Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20150930(Wed)

[][]キメて行こうぜ!〜映画『Tashan』 キメて行こうぜ!〜映画『Tashan』を含むブックマーク キメて行こうぜ!〜映画『Tashan』のブックマークコメント

■Tashan (監督:ヴィジャイ・クリシュナ・アチャルヤー 2008年インド映画)

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3人の男と1人の女が、現金を巡ってド派手な争いに巻き込まれてゆく、という2008年インド公開の娯楽作品です。主演はサイーフ・アリ・カーン、アクシャイ・クマール、カリーナー・カプールアニル・カプールという豪華メンツ。

《物語》コールセンターに勤めながら英語教師をしていたジミー(サイーフ・アリ・カーン)は、プージャ(カリーナー・カプール)という女に頼まれ富豪のバイヤー・ジー(アニル・カプール)に英語のレッスンを始める。ジミーとプージャはいつしか恋仲になるが、ある日プージャはバイヤー・ジーの金を盗み出そうと持ちかけ、まんまと成功する。だがバイヤー・ジーは実は冷酷な顔を持つ裏社会のボスだった。バイヤー・ジーはゴロツキのバッチャン・パンデー(アクシャイ・クマール)を呼び出し、二人と金を探し出そうとする。

うーん…なんというか微妙な作品でした。登場人物同士が騙し騙され、ころころと変わる意外な展開を主軸にしようとした物語のようなんですが、実の所先が読めちゃうんですね。さらに登場人物たちの行動にブレが多く、結局何をしたいのかよく分からないのですよ。ジミーを騙してマフィアの金を独り占めしたプージャはジミーに発見された後妙にしおらしくなってしまうし、ゴロツキの追跡者として派手に登場するバッチャンはジミーとプージャを発見したのに何故か意気投合しちゃうし、さらに金を奪ったプージャは簡単にマフィアに金を返すことを同意しちゃうんですよ。おまけに最初ジミーと恋仲だったプージャが最終的にバッチャン・パンデーとくっついちゃうんですが、ここになんの葛藤も諍いも起こらないんですよ。

だから本来なら「敵か味方か!?」というプロットでサスペンスを盛り上げるところを最終的に「マフィアのボス以外はみんな仲間」とナアナアになってしまうので、観ていてずっこけてしまうんですね。ただしかし、これはこの映画にサスペンスを期待したことによる齟齬で、実はこの映画の主眼とするところはそこではなかったとも言えるんですね。じゃあこの映画は何かというと一つはジミーとプージャ、バッチャン・パンデーとプージャのロマンス展開なんですね。そしてもう一つ、この作品の最大の主眼としたところは「いかにキメてるか」というスタイリッシュ展開にあるようなんですよ。

この作品のタイトル『Tashan』は「Style」という意味なのだそうですが、映画の最中に登場人物たちがちょくちょく「これが俺のTashanさ!」とか「これが私のStyleよ!」とか言い放つんですね。じゃあこの「スタイル」って何かというと、いかにキマってるか、キメてるか、そのキメ方ということみたいなんですね。確かに物語の最中は必要以上にケバケバしい衣装がとっかえひっかえ現れたり、踊りのシーンも妙に前衛っぽかったり、アクションにしてもなんだか過剰なぐらいキメキメな展開を見せるのですよ。かといって「スタイリッシュ」と言えるほどクールじゃなく、ただ単にドギつくアクどくギンギラギンなわけなんですよ。まあこれが思惑の通り成功しているのかは謎なんですが、とりあえずアクションは馬鹿馬鹿しく派手派手にキマってはおりました。この作品は2008年作ですが、意外とこの時期には新しいことをやっていたのかもしれません。

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20150929(Tue)

[][]死を宣告された詐欺師の最後の大仕事〜映画『Bluffmaster!』 死を宣告された詐欺師の最後の大仕事〜映画『Bluffmaster!』を含むブックマーク 死を宣告された詐欺師の最後の大仕事〜映画『Bluffmaster!』のブックマークコメント

■Bluffmaster! (監督:ローハン・スィッピー 2005年インド映画)

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プロの詐欺師が自分の稼業を恋人に知られてフラレた挙句、余命幾ばくもないと宣告され、最後の大仕事に取り掛かるが…という2005年に公開されたインド映画です。詐欺師役をアビシェーク・バッチャン、その相棒をリテーシュ・デーシュムク、さらに詐欺師の恋人役としてプリヤンカー・チョープラーが出演しております。

《物語》ロイ(アビシェーク・バッチャン)はプロ級の詐欺師だったが、恋人シミー(プリヤンカー・チョープラー)との結婚式に訪れていた過去のカモに正体を見破られ、結婚は御破算、シミーにもフラレてしまう。落ち込むロイはたまたま出会った駆け出しの詐欺師ディットゥー(リテーシュ・デーシュムク)を慰みに子分にし、詐欺の手口を教授する。そんなある日眩暈を起こして倒れたロイは、脳腫瘍により余命幾ばくもないと宣言される。ロイは最後の仕事として、かつて子分であるディットゥーの家族を騙し不幸に陥れたマフィアの男チャンドルー(ナーナー・パーテーカル)に大掛かりな詐欺を働くことを計画する。

インド映画の詐欺師の物語というとアビシェーク・バッチャン&ラーニー・ムカルジーの詐欺師カップルをコミカルに描く『Bunty Aur Babli』、ランヴィール・スィン&アヌシュカー・シャルマーのラブロマンス展開がある詐欺師映画『Ladies vs Ricky Bahl』を思い出しますが、この『Bluffmaster!』はきっちり犯罪ドラマとして一人の詐欺師の最後の人生を追ってゆきます。コメディ要素はリテーシュ君をはじめとした脇にまかせ、アビシェーク自体は映画の間中常にクールな犯罪者として立ち回ってるんですね。いつも低い声でゆっくりと喋り、喜怒哀楽を表情に出さず、的確に黙々と犯罪計画を遂行してゆくんです。この映画でのアビシェークはヒップ・ホップなサウンド・トラックの似合うダーティーな黒っぽさに満ち溢れているんですね。映画もスタイリッシュにまとめられておりその辺はそつがありません。

ただどうも、観ていて気取りすぎかな、といった感じは否めません。映画全体もハリウッド映画みたいな小奇麗さはあっても、逆にインド映画じゃなくてもいいかな、という気すらします。やはりどうも臭みが薄くてエモーショナルさに欠けるんですよ。この映画のアビシェーク・バッチャンを観ていても、悪くはないんですがそろそろ『Dhoom』にみたいに血管ブチキレ気味にヒートアップしたり『Dostana』みたいに軽やかにゲイ演技したりしないかなあ、とか期待しちゃうんですね。まあこれまでシリアスな役も当然演じていますから、これは個人的な勝手な偏見です。プリヤンカー・チョープラーも出番が少ないせいでしょうか演技の良さを見せるまでには至らず、これも勿体ない気がしました。ただしリテーシュ君の汚れたチンピラぶりは板についていて、これは安定の安心感でしたね。

そんなこんなで「ちょっと退屈かなあ…」と思いながらクライマックスを迎えたんですが、なんと。この映画、ラストで「驚愕の」と言っていいほどのとんでもない展開を迎えるんです。その驚愕ぶりはある意味先ごろ日本で公開され好評を博したインド・サスペンス『女神は二度微笑む』を思わせるような急転直下ぶりなんですよ!もうオレ、「聞いてねーよ!」と口をあんぐり開けて観てしまいましたよ。詐欺師の映画を観ている観客自身が詐欺に遭う、といったところでしょうか。そういえばハリウッドのとある名作詐欺師映画でもこんな「騙し」があったなあ、とか思いましたが、あの映画よりも、あのハリウッド有名監督あの隠れた名作(リンク先でネタバレしますので知りたくない方は見ないように)に構造がそっくりなんですね。油断していたせいもありますがこれには本当に驚かされました。あのラストを体験するためだけでも観てもいい映画かもしれないですね。

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20150928(Mon)

[][]にっくき詐欺師に仕返ししちゃえ!〜映画『Ladies vs Ricky Bahl』 にっくき詐欺師に仕返ししちゃえ!〜映画『Ladies vs Ricky Bahl』を含むブックマーク にっくき詐欺師に仕返ししちゃえ!〜映画『Ladies vs Ricky Bahl』のブックマークコメント

■Ladies vs Ricky Bahl (監督:マニーシュ・シャルマー 2011年インド映画)

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詐欺師にカモられ怒り心頭となった女性3人が、その詐欺師を探し出し仕返ししちゃおう!とばかりにある計略を練っちゃう、という 2011年公開のインド映画です。詐欺師役をランヴィール・スィン、詐欺師に詐欺しちゃう女性をアヌシュカー・シャルマーが演じており、ブライダル・プランナーを描いた『band baaja Baaraat』に続く共演作となっているんですね。

物語はインド在住の3人の女性がある男の詐欺により大金を騙し取られるところから始まります。ニュースになったその詐欺事件から3人は同じ詐欺師に騙されたことに気付き、男に仕返しするために集まることになりました。その計画とは、友人である敏腕デパート販売員イシカー(アヌシュカー・シャルマー)を資産家の娘に仕立て上げ、ゴアに滞在していることが発覚した詐欺師に接触させて逆に騙しちゃおう!というものでした。詐欺師リッキー・バール(ランヴィール・スィン)はゴアでレストランを経営しており、その経営権を奪ってしまうという作戦だったんですね。しかし、計画は順調に進んでいたにもかかわらず、ある問題が発生してしまいます。それはヴィクラムがイシカーに愛を告白し、そしてイシカーもまたヴィクラムを愛し始めてしまったということだったんです。

とても面白かった『band baaja Baaraat』のコンビ再び!ということで楽しみにして観始めました。物語の構成は前半に3人の女性たちがリッキー・バールに巧妙に騙されてゆく様子と、その3人が結託して報復計画を練るさまを、そして後半は風光明媚な避暑地ゴアを舞台に詐欺師ヴィクラムを騙すべく様々な工作を推し進める3人の女性とイシカーとの巧妙な策略の行方とを描いてゆきます。しかしこういった構成ゆえに、アヌシュカー・シャルマーが後半からしか活躍しておらず、とりあえずランヴィール・スィンが女性たちを騙すさまを眺めているしかないんですね。詐欺に遭う3人の女性はそれぞれに個性的で綺麗にキャラ分けされてはいるものの、こう言うと申し訳ないのですが少々華がないんですよ。同時に、実際に物語が動き出すのは後半からなので、前半1時間余りを使った「仕返しを決意するまでの経緯」が説明的で長く感じてしまうんですね。この辺カットバックを使って回想の形にしちゃってもよかったんじゃないかなあ。

後半はイシカーたちがどのようにしてヴィクラム包囲網を敷いていくかが描かれますが、3人の女性たちがイシカーを資産家の娘に仕立て上げる為、高級な洋服やパーティーをDIYで安価に作成してゆくさまがとても面白いんですね。そんな中イシカーとリッキーの心は急接近してゆきますが、しかしイシカーは表向きは資産家の娘という嘘をつき通しているし、リッキーのほうもそれが本心なのか騙しのテクニックなのか分からないという部分で、あたかも仮面をつけたもの同士が腹の探り合いをしているかのような不信感がクライマックスまで続いてゆきます。この辺の「本当か嘘か分からない恋」といった部分がこの物語の主眼となるのでしょうが、インド映画的なエモーショナルな物語運びを期待していた自分としては、その辺に食い足りなさを覚えてしまいました。また、ランヴィール・スィンは最後まで真意の不明な謎キャラなので、どうにも感情移入できない、という部分が難だったかも。ただし、二転三転する物語はそれなりによくできていたし、ラストの大甘な締めくくり方は逆に好きだったりするんですよ。

それにしてもアヌシュカー・シャルマー、これまで観た作品はどれも自信たっぷりで主張の強いタフな女性として登場しながら、後半は恋愛でデレデレになっちゃう、といういわゆる「ツンデレ」キャラが多く思えましたね、実は強いアヌシュカー自体はそんなに得意じゃないんですが、後半からのデレデレキャラはちょっと可愛らしく思ってしまうんですよ。う〜んオレの女性の好みって…(知らねーよ、という声が聞こえてきそうなでやめます)。

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20150925(Fri)

[]消滅した街のアーカイブ世界を舞台にした近未来ノワール〜『明日と明日』 消滅した街のアーカイブ世界を舞台にした近未来ノワール〜『明日と明日』を含むブックマーク 消滅した街のアーカイブ世界を舞台にした近未来ノワール〜『明日と明日』のブックマークコメント

■明日と明日 / トマス・スウェターリッチ

明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)

テロリストの爆弾でピッツバーグが“終末”を迎えてから10年。仮想現実空間上に再現された街アーカイヴでの保険調査に従事するドミニクは、亡き妻との幸せな記憶が残るアーカイヴに入り浸る毎日を送っている。だが調査対象の女性が殺されている映像と、何者かがそれを消そうとした痕跡を見つけたことから、彼は真実と幻影、過去と現在が交錯する迷宮へと迷い込んでいく…。新鋭の鮮烈なデビューを飾る近未来ノワール。

20XX年10月21日。イスラム急進派の犯行とみられる熱核兵器テロにより、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグに住む50万人の市民が一瞬にして灰と化した。物語はその〈終末〉から10年の時を経た近未来のワシントンD.C.から始まる。

主人公の名はドミニク。彼の仕事はアーカイブ化されたピッツバーグを精査し、死亡者の保険調査をすることだ。そして彼もまた〈終末〉により身重の妻を失った一人だった。そんなある日、彼は調査対象の女性が、〈終末〉が訪れる以前に殺されており、さらにそのデータを、何者かが改竄しようとしていた痕跡を発見する。しかしその発見は上司に揉み消されたばかりか、彼は解雇される。そんなドミニクにある男が接触、彼に仕事を依頼する。それは〈終末〉で死んだ娘のデータがアーカイブから消されており、それを探してほしいというものだった。だが、仕事を引き受けたドミニクの前に謎の妨害者が現れ、彼の周りの人間が一人また一人と惨たらしく殺されてゆく。ドミニクはいったい何に巻き込まれたのか?そして「娘のデータ」にはいったい何が隠されているのか?

