Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20150630(Tue)

[][]『Devdas』原作者による一組の男女のすれ違いを描く文芸ドラマ〜映画『Parineeta』 『Devdas』原作者による一組の男女のすれ違いを描く文芸ドラマ〜映画『Parineeta』を含むブックマーク 『Devdas』原作者による一組の男女のすれ違いを描く文芸ドラマ〜映画『Parineeta』のブックマークコメント

■Parineeta (監督:プラディープ・サルカール 2005年インド映画)

f:id:globalhead:20150217135841j:image

20世紀中葉のカルカッタ(現コルカタ)を舞台に、二つの家の諍いが相愛である一組の男女に投げかける波紋を描く文芸ドラマである。主演は先ごろ日本でゾンビ映画『インド・オブ・ザ・デッド』の公開されたサイフ・アリー・カーン、ヒロインに『女神は二度微笑む』の日本公開でその美貌と演技の才を知らしめたヴィディヤー・バーラン。彼女はこの作品がデビュー作となる。そしてこの作品の注目点は、SRKも主演した名作インド映画、『Devdas』の原作者シャラッチャンドラ・チョットッパッドヤーイの原作作品を元にしているということだろう。ちなみに「Parineeta」とは既婚女性、といった意味なのらしい。

カルカッタに建つ豪奢な屋敷。そこで一組の男女が諍いを起こしていた。男の名はシェーカル(サイフ・アリー・カーン)。女の名はラリター(ヴィディヤー・バーラン)。屋敷の階段でシェーカルに気易くしなだれかかるラリターを、シェーカルは「この裏切り者、売女!」と怒気露わに叱責する。二人に何があったのか。シェーカルは富豪ナヴィーン・ロイの息子であり、シェーカルは隣家グルチャラン家の養女だった。幼馴染の二人はいつしか相思相愛となり、結婚も間もなくだと思われていた。しかし富豪ナヴィーン・ロイへのグルチャラン家の借金が元で、二つの家の関係は雲行きが怪しくなっていた。そこへ現れたのはロンドン帰りの実業家ギリーシュ(サンジャイ・ダット)。ギリーシュはグルチャラン家の借金を肩代わりすることで、ラリターと急速に接近していった。これによりシェーカルとラリターの仲はこじれ始めるが、そこにはグルチャラン家をよく思わないシェーカルの父の策謀もあったのだ。そしてラリターとギリーシュの結婚が決まってしまう。

以前YouTubeでとあるインド映画解説の様子を視聴したことがあったが、そこでの話が面白かった。インド映画界を日本映画界に見立てた話だったのだが、いわく、ムンバイ(いわゆるボリウッド)で作られる映画は日本でいう東宝映画(娯楽映画)であり、南インドで作られる映画は東映映画(任侠映画)であり、そしてベンガルで作られる映画は松竹映画(文芸映画)である、ということなのだ。確かに、自分が今まで観た中では、ベンガルを舞台にした作品は文芸作が多く、その表現の在り方もシリアスであったりどこか端正だったりするが、なによりもインド映画=明るい、といった世間一般的なイメージを覆す暗く救いのない物語も散見するのだ。だからちょっと展開の暗い映画を観ると「ん?これベンガル?」なんて思うようになってしまったぐらいだ(まあ、オレそんなに多く作品観てないから断言できないけどね…と一応自信無さそうに言っとく)。

カルカッタは西ベンガル州に位置する街であり、そういった意味でもカルカッタを舞台にしたこの『Parineeta』は非常に文学の薫り高い作品だということができる。文学と言っても様々だが、この作品においてはその抑制された美術と話法、細かい心理描写を中心とした物語性、安易なコマーシャリズムや過度なドラマチックさに頼らない作品主義、といったことが挙げられるだろうか。伝統的・古典的な味わい、と表現することもできるだろう。これは同じ文学作品を原作とした『きっと、うまくいく』とはまた違った味わいである、ということなのだ。また、カルカッタならではの雰囲気、文化といったものもあるだろう。豪邸が現れてもそれは金満ではなく旧家の落ち着きを感じさせるし、衣装やライフスタイルのありかたもまた同様だ。そういった中で物語られる物語も、恋愛を中心としながら奥ゆかしく淡白なものを感じさせる。こういった全体を覆う空気感が物語を魅せるものとしている。

ただしこの『Parineeta』はミスリードを促す「ひねり」が物語の中に隠されており、それが物語を分かり難いものにしているだけではなく、物語のそもそもの立脚点をこじつけめいたものにしてしまっているように感じた。それと主人公シェーカルは幼馴染であることにあぐらをかいていたからラリターと反目したとしか思えず、この辺りに古臭い単細胞な男性像を感じた。それに対するラリターのけなげさ、ひたむきさがこの物語の中心となるのだが、これも古典的な女性像だともいえてしまう。そういった部分はあるにせよ、全体的には実に味わい深く美しい作品に仕上がっており、覚えておくべきインド映画の1作であるのは間違いない。また、ラリターを演じるヴィディヤー・バーランの素晴らしさは特筆すべきだろう。

もうひとつ指摘すべきなのは『Devdas』との相関性だろう。『Parineeta』と『Devdas』は相愛の幼馴染同士が二人の家同士の諍いにより引き裂かれてゆく、といった部分でひとつの兄弟のような物語であり、またそれを幻想と眩惑でもって描いた『Devdas』とあくまでトラディショナルに徹して描いた『Parineeta』といった部分ではコインの裏表のような物語であるといえるのだ。もちろん同一原作者であることからだが、そういった部分で見比べるのが面白い作品でもある。

D

20150629(Mon)

[][]アーミル・カーン主演、『ミルカ』のラケーシュ監督による政治的ドラマ〜映画『Rang De Basanti』 アーミル・カーン主演、『ミルカ』のラケーシュ監督による政治的ドラマ〜映画『Rang De Basanti』を含むブックマーク アーミル・カーン主演、『ミルカ』のラケーシュ監督による政治的ドラマ〜映画『Rang De Basanti』のブックマークコメント

■Rang De Basanti (監督:ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ 2006年インド映画)

f:id:globalhead:20150302082409j:image

先頃日本でも公開され好評を博した傑作インド映画『ミルカ』のラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督による2006年公開の映画がこの『Rang De Basanti』です。ラケーシュ監督作品は他にも2009年にインドで公開された『Delhi 6』が個人的に大いに気に入っており、もっとこの監督の作品を観てみたいと思ったんですよ。もうひとつ興味を惹いたのは、『きっと、うまくいく』の主演だった3馬鹿トリオ、アーミル・カーン、R・マーダヴァン、シャルマン・ジョーシーがここでも共演している、ということなんですね。しかしこの作品は『きっと、うまくいく』同様に大学生たちが中心となるドラマではありますが、『きっと、うまくいく』とは180度異なる相当にシリアスな物語でした。

物語はイギリス人女性スー(アリス・パッテン)が自主制作映画を撮るためインドの首都デリーを訪れるところから始まります。スーはまだイギリス植民地であった20世紀初頭のインドで、故国開放の為に立ち上がった実在のインド革命家たちの映画を撮ろうとしていたのです。友人である大学生ソニア(ソーハー・アリー・カーン)の協力により、大学卒業生DJ(アーミル・カーン)を始めとする配役が決まりましたが、彼らは彼らが演じるインド革命家たちとは裏腹な、お気楽で享楽的な大学生ばかりでした。しかし撮影が進行するにつれ、彼らはインド革命家たちが何を思い何のため行動を起こしたのかに共感するようになります。そんなある日、軍用機購入収賄疑惑に絡むある悲劇が彼らを襲います。自らの住む国のあり方に怒りと疑問をおぼえた彼らは、それをある行動によって爆発させてしまうのです。

おおっとこれは相当に歯応えの強いある意味難物ともいえる作品でした。というのは、この物語がインド革命家たちの辿った運命に添った形をとりながら、近代インドの暗部ともいえる歴史とその事件を掘り起こしているからであり、こういったインド史に暗い自分のような日本人からすると、「こういうことがあったんだ…」ということを知ることはできたとしても、これらの事件の背景にある政治状況への、インド自国人の衝撃や憤りといった生々しい感情を、安易に共感という言葉でひとくくりにできない、といったもどかしさがあったからなんですね。そういった意味ではある程度のインド史・インド政治への理解がないと難解な部分のある作品ではあると思いました。その強い政治的メッセージからこの作品はインドで大きな関心を持たれ物議を醸しながらも大ヒットしたそうですが、インド理解に乏しい自分がここで書く感想はあくまで表層的な部分に止めることにします。

この物語は、史実ではあるが「映画」という「仮想」を演じる者たちが、その「仮想」に取り込まれる、感化されてしまう、といった部分がポイントになっています。しかし単に演じただけで感化されたのではなく、「ある事件」による心理的バイアスが引き金となった「憑依現象」とも言え、社会心理学的な側面を見出すこともできるかもしれません。そういった部分で牽引したならまた別の面白さがあったかもしれませんが、しかし物語はあくまでも政治的主観的な流れに沿って描かれることになります。それにより、若者たちの行動が、単に直情による短絡にしか受け取れなく思えてしまうのです。本当に彼らにはその道しかなかったのか?他に手段がある筈だったのではないか?と思うと、この物語が着想段階での構成のみが先行したどこか不自然なものを感じてしまうんですよ。ですから、若者たちの起こした行為という「原因」から導き出されるクライマックスの「結果」は、それは悲劇的なものではあるにせよ、なるべくしてなったもの、と客観的には思えてしまうんです。

また、インターバルまでの前半部分では学生たちのお気楽振りと無関心振りが描かれますが、これは後半の政治性との対比として用意されただけのようにしか見えず、それぞれのキャラクターにそれほど魅力や共感を感じないんです。アーミル・カーン演じるDJは自らのボヘミアな生活に悩んで見せたりもしますが、それが物語と絡み合っているわけでもないんです。主要キャラであるムスリムの青年と右翼青年の対立がいつしか和解へと繋がる部分はドラマチックではあっても、やはり作り物めいているんですよね。しかし、個人的に最も理解しやすかったのはこの右翼青年でした。彼は西洋文明流入を拒否する国粋主義者であり、であるからこそインド独立の志士である革命家たちを演じることを同意します。しかし最終的に彼は愛して止まない国家に裏切られ大いなる挫折を体験するのです。そして彼は国家を愛するがゆえにその国家と対立します。この自己矛盾の苦悩こそに自分は注視しました。この物語の主人公は本当は彼だったのではないかとすら思います。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150629

20150626(Fri)

[]スタニスワフ・レムの『短編ベスト10』読んだ スタニスワフ・レムの『短編ベスト10』読んだを含むブックマーク スタニスワフ・レムの『短編ベスト10』読んだのブックマークコメント

短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション)

集団主義のイデオロギーによって個人が厳しく抑圧される様を、独裁者の支配下、人びとが水の中に住むことを強制されている星に仮託して風刺的に描いた「航星日記・第十三回の旅」、大事故にあった宇宙船の中に唯一生き残った、壊れかけのロボットに秘められた謎を追った「テルミヌス」、高性能コンピューターに人類の歴史のありとあらゆる情報を吸収させた上で詩を作らせる、抱腹絶倒の言葉遊び「探検旅行第一のA(番外編)、あるいはトルルルの電遊詩人」など、自由な実験場ともいうべきレムの短篇の中から、ポーランドの読者人気投票で選ばれた15篇中、未訳の10篇を集めた日本版オリジナル傑作短篇集。

〇レムと短編集

国書刊行会が出している「スタニスワフ・レム コレクション 全6巻」の第5回配本『短編ベスト10』が発売され、「これは読まねばなるまい…」と手にしたオレなのである。レムと聞いたら躊躇わず読む。これが真のSF者の心得なのである。とはいいつつ国書から出ているのは『大失敗』と『天の声・枯草熱』しか読んでないし、他にもアレとかソレとかまだ読んでないんだが…。ちなみに『大失敗』は個人的に『ソラリス』と同等かそれ以上の傑作だと思う。

さて改めて紹介するとスタニスワフ・レム(2006年没)は当時ソビエト連邦の支配下にあったポーランドで活躍していたSF作家で、共産・社会主義国家圏という社会体制の中から西側諸国とは異質な独特の世界観を持つSF作品の傑作を生み出していた。レムで最も有名な長編作品『ソラリス』を始めとする『エデン』『砂漠の惑星』といった《ファースト・コンタクト3部作》でその名をSF史に深く刻み付け、該博な知識と深い思弁性から当代最高のSF作家であるという評価もある。

レムSFの代表作である《ファースト・コンタクト3部作》を始めとする幾つかの長編作品は「絶対のディスコミニュケーション」というテーマを孕んでいたが、それは人間中心主義的な欧米SF作品への強烈なアンチテーゼであると同時に、レムが身を置いた社会主義国家における国家と個人との断絶、そこから生まれる意思疎通不能の絶望感が大きく影を投げかけた物語だったのではないかと思う。

