Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20150831(Mon)

[][]ソーナム・カプールが美しい結婚詐欺師を演じるコメディ作品『Dolly Ki Doli』 ソーナム・カプールが美しい結婚詐欺師を演じるコメディ作品『Dolly Ki Doli』を含むブックマーク ソーナム・カプールが美しい結婚詐欺師を演じるコメディ作品『Dolly Ki Doli』のブックマークコメント

■Dolly Ki Doli (監督:アビシェーク・ドーグラー 2015年インド映画)

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結婚詐欺団が主役となり、あちらこちらで詐欺事件を繰り返しちゃうが!?という2015年公開のインド映画です。主演は日本公開作品『ミルカ』でヒロインを演じ、近作『Khoobsurat』でもその魅力をたっぷり見せつけてくれたソーナム・カプール。結婚詐欺に遭って仕返しを考えている男に『Queen』のクソ野郎ぶりが香ばしかったラージクマール・ラーオ。また、アイテム・ガールとして『ディル・セ 心から』の「Chaiyya Chaiyya」や『ダバング 大胆不敵』の「Munni Badnaam Hui」などの名ソングで踊っていたマライカ・アローラ・カーンが登場しているのも嬉しいですね。それと、とあるボリウッド・スターがカメオ出演していますのでお楽しみに。

《物語》ソーヌー(ラージクマール・ラーオ)はとんでもない美人のドリー(ソーナム・カプール)と結婚し、ウハウハの初夜を迎えたものの、彼女の差し出したミルクを飲んだら正体不明、気が付くとドリーが姿を消していたばかりか、家じゅうから金目のものが奪われていた!?そう、実はドリーこそはインド中を騒がせる結婚詐欺団の女だったのだ!詐欺団はドリーの父母やその他の家族の振りをしてカモの一家に近づき結婚を取りまとめ、初夜のその日にカモ一家を薬で眠らせ金品を強奪していたのだ。それから数か月後、今日も今日とて新たなカモの家で嘘八百並べるドリー&詐欺団一家だったが、そこに思わぬ訪問者が。なんとそれは、かつて彼らが騙したソーヌーだった!?さらに詐欺団の存在を嗅ぎつけた警察官ロビン(プルキト・サームラート)も、捜査の範囲を狭めていたのだった。

さてこの『Dolly Ki Doli』、上映時間96分とインド映画にしてはちょっと短いかな?と思わせる作品なんですね。以前オレはTwitterでこんなことを書いたんですが、

実は「1時間半」の映画ってこの作品の事だったんですよ。まあ「ヤル気あんのかオイ」というのは冗談なんですが、それよりもこの作品、最初から1時間半のフォーマットがあって製作された作品じゃないのかと思わせるんですよね。インド映画界もシネコン化が進んでいるそうですが、特に都市部などではこの作品のように短い時間で観られる作品が必要とされているんじゃないのか、と勝手に推測しているんですが。

というのはこの作品、上映時間の短さからサクッと観られて手軽に楽しむことのできる作品である、というのが第一点にあり、そのかわり第二点として物語の膨らみには欠けてしまう、というマイナス部分があるんですね。結婚詐欺団が登場し、あれやこれやの詐欺シーンが描かれ、でもそこに大きな危機が訪れ、さてその結末は!?というプロットがストレートに語られてゆきますが、それは物語の体裁としては十分なものがあります。主演がソーナム・カプールということで、いわゆるボリウッド・アイドル映画として楽しめるし、主人公の「本当の恋の存在」もきちんと描かれ、あっさりとではありますがエモーショナルさもあります。カメオ出演のスターにもびっくりさせられることでしょう。

こういった点で、娯楽映画の機能はきちんと果たしてはいるのですが、長い上映時間の中にいろんなものを盛り込んだインド映画に慣れ親しんでいると、物足りなさを感じてしまうのも確かなんです。それは登場人物の性格の掘り下げ不足であったり展開の単調さであったりもします。短いなら短いなりにこの辺も工夫のしがいがあったのでしょうが、プロットを語ることで終わってしまっちゃってるんですね。そういう部分で、決して退屈ではなかったのですが、及第点以上でもなく、ソーナム・カプールが素敵だっただけになんだかちょっともったいない気にさせられた映画でしたね。

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20150828(Fri)

[][]金持ちのボンボン、農村で働く。〜映画『Ramaiya Vastavaiya』 金持ちのボンボン、農村で働く。〜映画『Ramaiya Vastavaiya』を含むブックマーク 金持ちのボンボン、農村で働く。〜映画『Ramaiya Vastavaiya』のブックマークコメント

■Ramaiya Vastavaiya (監督:プラブデーヴァ 2013年インド映画)

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この間観たプラブデーヴァ監督の『Action Jackson』が面白かったので2013年のプラブデーヴァ監督作『Ramaiya Vastavaiya』を観てみることにしました。お話は金持ちのボンボンが農村の娘に一目惚れし、山のような障害や妨害に出遭って辛酸を舐めつつも、決して諦めずに愛を貫き通そうとするもの。主人公はこれがデビュー作となるギリーシュ・クマール、ヒロインにシュルティ・ハーサン。また、ソーヌー・スードが出演していい味出しております。

《物語》パンジャーブに住むラグヴィール(ソーヌー・スード)は幼い頃両親の離婚、母の死を経ながら、苦労して農園を大きくし、妹ソーナー(シュルティ・ハーサン)を育て上げてきた。ある日ソーナーは親友の結婚式を手伝うため彼女の家を訪れる。そこにやってきたのがオーストラリア在住のええとこのボンボン、ラーム(ギリーシュ・クマール)。ラームはソーナーに一目惚れし、しつこくアタックを繰り返すが、ソーナーは彼の軽薄な性格に辟易し、最初は全く取り合わなかった。しかしある出来事を境に二人は急接近し、相思相愛の仲となる。だがラームの母とその親族は二人の仲を快く思わず、ちょうど家を訪れたラグヴィール共々罵詈雑言を浴びせまくり追い帰してしまう。驚いたラームはラグヴィールの農園に行き許しを請うが、ラグヴィールは許さない。諦めないラームにラグヴィールは条件を出すが、それは農園に住み込み、畑で収穫を上げろ、というものだった。

この映画を観始めて最初、主人公ラームの軽薄過ぎるチャラ男ぶりに「なんじゃいなこのアホは」と拒否反応を起こしちゃったんですよ。いやもうこのラーム、チャラチャラヘラヘラとした大馬鹿野郎で、映画でもソーナーからエテ公呼ばわりされてましたが、鬱陶しくてしゃあない男なんですよねえ。演じるギリーシュ・クマールも猿顔っちゅうか狐顔で、しかもクルクルのオバサンパーマがかかっていて、見ていて一層鬱陶しさがつのるんですよ。ここで思い出したのがプラブデーヴァ監督の2013年の作品『R…Rajkumar』なんですね。この『R…Rajkumar』も主人公がチャラ男でしつこくて、見ていてイライライライラしまくってたんだよなあ。一般には評価の高い作品でしたが、オレちょっとノレなかったんですよ。そういえばこの『Ramaiya Vastavaiya』も2013年の作ですから、この頃プラブデーヴァ監督の中には「しつこいチャラ男」ブームでも来ていたんでしょうか。なにがあったんでしょうかプラブデーヴァ。

しかし、チャラ男のラームにイライラしつつも、「いやここはぐっと我慢しとけば実は後半に新展開があるんではないか」と思うことにしてラームのアホ振りに耐え忍んでいたんですよ。そしたら。来ましたよ。やっぱり主人公の軽薄なアホアホ振りは後半への伏線だったんですね。ソーヌー兄ちゃんに農業の過酷さを体験させられ、最初はグダグダだったチャラ男ラームが次第にしっかりした逞しい男へと変わってゆくんですね。これは全てソーナーへの一途な想いゆえであり、同時にこれまでの浮かれたボンボンである自分を乗り越え《漢》になる為の試練だったということなんですね。こうして前半の軽いコメディ・タッチが後半熱い根性ドラマに変わっていくところが面白い。そんなラームから一身に愛を受けるソーナー役のシュルティ・ハーサンも、インド映画ではあまり見かけない女優さんですが、美人だし健気だし素敵でした。さらにこの後半ではラームの親族からの卑怯な妨害工作なども入り、意外にサスペンスやアクションが盛り込まれるんですよ。特にクライマックスはアクション映画監督としてのプラブデーヴァの腕が光る展開を見せ、最後まで飽きさせないんですね。

そしてやっぱりこの映画、兄ちゃん役のソーヌー・スードが光ってましたね!アホアホの主役とふわふわした美人ちゃんのヒロインの間で物語をピリッ!と締めていたのがこのソーヌー・スードだったんじゃないかと思うんですね。彼の独特の暗さとか重さが、軽くなりがちなラブロマンスに陰影と緊張感を与えているんですよ。確かにソーヌ―兄ちゃんはこれまで散々苦労してきましたからねー、若い頃に悪いことやってチュルブル・パンデーに叩きのめされたりとか、流れ者のシャヒード・カプールにヤクザ仕事世話したら惚れてる女奪われたりとか、ムショで知り合ったプラカーシュ・ラージと遺産狙いの詐欺やってアクシャイ・クマールに返り討ちに遭ったりとか、シャー・ルク・カーンと宝石泥棒に手を染めたりとか、まあ叩けば埃の出る人生を歩んできたソーヌ―兄ちゃんですが、やっと農村に落ち着いて可愛い妹を見守っているって、人に歴史ありって感じさせていいですよね(なんかいろんな映画が混じっている)。

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20150827(Thu)

[][]エキゾチックでカラフルなインド結婚式博覧会〜映画『Band Baaja Baaraat』 エキゾチックでカラフルなインド結婚式博覧会〜映画『Band Baaja Baaraat』を含むブックマーク エキゾチックでカラフルなインド結婚式博覧会〜映画『Band Baaja Baaraat』のブックマークコメント

■Band Baaja Baaraat (監督:マニーシュ・シャルマー 2010年インド映画)

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インド映画といえばロマンスと結婚。この『Band Baaja Baaraat』はその結婚の裏方として活躍するウェディング・プランナーを志し、仕事とロマンス両方で悪戦苦闘してゆく男女を描いた物語です。主演は『pk』『NH10』で注目を集めたアヌシュカー・シャルマー、その相方を『Goliyon Ki Rasleela Ram-leela』のランヴィール・スィンが演じております。ちなみにランヴィール・スィン、この作品がデビュー作となったんですね。

《物語》デリー大学を卒業したばかりのビットゥー(ランヴィール・スィン)は実家の農業を継ぐのが嫌だった為、以前知り合った女性シュルティー(アヌシュカー・シャルマー)がウェディング・プランナーを目指していたことを思い出し、農家に連れ戻しに来た父に「僕はウェディング・プランナーを目指しているんだ!」と宣言してしまいます。そしてなし崩しにシュルティーの元に押しかけ、強引にパートナーになってしまうビットゥー。そしてなんと彼らが起業したウェディング・コンサルタント会社「Shaadi Mubarak」は大成功。しかし大きな仕事を終わらせた高揚感から男女の一線を越えてしまった二人は、次第にぎくしゃくしてゆきます。なぜなら二人は「仕事にロマンスは持ち込まない」と誓い合っていたから。そして大喧嘩の末仲違いをした二人は別々の会社を立ち上げますがしかし…。

映画でしか観たことはないのですが、インドの結婚式ってなにしろ派手って印象ですよね。ちょっと調べてみたサイトでは、なんでも結婚式には年収の4倍をつぎ込み、その式は3日から1週間続き、前夜祭と披露宴では大音量のダンス・ミュージックがかけられて来客者みんなが踊り狂い、新郎新婦の自宅から会場まではマーチングバンド付きのエレクトリカル・パレードが練り歩くのだとか*1 *2。ってかこれ、映画で描かれてる以上に派手じゃないですか!?