トマス・スウェターリッチのSF小説『明日と明日』は限定的なポスト・アポカリプスを背景としながら、サイバーパンク的な電脳世界に巻き起こる謎と、現実世界に徘徊する不気味な殺戮者とを描いたノワール・スリラーである。この世界においては、「アドウェア」という名のブレイン・マシン・インタフェースが日常的に人々に装着され、それはあたかもスマートフォンを覗いているかのように、常にネット情報を視覚内に表示している。そして〈終末〉により消え去ったピッツバーグの街並みとそこに住んでいた人々は、かねてから「アドウェア」によって収集されていた膨大な視覚・感覚データと、街に張り巡らされていたサーベイランスの情報から、街一つ分の広大な「仮想現実」として精緻に渡り再構成され、鎮魂のモニュメントとして誰でもアクセス可能になっていた。

〈終末〉により妻を失った主人公は10年を経た"今"でも心神喪失状態であり、ドラッグに溺れる荒んだ人生を過ごしていた。彼は「アドウェア」を使用することでAR化されたピッツバーグに入り浸り、そこで、今は亡き妻の、生前のARデータと過ごすことだけを生きる糧としていた。ARデータは消え去った過去を迫真のリアリティで再現しており、いわば彼は、"亡霊の世界"でのみ、はじめて生の実感を得ていたのだ。こうして主人公は、救いようの無い感傷的な人格として登場し、物語は徹底して暗くメランコリックな展開を迎えてゆく。

しかしこの物語の主題は実は〈終末〉そのものではない。物語では〈終末〉が訪れることになった犯行と犯行者については殆ど記されない。それがどのように捜査されどのような結末を迎えたかは描かれることがない。主題となるのは、主人公による"人"探しである。これにより、この物語は「探偵小説」としての骨子を持つことになる。ただしそれは現実に生きる"人"ではなく、〈終末〉により亡くなった者の、アーカイブ・データである、という部分がこの物語の独特さであり、面白さだ。アーカイブ・データはARピッツバーグ世界において時系列を持って存在しており、主人公はあたかもビデオテープの如くARピッツバーグ世界を巻き戻したりリピートしたりしながら関係者を洗ってゆくのである。

この物語がもう一つ独特なのは、主人公がかつて詩人であり、後書きにも触れられているように、文章内で小説や詩の引用が多用されていること、さらに不思議とファッションモデルやファッション業界が登場することだろう。この辺は作者の趣味なのかとも思ったが、モデル美人が多数登場するのには後半意味が明かされる。物語は中盤までをAR世界の捜査というSF的な展開で進むけれども、事件の恐るべき真相が徐々に明らかになり、さらに惨たらしい死体の並ぶようになる後半からはサイコ・スリラー的な内容へとシフトしてゆくことになる。これにより、純正なSFを期待して読んでいた読者の中には肩透かしを食う方もいるかもしれないが、むしろSF+探偵スリラーといったエクストリーム文学の一つとして読めば納得がいくだろう。

どちらにしろ物語全体を覆うカラーは暗く濃厚な感傷性である。こういった感傷性や暗さは個人的には苦手なのだが、しかしこの物語の暗さには奇妙にのめり込んで読んでしまった。これはただ単に感傷的というのではなく、《残された者》の哀惜がそこに描かれているからだ。アメリカなら、それは911テロの記憶なのかもしれない。また、日本人であるなら、それは東日本大震災の記憶とも結びつくだろう。そこで生き残った者は、失われた者を偲びながらそれでも明日に生きるしかないのだけれども、ただ大きな《傷口》だけは確固として存在し、そうでなかったはずの《明日》につい想いを馳せてしまうのだ。タイトル『明日と明日』の意味はそういった、現実の明日と、そうでなかったはずの《明日》のことなのかもしれない。

20150924(Thu)

[]お誕生日はレッドロブスター お誕生日はレッドロブスターを含むブックマーク お誕生日はレッドロブスターのブックマークコメント

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「今年のフモさんの誕生日祝い、どこでやろうか?」と相方さんに聞かれたのである。
オレは答えた。
「レッドロブスター」
「…はァ?レッドロブスターってファミレスじゃないの?」
「そう、そのレッドロブスター」
「なんでまたそんな」
「エビのデカイのが食いたい」
「…まあそれでいいんなら別に構わないけど…」
「♪レェッドロォブスタァ〜〜(歌ってる)」

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53歳の誕生日祝いをなんでまたファミレスチェーン店でやろうと思ったかというと、以前読んだ『憧れのレッドロブスターにいってみた』というブログ記事が非常に秀逸だったからである。オレは特にレッドロブスターに憧れたことは無いし、入ったことも無いし、CMソングこそ覚えていたけれども、そもそも存在を忘れていたのである。だがこのブログ記事を読んで素直に「デカいエビ美味そう」と思ったし、他のメニューも美味そうだったし、気取らなくていいじゃないかと思ったわけである。

というわけで都内にあるレッドロブスターの店をあれこれ確認し、デートコースにも十分であろうお台場のお店に行くことにしたのだ。そう、この日はお台場デートも兼ねていたのである。この日のお台場は連休中日ということもあってあっちこっちでイベントが催されドッカンドッカン盛り上がっていたが、年寄りのオレはそんなものなど意に介さずお台場の海を眺めてたそがれるのである。

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お台場には例のロボットも立ち尽くしておった。

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お台場を2時間ぐらいぶらぶらし、ちょうど腹も減ってきた頃にレッドロブスター襲撃。

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お店の前の生け簀にはロブスターがわらわらわらわら蠢いていたよ!(しかも帰りにはこの半分になっていた)

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「まずはビールだ!オレにビールを飲ませろ!」

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そしてロブスターをはじめあれこれ注文。とりあえずビールにはトルティーヤだな!

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アメリカンディープシーレッドクローとかいう要するに甲殻類の爪!ほじくって食うの美味い!

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ロメインレタスのサラダはオレの好物なんだ!

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牡蠣のアヒージョ!脂が!脂がヤヴァくて美味い!

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店員さんが今夜オレが食すロブスターの生前の最後の姿を拝ませに来た。威嚇してる!威嚇してる!

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そしてスチーム調理で見事に真っ赤っ赤になったロブスター様がやってきた!

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これを店員さんがハサミを使って上手に切り分けてくれるんだ!

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これに溶かしバターやエビミソをかけて食べる!エビがデカい!デカいエビ美味い!

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お店には「この日は誕生日なんで」と伝えておいたのでケーキのサービスが付いた。

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というかケーキどころか店員さんが3人やってきてお店で「ハッピーバースデートゥユー」の合唱だ!厨房の人も近くのお客さんも歌ってくれていたらしい。

流石に53になってファミレスでハッピーバースデーやられるのは恥ずかしかった。

記念写真も撮ってもらったが、ロブスターの食い過ぎで二人とも顔がロブスターになっていたのには驚いた!*1

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帰りは酔っぱらって洋服屋に入った挙句プレゼントまで買ってもらったぜ!相方さんありがとう!そして二人でお台場の夜景を眺めながら帰ってきたんだぜ!

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(おしまい)

*1:まあ分かってると思うが加工したんだからな。

20150922(Tue)

[]メイド・イン・イングランドの狂気〜映画『キングスマンメイド・イン・イングランドの狂気〜映画『キングスマン』を含むブックマーク メイド・イン・イングランドの狂気〜映画『キングスマン』のブックマークコメント

キングスマン (監督:マシュー・ヴォーン 2015年イギリス映画)

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どの国にもその国なりの狂気の在り方があると思うが、こと映像媒体で観るならやはりアメリカとイギリスの狂気の在り方は抜きん出ていて目を見張らせるものがある。そしてこの両者を比べるなら、アメリカはエクストリームな狂気、対してイギリスはシニシズムな狂気ということができるだろう。もう少し判り易く言うならアメリカは肉体派のキチガイであり、イギリスは頭脳派のキチガイであるということである。そしてそれぞれの狂気の根っこにあるのは、アメリカなら未熟で新しい国の【野蛮さ】に根ざしたものであり、イギリスなら近世から近代にかけて歴史の上で散々行ってきた残虐を極める蛮行の末の【こじらせまくった結果】であるんじゃないかとオレなんかは思う。

キングスマン』はコミック原作のスパイ・アクション映画である。「キングスマン」なるイギリスの秘密諜報部があって、そのエキスパートが若者をリクルートし、その若者は過酷な訓練の末に栄えある諜報員となる。それと同時進行して世界規模の破滅を願う悪の首領というのが登場し、「キングスマン」たちはその陰謀を阻止するべく行動を開始する、というのがざっくりしたプロットだ。『007』や『ミッション・インポッシブル』あたりを髣髴させる派手で見栄えのするエンターティンメントを主軸としたスパイ・アクションであり、同時に『ジョニー・イングリッシュ』や『ゲット・スマート』を髣髴させるコミカルなスパイ映画の要素も加味されている。当然だが『裏切りのサーカス』に代表されるル・カレ作品的なシリアスなエスピオナージュ物では決してない。

物語はこれら過去のエンターティンメント・スパイ作品を踏襲し、それらの作品の小ネタなどを交えながら、定番のスパイ・ドラマとして展開してゆく。過去作品と比べて新機軸であろうと思われるのは若者の成長を描くビルドゥングス・ロマン的な側面であり、その展開に多くの時間が割かれているといった部分であろうか。それと同時に「キングスマン」本拠地であるイギリスの、その大英帝国的なスタイリッシュさが、半ば戯画的に描かれている部分も楽しませる要素となっている。観ていてそれなりに飽きさせず、面白く出来た作品ではあるが、世界を破滅に導く巨大な陰謀、スパイ秘密兵器、超人的なアクション、滑稽で凶悪な悪役など、そのどれもがスパイ・ドラマとして「紋切り型」であり、前述のビルドゥングス・ロマン的な側面を抜かせばドラマとしての新鮮味に乏しいかもしれない。

だが、この作品は、後半において突如【乱調】する。どういったものかは書かないが、なにしろ、突然、【狂う】のである。これを「度が過ぎている」と取るか「ギャハハおもしれえもっとやれ」と取るかでこの作品の評価が分かれるのだと思うが、少なくともオレはこの「狂いっぷり」で一気にこの作品の評価を上げた。そしてこの「狂いっぷり」こそが、監督が「紋切り型」を廃するためにこの作品に持ち込みたかったカラーなのだろうと思う。そもそもこの狂気の在り方は、物語冒頭の著しく馬鹿馬鹿しい肉体破損の描写で予兆があったではないか。監督はこの「馬鹿馬鹿しさ」を早く画面の中に表出させたくてウズウズしていたことだろう。

この【乱調】と【狂気】に通底するのは、徹底したシニシズムである。そしてエスタブリッシュメントを地獄の底に叩き落そうとする階級闘争の表出である。これはもう、「モンティ・パイソン」を引き合いに出したくなるような、見事に【イギリス的な狂気】を具現化したものではないか。観るまでは意識していなかったが、調べると製作国はイギリス、監督マシュー・ボーンはイギリス生まれ、原作者マーク・ミラーはスコットランド生まれ、出演者もコリン・ファースマイケル・ケインタロン・エガートンマーク・ストロング、ソフィ・クックソンと「キングスマン」一派は見事にイギリス人で固められており、対する敵役ヴァレンタインを演じるサミュエル・L・ジャクソンはアフロ・アメリカン、「ガゼル」ことソフィア・ブテラはフランス人と、これもイギリス流の皮肉なのかと思わせる配役で成り立っているのである(イギリス人にとってアメリカ人は「単純な成り上がり者」。一方フランス人は「いけすかない気取り屋」)。

イギリス製作でイギリス諜報部を主人公とした物語であるからそれは当然と思われるかもしれない。だがしかし、かつてイギリス人作家キリル・ボンフィリオリ原作である『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』がアメリカ人監督とアメリカ人配役で製作された際に、原作が持っていたであろうイギリスらしい湿り気の多いシニカルさやブラックな風合いを持つ物語テイストがアメリカ人製作者により見事に無味乾燥で薄っぺらいものに様変わりさせられていたことを考えると、イギリス人の【狂気】は、やはりイギリス人でなければ描ききれないことが判るし、またイギリス人であるからこそ、黙っていても【こじらせまくった結果】としての【狂気】が否応なくじわじわと染み出してくるといえるのではないか。

そういった意味で、この『キングスマン』はスパイ・アクションを楽しむ作品であると同時に、「メイド・イン・イングランドの狂気」をしみじみと味わう作品として観るならば、別の楽しみ方が生まれるのではないかと思う。

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Kingsman: The Secret Service

Kingsman: The Secret Service

20150918(Fri)

[]30年以上積読していた古いSF小説を中心にあれこれ読んでいた。 30年以上積読していた古いSF小説を中心にあれこれ読んでいた。を含むブックマーク 30年以上積読していた古いSF小説を中心にあれこれ読んでいた。のブックマークコメント

■バーサーカー赤方偏移の仮面 / フレッド・セイバーヘーゲン

恒星間文明を築き上げた人間のもとに、宇宙の果てから何者かが襲いかかってきた。遥か太古、いずことも知れぬ星域で滅び去った星間帝国が残した遺産、自己増殖と進化を繰り返し、生あるものをすべて滅ぼすことを至上命令としてプログラムされ、何度撃退されても再び襲来する、死そのもののような無人の殺戮機械軍団――それがバーサーカーである。人類はこのバーサーカーと遭遇したのだ。あるときは巨大無人戦艦が、あるときは潜入用の小型機械が…あらゆる姿で襲来するバーサーカーに対し、あるときは力押しの正面決戦で、あるときは知略を尽くした頭脳戦で…あらゆる様式のバーサーカーと人類の存亡を賭けた闘争が繰り広げられる。

SF読み始めの中学生の頃、早川であれば兎に角「青背SF」の単行本のほうが"高級"で、「白背SF」はそれよりランクが落ちる作品だと思い込み、「青背SF」ばかり読んでいた。ガキの思い込みというのはホントにしょうもない。そんなわけで評判が高くても「白背SF」はたいてい切って捨てていたのだ。フレッド・セイバーヘーゲンのバーサーカー・シリーズもそんな憂き目にあった一作で、粗筋を読んでとても面白そうだったのに結局読むことはなかったのだ。しかし何年か前、何かのアンソロジーでセイバーヘーゲンの短編を読み、それはバーサーカー・シリーズではなかったけれども、独特の鋭利な視点に驚かされ、この作家の才能を知ったのだ。という訳でその存在を知りながら実に30年余り経ちやっと読んだ『バーサーカー赤方偏移の仮面』、いやあ面白かった!いわゆる連作短編になっているのだが、1作1作がバラエティに富み、薄氷を踏むような冷徹なドラマがあるかと思うと熾烈な宇宙戦争があり、なんとコメディ・タッチの短編まである始末だ。そしてもちろんそれぞれの完成度も高い。苦節(?)30年、読んでよかった古典SFだった。ちなみに最近新装版が出たが、もちろん昔の表紙の古本を買って読んだ!

■テクニカラー・タイムマシン / ハリイ・ハリスン

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倒産寸前の映画会社クライマックスは、わらににすがる心境で市井の科学者の手になるタイムマシンにとびついた。ロケ隊を11世紀に送りこみ、大スペクタクル大迫力ヴァイキング映画を製作しようというのだ。しかしいざ撮影を開始するや見込み違いが続出、本物のヴァイキングに襲撃されるは、主演男優は負傷するは、窮余の一策にと現地人を代役に仕立てれば濡れ場で本番をやらかす始末。しかもあれやこれやが重なって完成予定日にまにあわせるのは絶望的、クライマックス映画社の命運ここに尽きたかに見えたが――才人ハリスンの放つ軽妙洒脱な傑作ユーモアSF!

