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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20160129(Fri)

[]「自分は誰で、何に属するものなのか」という民族アイデンティティ〜映画『パプーシャの黒い瞳』 「自分は誰で、何に属するものなのか」という民族アイデンティティ〜映画『パプーシャの黒い瞳』を含むブックマーク 「自分は誰で、何に属するものなのか」という民族アイデンティティ〜映画『パプーシャの黒い瞳』のブックマークコメント

■パプーシャの黒い瞳 (監督:ヨアンナ・コス=クラウゼ/クシシュトフ・クラウゼ 2013年ポーランド映画)

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I.

「ジプシー」という言葉を初めて聞いたのはいつだったか、それは漫画や映画の中だったろうか。住む所を持たず、ヨーロッパの国々を馬車に乗って移動し、なにやら怪しげな風体で、かっぱらいや人さらいをすると怖れられ忌み嫌われ、そしてその中には必ず鉤鼻の占いババアがいて、神秘な予言を告げる、そんなステレオタイプなイメージがずっと頭の中にあった。いつしか彼らが、大昔北インドの住人だったものがヨーロッパへ流れてきた存在であること、本来はロマ族という民族であること(正確にはジプシー全てがロマ族ではない)、第2次世界大戦においてナチスドイツに大量虐殺されていたことなどを知るようになった。だがそれでも、本当のジプシーのことを、オレはよく知らない。

映画『パプーシャの黒い瞳』は、第2次世界大戦前後のポーランドを舞台にした、ひとりの実在したジプシー女性の生涯を追ったドラマである。彼女の名はブロニスワヴァ・ヴァイス(1910-1987)、愛称はパプーシャ(ヨヴィタ・ブドニク)。書き文字を持たないと言われるジプシーの一族に生まれながら、彼女は文字に興味を持ちそれを覚え、いつしか詩を書くようになっていた。そんなある日、彼女のいるジプシー野営地に、ひとりのポーランド人男性がやってくる。彼の名は作家で詩人のイェジ・フィツォフスキ(アントニ・パヴリツキ)。彼はジプシーたちと過ごし始めるが、パプーシャの類稀な詩の才能に気づき、それを出版しようと奔走する。やがてパプーシャの詩は本となりポーランド中の注目を集めるが、ジプシーの長老会議は、それをジプシーの秘密を暴いた許されざるべき行為としてパプーシャを糾弾する。

II.

ポーランドの鬱蒼とした自然、その黒々とした木々の梢、ジプシーたちの喜怒哀楽に満ちた暮らし、または雪の中を進むジプシーの馬車、そして第2次世界大戦前後のヨーロッパの寒々とした空気感、映画はこれらを、端正なモノクローム映像を使い、ブリューゲル絵画を意識したというロング・ショットで映し出す。あたかもこの時代へとタイムスリップしたかと思わせるようなその緻密な映像は、実はオプティカル合成も使用した技巧的な風景なのだ。それにより映画はときとして超現実的とさえ思わせるような迫真の美しさを輝かせる。観る者はまずこの映像の美しさで作品世界の虜となるだろう。モノクローム映像の説得力と迫力をしみじみと感じさせる破格の映像なのだ。

その中で描かれるのはひとりのジプシー女性の数奇な運命である。ジプシー集団の中でただひとり言葉を覚え、詩を書いた彼女は世間の注目を浴びるが、それと同時に、ジプシー仲間から疎外されることとなってしまうのだ。それ以前に彼女は、若くして父親のような年齢の男との望まぬ結婚、迫りくる大戦の不安、さらに極貧の生活の中で暮らしていた。その中で彼女が詩という形で言葉を紡いだのは、ともすれば圧殺されそうな日々からの逃避であり、もしくはそんな貧しさの中でも生きていけることへの喜びと感謝であったのだろう。言葉を知ることは、世界の輪郭を掴むことである。そしてその言葉を使うのは、世界の輪郭を表現することである。それは、世界を知る、ということなのだ。彼女は圧倒的に知的な女性だったに違いない。にもかかわらず、その言葉を封印されるということは、どれほど残酷なことだったろう。さらにここには、世間から差別されるジプシーという集団のなかで、更に女であることから差別される、痛ましい2重の差別構造が存在していたのだ。

III.

それにしても、そもそもなぜジプシーの長老たちはパプーシャの詩ごときでいきり立ちあれほどまでに彼女を攻め立てなければならなかったのだろう。パプーシャの詩は、ジプシーの女として生きることの哀歓を描いたものであったけれども、それが即ち「ジプシーの秘密を世にばらまいた」ことになるのだろうか。この極端ともいえる閉鎖性はなんなのだろう。それを考えると、ジプシーというものの特殊性が垣間見えてくるような気がする。極端な閉鎖性、というのは逆に見るならジプシー一族の強固な団結性、強力な同族意識の賜物であるということは言えないだろうか。数百年に渡るヨーロッパ流浪の中で、彼らは生きるために強い結束力を持たねばならならず、それはまた強い排他性を生み出したのだろう。しかしそこまでしてなぜ定住することを拒み流浪を続けたのか。

ジプシーは現在ヨーロッパに1千万人が生活しているとされ、戦後は国により定住化が推し進められてきたが、EU成立による交通の自由化で、それまで多く住んでいた貧しい東ヨーロッパから、富裕な西ヨーロッパへ大移動がなされているという。西ヨーロッパではジプシー移住による治安悪化が相当な問題とされ、それと同時にジプシーたちの差別問題、貧困問題も深刻化している。そこにはジプシーへの偏見もあるのだけれども、もうひとつの理由として、ジプシーたちがあくまで異民族であることに固執し、頑固に同化を拒む態度にあるのかもしれない。彼らに道徳がないのではなく、彼らは彼ら民族の道徳規範に従っているだけなのだ。だがこれは彼らがジプシーであることを捨て、同化すればそれで済む事なのか。そして、たとえ周囲に受け入れられ、経済的に恵まれたとしても、彼らは自らがジプシーであることに固執するだろう。

これは、ジプシーに限らず、どんな民族であろうと持つ、「自分は誰で、何に属するものなのか」という民族アイデンティティの問題なのではないか。かつてイスラエルが建国されたとき、そこに集まったのは、自らをユダヤの民と自認しながらも実質的にはさまざまな民族的・国家的背景を持った人々だった。しかし彼らにとって重要だったのは「自分は誰で、何に属するものなのか」ということだったのだ。人は、自らが寄る辺とするアイデンティティが無ければ生きていけない弱い存在だ。しかし、その強固な同族意識の中で、「言葉」という禁じられた果実を食べてしまったパプーシャは排斥される。彼女はジプシーである前に自分であろうとしたから罰せられたのだ。だが、自分であろうとすることがなぜ罪なのだろう?では彼女はどう生きればよかったのだろう?こんな答えの出ないやるせなさがこの物語にはある。

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パプーシャの黒い瞳 Blu-ray

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パプーシャの黒い瞳 [DVD]

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yoyoshi yoyoshi 2016/02/01 21:00 キリニヤガの空に触れた少女を思い出します。あと、たかのてるこさんのジプシーに恋してという体験記も面白かったです。有名なジプシー音楽家に渡そうとお土産のお菓子を持参したら本人不在で、そうしたらその場にいたジプシーたちが全部食べてしまったとか。共有財産なんですね。

globalheadglobalhead 2016/02/02 09:52 この間クリストリッツァ監督の『ジプシーのとき』という映画を観に行ってて、ちょっとジプシー付いてるオレです。

20160128(Thu)

[]世界26ヶ所の名だたる廃墟を収めた写真集『世界の廃墟』 世界26ヶ所の名だたる廃墟を収めた写真集『世界の廃墟』を含むブックマーク 世界26ヶ所の名だたる廃墟を収めた写真集『世界の廃墟』のブックマークコメント

■世界の廃墟 / 佐藤健寿

世界の廃墟

以前このブログで紹介した『バイコヌール宇宙基地の廃墟』を読んでからなんだか"廃墟の本"が気になり、あれこれ探したところ見つけたのがこの写真集『世界の廃墟』。監修者はベストセラーとなった『奇界遺産』を著した佐藤健寿。『奇界遺産』は自分も所蔵しており、その奇怪な光景の数々を堪能した記憶がある。そしてこの『世界の廃墟』は世界各地26ヵ所に散らばる名だたる廃墟を紹介し、その写真と廃墟となったその理由を解説している。

収録された廃墟には、知っているものも知らないものもある。例えば日本人には長崎の軍艦島はお馴染みだろうし、世界で最も有名な廃墟といえばチェルノブイリ原発事故により無人の街と化したプリピャチということになるだろう。もちろん知らなかった廃墟のほうが多くて、例えば表紙になったブルガリア共産党ホールや、ベルギーのパワープラントIMなどは、異様な形状と巨大さの中の空虚さというのがなにか異次元世界の建物のようにすら思わせる。ショッキングだったのは国際紛争により閉鎖されたキプロス島の幽霊リゾートビーチであったり、南極探検で全滅したスコット隊の小屋であったり、ナチスにより住民全員が虐殺されたまま廃墟と化したフランスの村であったりする。やはり「死」の匂いのする場所は一種凄みがある。

これら廃墟写真はネットを探せば幾らでも見つかるものなのかもしれない。だがこのようにある程度の廃墟写真が1冊の本として網羅的にまとめられ、きちんと説明が加えられていて、大判の書籍ならではの大きな写真でじっくり眺められるはやはり醍醐味がある。1つの廃墟につき4ページが割かれており、それが少ないという意見もあるようだが、むしろこのぐらいのボリュームで定価1900円余りと手に取りやすく購入し易い価格に設定されていることも嬉しい。

それにしてもなぜ人は廃墟などというものに惹かれるのだろう。監修を務めた佐藤健寿はこの著作の中で「廃墟が生じた理由」の4つの種類を挙げている。1.冷戦構造も含めた戦災の廃墟。2.エネルギーと産業を巡る廃墟。3.都市と経済を巡る廃墟。4.自然災害による廃墟。そして佐藤はそれらを、「昨日までそこに存在し、今日も存在していたかもしれぬ、(中略)私たちが廃棄した未来の一部」と表現している。人はその「廃棄した未来」の光景の中に、ある種のメランコリイを覚えるのではないだろうか。

○参考:

人間が消えた村、幽霊塔… 日本初の写真集『世界の廃墟』がすごい!/ KAI-YOU.net

世界の「有名廃墟」がヤバイ! SNSで話題の写真集ついに刊行!/ ダヴィンチニュース

■収録された廃墟

・ワンダーランド(中国)――トウモロコシ畑の中にそびえる、不思議の国のシンデレラ城

・レッド・サンズ要塞(イギリス)――謎の独立国家が領土を主張する、無人のトーチカ群

・コールマンスコップ(ナミビア)――ダイヤの砂時計に埋もれた、忘れられた街

・スコット隊の小屋(南極)――南極の雪原から発掘された、時を止めた部屋

・ブルガリア共産党ビル(ブルガリア)――山の上にひっそりと佇む、忘却されぬ過去

・第309航空整備再生場(アメリカ)――アリゾナの大地に眠る、空飛ぶ鋼鉄の塊

・端島(日本)――人々の歴史を護り続けた、絶海に浮かぶ軍艦

・サトーン・ユニーク・タワー(タイ)――最高の立地に立ちすくむ幽霊マンション

・セントラリア(アメリカ)――地熱70度オーバー、50年以上、燃え続けている街

・ヴァローシャ(キプロス)――有刺鉄線で覆われた世界有数のリゾート・ビーチ

・ジーゲル駅(ベルギー)――ずさんな都市計画で生まれた線路なき地下鉄駅

・ボディ(アメリカ)――ワイルドウエストの果て、兵どもの夢の跡

・オラドゥール=シュル=グラヌ(フランス)――第二次世界大戦の悪夢。一夜にして人間が消えた村

・パワープラント IM(ベルギー)――幾何学的構造に満たされた、廃墟マニアの夢

・ベーリッツ・サナトリウム(ドイツ)2つの大戦で軍人を収容した、「病院」廃墟の最高峰

・バラクラヴァ原子力潜水艦基地(ウクライナ)――世界が滅びても存続する黒海のシェルター

・大久野島(日本)――廃墟の中でウサギが遊ぶ、「地図から消された島」の現在

・ディスコ・インフェルノ(オーストリア)――壊れた壁から差し込む光を乱反射するミラー・ボール

・トイフェルスベルク(ドイツ)――ベルリンを見渡す、瓦礫の上の「悪魔の山」

・バーントン採石場の秘密地下壕(イギリス)――採石場にオブラートされた、英国の超機密施設

・プリピャチ(ウクライナ)――人類史上最大のディストピアと化した、科学のユートピア

・柳京ホテル(北朝鮮)――ー世界最高のビルを目指した、北朝鮮のバベル

・フェルクリンゲン製鉄所(ドイツ)――重厚長大、ドイツ鉄鋼業を象徴する鋼鉄製のカテドラル

・クラーコ(イタリア)――2000年以上の歴史を持つ幻想的な丘の上の廃墟

・ブラッシュ・パーク(アメリカ)――優美な建築が立ち並ぶ高級ゴーストタウン

・医師の家(ドイツ)――主の消えた家に横たわる、失われた未来

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世界の廃墟

世界の廃墟

奇界遺産

奇界遺産

奇界遺産2

奇界遺産2

奇界紀行

奇界紀行

20160127(Wed)

[]バンドデシネ及びスペースオペラSFコミック不朽の名作『アンカル』が新装版となって発売されたのでまだ買ってない人は是非買うといいと思う。 バンドデシネ及びスペースオペラSFコミック不朽の名作『アンカル』が新装版となって発売されたのでまだ買ってない人は是非買うといいと思う。を含むブックマーク バンドデシネ及びスペースオペラSFコミック不朽の名作『アンカル』が新装版となって発売されたのでまだ買ってない人は是非買うといいと思う。のブックマークコメント

■アンカル / アレハンドロ・ホドロフスキー、メビウス

アンカル

これを読まずしてSFは語れない。アレハンドロ・ホドロフスキーとメビウスによる、世界的ベストセラー『アンカル』。クローン手術を繰り返す大統領、ミュータント、異星人、殺し屋、階級間の争い、陰謀……主人公ジョンの行く先にはさまざまな試練が待っている。宇宙と人類の運命を懸けた大冒険の先に見たものとは?アンカルとは何なのか?人はどこから来てどこへ行くのか?これぞスペース・オペラ。追加要素として『アンカル』に隠されたさまざまな謎を解き明かした「アンカルの謎」を収録した漫画ファン必読の1冊!

