これを新たな久正人の連載作品にするべきだ!とも思ったが、実はその連載がぽしゃった作品だというのが残念無念。

ヒストリエ(9) / 岩明均

ヒストリエ(9) (アフタヌーンKC)

ヒストリエ(9) (アフタヌーンKC)

岩明均が好きなので『ヒストリエ』もこの9巻まで読み通しているが、オレが歴史的知識に欠けるせいかどうも物語をよく理解していない気がする…そして新刊が出るたびにそれまでの話を一切忘れている上に前巻読み直さないので何が起こってるのかよく分かっていない…。

いとしのムーコ(7) / みずしな孝之

いとしのムーコ(7) (イブニングKC)

いとしのムーコ(7) (イブニングKC)

食って寝て遊ぶ。動物はシンプルでいい。そのシンプルさに触れることで人間は安心するんだろうな。しかし犬のムーコは動きも表情も豊かだしたまにする失敗も可笑しかったりするけど、オレの好きな動物であるカピバラなんてジャレないし無表情だしじっとしているばかりだもんなあ。でもあの「ぬー…ん」としたとこがいいんだよなあ。

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20150525(Mon)

[]聖書物語としての『チャッピー』 聖書物語としての『チャッピー』を含むブックマーク 聖書物語としての『チャッピー』のブックマークコメント

■チャッピー (監督:ニール・ブロムカンプ 2015年アメリカ映画)

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■良くも悪くもニール・ブロムカンプ映画

ニール・ブロムカンプの最新SF映画『チャッピー』、実は最初あんまり観に行く気がしなくてね。だって自意識持ったロボットだのAIとかいうテーマってもう食傷気味でさあ。ってか、自意識持ってなんかいいことあんのか?ニール・ブロムカンプの映画自体『第9地区』はそのアレゴリーの在り方が面白かったけど『エリジウム』はその二番煎じだったし、全体的にシナリオが乱暴だなあ、と思えて監督自身への期待度が薄まってきてたんですよ。とか言いつつ暇だったんでプラプラと劇場に行ったんですが、なんでしょう、良い意味でも悪い意味でもやっぱりブロムカンプらしい作品でしたね。

舞台は例によって近未来の南アフリカ・ヨハネスブルグで、例によって治安が悪くてたちの悪いチンピラがいて、例によって汚れたデザインの機械やら武器が登場してドンパチやりまくる、というわけなんですな。若くして伝統芸の領域と言いますか他に芸が無いと言いますか、まあしかしそういった部分のビジュアルや世界観はそんなには嫌いじゃないんですよ。凄いとは思わないけど独特でね。ただどうも今回もシナリオが乱暴だし、SF作品ばっかり作ってる割にSF設定が杜撰で推敲が全然足りないんですよ。ホントにブロムカンプってSF好きなの?で、今回は「意識を持ったロボット」ということなんですけどね、そもそも意識とは何か?とか、AIはどのようにして自意識を持つのか?とか、それについてどのようなテクノロジーが必要か?ということは正直すっとばしてます。実の所娯楽映画でそれやる必要はありません。ただ、やらないならやらないで、少なくとももうちょっと上手く嘘ついて欲しい、と思うんです。

以下ストーリーに触れてます。

■ここが変だよ映画『チャッピー』

どのようにしてか自意識を持ったAIを開発したエンジニアのデオン(デーヴ・パテール)ですが、上司のミシェル(シガニー・ウィーバー)は「そんなもんいらん」と突っぱねます。いやちょっと待てよ、「自意識を持ったAI」で結構ビジネスチャンスありそうなんですけど…。デオンもデオンで、そんな無能な上司のいる会社辞めてその技術どっかに持ってけよ。諦めきれないデオンは会社のスクラップ・ロボットを勝手に持ちだしてそのロボットに自意識なるものをアップデートします。管理の杜撰な会社です。その後デオンは武器持ちだしたりもします。管理の杜撰な会社です。ヨハネスブルグ・クオリティーなのでしょうか。

しかしそのロボットもろともギャングに拉致されるデオン!このギャングの連中が実に低能っぽくてこの映画で唯一心を和ませます。デオンもデオンで解放されたにもかかわらず「チャッピーをちゃんと見守りたい!」とか言ってギャングのアジトに足げく通います。この辺の頓珍漢さは結構好きです。あとチャッピーとギャングのやり取りも可笑しくて好きでした。その自意識だかをアップデートされたロボット「チャッピー」はなぜかナヨッとしています。女の子という設定なのでしょうか。ゲイなのでしょうか。一方同僚のヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)は自分の開発した『ロボコップ』のED209そっくりのマシンがボツにされたことに腹を立て、ある乱暴な計画をおっぱじめます。いやーもうこの動機と計画がなにしろ乱雑で、「バカなの?死ぬの?」としみじみ思えたぐらいです。後先考えなさすぎだなお前?

この後展開されるドンパチは結構盛り上がってくれます。口半開きにして安心して観ていられます。しかし「意識の転送」についてのくだりはいただけません。「意識ってよくわかってないから転送なんかできないぞ」というデオンにチャッピーは「やってみたらでけた」とか言ってるわけです。なんじゃそりゃって感じなんですが。その後も「意識」をノートパソコンのHDに保存したりさらにフラッシュメモリに転送したり、さらにケーブル繋いであっという間にダウンロードしたり、「いやちょっと待て、意識のデータ量ってその程度のものなのか!?」と頭がぐらぐらする描写が目白押しです。いやきっとあれは量子コンピューターが実現された未来におけるペタ単位のデータストレージで、デバイス間の転送速度も天文学的数字なのに違いない…いやきっとそうなんだ!と思い込むことで納得することにしました。そういう所の描写、もうちょっときちんと頼むよ…(涙目)。

■聖書物語としての『チャッピー』

気を取り直して「自意識を持ったロボット」というものを考えてみましょう。「創造主(人間)」と「被造物(ロボット)」との意識を巡る物語は「創造主(神)」と「被造物(人間)」を巡る旧約聖書的な物語として読み替えられます。この場合「自意識を持ったロボット」とは知恵の実を食べたアダム、イヴということになります。自意識とは知恵の実だったんですね。さらにチャッピーには「劣化によりチャージできないバッテリー」という【寿命】が設けられています。キリスト教において寿命、そして死とは神の国から追放されたものの背負う永遠の罰です。しかしそうした限られた寿命を持った「意識」がそれを別の体に転送することで【永遠のいのち】を得る。これもまたキリスト教の教義に似ていますよね。

つまりこの作品は「チャッピー/被造物」が「自意識」という知恵の実を食べたばかりに単純なオートマトンであることの楽園を追放され、限られた命という罰を受けながら、最終的に【永遠のいのち】を得る、という物語だったんですよ。この【永遠のいのち】は創造主である「神/人間」との対話から生まれたものであり、そしてヴィンセントのロボットという「悪/悪魔」を退けることによって成立しているんです。こうして映画『チャッピー』はヨハネスブルグでギャングとドンパチやるロボット物語に見えながら、実は相当にキリスト教思想の濃厚な物語であるともいえるんですよ。そしてロボットと意識を巡る物語は、そういった部分に帰結する物語である、といえるのかもしれません。

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第9地区 [Blu-ray]

第9地区 [Blu-ray]

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20150522(Fri)

[][]呪われた運命に翻弄されるある家族の物語〜映画『Qissa: The Tale of a Lonely Ghost』 呪われた運命に翻弄されるある家族の物語〜映画『Qissa: The Tale of a Lonely Ghost』を含むブックマーク 呪われた運命に翻弄されるある家族の物語〜映画『Qissa: The Tale of a Lonely Ghost』のブックマークコメント

■Qissa: The Tale of a Lonely Ghost (監督:アナップ・シン 2015年インド/ドイツ/フランス/オランダ映画)

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1947年のインド・パキスタン分離独立を背景に、パンジャーブ地方に暮らすある家族が辿る呪われた運命を描いた作品がこの『Qissa: The Tale of a Lonely Ghost』だ。主演は『めぐり逢わせのお弁当』『ライフ・オブ・パイ』のイルファン・カーン。監督はタンザニア生まれでスイス・ジュネーブを中心に活動するインディペンデント映画作家アナップ・シン。映画はパンジャーブ語で製作され、2013年にTIFFで公開された後、2014年ドイツ、2015年インドで順次公開された。第38回トロント国際映画祭ではNETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞している。タイトル「Qissa」はアラビア語で、英語の「Story」にあたる言葉。だが副題の「孤独な亡霊の物語」とは何を意味するのだろうか。

《物語》1947年、現在のインド北西部からパキスタン北東部にまたがるパンジャーブ地方はインド・パキスタン分離独立で揺れていた。その地に住むシク教徒のコロニーにアンバー・シン(イルファン・カーン)の一家があった。彼は妻との間に二人の女の子をもうけていたが、伝統的なシク教徒であり、また強権的な父親である彼は、女児ではなく強いシク教徒の男児が生まれることを切に望んでいた。そして3番目の子がまた女児であれば殺すことになっていた。だが第3児が誕生し、アンバー・シンは「遂に男の子だ!」と喜び勇む。赤ん坊はカンワルと名付けられ、一族の喜びと寵愛の中逞しく育っていった。しかし悲劇は、既に始まっていたのだ。

凄まじかった。歪められた狂気と呪われた運命を描くこの物語は、魂も凍えるような異様さに満ち、臓腑を抉る展開とそのあまりの情け容赦の無さに観ている間中鳥肌が止まらなかった。悲劇の代名詞としてシェイクスピアがあるなら、これはまさにシェイクスピア的な「インド悲劇」とも呼ぶべき物語として進行してゆくのだ。たった一つの嘘が次第にあらゆるものを死と破壊へと引きずりこみ、最悪の事態が更なる最悪の事態へと塗り重ねられてゆく。暗黒の咢にじわじわと引きずり込まれるかのような悲劇を見せ続けられながら、しかし決してそこから逃れる術はないのだ。これは、なんと恐ろしい物語なのだろう。そして物語は壮絶な幻想譚として終盤を迎えるのだ。

物語は冒頭から尋常ならぬ異様さに包まれている。暗く厳かな伝統楽器の調べと共に画面に現れるのはアンバー・シンの5人の家族の家族写真。これによりこの物語は【家族の物語】であることが告げられるのだ。そして映画が始まり老境のアンバー・シンが登場し、曇りきった鏡に「私は誰だ?私はどんな呪をかけられてしまったのだ?」と語りかける。外に出るとそこは宵闇となっており、庭に設けられた井戸の脇には一つの死体が横たわっている。しかしアンバーはそれを意に介することもなく、ふらふらと闇の中へと彷徨い歩いてゆくのだ。「ここはかつて私の国だった」と呟いて。これはいったい、なんなのか?いったいここで何が起こったのか?