さてそういったペシミスティックな長編作品とは裏腹に、レムの短編には茶目っ気に満ちた諧謔性の高い作品が多く並ぶ。緊張感に溢れた緻密な構成を成す長編と比べ自由闊達で変幻自在な遊び心に溢れたこれら短編はレムにとってもひとつの思考遊戯であったのだろう。しかし一見リラックスして書かれているように思えるこれら短編ですら、そこに持ち込まれた情報量と論理展開、そしてメタファーとして透けて見える社会主義体制へのアイロニーは剃刀のように研ぎ澄まされている。

この『短篇ベスト10』はポーランドにおけるレム短編の読者人気投票上位作品に選者の好みを付け加え、さらに日本において15篇から10篇へとシェイプアップして刊行された作品集だ。レムの短編には幾つかのカテゴリーがあり、これは「泰平ヨン」「ロボット宙道士トルルとクラパウチュス」「宇宙飛行士ピルクス」といった主人公が活躍するものだが、この作品集にも彼らの物語が万遍なく収められている。

〇『短編ベスト10』

さてざっくりと中身を紹介してみよう。

「三人の電騎士」…氷の生命体"氷晶人"の惑星へ武運を試す為訪れた、ちょっと頓馬な三人の電騎士たちの運命。氷、オーロラ、宝石など煌びやかなイメージが並ぶファンタスティックな一篇。まずは小手調べ。

「航星日記・第二十一回の旅」…泰平ヨンの降り立った惑星は機械が自己生成し人々は遺伝子操作であらゆる形態へ自由に変化した世界だった。異形の惑星の歴史をひたすらナンセンスに描いた作品であるが、同時に旧弊な宗教観が、死、生命、生存形態の在り方が膨大に枝分かれした世界で全て無効になってしまう様が描かれ、一つの宗教批判となっているのだ。

「洗濯機の悲劇」…自意識を持った洗濯機から始まるドタバタ劇。勝手に増殖と拡散を繰り返すロボットとその管理の為にいたちごっこの法整備を繰り返す人間のナンセンスを描くが、その本質にあるのはA.I.の人権という未来的な問題であり、そして生命/意識というものの定義の揺らぎなのだ。

「A・ドンダ教授 泰平ヨンの回想記より」…アフリカの小国でコンピューターに古今東西のあらゆる魔術をインプットし続ける博士の顛末は。高密度に集積した情報が質量へと変転するといったトンデモを描きながら、コンピューター管理化された情報社会の脆さを既に予見した作品だ。

「ムルダス王のお伽噺」…中世が舞台のお伽噺のように始まりながら、物語は電脳化されあらゆるネットワークに意識を広げた一人の王の情けない猜疑心の物語へと次第に変わってゆく。これなどもある意味サイバースペースSFの先駆けとも言えるかもしれない。

「探検旅行第一のA(番外編)、あるいはトルルルの電遊詩人」…詩の自動生成マシンを巡る大法螺話。詩を作る知性を形成する為にまず生命誕生のシミュレーションから始め文明と歴史を生み出させ…という部分から既に馬鹿馬鹿しい。とは言いつつこれは暴走するA.I.の恐怖をもじんわりと描くのだ。

「自励也エルグが青瓢箪を打ち破りし事」…ロボット物語。「三人の電騎士」同様、宇宙の星々をあたかもサッカーボールかなにかのように扱ってしまうファンタジックで稀有壮大な法螺話であり、『ほら男爵の冒険』のサイバネティクス版とも言うことが出来るだろう。

「航星日記・第十三回の旅」…独裁政権の暴走により何故か水にまみれてしまった惑星に拘束された泰平ヨン。あっちもこっちも水だらけの中ブクブク泡を出しながらの暮らしを余儀なくされる住民たちを面白可笑しく描くが、これは当然硬直化した官僚主義への痛烈な批判を描いたものだ。

「仮面」…この作品集のなかで一種異様な輝きを見せるのがこの作品だ。ヨーロッパ中世と思しき宮殿で目覚めた王女らしき女性の意識の流れを追いながら、その奇妙に研ぎ澄まされた思考の過程にどこか戸惑いつつ物語を読み進めてゆくと、なんと突然…という恐るべき展開を見せる作品である。そしてさらに恐るべきは一切説明が無い、ということだ。そういった部分で難解な物語ではあるが、これは"性"の奔流とその執着を徹底的にカリカチュアすることで作られた物語なのではないか。個人的には日本の安珍・清姫伝説を思いだした。作品集の中でも読み応えナンバーワンの作品である。

「テルミヌス」…大事故に遭い全乗組員が死亡した宇宙船を検分する宇宙飛行士ピルクスが見たものとは。単行本『宇宙飛行士ピルクス物語』にも収録されているこの物語はまさに【宇宙怪談】とも呼ぶべき恐怖が描かれる。かつて読んだ際にその恐るべき展開に慄然としたものだった。テクノロジーがどこまでも高度に発達した未来にあってなお、合理性の枠外に存在する理解不能な"何か"。逆にこれは徹底的な科学合理主義者だったレムだからこそ生み出せた怪談なのかもしれない。

いずれ劣らぬ知的で思弁性に満ちた作品が並び、レムが「SF界のボルヘス」と謳われるのも頷けるというものだ。ただ、ちょっとだけ苦言を呈するなら、時代がかった訳文がどうも読み難いことも確かだ。「泰平ヨン」「自励也エルグ」などといったネーミングも21世紀の若い読者に向けて再考の余地があったのではないか。そういった部分を抜きにすれば、文句無く当代一のSF短編集であることは間違いない。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150626

20150625(Thu)

[]宇宙ではあなたの悲鳴は…うぎゃあああ!!〜『ALIEN ISOLATION -エイリアン アイソレーション-』 宇宙ではあなたの悲鳴は…うぎゃあああ!!〜『ALIEN ISOLATION -エイリアン アイソレーション-』を含むブックマーク 宇宙ではあなたの悲鳴は…うぎゃあああ!!〜『ALIEN ISOLATION -エイリアン アイソレーション-』のブックマークコメント

f:id:globalhead:20150622091000j:image

生 き て 還 れ- ノストロモ号事件の真相を求め、あなたは恐怖と対峙する ・無慈悲な完全生物「エイリアン」と対峙するSFサバイバルホラー。辺境の宇宙ステーション「セヴァストポリ」。 内に異質を抱えた瞬間、そこは死に塗れた極限の閉鎖空間となる。死を司るエイリアンはまさに神出鬼没、遭遇すれば悲劇しか許されない。動体探知機で気配を探り、火炎放射器で牽制し、施設へのハッキングで活路を開きながら、主人公アマンダ・リプリーはエンジニアとしての能力と知恵を駆使して孤独と恐怖に立ち向かう。

『エイリアン』のゲームというのもいろいろ出ていたような気がするが、調べてみたら殆どが『エイリアンvsプレデター』のタイトルになった、要するにプレデター込みのゲームだったりする。横スクロールのアクションゲームなんてぇのもあったが、一番記憶に残ってる『エイリアンvsプレデター』のゲームはパソコンFPSで、これは海兵隊・プレデター・エイリアンといった3つの違うキャラクターのシナリオがあり、それぞれの視点になって敵をぶっ殺したりミッション・クリアしたりするといったゲームだったな。

で、今回の『エイリアン アイソレーション』は映画作品『エイリアン』の原点に帰り、映画の1作目と2作目の中間にある時期を舞台にしたアクションアドベンチャーゲームとなってるんだね。主人公はエレン・リプリーの娘アマンダ・リプリー、彼女は自爆したノストロモ号の謎と母の行方を追って宇宙ステーション・セヴァストポリと向かうんだが、そこで見たのは夥しい死体とパニックに駆られ対立しあう乗組員たち、狂ったアンドロイド、そして異形の姿をした生命体(エイリアン)だった…というのがこのゲームのストーリー。

まずなんといってもこのゲームのポイントは「エイリアンは倒せない」というもの。そしてエイリアンに捕まったら即死亡!武器すらも存在しなくて、せいぜい火炎放射器で追い払うぐらい。その辺のFPSゲームや映画『エイリアン2』みたいに襲い掛かるエイリアンを撃って撃って撃ちまくる!という展開は存在しないんだね。だからプレイヤーは映画でお馴染みの「動体感知センサー」だけを頼りに、徹底的にエイリアンを避けて避けて逃げて逃げ回らなければならない。ある意味ステルスゲームではあるが、なにしろエイリアンの動きが神出鬼没である上にパターンが存在しない為、どこにいようと油断が出来ない!どっちかというと宇宙船内鬼ごっこって感じですが捕まった時の絶望感は結構なものがありますね。

もうひとつこのゲームを面白くしているのは映画『エイリアン』のセットの雰囲気を非常に細かく移植しているということ。舞台となる宇宙船こそ違うが、「あー、映画のノストロモ号ってこんな感じだったよなー!」とファンなら盛り上がること請け合い。宇宙船の中は常に薄暗く、映画でお馴染みのスモークむんむんだし、映画独特のコンピューター音や環境音もきちんと再現されているんだ。コップの水を飲む水飲鳥のオモチャなんかも出てくるよ(「ブレードランナー」に出てくるユニコーンの折り紙もどこかに登場するらしい)。

このメインとなるシナリオはあくまで宇宙ステーション・セヴァストポリが舞台となっているが、映画『エイリアン』の舞台となるノストロモ号を中心としたシナリオも収録されている。ミッション「搭乗員は放棄してよし」では1作目に登場していたメンバーがCGの姿で集結し、映画1作目のシナリオを追体験できるんだね。そしてミッション「最後の生存者」は1作目クライマックスでただ一人生き残ったリプリーとなり、船の自爆装置を起動して脱出用シャトルに乗り込むまで生き残らなけりゃならない。こんな具合に『エイリアン』ファンには堪らない演出のゲームとなっているんだね。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150625

20150623(Tue)

[]マッドマックス、スター・ウォーズ、そして新たなる神話の物語〜映画『マッドマックス 怒りのデス・ロードマッドマックス、スター・ウォーズ、そして新たなる神話の物語〜映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を含むブックマーク マッドマックス、スター・ウォーズ、そして新たなる神話の物語〜映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のブックマークコメント

マッドマックス 怒りのデス・ロード (監督:ジョージ・ミラー 2015年オーストラリア/アメリカ映画)

f:id:globalhead:20150621092825j:image

■本年度を代表する畢生の大傑作映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード

ジョージ・ミラー監督による「マッドマックス」新エピソード『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観た。凄まじい映画だった。長い準備期間と製作期間を経て、まさに「満を持して」世に送り出したといっていい畢生の大傑作である。ネットの評判もどこを見ても大絶賛の嵐で、ここまで多くの高い評価を得ていることも珍しいことかもしれない。それほど素晴らしい作品なのだ。今年2015年はきしくも『スター・ウォーズ』新章が公開される年でもあり、多くの映画ファンにとって忘れがたい年となるのは間違いないだろう。

しかし多くの方々が凄い、凄い、と連呼するこの『怒りのデス・ロード』、いったいなにが、どのように凄いのだろうか。異様な世界観と奇怪なガジェット、究極まで高められたアクションと、凄まじいスピード感、生きるか死ぬかのギリギリの物語。しかしこの作品はそれだけの「とてもよく出来たアクション映画」でしかないのだろうか。この作品で表現されているのはうわべだけ見るなら逃走と追跡の息詰まるアクションであり、ややこしい物語などは全くの皆無で、そのスリルだけを頭空っぽにして楽しむこともできるのだが、しかしこの作品の魅力がそういった所謂「ボンクラ映画」の範疇にだけあると言いきるのは大間違いだ。一見シンプルすぎるぐらいシンプルな構成を成すこの物語は、実は注意深く見るなら様々なアレゴリーに満ち溢れていることに気付かされるのだ。今回は試論として『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に存在するそのアレゴリーを掘り起し、この作品を別の切り口で鑑賞する方法を探ってみたいと思う。

■『怒りのデス・ロード』と『スター・ウォーズ

『怒りのデス・ロード』の舞台となるのは文明の崩壊した近未来の世界である。そこでは今現在我々が知っているようなテクノロジーは殆ど消滅し、文化も社会も国家も消えてなくなり、あるのはそれとは全く異質な文化であり社会である。これはこの作品の世界そのものが「今現在」の「この世界」と全く断絶しているということだ。『怒りのデス・ロード』に存在するはただどこまでも広がる砂漠であり、それはどこか抽象的な光景ですらある。その異質さ、その抽象性は、『怒りのデス・ロード』の世界が地球ではないどこか他の惑星、時空の違うどこか他の世界でも構わないほどだ。それにより、この作品は物語それ自体もある種の抽象性を孕むこととなっているのだ。そんな物語が実はもうひとつある。それは「遠い昔、遥か彼方の銀河系で」というプロローグから始まる傑作SF映画『スター・ウォーズ』である。