アレハンドロ・ホドロフスキーとメビウスによるバンドデシネ不朽の名作でありスペースオペラSF大作『アンカル』日本語版が新装版となって発売された。

内容については以前拙ブログで『フランス・コミック界伝説のSF大作、『アンカル』を読むべし。 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ』として紹介したのでそちらを参考にされたい。ひとりのダメ男がとあるきっかけから広大な大宇宙(アウタースペース)と深遠なる精神世界(インナースペース)との大冒険の旅に出るというこの物語、原作者ホドロフスキーの活劇と神秘に満ちた驚異のストーリーテリング、そして稀代の名アーチスト・メビウスによる卓越した描線により、バンドデシネの歴史に燦然と輝く名作として語り継がれており、コミック・ファンなら一度は読んでおくべき傑作と言っていいと思う。

さて今回の再販、2010年に小学館集英社プロダクションから発売されていたものがパイインターナショナルへと出版社を変えての再販となるわけだが、中身は同じ『アンカル』ではあるけれども仕様が違う。まず小学館集英社プロダクション版は定価¥3990だったのがパイインターナショナル版は定価¥3888。¥102ほどお安くなっている。しかし安価になったにもかかわらずパイインターナシ>ョナル版のほうが格段にお徳になっている。詳しくは下記にまとめるが、ページ数がアップし版型も若干大きめになっているのだ。

◎パイインターナショナル版 (2015/12/18)

単行本: 360ページ

商品パッケージの寸法: 27 x 20 x 3 cm

(巻末)『アンカル』の謎(解説集) / 『アンカル』未刊の1章 / 『アンカル』サーガ

定価¥3888


◎小学館集英社プロダクション版 (2010/12/21)

単行本: 336ページ

商品パッケージの寸法: 25.4 x 19.6 x 3 cm

《特別収録》ソリューンの誕生(パイインターナショナル版「『アンカル』未刊の1章」と同一)

アンカル日本語版特典 : メビウス略歴/メビウス主要作品リスト/『アンカル』とその時代 古長真一 / 夢の映画『アンカル』柳下毅一郎 / [特別対談]谷口ジローX藤原カムイ / 訳者あとがき

定価¥3990

パイインターナショナル版のページ数が大幅に多くなっているのは、ホドロフスキーとメビウスの紹介文と『アンカル』誕生の経緯などが書かれた解説集「『アンカル』の謎」に多くのページが割かれているためで、『アンカル』本編が増えているというわけではないのだけれども、より詳細な解説文を読むことができるのは『アンカル』理解のために非常に役立つだろう。自分は小学館集英社プロダクション版は既に所有していたが、もちろんこのパイインターナショナル版も購入した。だから既に持っている方もオレのように比べてみるために買い直してみるのも一考かもしれない。

ところでこのパイインターナショナル版、手違いにより一部の商品の表紙に誤植があるまま発売されてしまったらしい。(経緯はこちら→「アンカル」新装版 不良本の交換について | PIE COMIC ART)これはアレハンドロ・ホドロフスキーとメビウスの作画表記が逆になっているものなのだが、実は自分が入手したのもこの誤植分だった(写真参照)。

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だが、オレ個人は既に一冊持っているし、表紙の誤植もまた面白かろうと、交換返品せずにそのまま所蔵することにしている。現在はきちんとした商品が出回っているはずなので新規購入者はご安心あれ。そしてこの『アンカル』が気に入ったのであれば、前日譚『ビフォア・アンカル』レヴュー)、後日譚『ファイナル・アンカル』レヴュー)をばご賞味されるとよろしいかと思う。

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

20160126(Tue)

[]早川書房創立70周年記念コミックアンソロジーのSF篇とミステリ篇を読んだ。 早川書房創立70周年記念コミックアンソロジーのSF篇とミステリ篇を読んだ。を含むブックマーク 早川書房創立70周年記念コミックアンソロジーのSF篇とミステリ篇を読んだ。のブックマークコメント

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赤と青のエクスタシー。早川書房が創立70周年だとかでコミックアンソロジー2冊を刊行したのである。『Comic S』『Comic M』というタイトルから判るように、一方は「サディズム篇」、もう一方は「マゾヒズム篇」である。内容は『SMスナイパー』も真ッ青なムチと三角木馬と荒縄の踊る大倒錯大会であり、早川も70周年を迎え大きく舵を切って見せたわけで、内容はどうあれ、この英断には感嘆せずにいられない。

・・・というのはもちろん冗談で、『Comic S』はSF篇、『Comic M』はミステリー篇ということであり、内容はかつて「S-Fマガジン」「ミステリーマガジン」を飾ったコミック作品と書き下ろしで構成されている。収録作家も手塚治虫をはじめとするそうそうたる古参ベテラン漫画家から今現在人気を誇る新世代の漫画家まで網羅され、なかなかに豪華である。詳しい収録作家と作品タイトルは下に記載しておいた。

さてざっくりした感想を書くと、雑誌既出作家の作品は今読むとさすがに古臭いなあ・・・と思うし、書き下ろし作家の作品は「アックス」や「コミックビーム」みたいなオルタナティブ志向の作品が多くて、これは好みが分かれるよなあ・・・と思ってしまった。正直に言うと自分はこういった新世代の漫画家作品を殆ど読まないので結構微妙だった。最近の漫画家って実はよく知らないんです・・・。それと4ページ程度の短い作品が多くて、なんだか物足りないんだよな。なんかこー全体的に「有名作家も書いている薄い本」って雰囲気が残念なんだよなあ。

そんな中でよかったのは〔SF篇〕では宮崎夏次系「と、ある日の僕のひも」で、これはなんと〔ミステリ篇〕の同作家による「と、ある日のわたしとタケル」と連動していて、読んでいて驚いた。coco「俺の夢の妹 Sister of My Dreams」は端正なグラフィックが美しい上に馴染み深いキーワードが多くアップトゥデイトな作品としてまとまっていた。〔ミステリ篇〕オカヤイヅミ「そしてみんないる」は素人探偵の顛末を描いたスラップスティックだが、16ページできちんと練られた物語が展開しておりこれは読み応えがあった。

○「Comic S──早川書房創立70周年記念コミックアンソロジー〔SF篇〕」収録作品(収録順)

手塚治虫「熟れた星」(S-Fマガジン1971年2月号掲載)

松本零士「衛星2連独房」(S-Fマガジン1972年2月号掲載)

石森章太郎「7P(2) ― H・G・ウエルズに」(S-Fマガジン1969年10月号掲載)※(2)は、2に○が正式表記

永井豪「キャプテンパースト」(S-Fマガジン1970年11月臨時増刊号掲載)

萩尾望都「ラーギニー」(S-Fマガジン1980年2月号掲載)/小学館文庫「半神」収録

ふくやまけいこ「ドロシー」(S-Fマガジン1984年8月号掲載)

吾妻ひでお「水人(みづびと)」(描き下ろし)

とり・みき「SF小僧の幽霊 THE GHOST OF SF KID」(描き下ろし)

横山えいじ「並行ウォーズ」(描き下ろし)

今井哲也「おじいちゃんの書斎/宇宙」(描き下ろし)

ツナミノユウ「眼鏡を買いに」(描き下ろし)

つばな「不登校」(描き下ろし)

西島大介「ミスターどーなつ」(原案:北野勇作)(S-Fマガジン2002年6月号掲載)

吉富昭仁「魔法少女タイムちゃん その1 お姉ちゃんは階段を落ちる夢を見るのか」(描き下ろし)

宮崎夏次系「と、ある日の僕のひも」(描き下ろし)

coco「俺の夢の妹 Sister of My Dreams」(描き下ろし)

○「Comic M──早川書房創立70周年記念コミックアンソロジー〔ミステリ篇〕」収録作品(収録順)

高橋葉介「夢幻紳士〔出張篇〕座敷鬼(ざしきおに)」(ミステリマガジン2011年4月号掲載)

高橋葉介「顔」(ミステリマガジン2011年4月号掲載)

小道迷子「ホームズくんの秘密」(ミステリマガジン1987年9月号掲載)

安西水丸「ホームズ君の一日」(ミステリマガジン1987年9月号掲載)

古川タク「ソーイウキミハ」(ミステリマガジン1987年9月号掲載)

横山えいじ「ホームズ君の依頼人をさがせ!」(ミステリマガジン1995年2月号掲載)

いしかわじゅん「彼ら」(ミステリマガジン1994年7月号掲載)

たがみよしひさ「壊れているか...」(ミステリマガジン2001年8 月臨時増刊号掲載)

坂田靖子「幽霊執事 番外編 そして誰もいなくなったりしない」(描き下ろし)

オカヤイヅミ「そしてみんないる」(描き下ろし)

腹肉ツヤ子「愛の街角」(ミステリマガジン2007年7月号掲載)

小原愼司「そして誰か居なくなった」(描き下ろし)

地下沢中也「犬は勘定しきれません」(描き下ろし)

矢寺圭太「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(描き下ろし)

シモダアサミ「心地よい場所」(描き下ろし)

石黒正数「性なる侵入」(描き下ろし)

吉富昭仁「魔法少女タイムちゃん その2 時流家の怪事件」(描き下ろし)

宮崎夏次系「と、ある日のわたしとタケル」(描き下ろし)

高橋葉介「夢幻紳士〔営業篇〕Come Mad and Go ―さぁ気ちがいになりなさい―」(描き下ろし)

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20160125(Mon)

[]ひたすら圧倒的な映像美を堪能できる映像ドキュメンタリー作品2作〜映画『Baraka』『Samsaraひたすら圧倒的な映像美を堪能できる映像ドキュメンタリー作品2作〜映画『Baraka』『Samsara』を含むブックマーク ひたすら圧倒的な映像美を堪能できる映像ドキュメンタリー作品2作〜映画『Baraka』『Samsara』のブックマークコメント

■Baraka (監督:ロン・フリック 1993年アメリカ映画)/ Samsara (監督:ロン・フリック 2011年アメリカ映画)

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映画『Baraka(日本公開タイトル『バラカ〜地球と人類の詩』)』と『Samsara』は映像ドキュメンタリー作品だ。監督を勤めたロン・フリックはかつてゴッドフリー・レジオ監督による『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』の脚本・撮影・編集を担当した男である。それなので、まずは『コヤニスカッツィ』の話から始めたい。

コヤニスカッツィ』は1982年公開(日本では2004年公開)の映像ドキュメンタリー作品である。製作にフランシス・フォード・コッポラの名前があり、音楽はフィリップ・グラスが担当している。アメリカの自然と都市風景を次々と写し出してゆくその映像は、スローモーションと微速度撮影を駆使し、ナレーションや台詞を一切使わないという手法で作られている。そしてそのテーマとなるのは、原題であるホピ族の言葉「コヤニスカッツィ」の意味する「常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界」なのだ。つまり自然と文明を対比させながら、人間社会の愚かさに肉薄してゆこうという、文明批判的なカルト作品なのである。

ただ、自分は日本公開時劇場で観たが、正直なところ、退屈だった。テーマ自体にも臭みを感じたが、綺麗に撮られているとはいえ、台詞・ナレーションの無い映像を90分近く観せられるのが苦痛だった。とは言いつつ、VHSが発売(そう、DVDじゃなくてVHSの時代だったのですよ)されるといそいそと購入し、「なんだったんだこれは?」と何度も観返したものだったが。ちなみに続編となる『ポワカッツィ』(1988)、『ナコイカッツィ』(2002)は未見。

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さてそんな『コヤニスカッツィ』絡みの監督が製作した『Baraka』と『Samsara』、『コヤニスカッツィ』とコンセプトが丸被りしているとしか思えず、最初まるで食指が動かなかった。また美麗な映像がダラダラと流されるだけの退屈な作品だと思ったのである。だがちょっとしたきっかけがあって予告編を観たところ、これが、なんだか非常に美しい。目を見張らせるものがある。またぞろ綺麗なだけの退屈な作品だろうとは予想しつつ、直観を信じて思い切って両作品のBlu-rayを購入してしまった。そして、期待と不安相半ばしながら観始めたところ…うおおおお、これは素晴らしい作品じゃないか!!

