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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20160729(Fri)

[]インド好きにもインドを知らない方にもお勧めしたいインド本『インド人の謎』 インド好きにもインドを知らない方にもお勧めしたいインド本『インド人の謎』を含むブックマーク インド好きにもインドを知らない方にもお勧めしたいインド本『インド人の謎』のブックマークコメント

■インド人の謎 / 拓徹

インド人の謎 (星海社新書)

インド滞在12年――気鋭の研究者が、インドの「謎」を解く!

神秘、混沌、群衆……インドにはとかく謎めいたイメージがつきまといます。こうしたイメージは、興味をかき立てるだけでなく、往々にして私たちとインドとの心理的な距離を拡げてしまいます。そこで、なにはともあれ「謎のヴェール」をいったん剥ぎ取ってしまおう、というのが本書の趣旨です。なぜ、カレーばかり食べているのか? なぜ、インド人は数学ができるのか? なぜ、物乞いが多いのか? 本書はこれらの疑問に、歴史・地理・文化といった分野の知見を駆使してお答えしていきます。そして、「謎のヴェール」を剥ぎ取った時、より魅力的なインドの素顔が見えてくるはずです。さあ、ともにインドの素顔を確かめる旅に出ましょう!

■インドの事をもっと知りたいと思った

インド映画を観始めて、インドに興味を持ったものの、自分はインドの事をつくづく何も知らないなあと思い、何冊かの本をほんのザックリと読んだことがあった。これについては以下にまとめてある。

インドの事をあれこれ勉強してみた - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

ここで読んだのはヒンドゥー教やイスラム教、インド神話についてまとめられた本、ヒンドゥー教の聖典と呼ばれる『バガヴァット・ギーター』、それと戯曲『シャクンタラー姫』といったものだった。こういった本を選ぶとき、注意したのは「日本人がインドに行った体験談」を外すことだった。インドと日本の違いにびっくりしたり難儀したりといった内容はどうでもよかった。知りたかったのは「インド人の心象の核にあるもの」であって、それを「日本人がどう感じたか」なんて興味が無いのだ。ただ、本それ自体は面白かったものの、それによってインド映画により深い理解ができたかどうかというとそんなこともなくて、結局思ったのは「むしろDVDの英語字幕ちゃんと理解するために英語勉強したほうがよかったんじゃないか?」というオチがついてしまった。

それからしばらくインド本には触れていなかったが、たまたま『インド人の謎』というタイトルの本を知り興味を持った。最初はよくある「日本人がインドに行った体験談」の一種だろ、と高をくくっていたが、著者の履歴を見るとれっきとしたインドの研究家の方ではないか。

拓 徹 カシミール研究者

1971年生まれ、愛知県出身。専門は現代カシミールの社会史・政治史。2000年から2012年まで、インドはジャンムー・カシミール州の冬の州都・ジャンムーに滞在。多様なバックグラウンドを持つ学生たち、道をふさぐ牛、そして教室に迷い込んでくる野良犬やリスなど、さまざまな価値観と生き物に囲まれながら研究に従事し、州立ジャンムー大学で博士号(社会学)取得。帰国後、カシミールの禁酒運動についての研究報告が2015年度日本南アジア学会賞を受賞。一方で、『キネマ旬報』など一般向けの媒体にも寄稿している。本書が初の単著となる。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科客員准教授、人間文化研究機構(NIHU)総合人間文化研究推進センター研究員。

おお、これはなにか面白そうなことが書かれていそうだ、と思い早速手に取ってみた。そして読み終わってみると、予想通り実に蘊蓄が深く、さらにこれまで知っていたつもりのインドの内情がさらに覆されるような有意義な読書体験となった。著者はもともと「巷にあふれるインド本の嫌インド的記述に胸を痛め、インド観光地の状況を客観的に解説するガイドブック」を目指したそうなのだが、いやいやどうして、これはガイドブック以上にインドの実情を解析した本であり、インド好きにもインドを知らない方にも是非お勧めしたい。という訳でザックリと内容に触れてみよう。

■インド近代とカースト、そして宗教

『インド人の謎』は5つの章に分かれて書かれている。第1章が「インドの近代とカースト制度の謎」第2章が「インドの宗教の謎」、第3章が「貧困とどう向き合うか」第4章が「手ごわいインドの観光地の謎」、第5章が「食・動物・音楽―インドの楽しい謎」となっている。この章分けから見て分かるように、250ページ程度の分量の中に著者があらゆることを詰め込もうとしたことが伺われる。第1、2章はインドの基盤となるものの話で、第3章はインドの現在、第4、5章はずっとくだけて著者が体験したインドの様々な出来事と、その根底にあるインド人の心象を読み解いたものとなっている。硬軟併せ持った構成となっているのだ。

自分が最も興味深く読んだのはインド近代とカースト、そして宗教の章だ。そんなことなら知ってるよ、と思っていたことが次々に覆されたのだ。例えばインド近代の農民についてだ。インドは代々封建的で、強欲な領主と虐げられた農民がいて……とずっと思っていたが、実は18世紀では農民は武装しており、さらに非定型的な流動性を持っていて、よりよい労働条件を求めて移動していたというのだ。労働条件が酷ければ逃げ出せばいいのである。これが覆されたのが近代におけるイギリス支配時代で、イギリス藩主による定住農耕化が推し進められたが故の「強欲な領主と虐げられた農民」という構図というわけなのだ。

カースト制度についても同様である。カースト制度の単位である「ヴァルナ=ジャーティ制」は11〜17世紀の中世に確立されたが、こういった「階級制」は実の所中世にある世界のどこの国でも散見したものである。しかしインドにおいてそのカースト制がより強固に形成されることになったのは実はイギリス植民地になってからなのだという。イギリスは統治の過程で「住民基本台帳」的なものを作成し、そこでカーストを詳細に記帳することになる。これによりそれまでインド人にとって無意識的なものだったカーストがより強烈に意識せざるを得ないものに変化してゆく。イギリスはさらにカーストごとに差別を助長し、それがいつしかインド人の中に刷り込まれてゆく。そういった過程を経たものが近代における「カースト制」のありかただったのだという。

さらにヒンドゥー教だ。ヒンドゥー教は古代のヴェーダ諸聖典から発生したものだが、長くそれは一つのまとまった宗教としてとらえる概念が無く、ヒンドゥー教徒が自らを「ヒンドゥー」とみなすようになったのは、イスラム教徒が10世紀にインド大陸に侵入してさらに時を経た15世紀のことだという。さらに一つのまとまった「ヒンドゥー教」と見なすようになったのは19世紀だ。それは18世紀末に諸外国がインド理解の為にインド宗教を一括りに見なし、それが逆輸入のような形でインド人の中に「ヒンドゥー教」という意識を生み、さらに西洋のキリスト教に対抗する形で古代のヴェーダ文献を統括した、"近代的な"「ヒンドゥー教」が成立したのだという。

