Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20150731(Fri)

[][]『ロボット』の監督シャンカールが描く美と醜の饗宴〜映画『I』 『ロボット』の監督シャンカールが描く美と醜の饗宴〜映画『I』を含むブックマーク 『ロボット』の監督シャンカールが描く美と醜の饗宴〜映画『I』のブックマークコメント

■I (監督:シャンカール 2015年インド映画)

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インド映画に興味の無い日本の観客を巻き込んでヒットしたエポックメイキングなインド映画、というと様々ありますが、まずは『ムトゥ 踊るマハラジャ』、そしてもう一つは『ロボット』だったんではないでしょうか。自分も『ロボット』はネットでその存在を知り、YouTubeの映像から「なんだかとんでもない映画がこの世に存在している…」と度肝を抜かれたクチでした。当時全くインド映画に興味の無かったこのオレが、矢も楯もたまらず『ロボット』DVDを購入したくなり、今思えば老舗だったインド雑貨のネットショップを見つけて注文したのを覚えています。その時お店のHPには「ヒンディー語Ver.とタミル語Ver.があります」と書かれていたんだけど、なんのことを言ってるのかさっぱりわからなかったのもいい思い出です(インドで多言語で映画が作られているということすら知らなかった)。(興奮しまくって書いた感想文はこちら

さてその『ロボット』を監督したシャンカールの最新作となるのが今年1月に公開されたこの『I』なんですよ。最初YouTubeで予告編を観た時はそのめくるめくような映像に「なんだか分かんないけどスゲエ!!」と相当興奮しましたが、それにしても本当に何の映画なのかさっぱり分からない予告編なんですよ!とりあえず最初にこの予告編を観てくださいよ!

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モデル風の男…真っ赤な湖とそこに架けられた橋を走り抜ける真っ赤なドレスの女…男女のロマンス展開…しかしそこでホラー風映像が!醜い顔をしたせむしの男が結婚衣装の女に迫る!…と思ったら次はアクション展開!中国らしき家屋の屋根の上でマウンテンバイク同士のバトル!さらにレスリングぽい格好の男たちによる裸の戦い!「I」イズ・ラブ!「I」イズ・ペイン!「I」イズ・デビル!なんじゃなんじゃ!?と思ってるとフランスの宮殿の中で走る女!空から舞いおりる天使の群れ(ええっ!?)!吼える獣人(えええっ!?)!ロボット女性に変形するバイク(ええええっ!?)!なんだかベネトンのCMみたいなカラフルなクリップシーン!マッチで何かに火を付けるせむし男!体中に急速に毛が生えてゆく女!

うおおおおお訳がわからねええええ〜〜〜〜ッ!!

ロマンス!ホラー!アクション!…まではいいとして、ファンタジー!?SF!?まで網羅されてしまってるトンデモナイこの予告編、いったい本編はさらにどれだけトンデモナイことになってるのか気になってしょうなかったのですが、やっとDVDが出たので入手、観ることができました。すると…おお、全部繋がってる!!

物語を説明しましょう。主人公の名はリンゲーサン(ヴィクラム)。ボディービルダーの彼はトップモデルのディヤー(エイミー・ジャクソン)の大ファンでしたが、とあるきっかけから彼女からモデルにならないか、と誘われます。体には自信はあってもダサダサの田舎者だったリンゲーサン、迷いながらも大好きな彼女の為に仕事を引き受け、二人は一路ロケ地の中国へ。紆余曲折ありながらも撮影が軌道に乗ってきたある日、二人を暴漢の群れが襲います。それは以前ディヤーによって干されたモデルの男による策略だったのです。一方、別の時間軸。黒い僧衣に身を包み、顔中に醜い腫瘍の出来たせむしの男が結婚式を目前に控えたディヤーを襲い、連れ去ります。男はディヤーを鎖で繋ぎ、さらに街中に出て人を襲うのです。「死よりももっと酷い目に遭わせてやる…」と告げながら。

物語はこうして、リンゲーサンとディヤーの出会いとロマンスがどこまでもひたすら美しく描かれるのと並行して、怪しいせむしの男がディヤーを監禁しさらに惨たらしい方法で人々を傷付けてゆくホラー展開とが描かれてゆきます。そしてこの二つがどのように関わってくるのか?が徐々に描かれてゆき、血を吐く様な残酷な運命と恐ろしい復讐の情念が明らかにされてゆくのです。まあ観ていればこの二つの流れがどういう関わりを持つのかすぐ気付かされますが、とりあえずここは書かないでおくことにしましょう。物語の全体的な印象は、「美女と野獣」「オペラ座の怪人」「ノートルダムのせむし男」などフランスの古典文学を翻案としながら、それをインドならではの美しい歌と踊りのロマンス展開で見せ、さらにその上タミル風味の強烈なアクションと残酷さで味付けしたという作品だということができると思います。さらにその全てが過剰なまでにテンコ盛りになって一丁上り!となっているという安定のタミル映画クオリティとなっているわけなんですね。

なによりまず驚かされるのが中盤までのロマンス展開における目を奪うような視覚効果の在り方でしょう。序盤では「恋し過ぎてあらゆるものが愛する女性に見えてしまう」という恋の至福を、CGを使って徹底的に具体化して映像化しているんですね。これは「心が映像化される」というインド映画ならではの手法を極端化させたものだといえるでしょう。↓で紹介するビデオクリップでその映像の一端を観ることができると思います。

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さらに広告撮影で赴いた中国を舞台としたシーンでは、中国南部・湖南省で50日間にわたりロケがされたらしく、中国ならではの山間部の奇観を十二分に生かしながら、さらにそれをデジタル着色することで凄まじいまでの色彩の饗宴を見せつけられることになるんです。青々とした山間で青いドレスを着て踊るディヤー、緑なす水面で緑のドレスを着て踊るディヤー、さらに赤く染められた湖畔で真紅のドレスを着て踊るディヤー。ここまで徹底的に原色を強調しなおかつ透徹した美しさを湛える映像をこれまで観たことがありません。そしてそれらのシーンをA・R・ラフマーンの音楽がどこまでもエモーショナルに盛り上げてゆくのです。これにはとてつもなく魅了されました。今年一番美しかった映画を挙げろ、と言われたらこの『I』を挙げることでしょう。

一方、ホラー展開のパートでは、なかなかに陰惨でグロテスクな映像を見せられることになります。しかしながら、これらはどこかブラックユーモア的な可笑しさも込められており、単に残虐さだけを強調しているわけではないんですね。ただし物語の真相と復讐のターゲットの顔ぶれが明らかになる後半からは説明的になり、若干単調に感じてしまったのは否めません。この後半は徹底的に悪趣味さを押し出しおり、前半の流麗な美しさと真逆の展開となっている事に気付かされます。この作品はこれらを通し「美」と「醜」の両極端をひとつの映画の中に描き出そうとしたのでしょう。まさにそれこそがこの映画のテーマなのだと思います。

キワモノっぽい要素もありますが、映像のマジックでとことん見せてゆき、癖になるような面白さと驚きに満ちていて、何度も観たくさせる魔力を持った作品でした。日本公開は難しいかもしれませんが、「劇場で観たい!」としみじみ思いましたね。誰か買い付けてよ!!

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20150730(Thu)

[][]ギャングの親分が医学生になってさあ大変!?〜映画『Munna Bhai M.B.B.S.』 ギャングの親分が医学生になってさあ大変!?〜映画『Munna Bhai M.B.B.S.』を含むブックマーク ギャングの親分が医学生になってさあ大変!?〜映画『Munna Bhai M.B.B.S.』のブックマークコメント

■Munna Bhai M.B.B.S. (監督:ラジクマール・ヒラーニ 2003年インド映画)

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『きっと、うまくいく』のラジクマール・ヒラーニ監督の処女作となる作品が2003年に公開されたこの『Munna Bhai M.B.B.S.』です。お話はギャングの親分が医学部に入学しちゃって学校中大騒ぎ!? というコメディなんですね。主演となるギャングの親分役にサンジャイ・ダット、その子分役にアルシャド・ワールシー。実は前回紹介した『Lage Raho Munna Bhai』はこの作品の続編で、二人のコンビは本作から続いているんですね。ヒロインに『ラガーン』のグレーシー・スィン。また、『きっと、うまくいく』の校長役だったボーマン・イラーニーが出演しているほか、まだ売れる前のナワーズッディーン・シッディーキーがちょい役で出演しているので探してみると面白いかも。タイトルは「医学生ムーナー兄貴」といった意味です。

《物語》ギャングの親分、ムンナー兄貴(サンジャイ・ダット)は、両親が訪ねてくるというので大わらわだった。なぜならムンナー兄貴は自分は医者をやっている、と嘘をついており、本当の事だと思わせるため病院と患者をでっち上げ、そこに両親を案内するつもりだったのだ。取り敢えず作戦は成功したものの、父シャルマー(スニール・ダット)が旧友の娘チンキー(グレーシー・スィン)と見合いをアレンジしてまう。実はその旧友であるDr.アスターナー(ボーマン・イラーニー)は医者であり、ムンナー兄貴の嘘を即座に見破り見合いは御破算、激怒して帰る父親をムンナー兄貴は肩を落として見送ることになる。しかし転んでもただでは起きないムンナー兄貴、「そうだ、本当に医者になればいいんだ!」と思いついてしまう。そして医大の試験に替え玉を送り込み、まんまと合格して医学生となったムンナー兄貴だったのだが!?

ヒラーニ監督の処女作ということでワクワクして観始めましたが、もう冒頭からテンポが良く台詞も脚本も一捻りしてあって、うわあヒラーニ監督、やっぱり最初から物凄い才人だったんだ!?と舌を巻いちゃうような素晴らしい作品でした。お話はヤクザの親分がインチキぶっこいて大学病院の学生となるものの、病院で苦しむ患者の姿を見て「なんとかしなければ!」と善意に目覚めちゃう、というものなんですが、それと同時にとある医学生女子との恋、さらに大学病院の教育方針との対立が描かれ、それらを通して医療ってなんだろう?という問いかけがテーマとして描かれてゆくんですね。ギャングが医学生になるという可笑しさだけではなく、そこに様々な思わぬ展開が加味されて、ヒラーニ監督の非凡さが光る傑作でしたね。

まず何と言っても自分は医者だ!という嘘が冒頭であっけなく暴かれちゃうことで「お?」と思ったんですよ。インド・コメディでは「嘘に嘘を塗り重ねる事でどんどん事態がややこしくなってゆく」という展開を得意としますが、このセオリーを最初の段階であっさり捨て去ってしまう所で新しいな、と思わされました。そして、自分の汚名を灌ぐために医者を志す!というところまではカッコいいのに、本物の医者を恐喝して替え玉試験させちゃうという、というトホホ具合でまず笑わされます。だってギャングだしね!解剖実習で死体が足りないのを見るとすぐさま子分に「死体一個みつくろってこいや」というブラックさにもニンマリさせられますが、いざ解剖となると気絶しちゃうムンナー兄貴が可愛らしい!

ムンナー兄貴の見合い相手はチンキーという女性でしたが、これは実はあだ名で、本名はスマンという医学生でした。ムンナー兄貴は病院で出会ったスマンに恋をしますが、会う前に見合いが破談になったチンキーだとは知らず「俺、チンキーって子と見合いすることになってたんだけど、君のほうがずっと素敵だよ」なんて打ち明けて観客の笑いを誘います。こんな具合に細かな部分の構成にとても心憎いものを感じます。またインド映画ではお馴染みの歌と踊りにしても、いわゆるエモーショナルな盛り上げを狙うものというよりは、それ自体が物語の内容に関わるひとつのシークエンスとなっており、重要な役割を負っているんですね。これら様々な見せ方の中に非常に知的なものを感じさせる部分がヒラーニ監督らしいといえるのではないでしょうか。

実は大学病院の院長は、ムンナー兄貴の嘘を暴いたDr.アスターナーでした。この彼とムンナー兄貴との対立がこの物語の大きな軸になってゆきます。Dr.アスターナーは「患者に心を通わせるな、モノだと思え」と学生に言い放ちます。これは実は医術に私情を挟むな、ということなのですが、人情派ヤクザであるムンナー兄貴にとっては「こいつナニ言ってんだ?」でしかありません。そしてムンナー兄貴は病院の中で大いに義理人情を発揮し、破天荒な行動で多くの人の心を癒してゆくんです。この作品においてヤクザ、という主人公の属性はいわゆるトリックスターとして機能しているんですね。実際は多くの医療でこういった心のケアがきちんと成されているとは思いますが、むしろヒラーニ監督が描きたかったのは、傷ついた者への共感であり、硬直化した権威への疑問です。ヒラーニ監督はその多くの作品の中で権威や権力への反骨精神を描いていますが、この『Munna Bhai M.B.B.S.』で既にこういった監督自身の態度が表面に現れている部分で発見のある物語でもありました。

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20150729(Wed)

[][]ギャングの親分がガンジーの幻と出会って大騒ぎ!?〜映画『Lage Raho Munnabhai』 ギャングの親分がガンジーの幻と出会って大騒ぎ!?〜映画『Lage Raho Munnabhai』を含むブックマーク ギャングの親分がガンジーの幻と出会って大騒ぎ!?〜映画『Lage Raho Munnabhai』のブックマークコメント

■Lage Raho Munnabhai (監督:ラージクマール・ヒラーニ 2006年インド映画)

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ギャングの親分がカンジーの幻に取り憑かれて大騒ぎさ!という2006年インド公開の作品です。監督は『きっと、うまくいく』『pk』のラージクマール・ヒラーニで、これは大いに期待出来ちゃいますね!主演を『Agneepath』で坊主頭の悪党を怪演したサンジャイ・ダット、その相棒にアルシャド・ワールスィー。そしてヒロインをヴィディヤー・バーランが好演しています。

《物語》ムンバイに住むギャングの親分、ムンナー(サンジャイ・ダット)は、ラジオDJのジャンヴィ(ヴィディヤー・バーラン)にメロメロでした。ある日ムンナーは、ラジオ番組で開催されるガンジー・クイズで優勝すると彼女のDJブースに招待されることを聞き、イカサマの限りを尽くして優勝、遂にジャンヴィに会うことが出来ます。しかしそこでムンナーは自分が歴史の教授だと嘘をついたばかりに、ジャンヴィの祖父とその友人のために講演してほしいと頼まれます。まずい、ガンジーのことなんて何も知らない!焦ったムンナーは図書館に引きこもり、三日三晩、不眠不休でガンジーの本を読み漁ります。そしてヘロヘロになった彼の前に、なんと、ガンジーが姿を現したのです!

マハトマ・ガンジーといえばインド独立の父、無抵抗主義の偉人、志半ばに暗殺された政治家…ぐらいは出てくるのですが、詳しく知っているわけではありません。しかも実は「無抵抗主義」というのは誤りで、「非暴力、不服従」の提唱者、というのが正しいのらしい。そんなガンジーですが、「カースト制度を撤廃させなかった」という理由で批判的に見る向きがあることを知って驚きました。インド映画を観ていても取り沙汰されることはあまりないような気がします。60年以上前に亡くなった方ですから、インドでも「昔の人」扱いなのでしょうか。

この映画の主人公ムンナーも、最初は「ガンジー?お札に載ってる顔の人?」程度しか知らないんですね。しかしラジオDJのジャンヴィの関心を惹きたい為に、一念発起して猛勉強を始めちゃうんだからギャングのくせして意外と可愛いじゃないですか。しかも飲まず食わず不眠不休で3日間ですよ!?そんな彼の前になんとガンジーの幻が現れ「私になんでも聞いてみるがよい」なんて言い始めるからさあ大変、おかげでジャンヴィには面目が立つわ、その後もラジオで「ムンナーのガンジー流人生相談」をおっぱじめて人気を得るわでムーナーの人生が変わってしまうんです。つまらないチンピラだった彼自身がガンジーの言葉に感化され、自らの行動に「非暴力、不服従」を徹底させようするんですね。

これは同時に、「こんな時ガンジーだったらなんと言うだろう?」「こんな時ガンジーだったらどうするだろう?」ということを映画の中で再現しようとしていることでもあるんですね。つまり今ではインドですら名前だけになってしまったガンジーという偉人の考えと行動を、もう一度おさらいすることで再評価しようじゃないか、観客と一緒に考えてみようじゃないか、というのがこの物語なんですよ。そしてそのガンジーの教えを、ワルなマフィアが実践してしまうという落差にこの物語の面白さがあります。ムンナー演じるサンジャイ・ダットはインド俳優のなかでも相当怖い顔した人なんですが、そんな彼がジャンヴィに一途な恋をしてしまい、七転八倒のドタバタを演じながら真心を伝えようとする場面では、この怖い顔がキュートにみえてくるから不思議です!