まず驚かされたのは予想を遥かに上回る映像の美しさだろう。映画の撮影方式には詳しくないのだが、関連記事を読むと「50年代に最初に実用化された大型ネガ映画システムで現代でも画質は最高といわれるTODD-AO70ミリ方式」というもので撮影されているのらしい。こういった撮影方式以前に、自分が視聴したメディアがBlu-rayであること、さらに8K HDリマスターが施されていること、そういった部分で単なる70ミリ映画以上の臨場感を兼ね備えていたのかもしれない。思えばかつて観た『コヤニスカッツィ』は小さな劇場で観た後はVHS視聴だったわけだし、幾ら同傾向のテーマだったとはいえ、映像それ自体を見せる作品であることを考えると、視聴環境に雲泥の差があるのは確かだ。

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しかし映像が綺麗なだけならやはり退屈だったろう。けれどこの2作に関しては編集が実に巧みなのだ。驚くほど美しい映像カットを見せながら、それをこれ見よがしにだらだらと引っ張らない。映像に驚いているうちにもすぐに別のカットに切り替わる。しかも一見関連性の無い別のロケーションのカットなのだ。そしてこのカットの連続は、ただ羅列されているのではなく、カット相互の繋がりに恣意性を感じさせる、いわゆるモンタージュ技法的な編集であり、さらにその恣意性は、映像のつながりにより意味を押し付けるものではなく、むしろ動きや空間性や色彩のリズムを考慮したものであろうと思われるのだ。つまり「意味」と「説明」を廃することで、ナショナル・ジオグラフィック的な単なる「美しい自然の風物詩」を見せるだけのものであることを回避してるのだ。

そしてそのテーマの在り方だ。映画『コヤニスカッツィ』は「平衡を失った世界」をテーマとした文明批判作品だったが、例えばタイトル『Baraka』の意味する所は「祝福」であり、それは自然と生けとし生けるものへの祝福なのだろう。そして『Samsara』の意味する所は「輪廻転生」であり、それは生々流転を繰り返す自然と人類の在り方を表しているのだろう。「お綺麗な」といえばそれまでだが、映像ドキュメンタリー作品の大枠のテーマとしては十分だ。映像には確かに文明批判的な匂いもあるが、『コヤニスカッツィ』ほどあからさまではない。

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「文明批判的な部分」とは書いたが、むしろ、ここで描かれる圧倒的なまでの自然の光景は、美しくはあれ、そこで人がただ一人取り残されたら生きていけない、そういった「自然」でもある。人類の文明とは、実はこの「自然」と対抗し、乗り越えることで成り立っているということを考えるなら、人類の文明を描く映像が、いかな醜く「反自然的」であろうと、それは、そうでなければここまで増え続けた人類は存続し続けられない、ということでもあるのだ。それが人間という存在の「業」なのであり、単純に「自然に還る」ことを善しと言い切れないということなのだ。そういったことに思いを馳せてしまった作品でもあった。

もうひとつ付け加えるなら、この二つの作品を自分が「素晴らしい」と思えたのは、自分が歳を取りある程度の年齢になったからなのだからだとも思う。自然の光景をただ美しいと堪能できるのは、自分が老年に差し掛かっているからだという気がする。これらの作品を『コヤニスカッツィ』と同じ10年前に観てもやはり退屈だと思ったかもしれない。だからこれらの作品を刺激のある映画の好きな若い方に勧めようとは思わないが、ただ、こういったひたすら自然の映像に沈溺できる映画も世の中にはあるのですよ、ということはちょっとだけ知っておいてもらいたいかもしれない。

The official site for the films SAMSARA and BARAKA

■Baraka Trailer

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20160123(Sat)

globalhead2016-01-23

[]大腸の内視鏡検査した。 大腸の内視鏡検査した。を含むブックマーク 大腸の内視鏡検査した。のブックマークコメント

※注意:病院と大腸と排泄物絡みのビロウな話満載ですのでシモとキチャナイ話の苦手な方はご注意を。

さてこの間の1月18日月曜日は以前やった人間ドックで再検査が出たのでそれに行ってきたのである。内容は検便時に潜血が見つかったので大腸の内視鏡検査をするというもの。胃の内視鏡はやったことがあるが大腸は初めてである。

前日9時に下剤を飲み当日10時の受け付けの病院へ。当日はオレと同じような内視鏡検査の外来者が何人かいた。ここで2Lの下剤を渡されコップ1杯から2杯を10分置きに飲めと言う。計算するとコップ2杯は300ccだから約6回〜7回、10分置きだと約70分であるとオレは計算した。そしてその間腸の運動を促すため歩いたり動いたりしてほしいという。その通りやった。実に退屈だったが体の事なのでしかたない。30分ぐらいで下剤が効いてきてこれも10分間隔でトイレへ。最終的に色が薄くなったら看護婦をトイレに呼んで確認させるという。やった。見せた。ただどうもまだまだ腸が空っぽじゃないらしく、オレは他の外来の最後に看護婦のokが出た。これが12時過ぎ。

それから内視鏡検査を行う階に行かされ着替える。上は病院によくあるローブだが、下半身はお尻の側に穴が開いた紙製のトランクス。なるほどすっぽんぽんになるわけではないらしい。で、ここでなぜか点滴される。点滴も今まで2度目ぐらいだろうか。針の刺さった腕が気になって居心地悪い。そのまま1時間ぐらいボケッとしていて、オレはなにしろ一番最後に呼ばれる。

でまあベッドに横にならされオレの秘密の部分に内視鏡が入れられたわけだが、これがキツクてなかなか入らないの…無理矢理入れられて「イデデ!」と声を出しちゃったわ、うふん。

さてそれからはモニター越しにオレの体内大冒険を見ることとなる。おおなるほどこんななってるのか。スゲエな。途中2つポリープが見つかりその場で切除。5ミリほどのもので医者は良性のものだろうから心配ないと言っていたが、ホントなのか?ホントなのか!?切除は内視鏡の先端から小さな丸めたワイヤーみたいのが出てきてそれで引っ掛けて切るみたいな感じな。途中左のケツペタに電極みたいのを絆創膏で貼られたのが意味わかんなかったな。

あらかた終わる頃には点滴を全部使い果たしていた。なにしろ昨日の7時からこの日の昼過ぎまで水分以外摂ってないので腹減っていたが、点滴のせいなのか途中から気分がよくなり腹のへりも収まった。点滴ダイエットとかできるのだろうか。点滴太りという言葉もあるから駄目なような気もするが。

検査が終わりしばらくベッドで寝かされ、頃合いを見て起こされ、医者の大雑把な所見を聴いて終了。時間感覚が全然無かったが着替えて自分の時計を見たら4時を回っていた。いやー長かった。

ポリープ切除したので出血があるとマズイからということで1週間酒と刺激物と繊維の多い食べ物が禁止となった。しかしまあ、野菜抜きで麺類とかパンとかご飯とかジャンクとか食ってるのはしょっちゅうなのであまり食生活は変わらないような気がした。酒は1週間ぐらい止めても気にならないしな。というわけで今回の経緯なのであった。また詳しい結果を聴きに病院行かねばならんのだが問題なければいいがな。あと、検査料として2万円取られたのは痛かった!あとケツの穴も痛かった!

(なおトップの絵はフン族です。なぜフンなのかは察してください)

yoyoshi yoyoshi 2016/01/25 11:35 良性のポリープで、その場で切除出来て良かったですね。健康体で映画や本を楽しまねば!

globalheadglobalhead 2016/01/25 11:49 自分も結構いい歳のオッサンなんでいろいろ出てくるんですよ。歳は取りたくないですねー。

watarusuperwatarusuper 2016/06/12 23:29 実は先日わたしも大腸の内視鏡検査やってまいりました!ポリープが4つ見つかりましたがその場で切除はせず、細胞を取って検査にまわされました..... 後日検査結果が出て入院→手術という流れに。正直内視鏡より下剤の方がきつかったかなぁ、と.....

globalheadglobalhead 2016/06/12 23:41 入院とはこれまたしんどかったですね。その後いかがですか。確かに下剤ちびちび飲みながら4時間あまり病院うろちょろするのは退屈でやってらんなかったですよ。あと看護婦さんのダメだしとかね。

20160122(Fri)

[]SF・ドロドロヌチョヌチョのウンゲロ惑星!〜映画『神々のたそがれ』 SF・ドロドロヌチョヌチョのウンゲロ惑星!〜映画『神々のたそがれ』を含むブックマーク SF・ドロドロヌチョヌチョのウンゲロ惑星!〜映画『神々のたそがれ』のブックマークコメント

■神々のたそがれ (監督:アレクセイ・ゲルマン 2013年ロシア映画)

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去年結構話題になっていたのだが観る機会のなかったロシア映画『神々のたそがれ』をやっと観た。でまあ率直な感想を言わせてもらうと…
なんてババッチイ映画なんだ!?

実はこれ、一応SFなんである。原作はタルコフスキー映画『ストーカー』の原作者でもあるロシア人SF作家アルカジイ&ボリス・ストルガツキー兄弟の『神様はつらい』。読んだことは無いのだが、大昔ハヤカワのSF全集に収められていたのを目撃したことがある。ちなみにストロガツキー兄弟の別の作品『収容所惑星』は『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』というタイトルで映画化され日本でもDVDで観ることができる。

お話は「地球より800年ほど進化の遅れた惑星」へ、研究のために地球から学者たちが派遣されるが…というもの。そして学者たちがその惑星で目撃したのは、あたかもヨーロッパ中世時代のように退行した社会だった。そこでは知性と知識は反動分子と見なされ徹底的に排除され、学者や学生は処刑されていた。地球人学者ドン・ルマータ(レオニード・ヤルモクニク)は貴族に身分を変え20年もの間この惑星に潜入し知識人を匿っていたが、知識人狩りを行う王権守護大臣直属である"灰色隊"の魔手が彼らに迫っていた。

とまあこう書くと面白そうなんだが、この映画ではこの粗筋自体は単なるアウトラインでしかない。ではいったいなにが描かれているのかというと、中世然とした退行した社会の中に蠢く、どこまでもひたすら不潔で薄汚くてあさましい、なんだか獣舎の中の牛や豚みたいな人間たちの姿なのである。この映画の不潔さときたら凄まじい。醜い石造りの建物が立ち並ぶ町にはいつも鬱陶しい雨が降り、道という道はドロドロとぬかるみ、その雨と泥でグチャグチャになった人々が通りを歩く。部屋に一歩入るとそこはゴミやガラクタや腐った食べ物で溢れ、画面の向こうから腐臭が漂ってきそうだ。

そんな小汚い町に住む住民というのがまた不潔極まりない。体なんぞ生まれてから一度も洗ったことの無さそうな脂じみた風体は中世の浮浪者と言ってもよく、そんな彼らが常に唾を吐きゲロを吐き鼻汁を飛ばし、それだけでなく糞と小便まで撒き散らかしている。戦いともなれば血塗れになりはらわたをぶちまける。つまり体から出るありとあらゆる液体と、雨と泥と脂がヌチョヌチョに混じり合った映像が全編これでもかとばかりに画面を塗り込めているのである。しかも画面はいつもこんなババッチイ人々によってみっちりと埋め尽くされ、その誰もが頭が遅れてそうなヤヴァイ顔つきをしている。あとねー、チンチンとかマンマンもモロ写りだよ!

とまあ、もうホントあまりにも小汚い映像のオンパレードで、正直観ていて辟易したし少しも楽しめなかったのだけれども、しかしこの映画に関しては面白いとか面白くないとか、楽しいとか楽しくないとかいった感想は実はお門違いで、それよりもこの「徹底的な汚濁」によって完膚無きまでに気分を悪くさせる事がこの作品の目的だとすら思わされる。不潔で野卑で白痴的な社会とそこに蠢く人間たちの退行した情景というのはそのまま原作が描かれたソビエト社会主義国家の戯画化なのだろうし、これを映像化したアレクセイ・ゲルマン監督にも現在のヨーロッパ社会の背後に存在する「野蛮さ」を描きたかったということなのだろう。多分。

それにしてもヨーロッパが退行したら確かにこんなになりそうだよなーと思わせる。これが退行したアメリカだったら、中国だったら、なんて考えるとちょっと面白い。日本だったらみんなきっと蟻みたいな封建社会を作ってるんだろうな。退行したオーストラリアは絶対マッドマックスの世界になってるんだぜヒャッハー!そしてこれが退行したインドだったら、ヒンドゥー神の前で歌って踊ってるんだと思いました。あ…あんまり変わってないぞインド…。

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20160121(Thu)

[]京極夏彦の『ヒトでなし 金剛界の章』を読んだ。 京極夏彦の『ヒトでなし 金剛界の章』を読んだ。を含むブックマーク 京極夏彦の『ヒトでなし 金剛界の章』を読んだ。のブックマークコメント

■ヒトでなし 金剛界の章 / 京極夏彦

ヒトでなし 金剛界の章

理屈も倫理も因果も呑み込む。この書は、「ヒトでなし」の「ヒトでなし」による「ヒトでなし」のための経典である――。娘を亡くし、職も失い、妻にも捨てられた。俺は、ヒトでなしなんだそうだ――。そう呟く男のもとに、一人また一人と破綻者たちが吸い寄せられる。金も、暴力も、死も、罪も――。犯罪小説であり思弁小説であり宗教小説であり諧謔小説であり、そしてなにより前代未聞のエンターテインメント小説!