まず気付かされるのは『怒りのデス・ロード』と『スター・ウォーズ』(特にエピソード4)との奇妙な近似性だ。醜い顔と身体をマスクと鎧で武装する敵の司令官イモータン・ジョーはそのままダース・ベイダ―だ。そのイモータン・ジョーから「囚われの姫」たちを奪還し逃走をするくだりはデス・スターからのレイア姫奪還のシークエンスだ。イモータン・ジョーの軍団ウォー・ボーイズの全身白塗りした姿はストゥーム・トルーパーと被る。最初は利己的な存在だったマックスが女戦士フュリオサに協力しイモータン・ジョーの軍団と戦う姿はハン・ソロとダブる。そしてそのフュリオサの機械化された欠損した手はルーク・スカイウォーカーではないか。舞台となる砂漠は惑星タトウィーンを思わせるし、高速度で描かれる追撃シーンは『エピソード4』クライマックスのデス・スターにおけるドッグ・ファイトに通じるものがあるではないか。

■数多の物語の元型

ここで自分は『怒りのデス・ロード』が『スター・ウォーズ』を真似ているとかオマージュがあると言いたいわけではない。むしろ、『怒りのデス・ロード』と『スター・ウォーズ』は描こうとしたものの根底に同一のテーマを持っており、その共通する立脚点ゆえに近似性がある、と言いたいのだ。その「共通する立脚点」とは何か。それは【神話】である。

スター・ウォーズ』が神話学の第一人者ジョーゼフ・キャンベルによる著作の影響下にあったのは一部で知られてる事実である。ジョーゼフ・キャンベルは世界各地に存在する神話に共通するモチーフがあることを見出し、この中にこそ多くの人々がその心の奥深くで求めて止まない【物語】の【元型=アーキタイプ】があるのではないかと推察した。『スター・ウォーズ』監督であるジョージ・ルーカスは大学時代にこのジョーゼフ・キャンベルに師事しており、キャンベル言う所の「物語の元型としての神話」を『スター・ウォーズ』に適用することで、あの素晴らしい作品を生み出したのだ。

『怒りのデス・ロード』からは『スター・ウォーズ』と同様の「物語の元型としての神話」性を読み取ることができる。ジョージ・ミラー監督がジョーゼフ・キャンベルや『スター・ウォーズ』を意識して『怒りのデス・ロード』を製作したかどうかは別として、少なくともそのインタビューの中で『マッドマックス』シリーズが世界的に人気を得ていることの原因を「皆が共鳴したのは、ジョゼフ・キャンベルの著作「千の顔を持つ英雄」に見られる古典的な英雄神話と通じるものがあったからだろう」と言及している*1

■『怒りのデス・ロード』における神話構造

さてここで幾つか『怒りのデス・ロード』における神話との近似性を拾い上げてみよう。まずイモータン・ジョーの支配する要塞から彼の所有する「子産み女」たちが逃走し、マックスがその手助けをする、という物語の大まかな枠組みは、ギリシャ神話における「ペルセポネーの略奪」に相通じる。これは冥界の王ハーデース(=イモータン・ジョー)に囚われた女神ペルセポネー(=子産み女たち)をヘルメース(=フュリオサ及びマックス)が奪還する、という物語だ。もちろん髑髏のモチーフが強調されたイモータン・ジョーの要塞が冥界であるのは間違いない。この神話の結末ではペルセポネーが冥界と神界に半々に住むことになってしまうが、『怒りのデス・ロード』ではその結末に一捻り加えたものとなっている。また、冥界へと囚われの花嫁を救出しに行くもう一つの物語は日本神話の中のイザナミ・イザナギの物語として存在する。

囚われのマックスが鎖に繋がれた存在であるのはプロメーテウスの神話からだろう。プロメーテウスは神から火を奪ったことにより岩に磔にされ永遠に鳥に肝臓をついばまれる罰を与えられる。映画でのマックスは新鮮な血をウォー・ボ―イズに供給させられていた。マックスはここから開放されることで「自由」という名の希望の「火」を「子産み女」たちに与えようと尽力する。話の流れは前後するが、寓意に共通項を見出せる。

フュリオサ一行が"約束の地"で老婆から植物の種子を与えられるのは世界各国にある「豊穣の女神」いわゆる「地母神」の神話からだろう。ここで種を持っていたのがなぜ老婆なのかというと、それは「地母神」がその名の通り女性人格の神であるからだ。劇中一人の妊娠中の「子産み女」が事故死するが、「豊穣神」神話には農作物が豊穣神の死体から生成するとされるものがあり、「死と引き換えの豊穣」という寓意がここにあるのかもしれない。また前述した女神ペルセポネーもギリシャ神話における「豊穣の女神」である。『怒りのデス・ロード』では女性の活躍が注目されるが、これは別に女性の社会進出だのフェミニズム云々ではなく、女性性が荒廃した世界に豊穣をもたらすという暗喩であるのだ。

■新たなる神話の誕生

つらつらと思いついた部分を書き連ねてみたが、これが元ネタだというつもりで書いたわけではない。『怒りのデス・ロード』が【神話】という原初的な物語構造に支えられた作品であるという例を示したかったのだ。

『怒りのデス・ロード』においてマックスたちは、人智を超えた恐るべき暴虐と不可能にすら思える試練を乗り越えギリギリの生死の境から生還を果たそうとする。そして神話は、その英雄譚は、困難の中に旅立ち、幾多の苦難に出遭いながら、それに勝利して生還する英雄の姿を描く物語である。その姿を通し、不条理な生と死の狭間に生きねばならない人の運命に、道筋を与え、その意味するものを掘り下げてゆくのがこの寓話の本質にあるものなのだ。

マッドマックス 怒りのデス・ロード』はその神話に新たな章を刻み付けた作品であり、我々はそこで展開する原初の物語に、太古から無意識の血の中に存在している英雄たちの姿に、生の本質と、乗り越えるべき運命を見出す。だからこそ我々は魂をも揺さぶる大いなる感銘を受け、そして歓喜するのだ。

D

映画秘宝 2015年 07 月号 [雑誌]

映画秘宝 2015年 07 月号 [雑誌]

20150622(Mon)

[]横浜元町のステーキレストランでお食事 横浜元町のステーキレストランでお食事を含むブックマーク 横浜元町のステーキレストランでお食事のブックマークコメント

先日は相方さんのお誕生日会ということで横浜元町のステーキハウスに行ってきました。

f:id:globalhead:20150621120548j:image

この日のメニューはこんな感じ:

冷製スープ

サラダ仕立てのオードブル

ポワッソン・ディッシュ

さっぱりとしたフォアグラのコロレ

前沢牛フィレステーキ

焼野菜 ガーリックライス お味噌汁

デザート コーヒー

暗めの照明だったので写真は上手く撮れなかったんですが、とりあえず気分だけでも、ということで載せておきます。まずコーンとチーズの冷製スープとオードブル。

f:id:globalhead:20150621120939j:image f:id:globalhead:20150621120938j:image

「ポワッソン・ディッシュ」ってナニ?と思ったんですが、いさきを焼いたものが出てきましたね。そしてフォアグラが!超ウマい!

f:id:globalhead:20150621120937j:image f:id:globalhead:20150621120935j:image

お店はカウンター席に鉄板がめぐらせてあって目の前で調理するのが見られるんですね。というわけでいよいよステーキなんですが、豪快にファイヤー!してもらいました。

f:id:globalhead:20150621121837j:image f:id:globalhead:20150621121836j:image

お肉は2か月熟成の黒毛和牛。ミディアムレアで注文しましたがどう違うのか本人はよくわかってません。カリカリに焼いたガーリックとわさびで食べるのが美味しかった。最後にはガーリックライスが出てきました。

f:id:globalhead:20150621122225j:image

そして最後はソファ席に移ってシャーベットとコーヒーでおしまい。テーブルにバラの花びらが散らしてあって焦りました!!

f:id:globalhead:20150621122550j:image

一通り食事しましたがワインを飲んでいたので今一つお腹がさっぱりせず、ついでにいつものビール屋に寄ってドイツビールかっくらってきましたよ!

f:id:globalhead:20150621122854j:image

そんなわけで楽しい夜でした。相方さん、また仲良くしてね。

20150619(Fri)

[]那須塩原カピバラ三昧旅行 (その3 那須どうぶつ王国篇) 那須塩原カピバラ三昧旅行 (その3 那須どうぶつ王国篇)を含むブックマーク 那須塩原カピバラ三昧旅行 (その3 那須どうぶつ王国篇)のブックマークコメント

さて2日目はいよいよ「那須どうぶつ王国」です。しかし前日あまり寝てない上に風邪気味で、どうにも元気が出ません。元気が出ない時は…そう、メシを食う!旅館の朝飯サイコー!

f:id:globalhead:20150615214805j:image

という訳で元気の出たオレと相方さんは外でちょっとコーヒー飲んでさらに景気付けしたあと、バス・那須つつじ号で那須湯本〜那須どうぶつ王国へと向かいます。那須どうぶつ王国は実は2度目になります。そして早速カピたちのいる「カピバラの森」へGO!GO!

f:id:globalhead:20150615214804j:image

カピバラの森」へ入ると最近生まれた赤ちゃんカピたちの限定公開にぎりぎり間に合いました。お母さんのお乳を求めてワラワラワラワラ歩き回る赤ちゃんカピ!めちゃ可愛い!!

f:id:globalhead:20150615215231j:image

f:id:globalhead:20150615215828j:image

いつものメンバーも相変わらず「ぬー…ん」としております!

f:id:globalhead:20150615215810j:image

f:id:globalhead:20150615215809j:image

子カピたちも安定の「ぬー…ん」!!

f:id:globalhead:20150615220052j:image

カピたちの休憩タイムとなったのでお昼ご飯。この日は風邪気味だったから力を付けようと思い「トチブー鉄板焼き」を注文。効いた!

f:id:globalhead:20150615220802j:image

場所を移し「王国ファーム」で催されている「ニュージーランド・ファームショー」を見に行きました。これ、ニュージーランド出身の本物の羊飼いのおじさんが牧羊犬を駆使して羊たちをまとめていく様子を見ることが出来るんですよ。

f:id:globalhead:20150615220421j:image

そして再びカピ三昧!!

f:id:globalhead:20150615222952j:image

f:id:globalhead:20150615222228j:image

相方さんの指技にたちどころに悶死するカピ!

f:id:globalhead:20150615222221j:image f:id:globalhead:20150615222216j:image

水の中ですら容赦しない!

f:id:globalhead:20150615222455j:image

「ぬー…ん」

f:id:globalhead:20150615222454j:image

そんなこんなで時間を忘れてカピと遊び周り、「止め時が見つからない…」と呆けた顔で呟くオレと相方さん。しかし気が付いたらもう帰りの時間。「ああ…また来よう、またどこかのカピと遊びに行こう…」そう心に深く誓い、那須塩原を後にした二人でした。

f:id:globalhead:20150615222453j:image

(おしまい)

20150618(Thu)

[]那須塩原カピバラ三昧旅行 (その2 吊り橋と殺生石篇) 那須塩原カピバラ三昧旅行 (その2 吊り橋と殺生石篇)を含むブックマーク 那須塩原カピバラ三昧旅行 (その2 吊り橋と殺生石篇)のブックマークコメント

那須サファリパークを後にして、バスに乗り「つつじ吊り橋」を見に行きます。バスルートは那須サファリパークのある下守子から"おだん"へと行くことになります。

f:id:globalhead:20150615131642j:image

おおお、デカイ!橋の長さ130m、川からの高さは38mあるのだとか。

f:id:globalhead:20150615131643j:image

壮観です。

f:id:globalhead:20150615131644j:image

おまけに揺れるんですよ!?

f:id:globalhead:20150615210207j:image

しかも橋の間から下の様子が見えちゃう!怖すぎるだろコレ!?

f:id:globalhead:20150615205450j:image

橋の下のあたりに、既に使われなくなって草生した橋があったのが不思議な光景でしたね。

f:id:globalhead:20150615205538j:image

「つつじ吊り橋」を渡って、季節は終わってましたが八幡のツツジ群落をぐるっと巡ってまた戻り、次は「殺生石」に向かいます。山の中に通る大昔に作られたような道を下ってゆきます。まあ舗装された道路もあったんですけど、こっちのほうがハイキングぽいですよね。

f:id:globalhead:20150615211107j:image

そしてこれが「殺生石」。

f:id:globalhead:20150615211726j:image

殺生石(せっしょうせき)は、栃木県那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩。付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒ガスがたえず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られている。現在は観光名所となっており、観光客も多く訪れる。ただし、ガスの排出量が多い場合は立ち入りが規制される。 (Wikipedia:殺生石

