Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20160531(Tue)

[]ぶっ壊しぶっ殺しぶっ放す!〜映画『エンド・オブ・キングダムぶっ壊しぶっ殺しぶっ放す!〜映画『エンド・オブ・キングダム』を含むブックマーク ぶっ壊しぶっ殺しぶっ放す!〜映画『エンド・オブ・キングダム』のブックマークコメント

エンド・オブ・キングダム (監督:ババク・ナジャフィ 2016年イギリス/アメリカ/ブルガリア映画)

f:id:globalhead:20160528154417j:image

ホワイトハウスがテロリストの強襲を受けて『エンド・オブ・ホワイトハウス』になっちゃてから2年、あの最強シークレット・サービスが帰ってきたッ!?という映画『エンド・オブ・キングダム』でございます。前作のアメリカから今作ではその標的がイギリスとなり、例によって手に汗握るアクションを繰り広げております。

ところでこのワタクシ、今回映画を観に行くにあたって時間を間違ってしまい、相当ギリギリな時間で映画館に向かったもんですから、映画なんか観る前から相当手に汗握る、というか全身汗まみれでの映画鑑賞となってしまいました。近所の席の皆さん、汗臭いオッサンがゼイハア肩で息しながら映画観てたりしてホントに申し訳ありません。

さて今回のお話、アメリカのシークレット・サービスがなんでイギリスくんだりまで出張して暴れまわるかと言いますと、実はイギリス首相が突然亡くなり、その国葬に出席するアメリカ大統領の警護でってことなんですな。なにしろイギリス首相ですから世界各国からも沢山の首脳が出席します。なんとそこで各国首脳を狙った大規模な同時多発テロが勃発するというわけなんですな!いやこりゃ大風呂敷拡げたね!こうしてロンドン市内は一気に戦争状態へと突入するのですよ!

なにしろロンドン市内のありとあらゆる歴史的建造物がどっかんどっかんぶっ壊され、街の中ではどっかんどっかん銃撃戦が巻き起こり、敵も味方も一般市民もどっかんどっかんと頓死してゆきます!その中でシークレットサービスのマイク・バニング(ジェラルド・バトラー)はアメリカ大統領ベンジャミン・アッシャー(アーロン・エッカート)の命を救う為、決死の逃避行を繰り広げるというわけなんですよ。テロ作戦は相当の大規模であり、政府内部にも内通者がいるため敵味方の区別すらつきません。果たしてマイクは大統領を無事保護できるのか!?

いやーなにしろもう小気味いいぐらいぶっ壊しぶっ殺しぶっ放す映画でしたね。破壊と殺戮と銃撃戦の大盤振る舞いなんですよ。あまりのド派手さに嬉しくなって途中からヘラヘラ笑いながら観ていたぐらいですね。やっぱ映画はぶっ壊しぶっ殺しぶっ放してナンボ!おまけに主人公は無敵の脳筋ヒーロー!既に21世紀のランボー状態です!あんまり楽しかったもんだからこの映画、もう2016年上半期最高傑作ってことでいいだろ……としみじみと思ってしまったぐらいです。

なにしろ主人公が恐るべき戦闘殺戮マシーンで、銃で素手でナイフでとブルドーザーのように次々と敵をぶち殺してゆきます。いやもう軍隊なんか出さなくても、こいつ一人いれば朝飯前でテロ組織の1個や2個片付けちゃうだろ……と思っちゃったぐらい。だいたいさあ、イギリス特殊部隊SASを差し置いて単独行動で敵アジト潜入ですよ!ある台詞なんか「敵は100人もいます!」「もっと出さなかったことを後悔するんだな……」なんてほざいてくれちゃってて、きゃあああ!なんてマッチョなの!

国際情勢における欧米の思惑が背景になったある意味キナ臭い話ではある筈なんですが、実の所その辺全部素っ飛ばして「脳筋マッチョのワルモノ成敗」という単純化された話になってて、観る人が観るととても不快かもしれませんが、オレはかえってそんな単純さが爽快感を生んだ作品だと思いましたね。なんかFPSゲームやってるみたいなんですよ。昔は「映画みたいなゲーム」が話題になりましたが、今や「ゲームみたいな映画」の時代なんでしょうかね。

だからゲーム好きのオレなんかは「この市街戦の雰囲気は『コール・オブ・デューティー』だろ」とか「このステルスなんざ『スプリンターセル』だろ」とか「ここのアクションは『アンチャーテッド』だよな!」なんて思ったり、「この殴り合いシーンはゲームだとQTEが導入されるな」とか想像したり、「この密集陣形の敵にはアサルトライフルじゃなくて手榴弾だろ!」「そんなカバリングじゃ的にしてくれって言ってるもんじゃないか!」とかツッコミを入れたりして楽しかったですね。そんなわけでFPS・TPSアクションゲームのお好きな方にもお勧めしたい映画でしたね!

D

20160530(Mon)

[]ニュー・オーダーのライブを観に行った ニュー・オーダーのライブを観に行ったを含むブックマーク ニュー・オーダーのライブを観に行ったのブックマークコメント

f:id:globalhead:20160528081508j:image

ニュー・オーダーのライブ行ってきた

この間の金曜日はニュー・オーダーの追加公演に行ってきた。最初の公演のチケットがソールドアウトだったので「まあ行かなくてもいいか」程度に思ってたんだが、追加公演と石野卓球のDJ参加があるということで「おおこりゃええのう」とチケットをとったのである。実はこの時、事前に知人と一緒に行く打ち合わせをしていたのだが、知人の買ったチケットが25日公演のものなのに、オレは何を勘違いしたのか27日のチケットをとってしまい、一人寂しく行くことになってしまった。

それにしても、会場の新木場STUDIO COASTってどこやねん、と思ってたのだが、あれってageHaのことだったのかよageHaはよく行ってたのに初めて知ったよ……。

■(その前に)オレとジョイ・ディビジョンとニュー・オーダー

ここでオレのニュー・オーダーに対する思い入れの程度を書いておく。ここから老人のくどい思い出話が始まるので嫌いな方はブラウザ閉じるなり鼻クソほじるなりして読んでほしい。

自慢げに書くがオレはニュー・オーダーをデビューした時以来のファンなのであった。当然それは前身となるバンド、ジョイ・ディビジョンのことを終焉の時に知り(要するにアノ人が死んじゃった、というニュースを読んで興味を持った)聴き込んでいたという経緯があった。当時高校卒業間近のオレは輸入レコード屋でジョイ・ディビジョンのレコードをアルバム・シングル併せて全て購入し(まだお年玉が貰えていた)「ジョイ・ディビジョンにハマるタイプの人がハマるように」かのグループに心酔していた。

最初に聴いたニュー・オーダーの音は12インチの『セレモニー』だったが、「綺麗になったジョイ・ディビジョン」って感じだったな。B面『イン・ア・ロンリー・プレイス』は相変わらずの暗黒路線だったけど。ニュー・オーダーが変なことを始めた、と思ったのはシングル『テンプテイション』だったな。延々ループしまくる躁的なビートに「ああこりゃきっと吹っ切りたいんだろなあ」という気が如実にした。

続く例の『ブルー・マンデー』のデジタル化された機械ビートは「もう感情とかスッカラカンになっちゃうほどヘコんでるから無機的な機械のリズム流しっぱなしにして無感覚になってしまいたい」って音なんだな、と思えた。ニュー・オーダーのその後のシングルは殆どそんな感じで、これは『ブルー・マンデー』の「僕はどう感じたらいい?」って歌詞はホントは「僕はもうなにも感じない・感じたくない」ってことだったんだな、とオレは思ってる。

オレ自身も20代30代の頃は「オレはもうなにも感じたくない」って感じの生活していたからニュー・オーダーのデジタル・ビートに先鋭化されたシングルはとてもよく聴いた。逆にモゴモゴと青臭いメロディを垂れ流すアルバムは購入はするけどどれも殆ど聴かなかった。そもそもこのぐらいの頃になると聴いている音楽がエレクトロニカに移行していたので、ロック・バンドのロックロックした音がまだるっこしかった、というのもある。

■新木場STUDIO COAST、石野卓球ニュー・オーダー

ライブは5時半開場の6時半開演ということになっていたが、5時40分ごろ会場に入った頃には石野卓球が既にDJを始めていた。結局卓球は90分ぐらいDJしていたようで、ニュー・オーダーのライブが始まったのは7時半すぎた頃だったかな。で、この卓球のDJ、結構楽しみにしてたのになぜか長く感じてさ。ニュー・オーダー早く観たい、というのと、スピーカーの位置の問題でDJブースを前にしてると卓球のDJがきちんと聴けないのと、この日はオレの苦手なエレクトロディスコ系中心の選曲だったからというのもあったな(DJミックス音源アーカイブはこちらで聴ける)。

という訳でやっとニュー・オーダー登場。まあ、同窓会だったよ。だって高3からだから、35年にもなる付き合いで、おんなじ風に歳をとっててさ。みんな太ったし老けたなあ、まあオレも太ったし老けたからお互い様だよなあ、って感じでさ。新譜からの楽曲が3割ぐらいで、さらにあの曲この曲知ってる曲満載だったけど、「だよね、これだよね、こんな曲があったよね」と過ぎ去ったセーシュンの道筋を指で辿って確認するみたいでさ。でもライティングとか格好良くて、ライブ会場というのも久しぶりだったし(また行くことなんてあるのだろうか?)、汗かいてもみくちゃだったし、「そうだね、こんななんだよね、ライブとかクラブとかね」と思い返したりしてさ。

全体的に、最初期待してたダンサンブルな曲よりも、ギターの音がよく響く曲のほうがかっこいいなあ、やっぱりロック・バンドなんだよなあ、と思いながら聴いていたよ。

■当日のセットリスト

知人に教えて貰った当日のセットリスト。

1.Singularity

2.Ceremony

3.Academic

4.Crystal

5.5 8 6

6.Restless

7.The Game(live debut)

8.Your Silent Face

9.Tutti Frutti

10.Bizarre Love Triangle

11.Waiting for the Sirens' Call

12.Plastic

13.The Perfect Kiss

14.True Faith

15.Temptation

Encore:

16.Atmosphere(Joy Division cover)

17.Love Will Tear Us Apart(Joy Division cover)

18.Blue Monday

http://www.setlist.fm/setlist/new-order/2016/shinkiba-studio-coast-tokyo-japan-3bfef0bc.html

水曜と金曜ではセットリストが違っていたらしく、水曜にやって金曜にやらなかった曲はRegret、1963、People on the High Line、Superheated、金曜にやって水曜やらなかった曲はCeremony、586、The Game、Atmosphereということなのらしい。オレはRegretが聴きたかったんだがなあ。ライブ通して聴いて、オレの好きなニュー・オーダーの曲は「テンプテイション」だったんだなあ、と改めて思った。あとジョイ・ディビジョンの曲で一番好きなのは実は「トランスミッション」なんだよ。あれやって欲しかったなあ。

■反省と余談

あとこれは反省なんだけど、オレ、スタンディングのチケット取って、当日はそんなに前に行かないつもりだったけど、真ん中ぐらいでも激混みでね、なんかもう「空調が切れて轟音の鳴る満員電車に2時間閉じ込められている」みたいな凄まじいストレスだったんだよ。おまけにビールぶっかけられるわこずかれるわ変なおっさんにからまれるわでワヤでしたわ。あと目の前にコンデジとスマホでそれぞれライブ撮影してるカップルがいて、二人ともずーっと頭上に機械上げて録画してるもんだから視界が完全にシャットアウトされてしまってなんかもうイヤ〜ンな感じでしたわ。

場所変えりゃあええやん、って話なんだけど、なんかもう身動き取れなくてさ。会場のワカモノたちはそんなの気にしないんだろうけど、老人にはキツかったわ。だいたいライブなんてそんなもんだし、そういうのがヤダっていうんなら隅っこで大人しくしてるべきだったんだよな。

それと後ろにいたお兄ちゃんが殆どの曲を一緒に歌っていて、よく覚えてんなあと最初は感心していたが、問題は物凄く音程が外れていたこととめっちゃだみ声で大声だったってことで、バーナードのボーカルよりもはっきり聴こえるぐらいだったよ。これじゃオレ、ニュー・オーダーを聴きにきたんじゃなくて、ニュー・オーダー好きのジャイアンのリサイタルに来てしまったみたいじゃん、とちょっと悲しくなってしまったライブでもあったよ……。

20160527(Fri)

[][]ハイジャック犯に立ち向かった一人の女性を描く実話物語〜映画『Neerja』 ハイジャック犯に立ち向かった一人の女性を描く実話物語〜映画『Neerja』を含むブックマーク ハイジャック犯に立ち向かった一人の女性を描く実話物語〜映画『Neerja』のブックマークコメント

■Neerja (監督:ラーム・マドゥワーニー 2016年インド映画)

f:id:globalhead:20160522143239j:image

1986年9月5日。ムンバイ発ニューヨーク行きパンナム航空73便は、カラチ空港で乗り継ぎ中、突如過激派によるハイジャックを受ける。事態を察知したパイロットらはいち早くコックピット内より脱出、飛び立つことの出来ない旅客機の中には乗客乗員377名が残された。窮地に立たされた4名のハイジャック犯はパイロットの搭乗を要求、受け入れられない場合は乗客を一人ずつ殺してゆくと宣言した。そんな中、客室乗務員の一人ニールジャー・バノートは乗客の命を救う為、決死の覚悟で力を尽くす。その時、彼女はまだ22歳だった。

映画『Neerja』は、実際に起こったこのハイジャック事件を題材に、客室乗務員ニールジャーを主人公として描いたサスペンス・スリラー作品である。ニールジャーを演じるのは最近『Prem Ratan Dhan Payo』『Khoobsurat』と名作秀作が目白押しのソーナム・カプール。また、ニールジャーの生還を心の底から願う母ラーマを、『Ankur』『Arth』などの社会派映画で定評の演技力を誇るシャバーナー・アーズミーが演じている。