当時中学生ぐらいだった自分が初めて買った早川書房のSF文庫は、C.L.ムーアの『大宇宙の魔女』とハリイ・ハリスンのこの作品だったような気がする。なぜこれらの作品を買ったのかというと、『大宇宙の魔女』は表紙が松本零士で、この作品は表紙がモンキー・パンチだったからである。中学生なんてそんなものである。ただ、『大宇宙の魔女』は読んだけれども、この作品は長らく積読した挙句結局読むことがなかった。冒頭まで読んだが取っ付き難くて止めてしまったのである。しかしあれから30年以上(ひょっとしたら40年近く)経って改めて読み始めたところ、これが、非常に面白い。タイムマシンでヴァイキングのいる時代にいって映画を撮っちゃおう!という内容ではあるが、そこに下世話な映画ビジネスの問題が絡んでくるのだ。子供の頃のオレにはこの「下世話な(映画)ビジネス」という部分が理解できなかったのだが、いい大人になった今だと、十分理解できるうえに、その「下世話さ」こそが面白く感じるのだ。大人ってなってみるもんですね。この作品自体1967年発表という50年以上前の作品なのにもかかわらず、今でも味わい深く読むことができる作品だ。

■タイム・マシン 他九篇 / H.G.ウェルズ

タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)

タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)

80万年後の世界からもどってきた時間旅行家が見た人類の未来はいかなるものであったか。衰退した未来社会を描きだした「タイム・マシン」は、進歩の果てにやってくる人類の破滅と地球の終焉をテーマとしたSF不朽の古典である。他に「水晶の卵」等9篇収録。

H.G.ウェルズの『タイム・マシン』こそ最も「誰もが知る有名な作品で内容も全部知っているが読んだことのない小説」に挙げられるのではないか(あとジュール・ベルヌ作品も実はちゃんと読んでない)。しかし先日1960年製作のジョージ・パル監督版の映画『タイム・マシン』を視聴し、「夢の機械で時間旅行をする冒険SF」というだけではなく、様々な寓意が込められた物語であることを知り(映画版には「戦争が人類にもたらす影」が如実に描かれ、当時の冷戦構造が伺えた)、原作をもう一度きちんと読んでみようと思ったのである。そしてこの原作でも、「イギリス階級社会をグロテスクに戯画化」しているという寓意が込められていたことを知り、断然昂奮して読むことができた。そもそもウェルズは小説家にとどまらず多岐に渡る分野で活躍した才人であり、この物語も一人の科学合理主義的社会主義者として人類の未来を暗く予見しつつ描きあげた物語だったのだろう。何より後半の映画版にない「超未来の黄昏の地球」の荒涼とした描写が、今読んでも鬼気迫る情景となって描かれているのだ。しかもこれは筒井康隆の長編『幻想の未来』の元ネタではないか。大いなるペシミズムに彩られたこの作品は、まさしく今読んでも全く色褪せないSF小説の金字塔だということができる。また、自分が読んだのは他9篇の短編を盛り込んだ岩波文庫版だったのだが、それら他の短編もどれもがSFアイディアの原点でありファンタジィ小説であり、これらがやはりどれも読み応えがあるのだ。古典の持つ強烈な輝きを思い知らされた作品集だった。

■黒い海岸の女王 / ロバート・E・ハワード

1万2千年前、アトランティスが海中に没したのち、現存する歴史が記されるまでの空白期に、ハイボリア時代なるものが存在した。この時期の伝承を伝える年代記は、キンメリア生まれの英雄コナンの事跡を記している―30歳で夭折した天才作家が創造し、ヒロイック・ファンタジーの源流となった傑作シリーズを、著者のオリジナル原稿にもとづいた校訂のもと全6巻に集成して贈る。

SFを読み始めのころはヒロイック・ファンタジーを根拠もなく「下らないもの」と思い込んでいた。荒唐無稽なSF作品を好んでいたくせにヒロイック・ファンタジーを荒唐無稽だ、とバカにしていたのである。中学生にありがちな偏見だった。しかし数年前ハワードのコナン・シリーズの短編をたまたま読む機会があり、その文章の美麗さとダークなファンタジー風味に度肝を抜かしてしまった。この『黒い海岸の女王』はその時に「ハワードはきちんと読むべきだ」と思い購入したまま積読していた1冊で、やっと手を付けたというわけである。積読本は永遠に手にされない、なんてセオリーがあるらしいがそれは嘘だ。オレはきちんと読んだ。そして初めて短編を読んだ時の衝撃そのままにこの本を読み終わることが出来た。やはりハワードは語彙豊かな詩的な文章が素晴らしい。多分翻訳も優れているのだろう。ハワードはあのラブクラフトと共にパルプ雑誌「ウィアード・テイルズ」に連載していたということだが、個人的にはラブクラフトよりも断然完成度が高くさらに古びない物語を書いていると思うし、ラブクラフト程度に今も読み継がれるべき作家なのではないかと感じる。そんなわけで全5巻のコナン全集を読もうと思ったのだが、第3巻がずっと品切れで入手できないんだよね…。

■竜を駆る種族 / ジャック・ヴァンス

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

はるかな未来、人類最後の生き残りが住むさいはての惑星エーリスでは、風雲急を告げていた。バンベック一族の住むバンベック平を幸いの谷の一族カーコロが狙っていたのだ。異星の爬虫類種族を育て、さまざまな竜―阿修羅や金剛や一角竜から成る軍隊に仕立てたバンベックとカーコロは、まさに一触即発の状況。しかも、エーリスを狙う爬虫類型の異星人ベイシックが襲来しようとしていたのだ!名匠のヒューゴー賞受賞作。

ジャック・ヴァンスは本国アメリカでは人気の高いSF作家らしいのだが、日本では今一つ知名度が低いのではないか。自分基準だが。しかし数年前に国書から出ていた短編集『奇跡なす者たち』を読みその煌びやかな異世界描写に圧倒されてしまった。その時いつか読もうと思っていたのがこの長編『竜を駆る種族』だったという訳だ。物語はタイトル通り"竜を駆る"二つの種族が登場しひとつの惑星で対立しあっていた、というファンタジー的な導入部から始まりながら、そこから異星人の侵略というSF展開が待ち受ける。この折衷具合は「ああ、アメリカのSFファンが好きそうだよなあ」と思わせるが、もちろん日本人のオレが読んでも十分面白い。思えば今のSFはなにかと面倒臭くなって、こういった想像力一発で書き上げられた物語というのは成立が難しいのかもしれない。見たこともないような異世界で自由に遊ぶ、そんなSF本来の楽しみがまだ存在していた時代の貴重なSF作品だということも言える。

■アインシュタイン交点 / サミュエル・R・ディレイニー

遠未来の地球。人類はいずこへか消え失せ、代わりに住みついた異星生物が懸命に文明を再建しようとしていた。ロービーは人の心を音楽で奏でることができる不思議な青年。恋人の死を契機に旅に出た彼は古代のコンピュータ、ドラゴン使い、海から来た暗殺者など様々な存在との出会いを経て、世界の大いなる謎を解き明かしてゆく…幾層ものメタファーやシンボルを重ねて華麗な神話宇宙を構築し、ネビュラ賞に輝く幻の名作。

ディレイニーとは相性が悪い。最初に読んだのは『ノヴァ』だが、悪くは無いにしてもなぜこんなに評価の高い作家なのかピンと来なくて、次に『ダールゲレン』を読んだが酷い作品だと思った。物凄い才能の持ち主だということをとかく言われるのだが自分には全くそれが伝わらない。原語で読まないとその文章の妙味を味わえない作家なのかもしれないが、だとしたら分からなくてもしょうがない。という訳でディレイニーはもう読まなくていい作家だと思ってたが、最近短編集『ドリフトグラス』が出てちょっと話題になっていて、でも読んでもやっぱりつまらないんだろうなあと思い、なんだかそれが悔しくて代わりにこの『アインシュタイン交点』を読んだというわけだ。そしてやっぱりピンとこないしたいした面白くない。ううむどうしたものだろう。

■非(ナル)Aの世界 / A・E・ヴァン・ヴォークト

非(ナル)Aの世界 (創元SF文庫)

非(ナル)Aの世界 (創元SF文庫)

時は二五六〇年、宇宙はいくつもの帝国から成り、「銀河系連盟」が結成されている。地球には〈ゲーム機械〉があり、それがつかさどるゲームに合格した人が政府の要職につき、あるいは金星行きの資格を獲得する。〈非A〉人ギルバート・ゴッセンは〈機械〉市にやってきたが、いつのまにか銀河系的規模の大陰謀に巻きこまれてしまったのである。

オールドSFファンとしてはヴォークトも読んでいなければならない作家なのだろうが、自分は大昔に『宇宙船ビーグル号』を読んだだけで、その時ですら「古臭いな」と思ったぐらいである(当時の自分にとっても宇宙SFは既にラリイ・ニーヴンだった)。この『非(ナル)Aの世界』もやはりどうにも古臭く、それほど楽しめはしなかったのだけれども、同じところをぐるぐる回っているだけのプロットや、奇妙に偏執的な文章、人間味の薄い登場人物、そして異様な世界観が頭に残る作品であるのも確かである。実はP.K.ディックがヴォークトに心酔していたということをこの小説の解説で初めて知ったのだが、確かにディック的な不条理めいた展開がこの物語にはある。そういった部分を見出せた部分で有意義なSF体験だった。

■白夜 / ドフトエフスキー

白夜 (角川文庫クラシックス)

白夜 (角川文庫クラシックス)

ドストエフスキーには過酷な眼で人間性の本性を凝視する一方、感傷的夢想家の一面がある。ペテルブルクに住む貧しいインテリ青年の孤独と空想の生活に、白夜の神秘に包まれたひとりの少女が姿を現わし夢のような淡い恋心が芽生え始める頃、この幻はもろくもくずれ去ってしまう。一八四八年に発表の愛すべき短編である。

この間観たインド映画『Saawariya』がドフトエフスキーのこの短編作品を原作にしているというので、本も薄くてすぐ読めそうだったから手にしてみた。まあしかし主人公男子があまりにもウブな上に出会ったばかりの女子に自分のことばぁ〜っかり語りすぎで、普通に「この恋愛はダメだろ…」と思わせてくれる。おまけに相手の女子が不用意に思わせぶりで、「ああ〜童貞君がこんな女と出会ったら勘違い地獄必至だよね〜」と遠い日の我と我が身を鑑みつつ切ない郷愁に耽っていたのであった。ってかこの短編、初ドフトエフスキーなんですけど、こんなまだるっこしいの?

funkensteinfunkenstein 2015/09/23 09:59 いつも楽しく読まさせていただいてます。私もヒロイック・ファンタジーはあまり読んでいなかったのですが、ハワードはいいですよね!コナン全集も2巻以降読んでいきたいと思ってます。まだ読み途中の『失われた者たちの谷』もバラエティに富んで楽しいです。ディレイニーですが好きなんですけど魅力についての説明はなかなか難しいですね・・・。まあ自分については(やや邪道ですが)作家本人自体の方にむしろ興味があるという感じです。『ダールグレン』『アインシュタイン交点』は一般的とはいえないずディレイニーが好きな私にも難しい作品なのでアレですが、世評が高く比較的理解しやすいのは初期の中短篇でそういう意味では『ドリフトグラス』が一番のおすすめです。その中の「スター・ピット」「コロナ」「時は準宝石の螺旋のように」「エンパイア・スター」だけでもファンとしては読んでいただければなあなどと思います。ロック文化と親和性の高い人ですし。(はじめてSF系の話題に反応してみました(笑)

globalheadglobalhead 2015/09/23 16:18 おおfunkensteinさん、自分もいつも楽しみにしてブログ読まさせてもらってます!いやなにしろ自分のネックは読むスピードがとんでもなく遅いことで、それは途中でインド映画観たりゲームやったりビールを飲んだりビールを飲んだりしているからなんですが、まあ1冊読むのに1週間から10日掛かっちゃうんで積読本の量がろくでもないことになってるんですよ…。今回の「積読本消化強化月間」は戒めとして古い本を中心に読もうと試みた結果なんですが、そしたら新刊本の積読がまたエライことになって具合が悪くなってます。知り合いから1年ぐらい借りっぱなしの本とかあったりするんですよ…。予定としては積読SF他を片付けた後にちょいと勉強関係の本(仕事じゃ無くていわゆる生涯勉強とでも言いましょうか)に手を付けなければならないので、お勧めいただいたディレイニーは多分3年後か5年後か10年後ぐらいなら読めるかも…グフッ(血反吐

funkensteinfunkenstein 2015/09/23 17:41 ブログ読んでいただきありがとうございますー。フモさん(でよいですかそれとも暗黒皇帝閣下さん?)読むスピード遅いですかね〜?インド映画観てダンスミュージック聴いて飲んで(いずれも半端ない量?)読んでるんですから結構速いイメージですけどね〜。いずれにしても積読なら負けてませんよ!(<変な対抗意識)借り本はいけませんねえ。自分とこにあるニューロマンサーはたぶん二度と会うことのない先輩ので・・・そのままになってます(一応向こうが諦めてました笑)。それにしてもその血反吐は単に飲みす(以下自粛)

globalheadglobalhead 2015/09/23 18:02 あ〜、フモのほうが落ち着きます、暗黒皇帝はネタのつもりだったのが面倒臭くてそのまま自分のツイッターIDにしちゃったヤツなんで。趣味っぽいのはあれこれ手を出しましたが、ブログで読むのは他の方のSF小説の感想が一番しっくりくるんですよね。やはり昔っから触れていたジャンルだからでしょう。あとネットの世界というのは意外とキナ臭かったりするのですが、読書関連はそれほど荒れないし、本好きの方は基本的に落ち着いた方が殆どなので安心できるんですね。そんなわけでまた適度によろしくお願いします。(ところで飲み過ぎのせいかこの夏は2回も医者行って胃薬貰いましたよ…)

funkensteinfunkenstein 2015/09/23 18:17 なるほど、わかる感じがします。ではフモさんこれからもよろしくです〜♪(お、お大事に・・・)

globalheadglobalhead 2015/09/23 18:38 いや〜この連休も暴飲暴食で…養生します…。

20150917(Thu)

[][]散々飲んで目が覚めたらN.Y.の知らない女性の部屋!?〜映画『I Love NY』 散々飲んで目が覚めたらN.Y.の知らない女性の部屋!?〜映画『I Love NY』を含むブックマーク 散々飲んで目が覚めたらN.Y.の知らない女性の部屋!?〜映画『I Love NY』のブックマークコメント

■I Love NY (監督:ラディカ・ラオ 2015年インド映画)

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大晦日の夜、悪友たちと散々飲んだシカゴ在住の男が、目が覚めてみるとなんとニューヨークの、しかも全然知らない女性の部屋にいた!?というコメディ作品です。主演は以前観てメチャクチャ面白かった『Gadar: Ek Prem Katha』(レビュー)主演のサニー・デーオール、そして今インド映画界で最も注目の女優カンガナー・ラーナーウト。また、ヴァルン・ダワンがちょっとだけ顔を出します。これは気になる作品ですね。タイトル『I Love NY』の「NY」は、「New York」と「New Year」をかけたものになっています。