説明にある通り、あたりはガスで卵の腐ったような臭いをさせており、この「殺生石」に辿り着く前からそこら中でこの臭いがしておりました。

手前にはお地蔵さんの集団があって、なんだか異空間になってました。

f:id:globalhead:20150615131649j:image

あちこち眺めながら旅館到着。やっと一息。

f:id:globalhead:20150615131650j:image

旅館で食べる和風な夕食は落ち着きますねー。

f:id:globalhead:20150615131651j:image

ところで、温泉地帯ならではのガスのせいでしょうか、テーブルの上に置いてあったジッポーライターの金属部分が朝起きたら黒く変色していました。テーブルに接して居た裏っ側はなんともなかったんですけどね。相方さんの時計も銀細工していた部分が変色していました。いやあ…温泉のガスって物凄いんですね…。

f:id:globalhead:20150615131652j:image f:id:globalhead:20150615131653j:image

(続く)

20150617(Wed)

[]那須塩原カピバラ三昧旅行 (その1 那須サファリパーク篇) 那須塩原カピバラ三昧旅行 (その1 那須サファリパーク篇)を含むブックマーク 那須塩原カピバラ三昧旅行 (その1 那須サファリパーク篇)のブックマークコメント

この間のお休みは相方さんと二人で那須塩原へカピバラを見に行きました。なんと今回は泊りがけ、2日間に渡ってカピバラ三昧です!オレらどんだけカピ好きやねん!?そして第1日目は「那須サファリパーク」へ行くことにしました。

まず東京から新幹線で那須塩原へ。そこからバスで下守子へ。看板には「1分」なんて書いてますがこれはあくまで車での時間、歩いたら5分から10分ぐらいあります。

f:id:globalhead:20150615194020j:image f:id:globalhead:20150615194019j:image

そして「那須サファリパーク」に到着。動物の形をしたバスが止まっていました。

f:id:globalhead:20150615194017j:image

f:id:globalhead:20150615194204j:image

今回我々を乗せるサファリ車、通称「百戦錬磨のゼブラ号」。オレは運転がダメなので相方さんに運転してもらいます。ところでこの車、バックミラーが無いのでこういう仕様なの?と思ってたら他の車にはあったんですよ。なぜこの車にバックミラーが無かったのか…それは後から明らかになります。

f:id:globalhead:20150615194203j:image

サファリパークの中に入ると早速動物たちがお出迎え…というよりもワラワラワラワラ寄ってきます!

f:id:globalhead:20150615195045j:image

「あんたエサ持ってるんじゃない?」

f:id:globalhead:20150615195424j:image f:id:globalhead:20150615195423j:image

「エサはありますか?」

f:id:globalhead:20150615195415j:image f:id:globalhead:20150615195421j:image

「エサくれエサくれ」

f:id:globalhead:20150615195418j:image f:id:globalhead:20150615195416j:image

「エサ〜〜ッ!エサ〜〜ッ!!」

f:id:globalhead:20150615195419j:image f:id:globalhead:20150615195414j:image

いやもう、エサ目当てで来る来るわ、10センチほど開けた窓から首を無理矢理ねじこんできてエサをねだるんですよ。動物たちのヨダレで窓ガラスはベトベト、エサを求めてひたすら追いすがって来るその姿はさながらゾンビ映画、半ば身の危険を感じつつ、相方さんとぎゃーぎゃー言いながら楽しんでいました。
スゲエよサファリパ―ク!
これで何故車にバックミラーが無かったのかよく分かりました。
エサ欲しすぎて昂奮した動物たちにかじり取られてしまったんですね。

ところでサファリしている時に遠くにカピバラの檻があったのですが…え?カピバラの近くにいけないの?

f:id:globalhead:20150615201444j:image f:id:globalhead:20150615201443j:image

と思ったら、サファリコースとは別にある動物ふれあい広場にある檻に1匹いました。最初は「カピバラと触れ合える」と聞いてこのサファリパークに来たんですが、檻の中だったのが残念だったなあ。

f:id:globalhead:20150615202151j:image

それでも撫でられるのが大好きな子みたいで、檻ごしに撫でるとうっとりした表情でしなだれかかってくるんですよ。そればかりか、場所を変えると追いかけてきて檻に寄りかかると「さあ撫でろ!」とばかりに催促してくるんです!

f:id:globalhead:20150615202240j:image f:id:globalhead:20150615202241j:image 

「ああ…もうダメ…」

f:id:globalhead:20150616081852j:image

そんな感じでさんざんカピと遊び、サファリパークを後にしました。

(続く)

f:id:globalhead:20150615203931j:image

20150616(Tue)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■Hauntologists / Hauntologists

f:id:globalhead:20150608094926j:image

ドイツのアンダーグラウンドで活躍するアシッド/ダブ/ミニマル・デュオ、Hauntologistsの1stアルバム。くぐもったようなミニマルな音のうねりがボソボソと連なるエクスペリメンタルな作品。CDにはDLコードが付いておりアルバム未収録曲が追加できる。 《試聴》

■World Of Echo / Arthur Russell

World Of Echo

World Of Echo

1992年に夭折したチェロ奏者/シンガー・ソングライターArthur Russellが彼名義で唯一残した1986年発表作品のオリジナル・アルバム。チェロ、ハンド・パーカッション、ヴォーカルで構成されたその音は現代音楽的であると同時に十分にエレクトロニカアンビエントとしての美しさを湛え、現在聴いても古びることのない才気を感じることができる。エレクトロニカ・ファン必聴。実はリマスター版もあるようなのだが…。 《試聴》

■Suite Shop Reworks: Electronica, Deep House, Disco / Ambient Jazz Ensemble

Suite Shop Reworks

Suite Shop Reworks

総勢13名にもおよぶストリングス奏者も含むロンドンの大所帯オーケストラ・ジャズ・バンドAmbient Jazz Ensembleが2014年にリリースしたアルバム『Suite Shop』のリミックス集。ジャズ・フュージョン・テイストはそのままに、よりリズムが強調され、ある種ドラムンベース的な展開となっている。 《試聴》

■Psychodisco (The I Robots Edits) (Record Store Day 2015) / The Stupid Set/Snowblitz DJ

Psychodisco (1981 Original Live Suite)

Psychodisco (1981 Original Live Suite)

イタロ・リヴァイアル仕掛け人の一人、I-ROBOTことGIANLUCA PANDULLOがイタロ・グループSTUPID SETとSNOWBLITZ D.J.の'82年録音作をエディットしたアルバム。AmazonのデジタルミュージックDLではエディット盤・81年ライブ盤が別々の販売だがCDでは1枚にまとめられている。 《試聴》

■Reflekzionz / Ekoplekz

Reflekzionz

Reflekzionz

μ-Ziq主宰の老舗レーベルPlanet MuからリリースされたUKブリストルのNick EdwardsによるEkoplekzのフルアルバム。ロウ・ハウス、ノイズ、ダブが入り乱れるエクスペリメンタルなサウンド。 《試聴》

■Urals / Walls

Urals

Urals

インディー・ダンス/テクノシーンを横断するイギリスのAlessio Natalizia & Sam Willisによるプロジェクト、Wallsの3枚目となるフル・アルバム。アンビエント/シューゲイザー/バレアリック・サウンドが混在するチルアウト・ハウス。 《試聴》

■Surfing on Ice Cream / Seaside Houz Boyz (Legowelt)

Surfing on Ice Cream

Surfing on Ice Cream

Legoweltの名でも知られる機材オタク、Danny Wolfersの変名プロジェクト、Seaside Houz Boyzのニュー・シングル。今作もレトロ機材をガシガシ使って変な音出しまくっており楽しいです。 《試聴》

■Before the World Was Big / Girlpool

Before the World Was Big

Before the World Was Big

ロスアンジェルスのローファイ・ガールズ・ポップ・デュオ Girlpoolのデビュー・アルバム。メンバー二人はなんと10代!ヴォーカル&ギターのみ、パンキッシュで活きのいいサウンドながら、その音の底にビターで不安定な空気感があり、そこに10代ならではの瑞々しさを感じる。 《試聴》

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150616

20150615(Mon)

[]カトリック教会が支配するもうひとつの世界のイギリスを描く不朽の名作〜『パヴァーヌカトリック教会が支配するもうひとつの世界のイギリスを描く不朽の名作〜『パヴァーヌ』を含むブックマーク カトリック教会が支配するもうひとつの世界のイギリスを描く不朽の名作〜『パヴァーヌ』のブックマークコメント

パヴァーヌ / キース・ロバーツ

パヴァーヌ (ちくま文庫)

1588年、英国女王エリザベス1世暗殺。混乱に乗じたスペイン無敵艦隊が英国本土に侵攻。英国は欧州世界と共にローマ法王の支配下に入る。プロテスタントによる宗教改革は鎮圧され―。20世紀、法王庁の下で科学は弾圧され、蒸気機関車だけが発達。その閉ざされた「もう一つの欧州」でついに反乱の火の手が上がる。高い完成度と圧到的なリアリティを備えた不朽の名作。

今ある世界はたまたまこうなっただけで、たったひとつのきっかけが違っていたら、全く別の世界になっていたかもしれない。例えば第2次世界大戦で枢軸軍が勝利を収めたもうひとつの世界を描いたP・K・ディックの『高い城の男』のように。歴史の流れにおけるある重要な局面で、現実にあったこととは違う事態が起こったことにより、現実とは違うもう一つの歴史を歩んでしまった世界。「歴史改変SF」と呼ばれるこれらのサブジャンル作品は、歴史の「if」を描きながら起こりえたかもしれない世界を夢想する思考実験的な側面を持っている。

1987年、スコットランド女王メアリ・スチュアートエリザベス1世の暗殺を企てるが、阻止されて未遂に終わる。1988年、アルマダの海戦においてスペイン無敵艦隊はイングランドに敗北する。これらは現実にあった出来事だ。しかし、もしもエリザベス女王暗殺が成功し、スペイン無敵艦隊がイングランドを破っていたら?キース・ロバーツの『パヴァーヌ』は、こうして別の歴史を歩んでしまったもうひとつの世界の、20世紀イギリスの様相を描く作品である。

この物語においてはローマ・カトリック教会が世界全てを席巻し、その原理主義的教義が唯一の真実となり、科学の発展は阻害され、異端として排斥されている。それにより産業革命は起こらず、人々は電力発電の恩恵を受けることなく、蒸気機関による動力のみを頼りにし、20世紀にありながら退行した技術レベルの中で暮らすことを余儀なくされているのだ。その弾圧と窮乏の閉塞感の中で、遂にイギリス辺境から反乱の狼煙が上がる、というのが『パヴァーヌ』の流れとなる。

パヴァーヌ』は8章で構成された物語だ。

序章…『パヴァーヌ』の世界が現実とは違った歴史を辿った大元の出来事が語られる。

第一旋律/レディ・マーガレット…〈レディ・マーガレット〉と名付けられた無線路機関車の操車手・ジェシーの物語。この章で退行したテクノロジーと近代以前の生活しか存在しない『パヴァーヌ』世界の一端が明らかにされる。

第二旋律/信号手…『パヴァーヌ』世界における通信手段はヨーロッパ中に網羅された高いやぐらの上に立つ〈信号手〉によるものしか存在しない。この章は〈信号手〉レイフを通じ彼らの厳しい職務の様子を描く。

第三旋律/白い船…貧しい漁村の娘ベッキーの夢は水平線の向こうに見える白い船に乗ってここではないどこかに旅立つことだった。『パヴァーヌ』世界の閉塞感を暗く寒々しい筆致で描いている。

第四旋律/ジョン修道士…優れた美術の才能を法王庁に買われ修道士ジョンは世界の中心ローマへと赴く。そこでジョンが目にしたおぞましい現実。旧態然としたカトリック教会がどのように人々を支配し弾圧しているのかがここで明らかになってゆく。

第五旋律/雲の上の人々…第一旋律登場のジェシーはイギリス西部の輸送業を一手に握る大会社社長となる。その娘マーガレットは貴族の男ロバートの求愛を受けるが身分の違いを気にしていた。『パヴァーヌ』世界の上流階級を描く一章。

第六旋律/コーフ・ゲートの城…ローマから法外な年貢を要求され、コーフ・ゲート城城主マーガレットは孤立無援の中反乱の狼煙を上げる。それは世界全てを敵に回した戦いの始まりだった。

終楽章…そして世界は…。

パヴァーヌ』の主な舞台はイギリスに限定される。改変された世界において、ヨーロッパやアメリカがどのような歴史を辿ったのかはほんの少ししか記述されず、またアジアやアフリカがどのような世界になったのかは明らかにされていない。そういった意味で、この『パヴァーヌ』は「もうひとつのイギリス」をつきつめながら描いた作品だということができる。