映画を観る前には紹介文を読んだり予告編の映像を見たりしてどんな映画か確かめるものだが、この『Qissa』に関してはイルファン・カーン主演ということ以外日本における前情報が殆どなく(英語版のWikipediaや紹介文はあるだろうがネタバレが多いので映画を観る前に読むことは殆ど無い)、また予告編の映像を観ても「シク教徒が中心となる文学的でトラデショナル風な物語」以上の情報は得られない。だから自分もそのような物語なのだろうな、程度の気持ちで観始めたのだが、物語が進行してゆくにつれそのあまりに残酷な展開に気が遠くなりそうになった。このレヴューではその「呪われた運命」の本質を書くことはしない。それよりも是非ご自分の目でこの映画の透徹した悲劇の姿を確かめて欲しい。それはとてつもなく陰鬱なものだが、えもいわれぬ映画体験であることは保障する。

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20150521(Thu)

[][]おデブの嫁なんか絶対嫌だ!〜映画『Dum Laga Ke Haisha』 おデブの嫁なんか絶対嫌だ!〜映画『Dum Laga Ke Haisha』を含むブックマーク おデブの嫁なんか絶対嫌だ!〜映画『Dum Laga Ke Haisha』のブックマークコメント

■Dum Laga Ke Haisha (監督:シャラト・カタリヤー 2015年インド映画)

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「おデブの嫁をあてがわれて僕はしょんぼりだ!」という2015年公開のインド映画、それがこの『Dum Laga Ke Haisha』です。しかしそんなことをほざいてる男のほうだって、実際パッとしたところのないトーヘンボク。太った嫁と冴えない婿の結婚生活の行方は?…な〜んていう一見地味そうな物語なんですが、そこは「愛のことならわしらにまかせろ」のヤシュ・ラージ・フィルム、観てみるとこれがとってもハートウォーミングな作品だったんですよ。

《物語》90年代のインド。カセット・テープ屋のプレーム(アーユシュマーン・クラーナー)は父の強引な勧めでサンディヤー(ブーミ・ペードネーカル)という女性と見合いし結婚することになったが、サンディヤーは気は優しいものの太めで地味な容姿。教育もまともに受けていないのにもかかわらず望みだけは高いブレームは、美人と結婚できなかった!と理不尽な事を言いだして彼女に辛く当たり、結婚間もないのに冷たい関係が続いた。遂に離婚に乗り切るものの、裁判所からは「もう半年一緒に暮らしてお互いをよく見なさい」と命令される始末。そのうち家業も人間関係もうまくいかなくなったブレームの心はどんどん荒れていくのだが…。

おデブちゃんの女性を背中に背負ったひ弱そうな男子、というポスターや、「おデブちゃんと結婚なんかヤダ!」とすねる主人公という物語から、「インド映画にしちゃ華がないし俳優も監督も知らないしこりゃスルーだな」と思ってたんですが、評価を見ると妙に高くて、いったいどうなってるんだろ?と観始めたらこれが思わぬ佳作だったのでびっくりしました。まず冒頭の、カセット・テープ屋の店内というのが非常にレトロ臭くて、ここでまず引き込まれちゃうんですね。そして「親の決めた結婚」というインド映画定番展開から始まり、「デブだから!ヤダもん!」と不貞腐れ続ける主人公に呆れ返り、そんな旦那に健気な嫁に同情し、さらにそのまわりでワアワアワアと喧しい家族の皆さんに苦笑している内にア〜ラ不思議、すっかり物語のテンポに乗ってしまい、「この二人、いったいどうするの?」と心配になってくるんですね。

おデブちゃんの嫁が中心となりますが、この物語は決して「デブは結婚が難しい」とか「デブだけど頑張れ」ということを言っているワケではないんですよ。この物語におけるおデブちゃんというのは物語的方便で、それは「人は誰しも何がしかのウィークポイントを持っていて、でもお互いにそういった部分を乗り越え認め合った部分に愛とか結婚とかがあるんじゃないのかな」というのがこの物語の真意じゃないんでしょうか。この物語ではおデブの嫁を笑いものにしません。ギャグやコメディに持っていかないんです。そして「ダイエットして見返してやる!」といった物語でもありません。痩せてメデタシメデタシ、ではなく、何がしかのウィークポイントを抱えながらも、それをも含めて、愛しあうこと、尊敬しあうことを描こうとしたのがこの物語なんです。

そしてこの物語は【凡庸さ】についての物語でもあります。インドの娯楽映画といえば綺羅星のように輝く絶世の美女や鍛え上げられた筋肉でパンパンになった男優が登場して甘い恋愛や派手なアクションを決め、目も彩なダンスと心の踊る歌を披露しますけれども、でも実際自分を含めたそれを眺める観客の殆どはそんなものとはまるで関わりの無い生活を送る凡庸な一般市民でしかありません。そう、それはこの物語の主人公二人も同じです。不貞腐れ屋の旦那も、おデブの嫁も、さらにその周りにいる人々も、実のところ何が特別という訳でもないどこにでもいるような凡庸な人々です。しかし物語は、そんなどこにでもいるような凡庸な人々のささやかな希望や哀歓を共感を持って描き出そうとしているんです。そして、どんな凡庸であろうとも、しかしそれぞれが個々に抱く愛情は、実はそれぞれの中にしかない特別なものであるということも、この物語は描き出しているんです。そんな凡庸の中の愛にこそ、真の幸福があるのだと。

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20150520(Wed)

[][]口のきけない俳優と美声を持つ負け犬男との二人羽織〜映画『Shamitabh』 口のきけない俳優と美声を持つ負け犬男との二人羽織〜映画『Shamitabh』を含むブックマーク 口のきけない俳優と美声を持つ負け犬男との二人羽織〜映画『Shamitabh』のブックマークコメント

■Shamitabh (監督:R・バールキー 2015年インド映画)

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俳優に憧れてるけど口のきけない青年が、秘密兵器を使ってこっそり声の代役を立てたところ、なんと大スターになっちゃった!?という少々奇想天外な物語です。しかし青年と声の代役の男には次第に軋轢が生じ、物語は思わぬ方向へと進んでゆくんですね。主演は『Raanjhanaa』でイケテナイ青年を演じたダヌシュ、そして声の代役をする男をインド映画界の帝王アミターブ・バッチャンが演じております。

《物語》子供の頃からボリウッド俳優に憧れていた青年ダニシュ(ダヌシュ)はムンバイの映画製作所を訪れるが、口のきけない彼を俳優に雇う者は誰もいなかった。そんな彼を不憫に思ったアシスタント・ディレクターのアクシャラー(アクシャラー・ハーサン)は、現在開発中の「音声転送装置」を彼に装着させることを思いつく。これはダヌシュの喉に埋められたチップを通し、別の誰かの喋り声をダヌシュの喉から発することができるようになるという画期的な装置だった。装置の施術後、ダヌシュの声を”アテレコ”する人間を探し、ホームレスの男アミターブ(アミターブ・バッチャン)に行き当たる。ダニシュの演技に深く魅力的なアミターブの声を当てたところ、これが大好評、二人の名を合わせた「シャミターブ」としてデビューしたダニシュは、とんとん拍子にトップ・スターの座に登りつめる。だがアミターブの存在は秘密にされているうえ、増長し始めたダニシュにアミターブの不満が爆発、遂に仲違いへと発展してしまう。

演技力はあるが喋れない青年と、声は魅力的だが人生の敗残者となってしまった男。この二人が二人羽織のようにひとつのキャラクターとして出発したら、ボリウッドのトップ・スターとなって押しも押されぬ存在になってしまう。こんな物語を可能にしたのは「音声転送装置」という架空の機械の存在です。この設定自体にオレなんかは非常にSF的なものを感じました。SFというのは別に宇宙船や異星人が登場するだけのものではなく、「科学の発展が人の生き方をどう変えてゆくのか?」ということを命題とした文学だと考えるなら、この『Shamitabh』は十分にSF的な作品だということが出来ると思うんですよ。『Shamitabh』はSFだ、と言い切りたいのではなく、少なくともそういった、ちょっと風変わりな部分にポイントのある作品だと思うんですね。

細かいことを言うなら装置の仕組みやその説明は割と適当だし、アテレコをするアミターブがアテレコされるダヌシュとしょっちゅう別の場所にいるのですが、これだと周囲の状況が分からないから何を喋ったらいいのか判断できないような気もします。しかし設定の「風変わりさ」が物語を面白くしていて観ていて飽きないんですね。まあ実際の所、若手俳優のダヌシュに帝王アミターブの声で喋らせたら面白いんじゃね?程度の発想から生まれた物語なんでしょうけどね!