《物語》シカゴ在住の独身サラリーマン、ランディール(サニー・デーオール)は大晦日を迎え、悪友たちと共に次から次へと酒を酌み交わしていた。そして酔い潰れた彼の顔に、たまたまよその男の航空券が張り付いてしまい、周りの人間は気を効かして意識不明の彼を飛行機に乗せてしまう。そして着いた所はニューヨーク、しかしそんなことなどつゆ知らず、彼は泥酔状態のままタクシーに乗り込む。シカゴの自分の番地を告げると、なんとニューヨークの同じ番地のアパートに到着し、あまつさえ部屋の錠前は、持っている鍵とぴったり一致、何一つ不思議に思うこともなくランディールはベッドにもぐりこんで寝入ってしまう。そこにやってきたのは本来の部屋の住人ティクー(カンガナー・ラーナーウト)。自分の部屋のベッドで眠り呆けるランディールの姿に大騒ぎ、目を覚ました彼とがなりあっているところに訪問者が。それはティクーと大晦日を祝おうとやってきた婚約者のイシャーン(ナヴィン・チョードリー)だった。

この物語、偶然に偶然が重なることによって成り立つドラマなんですが、シカゴとニューヨークに同じ番地があるという設定はともかく、このどちらにも同じアパートがあり、あまつさえ同じ部屋番号の鍵がどちらにも使えちゃう、というのはどうにも不自然に感じるかもしれません。しかもこのアパート、外観から部屋の間取りまで全く一緒ということですから、きっと同じ建築会社がそれぞれの街で同じアパートを建てちゃった、ということなんでしょう。ちょっと出来過ぎのようですが、実はこれにはちょっと訳があります。この作品は『The Irony of Fate(運命の皮肉)』(1976)というロシアのTVドラマを下敷きにしているんですが、このTVドラマに登場するアパートはブレジネフ時代の公共建築ということになっていて、共産国らしい同じ仕様のアパートだからこそ、外観も内装も鍵すらも一緒、という設定が成り立っちゃっているんですね。この作品は無理を承知で設定をそのまま生かしてしまったということみたいなんです。

設定だけではなく物語にも強引さを感じます。女性の部屋に見知らぬオッサンが寝てたら確かに大騒ぎなんですが、あとは追い出すか警察を呼ぶかでおしまいでしょう。しかしこの物語では、この後ランディールとティクーの間に恋が芽生えちゃう、という話の流れになっちゃうんです。これがきっかけで二人が知り合い徐々に恋心が…というのではなく、この日のたった一夜でですよ?しかもティクーには婚約者がいるにもかからず、その婚約者と別れてですよ?まあ、この婚約者というのが少々乱暴な人間で、ランディールのことを口汚く罵るばかりか手荒に扱うものだから、ティクーが冷めてしまった、ということもあるんですが。どちらにしろ女性だったらこの物語を観て「絶対ありえない!」と思われるんじゃないでしょうか。ただ、男の側からすると、ええとその、ちょっとファンタジーを感じちゃったりなんかしちゃったりして…。

そう、これだけ不自然な設定なのにも関わらず、奇妙に惹きつけられる物語であるのも確かなんですね。それは主演であるサニー・デーオールのいい具合に草臥れたオッサン具合と、そしてなんといってもカンガナー・ラーナーウトのたまらないキュートさに負うものが大きいでしょう。サニー・デーオールは二枚目でもなんでもない結構なオッサンではありますが、結構な包容力を感じさせるばかりか、いざというときに逞しさまで見せちゃうんですよ。あー、これだったら若い女性でもちょっとその気になっちゃうかも、と納得できるんですね。そしてカンガナー・ラーナーウト、いつもはエキセントリックな役柄が多い彼女ですが、この作品ではごく普通の独身女性を演じており、アメリカ都市部在住らしいカジュアルルックや大晦日のドレスアップ姿などが非常に可愛らしいんです。こんな彼女が泣いたり笑ったり怒ったりと表情豊かに役柄を演じるものですから、もうそれを眺めているだけで物語に魅了されてしまうんですね。そんなわけで最後まで楽しんでみることができた作品でした。

しかしそれにしても、ついこの間『Tanu Weds Manu Returns』(レヴュー)に出演したばかりのカンガナー・ラーナーウト、随分過密スケジュールで映画出演しているな、と思ったら、どうもこの『I Love NY』は2013年に完成していたものの、つい最近までお蔵入りしていたようなんですね。それというのも主演のカンガナー・ラーナーウト自身がこの作品の公開に反対していたからなのだとか。詳しい事情は分からないのですが、この作品での自分の演技とか作品の完成度に納得できなかったからということなのでしょうか。どちらにしろ作品が日の目を見たことはファンとしては嬉しいのですが。

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20150916(Wed)

[][]地中海クルーズ船を舞台にした群像劇〜映画『Dil Dhadakne Do』 地中海クルーズ船を舞台にした群像劇〜映画『Dil Dhadakne Do』を含むブックマーク 地中海クルーズ船を舞台にした群像劇〜映画『Dil Dhadakne Do』のブックマークコメント

■Dil Dhadakne Do (監督:ゾーヤー・アクタル 2015年インド映画)

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『Dil Dhadakne Do』は地中海クルーズ船に乗り込んだ複数の家族と男女が織り成す群像劇です。この作品、なんといってもメンツが豪華。アニル・カプール、ランヴィール・シン、プリヤンカー・チョープラー、アヌーシュカ・シャルマー、ファラハーン・アクタールといったそうそうたる出演陣に加え、アーミル・カーンがナレーションを担当しているんですね。監督は男3人のスペイン旅行を描き高い評価を得た作品『Zindagi Na Milegi Dobara』(レヴュー)の ゾーヤー・アクタル。

《物語》アイカ社を所有する実業家のカマル(アニル・カプール)は妻ニーラム(シェファリ・シャー)、娘のアイシャ(プリヤンカー・チョープラー)、息子のカビール(ランヴィール・シン)、犬のプルート(声:アーミル・カーン)といった家族をもうけていたが、彼の会社は倒産の危機に瀕しており、家庭では妻ともうまくいっていなかった。また実業家として独立したアイシャは離婚を考えており、カビールは跡継ぎに目されていたが、本人は微妙に不満を抱えていた。そんな彼らはカマルの結婚生活30周年を祝う地中海クルーズに参加する。そこでアイシャはかつての恋人サニー(ファラハーン・アクタール)と出会い心が揺らぎ、カビールはダンサーのファラー(アヌーシュカ・シャルマ)と知り合い自由な人生を夢見始めていた。そしてカマルは突然の体調不良に倒れる。

えーっと最初に書いちゃうと…退屈でした。3時間近くある作品なのですが、インド映画の3時間なんて山あり谷ありの盛り沢山で全然苦にならないのに、この作品は「早く終わんないかなあ」と時計ばかり気にして観てしまいました。豪華クルーズ船を舞台に名作映画『家族の四季 愛すれど遠く離れて』(レヴュー)と同じことをやりたかったのでしょうが、『家族の四季』とは雲泥の差です。まず「フォーブス誌のトップ10に数え上げられる資産家の一家の物語」というのにまるでリアリティを感じることができず、興味が湧かなかった。『家族の四季』も同じく富豪一家を描いた作品なのに相当面白く観られたことを考えると、そもそもの描き方が悪いのでしょう。比べるなら、『家族の四季』が王族の如き煌びやかさの中に普遍的な家族の問題を描こうとしていたのに対し、この『Dil Dhadakne Do』はバブリーな金満一家の安っぽいソープオペラ程度にしか見えないんです。あと、この作品をコメディ・ドラマとして紹介しているサイトもありましたが、コメディ要素は殆どありません。

この作品はいわゆる群像劇として、カマルとその妻、娘アイシャと夫、その昔の恋人、息子カビールと新しい恋人、さらに幾つかの人間関係が盛り込まれます。群像劇はこういった様々な人間関係が互いに干渉しあい、大きなうねりとなって一つのドラマとして結びついてゆくものなのですが、この作品においてはただ羅列されているだけで、視点があちこちに飛び、まとまりを感じさせません。さらに拙いのがしつこいほどのナレーションの多用。これは"犬"の呟きとして表現されるのですが、正直このナレーションがなくとも物語は理解出来るし、単なる説明過多にしかなっていないんです。そして登場人物たちの状況と情緒がいちいち言葉で説明されるため、押しつけがましく感じさせるんです。これ、長尺で複数の人間関係を描くのに、映像だけでは全てを上手く説明できないと感じた製作者側の自信の無さの表れだったんじゃないでしょうか。

とはいえ、登場人物を演じる個々の俳優たちはそれぞれに素晴らしい存在感を醸し出していました。むしろ、平凡な演出が俳優たちの個性と演技力に追いついていないとすら感じました。また、たとえば物語を自由を求めるカビールと自由な女ファラーの関係のみに絞って描くなりしたほうが、物語テーマそれ自体をもっと深くシンプルに描き出せたと思います。監督ゾーヤー・アクタルは『Zindagi Na Milegi Dobara』において、スペイン旅行に赴いた男性3人のそれぞれのドラマを描き成功を収めましたが、それはスペインという異国の非日常性が物語を大きく牽引したからといってもいいでしょう。ゾーヤー・アクタル監督はこの『Dil Dhadakne Do』でもクルーズ船内という非日常空間の中でドラマを描こうとしますが、実の所クルーズ船内である必然性の感じないドラマに終わってしまっています。これは描きたい事に監督の力量と作話能力が追いついていなかったからなのではないでしょうか。

D

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20150915(Tue)

[]8ビットゲームキャラに襲われた地球を救うのはオタク野郎だった!?〜映画『ピクセル』 8ビットゲームキャラに襲われた地球を救うのはオタク野郎だった!?〜映画『ピクセル』を含むブックマーク 8ビットゲームキャラに襲われた地球を救うのはオタク野郎だった!?〜映画『ピクセル』のブックマークコメント

■ピクセル (監督:クリス・コロンバス 2015年アメリカ映画)

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いつもゲームゲーム騒いでいるオレだが、実はファミコンをはじめとする8ビットゲームは殆どやっていない。ゲームをやりはじめたのは20代を過ぎてから、スーパーファミコンの頃だったのだ。20代を過ぎてからゲームをやり始めるというオレの人生の紆余曲折はさておき、スーパーマリオスペースインベーダーなどといったゲームにまるで思い入れが無いのである。ちょっとは触ったが、やってないに等しいからだ。そして実のところ、やってみてもたいして面白いと思わなかった。ゲームセンターにも行かなかったし、スーパーファミコンで遊びまくった後に「ファミコンのゲームというのもやってみるか」といって遊んだのは主に『ウィザードリィ』シリーズぐらいなものだ。だからいわゆる"レトロゲーム"と呼ばれるものを見ても懐かしいとかいった感情は無いのである。だがしかし、この『ピクセル』は面白く観ることができた。

映画『ピクセル』は「宇宙人が8ビットゲームキャラで地球を侵略しに来た!」という荒唐無稽な物語である。なんでも、NASAが"人類との友好のため地球文化を知ってもらいたい"とゲーム映像を宇宙に送り出したところ、どこかの宇宙人が「これは宣戦布告のメッセージだ!」と誤解したということなのらしい。それで地球の8ビットゲームキャラを侵略目的で送り込む、というのもよく分からないが、「最初に3回勝ったほうが勝利者。お前らが負けたら地球はおしまいだからな」とかいうルールまで勝手に押し付けてきているではないか。これを知ったアメリカ政府はてんやわんや、世界最強のアメリカ軍ですらゲームキャラには勝てる見込みはない。それでは…ということで担ぎ出されたのが子供時代に天才ゲーマーだったがいまやすっかり負け犬に成り果てたオタク野郎、というわけなのである。

オタク野郎サム・ブレナーは子供時代に「パックマン」の世界チャンピオンであり、「ドンキーコング」でも準優勝まで上り詰めた男だ。だがそんなゲームの優勝歴など社会生活に何の役に立つわけもなく、大人になった彼はしがない電気屋に身をやつしている。まあ、本人はそんなことなんとも思ってないようなのだが、やはり世間一般的には「負け犬野郎」扱いだし、この物語でも橙色の悪趣味なお仕着せ着た見るからにボンクラな格好で現れる。別にゲーム好きが全て負け犬野郎の筈もないが、ゲームぐらいしか取り柄が無いと「オタク」のレッテルを貼られ世間の認知度も低いということになるのだろうか。まあそういうオレも、30、40過ぎてから会社の上司に趣味を聞かれ、「ゲームです」と答えると生温い笑顔で迎えられるのが常ではあったが、50過ぎた今でも堂々と「趣味はゲームです」と答えてやはり生暖かい笑顔を浮かべられてる。

この『ピクセル』のテーマとなるのは、単に「8ビットゲームキャラが襲ってくる!」という絵空事のみにあるのではなく、例えばエドガー・ライト作品『ワールズ・エンド』と同様な、「人生の負け犬が地球を救う!」という、いわゆる「どん底に生きる男の敗者復活戦」にあるのである。この『ピクセル』にしても『ワールズ・エンド』にしても、宇宙の侵略者と最終的にタイマン張り、地球を救おうとするのは、「社会の落ちこぼれ」でしかない主人公だ。「社会の落ちこぼれ」でしかない主人公は、その敗者復活戦において、金持ちになるのでもなく、美女を手にするのでもなく、そういった社会的成功や利己的成功とは全く関係ない、「全世界の救済」という、文字通り無私の救世主的行動に命を張るのである。「落ちこぼれ」が「世界の救世主」に。これほどの大逆転が他にあるだろうか。画面に躍る8ビットゲームキャラよりも、この落差こそが、この物語を面白くしているのだ。

アメリカン・コメディの主軸となるテーマの多くは、この「負け犬の敗者復活戦」を描いたものであるといってよく、例えば『俺たち』シリーズなどでも知られるウィル・フェレル出演作品の大抵がそうだし、この『ピクセル』で主人公を演じるアダム・サンドラ―も、出演したその多くのコメディ作品の中で、常に「負け犬の敗者復活戦」を演じてきた。オタク、バカ、ブサメン、貧乏人、社会的弱者、こういったアメリカ社会の中で鼻もひっかけてもらえずとかく落ちこぼれてしまいがちな連中に「お前らだってチャンスがあるさ」と肩を叩いてくれるのがアメリカン・コメディだったりするのだ。これは同情や共感といった感情もあるのだろうが、むしろ「誰にでもチャンスはある」という実にアメリカらしい考え方がその根底にあるからのような気がする。

D

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20150914(Mon)

[]大地震のひとつやふたつ、ロック様の力こぶでイチコロだ!?〜映画『カルフォルニア・ダウン』 大地震のひとつやふたつ、ロック様の力こぶでイチコロだ!?〜映画『カルフォルニア・ダウン』を含むブックマーク 大地震のひとつやふたつ、ロック様の力こぶでイチコロだ!?〜映画『カルフォルニア・ダウン』のブックマークコメント

カリフォルニア・ダウン (監督ブラッド・ペイトン 2015年アメリカ映画)

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ビルがぶっ壊れる光景が好きである。ダイナマイト一発でのビル解体映像とかゾクゾクする。大友克洋のコミック『AKIRA』でネオ東京の高層ビル群がバラバラにぶっ壊れてゆく様子を克明に描写したシーンなんかも最高だよね。ローランド・エメリッヒ監督の映画『2012』とかもそのぶっ壊れ具合が凄くて途中ゲラゲラ笑いながら観てたもんなあ。『クローバーフィールド』とか『マン・オブ・スティール』とかも、ビルの壊れっぷりが堪らなかったなあ。

本当は、好き、というよりも、その破壊の強大さに、その恐怖に、思考が麻痺してしまうのが楽しいのかもしれない。原水爆爆発の記録映像が、それがどんなに禍々しく非人道的なものであろうとも、その圧倒的な破壊力に、思わず見入ってしまい、あまつさえ美しく感じてしまう、という、倒錯した感覚と似ているかもしれない。

カリフォルニア・ダウン』は人類史上稀に見る巨大地震に見舞われ崩壊してゆくアメリカ西海岸を描いたパニック映画である。ロサンゼルス、サンフランシスコ、ラスベガスが、そこに建つ巨大建築物が轟音と共に瓦礫と化し、人々は逃げ惑いながらも次々と命を落としてゆく。しばらくインド映画ばかりでハリウッド映画にご無沙汰だったオレだが、「こりゃ観るしかないだろ!」と思いましたね。いやあ、破壊!死!破滅!楽しいなあ!楽しいなあ!