この作品において特筆すべきは、そのイギリスの陰鬱なる自然の光景だろう。季節を通じて暗く寒々しく、冬の厳しさは言うに及ばず、鬱蒼たる草原と原野が広がり、海の色も空の色も鉛色に染まり、そこに身を切るような風だけが吹きすさぶのだ。それはイギリスの原風景とも呼ぶべき光景なのだろう。そしてこの暗澹たる曠野の果てから、キリスト教以前に存在していた「古い人々」の伝説と存在が立ち現われる。この「古い人々」の記述により、物語はファンタジー的な要素が加味されるのだが、それは空想の存在というよりも、キリスト教支配との対立的な歴史の一端として語られるのだ。この『パヴァーヌ』は歴史改変SFとかスチームパンク系の扱いをされているが、そういった部分で、むしろハイファンタジーに近いのではないかという気もするのだ。

そしてもうひとつの読みどころは、そんな厳しいイギリスの大地に暮らす人々の姿を描く瑞々しい筆致だろう。息苦しい閉塞感と困窮の中で、それでも彼らは人として生きようとし、自分らしくありたいと願う。これら強烈な生へ希求が、『パヴァーヌ』の物語に生々しい迫真性を与えているのだ。特にクライマックスである『第六旋律/コーフ・ゲートの城』では、世界の中心であるローマへ反旗を翻し、世界全てを敵に回しながら背水の陣を敷くコーフ・ゲート城城主マーガレットの、革命への悲願がどこまでも切なく読む者の心を締め付けるのだ。『パヴァーヌ』は全体的にスロースターターとでも呼ぶべきゆっくりとした展開を見せるため、最初はこの物語がどこへ向かおうとしているのか戸惑うが、このクライマックスへ行き当った時に、まさしくこの作品が不朽の名作と呼ぶべき作品であると確信するだろう。英国幻想小説のひとつの到達点とも言える名作であることは間違いない。

パヴァーヌ (ちくま文庫)

パヴァーヌ (ちくま文庫)

20150612(Fri)

[][]タミル語版スィンガムの続編を観たぜ!ガオーーッ!!(血管ブチキレ気味に) タミル語版スィンガムの続編を観たぜ!ガオーーッ!!(血管ブチキレ気味に)を含むブックマーク タミル語版スィンガムの続編を観たぜ!ガオーーッ!!(血管ブチキレ気味に)のブックマークコメント

■Main Hoon Suruya Singham 2 (監督:Hari 2013年インド映画)

f:id:globalhead:20150414114454j:image

あのスィンガムが帰ってきた!?『Singam II』は1作目と同じハリ監督、スーリヤ主演。ヒロインは前作に引き続きアヌシュカ・シェッティも出演していますが、今作ではハンシカー・モートワーニーがもう一人のヒロインとして出演しています。実は自分が観たのは『Main Hoon Suruya Singham 2』というヒンディー語吹き替え版だったのですが、『Singam II』とは若干編集が違うという未確認情報もあり。そしてこの2作目は、リメイク作続編である『Singham Returns』と全く違うストーリーとなっており、『Singham Returns』を観た方も目を離せない展開となっておりますよ。

《物語》前作でチェンナイ・マフィアのドン、マイルワーガナムを完膚なきまでに叩きのめしたスィンガムの新たな任務は覆面捜査官として極秘捜査にあたることだった。故郷の高校のNCC(国立士官候補生隊)教官に素性を変え捜査を続けるスィンガムだったが、女学生サティヤ(ハンシカー・モートワーニー)が彼を見染め、彼につきまとい始めるものの、婚約者カーヴィヤ(アヌシュカ・シェッティ)がいるスィンガムは相手にしなかった。しかしサティヤの叔父タンガラージは表向きは貿易商だったが密輸を専門と知るマフィアのボスだった。捜査の中で密輸マフィアのバーイ、国際麻薬組織のダニーの名が浮かび上がり、スィンガムはタンガラージともども一網打尽にするべく大作戦を展開する。

悪党が次々に登場し、その悪党をスィンガムが次々に叩きのめしてゆくという『Singam』2作目です。悪党が多い分物語は若干複雑になりますが、その分アクションも増え、もうお腹一杯で「ボクもう食べれないよう」と言いたくなるほどにてんこ盛りの内容になっているんですよ。今回もなにしろスィンガムが強い。強すぎ。当たるを幸いなぎ倒し、その手数の多さにどんな敵も血反吐を吐いて地面に倒されます。そして手数だけじゃなく口数も多い。いつもビックンビックン青筋を立て、白目が全部見えるほど目ん玉をひん剥き、そして物凄い早口でわあわあわあわと俺が正義だ!とかお前らぶちのめす!とかまくしたてるんですよ。今作ではアクションだけではなく延々繰り出されるこのスィンガムの怒号で頭がジンジンしてきます。

そしてこの2作目ではスィンガムのパワーがさらに倍増しています。スィンガム自身は1作目と同じぐらいだとしても、今作では警察組織全体を使い、徹底的に悪を叩いてゆくのです。このスィンガムの正義の前ではルールなど存在しません。警察官たちは問答無用で悪党を撃ち殺し、暴徒たちは徹底的にリンチされ、平気で証拠をねつ造し、悪党は獄中にいてさえ叩きのめされます。司法だの民主主義だのではなく、悪は絶対許さないし、どんなことをしてでも叩き潰す!のがスィンガム映画なのです。悪い奴は成敗されて当然であり、そして観ている者も、その圧倒的な正義に溜飲を下げてしまうのです。

今作でも怒涛の如き展開を見せる『Singham 2』ですが、その展開の早さに加速度を与えているのが、とんでもない数のカット割りです。もうホント、「お前はマイケル・ベイか」と言いたくなるようなチカチカしまくりのカット割りとめまぐるしいアングル変化を見せているんですよ。それだけではなく、相当な場面で映像の早回しを使っています。これは場面展開や移動、物語の枝葉のような些細な場面を、説明を早くするために早回ししているようなんですね。この膨大なカット割りと早回しにより、ただでさえ濃厚な物語がさらにギュッと圧縮され、一種異様なスピード感が物語に加味されるんですが、それを2時間半の長尺でずっとやっているものですから、観ていてもう頭がクラクラしてくるんです。

こういった展開の高速さは『Singam 2』に限らず多くのテルグ・アクションでも実行されているのかもしれません(多くを観ていないので断言できませんが)。テルグ映画はそのエンターテインメント性が抜きんでていますが、こういった形の進化の仕方はハリウッドあたりと比べても映画としてとても物凄いことをやってるんじゃないのかなあ。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150612

20150611(Thu)

[][]これが真のスィンガムだッ!!タミル語版『Singam』観たぜ!ガオーーッ!!(高血圧気味に) これが真のスィンガムだッ!!タミル語版『Singam』観たぜ!ガオーーッ!!(高血圧気味に)を含むブックマーク これが真のスィンガムだッ!!タミル語版『Singam』観たぜ!ガオーーッ!!(高血圧気味に)のブックマークコメント

■Singam (監督:ハリ 2010年インド映画)

f:id:globalhead:20150414113337j:image

アジャイ・ディーヴガン主演、ローヒト・シェッティ監督によるインスペクター・スィンガムを主人公としたマサラアクション・ムービー『Singham』(2011)とその続編『Singham Returns』(2014)はその笑っちゃうようなド派手かつ超絶的なアクションでお気に入りのインド映画シリーズのひとつなのですが、実はこの『Singham』はタミル語映画『Singam』(2010)のヒンドゥー語版リメイクなんですね。タミル語版はタイトルの真ん中に「h」が入ってないんです。ストーリーはだいたい同じなんですが、キャスト・スタッフは全くの別物です。

こういったタミル語映画からヒンドゥー語映画へのリメイクはとても多いのですが、自分は今までそれらの作品のヒンドゥー語版リメイクしか観ていなかったので、一度『Singam』を通してオリジナルに触れてみようと思い、この『Singam』と続編である『SingamII(正確にはヒンドゥー語吹き替えの『Main Hoon Suruya Singham 2』)』を観てみることにしました(こちらの感想は次回)。ハリ監督によるタミル語版オリジナル『Singam』はスーリヤ主演、ヒロインはアヌシュカ・シェッティ。そして悪党役をヒンドゥー語リメイクと同じプラカーシュ・ラージが演じています。

《物語》タミルの小さな村に勤務する警官スィンガム(スーリヤ)は正義を愛し信義に篤い男として村人たちから慕われていた。この日もスィンガムはならず者たちを超絶殺法でギタギタにのし、村の平和を守っていた。そんなスィンガムは村に親戚を訪ねに来たカーヴィヤ(アヌシュカ・シェッティ)という女性と知り合い、いつしか二人は愛し合うようになる。その村にある日、チェンナイを巣窟とするマフィアのボス、マイルワーガナム(プラカーシュ・ラージ)とその一味がやってくる。スィンガムはマイルワーガナムをハエの糞程度に扱って村から追い出すが、恨みを抱いたマイルワーガナムは裏から手を回し、スィンガムを自らの縄張りであるチェンナイの警察署に配属させ、そこでスィンガムに徹底的な嫌がらせを開始する。しかーし!そんなことに黙っているスィンガムであるはずが無かった!!

血圧高い。血圧高い。血圧高い!オリジナル版『Singam』は怒涛のように繰り出される展開と、主演であるスーリヤの常時目ん玉ひん剥き血管ブチキレまくった演技により、あたかも映画それ自体がハリケーンのごとく全てをなぎ倒し凄まじい勢いで進んでゆきます。テルグ映画の濃厚さとてんこ盛り具合は何作か観て心得ていたつもりですが、この作品もあり得ないようなテンションで2時間半余りを突っ走ってゆくんです。なにしろスィンガムが怒り狂いアクションを繰り出す時の特殊効果が笑っちゃうほど素敵。「ガオーッ!」というライオンの吠え声と共に、そのライオンの姿が飛び掛かるスィンガムにオーバーラップされます。スィンガムの得意技「スィンガム・ビンタ」が炸裂する瞬間にはスィンガムの掌がビガーン!と輝くんです!

オリジナル版『Singam』はリメイク作とほぼ同じような物語と展開を見せます。違うところといえばまずリメイク作はアクションがより技巧的で派手、オリジナルはひたすらプリミティブ。また、リメイクではスィンガムが全編素手による鉄拳制裁を基本としていたのに対し、オリジナルでは後半、悪漢たちが根城とする村に潜入し、激しい銃撃戦を展開する、という部分がとても新鮮でした。リメイクでは悪玉の嫌がらせや警察上層部の締め付けで窮地に至るスィンガムが描かれますが、オリジナルのスィンガムはそんなことなど屁とも思わず徹底抗戦を仕掛けます。オリジナル版スィンガムは全く弱点を見せない無敵な存在なんです。それと、オリジナル版ではエリマライ巡査長(ヴィヴェーク)というコメディリリーフの存在があり、いつも一人でなーんだか変なことばかりやっています。

D

(↑ファンメイドっぽいですがこういう雰囲気であると察してください)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150611

20150610(Wed)

[][]死霊も踊るタミルのホラー・コメディ『Kanchana』 死霊も踊るタミルのホラー・コメディ『Kanchana』を含むブックマーク 死霊も踊るタミルのホラー・コメディ『Kanchana』のブックマークコメント

■Kanchana (監督:ラーガワ・ローレンス 2011年インド映画)

f:id:globalhead:20150208162513j:image

死霊がキレキレのダンスを踊るインドホラーがあるという。Twitterのフォロワーさんのツイートで知ったその映画のタイトルは『Kanchana』。

死霊が踊るといえばマイケル・ジャクソンの『スリラー』、そしてA. C. スティーヴン監督による伝説のグダグダ・カルト・ホラー『死霊の盆踊り』と、名作(?)の誉れ高い作品が思い浮かぶが、そこは歌と踊りでは他の追従を許さないインド映画、いったいどのような阿鼻叫喚の様が繰り広げられているのであろうか。興味を抱いたオレは早速その映画を観てみることにしたのである。しかしそれにしてもこの映画、ホラーのくせに2時間50分もありやがるぜ…。さすがインド映画クオリティ…。

さて映画が始まり、なにやら因縁の深そうな怪しい空き地が写される。そしてその近隣の家では夜な夜な不気味な出来事が起こっている。おお…これからいったいどんな恐ろしい話が展開するのか…と固唾を呑んで観ていたら、そのあとタミルのやんちゃそうなお兄ちゃんたちがぞろぞろ現れ、クリケットを巡って大ゲンカを始め『ダバング 大胆不敵』すら髣髴させる無重力殺法の飛び出す大アクションへと発展しているじゃないですか!?ええっとあのこれホラー映画じゃ…。そのあと主人公と思しき陽気なお兄ちゃんと仲間たちがにこやかに明るく陽気な歌と踊りを繰り広げます!あのぉ〜、ホラーは…。そしてその後は嬉し恥ずかしロマンス展開!うんうん!これこそインド映画だね!…じゃなくて、ええっとこれ、ホラー映画の筈じゃ…(涙目)。