まず最初に書くが、事実を基にした物語である以前に、映画として非常に面白かった。ハリウッド作品だともう単なるハイジャック事件なら映画にすらならず、むしろ「航空機密室サスペンス」といったストーリーに流れているように思えるが、ハイジャック事件でもまだこんなに面白く緊張感に満ち溢れた映画が作られるのだということを目の当たりにした。ハイジャックを描いたものとしてこの作品がまずユニークなのは、「飛び立つことの出来ない航空機の中の立て籠もり」であるという部分だ。さっさとコックピット・クルーに逃げられてしまうというのはある意味滑稽ではあるが、現実だからこそこんな滑稽な状況が生まれ、それがまたドラマになってしまうというのも確かなのだ。

そしてこの物語の主人公が、たった22歳の女性客室乗務員である、ということだ。マッチョな警官や軍人という訳ではないのだ。確かにハイジャックを含む航空機サスペンスでは客室乗務員が重要な役割を充てられるが、この作品ではか細くか弱い若い女性が、孤軍奮闘して乗客たちを守ろうとし、ハイジャック犯と交渉するのである。時には怯え、泣き出すこともありながら、彼女は命懸けでそれをやり通そうとするのである。そんな彼女がモデルの過去を持つというのも十分ユニークだ。彼女がこの「たった一人の戦い」を繰り広げた背景には、かつての夫に苦しめられ、勇気を持ってそれを乗り越えようとした過去があり、この事件にも、同じように勇気を持って挑もうとしたからだった。この部分は映画的脚色だとは思うが、作品に十分な説得力を与えることに成功している。

一方、ハイジャック犯たちの狂犬ぶりが物語の緊迫感をいやがうえにも高めることになる。彼らはパレスチナ解放機構から分派したアブ・ニダル組織に属しており、キプロスへの飛行と仲間の刑務所釈放を要求するはずだった。アサルトライフル、ピストル、手榴弾、およびプラスチック爆薬のベルトで武装していた彼らだったが、「飛び立たない飛行機」をハイジャックしてしまうという誤算から、計画に混乱が生じ、頭に血の上ったハイジャック犯の一人が闇雲に乗員を殺そうとし始めるのだ。そしてこれが、怖い。物語途中でニールジャーが頭に銃を押し付けられるシーンがあるが、こんな途中で主人公が死ぬことはないと知りつつも、その恐怖感が圧倒的に迫って来るのだ。いつ殺すか分からない狂人のような男を相手にしながら、ニールジャーは乗客の為に薄氷を踏むような戦いを続けるのである。

このように、物語はいたってシンプルでストレートであり、上演時間も122分とインド映画にしては十分にタイトなものだ。舞台は旅客機内を中心に進行することになるが、途中途中でニールジャーの安否を気遣う彼女の家族の様子、そしてニールジャーの回想などが挿入され、実に効果的なアクセントになっている。サスペンスは直球であり、描写に情け容赦なく、そしてこれらが殆ど現実にあったことだという重さが胸にのしかかる。娯楽映画としてもドキュメンタリーとしても非常に秀逸な作品であったのは間違いない。ただ、娯楽作品として観たいのなら、事件のことは予め調べないほうがいい。この作品はインド映画ではあるが、インド映画がどうこう言う以前にサスペンス・スリラー作品として最上の作品だった。サスペンス・スリラーの好きな映画ファンに是非お勧めしたい作品だ。

D

20160526(Thu)

[]台湾の作家・呉明益による短編集『歩道橋の魔術師』を読んだ。 台湾の作家・呉明益による短編集『歩道橋の魔術師』を読んだ。を含むブックマーク 台湾の作家・呉明益による短編集『歩道橋の魔術師』を読んだ。のブックマークコメント

■歩道橋の魔術師 / 呉明益

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

1979年、台北。西門町と台北駅の間、幹線道路にそって壁のように立ち並ぶ「中華商場」。物売りが立つ商場の歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた――。現代台湾文学を牽引し、国外での評価も高まりつつある、今もっとも旬な若手による連作短篇集。

 現在の「ぼく」「わたし」がふとしたきっかけで旧友と出会い、「中華商場」で育った幼年期を思い出し、語り合ううち、「魔術師」をめぐる記憶が次第に甦る。歩道橋で靴を売っていた少年、親と喧嘩して商場から3か月姿を消した少年、石獅子に呪われ、火事となった家で唯一生き残った少女と鍵屋の息子の初恋……。人生と現実のはざまで、商場の子供たちは逃げ場所やよりどころを魔術師に求める。彼はその謎めいた「魔術」で、子供たちに不思議な出来事を体験させることになる。

 日本の読者には「昭和」を思い出させるような台湾らしい生活感と懐かしさが全篇に漂う。語り手の静かな回想が呼び込む、リアルな日常と地続きで起こる幻想的な出来事。精緻な描写力と構成によって、子供時代のささやかなエピソードがノスタルジックな寓話に変わる瞬間を描く、9つのストーリー。

知り合いには結構台湾旅行をしている人がいて、旅行の様子を聞いたり写真を見せられたりするにつけ、「台湾旅行も悪くないなあ」といつも思っていた。なにぶんオレ本人はデブの出不精が祟り、まるで実行に移す気配は無いのだが、そのうち台湾の地を踏むこともあるかもしれない。

連作短編集『歩道橋の魔術師』は、そんな台湾生まれの作家、呉明益が書いたものだ。台湾の作家というのも珍しいなと思い、ちょっと読んでみることにしたのだ。

物語の時代設定は70年代末期、舞台となるのは台北の目抜き通りに壁のように建ち並ぶ商店街「中華商場」。1961年から1992年の取り壊しまで実在したこの場所に行きかう、台湾の若者たちの青春の情景がこの物語のメインとなる(Wikipediaで「中華商場」を画像検索すると当時の様子をうかがうことができる)。

この連作短編には舞台である「中華商場」以外にもう一つの共通点がある。それがタイトルである「歩道橋の魔術師」だ。「中華商場」の歩道橋には多くの屋台が並んでいたが、その中に手品グッズを売る怪しげな男がいた。子供たちはその男の手品に魅せられていたが、稀にその男は、どう考えても手品であるはずがない超自然的な技を垣間見せるのだ。

とはいえ、この魔術師が短編集の中心的な存在という訳ではない。この短編集で物語られるのは、登場する様々な少年少女たちの、家族との諍いや事件、恋と別れ、性と死である。それらを大人になってから振り返った、苦くもあり甘酸っぱくもある思い出である。それらの多くは、遣り切れなく、そしてどうしようもできなかったことだ。魔術師の"魔術"は、そんな厳しい現実に、風穴を開けるもののように描かれるのだ。

読んでいて全体的に思ったのは、これは台湾の村上春樹なのかな、ということだ。『歩道橋の魔術師』には、多くの死と、ぶっきらぼうなセックスと、若さゆえの喪失感が描かれる。そしてそこに魔術的な超自然現象が加味されるというわけだ。これらは少なくとも初期の春樹小説の展開の在り方とよく似ている。ただ台湾在住でない自分には「中華商場」のノスタルジーといわれてもピンとこないし、"魔術"の扱い方も物語をとりたてて際立たせているようには思えなかった。台湾人作家が春樹小説に接近するとどういう物語になるのかを確認するにはなにかの参考になる小説集かもしれない。

yoyoshi yoyoshi 2016/05/26 12:31 自分もノスタルジーと言われてもピンときませんでした。台湾に思い入れのある人なら違うのでしょうか?装丁は素晴らしく、思わず手に取りたくなります。日影丈吉の台湾ものの方が引き込まれます。

globalheadglobalhead 2016/05/26 12:36 文学作品を多く読んでいるわけではないので春樹の名前しか出ませんでしたが、一回春樹と思い込んじゃうと読みながらずっと「ここも春樹あそこも春樹」といちいち指摘しながら読んでしまいましたね。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20160526

20160525(Wed)

[]どうでしょう史上名作中の名作:『水曜どうでしょうDVD第23弾「対決列島〜甘いもの国盗り物語〜」』をやっと観た! どうでしょう史上名作中の名作:『水曜どうでしょうDVD第23弾「対決列島〜甘いもの国盗り物語〜」』をやっと観た!を含むブックマーク どうでしょう史上名作中の名作:『水曜どうでしょうDVD第23弾「対決列島〜甘いもの国盗り物語〜」』をやっと観た!のブックマークコメント

f:id:globalhead:20160516101644j:image

この間水曜どうでしょうDVD第24弾「ユーコン川160キロ〜地獄の6日間〜」を観てオレはとんでもないことに気が付いたのである。「いかん、DVD第23弾を買い洩らしていた!」…そして慌ててこの「対決列島〜甘いもの国盗り物語〜」をHTBオンラインショップで注文したというわけで。いやあしかしHTBオンラインショップ、送料が823円もしやがったぜゼィハァ…。そして届いたDVDを早速観たところ、これが数ある「水曜どうでしょう」DVDの中でも群を抜いて面白く、そしてしょーもないものだったのである!

この「対決列島〜甘いもの国盗り物語〜」、「水曜どうでしょう」でお馴染みの大泉、鈴井、安田、そして藤村Dが登場し、「ミスター・大泉チーム」(大泉、鈴井)と「チームびっくり人間」(安田、藤村D)に分かれ、「甘いもの食い対決」をするというものだ。それもただ対決するのではなく、北海道から最終決戦地・鹿児島まで南下しつつ、ご当地ご当地の甘いものをネタに、全行程5泊6日で対決しまくる、という過酷というか実に馬鹿馬鹿しい企画なのだ。

とはいえ5泊6日で47都道府県全てを回る訳にもいかないので、北海道―鹿児島間で通過した県のみとなるのだが、再戦も含め全部で17もの対戦が描かれてゆくのだ。対決はポイント制となり、それぞれで勝利した都道府県の面積に準じてポイントが上下する。即ち北海道で勝利したほうが青森で勝利するより面積において有利なのだ。そして最終的に獲得したポイント総数で勝敗が決定する。つまり勝利した回数ではなく勝利した都道府県の面積が重要なのだ。だからこそ「国盗り物語」なのである。

この企画の発端となるのはミスターこと鈴井がもともと「甘いものが苦手」ということであり、さらに藤村Dが「大の甘いもの好き」ということにある。もはや企画段階で勝負にならないことがミエミエなのである。ゆえに見所となるのは「嫌いな甘いものを苦悶の表情で口に運ぶミスター」と「あたかも掃除機のように甘いものを吸いこみ続ける人間離れした藤村D」の鮮やかなコントラストである。さらに藤村Dチームには驚異の牛乳吸引マシーン安田さんが伏兵として控えているのだ。だからこそ「チームびっくり人間」などと呼ばれているのである。ミスターチームの大泉さんは今回なんの役にも立ってない(…あ…いつものことか…)。

しかし!最初から勝負が見えているように思わせながら、思わぬアクシデントが次々と続き、勝負は「ミスター・大泉チーム」が「チームびっくり人間」を大きく引き離しながら展開してゆくのだ。もちろん「チームびっくり人間」も執拗な追撃を繰り返し、次第に接戦となりながらグランドフィナーレと突き進む!この「全く読めない展開」が両チームの対決を思いもよらない興奮と面白さで盛り上げてゆくのだ!いつものダルいダベりと大泉・藤村Dの汚い罵り合いも花を添える!DVD2枚組、4時間半に渡って収録されている「水曜どうでしょう」史上名作中の名作と謳われる「対決列島〜甘いもの国盗り物語〜」、もんの凄く面白かったからあんたも観なさいよ!

(購入はこちら ※HTBオンラインショップ)

D

(※公式プロモ動画ですがブログに貼ることは許可されていないようなのでYouTubeでご覧ください)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20160525

20160524(Tue)

[]PS4の『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』はとても面白いぞ。 PS4の『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』はとても面白いぞ。を含むブックマーク PS4の『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』はとても面白いぞ。のブックマークコメント

f:id:globalhead:20160517100656j:image

舞台は前作『アンチャーテッド -砂漠に眠るアトランティス-』から3年後。主人公「ネイサン・ドレイク(ネイト)」は共に冒険を歩んできた女性「エレナ」と結ばれ、幸せな生活を送っていた。結婚を機に危険なトレジャーハンター稼業を引退していたネイトだったが、ある日、死別したと思われていた兄「サム」が来訪し、冒険への協力を依頼される。

サムが持ちかけたのは、18世紀に存在した海賊王「ヘンリー・エイブリー」の秘宝が眠るとされる海賊たちの国“リバタリア”への冒険だった。苦悩の末、ネイトはエレナとの平和な生活を抜け出し、サムとの冒険に乗り出すことを決める。

世界中で秘宝に繋がる手がかりを探すうちに、やがて2人は“リバタリア”があるとされるマダガスカルの地へと導かれてゆくが…。

うおォン!『アンチャーテッド』の新作が遂に発売されたんだからこれはやらねばいけないじゃないか!?今作『海賊王と最後の秘宝』は「アンチャ」シリーズ4作目、PS4オンリー、さらにシリーズ最後の作品となるらしいんだ!これは気合が入っちゃうね!

f:id:globalhead:20160522111847j:image

「アンチャ」シリーズはトレジャーハンター、ニック・ドレイクを主人公としたアクション・ゲームで、なにしろトレジャーハンターってぐらいだから前人未到の秘境や古代の遺跡を舞台にお宝探してアクションを繰り広げるというものなんだね。その基本は崖にしがみついて渡り歩いたり高い所をよじ登ったりジャンプしまくったりと、どこまでもひたすらキャンタマキューンなシチュエーションを乗り越えてゆかねばならないんだ!女子はどこがキューンてなるのかはオレには謎だけどね!さらに敵との銃撃戦やカーチェイスまで盛り込まれていて徹頭徹尾アクションがてんこ盛られてるんだね!