というわけで「グヂャグヂャに崩壊してゆく現代建築(「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」ってことな)」の様子を堪能しに劇場に足を運んだオレであるが、いやこれが、破壊だけにとどまらない面白さを兼ね備えた作品で正直感心した。まあなにしろ、最新VFXでこれでもかこれでもかと描写される破壊映像はホントに最高でね、「スッゲエ!スッゲエ!コエエ!コエエ!」と小学生みたいな感想漏らしながら手に汗握って観ておりましたが、まあ実際、物語がちゃんとしてないと、「まあでもそこだけだったよね」てな感想で終わっちゃうんだよね。しかしこの作品、意外とシナリオが誠実に作ってあって、また、飽きさせないような様々な見せ場を作っていて、そういった堅実さも印象良かったんだよな。

物語の主人公はドウェイン・ジョンソンことロック様演じるレスキュー隊員で、これが冒頭から「俺はどんな危険な現場でも必ず被災者を救助する凄腕だぜ」とアピールしまくるシーンが入って、ここで既にロック様の筋肉とカリスマ振りを見せつけられちゃうわけですよ。で、大地震が発生し、「妻と娘が巻き込まれた!すわ救出!俺にできねえ救出はねえ!」と八面六臂の大活躍を披露しちゃうんですね。そうさ!ロック様ならきっとやってくれるさ!地割れの一個や二個ぐらいならあの筋肉で閉じたりもできちゃうよね!(いやそれはない)

ここで、いやちょっと待てお前レスキュー隊員なんだから家族大変なのも分かるけど一般市民救出しろよ、という御意見が出るのも分かる。大変わかる。ここでこの映画の好き嫌いが出ると思う。ただ、「家族愛」という紋切型を持ち込むことで、話をシンプルで理解し易くて、より感情に訴えかけるものになっているのも確かなのよ。物語の持つある種の紋切型って、うんざりすることもあるが、容易く無視もできないもんだとも思うんだよね。そもそも主人公が「あー、俺っち家族救出したいんっすけど?」と本部に連絡したら本部も「いんでね?」とか言ってたしな。なんでいいのか?だって、ロック様だからに決まってるじゃないですか!?

で、その後あれこれあるわけだが、オレが一番感心したのは、地震の生み出した災害が映画の進行に合わせてどんどん破滅的になって行き、きちんと難易度が上がってゆくってとこだな。もう畳み掛けるように見せ場の連続なんでありますよ。そしてもう一つは、最初ヘリで救出に向かっていたロック様が、ヘリだけじゃなくその後いろんな移動手段を用いて果敢に家族の元へ向かう、という部分だったな。確かにヘリが出ずっぱりだと救助簡単だし絵的に飽きちゃうからね。さらに移動手段が違うと直面する危機もまた様々なバリエーションを見せることになるんだ。そういった見せ方の工夫が上手いと思った。

それとやはりロック様の娘役を演じているアレクサンドラ・ダダリオとかいうダダ漏れみたいな名前の女子がだな、これがキョヌーで堪らんかったわ!なんか地震でもないのにユッサユッサ揺れてるもんがあって「なんだなんだ!?」と固唾を飲んで注視したらダダリオ嬢のオチチだったもんだからオジサン魂消たよ!多分今回の地震の原因はこのダダリオ嬢のオチチの揺れのせいだったんじゃないのかな!すいません最後まで下品で!

D

20150911(Fri)

[]『メタルギアソリッドV ファントムペイン』と『Evolve』をやった 『メタルギアソリッドV ファントムペイン』と『Evolve』をやったを含むブックマーク 『メタルギアソリッドV ファントムペイン』と『Evolve』をやったのブックマークコメント

■『メタルギアソリッドV ファントムペイン』は「メタルギア:怒りのアフガン」だったッ!?

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遂にというかようやくというか『メタルギアソリッドV ファントムペイン(MGSV:TPP)』が発売され、オレも例の如くプレイしているわけである。2014年3月に先行して発売された序章『メタルギアソリッドV グラウンド・ゼロズ(MGSV:GZ)』のクライマックスでは恐るべき悲劇が巻き起こるが、この『MGSV:TPP』はその9年後である1984年、当時のソ連と紛争真っただ中にあるアフガニスタンを舞台として幕を開ける。

この『MGSV:TPP』、なにしろプレイ時間で1時間近くあるオープニングからエライことになっている。いやもうまさに地獄図である。『MGSV:GZ』から素直に続くのかな、と思ってたらあんなものやこんなものが現れ、物凄いテンションで盛り上げまくっているのだ。あまりにも圧倒的すぎて、このオープニングだけでこれまでやった様々なゲームが霞んでしまったぐらいだ。

だがこのモノスゴイオープニングの後は普通にスニーキング・ミッションのスネークさんになってちょっと落ち着く。なんといっても今作のウリは「オープン・ワールドのMGS」である。アフガニスタンの広大な大地を縦横無尽にスニーキングしまくるらしいのである。この後アフガニスタン以外の舞台があるのかどうかは分からないが。システムや雰囲気は『MGSV:GZ』とそれほど変わらないのだが、閉鎖空間で逃げ場のなかった『MGSV:GZ』よりは難易度が抑えられている。しかし今回の『MGSV:TPP』では敵兵などをフルトン回収したり、基地となるマザーベースでの開発・拡張、さらにオンラインでのプレイなどの要素が盛り込まれている。

まあ個人的にはオンラインはやらないし、シミュレーション要素の強そうなマザーベースの拡張もイマイチ興味が湧かない。だが最初面倒に思えていたフルトン回収、これが妙にハマる。フルトン回収というのは敵を拉致して基地に送り込むもので、拉致した敵は仲間として武器その他の研究開発を推進してもらうのである。これにより武器装備がレベルアップする、という訳だ。

実はオレ、『MGS』の基本プレイスタイルであるスニーキングミッションというのが大の苦手で、諸手を挙げてシリーズのファンというほどではなかった。しかし今回の『MGSV:TPP』は小火器が最初から使い勝手が良く、別にスニーキングしなくてもバリバリ敵を撃ち殺して武力制圧することも可能となっている。これは楽である。しかしフルトン回収しなければマザーベース要員を揃えることができない。つまり敵を倒さずにプレイする理由がきちんと存在するというわけなんだ。

まあなにしろヌルイ腕をしているオレなので、全てスニーキング/フルトン回収でプレイするのは無理なんだが、逆に「どの程度までスニーキングでやるのか?」が自分の判断となり、そのせめぎ合いの中でゲームを進める部分が面白いな。なお、以上はまだ殆ど最初の部分しかやっていないうえでの感想ということで。

さて、今回オレはこの『MGSV:TPP』をXboxOne版を買ってプレイしているんだが、最初のほうのステージでミッションクリアしたら、画面が真っ暗になってそのままゲームが進まなくなったんですよ。「あれ?」と思って2回ほど再プレイしてみてもダメで、「これってバグ?」と思って背筋が凍っちゃったんですよ。しかしもしやと思ってそれまで加入していなかった「Xboxゴールドメンバーシップ」に加入&課金したらその症状が無くなりましてね…。いや、パッケージに「Xboxゴールドメンバーシップ必須」とか書いてあったんだけど、オレはオンラインやらないから関係ないや、と思ってたらどうもこういうことなのかなあ。

それともうひとつ。今作ではコナミと小島監督との確執があれこれネットに書かれていて、「なんだかなあ」と思ってるんだけど、これから先どうなっちゃうんですかねえ。少なくとも今のコナミじゃもうこういったゲーム出さなそうな気がするんだけどなあ。ある意味世界レベルで通用する名作シリーズなだけに、物凄くモニョモニョするよねえ。

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■『Evolve』は怪獣になってのっしのっし歩き回るのが気持ちイイ!!

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Xboxゴールドメンバーシップ」に加入したついでにDLした無料ゲームがこの『Evolve』(実際の所メンバーのみのDLなのかユーザー全員がDLできるのかは不明)。実はこの『Evolve』、リリース前から結構注目していたので無料で入手できたのは結構嬉しかった。ゲーム内容は未開の惑星を舞台にした人間のハンター4人と巨大モンスター1匹との戦いを中心としたアクション・シューティング。タイトルの「Evolve」というのは「Evolution=進化」の意味で、これはモンスター側が捕食を繰り返すことでより強力に進化してゆくゲームシステムを表している。

最初オンラインオンリーだと思って買ってなかったんだが(なにしろオンライン嫌いなんですよ)、実際やってみるときちんとソロプレイがあり、そしてこれが想像以上に面白かった。プレイヤーはハンター側、モンスター側どちらを選んでもいいのだが、チュートリアルでプレイしたモンスター側の操作がメッチャ楽しいのだ。なにしろ巨大なので、マップ内をのっしのっしと歩き回り、あらゆるものを破壊し踏み潰し、ちんまい敵のハンターどもを蹂躙しまくるのがとても爽快なんですよ。要するに怪獣になったような気分が味わえるんですね。

ただ敵ハンターもなかなか手強くて、これは「アサルト」「トラッパー」「メディック」「サポート」と役割分担があり、直接攻撃の他いやらしい罠は仕掛けてくるし、攻撃してHP減らしても回復係が元に戻しちゃうし、最初だからか結構苦戦した。しかしこの4人のハンターを追い詰め一人一人屠ってゆくのは実に快感でねー。

逆にハンター側でやってみると、神出鬼没なモンスターの居所を探り出したりするのがちょっと面倒だったかな。これもチームワークを覚えてゆけば面白くなってゆくのかもしれない。ハンター側のキャラはガチムチだのヒャッハー系だのがいて(もちろん美人キャラも)、これを選ぶのも楽しいね。

なにしろ1時間ぐらいやっただけなんだが、モンスターでのプレイ本当に面白かったわ―。これは意外とみっけもんかも。

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20150910(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージック 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックを含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックのブックマークコメント

◆新しい日の誕生 / 2 8 1 4

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映画『ブレードランナー』を思わせる勘違い日本語のネオンサインが瞬く高層ビル群をジャケット写真とし、アルバムタイトルが日本語で「新しい日の誕生」。収録曲も「新宿ゴールデン街」とか「ふわっと」とか「ヒアイ(悲哀)」とか日本語読みの曲名ばかりで、製作者はというと「T e l e P a t h テレパシー能力者」と「Hong Kong Express」のコラボ作品だということらしいが、結局日本人なのか日本製なのか皆目わからない。なんだかキワモノめいた感じであるが、しかし内容はというと、これが、いい。非常にエモーショナルなアンビエント・サウンドで、「ヴェイパー・ウェイブ」と呼ばれるサウンド・ジャンルの一つでもあるらしい。確かに都市生活の悲哀や孤独を感じさせると同時に、未来的であり、どこか夢見る様な美しさも兼ね備えてる。それが都市のネオンの毒々しい輝きなのか、ひと時の愛の安らぎなのか、それは分からないけれども、少なくとも、密やかな希望がその曲調から感じることができる。これらがアルバムジャケット、曲タイトルなどのトータルなイメージも動員させながら静かに心に沁みいってくるのだ。得体こそ知れないが、これは名作なのではないか。特に7曲目「テレパシー」の夜明けの様な爽やかな穏やかさ、そしてラスト8曲目の13分にのぼるトラック「新しい日の誕生」のたゆたう水面を想像させるSEと寄せては返す音の煌めきはどこまでも心を開放させてくれる。今回のゲキ推し。なおAmazonだと600円。 《試聴》

◆Fabric 83: Joris Voorn / Joris Voorn

Fabric 83: Joris Voorn

Fabric 83: Joris Voorn

Fabricの83番は既にベテランDJとして認知されているJoris Voorn。アルバムの曲数は20曲となっているが、実は55曲ものトラックを時には5曲同時にミックスしてみせるなどして製作された超絶ミックスアルバム。Joris Voornによってレイヤリングされたこれらのトラックは既に彼によってインスパイアされた別のトラックとして生まれ変わっている。そしてそのどれもがJoris Voorn独特の曙光のような美しさを湛えているのだ。Fabric作品としても完成度が高く、今回の一押しアルバムとしてお勧めしたい。 《試聴》

◆L'etreinte Imaginaire / Auscultation

L'étreinte Imaginaire

L'étreinte Imaginaire

まるで昭和歌謡の様なジャケットで一瞬驚かされるアルバムだが、これはアメリカ西海岸を拠点にするインディ・ハウス・レーベル「100%Silk」からリリースされたAuscultationのニューアルバム。AuscultationはGolden DonnaことシンセシストのJoel Shanahanによる別プロジェクトであるらしい。全体的にメランコリックで心安らぐようなアンビエント・ハウスを聴くことができる。これもよく聴いたなあ。 《試聴》

◆Cocoon Compilation O / Various Artists

Cocoon Compilation O

Cocoon Compilation O

SVEN VATH総裁により率いられるミニマル/テックハウス・レーベルCocoon Recordingsによる最新コンピレーション。オレはCocoonみたいな分かりやすい流行りもののテックハウスも結構好きで、このコンピもお気に入りの一枚だ。 《試聴》

◆orphaned deejay selek 2006-2008 / AFX

リリースラッシュの続くエイフェックス・ツインことリチャード・D・ジェームスがまたもやリリースしたのはもう一つの別名ユニットAFXのニューアルバム。時代も流行も関係ないさ!という我が道を行ってるAFX流変態アシッド。 《試聴》

◆Neither/Neither (Bleep digital bonus track edition) / The Black Dog

NEITHER/NEITHER

NEITHER/NEITHER

UKテクノの御意見番The Black Dogのニューアルバムは16曲55分の短く不穏なアンビエント曲が連なる。個人的にはフロアな作品が聴きたかったが。 《試聴》