とまあここまではあくまで"ツカミ"ってことで、ここからじわじわとホラーっぽくなってゆくわけですね。実は冒頭で出てきた空き地には死体が埋められており、タミルのやんちゃなお兄ちゃんこと主人公ラーガワ(ラーガワ・ローレンス)が、その怨霊にとりつかれちゃう、という訳なんです。その死霊は3つの霊らしく、憑依されたラーガワには3つの人格がかわるがわる現れ、家族を恐怖に陥れます。困った家族はヒンドゥー教の僧侶を呼び、そこで怨霊対悪魔祓い師の戦いへと発展してゆくんですね。しかしそこで分かったことは、この3体の怨霊たちが生前、土地を騙し取られた上に惨殺されたある一家が怨念を抱いたまま現世に留まったものだということでした。

物語はこうした陰惨な因縁話をところどころコミカルな演出を交えながら進んでゆきます。ホラー要素に関しては暗闇から「ワッ!」と驚かすようなこけ脅かしが多く単純ではあります。また、ホラー演出のために使われるVFXもどちらかというと素朴なもので、リアルすぎるぐらいリアルなエゲツなさというものではありません。この辺、ハリウッド・ホラーと比べるとどうしても物足りなさを覚えてしまうかもしれませんが、素朴な分プリミティヴな不気味さが存在しています。特に怨霊たちの生前の姿と彼らがどのように惨たらしく殺されたかを描く後半からシリアスになってゆき、クライマックスからの大復讐劇はホラー映画というよりも奇想天外な見世物を見せられているかのようです。

それと同時にこの映画は社会的弱者への視線を随所に感じさせているんです。前半の踊りのシーンでは下半身不随のポリオ患者たちが楽しげに踊りまわり、また、殺されて怨霊となったのは知的障碍者とインドではヒジュラと呼ばれる性同一性障害者です。前者では障碍者たちをはつらつとして踊らせ、後者では虐げられた者の無念を復讐という形で成就させます。ここにあるのは弱者への同情と社会参加への手助けなんです。さらにインド的な勧善懲悪・因果応報の思想もあるでしょう。そういった部分ではホラーというよりも道徳説話的な物語ということもでき、インドにおいてホラーがどのように機能しているかの一端を知る鍵になるかもしれません。あ、死霊がキレキレのダンスを踊るシーンは最後の最後です!

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150610

20150609(Tue)

[]暴虐の銀河宇宙史〜『カスタカ』 暴虐の銀河宇宙史〜『カスタカ』を含むブックマーク 暴虐の銀河宇宙史〜『カスタカ』のブックマークコメント

■カスタカ / アレハンドロ・ホドロフスキー(作)

カスタカ

銀河の果てフィリドール系の辺境にある惑星マルモラ。後に宇宙最強の殺し屋メタ・バロンの一族を輩出することになる惑星である。人々が慎ましやかながら幸福に暮らすこの地から、ある日、貴重な反重力物質が産出されることが判明し、帝国中の貪欲な輩が殺到することになる。その有事に際し、統治者ベラール・ド・カスタカ男爵は、家族たちに知られざる一族の歴史を語って聞かせる。それは名誉を守るためであれば、自らを犠牲にすることすらいとわない戦士一族の波乱の物語だった。ホドロフスキー&ヒメネス『メタ・バロンの一族』に連なる戦士の血脈。ホドロフスキーの武士道愛が余すところなく吐露された壮大な宇宙叙事詩!

アレハンドロ・ホドロフスキー原作、大宇宙を舞台に殺戮と暴虐に満ちた家族愛を描くBD作品がこの『カスタカ』である。この『カスタカ』は同じホドロフスキー原作のBD『メタ・バロンの一族』の前日譚として描かれた物語でもある。さらに言うと『メタ・バロンの一族』はメビウス+ホドロフスキーによるフランス・コミック界伝説のSF大作『アンカル』に登場する宇宙の殺し屋メタ・バロンの家系を辿るスピン・オフ作品であり、いわば全ては「アンカル・ワールド」のなかの物語ということもできる。

『カスタカ』は大理石の惑星マルモラ(『メタ・バロンの一族』の発端に登場する惑星)を支配するカスタカ男爵が彼の一族に秘められた過去を振り返る形で語られてゆく。そもそもの出来事は銀河辺境の惑星アウール・ラ・ナンから始まった。この惑星を分割割拠するアマクラ族とカスタカ族は中世の如き暮らしをしていたが、互いには憎み合いその抗争は激化していた。遂にアマクラ族の戦士ディヴァダルはカスタカ族の町を強襲、カスタカ族の姫オリエラを強奪の上凌辱し子を孕ませる。ダヤルと名付けられたその子は呪われた運命を背負いながら成長するが、ある日宇宙最大の勢力であるテクノ教団の宇宙艦隊が惑星アウール・ラ・ナンの希少資源を狙い襲い掛かってきたのだ。

『カスタカ』の物語はこれまでのホドロフスキー原作BDと同様にどこまでも血に塗れ夥しい死が登場しあらゆるものが破壊され宇宙の塵へと還ってゆく。その宇宙を支配するのは野蛮と非道のみである。そしてその非道の宇宙において、我々の知るモラルなど一切存在せず、不条理とも言える掟の中で生きる者たちの姿を描くのがこの物語の要と言えるかもしれない。しかしその不条理な掟はどこか日本中世の封建社会をさらに歪めて描いたものにも見える。この『カスタカ』にしても『メタ・バロンの一族』にしても西欧社会からすると一見不可思議な存在である"サムライ"を極度に戯画化した形として登場させているのだ。

それは"日本的な"というよりも、どこまでも"非西欧"的であるということだ。この物語における非道も不条理な掟も、西欧キリスト教社会の論理の側からは全く相容れないものだとしても、これもまたオルタナティヴなひとつの論理の中に成り立っているのは確かなのだ。西欧との対立項にある全く違った論理の中で生きる人々、これが『カスタカ』と『メタ・バロンの一族』の登場人物であり、その差異の異様さがこの物語を際立たせるものとなる。そしてそれは同時に、西欧社会的な視点を超克した物語の面白さでもあるのだ。

『メタ・バロンの一族』の前日譚であるこの『カスタカ』、どちらから先に読んでもいいし、どちらだけを読んでも構わない。しかしホドロフスキー宇宙をとことん堪能したいなら、やはり同じ宇宙残虐史『テクノプリースト』も含め全巻読破は必至だろう。

[]購入コミック覚書 購入コミック覚書を含むブックマーク 購入コミック覚書のブックマークコメント

波よ聞いてくれ(1) / 沙村広明

波よ聞いてくれ(1) (アフタヌーンKC)

波よ聞いてくれ(1) (アフタヌーンKC)

沙村広明は『ベアゲルダー』は好きなんだけどその他の作品は苦手で、この新作長編も見送りにしようと思ってたんだがネットの彼方からどうも相当面白いらしいという話を聞きついつい購入、すると噂通り面白い作品だったではないか。いつも不貞腐れ気味で唐突に逆上して見せる主人公女子のキャラもいいんだが、お話全体を覆うネタ&小ネタの量が膨大かつ高密度で、よくこんなにネタあるもんだなあと作者の才能に感心しまくっているのである。沙村広明は天才型だというのは認めていたが、まさしく見せつけられたような思いである。

アイアムアヒーロー(17) / 花沢健吾

アイアムアヒーロー 17 (ビッグコミックス)

アイアムアヒーロー 17 (ビッグコミックス)

おおおう、また別展開のサブストーリーか…。作者は主人公中心のお話に飽き足らずゾンビ禍に遭った世界全体を描き切ろうとし始めているみたいなんだよな。もう想像が膨らんじゃってどうしようもない状態なんだろうなあ。これがまた十分面白く展開が気になるところであるが、いやあ、完結するのかなあ…。

監獄学園(プリズンスクール)(17) / 平本アキラ

超絶技巧のグラフィックでサイテーの下ネタ展開を連発するサイコーのお下劣漫画『監獄学園』、今回はなんとユリ展開な上にエロ度MAXだ!ここまで描いちゃったか!?いやむしろユリだから許容範囲とかそういう問題なのか!?あとアンドレ君がもはや人間じゃない!まあもとから人間ぽく無かったけど!

20150608(Mon)

[]P.K.ディック最後のSF翻訳作〜『ヴァルカンの鉄槌』 P.K.ディック最後のSF翻訳作〜『ヴァルカンの鉄槌』を含むブックマーク P.K.ディック最後のSF翻訳作〜『ヴァルカンの鉄槌』のブックマークコメント

■ヴァルカンの鉄槌 / P.K.ディック

ヴァルカンの鉄鎚 (創元SF文庫) (創元SF文庫)

20年以上続いた核戦争が終結したのち、人類は世界連邦政府を樹立し、重要事項の決定をコンピュータ“ヴァルカン3号”に委ねた。極秘とされるその設置場所を知るのは統轄弁務官ディルただ一人。だがこうした体制に反対するフィールズ大師は、“癒しの道”教団を率いて政府組織に叛旗を翻した。ディルは早々に大師の一人娘を管理下に置くが。ディック最後の本邦初訳長編SF。

ブレードランナー』『トータルリコール』などの映画化作品などでも知られるSF作家P.K.ディックは生前に44作にのぼる多数のSF長編を執筆しており、日本ではその死後も未訳作品が精力的に訳出されてきた。これは日本におけるディック人気の賜物と言えるだろう。そしてこの『ヴァルカンの鉄槌』は、そんなディックの最後のSF作品翻訳作となるのだ。

死後30年も経ってやっと翻訳というと、まあクオリティはそんなに高くないから、という理由もあるのだが*1、それは代表作と比べたら、という話である。だいたいレムだってまだ全作訳出されてないんだぞ!?そんな訳で全てのディック・ファンは訳出されたら四の五の言わずに読むのが務めなのである。当然オレも読むのである。とは言いつつ、ディック初心者は迂闊に手を出さずまだ読破していないディック代表作を読んでからのほうがいいとは思うが。

お話はザックリ書くとコンピュータに支配された未来、という例のアレである。作品中盤までは主人公ら官僚同士の駆け引きやらなにやらが描かれ、あんまりSFらしくないが、緊迫感はたっぷりある。中盤から怪しいカルト教団の武装蜂起とヴァルカン3号の暴れん坊ぶりが描かれやっとSFぽくなるけれど、これは通俗SF作家としてのディックが「ヤル気出さないと原稿買ってもらえんしな」と頑張っちゃった部分だろう。ヴァルカン3号の送り出す戦闘機械はディックの傑作短編『変種第二号』っぽくてここはなかなかディックらしい。

しかしこういうテーマだと全体主義!ディストピアビッグブラザー!というのが当然の流れとなるが、ディックが書くとやっぱりなんとなくそこから外れてくるのである。物語は全体主義の圧政というよりは官僚主義社会の官僚たちが中心となるお話だし、ディストピアってほどじゃなくむしろ電脳支配社会に反乱を起こしたカルト教団のほうが不気味で危険だし、今作のビッグブラザーであるコンピュータ“ヴァルカン3号”はお伺いを立てられた時に働くだけで、少なくとも冒頭はたいしたことをやってないんである。

だからこの作品の本質にあるのは『1984年』や『未来世紀ブラジル』みたいな全体主義国家の恐怖とか『ターミネーター』に出て来るスカイネットみたいな機械に支配されることの恐怖とかでは実はないのである。いや確かに「コンピュータに支配さるなんて非人間的だ!」とかいう文明批判や、後半では人間対戦闘機械の大戦闘、という娯楽作品らしいスペクタクルも用意されているのだが、ディックの書いた作品がそんな紋切型だけで済む筈もないだろう。

全体主義とか何とかは関係なく、ディックの描いてきたものはいつも索漠とした現実にうちひしがれ、砂を噛むような人生を生きる人たちであり、それはこの『ヴァルカンの鉄槌』でも共通している。今作における"索漠とした現実"は主人公ら官僚たちの疑心暗鬼と術策陰謀の様に表れている。主人公はシステムと人間性の狭間で引き裂かれながら救済を見出そうとする。一見怪しげな教団が実はその人間性の部分を代弁しているのもディックならではだ。そういった部分でディックのエキスを味わうことが出来、退屈せずに読み終えることのできた物語だった。

20150605(Fri)

[][]世界最悪と呼ばれるボーパール化学工場事故を描くセミ・ドキュメンタリー映画『Bhopal: A Prayer for Rain』 世界最悪と呼ばれるボーパール化学工場事故を描くセミ・ドキュメンタリー映画『Bhopal: A Prayer for Rain』を含むブックマーク 世界最悪と呼ばれるボーパール化学工場事故を描くセミ・ドキュメンタリー映画『Bhopal: A Prayer for Rain』のブックマークコメント

