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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20160603(Fri)

[][]インドにおけるセクシャル・マイノリティを描いた映画3作『Aligarh』『Chitrangada』『Fire』 インドにおけるセクシャル・マイノリティを描いた映画3作『Aligarh』『Chitrangada』『Fire』を含むブックマーク インドにおけるセクシャル・マイノリティを描いた映画3作『Aligarh』『Chitrangada』『Fire』のブックマークコメント

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■インドにもセクシャル・マイノリティを描いた映画はあるのだろうか?

インド映画はとかく性描写には保守的で、これらの描写はタブー視されていると思われがちだし、実際もそうであったりする。しかし最近の映画だとキスぐらいなら描かれるし、ちょっと昔の映画でも注意深く探すならそういった描写を見つけることができる。セックス描写にしても、ハリウッド映画みたいに露骨ではないにせよ、あることはある。では裸体はどうか?と思っていたら、実はこれもある。自分の観た中ではラージ・カプールの幾つかの作品がそうだったし、『Bandit Queen (女盗賊プーラン)』という映画では、辱めのために全裸に剥かれた女性や、ショッキングなレイプ・シーンまである。こうして見てみると、インド映画において性描写が全くのタブーではないことがわかる。

それではセクシャル・マイノリティの映画についてはどうだろう?去年日本でも公開された『マルガリータで乾杯を!』はセックスとレズビアンをテーマにした作品だったが、オムニバス映画『Bombay Talkies』(2013)でも短編とはいえセクシャル・マイノリティを扱った作品が盛り込まれていた。では他にこれらセクシャル・マイノリティの映画は作られているのだろうか。という訳で今回は今年公開された映画『Aligarh』を中心に『Chitrangada』、『Fire』といったインドのセクシャル・マイノリティ作品を紹介してみたいと思う。

■Aligarh (監督:ハンサル・メヘター 2016年インド映画)

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映画『Aligarh』はウッタル・プラデーシュ州のアリーガル・イスラム大学で教鞭をとる教授がゲイであることを理由に退職に追い込まれ、裁判となった事件を元に描かれた実話作品である。教授の名はラーマチャンドラ・シラス(マノージュ・バージパーイー)、彼は男性と自宅で愛し合っているところを見知らぬ男たちに乗り込まれ、暴行を受けた上にビデオに撮られるという辱めを受ける。この事件は同性愛者を判じる裁判へと発展し、新聞記者のディープー(ラージクマール・ラーオ)はその取材としてラーマチャンドラの元を訪れるのだ。

インドは法律により同性愛が禁止されている国である。イギリス植民地時代から残る法律の名残りなのだが、2009年にニューデリー高等裁判所により同性愛行為の合法判断が示されたにもかかわらず、2013年、最高裁判所によって最高禁固10年という違法行為へと判断が覆されたのだ。ちなみにインドにおいてヒジュラと呼ばれる"第3の性"は合法であるとされている。

物語はラーマチャンドラ、彼を取材するディープーを中心としながら、裁判の様子と、事件当日の真実が明らかにされてゆき、同時にラーマチャンドラとゲイ・コミュニティのエピソードも挟まれてゆく。とはいえこの物語は、ことさら大声で同性愛者の人権やそれを裁く法律の違法性を説く作品ではない。むしろ、ラーマチャンドラの内面を掘り下げ、それに寄り添う形で、彼の生き方を詳らかにしてゆく。

ここでラーマチャンドラは、自分の裁判にすら興味を持たない。愛とは法律で裁くことのできるものではない、それを彼は知っていたのだろう。そんな彼は自分のささやかな人生とその愛のみに喜びを感じて生きる内向的な男として描かれる。そしてそれは、当たり前のことだが我々と何も変わらない、己の幸せを願いながら生きる男の姿だ。ゲイであろうとヘテロセクシュアルであろうと、幸せの形は変わらない。だからこそ、ゲイであるだけで、差別や暴力が許されることなど決してない、映画は、ラーマチャンドラの生き方を通してそんなことを語りかけるのだ。