そしてこんな物語を説得力あるものにしているのは、ひとえにアミターブの深みのある豊かな声でしょう。幾らダヌシュが演技力に優れているとはいえ、アミターブの声が聞こえてくると、もうダヌシュ自体がアミターブにしか見えないんですね。映画の二人が仲違いし、アミターブが別の俳優のアテレコをしてしまう、というシーンがあるのですが、その別の俳優にたいした魅力があるわけではないのにもかかわらず、アミターブの声が響いた瞬間にとんでもなく魅力がアップするんですよ。肉体の演技ではなく声の演技だけで観る者を魅了してしまう、その辺が既にアミターブ・バッチャンの俳優としての凄さなんでしょうね。これをアミターブ・バッチャンに愛着と馴染の深いインド人観客が観たら、ダヌシュの口からアミターブの声が聞こえてくるだけで大ウケだったのではないか、なんて想像してしまいました。

一方ダヌシュ君については、個人的には『Raanjhanaa』のイケテナイ非モテ青年(にもかかわらずストーカー並みにしつこい)の印象がどうも強過ぎて、「う〜ん彼がボリウッド・トップ・スター役なのかあ…」と若干モゾモゾしながら観てしまいました。アミターブとの対比を際立たせるアイロニカルな存在としてはよかったのかもしれません。それとこの作品がデビューとなるアクシャラー・ハーサン、演技や容姿以前に、ボブヘアー(でいいのかな?)の前髪がうるさすぎて、しょっちゅう髪の毛かき上げていたのがちょっとアレだったよなあ。また、こういった物語ですから、「最初は上手くいっていたものが最後に破綻する、声の代役を立てていたことが発覚してとんでもないことになる」と話の流れは最初から想像できてしまうのですが、そんな流れからどういったラストを組み立てるのか、といった部分ではもう少し推敲する必要があったのではないかと思います。ただし、全体的には十分楽しめる作品でした。

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20150519(Tue)

[][]カバティ選手が悪漢から美女を救っちゃうアクション・ムービー『Tevar』 カバティ選手が悪漢から美女を救っちゃうアクション・ムービー『Tevar』を含むブックマーク カバティ選手が悪漢から美女を救っちゃうアクション・ムービー『Tevar』のブックマークコメント

■Tevar (監督:アミト・ラヴィンデールナート・シャルマー 2015年インド映画)

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2014年公開のインド映画話題作はほぼ観終わり、いよいよ2015年公開作に突入であります。この『Tevar』は2015年1月に公開されたアクション映画。お話は体力自慢で暴れん坊の主人公が悪漢に追われる美女を助けて…という王道的なドラマ。主演を『Gunday』『2 States』『Finding Fanny』と話題作に総出演しているアルジュン・カプール。今作でも「湘南爆走族」っぽいヘアスタイルが決まってます。そしてヒロインがソーナークシー・シンハー。これまでサルマーン・カーン、アクシャイ・クマール、アジャイ・デーヴガンとアクション映画で共演してきた彼女ですが、やはり【暴れん坊キャラのガールフレンド】といえばこの人しかいない!?

《物語》体力自慢の主人公ピントゥー(アルジュン・カプール)はカバティの花形選手で、おまけに正義を愛する熱血漢。そんな彼の運命は悪漢に追われる女性を助けたことから大きく変わっていきます。彼女の名はラディカー(ソーナークシー・シンハー)といい、強引に交際を迫るガジェンドラ・シン(マノージュ・バージパーイー)というチンピラに追われていたのです。しかもガジェンドラは町の有力者の弟で、警官たちはラディカーの窮状を見て見ぬふりでした。彼女を助けられるのは自分しかいない!こうしてピントゥーは次々に襲いかかる危機を乗り越えようと活躍します。

アクション映画の定番的な展開を見せるこの作品、そういった定番こそが安心して観られる要因ではありますが、では定番すぎて新鮮味はないのかというと個人的には幾つかの部分で新鮮さを感じました。

まずひとつは主人公ピントゥーがプレイするスポーツ、カバティなんですよ。インドの国技というのは聞いたことがありますが、実際どんなものなのかまるで知らなかったし、これまで自分が観たインド映画でも、カバティが登場した作品って無かったんですよね。観たことが無いだけでカバティの描かれる作品はあるのでしょうが。この『Tevar』でも冒頭でちょっと描かれるだけで、それがどんなルールでどのようにして勝敗を決めるものなのかは分かりませんでしたが、少なくとも「カバティ!カバティ!」と掛け声を上げながらのプレイは見られたのでちょっとだけ満足できました。

そしてもうひとつは、作品の中で悪党相手に大立ち回りを演じるピントゥーのその鉄腕ぶりの理由が、カバティ選手だからという理由で説明できている部分なんですね。インドのアクション映画に登場する主人公は誰もがとてつもなく強く、それは超人か鬼神かと思ってしまうほどなのですが、ではなぜそんなに強いのか、という説明は特にされないんですよね。それはもう、主人公だから最強なんだ!という決まり事みたいな感じなんですよ。今でこそそんなインド・アクションを楽しく見られますが、最初はその説明の無さに若干面喰ってはいたんですね。しかしこの『Tevar』にはスポーツ選手という説明があり、だから強力であるということと、しかし無敵ではないという描かれ方をしており、そこからハラハラドキドキ感が生まれてくるんですよ。まあ最後には無敵になっちゃうんですけどね!

もうひとつ新鮮だったのは、ピントゥーとヒロイン・ラディカーの間に、ぎりぎりまでロマンスが生まれない、という部分です。ピントゥーというのは本当に正義漢で、冒頭でも痴漢に絡まれる女性を助けたりしています。そんなピントゥーがラディカーを助けるのもやはり彼の真っ直ぐな心からで、ラディカーが美人だからとか惚れているからといった理由ではないんですね。自分のために傷だらけになりながら戦うピントゥーにラディカーは次第に想いを寄せますが、ピントゥーにあるのは正義を貫くことだけなんです。そして、助けたラディカーを最終的に空港に送り届ける、という使命を持っています。つまり二人で逃避行ではなく、飛行機に乗ってしまえば二人は別れる運命なんです。そんな中で二人のロマンスはどう花開くのかが見所にもなるんですね。こんな具合に、定番的な展開の中に幾つかの新鮮さが加味された良作でしたね。

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20150518(Mon)

[]『未来世紀ブラジル』のさらに向こうにある幸福の未来〜映画『ゼロの未来』 『未来世紀ブラジル』のさらに向こうにある幸福の未来〜映画『ゼロの未来』を含むブックマーク 『未来世紀ブラジル』のさらに向こうにある幸福の未来〜映画『ゼロの未来』のブックマークコメント

■ゼロの未来 (監督:テリー・ギリアム 2013年イギリス/ルーマニア/フランス映画)

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12モンキーズ』『未来世紀ブラジル』のテリー・ギリアムの新作が公開されるという。しかも主演が『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ 繋がれざる者』のクリストフ・ヴァルツ、おまけに近未来SFだという。調べると2013年製作。日本公開が遅れたのはまあ諸般の事情ということなのだろうが、なにしろ全くのノーチェックだったので慌てて観に行くことにしたのだ。今回は若干ネタバレあり。

舞台はコンピューターがあまねく世界を席巻している近未来。主人公はコンピューター関連の大企業に勤める男、コーエン(クリストフ・ヴァルツ)。彼は辣腕エンジニアではあるが人嫌いの変わり者で、在宅勤務を望んだところあてがわれた仕事が「100%のゼロ」と呼ばれる定理を解析することだった。一人廃墟と化した教会でTVゲームまがいの装置を操り【究極の虚無】を探索する日々は索漠とし無為と徒労に満ちていた。そんな彼はある日、天才少年ボブ(ルーカス・ヘッジズ)、エスコート・クラブの女ベインスリー(メラニー・ティエリー)と出会い、少しづつ「生きることの意味」を見つけてゆく。

テリー・ギリアムはアイロニーとカリカチュア、そしてペシミズムの映像作家だ。それらの要素が余すところなく生かされた作品がかの『未来世紀ブラジル』だった。そして、この『ゼロの未来』を観たギリアム・ファンはきっと、「ああ、これは明るい『未来世紀ブラジル』だな」と気付くだろう。『ゼロの未来』にしろ『未来世紀ブラジル』にしろ、一見ペシミスティックな近未来社会を描いているように見えて、そこに描かれているものは「今現在」をアイロニカルにカリカチュアしたものだ。

この作品の珍奇でカラフルな街並みも、廃墟と化した教会という【オタク部屋】も、現実の諸相を位相を変えて描いたものに過ぎない。また、大昔のオーディオ・アンプみたいな【解析マシン】も、巨大浄化槽みたいな【ビッグ・ブラザー】も、実の所、「コンピューターという訳の分からないブラックボックス」のイメージ化に他ならないのだ。そしてこのようにカリカチュアされた【現実】の中で、主人公はシステムにより抑圧され、生きる意味を見失っている。それはつまり、現実に生きる多くの人間たちの問題を描こうとしていることに他ならない。

しかし、この『ゼロの未来』においては、『未来世紀ブラジル』的なペシミズムは後退している。後退どころか、ペシミスティックな現実の中から、なんと【生きる意味】【生きる希望】を模索しよう、なんて息巻いているではないか。

この『ゼロの未来』においても【敵】は巨大化し硬直化した社会システムである。それは主人公の、【ゼロ=虚無を追い求める】という文字通り無意味な責務からもうかがい知れる。巨大なシステムの中で人は一個の歯車となりその人間性は剥奪される。そんなシステムに反旗を翻しそして敗北するのが『未来世紀ブラジル』だったが、この『ゼロの未来』では主人公は最初からやる気の無い男であり、反旗を翻すなどという体力を消耗することなど考えずに、ヒロインのいるヴァーチャル・リアリティ・ポルノ・クラブへとひたすら逃避し、それによりはからずもシステムそれ自体から逃走することとなるのだ。この違いはなんなのだろう?

オレは個人的に、「世界を変えるには、自分を変えるしかない」と思っている。社会の抱える問題を具体的に変えてゆくことは重要だが、それよりも、【現実】という、実は主観的なものである存在を、その主観を変えることで変えてゆくことも、また重要なのではないかと思っている。そしてまた【生きる意味】という言葉は、設問の仕方が間違ったものだと思っている。端的に言うなら、生きていることには、一切意味などない。そうではなくて、その設問を、【自分にとって何が幸せなのか】という設問に変えるなら、その【生きる意味】はおのずと導き出されるものではないか。

作中において、主人公コーエンは、常に「人生の意味を教える電話」を待ち望んでいた。それは、自分の人生の意味が分からない、あるいは、意味が無い、と思いこんでいたことに他ならない。彼は【意味の無い人生】の中でもがき苦しみ、そしてまた、【意味】が付加されることでそれから解放されると思いこんでいた。そしてその【意味】は、全く彼に教えられることは無かった。なぜなら、そもそも、【意味】などなかったからなのだ。しかし彼は、ボブ少年との信頼関係、そしてベインスリーとの愛により、【幸福】を発見するのだ。【自分にとって何が幸せなのか】。それを発見したコーエンの現実の諸相は変わってく。それはシステムからの逃避であるかもしれない。しかしコーエンは悟ったのだ。システムなんか知らねえよ。愛する君がいるなら、俺は生きていけるんだ、と。幸福は、意味ではない。そして幸福は、常に自らの心の裡にのみあるものなのだ。

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12モンキーズ(Blu-ray Disc)

12モンキーズ(Blu-ray Disc)

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20150515(Fri)

[][]シャールク&サルマーンがタッグを組んで前世の復讐を果たす怒涛のカルト・アクション『karan Arjun』!(おまけあり) シャールク&サルマーンがタッグを組んで前世の復讐を果たす怒涛のカルト・アクション『karan Arjun』!(おまけあり)を含むブックマーク シャールク&サルマーンがタッグを組んで前世の復讐を果たす怒涛のカルト・アクション『karan Arjun』!(おまけあり)のブックマークコメント

■karan Arjun (監督:ラーケーシュ・ローシャン 1995年インド映画)

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〇シャールク「復讐しようぜ!」サルマーン「ああ当然さ!」

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ヤヴァイ。相当ヤヴァイ。シャー・ルク・カーンとサルマーン・カーンが共演した1995年のインド映画『karan Arjun』が滅茶苦茶面白過ぎる!