今作はタイトル通り"海賊王と最後の秘宝"を求めて大冒険を繰り広げるというものなんだ。しかし今作の主人公、実はトレジャー・ハンターから足を洗って前作までのヒロイン・エレナと幸せな家庭を持っていたんだよ。そんな彼を冒険の旅に赴かせたのは死んだはずだと思っていた兄が彼の元を訪れたからなんだ。兄であるサムは生命の懸かったワケアリの事情を抱えており、それでネイサンは冒険に旅立つことになるんだが、同時にネイサンは実は新たな冒険を心の底で望んでいもしたんだね。

f:id:globalhead:20160522111849j:image

という粗筋なんだけど、この4作目、今までと何が違うかってなにしろPS4の美麗なグラフィックと、表現力の大幅なパワーアップだね。冒頭のリアルタイムレンダリングのムービーのシーンなんか相当力が入っている上に長いんだが、これはPS4だからこそできたことなんだろう。一方アクションのほうは特に大幅な変更はない。もともと完成されていたシステムだからあえて手を入れなかったんだろうけど、それでもより洗練されたものになっており、個人的にはキーレスポンスもより的確で軽快になっているように感じたな。

f:id:globalhead:20160522111848j:image

こんな具合にPS4らしいデラックス版「アンチャ」とも思えるけれども、逆にこのPS4になったからこそやっと製作者が本来表現したかったゲームに追いついたともいうことが出来ると思うんだよ。変な言い方だけどストレスの無さがハンパない。こちらも1〜3までやりこんでるから操作なんてお手の物だし、なにをどうしたらいいか勝手知ったるものだけども、それでも新鮮な気持ちで全く飽きることが無くプレイできる。そして相変わらずキャンタマキューンてなってる。これは物凄いことだと思うな。

さらに今作では冒険の旅に兄のサムが同行することで、アクションにしろ戦闘にしろ協力プレイみたいな感覚でゲームを進めることになるんだ。これは要所要所でってことで、ゲーム全体が協力プレイってわけではなく、基本的なアクションはやっぱり一人で切り開いてゆくんだけどね。でもたまにヒントを出してくれるよ。で、アクションの合間に二人で声を掛け合ったり減らず口の叩き合いをしているのを眺めるのがまた楽しい。同じようにプレイしていてもピンでやってるのとまた別の面白さがあるね。

f:id:globalhead:20160522111846j:image

というわけでシリーズ最高峰かつ最後の作品『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』、PS4持っているんなら絶対やるべきゲームだし、今までPS4を買いあぐねていた皆様にあられましてはこれを機会に本体ごと買っちゃうといいと思うんだ!さあさあ買っちゃえ買っちゃえ!そしてみんなでキャンタマキューンしようぜ!(女性はどうなのかは以下略)

D

20160523(Mon)

[][]家族の再会が引き起こした大きな波紋〜映画『Kapoor & Sons (since 1921)』 家族の再会が引き起こした大きな波紋〜映画『Kapoor & Sons (since 1921)』を含むブックマーク 家族の再会が引き起こした大きな波紋〜映画『Kapoor & Sons (since 1921)』のブックマークコメント

■Kapoor & Sons (since 1921) (監督:シャクン・バトラ 2016年インド映画)

f:id:globalhead:20160521152457j:image

カプールさんと息子たち

最初タイトル「カプール&サンズ」というのを見た時は「そうかそうかプリトヴィラージ・カプールから始まるインドの映画一家カプール一族のドキュメンタリーか、ランビール・カプールやカリーナー・カプールあたりは本人役で出て来るのか、いやポスター見るといないようだから代役と言うことなのか、でもそんなドキュメンタリーあんまり観たくないなあ」などと思っていたのである。ところがそれは全くの勘違いであった。映画一家とはまるで関係ない普通のカプール家を描くフィクションなのらしい、そう知ってやっと観ることにしたのである。

物語は何しろカプール家の人々を描いたものだ。インドのクーヌールという所にカプール家は家を構えていたが、そこのお爺ちゃんが心臓発作を起こす(実はこのお爺ちゃんはホントのカプール映画一族の出であるリシ・カプールが演じている)。お爺ちゃんと同居していたカプール夫妻、スニターとハルシュは急遽海外で生活していた二人の息子、ラーフル(ファワード・カーン)とアルジュン(シッダールト・マルホトラ)を呼び戻した。お爺ちゃんは一命を取り戻し、なんとか安心に見えたのだが、実はカプール家の面々はそれぞれに問題を抱えていて、彼らが一堂に会したことによってその問題が大きく吹き上がってしまうのだ。

■家族の再会

それぞれがばらばらに暮らしていた家族が、身内の入院やら不幸で再び再会し、そこで改めて家族としてのお互いを再認識する。こんなことが自分にも身に覚えがある。一昨年、郷里に住む自分の母親が入院して、それまで殆ど帰ってなかった実家へ里帰りすることになった。そこで10年振りくらいに弟や妹夫婦と会い、さらに叔父や叔母と、これはもう30年振りくらいに会うことになった。彼ら家族親戚とあれこれ話している中で、「自分の血縁とはなんなのだろう」と考える機会ができた。それまでいろいろと理解していなかったものが、するすると理解できるようになった。これまで避けていた血縁との再会は、結果的にはとても素晴らしいものになった。

ところがこの作品におけるカプール家はそうはいかなかったらしい。スニターとハルシュのカプール夫妻は考えの行き違いや女性問題などでギスギスした関係になっていた。ラーフルとアルジュンの兄弟は過去のちょっとした怨恨が収まったように見えながら、今度は地元で出会ったティア(アーリヤー・バット)との三角関係に発展しつつあった。こうして過去の問題と現在の問題がグジュグジュと化学反応を起こし始め、それは次第に大きな破局へと近付いてゆく。そんな中でただ一人、一家の長老であるお爺ちゃんが悲しい目をして右往左往することになってしまうのだ。

■非常に巧みなシナリオ

一見して非常に巧みなシナリオを持つ作品だと感じた。この物語では家族の多くが秘密を抱えている。その秘密は冒頭から様々な伏線を張りながら交錯しあい緊張感を高めてゆきながら、ある日嵐の中のダムのように決壊を起こす。この破局のポイントまでの構成が恐ろしいくらいに巧みなのだ。よくもまあここでここまで繋げたなあ、と思う。そしてこうした破局を経ながらもどうやってもう一度家族の輪を取り戻してゆくのかがこの作品の大きなテーマとなる。彼らの秘密は秘密のままであったほうがよかったものなのかもしれない。だがその秘密が発露したその先でさえも、あくまで誠実な家族同志であろうとするのがこの物語なのだ。

かつてインド映画といえば強権的な父を頂点とした家族主義の物語が多く観られたが、この作品では既にそういったヒエラルキーは存在しない。この作品ではそれぞれが時には間違ったこともする弱い個として描かれ、そして家族であるばかりにより一層強い感情を相手にぶつけ、親も子もなくいがみ合うことになる。ある意味インド的な家族主義が現代においてここまで解体されたと見ることが出来るのと同時に、それでもなお家族を乞い求めようとするする部分に決して変わらない家族愛の在り方を見て取ることが出来る。この物語性の豊かさは日本で公開されても十分受け入れられるものだと思うし、ハリウッドあたりでリメイクしても通用する秀逸さを感じた。

■(余談)ポップアップの女優の意味は?

ちなみにオレにもわかったインドネタを一つ。お爺ちゃんが愛でていた映画の名はラージ・カプール監督最後の作品『Ram Teri Ganga Maili』(1985)で、お爺ちゃんの持っていたポップアップは主演女優マンダキーニ。この映画、何が凄かったかって、当時ですら保守的なインド映画界でヒロインが堂々と乳房を見せちゃってる、という部分だった。ポップアップでのヒロインは白い衣装を着ているけど、本当はあの衣装のシーンではヒロインの乳房が透けまくっていたのだ。だからお爺ちゃんそこが大好きで忘れられなかったんだねー。

D

20160521(Sat)

[][]奴の名はドン!ドンドンド〜ン!!〜映画『Don』【アミターブ・バッチャン特集 その7】 奴の名はドン!ドンドンド〜ン!!〜映画『Don』【アミターブ・バッチャン特集 その7】を含むブックマーク 奴の名はドン!ドンドンド〜ン!!〜映画『Don』【アミターブ・バッチャン特集 その7】のブックマークコメント

■Don (監督:チャンドラ・バロート 1978年インド映画)

f:id:globalhead:20160408093731j:image

奴の名はドン!
壁に押し付けられて胸キュン!それは壁ドン!
滋賀県彦根市のユルキャラ!それはひこどん!
巨泉のクイズダービー!それは倍率ドン!
秘伝のニンニク醤油ダレを絡めた豚バラ肉を大盛りご飯にのせたスタミナとボリューム満点!それはすた丼!
いいやそうじゃない!ドンは暗黒街のボス!
インターポールの最重要指名手配リストに載る男!
奴を巡って巨大な陰謀が渦を巻く!
奴の名はドン!

ドンドンド〜ン!!

というわけでインド映画の皇帝ことアミターブ・バッチャン主演による1978年公開作品、アクション映画『Don』でございます。今回アミターブ演ずるのは悪の帝王ドン。響きのいい名前ですな。ドン。なんだかドンドコド〜ン!って感じじゃあーりませんか。ドンといいますと尊称だったりマフィアの首領の意味だったりしますから、本名というより「組長」「大親分」みたいな意味なんでしょうな。この作品は大ヒットを飛ばし、2006年にシャー・ルク・カーン主演作『Don 過去を消された男』としてリメイクされております。でもこっちのリメイクまだ観てませんが…。

さて物語です。悪の帝王ドン(アミターブ・バッチャン)はその名にし負う冷酷で狡猾な男。周りにはいつも凶暴そうな顔の男たちが取り巻き、悪事の計画に余念がありません。警察はドンの組織を叩き潰すため包囲網を敷き、ドンを追い詰めてゆきます。そして激しいカーチェイスの末、ドンは遂に警察官に射殺されます!ええ!?話終わっちゃうじゃんかよ!?いや、実は物語はここからなんです。副警視デ・シルヴァ(イフテーカル)は組織の残党を逮捕するため、ある計画を秘密裏に推し進めます。それはドンと瓜二つの男、大道芸人のヴィジャイ(アミターブニ役)をドンに仕立て上げ、組織に送り込むこと。しかし最初は上手くいっていた計画は次第に綻びを見せ始めるのです。

非常に楽しめる作品でした。まず悪党ドンの黒光りした悪辣ぶりと惚れ惚れするような不敵さです。こんなドンだけでニヒルなピカレスク・ロマンを1本撮っても成功したかもしれません。そしてこのドンが死んだ後に身代わりで立てられた大道芸人の男、ヴィジャイの素の姿がひょうきんで愉快なんです。なんかもうコテコテなんですね。ビジャイ登場時の歌と踊りが楽しく、この二役を演じたアミターブの演じ分け方が実に光ってましたね。ビジャイは巧みにドンに成り済ましますが、ボンベイの洗濯場で酔っぱらって素に戻ってしまい、ここで歌って踊る姿がまた楽しかったりします。また、「俺はドンだ!」と歌って踊るシーンでは、周りがドンを指さし「ドン!ドン!ドン!」とかやっていて妙に可笑しかった。

そして脇を固める面子が一癖も二癖もある連中ばかりなのがまたいい。まず冒頭でドンによって悪の道に引き込まれてしまうサーカスの軽業師ジャスジート(プラーン)。数奇な運命に弄ばれる彼はドン/ヴィジャイの敵となるか味方となるか!?そしてドンに復讐を誓う娘ロマ(ズィーナト・アマン)はジュードー・カラテを会得して組織に侵入します。いやーなにしろジュードー・カラテですよ。日印友好ですね。彼女は最初ヴィジャイをドンと思い込み命を狙いますが、常に殺意を浮かべた目つきにはシビレさせられます。他にも、ドンの取り巻きとなる悪党どもは誰も彼も実に悪い顔をした俳優ばかりで、よくこれだけ集めたなあと観ていてニンマリしてしまいました。

こうして物語はドンに成り済ましたヴィジャイと、彼を取り巻く悪党、密かに彼の命を狙うロマ、さらに副警視デ・シルヴァの思惑などが絡み合いながら二転三転してゆきます。常に予想を覆し危機また危機がヴィジャイを襲うシナリオはよく練り込まれていて、息を付く暇さえないほどです。アクション・シーンはどれも派手で見応えがあり、この時代のインド・アクション作品としても高水準だったのではないかと思わされます。歌や踊りはあってもオチャラケやロマンスで本筋から外れることが無く、クライム・ムービーとしての緊張感を常に保っています。こうして並べてみると実に完成度の高いアクション作なんですね。アミターブ出演作は『Sholay』が何しろ最も有名ですが、痛快娯楽アクションとしてこの『Don』もお勧めしたいぐらいに傑作でしたよ。

D

[][]アミターブ・バッチャン特集まとめ アミターブ・バッチャン特集まとめを含むブックマーク アミターブ・バッチャン特集まとめのブックマークコメント

このブログで書いたアミターブ・バッチャン出演作品を挙げておきます。

二人は泥棒カップル!?〜映画『Bunty Aur Babli』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

インド富豪一族の愛と確執〜映画『家族の四季 愛すれど遠く離れて』【SRK特集その3】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

その二つの名は同時に呼ばれてはならない〜映画『Veer-Zaara』 【SRK特集その10】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

口のきけない俳優と美声を持つ負け犬男との二人羽織〜映画『Shamitabh』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

盲ろうの少女とその教師との心の交流〜映画『Black』【バンサーリー監督特集その2】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

不機嫌な娘と偏屈な父、それに巻き込まれた男とのロードムービー〜映画『Piku』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