こうして見てみると、現在インドを成立させているものにみえる様々な事柄が、そしてインド古代から連綿と存在すると思わされていたものが、実は近代において外圧から成り立ったものであることが分かる。つまり「悠久不変のインド」というのは実は幻だったともいえるのだ。もうこの辺を知るだけでも相当にエキサイティングな読書体験だった。

■観光地としてのインド、そしてインドの文化

後半はもっとくだけてインドの安宿や恋愛状況や映画を代表する文化について述べられている。インドの安宿は基本的に流れ者がやってくるのでろくな食事を出さないのは当たり前だとか、習慣のまるで違う欧米からやってくる観光客へのとまどいから現地インド人も態度が硬化するのだ、といったこと。外国への劣等感。また恋愛と結婚に対する意識が厳密に分かれていて、結婚はステータスを与える行為だから欧米みたいなラブラブな結婚とは違うんだよ、といったこと。インド映画はどちらかというと若い人たちの為に作られていて、たいていのインド人は20代半ばを過ぎると映画みたいな虚飾の世界には興味を無くすんだよ、といった話にはちょっと耳が痛かった。それよりもインド文化というと実は詩や歌だったりするのらしい。

インド人の謎 (星海社新書)

インド人の謎 (星海社新書)

20160728(Thu)

[]透徹した描写力で描かれた驚くべきファンタジー世界〜『ガラスの剣』 透徹した描写力で描かれた驚くべきファンタジー世界〜『ガラスの剣』を含むブックマーク 透徹した描写力で描かれた驚くべきファンタジー世界〜『ガラスの剣』のブックマークコメント

■ガラスの剣 / シルヴィアーヌ・コルジア、ラウラ・ズッケリ

カ?ラスの剣

緑溢れる牧歌的な世界と不思議な生物相。 少女と老剣士は、死へと向かうこの美しい世界を救うことができるのか?

少女ヤマが暮らす村に、ある日、一振りの剣が舞い降り、聖なる岩に突き刺さる。それは触れる者をみなガラスに変えてしまう神秘の剣だった。残忍な傭兵オルランドのせいで、両親を失ったヤマは、いつかガラスの剣を抜き、彼に復讐することを誓う。やがて彼女は、かつて将軍にまで登りつめた老剣士ミクロスと出会う。ヤマが語る空から落ちてきた剣の話は、ミクロスにある予言を思い出させる。いずれ太陽の光が弱まり、世界は死へと向かう。その時、4本の剣が空から舞い降りる。それらが1つの場所に集まった時、別世界への扉が開き、人々は救われる――。はたしてヤマは復讐を遂げ、ミクロスとともに4本の剣を集めることができるのか? 2人の冒険の旅が始まる!

物語の舞台となるのはファンタジー的な異世界だ。ある日太陽から4つの剣が放たれ、その一つがある村の"聖なる石"に突き刺さる。それは触れるものをガラスの彫像へと変える神秘の剣だった。騒ぎの中現れた帝国軍傭兵によって主人公少女マヤは両親を失い、森へと逃げ込む。マヤは森の中で隠者として暮らす老剣士ミクロスと出会い、いつの日か神秘の剣を手に入れ復讐することを誓って修行の日々を送る。一方剣士ミクロスは、その剣がこの世界を救うを4つの伝説の剣の一つであることを知っていた。こうして4つの剣を探す二人の旅が始まる。

こうした粗筋からはエクスカリバー伝説を基にした少女の復讐と成長の物語だということは容易に想像できる。また、旅の途中で出会い仲間となる様々な人々、さらに他の3つの剣を持つ者の探索、そして同じく剣を我が物にせんとする凶悪な帝国軍との戦い、といった物語の流れは王道的なファンタジーのプロットでもあるだろう。しかしこの『ガラスの剣』はただそれだけのありふれたファンタジー・ストーリーでは決してないのだ。

この作品の大きな魅力の一つはそのグラフィックの細微に渡るディテールの在り方だ。特にコスチュームや装飾品の意匠は古代や中世の様々な民族のものをより合わせ、それを独自のデザインのもとに統一した非常にオリジナリティを感じさせるものだ。

もう一つは作品の中で描き分けられた様々な土地と、そこで刻々と移り変わる時間や気候を巧みに表現するその力量だ。緑豊かな平原、鬱蒼とした森林、荒涼とした荒地、どんよりとした沼地、寒々とした雪山、猥雑なスラム、壮麗たる帝国、これらを美しく説得力あるグラフィックで描き分けているだけではなく、そこには朝があり昼があり夜があり、焼き付ける太陽がありしとど降る雨がある。それはひとつの世界であれば当たり前のことなのだが、これを表情豊かに描き切ったことにより、あたかも実際にこの世界が存在しているような錯覚さえ覚えさせられるのだ。

さらにそこで生きる人々は誰もが情感に溢れ、複雑な過去とその結果としてある現在に生き、成就せねばならない未来を持っている。どのキャラクターも生き生きとした魅力を持っているのだ。こうした徹底した描写力がひとつに合わさることにより、この『ガラスの剣』はありふれたファンタジー・ストーリーであることを回避した、実に物語性豊かでエキサイティングな作品として結実している。しかもファンタジー・ストーリーと思わされていたこの物語はクライマックスで一転するのだ。

こういった部分で、グラフィック・ノベル『ガラスの剣』は、凡百のファンタジー作品を遥かに凌駕した豊潤な物語として読む者を楽しませるだろう。タイトルや表紙だけからは容易に想像できないその素晴らしい作品世界を是非堪能してもらいたい。

yoyoshi yoyoshi 2016/07/29 10:17 日本の作品ではないのですね。十二国記や精霊の守り人を思い出させます。ファンタジーこそ細部までリアルに描写しないと世界に入り込めないから作者の腕が試される。

globalheadglobalhead 2016/07/29 10:22 バンドデシネってやつですね。作中に登場するデザインは好みが分かれるかもしれませんが、実に独特でありそして美しいということは言えると思います。

20160727(Wed)

[]『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼』を読んだ 『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼』を読んだを含むブックマーク 『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼』を読んだのブックマークコメント

■蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼 / ケン・リュウ

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

人を惹きつけてやまない天性の魅力をもったクニ・ガルと、皆殺しにされた一族の復讐を胸に生きる男マタ・ジンドゥ。ザナ帝国打倒の旗印のもと、ふたりは永遠の友情を誓ったはずだった―。帝国との戦いが激しさを増すなか、マタは鬼神のごとき活躍で都市を制圧していく。いっぽうクニは驚きの奇策を講じ、帝国の首都パンでついに皇帝を捕らえる。だが、ある行き違いから自身が裏切られたと思い込んだマタは、クニと袂を分かち、覇王として即位することを宣言する。運命に選ばれたふたりの男を中心に、戦いのなかで煌めく人の願いと祈りを描き出した幻想武侠小説、第二巻・第一部完結篇。

傑作短編集『紙の動物園』のケン・リュウによる初長編『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』、『巻ノ一: 諸王の誉れ』に続きこの『巻ノ二: 囚われの王狼』で堂々完結です。この『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 』、もともと本国では1冊で刊行されていましたが、あんまり長いので日本では2分冊で発売されていたんですね。ちなみに『巻ノ一』の感想はこちら(↓)で。

『紙の動物園』ケン・リュウによるシルクパンク・エピック・ファンタジイ巨編『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』開幕開幕〜! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』は『項羽と劉邦』で知られる紀元前3世紀の中国で起こった楚漢戦争を題材に、架空の世界を舞台とした"シルクパンク・エピック・ファンタジィ"として書かれたものです。『巻ノ一』では物語の舞台である多島海世界ダラ諸島を統べる帝国に叛乱の狼煙を上げた二人の主人公の、武術と戦術に裏打ちされた戦いの様子が描かれてゆきますが、この『巻ノ二』ではダラ諸島を制圧した彼らが思わぬすれ違いで対立することになってしまいます。なにしろ『項羽と劉邦』ですからねーとか言いつつ『項羽と劉邦』読んでませんが。

とはいえ、『巻ノ一』は大変楽しみながら読んだのにこの『巻ノ二』はなんだかイマイチだったんだよなあ。これ、後半からパワー落ちたということではなく、1巻目と2巻目の発売に間が空いていたもんですから、2巻目を読み始める時に状況やら人間関係やらを思い出しながら読むのがしんどかった、というのがあるんですよね。読む方の側のオレの勢いが殺がれてたんですよ。まあ若い方ならそんなことはないと思うんですが、なに分年寄りなのですぐ忘れちゃうんですよ。それと、当然ですが1冊目と同じ世界観なのでそれを改めて読まされるのに新鮮さを感じなかったというのがありますね。要するに一気に読めなかったのが難だったんですよ。ええはい全部オレが悪いんです……。

もうひとつ詰まらなかった理由は、奇妙に"政治的に正しく"描かれている部分が垣間見られてて、そこがなんだか乗れねえなあ、物足りないなあ、と思った部分だったな。もとが武侠小説なんですから、もっと血腥く残虐で、狂ってて理不尽で、現代のモラルなんて通用しない世界を描いて欲しかった、というのがあるんですよ。でもこの『蒲公英王朝記』はなんだか現代的でクリーンで賢い匂いがするんですよ。数十万と言う大量虐殺を描いていても狂った感じがしないんですよ。この辺、作者ケン・リュウのあまりの知性と理性の高さが邪魔したような気がするなあ。まだ続編が書かれるようですが、続きは読まなくてもいいかなあ。

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

yoyoshi yoyoshi 2016/07/27 17:16 ケン・リュウ賢すぎ説に大いに賛同致します。元になった項羽と劉邦は、数多の小説や漫画で取り上げられていますね。赤龍王とか大好きです。家柄、才能、武勇に秀でた項羽よりも、はぐれものの親分みたいな劉邦に王朝の始祖の座が与えられた運命の不思議。

globalheadglobalhead 2016/07/27 17:24 そつなく書けてはいるんですが、「血沸き肉躍る」って訳ではなかったのが残念でしたね。

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20160726(Tue)

[]一人の口上師の死を巡るスラップスティック〜『素晴らしきソリボ』 一人の口上師の死を巡るスラップスティック〜『素晴らしきソリボ』 を含むブックマーク 一人の口上師の死を巡るスラップスティック〜『素晴らしきソリボ』 のブックマークコメント

■素晴らしきソリボ / パトリック・シャモワゾー

素晴らしきソリボ

誰がソリボを殺したか?クレオール作家の画期的小説!!カーニバルの夜、語り部ソリボは言葉に喉を掻き裂かれて死ぬ──クンデラに「ボッカッチョやラブレーにつづく口承文学と記述文学の出会い」と激賞された、クレオール文学の旗手の代表作。

カリブ海に浮かぶフランスの海外県(まあ植民地ですわな)マルティニーク。ここで一人の男が謎の死を遂げているのが発見される。男の名はソリボ・マニフィーク、「語り部」と呼ばれる言葉の達人だった。彼は"言葉に喉を掻き裂かれて"死んだという。彼に何があったのか?なぜ"言葉に喉を掻き裂かれ"たのか?マルティニーク生まれの作家パトリック・シャモワゾーによる小説『素晴らしきソリボ』は、こんなミステリアスな冒頭からとんでもなく狂騒的なスラップステックを展開する物語です。

作者パトリック・シャモワゾーは「クレオール作家」と呼ばれますが、クレオールというのは植民地生まれということを指すのだそうです。総じて「植民地生まれの混血児」ということが言えるかもしれません。またクレオール言語というのは異文化同士の言語が混じり合い、それが母国語化したものを指すようです。まあ植民地語といったところでしょうか。

物語はこうして、「フランスの植民地で被抑圧者として生きる人々」が主人公となります。物語の中心は主人公ソリボの死ですが、それを巡って官憲と現地クレオール人とが上を下への大騒ぎを演じてゆく、というのがこの物語の流れです。そしてそれは植民地で同化させられ生きる人々の明るく陽気ではあるが貧困と無知にさらされている生活を垣間見せるんです。その生活は猥雑さに満ち、誰もが明日のことなんか考えていません。まあ、植民地化されてなくても南国の人はそんな感じかもしれませんが、宗主国フランスの抑圧は確かにそこにはあるんですね。そもそも舞台となるマルティニークって先住カリブ人はフランス人に絶滅させられて、連れて来られた黒人奴隷とその混血が住んでるってことらしいですから。いやあ植民地政策って酷いもんですよね。

そういったクレオール人の生活を描くのと同時に、この物語は失われてゆく「口上」そして「口承文芸」を憂いたものでもあるそうです。「口上」というと『男はつらいよ』の寅さんの、「結構毛だらけ猫灰だらけ」の啖呵売を思い出しますね。この『素晴らしきソリボ』でもソリボの口上が収められていますが、なにしろ口上はリズムと語呂勝負なので、クレオール語で書かれたそれを日本語に訳すのは『フィネガンズ・ウェイク』を日本語訳するぐらい大変な作業だったでしょう。まあそれが成功しているかどうかは各自の判断ってこってすかね。