しかし良いことばかりではありません。ムンナーはジャンヴィに出会った時、見栄を張って「自分は大学教授だ」と嘘をついており、その嘘がバレないようにさらに嘘を塗り固めます。「嘘に嘘を重ね続けることでにっちもさっちも行かなくなる展開」というのはインド・コメディでは割とお馴染みのものですが、ここではさらに「不誠実であってはならない」というガンジーの教えが彼を苦しめることになるのです。それと同時に、悪徳不動産がジャンヴィの家を奪い、ジャンヴィの家族とその友人の老人たちが路頭に迷ってしまいます。そこでムンナーは「非暴力、不服従」の戦いを繰り広げようとしますが、悪徳不動産屋は一筋縄ではいきません。今この現代に、ガンジーの教えがどこまで有効なのか。物語は様々なドラマを孕みながら、笑いと涙のクライマックスを迎えます。

実の所、ガンジーの説く「真正さ」が、ストレートに描かれ過ぎて、オレなんかは観ていてちょっと居心地の悪い部分があったことは否めません。いやあ、ちょっと汚れた大人なもんですから…。しかしインド映画を観ていると、こういった「真正さ」や「公正さ」を説く展開というのは意外と多く、「インド映画のお説教展開」なんて言う方もいるぐらいなんですが、ここにはインドの宗教的背景もあるのでしょう。インドの有名な聖典に「バガヴァット・ギーター」がありますが、ガンジーは熱心なギーター実践者だったということを何かの本で読んだことがあります。「バガヴァット・ギーター」の根幹となる教えは「 執着することなく、常になすべき行動を遂行せよ。実に、執着なしに行為すれば、人は最高の存在に達する」というものですが、これなどはそのままガンジーの人生にあてはまるように感じます。そういった部分で、ガンジーその人を知る作品であると同時に、インド人たちがその根底に持つ心の在り方を知る作品になっているのではないかとも思うんです。

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20150728(Tue)

[]そこは怪獣酒場だったッ!? そこは怪獣酒場だったッ!?を含むブックマーク そこは怪獣酒場だったッ!?のブックマークコメント

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先日は知り合いの皆さんと川崎にある「帰ってきた怪獣酒場」に行ってまいりました。

早速キングジョーがお出迎え!

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ビールジョッキからお皿から怪獣尽くし!

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あのグドンも好きなツインテールフライ!もちろんエビ味!ってかエビフライだけど!

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宇宙竜ナースのグルグルソーセージ!ナースも美味い!

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カラータイマー風チャーハン!チキン・アボガド・トマトとよく混ぜて食べるんだ!

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周りは怪獣だらけ!

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全宇宙征服じゃッ!(暗黒皇帝風に)

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お土産に怪獣小皿まで!

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皆さんありがとうございました!

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「帰ってきた怪獣酒場」

神奈川県川崎市川崎区駅前本町3-1 NOF川崎東口ビル B1F

TEL:044-210-5565

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20150727(Mon)

[]イーガン新作『ゼンデギ』は「なんだかなあ」と思っちゃうような出来栄えだったな イーガン新作『ゼンデギ』は「なんだかなあ」と思っちゃうような出来栄えだったなを含むブックマーク イーガン新作『ゼンデギ』は「なんだかなあ」と思っちゃうような出来栄えだったなのブックマークコメント

■ゼンデギ / グレッグ・イーガン

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

記者のマーティンは、イランで歴史的な政権交代の場に居合わせ、技術が人々を解放する力を実感する。15年後、余命を宣告された彼は、残される幼い息子を案じ、ヴァーチャルリアリティ・システム“ゼンデギ”の開発者ナシムに接触する。彼女の開発した脳スキャン応用技術を用いて、“ゼンデギ”内部に“ヴァーチャル・マーティン”を作り、死後も息子を導いていきたいと考えたのだが…。現代SF界を代表する作家の意欲作。

グレッグ・イーガンの新刊が出た!ということで早速買ってワクワクしつつ読んだのだが…うーん…これ失敗作じゃね?

お話は主人公であるオーストラリア人記者マーティンがイランで政治的混乱を取材するところから始まるわけだ。で、現地の女性と結婚して子をもうけるが、奥さんが死んじゃって父親だけで子供を育てることになっちゃうんだな。しかし本人も癌に罹っちゃって、残された子供がきちんと育ってくれるんだろうか…と途方に暮れるわけよ。そこで目を付けたのがこの頃流行っていたヴァーチャルリアリティ・システム「ゼンデギ」。これは言ってみりゃあVRアミューズメント施設なわけなんだが、この「ゼンデギ」でいつも親子は遊んでいたんだよ。マーティンは「ゼンデギ」開発者のナシムって女性に、自分のヴァーチャル人格を作成して「ゼンデギ」に存在させてくれないか、と頼み込むわけなんだな。

こういった話なんだが、ごく近い近未来を舞台にしているものだから、よくあるSF作品みたいに「はーい本人と寸分違わぬVR人格一丁出来上がり!」なーんて簡単なことにはならず、むしろVR人格の作成がまだまだ手探りの状態であり、それが可能かどうかも分からない、そしてもしできるとしたらどこまでが可能なのか、ということを模索する人々の物語になっているんだ。こういった科学的な側面は相変わらずよく書けてると思うし、ヴァーチャル人格なるものが政治的宗教的にどんな反発を受けるのか?という考察も実に現実的な切り口を見せていて、この辺に「近未来」を舞台設定に選んだことがきちんと生きているんだ。

けれども、オレが「なんだかなあ」思ったのは、このアイディアとこの物語で、この長さはないんじゃない?ってことでさ。このアイディアなら短編でも十分だし、そこに物語の中心となる親子の問題を絡めたとしてもこの作品の半分でもいいんじゃないかな。なにしろまず、第1章が、まるまる必要ない。物語の核心に触れるのもこの長い物語の半分を過ぎてからで、そこまでがまた長い。それと、舞台がイランである必然性があんまりない。これ、アメリカやオーストラリアが舞台でも成立しちゃうお話じゃないですか。原理主義的宗教からの横槍というのが必要だとしてもそれがイスラム教である必要はないしね。

もうひとつ「なんだかなあ」と思ったのは、物語の中心となるVRゲーム「ゼンデギ」の設定が、どうも今一つに思えるんだよなあ。オレは単純にアミューズメント施設って捉えたけど、プレイするための手間や占有時間の長さを考えると現行のゲーセンより敷居が高く感じるし、頻繁に出かけてプレイするって感じがしないんだよな。それと、主人公は子供の成長を見守る為この「ゼンデギ」に自らのVR人格を置こうとするけど、一個のゲームの流行って一人の子供が大きくなるまで続くんだろうか。というか、子供の成長を見守るのにゲーム世界ってのもどうなのかな。

一番「なんだかなあ」と思ったのは主題である父が子にVR人格を残そうとするって部分で、まあ愛する子供の成長を手助けしたいというのは分かるけれども、「例え自分がいなくても子供はコントロールしたい」って親のエゴのような気がするんだよな。親は無くとも子は育つぞ。逆に子供の側からしてみると、小さな頃ならまだしも物心付いてから親にああだこうだ言われるのはあんまり面白いことじゃないんじゃないのか。ましてやゲームやってる最中だぞ。そもそもそんな年齢になって親の出てくるゲームなんざしたくないよな。これがゲームじゃなくVR人格付き位牌とかだったら困ったときちょっと相談とかできそうだよな。ディックの小説にそんなのが出てきた覚えがある。

そんなわけでいろいろと「なんだかなあ」と思ったイーガンの新作であった。これ煎じ詰めるとVRゲームっていう設定にノレなかったってことなんだろうなあ。

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20150724(Fri)

[]ケン・リュウの『紙の動物園』は現在最高のSF小説集だと思う。 ケン・リュウの『紙の動物園』は現在最高のSF小説集だと思う。を含むブックマーク ケン・リュウの『紙の動物園』は現在最高のSF小説集だと思う。のブックマークコメント

■紙の動物園 / ケン・リュウ

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ぼくの母さんは中国人だった。母さんがクリスマス・ギフトの包装紙をつかって作ってくれる折り紙の虎や水牛は、みな命を吹きこまれて生き生きと動いていた…。ヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞という史上初の3冠に輝いた表題作ほか、地球へと小惑星が迫り来る日々を宇宙船の日本人乗組員が穏やかに回顧するヒューゴー賞受賞作「もののあはれ」、中国の片隅の村で出会った妖狐の娘と妖怪退治師のぼくとの触れあいを描く「良い狩りを」など、怜悧な知性と優しい眼差しが交差する全15篇を収録した、テッド・チャンに続く現代アメリカSFの新鋭がおくる日本オリジナル短篇集。

中国系アメリカ人作家、ケン・リュウの日本独自SF短編集がこの『紙の動物園』だ。「ヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞」という謳い文句もあってか、注目度も評判も上々で、本の売り上げもなかなからしいのだが、最初それほど食指が動かなかった。表題作のタイトルにどことなくセンチメンタルな甘ったるさを感じていたからである。それでも周囲の騒がれ方にやっと重い腰を上げて読み始めることにしたのだ。するとどうだ、なんとこれは、単に傑作SFなだけではない、ひょっとしたら現在最高のSF作家によるSF小説集なのではないかという確信がじわじわと強まってきたではないか。少なくとも、オレの中でケン・リュウは、グレッグ・イーガンを既に越えた。

実のところ、ヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞受賞作であり、この短編集の中で最も評判の高いタイトル作、「紙の動物園」は、想像通りセンチメンタルで甘ったるい作品ではあった。中国移民の母子を巡る心の断絶を描いたこの物語は、その中にファンタジックな要素を加味することによりひとつの悔悛を謳いあげるが、個人的には大陸的ともいえるウェットな叙情性が居心地悪かった。続くもののあはれは地球への小惑星衝突から退避した宇宙船におけるドラマを描くが、中心となる日本人像がちょっと持ち上げられすぎで、「いやあ日本人って同調圧力強いだけの民族っすよ」と思えてしまい、ノレなかった。難民申請の中国人と弁護士とを対話の中にこれまたファンタジックな幻想を織り込む「月へ」は、幻想を見ることによってしか救われない惨たらしい現実を浮かび上がらすけれども、まだ未完成な作品に思えた。

しかし中国奥地に伝わる縄文字を端緒とする「結縄(けつじょう)」は、縄文字と遺伝子パターンとをSF的な着想で結びつけ、なおかつ著作権付き遺伝子操作作物を物語の要素に加えることで、ようやくこの作家のSF的技量を見ることができてほっとした。ただ著作権付き遺伝子操作作物についてはパオロ・バチガルピの長編『ねじまき少女』で既に取り扱われているので、それほどの新鮮さは感じなかったが。そして続く歴史改変SFテーマである「太平洋横断海底トンネル小史」だ。太平洋戦争が回避され、上海-東京-シアトルを結ぶ遠大な海底トンネル建設が成された別の歴史を描くこの作品は、「日本による侵略がなかったアジア」という理想の世界に、しかしそれでもアジア的な暗部が奔出する重い物語である。それはかつての大日本帝国や現在の中国共産党による非人間的な全体主義の影なのかもしれない。

小品の「潮汐」、メタフィクショナルな創作遊戯「選抜宇宙種族の本づくり習性」は作者の幅の広いテーマのありかたをうかがわせる。そして遭難により未知の惑星に不時着した女のある体験がテーマとなる「心智五行」から作者の真価がいやおうなしに発揮されてゆく。レム的でもありティプトリー的でもある異文化同士の乖離が描かれるこの物語の本質にあるのは、西洋と東洋の、その合理性と直感性との決して相容れない齟齬でもあるのだ。欧米がその中心となる科学合理主義的なSFというフィールドの中で、中国系アメリカ人である作者がどのように「東洋的なるもの」の居場所が存在するのか一石を投じた作品だといえるのではないか。

そして「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」では、「データ化された人格と化した人類」といったSFではお馴染みのテーマを持ち込みながら、そこで語られるのは「世界を感じるということはどういうことなのか」ということなのだ。それはつまり、「生きているということはどういうことなのか」ということでもある。なんとなれば世界など、VR技術さえ発達すれば幾らでもシミュレートできるのかもしれない。人の思考は全てデータで置き換えられるのかもしれない。しかしそれは、本当に「生」なのか?ケン・リュウはここで、「データ人格」を登場させながら逆説的に「生きている感触とはなんなのか」を浮かび上がらせようとする。そしてそれは「データ化」でも「VR」でもない生の世界と対峙する人間存在の在り様なのではないか。

「円弧(アーク)」では延命技術の発達により不老不死になった人類が描かれるが、不老不死となった人間は既に従来的な人間の営みなどできないのではないか、という問題を提起する。いや、確かに不老不死になれるのならそれはありがたい。だが、人を人たらしめ、「生きたい」と願わせるのは「死」があるからこそである。「生きたい」と願わずとも生き続けられる生、そこには我々が生きる為に成すべきあらゆることが全て欠落しているということになる。それはそもそも「生」なのか?次の作品「波」も恒星間播種船の中でナノテクによる不死を選ぶ人類の話だが、その先にさらに意識のデータ化という不死がダメ押しされる。ここでも同様に「不死は既に生といえるのか?」という問い掛けが描かれてゆく。

思えばこれら「不死」「人格のデータ化」という、テクノロジーの果ての人間疎外を描くSF作品というのは、自分にはどうも眉唾物ののように思えるのだ。それは不死や永遠、そしてそこに通底する「反自然」という概念が、キリスト教圏独特のものであり、それが欧米SF作品の中に無意識的に入り込んでいるだけなのではないかと思えてしまうのだ。しかしケン・リュウは、彼が東洋的な思想のもとにあるかどうかは別としても(なんとなれば東洋にだって不死や永遠の概念はある)、テクノロジーの果ての人間疎外といった結論を善しとせず、そのテクノロジーの果てにあってもあくまで普遍的な人間存在の在り方を描こうとする作家なのだと思うのだ。そう、彼が描こうとするのはあくまで人間であり、人間の生そのものなのだ。これは、文学がやろうとしていることをSFで成しえようとしていることに他ならないではないか。これが、自分がケン・リュウの作品を「現在最高のSF小説なのではないか」と思った理由であり、最先端だったSF作家グレッグ・イーガンを既に越えた、と思えた部分だったのだ。

「1ビットのエラー」ではある種のエラーによって死を目の当たりにした男が、認識のエラーが信仰を生むことを客観視しながらそれでも信仰を得ようとする物語だ。人は科学的合理性が宗教と相容れないの知っていながら、それでも神の救済を必要とする矛盾した存在だ。なぜなら、どのような合理性にあっても精神と感情にとって「死」は不条理であり、そこから救われる術はないからだ。そしてあまりにSF的な「不死」と「人格のデータ化」は、実のところ遠い世界の絵空事に過ぎないのだ。我々の生は何によって救われるのか、というこの物語も、やはり人間性を描こうとするSF作品だ。

一方、機械的な思考ルーチンの無能を描く「愛のアルゴリズム」はテーマが先走りすぎてイーガン的な科学スリラー止まりになっている感が否めない。冷戦下の台湾における政治的恐怖を描いた「文字占い師」はこの短編集で最も重い読後感を残す。この作品集の「月へ」と同様に暗い政治テーマを持つ作品で、非SFともいえるが十分に傑作であり、「アジア系SF作家としてなにができるか」を模索する作者のその思いと力量をうかがわせる作品だ。ラスト「良い狩りを」は中国の妖怪退治師の物語として始まりながら思いもよらない展開を見せる。同時にこれは東洋的なるものが西洋的なるものに飲み込まれてゆく過程を描いた哀歌だともいえる。

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

20150723(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■DJ-Kicks - DJ Koze / DJ Koze

DJ-Kicks [Explicit]

DJ-Kicks [Explicit]

ベルリンのレーベル「Studio !K7」のミックスCDシリーズ「DJ-Kicks」の記念すべき50作目担当はドイツ・ハンブルグ出身でカリスマ的人気を誇るプロデューサー、DJ Koze。自らのルーツであるヒップホップを中心に和やかな雰囲気のミックスを披露しているが、なにしろなかなか選曲がカワイイ。 《試聴》

■Corn / Arthur Russell

Corn

Corn

1992年にエイズで亡くなったアメリカの現代音楽家Arthur Russellの未発表音源集。1982年から1983年の間に録音された全9曲が収録。以前聴いたアルバムはアンビエントな趣だったが、こちらは全体的にロック・テイスト。そして彼独特なチェロとキーボードの調べが不思議な空間を形作っている。 《試聴》