京極夏彦の小説といえば昔は百鬼夜行シリーズや巷説百物語シリーズをよく読んだものだが、ここ暫く新作小説には触れていなかった。まあ、なんとなく似たようなお話ばかりだったから、というのもあったが、こういった作品の主人公というのがどれもなんだか薄ぼんやりとした生気に乏しい唐変木ばかりで、読んでいて苛つかされ読む気が失せていたというのもあった。

というわけでここの所名前も忘れかけていた京極夏彦の長編小説が書店に出ていたのを見かけ、「またどうせいつも通りなんだろ」と思いつつついつい購入してしまったのである。なぜ購入してしまったのかというと帯に「新シリーズ開幕」と書いてあったからだ。新シリーズ。これはきっと京極が腰を据えてなにやらやらかそうとしていることのように思えたのだ。

本のタイトルは『ヒトでなし』。なんでもかんでも否定形から全てが始まる登場人物ばかり登場する京極らしいタイトルだ。さらに副題というかシリーズの章タイトルとして「金剛界の章」とある。仏教用語のようだがなんだか物々しい。しかし帯の惹句にはあれこれ書いてはいるものの、どういったお話かさっぱり分からない。まあタイトル通り「人でなし」の話ではあるのだろうが、人でなしがいったいなんだというのだろう。殺人鬼でも出て来るのか。

読み始めるとその「人でなし」の主人公がまず登場する。主人公はなぜ「人でなし」なのか。彼は自分の娘を死なせてしまいそのせいで家庭は崩壊、職を失い妻からは三下り半を叩きつけられおまけに家も財産も取られ、無一文の宿無しとなって雨けけぶる深夜の街を自戒に心打ちひしがれながら彷徨い歩いている。そのぐちぐちと自問自答する様はこれまでの京極小説によく登場した「薄ぼんやりとした生気に乏しい唐変木」そのままだ。そして彼は深夜の街である挙動不審の女と出会うのだ。

ああ、こりゃまたババつかんじゃったな、と思ったのである。どんより暗い世界に生きる男がこれまたどんより暗い怪しげな世界に引き摺りこまれるという、京極がこれまで散々書いてきたホラーか何かなんだろう、と思ったのである。ところがである。登場人物が増えてゆくにつれ、物語はどんどんと予想もしなかった展開を迎えてゆくのである。そしてその展開も、その先にどういう結末を予定しているのか皆目見当もつかない流れなのだ。これは新境地ではないか。

この「予想できない展開」が醍醐味の一つだから、オレもあえて内容には触れないが、とりあえずおおまかな登場人物は説明してみる。まず主人公が最初に出会った若い女は自殺志願者だ。なぜ自殺しようとしていたか…は読んでからのお楽しみだ。次に主人公のかつての友人が出て来る。これがベンチャービジネスで一発大儲けしたがその後失敗し今や債権屋に追われ食うや食わずの生活をしている男だ。さらにその債権屋の子分として頭の悪そうなガキが出て来て頭が悪そうに喋る。

彼らは皆脛に傷持つ身であり、それぞれの事情から社会から遊離した存在である。そんな登場人物たちと何もかもを失った「人でなし」の主人公が出会い、そこでどんな化学反応が起こるのか、が今作の見所となるのだ。社会の爪はじき者同士が集まってデカイ犯罪を計画する?いやいやそうじゃない、これがもう全然想像もつかないことなのだ。正直読んでいて「そっちに話持ってくのか!?」と唖然としたぐらいだ。

ひとつだけヒントを出すなら「人でなし」とは「人でないもの」でもある、ということだ。「人でないもの」、それは「人」であることのしがらみから脱したものである。かといって主人公がモンスターになっちゃうSFとかそういうのじゃない。「「人」であることのしがらみから脱したもの」、それに出来ることとは何か?ここから京極一流の詭弁が大展開する。

そうそう、京極ってこういう詭弁が大好きで屁理屈だらけの話がホント得意だったよなあ、とウキウキさせられること必至だ。この「屁理屈の京極」だけは確かに変わってない。だから読んでいてこじつけが強く牽強付会かな、とは思うのだけれども、このこじつけ方がなんだか面白くて楽しくて、屁理屈一本で綱渡りを演じてしまう物語の行く末をなんだかハラハラしながら読んでしまうのだ。しかも、その綱渡りの先にあるものが全く見えないのである。

というわけで京極の新シリーズ第1作、オレはこの作品を諸手を挙げて歓迎する。もう次が読みたくてしょうがない。京極の次作が早く読みたい、とわくわくさせられるのは何年ぶりなんだろう。次が出るまで読み残していた他の京極本を読んで間を持たせようか、そんな感じで京極愛が再燃してしまった作品である。

ヒトでなし 金剛界の章

ヒトでなし 金剛界の章

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20160120(Wed)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■From My Mind To Yours / Richie Hawtin

From my mind to yours

From my mind to yours

ミニマル・テクノ皇帝Richie Hawtinが自身のレーベルPlus 8の設立25周年を記念してリリースしたニュー・アルバム。Richie Hawtinと彼の別名義によるトラックを含め全15曲、音はもうお墨付きのRichie Hawtinミニマル・テクノが炸裂し、「なにはなくともこれ聴いとけ」と言いたくなるような聴き応えたっぷりの必聴盤!もちろんお勧め。 《試聴》

■Ultraviolet Music / Deepchord

Ultraviolet Music

Ultraviolet Music

デトロイトで活躍するミニマル・ダブテクノ・ユニット、Deepchordが久々に新作アルバムをリリース!スタジオが災害で水没したとかで暫くちまちまとリイシュー盤を出しながら資金を貯めいていたと思われるのだが、やっとスタジオ再建が成ったのだろうか。だとしたらこれは目出度い。音は例によってズブズブなミニマル・ダブテクノだが、今作はさらに深淵へと潜航しまくっていていい。それにしてもオレDeepchord好き過ぎ。 《試聴》

■Slash Time - The Album, feat. DJ Fred / Traxman

Slash Time - The Album, Feat. Dj Fred

Slash Time - The Album, Feat. Dj Fred

20年以上のキャリアを誇るジューク/フットワークのパイオニア、Traxmanのニュー・アルバム。耳がシンシンと痛くなるほど高速ループされるサンプリング音と荒々しい電子音が跳ね回る、ジューク/フットワーク直球ど真ん中な好アルバム。このジャンルの電子音楽的アプローチは本当に間違いないな。これもお勧め! 《試聴》

■DREAM_111 / Nmesh And t e l e p a t h

ロストエデンへのパス

ロストエデンへのパス

Dream CatalogueレーベルからリリースされたNmeshとt e l e p a t h(いちいち半角スペースの入るアーチスト名なのだ)によるカップリング・アルバム。「ロストエデンへのパス」という海外独自のアルバム邦題、ジャケットに写る東洋人女性、トラックには日本語のSEが入るなど、サイバーパンク・ジャポネスクを非常に意識しているのだが、アーチストが日本人かどうかも謎。ただその音はオリエンタルなウェットさに満ちたアンビエント・サウンドで、この湿り気具合が聴いていて実に心地よいのだ。アルバム自体は20分を越すトラックも含めた2時間にのぼる大作。 《試聴》

■OSV: Original Sound Version / R23X

OSV: Original Sound Version

OSV: Original Sound Version

同じくDream Catalogueレーベルからリリースされたポスト・トラップ〜グリッチ・ホップ系プロデューサーR23Xのアルバム。「Original Sound Version」というアルバム・タイトルに「サウンドトラック」という日本語が付けられたジャケットも謎を呼ぶが、これもまた奇妙な安らぎに溢れたアンビエント・サウンド。 《試聴》

■Paranoid London / Paranoid London

Paranoid London

Paranoid London

UKニュースクール・アシッド・ハウス・ユニットParanoid Londonが自身のレーベルからリリースしたファースト・フルレングス。本場シカゴ譲りの骨太さを持ったアシッド・サウンド。 《試聴》

■Turkson Side / Okokon

Turkson Side

Turkson Side

どことなく奇妙なジャケットに惹かれて聴いてみたOkokonのアルバム『Turkson Side』はアバンギャルドなテイストを持つビートダウン系ブレイクビーツ・ダブ・サウンド。プリミティブなサウンド・コラージュが異次元の彼方へと運んでくれる。かもしれない。 《試聴》

■Sven Vath In The Mix: The Sound Of The 16th Season / Sven Vath

The Sound Of The 16th Season

The Sound Of The 16th Season

去年の暮れに発売されたCocoon総裁Sven Vathが自ら手掛けるMIX CDシリーズ「IN THE MIX」最新作。CocoonでSvenですから当然フロア向けなミニマル・テックハウスがガンガンに収録されています。割とこういうのもよく聴きます。 《試聴》

■fabric 84: Mathew Jonson / Mathew Jonson

Fabric 84: Mathew Jonson

Fabric 84: Mathew Jonson

昨年10月にリリースされた老舗MIX CDレーベル、fabricの84番目はカナダ人プロデューサーMathew Jonson。この音源はfabricの15周年パーティーで披露したセットのライブレコーディングとなるらしい。ディープ・ハウス/エレクトロニカ〜エクスペリメンタルなミニマル・テクノと充実の内容。 《試聴》

■fabric 85: Baby Ford / Baby Ford

Fabric 85

Fabric 85

昨年11月リリースのfabricの84番目は、UKテクノ/ハウス・シーンの先駆者、Baby Fordの登場。クラシックと最新作を織り交ぜたMIXはさすがベテランのなせる業。個人的にはオレがテクノ・ミュージックを聴きはじめた最初期にハマったプロデューサーだけに実に感慨が深い。 《試聴》

■WU15 / WU15

WU15

WU15

Henry WuとK15のコラボレーション・ユニットWU15による4曲入りシングル。ジャジーかつグルーヴィーなエレクトロニック・サウンド。 《試聴》

■Pastafari Dub / Miss Fritty & Joe Ariwa

Pastafari Dub

Pastafari Dub

ダブ・アルバム。Miss Fritty & Joe Ariwaというアーチストのことは何も知らないのだが、パスタ食ってるねーちゃんのジャケットに、パスタとラスタをかけたパスタファライ・ダブなんてェタイトルがついていたのがなんだか可笑しくてついつい購入。でも音はしっかりしたアップトゥ・デイトなダブ・サウンドだ。 《試聴》

■Deliver I / Danny Vibes

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ダブ・アルバム。これもアーチストのことは何も知らないのだが、ジャケットに写るDanny Vibesの顔がなんだか変すぎて、気になって気になって仕方なくなりついつい購入。しかしこちらも音はきちんと今風なダブ・サウンドであった。 《試聴》

20160119(Tue)

[]放擲されたソ連宇宙計画の残骸〜『バイコヌール宇宙基地の廃墟』 放擲されたソ連宇宙計画の残骸〜『バイコヌール宇宙基地の廃墟』を含むブックマーク 放擲されたソ連宇宙計画の残骸〜『バイコヌール宇宙基地の廃墟』のブックマークコメント

■バイコヌール宇宙基地の廃墟 / ラルフ・ミレーブズ

バイコヌール宇宙基地の廃墟

バイコヌール宇宙基地はカザフスタンに存在するロシア連邦宇宙局の管理するロケット発射場である。その広大な敷地の片隅に、半ば廃墟と化したロケット格納庫と関連施設が佇んでいる。そこには、冷戦時代のソビエト連邦が開発し、建造されたスペースシャトル・タイプの有翼往復宇宙船と打ち上げロケットとが、朽ち果てながら眠っているのだという。ロシア在住のラルフ・ミレーブズが著した『バイコヌール宇宙基地の廃墟』は、その宇宙計画の残骸を、多数の写真により構成したルポルタージュである。

有翼往復宇宙船計画とその宇宙船の名前は「ブラン」。1974年から1993年にかけて計画は推進され、1988年に打ち上げられた最初の「ブラン」は4時間足らずで地球を2周し、バイコヌール宇宙基地に帰還したという。最初の打ち上げによる「ブラン」は遠隔操作による無人飛行であったが、これは米スペースシャトルでは不可能なことであった。ただし、有人飛行の危険性をおそれた措置でもあったらしい。計画の間、ブランは7機余りが建造されたが、91年8月のソ連クーデター事件を皮切りとした政治的混乱の中計画は頓挫、その後整備棟の中に放置されたまま現在に至っているのだ。

この『バイコヌール宇宙基地の廃墟』では、整備棟に眠る廃船・ブランの外観、コックピット内部等数々の写真を始めとして、打ち上げ補助ロケット「エネルギア」やその格納棟の写真等が収められている。当時最先端の技術と莫大な資金、人員を注ぎ込まれ作られた宇宙船ブランは今や誰も省みることの無いスクラップとしてバイコヌールの荒野に捨て置かれている。耐熱タイルははがれ、積年の埃に薄汚れたその姿はしかし今だ威容を誇り、その姿はあたかもまどろむ巨人のようですらある。そしてそれは、「未来の廃墟」とでも表現したくなるような、息を呑む廃墟感に満ち溢れているのだ。

参考:

幻の「ソ連版スペースシャトル」放置されてホコリだらけに(画像)- The Huffington Post Japan

旧ソ連版スペースシャトル「ブラン」、野ざらしの今と華やかな過去の画像 - GIGAZINE

ブラン (オービタ) - Wikipedia

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yoyoshi yoyoshi 2016/01/20 12:20 凄い写真集ですね。星野之宣先生の星の町を思い出します。クレイジージャーニイで取材していた旧ソ連の遺物も、仰る通り未来の廃墟感が充ち溢れていました。並行世界にはソ連が存続した世界があって宇宙開発バリバリで月に基地も作っていたりして。

yoyoshi yoyoshi 2016/01/20 12:31 同じコメを誤って書いてすみません。スペースシャトルの格納庫がチェルノブイリの石棺みたいに見えます。放映が始まったばかりのシュバルツマーケンというアニメは旧東ドイツが舞台なんですね。

globalheadglobalhead 2016/01/21 08:18 性格が基本的にみみっちいオレは「いったい幾らの金をどぶに捨てたんだ…少しオレによこしてくれれば…」とそればかり気になりました。