◆Nyanza (Bleep Exclusive Version) / Owiny Sigoma Band

ケニア・UK混成バンドOwiny Sigoma Bandの作る曲はいわば打ち込みアフリカン・サウンド。オーガニックなリズム&メロディとテクノのマシーン・サウンドが混然一体となった面白アルバム。 《試聴》

◆Kompakt: Total 15 / Various Artists

KOMPAKT TOTAL 15

KOMPAKT TOTAL 15

恒例、ドイツ・ケルンのKompaktレーベルコンピレーション「Total」シリーズの15番目、CD2枚組全24曲。Kompaktはもうテクノとかハウスとかいうよりもスタンダードなポップ・ミュージックですらあるよなあ。アブナイ所は全然ないが聴きやすいセンスはしていると思う。 《試聴》

◆CMYK / Atom TM

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この間聴いたAtom TMのシングルがとてもよかったのでこの最新アルバムも聴いてみたが、なんとこれが全30曲によるAtom TM流音楽玉手箱といった内容で、電子音楽のみならず実験的なサウンド・コラージュがわんさか詰め込まれ、テクノとかダンス・ミュージックというものでは全然無くてびっくらこいた。なかにはサマンサ・フォックスの「Touch Me(I Want Your Body)」やマイケル・センベロの「Maniac」のマリンバ・バージョンだのも収録されており、もう訳が分からない。 《試聴》

◆Moha / Deepbass

Moha

Moha

Soma RecordsからリリースされたDeepbassによるニューシングル。ベース・ミュージック風味のミニマル・テクノ《試聴》

◆Persuasion / Blondes

Persuasion

Persuasion

NYアンダーグラウンド・レーベルRVNG Intからリリースされたシンセ・デュオBlondesのニューシングル。 《試聴》

◆Scatter / Detboi

Scatter

Scatter

ロンドンのレーベルKeysoundからリリースされたDetboiのシングル。ベースミュージック/ブレイクビーツ《試聴》

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20150909(Wed)

[]本日はアダム・サンドラーアクシャイ・クマールの誕生日である。あ、あとオレも。 本日はアダム・サンドラー、アクシャイ・クマールの誕生日である。あ、あとオレも。を含むブックマーク 本日はアダム・サンドラー、アクシャイ・クマールの誕生日である。あ、あとオレも。のブックマークコメント

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アメリカの映画俳優アダム・サンドラー。コメディ映画を中心に出演し、日本での知名度はイマイチだが、アメリカでは相当の人気を誇っている俳優だ。『50回目のファースト・キス』や『再会の街で』が代表作となるのだろうが、個人的には『リトル★ニッキー』や『エージェント・ゾーハン』あたりが好きだ。今年公開予定の『ピクセル』という映画は結構楽しみにしている。なんだかヌボーッとした顔つきと、全体的にヌボーッとした体形が特徴的で、「面倒見のよさそうなアンチャン」といった風情が好感度高い。このアダム・サンドラ―は1966年の9月9日生まれであり、今日で49歳になる。お誕生日おめでとうございます。

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アクシャイ・クマールはインドの人気俳優で、コメディからアクションまで幅広くこなし、主演作品はどれもヒットを飛ばしている。オレが劇場で初めて観たインド映画は『チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ』という作品だったが、これの主演がアクシャイだった。その後よくインド映画を観るようになってからは、観る映画観る映画どれもアクシャイ主演だったりしたことさえあったが、その中で好きな作品というと『Rowdy Rathore』とか『Special 26』 あたりかな。『Housefull』シリーズもいいよね。なんだかヌボーッとした顔つきと、全体的にヌボーッとした体形が特徴的で、なんとなくアダム・サンドラーに似ていないことも無い。彼は1967年9月9日生まれで、今日で48歳になる。お誕生日おめでとうございます。

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さて、ハリウッド、ボリウッドの有名俳優二人と同じ、9月9日が誕生日の男がここにもう一人いる。かくいうこのオレである。このブログでは"Globalhead"とかいうIDで10年以上なにやらゴニョゴニョとやっており、Twitterでは"銀河暗黒皇帝"とかいう恥ずかしいニックネームでどうでもいいことをムニャムニャと呟いているオッサンである。なんだか「ドテッ」とした顔つきと、どうにも「ドテッ」とした体形がまるでぬいぐるみのクマさんのようだと一部で大人気…ということの全く無いつまらない老害である。アダム・サンドラーだのアクシャイ・クマールだの、誕生日が同じ以外全く何の関係も無い有名俳優の名前を出したのは、単に"ハク"をつけたかったからだけである。路傍のドクダミのようにいやらしくつまらなく生きるオレの如き人間は、こうして虎の威を借りて自分を大きく見せること以外人として誇ることがなにもないのである。侘しい人生なんだ、このぐらい許してくれ。

とまあこれらは例によっていつもの戯言である。ここから先も戯言といえば戯言なんだが、ええっと、本日このワタクシメ、53歳の誕生日を迎えたらしい。「らしい」もなにも、確かに迎えているのだが、なんかこう、正々堂々と言えない、なんかもにょっ…とした後ろ暗さがある。なぜもにょっているのかというと、53にもなって今更ブログにお誕生日です、とか書くのも気恥ずかしいのである。そもそも53になってこんなブログやってること自体恥ずかしいがな。なんかこー、53ともなれば、他にやることあんだろ、とも思うのである。世界情勢に憂いたり国内政治に舌鋒鋭い一言を投げかけたりするのが53歳のデキル男なのではないか。…とか書いてみたが、んー、ないな。そもそもデキル男であろうと思った試しが一遍も無いもんな。むしろできなくて何が悪いんだと居直ってるもんな。それ以前に、オレは誰からもそんなもん期待されてないしな。

なんだかグダグダ書いているが、53歳の誕生日だからといって実の所書くことなど何もないので適当なことを書き散らかしているだけの話である。いやーそれにしても53かあ。50過ぎてから年々ただひたすら老いさらばえ弱り切り体が言うこと効かなくなってきただけだなあ。昔は病院いらずの体してたが今年なんてもう3回ぐらい病院行って薬貰ったりしてるなあ。昔はちょっと調子悪くてもなんとかなるだろ、と思えていたものが、この頃はちょっと調子悪くなっただけでも何か重篤な病気なのだろうか…と小鹿のように怯える小心者に成り果ててしまっているのである。いやねえ、もう何があってもおかしくない年なんですよ。体も無理効かないし、すぐ疲れるし、なんかもう老人のような心と体なんですよ。以前と比べたら早く寝てしまうし酒も食も減りましたよ。体重は減りませんけどね。

そんなんなんで、最近はできるだけ年寄りのふりしてます。実際年寄りなんだけど。若いもんと同じことなんかできやしません。近頃の楽しみは昔は結構若さにまかせて元気いっぱいだったりヤンチャしてた連中が年取ってどんどんと年寄りに近づいてゆくのを眺め「ぐひひ、お前らもわしと同じようにどんどん衰えてゆくのじゃ、さあはようわしの仲間になれ」と心の中でいやらしく呟くことですね。誰も彼も結局否応なしに老化してゆくのを見るのは本当に楽しいですね。なんかちょっと性格歪んでますかね。これでも結構丸くなったんですけどね。丸くなった、というか衰え切ってぐうの音も出ない、というのがホントなんですけどね。

とまあ相変わらず論旨も何もなくダラダラ書いてたら疲れてきたのでこの辺で止める。いわゆる投げっぱなし、というヤツである。斯様に頭も体も弱ってきたオレではあるが、もう10年の付き合いになる相方さんにはあんまり迷惑も心配もかけたくないから、できるだけ健康にはしていたい。これからも一緒に美味しいご飯を食べたり美味しいお酒を飲んだりしていたい。そしてたまに、一緒にカピバラを見に行きたい。いつもカピバラは近場でばかり見ているから、今度はちょっと遠くの遊園地まで遠出してみたい。53になりましたが、オレの夢とか希望はそれだけです。

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20150908(Tue)

[]デップ―2作読んだ / 『デッドプールv.s.カーネージ』『アイデンティティ・ウォー:デッドプール/スパイダーマン/ハルク』 デップ―2作読んだ / 『デッドプールv.s.カーネージ』『アイデンティティ・ウォー:デッドプール/スパイダーマン/ハルク』を含むブックマーク デップ―2作読んだ / 『デッドプールv.s.カーネージ』『アイデンティティ・ウォー:デッドプール/スパイダーマン/ハルク』のブックマークコメント

デッドプールv.s.カーネージ / カレン・バン, サルバ・エスピン他

デッドプールVS.カーネイジ (ShoPro Books)

いまやマーベル・ユニバースきっての人気者になった“饒舌な傭兵"デッドプール。今度のお相手はカーネイジ……スパイダーマンから生まれたヴェノムから、さらに生まれた“最悪のスパイダーマン"である。殺戮を繰り返すカーネイジがデッドプールと出会い、血を血で洗う凄惨な戦いが始まった。デッドプールがカーネイジの口に手榴弾を突っ込んだかと思うと、カーネイジはデッドプールをバラバラに引き裂く……。常軌を逸した真紅の2狂の凶演、果たして勝利はどちらの手に……!?

アメコミは詳しくないがデップ―だけはなんだか好きで、翻訳が出たら読んでいる。なにしろ詳しくない人間なんで「デッドプール」じゃなくて「デップ―」などと通っぽく言うのすらドキドキしているが。さて『デッドプールv.s.カーネージ』なんだが、実はこの「カーネージ」、なんとなく姿かたちは見たことがあるのだけれども、「ヴェノム」とどう違うのか、オレは全然知らなかった、分かっていなかったのである。「スパイダーマンの悪い奴バージョン」程度の認識でしかなかったのである。例えば映画『スパイダーマン3』に出てきたのはカーネイジですかヴェノムですか?と尋ねられたら「え?」とか言ってしばらくもにょった挙句『アメージング・スパイダーマン』はそんなに悪い映画じゃ無かったっすよねえ、などと話を逸らそうとするであろう(今調べたらヴェノムだった。いや、そうじゃないかと思ってたんだけどさ!)。そんなアメコミに無学なオレではあるが、この『デッドプールv.s.カーネージ』では別紙でその辺の丁寧な解説が付けられていて大変勉強になった。人間何事も精進である(全然関係ないが今「しょうじん」を変換しようとして「小人」が出てきて「オレに限って言えば人間何事も小人なのか…」と諦め混じりで思ったりした)。でまあ話が逸れまくっているが『デッドプールv.s.カーネージ』である。カーネージの登場するコミック自体初めて読むが、物凄く残虐なヤツである。あっちでもこっちでも殺しまくりで紙面は血の海である。おまけになんだか『寄生獣』みたいな変形をするし、全体的にグロい展開を見せてくれる。これは非常に喜ばしい。しかもこのカーネージ、どうやら不死身なのらしい。対するデップ―も不死身キャラなので、不死身同士の戦いがどこに収め所を見つけるのが興味の湧く話である。デップ―のとったあっと驚く最後の戦略もなかなかいい。ただ、カーネイジのパートナーとして登場する女ヴィランがなんだかパッとしないのがちょっと残念である。デップ―は例によって軽口叩きまくってて頼もしかった。

■アイデンティティ・ウォー:デッドプール/スパイダーマン/ハルク ジョン・レイマン, リー・ガーベット他, 高木亮

アイデンティティ・ウォー:デッドプール/スパイダーマン/ハルク (ShoPro Books)

研究所の爆発でパラレルワールドに放り込まれたデッドプールスパイダーマン、ハルク。3人がそこで出会ったのは……? 億万長者のプレイボーイで、世界最強のスーパーヒーローとなったスパイダーマン、だがその裏には、恐るべき欲望が潜んでいた……! そしてデッドプールはドクター・ドゥームの鉄仮面をかぶり、“デス・マスク”と名乗ることに。さらにブルース・バナーはドクター・ストレンジとして、地獄から来たハルクと戦おうとしていた……。『アイデンティティ・ウォーズ』としてまとめられたマーベルの個性派3ヒーローのアニュアルを収録! 

デッドプールスパイダーマンとハルクがパラレルワールドに飛ばされ、そこで各々のちょっと違った姿の分身と出会いあれこれの事件が巻き起こる、という物語である。他にも「ちょっと違った姿のヴィラン」とかが現れるが、オレはこの辺詳しくないんであんまり言及しない。物語は3部構成で、それぞれにスーパーヒーロー3方が中心となって活躍する物語が描かれる。さてスーパーヒーロー3方登場!というと例の『アベンジャーズ』みたいなお得感があるかもしれないが、個人的にはスパイダーマンもハルクもデップ―ほど興味無いので、「デップ―のコミック」を読みたかったオレとしては少々物足りなく感じてしまった事は告白しておく。あと、たいしてアメコミを読んでいないオレなのにもかかわらず、その少ない作品に妙に「パラレルワールドもの」が多く感じてしまい、なんだか新鮮味が感じなかった。まあこの辺はマーベル・ユニバース(だっけ?)の展開がパラレル・ワールド込みで成立しているらしいので(だよね…?知識が無いので断言できないんっすよ)アメコミ読者にとっては「普通だろ」ということなんだろうなあ。だからコアなアメコミ・ファンのほうがより楽しめる物語ってことかもしれない。ただ、マントした別世界のスパイダーマンや角のの生えた橙色の地獄のハルクとかは面白かったですよ。

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20150907(Mon)

[][]世界ダンス・トーナメントに賭ける若者たちのドラマ〜映画『ABCD2』 世界ダンス・トーナメントに賭ける若者たちのドラマ〜映画『ABCD2』を含むブックマーク 世界ダンス・トーナメントに賭ける若者たちのドラマ〜映画『ABCD2』のブックマークコメント

■ABCD2 (監督:レモ・デスーザ 2015年インド映画)

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ダンス・トーナメントに青春を賭ける若者たちを描いた作品、2015年インド公開作『ABCD2』です。この作品は2013年に公開された『ABCD - Any Body Can Dance』(レヴュー)の続編となりますが、物語的には直接の繋がりはありません。主演は『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』、『Badlapur』の若手インド男優ヴァルン・ダワン、そしてインド屈指の名コレオグラファーであり監督業でも定評のあるプラブーデーヴァ。ヒロインに最近日本でも『愛するがゆえに(Aashiqui 2)』が公開されたシュラッダー・カプール。監督は前作に引き続きレモ・デスーザ。映画館では3Dで公開されたようですね。後この作品、ディズニー映画の配給になっていています。

《物語》ヒップホップ・ダンス・チームを率いるスレーシュ(ヴァルン・ダワン)はTVのダンス大会で振り付けが盗作であることを見透かされ、街中から侮蔑の声を浴びていた。己の浅はかさを恥じたスレーシュは初心に帰ってダンスに再挑戦することを誓い、ラスベガスで開催される世界ダンス大会での優勝を目指すことにした。スレーシュは彼の働く酒場で抜群のダンスを踊る男ヴィシュヌ(プラブーデーヴァ)に振付師を依頼し、最初は拒みつつもヴィシュヌはそれを受け入れた。新しいメンバーが揃い、練習も順調に進み、そして見事予選を勝ち抜きラスベガス行の決定したダンス・チームだったが、ヴィシュヌは周囲に隠れて不可解な行動を取り始めた。