■1983 / Kolsch

1983

1983

KomapktからリリースされたデンマークのRune Reilly KölschによるKölschの2ndフルアルバム。美しいメロディ、ノスタルジックでドリーミーなテックハウス・サウンドが並ぶ好盤。Komapktらしい整理整頓された電子音が堪らなく心地よい。 《試聴》

■Standing Stones / DMX Krew

Standing Stones

Standing Stones

イギリス出身のEd Uptonによるエレクトロ・テクノ・ユニットDMX Krewのニューアルバム。暗く不穏な空気感に満ちたオールドスクール・スタイルのテクノ・チューンが収められている。どよどよどろん。 《試聴》

■Fate / Dark0

Fate

Fate

■Solace / Dark0

Solace [Analog]

Solace [Analog]

■Sin EP / Dark0

Sin EP

Sin EP

ニュージャージー出身のビートメーカー、Ase ManualによるユニットDark0のEP3枚、それぞれ「Fate」《試聴》「Solace」《試聴》「Sin EP」《試聴》。メロディアスでカラフルなグライム・サウンド。分厚い音で大いに盛り上げまくるのが楽しいのだが、なんだろうと思って調べたらシングル「Fate」は日本のRPGゲームに影響を受けた音なのだとか。

■Moonbuilding 2703 AD / The Orb

Moonbuilding 2703 AD

Moonbuilding 2703 AD

あのThe Orbによる6年ぶりのオリジナルアルバムはKomapktからリリース。例によってぶわぶわ〜んもにゅもにゅ〜んである。すまんバカな文章で。だがThe Orbはリリース作品なんとなく全部聴いてるけど1作目以降はどうも印象が薄い。 《試聴》

■Much Less Normal / Lnrdcroy

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最近一番ハマっているエレクトロニック・ミュージックがこれ。Lnrdcroyの『Much Less Normal』はアンビエント風味のビートダウン系ハウスということができるだろう。もともとは2014年にヴァンクーバーの「1080P」から100本限定でリリースされたカセットテープ作品なのだが、これをエジンバラ発のビートダウン系レーベルFirecracker Recordingsからヴァイナル&CDでリイシューされた。このリイシュー版ではカセット版から2曲削除され、その代り新たに13分に渡るビートダウン組曲とも言える曲が追加されている。ちなみにAmazonにあるD/L版はカセット版のもの。自分はCDで購入したが、ジャケットはFirecracker Recordingsならではのスペーシーなビジュアルに差し替えられており、個人的にはこちらのジャケットのほうがアルバムの雰囲気を伝えていて良い、と思ったな。 《試聴》

Tresor 97-99 Box set / Surgeon

TRESOR 97-99

TRESOR 97-99

90年代にリリースされ廃盤になっていたSurgeonの3枚のアルバム『Basictonalvocabulary』、『Balance』、『Force + Form』のリマスタリング・ボックスセット。いや実はEPや未発表音源かなと思って購入したら2枚ダブって持っていた…。それでも今聴くとその尖りまくったハードなエレクトロ・サウンドは十分新鮮だった。 《試聴》

■Alternative Light Source / Leftfield

Alternative Light Source

Alternative Light Source

1989年に結成されたイギリスのエレクトリック・プロジェクト、Leftfieldによる16年ぶりのオリジナル・アルバム。音的には分厚くゴリゴリと進んでゆくオールドスクールな作品だが、いやーしかしLeftfield懐かしいなあ、テクノ聴き始めの頃に知ったユニットだったがまだ存在していたとは。 《試聴》

■Gainsbourg in Dub / Serge Gainsbourg

Gainsbourg in Dub

Gainsbourg in Dub

91年に他界したフランス俳優セルジュ・ゲーンズブールのダブ・アルバム!?ということでびっくりして買ってしまった。調べたらもともとゲーンズブールはレゲエに傾倒していた時期があり、レゲエ・アルバムを発表していたのらしい。フランス国家のレゲエ・バージョンをリリースし、物議を醸したこともあるのだとか。このアルバムはそんなゲーンズブール・レゲエのダブ・バージョンだと思われるが、バックはあのスライ&ロビーが担当しており、音の出来は限りなくいい。CD版は3枚組で豪華ブックレットに入っている。もちろんオリジナル・レゲエ・バージョンのCDセットも発売されている。 《試聴》

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20150722(Wed)

[]ゲーム『バットマンアーカム・ナイト』をやってる。 ゲーム『バットマン:アーカム・ナイト』をやってる。を含むブックマーク ゲーム『バットマン:アーカム・ナイト』をやってる。のブックマークコメント

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バットマン:アーカム』3部作、ここに完結 シリーズ最終章にして、集大成にふさわしい壮大なストーリー。舞台は『バットマン:アーカム・シティ』の後のゴッサム・シティバットマンの宿敵の一人であるスケアクロウが密かにゴッサム・シティに舞い戻り、共通の敵バットマン打倒のためにスーパーヴィラン (悪役) たちと手を組むことから物語は始まる。ペンギン、トゥーフェイス、ハーレークィンを始めとする恐るべきスーパーヴィランたちが、バットマンを永遠に葬るために襲いかかり、シリーズ最後の作品にふさわしい劇的なストーリーが展開する。

バットマン・ゲーム最終章、『バットマンアーカム・ナイト』であります。これまでゴッサム・シティの犯罪者専門精神病院「アーカム・アサイラム」を舞台にした『バットマン アーカム・アサイラム』、犯罪者のみを収監した都市「アーカムシティ」が舞台の『バットマン アーカムシティ』、これらの時代の前、まだ未熟な頃のバットマンの活躍を描く『バットマン アーカム・ビギンズ』が発売されてきましたが、今回はいよいよ現代のゴッサム・シティが舞台。スケアクロウの陰謀により毒ガスが仕掛けられたゴッサム・シティからは全住民が退避、警官隊と犯罪者たちだけが残ったその街でバットマンが立ち上がる、というわけです。

アーカム・アサイラム』と『アーカムシティ』しかプレイしてませんが、今回の『アーカム・ナイト』は格段にプレイしやすくなった印象。まだ半分ぐらいしかプレイしてないですが、操作系云々というよりもストーリーの流れがしっかりしていること、それによりオープンワールドゲームにありがちなチマチマしたミッションでもお使いをやらされているような気がしないこと(オープンワールドゲームの「なにやってもいい」ってちょっと苦手なんですよ)、そしてなにより、PS4最高峰ともいえる美しく作りこまれたグラフィックによりゲーム世界に深く没入できることなどが挙げられるでしょう。

グラフィックもただ美しいだけではなく、その世界に存在するあらゆるもののデザインが秀逸で、ちょっとしたサイバーパンクSF世界でプレイしているような気さえさせます。ある意味その辺のSFなゲームよりもよっぽどSF的な世界観を形作っているんですよ。同時に、バットマンらしいダークな雰囲気もさらに深化させられています。これはバットマンとゴッサムシティ、そしてヴィランたち、といったこの世界を形作っているものが最初からしっかりとあるため、それを補強し、また発展させる形でデザインが生み出されている、という部分に負っているような気がします。なにしろバットスーツの作りとか惚れ惚れしちゃいますよ。

そして今回の新機軸となるのがバットモービルの大々的なフィーチャーです。このバットモービルのデザインがまたかっこいいんですね。オープンワールドバットモービルで駆け抜け、そして戦闘形態にトランスフォームして敵と戦う、この辺が今回の『アーカム・ナイト』の醍醐味となります。ただしこのゲーム、バットモービルが出ずっぱりで、バットモービル中心のイベントやボスキャラ戦が多く、むしろタイトルは『バットモービル』でもいいんではないかと思わせるほどです。しかもこのバットモービル、どのレビューでもゲーム自体は大絶賛なのに「バットモービルだけは許せん」と酷評の嵐。実際の所殆ど完璧なゲームにもかかわらず、バットモービルがらみの戦闘やイベントだけはちょっとイラッさせられるのは確か。あんな車線はみ出すような馬鹿でかい車で敵とカーチェイスさせんなよ…。

とはいえ、そこだけ気にしなければ今現在プレイできる最高のバットマン・ゲームであり、オープンワールドゲームとしても優れたものがあると思います。宙を飛び闇に隠れ、敵を流れる様なアクションで倒してゆく、プレイいているとすっかりバットマンになりきれますよ。

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20150721(Tue)

[][]第2次大戦中のカルカッタを舞台にした探偵ミステリー〜映画『Detective Byomkesh Bakshy ! 』 第2次大戦中のカルカッタを舞台にした探偵ミステリー〜映画『Detective Byomkesh Bakshy ! 』を含むブックマーク 第2次大戦中のカルカッタを舞台にした探偵ミステリー〜映画『Detective Byomkesh Bakshy ! 』のブックマークコメント

■Detective Byomkesh Bakshy ! (監督:ディバーカル・バナルジー 2015年インド映画)

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映画『Detective Byomkesh Bakshy !』は第2次世界大戦中のインド・カルカッタ(現コルカタ)を舞台に、一人の探偵が失踪した男を捜索するうちに出遭った巨大な陰謀を描く、今年2015年にインドで公開されたミステリー・スリラーだ。タイトルは主人公探偵「ビヨムケーシュ・バクシー」の名前となる。

《物語》1942年、第2次世界大戦の最中、インド西部の都市カルカッタも日本軍による空襲に見舞われていた。そんな中、大学生であるビヨムケーシュ・バクシー(スシャント・シン・ラージプート)はその推理の腕を買われ、同じ大学の学生アジート(アーナンド・ティワーリー)に2ヶ月間行方不明になっている父親ブヴァンの捜査を依頼される。そしてブヴァンが務めていたという工場を見つけ出し、現在閉鎖されているその工場に忍び込んだビヨムケーシュが目にしたものは、ブヴァンの腐乱死体だった。ブヴァンは何故、誰に殺されたのか?捜査を続けるビヨムケーシュが辿り着いたのは、巨大な闇の世界と、日本軍の関わるきな臭い陰謀だったのだ。

最初に言い訳をさせてもらうが、実は自分は「探偵モノ」が基本的に苦手である。楽しめないわけではなく、「探偵モノ」の物語をきちんと追えないのだ。まず人の名前が憶えられない(…スマン情けない理由で)。それもあってか、様々な登場人物が現れ、錯綜した人間関係の中、あれやこれやの伏線が貼られたりしても、全然頭に入ってないのである。ハリウッドの探偵映画はもとより、翻訳モノの探偵小説でも同じような状況に至るのである。英語の苦手なオレがこの作品みたいな英語字幕の映画なんぞ観た日にゃあなおさらチンプンカンプンになってしまうのは火を見るより明らかだ。そんなわけでこの作品をきちんと理解したとは口が裂けても言えないし、ラストの種明かしについても「なんで?」ということはなかったが「そう説明されているんならそれで正しいんだろうなあ」という実におぼつかない納得の仕方で観終わったわけである。

そんなオレではあるが、ではこの物語が楽しめなかったのかというと、実は大いに楽しんで観ていたのである。確かに推理物らしい錯綜した人物関係と謎に満ちた物語構成があり、それら様々に入り組んだ迷宮を主人公探偵が彷徨い歩いてゆくという展開は、注意深く観ることができなければ付いていけなくなってしまうのは確かだ。しかし一方、この物語は非常に「探偵物語」のセオリーに則った展開を見せているがゆえに、物語に入ってゆきやすく、そのセオリーに鑑みて物語を追うなら理解不能というほどのことも無いのだ。例えば頼りない相棒がいてコメディリリーフ役を務めたりとか(この物語では依頼主のアジート)、謎の美女が現れて主人公を翻弄してみたりその美女が実は…だったりとか、主人公は取り敢えず暗闇で一発ぶん殴られて気絶したりとか、あとはネタバレになるから書かないけれどもアレとかコレとか真犯人はナニとかなんかも実に丁寧に探偵モノのセオリーをなぞってるなあ、という気にさせてくれた。最初はありふれた事件だと思われたものが最後に巨大な陰謀に繋がってゆく、なんていうのもそうだろう。

しかしセオリー通りの展開ばかりだと凡庸になってしまう物語を非凡なものに変えているのは、なんといっても「戦時下のカルカッタ」という時代背景とそのロケーションにあるだろう。「戦時下のカルカッタ」が実際どんなものだったのかは知らないし、この映画で再現されたそれがどれだけ現実に忠実なのかあるいは脚色されたものなのかも分からないけれども、「戦時下」にあるどこかきな臭く荒んだ雰囲気は十分にあり、また、もとからインド有数の大都市ということもあって混沌とした空気感がそこら中に満ち溢れているのだ。そして探偵物語はやはり大都市が似合う。主人公がトレンチコート着てマティーニ飲んだりこそはしないけれども(なんだこのステレオタイプな発想は)、アメリカのハードボイルド小説が描いた都市の頽廃がこの映画におけるカルカッタからも伝わってくるのだ。そしてこの頽廃こそが事件の中心的な理由とも言えるのだ。こういった部分も見所になる映画だろう。

さて映画を観るまで知らなかったことをあれこれ。舞台となるカルカッタでは日本軍による空襲が描かれる。時代設定である1942年はインドがまだ英国からの独立前の「イギリス領インド帝国」であることから、当然連合国側の国として日本と戦闘状態にあったわけだ。普通に考えれば分かりそうなことなのだが、この映画を観るまで「日本とインドが戦争していた」ということがピンと来なくて、なんだか「アメリカと日本が戦争していたことを知らない知識の足りない子供」になったような気分だった。だから「日本軍に空襲されるインドの町」という光景がとても不思議なものに見えてしまった。もとよりカルカッタはイギリスのインド支配の中心地であり、だからこそ反英思想も強かったらしいのだが、この「連合国側ではあるが反英でもある」という部分がこの物語の背景にも透けて見えているような気がした。

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20150717(Fri)

[][]聾唖夫婦とその娘との愛の軌跡〜映画『Khamoshi: The Musical』【バンサーリー監督特集その5】 聾唖夫婦とその娘との愛の軌跡〜映画『Khamoshi: The Musical』【バンサーリー監督特集その5】を含むブックマーク 聾唖夫婦とその娘との愛の軌跡〜映画『Khamoshi: The Musical』【バンサーリー監督特集その5】のブックマークコメント

■Khamoshi: The Musical (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 1996年インド映画)

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勝手に続けている「サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督週間」、最後となる今回は1996年に公開されたサンジャイ監督のデビュー作『Khamoshi: The Musical』。タイトルの意味は「沈黙のミュージカル」になるらしい。聾唖の夫婦とその娘が中心となり、そこに娘を見初めた男が加わることでドラマが進んでゆく。主演はサルマーン・カーン、ヒロインにマニーシャー・コイララ。

《物語》ゴアに住む聾唖の夫婦、ジョセフ(ナーナー・パーテーカル)とプラヴィ(シーマー・ビシュワース)にはアニー(マニーシャー・コイララ)という娘がいた。両親の愛情をたっぷりと受けて成長したアニーは、ある日ラージ(サルマーン・カーン)という名の青年と恋に落ちる。作曲家であるラージはアニーの歌の才能を認めて歌手デビューさせ、さらに二人は結婚を考えるようになった。しかし父ジョセフはアニーの結婚を頑なに認めようとしなかった。そんなある日アニーは交通事故に遭い昏睡状態に陥ってしまう。

「処女作にはその作家の全てが込められている」という言葉通りに、今こうして観ると『Khamoshi: The Musical』にはサンジャイ監督の特色と呼ぶべき様々な要素を見つけることが出来る。まずインド映画であることを感じさせない無国籍的な雰囲気作りだ。舞台となるゴアは南欧を思わせる風光明媚な景色と、キリスト教を主たる宗教にしている部分でそう感じさせる。登場人物たちの服装も西洋的なスーツやカジュアルウェアで、ヒロインはサリーではなく白のワンピースを着ている。そしてダンスシーンこそインド風ではあるが、全体で使用されるサウンドトラックはストリングスを主としたイージーリスニング風のものだ。その目くるめくような美術センスはこの作品ではまだ発露を見せないが、あるダンスシーンでは仮面舞踏会を思わせるエキセントリックな色彩とデザインを見せている。

この作品では「聾唖の夫婦」という形で現れるハンディキャップを持つ者を主としたストーリー作りは、その後のサンジャイ監督作品『Brack』『Guzaarish』に共通する。また、この作品クライマックスの父ジョセフの手話による演説は『Brack』クライマックスの主人公少女の手話演説と被る。しかしこれまで監督してきた7作品のうち3作品がハンディキャップを扱った作品である、というのもかなり多くはないか。これはサンジャイ監督がハンディキャップを持つ者に限りない共感を持っているというよりは、実はそのほうが作り易くウケもよい、という事情があるからのような気がしてならない。