20160118(Mon)

[]それはしつこく追いかけてくる!〜映画『イット・フォローズ』 それはしつこく追いかけてくる!〜映画『イット・フォローズ』を含むブックマーク それはしつこく追いかけてくる!〜映画『イット・フォローズ』のブックマークコメント

■イット・フォローズ (監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル 2014年アメリカ映画)

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『イット・フォローズ』観てきました。少年の頃からギャングに憧れ、その仲間入りを果たした一人の男の半生を描いた物語なんですが、J・ペシがいい味出してましたね。

すいませんそれは『グッド・フェローズ』でした。

『イット・フォローズ』は恋人とエッチしたら訳の分かんないバケモノに追い掛け回されるという性病をうつされた女の子のお話です。ペニシリンじゃ治らないっぽいです。性病というかある種の呪いなんですね。このバケモノというのが人間の姿をしてるんですが、見た目なんとなく不気味で、いろんな人間の姿に変化します。その姿は感染した(呪われた)自分にしか見えません。向こうからこっち目指してゆっくり歩いてきます。逃げりゃあいいんですが、逃げても逃げてもしつこく追っかけてきます。そして捕まったら殺されます。命懸けの鬼ごっこといったところでしょうか。追っかけっ子してつかまると殺される、というのは、眠ると殺される、というエルム街の別バージョンのように思いました。治療方法は他人とエッチしてうつすことですが、うつした相手が殺されるとまた自分の所に戻ってきます。たち悪いですね。

しかしこの訳の分からないバケモノはいったいなんなんだろうなあ、と思って観てましたが、なんか石投げて窓ガラス割ったり、とりあえずドアや壁があると入ってこれない(ぶち壊しはする)という部分から、超自然的な存在ではあるけど幽霊みたいなもんじゃなくある種の実体は持っている、ということは分かってきます。呪われた本人以外の他人には見えませんが、しかしこいつが何か動かすと動かしたことは他人にも見えるし、こいつに体ふっ飛ばされたりもします。ということは、こいつ、ステルス迷彩したプレデターみたいなヤツなんじゃないの?で、なんでエッチが原因かは分かんないけど、「自分を見ることができるようになったヤツをぶっ殺しに来る」ってことじゃないの?とちょっと思いました。そしていろんな姿に変えられる、というのは『ダーク・スキャナー』に出てきたスクランブル迷彩の能力も兼ね備えている、ということでもあるんですね。あれ、ひょっとしたらこいつ、宇宙人!?(その割に頭悪そうだったが)

で、「それ」の宇宙人説はさておいて、なんで「エッチしたらうつる」なのかなあ、ということです。映画の主要登場人物たちはみんな10代の学生っぽいんですね。10代と言えばホルモンがナニのソレして思春期を迎え、十分エッチできる体になり、大人へのとば口に立ち、精神的にはちょっと不安定だったりします。そういった年代の、「セックスに対する不安感、罪悪感」が「それ=バケモノ」の形に象徴化されたもんなんじゃないのかなあ、とオジサンちょっと思いました。オルタナなアメコミに『ブラックホール』という作品があって、これは思春期を迎えた少年少女が体に異様な怪物化現象を起こす、といったものなんですが、これなんかは思春期による体の変化=自分じゃない不可解なバケモノという自己疎外の物語だったんですが、『イット・フォローズ』ではセックスへの不安と罪悪感が形となって追いかけてくる、というお話だったんじゃないかなあ。

映画としては登場人物たちのファッションやライフスタイル(いつもダルそうな感じも含め)、なんだか小奇麗な映像のセンスは独特だなあとは思いましたが、まあそれ目当てで観に来たわけでもないのでそれほど関心は湧かなかったなあ。それよりもこの作品、どうやらデトロイトで撮ってるみたいなんですね(プールのシーンで分かった)。調べると監督自身もデトロイト生まれらしいんですが、デトロイトというと往時は全米一の自動車工業都市だったものがフォーディズムの破綻によりデトロイト暴動を引き起こし多数の死傷者を出した挙句街の中心部はスラム化、白人富裕層は郊外に逃げ出しそこに移り住んだわけです。映画の舞台はこういったいわゆるサバービアで展開し、廃墟となったデトロイトの市街地も映画に出てきます。こうした荒廃した都市と都市の空洞化、そういったものに対する不安や空虚感がこの作品の背景として存在し、ひとつのカラーとなっているように思えました。

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20160115(Fri)

[][]絢爛たる映像に包まれたバンサーリ監督による歴史映画大作『Bajirao Mastani』 絢爛たる映像に包まれたバンサーリ監督による歴史映画大作『Bajirao Mastani』を含むブックマーク 絢爛たる映像に包まれたバンサーリ監督による歴史映画大作『Bajirao Mastani』のブックマークコメント

■Bajirao Mastani (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリ 2015年インド映画)

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■インドで公開ホヤホヤの『Bajirao Mastani』を日本で観られる!

映画『Bajirao Mastani』は『銃弾の饗宴:ラームとリーラ』のサンジャイ・リーラー・バンサーリ監督、同作品に出演したランヴィール・スィン、ディーピカー・パードゥコーン、プリヤンカー・チョープラーが主演となる歴史大作である。この作品はついこの間、2015年12月18日にインドをはじめ世界各国で公開され大ヒットをとばしたが、なんとこの公開ホヤホヤの作品が日本で観ることができたのだ。

実はこれは一般の劇場公開ではなく「KK SpaceBox Japan」という会社によるいわゆる「有志による上映会」で(在日インド人向けという部分もあるだろう)、日本語字幕ではなく英語字幕による上演であり、料金も2300〜2500円とお高いものなのだが、インドヒット作の日本語字幕上映なんて限られた作品が何年も待たされてからやっとという状況を考えると僥倖という他ない。今まで日本でインド映画を観るとなるとほとんど輸入DVDに頼るしかなかったのだが、やはり大作、人気作となると劇場で観たいもの。しかも今回はバンサーリー監督作品だ。オレは早速予約して会場である海老名イオン・シネマへと足を運んだのだ(ちなみに、インターバルがちゃんとあった!)。

■舞台はムガル朝時代

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さて映画『Bajirao Mastani』は1720年、インド・ムガル朝時代後期が舞台となる。そしてそのムガル帝国と対立していた時のマラーター同盟宰相、バージラーオがその主人公となるのだ。とはいえ、こうやって書いていてもインドの歴史に疎い自分にとってはなにがなにやらだ。そんなわけでザックリとではあるがWikipediaの記事をコピペしてこの時代の自分用メモを置いておくのでよろしければ参考にしていただきたいし、知ってる方は飛ばしてくれればいい。

ムガル帝国…ムガル帝国は、16世紀初頭から北インド、17世紀末から18世紀初頭にはインド南端部を除くインド亜大陸を支配し、19世紀後半まで存続したトルコ系イスラーム王朝(1526年 - 1858年)。首都はデリー、アーグラなど。ムガル朝とも呼ばれる。


マラーター同盟…マラーター同盟(1708年 - 1818年)は、中部インドのデカン高原を中心とした地域に、マラーター王国の宰相(ペーシュワー)を中心に結成されたヒンドゥー教徒のマラーター族の封建諸侯の連合体。18世紀にムガル帝国の衰退に乗じて独立し、一時はインドの覇権を握ったが、18世紀末から19世紀初頭の3次にわたるイギリスとのマラーター戦争で滅亡した。


バージー・ラーオ…バージー・ラーオ(1700年8月18日 - 1740年4月28日)は、インドのデカン地方、マラーター王国の世襲における第2代宰相(ペーシュワー、1720年 - 1740年)。マラーター同盟の盟主でもある。バージー・ラーオ1世、バージー・ラーオ・バッラールとも呼ばれる。彼はシヴァージーの再来ともいえる人物であり、「シヴァージーに次ぐ、ゲリラ戦法の最も偉大な実践者」と後世に語られている。また、その20年の統治期間の間に、マラーター同盟の軍はデカンを越えて北インドにまで進撃し、デリー近郊にまで勢力を広げ、その広大な領土は「マラーター帝国」と呼ばれた。

このように、映画の背景はインド亜大陸の覇権を巡りムガル帝国とマラーター同盟が戦闘を繰り広げていた時代であり、さらに主人公バージラーオは実在の人物なのだ。彼は「若年にもかかわらず、武勇と知略に非常に優れていた。さらに兵士らにはとても人気があり、今日にまでそれは伝わっている」男、要するに【名将】だったのだという。映画はマラーティー文学である『Raau』を原作としているが、物語で描かれるドラマがどの程度まで史実なのかオレは確認することができない。まあ、あくまで史実を基にして脚色されたドラマと観ておけばいいのだろう。

■一人の夫と二人の妻の物語

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物語はバージラーオ(ランヴィール・スィン)のペーシュワー(宰相)就任から始まる。各所で目覚ましい戦績を重ねる彼は遠征中のある日、テントに侵入し彼を威嚇する異国の使者に目を留める。彼女こそはブンデールカンド王の娘マスターニー(ディーピカー・パードゥコーン)であり、自国に侵略してきたムガル軍勢の排除を要請してきたのだ。マスターニーの勇猛さに感銘したバージラーオは要請を受け入れただちにムガル軍を打ち倒し、別れ際彼女に自らの短剣を送る。だがそれはマスターニーの故国で求婚を意味する行為であり、マスターニーはバージラーオを追って彼の住むプネーに訪れる。バージラーオはマスターニーを受け入れるが、彼には既にカーシーバーイー(プリヤンカー・チョープラー)という妻がおり、さらに彼の母ラーダーバーイー(タンヴィー・アーズミー)はこの婚姻を全く快く思っていなかった。だが、度重なる嫌がらせを受けながらも、バージラーオとマスターニーの愛は激しく燃え上がってゆくのだった。

この物語のポイントとなるのは、ムガル朝はイスラム教を主教としており、マラーター同盟はヒンドゥー教だった、という部分だろう。ただしこの時代、ムガル朝は他宗教に関して寛容だったらしく、これなどは同じくムガル朝を舞台とした歴史ドラマ『Jodhaa Akbar』(2008)において、ムガル皇帝アクバルとヒンドゥー教徒の王女ジョダーとの政略結婚という形で描かれている。この『Bajirao Mastani』においては立場が逆となり、イスラム教徒の娘マスターニーとヒンドゥー教徒であるバージーラーオとの婚姻が波乱を呼ぶ。ただしこれも宗教的なものというよりは「下賤な他部族の女を嫁にするな」といった含みなのだろう。こちらなどはやはりムガル朝を舞台とした歴史ドラマ『Mughal-e-Azam』(1969)におけるムガル皇帝と踊り子の娘との禁じられた愛に似たものを感じる。

ここで挙げた映画『Jodhaa Akbar』にしても『Mughal-e-Azam』にしても、かつての大帝国ムガル朝の王宮というスケールの大きな物語に見えながら、その内容は皇帝とその妻/愛人とのロマンス要素が中心となった物語だった。それはこの『Bajirao Mastani』でもそのまま踏襲される形となり、大きな歴史のうねりを描く作品というよりはマスターニーとバージラーオとのロマンスと、それを阻む大きな障害といった部分に比重が置かれている。そして思いっきり卑小に言うならば、『Bajirao Mastani』の物語とは姑の嫁いびりをひたすら大げさに描いた作品だということになってしまう。こうして見るとインド歴史映画の本質にあるのはその歴史性云々というよりはロマンスを中心としたメロドラマであり、ある意味大いにインド映画らしいと言うこともできる。だが『Bajirao Mastani』がそれだけの物語だということは決してない。

■究極まで高められた絢爛たる美術

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『Bajirao Mastani』の本当の見所は、究極まで高められた豪華絢爛たる美術にあると言っていい。その贅沢極まる衣装、衣装を飾る宝飾の輝き、そして威容を誇る宮廷の作りとそれを飾る煌びやかな内装、さらに美しい歌に合わせて踊られる魂をも蕩けさすダンス・シーン、それらを写す完璧に計算されつくしたカメラアングルとカメラワーク、全ては【美】そのものに奉仕するために作られたと思わせる様な壮麗たる映像に包まれているのだ。監督であるサンジャイ・リーラー・バンサーリはそもそもがその映画作品の美術に徹底的にこだわる男として知られており、出世作『Devdas』(2002)にしてもオレの愛して止まない作品『銃弾の饗宴 ラームとリーラ』(2013)にしても、なによりその美術に目を奪われ感嘆させられる作品だった。

そしてこの『Bajirao Mastani』は、そういったバンサーリー映画、バンサーリ美術の集大成であり最新の進化形であると言うことができるのだ。これはCGIやブルースクリーン技術といったVFXテクノロジーの進化が、バンサーリの思い描く美術構成にようやく追い付き、それをより的確に再現できるようになった、という部分が大きいだろう。だからこそこの『Bajirao Mastani』はバンサーリ映画の最新進化形であり現在における完成形であると言い切れるのだ。バンサーリーはこの作品においてインド映画最高の美術を結集して製作された『Mughal-e-Azam』に挑戦状を叩きつけたとも言えるのではないか。少なくともこの領域においてバンサーリ監督は既に世界レベルの技量に達しているとオレは確信した。ものみな黄金に光り輝く宮殿内部で、これまた黄金の衣装を身に付けたディーピカー・パードゥコーン演じるマスターニーの踊りのシーンなどは、そのあまりの美しさに陶然となってしまった。この美しさを堪能できないなんて、一般公開の無い日本はある意味不幸だとすら思う。

■素晴らしい出演陣

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美術だけではなく、主演者たちもまた素晴らしい。宰相バージラーオを演じるランヴィール・スィンの、その雄々しく猛々しい立ち姿、支配者ならではの鷹揚さと戦いの際の勇猛さ、そんな彼が愛に躓くその脆さ、どれもが記憶に鮮明だ。そしてマスターニー演じるディーピカー・パードゥコーンの、その凛とした美しさ、戦いに挑むときの冷たく燃える目つき、逆境の中ですらそれをものともしない強固な意志の様、もうなにもかもが愛おしい。さらに第一夫人カーシーバーイーを演じるプリヤンカー・チョープラーも忘れてはならない。常に慈愛に溢れ輝く様な優しい笑みを浮かべ、愛する夫の前で子供のようにはしゃぐその姿、第二夫人マスターニーに向ける仄かな嫉妬とその嫉妬自体に困惑するアンビバレンツ、この作品で最も大きな感情の起伏の様を演じてみせたのはプリヤンカーなのかもしれない。

こうして、ものみな光り輝き、どこまでも愛おしい登場人物たちに彩られたバンサーリー入魂の歴史大作『Bajirao Mastani』、ひたすら堪能させられる充実した作品であったが、次はBlu-rayで…とは言わずまた劇場で観たい。次はもっと大きなスクリーンで!あと日本語字幕もお願い!