この『Band Baaja Baaraat』、結婚式がテーマとなった物語ではありますが、物語がどうこうという以前に、登場するインドの結婚式のその物凄いド派手ぶりにとにかく目を奪われる映画になっているんですね。そしてそれが、中流階級のリーズナブルなものから、富裕層による贅を尽くした式まで、幾つも描かれていくんですよ。さらにウェディング・プランナーの物語ということから、結婚式の裏側まで見られて、なんだかもう「インド結婚式博覧会」てな内容の映画になってるんですね。ですから映画の殆ど場面で所狭しと原色が踊りライトがきらめく結婚式の映像を見せられることになり、そのサイケデリックさになんだかもう脳内にヤヴァイ物質が湧きだしてきて、妙な多幸感に襲われるのです。特に後半の、お城の中庭に設けれたダンスステージでレーザー光線が飛び交う中ダンサーたちが踊るシーンなど、もはや結婚式というよりコンサート会場みたいなんです!こういった部分が観ていてとことん楽しいんです。

そんな結婚式のプランナーとして活躍する二人の主人公は、経験が無いのにも関わらず若さと情熱、あとほんのちょっとの強引さでとんとん拍子で仕事を成功させ続けてゆきます。若者の起業を描いたインド映画としてはクリケット店出店を描く『Kai Po Chi !』(2013)という名作を思い出しますが、それと比べてるとなにもかも順風満帆過ぎてリアリティは薄いかもしれません。しかしこの『Band Baaja Baaraat』は仕事それ自体の大変さよりも映画の楽しさを追求するのを主眼としているみたいで、それが全く気になりません。また、この作品では女性が起業し社会進出するということ、そして女性の仕事と思われがちな仕事を男性がすること、そういったインド社会の変化も描かれているような気もします。そんな主人公たちを演じるアヌシュカー・シャルマーは『Rab Ne Bana Di Jodi』に続き気が強くて頑固者の女性を熱演、ランヴィール・スィンはこれがデビュー作とは思えない貫禄と魅力に溢れておりましたね。

けれども、楽しい楽しいだけではやはりドラマとして成り立ちません。ビジネスパートナー同士にロマンスが芽生えてしまうことで、逆に二人の二人三脚の仕事は破綻してしまいます。しかし、いくら「仕事にロマンスは持ち込まない」という最初に誓った不文律を破ったからと言って、それが原因で二人の仲がギクシャクし仲違いする、といった物語展開はどうも理解しにくいものがあります。愛し合ってるなら愛し合っているなりの新しいパートナーシップが築けるはずではないかと思うんですね。ただしこういった不自然な物語運びも、映画の方便だと思えばやはりそれほど気にならないんですよ。なにしろ映画全篇に登場する様々な結婚式のシーンが凄すぎて、細かい部分をあれこれ言う気が起きないんですね。そういった意味でとても楽しめた作品でした。

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20150826(Wed)

[][]男装姿でクリケット・チームに潜り込んだ女性を描くラブ・コメディ〜映画『Dil Bole Hadippa!』 男装姿でクリケット・チームに潜り込んだ女性を描くラブ・コメディ〜映画『Dil Bole Hadippa!』を含むブックマーク 男装姿でクリケット・チームに潜り込んだ女性を描くラブ・コメディ〜映画『Dil Bole Hadippa!』のブックマークコメント

■Dil Bole Hadippa! (監督:アヌラーグ・スィン 2009年インド映画)

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インドでは国民的スポーツでもあるクリケット。このクリケット競技に女だからという理由で出場できないクリケット大好き女子が一計を案じ、男装姿でチームに潜り込んで大奮闘!しかし、女性の姿でいる時にチーム・キャプテンに見初められ、お話はどんどんややこしい方向に進んでしまう、という作品です。主演のクリケット女子をラーニー・ムカルジー、チーム・キャプテンをシャーヒド・カプールか演じておりますよ。

《物語》クリケットの印パ親善試合で毎年負け続けているインドチームにテコ入れする為、新たなキャプテンとしてイギリスからプロ・クリケット選手ローハン(シャーヒド・カプール)が呼び戻されます。一方、ダンス劇団の一員、ヴィーラー(ラーニー・ムカルジー)は男性以上の腕前を持つクリケット好きな女性で、選手になろうと印パ戦新人クリケット選手選考会場に赴きますが、性別を理由に追い帰されてしまいます。しかしヴィーラーは諦めず、ヴィールという名の男に変装して会場に潜り込み、まんまと選手に抜擢。そんなある日、更衣室で女性の姿をしているところをローハンに見られてしまったヴィーラーはとっさに「私はヴィールの妹です!」と言ってしまいます。しかしそのヴィーラーにローハンが恋をしてしまい、物語はあらぬ方向へ!?

この作品、クリケットを巡る物語ではありますが、それだけではない幾つかの要素が混じりあい、実に楽しめる作品に仕上がっていました。まずなんといっても、素の女性姿と男装姿を切り替えながら画面に登場するラーニー・ムカルジーの熱演でしょう。ラーニー・ムカルジー自体、非常に豊かな表情を見せる表現力に優れた女優ですが、この『Dil Bole Hadippa!』もそんなラーニー・ムカルジーの魅力をたっぷり堪能できる内容になっているんですよ。チャキチャキにはしゃいでいるかと思うと愁いのこもった表情でそっと佇んでいたりする、この情感の起伏が素晴らしいんですね。

この作品では簡易ターバンに髭面というむさ苦しいオヤジの扮装をしてクリケット試合に挑むラーニーさん、目がクリクリし過ぎてる上に小柄だからあんまり男性に見えなくて、「これはすぐ気付かれるだろ!」とは思うんですが、愛嬌たっぷりに演じているのでよしと致しましょう。そんな男装ラーニーさんがスポーツチームという男性社会の中をおっかなびっくり渡り歩こうとする姿が可笑しくもまた可愛らしいんですね。なんといってもキャプテン役のシャーヒドに「俺、お前の妹に惚れちゃったよ!」と打ち明けられた男装ラーニーさん(要するに本人)のドギマギぶりには爆笑してしまいました。

そしてクリケットです。クリケット試合をメインとしたインド映画、というとなによりまず名作『Lagaan』を思い出しますね。あの作品を観ていてもクリケットのルールがよく理解できていないオレなんですが、それでも試合の流れはなんとなく掴めたので、この『Dil Bole Hadippa!』のクリケット・シーンも十分に楽しめました(もちろんルールが分かっていればもっと楽しめたはずですが)。クライマックスに用意された試合ではまさに一進一退、さまざまなアクシデントに遭いながら勝利を目指すチームの姿はやはり盛り上がります。そして女性であること隠して試合に出場する是非への答えもちゃんと用意されていて、スポーツ物語らしい感動へと結びついてゆくんですね。

しかし自分がこの作品で最も惹かれたのはその美術の美しさ楽しさ、そして舞台であるパンジャブ地方の風景を愛おしむかのように写す映像です。クリケット主体の作品という印象で観始めたので、正直ここまで美術が美しいと知らずに驚きました。その美しさが最も発揮されていたのはダンス劇団を中心とした歌と踊りのシーンで、美術や衣装がとてもカラフルで、びっくりするほど楽しいんですね。また、主人公カップルの初デートシーンもファンタスティックで素敵でした。そしてパンジャブ地方の田園地帯の光景、その地で働く農民たちの姿は、イギリスからインドに帰ってきたローハンが「こここそ自分の国なのだ」と納得させるほどにおおらかで心洗われるような優しさに満ちていたのです。

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20150825(Tue)

[]禁酒法時代のマンハッタンを駆け抜ける白人女と黒人男の殺し屋コンビ!〜『MISS』 禁酒法時代のマンハッタンを駆け抜ける白人女と黒人男の殺し屋コンビ!〜『MISS』を含むブックマーク 禁酒法時代のマンハッタンを駆け抜ける白人女と黒人男の殺し屋コンビ!〜『MISS』のブックマークコメント

■MISS / フィリップ・ティロー(作) マルク・リウー&マーク・ヴィグルー(画)

MISS

ヤヴァイ。これは今年読んだバンドデシネの中で最も面白い作品かもしれない。タイトルは『MISS』、禁酒法時代のニューヨークを舞台に、男女ペアの殺し屋コンビが拳銃片手に暗黒街を駆け抜けてゆく、というハードボイルド/ノワール作品なのだ。しかもこのコンビ、白人の女性と黒人の男性なのである。

おおよそのあらましはこんな感じ:

1920年代、禁酒法時代のニューヨーク。父に先立たれ、母に捨てられた白人の少女ノラ・ベイカーは、警官上がりの探偵フランク・クインに拾われ、彼の愛人兼秘書として働き始める。ある日、クインに命じられ、拳銃を手に入れるためにイースト・ハーレムを訪れたノラは、そこで、スリム・ウィルハイトという小粋な黒人と出会う。最悪な出会いから、予期せぬ再会を経て、やがて2人は、殺し屋コンビを結成し、暗黒街をのしあがっていく―。貧困と悪徳が蔓延し、裏切りが横行するハーレムを舞台に、“ミス”・ノラ・ベイカーとスリム・ウィルハイトの白黒コンビがお届けするシニカルな人間喜劇。

白人女の名はノラ・ベイカー。通称"ミス"。ヒモの父とパンスケの母の間で生まれ、ブルックリンの掃き溜めで育つ。しかし呑兵衛の父はさっさと野垂れ死に、母親は失踪し、ノラは孤児院に入れられるが、19の年でそこを追いだされる。掃き溜め育ちのせいか、性格はクール、ビッチ、そしてタフ。おまけに結構な美人。

そんなノラに関わってしまった一人の黒人男、名前はスリム。職業、ヒモ。最初は白人女ノラをナメてかかっていたが、厄介事に巻き込まれ、寸での所で命を救われたことにより、彼女を"レディ"として崇拝するようになり、共同で殺し屋稼業を始めることになる。性格はクール、タフ、そしてシニカル。おまけに割といい男。

こんな二人が欲望渦巻く禁酒法時代のハーレムを、そして大恐慌が襲うマンハッタンを、拳銃と、お互いのリスペクトだけを頼りにサバイバルしてゆく。二人の通る道にはどす黒い陰謀が満ち溢れ、二人が通った後には死体しか残らない。

…どうですか!?最高にカッコよくないっすか!?

バンドデシネ『MISS』は4つの章で構成されている。日本語版には章のタイトルは特に付されていないのだが、調べてみると本国版にはそれぞれタイトルがあるようだ。それぞれの本国版タイトルと大雑把な粗筋を紹介するとこんな感じ。なおタイトルの訳はネットの機械翻訳なので正確ではないかもしれないので悪しからず。

Miss, tome 1 : Bloody Manhattan (血塗れのマンハッタン)…ノラとスリムの出会い。そしてなぜ殺し屋家業を始めることになったか。

Miss, tome 2 : Une chanson douce (甘い歌)…保険金狙いの殺しを依頼されるノラとスリム。しかし話は二転三転し、死体ばかりが増えてゆく。スリムの本当の素性が明らかになる。

Miss, tome 3 : Blanc comme le lys (白いユリ)…今日も今日とて殺しに勤しむノラとスリム。インチキ宗教家もKKKも二人の敵ではない。だが引き受けたある仕事が意外な結末を迎えることになる。

Miss, tome 4 : Sale blague mon amour (愛は卑猥な冗談)…しだいに想いを寄せてゆくノラとスリム。しかし、ろくでもない依頼を受けたばかりにスリムの命に危険が迫ってくる。

4つの物語にはそれぞれ明確な起承転結があるわけではない。むしろ、とりとめなく行われる二人の殺しの狭間から、彼らの生きる非情な世界と、ノラとスリムのキャラクターとその生き方が、じわりじわりと滲み出してくる仕組みになっているのだ。そして読めば読むほどに、彼ら二人に魅了され、愛しきってしまう自分に気付くはずだ。

そしてこの時代は、黒人差別がまだ大っぴらに行われていた時代でもある。物語の中でも黒人スリムは事あるごとに差別を受ける。しかしそんな差別をスリムは持ち前のシニカルさで飄々として受け流し、時々徹底的な暴力でもって相手を叩きのめす。一方白人であるはずのノラには差別意識が全く無い。ハーレムであろうと黒人家庭であろうと意に介さず足を踏み入れ、当たり前のように振る舞っている。ノラにとって重要なのは誰が食い物にしようとしているのか、そして誰が自分の味方になるのかだけであり、人種差別などにかまけていると足元をすくわれることを感覚的に理解しているのだ。博愛でも民主主義でもなく、それは生き残る為の方法なのだ。

こうして、どん底に生まれた二つの魂が、信頼という最高の武器を手に、人種も性別も超え、魑魅魍魎のはびこる世界を、クール&タフに生きてゆく。これがこの作品の最高の魅力なのだ。会話はブラックなウィットに溢れ、読んでいて忍び笑いを何度も洩らしてしまう。表紙だけを見るとグラフィックは若干地味で粗く感じるが、実際読んでみるとこのささくれ立った描線とコントラストのきついグラフィックが物語に実にフィットしていることが理解できるだろう。しかもカラーリングも計算されていて美しいのだ。

そんなわけで「今までにない面白いバンドデシネを読みたい」「最高にクールなハードボイルド/ノワール・コミックが読みたい」と思われているアナタ、迷うことは無い、この『MISS』を入手すればいいだけのことだ。そしてきっとノラとスリムのコンビが気に行ってしまうだろう。

20150824(Mon)

[]『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』はとても面白かったぞ 『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』はとても面白かったぞを含むブックマーク 『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』はとても面白かったぞのブックマークコメント

ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション (監督:クリストファー・マッカリー 2015年アメリカ映画)