なぜならサンジャイ監督からは並々ならぬ美術センスと演出力こそ感じこそすれ、作話能力には乏しく思えるのだ。これは7作の監督作品のうちこれまた3作が原作付きで、さらに1作品は実際に存在する偉人の人生を原案とした作品であることから考えられる。『Devdas』『Ram-Leela』など原作付きのサンジャイ監督作品は美術に徹することで素晴らしい作品となったが、同じく原作付きの『Saawariya』は美術のみの突出した物語の薄い作品だった。実の所、オレのお気に入りであり素晴らしい美術を魅せる『Ram-Leela』さえも、残念ながら物語においては貧弱な部分があるように思う。

そういった部分でこの『Khamoshi: The Musical』も、ハンディキャップの物語に頼りすぎているきらいはあるにせよ、演出の良さが際立つことによって決して嫌味を感じさせず、良い印象を残す作品だった。聾唖夫婦の娘が音楽を志す、という物語展開には運命の不思議を感じさせるし、聾唖の父が手に火傷を負った時、手を使えないということは声を失ったということと同じだ、なぜなら手話ができないからだ、といったくだりには説得力があった。主演のサルマーン・カーンは言うに及ばず、ヒロイン演じるマニーシャー・コイララの薄幸な可憐さは見る者を魅了するだろう。しかしなんといっても聾唖夫婦を演じたパーテーカルとビシュワースの迫真のこもった熱演が素晴らしかった。本当の主演はやはり彼ら二人だろう。

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[][]というわけでバンサーリー監督最新作『Bajirao Mastani』を紹介 というわけでバンサーリー監督最新作『Bajirao Mastani』を紹介を含むブックマーク というわけでバンサーリー監督最新作『Bajirao Mastani』を紹介のブックマークコメント

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さてそんなバンサーリー監督ですが、新作の公開が既に決定しています。タイトルは『Bajirao Mastani』、タイトルから察するに、かつてムガル帝国としのぎを削り、一時はインドの覇権を握ったマラーター王国の第2代宰相バージー・ラーオを主人公とした歴史ドラマのようです。主演はランヴィール・シンとディーピカー・パドゥコーン、バンサーリー監督前作『Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela』のコンビが再び復活!というのが嬉しいですね。さらにプリヤンカー・チョープラーまで出演しているんですよ。

役どころはランヴィール・シンがマラーター王国宰相バージー・ラーオを、プリヤンカーがその第1夫人でディーピカーは第2夫人となるようです。いやー…プリヤンカーとディーピカーの両方を嫁にもらえるんならオレいつでも死ねるな…。それはさておき、インドでの公開は12月18日になるようで、来年ぐらいには日本でもソフトが観られるでしょう。トレイラーはこちらで。剃髪姿のランヴィール・シンや甲冑姿の凛々しいディーピカーが観られますよ。歴史巨編らしい大規模なモブ・シーンや壮大な戦闘シーンにはワクワクさせられますね。早く観たい!

なおこの情報はあの『ダバング 大胆不敵』を日本に紹介した奈良尾花劇場さんからTwitterタレコミを頂きました。奈良尾花劇場さんありがとうございます。

※サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督作品レビュー一覧

全身麻痺の男が最後に願ったこと〜映画『Guzaarish』【バンサーリー監督特集その1】

盲ろうの少女とその教師との心の交流〜映画『Black』【バンサーリー監督特集その2】

私の心は愛しいあなたのもの〜映画『Hum Dil De Chuke Sanam (ミモラ 心のままに)』【バンサーリー監督特集その3】

ドフトエフスキー『白夜』を原案とした美しい耽美ドラマ〜映画『Saawariya』【バンサーリー監督特集その4】

聾唖夫婦とその娘との愛の軌跡〜映画『Khamoshi: The Musical』【バンサーリー監督特集その5】

圧倒的な美術と幻想に彩られた悲恋の物語〜映画『Devdas』【SRK特集その6】

華麗なる映像美にひたすら圧倒されるインド映画版『ロミオとジュリエット』〜映画『Goliyon Ki Raasleela ・Ram-Leela』

koikekoike 2015/12/16 23:32 こんにちは! 突然のコメント失礼します。このヒンディー映画ですが、日本でもインドの公開から2日後に公開されますよ:) Spaceboxjapanというインド映画を輸入上映している小さな会社で、1日だけの上映ですが... (HPはこちら http://www.spaceboxjapan.com/)

globalheadglobalhead 2015/12/17 11:30 こんにちは、コメントありがとうございます。そうそう、20日に川口スキップシティでやるんですよねー、行きたかったんですが都合が付かず見送ることにしました…来年ぐらいにIFFJで字幕付きでやらないかなあ。

koikekoike 2015/12/20 22:44 26日にもまたスキップシティで、1/9には海老名とかでやるそうですよ。 もしよかったら:))

globalheadglobalhead 2015/12/20 23:32 おおう。情報ありがとうございます。
う〜む海老名かなもし行けるとしたら…前の日新年会入ってるけど飲み過ぎないようにしなければ…というか行けるのだろうか…。
20日公演で観た方がもうブログに書いていて、とても楽しく観られたそうですよ。

20150716(Thu)

[][]ドフトエフスキー『白夜』を原案とした美しい耽美ドラマ〜映画『Saawariya』【バンサーリー監督特集その4】 ドフトエフスキー『白夜』を原案とした美しい耽美ドラマ〜映画『Saawariya』【バンサーリー監督特集その4】を含むブックマーク ドフトエフスキー『白夜』を原案とした美しい耽美ドラマ〜映画『Saawariya』【バンサーリー監督特集その4】のブックマークコメント

■Saawariya (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2007年インド映画)

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まだまだ続く「サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督週間」、今回は2005年の『Black』に続き2007年に製作された映画『Saawariya』。ドフトエフスキーの短編小説『白夜』を原作としたミステリアスなラブ・ロマンス作品である。主演は『バルフィ!』のランビール・カプールと『ミルカ』のソーナム・カプール。二人はこの作品が映画初出演作となる。他にラーニー・ムカルジーが脇を固め、サルマーン・カーンがゲスト出演している。そして今作はサンジャイ監督の美意識が大爆発する耽美映画となっており、公開当時物議を醸したらしい。

《物語》いつも宵闇に包まれた、いつの時代とも、どこの国のどの場所ともつかない奇妙な町があった。その町にふらりと現れた宿無し男ラージ(ランビール・カプール)は、立ち寄ったバーにいた妖艶な娼婦グラービー(ラーニー・ムカルジー)と知り合い、バーでの歌手の仕事と住処を手に入れる。ある夜ラージは橋の上に佇む美しい女を見初め彼女に近づく。しかし彼女サキーナー(ソーナム・カプール)にはイマーン(サルマーン・カーン)という名の意中の人がいた。イマーンはかつてサキーナーの家の間借り人であり、二人は愛し合っていたが、イマーンはいつか帰ってくると告げて旅に出てしまい、サキーナーは毎夜橋の上に佇み彼の帰りを待ち続けていたのだ。そんなサキーナーをなんとか振り向かせようとするラージだったが…。

この『Saawariya』、サンジャイ監督がそのあらん限りの美意識を発揮させ、微入り細にわたり徹底的に美術にこだわりまくって作られた作品だ。物語の中心的な舞台となる町全てがセットで組まれ、そこに建つ建物は西洋と中東が混ぜこぜになった無国籍的なものだ。ヨーロッパ風のバーに英語のネオンが瞬いたかと思うとその横にはイスラムのモスクが建ち、さらに巨大なブッダの顔面像が置かれ、町の中心にはベネツィアを思わせる運河が流れている。町は常に夜の中にあり、それら全てが深海の底にあるかのような青と緑に染められているのだ。どこまでも幻想的なこれらの光景はまるで白日夢を見せられているかのようだ。この不思議な町を俯瞰した映像は2001年製作のバズ・ラーマン監督によるアメリカ映画『ムーラン・ルージュ』の猥雑な混沌を想起させ、意外とサンジャイ監督のインスピレーションの元になったのかもしれない。

この幻想に彩られた町で起こった物語もまた夢の中の出来事のようにはかなく、そしてその登場人物たちさえ影絵の中の人形のように朧である。男女の恋とそのすれ違いを描くその物語はどことなく茫漠としており、シンプルに過ぎて膨らみが足りなく思える。夢幻の中で生きる恋人たちには血肉が感じられず、感情の発露があったとしてもどことなく図式的で観る側の心を動かすことが無い。これはサンジャイ監督が映像の美を追い求め過ぎた挙句、主幹となる物語と登場人物それ自体もひとつの書割のように扱ってしまったからではないのかと思える。また、美しく壮麗な町のセットは最初こそ目を奪うものがあるにせよ、予算の関係だろうが広大というものではなく、映画の進行の中で同じ場所を何度も見ることになるとさすがに飽きてくる。結局、イメージの段階では秀逸だったのだろうが映画として完成してしまうとメリハリの欠けたものになってしまったということだろう。

こういった点から、この作品が賛否両論だったのも興行的に振るわなかったのも納得できるが、かといって失敗作と切り捨てられない部分もある。この作品はサンジャイ監督が自らの表現欲のままにやりたいことをとことんやってみた、いわばサンジャイ監督の「核」となるような作品ではないかと思えるのだ。とことんやり過ぎて脱線した所はあるにせよ、サンジャイ監督の他の作品はこの「核」を薄めて他の要素を付け加えることで成り立っているような気がする。そういった意味でサンジャイ監督を知る上では重要な作品だともいえる。配役では映画初主演のランビール・カプールが若々しい顔を見せていた。一方こちらも映画初出演だったソーナム・カプールは期待に反し演技も表情も固く精彩に欠けていたのが残念だった。ラーニー・ムカルジーは安定の演技だったが、それよりもちょい役ながら謎めいた男を演じたサルマーン・カーンはさすがにベテランの存在感を醸し出していた。

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白夜 (角川文庫クラシックス)

白夜 (角川文庫クラシックス)

20150715(Wed)

[][]私の心は愛しいあなたのもの〜映画『Hum Dil De Chuke Sanam (ミモラ 心のままに)』【バンサーリー監督特集その3】 私の心は愛しいあなたのもの〜映画『Hum Dil De Chuke Sanam (ミモラ 心のままに)』【バンサーリー監督特集その3】を含むブックマーク 私の心は愛しいあなたのもの〜映画『Hum Dil De Chuke Sanam (ミモラ 心のままに)』【バンサーリー監督特集その3】のブックマークコメント

■Hum Dil De Chuke Sanam (ミモラ 心のままに) (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 1999年インド映画)

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サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督週間と勝手に名づけてレヴューを書いているが、今回は1999年製作のサンジャイ監督デビュー2作目である『Hum Dil De Chuke Sanam』。この作品は愛し合うカップルが親の決めた結婚相手の登場により引き離されるが…といったインド映画ではお馴染みのオーソドックスな体裁を持ったラブ・ロマンスだが、その後の展開に独特なドラマを持つ作品となっている。サルマーン・カーン、アジャイ・デーヴガン、アイシュワリヤー・ラーイといった出演陣の共演も見どころとなっているだろう。またこの作品は2002年に日本において『ミモラ 心のままに』というタイトルでロードショー公開された。ただし日本語版ソフトは廃盤となり、自分個人は英語字幕での鑑賞となった。

《物語》ラージーャスターンの古典声楽家パンディートの家に、イタリアからインド音楽を学びに青年サミル(サルマーン・カーン)がやってくる。明るくお調子者のサミルにパンディート家の面々はたちまち魅了され、それはパンディートの18歳になる娘ナンディニ(アイシュワリヤー・ラーイ)も同様だった。サミルとナンディニはすぐさま恋に落ち、密かに逢瀬を重ねる。だがそれがパンディートの逆麟に触れ、サミルは破門、ナンディニは青年弁護士ヴァンラジ(アジャイ・デーヴガン)と結婚させられてしまう。ナンディニはイタリアに去ったサミルのことが忘れられず、ヴァンラジとは冷たい関係を続けていた。ヴァンラジはそんな結婚生活に耐えきれず、遂に一緒にイタリアに行ってサミルを探そう、ともちかける。

デビュー2作目してこの作品には後のサンジャイ監督作品の原型ともなるべきモチーフがそこここに見受けられる。特に前半は2002年に公開されたサンジャイ監督の3作目、名作として知られる『Devdas』に展開が非常によく似ている。主だった舞台となるパンディート家の豪奢な美術、イタリアの青年サミルの登場、それにさんざめくパンディート家の面々、サミルとナンディニの出会いと逢瀬といった展開はどうしても『Devdas』と重なってしまう。これは『Devdas』映画化が既にサンジャイ監督の念頭にあり、その作品構成の模索がこの作品にあらわれているのかもしれない。まあこれはヒロインを演じるアイシュワリヤーが引き続き『Devdas』に出演しているのでそう見えてしまうという部分もあるだろう。

この作品で興味深かったのはサミル/ナンディニ/ヴァンラジのいわゆる三角関係の在り方だろう。前半は相思相愛のサミル/ナンディニの間に親の決めた結婚相手であるヴァンラジが割り込み、サミル/ナンディニに葛藤をもたらす、といった、インド映画の定番的な物語展開を見せるが、ここまでの展開ではどうしても明るく人気者のサミルに心情的に肩入れし、どうにも陰鬱な顔つきをしたヴァンラジは当然敵役のように思えてしまう。しかしインターミッションを挟みヴァンラジ/ナンディニが中心となった物語に様変わりすると、そのヴァンラジが不器用ながら実は誠実な男であり、深い優しさを持った男であることが明らかになり、観る者の心理はここで揺さぶりをかけられるのだ。

実は観始めた当初、サルマーン・カーン、アジャイ・デーヴガンといった配役に戸惑いを感じていた。それぞれにキャリアが長く実力人気共に高いスター俳優であり、個人的にもとても好きな俳優だが、これまで観たサンジャイ監督作品の主演男優と比べるとキャラクター造形に陰影の乏しいものを感じたのだ。しかし明るいが軽薄なサミルと生真面目で暗いヴァンラジというキャラ分けは、最後まで観てみると実に分かり易い明暗に分けた配役だとわかり、納得がいくのだ。さらにそのどちらのキャラも、実に魅力と人間味に溢れ、そして観ている者は、どちらのキャラも好きになってしまうのだ。そしてこれは、二人の間で心の揺れるヒロインの心理に観る者を完璧にシンクロさせる演出ではないか。

もうひとつ興味深かったのはサンジャイ監督作品登場人物の理性と情念のあり方だ。『Devdas』ではそれはコントロール不能なものとして描かれるが、他の作品では危ういバランスをとりながら崩壊一歩手前で綺麗に均衡を戻すのだ。そこから考えると『Devdas』の狂気にも似た情念は、逆に理性の側から情念というもののあり方を注意深く観察して構築したもののように捉えられる。この『Hum Dil De Chuke Sanam』でも恋と愛の究極の選択の中で彼らは自らの情念に翻弄されてゆくけれども、ぎりぎりの状況の中で最後に理性を保つ。それはサンジャイ監督自身が人間の理性というものを信じていることの表れととれるし、また、表現者として過剰な情念にそれほど興味を持たない、ということともとれる。なぜならサンジャイ監督の興味の中心はその美術にあるからだ。

ところで作中、「The Drums Beat」と歌い踊る曲「Dholi Taro Dhol Baaje」のシーンが、『Ram-Leela』の「Nagada Sang Dhol」が歌われるシーンと振り付け、衣装、サビの部分が良く似ていて、『Ram-Leela』好きの自分としてはニヤリとしてしまった。

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20150714(Tue)

[][]盲ろうの少女とその教師との心の交流〜映画『Black』【バンサーリー監督特集その2】 盲ろうの少女とその教師との心の交流〜映画『Black』【バンサーリー監督特集その2】を含むブックマーク 盲ろうの少女とその教師との心の交流〜映画『Black』【バンサーリー監督特集その2】のブックマークコメント

■Black (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2005年インド映画)

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「サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督週間」と勝手に銘打ってサンジャイ監督作品を集中して観ているが、今回観たのは2005年に公開された『Black』という作品。タイトルの「ブラック」は「暗闇」の意味であり、それは物語の主人公ミシェルが全盲・聾唖の「暗闇の世界」で生きていることを表している。物語はそんな三重苦の"暗闇"の中で生きる女性が希望という名の"光"を掴むまでと、彼女の支えとなり叱咤勉励し続けた一人の教師とのドラマを描く。主演はラーニー・ムカルジーとアミターブ・バッチャン