【インド名作映画週間その2】『Amar Akbar Anthony』『Deewaar』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

【インド名作映画週間その3】『Sholay』『Guide』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

ボンベイな映画を3作観た〜『Bombay』『Salaam Bombay!』『Bombay Talkies』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

「早老病」の少年を見守る家族を描いたユーモラスな感動作〜映画『Paa』【ヴィディヤー・バーラン特集】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

娘を殺された二人の男が挑む巨大な陰謀〜映画『Wazir』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

俺たちゃ仲間さ!アミターブ、ラジニカーント、ゴーヴィンダ共演作!映画『Hum』【アミターブ・バッチャン特集 その1】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

炭鉱大パニック!『Kaala Patthar』 / 親の敵を成敗だ!『Naseeb』【アミターブ・バッチャン特集 その2】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

極悪犯罪組織と戦う正義の兄弟!『Shaan』 / 病魔に冒された患者と医者との友情『Anand』【アミターブ・バッチャン特集 その3】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

悪党への復讐に燃える元警官!『Zanjeer』 / 禁じられた不倫のゆくえ『Silsila』【アミターブ・バッチャン特集 その4】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

引き裂かれたカップルの、その20年後〜映画『Kabhie Kabhie』【アミターブ・バッチャン特集 その5】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

ギャングの兄、警察官の弟、そして変な悪党が大乱戦!『Parvarish』【アミターブ・バッチャン特集 その6】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

奴の名はドン!ドンドンド〜ン!!〜映画『Don』【アミターブ・バッチャン特集 その7】 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20160520(Fri)

[][]ギャングの兄、警察官の弟、そして変な悪党が大乱戦!『Parvarish』【アミターブ・バッチャン特集 その6】 ギャングの兄、警察官の弟、そして変な悪党が大乱戦!『Parvarish』【アミターブ・バッチャン特集 その6】を含むブックマーク ギャングの兄、警察官の弟、そして変な悪党が大乱戦!『Parvarish』【アミターブ・バッチャン特集 その6】のブックマークコメント

■Parvarish (監督:マンモーハン・デーサーイー 1977年インド映画)

f:id:globalhead:20151006155056j:image

■ギャングの兄!警察官の弟!

ギャングになった兄と警察官になった弟!善の悪との対立!という1977年のインド映画です。ん?なんか聞いたことのあるようなプロットじゃない?アミターブの『Deewaar』(レビュー)もそんな話だったよね?と思われる方もいるかもしれません。しかしこの作品、なーんだか妙におかしい描写が味わい深くて実に楽しめたんですよね。主演はアミターブ・バッチャン、そして『Amar Akbar Anthony』(レビュー)でも共演したヴィノード・カンナー(今調べて知ったんですが『ダバング 大胆不敵』でチュルブルのお父さん役もやっててたんですね!?)、さらに往年のインド名男優シャンミー・カプールが出演しております。

物語は警察官シャムシャー(シャンミー)が盗賊マンガル・シン(アムジャッド・カーン)を追い詰める場面から始まります。マンガル・シンは逃走しますが、シンの身重の妻が子を産んで死んでしまいます。シャムシャーは子供を哀れに思い自宅に引き取り、本当の息子と共に育てることにします。それから幾年月、二人の息子は大きく育ちます。マンガル・シンの息子アミット(アミターブ)は警察官となり、シャムシャーの本当の息子キシャン(ヴィノード)は密かにマフィアの構成員となっています。実はこのマフィアのボスというのが盗賊マンガル・シンであり、キシャンのほうを自分の本当の息子と間違え、キシャンもまたマンガル・シンを実の父と間違えて仲間になったのです。そんな中、盗賊を追い詰めていたアミットが、その盗賊というのが兄であるキシャンであることを遂に知ってしまうのです。

■何だか変だよ悪党のアジト!?

とまあこんなお話なんですが、兄と弟、善と悪、という以外に「悪玉の息子が善良な警察官になる」という要素と「警官の息子が悪玉を本当の親と間違える」という善悪の逆転した「取り替えっ子」の変形パターンがあるんですね。ただしここまではまだ設定であり、ある意味普通といえば普通かもしれません。でもこの物語の本当の面白さは他の部分にあるんですよ。

この『Parvarish』、まず最初に「なんじゃこりゃ?」と思ったのは盗賊マンガル・シンのアジトです。登場時は単なる山賊だったんですが、その後業務規模を拡大したのか、なんだか『007』にでも出てきそうな悪の秘密基地を構えてるんですよ。で、この秘密基地がスゴイ。巨大なホールの一方の壁が赤いスクリーンになっていて、その背後でシルエットになった女性たちがいつもゴーゴーダンスを踊ってるんです。しかも音楽無しで。なんかこうアンモラルな雰囲気を出したかったのかもしれないですが、悪い顔して「ぐふふ…」と黒い笑みを浮かべるギャングの後ろで踊り狂う女性たち…ってなんかもうとってもシュールなんです。それだけではなく、ホールの中央には底なし沼まである!さらにマンガル・シン、なんと潜水艦を持っている!持っているんだけど、どういう目的で持ってるのか全く分からない!そしてその中でわざわざ悪の企みを巡らす!きっと「潜水艦まで持ってるすっごいワルモノ」を演出したかったのでしょうが、全く無意味なのがおかしい!

■ズベ公ヒロインの登場!そして荒唐無稽な展開!

そしてこの物語、一応二人のヒロインが出てくるのですが、これがインド映画ヒロインによくあるような明るく快活なサリー美人とかそういうのでは全くなく、縦から見ても横から見てもまるでヤンキーあがりみたいな姉妹!おまけに次々に時計やら財布やらをかすめ取るプロ級のスリ・コンビ!なんかもう昔の東映の『ズベ公番長』とか日活の『野良猫ロック』みたいな女チンピラなんですよ。腕とかよく見たら根性焼きの跡とかがあるかもしれません。こんなヒロインってインド映画じゃ珍しくありません?で、この二人が主人公二人と絡み、恋愛までしてしまうんです。最初は主人公らにフラれるんですが、ここで展開される歌と踊りがとんでもなくおかしい。「もう死んでやる!」とばかりに首つりや飛び降り自殺を図る女性二人を、寸での所で主人公たちが助けてあげる、という様子がミュージカルぽく描かれるんです。いやあ、断然変だなあ!楽しいなあ!

こんなですから、「善と悪に分かれた兄弟二人!」という設定なのに全くシリアスな方向に行かないんです。むしろ荒唐無稽といってもいい。ユーモラスさは多分にありつつオチャラケたコメディに走ることは無く、マサラ・ムービーらしい脱線も殆どせず、物語の要点を押さえながら骨太な演出で見せるべきところをガッチリ見せてゆく。あれもこれもと手を出さず演出が非常に明快なんですね。だから観ているこっちも雑念を沸かすことなくグイグイ引っ張られて観てしまう。娯楽映画の見本みたいな良質さが籠ってるんですね。物語は終盤に向け、善悪に対立する兄弟同士の様子から、悪に染まった兄を気に掛ける弟と、弟の為に悪の道から足を洗おうとする兄、そしてマフィアに捕えられたヒロイン二人の奪還へと盛り上がってゆくんですよ。いやこれ、アミターブ作品の中では他の有名作よりも気にいったな。

20160519(Thu)

[][]引き裂かれたカップルの、その20年後〜映画『Kabhie Kabhie』【アミターブ・バッチャン特集 その5】 引き裂かれたカップルの、その20年後〜映画『Kabhie Kabhie』【アミターブ・バッチャン特集 その5】を含むブックマーク 引き裂かれたカップルの、その20年後〜映画『Kabhie Kabhie』【アミターブ・バッチャン特集 その5】のブックマークコメント

■Kabhie Kabhie (監督:ヤシュ・チョープラー 1976年インド映画)

f:id:globalhead:20160331185546j:image

最初に愛しあう恋人同士が描かれる。男の名はアミット(アミターブ・バッチャン)、女の名はプージャ(ラーキー・グルザール)。続いて画面に登場するのは、悲しげな顔で何かを見つめるアミットの姿だ。彼の視線の先では結婚式が行われている。それは彼の恋人プージャと見知らぬ男ビジェイ(シャシ・カプール)との結婚式だった。

1976年にインドで公開された映画『Kabhie Kabhie』は、親の決めた結婚により引き裂かれたカップルの物語である。しかしインド・ロマンスではお馴染みのシチュエーションを持ちながら、この物語はさらにその未来を描く、という独特の構成を持っている。出演者は他にリシ・カプール、ワヒーダ・ラフマーン、ニートゥ・シン、ナシーム、シミ・ガーレワール。監督はロマンス映画の大家ヤシュ・チョープラー。

この物語の独特さは、”引き裂かれたカップル”の、その20年後を描くという部分にある。20年の間にアミットも結婚し、子供をもうけている。プージャとビジェイの間にも子供がいる。生活は落ち着いており、彼らは皆相応に年老い、髪にも白いものが混じった容貌で登場する。アミットとプージャの中で”引き裂かれた”ことによる懊悩は、決して消え去るものではないにせよ、20年という歳月は、それを「遥か過去の思い出」として風化させているのだ。要するにこの物語、かつて”引き裂かれたカップル”の、「焼けぼっくいに火が付いた」話では全く無いのだ。

そして登場するのは若者たちの姿だ。それはプージャの息子ヴィッキー(リシ・カプール)、彼の恋人ピンキー(ニートゥ・シン)、ヴィジェイ家の娘スウィーティー(ナシーム)だ。彼らの三角関係がこの物語のもう一つの軸となるが、”引き裂かれたカップル”の子供たちが同士がまたしても恋に落ちる、という設定が面白い。また、ピンキーは出生の秘密を抱えており、実はそれがヴィジェイ家に関わるもので、物語にじわじわと波紋を投げかけることになる。さらにアミットとプージャは20年ぶりの再会を遂げるが、彼らにとって愛は"昔の話"なのにもかかわらず、プージャの夫ビジェイはあらぬ嫉妬に身悶えることになる。

これらストーリーだけを掻い摘めばよくあるメロドラマということになるが、しかしこの作品は凡庸さに堕することなく美しいドラマとして結実している。それは作品のテーマとなるものが「過去にこだわらず未来に目を向けて生きて行こう」という部分にあるからだ。登場人物たちはそれぞれが直面する「過去の事情」に、最初戸惑いや苦しみ、そして怒りを覚える。だが誰もがそういった葛藤を軽やかに乗り越え、よりよい今を選択し、未来に繋げようとする。素晴らしいほどに前向きなのだ。そしてそういった前向きさが感銘を生むのだ。

同時に、やはり監督であるヤシュ・チョープラーの映画的な話法、見せ方がとてもいい。以前観たチョープラー作品でも端正で清々しささえ感じる映像を見せられたが、この作品の空気感にも同様なものを感じた。それと伝統的なインドにこだわらない、どこかヨーロッパ的とすら思える情景描写だろうか。チョープラー作品はそれほど観ていないのでこの作品が彼の作品史のどの部分に位置するものなのかは分からないが、中盤の若者風俗の古臭ささえ気にしなければきちんと作られた良作なのではないか。

D

20160518(Wed)

[][]悪党への復讐に燃える元警官!『Zanjeer』 / 禁じられた不倫のゆくえ『Silsila』【アミターブ・バッチャン特集 その4】 悪党への復讐に燃える元警官!『Zanjeer』 / 禁じられた不倫のゆくえ『Silsila』【アミターブ・バッチャン特集 その4】を含むブックマーク 悪党への復讐に燃える元警官!『Zanjeer』 / 禁じられた不倫のゆくえ『Silsila』【アミターブ・バッチャン特集 その4】のブックマークコメント

■悪党への復讐に燃える元警官!〜映画『Zanjeer』 (監督:プラカーシュ・メーラ 1973年インド映画)

f:id:globalhead:20151209173608j:image

悪党に濡れ衣の罪を着せられ退職に追い込まれた元警官が復讐に打って出る、というアミターブ・バッチャン主演のアクション映画です。「怒れる若者」アミターブ・バッチャンの名を世に知らしめた出世作が本作なのらしいんですね。ヒロインは当時アミターブと挙式間近だったジャヤー・バードゥリー(現ジャヤー・バッチャン)。

主人公の名はヴィジェイ(アミターブ)、正義を愛する熱血警官の彼はある組織犯罪を追っていましたが、その目撃者であるナイフ研ぎの少女マーラ(ジャヤー)を自分の家に匿うことになり、二人には次第に愛が芽生えてゆきます。その後ヴィジェイは悪党の陰謀によって収賄の濡れ衣を着せられ刑務所に入れられますが、そんな彼を助けたのが親友のシャー・カーン(プラン)でした。出所したヴィジェイはシャーと共に悪党を追い詰めます。

2時間半程度の上映時間なんですが、ストレートな構成とテンポの良さで、あっという間に観終わった感じですね。あれもこれもと盛り込まず、要所要所に見せ場を作ってある部分が功を奏したのでしょう。冒頭、幼い頃の主人公の悲劇的な体験から始まり、警官となって賭博場の親分と争い、その親分と親友になる主人公、そしてヒロイン登場で歌と踊り…といった感じで、いい具合に物語に引き込んでゆくんですね。

主人公ヴィジェイのキャラクターは、正義一徹で四角四面、という実に分かり易いものであることも物語にすんなり入っていける要因かもしれません。一方ヒロインは自分の力で生活費を稼ぐ男勝りの逞しさを持ちながら、少女の可憐さも持った女性です。そして出色なのが主人公の親友シャー・カーン。彼はパサン族〔パキスタン西北部とアフガニスタンとの国境地帯の部族)という設定なのですが、赤毛の髪と髭を生やし、インド映画でもあまり見慣れない服装をしていて、奇妙に怪しいキャラなんですね。彼の独特のキャラクターが物珍しく、映画に異色な風合いを持ち込んでいました。

さらにこの物語、裏テーマにヴィジェイが子供の頃殺された両親の復讐というのが盛り込まれており、それがクライマックスで物語を大いに盛り上げてゆくのですよ。当時大ヒットしただけあってなかなかに技ありの作品でしたね。

■禁じられた不倫のゆくえ〜映画『Silsila』 (監督:ヤシュ・チョープラー 1981年インド映画)

f:id:globalhead:20151209171412j:image

死んだ兄の許嫁に同情し、恋人と別れてその許嫁と結婚した男アミットが、別れた恋人への未練が絶ちきれず、既に結婚してしまった元恋人と不倫に走ってしまう、というアミターブ・バッチャン主演のメロドラマです。で、ヒロインの配役が凄くて、まずアミットが結婚した女性・ショーバーにアミターブ・バッチャンの実際の嫁ジャヤ・バッチャンを、そして不倫をしてしまう元恋人・チャンドニーを、アミターブが当時実際に不倫していたという噂のレーカーがやってるんですね。なんかもー自分のスキャンダルをそのまま映画にしちゃいました〜というとっても生臭い配役なんですよ。

ただまあそういった作品内容以外のことは忘れてきちんと観てみると、これが意外とよく出来た作品なんです。死んだ兄の言った「自分の許嫁の面倒を見てやってくれ」といった言葉を恋人と別れてまで実行した主人公は非常に肉親想いで義理堅い男だということができるし、にも関わらずやっぱり元恋人に後ろ髪引かれるというのも、いいか悪いかは別としてとても人間臭い感情だと思います。まあ結局主人公の優柔不断さが全部悪いんだけどな!そして悪いことはできないもの、二人の嘘は次第にほころんでゆき、周囲の人たちは段々とこの二人なんかおかしい、と気づいてゆくんですよ。この、秘密が徐々にバレてゆく、という描写が、完全犯罪が徐々に破綻してゆく様を描いた犯罪ドラマみたいで妙にスリリングなんですよ!こういう観方をする映画じゃないとは思うんですが!