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20160114(Thu)

[]コミック版『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は想像以上にスゴイ完成度なのでファンならとりあえず買っとくべし コミック版『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は想像以上にスゴイ完成度なのでファンならとりあえず買っとくべしを含むブックマーク コミック版『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は想像以上にスゴイ完成度なのでファンならとりあえず買っとくべしのブックマークコメント

マッドマックス 怒りのデス・ロード:COMICS & INSPIRED ARTISTS

マッドマックス 怒りのデス・ロード: COMICS & INSPIRED ARTISTS (G-NOVELS)

映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード(以下「MMFR」)』のコミックが出るらしい、と聞いた時は「どうっしよっかなー」程度に思っていたのである。最初このコミック版『MMFR』は映画ヒットにあやかった粗製濫造の、ファン向けのおまけグッズ程度の物だとしか思っていなかったのだ。しかし実は全くそうではなかった。

左様、映画『MMFR』は最高の映画である。2015年最高の一作であるばかりか、ここ10年の最高の映画作品のひとつであると言っていいし、ひょっとしたら21世紀の、少なくとも上半期の映画史に名前を連ねるだろう作品になるやもしれない大傑作である。まあ別に名前なんぞ連ねなくとも、オレの50年にものぼる人生の、オールタイムベスト10を易々と更新してしまった作品であることは全く疑いがないのである。この作品には脈打つ血と焼けつくような魂の存在を感じる。素晴らしいフィクションとは、素晴らしい映画とか何か?それは『MMFR』を観れば全ての回答が用意されている。そんな映画なのだ。

『MMFR』監督ジョージ・ミラー直々の原作により(本編脚本家との共同執筆であるらしい)『MMFR』世界を補完する形で描かれたサイド・ストーリーだ。いや、よく出来たサーガにはアナザーストーリーなりスピンオフなりが作られることはままある。それはサーガの持つ世界観が強固であるからこそ可能なことなのだろう。ただそれらには、後から付け加えられた、という感がどうしてもしてしまう。また、大筋のサーガが子細に渡り描かれているがゆえに、それの枝葉を別に描くのは蛇足のように見えてしまうこともある。

だが、このコミック版『MMFR』に関しては、ただ映画で語られていなかっただけで、実際に『MMFR』という"事件"の前後には、こういった出来事が"実際に"あった、と納得させられてしまう説得力が溢れているのだ。むしろ、映画『MMFR』は長大なマッドマックス世界史の中のいわゆる「イモータン・ジョー事件」と呼ぶべき事柄をそこだけ切り取って描いたものであり、このコミック版はその「イモータン・ジョー事件」に連なる歴史のターニングポイントを示唆した作品群であるともいえるのだ。例えば第2次世界大戦の激戦の舞台を一つの物語として描く作品があって、しかしその世界大戦自体もまた様々な要素が絡みあった巨大な歴史的潮流であるように。これはもう原作者であるジョージ・ミラーの頭脳の中で「マッドマックス世界」自体が手に取ることができるほどに子細に渡って構築されていることの表れだろう。

内容についてはネット上にある作品データをコピペしておくのでそちらを参照されたい。そこには「ウォー・ボーイズ」のひとりニュークスの生い立ちと、イモータン・ジョーの「ウォー・ボーイズ」結成までのあらまし、フィリオサが5人の妻を逃がす決意をした理由、マックスを悩ます謎の少女の真相、そして怪物マシン「ウォー・タンク」がどのような経緯を経て現在の形になったのかまでが語られている。また、コミックは書籍の半分程度のみの収録で、残りの半分は65人に上る"マッドマックス・アーチスト"によるマッドマックス・グラフィックが狂い咲いている様を観ることができる。

【収録内容】

『Nux & Immortan Joe』イモータン・ジョーの武装集団「ウォー・ボーイズ」のひとり、ニュークスの生い立ちと、石油戦争と水戦争の英雄だったジョー・ムーア大佐が、「シタデル」を自らの砦として発展させ、イモータン・ジョーという暴君的な司令官となっていく物語。

『Furiosa』イモータン・ジョーの砦には、外界の有害な環境から隔絶・保護されたきれいな空気と水がある特別な区画があり、そこにはジョーの5人の妻たちが監禁されていた。

大隊長のフュリオサは5人の妻を連れて砦から逃げ、故郷である「緑の地」を目指し逃亡しようとする。

『Max Part 1&2』破壊された愛車インターセプターを再び作り直すため、危険な荒地をさまようマックスは、やがて燃料と自動車の部品が、人の命より価値がある町「ガス・タウン」へ辿り着く。

マックスはガス・タウンにある闘技場で殺し合いの試合に挑み、戦利品である伝説のV8エンジンを手に入れる。

車を修理するため隠れ家に戻るが、襲撃され車もエンジンも奪われてしまう。

重傷を負ったマックスを助けた謎の女はバザードという盗賊一味に娘を奪われたことを話し協力を求める。

『The War Rig』映画本編で最も重要なマシン「ウォー・タンク」誕生の物語。

『Mad Max Fury Road Inspired Artists』豪州の巨匠ジョージ・ミラー監督が生み出した映画『マッドマックス』の黙示録的世界――この現代の神話ともいえる美しくも狂った圧倒的な世界観に、65人のコミックアーティストが挑む! 個性的なスタイルで表現された“怒り"のアート集に狂喜乱舞しろ

20160113(Wed)

[]『Fallout 4』と『Rise Of The Tomb Raider』をプレイしている。そしてどちらを優先すべきか迷っている。 『Fallout 4』と『Rise Of The Tomb Raider』をプレイしている。そしてどちらを優先すべきか迷っている。を含むブックマーク 『Fallout 4』と『Rise Of The Tomb Raider』をプレイしている。そしてどちらを優先すべきか迷っている。のブックマークコメント

Fallout 4

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各地で絶大な人気を誇るポストアポカリプスRPG「Fallout」シリーズ新作、『Fallout 4』が去年の暮れ発売されたので、年末進行だったにも関わらず血反吐吐きながら購入しプレイしたのである。まあ実の所年末進行とは名ばかりであり「デスマーチ」というよりは「コアラのマーチ」と言っていい程度の仕事量ではあったが、とりあえず年末は忙しそうな振りをしていないと社会人として陶片追放されそうなのであえて言ってみたまでなのである。ただまあそれなりにあれこれ片付け事があったので、残念ながらそんなにプレイはしていない。さらに今現在、仕事がいわゆる「年始進行」のため帰りが遅く、やっぱりプレイできてない。実は酒ばっかり飲んでるから、という理由もあるのだが、それは内緒である。ただ、そんな合間にちまちま弄ってみていても、よく出来ていて止めどころの見つけられない面白さは流石にある。

この『Fallout 4』、核戦争後の荒廃した世界を広大なオープンフィールドで再現し、そこであれやこれやのミッションなりおつかいなりをこなしながらチマチマと経験値を溜め己を強化してゆくのが醍醐味の、文字通りRPGなのであるが、その作り込まれた世界観だけではなくありとあらゆるオブジェにアクセスでき、そのオブジェを活用したり解体したりしながら武器や装備を構成してゆくと手間がこれまたミソとなっている。だから構成に必要なパーツ一個探すためにフィールドを彷徨い歩いたりしなければなら無くなってくる。面倒臭い。面倒臭いがハマると楽しくなる。さらに今作では自分や町の住民の拠点作りが加わり、ある種のシミュレーション的要素が加味されていることが新機軸となるだろう。

内容というか雰囲気は前作『Fallout 3』とそれほどかけ離れたものではないが、グラフィック強化などにより『Fallout 3』より快適に進めることができるようになった、いわば「デラックス版」といったところだろうか。ピップボーイはなんか使い難いけどね…それに白状すると『Fallout 3』もやってたんだけどクリアしてないんだけどさあ…。とまあサハラ砂漠で砂を拾い集めてゆくような膨大な労力と世界に関する多岐に渡る情報力が必要とされるこのゲーム、クリアまで100時間とかいう話もあり(ミッションだけなら2,30時間という噂もあるが)、今からクリアする自信は全く無いばかりか多分無理であろうという気が相当にするのだけれども、とりあえずやれるところまでやってみよう…。

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Fallout4

Fallout4

■Rise Of The Tomb Raider

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「だーかーら。新しく始めた『Fallout 4』が既にクリアするのが無理だと思ってるほどなのに、そして他にも積みゲー山ほどあんのに、新しくゲーム買って遊ぶ余裕なんかないってゆーの」そんなことを自分自身に言いながら、ついつい買ってしまった『Rise Of The Tomb Raider』である。前作は非常に良く出来た秀作で、オレにしては珍しくきちんとクリアしているのだが、この新作に関しては興味はあったものの、ゲームリリースがあった去年の11月では「これ以上ゲーム増やせないなー」という理由からスルーしていたのである。それと、世間の評判では「クオリティは高いが、やることは前作とほぼ同じ」ということらしく、だったら特にやらなくてもいいか、と思っていたである。

しかし年末にちょろっとボーナスが出て懐が温かくなり、気分が大きくなってつい買ってしまったのである。いい年こいて懐が温かくなって買うものがゲームである、という部分にオレという人間の社会性がよく表れているように思う。それとこのゲームをやっぱり買ってしまったもうひとつの理由に、Xbox専用ゲームである、という部分が大きい。Xbox、日本で売れて無くて大変なことになっているので、発売されているうちにゲームを確保しておかねばならないのと、ここはひとつ投資代わりに購入しなければ、この先の他のゲームのリリースに関わってくる、ということがあるのである。Xboxファンはなにかと大変なのである。

そんな経緯で購入したゲームなので殆どやれていないのではあるが、とりあえずオープニングだけでもとプレイしたところ、これが、もう、スゴイ。笑っちゃうほどスゴイ。笑っちゃうほどどころか、あんまりスゴクてホントにゲラゲラ笑いながらやってたぐらいである。迫真性と臨場感とそれを見せる演出がハンパないのだ。確かに前作と変わりないのかもしれないが、この演出力の点で一歩頭抜けているのではないか。全然やってないので断言できないが。正直『Fallout 4』よりもこの『Rise Of The Tomb Raider』のほうがオレ向きのような気がするし、クリアするまで頑張っちゃおうよ!という気がガンガンするのである。だから今、『Fallout 4』のレベル上げをするのか、この『Rise Of The Tomb Raider』に集中するのか、迷っているほどである。それほどファーストインプレッションがいいゲームであるのは確かだ。

はじめましてはじめまして 2016/01/13 13:33 トゥームレイダーからでよろしいかと!
多少のオープンワールドっぽさをまぶした一本道ゲーなので、ギアーズオブウォーやCODのように一気にクリアしても満足感ありますし素晴らしい出来です。
クリア時間も大してかかりません。

私も「無駄な悪あがきなんじゃ…?」と思いつつ、微力ながら箱ゲーを購入しております。

globalheadglobalhead 2016/01/13 22:11 コメントありがとうございます。おおやっぱりそう思われますか!自分もそう思いつつ「あとちょっとだけ…あとこのイベントだけ…」とFallout地獄にずるずるとはまっておりました。きっともう少しで明るい太陽が見えてくると思うので(比喩)、そうしたらきっとトゥームレイダーに…トゥームレイダーに…ゲホッ(血反吐)。
それにしても箱ゲーやってる方がいるのを知るのはなんだかやっぱり嬉しいものですね。ああ、もっと日本で売れないかなあ…。

20160112(Tue)

[]幽霊屋敷を舞台にしたデル・トロならではのゴシック・ホラー・ストーリー〜映画『クリムゾン・ピーク幽霊屋敷を舞台にしたデル・トロならではのゴシック・ホラー・ストーリー〜映画『クリムゾン・ピーク』を含むブックマーク 幽霊屋敷を舞台にしたデル・トロならではのゴシック・ホラー・ストーリー〜映画『クリムゾン・ピーク』のブックマークコメント

クリムゾン・ピーク (監督:ギレルモ・デル・トロ 2015年アメリカ映画)