物語は盲ろうの女性ミシェル(ラーニー・ムカルジー)が病院に収容されたある男を訪ねるところから始まる。男の名はデーブラージ(アミターブ・バッチャン)、彼はかつてミシェルの恩師として、その人生を導いた男だった。しかしデーブラージは今、アルツハイマー症により全ての記憶を失っていた。時は遡り、インド北部の町、シムラー。そこに建つマクナリー家の豪邸にデーブラージが訪れる。彼がこの家で任されることになった8歳のミシェルは盲ろうであるばかりにまともな教育を施されず、まるで獣の様に暴れまわる少女だった。彼女に強硬的な態度で言葉を覚えさせようとするデーブラージにミシェルの父は解雇命令を出すが、デーブラージは「20日間で彼女を変えてみせる」と言い放った。

盲ろうという三重苦を抱えた少女が独特の指導法を持つ教師によって人生の新たなステージに立つ、というこの物語、もうお分かりになった方もいらっしゃるだろうが、実在の人物ヘレン・ケラーとその教師アン・サリヴァンとの関係を元にしており、監督自身もそれに言及している。この映画ではサリヴァンに促され水に触れたヘレン・ケラーが「わーらー(ウォーター)」と声を上げる有名なシーンもきちんとなぞられ、再現されている。しかし映画『Black』は「ヘレン・ケラー物語」の翻案というわけではなく、ヘレン・ケラーの人生にインスパイアされ脚色された物語として観るべきだろう。

例えばアン・サリヴァンはもともと彼女自身も障害を抱えており、20歳の時にヘレン・ケラーの家庭教師となるが、この映画の教師デーブラージはミシェルを任されたとき既に初老の男であり、その教育方法もどこか強引であったりするのだ(ちょっとスパルタ過ぎないかぁ?とも思ったが、まあそこは映画だから分かり易くしたんだろう、ということで)。そしてまた、教師デーブラージが男であったからこそ、ミシェルが彼に抱く思慕の念も恋愛感情に近いものとなり、そしてその恋愛感情が、長きに渡る二人三脚で歩んできた二人の信頼関係を壊してしまう。それは盲ろうの少女ミシェルが妹の結婚式に臨むことで、自らの女としての愛や幸福を自問したからこその結果であり、より物語を切ないものに変えてゆく。

このミシェルとデーブラージを演じるラーニー・ムカルジー、アミターブ・バッチャンの演技がなにより素晴らしい。杖をつきながらよちよちと歩くラーニー・ムカルジーの演技は痛々しさを通り越して鬼気迫るものすら感じさせるが、これは『バルフィ!』で自閉症女性を演じたプリヤンカー・チョープラーの息を吞むような演技を思い起こしてしまった。一方アミターブ・バッチャンについてはここで自分が称賛するまでもないのだが、覇気と精気に満ち溢れ、風の様に周りを巻き込んでゆく教師時代と、アルツハイマー症によって次第に衰えてゆくその後とのコントラストが絶妙であり、これも迫力に満ちた演技であった。また、子供時代のミシェルを演じる子役の凄まじい暴虐振りも括目すべきだろう。

そしてこの作品でもまたサンジャイ監督独特の美意識が炸裂する。冒頭のマクナリー家の内装は過剰なほどに所狭しと絵画や彫像が飾られ、それはシュールリアリズム画家ポール・デルヴォーの作品を想起させた。また、物語の舞台となる町はオールセットで組まれ、人工的な映像美を強調する。これらは物語世界をどこか無国籍で、さらに時代の曖昧なものとして提示する。これはサンジャイ監督作品『Goliyon Ki Raasleela: Ram-Leela』でも同様に感じたことだが、サンジャイ監督がこれらを強調するのは、どのようなテーマであれサンジャイ監督の目指すものがある種のファンタジーである、ということなのだろう。サンジャイ監督作品『Guzaarish』が全身麻痺と尊厳死を描きながら本質には優れた美術的空間があったように、この『Black』もまた、盲ろうという障害を描きながらその本質にはファンタジックなものを孕んでいるのだ。

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20150713(Mon)

[][]全身麻痺の男が最後に願ったこと〜映画『Guzaarish』【バンサーリー監督特集その1】 全身麻痺の男が最後に願ったこと〜映画『Guzaarish』【バンサーリー監督特集その1】を含むブックマーク 全身麻痺の男が最後に願ったこと〜映画『Guzaarish』【バンサーリー監督特集その1】のブックマークコメント

■Guzaarish (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2010年インド映画)

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サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督といえばSRK主演の2002年公開作品『Devdas』が最も有名なのだろうが、個人的には2013年公開の『Goliyon Ki Raasleela: Ram-Leela』がなにしろ思い入れ深い。『Ram-Leela』の百花繚乱の映像美に魅せられることが無かったら今のようにインド映画を観続けることは無かっただろう。そんなサンジャイ監督作品だが、実を言うと先に挙げた『Devdas』と『Ram-Leela』しか観ていない。ここはそろそろサンジャイ監督の他の作品を観てもよい頃だろうと思い、まず2010年公開の『Guzaarish』を観てみることにしたのだ。主演はリティック・ローシャンとアイシュワリヤー・ラーイ、そして作品のテーマは『尊厳死』という重いものである。

《物語》ゴアに佇む大邸宅のベッドに一人の男が横たわっていた。彼の名はイーサン・マスカレーナス(リティック・ローシャン)、元は天才的なマジシャンとして活躍していた彼だったが、10数年前、公演中の事故が原因で全身不随となり、首から上だけしか動かすことが出来なくなっていた。そんな彼を看護士のソフィア(アイシュワリヤー・ラーイ)は献身的に介護し続け、イーサンもラジオ・パーソナリティーを務めながらハンディを背負いつつも前向きに生きることを訴えていた。しかし実はイーサンの心は既に倦み疲れていた。そしてある日、友人の弁護士デヴィヤーニー(シェルナーズ・パーテル)を通し、裁判所に自らの安楽死を嘆願する。

幻想的な『Devdas』、鮮やかな色彩の踊る『Ram-Leela』と同じく、ここでもまず目を奪うのはその練りに練った美術設定だろう。決して装飾性が高いとか華美を極めているといった意味ではなく、色彩設計が実に巧みなのだ。物語の主な舞台となる主人公イーサンの屋敷とその部屋、その内装と調度、さらにそこを行き来する登場人物たちの服装、これらどれもが、黒、紺、深緑、焦げ茶など、様々な重い色彩でもって徹底的に構成されているのだ。これらの構成により、イーサンを取り巻く世界それ自体があたかも暗く冷たい深海の奥底に沈んでいるかのようにすら感じさせる。それは全身麻痺となりながら生きざるを得なかったイーサンの暗く重い心象の具象化であり、そしてまたイーサンの持つ深い悲しみまでも表した色彩なのだろう。しかしこれらは沈鬱ではあるけれども、決して息苦しい重々しさではなく、心奪われるような美しさを湛えているのだ。

そしてこの「沈鬱とした美しさ」は物語全体のトーンとしても存在している。全身麻痺、尊厳死といったテーマは重いものではあるが、この物語は決して病床の過酷さや尊厳死の是非のみをクローズアップしようとした作品ではない。もちろんこの作品は、そういった死さえも望みたくなるような絶望と苦痛の中で輝きわたる、生のきらめきとその渇望を描こうとした作品であるのは間違いない。それは十分な感動をもってこの作品を盛り上げるけれども、実はサンジャイ監督が真に主眼とするのは、自らの透徹した美意識を存分に発露させること、即ち「いかに美しく描くことが出来るか」であり、映画の物語はそれに追従する形で構成されているように思えるのだ。それは感動的ではあるが同時に紋切型にもとれる物語構成にあらわれる。物語の登場人物たちは苦悩と葛藤の中にありつつ、その葛藤が奇妙に簡単に片が付く。しかしこういった人間描写の淡白さ・物足りなさはありつつも、それはこの作品の魅力を決して損なってはいない。なぜならサンジャイ監督の描く「沈鬱とした美しさ」は既にして成功しているからだ。

もちろん配役の魅力も忘れてはならない。主演のリティック・ローシャンの色男ぶりは生と死の狭間で揺れ動く男の憂愁を美しく際立たせる。アイシュワリヤー・ラーイももとからインド美人女優の一人ではあるけれども、サンジャイ監督が作り上げる人工的な美の空間の中であたかも綿密に計算され作り上げられたアンドロイドのような硬質な美しさを輝かせている。本当に、美術といい俳優といいなにからなにまで美しい物語だ。そして全身麻痺で動けない主役に動きを与えるため、回想シーンではマジシャンである主人公の驚異的なマジックの数々が披露される。これらは特殊撮影を使った、いわば在り得ないようなマジックなのだが、そのめくるめくような幻想性は、この作品の美しさをさらに高みへと引き上げる。

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20150712(Sun)

[]『ターミネーター:新起動/ジェニシス』観た。 『ターミネーター:新起動/ジェニシス』観た。を含むブックマーク 『ターミネーター:新起動/ジェニシス』観た。のブックマークコメント

ターミネーター:新起動/ジェニシス (監督:アラン・テイラー 2015年アメリカ映画)

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…ダダンダンダダン!…ダダンダンダダン!…ダダンダンダダン!

  • あのターミネーターが(しつこくもまた)帰ってきた…ッ!?というターミネーター・シリーズ第5弾、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』であります。
  • いやあしかし今年は『マッドマックス』と『アベンジャーズ』と『ターミネーター』がダンゴになって公開される!?という映画ファンには頭クラクラしそうなぐらい忙しい年ですな。あと『スター・ウォーズ』も公開されるんだぜ!?
  • でまあこの『ジェニシス』(なんか言い難くねえ?)、「新起動」なんて副題が付いているように、あのターミネーター・シリーズをもいっかい1から語り直しちゃおうぜ?というお話になってるんですな。だから『ターミネーター5』というよりは『新ターミネーター』ということなんですな。なんかアルバトロス映画みたいですけど。
  • ターミネーター』はどのナンバリングタイトルが面白いか?という議論がよく成されますが、オレ的には『1』は実は「ふーん」と観てしまったクチで、『2』で「なんかとんでもないことになってる!?」と驚愕し、『3』は「『2』の後だけど全然頑張ってると思うよ!」で、『4』は「…ええっと…うーん…でもCGのシュワが登場した時はメチャクチャ盛り上がったよね!?」と思った人間であります。
  • というわけで物語は「サイバーダインのせいで世界は滅亡さ!ヒャッハー!!」というシーンから始まって、その後砂漠の中をマックスがウォー・ボーイズに追っかけまわされるシーンへと続くんですな。…じゃなくてターミネーターからサラ・コナー(エミリア・クラーク)を救うため、抵抗軍のリーダー、ジョン・コナー(ジェイソン・クラーク)がカイル・リース(ジェイ・コートニー)を過去にタイムトラベルさせる、というお馴染みの展開を迎えるわけです。
  • 「ほうほう、再起動とは聞いてたけど、構成こそ違うけどホント丁寧に1作目なぞってるねえ。でも1作目公開時からVFXテクノロジーが段違いに進歩してるからとても新鮮に観られていいねえ」と最初は安心して観てたんですが。
  • すると、なんとアナタ、過去に戻ってからが「え!?あれ!?これ!?なんか違わない!?」とびっくりさせられるような超展開を迎えるのですよ!
  • ネタバレしないようにここからのストーリーは書きませんが、予告編にあるようになんとあのT-1000ターミネーターイ・ビョンホン)が登場!全体的には『1』と『2』をチャンポンしつつやんわり『3』的なテイストも入れ込まれ、中盤からは『ジェニシス』ならではの展開となるといった作品になっておるのですな。…あ、『4』のことは忘れてあげてください…。
  • まあしかし「サイバーダインをやっつけろ!」という部分ではいつもの「ターミネーター」であることに間違いありません。1,2作目を知っているファンならニマニマしっぱなしのシーンやら台詞やら(アイルビーバック!)が盛り込まれ、楽しいことこの上ない物語作りになっています。でもシリーズを初めて観る人はどう感じるのか気になるところであります。
  • そして「ターミネーター」といえばやっぱりぶっ壊してぶっ壊してぶっ壊しまくる!撃って撃って撃ちまくる!という野蛮な白色人種がとっても大好きな大破壊大会でありましょう!
  • 誰かが言ってましたが、「ターミネーターのいいところは部屋に入る時にドアを開けずに壁を破って入るところ」とはまさしく言いえて妙でありますな。
  • そしてやっぱり、「シュワがターミネーターで帰ってくる!」、これに尽きるでしょう。お年を召したせいかあんまり派手なアクションはなかったようにお見受けしましたが、シュワのターミネーター新作が観られるというだけで喜ばしい限りでありますな。
  • お話自体は例によってターミネーターの如く乱暴な作りで、タイムパラドックスの扱いも相変わらず適当ですが、ひたすらB級路線まっしぐらなその出来栄えにはいっそ清々しさを感じるほどであります。
  • そんなわけで十分楽しめた『ターミネーター:新起動/ジェニシス』でありました!

…ダダンダンダダン!…ダダンダンダダン!…ダダンダンダダン!

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ターミネーター3 [Blu-ray]

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20150711(Sat)

globalhead2015-07-11

[]ピザ食わせろ! ピザ食わせろ!を含むブックマーク ピザ食わせろ!のブックマークコメント

ブログ「男の魂に火をつけろ!」のワッシュさんが7月10日に書いた記事で漫画『めしばな刑事タチバナ』18巻を取り上げていたのである。オレはこの漫画のことは知らなかったが、タイトルから推測するに「タチバナという刑事がメシの話をする」という内容なのだろう。この18巻で主に取り上げている食いもんはピザなのだという。そしてワッシュさん曰く「今回のテーマは「ピザ」なので、銀河一のピザ愛好家で有名な、暗黒皇帝陛下(id:globalhead)の感想が聞きたいと思った」とあるではないか。

そう。オレの最も好物とする食いもんはピザである、と断言していい。ブログのプロフィール欄にも「ピザとビールが好きだ…ッ!!」みたいなしょうもないことを書いているぐらいだからな。どのぐらい好きかというと週に1回は宅配ピザ食っているぐらいだ。たまに2回注文することもある。以前は週末に注文していたが、最近は週中である水曜日に注文することも多い。その辺の事情は昔自分のブログで「オレとピザ」というタイトルで書いたことがある。

その記事では「(毎週ピザ食うような)習慣を10年以上続けている」と書いていたが、あれは2005年というから10年前の記事。それからさらに10年、やっぱり同じような生活をしているということは、なんとオレは20年に渡って毎週ピザ食っているというわけなのである。あの記事でオレは「10年で120万ぐらいピザに費やした」といったようなことを書いているが、20年だと240万ということになるのか…。ううむ…。そんな食生活してるんで健康診断すると中性脂肪がヤヴァイことになっている。

さてワッシュさんは「感想が聞きたい」と書かれていたが、売られたネタは買わねばなるまい。これはブロガーの仁義である。というか昔のブログってそんな感じでみんなでネタふりやって面白がってたなー。懐かしいなー。というわけでザックリ感想などを。

シェーキーズはあんま行かなかったな。シューキーズの食べ放題タイムって、今のマ〇ドナ〇ドみたいな殺伐とした雰囲気があってな。

・ピザとピッツアの違い。これは漫画にもあったけど、オリジナルのイタリアン・スタイルがピッツァ、アメリカン・スタイルがピザという具合にオレも認識している。そもそもイタリアン・ピッツァにはペパロニなど存在しないと聞いたことがある。イタ飯屋で食う窯焼きピザはアメリカンなパン生地タイプよりも確かに美味い。窯焼きピザの宅配をやっている店(ナポリの窯、サルヴァトーレ)もあり、そこのピザも美味い。しかし、窯焼きピザは所詮「軽食」なボリュームなので、これだけだとどうも物足りなく感じる。だから「今日はガッツリピザ食っちゃる!」と盛り上がってる時はやはりアメリカンなピザである。

・あと、イタ飯屋でピッツァ注文してもタバスコは出て来ない。「唐辛子の漬け込んだオリーブオイル」が出ることはある。その辺がまた物足りなく感じる。やっぱさあ、ピザといえばガッツリタバスコだろ!ガッツリなんだよガッツリ!