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ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』を観てきた。非常によく出来たエンターティメント作品で、実に楽しんで観ることができた。この映画に関しては諸手を挙げて支持したい。『M:i』シリーズは2作目を除きどれも好きだが、この5作目は個人的に最高傑作な気がする。それはキャラ、アクション、ストーリーのバランスの良さからだ。これだけよく出来た作品だとあれこれ書くのも野暮にすら感じるが、ちょっとその辺を書いてみたい。

まずキャラクターの見せ方の配分がいい。これまではトム・クルーズの独り舞台だったこのシリーズだが、前作からチーム・コンビネーションを主眼に入れるようになり、この5作目でそれが花開いたように思える。ジェレミー・レナー、サイモン・ペグ、ヴィング・レイムス、これらIMFメンバーのみならず、CIA長官役のアレック・ボールドウィンも存在感に溢れていた。悪の黒幕ソロモン・レーンを演じたショーン・ハリスも、狂人めいた冷徹さで迫真の演技だった。

その中で特筆すべきはなんといっても謎の美女イルサを演じたレベッカ・ファーガソンだろう。単なる女マッチョな殺し屋でもフェロモン全開の綺麗所でもない、ミステリアスで知的な雰囲気が漂っているのだ。彼女が添え物としてのヒロインではなく、主人公イーサン・ホークとほぼ対等に見せ場があり重要な役割を担ってるという部分で、これまでのシリーズとは全く別のものを感じさせた。

アクションの良さについては言及するまでもないし、ひとつひとつ取り上げて書き出すことも避けるが、今作では一箇所だけ目立ったりということもなく、どの見せ場も流れるように均等に配されることにより、常に驚きの連続で画面に注視することができるのだ。それぞれのロケーションも実に効果的に使っていて目を楽しませた。だいたいポスターでお馴染みの飛び立つ飛行機に掴まったイーサン・ホークが!という絶対の危機の場面しろ、あんな箇所であっさり演じられて次に進む、という大盤振る舞いにびっくりさせられた。これは構成と編集の巧さの賜物だろう。

格闘シーンにしても、どのような攻撃の応酬があり、どのように敵を倒すかがきちんと見せられ、またその格闘の動きも本物らしくスムーズで、誤魔化しをまるで感じさせないのだ。さらに『M:i』シリーズ恒例のスパイ・ガジェットにしても、これ見よがしではなくあくまで物語の小道具としてさりげなく用いられ、決して悪目立ちしてはいないのだ。なにしろハリウッド・アクションの悪しき紋切型である「殴り合いで決着」といううんざりさせられるような結末がこの作品になかったのは力を込めて評価したい。

ストーリーについては悪の黒幕ソロモンのイルサの扱いが若干手ぬるく感じたが、これも首を捻るようなものではなかった。時間のリミットを設定した『M:i』シリーズお馴染みの展開も、こういった展開にありがちなじれったさを感じさせなかった。これら全てを可能にしたのは、主演であり製作者であるトム・クルーズの辣腕によるものなのだろうが、同時に、監督であるクリストファー・マッカリーの力量に負う所も絶大だろう。

クリストファー・マッカリーは監督前作である『アウトロー』がオレは非常にお気に入りなのだが、マッカリーはヒット作の脚本も多く手掛けており、見栄えのいい派手なシーンの為に整合感を犠牲にすることはせず、細かい積み重ねで見せてゆく作品が多く感じた。逆にそのせいで淡泊過ぎるきらいがあるのだが、今作ではその淡泊さが全体のバランスの良さへと繋がったのではないか。うーん、こうして書くとベタ褒めじゃないか!?

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20150821(Fri)

[][]ワールドカップ女子フィールドホッケーに賭ける夢〜映画『Chak De! India』 ワールドカップ女子フィールドホッケーに賭ける夢〜映画『Chak De! India』を含むブックマーク ワールドカップ女子フィールドホッケーに賭ける夢〜映画『Chak De! India』のブックマークコメント

■Chak De! India (監督:シーミト・アミーン 2007年インド映画)

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負け犬の烙印を押されたフィールドホッケー選手が、寄せ集めで結成され誰も成功を信じていない女子ホッケーチームのコーチに抜擢され、選手と共に血の滲む思いでワールドカップを目指す!というインドのスポ根映画です。主演となるコーチをシャールク・カーンが演じております。

《物語》男子ホッケー・チームのインド代表キャプテン、カビール・カーン(シャールク・カーン)はワールドカップ決勝戦でパキスタンに敗退し、インド中から罵声と怒号を浴びせられたまま姿を消した。それから7年。ワールドカップに向けて女子ホッケー・チームが結成されることになったが、実の所ホッケー協会は女子ホッケーに何も期待していなかった。そしてそのコーチとして任命されたのがカビールだった。インド各州から集まった選手たちは我の強い協調性の無い者ばかりでトレーニングは難航続きだったが、カビールの手腕によりなんとか形になろうとしてた。そんなある日、予算の都合から女子チームの出場見送りが協会から言い渡される。そこでカピールは協会幹部にこう告げた。「男子チームと戦って勝てたら大会出場させてもらえますか?」

インドのスポ根映画というとマラソン世界大会を描いた『ミルカ』、クリケットの熱いバトルが繰り広げられる『ラガーン』など大傑作を思い浮かべますが、この『Chak De! India』はフィールド・ホッケーが主題となっているんですね。馴染の薄いスポーツですが、実はこのホッケーこそがインドの国技なのだとか。さらにこの作品では女子ホッケーをテーマとしており、相当珍しいのは確かです。例によってルールはよく分からない運動音痴のオレではありますが、サッカー的なものだろうな…という認識で観ていたらクリケットよりは理解できましたよ!

この『Chak De! India』、スポ根映画として非常に盛り上がりを見せ、楽しく鑑賞することのできた作品ですが、かといって物語それ自体に新鮮味があるということはないんです。脛に傷持つ者が弱小スポーツチームを率いることになり、山あり谷ありのドラマを経て華々しい結末を迎える、といったストーリーはハリウッド映画にも多々あるでしょう。こういったお約束の展開でも十分楽しめるのですが、この作品にはこの作品ならではの見所があるんです。それはインドならでは特色であったり、インド映画らしい展開だったリします。

まずこの作品、冒頭からチームに参加する女子ホッケー選手が大勢登場するのですが、それぞれの選手がインドの各州から一人ないし二人といった形で集まってくるんですね。インドはとても広い国ですから人種も微妙なグラデーションを見せ、これら選手の顔つきのバリエーションを見るのがとても興味深かったんですね。まあ実際、これら選手役の俳優たち全てがその地の生まれということもないでしょうが、実にそれらしく見えるのですよ。そして、インドのあらゆる州から集まった選手ということから、その総体であるチームは、インドそのもの代表である、一つに団結したインドである、というメッセージが伝わってくるんですね。この辺から既に熱いじゃないですか。

そして、これら女子選手たちというのが、全員全く可愛げのないゴツイ顔した女子ばかりだというのがまたいイイ!はっきり言っちゃうと、ええと、ブスいんですが、そのブスさがイイ!リアリズム溢れているというのでしょうか、特に彼女らの闘志に満ちた目つきは本物のスポーツ選手のようだ。実際に本物のホッケー選手は数名で、あとはオーディションだったようですが、製作者側は見た目の可愛らしさなんかよりもスポーツ選手のリアリズムを俳優に求めたということでしょう。こういうのってなかなかできないと思う。こんなですから「女子ホッケーチーム」といってもきゃぴきゃぴした女子がきゃっきゃうふふしたドラマなんかを期待するのは大間違いです。ええ、全く甘さの無い、マジのガチなスポ根映画なんですよ。

こんな彼女らがシャールク演じる鬼コーチのもとでまさに血を吐くような練習に明け暮れるんです。今回のシャールク、ホントに鬼です。映画『アシュラ』からもうかがわれるようにサディスティックな演技も得意とするシャールクです。しかし厳しさの果てに成果が生まれることで、最初は対立していた選手たちと信頼関係が生まれてゆくんです。そしてこの物語、ロマンス展開が殆ど無い(恋人のいる選手のみ)というのもまたいっそ清々しいんです。

インターミッションを挟んでの中盤からは徹底的に試合の連続、一進一退を繰り返す競技の行方に目を離すことが出来なくなること必至です。そんな中凄いなあ、と思ったのは、練習中あんなに厳しかったコーチが試合の結果が悪かったとしても選手を叱責したりはしない所だったんですね。ここまで育てた選手を、コーチはきっちりと信頼している、きっと彼女らはやってくれる、そんな言葉に出さない想いがびんびんと伝わってきて、それがまた胸を打つんですよ!こんな具合に最後まで熱い!スポーツドラマでしたよ!

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USA-PUSA-P 2015/08/22 00:44 アメリカ映画でも『ミラクル』とかスポ根映画って多いんで確かにストーリーだけでは新鮮味は無かったんですがテンポの良さ、しっかりした試合シーン、そしてズルや買収や卑怯な事をする所謂”悪役”がいないスポーツ映画だったにインドの発展というか経済の勃興を感じた作品でしたね… しかしもぅこれ8年前なのね(汗)

globalheadglobalhead 2015/08/22 11:45 これに限らずインド映画は掘れば掘るほど知らなかった良作が発掘されてとても楽しいです。ただ、オレはどうも一回気に入ると際限なくやってしまうほうなので、「いったいどこまで掘り進めなければならないのだろう…」と若干気が遠くなりかけているのも確かです。でもやるんだよ!(涙声で)

20150820(Thu)

[][]母なるインドへ還れ〜シャールク・カーン主演映画『Swades』 母なるインドへ還れ〜シャールク・カーン主演映画『Swades』を含むブックマーク 母なるインドへ還れ〜シャールク・カーン主演映画『Swades』のブックマークコメント

■Swades (監督:アシュトーシュ・ゴーワーリカル 2004年インド映画)

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アメリカ在住のインド人主人公が久方ぶりに故郷のインドの村に戻るが、そこで村の窮状を目の当たりにし、なんとかそれを変えてゆこうと尽力する姿を描いたドラマがこの『Swades』だ。主演はシャールク・カーン、ヒロインにガーヤトリー・ジョーシー。さらにこの作品、インド映画史に燦然と残る傑作『Lagaan』の監督アシュトーシュ・ゴーワーリカルが手掛けた作品でもある。そして音楽はA.R.ラフマーンが担当している。

《物語》インド系アメリカ人モーハン(シャールク・カーン)はNASAに勤めるエリート職員だったが、故郷のインドに暮らす乳母カーヴェーリー(キショーリー・バッラル)が恋しくなり休暇を取って故国へと向かう。モーハンはチャランプルという貧しい僻地の村に暮らすカーヴェーリーと再会し、そこで幼馴染の娘ギーター(ガーヤトリー・ジョーシー)と出会う。ギーターは地元で教師を務めていたが、貧困やカーストのせいで教育を受けられない子供がいることを嘆いていた。さらに村は、電気の供給が不安定であったりとか、昔ながらの差別意識に凝り固まっていたりとか、様々な問題を抱えていた。ローハンは困窮する村人たちに自分が何かできる事はないのか、と模索し始める。

名作『Lagaan』のアシュトーシュ・ゴーワーリカル監督作ということもあって期待はあったが、実際観てみると良い部分退屈な部分が半々で、実に惜しい出来の作品となっていた。そこそこにヒットはしたようだが、一般的にも評価のほうは分かれているように思える。最初に退屈だった部分を書くなら、物語が善意にまみれ過ぎているということだろう。しかもそれが、経済大国アメリカからやってきた、合理的精神に富み頭もよく稼ぎもよい好男子によって行われるのだ。そんな主人公が最初はバラバラだった村人をまとめ村の問題を次々に解決してゆく。主人公は村のために発電機を買い水路を整備し水力発電を可能にする。拍手喝采の村人たち。持てる者が持たざる者に奉仕する。ああなんと高潔で品行方正でそして当たり前すぎてつまらない物語なのだろう。この辺の物語運びは去年公開されたラジニカーントの『Lingaa』そっくりで、この『Swades』が元ネタかとすら思ってしまった。そして聖人君主な主人公の物語のつまらなさもまた一緒だ。

そういった退屈な物語であったにも関わらず、心に残る良いシーンも多いのだ。まずなによりインド農村地帯の田園風景や自然、そしてそこに暮らす村人たちの美しさだ。中盤で描かれる野外映画会のシーンでは、送電が途切れ映画会が中断されるが、シャールクが一計を講じ村人たちと夜空の星を見上げながら歌を歌う。非常にリリカルな一シーンだ。また、村で催されるダシャーラー祭で演じられたラムリーラーの舞台演劇では、ヒロイン・ギーターが中心となり歌い踊る。物語の流れでここまでツンツンしていたギーターが華やかな姿を見せ、これも見所となる。映画会にしろ祭りにしろ、実にインド農村の姿に密着した情景で、物語の内容も含め監督の故国への愛を感じさせるのだ。