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今の若い方だとギレルモ・デル・トロといえば『パシフィック・リム』の監督ということになるのだろうが、オレのようなロートル映画ファンにとっては『パンズ・ラビリンス』や『ヘル・ボーイ』に代表されるゴシック・ファンタジィ/ゴシック・ホラーの映画監督だというイメージが強い。2015年にアメリカ公開されたこの『クリムゾン・ピーク』もそんなゴシック・ホラー映画だ。

《物語》資産家の娘イーディスは幼い頃から幽霊を見る体質を持った子だった。成長したイーディス(ミア・ワシコウスカ)は父の謎の死をきっかけとしてイギリス人トーマス(トム・ヒドルストン)と結婚し、イギリスへと渡る。トーマスの屋敷は地盤の赤粘土が染み出て雪を赤く汚すクリムゾン・ピークと呼ばれる山頂に建っていた。屋根が崩れ雪の吹き込む古びたその豪邸で、イーディスはトーマスの姉ルシール(ジェシカ・チャステイン)を含め3人で生活することになる。そんなある日、イーディスは全身が赤く染まった亡霊の姿を度々目撃するようになる。最初は恐怖に打ち震えていたイーディスだったが、何事かを訴え掛けようとする亡霊の導かれ、「決して入ってはいけない」と言われていた地下室へと足を運ぶ。

このように【幽霊屋敷】ジャンルに入るであろうこの『クリムゾン・ピーク』だが、そもそもデル・トロ自体が幽霊屋敷映画を好む映画監督であると言うこともできる。デル・トロが製作・脚本・監督を兼ね、彼の名前を世に知らしめることになったホラー作品『デビルズ・バックボーン』(2001)をはじめ、製作総指揮を務めた『永遠のこどもたち』(2007)、製作・脚本を務めた『ダーク・フェアリー』(2011)、そして製作・脚本・監督のこの『クリムゾン・ピーク』と、彼の携わったホラー作品の多くが幽霊屋敷を題材とした物語だ。あの『パンズ・ラビリンス』ですら家が異界へと繋がるシーンがあった。これらに登場する怪しく古色蒼然とした屋敷の数々は、デル・トロの遠い記憶に眠るなにがしかの(恐怖の?)体験に根差したものなのかもしれない。それは想像でしかないのだが、少なくとも彼の作品にはねっとりと情念のこびりついた密室が度々登場するとは言えないだろうか。こじつけ覚悟で言うとあの『パシフィック・リム』ですら「ロボットの胎内」というオタクの密室を描いた作品と言えないことも無い。

この『クリムゾン・ピーク』にも隠された過去の因縁、開かずの間、暗闇から現れ何かを訴え掛ける亡霊といった【幽霊屋敷】ジャンルの定石が散りばめられるが、逆に言うならその他に新機軸が持ち込まれているというわけでは無いといった点で新鮮味に欠けるかもしれない。だが、それよりも、デル・トロならではのまさに"ゴシック"と呼ぶにふさわしい廃物感覚に溢れた不気味かつ美しいビジュアルと、彼独特の「ねっとりと情念のこびりついた密室」を堪能できるといった点では、デル・トロ・ファンにとってもホラー・ファンにとってもそれなりに見所のある安心できる作品と言えるのではないか。新機軸はないとは書いたが、地盤の赤粘土が降り積もる雪をジュグジュグと汚らしく赤く染め上げ、それがあたかも血の海の如く見えてしまう映像などは目を見張るものがあった。

それよりもこの作品は演者がどれもいい。主演のミア・ワシコウスカは『アリス・イン・ワンダーランド』と『マップ・トゥ・ザ・スターズ』でしか知らないのだが、いつも不安げに眉間に皺を寄せる表情に魅力を感じた。トーマスの姉ルシールを演じる『ツリー・オブ・ライフ』『ゼロ・ダーク・サーティ』のジェシカ・チャステインは薄幸さと酷薄さを併せ持った顔つきが物語の不気味さを引き立てていた。そしてトーマス役のトム・ヒドルストンだ。『マイティ・ソー』のロキ役で一世を風靡した彼だが、そのせいもあってか映画が始まって暫くしても「あ、ロキだ」「ロキがなんか言ってる」としか思えなくて少々苦笑してしまった。まあこれは観ているオレの問題なのだが、それでも中盤からは謎を秘め己の行為に呵責を覚える男としての役柄にきちんと追いついて見えてきて、これもなかなかの熱演だったと思う。

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yoyoshi yoyoshi 2016/01/14 11:41 デル・トロ監督にジャバザハット様のスピンオフ作品を撮って欲しい!オタクのよたばなしだと謙遜しておられたけど何年でも待ってます。幽霊屋敷ものはヘルハウス、たたり等、名作が多いけどゴシックな雰囲気で負けていません。義姉さんが良かった。

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20160111(Mon)

[]ボウイ逝去 ボウイ逝去を含むブックマーク ボウイ逝去のブックマークコメント

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ボウイが亡くなったらしい。日付は1月10日、18ヶ月に渡る癌との闘病生活の未だったようだ。1月8日に誕生日を迎え、それと同時にニュー・アルバム『Blackstar』をリリースしたばかりだった。

思えば、ラスト・アルバムとなったこのアルバムは、ボウイの置き土産であると同時に、間近に迫る自らの死を予期しながら、死そのものさえも作品として残そうとしたボウイのアーチスト魂が込められた作品だったのだ。最初このアルバムを聴いた時、特にラストの曲『I Can't Give Everything Away』の数々のフレーズに、なにかこれまでのボウイ作品の集大成的なものを感じ、「ボウイ、なんでこんなことやってるんだろう?」と疑問に思っていたのだが、やっと意味が分かった。ボウイは結局、死ぬまで、第一線のロック・アーチストだった。

自分がボウイにいかに思い入れを持っていたかということは、特に書かない。ボウイについてはこれまで散々このブログで書いてきたし、いかに熱狂的なファンだったかも散々アピールしてきたので、なにか蒸し返す気になれない。悲しいといえば確かに悲しいのだが、歳のせいなのか、自分は「遅かれ早かれ、人というのは死ぬものだ」と思うようになった人間なので、驚きこそすれ、「そういうものだ」としか言いようがない。ボウイが死ぬように自分もいつか死ぬ。ただそのことを再確認したというだけだ。しかしボウイは沢山の作品を残し、それはいつだって聴くことができる。素晴らしいロックを奏でるボウイは、いつだって傍にいるのだ。

思い入れは書かないと言っておきながらなんなのだが、自分にとって思い出深いボウイの作品の一つは、ボウイ主演映画『地球に落ちてきた男』だった。故郷の惑星を離れ地球に落ちてきたまま帰れなくなってしまったある異星人の男の物語。自分が本当に居る場所はここではなく、別の場所にあり、そこには安らぎのある生活があったのだ、というこの物語は、当時の自分の強烈な現実逃避願望とリンクして、ある意味心象風景のひとつとすらなってしまっていた。

ボウイは亡くなってしまったが、地球に落ちてきた男であるボウイは、やっと故郷の惑星に帰り、愛しい妻と子に再開することができたのだろうと、自分なんかは思うのだ。ボウイの魂よ安らかに。

★(ブラックスター)

★(ブラックスター)

yoyoshi yoyoshi 2016/01/15 11:01 中学の同級生が大ファンで洋楽雑誌の記事を一生懸命スクラップにしてました。今の様に情報がリアルタイムで入る時代ではなく辞書と首っ引きで歌詞を訳したり。この世ならぬ美しさを纏う方でした。奇しくもアランリックマン氏も69歳で亡くなりショックです。

globalheadglobalhead 2016/01/15 16:00 アラン・リックマンも亡くなっちゃいましたね。ハリーポッターに出演していたからか、オレの周りでは意外とアランさんの訃報のほうが話題に出ていて、「ボウイも死んじゃったんだけど…」と話に割り込むと「ああなんかニュースで出てたね」と適当に返されたので世間での本当の認知度はこんなもんだろうなあとちょっと思いました。

20160110(Sun)

[]お正月の反省 お正月の反省を含むブックマーク お正月の反省のブックマークコメント

というわけでお正月も終わり、オレがInstagramでちまちまと載せている写真やら載せていない写真やらを並べながらお正月の反省などをしてみたいと思います。ちなみにオレのInstagramここなのでフォローされたい方は御自由に。

12月30日

この日で仕事納め。大掃除をした後職場のみんなと寿司をつまむ。

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12月31日

大晦日は相方さんと新宿に映画を観に行く。映画の前に久しぶりに新宿中村屋でコールマンカリー。

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夜はすき焼き。

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1月1日

元旦はお昼から簡易おせちとお雑煮、磯部巻きとお煮しめのご飯。

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ちょいと夜の神社に初詣で。

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この日の夜はクラフトビールを飲みながらお歳暮に貰ったハムソーセージを消費。

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1月2日

伊東までカピバラを見に行く。行きの踊り子号では横浜名物焼売弁当。

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伊豆シャボテン公園にはシャボテン繋がりでメキシコ・マヤ文明の遺跡のレプリカが多く置いてあるのですよ。

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カピバラ詣での後はいつものビアバーでビール三昧、そしてフリッツ!

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1月3日

相方さんは昨日飲み過ぎたみたいでぐったり。でも美味しいアップルパイを焼いてくれました。

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夜は相方さんと一緒に大森へ映画を観に行きました。豚骨味噌ラーメンを食べて軽く腹ごしらえ。

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今年最初に観る映画はやっぱりインド映画!しかも劇場2回目となる『銃弾の饗宴・ラームとリーラ』!またも堪能しました。

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映画館ロビーにあったシャールク&ディーピカーの『Happy New Year』のポスター。まさに明けましておめでとう!

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1月4日

お正月休み最後の日。なぜか「暗黒皇帝の自撮りのつもりが地鶏になっちゃった」画像などを作ってました。意味はありません。

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御馳走も飽きたのでこの日は今年最初の!ピザ!!

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(おしまい)

20160108(Fri)

[]お正月恒例・伊豆シャボテン公園カピバラ詣り お正月恒例・伊豆シャボテン公園カピバラ詣りを含むブックマーク お正月恒例・伊豆シャボテン公園カピバラ詣りのブックマークコメント

1月2日は相方さんと二人連れ立って、伊東にある伊豆シャボテン公園へお正月恒例のカピバラ詣でに出掛けてきました。

入り口ではシャボテン野郎がお出迎え。

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伊豆シャボのお正月といえばなんといっても【元祖カピバラ温泉】!この日も大人気で黒山の人だかりとなっていましたよ!

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お湯が出るのを今か今かと待ち構える気の早いカピ。

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徐々にみんな集まってきました。

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はぁ〜極楽極楽。

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イイ湯だっなっ♪

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ハハン♪(鼻だけ出しているカピがいます)

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お昼過ぎには「カピバラ鏡餅大会」が開かれていて、鏡餅の形にしたご飯をみんなで食べていました。

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オレと相方さんも腹ごしらえ。この日は少々寒かったので、スタミナを付けるためにカツカレーを注文。ついでにカピの絵が焼き印されたホットケーキも注文しました。

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さてカピのいるもう一つの場所、「カピバラ虹の広場」へ。しかしどこにもカピがいない…と思ってたら、あんまり寒いものだからみんな建物の中に入ってストーブのまわりに固まっていました!

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後ろから見たらまるでお団子です。カピバラ団子…。か、かわいい…。

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ストーブでお尻を温めるちんまい仔カピと、その仔カピにあご乗っけする仔カピ。

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むぎゅう。

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ぺたし。

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狭い所に入りたい。

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それでもお昼を過ぎる頃には気温も少し上がってきて、カピバラたちも外に出て遊んだりしていました。

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最後にもう一度カピバラ温泉からあがったカピの皆さんに挨拶してこの日は帰りました。

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「バイバイ!またね!」

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「きゅるきゅる!」

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(おしまい)

monogu3monogu3 2016/02/21 08:06 はじめまして。そして、いろんな意味でスミマセン。
タイミングを逸して今頃んなってスミマセンなのですが、
すげー"偶然の気まぐれにより"「わたしはそこにいた」ので。
……カピバラ温泉をお楽しみの際、目の前か近くに邪魔くさい
髪を後ろに結んだオッサンが居ませんでしたか?スミマセン。
検証画像として私の撮ったものを Fotolifeに置きました。
あの日は行楽日和なれど風がビュンビュン寒かったですね。
しめ縄をムシャムシャするビリーにどよめくトラルファマドール達。
いや、あっちがトラルで、こっちがしょーも無い地球人か。
……などとウダウダ書いたりしてスミマセン。
こちらを読み始めるきっかけが多分確かヴォネガットだったんです。

globalheadglobalhead 2016/02/21 09:54 こんにちは!実はメッチャ覚えてます!なぜなら真後ろにいたから!自分らはイベント始まってから30分ぐらい過ぎた後に行ったからそろそろギャラリーも空いてきたかな?と思ってたらまだ満杯で、ちょっと空いているかな、と思って堀の左側に移動したんですが、そこは空いてたんじゃなくて頭を低くして堀にカメラ(ビデオ?)を置いてかぶりつきで延々カピバラを撮っている男性がいたからなんですよね。ええ、ええ、ちょい細身で髪を後ろに束ねてましたよ!その方が頭を低くしていたから自分はその真後ろでカピバラ写真撮れたんですよね。連れ合いの方もいらっしゃいませんでしたか?そしてよく覚えていたのは「全然どかないなあ!とてもカピバラの好きな方なのだなあ!」と思ってたから!もしもその方だったとしたらホントに奇遇ですね。こんなこともあるんだなあ。しかもオレの日記読んで下さってただけじゃなくてカピバラもお好きとは凄い偶然ですね。またもしもどこかのカピバラ動物園でお見掛けしたら速攻声掛けるので覚悟しておいてください!