ただし読む側としては、ミラン・クンデラが評する「終わりつつある口承文学と生まれつつある記述文学の出会い」とかいうことはピンとこなくて、むしろそのミラン・クンデラの否定する「一見ローカルでエキゾチックな小説」の部分に目が行っちゃいましたね。なんかこう訳者のあとがきでも思いましたが、みんな考え過ぎじゃないのかなあ。確かにクレオール史、クレオール文学の文脈で読み解くとこれはそういう小説だってことなんでしょうが、むしろ植民地政策の傷跡がこの物語の中心なんじゃないの?失われたクレオール言語たって、そんなものが生み出されなければならなかった責任はどこにもないのかなあ。そういった部分で、ひと時の暇つぶしの娯楽小説として手に取ったオレとしては、あえて皮相的に南国ならではの奇想天外なマジック・リアリズム展開こそを面白がって読んでいました。

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20160725(Mon)

[][]『女神は二度微笑む』のスタッフが集結して製作されたサスペンス・スリラー作品『Te3n』 『女神は二度微笑む』のスタッフが集結して製作されたサスペンス・スリラー作品『Te3n』を含むブックマーク 『女神は二度微笑む』のスタッフが集結して製作されたサスペンス・スリラー作品『Te3n』のブックマークコメント

■Te3n (監督:リブー・ダスグプタ 2016年インド映画)

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8年前と同じ手口の誘拐事件が発生。迷宮入りしたかつての事件の被害者、捜査した警察官らが再び集い事件解決に挑む、という2016年に公開されたインド産サスペンス・スリラー映画です。タイトル『Te3n』は「Teen」の当て字みたいなもので、ヒンディー語で「3」の意味なのだとか。

この作品、なんといっても名作インド・スリラー『女神は二度微笑む』(2012)のスタッフが集結して製作されているというのが見所ですね。製作が『女神〜』の監督スジョーイ・ゴーシュ、そして『女神〜』主演のヴィディヤー・バーラン、ナワーズッディーン・シッディーキーが出演しているというんですから見逃せません。さらに舞台は『女神〜』と同じコルカタです。主演はアミターブ・バッチャン、監督は『Michael』(2011)、アミターブ主演によるTVシリーズ『Yudh』のリブー・ダスグプタ。ちなみにこの作品、韓国映画『悪魔は誰だ』(2013)のインド・リメイク作品となっていります。

《物語》8年前、誘拐事件により孫娘を失った老人ジョン・ビスワス(アミターブ)は、未だ解決されないこの事件の捜査進展を聞きに警察に訪れるが、警部サリタ(ヴィディヤー)からは色よい返事を聞けなかった。一方、かつてこの事件を担当していた警部マーティン(ナワーズッディーン)は、捜査失敗による罪悪感から神父へと身を変えていた。そんなある日、8年前と全く同じ手口の誘拐事件が発生する。サリタは捜査協力の為マーティンを呼び寄せ、事件解決のため奔走する。一方、ジョンはある証拠から事件真犯人の糸口を掴み、徐々にその人物へと近付いていた。

原作である『悪魔は誰だ』は残念ながら未見なんですが、韓国産サスペンス・スリラーというと綿密なプロットと残酷なまでのリアリティにこだわった作品、というイメージがあります。この『Te3n』も原作のそういった部分を踏襲したのか、非常にしっかりしたミステリー構造を成し、錯綜した事実から真実を導き出すといういわば"謎解き"をメインとしたプロットとなっています。この物語では「真犯人は誰か?」「なぜ8年前と同じ誘拐事件が引き起こされたのか?」という部分がそれに当たるでしょう。観る者は物語に張り巡らされた謎や伏線を的確に見定めながら自らも事件の真相を推理してゆくことになるんですね。

ただ、個人的にミステリーが得意じゃないというのもあるんですが、非常によく出来ていることは理解しつつも、こういったミステリー構造がちょっと窮屈に思えて、今ひとつすっきりした感想じゃ無かったんですよねえ。なんていうんでしょう、トリックの為に物語が奉仕している、という部分が苦手だったのかなあ。原作はきっと秀逸だったのでしょうが、それをあえてインド映画としてリメイクする必然性(つまりインド映画としての独自性)もあまり感じなかった。それと併せ、特に後半の時制の分かり難い描写の在り方は、これはミスリードを誘ったものなのか自分の理解力の足りなさのせいなのか分かりませんが、ちょっと卑怯に感じたなあ(あ、「そんなもん普通分かるだろ?」と言われそうだ……)。それと登場人物全員が最初から周知のことである筈の「最初の事件の娘の死」の真相が最後に明かされるのもなんか変な感じがしたなあ。

主演のアミターブ・バッチャンは最近の作品の多くと同じように徹底的にお爺さん演技に徹しており(まあ実際お爺さんだから当たり前ですが)、にもかかわらずどの作品のお爺さんともやっぱり違う、という部分が流石だなあと思わされました。一方ヴィディヤー・バーランはどちらかというとゲスト出演ぽくて、あえてヴィディヤーじゃなくてもよかったような役柄だったかなあ。そしてナワーズッディーン、この人はルサンチマン抱えた演技させたらやはり右に出る者はいないと感じました。作品は個人的にはまあまあだったんですが、完成度はそれなりに高いと思われますので、サスペンス・スリラー好きの方は是非チャレンジするべき作品でありましょう。

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女神は二度微笑む [DVD]

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悪魔は誰だ [DVD]

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20160722(Fri)

[][]眠い目つきのアイツはシックスパック!〜アクション映画『Baaghi』 眠い目つきのアイツはシックスパック!〜アクション映画『Baaghi』を含むブックマーク 眠い目つきのアイツはシックスパック!〜アクション映画『Baaghi』のブックマークコメント

■Baaghi (監督:サッビール・カーン 2016年インド映画)

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悪い奴らに奪われた恋人を取り替えせ!とばかりに超絶拳法使いの青年が敵をバッタバッタとなぎ倒してゆくという今年インドで公開された爽快アクション・ムービーです。主演は『Heropanti』(2014)に続いて主演2作目となる新人スター、タイガー・シュロフ。彼はインドの名俳優ジャッキー・シュロフを父とする2世俳優なんですね。インド映画界世襲多いよなあ。共演に『Ek Villain』(2014)、『ABCD 2』(2015)など、最近話題作によく出演してるシュラッダー・カプール。