そしてこの映画の見所はもう一つ、こういった俗っぽいメロドラマを、格調高く端正な描写で美しい物語に仕立て上げたヤシュ・チョープラー監督のただならぬ力量でしょう。映像も実に美しく、時々ヨーロッパ映画を観ているような錯覚さえ起こしてしまうぐらいです。ヤシュ・チョープラー監督作品は『Jab Tak Hai Jaan』(2012)や『Veer-Zaara』(2004)他数作しか観たことがありませんが、1981年作のこの作品の高いクオリティを見るにつけ、なぜ巨匠と呼ばれるのか分かるようになってきました。それにしても主人公と不倫相手の元恋人、自分の嫁や旦那の目の前でキャッキャウフフ踊ってんじゃねーよ!なんでそう脇が甘いんだよ!だからバレるんだよ!

20160517(Tue)

[][]極悪犯罪組織と戦う正義の兄弟!『Shaan』 / 病魔に冒された患者と医者との友情『Anand』【アミターブ・バッチャン特集 その3】 極悪犯罪組織と戦う正義の兄弟!『Shaan』 / 病魔に冒された患者と医者との友情『Anand』【アミターブ・バッチャン特集 その3】を含むブックマーク 極悪犯罪組織と戦う正義の兄弟!『Shaan』 / 病魔に冒された患者と医者との友情『Anand』【アミターブ・バッチャン特集 その3】のブックマークコメント

■極悪犯罪組織と戦う正義の兄弟!〜映画『Shaan』 (監督:ラメーシュ・シッピー 1980年インド映画)

f:id:globalhead:20160218134032j:image

極悪な犯罪組織と戦う正義の兄弟!という1980年公開のアクション映画です。主演はスニール・ダット、アミターブ・バッチャン、シャシ・カプール、シャトゥルガン・シンハー。そして監督はあの『Sholay』(1975)のラメーシュ・シッピー。『Sholay』は西部劇へのオマージュでしたが、この作品はなんと「007」に触発されたフィルムなのだとか。しかし確かにオープニングこそ「007」ぽいのですが、決してスパイ・アクションという訳ではありません。

物語の主人公はボンベイに住むシヴ(スニール)とビジェイ(アミターブ)とラヴィ(シャシ)のクマール兄弟。シヴは熱血警官でしたが、ビジェイとラヴィは詐欺師までやっちゃうボンクラコンビでした。しかしシヴが謎の犯罪組織に命を狙われるようになってから彼らの生活は一変します。犯罪組織の首領シャカール(クルブーシャン・カルバンダ)はサディスティックな冷血漢であり、遂にシブは殺害されます。怒り心頭に達したビジェイとラヴィは復讐に燃え、ボンベイ沖合の孤島にあるシャカールの秘密基地へと潜入するのです。

この作品で見所となるのは非常に緊迫感に満ちたアクションの演出でしょう。インドの古めなアクション映画を観ると結構がっかりさせられることが多いのですが、この作品では巧いなあ、と同時に欧米作品をよく研究しているなあ、と感心させられました(当時のインド映画にしては、ということですが)。まず、アクションに限らず、この作品ではどんな場面でも描写が細かいんですね。その細かさが執拗さにも繋がって、緊張感を途切れさせないんです。この執拗さ・しつこさは確かに『Sholay』の演出と非常に共通するものを感じました。前半こそアミターブとシャシのユルい詐欺シーンや恋愛シーンが入って、この辺は当時のマサラ映画だからしゃーねーなーと思いながら観ることになるのですが、物語が進むにつれ一人また一人と死んでゆく兄弟や仲間たちの描写に段々と固唾を呑むことになります。追い詰め方が情け容赦ないんですよ。意外にグロなシーンもきちんと描いており、この辺の思い切りのよさも監督の力量だという気がします。

それと同時に、敵となる犯罪組織の首領シャカールの異常さと風貌も見所です。そのサディスティックな性格はそのまんま『Sholay』における山賊の首領ガッバル・シンなんですよ。その風貌はなんと「007」に出てくるスペクターの首領プロフェルドそのもの。ツルッパゲッでマオカラーのスーツを着てるんです。そして窓の外が海底になった秘密基地で部下を円卓に着かせ犯罪計画を練ってるんですね。任務に失敗した部下が椅子ごと恐ろしい生き物の待つ水底に落される、というのも007ぽい。しか窓の外の海底にはサメがうようよ泳いでいるのに、椅子が落とされた先にはワニが待っている、というのがなんだかよくワカラナイ(しかもこのワニ、「がおーっ」と鳴きます)。どちらにしろこの秘密基地の円卓にはいろんなガジェットが付けられ、結構力が入ってるんですね。クライマックスは仕掛けだらけのこの秘密基地でラメーシュ監督らしいひたすらしつこい演出のアクションが展開し盛り上がってゆきます。

■病魔に冒された患者と医者との友情〜映画『Anand』 (監督:リシケーシュ・ムカルジー 1971年インド映画)

f:id:globalhead:20160301132930j:image

病魔に冒された患者と一人の医者との友情を描いた1971年公開のインド映画です。主演は当時絶大な人気を誇っていた男優ラージェーシュ・カンナーとデビュー間もない頃のアミターブ・バッチャン。物語の語り部となるのは癌の専門医バースカル(アミターブ)。彼はある日アナン(ラージェーシュ)という末期癌患者と出会いますが、彼は自分の病を知っているにもかかわらず、驚くほど陽気で快活な男でした。人々はそんな彼に魅了されてゆきますが、否応なしに死の時は迫ってきて…というもの。

インド映画の難病モノというとシャー・ルク・カーン主演の『たとえ明日が来なくても(Kal Ho Naa Ho)』(2003)を思い浮かべますが、己の死期を悟りつつ精一杯明るく生きようと努力する主人公の姿を描いている点で共通しています。というよりもこの作品の主人公アナン、明るく元気というよりは、いつも落ち着きが無くやかましいほどにペラペラとまくし立て、本当にこの人病気なの?と思えてしまう程です。だからこそ周囲が彼の病気を知った時の驚きと哀しみも一層深いものになってゆくんですね。

難病モノ映画におけるこういった「快活な難病患者」は昨今では割とよくある手法なんですが、当時は十分心をえぐるものだったのかもしれません。それよりも死期を悟っている主人公が度々劇中において語るその死生観にどこかインド的なものを感じました。また、そんな主人公の為に周囲の人たちがヒンドゥー、イスラム、キリストと、それぞれの神に祈る場面などもインド映画独特でしたね。とはいえ主人公の死期が近付き、病の床に臥せるようになるとどうしても悲劇性を強調することになってしまい、個人的にはそういった部分で通俗的に思えてしまったのが残念。ラージェーシュ・カンナーの陰影に富んだ演技がリードしてゆく作品でしたが、アミターブもまた実に医者らしく思わせる落ち着いた演技で抜群でした。

20160516(Mon)

[][]炭鉱大パニック!『Kaala Patthar』 / 親の敵を成敗だ!『Naseeb』【アミターブ・バッチャン特集 その2】 炭鉱大パニック!『Kaala Patthar』 / 親の敵を成敗だ!『Naseeb』【アミターブ・バッチャン特集 その2】を含むブックマーク 炭鉱大パニック!『Kaala Patthar』 / 親の敵を成敗だ!『Naseeb』【アミターブ・バッチャン特集 その2】のブックマークコメント

■炭鉱大パニック!〜映画『Kaala Patthar』 (監督:ヤシュ・チョープラー 1979年インド映画)

f:id:globalhead:20160212104317j:image

インドの炭鉱町を舞台に、男同士の友情!ぶつかり合い!乙女との恋!経営者との対立!などなどが描かれる作品です。そしてクライマックスには大規模な炭鉱事故というパニックも盛り込まれるんですな。原題の「Kaala Patthar」 は「黒い石」という意味。主演はアミターブ・バッチャン、シャシ・カプール、監督にヤシュ・チョープラー。彼らのコラボレーションは『Deewaar(1975)』『Kabhie Kabhie(1976)』『Trishul(1978)』に続いて4作目となるそうです。

《物語》かつて客船の船長だったヴィジェイ(アミターブ)は海難事故による不祥事を起こし、今はしがない炭坑夫に身を落としていました。ヴィジェイは鉱山技師のラヴィ(シャシ)と友人となり、また炭坑の女性医師スーダ(ラーキー・グルザール)との間にもほのかな恋心が芽生えます。そんなある日脱獄犯のマンガル(シャトゥルガン・シンハー)が炭坑町に逃げ込んで坑夫になりすまし、ヴィジェイと一触即発の関係になります。さらに技師ラヴィは現在掘り進んでいる坑道の危険性を経営者に訴えますが、経営者は全く耳を傾けず、そして遂に事故は起こるのです。

炭鉱を舞台としたインド映画というと『Gangs of Wasseypur』『Gunday』を思い出しますが、それもそのはずインドは中国アメリカに続いて世界第3位の石炭生産国だからなんですね。この『Kaala Patthar』ではヴィジェイことアミターブが終始無精髭に煤まみれの真っ黒い顔で登場し、なかなかに男臭さを演出しています。炭坑町はやさぐれた坑夫だらけで、その労働は過酷を極め、全体的にも男臭さ汗臭さ満開の作品といえるでしょう。しかしそんな中でなぜかいつも真っ白なズボンを履いているヴィジェイに彼のジェントルマンぶりがうかがえます。きっと毎日こまめに洗い、漂白までしているのかもしれません。

そんなヴィジェイと絡むのが脱獄犯のマンガル。煮ても焼いても食えない悪党の彼ですが、敵か味方か!?といった部分で面白さを加味しています。しかし全体的に登場人物が多すぎるような気もします。ヴィジェイ、ラヴィ、マンガルの主要3人にさらにそれぞれ恋愛相手が出てくるので散漫になっちゃうんですよ。そんなドラマですが見所はやっぱりラスト30分に渡る大事故の描写です。浸水し坑道に噴き出す水水水、パニックに至る坑夫たち、少しでも多くの命を救おうと主人公たちと、この辺で大いに盛り上がってくれます。しかし落盤してきた岩が水にプカプカ浮いてモロ発泡スチロールと分かるのがちょっとお茶目ではありますが!