20160107(Thu)

[]失脚した独裁者とその孫との逃避行〜映画『独裁者と小さな孫』 失脚した独裁者とその孫との逃避行〜映画『独裁者と小さな孫』を含むブックマーク 失脚した独裁者とその孫との逃避行〜映画『独裁者と小さな孫』のブックマークコメント

■独裁者と小さな孫 (監督:モフセン・マフマルバフ 2014年グルジア/フランス/イギリス/ドイツ映画)

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『独裁者と小さな孫』はクーデターにより失墜した独裁者と、彼の連れた小さな孫との逃避行を描いたドラマである。

舞台は東欧と思われる架空の国、そこに人々から「大統領」と呼ばれる独裁者がいた。彼は独裁者の名に漏れず独善と冷徹でもって国を治める暴君であったが、その孫息子にだけは惜しみない愛を注いでいた。そんなある日クーデターが起き、彼を亡き者にせんと迫る革命軍に追われ、愛する孫とたった二人かつて自らの国であった土地を逃げ惑うことになる。そしてそこで彼が目にすることになるのは、圧政による貧困にあえぐ国民たちと、わがもの顔で人々を蹂躙するならず者たち、そして疲弊し荒廃した故国の大地だった。

まず最初に舞台となるのがあくまで架空の国であること、主人公である独裁者は「大統領」と呼ばれるだけの名前の無い男であることから、この物語はひとつの「寓話」であるということが明確にされる。その中で主人公「大統領」は独裁者の「象徴」に過ぎない。歴史の中に"失墜した独裁者"は数多に存在するし、物語に触れている間もヒトラーだのチャウセスクだのフセインだの様々な"失墜した独裁者"を想起させるけれども、実際のところ特定の何者かをモデルにしているといったものではない。

乞食同然の姿に身をやつした「大統領」は己が引き起こした荒廃と貧困にあえぐ国民たちの姿を目の当たりにして苦悶する。苦悶はするが反省はしていない。彼にとって今第一義なのは安全な場所に逃亡することであり己とその孫の命を守ることだけだからだ。腐った魚はどこまでも腐った魚なのだ。そもそもこのドラマの結末に、真正さに目覚め己の過ちを悔やみ国民たちに哀訴する主人公の姿があるとはとても思えないし、もしそうであったら鼻白むだろう。哀れではあるが彼の末路には己の罪業を死をもって購う以外道はないだろう。それではこの物語のラストはいったいどういった選択が成されるのか…というのは書かないが、このラストの在り方こそはこの物語が「寓話」であることの理由だったのかもしれない。

さてそんな物語の中で「小さな孫」はどんな役割だったのだろうか。この孫は幼いころから「大統領」の持つ強大な権力の様を当たり前のものと信じ、そして自らもその権力に庇護された特別な存在であると思いきっている。そしてクーデターによりそれら全てが灰燼に帰したことを全く理解できない。それは「孫」が単に愚かな子供だからだ。この「孫」は純真無垢の象徴としての"子供"というよりは、状況の何も分かっていない"愚か者"として登場するのだ。

しかし、子供であるのなら、愚か者であることは半ば仕方ない。半ば、というのは、この「孫」の存在は多くを語らない「大統領」の心象が具現化した存在であるという見方もできるからなのだ。「大統領」は愚か者である。それは断罪するべき愚かさである。しかしその愚かさは何も知らぬ子供と同等ではないか。その断罪に死は順当なのか。そんな問い掛けと二重構造が『独裁者と小さな孫』にはあるような気がする。

この作品の監督であるイラン出身のモフセン・マフマルバフは、タリバン政権下のアフガニスタンを描く問題作『カンダハール』を撮った監督でもある。この『カンダハール』では戦火により荒廃した大地と原理主義的なイスラム教義により異形と化した社会が登場するが、しかしそういった熾烈で過酷な現実を背景としながら、描かれる世界は異界めいた幻想性すら感じさせた。

この『独裁者と小さな孫』でも、おそらくグルジアでロケされたと思われる幻想性の強いロケーションが幾つか登場する。それはかつてのソ連構成国時代の大仰な建造物であったり、計画経済が失敗した名残りの廃墟の光景であったりする。『カンダハール』がそうであったように、モフセン監督は『独裁者と小さな孫』の中にもまた現実を突き抜けた情景を展開しようとする。モフセン監督が一見政治的な題材を取り扱いながらイデオロギーよりもむしろ寓意にこだわるのは、こういった監督独特の幻視性がそこにあるからのような気がしてならない。

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20160106(Wed)

[]アイスランド発、羊をめぐる冒険(?)〜映画『ひつじ村の兄弟』 アイスランド発、羊をめぐる冒険(?)〜映画『ひつじ村の兄弟』を含むブックマーク アイスランド発、羊をめぐる冒険(?)〜映画『ひつじ村の兄弟』のブックマークコメント

■ひつじ村の兄弟 (監督:グリームル・ハゥコーナルソン 2015年アイスランド/デンマーク映画)

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遠い遠いアイスランドの国の、人里離れたある村に、二人の年老いた兄弟がおったんじゃ。兄の名はキディー(テオドル・ユーリウソン)、弟の名はグミー(シグルヅル・シグルヨンソン)。二人はそれぞれ羊を飼って生活しておったのじゃが、実はこの二人、大変仲の悪い兄弟で、40年もの間、口さえも訊かないほどだったんじゃ。そんなある日のこと、村で羊の伝染病が発見され、村中の羊を殺処分しなければならなくなってしまったのじゃ。キディーとグミーの兄弟も、全ての羊を失うことになって大弱りじゃった。そこで彼らは今までの仲違いを止め、自分たちの羊をこっそり隠しておこうと企んだんじゃ…。

オレの生まれ育ったのは北海道の僻地である。その町での産業は主に漁業が主体で、水産加工場もあったから町全体にいつでもどこでも魚臭い臭いが漂っていた。季節を問わず肌寒く、冬は降雪と曇天で気の滅入るような光景が広がる。恐怖小説作家ラブクラフトに『インスマウスの影』という作品があるが、あれを読んだときは「これはオレの町のことじゃないのか」とすら思ったほどだ。山の奥に入ると酪農もやっていて、広い牧場に牛が飼われたりしていた。なにしろ山の奥にあるので、地元とはいえそれほど目にすることは無かったんだが、何かの機会でたまに訪れると、「搾りたての牛乳だべ」とその牛乳を飲まされたこともあった。まあしかし、そういった牧場は当たり前のことだがとても獣臭く、ガキの頃はそれがとても嫌で、牧場なんてものに一般的な憧憬を感じることはまるでなかったし、そういった所で出された牛乳も、なんとなく気持ち悪く思っていたようなヒネたガキではあった。

アイスランド・デンマーク合作による『ひつじ村の兄弟』は、牛ではなく羊を飼う兄弟を描いた映画である。舞台がデンマークであり、また牧場であることから、降雪と曇天がいつも画面をモノトーンで染め上げ、広々とした牧場ではそれがどこまでも続いているのだ。酪農などというのは、なにしろ獣を扱う仕事だから、決して小奇麗なものではなく、個人でやっている様な牧場だと、さらにそれほど近代化されているわけでもなく、そんな牧場に、多分嫁の来てのないまま老齢に達した兄弟が、それぞれ別々の家にぽつりぽつりと住んでいる、もうこの光景だけでオレなんかは殺伐とした気分になってしまう。おまけにその兄弟はどちらも偏屈な上に小汚くて、人付き合いもたいしてなく、さらにお互い嫌い合っているときたら、殺伐気分はさらに拍車が掛かり、『ひつじ村の兄弟』なんてぇタイトルから想像される牧歌的な気分など厳寒の気温のように凍り付いてしまうというものだ。

とはいえ、この映画を観ていて、オレは始終「オレの育った土地とそっくりだなあ」と思っていた。さっき「山の奥の牧場」みたいな書き方をしたが、実際オレの育った町は、「山」と呼べるような高い山脈があるわけではなく、どちらかといえば丘陵地帯ってな風情なんだが、この『ひつじ村の兄弟』でも、広い牧場の後ろにあるのは、山というよりずんぐりした丘陵で、植物的な北限のせいで樹木らしい樹木も無く、それで余計殺風景に見えてしまい、そんな部分も、なんだかよく似ているなあ、と思えてしまう。牧場の建物や、そこで暮らし仕事に勤しむ主人公兄弟の防寒着や、その暮らしぶりなんかも、どうにも既視感に溢れていて、さらに老兄弟の偏屈さも、「オレの田舎もこんなクソジジイだらけだったなあ」としみじみとうなずけてしまうのだ。

物語的には、羊というよりこの老兄弟の確執の様に焦点が当てられていて、ある事件により、40年間仲違いしていた兄弟の心がやっと近づきましたあ、という、ただそれだけのものとしか観れなかったし、あのラストにしても、「ここで終わりなの?」という戸惑いしか感じなかったんだが、北国でド田舎で酪農で老人で、もういろいろ大変なんっすよ、というのは伝わったことは伝わった作品ではある。羊飼いで兄弟で確執でって部分でキリスト教的な何かに絡めて適当なことを言うと様になるかもしれないし、案外そんなテーマが隠れているのかもしれないが、知ったかぶりするためにネット検索するのも疲れるので「大自然の厳しさの中改めて心を通わす老兄弟の、感動はないが殺伐さだけは確かに伝わる物語」というまとめにしてお茶を濁そうかと思う。

D

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20160105(Tue)

[]ヒップホップ・グループ、N.W.A.の物語〜映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』 ヒップホップ・グループ、N.W.A.の物語〜映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』を含むブックマーク ヒップホップ・グループ、N.W.A.の物語〜映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』のブックマークコメント

■ストレイト・アウタ・コンプトン (監督:F・ゲイリー・グレイ 2015年アメリカ映画)

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オレはヒップホップという音楽ジャンルに関してはなんとなくザラッと聴いた程度の人間である。幾つかのアーチストの名前はうっすらと知ってはいるが、実質的には何も知らないのと同様だ。こんなオレがヒップホップ・ムービー『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観に行ったのは予告編に心ざわつかされたからである。

映画の中心となるヒップホップ・グループ、N.W.A.の名前なら知っていた。あまつさえ、大昔『100 Miles and Runnin'』(1990)というアルバムを買って聴いていたことすらあった。相当にハードでメタリックな音と性急なラップを繰り出すただならぬグループ、というのがアルバムの感想だった。映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』はそんなN.W.A.の結成から崩壊、そしてその後のある悲劇を描いたセミ・ドキュメンタリーである。実は詳細は何も知らなかったので、てっきりドキュメンタリー・フィルムだと思っていたのだが、実際はメンバーとよく似た俳優による作劇となっている。

映画は彼らの怒れる音楽の本質には何があったのかが描かれる。それはなによりも理不尽に余りある黒人差別であり横暴すら通り越した警察による暴力である。自分の家の前を歩いているだけで警官に拘束され、レコーディング・スタジオの前に集まっているだけで地べたに押し倒される。黒人であるだけで誰も彼もが凶悪犯罪者扱いだ。それは人間として扱われていないということだ。彼らはその怒りを「ファック・ザ・ポリス!」とリリックに乗せた曲でぶちまける。クソ野郎、人として扱え!といういうことだ。しかしその曲さえ官憲に禁止され、遂にN.W.A.はFBIにすら危険なグループとして目を付けられる。折しもロドニー・キング事件に端を発するロサンゼルス暴動が巻き起こり、物語はN.W.A.というヒップホップ・グループのみにとどまらないアメリカ社会を歪みを重ね合わせてゆくのだ。

しかしそんなN.W.A.は決して無政府主義のアジテーターだったというわけではない。それは今触れたロサンゼルス暴動をメンバーたちが困惑した様子で眺めている描写からも浮かび上がる。彼らは自分たちが今直面している現実を曲にしているだけであり、その現実の理不尽さに怒りを表明しているだけなのだ。彼らはその怒りを、暴力ではなく音楽へと昇華していたのだ。それは当然のことだが彼らがアーチストである、ということだ。そんな彼らのアーチスト性は既に冒頭から語られる。実際にギャングスタだったのはメンバーのうち一人だけで、あとの者たちは純粋に音楽を愛しまたその素養に恵まれた者たちであった。彼らの音楽が凶暴性を放っていたのだとすれば、それは彼らの生きる世界そのものが凶暴だった、ということなのだ。

とはいえ後半はメンバー同士の衝突と離反、マネージャーの横領など、音楽ビジネスにつきものの生臭い物語と化してゆく。これもまたN.W.A.というグループのドラマのひとつなのではあるが、グループやジャンル自体に思い入れの無いオレとしてはそれほど興味を持てず、かなりアウェイ感を感じていたことは否めない。どうもすんません。社会への不満や怒りは伝わってきたが、仲間同士の血管ブチ切れ気味ないざこざに関しては「お、お前らちょっと落ち着け」と思わず口を出しそうになったぞ。しかしその死に関しては「アメリカの有名黒人音楽アーチストらしいハードウェイな人生だったなあ」と様々な黒人音楽スターの死に重ね合わせてしまった。

D

20160101(Fri)

[]銀河暗黒皇帝より新年のあいさつ 銀河暗黒皇帝より新年のあいさつを含むブックマーク 銀河暗黒皇帝より新年のあいさつのブックマークコメント

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新年が明けた。

今年も完膚無きまでに侵略する。

---銀河暗黒皇帝

銀河暗黒歴 20016年 元旦