・冷凍ピザは不味いので食わん。チルドになったヤツも最近出回っているが、これを食すときは別途チーズを買い、それを山盛りに乗せてから焼く。

・あーオレも昔ピザトーストよく食ったなあ。しかも毎朝朝飯で食ってたな…。

・ピザとスパゲティを一緒に食うのはやったことない。ピザ1枚あれば十分。…あ、いや、シメにラーメン食ってたかもしんない…(やっぱいわゆるパスタじゃねーか)。しかしこれやるとさすがに体重と胃の調子が大変なことになるので最近は自重している。

・耳までチーズのピザ、美味いよ!あと、基本耳は残さないだろ。まあ最後の一切れがもうお腹に入らない、という時にはとりあえず 耳だけ残して完食するが…。

・宅配ピザを食べて初めて知った食材とかもある。プロシュートとかパンチェッタとかイタリアンソーセージとかイベリコ豚なんかがそれだ。ズッキーニも実は宅配ピザで初めて食べた。

・アメリカ映画には確かによくピザ出て来るよな。だいたいアメリカ人って「ピザは野菜」って言ってるぐらいだからな。タイトルは忘れたが、ベッドの上にLサイズピザの箱広げて食ってるシーンがあって、「こいつらベッドでピザ食うのか!?」と驚いたことがあった。

・今でも最も利用している宅配ピザはドミノ・ピザである。パンピザの生地が一番食べ易く出来ていると思う(他の店のは脂っこいのだ)。あと、割引システムが一番充実している。さらに、自分の家だと一番早く配達してくれるのがドミノピザなのだ。他店だといつも40〜50分待ちになるけど、ここはたいてい30分。早いときには20分ぐらいで届くことがある。

・ドミノピザは新メニューも毎回工夫されていて嬉しい。最近だとトムヤムクンケイジャンチキンがいい。いつものメニューで好きなのはアボガド・シュリンプ。でもたいてい4種類のピザが一度に食べられるクワトロを注文する。これまでのドミノピザのメニューで最も好きだったのはタンドリーチキン。これ最強。今のメニューに存在していないことが悔やまれる。

・それとドミノピザ伝説のメニューとして「Zenbu Nosse(ゼンブノッセ)」というのがあった。これは名前通りピザトッピングを全部(26種類)載せたもので、Mサイズで3800円もしやがったけど、何回か食ったことがある。で、これがなんと、美味かった!!

・しかしこのドミノピザ、ある時からサイズがちょっと小さくなっているのだ。今のMサイズは直径23センチだが、昔は25センチあった。Lだと36センチから33センチになったのらしい。これで値段は据え置きのままだから、いわゆる値上げだったんだろうな。それと、割引の定番になっているクワトロ、これ冷凍じゃね?大量作り置きして各店舗に在庫にさせてるから値段安くなっている、ということなんじゃないかなあ(未確認の憶測です)。

・なにしろこんなにドミノピザばっかり食ってるから、配達のお兄さんにすっかり顔を覚えられて、お得意様呼ばわりまでされている。

・こんなにいつも食ってるから何度かアクシデントもあって、ひとつはMサイズを頼んだんだけど、お店にMの生地が無くなってしまったのでMサイズの値段でLを届けられたことがあった。別の時はオンラインで注文しようとしたらやっぱりMサイズが全て売り切れになっていて、後で聞いたらこの時もMサイズ生地が品切れになっていたのだそうだ。

・そういえばドミノピザはLサイズがMサイズより安いことがあるのだが、一度Lサイズ試してみたが、やはり一人じゃ食い切れないよね…。

20150710(Fri)

[]そして再び惨劇の幕が開ける〜『シャイニング』の続編小説『ドクター・スリープ』 そして再び惨劇の幕が開ける〜『シャイニング』の続編小説『ドクター・スリープ』を含むブックマーク そして再び惨劇の幕が開ける〜『シャイニング』の続編小説『ドクター・スリープ』のブックマークコメント

■ドクター・スリープ(上)(下) / スティーヴン・キング

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I.

冬季閉鎖中のリゾートホテルの管理人一家を、ホテルに巣食う悪霊たちが襲う。その恐怖と惨劇をおそるべき筆力で描ききった20世紀史に残るホラーの金字塔『シャイニング』。あれから36年、巨匠キングは「その後の物語」を書く。超能力“かがやき”を持つ少年ダニーは、どんな人生を歩んだのか?そして大人になった彼を、宿命は新たなる惨劇へと導くのだ。忌まわしい地に巣食う、忌まわしい者たち。彼らをとめるのが、わたしたちの使命―“かがやき”を武器に、わたしたちは立ち上がる。迫る邪悪と、彼と似た能力を持つ少女の誕生―誰も予想しなかった名作の続編が幕を開ける!世界一の物語作家によるエンタテインメント巨編。

あのダニーが帰ってきた。ダニー・トランス、幽霊屋敷と化した厳冬のオーバールック・ホテルで死霊に取り憑かれ発狂したジャック・トランスの息子、"輝き"を持つ少年、ホラー小説の金字塔『シャイニング』に登場したあのダニーだ。そう、この『ドクター・スリープ』は、『シャイニング』刊行後36年振りに書かれた、ダニーを主人公とする続編なのだ。

物語は『シャイニング』の惨劇を経て大人になったダニーが主人公となり進んでゆく。ダニーはこの物語ではダンという名で呼ばれている。だからここからの文章もダンと書く。成人したダンではあるが、彼は重度のアルコール中毒に悩んでいた。それは彼の持つ"輝き"の力が彼の心を苛んでいたからであったが、アル中だった父のその性癖が、忌まわしくも彼の血の中にも生きていたということでもある。アル中により人生の落伍者となったダンは仕事を転々としながらとある町に辿り着く。そこでダンは酒をきっぱり止め生きていこうと血を吐く様な努力を重ねる。そんなある日、彼は、彼と同じ、いや彼以上の"輝き"を持つ少女、アブラの存在を知ることになるのだ。

一方、アメリカの荒野を、奇妙なRV車の隊列が走り続けていた。その車に乗り合う者たちは「真結族」と自らを呼ぶ人外の存在であった。「真結族」。彼らは、アメリカ各地を旅しながら、"輝き"を持つ子供たちをなぶり殺しにしながらその精気を吸い、古より生き続けていた邪悪の一族だった。そして彼らはこれまで出会ったことの無い強力な"輝き"の存在を嗅ぎ付け、そこへと進路を変える。実はそれこそが、ダンの見出した少女アブラだったのだ。こうして、ダンとアブラ、そして真結族との、超常の世界の戦いが今始まるのだ。

II.

最初に書いてしまうと、この『ドクター・スリープ』は、重厚な構成により透徹した恐怖を描き出した『シャイニング』と異なり、作者キングが非常にリラックスして書きあげた作品だ、という気がした。『シャイニング』は、その恐怖の質はもとより、精神を苛まれ、正気を失ってゆく主人公ジャックの、悲痛なる絶望の物語でもあった。アル中により教師の職を失い、家族の信頼を失い、作家への道をも失い、地獄への道を降りてゆくかのように追いつめられてゆくジャックの姿は、それはそのまま、作家として大成する前のキングの姿を映し出したものだった。主人公ジャックの絶望は、そのままキング自身の絶望だったのだ。だからこそ『シャイニング』は、あれほどまでに凄惨で、救いの無い物語だったのだ。

しかし今や世界的ベストセラー作家となり、絶大なる支持と自信を得ることになった現在のキングは、当時と同じ立ち位置から『シャイニング』続編を書けるわけではないことを十分知っており、それにより、あえて『シャイニング』を再話したりとか、同質の恐怖を書こうとはしなかった。そこで行ったのは、ダニー(ダン)の"輝き"と呼ばれる超能力に注視し、その超能力を中心に展開される、「光と闇の戦い」という形で続編を書くことだったのだ。だからこの『ドクター・スリープ』は、『シャイニング』と比べると随分トーンが違うことに読んですぐ気付かされる。『シャイニング』に関する記述を取り除いたら、超能力をテーマにした別物の作品であると言っても通るぐらいなのだ。

そしてこの作品、なにしろ軽快に読める。そして、多分執筆していた作者もそうであったろうと予想できるぐらいに、楽しんで、リラックスして読める。こうして『ドクター・スリープ』は、「安心して読めるホラー小説」という、どこか語義矛盾した展開を見せる作品となっているのだが、逆に、「続編という名のファン・サービス作品」と考えると合点が行く。冒頭などは「さあこれから『シャイニング』続編の始まりだよ!」と言わんばかりに"217号室の女"とか"REDRAM"とかがポンポン飛び出し『シャイニング』愛読者を大いに盛り上がらせる。その後もこれまでのキング作品を思わせるモチーフが大盤振る舞いだ。「自分の特殊能力に苦悩する主人公」は『デッドゾーン』だし、「超能力少女」は『キャリー』で、「超能力少女と中年男(主人公)」だと今度は『ファイアスターター』だし、「真結族」は『呪われた町』の吸血鬼プラス『痩せゆく男』のジプシーとも言えるし、看護師である主人公が死に瀕した人を看取る時はどこか『不眠症』を思わせるし、ダンとアブラが遂に「真結族」と対峙する時に言う言葉はあの作品のあの時の言葉と全く一緒ではないか。こんな具合にキング・ファンならにまにましてしまう要素が一杯なのだ。

III.

しかしこの作品が内輪ウケの部外者お断り作品だということは全く無い。そこはキング、しっかりと優れたエンターティンメント作品に仕上げている。さすがに前作『11/22/63』のような緊密に練り上げられた秀作というほどではないにしても、『リーシーの物語』よりはましだし、『悪霊の島』よりも楽しめるし、話題性では『アンダー・ザ・ドーム』と同等といえるのではないか。確かに悪役である筈の「真結族」が思ったほど極悪非道な恐怖を発揮してくれず、後半などは劣勢に次ぐ劣性でどうにもグダグダで物足りなさを感じたし、そもそも「真結族」の、"輝き"を吸うという行為自体にそんなに怖さを感じない。キングも持て余したのかクライマックスにかけて若干テンポが悪くなってしまうが、これもひとえに"輝き"を持つ少女アブラの超能力が強力過ぎるというせいもある。しかし実は、今作ではこの少女アブラが非常に魅力的に描かれており、彼女の一挙手一投足を眺めているだけで自然に口元が緩んでくるのだ。そう。今作の真のテーマは…ロリコンだったのである!?

まあロリコンというのは冗談にしても、草臥れた中年男ダンと輝くばかりのローティーン少女アブラの関係には、そういった匂いがしないでもないのだ。きちんと書くならこれは男女の性愛ということではなく、"輝き"という、一般の人間には理解不可能な能力を持った者同士が、その孤独の中で巡り合い、真の理解者を得る事で、魂の深い部分での繋がりを持つ、ということではある。後半では二人の"輝き"の関係性が明るみになるが、ネタバレになるから書くのは避けておこう。とはいえ、中年男ダンに感情移入しつつ物語を読み進めている時に、若く溌剌とした少女アブラが現れ物憂げな瞳で見上げられると、どうにも面映ゆいものを感じてしまう。個人的にはオレの脳内におけるアブラの配役はハリウッド子役のエル・ファニングを念頭に置いていたのだが、おかげで小説を読んでいる間中エル・ファニングの姿が脳裏から離れず、ええとそのう、ずっと変な気分になっていたオレなのであった…。

脱線してしまったが、このアブラの生命力に満ちた造形が物語を生き生きとしたものにしているのだ。それは『キャリー』でもなく、『ファイアスターター』のチャーリーでもない、楽観性と肯定性と、柔軟な知性と、健常な美しさと、自ら運命を切り開く逞しさを兼ね備えた者だ。おまけにさすがにキングもアブラには魅力を感じていたのか、キング登場人物にしてはそれほど惨い目には遭っていない。これはキングの登場人物でも珍しいのではないか。この点において『ドクター・スリープ』はいつものキング小説よりもずっと爽やかな読後感なのだ。キング小説の文脈にはとかく彼の家族関係が見え隠れするのだが、意外とアブラは彼の孫娘あたりをモデルにしていた、とかそういうことなのだろうか(実際にいるかどうかは未確認)。

最後に断わっておくと、この『ドクター・スリープ』はスタンリー・キューブリックが世に送り出した傑作ホラー映画『シャイニング』の続編ではない。よくあることだが原作と映画では異なっており、映画しか観られていない方があの映画のクライマックスを念頭に置いて読み始めると若干戸惑われるかもしれない。ただ、ちょっと読み進めれば映画と原作がどう違う流れになったのかは推測できるだろうから、原作である『シャイニング』しか知らない方が読んだとしても楽しまれることだろう。もちろん、あらかじめ原作である『シャイニング』から読み始めれば完璧だ。

新装版 シャイニング (上) (文春文庫)

新装版 シャイニング (上) (文春文庫)

新装版 シャイニング (下) (文春文庫)

新装版 シャイニング (下) (文春文庫)

20150709(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■Bastards / Ah! Kosmos

Bastards

Bastards

■Flesh / Ah! Kosmos

Flesh

Flesh

Ah! Kosmosはイスタンブール在住で音楽関連の学位も持つ女性ベース・ミュージック・プロデューサーBaşak Günak(これがまた美しい)によるユニット。「Flesh」《試聴》と「Bastards」《試聴》はそのAh! KosmosのデビューEPとデビューアルバムとなる。ダークな音展開の中に非常にエモーショナルな煌めきの存在する美しい作品だ。今回のオススメ。

■Burn It Down / Octave One

Burn It Down

Burn It Down

デトロイト・テクノのオリジネイターOctave Oneの7年ぶりとなるフルアルバム。重量級でありながら歯切れのいいリズム、親しみやすいソウルフルなメルディが真っ黒いグルーヴを生み出す良作。 《試聴》

■La HOME Box / Laurent Garnier

La Home Box

La Home Box

先ごろ全世界1000セット限定の12インチx4+CDx1のBOX-SETをリリースしたLaurent Garnierだが、こちらはその中のCDのみを単体リリースした作品。Garnierらしい癖のある展開を見せるそれぞれの楽曲がファンには堪らなく嬉しい。 《試聴》

■Strictly DJ T: 25 Years Of Strictly Rhythm / DJ T/VARIOUS

Strictly DJ T: 25 Years of Str

Strictly DJ T: 25 Years of Str

89年にニューヨークで設立され、Roger Sanchez、Todd Terry、Kenny Dopeといった名プロデューサーを生み出したハウス・レーベルStrictly Rhythmが設立25周年を記念してリリースしたコンピレーション。アンダーグラウンド・ハウス黎明期の生々しい息吹きに満ちた名曲が並び、今聴いてもめくるめくような新鮮さに溢れている。アルバムはCD4枚組となり、2枚をレーベルのファンを自認するDJ Tがミックス、残り2枚はそのノンミックスとなる。 《試聴》

■Fabriclive 81 / MONKI/VARIOUS

Fabriclive 81: Monki

Fabriclive 81: Monki

Fabricliveの81番は女性ベース・ミュージックDJ、Monki。もともとFabricliveシリーズのファンだったという彼女のエネルギッシュでグルーヴ感溢れるミックスが好印象。 《試聴》

■Amygdala / DJ Koze feat. Caribou

AMYGDALA

AMYGDALA

ドイツ/ハンブルグを拠点に活躍するDJ Kozeの2013年にリリースしたアルバム。まだ聴いてなかった。DJ Koze定番とも言える郷愁を誘うようなリリカルなメロディがやはり泣かせる好盤。 《試聴》

■Trojan Presents DJs 1969 - 1984 / VARIOUS

レゲエ・レーベルの老舗Trojanによる60'sから80's初期までのディージェイ・タイトルをコンパイルした2枚組全40曲。Trojanのコンピは買ってるときりが無いがディージェイものと知りついつい購入。 《試聴》

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20150708(Wed)

[]最近ダラ観したDVDだのBlu-rayだの 最近ダラ観したDVDだのBlu-rayだのを含むブックマーク 最近ダラ観したDVDだのBlu-rayだののブックマークコメント

■ゲーム・オブ・スローンズ 第四章:戦乱の嵐-後編- (TVドラマシリーズ)

ジョージ・R・R・マーティン著のファンタジー小説シリーズ『氷と炎の歌』を原作とし、それを圧倒的な映像で再現したテレビドラマシリーズ第四章。錯綜しまくった物語と人間関係はここで説明できないが、この第四章ですら新たな登場人物が追加され物語は目まぐるしく移り変わり、いつもながら片時も目を離せない出来栄えとなっている。おまけにこの第四章ではここまで続投してきた様々な主要登場人物が虫けらのように次々と死んでゆき、毎回毎回ラストで「なんじゃこりゃあああ!?」と悲鳴を上げているうちに次回へとなだれ込む。これまでも十分楽しめる物語だったが、この第四章の怒涛の展開ぶりはシーズンを通して最高の盛り上がりを見せているのではないか。調べたところ原作とは違う展開も徐々に見せているらしく、原作ファンも目を離せない章となっているだろう。

■チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密 (監督:デビッド・コープ 2015年アメリカ映画)