■親の敵を成敗だ!〜映画『Naseeb』 (監督:マンモーハン・デーサーイー 1981年インド映画)

f:id:globalhead:20151130115611j:image

かつて父を殺し、現在のうのうと金持ち生活を送っている男たちを成敗だ!とアミターブ・バッチャン演じる主人公ジャンが暴れまわる1981年公開のインド映画です。とはいえ、この時代のインド映画なもんですから、それだけではない盛り沢山の内容となっています。共演はジャンの友人役にシャトゥルガン・シンハー、ジャンの弟役にリシ・カプール、ヒロインにヘマ・マリニ。

冒頭では宝くじの高額当選券を巡り、友人同士の裏切りと殺人、そして陰謀がドロドロと描かれ、固唾を呑んで見守ることになります。そして10年の歳月が流れ、金を奪った連中はホテル経営で金持ちとなり、殺された男の息子ジャンは何も知らずにそのホテルでウェイターをしています。しかもジャンの友人というのが実は父を殺した男の息子、というのが因果を感じさせますよね。そしてそのウェイターを演じるのがアミターブ・バッチャン。冒頭はシリアスだったのに、ウェイター姿のアミターブがにこやかな笑顔で歌ったり踊ったりし始めるしているもんですからちょっとずっこけます。ただやっぱりアミターブ、たっぱがあって手足が長いから踊りが映える。このシーンでは往年のインド映画名スターが総出演なのらしいのですが、この時代のインド映画には暗いので自分には分かりませんでした…。

その後主人公ジャンが歌ったり踊ったり、恋や友情にハートを焦がしたり、ストリートファイトで逞しさを見せつけたかと思うと酔っぱらってたちの悪い兄ちゃんになったりしてなかなかに忙しい展開が続きます。そして死んだ父は生きていた!とびっくりさせ、親父を不幸な目に遭わせた連中に復讐してやろうぜ!という流れになり、次から次にエピソードの盛り込まれた娯楽映画に仕上がっているんです。クライマックスなんて復讐に赴いたジャンと仲間たちが何だか知らないけど全員コスプレしてる!しかもそのコスプレがなんだか脈歴が無い!君たちはゴレンジャイか!というサービス満点ぶり。しかしいかんせん全体的にとっちらかり過ぎているもんですから観ていて集中力が続きません。まあ当時のマサラ〜な映画の標準的な構成なのでしょうが、ちょっとオレには辛かったなあ。とはいえインドでは大ヒットし、ブロックバスター映画として記録されているらしいんですけどね。

20160515(Sun)

[][]俺たちゃ仲間さ!アミターブ、ラジニカーント、ゴーヴィンダ共演作!映画『Hum』【アミターブ・バッチャン特集 その1】 俺たちゃ仲間さ!アミターブ、ラジニカーント、ゴーヴィンダ共演作!映画『Hum』【アミターブ・バッチャン特集 その1】を含むブックマーク 俺たちゃ仲間さ!アミターブ、ラジニカーント、ゴーヴィンダ共演作!映画『Hum』【アミターブ・バッチャン特集 その1】のブックマークコメント

■Hum (監督:ムクル・S・アーナンド 1991年インド映画)

f:id:globalhead:20151130115419j:image

ボリウッド映画の帝王アミターブ・バッチャンとタミル映画のスーパースター、ラジニカーントが共演していた!という映画『Hum』であります。さらに往年のインド映画大スター、ゴーヴィンダまで共演しているのでその濃さはひとしおです。タイトル「Hum」は「われら」という意味で、これはインド映画らしい家族主義と仲間意識をテーマにしているからなんですね。ちなみにこの作品は2000年に東京ファンタスティック映画祭において『タイガー 炎の3兄弟』というタイトルで日本公開されています。

物語はまず前半、ボンベイの港で労働者たちを仕切るギャングのバクタワールによる悪逆非道ぶりに遂にブチ切れたタイガーと呼ばれる男(アミターブ)の暴れん坊ぶりが描かれます。タイガーはここでギャングを成敗するものの、両親と友人を殺され、恋人とは離れ離れになったまま、幼い二人の弟を連れて逃亡することになります。そして後半は成長した二人の弟とその家族がタイガーと幸せに暮らす様子から始まるんです。弟の一人クマール(ラジニカーント)は妻と一人の娘がおり、もう一人の弟ヴィジェイ(ゴーヴィンダ)にも恋する娘がいました。しかしそんな幸福に暗雲が垂れ込みます。刑務所を出所したバクタワールがタイガーへの復讐を誓い、クマールの妻と娘を誘拐してしまうのです。

というわけで映画『Hum』、なにしろ豪快な映画でしたね。前半はギャングに虐げられた労働者たちの憤怒が爆発し、暴動にまで発展する様と、さらにタイガーの父母、友人の非業の死が描かれ、遂に大爆発したタイガーの凄まじいバイオレンスが炸裂するのです。ドラゴンならぬ「タイガー怒りの鉄拳」ですね。この前半は映画の間中誰も彼も血管ブチ切れ気味にわあわあ大声で怒鳴りまくってるので、「この調子で3時間余り続くのか…」とちょっと暗澹たる気持ちになるのは否めません。

しかし後半からはガラリと雰囲気が変わります。この後半ではタイガー一家の喧嘩したり笑ったりといった微笑ましいエピソードの数々が描かれてゆくんです。タイガー自身は家族に自分の過去を隠し、隠遁した中年男性として生きています。ここで中心となるテーマは家族の強烈な繋がりです。タイガー3兄弟とクマールの妻子が5人揃って「Hum=われら」の愛と結束を歌い上げるシーンなどにそれは顕著でしょう。1本調子だった前半と比べ、ラジニカーント、ゴーヴィンダが加わることで物語に膨らみと楽しさが加わっています。

(ここからネタバレ含みます)しかしタイガーに復讐を誓うマフィアのボスの登場により物語は再び緊迫するんです。実はマフィアのボスだけではなく、その裏で悪徳警官ギルダールが暗躍しています。このギルダールをなんとインド映画の名バイプレイヤー、アヌパム・ケールが演じているんですよ。アヌパム・ケールはコミカルながら煮ても焼いても食えない小悪党を演じ、これがまたいい味なんですね。しかも最終的にタイガーにボコボコにされた挙句爆弾抱いて爆死します!すげえよアヌパム!

さらにクライマックスがとんでもないんです。たった一人悪党の待つ港へ駆けつけたタイガーは、ここで機関銃を構えた悪者達と何台もの装甲車に包囲され絶体絶命のピンチを迎えます!しかしそこに二人の兄弟が歌いながら現れるんです!そして3人で「俺たちゃ仲間〜」と歌いながら素手で悪者たちをボコッて勝利しちゃうんですよ!このクライマックスも含めなにしろ全体的に豪快な作品です。逆に見るなら大雑把で大味ということもできます。実のところ、物語、演出、踊り、音楽、どれも大仰ではありますが、最終的な仕上がりはどこか雑で造りが甘いんです。しかしこれを「勢いの良さ」ととらえて楽しむのが一番いい見方の作品なのかもしれません。

D

20160513(Fri)

[][]オッサンのオッサンによるオッサンのためのインドのオッサン映画『Welcome Back』 オッサンのオッサンによるオッサンのためのインドのオッサン映画『Welcome Back』を含むブックマーク オッサンのオッサンによるオッサンのためのインドのオッサン映画『Welcome Back』のブックマークコメント

■Welcome Back (監督:アニーズ・バズミー 2015年インド映画)

f:id:globalhead:20160425185256j:image

実はこの『Welcome Back』、あまり食指が動かなかった映画であったのも確かだ。なんとな〜く華がないし、それに大味そうだ。『Welcome』という作品の続編らしいがこれも観てない。しかも監督がアニーズ・バズミー。彼の監督作品は『No Entry』(2005)、『Singh Is Kinng』(2008)あたりのコメディ作品を観たことがあるが、シチュエーションやアクションで笑わせるというよりも、細かい会話のニュアンスで可笑しさを醸し出す監督で、字幕と睨めっこしながら観なければならないのが少々しんどかったのである。

とはいえ、予告編を観たところとりあえず派手に作ってある。ドバイの高層ビルで花火バチバチとか、キンキラキンの大邸宅とか、なんだか大人数のダンス・シーンとか、「ゼニ掛けてまっせぇ!」という主張は伝わってくる。大味で派手、というのならむしろ高画質で観たほうが楽しめるか?と思いわざわざBlu-rayで購入して観ることにした。

《お話》ウダイ(ナーナー・パーテカル)とマジュヌー(アニル・カプール)はコワモテのギャングとして恐れられていたが、今はホテル経営者に転身し、ドバイで悠々自適の生活を送っていた。そんな二人の前にある日父親が現れ、実は二人には妹ランジャナー(シュルティ・ハーサン)がいること、そして彼女の花婿を探してほしいことを頼み込む。ウダイとマジュヌーは知り合いのグングルー(パレーシュ・ラワル)に前妻との息子がいるはずだとあたりを付ける。しかもその息子アッジュー(ジョン・エイブラハム)は既にランジャナーと恋仲だったのだ。ただし問題は彼がムンバイを仕切るマフィアだということだった。さらにマフィアのドン、ウォンテッド(ナスィールッディーン・シャー)の息子がランジャナーに岡惚れしていたことが発覚、単なる婿探しがマフィア同士の抗争にまで発展してしまう!

いやー最初の予想通りの映画だった。派手で大味。これに尽きる。予告編にあったままに、とりあえずドバイの高層ビルと、とりあえずキンキラキンの大邸宅である。とりあえず高級車でヘリコプターである。主演の皆さんはとりあえず高級そうに見えるヤートラ(ヤーサン・トラッド)なファッションに身を包む。「ゼゼっこしこたま持っててウハウハだっぺ!」というアゲアゲな様子は大変よく分かるが、品が無く田舎臭く趣味が悪い。なにもかもが「とりあえず」な大雑把さで占められ、スカスカで締りがない。しかし観ていて思ったのは、この映画の中心ターゲットはインドのオッサンだったのではないか、ということだ。インドに限らず世界の、世間一般のオッサンというのは、その基本が品が無く田舎臭く趣味が悪い生物である。オレも一介のオッサンとしてしみじみとよく分かる。主人公がマフィア、というのも「まともに仕事しなくていいし何かに縛られる必要もない」という、インチキな人生に限りなく憧れるオッサンらしい。

コメディとしての質も実にオッサンらしい。せいぜいが登場人物であるマフィアの皆さんが無意味に凄んでみせたり、下らないことでいさかいを起こしたりといったぐらいのもので、要するにマウンティング・ポジションにうるさいオッサンならではのものだ。そしてそれらのギャグがことごとくしょーもない。オッサンという生き物は往々にして寒い親父ギャグを飛ばし周囲から顰蹙を買うが、言ってる本人は意外と面白いと思っている、それである。ダンス・シーンに関しても、派手で大人数なだけで振り付けは相当につまらない代物だが、このセンスの無さも「オッサンのセンスだから」と思うと納得できるではないか。しかし、若いカップルの為にあくせくするのは、「こういうのはオッサンに任せとけ!」というオッサンならではの親方根性と、そして優しさなのではないかと思う。この映画に存在しないのは「オッサンのエロ」で、主役の二人は結婚詐欺の女二人に遭遇するぐらいだが、そこでギンギラギンにエロに走らないのは、実は奥手ではにかみ屋のオッサンだからこその可愛らしさなのである。

それよりもこの作品の本当の見所は他にある。それは身欠きニシンの如くじんわり油の沁みだしたオッサン俳優たちの総出演である。アニル・カプールとナーナー・パーテカルが主演として活躍する作品というだけで既に相当なオッサン臭を醸し出しているが、これにさらにパレーシュ・ラワルとナスィールッディーン・シャーが出演しているのである。これはもうとろ〜りとろりと三日三晩煮込んだ豚骨スープ並みにこってりぎらぎら、濃厚なケモノ臭の香り立つ作品だということができよう。こんなオッサンたちの黒く固くビンビンな姿をBlu-rayのHD画質で微に入り細にわたり観る喜び、これがこの作品の醍醐味である。はっきり言ってジョン・エイブラハムのアクションもシュルティ・ハーサンの大味な美貌もどうでもよかったぐらいである。オレはアニル・カプールが吠えナーナー・パーテカルがしかめ面をするだけで陶然となってしまった。そんなわけで浴びるようにインドのオッサンたちの姿を堪能したいアナタ、そんなアナタにこそこの『Welcome Back』がふさわしいであろうと思う。

D

20160512(Thu)

[][]2014年・2015年度ボリウッド・ボックスオフィス・トップ10まとめ 2014年・2015年度ボリウッド・ボックスオフィス・トップ10まとめを含むブックマーク 2014年・2015年度ボリウッド・ボックスオフィス・トップ10まとめのブックマークコメント

f:id:globalhead:20160428091100j:image

インド映画を観始めの頃、いったい何から観ればいいのか分からなくて、「とりあえず売れた映画を順番に観とけばいんじゃね?」ということにした。その時参考にしたのがWebサイトBOLLYMOVIEREVIEWZで、ここを眺めながら2011年から2013年までのボリウッド・ボックスオフィス・トップ10全30作品をしらみつぶしに観て行った。その時の記事は「オレとインド映画〜あるいは如何にしてオレはハリウッド作品を観るのを止めインド映画に傾倒したのか - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ」でまとめてある。

ここでも書いたが、別にトップ10だから面白い映画ばかりということは決してなくて、つまらない作品も結構あった。これは別にボリウッド作品に限らず、例えばハリウッド作品の興業成績ベスト10作品全てが面白いわけではないのと一緒である。ただ、面白い面白くない関係なく、「インドの人はこんな感じの映画が好きなんだなあ」というのはなんとなく分かった。

2011年から2013年までのボリウッド・ボックスオフィス・トップ10を観終えた後は特にそういったランキングを気にせずインド映画を観ていたが、話題作を追っかけていると結局はこのランキングに入る映画を多く観ることになる。今まで特に書かなかったが、ここで2014年度のボリウッド・ボックスオフィス・トップ10を載せてみる。映画タイトルのリンク先はこのブログで書いた感想文になる。

Top 10 Bollywood Movies of 2014 by Box Office Collection

1. pk (330.82 Crore)

2. Kick (216.84 Crore)

3. Happy New Year (Hindi) (176.81 Crore)

4. Bang Bang! (hindi) (141.14 Crore)

5. Singham Returns (139.96 Crore)

6. Holiday (112.4 Crore)

7. Jai Ho (107.71 Crore)

8. 2 States (101.61 Crore)

9. Ek Villain (98.02 Crore)

10. Humpty Sharma Ki Dulhania (72.56 Crore)

この2014年度の興業ランキングとオレの個人的な2014年ベスト10との違いはこちらのブログ記事「オレ的インド映画2014年度作品ベストテン!! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ」を参考にしてもらうといいかもしれない。『pk』という映画史に残っちゃってもいい名作が公開された年だし、インド映画ファンには『Bang Bang!』はマサラ上映には無くてはならない作品として記憶されているだろう。個人的には『Happy New Year』の大雑把な娯楽性は好きだし、『2 States』は真摯なロマンス作品として大いにお勧めしたい。反面、サルマーン兄貴の作品『Kick』や『Jai Ho』はクオリティが低いように思う。『Singham Returns』は前作の爽快さが薄れたのが残念。『Ek Villain』は非常にダークな展開を迎えるので心して観るべし。『Humpty Sharma Ki Dulhania』は『DDLJ』を換骨奪胎したロマンス作品だが、この年はもっと優れたロマンス作があったと思うけどな。