物語はなにしろシンプル。主人公ロニー(タイガー・シュロフ)は武術修行の為赴いた南インドの町でシア(シュラッダー・カプール)という名の娘と恋をします。しかしロニーが入門した道場の息子ラーガヴ(スディール・バーブ)もまたシアに目を付けており、陰謀を巡らせ二人の仲を引き裂きます。2年後、未だ傷心のままでいるロニーに、シアがラーガヴに誘拐されたという知らせが届きます。ロニーはシアとの愛を再び取り戻す為、ラーガヴのいるバンコクに飛びますが、ラーガヴは手下どもを従え要塞のようなビルに立て籠もっていたのです。

この作品、ロマンス要素もたっぷりあるにせよ、なにしろアクションが基本です。道場で鍛えに鍛えた主人公ロニーは鋼の筋肉を持つ強力な拳法使いとして登場しますが、最大の敵ラーガヴもまた道場師範の息子として恐るべき技を兼ね備えた男なのです。そしてラーガヴが従えた部下たちもいずれ劣らぬ拳法使いとしてロニーの前に立ちはだかります。ロニーはこれら強敵を、強靭な肉体を駆使し電光石火の早業で次々と叩き潰してゆくという訳です。インド・アクションは数ありますが、拳法に特化してアクションを見せてゆく作品は珍しいかもしれません。いうなればインド映画を観ながらにして香港アクション、タイ・アクションの醍醐味が味わえるという訳なんですよ。

この作品は主人公ロニーを演じるタイガー・シュロフの魅力をどこまで引き出すかということに力を入れたものなのでしょう。まあなにしろ2世なんで鳴り物入りで売り出したいんでしょう。しかしこのタイガー君、デビュー作の『Heropanti』では、こう言っちゃなんですがちょっと顔がキモくて食指が動かなかったのが正直な所です。なんかこう、眠そうな目をしていて、マコーレ・カルキンに筋肉増強剤を20リットルぐらい投与したらこんなになりましたあ、ってな風情だったんですね。しかしこの『Baaghi』では髭も生やしてワイルドさが増し、鍛えまくったシックスパックをこれ見よがしに披露しているもんですからイメージがだいぶアクション・ヒーローっぽくなりました。しかも身体能力が高く拳法使いの"型"もしっかりしていて、アクション・シーンが実に見栄えがしていいんですね。踊りのシーンもキレがあったなあ。

ただ、逆三角形でシックスパックでアクション抜群で踊りもキレッキレというなら、インド映画にはリティック・ローシャンという人がいますし、おまけに色男ぶりではリティックの方がどう見たって上だし、なんかこうリティックの二番煎じに見えないことも無いんですね。そういった点でどうもタイガー君はB級というか次点のスターに見えてしまうんですよ。とはいえ、リティックが今後こんなアクションに出演することはなさそうだし、その穴を埋めなおかつB級なアクションにガンガン出てその地歩を固めれば、意外といけるかもしれないですね。それと彼、意外と笑顔が可愛いので、かつてシュワやスタローンがミスマッチを狙ったコメディに出演したみたいにコメディ作品に出演する、という手もありますね。

映画として見るなら、物語自体は割とありきたりな上、構成が御都合主義的な部分が多くて雑に思える部分が多いです。そもそも敵役ラーガヴはロニーとシアの仲を引き裂いたのに、なんで2年も待った挙句シアを誘拐したのでしょう。大体このお話、ザックリ言えば女の取り合いといった内容なんですが、悪の帝王みたいなラーガヴなら幾らでもイイ女拾ってこられたでしょうに。とはいえ、兎に角アクションを見せたいんだッ!ということでしょうから、ここはB級と割り切って、スカッとしたアクションを楽しめればいいんじゃないかと思います。特に戦いが熾烈さを増す後半の展開はノリノリになって観られますよ!

この後半、要塞めいたビルを頂上目指して上りながら次から次へと敵を倒してゆく、という構成がインドネシア映画『ザ・レイド』(2011)を彷彿させて盛り上がりますね。『ザ・レイド』ファンも比較の為に観てみるというのもいいかもしれません。これって『ザ・レイド』側から盗作批判もあったようですが、この構成って古くはブルース・リーの『死亡遊戯』(1978)からあったし、『パニッシャー:ウォー・ゾーン』(2008)でも『ジャッジ・ドレッド』(2012)でも使われていましたから、そんなに目くじら立てることないんじゃないっすかねえ。逆にアクション映画のフォーマットの一つとして流行らせると面白いのに。

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20160721(Thu)

[][]女子嬰児殺しの村〜映画『Kajarya』 女子嬰児殺しの村〜映画『Kajarya』を含むブックマーク 女子嬰児殺しの村〜映画『Kajarya』のブックマークコメント

■Kajarya (監督:マドゥリータ・アナンド 2015年インド映画)

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新進女性ジャーナリストが祭の取材のため訪れた村で知ってしまった恐ろしい事実。それは村ぐるみで行われていた大量の女子嬰児殺害だった。2015年にインドで公開された映画『Kajarya』はインドで深刻な社会問題となっている「女子嬰児殺し」をテーマにした社会派作品である。監督のマドゥリータ・アナンドはジェンダー・子どもの権利に関する多数の短編・ドキュメンタリー作品を監督・製作してきた女性であり、この作品は彼女の2番目の長編映画作品となる。

《物語》デリーに住む新進ジャーナリスト、ミーラ(リディマ・シュッド)は毎年恒例の祭の取材のため、デリーから80キロ離れたある村に訪れる。しかし、村の不穏な空気に胸騒ぎを覚えた彼女は、聞き込みの中で祭の巫女である女、カジャリア(ミーヌ・フーダ)が村で生まれた女児新生児を殺す役割を負っていることを知る。ミーラはこのニュースをメディアで取り上げ、カジャリアを告発する。だがカジャリアもまた、女性蔑視の渦巻く村で惨めな生を生き続けてきた女だった。

インドでは英領期から女子嬰児殺しが問題になっていた。これは家長としての男児が望まれていることと同時に、ダウリーと呼ばれるインドの持参金制度が大きくかかわっている。インドでは結婚に際し嫁の親側が多額の持参金を支払わねばならない。この額は娘が二人三人といればマハラジャですら家が傾くとも言われ、女児が生まれた時から持参金を貯蓄し始めることもあるという。このダウリー制は現在法律で禁止されているが、地方ではいまだに根強く残っており、この持参金を巡って嫁が殺されるという事件も多発している。