■Chitrangada: The Crowning Wish (監督:リトゥパルノ・ゴーシュ 2012年インド映画)

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ベンガル語映画『Chitrangada: The Crowning Wish』はコルカタに住む舞踏家ルドラ・チャタルジー(リトゥパルノ・ゴーシュ)の物語である。彼はトランスジェンダーであり、そんな彼を周囲も家族も問題なく受け入れていた。彼は戯曲「チトラーンガダー」でドラムを演奏するパルトー(ジシュー・セーングプター)と恋に落ち、結婚を考える。しかしインドの法律では同性同士の結婚は認められない。そこでルドラは性転換を決意する。だが、豊胸手術を終えたとき、パルトーが「女の体を愛したいわけじゃない」と言い出し、さらに彼の女性との浮気が発覚する。

この物語のテーマとなるのはトランスジェンダー同性婚、性転換と、非常にヴィヴィッドなものだ。監督・主演を務めるリトゥパルノ・ゴーシュもトランスジェンダーであるらしく、物語には彼自身の思いが込められていると言っていいのだろう。さらにこの物語ではトランスジェンダーの存在がごく普通に受け入れられている環境が描かれる。それは主人公が舞踏家という芸術性の高い職場・社会にいることも要因かもしれない。劇中挟まれる「チトラーンガダー」の舞台はコンテンポラリーなダンスで占められ、それが主人公の心情吐露と重なるばかりか、映画の芸術性自体を高めることに成功している。

しかし、社会や家族から十分に受け入れられていても、ルドラの表情は決して明るくない。それは愛するパルトーが思ったように彼を愛してくれないからだ。パルトーは気分屋でいい加減な男であり、さらに麻薬中毒だった。パルトーの自由さがルドラを惹きつけたが、同時にその自由さによってルドラは苦しめられていた。そしてこんな不安定で不確実な愛は、別にそれがトランスジェンダーであろうとなかろうと、我々が時に出会いつまずく愛の形となんら変わりはない。愛に喜びを得、愛の喪失に悲嘆するのは、誰であろうと一緒なのだ。

■Fire (監督:ディーパ・メータ 1996年インド・カナダ映画)

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典型的な見合い結婚でニューデリーへと嫁いだシータ(ナンディター・ダース)が待っていたのは幻滅だけだった。彼女が期待されていたのは重労働を担う無償の使用人でしかなく、さらに夫は結婚前から浮気していた。そんなシータを慰めるのは優しい兄嫁のラーダ(シャバーナー・アーズミー)だけだった。ラーダにとってもシータの溌剌とした若さは生活に新鮮さをもたらした。ラーダはこれまで、課せられた家事を黙々とこなし、家を支えてきた女だったが、13年間性交渉の無い夫との生活に密かな不満を覚えていた。そして二人の間にはいつしか愛が芽生えてゆく。

インドに生まれカナダで活躍するディーパ・メータ監督による映画『Fire』は女性同士の性愛を描いた作品だ。そしてその背景にあるのは閉鎖的で息苦しい男社会の中で生きざるを得ない女たちの抑圧と孤独である。この作品において男たちは女とは須らく男に付き従うべしという旧弊な価値観しか持たず、女に求められているのは使用人の如き労働と性処理だけだ。女にとって居場所のないこの世界で、彼女らは慰めあい慈しみあえる、お互いの腕の中という居場所をやっと見つけるのだ。

同時にこの物語は、意識を変える新しい価値観を描くものでもある。ラーダにとって結婚生活とは、忍従が当然のものであり、彼女はそこで一切の私情を挟むことなく日々を過ごしていた。だが若く新しい価値観を持つシータの登場により、ラーダは自分の生き方に疑問を持つようになる。そしてこれまで尽くしてきた家庭が、単なる牢獄でしかなかったことを知るのだ。彼女らはそれぞれの家庭からの逃走を試みる。そしてそれは旧弊で陰鬱な男社会からの逃走でもあった。しかし彼女らは、誰もと同じように愛が欲しかっただけであり、そして幸福に生きたかっただけなのだ。