インチキ美術商がとある陰謀に巻き込まれ上を下への大騒ぎ!?という物語だが、ジョニー・デップグウィネス・パルトローという大物俳優陣を揃え、それなりに面白く出来てはいるが、微妙な小粒感はぬぐえない。これは英国作家キリル・ボンフィリオリによる原作の、イギリスらしい湿り気の多いシニカルさやブラックな風合いを持つ物語テイストが、アメリカ人監督とアメリカ人俳優勢により無味乾燥で薄っぺらいハリウッド流のドタバタコメディに様変わりさせられてしまったせいなのではないか。餅は餅屋ではないがイギリス人の歴史を経たこじらせぶりは、単純なアメリカ人には再現不能のように思う。

■シェフ 三ツ星フードトラック始めました (監督:ジョン・ファブロー 2014年アメリカ映画)

『アイアンマン』シリーズのジョン・ファブローが監督・脚本・製作・出演した作品。オーナーと対立して解雇された腕利きシェフが、フードトラックを始めたら大成功さ!という邦題通りの映画で、ビッグバジェット続きの監督が息抜きで作ったんだろうなあ、というのがありありと分かってくるようなお気楽な内容となっている。ケチを付けたい部分は山ほどあるが、映画に出てくるキューバサンドイッチが美味そうだったからオールオッケーということにしようかな、という気分になった。ジョン・レグイザモスカーレット・ヨハンソン、あとチョイ役だがダスティン・ホフマンロバート・ダウニー・Jrの出演というのが嬉しい。

■やさしい本泥棒 (監督:ブライアン・パーシヴァル 2013年アメリカ/ドイツ映画)

第2次大戦中のドイツを舞台に、身寄りのなくした一人のドイツ人少女がある家に貰われて…という物語である。タイトルの「本泥棒」とは、主人公少女が本屋で万引きしまくってるとかそういうのではなく、ある人物に本を読んで聞かせるため少女がこっそり本をくすねてくる、という部分からきている。第2次大戦でドイツというと、熾烈な戦闘とかユダヤ人絡みの悲痛な物語が連想されがちだが、この物語はありふれたドイツ人家庭の、ごく普通な少女が体験する戦争である、という所がとても新鮮だ。あとなにしろ主人公を演じるソフィー・ネリッセの美少女ぶりには心奪われるし、脇を固めるジェフリー・ラッシュエミリー・ワトソンらの存在感が素晴らしい作品だった。

■シェアハウス・ウィズ・バンパイア (監督:タイカ・ワイティティ/ジェマイン・クレメント 2014年ニュージーランド映画)

タイトル通りシェアハウスしてるバンパイアの生活ぶりをPOVのドキュメンタリータッチに撮ったコメディ作品だ。まあだいたい想像通りの内容で、もう少しはっちゃけた部分や破綻があってもいいとは思ったが、丁寧に作ってある部分で好感度は高い。敵対勢力として狼男集団が出てくるシーン(しかもこれが意外と大ボケな連中)は楽しかった。だいたいニュージーランドでバンパイアというのもなんだか変な感じがして面白い。

■プロジェクト・アルマナック (監督:ディーン・イズラエライト 2014年アメリカ映画)

主人公のワカモノが親父の遺したタイムマシンを発見し、友人のワカモノたちと一緒に過去を楽しい思い出に変えちゃおう!とあれこれ弄るがそこはそれバタフライ・エフェクト効果でとんでもないことになる、というお話をPOVで描いた作品だ。作品の雰囲気は『クロニクル』そっくりなんだが、『クロニクル』みたいな緊張感はないし暗くないしとんでもない恐ろしいことが起こるわけでもないしルサンチマンダダ漏れしていない。そういったライト出来ではあったが、これはこれなりに楽しめた。変なスクールカーストとかも描かれないし(あれって食傷するんだよな)普通なワカモノが登場する部分で結構爽やかだったからかな。

■百歳の華麗なる冒険 (監督:フェリックス・ハーングレーン 2013年スウェーデン映画)

100歳の華麗なる冒険 [DVD]

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百歳になるジジイが老人ホームを脱走したはいいが、なぜだかマフィア絡みの事件に巻き込まれちゃう、という物語である。しかしなにしろ百歳になるジジイなのでなんだかいつもモヤッとしており、そのモヤッとした行動のせいなのかマフィアの連中が次々自滅していくのだ。自滅したマフィアの死体がゴロゴロ転がる様は実に狂った味わいである。おまけにこのジジイ、その過去に世界を震撼させた様々なことがらに関わっていたらしく、歴史上の人物が次々に登場する様は『フォレスト・ガンプ』を思わせるが、こちらのジジイはひたすらブラックなのだ。こうして思わぬ方向に話が進み、非常に楽しめる作品だった。

フライト・ゲーム (監督:ジャウメ・コレット=セラ 2014年アメリカ映画)

リーアム・ニーソン演じるやさぐれ航空保安官が、飛行中の旅客機内で「身代金振り込まないと乗客一人づつ殺してゆくぜヒャッハー!」というメールを受信し、緊迫の犯人探しに挑む、という密室スリラーである。いやこれよく出来てたし素直に楽しめる作品だったな。粗探しすれば幾らかはあるんだろうが、決してそういう気分にさせない展開の面白さがあるんだね。それとオレ最近TVドラマ『ダウントン・アビー』を観ているんだが、『ダウントン・アビー』に出ているミシェル・ドッカリーがこの映画に出演していてとても嬉しかったというのもあったな。こういうサクッと観られるシンプルなスリラーっていいね。

■ダウントン・アビー シーズン2 (TVドラマシリーズ)

さてそのミシェル・ドッカリーが出演している、20世紀初頭のイギリス貴族とそれにかしずく使用人たちを描くTVドラマ『ダウントン・アビー』のシーズン2である。いやーまさか自分がイギリス貴族のお話にハマるとは思わなかったわ。貴族ってステキとかいうのではなく馴染の薄い社会のよく知らなかった生活と文化、そしてそこで生きる人たちが何を信条としているのか、そういったことを目の当たりにするのが面白んだよね。このシーズン2ではいよいよ第1次世界大戦が勃発し、貴族たちの生活も変化を余儀なくされる。そして彼ら自身も時代が変わっていっていることを痛感している。この「変わりゆく時代に直面する者たち」というテーマがまたいいんだよな。もちろんソープオペラなくっついたり離れたりの男女のお話も嫌いじゃなくってよ、ウフ。

■モンティ・パイソン 復活ライブ!〜完全版〜 (監督:エリック・アイドル

2014年にロンドンのO2アリーナで行われたモンティ・パイソン結成45周年記念の復活ライブを収録した作品である。念の為に書いておくが「30年ぶりにして最後の再結成」などとソフトには謳われているけど、モンティの連中は2009年に結成40周年記念として映画『モンティ・パイソン ライフ・オブ・ブライアン』のオペラ版をロイヤル・アルバート・ホールで公演しており、これは『モンティ・パイソン / ノット・ザ・メシア』というソフトに収録されている。さて内容だが、「死んだオウム」「スペイン異端宗教裁判」「スパムの多い料理店」などモンティのお馴染のスケッチを舞台で演じたものになっており、この合間合間に総勢20名のダンサーによる豪華かつふざけたダンスが入るというわけである。決して新しいネタがあるわけではなく、あのまんまのモンティではあるが、既にいい歳こいた爺さんとなったモンティの面々が相変わらず下らないことをやっている、という姿を楽しむソフトなんではないかと思う。女装姿とか、もう伝統芸の領域だよなー。しかし、見てるとやっぱ若いよな。うんうん、ええではないか。そしてラストは当然"あの曲"で〆となるのがまた嬉しいよね!人生いい面を見て生きよう!

20150706(Mon)

[]ホドロフスキー原作の『アンカル』シリーズ完結編『ファイナル・アンカル』 ホドロフスキー原作の『アンカル』シリーズ完結編『ファイナル・アンカル』を含むブックマーク ホドロフスキー原作の『アンカル』シリーズ完結編『ファイナル・アンカル』のブックマークコメント

■ファイナル・アンカル / アレクサンドロ・ホドロフスキー(作)、ホセ・ラドロン(画)、メビウス(画)

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R級探偵ジョン・ディフール。彼は今何かを思い出そうとしながら、酸の海に向かってまっさかさまに落下している。ロボット警官の飛行艇に救助された彼は、突然ある名前を思い出す。ルス・デ・ガラ―それはかつて彼が愛した女性の名前だった。折しも世界はテクノが創り出したメカミュータントと肉食ウイルスによって消滅の危機に瀕していた。世界を救うためには真の愛を知る唯一の存在、ジョン・ディフールとルス・デ・ガラが再び結ばれなければならない。はたして彼はルスを見つけ出すことができるのか?ホドロフスキー&メビウス『アンカル』のその後を語った後日譚。メビウス自身が同一の原作に基づき作画を担当した幻の未完成作『アフター・アンカル』を併録!『アンカル』サーガ、ついに完結!

その1.ホセ・ラドロンの『ファイナル・アンカル』

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伝説のバンドデシネアンカル』の物語のその後を描く『ファイナル・アンカル』が刊行された。『アンカル』にはその前日譚を描く『ビフォア・アンカル』が既に存在しており、これにより『アンカル3部作』のとりあえずの完結となる。

『アンカル』はカルト映像作家アレクサンドロ・ホドロフスキーバンドデシネ界の至宝メビウスがタッグを組み、フランスのコミック誌『メタル・ユルラン』において1980〜1988年まで連載された作品だ。銀河の星々を経巡りながら宇宙と人類の存亡を賭けて繰り広げらるその物語は、ホドロフスキーの深遠なる神秘主義とメビウスの卓越した描線により眩いばかりに華麗なスペース・ファンタジー大作として完成している。…とはいえ、主人公はもともとスケベで自分勝手なだけの冴えないおっさんであり、決して正義を連呼する四角四面なヒーローなどではない。こんな非力で凡庸な存在が已むに已まれず敵と戦い、最終的に宇宙の真理へと到達してしまう、という部分がユニークな作品でもあるのだ。

この『ファイナル・アンカル』は前作において銀河の平和を取り戻した筈の主人公がまたもや記憶を失い、そしてまたもや銀河の危機に直面してしまう、という物語である。今回の敵は宇宙から全生命存在を抹殺し、邪悪なる機械だけが跋扈する世界に変えてしまおうと目論むメカミュータントである。それと拮抗する勢力として善なるメカミュータント軍勢も登場する。この「善と悪の戦い」において、勝敗を決する鍵となるのが、我らが情けないヒーロー、主人公のジョン・ディフールであり、彼の持つ唯一無二の「愛の力」だけがこの宇宙を救うとされているのだ。オープニングは『アンカル』同様地下都市最深部にある酸の海へ真っ逆さまに落ちてゆく主人公の描写から始まるが、これは実は前日譚『ビフォア・アンカル』も全く同じ描写から始まっている。『アンカル3部作』は物語にしてもイメージにしても同一モチーフの反復が見受けられるが、これはホドロフスキー神秘主義による永劫回帰的なストーリーテリングによるものであるのかもしれない。

この『ファイナル・アンカル』で特筆すべきはホセ・ラドロンによるグラフィックの息を吞むような巧さだろう。バンドデシネにしてもアメコミにしても超絶的な技巧を持つアーチストは多々いるが、このホセ・ラドロンの絵には見入ってしまうような巧さがある。なにより未来都市、宇宙船、異形の建造物、キャラクターのコスチュームなど、これらSFストーリーに重要な世界観をもたらすデザインが突出しており、それらがひしめき合い熾烈な戦闘を繰り広げている絵などは見ていて溜息が出る。そしてコンピューターグラフィックの賜物であろうが、一コマ一コマの描き込みが恐るべき細かさで、そのコマに何が描かれているか眺めているだけで時間が経つ。逆に、これらのコマが小さいためにフラストレーションが溜まるのも確かで、少なくともこの本の1.5倍の大きさの形態で出版してもらいたかったぐらいだ。このような「魅せる」グラフィックなら、日本のマンガのように大ゴマを多用してもよかったとも思う(でも本の厚さも価格も3,4倍になるんだろうなあ…)。

その2.メビウスの『アフター・アンカル』

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さてもうひとつ特筆すべきはホセ・ラドロンによる『ファイナル・アンカル』ストーリーの後に、メビウスの手による『アフター・アンカル』が収録されていることだろう。そもそも『アンカル』の後日譚として最初に企画され出版されたのはこの『アフター・アンカル』なのだが、物語途中でメビウスが降りてしまい、未完のまま頓挫してしまっていたのだ。『ファイナル・アンカル』と原作を同じにしているので、未完であっても話の続きは『ファイナル・アンカル』を読んでいれば事足りるのだが、しかし話の流れに微妙な違いがあるのも確かだ。

それよりも問題は、あのメビウスのグラフィックがいささか精彩に欠くということだ。頓挫した作品であるということからも、そもそもメビウスが乗り気でないまま描いたということも考えられるし、手書きからCGへの移行にメビウスが上手く対応できていなかったということも考えられるが(グラフィックが手書きかCGかは未確認)、なにしろ大雑把で魅力に乏しいグラフィックなのだ。

そんなことを思いながら頭に「?」マークをたっぷり浮かべつつ読み進んだのだが、実はなんと、こちらのメビウス・バージョンのほうがストーリーの流れが理解し易く、ホセ・ラドロンよりも大きなコマを使っている為ダイナミックな読み応えがあるのだ。しかも、リアルさを追求したホセ・ラドロンと違い、どちらかというと抽象的なメビウスのグラフィックは、ホドロフスキーの神秘主義思想を実に巧み物語に盛り込むことに成功している。『ファイナル・アンカル』が「善と悪の戦い」「愛の力」といったストーリーを紋切型に落とし込み、グラフィックそのものの醍醐味だけで見せていたのに比べ、『アフター・アンカル』はホドロフスキー思想をきちんと噛み砕きグラフィックの上で体現しているのである。いうなれば、正編である『アンカル』のテーマを最も正当に引き継いでいるのはやはりこの『アフター・アンカル』だったのだ。

なぜこの作品が頓挫したのかは謎ではあるが、もし完結していたのであればホドロフスキー宇宙のその神秘を鮮烈に画面に焼き付けた作品として完成したであろうことは想像に難くない。ただしそれだとホセ・ラドロンの超絶グラフィックとも出会えなかったことを考えると、悩ましいところである。

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

20150705(Sun)

[]アベンジャーズ新作つまんなかった。 アベンジャーズ新作つまんなかった。を含むブックマーク アベンジャーズ新作つまんなかった。のブックマークコメント

アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン (監督:ジョス・ウェドン 2015年アメリカ映画)

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  • 映画「アベンジャーズ」の続編『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』を観たのだがなんとも退屈だった。
  • もとよりスーパーヒーロー映画に人物描写の掘り下げだの物語性の深さだのを求めるべきではないのだろう。そこを観る映画じゃないのだ。
  • しかし期待してはいけないのは分かっていたが、やはり観ていて紋切り型の台詞と物語展開は苦痛だった。
  • 「頭空っぽにして観ていられる」と「頭空っぽにしていないと観ていられない」とは別だろう。
  • いや、全部が退屈だったわけではない。冒頭と終盤のアクションシーンはよかった。綿密に構成された動きとアングルとスピード感はこの作品の真骨頂だろう。
  • 超能力戦士ワンダとピエトロの導入もお馴染み過ぎて変わり映えのしないいつものメンバーに新鮮味を与えていた。
  • いまいち使い勝手の悪かったキャプテン・アメリカが今回いい具合に活躍していた。今までで一番強く見えたぞ。
  • 荒ぶるハルクを抑え込むためのアイアンマンによる「ハルク・バスター」戦も悪くなかった。
  • 東欧らしき地方を舞台にしたクライマックスのロケーションも物語に独特の翳りをもたらしていた。
  • スカーレット・ヨハンソンは相変わらず美人で眼福だった。映画の退屈さを紛らわせてくれたのはまさに彼女の出演があったからこそで、逆に他の連中のドラマはどうでもよかった。
  • だがウルトロンを筆頭とするロボット/人工知能の叛乱というテーマは今更感が強かった。
  • 前作の宇宙人のほうが悪逆非道で強そうに思えたぞ。
  • あと途中から登場する酢ダコみたいなヤツ、どうも見てくれがカッコ悪すぎる。
  • ヒーローのみなさんの悪夢のくだりはテンポを悪くしていた。
  • 恋愛だの家族愛だのの描写がかったるかった。しかし「愛」を強調したがっていたという点においては「この映画を、<愛>を知る全人類に捧げる― 」という日本サイドのキャッチコピーはあながち外れていなかったということじゃないかと思えた。
  • そもそも「地球の平和を守るんだ!」というのがもうどうでもよくて…。
  • アメコミのスーパーヒーロー映画自体随分前から食傷していたので、観てしまったのが間違いだったのだろう。
  • こういった作品はキャラクターに愛のある人が観てはじめて楽しめるのだろう。
  • だからキャラクターに特に思い入れの無い自分が観てつまらなかったのは致し方ないのかもしれない。

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20150703(Fri)

[][]年貢が倍だと!?だったらクリケットで勝負だッ!?〜映画『ラガーン』 年貢が倍だと!?だったらクリケットで勝負だッ!?〜映画『ラガーン』を含むブックマーク 年貢が倍だと!?だったらクリケットで勝負だッ!?〜映画『ラガーン』のブックマークコメント

■ラガーン (監督:アシュトーシュ・ゴーワリケール 2001年インド映画)

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「年貢が倍ってどういうことだっぺ!?だったらクリケットで勝負するっぺ!!」

時は1893年、場所はイギリス統治下にあるインドの片田舎!因業なイギリス人悪代官がいたいけなインドの村人たち言い渡したのは過酷な年貢の量だった!「今期の年貢はいつもの2倍っす。そこんとこヨロシク。あとパンが無ければケーキを食べればいいと思うの」。しかし日照り続きの村ではいつもの量すら準備できない!「お代官さま!そっだら年貢は払えねえっぺ!おらたちに飢え死にしろってことだっぺか!?」すると慌てふためく村人たちを鼻で笑いつつイギリス人悪代官はこう告げた!「あらあら顔真っ赤じゃん!うふふん、じゃあねえ、ボクらとクリケット試合して、勝てたら免除しちゃおうかな?なんなら3年間ただにしちゃってもいいや!ただーし!負けたら年貢は3倍だからね?」ここまできたら売り言葉に買い言葉、村人たちも試合をせざるをえなくなる!だが!一つ致命的な問題が!村人たちはだーれもクリケットなんかやったことがなかったのです!