冒頭25分だけでもシャールク&サルマーンがひたすらイチャイチャしまくったりとかカーリー神の鎮座する怪しい洞窟の中で乱舞するインド人とか馬で引き摺り回され切り殺された挙句転生するシャールク&サルマーンとか見所満載過ぎ。そしてこの25分でやっとタイトルバック登場!そう、この映画、悪い奴にぬっ殺されたシャールク&サルマーンが輪廻転生して復讐を遂げる、という大アクション映画なのだ!共演はカジョールとマムター・クルカルニー、監督はリティク・ローシャンの父であり『クリッシュ』シリーズを手掛けたラーケーシュ・ローシャン。

《物語》インドのとある村、仲良し兄弟カラン(サルマーン・カーン)とアルジュン(シャー・ルク・カーン)は今日もキャッキャウフフと遊びまわったり大好きなお母さんドゥルガー(ラーキー・グルザール)とベタベタ甘えまくったりして過ごしていた。そんなある日、二人が実は地主の跡取りであることを母から聞かされる。だが、かつて父を殺し、そして今も一族の遺産を狙うドルジャン・スィン(アムリーシュ・プリー)が現れ、カランとアルジュンを惨殺してしまうのだ。怒りと悲しみの中でドゥルガーは血の女神カーリーの神像に祈りを上げる。するとどうだろう、なんとカランとアルジュンは遠くの土地で二人の幼子へと生まれ変わったではないか!?17年後、アジャイとヴィジャイとして育った青年二人は奇妙な記憶に悩まされていた。そしてその記憶を辿って行き着いた村こそが、かつてカランとアルジュンが暮らした村だったのだ。二人は前世の母と涙の再会を果たし、そして、敵であるドルジャンに復讐を誓った!

〇インド製ボンクラ映画!?

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もともとはこの間『Kuch Kuch Hota Hai』を観て「シャー・ルク・カーンとサルマーン・カーンの共演作って他になにかあるのかなあ?」と思っていたところ、Twitterのフォロワーさんが教えてくれて、いったいどんな映画なのかなあ、と観始めた映画だった。

しかし、最初はラブコメあたりだろう思っていたら、なんと血と殺戮の復讐劇、しかもカーリー神と輪廻転生付き!映像がチープな部分が往年の香港映画を思わせ、アクション・シーンの血生臭さはタミル映画のようであり、狂ったように何度も繰り返される前世のフラッシュ・バック・シーンはヨーロッパの古典ホラー映画を彷彿させる。カーリー神は暗い土俗の記憶と結びつき、輪廻転生というテーマはひたすらオカルティックだ。おまけにインド映画の華である筈のダンス・シーンがどことなく俗悪で下品、インド映画史上稀に見る才能の無さをうかがわせるのだ。そしてこれらいびつな要素が混沌と混じり合って生まれた作品は、どこかカルト映画作品の如き様相すら呈している。そしてもうひとつの呼び方をするならば、この作品はインド製ボンクラ映画ということもできるのだ。

〇るるる〜ららら〜

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〇ここが変だよこの映画!

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なにしろこの映画、所々何かがおかしく、いろんな部分が過剰だ。

・初登場時のアルジュンはアホで変態!
・アルジュンの得意技は「パチンコ」!
・カランとアルジュンが格闘するシーンでは二人の間にマンガみたいな稲妻が落ちる!
・カジョールの眉毛は相変わらず繋がったまんま!
・サントラはなんと『ターミネーター』のモロパクリ!
・効果音がデカ過ぎていつも音が割れている!
・1階でジャンプした悪漢が2階の床を突き破って現れる!
・二人を陥れた悪党一族は悪党のお約束の如くひたすら「あっはっはっはっはっはっはっ」と笑い続ける!
・踊りのシーンではなんとこの悪党どもも一緒に踊る!
・さらにそのシーンではサリーを着た5人の婆さんの踊りまでが披露される!
・コミック・リリーフが二名登場してカオスな物語をさらに引っ掻き回す!
・二人の母親はなぜか登場するたびに転んで口や額からダラダラ血を流している!
・転生した息子と出会えた母は鬼みたいな顔で悪党どもを指さして「奴らを殺っちまいな!」と指令を下す!
・転生して前世の恋人と結ばれるアルジュンだが、ちょっと待てよ…17年の月日が経ってるんだから年の差は相当なんじゃないのか?と身震いさせられる!

そんな『karan Arjun』だが、なんと後半は村を舞台とした銃撃戦がメインだ!西部劇そのもののシチュエーションの中、村に様々なトラップを用意して二人の若者が悪党を迎え撃つさまなどは、これはインド映画の古典的名作と呼ばれる『Sholay』そのままじゃないか!?

〇カーリー神に祈っちゃうもんね!

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そして輪廻転生である。輪廻転生は実にインドらしいテーマだ。同様のテーマのインド映画としては『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』などを思い出すが、この『karan Arjun』はもっと泥臭く禍々しい雰囲気を漂わせている。

なんといっても転生を聞き入れた神がカーリー神であり、そしてこのカーリー神が映画の中で何度も登場することになるからだ。破壊神シヴァの妻である女神カーリーであるが、これが、コワイ。とってもコワイ。

カーリー神は一般には黒色で3つの目と4本の腕を持ち、牙をむき出しにした口からは長い舌を垂らし、髑髏や生首をつないだ首飾りをつけ、切り取った手足で腰を飾った姿で表される。こんなカーリー神の鎮座する洞窟で村人たちが踊るシーンは、なんだかもう『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』みたいなおどろおどろしさだ。しかもこの『karan Arjun』で悪役ドルジャンを演じているのが、『インディ』で邪教の司祭やってたアムリーシュ・プリーだったりするのだ!

映画は血と殺戮を好む戦いの女神であるカーリーと、息子を殺された母ドゥルガーの怨念とを重ね合わせ、ドロドロとした雰囲気を一層高めている。そして母の名前であるドゥルガーは、女神カーリーの母型となった女神の名前でもある。女神カーリーはシヴァの妻パールヴァティーの化身だが、そのパールヴァティーにはスカンダとガネーシャという息子がいる。そうすると腕力の強いカランは軍神スカンダで、優しいアルジュンは幸運の神ガネーシャだということもできる。女神カーリーはパールヴァティーの戦闘形態で、もともとのパールヴァティーは母性溢れる女神。だから物語の中の母ドゥルガーと、カランとアルジュンとのベタベタぶりはインド映画らしい家族主義であると同時に、優しく美しいパールヴァティーの母性を強調したものであるという見方ができる。熱く固い家族愛と母性、そして輪廻転生と復讐のバイオレンス・ドラマ。映画『karan Arjun』はシャールク&サルマーン共演作として楽しめるばかりか、そのカオスと化した物語展開が超絶的に面白おかしい作品なのだ。

〇見よ!このハリウッドB級アクション映画なポスターを!?(ファン・メイドかもしんない)

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〇『karan Arjun』の狂った魅力に溢れる怒涛の予告編におしっこちびらせろ!?

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〇シャールク&サルマーンの日本発売されているソフトを観よう!

とりあえず日本で観られるシャールクの最新作はこれ。

サルマーン兄貴の大傑作DVDも日本で発売中だよ!

ダバング 大胆不敵 [DVD]

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ラーケーシュ・ローシャン監督の日本で観られるヒーロー映画も是非よしなに。

クリッシュ [DVD]

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○(おまけ)シャールク&サルマーンの共演作をもう1作紹介!

■Hum Tumhare Hain Sanam (監督:K.S.アドゥヤマン 2002年インド映画)

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シャー・ルク・カーンとサルマーン・カーンが共演した作品がもう1作あった!という映画『Hum Tumhare Hain Sanam』でございます(まだあるのかもしれないが特に調べて無い)。ヒロインはマードゥリー・ディークシト、80〜90年代のインドのトップ女優さんなのですが、あの『地獄曼陀羅アシュラ』にも出演を!?さらにゲストとしてアイシュワリヤー・ラーイも出演しているんですよ。この豪華な配役でいったいどんな物語が…と思って観てみたら、いやーこれが結構しょーもない作品で…。

なんといいますかこの作品、シスコン・ブラコンのお話でありましてですね。ゴバル(シャールク)という実業家とラダ(マドゥーリー)という女性が結婚するんですが、このラダさんというのが兄弟大好きっ子でありましてね。いつもサルマーン演じるスラジュら兄弟とキャッキャッウフフしまくってるわけなんですよ。しかし結婚したてのゴバルは「仲良いのは分かるけどこいつら俺無視してベタベタしすぎじゃねえか?」とブンむくれるわけです。そんなゴバルの気持ちに全く気付かずベタベタしまくるスラジュたち兄弟に、ゴバルは遂にブチ切れちゃう!というのがこの物語なんですね。

嫉妬と疑心暗鬼で頭ン中一杯にしたままイジケまくるシャールクも随分ですが、全く気を使わず能天気にベタベタしまくるサルマーンも「どんだけなんだよお前」と思わせるものがあります。その間で嫁のマドゥーリーは「え?大好きなお兄ちゃんたちと楽しくしているだけなのになんで旦那はカッカしてるの?ワタシどうしたらいいの?」とオロオロしているだけという。まあなんと言いますか、「 ず っ と や っ て ろ お 前 ら 」って感じではありますね。シスコン・ブラコンとはいえ倒錯じみた変な側面は全く無く、ただ単に度を越して仲がいいだけなんですが、それに焼き餅焼いてる旦那のドラマとか言われてもなあ。

こんな昼メロみたいな内容でインド映画安定の3時間余りの上演時間でしたが、シャールクがヒステリー起こしたり妄想しまくって悶々としている部分が見所でしょうか。

20150514(Thu)

[]最近読んだBDやらアメコミやら〜『続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』『プロレス狂想曲』『ベルベット』 最近読んだBDやらアメコミやら〜『続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』『プロレス狂想曲』『ベルベット』を含むブックマーク 最近読んだBDやらアメコミやら〜『続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』『プロレス狂想曲』『ベルベット』のブックマークコメント

■続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン / アラン・ムーア (著)、ケビン・オニール(画)

続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

アラン・ムーア入魂の名作、続編も待望の復刊! 新たなる脅威の到来に、我らが怪人連盟が再び招集された。筆舌を絶する古今未曾有の恐怖に対し、彼らはいかに立ち向かうのか? 短編小説『新刊行便覧』付録『怪人連盟遊戯盤』も同時収録。シリーズ第二巻、10年ぶりの復刊!