インドでは家族の名誉を傷つけたとか、花嫁の持参金が少ないといっては、女性に火をつける家族や義理の親族が今も後を絶たない。政府の統計によると、花嫁の持参金に関するもめごとで約1時間に1人の割合で女性が死亡している。また、虐待から逃れるために、考えあぐねた末に自ら火をつける女性もいる。

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将来的な持参金負担の重圧を逃れるため、生まれた子供が女児であった場合、これを闇に葬ってしまう。これがインドの"女子嬰児殺し"の理由の一つであるが、これは決してインドが古来から持つ"野蛮な風習"というわけではなかった。

植民地インドにおいて、嬰児殺しは一部カーストの文化・悪習ととらえられていたが、実際には植民地行政下で新たに誕生した部分が大きいという。その例が徴税官階級ザミーンダールだ。イギリスの徴税改革によって仕事を失ったザミーンダールたちは一族の財産を守るために高額な持参金が必要となる女児を避けるようになった。こうして嬰児殺しという「伝統」が生まれた。他のカーストにおいても植民地政府の管理が厳しくなるなか、嬰児殺しの「伝統」が生まれる。裕福なカーストから貧しいカーストへと風習は広がり、植民地政府が取り締まろうとした時には立派な伝統に変わっている。

【ブックレビュー】「嬰児殺し」という作られた伝統=『女性のいない世界』を読む : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)

またこれに付随し、インドでは出生前の性別検査と、女児と分かったうえでの堕胎が法律で禁止されているが、これも違法な医療行為として横行しているという。

インドの男女出生比率は、1991年には男児1000人に対し女児945人だったが、2011年には1000対918になった。国連人口基金によれば、同国では男女産み分けや幼児殺害、育児放棄などにより、毎年40万人の女児が「行方不明」となっている。(中略)出生前の性別検査は、1994年以降禁じられている。2003年にはこの目的で超音波を使うことを禁じる法律改正が行われたが、これによってかえって、悪徳医師や適切な医療訓練を受けない起業家がサービスを提供する闇市場が繁栄する結果となった。

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作品はこうした背景の中で物語られてゆくが、こういったテーマだからこそ女性が中心となって描かれてゆくところがユニークである。まず事件を発見し告発したのが女性である。また村で嬰児殺しを担っていたのもまた女性である。しかしこの女カジャリアもまた、男たちによって村の暗部をたった一人で背負わされ、なおかつ"忌むべき存在"として虐げられている被害者でもある。ここには幾重にも重なった女性差別と女性蔑視が存在する。

ジャーナリスト、ミーラが初めて訪れた事件の村は、通りのあちこちに男たちがたむろするものの、女の姿は一切なく、ただそれだけでも異様な雰囲気に満ちている。その後女たちはぽつぽつと村の通りに姿を見せるが、彼女らは一様に顔を隠しうつむきながら足早に歩くのだ。この呪われた地で、"女"であることはそれ自体が"望まれぬ生"という名の烙印なのだ。こういった描写を通し、"嬰児殺し"そのものだけではなく"女の疎外された世界"の異様さがひたひたと恐怖を醸し出す作品でもあった。

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20160720(Wed)

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■Barefoot to Goa (監督:プラヴィーン・モチャール 2015年インド映画)

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「病気のお婆ちゃんに会いに行こう」。ムンバイに住む幼い兄妹は両親に黙ってゴアを目指す。2015年にインドで公開されたインディペンデント映画『Barefoot to Goa』は小さな子供たちが中心となって描かれるロードムービーだ。監督はこれがデビュー作となるプラヴィーン・モチャール。この作品は2013年にムンバイ・フィルム・フェスティバルで上映され好評を博し、その後も数々の賞を受賞している。

《物語》ムンバイに住む幼い兄妹、10歳の兄プラカー(プラカー・モチャール)と8歳の妹ディヤ(サーラ・ナハー)は、部屋で偶然祖母の手紙をみつける。封さえ開けられていないその手紙には、家族が遊びに来てくれないので寂しがっていること、実は癌を患っていてもう長くないことが書かれていた。そのことを両親に伝えようとした兄妹だったが、父は既に出張しておらず、母はまるで取りあおうとしなかった。母は手紙の封さえ開けないほど祖母を疎ましく思っていたのだ。放っておいたらお婆ちゃんは明日にも癌で死んじゃうかもしれない……そう思った兄妹は両親に告げず二人だけで祖母の元へ旅立つことにする。祖母は、遠いゴアの街に住んでいた。

インドのムンバイと言えば華やかなボリウッド産業でも知られる大都会だ。一方ゴアは避暑地ともして知られる風光明媚な土地である。ゴアが舞台の映画は沢山あるが、この作品と同じロードームービーとしてはディーピカー・パードゥコーン主演の『Finding Fanny』(2014)が挙げられるだろうか。しかし個人的にはなにしろゾンビ・コメディ映画『インド・オブ・ザ・デッド』(2013)に止めを刺す。楽園のようなゴアの島が一転ゾンビ地獄になるのが楽しかった。さてムンバイからゴアへ、とはいうが、インドに疎いオレには距離感がつかめない。調べたところ距離で言うと800Km、これは東京から広島ぐらいまでの距離らしい。ムンバイ-ゴア間を走る電車だと11時間から12時間、長距離バスだと15時間ほどの距離なのだとか(……ザックリ調べたので間違ってるかも)。こんな距離を幼い兄妹だけで踏破するのだからこれは大変だ。

というのはこの兄妹、ムンバイ-ゴア直通電車には乗ったものの、無賃乗車がバレそうになったために途中下車してしまうのだ。いったいどのあたりで下りてしまったのか自分にはちょっと分からなかったのだが、その不安は二人にとっても一緒だったのではないか。そして「もうムンバイに帰ろうよ……」と心細くなっちゃう兄に対し、その兄に「お婆ちゃんに会うんでしょ!」と妹が叱咤するのが実に微笑ましい。この作品、どちらかというと8歳の妹のほうが積極的なのだ。

そしてここからの二人の冒険の様子がこの映画の見どころになる。兄妹はヒッチハイクを繰り返しながらゴアを目指そうとするが、その中で映し出されるインドの自然と田舎の光景、その明るく乾いた景色と、なにより兄妹が折々に触れるインドの人々の温かく気さくな様子が心を和ませる。この物語は基本的に性善説でもって作られており、邪な泥棒や人さらいが登場することもなく、またとりたてて危険や危機に遭うこともなく、警察官の目を気にすることこそあれ、基本的に二人の旅の様子をゆったりとした視線で描いてゆく。