さてお次は2015年度のボリウッド・ボックスオフィス・トップ10だ。

Top 10 Bollywood Movies 2015 by Box Office Collection

1. Bajrangi Bhaijaan (318.14 Crore)

2. Prem Ratan Dhan Payo (190.02 Crore)

3. Bajirao Mastani (164.8 Crore)

4. Tanu Weds Manu Returns (148.47 Crore)

5. Dilwale (139.54 Crore)

6. Baahubali: The Beginning(hindi) (111.38 Crore)

7. ABCD 2 (106.08 Crore)

8. Welcome Back (96.88 Crore)

9. Gabbar is Back (85.41 Crore)

10. Baby (81.67 Crore)

上位3作、『Bajrangi Bhaijaan』『Prem Ratan Dhan Payo』『Bajirao Mastani』は非常に素晴らしい娯楽作品として完成していて安心して観られる傑作揃い。お勧めです。だからこそ『Dilwale』の凡作ぶりが非常に勿体ない。『Tanu Weds Manu Returns』はインド・ロマンス映画のややこしい面白さを頂点まで極めた傑作。前作と一緒にどうぞ。『Baahubali: The Beginning』はまだ第一部ということでちょっと中途半端かな。『ABCD 2』は観て損の無い作品だろう。『Gabbar is Back』と『Baby』の路線はあまり好きになれなかった。

そしてこのランキングの中で1作だけ観ていない作品があった。それが興行成績8位を記録している『Welcome Back』である。というわけで明日この作品の感想書きます〜(実は全部このための前振りだった)。

20160511(Wed)

[]iPhoneのガラスを割っちまい修理した。 iPhoneのガラスを割っちまい修理した。を含むブックマーク iPhoneのガラスを割っちまい修理した。のブックマークコメント

f:id:globalhead:20160508152923j:image

4月の頭のことなので少々前の話になるのだが、所有しているiPhoneのガラスを割ってしまうという悲惨な目に遭ってしまった。去年の12月に即金10万円払って手に入れたiPhone6S:64GBである。買って4ヶ月しか経っていない10万円の品物をぶっ壊すのはかなり痛かった。理由はと言うとタバスコの瓶を落としたからなんだよね…。ピザ好きでありピザが主食でもあるピザ体形のオレが、ピザになくてはならないタバスコの瓶でiPhoneを壊したのだから因果なものである。

あっちゃー補償も入ってないし、修理にいったい幾ら掛かるんだ…ととりあえず調べてみる。Apple正規店以外の修理店で直すと安く上がりそうだが、どうやらこれ、純正部品使ってないらしいから直したとしてもガラスの強度が信用できない。さらに正規店以外で修理すると次回正規店で修理できないという。というわけで正規店を探してみたが、Apple販売店とかキャリアーに直に持ち込むだけではなく、正規に委託された修理店があるのらしい。そういったお店もどうやら混み合いそうなので、ネットで時間予約してその店に出向いた。データのバックアップは以前買い直した時にiCloudをデータ容量増量して契約してあったので難はなかった。

お店で調べて貰ったところとりあえず破損はガラスだけで内部機器には影響なさそうだという。修理代金は部品代12787円に技術料3197円を加えて15987円。ただし内部機器に故障が見つかった場合を考えて最初の見積代金は37584円となる。逆に言うとiPhoneを内部機器ごとぶっ壊すと修理金が37584円ということになるらしい。ガラスが壊れたまま使っている方もたまに見かけるが、使用しているうちに内部機器に故障が出て来る場合があるらしいので注意したほうがいいと思う。ちなみにAppleCare+に加入していてもガラス修理代金は11800 円 (税別)だとか。

修理期間は1週間ほど掛かると言われたが、この間特に代わりのiPhoneを貸してもらえるわけではないようだ(後で調べるとApple正規サービスプロバイダやApple Store直営店では代替機貸し出しサービスがあるらしい)。SIMカードだけは取り外されて渡されるので、もし昔のiPhoneを持っているのならSIMアダプターを使うなり(先代機とSIMの大きさが違うらしい)ジェイルブレイクするなり(キャリアー縛りの機械だと使えないらしい)して、最低限Wifi経由で使えるかもしれない。その辺は大雑把に調べただけなので本当はちょっと違うかもしれない。ただどちらにしろ面倒なので自分はやらなかった。

さて修理自体は4日ほどで終わったらしく、連絡が来たので早速取りに行った。この時保護フィルムも勧められたので1700円もしやがるシートを貼ってもらった。数千円するガラス強度のシートもあるらしいが、これ以上散財したくなかった。保護シートのあの値段っていったいなんなの?それにしてもバンパーはしてんだけど、まさかガラス面に直接モノ落とすとは思ってなかったなあ…。という訳で修理代金とシート代で2万円弱掛かってしまったというわけである。

それにしても最初思ったのはiPhone無しで1週間余り生活できるのだろうか、ということである。だいたいオレは家電持ってるし、そもそも殆ど電話を使わないし、連絡を取る相手はせいぜい相方さんだけという人間関係の限りなく希薄な人間なので、相方さんとはPC上でSNSなりGoogle Mailを使うなりして連絡が取り合えたのでそれほど苦労しなかった。音楽に関しては以前からSONYのウォークマンを別に携帯して使用しているのでこれも問題ない。他に使うとすれば地図や電車経路や天気のアプリである。これも実の所無くてもなんとかなった。だいたい自宅や会社のPCでなんとかなるのである。あとは暇つぶしでネットを眺めるぐらいだが、通勤時はいつも読書してるし、職場でiPhone取り出して眺めるのは休み時間ぐらいなものだから、これも苦にならなかった。

こうして考えると、スマートフォンって、あれば確かに便利だけど、実は無くてもなんとかなるんじゃないの?という事実に行きついてしまった。だからといって今持っているiPhoneを手放したりとか次回購入を見送るとかいうことは思わないのだけれども、それでも、以前よりiPhoneを眺める時間は随分減ってしまった。そんなに使いたくて使ってるわけでもなかったんだなあ、というのが分かってしまったのだろう。なんだか変な気分である。

20160510(Tue)

[][]オレと冨田勲 オレと冨田勲を含むブックマーク オレと冨田勲のブックマークコメント

f:id:globalhead:20160510005735j:image

先日冨田勲の訃報を聞いて「ああ、冨田さんまで…」と残念な気持ちで一杯のオレである。今年まだ1年も経っていないというのに、デヴィッド・ボウイ、プリンスときて、またしてもオレの個人的な音楽史の中で重要だった方が亡くなってしまったからだ。

冨田勲の音楽は、まだ10代の頃、ロック・ミュージックなんかを聴き始めるよりも先に出会い、愛聴していた。それはホルストの『惑星』を、冨田氏がシンセサイザー・アレンジした作品だった。中学2年生位だったろうか、レコード店に行くと(まだレコードだったのですよ)、漆黒の宇宙空間を背景に、銀色に輝く丸っこい宇宙船の描かれたポスターがドーンと貼られていていたのだ。見ると、「冨田勲」なる人物の作った『組曲:惑星』というアルバムなのらしい。しかも、「シンセサイザー」という、聞いたことの無い電子的な楽器により作成されたものだという。当時からSF小説の好きだったオレは、このあまりにもSFしまくったポスターに魅せられ、そして「シンセサイザー」という蠱惑的な響きを持つ未知の装置の名前に心ときめかせた。

「なんなのだろうこれは…」。中学生の少ない小遣いを掻き集めてレコードを購入し、家に帰ってステレオで聴いたその音楽の中には、

未来と、宇宙が広がっていた。

ノスタルジックなオルゴールの音色から始まるその音楽は、電子音の交信へと続き、そしてカウントダウンへ、ジェットブースターの点火へ、ロケット打ち上げの轟音を経て、禍々しいドラム音と共に、強大な質量が凄まじいスピードで空間を切り裂いてゆくような音響が鳴り響いていった。これが、冨田勲ホルスト『惑星』の第1曲目『火星』である。それはメランコリックであると同時に天上を漂うかのような美しい曲へと続く。2曲目『金星』である。コミカルでリズミカルな『水星』を経て、曲は宇宙飛行の限りない成功を祝したかのような、圧倒的な明るさと肯定感に満ち溢れた曲へと続いてゆく。このアルバムのハイライト『木星』だ。しかしその宇宙旅行にも陰りが見え始める。何か未知の障害と遭遇したのだろうか。それが『土星』だ。そして終章となる『天王星・海王星』では、なにもかもが混沌としながら無限の宇宙へ消え去ってゆく様が描かれる。

一枚のレコードの中に、茫漠として広大な空間と、骨まで焼き尽くす灼熱と、魂まで凍える冷気と、そこを限りない速度で飛行してゆくイメージが存在した。それは、紛うことなく【宇宙】だった。

なんと凄いのだろう。世界にこんな音楽が存在するとは。それからオレは冨田勲の音楽にはまり込んでゆき、既に発売されていた『月の光(ドビュッシー)』『火の鳥(ストラビンスキー)』『展覧会の絵ムソルグスキー)』といったアルバムを買い揃えていった。特に冨田のシンセサイザー・ミュージック最初期の作品である『月の光』は、最初こそ静かすぎてつまらなかったものの、次第にそのシンプルでありながら奥深いシンセサイザーの音に惹かれるようになっていった。冨田の『月の光』は、「侘び寂び」でありリリシズムであった。この『月の光』は今でもたまに引っ張り出して聴いている。まるでクラシック知識の無いオレが、ドビュッシーの曲だけはきちんと曲名が分かるのも、冨田のおかげだろう。

冨田好きが高じたオレはクラスで冨田音楽の布教活動に勤め、誰彼となく『惑星』のレコードを無理矢理貸し付けた。高校生の頃、そんな被害者の一人であったある友人がシンセサイザーに目覚め、発作的にシンセサイザーを購入してしまったのは今でも思い出深い。まあ5万円弱の高校生の溜めた小遣いでなんとかなるような品物ではあったが。この彼のシンセサイザーは高校のブラスバンド演奏会でも使われ、YMOライディーンを奏でたり、それとか学校祭でバンド演奏をやる連中がちょっと変わったキーボード機材として借り受けハードロックを演奏したりもしていた。

その後冨田の『宇宙幻想』あたりから、どうも情緒過多に聴こえてきて冨田音楽自体は聴かなくなった。しかし電子音楽の音からはなぜか離れられなくて、ブライアン・イーノの『アナザー・グリーン・ワールド』を始めとする諸作やデヴィッド・ボウイの『ロウ』『ヒーローズ』にシンセサイザーの限りなく豊かな表現力を感じていた。その電子音への憧れはクラフトワークを経て遂にテクノ・ミュージックへと繋がってゆく。そして今や日々エレクトロニック・ミュージックのアルバムを漁り、そんなエレクトロニック・ミュージックが生活の中になくてはならいものとして存在している。

今現在のこうした音楽的嗜好を決定したのはやはり、10代の頃聴いた冨田勲の『惑星』であり、『月の光』があったからなのだろうと思う。オレにとってエレクトロニック・ミュージックのその始原にある音はクラフトワークでもYMOでもなく、冨田勲だった。そしてオレが今様々に豊かな表現を織り成すエレクトリック・ミュージックを愛し喜びを得られているのも、冨田音楽との出会いがあったからだった。

それにしても、本当に不思議に思う。ボウイが、プリンスが、冨田が死んだ時に、彼らの溢れる様なイマジネーションは、いったいどこに消えてしまうのだろうか?と。いや、それは単に修辞的な問い掛けでしかなく、彼らのイマジネーションは、彼らの肉体と共に消え去ってしまうものなのだということを、オレは十分すぎるほどに知っている。でも、つい妄想せずにはいられないのだ、彼らのイマジネーションが、今も世界を、天を、この宇宙を駆け巡っていることを。

D

D

火の鳥

火の鳥

展覧会の絵

展覧会の絵

ホルスト:組曲「惑星」

ホルスト:組曲「惑星」

yoyoshi yoyoshi 2016/05/10 13:45 音楽でも小説でも漫画でも作者の方が亡くなられると、その素晴らしい小宇宙は消えてしまうのですね。作品は半永久的に残るとしても。富田先生の音楽ではリボンの騎士と新日本紀行のテーマ曲が一番好きです。初音ミクとの共演でも話題になりましたね。もう自分はCDすら聴かなくなり連休中にカセットテープを処分しました。昔はFMステーション片手にエアチェックに励みお気に入りのテープを作ったのが懐かしい。

globalheadglobalhead 2016/05/10 14:12 エアチェック、自分もよくしましたよ。カセットレーベルに入れる文字なんかをカッコよくデザインして悦に入っていましたが、今見ると相当恥ずかしいです。

20160509(Mon)

[]シーパラでカピバラ シーパラでカピバラを含むブックマーク シーパラでカピバラのブックマークコメント

連休はカレンダー通りでした。特になにをするでもなく、のんべんだらりと過ごしてたな。天気良かったから延々洗濯したり布団干してたり、あと掃除したり。DVD観たり日記書いたり本読んだりゲームしたり。靴4足捨てて2足買ったり。たいした出掛けないで暴飲暴食したから胃が荒れた・・・。おまけに焼肉屋行ってホルモンの固いの食べたら前歯の差し歯が折れて歯医者の世話になることになってしまった・・・。なにしとんねん自分・・・。

そんな中で唯一出掛けたのは「横浜八景島シーパラダイス」です。おっきな水族館と遊園地が合体したアミューズメントパーク的ななにかです。結構料金が高いので二の足踏んだんですが、カピバラがいるというので相方さんと二人で行ってきました。連休中とはいえ混雑度はまあまあ。この日は水族館だけの利用。だって遊園地、ジェットコースターとかおっかなくて乗れないもん(相方さんは乗りたくてしょうがなかったようですが)。でもとっても広い設備と敷地で、一日いても楽しめるかも。年寄りなんでちょっと疲れましたが。