前作『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』は文句なしの傑作だった。大英帝国ビクトリア朝時代を舞台に、アラン・クォーターメン、ネモ船長、ジキル博士とハイド氏、透明人間、さらに吸血鬼ドラキュラのヒロイン・ミナといった、英国作家の手によるフィクション世界の主人公たちが一堂に会し、大英帝国の繁栄を脅かす敵を倒すといったストーリーは、作品全体にスチームパンクのテイストを配し、「古くて新しい空想の大英帝国」をそこに現出させていた。そして前作では魔人フー・マンチューがその敵役だったが、なんと今回はH.G.ウェルズの『宇宙戦争』で描かれた火星人が敵役として登場し、前作を遥かに超えるスケールでロンドンを蹂躙してゆくのだ!毎回古きイギリスを彷彿させるSF・推理・怪奇小説の小ネタがとどまるところを知らぬ量で散りばめられるこの作品だが、さらに今作では「火星しばり」ということで、火星を舞台にしたプロローグで物語られるのはE.R.バローズの「火星シリーズ」の様々な登場人物と小ネタではないか!このプロローグで描かれる幻想の火星が実に楽しい。そして舞台を地球に移し、小説『宇宙戦争』そのままに殺戮と破壊にさらされるイギリスを死守せんと活躍するLoEGの面々だが、ここで切り札としてもう一つのウェルズ小説の登場人物が担ぎ出される。ただ、一緒に登場するその物語のあれやこれやの怪物たちのグラフィックというのが今一つで、ちょっとシラケないこともない。それよりも今作のもう一つの主眼となるのはLoEGの面々の人間関係だろう。前作では癖のある者同士困難に向かって協力し合っていたのだが、やはり他人と協力なんかできない面々ばかりのせいか、今作では各々のスタンドプレイが遂にその同盟の瓦解にまで発展してゆくのだ。それがどんな形で終極を迎えるのかが今作の見所となっている。

■プロレス狂想曲 / ニコラ・ド・クレシー

プロレス狂想曲 (ヤングジャンプコミックス)

強さと美しさを競うプロレスは誰もが憧れる華の世界。しかし、その世界を牛耳っているのは誰もが恐れるマフィアだった! マフィア一族のおちこぼれマリオは、両親の残してくれたピアノ店を継ぎ、華々しい世界とは無縁の生活を送っていた。唯一の友達はピアノ弾きのペンギンだけだが、彼はそんな生活も気に入っていた。そんなある日、マフィアのボスでマリオの甥っ子であるエンゾから呼び出しがかかる。「手紙をある女性に渡して欲しい」そのミッションはとても簡単なものと、マリオは浮かれて街を出て行くが待っていたのは見たこともない、恐怖と不思議の世界!

BD界の鬼才ニコラ・ド・クレシーが、なんと日本の漫画雑誌「ウルトラジャンプ」で連載を持っていたのらしい。タイトルは『プロレス狂騒曲』であり、これはその単行本となる。日本の雑誌連載らしく冒頭のカラーページ以外はモノクロのペン画となっている。まあこうしなければ雑誌連載は厳しかっただろう。物語はクレシーらしい摩訶不思議で奇々怪々なものだ。大筋ではマフィア一族の落ちこぼれのおっさんが一族から裏切られ、仲間たちの強力なプッシュで嫌々報復を図る、といったものだが、とにかく登場人物たちが皆おかしい。主人公マリオは2頭身のハゲメガネだし、その友人はピアノを弾くペンギンだし、マリオが憧れるのは女子プロレスラーだし、マフィアのドンは幼児だし、マフィアの構成員はプロレスラーだし、マリオを追い掛け回すのは改造人間で、そのマリオに協力するのはなんと「オバケ」である。それぞれのキャラの存在には何の必然性も無く、はっきり言って訳が分からない。そして物語の流れも唐突で脈歴に欠け、これも訳の分からない部分が多い。しかし訳が分からないのはいつものクレシー節であるのも確かで、クレシー・ファンはただそのハチャメチャさを楽しめればいい。また、ハゲメガネの主人公も含めかつてのクレシー作品に登場したキャラがちらほら垣間見えるのも楽しみの一つだろう。ただ逆に、クレシーを知らない日本の漫画雑誌ファンにはこの物語は相当キツかっただろうな、ということも想像でき、みんなどんな顔をしてこのコミックを読んでいたのだろうという興味が湧く。そんな訳で、価格も1000円とお得ではあるが、クレシーを知りたい、という方にはむしろ『天空のビバンドム』あたりの濃厚な作品に触れてもらいたいのだが、ううむ、あれも相当訳の分からない超現実的な物語だったしなあ…。

天空のビバンドム

天空のビバンドム

■ベルベット 1 / エド・ブルベイカー(作)、スティーブ・エプティング(画)

ベルベット 1

『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』のライターとアーティストが贈るスパイスリラー! 時代は1970年代、冷戦の真っ只中。世界最高と言われる諜報員が殺された。真相の解明を急ぐ諜報組織アーク7。 証拠の数々から浮かび上がった容疑者は何と、アーク7局長の秘書ベルベット・テンプルトンだった。謎に包まれたベルベットの過去が暴かれていく...

コミックは未読だが、映画のほうの『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』は、アメコミ世界に陰謀術策渦巻くスパイ・スリラーの要素を加え、そこが斬新さとしてウケたのだろうが、逆にオレなどはスパイ・スリラーものに慣れ親しんでいた部分があったので、なんだ今更という気がしてたいした新鮮味を感じなかった。この『ベルベット』は、『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』のライターとアーティストの手によるスパイ・スリラーとなり、タイツ姿のヒーロー抜きでどこまでこのジャンルの面白さを引き出せるかを試したものなのだろう。しかし結論からするとスパイ・スリラーの常套句をなぞったステレオ・タイプな物語に終始しており、やはりこれも新鮮味の薄い物語に仕上がってしまっている。そのステレオ・タイプから脱却しようとして生み出されたのが主人公キャラであるベルベットとなるが、スパイ活動のエキスパートとして描かれる彼女はいくらでもアメコミ・ヒーローと交換可能で、むしろアメコミ・ヒーローでない分華もなく魅力に薄い。ルックスも普通におばさんなんだもんなあ。これじゃなあ。

20150513(Wed)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■Defected Presents House Masters / Frankie Knuckles/Various

Defected Presents House Master

Defected Presents House Master

昨年惜しくも亡くなったハウス界のゴッドファーザーFrankie Knucklesの綺羅星のように輝く珠玉の名作の数々をコンピレーションした必携盤。どの曲も全く色褪せていないどころか、もはや不滅といってもいい程に素晴らしいエモーションが満ち溢れている。 《試聴》

■Val Maira / Dave DK

VAL MAIRA

VAL MAIRA

ベルリンのテクノ・プロデューサーDave DKがKompakt移籍後に初リリースしたアルバム。映画的なアンビエント要素を孕んだメロディアスで個性的なミニマルサウンド。 《試聴》

■Savage / James Pants

Savage

Savage

西海岸のHip Hopシーンを支え、確立してきたStones Throwからリリースされた奇才James Pantsのアルバム。ローファイなシンプルさの中にソウル、ファンク、 R&Bをサイケデリックにブレンド。 《試聴》

■E Versions Vol 1 / E Versions

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Mark Eが運営するレーベルMercの人気エディット・シリーズ「E-Versions」からリリースされたコンピレーションCD。1曲目からチャカ・カーンの「I'm Every Woman」をハウス・エディットした曲が始まりこれはもうご機嫌モノ。 《試聴》

■Muscle & Mind / Oscar Mulero

Muscle And Mind

Muscle And Mind

スパニッシュ・テクノの重鎮OSCAR MULEROが、通算4名目となる新作アルバム2枚組。ループする重いSEと埃っぽいホワイトノイズ、奇抜なメロディーとうねるようなパーカッション、インダストリアル〜エクスペリメンタルを横断する傑作。 《試聴》

■Vaporware Tracks Vol. 1 / Legowelt

Vaporware Tracks Vol. 1

Vaporware Tracks Vol. 1

オランダを拠点に活動するロウ・ハウス鬼才Legoweltによるニュー・シングル。今作もアルバムに劣らずアナログイズムを貫き通す愉快なテクノ・チューンの数々が並ぶ。 《試聴》

■You and I Alone / Daphne And Celeste

You and I Alone

You and I Alone

10代でデビューしつつ'00年リリースのアルバムから休止していた東海岸のガールポップ・デュオ Daphne & Celesteの再稼働シングル。ポップでありつつもヒリヒリとした音の感触が電子音のフレーバーが心地いい。 《試聴》

■Dub Of Thrones / Alborosie meets King Jammy

Dub Of Thrones

Dub Of Thrones

アメリカのハイ・ファンタジー系TVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』はお気に入りのドラマなのだが、このアルバムはそれをもじった『ダブ・オブ・スローンズ』。ダブ・ミュージックは最近聴いていなかったんだが、ジャケットがあまりに可笑しかったのでついつい購入。 《試聴》