そしてそれは同時に兄妹たちの住んでいた都市部とインド地方部の経済と心情の隔たりをうっすらと浮き上がらせる。二人の兄妹は豊かな暮らしを送っていたが、両親は常に何かに追われ、遠い地に住む自らの親、親族のことを顧みる余裕もなく生活している。一方地方に住む住人たちは兄妹に優しく接するが、困窮の中に暮らす人々の姿も描かれたりもする。また、ゴアに一人ぼっちで暮らす母親とムンバイで暮らす息子夫婦といった描写にはインドにおいて核家族化が進んでいることを描いているともいえる。家族主義に見えるインドも刻々と変わってきているのだ。

映画としてみると、インディペンデント作品ということで予算や配役の関係もあるのだろうか、淡々と物語が進み過ぎてカタルシスに欠けるという部分はあるかもしれない。性善説過ぎるといったきらいもあるだろう。個人的には物語冒頭の手紙代筆の男をもう少し活躍させてもよかったように思える。また、あのラストはいったいなんなの?とちょっと首をかしげてしまった。そういった部分を抜きにすれば、子供たちの冒険とインドの自然の美しい掌編として観ることも可能だろう。あと、子供たちだけではなく、お婆ちゃんがまた可愛い。

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20160719(Tue)

[]映画『ウォークラフト』はハイ・ファンタジー映画の傑作として評価していいと思う。 映画『ウォークラフト』はハイ・ファンタジー映画の傑作として評価していいと思う。を含むブックマーク 映画『ウォークラフト』はハイ・ファンタジー映画の傑作として評価していいと思う。のブックマークコメント

ウォークラフト (監督:ダンカン・ジョーンズ 2016年アメリカ映画)

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ロード・オブ・ザ・リング』からこちら、それまでぽつぽつと作られていたファンタジー作品が俄然市民権を得て多数作られるようになってきたが、『LOTR』続編である『ホビット』やケーブルTV作品『ゲーム・オブ・スローンズ』あたりを除けば、どことなく子供向け、ファミリー向けの作品が多く、完成度の高い作品もあるにせよ、個人的にはそれほど熱狂することがなかった。

ミッション:8ミニッツ』『月に囚われた男』のダンカン・ジョーンズ監督がゲーム作品『ウォークラフト』を監督すると聞いた時は、期待半分と不安半分だった。ゲーム『ディアブロ』でも有名なブリザードが製作した『ウォークラフト』は世界中で絶大な人気を誇るリアルタイム・ストラテジー・ゲームとして知られ、自分は『ウォークラフト3』をプレイしただけだが、そのゲーム・システムと確固たる世界観には十分魅了された覚えがある。しかしそんなあらかじめ世界観の形作られているゲーム世界の映画化と、独特なSF映画作品を作り続けてきたダンカン・ジョーンズ監督とが、どうも頭の中で結びつかなかったのである。

そんなことを思いつつ劇場に足を運んだが、いやこれが、想像をはるかに上回る面白さだった。大人の鑑賞に堪えうるハイ・ファンタジー作品として、上述の『ホビット』、『ゲーム・オブ・スローンズ』と並び評してもいいと思える完成度ではないか(『LOTR』も引き合いに出そうかと思ったが、さすがに恐れ多くてそれはできなかったが)。それは『ホビット』や『ゲーム・オブ・スローンズ』と似ているということではなく、この2作品とは違う部分でハイ・ファンタジー演出が成されている、という部分に新鮮さを感じたからだ。

物語は異世界を舞台とした「剣と魔法」のファンタジーである。強力な魔術により異次元世界から侵攻してきた亜人間オーク種族に、人間族の騎士たちが戦いを挑む、といったものである。こういった骨子はよくあるファンタジー作品とも言えるのだが、この物語のユニークな点は、オーク族が単なる血に飢えたモンスターとして登場するのではなく、彼らなりの生活と"滅びゆく故郷"という已むに已まれぬ理由を持ち、しかもそれぞれに感情を持つキャラクターとして描かれてる、といった点にある。"殲滅すべき悪鬼の軍団"では決して無いのだ。しかも種族内の統率は一枚岩ではなく、戦争を繰り返す自らの種族の状況に疑問を持ち、離反する者がいるほどなのだ。

それは人間族にも言えることで、ここにも離反者がおり、侵攻された世界にはドワーフ族、エルフ族の姿もあるものの、世界の危機に対して関心を持たず、戦いに参戦するというわけでもない。さらにハーフオークと呼ばれる、オーク/人間の中間にいてどちらの側なのか一概に決められない存在すら描かれるのである。即ちこれは単純な"善と悪との戦い"を描いたものなのではなく、"戦争"という名の異種族間闘争の、その本来的な複雑さを描き出そうとしているという部分に、この物語のユニークさがあるのだ。いうなれば"戦争"というのもひとつのコミニュケーションであり、意思疎通不能な断絶に置かれた者同士の殲滅戦ではなく、「どこに歩み寄る余地があるのか」という部分を描いた点においても、"戦争"ドラマの形式としての新しさがあるのではないか。

そしてもう一つはこういった物語を2時間少々の枠内に収めたことである。なにしろファンタジー映画作品は特に有名な原作のあるものほど長大になり話の行方が見えないまま続編へと続いてしまう傾向があるが、この『ウォークラフト』に関しては原作と呼べるものがゲームの枠組みだけなので、それなりに自由に物語構成ができたことも理由になるだろう。もちろん、観た方には既にお分かりのように、あのラストは続編の含みを持たせたままで決して"終わった"とは言えないのだが、1作品として観るなら十分に程よくストレートにまとめたものだと思えないだろうか。要するに、ダラダラと長くない部分に好感を覚えたのだ。

それと、この作品では「魔法」が大きなウェイトを占めてる部分が好ましい。『LOTR』や『ホビット』、『ゲーム・オブ・スローンズ』は、魔法的な要素があるにもかかわらずそれが大きな切り札になることが無く、若干フラストレーションを覚えるのだが、この『ウォークラフト』では存分に活躍する。それにより「剣と魔法の物語」の、剣だけではなく魔法の部分も存分に楽しめる。しかも長い詠唱時間を要したりとか大規模な発動だと細かなコントロールが効かないなどのウィークポイントがあり、決して万能ではないところで程よくバランスがとれている。

物語全体でも聞きなれない用語なり語られない歴史的背景なりがあり、全てが説明されているとは言えないにしても、その説明されないものの背景に膨大な世界が秘められていることが想像できて楽しい。また、戦闘の俯瞰映像では『ウォークラフト』のゲーム映像を彷彿させるショットが幾つかあり、これもゲームのファンにはよりよいサービスになっていると感じた。