主演のシャールク・カーンの魅力もまた物語を底上げしている。この作品に限らず、シャールク・カーンという俳優の巧さは世界レベルではないかと個人的には思う。演技の巧さはもとより、シャールクはその表情がいい。迷子の子犬みたいに寂しげな表情で目をウルウルなんかさせたら国宝級である。インドの宝シャールク・カーン。逆に、なぜそこまでシャールクが目立ったかというと、この物語のエモーショナルな部分がシャールクにしかなかったからだとも言える。ヒロインを演じたガーヤトリー・ジョーシーは端正な美人で存在感もあったが、映画出演は結局この作品だけになったのらしい。また、脇を固める俳優たちにも味があったし、A.R.ラフマーンの音楽も安定のクオリティであった。そんな具合にいろんな部分で勿体ない映画ではあった。

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20150819(Wed)

[][]容疑者護送の警官隊を襲うテロリスト集団!〜映画『Khakee』 容疑者護送の警官隊を襲うテロリスト集団!〜映画『Khakee』を含むブックマーク 容疑者護送の警官隊を襲うテロリスト集団!〜映画『Khakee』のブックマークコメント

■Khakee (監督:ラジクマール・サントーシ 2004年インド映画)

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容疑者護送の任に就いた警官たちを次々と襲うテロリストの群れ!というとってもド派手なアクション大作です。そして配役も豪華。護送任務のチーフにアミターブ・バッチャン、その部下としてアクシャイ・クマール、彼らを襲うテロリストの親玉がアジャイ・デーヴガン、さらに彼らと絡む美女がアイシュワリア・ラーイといった、マサラ・ムービーならではのスター・システムなんですね。また、護送される容疑者を『Rang De Basanti』で右翼青年を演じたアトゥル・クルカルニーが演じていたことも個人的に注目でした。プラカーシュ・ラージが顔を出していることも悪役ファンには嬉しいですね。タイトル『Khakee』は警官のカーキ色の制服を指しますが、そもそもこのカーキという言葉はインド由来なのだそうですよ。

《物語》定年間近の警察官アナント(アミターブ・バッチャン)はテロリスト容疑者イクバール(アトゥル・クルカルニー)をチャンダルガルからムンバイへと護送する危険な任務に就くことになった。護送チームのメンバーは不良警官シェーカル(アクシャイ・クマール)、新人のアシュヴィン(トゥシャール・カプール)などで結成され、さらに保護された証人マハーラクシュミー(アイシュワリヤー・ラーイ)が同行することとなった。しかしその道程をアングレー(アジャイ・デーヴガン)率いるテロリスト集団が執拗に追い詰め襲撃を繰り返す。しかもその背後では腐敗した警察内部での陰謀も蠢いていた。果たしてアナント一行は無事容疑者を送り届けることができるのか。

いやあ、実に骨太なアクション大作でした。まず冒頭、最初に行われた護送ミッションが描かれますが、ここでは警官隊とテロリストとの熾烈な銃撃戦が炸裂し、警官たちが次々と悲壮な最期を遂げ、物語は初っ端からアクセル全開の派手さを見せてゆくのですよ。この失敗した護送ミッションを受け継ぐのがアナント一行というわけなんですね。アナント一行もやはりテロリストの襲撃を受け、一人また一人と警官たちが命を落としてゆくんです。ようやく逃げ込んだ一軒家の邸宅ではテロリストたちに包囲され、ここでも凄まじい銃撃戦が展開します。その中で警官同士の衝突、容疑者イクバールの悲劇の人生、テロ首謀者アングレーの正体といったドラマが盛り込まれ、物語はいやがうえにも盛り上がってゆくんですね。

容疑者護送とそれを襲撃するテロリストといったプロットは非常にしっかりしており、その中に手を変え品を変えアクションとサスペンスを展開させることで充実した作品内容になっている部分で楽しませる作品ですね。とりわけ銃撃戦の凄まじさは特筆すべきでしょう。刻々と変化する人間関係も面白さと驚きを加味しています。とはいえそこはインド映画、アクシャイ・クマールアイシュワリヤー・ラーイのお花畑なラブラブ展開を説明する歌と踊りが挿入されたり、殺害された警官を悼むメロドラマ展開があったりと、あれやこれやが盛り込まれ、サスペンス・アクション一辺倒ではない作りになっていて、この辺が緊張感を殺ぐのと同時に、インド映画らしいな、と思わせる内容になっています。

そしてこの作品で注目すべきはやはりアミターブ・バッチャンの安定の名演ぶりでしょう。ちょっと緩めのアクシャイ・クマールや、真面目だけど地味なトゥシャール・カプールの中で、アミターブの存在感が作品の緊張感と迫真性を高めているんですね。アミターブ演じる警官アナントは、ベテラン警官ではあるものの実はたいした功績もないといった苦悩を抱えており、迷いを抱きながら警官たちを指揮してゆく姿に人間性を感じさせるんです。この映画はそんなアミターブが引っ張ってゆくことで成り立った作品ということができるでしょう。一方敵テロリストを演じるアジャイ・デーヴガンは、演出のせいなのでしょうがサングラスや常にタバコを吸う演技や斜に構えたポーズがどうも臭くって、彼の登場シーンで白ける、といった部分で残念でした。

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20150818(Tue)

[]渡辺克仁さんのカピバラ写真集『カピバラ2』が発売中だよ。 渡辺克仁さんのカピバラ写真集『カピバラ2』が発売中だよ。を含むブックマーク 渡辺克仁さんのカピバラ写真集『カピバラ2』が発売中だよ。のブックマークコメント

カピバラ

カピバラ2

カピバラ・マニアには知らない人のいないカピバラ写真家・渡辺克仁さんによるカピバラ写真集『カピバラ2』が発売されました。これは2008年発売の写真集『カピバラ』に続く第2弾となっています。

渡辺克仁さんはカピバラが好きすぎてカピバラのいる日本全国の動物園をまわりカピバラ写真を取っているツワモノのカピバラ・マニアです。HPによると「年間100日以上カピバラのいる動物園や水族館に撮影に出掛け、年10万枚撮影するカピバラ中心の生活」なのだとか。同じカピバラ好きのオレとしては爪の垢を煎じて飲んでもいいぐらいに物凄い方であり、決して足を向けて寝られないぐらい尊敬に値する方なのです。

そんな渡辺克仁さんの今回の写真集、当然カピバラ愛に満ち溢れた可愛らしいカピバラ写真のオンパレードです。ただカピバラの写真なのならネットを探せばいろんな方の写真やHPで見る事はできますが、この写真集の写真はそれらのものと一味も二味も違います。年10万枚も写真を撮っているというぐらいですから、ちょっと動物園に行ったぐらいではなかなか撮ることのできないような写真ばかりなんです。「これしかない!」と思わせる非常に優れたショットやなかなかお目にかかれないシチュエーション、「なにこの表情…」と心をとろけさす顔つきや仕草に溢れた、選りすぐりの写真ばかりが納められているんですよ。特に冒頭の「四季折々の風景を交えたカピバラ写真」は渡辺さんでなければ撮る事のできない秀逸な組写真でしょう。ある意味、日本どころか世界でも唯一無二の優れたカピバラ写真集と言ってもいいのではないかとすら思わせます。

こういった日本の動物園にいるカピバラ写真のほか、渡辺さんがカピバラの故郷であるブラジルまで赴いて撮った貴重な野生カピバラ写真などもあり、また、カピバラの生態を詳しく解説した文章や、日本でカピバラを見る事のできる動物園を紹介する「カピバラなび」が納められた写真集となっています。カピバラ初心者からカピバラ・マニアまで、カピバラ好きには是非手とってもらいたい、そして傍においてためつすがめつ眺めたい、まさに必携のカピバラ写真集ですよ。

また渡辺克仁さんのカピバラ写真集としては『カピバラでぽっかぽか~癒しのカピバラフォトガイド~』や『カピバラ大好き』『カピバラに会いたい! カピバラ大好き2』が発売されています。

以下、渡辺克仁さんとその活動に関するリンクなどを。

カピバラ動物園

カピバラ大好き・HP

カピバラ大好きFacebook

渡辺克仁◎カピバラ写真家Twitter

「カピバラ写真家」って?渡辺克仁さんに聞くカピバラの魅力

カピバラ2

カピバラ2

カピバラ

カピバラ

カピバラでぽっかぽか~癒しのカピバラフォトガイド~

カピバラでぽっかぽか~癒しのカピバラフォトガイド~

カピバラ大好き

カピバラ大好き

カピバラに会いたい! カピバラ大好き2

カピバラに会いたい! カピバラ大好き2

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20150817(Mon)

[]それは「シャーッ!シャーッ!」「パクッ!パクッ!」だったッ!?〜映画『ジュラシック・ワールドそれは「シャーッ!シャーッ!」「パクッ!パクッ!」だったッ!?〜映画『ジュラシック・ワールド』を含むブックマーク それは「シャーッ!シャーッ!」「パクッ!パクッ!」だったッ!?〜映画『ジュラシック・ワールド』のブックマークコメント

ジュラシック・ワールド (監督:コリン・トレボロウ 2015年アメリカ映画)

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『ジュラシック・パーク』シリーズ最新作『ジュラシック・ワールド』観てきました。基本的に「シャーッ!シャーッ!」「パクッ!パクッ!」な映画でしたね。

あれやこれやの登場人物が出てきてあれやこれやの人間関係やら物語が描かれはしますが、これら登場人物も物語もとことんどうでもいい構成になっていて正直かったるかったっすね。まずガキ二人は可愛げがねえしヒロインは魅力に乏しいし他の登場人物はロボット程度の人格しか与えられてねえし、その他大勢はそもそも「食い殺され要員」としてしか存在を許されてねえし、まともに描かれてたのはラプトル調教師のオーウェン・グラディぐらいで、まあこいつも言ってみりゃあマッチョな超人だから、どんな危機に陥っても「どうせどうにかなっちゃうんでしょ」程度の緊張感しか生まないんですよ。

そもそもシナリオが噴飯ものの雑さなんですよね。最凶ハイブリッド恐竜インドミナス逃走の一件だって、「監視カメラに映ってない!」とかいう所から始まりますが、GPS付いてるっていうんなら次にそれ確認しとけばこんなことにならなかったわけじゃないですか。実際に逃走してから「GPS使え!」ってなーんじゃそりゃ、という。安全管理・危機管理にしたってメチャクチャで、「インドミナスこーんなおっきくなっちゃったから防壁持つか心配っす」とかって、いやそれ大きくなる前に想定しろよ、って感じで。なんなのこの後手後手感?

だいたい1〜3作であんなに死人を出した施設が再建できるっていうのが謎で、オレなんかは最初「1〜3作はなかったことにして物語られるんだろうな」って思ってたぐらいですよ。で、再建するならするで、相当の安全基準を設けたり従業員のモラルの管理をするはずじゃないですか。あと現運営側のマスラニ社と買収されたとされるインジェン社の関係がよく分かんなくって、こういう造反分子の存在ってどうして許しておけるのかなあ、社内監査とかどうなってんのかなあとか思う訳ですよ。

クソ可愛くねえガキどもが避難勧告無視してジャイロスフィアで危険地帯に出てしまうのも、いやこういうことがあるわけだから緊急時にはオートで呼び戻すとかって設定無いの?って考えちゃいますしね。あと後半、まだ調教程度が未知数なラプトルをインドミナス討伐に投入するっていうのも、単に危険が増すだけだろ、と思ってたらやっぱり危険が増しちゃいましたあって、もうオイオイ…という気分にさせられましたよ。大パニックになった2万人だかの入場客の扱いだってこういった時の危機管理マニュアルねーんだこの企業…と思わせられましたが、まあきっと【想定外】で全部済ませられちゃうんだろうなあ!どっかの国の原発みたいっすね!!

まあこれら【想定外】の大元となったのは遺伝子学者のセンセが暴走した結果として描かれますが、このやりとりというのが「なんでこんなとんでもないもん作っちまったんだよ!」「だってアンタ作れって言ったもん!ボク悪くないもん!」というなんかもうガキの喧嘩じみたものでゲンナリさせられます。

っつーわけでなにからなにまで杜撰な管理のテーマパークで、杜撰だからこそエライことになってそれを楽しむって映画なんですが、どっちにしろ恐竜には罪はねーわな。ここで思いだすのは1作目の「生命なんてそんな管理できるもんじゃないっすよ」という考えで、1作目はそれがあったからこそ「現代に生み出された恐竜」という存在の神秘と崇高さが描かれてましたが、この作品では単に「逃げた猛獣が全部悪いんだからぶっ殺せ!」でしかないんですね。こうしてこの映画の興味は結局のところ「早くこいつらみんな食い殺されねえかなあ」のみへと行き付く訳ですよ。

というわけで始まりました恐竜の皆さんたちによる人間の大踊り食い大会!あっちでパクッ!こっちでガブリッ!あっちでシャーッ!こっちでグオーッ!