ダンス・トーナメントを描く作品ですから、当然その中心となるのはそこで演じられるダンス・シーンの魅力です。オープニング・タイトルで演じられる暗闇で発光する衣装でのダンス・シーンから既にわくわくさせられて、ダンス・シーンへの期待が大いに膨らみます。併せて、ダンス・トーナメントという物語の枠組みは、主人公らのチームがどのような強豪と出会いながら試合を勝ち進んでゆくのか固唾を飲んで注目させることとなるんですね。いわゆる「負け犬の再起を賭けた戦い」というのは定石ともいえる物語運びですが、十分熱気をもってお話を盛り上げてゆくんですね。

ただしドラマ展開は少々薄いです。これは前作で「仲間同士の対立」「恋の駆け引き」「親の反対」といったドラマをやり尽してしまったので、それを再度持ち込むことができなかったというのもあるでしょう。確かにそれ以外の新機軸としてのドラマの流れは幾つか用意されますが、それによりドラマ性が増しているということもありません。言ってしまえば「とりあえずストーリーがなければ映画にならないので盛り込んだ」程度のものでしかないんですよ。

しかし観ているこちらとしてもとことんダンス・シーンを堪能したいという期待があるものですから、余計なドラマで気をそらせられることがなくて、逆にそれはそれでよかったりするんですね。次々と繰り広げられるダンス・シーン、そのステージの煌びやかさ、若々しいチーム・メンバーの友情と笑顔、眩いばかりの電飾に彩られたラスベガスの光景、こういったものが映画の中にみっちり詰まることで、とても幸福感に溢れた作品になっているんですよ。そこに余計な翳りや悲哀など持ち込んでほしくないほどです。こういった「多幸感に特化した映画」というのはインド映画独特のものでしょう。

それにしても、なんといったってダンス・シーンです。こういった物語では、結局最後に最高のダンス・シーンが演じられるわけですから、冒頭から徐々にレベルを上げてゆくような見せ方になるものなのですが、この作品ではそんなみみっちいことなど全くせず、もう最初っからガンガン素晴らしいダンスを見せちゃってるところが凄いんです。もうオレ、あんまり凄すぎて、なんだかゲラゲラ笑ってしまったぐらいでした。要するに、緩急の違いこそあれ、全編高いレベルのダンス・シーンしかない、という作りなんですよ。これではもう「トーナメントを勝ち進んでゆく」どころか、最初っから最高のチームでしかないんですよ。だからドラマは希薄なのにも関わらず、とことんダンスが素晴らしいという点において優れた作品だということができるんですよ。

そしてこの物語を引き締めることとなったのは、なんといっても主演のヴァルン・ダワンでしょう。有名人気俳優を主演に配することで、作品が華のあるものになっているんですね。そしてドラマ性が希薄だとしても、ヴァルン・ダワンの存在感が映画を映画らしく見せ、説得力のあるものにしているのですよ。作品内で踊るダンサーたちは多分殆どが本職の方たちなのでしょうが、彼らにスキルの面で劣るとしても、映画の「顔」として映えているといった点で、ダンス・シーンを遥かに魅力のあるものにしているんですね。一方プラブーデーヴァは相変わらずの踊りの巧さを見せ、そしてヒロインを演じるシュラッダー・カプールも十分にキュートでしたね。

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20150904(Fri)

[][]カンガナー・ラーナーウトが一人二役を演じる"軽やかに描かれた泥沼の結婚生活"〜映画『Tanu Weds Manu Returns』 カンガナー・ラーナーウトが一人二役を演じる"軽やかに描かれた泥沼の結婚生活"〜映画『Tanu Weds Manu Returns』を含むブックマーク カンガナー・ラーナーウトが一人二役を演じる"軽やかに描かれた泥沼の結婚生活"〜映画『Tanu Weds Manu Returns』のブックマークコメント

■Tanu Weds Manu Returns (監督:アーナンド・L・ラーイ 2015年インド映画)

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〇水と油な夫婦のその後を描く続編

前作『Tanu Weds Manu』で困難を乗り越えて結婚に漕ぎ着けたタンヌーとマンヌーのその後を描く続編です。もとから水と油だった性格の二人、いざ結婚生活を営んでみるとやっぱり相性が悪かった!というトホホな状況から始まり、冷え切った関係から離婚を意識するようになり、マンヌーは別の女性との恋へ、タンヌーは昔の恋人に走ってゆくんです。うわあ、きっついお話になりそうだなあ!と思われるかもしれませんが、これが絶妙なバランスでコメディとして成立しているところに凄みのある作品なんですね。主演は前作から引き続きマーダヴァンとカンガナー・ラーナーウト、脇を固める面子も全員続投する正真正銘の続編となっています。さらにこの物語、カンガナー・ラーナーウトがマンヌーの妻とマンヌーの新しい恋人との二役を演じる、という部分が見所になっているんですね。

《物語》あれから4年後。幸福な筈だったタンヌー(カンガナー・ラーナーウト)とマンヌー(マーダヴァン)の結婚生活は暗礁に乗り上げ、醜い口論の挙句激高したマンヌーは精神病院に入れられてしまう。タンヌーはインドの故郷に帰り、かつての恋人ラージャー(ジミー・シャーギル)と会うなどして過ごしていた。一方精神病院を出たマンヌーもインドの故郷に帰るが、仕事である医療関係のスピーチをした大学で妻そっくりの女子学生ダットー(カンガナー・ラーナーウト二役)と出会い、彼女を見初めてしまう。最初はいぶかしく思っていたダットーも次第にタンヌーにうちとけ、二人は結婚を考えるようになる。ダットーの兄は二人の関係を了承したが、かつてダットーに結婚を迫ったある男の写真を見せる。それはなんと…。一方、タンヌーは夫が他の女性と交際していることを知り、彼の元に乗り込んでゆく。

〇顔が妻にそっくりの女性に恋をした?

いやー、泥沼ですね。冷め切った夫婦関係、離婚の危機、妻により精神病院に入れられた夫、昔の恋人と会い他の男にもちょっかいを出す妻、他の女性に思いを寄せる夫、しかもその女性というのが妻そっくり、さらにその女性のかつての交際相手が相当のワケアリ。これが泥沼でなくてなんでしょうか。しかし描かれ方は決して生臭いものじゃないんですね。この映画を一言で言い表すなら、【軽やかに描かれた泥沼】と言えるかもしれません。よく考えると泥沼の状況なのですが、決してドロドロしてたり重かったりしないんです。逆に、例えどんなロマンチックな状況であろうとも、よくよく考えると泥沼でしかないんですよ。自分は男女のドロドロの泥沼を描いた物語って興味はないし苦手なんですが、にもかかわらずこの映画が面白く観られたのはそんな部分からでしょう。この物語における泥沼の状況はある意味「特異な状況を生み出すために作られた仮構」であって、現実的なものではないんです。だから面白く観られるんですね。

そもそも、妻といがみ合い、離婚まで考えている夫が、「妻に顔がそっくりの女性」を、妻そっくりであるからこそ愛してしまう、というのは考えてみれば奇妙な話ですよね。「妻に顔がそっくり」であると同時に、「妻にはない聡明な内面」を持っているこの女性を愛するということは、「結婚している現実の妻の理想の姿」をそこに見出したからでしょうか。それはつまり、本当は「心の奥底では妻を愛している」からなのでしょうか。しかし、物語の中で夫マンヌーは妻タンヌーを心底憎み絶望し、まともに会話しようとすらしません。この二人の結婚生活に修復する余地があるなんて全く思えないんです。それに現実的に考えるなら「妻に顔がそっくり」だから別の女性を愛する男、というのは随分と倒錯しているように思えます。では「妻に顔がそっくりの女性」というのは何かというといわゆる物語上のフックである、つまり「特異な状況を生み出すために作られた仮構」である、ということが考えられるんですね。

逆に、これが「妻にそっくり」でもなんでもないんなら、単なる「結婚しているにも関わらず別の女性を愛した男」ということにしかならないんですよ。それだと本当に物語が生臭くなってしまいますよね。だからこそ、「妻に顔がそっくりの女性」を持ち出すことで、「仮構」としての物語の面白さが引き立ってくるというわけなんですよ。「そっくりさん登場」というシチュエーションは手軽に面白さを引き出せるのと同時に安易な方法でもあるのですが、この『Tanu Weds Manu Returns』では練りに練ったシナリオでその方法を徹底的に生かすことに成功しているんですね。これはさすがだと思わされました。

〇一人二役を演じるカンガナー・ラーナーウトの素晴らしさ

そして、「妻」と「妻にそっくりの女性」はカンガナー・ラーナーウトという一人の女優によって演じられるのですが、これがまた物語の面白さを倍化させているんです。同じ顔つきながらキャラクターの違う二人の女性をどう演じ分けて見せてくれるのか、それがこの映画を観る醍醐味のひとつともなります。そしてこれがもう最高に素晴らしい演じ分けをしているんですよ。タンヌーはロングのカーリーヘアで妖艶なメイクを施し、いつも都会的な洋服をまとい、成熟した女性の雰囲気を漂わせ、ある意味非常に女性的な性格をしています。一方ダットーはショートヘアにスッピン、着ている服は庶民的、学生という年齢設定から性格は若々しく素直であり、アスリートである部分で体育会系的な男性ぽさをかもしだしています。多分喋り方にも独特の方言があるように感じます。こういった正反対のキャラクターなものですから、同じ顔つきとはいえまるで別人に見えるんです。これらを演じ分けたカンガナー・ラーナーウトの演技の底力にうならされること必至でしょう。

物語は、「新しい恋人」と出会うことで人生をもう一度やり直そうとしている男マンヌーが、それを知り逆に夫への愛に気づいてしまったタンヌーとの愁嘆場へとなだれこんでゆきます。まあいわゆる腐れ縁と三角関係・四角関係の物語となるのですが、実のところ映画の流れを見ていても、「新しい恋人」ダットーのほうが全然いいんですよ。オレだったらもうどう考えたってダットー一択ですよ!なにしろねえ、ショートカットのカンガナーがキュート過ぎるんですよ!ぶっちゃけ惚れましたよ!映画ではマンヌーの心に揺らぎがあるのか?ないのか?といった具合に描かれてゆき、結構じれったさを覚えるのですが、意外とこのじれったさがまた物語を面白くしているんです。細かい部分での感情の動きが絶妙なんですね。まあくどいようですがオレだったら揺らがないけどね!こんな具合に最後までハラハラさせられるこの物語、有り得ないような状況の中で愛の不思議さを複雑な妙味で描き出し、2015年前半のインド映画とインド映画主演女優の最大の収穫となっているのは鉄板で間違いないでしょう。前作と併せて鑑賞することをお勧めします!!

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20150903(Thu)

[][]惚れた女性はビッチでガサツでガラッパチ!?〜映画『Tanu Weds Manu』 惚れた女性はビッチでガサツでガラッパチ!?〜映画『Tanu Weds Manu』を含むブックマーク 惚れた女性はビッチでガサツでガラッパチ!?〜映画『Tanu Weds Manu』のブックマークコメント

■Tanu Weds Manu (監督:アーナンド・L・ラーイ 2011年インド映画)

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お見合いで一目惚れした相手は、実はビッチでガサツでおまけに恋人までいるとんでもない女だった!?という2011年公開のロマンチック・コメディです。ビッチなヒロインに『Queen』のカンガナー・ラーナーウト(ヒューヒュー!)、彼女に振り回されて大弱りの男性をマーダヴァンが演じております。実はこの作品、2015年に続編『Tanu Weds Manu Returns』が公開されており、この続編が観たくて最初に正編を観てみることにしたんです。

《物語》ロンドンで医者を務めるマンヌー(マーダヴァン)は両親の希望でインドに帰国し見合いをすることになった。彼は相手の女性タンヌー(カンガナー・ラーナーウト)と結婚を決めるが、しかし彼女はガラッパチな性格の上に酒タバコは当たり前、彼氏の名前の刺青までしており、さらにその彼氏と結婚するからあんたとは無理だね!と言い放つ。一度は結婚をキャンセルしたマンヌーだったが、しかしタンヌーの破天荒さにすっかり魅せられ、想いをつのらせてゆく。そうしているうちにもタンヌーはボーイフレンドのラージャー(ジミー・シェールギル)と婚姻届を出しに行くことになり、マンヌーはその証人として立ち会う破目になってしまうのだが…。

地道な人生を歩み物静かで落ち着いた男であるマンヌーと、自由闊達でいつも常識はずれの行動ばかりとる女タンヌー。知的で品行方正なマンヌーと、ガサツで直情的なタンヌー。こんな水と油みたいに相反する性格の二人が、果たして恋に落ちるのか?というのがこの物語です。確かに男女というのは、相手に自分に無いものを見出すことによって恋愛に発展するということもあるのですが、しかしこの二人、傍から見ていても相性がいいとは全然思えないんだよなあ…。しかしこの作品ではまるで力技のように二人を引き合わせる物語を展開しようとします。なにしろマンヌーは地道なだけあって倦まず弛まずタンヌーに接し、そしてタンヌーは面白味のない男と分かっていつつ、そんな彼の誠実さにふと心を奪われたりするのです。いやあ、男女の仲って理屈じゃない不思議さがありますからねえ…。

こうした、「恋愛ドラマの定石」を徹底的に外そうとしているところにこの物語の面白さがあります。そして同時に、この作品は「ヒロインの定石」をも徹底的に壊しているんですよ。ヒロインとなるタンヌーは通常のインド映画のヒロインとしてはまず考えられないような奔放な女性です。酒タバコは当たり前、性格は常識外れを通り越してもはや支離滅裂、態度はガサツでガラッパチ、ちょっとヤクザな彼氏がいるうえに、その彼氏の名前のタトゥーまで彫っている始末。破天荒という言葉そのままの女性なんですよ。しかしふと考えてみると、これは”男の願望”に縛られないリアルで自分らしく生きる女性の姿であり、それを極端な形で演じて見せた、ということなんですね。そういった極端さを提示することで、この物語はフィクションという”仮構”ならではの面白さを醸し出します。

そしてそんな女性がインド映画に登場してしまう、というのがなにしろ新しく、画期的に思える作品でもあります。この役柄に全く違和感のないカンガナー・ラーナーウトの演技は拍手喝采ものといえるでしょう。一方、マンヌーはどうでしょう。彼はボーイフレンドとの結婚に決まったマンヌーへ、それが不可能な恋と知りつつ付き従ってゆきます。マンヌーとボーイフレンドが結婚登記所に結婚届を出す際に証人になったり、結婚式の衣装選びにつきあったりしているんです。なんだか信じられないようなお人よしですが、「想いの叶わなかった相手の結婚を手伝う」というのはインドではよくあるようで、例えば映画『Raanjhanaa』(レビュー)でもそういった展開を見ることができます。例え想いが叶わなくとも一度惚れた相手には誠心誠意尽くす。そんなマンヌーの態度に、タンヌーは徐々に惹かれてゆくのです。

という訳で山あり谷ありの展開の果てに大団円を迎えるこの物語なんですが、マンヌーとタンヌーの二人はどうしたって水と油、本当に大丈夫なのかなこの二人?と疑問が沸きまくること必至なんですよね。そしてこの後の顛末は続編『Tanu Weds Manu Returns』で描かれることになるんですね。次回レビューします!