■Bhopal: A Prayer for Rain (監督:ラヴィ・クマール 2014年インド/イギリス映画)

f:id:globalhead:20150525184211j:image

ボーパール化学工場事故と『アニマルズ・ピープル』

f:id:globalhead:20150604140427j:image:left

ボーパール化学工場事故。それは1984年に発生した世界最悪と呼ばれる化学工場事故だ。

1984年の12月2日から3日にかけての深夜、インド中部の都市ボーパールにあるユニオン・カーバイド社の殺虫剤工場から猛毒のガスが流出し、工場周辺の町を覆った。そのガスにより夜明けまでに2000人以上の住民が死亡、最終的には死者3万人、健康被害や後遺症に苦しむ負傷者は50万人にのぼるという大惨事となった。この事故はユニオン・カーバイド社並びにインド/アメリカ政府の事故後の対応の悪さでも悪名高いものとなる。ユニオン・カーバイド社は責任の所在を認めず、同社社長は逃亡し、インド政府はアメリカ企業の追及に及び腰で、アメリカ政府はインドに無関心だった。1989年に示談による和解が成立したが、被害者の手に渡った賠償金は一人僅か300ドルだったという。

実は自分は、この大事故のことがまるで記憶になかった。ニュースでは報道されていただろうけれども、世知に疎かった当時の自分の感覚では、インドという国は「遠い、よく知らない第3世界」で、大変なことがあったんだなあとは思えても、すぐさま日々の雑事の中で忘れ去ってしまっていたに違いない(そんな人間が今やインドインド言っているのだから隔世の感がある)。しかしその後、2011年に発売された小説『アニマルズ・ピープル』を読んで、この事故の恐ろしさを目の当たりにすることになる。

インド系英国人作家インドラ・シンハが書いた『アニマルズ・ピープル』(レビュー)は、この事故を題材にしたフィクションだ。主人公は化学工場爆発事故により家族を失い、自らも不具となってしまった青年、通称"動物"。この彼が、ゴミ溜めのようなスラムの中で雑草のように生きながら、20年前汚染事故を起こしたまま補償すらしないアメリカ企業との絶望的な戦いを繰り広げていくというのがこの物語だ。正直、衝撃的だった。その生々しい物語もさることながら、題材となったボーパール化学工場事故がどれほど恐ろしい事故であったか、そしてそこで生き残った人々にどんな悲惨な運命が待っていたのかを知るのは、暗く重い読書体験だった。

映画『Bhopal: A Prayer for Rain』

f:id:globalhead:20150604140426j:image:right

映画『Bhopal: A Prayer for Rain』はこのボーパール化学工場事故を元にインド・イギリス資本で製作されたセミ・ドキュメンタリー作品である。監督は短編映画作家であり小児医師でもあるラヴィ・クマール。出演はカル・ペンラージパール・ヤーダウ、タニシュター・チャタルジー。さらにハリウッド俳優マーティン・シーンミーシャ・バートンが出演していることも見所だろう。また、本作は《2013年カンヌ映画祭》で公開された後『祈りの雨』のタイトルで《アジアフォーカス・福岡国際映画祭2013》及び《第26回東京国際映画祭》で上映され、2014年にインドで一般公開された。

映画は化学工場周辺に建ち並ぶスラム地帯に住む男、ディリップ(ラージパール・ヤーダウ)を中心に物語られる。無職の彼は妻子を抱えながら貧しい生活を送っていたが、工場勤務が決まり有頂天になっていた。しかし工場は薬品漏れによる従業員死亡者を出したばかりであり、安全管理に疑問が持たれていた。実際、売り上げ不振による経営悪化から、工場は大幅な経費削減を余儀なくされ、その皺寄せは杜撰な保安体制と劣悪な機械設備へと転化されていた。

地元新聞社のモトワニ(カル・ペン)は工場の危険性をいち早く察知し、ボーパールを訪れていたパリ・マッチ誌の記者エヴァ(ミーシャ・バートン)にユニオン・カーバイド社社長のインタビューを要請する。ユニオン・カーバイド社社長ウォーレン・アンダーソン(マーティン・シーン)もまた工場視察の為アメリカからボーパールに訪れていたのだ。だがアンダーソンがエヴァに語るのは企業への揺るぎない自信だけであり、工場の危険性という現実は無視されたままだった。そしてこうしている間にも大惨事への秒読みは刻一刻と近付いていたのである。

祈りの雨

f:id:globalhead:20150604140428j:image:right

冒頭から住宅密集地のど真ん中に建つ巨大な化学工場、という俯瞰映像が映し出され背筋に冷たいものが走る。その住宅の多くは貧しい人たちの暮らす掘立小屋のような家屋だ。これら貧しい人々の雇用が工場により確保されていたことも物語は明らかにする。そしてそのスラムの一角にディリップとその家族が住む。いわゆるボリウッドな映画ではこうしたスラムの様子はあからさまに描かれなかったりするので奇妙に目を奪う。ディリップの妻とその妹の配役は役者の名こそ知らないが美しい人だ。子供たちは貧しさの中でも元気でやんちゃだ。だがこの密集した家屋とそこで人々がひしめき合うようにして暮らしていたことが後に惨事へと繋がるのだ。

一方、工場ではぞんざいな監督官、横柄な財務担当、理想論だけの社長、賄賂を貰った市職員らによって、その安全性がどんどんとおざなりにされてゆく様が描かれる。ボーパール化学工場事故は実はこうした人的要因によるものだったのだ。もうひとつ言える事は、資本にとってこの工場は「インドという遅れた第3世界で安い賃金で稼動させらる工場」であり、そこで働く住民も、その近辺に住む者たちも、彼らにとって「遅れた世界にいくらでもひしめいている履いて捨てるような貧者の群れ」に過ぎなかったかったからこその軽視、蔑視があったのではないか。それに対する現地人監督官、市当局は単なる「強い資本・国家に対するおべっか遣い」でしかなく、モラルは著しく低下していた。その双方によって現地労働者と住民の生命が軽んじられてしまったのがこの事故の要因だったのではないか。それはその後のおざなりな補償の在り方にもありありと表れているではないか。即ち、彼らにとってインド人とは「安い命」であり、そういった資本の【傲慢】が、全ての惨事の発端としてあったのだ。

地獄の釜

f:id:globalhead:20150604140926j:image:left

こうして事故は起こる。煙突から流れ出す猛毒のイソシアン酸メチルは風に乗り工場周辺のスラムを覆い尽くす。ここから描かれる壮絶な地獄絵図はあたかも恐怖映画の様相を呈し、その惨たらしさと痛ましさは身も凍るような凄惨さに満ちている。しかしこれは恐怖映画ではなく、現実に起こったことなのだ。その屍累々たる映像の重さは、この事故がいかに想像を絶するような恐ろしいものであったのかを思い知らせる。

映画としてみるならば、例えばユニオン・カーバイド社社長ウォーレン・アンダーソンをあまりに中庸な存在として描きすぎているきらいがあるかもしれない。これは監督インタビューによると「ユニオン・カーバイド社のアンダーソン会長を007の悪役のようにはしなかったのは、そうすると信憑性のない、現実味のないキャラクターになってしまうからと、プロパガンダ映画になりかねないという危険から」だという。それにより「この映画は、誰が悪かったのか、と責めるために作ったのではなく、何が間違いを引き起こしたのか、という点を検証したいがために作った」ということなのらしい*1。監督には「この事故を教訓として未来に何が残せるのか」が頭にあったということなのだろう。

また、パリ・マッチ誌の記者エヴァの存在はこの作品の構成にあまり寄与していないように感じるが、事故の背景に西欧社会の目を持ち込み、そのインタビューによってアンダーソン社長が何を考え何を第一義として経営を成しているかを引き出す役目としては充分機能していた。この劇中インタビューでアンダーソン社長は「確かに従業員の死亡事故はあったが、殺虫剤製造により害虫感染であるマラリア発症を阻止し多くの命を救っている」と述べ、さらにユニオン・カーバイド社が原爆製造に一枚噛んでいたことを明かし、「その原爆投下によって戦争が終結し、結果的に多数の命が守られたことになる」と誇らしげに語るのだ。この冷たい論理、あるいは論理のすり替えの中にこそ、大企業の持つ病理が存在している。

D

アニマルズ・ピープル

アニマルズ・ピープル

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150605

20150604(Thu)

[][]テロ組織vs秘密諜報組織の熾烈なる戦い〜映画『Baby』 テロ組織vs秘密諜報組織の熾烈なる戦い〜映画『Baby』を含むブックマーク テロ組織vs秘密諜報組織の熾烈なる戦い〜映画『Baby』のブックマークコメント

■Baby (監督:ニーラジ・パーンデー 2015年インド映画)

f:id:globalhead:20150505154816j:image

イスラム過激派グループとインド秘密諜報組織との息詰まる戦いを描いたサスペンス・アクション映画、それがこの『Baby』です。タイトルはこの秘密諜報組織の名称で、美女や可愛い赤ちゃんはとりあえず関係ありません。主演はアクシャイ・クマール、監督は『Special26』のニーラジ・パーンデー。そしてインド映画の名バイプレイヤーであるアヌパム・ケールが諜報員役で出演し、緊張感の続くドラマを和らげています。また、『トランポーター』シリーズなどでアクションを手掛けたシリル・ラファエリがこの作品でもアクション監督・指導を担当しており、迫真のアクションを展開しているんですね。

《物語》トルコ、イスタンブール。テロリストに拉致された仲間のエージェントを救出するため出動したインド秘密諜報組織「Baby」のアジャイ(アクシャイ・クマール)は、そこでかつての仲間であった裏切り者のジャマールを捕らえる。アジャイはジャマールからテロ計画の情報を強引に吐かせるが、それはデリーのショッピングモールを標的にした爆弾テロだった。「Baby」はそれを阻止するものの、それは大規模な計画の最初のひとつに過ぎなかった。一方、イスラム過激派テロ組織の主導者マウラーナは、ビラルという男の刑務所釈放を推し進めていた。そしてそれは凶悪な計画の次の一手だった。

アクシャイ・クマール主演で秘密諜報部員VS爆弾テロ組織というと2014年公開のA.R.ムルガードース監督作品『Holiday - A Soldier Is Never Off Duty』とコンセプトがモロ被りなのですが、『Holiday』は熾烈極まる諜報戦が半分、アクシャイと共演のソーナークシー・シンハーとのラブコメ展開が半分、といった内容になっていました。しかしこの『Baby』は『Holiday』からラブコメ展開を無くし、徹頭徹尾シリアスな内容として仕上がっているんです。インド映画のスパイ・アクションはそれほど数は観ているわけではないのですが、そんな中でも段違いのサスペンスとアクションが描かれているのではないでしょうか。

ロケーションは実にスパイ・アクションらしい多彩さで、主人公アジャイはインドを拠点にしながら、テロ犯を追ってトルコ、ネパール、サウジアラビアと駆け巡ってゆきます。これらの国における諜報活動でアジャイは少しづつテロ計画の全貌を掴んでゆくのですが、その捜査方法の殆どが脅迫や拷問といった超法規的なもので、冒頭の派手な銃撃戦も含め、全編徹底的に血生臭い描写が続いていきます。これらは『007』や『ミッション・インポッシブル』のようなハリウッド・スパイ・アクションなど比べ物にならないほど陰惨で生々しい暴力に満ち溢れているんですね。

つまりそれだけ対テロ戦、スパイ戦をリアルに描こうとしており、その緊張感は後半に行くほどどんどんと熾烈なものになってゆくんですね。そういった部分でサスペンス・アクション作品としては一級のものとして完成しており、十分楽しめるものとなっています。ただ、観ていてちょっとしんどいなーきっついなーと思わないでもないんですよ。リアルさを追求するあまり爽快感に欠けるんです。アクシャイも終始むっつりとした軍人面で、あまり魅力的に思えなかった。そんな中、「俺はかつらじゃない!」と言い張っているかつら姿のアヌパム・ケールが一服の清涼剤になっていましたね。

D

20150603(Wed)

[]マルコ・クロウスの『宇宙兵志願』読んだ マルコ・クロウスの『宇宙兵志願』読んだを含むブックマーク マルコ・クロウスの『宇宙兵志願』読んだのブックマークコメント

宇宙兵志願 (ハヤカワ文庫SF)

22世紀、第三次世界大戦後のアメリカでは、植民星への移住が進む一方、大多数の国民は福祉都市に押しこめられ、配給に頼って生活していた。21歳になったアンドリューはそんな荒廃した地球から抜け出すため、北アメリカ連邦軍に志願する。5年間の兵役を終えれば高額の退職金と市民権が与えられ、宇宙に旅立つことも可能になるからだ。だが脱落者続出の苛酷な訓練を耐え抜き勝ち取った配属先は、思いもよらぬ場所だった!