いやあ次々ににんげんが食い殺されてゆきますねえ、楽しいですねえ、楽しいですねえ。

こういった具合に、いわゆる【アトラクション・ムービー】としてはきちんと機能していたし、楽しめるものにはなっています。と同時によく出来た【アトラクション・ムービー】以上でも以下でもない作品です。だから物語としては「もやっとする所もあったがスピルバーグの真価を見せ付けた1作目」には遠く及ばないし「なんだかくどくなった2作目」にも「設定の破綻している3作目」にも負けています。そもそもが1〜3作を切り貼りしたモザイクみたいな出来でしたねこの作品は。あ、でもお子様や家族連れにはいい作品だと思いますよ、そもそもマーケットはそこだと思われますから。

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20150814(Fri)

[][]虐殺の中結ばれた男女が辿る怒涛の逃避行!〜映画『Gadar: Ek Prem Katha』 虐殺の中結ばれた男女が辿る怒涛の逃避行!〜映画『Gadar: Ek Prem Katha』を含むブックマーク 虐殺の中結ばれた男女が辿る怒涛の逃避行!〜映画『Gadar: Ek Prem Katha』のブックマークコメント

■Gadar: Ek Prem Katha (監督:アニル・シャルマー 2001年インド映画)

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■殺戮の嵐の中で出会った一組の男女!

怒涛!怒涛!怒涛!映画『Gadar: Ek Prem Katha』は始まりから終わりまでなにもかもが怒涛の連続で描かれるインド映画なんだッ!物語はインド・パキスタン分断の大混乱とそこから生まれた大虐殺の様子から始まる!1947年、イギリス領インド帝国が解体し、インド連邦とパキスタンの二国に分離独立したのだが、それはヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立から生まれた分断だった。そしてヒンドゥー教徒はインドへ、イスラム教徒はパキスタンへと半ば強制的な移動・流入をさせられたのだが、この時、両教徒間で激しい暴動と虐殺の嵐が吹き荒れたのだ。映画の冒頭で描かれるこの虐殺シーンがまず凄まじい。逃げるようにパキスタンへの列車に乗るイスラム教徒たちをヒンドゥー教徒たちが次々となぶり殺しにする!同様にインドへの列車に乗るヒンドゥー教徒たちをイスラム教徒たちが皆殺しにしてゆく!ようやく執着駅にたどり着いた列車の中は血まみれの死体が山のように折り重なり、生きているものは一人もいなかった・・・。こんな、もう殆どホラー映画のようなシーンからこの映画は始まるのですよッ!?

しかーし!そんな地獄のような光景の中、独立インド側にいたあるシク教徒の男が、逃げ遅れた一人のムスリム女性を助けるのですよ…。男の名はタラ・シン(サニー・デーオール)、女の名はサキーナ(アミーシャ・パテル)。憎しみだけが渦巻くこの地で、なぜタラ・シンはサキーナを助けたのか?分離独立前、タラ・シンはしがないトラック野郎でした。彼はあるきっかけで音楽学校に通う貴族の子女、サキーナと知り合い、彼女にほのかな想いを抱いていたのです。そしてこの虐殺の中、運命の不思議といいましょうか、タラ・シンは偶然にもサキーナを助けることになってしまうんですよ。けれど、周囲は「テメー!ムスリムの女かくまってるって噂だぞ!」とタラ・シンの家に詰め掛けます。その時タラ・シンはどうしたか?なんと『ダバング 大胆不敵』もかくやと思わせる大格闘で周囲をこてんぱんにやっつけちゃうんですよ!「あれ…印パ独立の悲劇を扱ったシリアスドラマだと思ってたけど…なにこの大アクション?」観ていたオレ、まずここでお口ポカーン状態です。しかーし!唖然とさせられる展開はこれで終わりではなかったッ!?

■ひたすらエモーショナルな作品!

その後も物語は怒涛の展開続きです。タラ・シンの父親もムスリム女性をかくまう事に猛反対、「わしらの同胞を殺した連中の女など!」とブチ切れますが、タラ・シンも「だったらこんな家出てってやる!」と逆切れ気味に返します。そんな息子にオロオロして父は結局息子を許し、「父さん!」「息子よ!」と涙ながらに抱擁しあいます。サキーナはサキーナで己の運命に悲嘆しまくり、いつでもどこでもシクシク泣いてるんです。しかしいつまでもかくまっていることもできず、タラ・シンはサキーナをムスリムの難民キャンプに送り届けることになってしまいます。しかーし!サキーナはタラ・シンに、「私…あなたと一緒にいたいの!」と遂にタラ・シンへの愛を告白するんです!くうう!泣かせるじゃありませんか!!そして灼熱の太陽のように燃え上がる恋!歌と踊り!そして結婚、出産、幸福な家庭!ああよかったよかった!このまま幸せでいてくれお二人さん!と観ているオレはもうずっぽり感情移入しまくりです!まあ実際この辺の流れはメロドラマ展開そのままなんですが、物語に奔出する感情のうねりにすっかり飲み込まれてしまうんです。

そう、この物語、怒り、憎しみ、悲しみ、喜びといった感情の波が凄まじいまでにほとばしり、怒涛の如き展開をしまくる、どこまでもひたすらエモーショナルな作品なんですよ。こういった物語だと普通は鬱陶しく感じてしまうオレなのですが、しかし描かれ方がドロドロと鬱積したものではなく、むしろ単純なぐらいにスカッ!と描かれているので、気持ちよく観ていられるんです。これは登場人物たちのキャラクター造形が素直で一本気、特に主人公は裏表の無いピュアなハートの持ち主として登場する為、その朴訥なまでの性格に心惹かれてしまうせいもあるでしょう。そして物語に通底する徹底的にエモーショナルな描写は、「そうだ、オレはこんなインド映画が観たかったんだ!こんなエモーショナルなものをインド映画に求めてたんだ!」としみじみと思い出させてくれたんですよ。こういった感情過多な物語であるためこの作品は通俗的なぐらいベタに仕上がっており、抑制され洗練された一級作品では決してないにしろ、逆にその猥雑さがとことん旨みを醸し出しているんですね。あーインド映画観てるよー!って気にさせるんですよ。

■なんなのこのとんでもない超展開!?

しかーし!二人の幸福はいつまでも続かなかったのです。

《ここからクライマックスまで説明してしまうのでご注意ください》

サキーナは死んだと思っていた家族がパキスタンで暮らしていたことを知り、タラ・シン、息子と一緒に会いに行こう!と持ちかけますが、実力者となっていたサキーナの父はインド人憎しで頭が凝り固まっており、サキーナだけをパキスタンに連れ戻し、タラ・シンと息子は決してパキスタンに入ることを許さなかったのです。「どうしてだ!どうして嫁に会う事ができないんだ!」怒り心頭のタラ・シンは息子を連れ、パキスタンへの密航を企てます!しかしサキーナは既に親によって無理矢理他の男と結婚させられようとしていたのです!その結婚式に間に合い殴りこみをかけるタラ・シン!またしても『ダバング』状態の大格闘!サキーナの父は一旦タラ・シンを許し、「ムスリムに改宗するなら娘との結婚を許そう」と持ちかけます。そして結婚式、サキーナの父はタラ・シンに「パキスタン最高!インドはクソ!と言ってみろ!」とタラ・シンに無理強いします!ここでタラ・シン大爆発!遂に嫁を連れパキスタンからの大脱出行!警察相手に凄まじいカーチェイス!その後列車に飛び乗りますが、そこを今度はパキスタン軍が急襲!わらわらと迫りくるパキスタン兵!飛び交う銃弾!ライフルを奪って応戦するタラ・シンと嫁のサキーナ!

・・・なーんじゃこの『ランボー』展開!?とんでもねえよこの映画!?

いやーとことん怒涛の展開でした!よくこんなもん作ったなあ!パキスタン完全に悪じゃないかよ!ってかパキスタン人殺しすぎだよ!!いーのかこれ!?…とは思いましたがこれでいいんです!だって全ては愛のため、そして家族のため!ムチャクチャといえばムチャクチャなんですが、このムチャクチャさがむしろ小気味いい!怖いもの観たさのインド映画ファン、そしてインド映画興味ないけどB級映画でメシ3杯食えるB級映画ファンの方にぜひお薦めしたい傑作でありました!

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20150813(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■Morning/Evening / Four Tet

Morning / Evening

Morning / Evening

Four Tetのニュー・アルバムは20分ほどの曲が2曲はいった構成で、それぞれ「Morning Side」「Evening Side」というタイトルがつけられている。どちらも非常に穏やかなハウス・ミュージックだが、特に「Morning Side」での中東風の女性ヴォーカルと明るく伸びやかなメロディがとても心地いい。1曲が長いにもかかわらずいつまでも聴き続けていられるのだ。ジャケットに使われている写真はインドのチャンドバオリ遺跡のもの。これは9世紀頃に造られたとされている巨大階段井戸で、インド映画でもたまにお目にかかる。こんなインドなテイストがまた、最近インド脳のオレには非常にマッチする。今回のお薦め盤。

 《試聴》

■ENTER.Ibiza 2015 / Richie Hawtin/Various

Enter Ibiza 2015

Enter Ibiza 2015

Richie Hawtinが主催するMinusレーベルのクルーが今年もENTER.IBIZAで大暴れ(暴れません)、という4枚組ミックスCD。メンツはHEIDI、DUBFIRE、TM404そして日本人DJ・HITO。Minusレーベルらしいカラーのミニマル/テックハウスが展開する。 《試聴》

■Sea Island / Loscil

Sea Island

Sea Island

カナダ・ヴァンクーヴァー出身のアンビエント・アーティストLoscilが2014年に発表した最新アルバム。生楽器を前面に押し出し、たゆたうようなメロディが心を落ち着けるアンビエント〜ドローン〜ミニマルダブ。 《試聴》

■Homesick / Matrixxman

Homesick

Homesick

サンフランシスコのCharles McCloud DuffによるプロジェクトMatrixxmanのファースト・アルバム。ダークなサウンドを骨太なリズムで刻むアシッド・テクノ。 《試聴》

■Riding The Void / Atom TM

Riding the Void

Riding the Void

南米の奇才Uwe SchmidtによるAtom Tmによるニュー・シングルは2013年にリリースしたアルバム『HD』収録の「Riding The Void」のリミックス。Scubaによるリミックスも収録。スペイシーなミニマル・テクノ展開は異世界に持っていかれそうな心地良さ。お薦めの良作。 《試聴》

■Spring Sessions 2015 / Chris K/Various

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UKガラージのChris Kによるパーティー仕様なアンダーグラウンド・ミックス4枚組。曲目が付されていないのはアンダーグラウンドだからということを察してくれ。 《試聴》

■Techno 2015 / DJ Van/Various

Techno 2015

Techno 2015

「ガッツリと王道のフロアなテクノ・ミックスは無いものか」とお探しの貴兄にZYX GermanyからリリースされたDJ Vanのその名も『Techno 2015』はいかがでしょう。大箱向けのミックスですがオレこれ結構好きです。 《試聴》

■Revolution For Change / Underground Resistance

Revolution For Change

Revolution For Change

Underground Resistanceのアルバムでまだ入手していなかった作品があった…」ということで方々探して結局アマゾンでプレミア価格で買ってしまった1992年リリースのURの1stアルバム「Revolution For Change」。他のアルバムに納められている曲が多いが、いいんだいいんだコレクターズアイテムとして入手したんだから。しかしどっかのサイト覗いたら6万弱とかアホみたいな値段つけられてたな。

■Hold and Pull / Jack Sparrow

Hold and Pull

Hold and Pull

「Jack Sparrowって…パイレーツオブカリビアンのジャック・スパロウ!?」と一瞬緊張が走るJack Sparrow3年ぶりとかいうシングル。ダブステップ/ダブ展開を見せる3曲はオーソドクスで悪くない。 《試聴》

■'95 Mindfulness / Drae Da Skimask

'95 Mindfulness

'95 Mindfulness

Astral Blackからリリースされた若干19歳のビートメイカー Drae Da Skimaskのデビュー・アルバム。トラップ、グライム、ハウスを通過したドープなヒップホップ/ビーツ・サウンド。 《試聴》

■Live At Royal Albert Hall 1998 / Massive Attack

Live at Royal Albert Hall

Live at Royal Albert Hall

イギリス・ブリストル出身の音楽ユニットMassive Attackが1998年にロイヤル・アルバート・ホールでプレイしたライブの模様を納めたアルバム。1998年というと『Mezzanine』発売時期だな。当時のどんよりとしたMassive Attack節が響き渡るが、ライブということもあって音の広がり具合が奇妙に新鮮だ。 《試聴》

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20150812(Wed)

[]凍てついた世界を襲う吸血鬼の群れ〜『ヴァンパイアの大地』 凍てついた世界を襲う吸血鬼の群れ〜『ヴァンパイアの大地』を含むブックマーク 凍てついた世界を襲う吸血鬼の群れ〜『ヴァンパイアの大地』のブックマークコメント

■ヴァンパイアの大地 / ダヴィド・ムニョス(作)、マヌエル・ガルシア(画)

ヴァンパイアの大地

ある日を境に太陽が失われ、猛烈な寒波が世界を襲った。多くの人間が命を落とし、生き残った人々もモンスターの影に怯えながら、息をのんで暮らしている。人間に代わり、この太陽のない世界の新しい主となったモンスターとは、吸血鬼=ヴァンパイアだった。子供たちを引き連れ、同胞が住む安住の地を求め、この闇と氷に覆われた世界をさまようエレナは、ある日、ヴァンパイアたちに襲われる。すんでのところで、彼女たちは、ナイルという男に命を救われるが、彼の正体もまたヴァンパイアだった! 彼はなぜ人間たちの側に立つのか? やがてヴァンパイアをめぐる衝撃の事実が明かされる。アメコミでも活躍するスペイン人アーティストが贈るヴァンパイア・アポカリプス!