2001年インドで公開され大ヒットを飛ばし、さらに国内外で数々の賞を受けたばかりか米アカデミー賞外国語映画賞もノミネートされた映画『ラガーン(原題:lagaan once upon a time in india)』であります。主演・製作は『きっと、うまくいく』『チェイス!』のアーミル・カーン。タイトルの「ラガーン」の意味はズバリ「年貢」!ちなみに日本未公開作ですが日本語字幕付きDVDが出ており、現在は廃盤のようですがレンタルで観ることができました。

いやもう最高の面白さでした。イギリス統治時代のインド人とイギリス人との確執、というとややこしくてきな臭い話のように思われるかもしれませんが、この『ラガーン』はその確執を「クリケットで白黒つけちゃおうぜ!」と物凄くシンプルな形に落とし込んでいるんですね。つまり政治的歴史的なテーマを持った「虐げられた者たちの叛乱」を描きつつも、それをスポーツの形に昇華させることによって、「勝つか負けるか!?」という直球ど真ん中のエンターティンメント作品として楽しむことができるんです。そもそもこういった物語は結末が予想できてしまうものですが、それでも様々な困難や思わぬ出来事を周到に用意し、最後まで観客をハラハラドキドキさせながら堂々と長丁場を描ききることに成功しているんですね。なにしろこの作品、224分もあるんですが、その長さを全く感じさせない面白さでした。

クリケット試合がひとつのテーマになっている物語ですが、このクリケット、もともと英国伝統のスポーツで、それが植民地時代にインドに持ち込まれ、現在のインドでも国技となるほど一般的になっているスポーツなんですね。ですからインド映画でもよくとりあげられ、自分は映画『Kai Po Che』でその様子を見たことがあります。実の所ルールはさっぱり分からないんですが、この『ラガ−ン』でもルールが分からなくてチンプンカンプンなんていうことが殆どないんですね。確かに知っていたらもっと面白いんだろうなあ、と思える局面もあることはあるのですが、試合中の選手や観客たちの喜んだり悔しがったりする様子で何が起こっているのか分かるんですよ。自分はもともとスポーツが苦手なたちで、実は野球のルールすらよく分かってなかったりするんですが、それでも『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』みたいな野球漫画は面白く読んでたし、この辺全く問題ないんじゃないでしょうかね。

作品の見所は多々ありますが、まずクリケット試合を言い出したイギリス人大尉の憎たらしさでしょう!インドでは菜食主義などは厳格なものですが、その菜食主義のインド人藩主に「年貢?肉食ってみせたら割り引いてやるよ!ガハハ!」なーんてぬかすんですね。悪役として申し分なしです。そして主人公のまわりに選手として少しづつ村の仲間たちが集まってくる様子が『七人の侍』ぽくてワクワクさせられるんです。まあしかしその風体はどうにもこうにも癖があり、『七人の侍』というよりは『アパッチ野球軍』って感じですが!その仲間の中に一人裏切り者が現れイギリス側に内通する、というのがまたサスペンスを生みます。そして村人たちを不憫に思った駐屯地のイギリス人女性がクリケットのルールを教えるためにこっそり村を訪れます。そしてこのイギリス人女性と主人公、そして主人公を慕う村娘の間でちょっとした三角関係のラブロマンス展開が盛り込まれます。

そしてなんといってもメインであるクリケット試合です。この試合は作品内時間で3日間、映画でも1時間余りに渡って描かれていて、全くもう『アストロ球団』かよ!?ってな感じです。そしてこれがもうとことん盛り上がりまくるんですよ!なにしろ村人たちには明日の生活どころか命すら掛かっている試合なわけですから盛り上がらないわけがないんです。グランドの周りを埋め尽くす村人たちが試合の一進一退で山をも動かさんばかりにどよめくんですね。イギリス選手たちはチクリチクリと汚い手を使い、この憎たらしさがまた試合を味わい深くするんです。一方インド村人チームは初試合にも関わらず健闘を見せるものの、意気ばかりはやって確実さが足りない!おまけに劣勢に立った時のメンタルの弱さが致命的!こうしてクライマックス、インド村人チームは接戦に接戦を重ねながら一人敗退し二人敗退し、もう後の続かない万事休すの状態に!?果たして村人チームにヒンドゥー神は微笑むのか!?ひたすら熱い展開を迎える『ラガーン』、インド映画好きもそうでない方にも是非お勧めします!

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20150702(Thu)

[][]失恋男とお節介女の恋物語〜映画『Jab We Met』 失恋男とお節介女の恋物語〜映画『Jab We Met』を含むブックマーク 失恋男とお節介女の恋物語〜映画『Jab We Met』のブックマークコメント

■Jab We Met (監督:イムティアズ・アリー 2007年インド映画)

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電車の中で出会った一組の男女にほのかな想いが芽生えて…というインド映画では定番中の定番ともいえるボーイ・ミーツ・ガール・ストーリーです。とはいえこの物語、オーソドックスすぎるこのシチュエーションに様々な”ひねり”を加えることで、非常に斬新な切り口の恋愛ドラマとして仕上がっているんですね。主演は『R...Rajkumar』『Haider』のシャーヒド・カプール、ヒロインを『きっと、うまくいく』『ラ・ワン』のカリーナー・カプール。そしてこの二人が、非常に素晴らしいんですよ!

《物語》新米社長のアーディティヤ(シャーヒド・カプール)は交際相手の女性から別離を言い渡され呆然自失となったまま、どことも知れぬ行先の列車にふらふらと乗り込んだ。そんな彼をいぶかしく思った同席の女性ギート(カリーナー・カプール)は、持ち前のお節介焼きな性分から彼を励まそうとちょっかいを出す。なんだかんだと世話を焼くギートに、最初はうんざりしていたアーディティヤも次第に心を開くようになり、ギートを目的地である彼女の実家へと送り届ける。そこでアーディティヤはギートから、両親に無理矢理結婚させられそうなこと、自分には恋人がいて、その彼と結婚したいことを知らされる。ギートは家を逃げ出すが、アーディティヤもそれに巻き込まれ、一緒に彼女の恋人のいる街へ行くことになってしまう。

列車の中で知り合った一組の男女の物語、という『DDLJ』を髣髴させるインド映画ラブロマンスの典型的な設定を用いながらこの作品が斬新だったのは、この二人がその場で恋に落ちておらず、また、二人の状況が恋に落ちる要素を排している、という部分にあるんです。まず、アーディティヤは手痛い失恋をしたばかりで女性のことなんか考えられない状態でした。そしてギートには既に恋人がいるんです。ギートの優しさに触れて心の傷を癒されるアーディティヤでしたが、それが恋心に結び付けられることなく、逆にギートと彼女の恋人との間を手助けしてしまうんです。ギートはギートで、アーディティヤに対するちょっかいは単なる親切心からのお節介焼きである、と最初に説明されてしまっているんですね。要するに「出会った時に一目惚れ!」とか「気のない相手に徹底アタック!」という物語では決してないんですよ。そんな二人が、次第に、ほのかに…というのがこの作品の見所であり真骨頂なんですね。

こんな物語を可能にしたのは、なによりも主演の二人の演技でありキャラクター作りの賜物でしょう。まずアーディティヤを演じるシャーヒド・カプールは、この作品において線が細く知的で内気な男を演じますが、これはマッチョだったりセクシーだったりヤンチャだったり、はたまた執拗に口説きまくるといったインドのラブコメ映画でよく見かける男性像とかなり外れているんですね。眼鏡を掛け小声で喋り、すっきり着こなしたスーツ姿も精悍な肉体を感じさせるものではないんです。おまけに失恋したばかりで自分の殻にすっかり籠りきってしまい、何に対しても無関心、自分からなにか行動を起こすのではなく、ギートに巻き込まれてしまったのでしぶしぶ行動をしているだけで、そのギートに心惹かれる自分に気付いてもその気持ちを無視しようと努めてしまうんです。ここまで消極的なインド映画主人公というのも珍しいかもしれません。そんなキャラを演じシャーヒド・カプールは演技賞ものでしょう。

その相手役ギート演じるカリーナー・カプール、彼女がまた素晴らしい。ぺちゃくちゃとまくしたてる明るくコミカルな女性キャラを様々な作品で演じてきた彼女ですが、どこか作り過ぎな感じはしていたんですね。しかしこの作品でのカリーナー・カプールは等身大の役どころがリラックスした演技へと繋がったのでしょうか、これまで自分が観たカリーナー・カプール映画で初めて彼女を可愛らしく思ってしまいました。確かに「心傷ついた時に現れた世話焼きの女性」というのは男性目線の都合のいい女性像かもしれませんが、やはり彼女も容易くアーディティヤと恋に落ちることはありません。そして、お互いはお互いの事情を抱えています。しかし、そんな二人が偶然の出会いの後にそれぞれの現実へと帰り、そこで「なぜだか、あの時の、あの人が気になって仕方がない」という気持ちを少しづつ膨らませてゆく。そしてそれが、揺れ動きながらも新たなロマンスへと変化してゆく。そういった「ゆっくりと心を覆ってゆくときめき」が、今までにないものを感じさせた作品でした。

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20150701(Wed)

[][]チンピラ二人と妖しい美女とが織りなすクライム・ドラマ正続2編〜映画『Ishqiya』『Dedh Ishqiya』 チンピラ二人と妖しい美女とが織りなすクライム・ドラマ正続2編〜映画『Ishqiya』『Dedh Ishqiya』を含むブックマーク チンピラ二人と妖しい美女とが織りなすクライム・ドラマ正続2編〜映画『Ishqiya』『Dedh Ishqiya』のブックマークコメント

■Ishqiya (監督:アビシェーク・チョーベイ 2010年インド映画)

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インド女優の美しさは誰もが認めるところだろう。オレはインド映画観始めの頃、ディーピカー・パドゥコーン様のあまりの美しさに「これは宇宙レベルで女神と呼んでもいいだろ…」と驚愕したものである。その後もあんなインド映画こんなインド映画を観、多くの美人女優に陶然としたものだが、美しいだけでなくその演技力や存在感も含めなんだか気になってしょうがない女優といえばヴィディヤー・バーランだ。『女神は二度微笑む』にしろ『Dirty Picture』にしろ、彼女の演じるキャラクターはどれも陰影に富んだ複雑さを持ち、血肉を持った存在としての生々しい息吹きを感じさせる。モデルとしても通用しそうな端正な美女というわけではないにしろ、女優として兼ね備えるべきスキルに非常に高いものを持っているのだ。そんな彼女が2010年に出演した『Ishqiya』を観てみることにした。

『Ishqiya』のメインとなるのは二人の薄汚いチンピラだ。その二人、カールー・ジャーン(ナスィールッディーン・シャー)とバッバン(アルシャド・ワールシー)はギャングのボスと揉め事を起こし、旧友の住むウッタル・プラデーシュ州の小さな村に逃げ込む。しかし彼らを迎えた旧友の妻クリシュナ(ヴィディヤー・バーラン)に、夫はガス爆発事故で死んだことを聞かされる。チンピラ二人はクリシュナの家に住み着き、次第に奇妙な三角関係へと発展してゆく。そんなある日、二人はクリシュナにある犯罪計画を持ち掛けられるのだ。

一言でいうなら『Ishqiya』は妖しい翳りに満ちたクライム・ストーリーだ。それは深夜の暗黒ではなく黄昏の薄暗さが画面を覆うどこかどんよりとした世界だ。チンピラ二人の食いつめものめいた胡散臭さ、ヴィディヤー・バーラン演じるクリシュナの、心の内を明かさない謎めいた性格、そしてその3人の間に漂う性の臭い。さらに舞台はネパール国境であり、国境の地ならではの緊張と、暴力と犯罪の殺伐とした空気が辺りに漂う。まるでこの世の果てのようなその地で、3人は幻のような日々を過ごすのだ。物語は後半ひとつの犯罪計画へと収束してゆくが、それは夕闇の中の人影のようにだらしなくグズグズと崩壊してゆく。そしてこれら薄暮の世界を統べるのが主人公クリシュナのミステリアスな存在感というわけなのだ。このクリシュナを演じるヴィディヤー・バーランがやはり圧倒的に素晴らしい。この人はこういった心に闇を抱えた女を演じさせれば一番かもしれない。また、チンピラ二人もそのどうにも情けないグダグダぶりから適度なコミカルさをもたらし、物語に十分なコントラストを加味している。

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■Dedh Ishqiya (監督:アビシェーク・チョーベイ 2014年インド映画)

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『Ishqiya』の続編として2014年に制作されたのがこの『Dedh Ishqiya』だ。この作品でも二人のチンピラ、カールー・ジャーンとバッバンが登場するが、ヴィディヤー・バーランは出演していない。その代り『Ishqiya』と同様に謎めいた美女が登場し(しかも今回は二人)、またもチンピラどもが翻弄される、といった物語になっている。舞台も作品全体を覆う雰囲気も別であり、ある意味続編というよりはスピンオフ作品といえるかもしれない。

物語はチンピラ二人が宝石強盗を働き、そのうちの一人カールー・ジャーンが行方不明になるところから始まる。しかし相棒バッバンは偶然TVに写るカールー・ジャーンを見つけ、彼を探しに行くことにする。カールー・ジャーンは未亡人の領主ベーガム・パーラー(マードゥリー・ディークシト)に言い寄り、財産をモノにしようとしていたのだ。バッバンも従者と偽って行動を共にするが、ベーガムの侍女ムニヤー(フマー・クレーシー)に次第に惹かれていく。しかし、ベーガムとムニヤーはある計略を企んでいた。

この『Dedh Ishqiya』で驚かされるのが、そのイスラム的な美術と文化のありかただ。舞台となる土地は自分にはよく分からないのだが、ここにはインド映画で見知ったヒンドゥー的な美術・文化体系とはまた違った世界が展開しており、それが相当に目新しかった。まず物語のきっかけともなる領主ベーガムが開催する「詩会」だ。壮麗なイスラム風建築の中でこれもやはりイスラム風の美麗な衣装をまとった人々が立ち現われ、耳慣れない言語で詩を朗読するのだ。ベーガムとムニヤーの衣装もまたインド映画でおなじみのサリーとは違う見慣れない意匠を施されたもので、その美しさに見入ってしまった。さらにベーガムが劇中踊るその舞踏のスタイルまでがどこか違う。この辺は不勉強なのでどんな、とは言い難いのだが、これまで観たインド映画とは少しかけ離れた美術のさまが実に魅力的だった。

『Ishqiya』のどんよりとした薄暗さと比べるとこの『Dedh Ishqiya』は終始きらびやかな雰囲気を感じさせる。そんな新奇な舞台の中でもチンピラ二人のグダグダな情けなさは相変わらずだ。この作品でもきな臭い犯罪が進行するけれども、やはり二人は魔性の美女に翻弄され、ぞっこんになりながら結局騙され、いいように便利屋をやらされてしまう。そんな部分が可笑しい。そして2作続けてみるとチンピラ二人に味が出ている。『Dedh Ishqiya』は『Ishqiya』の妖しさには欠けるが、美術の美しさとチンピラキャラの味わい深さで面白く観ることができた。

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