■1966 (remastered) / David Bowie

1966

1966

デヴィッド・ボウイがまだデヴィッド・ジョーンズを名乗っていた時代にPye Recordsからリリースされていたレア・アルバム、リマスター6曲入り。とりあえずジャケ買い。 《試聴》

■Valis / Tod Machover

Valis

Valis

「(怒りの以下略)」さんのところで知ったP.K.ディック『ヴァリス』のオペラ作品をCD化したもの。 《試聴》

20150512(Tue)

[]最近ダラ観したDVDだのBlu-rayだの 最近ダラ観したDVDだのBlu-rayだのを含むブックマーク 最近ダラ観したDVDだのBlu-rayだののブックマークコメント

■マダム・マロリーと魔法のスパイス (監督:ラッセ・ハルストレム 2014年アメリカ映画)

フランス料理vsインド料理の対決!?ということで最近インドづいているオレとしてはちょっと興味が湧いて観てみた。ヘレン・ミレンが出ていたのでびっくり。お話は優しく楽しく綺麗に描かれていて幸せに終わる。最近はこういう映画のほうが好きだな。

■荒野はつらいよ〜アリゾナより愛をこめて〜 (監督:セス・マクファーレン 2014年アメリカ映画)

『テッド』のセス・マクファーレンが監督・脚本・製作・主演を務めた西部劇コメディ。お下劣だけどアイディア豊富でこれは楽しめた。今作のシャーリーズ・セロンがなぜか美人で、そう思った自分に驚いた。あとリーアム・ニーソンも悪役で出てたんだが、いやーあのケツにはびっくりしました。

■22ジャンプストリート (監督:フィル・ロード 2014年アメリカ映画)

『21ジャンプストリート』でしっちゃかめっちゃかを演じたお馬鹿警官二人が帰ってきた!?という続編。やっていることは同じだが、今回は大学篇ということでそれなりにネタのありかたが面白かった。ジョナ・ヒル演じる囮警官のガールフレンドが実は!?というくだりは大爆笑しました。

■ネイバーズ (監督:ニコラス・ストーラー 2014年アメリカ映画)

セス・ローゲン製作・主演、ザック・エフロン共演のコメディ映画。幼稚な大人が幼稚な学生の大騒ぎに腹を立て幼稚な解決法を思いつく、という幼稚だらけのお話でゲンナリした。シモネタも笑えないわ。

■荒野の七人 (監督:ジョン・スタージェス 1960年アメリカ映画)

黒澤明七人の侍』のハリウッド翻案映画。昔はTVでしょっちゅうやってたであろう名作映画だが、ひょっとしてちゃんと観た事なかったのではないか?と思って観てみたら、実は今まで観たことがなかったことが発覚。ユル・ブリンナースティーブ・マックィーンチャールズ・ブロンソンジェームズ・コバーン、ロバート・ヴォーン…と次々に登場する名優たちの顔ぶれに感嘆していた。

■キートンの大列車追跡 (監督:バスター・キートン/クライド・ブラックマン 1926アメリカ映画)

バスター・キートンの映画ってちゃんと観た事ないなあ、と思って観てみたが、延々蒸気機関車の中で繰り広げられるアクションは今観ても凄い、の一言。蒸気機関車vs蒸気機関車の追跡戦とか、とても驚かされる。

■荒野の千鳥足 (監督:テッド・コッチェフ 1971年オーストラリア/アメリカ映画)

ランボー」のテッド・コッチェフ監督が1971年に手がけたカルト作。オーストラリアの荒野の町で酒とギャンブルに溺れた主人公が…というお話だが、とことん小汚くてどろどろと汗臭いのにうんざりし途中で観るのを放棄してしまった。

20150511(Mon)

[]『マッドマックス2』脚本家が送るテロリスト対諜報員の熾烈な追跡劇〜『ピルグリム(1)〜(3)』 『マッドマックス2』脚本家が送るテロリスト対諜報員の熾烈な追跡劇〜『ピルグリム(1)〜(3)』を含むブックマーク 『マッドマックス2』脚本家が送るテロリスト対諜報員の熾烈な追跡劇〜『ピルグリム(1)〜(3)』のブックマークコメント

■ピルグリム(1)〜(3) / テリー・ヘイズ

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アメリカの諜報組織に属する十万人以上の諜報員を日夜監視する極秘機関。この機関に採用された私は、過去を消し、偽りの身分で活動してきた。あの9月11日までは…引退していた男を闇の世界へと引き戻したのは“サラセン”と呼ばれるたった一人のテロリストだった。彼が単独で立案したテロ計画が動きはじめた時、アメリカは名前のない男にすべてを託す!巨大スケールと比類なきスピード感で放つ、超大作サスペンス開幕。

“サラセン”の存在とそのテロ計画は、アメリカ政府の知るところとなった。暗号名“ピルグリム”を与えられた男は、すぐに追跡を開始する。敵の目標は?その手段は?手がかりはたった二回の電話傍受記録のみ。トルコへ飛んだ“ピルグリム”は、そこで謎めいた殺人事件に遭遇する…一方“サラセン”のテロ計画は決行へ向けて着々と進んでいた。はたして“ピルグリム”の追跡は実を結ぶのか?超大作白熱の第2弾!

〈サラセン〉のテロ計画は、ついにその準備を終え、実行の日が迫っていた。かすかな手がかりをつかんだ〈ピルグリム〉は、最後の望みをかけて〈サラセン〉の過去を追う。まったく姿の見えなかった敵の姿がおぼろに浮かびかけ、衝撃が〈ピルグリム〉を襲う。だが、計画決行までの時間は残り少ない。意を決した〈ピルグリム〉はついに危険極まりない賭けに出るが……雄大なスケールで驚異のマンハントを描く超大作、完結!

政治と世界情勢のどろどろとした裏側で活躍する秘密諜報員の活躍を描いたエスピオナージュ、いわゆるスパイ小説というのが結構好きなのだが、どうも最近読んでいないことに気が付いたのである。ここらで一発ガツンッ!とくるスパイ小説を読もうじゃないか、そう思っていたところ目についたのがテリー・ヘイズの処女長編『ピルグリム』。未曾有の危機をもたらすテロ計画を企むテロリストを追う元諜報員という物語で、さらに作者はなんとあの『マッドマックス2』『マッドマックス サンダードーム』の脚本家というではないか。しかし…この『ピルグリム』、全3巻総ページ数1200ページ余りという大部な作品じゃあないか。う〜んどうしよう…とグタグダ悩みながら、やっと読み始めたところ、長さなど気にならないほどにすいすいと読める面白さだった。

物語の主人公はかの世界では伝説とまで呼ばれる凄腕諜報員。彼は既に引退して別の身分で生活していたが、恐るべきテロ計画の存在を察知したアメリカ情報局により再雇用された。彼のコードネームは《ピルグリム》。一方、サウジアラビアで生まれたある男が、父の処刑をきっかけに自由世界の滅亡を願うようになった。彼はアフガン戦争を経て鋭い知性と冷酷さに磨きをかけ、遂にアメリカ全土を死と屍の山へと変えるテロ計画へと手を染める。彼の名は《サラセン》。こうして、影のように身を隠しながらテロ実行へ近づくサラセンと、そのサラセンを見つけ出すため単身ユーラシア大陸へと赴いたピルグリムとの息詰まる追跡劇が始まるのだ。

なにしろまずこの物語、スケールが大きい。アメリカ、サウジアラビア、アフガニスタン、ガザに始まり、西側ヨーロッパ諸国の他、中東や東欧まで経巡りながら物語は進行してゆく。広大なユーラシア大陸を、不確かな情報だけを頼りに、藁の山からたった一本の針を探すようにサラセンの足跡を追うピルグリム。そしてユーラシア大陸をさまよい、次々と身分を変えながら、着々とテロ計画を練り上げてゆくサラセン。まるで地球規模の鬼ごっこをしているかのような物語進行の中で、ピルグリムがその鋭利な知性と諜報員スキルを総動員し、少しづつサラセンへと近づいてゆくのがこの作品の醍醐味となるだろう。

物語は3章に分かれ、さらに短い章立てで次々に進行してゆくため、非常にスピーディーで読みやすい。冒頭ではある殺人事件捜査に協力するピルグリムのその卓越した観察眼が描かれ、そしてひとつの事件から次の事件を回想してゆくという形で、かつてのピルグリムがどのように非情な諜報世界で生きてきたのかを浮き上がらせる。このように数珠繋ぎになって描かれる一見関連のなさそうなエピソードの数々が、実は中盤から後半にかけてパズルのピースのように現在進行形のテロ阻止作戦へと関わってゆく、という部分が実に心憎い構成となっている。また、テロリスト・サラセンも悪魔のような所業の数々を重ねながらテロ計画を練り上げてゆき、その残虐さは敵として申し分なしだ。

ただ、長いのは申し分ないとしても、物語を盛り上げるためなのか幾つか無意味だったり不必要だったりする展開があることも否めない。また、サラセンの計画したテロ手段は思いもよらないような恐ろしいものなのだが、よく考えるとこれだとフツーに世界滅亡しちゃわないか…いいのかソレ…と思えないこともない。サラセン接近のためにある事件の解決を進める主人公だが、アメリカ滅亡が迫ってるのに悠長すぎないか、とも思えるし、あれこれ理由は書かれているけれども、いかに優秀であれ単独行動の諜報員というのも無理があるのではないか、という気がする。それと、非情な世界にいたわりに主人公は意外とヒューマニストで、この辺すこし興醒めする。そういった点でル・カレやラドラムには追い付いてはいないのだが、ここは冒険小説だと割り切って読むべきなのだろう。どちらにしろ3巻読み通す時間は惜しくはないエンターテインメント作品だった。

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20150508(Fri)

[][]神と宗教の本質に迫る2014年度インド映画最大のヒット作『pk』を君は観たか? 神と宗教の本質に迫る2014年度インド映画最大のヒット作『pk』を君は観たか?を含むブックマーク 神と宗教の本質に迫る2014年度インド映画最大のヒット作『pk』を君は観たか?のブックマークコメント

■pk (監督:ラージクマール・ヒラーニ 2014年インド映画)