スペイン発のヴァンパイア・ストーリー『ヴァンパイアの大地』は、なんらかの理由で小氷河期状態になってしまった世界の、スペイン地方を舞台として物語られる。太陽が姿を隠し雪に閉ざされたこの世界で、人類は滅亡の道を歩みつつあったが、さらにそこをヴァンパイアの群れが襲うのだ。白銀の世界でヴァンパイアというと、北極圏内の町をヴァンパイアが襲うというアメコミ『30デイズ・ナイト』シリーズ(レヴュー)を思い出すが、『ヴァンパイアの大地』は世界全てが極寒の中に叩き込まれ、その中で残された人間たちが細々と生きているという状況が描かれる。

その極限の状態にさらに拍車を掛けるのがヴァンパイアの存在だ。これまで人間社会に紛れてその闇の中で血をすすってきた彼らであるが、獲物となる人間が滅亡しかかってるもんだからなりふり構わずその姿をあらわし、人間を襲うようになったというわけなのである。ヴァンパイアが残り少なくなった人間を管理し効率的に血を得るシステムを組もうとする描写などは映画『デイブレイカー』(レヴュー)に通じるものがある。

さて主人公となるのは元絵本作家だった女性と数名の子供たち、そしてヴァンパイアの集団の襲撃にさらされた彼らを助けた一人のヴァンパイアの男。なぜこのヴァンパイアは彼らを助けたのか?というのがこの物語の軸となるのだ。そして彼ら一行が滅び去った人間社会で安住の地を求めて彷徨う姿はどこかゾンビ・アポカリプス・ストーリーを思わせるものとなっている。そして多くのゾンビ・ストーリーがそうであるように、この物語でも数少ない人間同士の血まみれの争いが描かれることになる。

スペイン作家の手によるせいか、この物語は人間/ヴァンパイアのそれぞれの感情と関係が非常にエモーショナルに描かれているのが特色と言えるかもしれない。人間同士の中にあっても憎みあい、ヴァンパイア同士の中にあっても迷いと心の傷がある。こういった、単純な善と悪の戦いに物語が落としこまれていない部分で、斬新なヴァンパイア・ストーリーとして読むことができる作品だ。そして様々な設定にきちんと理由と説明がされ、決して勢いだけで描かれた作品ではないことも印象がいい。なによりその余韻に満ちたラストがこの作品を素晴らしいものにしている。

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■ダンジョン飯(2) / 九井諒子

ファンタジーRPG風のダンジョンで冒険者たちがモンスターを倒しては食料にする…だけではなくいかに美味しく調理できるかを紹介する、現実には何の役にも立たない所が面白い冒険&グルメ・コミック第2巻が発売。このままいろんなモンスターの調理法だけを並べていてもまだ面白いが、この2巻ではちょっとずつ趣向を変え、ゴーレムを耕してみたりとか冒険のほうの内容を充実して見せたりとかいろいろ工夫が現れてきて面白い。まだまだネタはありそうだが、ドラゴンに食べられた仲間を助けるという当初の目的もちゃんと思いだせせてくれて(読んでいたオレはすっかり忘れていた)あれこれ気配りのうれしい展開となっておりました。

アオイホノオ(14) / 島本和彦

遂に小学館新人コミック大賞第1次審査を突破したホノオ君!?というわけだが、それよりも今まであまり触れられていなかったホノオ君の女性への気持ちが赤裸々に描かれていて読んでいてムフフな気分になれる。自己実現も大事だけど若い頃はやっぱり異性だろ!どうするんだホノオ!?というかどうしたいんだホノオ!?

■イノサン(9) / 坂本眞一

イノサン 9 (ヤングジャンプコミックス)

イノサン 9 (ヤングジャンプコミックス)

フランス革命前後に実在した処刑人を描く残酷歴史絵巻、今回も愉快なオペラ描写を交えて迷走してくれて大変楽しかったが、『イノサン』としての物語はここで一旦終結し、次回から『イノサンRouge』というタイトルで装いも変え新たに物語られるのらしい。なんかテコ入れのような気もするが、マリー・アントワネットのその後やギロチンの発明などまだ描くべきことが沢山あるので今後も読んでみよう。

■いぬやしき(4) / 奥浩哉

いぬやしき(4) (イブニングKC)

いぬやしき(4) (イブニングKC)

『いぬやしき』はそもそもあんまり面白くないなーと思っていて、3巻目でもう読むの止めようかと思っていたが、暇だったのでついつい購入。しかし今回、主人公ジイサンの敵役として現れた残虐な若造がなんだか心変わりしており、その辺の変遷振りが物語に新たな方向性を与えていて、これだったらもうちょっと読んでみるか、という気になった次第。

20150811(Tue)

[]突然フットワーク/ジュークにハマり山のように音源を入手して聴きまくっている。 突然フットワーク/ジュークにハマり山のように音源を入手して聴きまくっている。を含むブックマーク 突然フットワーク/ジュークにハマり山のように音源を入手して聴きまくっている。のブックマークコメント

■Practice What U Preach / DJ Roc

Practice What U Preach

Practice What U Preach

最近瞬発的にフットワーク/ジュークにハマっている。存在こそ知ってはいたが、あの高速すぎるBPMはオレのようなジジイ向きじゃないし、《ストリート》とか言われるとおっかないことしか思い浮かばない腰抜け野郎なもんだから、なんとなく遠目で見ていたのである。しかしこのDJ Rocによるニューアルバム『Practice What U Preach』をたまたま試聴したらたいそう面白く、このアルバムも含め今まで素通りしていた他のプロデューサーのアルバムを幾つか聴いてみている。フットワーク/ジュークは特別に新しい音だというのではなく、ダンス・ミュージックのフォーマットを今一度プリミティブな方向に揺り戻した音楽ジャンルなのだと思う。特にサンプリング・ヴォイスの執拗な迄のループが楽しい。こういうのもハウス・ミュージック黎明期にはよくあったが、洗練される過程で消滅したスタイルだ。フットワーク/ジュークをそれを再現しながら、より研ぎ澄ました形として音にしている。 《試聴》

■The Crack Capone / DJ Roc

Crack Capone

Crack Capone

そのDJ Rocによる2010年のアルバム。μ-Ziq主宰によるPlanet Muレーベルからのリリースということもあってか変態的なビートが炸裂し、ドリルン・ベースならぬドリルン・フットワークなエレクトロニック・サウンドがとにかく楽しい。このアルバムはオンラインミュージックマガジン「FACT magazine」が選んだ2010年のベストディスクに選ばれたという。 《試聴》

■Bangs & Works Vol.1 (A Chicago Footwork Compilation) / V.A.

Bangs & Works vol. 1: a chicago footwork compilation

Bangs & Works vol. 1: a chicago footwork compilation

2010年にPlanet Muからリリースされフットワーク/ジューク/ゲットーテックに一躍注目を集めたコンピレーション。フットワークの音は性急すぎてもはやグルーブだのソウルだの言っている暇すらなく、ひたすら機能のみを追及している点でエレクトロニック・ミュージックに近づいてしまったジャンルといえるかもしれない。 《試聴》

■Bangs & Works Vol. 2 (The Best of Chicago Footwork) / V.A.

Bangs & Works Vol.2: the best of chicago footwork

Bangs & Works Vol.2: the best of chicago footwork

2011年リリースの「Bangs & Works」コンピレーション第2弾。フットワーク/ジュークは執拗なサンプリング音のループが特徴的だが、このサンプリング・ソースにしろ思いついたその辺のものを拾ってくるだけで、決してジャジーになったりソウルフルになったりはしないのだ。この無機的・機械的な感触が実にいいのだ。 《試聴》

■NEXT LIFE / V.A.

2014年にHyperdubレーベルからリリースされたフットワーク・コンピレーション。Hyperdubということもあってか機材も充実しているのか、音はより洗練され技巧的なものとなっており、メロディすらあるのだが、それでも細切れになった音の連なりには情緒を挟む余地はない。フットワークはビートのシャワーだ。 《試聴》

■Fingers, Bank Pads & Shoe Prints / RP Boo

シカゴ・ジューク第一世代のパイオニア、RP Booのニュー・アルバム。ジュークも2015年に突入するとさすがに音が整理され考えられたものになっている。その分ビートは若干押さえられているが、これはアルバムとしての実験やバラエティが加味されているせいもあるのだろう。 《試聴》

■6613 / DJ Rashad

6613

6613

ジューク・サウンドの第一人者であり2014年に急逝したDJ Rashadの最後のシングル。実はDJ Rashadはジュークが一般的に認知された2013年のアルバム『Double Cup』を聴いたことがあるのだが、このときはあまりピンとこなかった。しかしここの所のジューク・マイブームで引っ張り出して再聴してみたところ「ああそういうことだったのか」と分かる部分が幾つもあった。耳にもスキルがいるんだということなんだろうなあ。 《試聴》

■Tayi Bebba / Clap! Clap!

そしてフットワーク/ジュークの進化系として一躍注目を集め、オレ自身も「こりゃスゲエ」と興奮したのが2014年9月にリリースされたClap! Clap!のデビューアルバム『Tayi Bebba』だ。Clap! Clap!はジュークにアフリカン・サウンドとベース・ミュージックを融合させ、これまでのジューク・サウンドとは全く違うアプローチでジューク・サウンドを展開しているのだ。アフリカン・サウンドの開放的で明るいサンプリング・メロディの中に突如としてジュークの凶暴なリズムが炸裂するさまは非常にスリリングである。今後はジュークもこういったハイブリッド化が進んでゆくのだろうが、そういった部分で是非聴いておきたいアルバムだといえるだろう。これはお勧め。 《試聴》

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20150810(Mon)

[]災厄に見舞われた世代宇宙船を描く傑作SF〜『寄港地のない船』 災厄に見舞われた世代宇宙船を描く傑作SF〜『寄港地のない船』を含むブックマーク 災厄に見舞われた世代宇宙船を描く傑作SF〜『寄港地のない船』のブックマークコメント

■寄港地のない船 / ブライアン・オールディス

寄港地のない船 (竹書房文庫)

その船はどこから来て、どこへ向かうのか。もはや知る者は誰もいない。巨大な宇宙船の内部で、いまや人間たちは原始的な生活を営んでいた。かつて船を支配していたという巨人族、猛烈な勢いで繁茂する植物、奇怪な生物たち、そして“前部人”と呼ばれる未知の部族を恐れながら…。世界が宇宙船であることも、わずかに伝承に残っているのみだった。ある時、狩人のロイは司祭マラッパーから、この船を支配するために世界の“前部”へ向かおうと誘われる。だが、仲間たちと“死道”へ旅立ったロイを待っていたのは思いもよらない出来事の連続だった。そして、彼が旅路の果てに見たものは―。幻の傑作SF、待望の邦訳。

SF小説史における不屈の名作『地球の長い午後』の作者ブライアン・オールディスの、過去の未訳作品が出版される。1958年作、原題は『Non-Stop』、アメリカでは『Starship』というタイトルで出版されたのらしい。そしてそのテーマは「世代宇宙船」である。これは「恒星間人類播種船」とも呼ばれ、人類の居住可能な他の恒星系に移住するための恒星間飛行宇宙船が舞台となった物語のことだ。