というわけでシーパラ。水槽デカすぎ。

f:id:globalhead:20160507120129j:image

ジンベエザメでけええええええ!

f:id:globalhead:20160507120126j:image

ペンギンぷかぷか。

f:id:globalhead:20160507120127j:image

イルカがぴょん。ぴょんぴょんぴょん。

f:id:globalhead:20160507120130j:image

頭の上をイルカが泳いでます。

f:id:globalhead:20160507120133j:image

おやこんにちは。シーパラのカピさんですよ。

f:id:globalhead:20160507120913j:image

ご飯モグモグ。

f:id:globalhead:20160507120914j:image

ぬーん。

f:id:globalhead:20160507120131j:image

ご飯食べたので寝ます。

f:id:globalhead:20160507120132j:image

こうして何千匹も魚がいる施設に行ってカピバラの写真ばかり撮って帰ってきたオレと相方さんでした。

20160506(Fri)

[]『紙の動物園』ケン・リュウによるシルクパンク・エピック・ファンタジイ巨編『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』開幕開幕〜! 『紙の動物園』ケン・リュウによるシルクパンク・エピック・ファンタジイ巨編『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』開幕開幕〜!を含むブックマーク 『紙の動物園』ケン・リュウによるシルクパンク・エピック・ファンタジイ巨編『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』開幕開幕〜!のブックマークコメント

■蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ / ケン・リュウ

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

■『紙の動物園』ケン・リュウの初長編作

七つの国々からなるダラ諸島では、統一戦争に勝利したザナ国が他の六カ国を支配し、皇帝マビデレが圧政を敷いていた。喧嘩っ早いが陽気で誰からも愛される青年クニ・ガルは、日々気楽な暮らしを送りながらも、何か大きなことを成したいと夢見ていた。いっぽう皇帝に一族を殺され、過酷な運命をたどってきた青年マタ・ジンドゥは、皇帝を手にかけるその日のため研鑚を積んでいた。行く手に待ち受ける数多くの陰謀と困難を乗り越え、ふたりはともに帝国の打倒を目指す。権謀術数渦巻く国家と時代の流れに翻弄される人々を優しくも怜悧な視点で描き出す、ケン・リュウの幻想武侠巨篇、開幕。

中国系アメリカ人ケン・リュウによる第一短編集『紙の動物園』は近年稀に見る傑作SF集だった(レヴュー:ケン・リュウの『紙の動物園』は現在最高のSF小説集だと思う。 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ)。それは、脱西洋的な概念を立脚点とした独自の物語性の面白さにある。キリスト教圏独特の概念が先験的に擦り込まれた物語性から軽やかに乖離し、脱西洋、非キリスト教圏的な、オルタナティヴな思考に基づく物語がそこにはあった。

■壮大なるエピック・ファンタジイ3部作の幕開け

そのケン・リュウの初長編が刊行された。これは四の五の言わず読まねばならない。タイトルは『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ』、なんとエピック・ファンタジイであるという。『紙の動物園』の作品群からは想像の付かない作品ジャンルだ。それも「シルクパンク」という耳慣れないジャンルを謳っているのだという。これは益々興味が尽きないではないか。おまけに3部作になるといわれ、さらに今回刊行されたのは第1部のその半分に過ぎない。原作が大著であるため、日本では上下巻の2部冊での刊行となったらしいのだ。下巻は6月に『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼』として発売されるらしい。

物語の舞台は「ダラ諸島」と呼ばれる架空の多島海世界。かつては7つの国が治めていたこの島々を、その中の一つザナ国が武力制圧し、ザナ帝国として支配していた。しかし度重なる圧政に、遂に反旗が翻される。物語の主人公は二人。街の愚連隊のリーダー、クニ・ガルと、ジンドゥ一族最後の男子、マタ・ジンドゥ。この二人を中心としながら、次第に広がってゆく叛乱と独立の機運、それを打ち破るため進軍する残忍なザナ帝国軍、といった流れになる。物語は紀元前3世紀に中国で起こった楚漢戦争を題に取り、いわばケン・リュウ版「項羽と劉邦」といった趣が施されているという。

■脱西洋的な概念を立脚点とした独自の物語性

まだ上巻までしか発売されていない作品の評価をするのはひとまず置くとしても、とりあえず、面白い。どう面白いのか。まず「『紙の動物園』のケン・リュウ」から想像もつかない程に、まだ知らなかったケン・リュウの世界が広がっている。短編と長編では作家の力量の現れ方が違うが、第一部の上巻だけを読んでみてもその構成力と文章のリズム、登場人物たちの肉付け方、細かなエピソードの端々に光るリアリティ、そして世界全体を構築する想像力の豊かさに感嘆させられる。

しかし逆に、物語全体を見渡してみると、これが実にケン・リュウらしい作話術で成り立っている物語であることに気付かされる。この『蒲公英王朝記』は、『紙の動物園』の諸作品と同様に、「脱西洋的な概念を立脚点とした独自の物語性」を持つ作品として成り立っているのだ。

例えば"エピック・ファンタジイ"と言う時に、往々にして想像してしまうのは中世ヨーロッパ的な世界観、その神話と文明と歴史を想像力の源とした物語性である。ところがケン・リュウはそれら欧米的な見地から一般的となっているエピック・ファンタジイの要素を注意深く排除する。かといってケン・リュウはそれら「非ヨーロッパ的」な世界に安易に「アジア的」な要素を代入したりはしない。「項羽と劉邦」がモチーフとはいえ、ケン・リュウはこの物語から「中華的」な要素すら注意深く排除しているのだ。

■批評され対象化されたエピック・ファンタジイ

これら「脱西欧=アジア」といった単純な二元論を採用しない姿勢は『紙の動物園』の諸作品からも伺える。ケン・リュウは中国系アメリカ人だが、中国系アメリカ人だからこそなのか、どちらの文化圏からも一歩引いた視点から、それぞれの文化を批評し対象化しているように思える。即ちこの『蒲公英王朝記』とは、「批評され対象化されたエピック・ファンタジイ」という、実は高度に知的なアプローチを施されたファンタジイ作品だということが出来るだ。

そうして生み出されたこの『蒲公英王朝記』は、ヨーロッパとアジアの要素を少しずつ持ちながらも、その両方とは全く違う、それこそ独自な世界観を表出させることに成功している。それは現実の何がしかの事柄に依拠することなく「どこでもないどこか」を生み出すという、ファンタジイ小説の幸福な完成図がある。そしてまた、そういった世界を生み出してしまえるケン・リュウの底力に唸らされる。

そこにはこの物語の舞台が「大陸」ではなく「多島海世界」であることも一役買っている。「多島海世界」であるために、ヨーロッパやアジアといった汎ユーラシア大陸的な世界を持った物語といった先入観が通用しないのだ。かといってこれがオセアニア諸島を想起させるかと言うとそれも全く無い。このあたりにも作者の巧みな作話力が生きていると思う。

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

yoyoshi yoyoshi 2016/05/07 12:17 多島海世界というとゲド戦記を思い出します。まだまだ先が長いと思うと楽しみです。スピンオフとかも発表して欲しい。

globalheadglobalhead 2016/05/07 12:23 今から早いですが完結いつになるんでしょうかねえ…。他の長編や短編も書いて欲しいし。

20160502(Mon)

[]主演の大泉洋がとてもよかったゾンビの頭大炸裂映画『アイアムアヒーロー主演の大泉洋がとてもよかったゾンビの頭大炸裂映画『アイアムアヒーロー』を含むブックマーク 主演の大泉洋がとてもよかったゾンビの頭大炸裂映画『アイアムアヒーロー』のブックマークコメント

アイアムアヒーロー (監督:佐藤信介 2016年日本映画)

f:id:globalhead:20160430080114j:image

■邦画を観ないオレも観た『アイアムアヒーロー

申し訳ないのだが邦画はまるで観ない。いろいろ理由はあるが、ひとつに日本の男優女優のツルッとした顔がツマラナイからである。人間多少エグ味がある顔のほうがいい。あんまりエグ過ぎても困るがな。まあ全てオレの根拠不明な決めつけであり、誰一人賛同しなくていい。そんなオレだがゾンビ・パニック・コミック『アイアムアヒーロー』が映画化されると聞いた時は「これは観に行かねば」と思った。原作は当然好きだが、それよりも主演が大泉洋というのがイイ。オレの中で大泉洋はいまだにバラエティ番組『水曜どうでしょう』の人だが、味わいの深いキャラクターを持つタレントではないか。その「味わい深さ」の中には何とも言えない情けなさ、というのも含まれる。『アイアムアヒーロー』の主人公にこれほど適したタレントもいないのではないか。

さてお話はと言うとこれはクドクド書くまでも無くゾンビ・パニック・ストーリーである。理由ははっきりしないがある日突然ZQNと呼ばれるゾンビ体が大発生し、街はパニックに襲われ、人々は逃げ惑いながらゾンビに貪り食われ、自らもゾンビと化す。主人公・鈴木英雄(大泉洋)はまるで芽の出ない漫画アシスタントで、同棲している恋人にも甲斐性の無さを毎日なじられているような情けない男だ。そんな彼がゾンビパニックの中、女子高生・比呂美(有村架純)をたまたま拾い、二人してゾンビ禍の少ないという噂の富士山を目指すが、そこで発見したアウトレットモールの生き残りたちとまたもやゾンビに襲われる、という物語である。

■徹底的なダメ人間ぶりが素晴らしかった大泉洋

洋の東西を問わずゾンビ映画はこれまでも履いて捨てるほど作られてきたが、この作品での特徴というなら、ゾンビが「喋る」という部分だろうか。これはゾンビになる前のその人間の、ある種の「強迫観念」として残っている事がらをブツブツ呟いているということで、決して会話として「喋っている」わけではないのだが、これが独特の不気味さを醸し出している。それは「人間の名残りがある」という部分で怖いということだ。それとのったり動くゾンビと走るゾンビが混在しているというのも面白い。運動能力の高かった人間はゾンビ化後も運動能力が高いというのもいい。オレは別にホラー映画専門家でもゾンビ映画専門家でもないので、こういったゾンビ映画がこれまであったかどうかなどまるで知らないでモノを言ってるが、この設定は十分新鮮に映った。

物語として楽しめた部分は、この作品が徹底的にダメ人間である主人公がゾンビ禍を通して"ヒーロー"へと生まれ変わってゆくという部分だろう。これは原作の根本的なテーマでもあるが、他のゾンビ・ストーリーと差別化が成功しているのはその部分だろう(こういったゾンビ映画は他にもあるのかもしれないが)。そしてこの「徹底的なダメ人間」を演じる大泉洋が、やはり、いい。ダメ人間の一発逆転というストーリーはハリウッド・コメディでは多く題材にされるし、毎度毎度ダメ人間ばかり演じるオレの大好きなサイモン・ペグという素晴らしい俳優もいるが、そういう立ち位置を、"あの"大泉洋が演じる、というのがなにしろ快挙だ。大泉には"ダメさ"と"情けなさ"が十分にある。映画『アイアムアヒーロー』はこの大泉を主役に据えたことで既に成功していたのだ。

残酷描写はR15+の映倫区分がされただけあってなるほど凄まじい。異形と化したZQNの容姿はよく出来ていると思うし、銃で次々と頭をふっ飛ばされてゆくZQNの描写もある意味爽快なぐらい素晴らしい。こういった爽快残酷描写も今作の見所の一つだろう。だがしかしこういったテクニカルな部分は、日本のホラー特殊メイクでは既に高い水準を持っていたのではないか。なにしろ日本のホラーすら見ないから断言もできないんだが、日本人ってこういうのやらせりゃあきちんと作るだろうな、とは思う。すまんのうなにもかも憶測でモノ言っていて。

■存在感の薄いダブルヒロイン

半面いまひとつだったのはダブルヒロインとして登場する比呂美役・有村架純と藪役・長澤まさみの存在感の薄さと設定の曖昧さ、さらに演出の拙さだ。まず偶然英雄と出会った比呂美は、恐怖に怯えるでもなく家族を心配するでもなく、水知らずの英雄に「私を守ってね」とばかりにすぐさま全権委任してしまう。きょうびの女子高生のことは知らんがこれではリアリティが希薄だ。彼女が半ZQNと分かった後も、それがなにか物語に反映するわけでもない。オレはいつ比呂美が覚醒してZQNをバッタバッタとなぎ倒すのか楽しみにしていたのだが。また、英雄がそんな比呂美に「僕が君を守る」と言うのはもっと後でもよかったのではないか。そうでないと物語半ばで既にダメ人間がダメ人間じゃなくなってしまうではないか。

藪の存在にしても立ち位置がどうも曖昧で、これは原作の流れを受け継いだものなのだろうが、映画だけ観るなら藪のポジションに入るキャラクターは別に誰でもよかったし、ダブルヒロインである意味すらなかったとも言える。演じる長澤まさみにしても綺麗な顔立ちの女優であるせいで、原作の蓮っ葉な汚れ役の小田(藪の本名)とどうもイメージが違う。ただしこれは新キャラぐらいに考えればいいのかもしれない。さらに、彼女の立ち位置の曖昧さは、ひょっとしたら製作されるかもしれない『アイアムアヒーロー2』で地に足の着いたものになると思われるので、これは是非続編製作に期待したい。

そういった瑕疵はあるにせよ、映画全編を覆う終末観と、殺戮と人体破壊の饗宴は、それを忘れさせて余りあるものだった。そして何度も書くが大泉洋がなにしろサイコーで、残酷描写も併せ、この『アイアムアヒーロー』はひょっとしたら邦画のなにがしかの曙ともなる作品として完成しているんじゃないかとすら思った。いやまあ他の邦画全然観ないんだけど。だからなにしろ予算2倍増しぐらいにして続編作んなさい。きっと観に行くから。

D