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I.

f:id:globalhead:20150505081234j:image:right『きっと、うまくいく』のラージクマール・ヒラーニ監督、アーミル・カーン主演により2014年12月に公開されたインド映画作品『pk』は、最終的にインドで2014年最大のヒットを記録した作品である。『pk』はコミカルで親しみやすく、しかも十分に知的な作品であり、アーミル・カーンの演技はまたしても恐るべき完璧さを見せる。これはインド映画の到達した最新型スタイルの娯楽作であり、世界的な視野から見ても堂々たる完成度を誇る映画作品であり、しかもインド映画でなければ描けなかった作品だろう。そしてそのテーマは「神と宗教」だ。

物語はインドの見果てぬ荒野に、一人の裸の男(アーミル・カーン)が出現するところから始まる。彼は人の道理や社会の常識に極めて疎い、ある種の「白痴」的な存在だ。のちに「pk(ピーケイ)」と呼ばれることになるこの男は、あるものを探している。それを見つけ出す過程で、彼は人々の願いを聞き届けるという【宗教】の存在を知る。彼は様々な宗教を信仰しようとするが、その都度ややこしいトラブルに見舞われ、そして一向に願いは聞き届けられない。そこで彼は一つの結論に達する。神はいるが、現在行方不明となっているのだと。そんな彼にTVリポーターのジャグ(アヌーシュカ・シャルマー)は興味を持ち、「宗教とは何か?」を検証するTV番組に出演させる。しかし、そんなpkを面白く思わない新興宗教教祖がいたのだ。

映画『pk』の真にユニークな部分は物語のそもそもの立脚点だ。それは既にオープニングで語られるのだが、これが非常に驚かされるものであるが為に、ここで種明かしをすることができないのだ。なぜなら語ることで陳腐化してしまうからである。しかしこれがラストで語られればなおさら陳腐化するだろう。まずこのオープニングで驚くことによって物語にすんなりと入っていくことができるのである。ラストを明かせない物語、というのは多々あるが、オープニングが明かせない物語、という部分で『pk』は既にしてユニークな作品なのだ。

II.

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『pk』は斬新な切り口で「神と宗教」という人間/人類の持つ本質的な命題に対し、時に面白おかしく、時に鋭く疑問を投げかけ、解答を模索する。しかしそんな堅苦しくなりがちなテーマをアーミル・カーン演じる奇矯なキャラクターの目を通して分かり易く噛み砕いてゆく。

アーミル演じるpkの姿はどう見ても奇妙だ。両耳がダンボのように大きく、いつもぎょろぎょろと目の玉をひん剥き、変な姿勢でピョコピョコと歩く。この歩き方から彼はヒンディー語で「Tipsy(ほろ酔い、千鳥足)」という意味の「pee-kay=pk」というニックネームが付けられる。こんなpkのコミカルな動き、彼のトンチンカンさから巻き起こされるドタバタの大騒動は、映画をとても愉快で豊かなものにし、観る者は誰もが彼のとりこになってしまうこと請け合いだ。そして彼がいつも着ている奇抜な柄のファッションも目を楽しませるものになっているだろう。

何故彼は神を探すのか?それは願いを聞き届けるものであると信じているからである。しかし、神への願いは往々にして聞き届けられることがない。では何故願いを聞き届けるはずの神はその願いを聞き届けないのか?それは神がいないからなのか?では人々が信じている神とその宗教とはなんなのだろう?願いを聞き届けない神と宗教を何故人は信じ続けるのだろう?そしてpkはある結論に辿り着く。神はおり、その神意はあるにもかかわらず、それは混線した電話のように間違って伝えられていると。では、その正しい神意は、今どこにあるのか?

こうして展開してゆくこの物語は、思考の実験であり、神の探索であり、人とその生の核心へとどこまでも迫ってゆく、めくるめくような【驚き】と【発見】に満ち溢れた【冒険】として描かれてゆくのである。そしてそれが、小難しい理屈をこねた晦渋なものではなく、宗教と神にまつわる抹香臭いお説教に至ることもなく、一つ一つの疑問と概念を次々とクリアにさせ、それによる知的興奮と認識の刷新に心躍らされるエンターティンメント作品として仕上がっているのだ。pkは無垢であり無知であるがゆえにそのまなざしはどこまでも澄み渡っており、彼の突きつける素朴な疑問に観るものはその都度立ち止まって考えさせられてしまう。これは様々な宗教が混在するインドでしか実現できなかった作品であると同時に、全ての宗教性に言及しているがゆえに大いなる普遍性を獲得しているという稀有な作品なのだ。

III.

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pkの「神様探し」はとある架空のインチキ宗教へとたどり着くが、それはその個別なインチキ宗教を検証し糾弾するためというよりも、そもそもインチキに至らざるを得ない宗教そのものを体現させようとしているのだ。

しかし追及された側の宗教団体の巧妙な論理のすり替えによる反論がいちいちもっともらしくて面白い。言うなれば信仰に対する認識が実はこういった論理のすり替え、錯誤、そして思い込みで成り立っている、ということを匂わせる。そしてその後に続くのは、そういった【誤認】がどういった形で成り立つものであるかを検証し、人間の【自己認識】の曖昧さを明らかにする。

こういった宗教と神を検証するインドの娯楽映画作品としては『OMG Oh My God』が挙げられ、『pk』はエピソードの積み上げ方にそれと類似した部分が伺えるが、『OMG』が宗教の真の在り方とは何か、という宗教そのものが既に先験的な概念であるとして物語を組み立てていた部分を、この『pk』ではさらに一歩踏み込んで、「宗教は何故成り立ってしまうのだろう?」というその前段階から検証する行為から物語を構築しているのだ。ただしこの作品の弱点を一つ挙げるなら、最終的に宗教の存在をつまびらかに対象化することなく新興宗教教祖とのディベートという形で矮小化してしまったことかもしれない。

物語はこういった「神/宗教」というテーマと並行しながら、pkとTVリポーターのジャグとのささやかな交流、そしてpkのほのかな想いをも描いてゆく。「神/宗教」という論議はどこか抽象的なものだが、「愛」はより具体的で身近なものだ。そして「神/宗教」が人の生のある一面を司るものなら、「愛」はそれよりもより多くの面を司ってゆくものなのだ。こうして映画『pk』は「神/宗教」をテーマにしながらも最後に一つの「愛」の形へと集束してゆく。なんとなれば、人は例え神も宗教もなくとも生きていけるけれども、愛無しでは生きていけないものなのだ。こうしてクライマックスを迎える『pk』は、きっと爽やかな涙を観客にもたらすことだろう。

IV.

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蛇足となるが、神と宗教に関する個人的な感想を書きたい。何故人は神を追い求めるのか?オレ個人は全くの無宗教だが、かつてイギリス古典文学であるミルトンの『失楽園』を読んだ感想でこういったことを書いたことがある。

生は、やるせなく、やりきれなく、不条理な側面を持つものです。生は、艱難と辛苦に満ち、途方に暮れることばかりが起こりがちです。そうして生きながら、やがて年老い、体が利かなくなって死ぬのです。あるいは、突然の事故や、病気や、そのほかの、想定出来ないあらゆる理由で、人は生半ばして死にます。生は不条理です。宗教とは、その不条理さに理由をつけようとしたものなのでしょう。自分は、信仰を持っていませんし、今のところ、持つ予定もありません。しかし、生の不条理に理由をつけようとした宗教というツールはやはり物凄いものだったのだな、と感じるのと同時に、宗教の非合理性に与する事を善しとしない程度の知識と合理性を持っていたとしても、生の持つ不条理に対して人はやはり無防備な存在でしかない、とも思えるのです。

映画『pk』は「神/宗教」というテーマ性から、圧倒的に無宗教な日本では公開が難しいかもしれない。しかし、ひとつのアレゴリーを徹底して追及する物語としてこれほど面白い作品もなかなか巡り会えないのも確かだ。そういった部分で、興味を持った方には是非ご覧になってもらいたい作品だ。素晴らしいですよ。

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きっと、うまくいく [Blu-ray]

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匿名匿名 2016/11/02 11:59 体感3/4から4/5くらいの時間におこるあのエピソード、伏線とかほとんど全くないまさに「不条理」でしたね

匿名匿名 2016/11/02 11:59 体感3/4から4/5くらいの時間におこるあのエピソード、伏線とかほとんど全くないまさに「不条理」でしたね

20150507(Thu)

[][]スーパースター・ラジニカーントがダム建設を巡る陰謀と戦う映画『Lingaa』 スーパースター・ラジニカーントがダム建設を巡る陰謀と戦う映画『Lingaa』を含むブックマーク スーパースター・ラジニカーントがダム建設を巡る陰謀と戦う映画『Lingaa』のブックマークコメント

■Lingaa (監督:K.S.ラヴィクマール 2014年インド映画)

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あのスーパースター・ラジニカーントがスクリーンに帰ってきた!という2014年の映画『Lingaa』です。実はラジニカーント、大傑作映画『ロボット』(2010)のあとしばらく病気療養中だったらしいんですね。途中『Kochadaiiyaan』(2014)という3DCG映画で主役のモーションキャプチャーを演じていましたが、やはりあれはアニメ。という訳で今回は久々の主演作ということになるんですよ。お話はダム建設を巡る悪巧みにラジニカーントが喝を入れる!というもの。共演はダブル・ヒロインとしてアヌシュカー・シェッティ、ソーナークシー・シンハー。監督はかつてラジニカーントとタッグを組んだ『ムトゥ 踊るマハラジャ』で世界を席巻したK.S.ラヴィクマール、音楽はA.R.ラフマーン。

《物語》コソ泥として生きるリンガ(ラジニカーント)はある宝石強盗をきっかけに女性テレビレポーターのラクシュミ(アヌシュカー・シェッティ)と知り合います。実はラクシュミには故郷の村へリンガを連れ戻す役目がありました。なんとリンガはかつてこの村で君主だった男の子孫だったのです。英領インド帝国時代、ラージャ(ラジニカーント二役)という名のこの君主は、旱魃と河川の氾濫に苦しめられるこの村の窮状を知り、村人たちと協力してダムを築こうとします。明るい村娘ブハラティ(ソーナークシー・シンハー)の協力もあり、ダムは完成に近づいていましたが、イギリス官僚の陰湿な妨害工作に遭い、ラージャは窮地に落とされるのです。