書店に行くと名前の知らぬ新人作家のミリタリーなタイトルを付けられたSF本が。帯の惹句や解説によると傑作SFシリーズ『老人と宇宙』の作者ジョン・スコルジーからの推薦やら、傑作サバイバルSF『火星の人』との比較やらが書かれているではないか。両作とも大ファンのオレは「ううむこれは読まねばなるまい」とこの『宇宙兵志願』を手にしたわけである。するとこれが思った以上に面白くて大満足だったのである。

お話の流れは非常にオーソドックス。スラム化した巨大集合住宅で底辺生活に甘んじていた青年が軍隊に志願し、血を吐くような厳しい訓練を乗り越え晴れて新兵になった後に最初のミッション、次のミッションと次第にハードな戦闘を繰り返し、その中で仲間との友情、恋、そして生死を分ける負傷と仲間の死を経ながら、クライマックスに恐るべき大戦闘が用意され…といった展開。作者はミリタリーSFの傑作中の傑作、R.A.ハインラインの『宇宙の戦士』やジョー・ホールドマンの『終わりなき戦い』のファンだというが、こういった名作のセオリーを殆ど外していない物語展開ではある。

「なんだかオーソドックス過ぎてつまらないんじゃ?」と思われるかもしれないがそうではない。確かに常套展開ではあるにせよ、そこに2000年代ならではの未来的な武器の描き込み、若々しい感受性と軽快な筆致が加わり、プロットこそオーソドックスではあっても非常に新鮮な感覚で物語を読み進めることが出来るのだ。

また、ミリタリー作品ということから連想されがちなタカ派的なマッチョさは希薄で、むしろごく普通の青年が困窮から逃れるために軍隊に入隊しそこで様々な体験をする、といった青春物語的な側面が大きい。主人公は軍隊で恋に落ちるが、この恋が物語の流れに大きく影響してゆくといった展開もまた微笑ましい。こういった展開とその軽快さからヤングアダルト向け作品として読むこともできるが、戦闘シーンはしっかりとハードでシリアスなのだ。

もうひとつ、この作品でニヤリとさせられるのは、非常に戦争映画・SF映画の影響が強く、それとよく似たシチュエーションが飛び出すといった部分だろう。中盤の市街戦などはそのままSF版『ブラックホーク・ダウン』だし、宇宙を舞台にした後半では、某有名SFアクション作品と某SFパニック作品を混ぜこぜにしたような展開が待ち構える。これはオマージュとか剽窃というよりも、ついつい滲み出てしまうSF愛なのだろうと好意的に受け止めた。伏線が忘れ去られたりなどの瑕疵はあるにせよ、そんな部分に作者の粗削りな若々しさを感じてしまう。傑作SF『火星の人』とはタイプもテーマも違うけれども、作者の活きの良さと言った部分では共通してるし、今後も大いに期待できる作家だと思う。続編もあるようなのでとても楽しみだ。

老人と宇宙(そら) (ハヤカワ文庫SF)

老人と宇宙(そら) (ハヤカワ文庫SF)

宇宙の戦士 (ハヤカワ文庫 SF (230))

宇宙の戦士 (ハヤカワ文庫 SF (230))

終りなき戦い (ハヤカワ文庫 SF (634))

終りなき戦い (ハヤカワ文庫 SF (634))

20150602(Tue)

[]最近やったゲーム / 『ボーダーランズ ダブルデラックス コレクション』『ウルフェンシュタイン:ザ オールドブラッド』 最近やったゲーム / 『ボーダーランズ ダブルデラックス コレクション』『ウルフェンシュタイン:ザ オールドブラッド』を含むブックマーク 最近やったゲーム / 『ボーダーランズ ダブルデラックス コレクション』『ウルフェンシュタイン:ザ オールドブラッド』のブックマークコメント

ボーダーランズ ダブルデラックス コレクション

f:id:globalhead:20150526175111j:image

ヒャッハー!なシューティング・ゲーム『ボーダーランズ』が「ダブルデラックス コレクション」として登場であります。宣伝文句のモロコピーですが「『ボーダーランズ2』と『ボーダーランズ プリシークエル』のコンテンツが全部入り! 両作品の主要DLCも全部入り! 次世代機ならではの高精細、高フレームレートな画面でサクサクノンストレスプレイ!」ということになっておるんですな。このうち『ボーダーランズ2』はあのジョン・カーペンターが「あれ以上のゲームはこの地球上に存在しない」と言ったといういわくつきのゲームなんでありますな。

お話はというと希少資源を有する辺境の惑星パンドラを舞台に、「Vault」ハンターと呼ばれる者たちが一攫千金を狙い戦いを繰り広げるといういうもの。ぶっ飛んだ登場人物たちとトゥーンシェイドを使ったコミックタッチのグラフィックが特徴的です。基本はFPSですが、RPG的な成長要素があり、製作者は「ロールプレイングシューター」なんぞと呼んでほしいんだとか。ゲームは4人の個性的なキャラクターの中から一人を選び、様々なミッションをこなしてゆくことになります。

しかしこの『ボーダーランズ』シリーズ、1作目をPCでプレイしてたんですが、展開が淡々としている上にどうやら難易度が協力プレイにチューニングされていたらしく、一人でやるとキツイキツイ…。あえなく途中で挫折してしまっていたんですよ。だから『ボーダーランズ2』が発売され、かなりの高評価を上げていたは知ってはいたんですが、手を出す気になれなかったんですね。

そんな『ボーダーランズ』新作をなぜまた買ってしまったのかというと、この時手元にFPSゲームがなかったから、ということだったんですが、しかしプレイしてみたら、なんとこれが面白い面白い!1作目はいったいなんだったんだ?と思っちゃうぐらい面白い。テンポのよさや適度な難易度もさることながら、前作では投げっぱなしだった世界観が大いに煮詰められており、「ボーダーランズ・ワールド」を歩き回るのが非常に楽しいんですね。荒地の惑星でヒャッハー!な連中と戦いを繰り広げる、という内容も実に自分の好み。いやこれは中毒性高いわ。

D

ウルフェンシュタイン:ザ オールドブラッド

f:id:globalhead:20150601085442j:image

…そんな『ボーダーランズ ダブルデラックス コレクション』に手を付けたばかりだというのに、ついつい買ってしまいました『ウルフェンシュタイン:ザ オールドブラッド』。ええ、こっちもやってます…。こちらのゲームは2014年に発売されたFPSゲームウルフェンシュタイン:ザ ニューオーダー』の追加シナリオという体裁になっております。

物語はナチスに支配された架空の近未来を舞台とした『ニュー オーダー』から時を遡り、第2次世界大戦の最中にあるドイツの秘密基地、ウルフェンシュタイン城が舞台となり、ここに特殊任務を帯びた連合軍兵士が潜入する、というわけなんですな。第2次世界大戦中とはいえナチスの怪しげな超兵器や強化兵士、ロボットが登場し、不気味なオカルト展開も加味されているようです。いってみれば『ウルフェンシュタイン』の原点を描いたもの、ということができるんですな。

そして今回の新機軸となるのは武器「バールのようなもの」でしょう!この「バールのようなもの」を駆使し敵を倒したり窮地を脱したりするのですよ。ある意味『ハーフライフ』の主人公ゴードン博士が持つレンチ並みに頼れる武器なんですな。追加シナリオということでプレイ時間はそれほど長くなく、あっという間にクリアしちゃいそうですが(オレは始めたばかりだが)、価格も3000円弱というお手頃値段なんでちょっとやってみっかと軽くプレイできるのがいいですね。

D

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20150602

20150601(Mon)

[]ゴッドファーザー・オブ・ソウル、JBのファンクに酔い痴れろ!〜映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜』 ゴッドファーザー・オブ・ソウル、JBのファンクに酔い痴れろ!〜映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜』を含むブックマーク ゴッドファーザー・オブ・ソウル、JBのファンクに酔い痴れろ!〜映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜』のブックマークコメント

ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜 (監督:テイト・テイラー 2014年アメリカ/イギリス映画)

f:id:globalhead:20150531163004j:image

JB! JB! JB!

ソウル/R&Bの世界においてジェームス・ブラウンはなにしろ別格だ。実の所ソウル・ミュージックのことはそれほど詳しくないし、有名アーチストの代表作をおさらい程度に聴いたことがあるだけのオレではあるが、JBの音楽だけは一聴して「これは違う」ということぐらいは分かる。JBの音は突き刺さってくるようなアグレッシヴさに満ち、シリアスかつヘヴィであり、そして抜群にグルーヴィーなのだ。かつて同じ感覚をジャズにおけるマイルス・ディビス、レゲエにおけるボブ・マーレーに感じた。彼らはジャンル・ミュージックを飛び越えた遥かなイノベーターとしての資質を兼ね備えている。それは革新者であり革命家である。それは孤高の天才である。映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜』はそんな"ゴッドファーザー・オブ・ソウル"、JBの半生に迫るセミ・ドキュメンタリー映画なのだ。

映画は錯乱して散弾銃をぶっ放し、警官隊に追われる後年のJBの様子から始まる。そして父母に捨てられ一人で生きざるを得なかった極貧の少年時代、ボビー・バードと知り合いメキメキとその才覚を現してゆく黎明期、飛ぶ鳥を落とす勢いで実力と人気を勝ちえてゆく最盛期、仲間とのトラブルに見舞われその人生に陰りが見え始める壮年期とが描かれてゆく。それらJBの半生を通し、JBが成しえたもの、そして失ったものに迫って行くのがこの作品となる。しかしそういった自伝的な物語展開はこの作品の魅力の半分でしかない。JBの人生に興味の無い方にはそれはどうでもいいことかもしれない。この作品が真に輝き渡る魅力を見せるのは、映画の間中鳴り止まないJBの数々の名曲と、それを完全に再現して見せる音楽パフォーマンス・シーンの数々なのだ。もしあなたがJBのことを何も知らないとしても、これらJBの生み出した音楽のパワーと映画の中で再現された音楽パフォーマンスにはきっと心踊り胸震え両足は知らずにステップを踏んでいるだろう。

ここで驚かされるのはJBを演じるチャドウィック・ボーズマンの完コピといってもいいほどのJBへの成り切りぶりだ。顔つきこそは違うけれども、仕草や表情、ポーズのとり方はもとより、その声はJBそのものとすら思わせる。さらに目を見張るのがパフォーマンス・シーンだ。ここではチャドウィック・ボーズマンのみならずステージに登場するミュージシャンの動きまでもがJBのステージを完璧にコピーしてみせる。予告編を観た後にYouTubeでJBのオリジナル・パフォーマンスを探して観てみるといい。そしてこれにより、再現とはいえ、映画の中でJBの白熱のパフォーマンスの一端を体験できるというわけなのだ。確かにこれは映画というまがい物かもしれない。しかし、そこにはJBのソウルがしっかりと宿っていることに気付かされるはずだ。

JBだけでなく、JBの盟友ボビー・バードの存在も忘れてはならない。JBが天才だとしたらボビー・バードは名を成したミュージシャンとはいえごく普通の人間だ。このボビー・バードの存在があるからこそ、破天荒に過ぎて嵐のように周囲の人間を巻き込んでゆくJBを、平凡な人間の視点から俯瞰することを可能にしているのだ。それは『アマデウス』における天才作曲家モーツァルトと凡才サリエリとの関係に似ているかもしれない。ボビー・バードはサリエリのように嫉妬心を持ったり毒を盛ったりはしないが、JBによってどこまでも翻弄され、その心を掻き乱されてゆく。JBはその情念を音楽の形でどこまでも発露してゆくが、ボビー・バードはその情念をどこまでも押し殺してJBに付き従う。この対比が映画の物語に陰影を与えているのだ。

JBの天才と絶対の権力振りは、ある意味部族の族長やシャーマンに近いものがあるのかもしれない。共同体の絶対君主として君臨し畏敬の対象となる彼らだが、そこには言葉や理屈ではない強大で圧倒的なパワーが存在し、それが他をひれ伏せさせるのだ。JBの場合それは音楽のパワーだ。人々を熱狂させ忘我と法悦を体験させるJBはそれこそシャーマンであり、そこで国籍も人種も関係なく聴く者の心を鷲掴みにし、そしてJBのファンク帝国の臣民として迎え入れるのだ。JBがアメリカという法治国家で何度も逮捕されているのは、実はJBの帝国におけるルールにそれがそぐわないからである。そんなもの普通は許されないし、いたとしたらマフィアぐらいなものだが、だがそれが可能かもしれないと感じさせてしまう凄み、それこそがJBの持つパワーなのだ。音楽の熱狂が全てを凌駕してしまう瞬間、『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜』はその瞬間をパッケージすることに成功した映画なのだと思う。

D