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20150902(Wed)

[]レーティングでいろいろ物議を醸している『Gears Of War Ultimate Edition』と『Until Dawn -惨劇の山荘-』をやった レーティングでいろいろ物議を醸している『Gears Of War Ultimate Edition』と『Until Dawn -惨劇の山荘-』をやったを含むブックマーク レーティングでいろいろ物議を醸している『Gears Of War Ultimate Edition』と『Until Dawn -惨劇の山荘-』をやったのブックマークコメント

■ガチムチ!脳筋!再び!〜『Gears Of War Ultimate Edition』 (Xbox One)

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かつてXbox360タイトルとして発売されていたサード・パーソン・シューティング『Gears of War』、結構好きなゲームでしたね。これまで3作シリーズ化されましたが、異星を舞台にゴリラとしか思えない体格をした脳筋野郎どもがチェーンソー付きアサルトライフルを抱えて敵の地底人を次々に血塗れの肉塊に変えてゆく、という非常に清々しいゲームでしたね。

で、この『Gears of War』がHDリマスターされ『Gears Of War Ultimate Edition』というタイトルでXbox Oneに移植されたんですが、残虐シーンがレーティグに通らなくて日本での販売が見送られてしまった、というニュースが飛び込んできましてね。(「国内倫理適合を受ける修正が困難であるため国内発売を見送る」(Xbox Japan Blog))

実を言うとリマスター版にはそんなに興味が無くて(同じゲームを何度もやる趣味が無い)、購入は全然考えていなかったんですよ。しかし「残虐すぎて日本販売中止」と聞いて俄然ヤル気が起き、輸入盤で北米バージョンを買ってしまいました!ゲーム内容やシステムはXbox360版と変わってないようなんですが、やっぱり1080p・60fpsで動くグラフィックは綺麗だし不気味な部分はさらに黒々と不気味でいいんですね。一回プレイしたことのあるゲームではありますが、知っているからこそサクサクプレイできて楽しい、というのもありますね。

で、問題の”残虐シーン”なんですが、ゲーム中ローカストと呼ばれる敵が銃で撃たれて体バラバラになり血塗れの肉塊となってその辺に転がる、なんて描写がそれに当たるんでしょうけど、昔っからこのテのTPSやらFPSやらやってきたモンとしてみてはまあ全然普通で、「これで?」って感じなんですよね。それにこの敵役って人間じゃねーだろ?とも思うんですよ。実際の所オレが「昔っからやってたこのテ」のゲームは、殆ど海外版のPCゲーで、日本語版としてレーティング受けたものと比較にはならないんですけどね。

そういえばXbox360の日本語版『Gears of War』はどうだったかというと、レーティングはCERO:Z、要するに18歳以上のみ対象にはなってて、実際の適応箇所はすっかり忘れちゃってるんで調べたところによると、「欠損箇所のある遺体の削除」「バラバラになった断面が見えないように黒く塗りつぶされている」という具合の事はしていたみたいなんですね。まあそれでも別に気にしてなかったしゲームも面白かったですけどね。今回のリマスター版日本販売中止は、オリジナルと同じような修正をしても通らなかったのかという疑問もあるのですが、それよりも、「日本じゃXbox Oneって全然売れてないし、わざわざコスト掛けて修正してもペイしない」ってのが本当の所なんじゃないですかね。こうして輸入盤で買っちゃえばプレイはできちゃうわけだし、それに一度プレイしたゲームだからローカライズしてなくても内容は知ってるし、全く問題ないんですけどね。

それと、以前もこういった「レーティング通らなくて日本未発売になったゲーム」を輸入盤で幾つかやったことがありますが、確かに残虐シーンこそあるにせよ「別に成人指定なら問題なくね?」と思いましたけどね。ホラー映画だと割とよくある残虐シーンなんですよ。これなんかは、なにかというと短絡的な思考回路しか持たない連中にゲームが引き合いに出されるから必要以上に神経過敏になっている、ということなんでしょうかね。

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■山荘といえば惨劇!〜『Until Dawn -惨劇の山荘-』 (PS4)

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惨劇といえば山荘、山荘といえば惨劇。雪山の山荘にやってきた数名のワカモノな男女が、得体の知れない存在に一人また一人と惨たらしく屠られてゆく!というのはホラーとしてはお馴染みのシチュエーションなんですが、これを多人数の視点で描き、プレイヤーの選択した行動により物語が変わってゆく(らしい)というゲーム、それが『Until Dawn -惨劇の山荘-』なんですな。この「行動によって変化してゆく物語」というのを「バタフライ・エフェクト」に例えているんですが、まあ要するに「風が吹けば桶屋が儲かる」というアレですな。映画のタイトルにもありましたが、割と人気作のようですけど、オレはあんまり好きじゃなかったなあ。

このゲーム、登場する複数のワカモノのキャラを代わる代わる切り替えてプレイすることになるんですが、このワカモノたちというのが大学の横文字サークルにでもいそうなとてーも軽い連中で、ホラー映画によく出て来る「とりあえず片っ端からなぶり殺されてゆくワカモノ」そのまんまなんですな。だからまるで感情移入する部分が無くって、さっさとみんなぶっ殺されてくれ、としか思えず、中盤まではかなり適当にプレイしてましたね。感情移入できる登場人物なら結構人間らしい真っ当な行動を選択してしまうオレですが、このゲームの場合はできるだけ諍いが起こり易く人間関係がギスギスし易い殺伐とした方向へ殺伐とした方向へと選択してましたよ。こういった黒い感情が湧いてくる部分が楽しかったな。

さてこのゲームで問題になっているのが規制された残虐シーンのその規制のされ方なんですが、ちょっとこちらを参考にされてください。

いわゆる残虐シーンのあるゲームでは上記『Gears Of War Ultimate Edition』で書いたみたいに「遺体の削除」や「切り株断面の塗りつぶし」、他にも血の色を黒とか緑にしてみたりとか、そもそも血飛沫・血糊自体無かったりするような修正が入るのですが、そういった修正の良し悪しは別としても、ただ「画面まっ黒」ってぇのは随分雑ですよねえ。もう少し工夫の仕方もあったんじゃないかな。あとこのシーン以外にも突然画面が真っ暗になるシーンもあったけどあれもそうなのか?

とはいえ、このシーンのある中盤からどんどんホラーらしく面白くなってくるのも確かで、「規制があるならやらない!」なんて短絡するのはちょっと勿体ない気がしますな。オレも最初こそ「ウェイウェイなワカモノなんぞ早くシネ」とか鼻糞ほじりながら思ってたのに、段々とワカモノたちの恐怖にシンクロさせられ、「怖いよう怖いよう死にたくないよう」と思い始めてくるのですよ。これは中盤からワカモノたちが分断され、二人ないし一人で行動しなければならなくなる、といった状況の変化があったからでしょう。

全体的にも、「短い時間でサクッとプレイできる」「面倒臭い操作が必要ない」「あんまり頭も反射神経も必要ない」という部分で、実はオレ向きのゲームであることも確かで、総じていうなら楽しんでプレイできたゲームですね。グラフィックもPS4ならではの作り込みで大変綺麗だし、きちんとホラーの雰囲気は押さえてありましたし、なにより金と手間かけて丁寧に作ってあるのは十分伝わってくるんですよ。規制あるってことを念頭に置いて買うんなら別にいいんじゃないですかね。ただQTEがオレ嫌いでねー、あれしくじったぐらいで分岐できちゃったりするもんですから、そこはさすがにイラッとさせられました。

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USA-PUSA-P 2015/09/02 23:41 表現規制ったら国産の『バイオ4』の頃から言われるようになったんでしたっけ? とりあえず『ゴッド・オブ・ウォー』や『GTA』みたいなマイルド表現になったのもあるし『ヘビー・レイン』みたいにシーン丸ごとカット、発売されなかった言ったら『DEAD SPACE』シリーズとかもそうですが、とりま、わざわざ制定してる筈のレーティングがあんまり意味無い感じになるのはどうかなぁ… と私も思います。いっそ、先日地上波で放送した『テッド』みたく、修正版を「大人になるまで待てないバージョン」とかシャレてもいいんじゃぁないのかなぁ、とか。

globalheadglobalhead 2015/09/03 09:08 USA-Pさんゲームも詳しかったんですか!?いやーオレ『GTA』も『ヘビー・レイン』もやってません。
個人的には残虐シーンなければ許せんってほどでもないんですが、「規制が酷い」と聞いたら海外版のほう買っちゃいますね。基本やるゲームはFPSかアクションなんで英語よく分かんなくてもできるし(あんだけ英語字幕インド映画観てる割に実は英語力からきし弱くて、よく分かってないくせに感想文書いてるというろくでもないことしてます)。
調べたところによるとレーティングが一番きついのはドイツみたいで(あそこ歴史的にいろいろありましたからねえ)、日本はまだ恵まれているのかもしれませんが、日本の場合ゲームってすぐある種の犯罪に結び付けられちゃって、そこが腹立つんですよねえ。なんかゾーニング以前に「”下等”な表現を思いっきり叩くのは正義」とか勘違いしてるのにうんざりさせられるんですよ。
今までやった日本未発売残虐ソフトで一番物凄かったのは3D化された『スプラッターハウス』ですかねえ。ぶっ殺した敵モンスターの血飛沫の量でスキルポイント溜めるんですが、おかげで画面はどこもかしこも血だらけ!まっかっか!残虐とかどうこう以前にあまりの馬鹿馬鹿しさに笑いながらプレイしてました。

berunoberuno 2015/09/04 05:36 こんにちは。GearsもUntil Dawnも両方遊び、同じような感想を抱いたゲーマーです。
テレビなどの自主規制もそうですが、ゲーム会社自体が自主的に厳しくしすぎて萎縮している感じがします。
ただ、ぶっちゃけどちらのゲームも、「あんまり売れなさそうだし、プログラムいじるのめんどくせーからこれでいいか」というのが
本音というか、コンシューマーゲーム業界の不景気さが浮き彫りになっていて寂しい限り。

日本未発売で残虐表現が取りざたされたゲームではロックスターの「マンハント」もかなり素敵です。
そこだけを取り上げられがちですがゲームとしても素晴らしいので機会があれば手にとっていただきたいです。

globalheadglobalhead 2015/09/04 09:38 コメントありがとうございます。過剰なレーティングに関しては皆さん同じ意見の方が多いようですね。しかしコメント欄にもありましたが、確かにXboxOneの『RYSE Son of Roma』なんて結構ゴア表現が多くて(楽しかった)、あれがいいのにこれが駄目なのはなんで?と思っちゃいますよね。まあ、ローンチだったから気合入れてたんだろうなあ。あの調子でやってもらいたかったんだがなあ。
ロックスターの『マンハント』!存在は知ってたんですが怖そうでやってなかったんですよ。自分のPS2はもう動かないのでSteamででも探してみようかな。

りーりー 2015/09/04 11:30 どうせ修正したとてもCERO Zでお前らもまた輸入盤買うだろうし本体設定を海外にして米デジタル版やるじゃんわざわざ修正しなくてもええやろ

てところじゃないでしょうかね?

globalheadglobalhead 2015/09/04 11:34 まさにその通りでしょう。

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20150901(Tue)

[]スイカ!とうもろこし!伊豆シャボテン公園カピバラ旅行・夏! スイカ!とうもろこし!伊豆シャボテン公園カピバラ旅行・夏!を含むブックマーク スイカ!とうもろこし!伊豆シャボテン公園カピバラ旅行・夏!のブックマークコメント

先日の日曜日は伊豆シャボテン公園へまたまたカピバラさんたちに会いに行って参りました。この日は生憎の雨で、帰りまで降ったり止んだりの天気でしたが、「カピと会えるんだ!」という心意気だけで一日乗り切ってきました!

まずはスーパービュー踊り子号で崎陽軒の中華弁当で腹ごしらえ。

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伊豆シャボに着くと早速カピの待つ"虹の広場"へ。すると、いました。例によって「ヌーン…」としています。

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この日はカピバラの「スイカ早食い対決」というのをやっていたんですよ。これは「 伊豆シャボテン公園、埼玉こども動物園、長崎バイオパーク、那須どうぶつ王国の4園国より選ばれしカピバラたちがスイカの早食い対決」(公式HP)というもので伊豆シャボからはケビン君が参加します。

「スイカはどこですか?」

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なぜか体重計に乗ってスイカを待つケビン君。

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「ねえまだなのお?」

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早食い対決開始!ケビン君、対決とかどうでもいい顔で好きなように食べてます。

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結果は「1位:那須どうぶつ王国 2位:長崎バイオパーク 3位:伊豆シャボテン公園 4位:埼玉県こども動物自然公園」(公式HP)だったとか。まあ、みんなスイカが食べられてよかったよかった。対決のあとはみんなそろって美味しくスイカをいただきました。

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そしてこの日は8月13日に生まれたばかりの3頭の赤ちゃんカピも普通にお披露目されていました。

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赤カピちゃんたちもおっかなびっくりスイカを食べていましたよ。

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「スイカ美味しいよ?」

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しかしこの後大事件が勃発!"虹の広場"で共同で飼われているアルパカなんですが、これがカピバラ父さんと相当仲が悪いらしい!しばらく睨み合いが続き、一触即発の緊張状態でした。こんなカピ初めて見たなあ。でもきっと家族を守ろうとしていたんでしょうね。

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お昼を回ったのでオレと相方さんもご飯にしました。オレはメキシカンランチ、相方さんはカピバラカレー。

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雨が本降りになってきて、カピたちも身を寄せ合って雨を避けています。オレと相方さんが雨宿りしていた自動販売機コーナーにはクモザルも雨宿りしに来ました。

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雨の中のクジャクと、雨にけぶる伊豆シャボ怪鳥象。

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ちょいと離れた場所にもうひとつカピバラの飼育場所がありました。3頭のオスカピがエサ欲しさにワラワラ集まってきます。

「葉っぱ食べさせなさいよ!」

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雨が少し収まった頃にもう一度"虹の広場"へ。なんと今度は「とうもろこし祭り」が開かれるのだとか。とうもろこし食べたさに列になって進むカピ!

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「とうもろこしって美味しいなあ」

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「そんなに美味しいなら私に食べさせなさい(ぱくっ)」

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「ぱくぱくぱく」

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「もうないのお?」

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この日は思う存分赤カピ3頭をいじることができてとても楽しかったです。雨の中「アニマルボートツアーズ」なんかにも乗っちゃってめちゃくちゃ濡れちゃいましたが、係員さんのガンバリがとってもよかったし、いい時に来たなあ、と相方さんととても満足してこの日は伊豆シャボを後にしました。

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「きゅうきゅう」

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「またあそぼ!」

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(おしまい)