ところでこの『Lingaa』、タミル語映画なんですが、自分はヒンディー語吹き替えバージョンのDVDを観たんです。ところがこのバージョンは大幅にカットされたものなんですね。タミル語版178分の所をヒンディー語吹き替え版は142分となっており、つまり36分に渡ってカットされたヴァージョンだということなんですよ(オリジナルのタミル語版のソフトが出てるのかどうかは未確認)。そんなわけですから、ここで書いた感想はあくまでヒンディー・バージョンを観ての感想となりますのでご了承を。

とは言いつつね…。う〜ん、これがなんだか退屈なんですよ。ダム再建設を巡る陰謀と戦う現代のラジニカーント、そして英領時代のダム建設を目指して尽力するラジカーント、と二つの時代・二つの主役を演じて頑張っちゃうラジニカーントなんですが、踊りもアクションもギャグもありつつ、なんだか全体的にスッカスカなんです。なんかこうラジニカーント映画のたっぷりこってり振りがコンソメスープみたいな薄味になっちゃってる。いくら短縮バージョンとはいえ、短縮してさえスッカスカなんですからオリジナルのほうもなんだか危ぶまれます。病気療養後の体力だったからアッサリ行っちゃうことにしたんですかね。

薄味とはいえ、前半のコソ泥稼業の描写はそんなに悪くないんです。ただやはり後半からの英領時代が問題なんですよ。最初は走行中の機関車を舞台にした大立ち回りや、豪華絢爛なマハラジャの邸宅を御開陳して目を楽しませてくれるのですが、ダム建設にお話が進んだ途端、ラジニ演じるラージャの理想に突き進む清廉潔白さがなんだか品行方正過ぎて面白くないんです。人々を動かし大きな事業を打ち立てるラジニの姿は『その男シヴァージ』などでも見られ、ラジニの政治寄りな部分が垣間見られますが、あれはあくまで悪党が善行を成すのが楽しかった。でもこの『Lingaa』では人々に愛される領主様がテキパキと辣腕を振るう場面ばかり見せられて退屈なんです。

そして後半に近づくにつれ、その清廉潔白な領主様は、今度は聖人になっちゃうんですよ!村人のために全ての財を投げ打ち無一文になりながらも笑顔を絶やさず、そんな領主様を村人たちが泣きながら拝む、ああ、神様仏様ラジニ様、ってな感じなんですよ。まあ確かにラジニはスーパースターですから、「俺って凄いよね?俺ってイケてるよね?」と超絶アピールしてナンボではあるんですけれども、その凄さを裏打ちするたっぷりこってり黒光りしたパワフルさがあってこそ初めて面白さに通じていたものを、今回のラジニは単に「善人」なだけなんですね。こりゃ面白くないわなあ。

クライマックスギリギリでやっと大アクションを披露してなんとか溜飲を下げましたが、ラジニの映画って本来全編クライマックスじゃないですか。それをラストあたりだけでチャチャッと片付けちゃう部分にもやはり物足りなさを感じるんですよね。劇中何度か使用される『Kochadaiiyaan』と五十歩百歩のしょぼいCGも十分に萎えさせてくれる一因になってしまいました。まあこれがその辺の俳優の作品だったら「まあ普通かな、悪くないけど」になるんですが、ラジニだとやっぱり期待しちゃうじゃないですかー。なんかこう、美味いインド料理屋と聞いて出掛けたらCoCo壱番屋にお店が変わってた、というぐらいにがっかりした作品だったなあ。

しかしラジニって地獄のミサワに似てね?

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USA-PUSA-P 2015/05/08 00:34 http://www.bhavanidvd.com/product_info.php?products_id=8557 と、ソフト自体はあるようです。ただこのショップ、たまに利用するんですが送料がチョイ高いのが難点で… でもタミル、テルグのオリジナルを購入する時には、送料の高さ以外はバーゲンとかまとめ買いお得コンボセットとかあったり、注文から発送までスムーズですし、ルートとしてブクマしておかれるのもアリかとは思います。

globalheadglobalhead 2015/05/08 08:22 おお、これは!今までテルグやタミルの映画は入手方法が分からなかったので「まあ無かったことにしてスルーしよう」と心に決めていたのですが、これでまたもや新たな探索の旅に出なければいけなくなってしまったではないですか!こ、小遣いが…。

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20150501(Fri)

[]国際的な陰謀に巻き込まれた少年の決死の逃避行を描く傑作コミック『ミラン・K』 国際的な陰謀に巻き込まれた少年の決死の逃避行を描く傑作コミック『ミラン・K』を含むブックマーク 国際的な陰謀に巻き込まれた少年の決死の逃避行を描く傑作コミック『ミラン・K』のブックマークコメント

■ミラン・K ティーンエイジャー編 / サム・ティメル(作)、コランタン(画)

ミラン・K

ロシアの大富豪アンドレイ・コドロフとその家族が、大統領ウラディミール・パーリンによって暗殺される。ただ一人残されたアンドレイの息子ミーシャは、腹心のボディガード、イゴールに守られ、慎ましやかな生活を送っているが、やがて、彼のもとにもパーリンの魔手が迫る。逃亡生活を送るミーシャは、やがて亡父が彼のために、莫大な財産を隠していてくれたことを知る。第一の財産は、莫大な不動産を有する会社を子会社に持つハリケーン社の株。ミーシャは、ミラン・キングという偽名のもと、父親の財産の回収に奔走する。はたして彼は独裁者パーリンに一矢報いることに成功するのか?国際経済・金融界を舞台に繰り広げられる冒険BDの傑作!

この『ミラン・K』、表紙の拳銃を構えた少年の姿や、「ティーンエイジャー編」という副題からジュブナイル系の冒険活劇かと思われるかもしれないが、実際は相当に骨太かつ血生臭い傑作社会派サスペンスなのだ。物語は国家による財産を狙ったロシア富豪一家の暗殺事件に始まり、ただ一人生き残った少年がボディガードと共に身を隠し、世界各国を転々としながら陰謀の真相に迫り、なおかつ殺された家族の復讐を誓う、というものだ。なにしろ物語の最大の敵役がロシア大統領である、という設定から驚かされるが、たった一人の少年を亡き者にするため国家ぐるみで陰謀と殺戮と破壊を繰り返してゆくという展開は、ハリウッド映画でさえいまだ存在しえなかったのではないかと思えるほどに凄まじい。少年はまず軍資金として亡き父が残した莫大な隠し財産を追ってゆく、というのが物語の大まかな流れになるが、ここでもともと映像ジャーナリストであった作者の国際経済・金融業界に対する知識が生かされることにより、単なる陰謀活劇にとどまらず、国際金融のダークサイドと奇妙なからくりをも描いた大変ユニークな作品として仕上がっているのだ。主人公を追撃するロシア政府が次々に築いてゆく死体の山と爆破された瓦礫の数も大盤振る舞いであり、アクション・コミックとしても破格のものがある。その中で主人公は体力だけではなく高い教育に裏打ちされた知識でもって様々な危機を乗り越えてゆくのだ。これまでもその潜在的なポテンシャルの高さを知らしめてきたバンドデシネではあるが、このような作品まで飛び出してくるとはさすがに唸らされるものがある。アクション映画、スパイ・冒険小説の好きな方に是非お勧めしたい。この巻はティーンエイジャー編ということだが、この先にどんな冒険が待っているのか早く読んでみたい。続巻刊行を熱烈に希望する。

[]最近買ったゲーム〜『ダイイングライト』『セインツロウ IV リエレクテッド』 最近買ったゲーム〜『ダイイングライト』『セインツロウ IV リエレクテッド』を含むブックマーク 最近買ったゲーム〜『ダイイングライト』『セインツロウ IV リエレクテッド』のブックマークコメント

■ダイイングライト

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あの相当面白かったゾンビゲーム『デッドアイランド』の開発元が再び手がけた話題のゾンビゲーム『ダイイングライト』です。いやーそれにしても『デッドアイランド』、オレ1年半に渡りだらだら60時間ぐらいかけてクリアしましたよ。さてこの『ダイイングライト』の新機軸といたしましてはオープンワールドをバルクールを駆使してゾンビから逃げ回る、といった作りになっております。そして夜と昼とではゾンビの強さが違う。昼はのそのそ蠢くロメロ・タイプのゾンビですが夜になると機敏になっちゃう次世代ゾンビ仕様へと様変わりするんですね。走るゾンビはアリかナシか、という議論がありますが、このゲームは両方ぶっこむことで議論を終了させた、という画期的なものなんですね。ゾンビでどうしてバルクール?かと思ったんですが、ゾンビぶち殺しまくりというよりは逃げ回ることも多いこのゲーム、ゾンビからの退路を立体的に模索する、という部分が面白いんですよ。注意点としてCEROの規制がきつすぎて人間もゾンビも血が緑色になっちゃってる、という部分で賛否が分かれているようですね。ただ、買ったのはいいんですが、最近インド映画DVDを大量購入してしまい、こっち観るのに忙しくて全然やってる暇がないっす…。

セインツロウ IV リエレクテッド

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おおなんとあのバカすぎて大変面白かったゲーム『セインツロウ IV』が装いも新たに次世代ハードに登場です。それにしても全くなんの話題にもなっていないのがいっそ清々しいゲームですね。まあ『セインツロウ』だからしょうがないですよ。こんなゲームの、しかもXboxONE版をわざわざ買う酔狂はこの日本でも30人ぐらいだと思われますのである意味貴重です。将来的にはなんのプレミアにもならないと思いますが。さて内容は既にXbox360などで発売されている『セインツロウ IV』にDLC26種類ぶっこんだ「リエレクテッド」と新作「ギャット・アウト・オブ・ヘル」の2作が収録されています。次世代機だから画面も綺麗かというとそんなことはないといういういい加減さがとても『セインツロウ』らしくていいです。内容もそれに準じたいい加減なアバウトさがユルくて心地よいですね。ただ、買ったのはいいんですが、『ダイイングライト』も同時に購入しちゃったのと、なにしろ最近インド映画DVDを大量購入してしまい、こっち観るのに忙しくて(以下略)。