しかし地球のある太陽系から他の恒星系へは光速でも長い年月を要する。例えば一番近いケンタウルス座アルファ星までは光速で4年以上だ。これを相対性理論に則った光の速度を越えられない宇宙船で航行した場合、数十年数百年掛かることになる。その為「世代宇宙船」は巨大な宇宙船に多数の男女を乗り込ませ、船内で一生を過ごさせながら世代交代してゆき、数世代後に目的地に到達させる、というコンセプトの宇宙船で、初期のSF作品においてよく取り上げられるテーマだった。このテーマの作品としては『宇宙の孤児(ロバート・A・ハインライン)』や『遙かなる地球の歌(アーサー・C・クラーク)』があるが残念ながら未読。だがこの『寄港地のない船』自体は『宇宙の孤児』に影響を受けて書かれたものらしい。個人的にはSF映画『パンドラム』(レビュー)がこのテーマを扱ったSF作品としてお気に入りだ。

さてこの『寄港地のない船』は「なんらかの理由で破綻がおきた世代宇宙船」が舞台となる。宇宙船内部に住む人類は謎の災厄により科学も文明も失い、世代交代を経るほどに肉体も知性も退行してゆき、原始的な部族社会にまで貶められ、彼らが宇宙船に乗り宇宙を航行していることすら忘れられているのだ。世代宇宙船はひとつの生態系をまるごとひとつの宇宙船の中に再現したものだが、この生態系が当初の機能を失い想定外の世界と化したのがこの物語の世界なのだ。いわばこれは「地獄と化したノアの箱舟」ということもできる。しかもこのノアの箱舟からは決して降りらず、また、降りる術は忘れ去られているのである。

この「変貌した環境の中で退行した人類が辿る物語」は、オールディスの『地球の長い午後』に通じるものがある。この作品の中における世代宇宙船は船内に植物が生い茂りあたかもジャングルの如き様相を呈しており、その中の冒険といった意味でやはり『地球の長い午後』を想起せずにいられないのだ。これはあとがきによると作者の東南アジアでの従軍体験の、その際に目にしたむせかえるほどのジャングルの光景が反映されたものではないかと書かれている。人を圧倒し人を拒む広大な密林、その中にあって認識される矮小で無意味な自己、『寄港地のない船』と『地球の長い午後』に通底するイメージはそれなのだろう。

物語は自らが住む世界が宇宙船内部と知った主人公と仲間たちが、宇宙船前部の操縦室を目指し、この宇宙船のコントロールを掌握しようと旅立つところから始まる。そして彼らはこの船がなぜこのような惨状と化したのか、そして船がどこを目的地とし、今どこを航行しているのかを次第に知ることになるのだ。船は幾重もの隔壁で仕切られ、隔壁ごとに変貌するその世界を目の当たりにしながら目的地へと近づいてゆくさまは、変な例えだが良作のRPGをプレイしているような気になった。というかこれをこのままRPGにしても面白いかもしれない。物語は絶望的な状況からさらに絶望的な状況へと至り、明らかにされる現実は過酷を極めるが、イギリス作品らしいこの暗さが魅力的であると同時に、次々と襲い掛かる試練とそれを乗り越えるための活劇がたっぷり盛り込まれ、非常に良く描けたエンターティメント作品として完成している。クライマックスは駆け足だが綺麗過ぎるぐらい綺麗にまとめられている。50年以上前に書かれた作品だがその鮮度はいささかも失われていない。SFオールド・ファンも新しい読者も満足させる傑作だといっていいだろう。

20150807(Fri)

[][]不機嫌な娘と偏屈な父、それに巻き込まれた男とのロードムービー〜映画『Piku』 不機嫌な娘と偏屈な父、それに巻き込まれた男とのロードムービー〜映画『Piku』を含むブックマーク 不機嫌な娘と偏屈な父、それに巻き込まれた男とのロードムービー〜映画『Piku』のブックマークコメント

■Piku (監督:ショージート・サルカール 2015年インド映画)

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I.

映画『Piku』はピクーという名の主人公女性と偏屈なその父バシュコル、そして二人の車旅行の運転手をやる羽目になったラーナーという男を中心に描かれるハートウォーミングなロードムービーだ。主人公ピクーにディーピカー・パードゥコーン、その父にアミターブ・バッチャン、車の運転手をイルファーン・カーンという実に味のある配役を揃えている。監督は『Vicky Donor』『Madras Cafe』のショージート・サルカール。そしてこの物語、物凄く、いい。

《物語》デリーに住むピクーは建築事務所に務める30代の未婚女性。今日もピクーはカリカリし通しだった。なぜなら同居生活を営む彼女の父バシュコルが調子が悪い、便秘が酷い、と毎度の如くグダグダ訴えるからだ。日々彼女を送り迎えするタクシー会社の運転手たちは、イラつく彼女からのとばっちりを受け戦々恐々としていた。そんなある日、コルカタにあるバシュコルの実家の売却話が持ち上がり、ピクーとバシュコルは実家への旅を計画する。だが偏屈なバシュコルは飛行機は嫌いだ、電車も嫌だとまたしてもグダグダ言い始め、結局いつものタクシー会社の車で行くことになったのだ。けれどピクーが苦手なタクシー運転手たちはそれを拒否、仕方なくタクシー会社社長ラーナーが運転をすることになる。こうして3人+バシュコルの使用人の旅が始まったが、車の中でバシュコルのグダグダとピクーの癇癪は頂点を迎え、ラーナーはほとほとうんざりし始めていた。

II.

冒頭からディーピカー演じるピクーの怒鳴り声で始まるこの物語、この後も事あるごとにピクーはワーワーガーガーとまくし立て、とってもキツくてコワイ印象を観るものに植え付ける。しかしピクーが怒り狂うのも無理はない。アミターブ演じるバシュコルの、箸にも棒にもかからないすっとぼけ具合がピクーを強烈に苛立たせているからだ。しかしギスギスしているのかと一見思わせながらこの親子、時折可愛くなってしまう父バシュコルと、そんな父に「ま、いっか」と寛容の笑みを浮かべる娘といった姿を見せ、ああ、本当は物凄く愛し合っている親子なんだな、というのが分かってくる。この喜怒哀楽全てを共有した親子関係といった描き方が本当に巧い。そしていつもワーワーガーガーとやってるこの二人がとても人間臭く、魅力的に見えてしまう。こんな二人を演じるディーピカーとアミターブの息の合った演技と表情の豊かさにまず脱帽させられるのだ。

その二人に絡ませられるのがイルファーン演じるタクシー運転手ラーナーだ。表情豊かで口数も多いピクー親子に対し、ラーナーはだいたいいつも眉間に皺を寄せ困惑しきった顔をして画面に登場する。そりゃあピクー親子を前にしたら誰でもこんな表情を浮かべるしかないだろう。さらにバシュコルは時折突拍子もない行動を起こすため、ラーナーはそれを口をあんぐり開けて見ている、といった按配なのだ。ああ、なんか困った人たちに関わってしまった…こんなラーナーの言葉にならない苦悩が表情からうかがい知れて、そしてまた観客もラーナーに同情せざるを得なくなり、これがまた物語の楽しさを増している。こんなラーナーを演じるイルファーンがまたいい味なのだ。こうして、いつも好き勝手言っているバシュコル、いつも癇癪を起こしているピクー、その二人の狭間でいつも呆気に取られた顔をしているラーナー、この三者三様の表情のコントラストが、なによりも可笑しい作品となっているのだ。

そんな3人だが、いつも一つ車の中に押し込められているせいか、道中少しづつお互いの心に変化が訪れてくる。特にラーナーはバシュコルから微妙ながら信頼され、ピクーとはほのかな思いが芽生え始める。この微妙さ、ほのかさが、この作品の本当に素晴らしいところだ。突然改心したり物分りが良くなったり、炎のように恋が燃え上がったりはしないのだ。少しづつ手探りで、相手と自分との距離を確かめ、自分の心の中に受け入れる余地を見つけてゆく。3人はお互いが変わり者ではあるが、その受け入れる、あるいは受け入れられる中で、それぞれの中にあるバイアスが少しづつ氷解してゆく、この緩やかな心の動き方が観ていて実にリアルに感じるのだ。この物語では取り立てて特別な事件が起こったりとか事態が急変したりなどということは殆どない。だが、移り変わってゆく風景と共に移り変わってゆく3人の感情の行方が心に響くのだ。

III.

それと同時に、この作品は2015年時点でのインド都市部の「今」をきちんと切り取った作品でもあると思う。実際のところオレは「今」のインドがどういうものなのか論じられる知識などまるでないし、映画というフィクション作品である以上様々な脚色はあって当然なのだが、この作品からはとてもインド都市部のリアルな日常の匂いを感じるのだ。主人公がアッパーミドル層であるという設定であるため、これをして「普通の生活」と言い切ることは出来はしないが、それでも地に足の着いた物語展開であるという気はした。70代の父と同居する30代独身女性、という設定にも、どこか都市部ならではのものを感じるし、これまでのインド映画の紋切り型から脱却した新鮮な切り口のように思えるのだ。そういった「新しさ」と合わせて、コルカタへの旅の途中立ち寄る街ベナレスの、その悠久の歴史を感じさせる佇まいにまた胸ときめかされるのだ。2015年公開のインド映画はどうも不作のように感じていたが、ここにきて2015年前半で最も輝く作品に巡り合えた様に思う。

それにしても、インド映画最高の俳優とインド映画最高の美女、さらに日本でも大ヒットしたインド映画の主演男優、ということで既に布陣が整っているこの作品、やはり日本で公開すべきなような気がする。誰か買い付けなさいよ!ほらほら!!

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20150806(Thu)

[][]ムンバイ闇社会を彷徨う孤独の魂〜映画『Satya』 ムンバイ闇社会を彷徨う孤独の魂〜映画『Satya』を含むブックマーク ムンバイ闇社会を彷徨う孤独の魂〜映画『Satya』のブックマークコメント

■Satya (監督:ラム・ゴパル・ヴァルマ 1998年インド映画)

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1998年公開のインド映画『Satya』は、裏社会に足を踏み入れた一人の若者が辿る暗く遣る瀬無い運命を描いた犯罪ドラマである。タイトル『Satya』は「真実」という意味となる。そのタイトルは何を意味するのだろうか。

《物語》南インドから大都会ムンバイに出稼ぎにやってきた青年サッティア(J・D・チャクラワルティー)は、喧嘩に巻き込まれて相手を傷付け投獄されてしまう。彼は獄中でヤクザ者の男ビクー(マノージ・バージパイ)に見込まれ、組に引き入れられることになる。殺しも厭わぬサッティアは仲間に一目置かれるようになり、次第にその頭角を顕わしてゆく。一方、スラム街に住むサッティアの隣の部屋には、ヴィディア(ウルミラ・マートンドカル)という名の美しい女性とその家族が住んでいた。サッティアとヴィディアは惹かれあうようになるが、サッティアは自分の素性を明かせず苦しんでいた。その頃マフィア同士の抗争が激化し、警察も熾烈な捜査を展開し始めていた。

映画『Satya』の魅力はノワールとも呼ぶべき暗くシリアスな展開と、その渦中で運命に翻弄されてゆく主人公サッティアの、心切ない詩情に溢れた描かれ方だろう。サッティア演じるチャクラワルティーは浅黒い肌にぼさぼさの髪と伸びた髭といういかにも南インドから出てきた農夫(あるいは漁師)といった風情で、そのスター性のないルックスが物語にリアリティを加味している。劇中のサッティアは常に寡黙であり無表情だ。冒頭から田舎者扱いされカツアゲのカモにされようとしても、彼は断固抵抗し逆に相手を叩きのめしてしまう。彼が最初に命じられた殺しをいとも無感動に行ってしまうのは、相手が田舎から出てきたばかりの彼を愚弄し嘲笑したヤクザ者だったからだ。

サッティアは身寄りのない男なのだという。きっと彼の過去には貧困と労苦ばかりがあり、その過酷な生の中で虚無感だけが育まれてきたのだろう。そしてぎりぎりの生をただ生き延びる事が第一にある彼にとって、それを阻む者を消し去るのは食卓の皿の上を這うゴキブリを叩き潰す程度の事なのだろう。しかし、それは寂しく悲哀に満ちた生でもある。彼の暗い目つきからはその孤独さがひしひしと伝わってくるのだ。この物語が単なるマフィア同士の血生臭い抗争を描くだけのものに終わっていないのは、なにより彼のこの孤独な魂の在り様が画面から滲み出してくるからに他ならない。これによりこの物語は、まるでかつてのアメリカンニューシネマを見せられているかのような詩情に溢れたものとなっているのだ。

彼をとりまくマフィアの描かれ方も独特だ。彼らはクールで残虐な殺し屋というよりも賑やかで野暮ったいチンピラ連中として描かれる。ひょっとしたら彼らもまたサッティヤと同じく地方から都会に出てきた食いつめ者の成れの果てなのかもしれない。そんな彼らが裏稼業の合間に長々と無駄話を繰り広げる様はどこかタランティーノ映画を思わせるものさえある。しかしその抗争の様は熾烈であり、また彼らを追い詰めてゆく警察側は徹底的に冷徹な存在として描かれる。そんな中、暗黒の中の一筋の光明のように灯るサッティアのささやかな愛の行方がどこまでも心切ない。こうして物語はどこまでも破滅の予感を孕みながら終局へと疾走するのだ。映画『Satya』はインドにおける犯罪映画のひとつのスタンダードとして記憶されるべき傑作であろう。

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(※ファン・メイドの予告編)

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20150805(Wed)

[][]大都市ムンバイで交差する4人の男女の孤独〜映画『Dhobi Ghat (Mumbai Diaries)』 大都市ムンバイで交差する4人の男女の孤独〜映画『Dhobi Ghat (Mumbai Diaries)』を含むブックマーク 大都市ムンバイで交差する4人の男女の孤独〜映画『Dhobi Ghat (Mumbai Diaries)』のブックマークコメント

■Dhobi Ghat (Mumbai Diaries) (監督:キラン・ラーオ 2011年インド映画)

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ムンバイに住む4人の男女の交差する人生。映画『Dhobi Ghat (Mumbai Diaries)』はアーミル・カーン・プロダクション製作により2011年に公開された人間ドラマだ。タイトルのDhobi Ghat=ドービー・ガートは、ムンバイのマハラクシュミにある屋外洗濯場で、そこでは専門の洗濯夫(ドービー)が洗濯を請け負っており、巨大な人力クリーニング場となっているのだ。主演をアーミル・カーンが務めるが、彼の妻であるキラン・ラーオの初監督作でもある。キラン・ラーオはもともと『Lagaan』などで助監督としてキャリアの積んでいたのらしい。

《物語》画家のアルン(アーミル・カーン)はムンバイの古いアパートに越してきたばかりだ。彼は写真を趣味とする女シャイ(モニカ・ドグラ)と知り合い、酔った勢いで一夜を共にするが、自分の衝動的な行為に決まり悪さを覚えてシャイに冷たく接してしまう。一方、ドービー・ガートでしがない洗濯夫をしているムーナ(プラティーク・バッバル)はボリウッド・スターになることを夢見ていた。ある日ムーナは洗濯物を届けにシャイの元を訪れるが、フォトジェニックな彼にシャイは「写真モデルにならないか」と持ちかける。一方、アルンはアパートで前の住人の録画したビデオを見つけ、それを再生する。それはヤスミン(クリティ・マルホートラ)という女性のビデオ日記だった。

映画『Dhobi Ghat』はインド最大の都市ムンバイに生きる4人の男女の、都市生活者独特の孤独を描く物語として進行してゆく。4人はそれぞれに誰かへの思いを抱きつつ、その思いは決して届くことがない。画家アルンはビデオの女ヤスミンに、写真好きのシャイはアルンに、洗濯夫ムーナはシャイに、といった形だ。それは恋愛といった強烈な感情ではなく、自分の孤独をある一瞬に埋めてくれた者への、渇きにも似た想いなのだ。こうして4人4様のすれ違いを描いてゆくこの物語は、ある種ミニマルな構成を成し、淡々と描かれてゆくそれは、およそインド映画らしからぬシンプルさを見せる。しかしインド映画的ではないとしても、ここで描かれるのはまさしくインド都市部らしいドラマなのだ。こうしてインド映画的な紋切型を廃し都市部の孤独を描いたこの物語は、どちらかというと観客を限定するアート系ミニシアター向けの作品として仕上がっている。

この物語の中で注視すべきは洗濯夫ムーナであろう。ドービー・ガートで洗濯夫を営む者は、実は低カーストの者が殆どであると聞く。ムンバイほどの都市部でどれだけカースト差別が残っているのかは定かではないが、むしろムーナ自身が、自らの階級的低さ(ないしは貧しい生まれ)を恥じているようなのだ。彼は写真好きの女性シャイと知り合い、彼女に思慕の念を抱く。そんなシャイはもともとNYから遊びに来た銀行員であり、言ってみればある程度の社会的地位がある女性ではあるが、都市生活者らしい民主主義的な考えを持ち、ムーナの社会的地位の低さなど何一つ気にしていないように振る舞っている。しかし、ムーナは、劣等感からそんなシャイにまるで触れることが出来ないのだ。そしてそんな低カーストの男が、「ボリウッド・スターになりたい」と夢見ることの切なさがこの物語にはある。

主演のアーミル・カーンはやはり安定した演技の充実ぶりを見せる。シャイを演じるモニカ・ドグラは美形ながらあまり映画で見かけたことのない女性だと思って調べたら、実はShaa'ir and Funcというエレクトロ・ロック・バンドのシンガーなのだそうだ。

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20150804(Tue)

[][]社会の不正は俺が正す!〜映画『Gabbar Is Back』 社会の不正は俺が正す!〜映画『Gabbar Is Back』を含むブックマーク 社会の不正は俺が正す!〜映画『Gabbar Is Back』のブックマークコメント

■Gabbar Is Back (監督:クリーシュ 2015年インド映画)

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「社会の不正は俺が正す!」とばかりに制裁を繰り返す謎の男を描いた2015年公開の社会派アクション・スリラー『Gabbar Is Back』であります。主演にこのテの映画ならお手のもののアクシャイ・クマール、ヒロインに『「Ramaiya Vastavaiya」』のシュルティ・ハーサン。監督はテルグ映画で活躍していたクリーシュ、さらに製作にサンジャイ・リーラー・バンサーリーが参加しています。タイトルが『Gabbar Is Back』となっているので何かの続編なのかなあ?と思ったらそういうことでもなくて、タミル映画のリメイクなのだとか。

《物語》マハーラーシュトラ州で10人の税務官が誘拐され、1人が縛り首に遭った。その後「ガッバル」と名乗る謎の男から犯行声明があり、彼ら税務官は汚職を繰り返す社会悪であることをメディアに広めた。一方、大学教授のアディティヤ(アクシャイ・クマール)はスクーターと接触事故を起こしたシュルティ(シュルティ・ハーサン)という女性を病院に連れてゆく。しかし病院で不必要な検査と法外な治療費の請求を目の当たりにしたアディティヤは一計を案じて病院の不正を暴き、それをメディアに公表してしまう。事実を知り怒り狂った市民は病院で暴動を起こすが、その監視ビデオを見ていた大企業CEOパテルは驚愕する。ビデオに映っていたアディティヤは、5年前パテルの違法建築により倒壊したビルで妻を失い、抗議に訪れたところを殺した筈の男だったのだ。

「法が裁かぬ社会の悪を、天に代わって成敗する!」といった物語はアメコミのスーパーヒーローから「必殺シリーズ」の中村主水まで数々ありますが、そんな中この映画『Gabbar Is Back』はより政治的なメッセージを盛り込んだ物語として完成しています。主人公ガッバルが裁く悪はマフィアや連続殺人犯といった犯罪者ではなく、社会のシステムの中で不正を行い甘い汁を吸う役人や病院院長、企業トップなど強力な権力を有するものたちなんです。ですから当然そのメッセージは「社会をよりよいものに変えていこう!」となるんですね。ガッバルの戦いが実は彼一人のものではなく、社会悪を憎む学生たちの助けも借りながら行われている、といった部分には学生運動の匂いも感じられますね。

今回主演を演じるのはアクシャイ・クマール、『Holiday』『Baby』に続きまたもや正義の男の登場となるわけです。なんかもうこういった役がすっかり板についてしまっていますね。とはいえ主人公の性質はこれまでとちょっと違っていて、『Holiday』と『Baby』が特殊工作員という、いわばインド政府を背負って立つ存在だったのが、今回は市井の市民としての登場となります。そして実は彼の行動の背後には「正義の鉄槌」であるのと同時に個人的な怨念が存在し、そういった情念の描かれ方があるがゆえに、心情的に接近して観ていられるんですね。ですから実の所「社会悪を正す正義の男」というよくあるストーリーではありますが、割と退屈せずに観られることが出来ました。

ただ学生まで巻き込み正義を説くさまは、いつものインド映画お説教展開といえないこともなく、どうも青臭いというかエンターティンメント作品として白けてしまう部分があるのも確かです。いくら正義とはいえ汚職した政府役員をつるし首にするというのは、それが学生も含めてやってしまう、という部分にどうも先鋭化した過激派の臭いを感じてしまいます。ぶっ殺すんならぶっ殺すでイカレた正義の味方一人でいいと思うんですね。その点私怨で大暴れするガッバルの姿には「やれやれぶっ殺したれや!」と声援上げちゃうんですけどね。そういった部分で若干もにょってしまう所のある作品ではありました。

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20150803(Mon)

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泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

地球の人口問題解決の討議のため開催される世界未来学会議に出席せんと、コスタリカを訪れた泰平ヨン。ところが、会議の最中にテロ事件が勃発。ヨンたちは、鎮圧のために軍が投下した爆弾の幻覚薬物を吸ってしまう。かくしてヨンは奇妙な未来世界へと紛れ込む…。レムがブラックな笑いでドラッグに満ちた世界を描きだす、異色のユートピアSF。

戦場でワルツを』(レヴュー)のアリ・フォルマン監督が『コングレス未来学会議』(公式サイト)のタイトルで映画化したことで急遽改訳版がリリースされたスタニスワフ・レムの『泰平ヨンの未来学会議』を読んだ。ちなみに映画のほうは未見。

レムは『ソラリス』『大失敗』など硬派な長編SFを執筆する一方、「泰平ヨン」「ロボット宙道士トルルとクラパウチュス」「宇宙飛行士ピルクス」といった主人公が活躍する短編・中編SFを多く残している。「泰平ヨン」はその中でも皮肉の効いた文明批判を得意とするシリーズで、作家レムのもう一つの顔がうかがわれる内容となっている。

物語はざっとこんな感じ:コスタリカで開かれた世界未来学会議に出席した泰平ヨンをテロ事件が襲い、攻撃に使用された幻覚物質により朦朧としているうちにコールドスリープが成され未来へと飛ばされる。そして目覚めた泰平ヨンが見たものは、広範な薬物の使用により理想世界へと変貌を遂げた社会だったのだ。

『泰平ヨンの未来学会議』の物語は実にハチャメチャだ。冒頭、コスタリカにおける「未来学会議」の発言者たちは「お前らはイグノーベル賞を目指しているのか」と思わせるような怪しげな論理を展開し、同じホテルで開催される他の会議も訳の分からない同好会の連中ばかりが集まり狼藉を働き続け、続くテロの描写では阿鼻叫喚というよりは単なるキチガイ騒ぎみたいなドタバタが演じられるのだ。そして未来へと旅立った泰平ヨンは、人間の様々な思考・感情・行動・社会生活に対し微に入り細にわたって用意された膨大な数の薬物と、その薬物の作用により全てが完璧にコントロールされた理想社会を目の当たりにすることになるのだ。

この物語の真骨頂となるのは作品内に登場するこれら薬物の、馬鹿馬鹿しいネーミングの数々だろう。ココロガワリンだのオチツカセルニンだのアンタナンカキラインだのバショヒロゲールだのタブラカシンだの、その効用がそのまま名前になった薬剤のオンパレードである。宗教系の薬剤だけでもキリストジンだのゾロアスタルだのブッジンだのイスラミンだのといったネーミングが弾丸のように連発され、「よく考えるよなあ」と思うのと同時に「アホだよなあ」という気にしみじみさせるのだ。それと同時に、訳者の方の並々ならぬ翻訳技量とセンス、そしてそのご苦労に感嘆させられる。

これらを通して描かれるのは人間の思考と行動が全て薬物でコントロールが可能であるという論理と、全てが完璧にコントロールされるならそこに完璧な理想社会が生まれるといった結論である。そしてこれは全てが皮肉である。皮肉であると同時にひとつのペシミズムですらあると思う。

確かに、人の行動の全ては脳で活動する微量な化学物質の作用によって決定される。感情も思考も脳内酵素の働き一つで変化する。作品内でも「つまり今あるものはすべて、脳細胞の表面で水素イオンの濃度が変化した結果に過ぎません(p158)」という記述がされている。人間の精神的ホメオスタシスを向精神薬で平衡させるのは現代の精神医学でも成されていることだ。これは確かに間違ってはいない。しかし実のところ、脳内物質が意識と行動を決定するだけなのではなく、意識と行動が脳内物質を誘発させるものなのではないのか。自分はこの辺の脳神経学をきちんと知っているわけではないので間違ったことを言っているのかもしれないが、少なくともこの作品では、「こうあるべし」という意思の力ではなく、薬物という外的物質的要因だけで決定される世界の空しさを描いているように思う。それがこの作品に通底するペシミズムなのだと思う。そしてこの作品から立ち現れる「皮肉」の本質は、別に薬物の蔓延を揶揄したものでは決してなく、むしろ自らの行動の規範を外的なものに委ねてしまう、その「意思なき行動」に対するものではないのだろうか。