この作品がまだ数作しか映画作品を撮っていないダンカン・ジョーンズ監督のキャリアのどの辺に位置することになるのかはまだ未知数だが、よりよい経験として血肉となり、ダンカン監督の次作に繋げることができるであろうことは確信できる。やはりダンカン・ジョーンズ、無視できない監督の一人だろう。

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ウォークラフト3 REIGN of CHAOS 日本語版

ウォークラフト3 REIGN of CHAOS 日本語版

yoyoshi yoyoshi 2016/07/21 11:37 ハイファンタジーは現実世界と異なる異世界が舞台だとwikiにありましたが、ジャック・ヴァンスの終末期の赤い地球などもハイファンタジーに入るのでしょうか?SFよりもファンタジー色が強いような。めくるめく異世界の冒険!

globalheadglobalhead 2016/07/21 11:42 対語はローファンタジーらしいですが、ローファンタジーというのも変な語感ですね。まあファンタジーをちょっとカッコよく言いたいだけなんですね。というわけでオレもちょっとカッコつけて言ってみました。

20160715(Fri)

[][]あるレスラーの愛と栄光、失墜と再生の物語〜映画『Sultan』 あるレスラーの愛と栄光、失墜と再生の物語〜映画『Sultan』を含むブックマーク あるレスラーの愛と栄光、失墜と再生の物語〜映画『Sultan』のブックマークコメント

■Sultan (監督:アリー・アッバース・ザファル 2016年インド映画)

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■あるレスラーの栄光と失墜

かつてレスリング・スポーツの世界で栄光の道を歩みながら、今失意と孤独の中に一人取り残された男がいた。彼の名はスルターン。彼の過去にいったい何があったのか、そして彼は甦ることができるのか。先頃インドで公開され大ヒット中の映画『Sultan』は、そんな彼の愛と栄光、失意と再生を描いた物語である。主演にサルマーン・カーン、アヌシュカー・シャルマー。監督に『Mere Brother Ki Dulhan』(2011)、『Gunday』(2014)のアリー・アッバース・ザファル。なおこの作品はインドで公開ほやほやの作品だが、日本でもSpace Boxによる英語字幕付きの上映会があり、そちらで観ることができた。

《物語》総合格闘技リーグを主催するアーカーシュ(アミト・サード)はインド代表選手を求めてハリヤーナー州の小さな町にやってきた。ここに住むスルターン(サルマーン・カーン)はかつて世界選手権の覇者として知られるレスラーだったのだ。だがスルターンはアーカーシュの依頼をすげなく断る。実はスルターンはつらい過去を背負っていた。8年前、地元に住むアールファ(アヌシュカー・シャルマー)という名の女子レスラーに恋をしたスルターンは、彼女の心を射止めるために自らもレスリングの道を志す。過酷な特訓の末、破竹の勢いで選手権を制覇してゆくスルターンは遂にアールファとの結婚に漕ぎ着ける。だが、数々の勝利に慢心したスルターンとアールファとの間に、ある悲しい事件が起こってしまうのだ。

■娯楽映画の王道的作品

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物語は娯楽作品のまさに王道を行くものだ。前半にスルターンとアールファとの出会いを愛おしくもまたコミカルに描き、観客の心を大いに盛り上げる。この前半はロマンス・コメディ・パートだと思っていいだろう。しかしそこに破綻が訪れ、スルターンは自らレスラーの道を閉ざしてしまうのだ。インターミッションを挟んで後半はスルターンの再起を掛けた血の滲むような特訓と、総合格闘技リーグの行方が描かれてゆく。そしてこの戦いのシーンが、とてつもなく熱い!!ここにおける熾烈な戦いの様子は同じく総合格闘技リーグを描く名作インド作品『Brothers』(2015)を思い出さずにはいられないが、『Brothers』が家族の悲痛な断絶を描いていたのに比べ、『Sultan』では愛の再生を願った戦いとなるのだ。

ここには娯楽作品のセオリーが全て詰まっている。それは悪く言えば予測可能の予定調和的な物語ということだが、良く言えばとことん安心して観られる作品ということだ。物語は雄々しく力強く、栄光と失墜があり、そして再生がある。確かな愛と移ろいゆく愛があり、それでも愛は勝利する。笑いがあり涙があり、そしてインド映画ならではの煌びやかな歌と踊りがある。お代の分きっちり楽しませて、上映終了後は晴れやかな顔で満足しながら劇場を出られる。驚きや考えさせられることはないかもしれないが、こと楽しさに関しては格別だ。今回の『Sultan』に関してはそんな映画なのだと思う。そしてオレも十分満足した。しかもこれは天下のサルマーン映画、それを日本でこうして観られる。もうすっかりお祭り気分だ。とても素晴らしいことじゃないか。

■非常にテンポの速い構成と編集

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しかし楽しませるための作りは非常にしっかりしている。まずこの作品、非常にテンポの速い構成と編集で、片時も目を離せない。インド映画にありがちな間延びしたシークエンスがまるで存在しないのだ(インド映画の間延びした部分は実は好きだが)。これは特に後半、格闘メインということもあったが、ロマンス展開の前半ですら無駄を一切省いた演出に感じた。IMDbのユーザーレビューを読むと、インド人ファンが満点を付けつつ「唯一の欠点は、ペースが少し速いこと」と苦言を呈していたのにはちょっと笑ってしまった。とはいえ、こんな高密度の編集をしていつつ2時間50分もの上映時間を全く飽きさせずダルさを感じさせず描き切るというのはある意味驚異的なことなのではないかとすら思った。ここだけ注目しても傑作じゃないか。

全く飽きさせなかったもうひとつの要因は、映画全編に流れる情感豊かで表情溢れるサウンドトラックの扱い方にもあったのではないかと思う。兎に角、殆ど音楽が途切れない。それらは作品のその時々のムードを完璧に演出してみせ、さらに音楽だけがでしゃばることが無い。それにより、登場人物たちの感情の起伏に、ぴったりと寄り添いながら映画を鑑賞することができたのだ。いや、これまで意識してこなかったが、多くのインド映画はこの作品と同じように殆ど音楽を途切れさすことなく製作されているのかもしれない。ただ、今回自分が鑑賞したのは音響設備が完備されたシネコンである。当たり前の話だが、家でDVDを観ているのと全く環境が違うのだ。映画は映画館で観ろ、という言い方があるが、こと音響に関しては、今作では映画館で観ることの醍醐味を十二分に感じさせてくれた。今作の音楽担当はヴィシャル-シェーカル。最近では『Happy New Year』(2014)、『Bang Bang!』(2014)、『Fan』(2016)と目覚ましい活躍を見せており、今後も楽しみだ(次作は『Banjo』(2016)!)

■主演のサルマーン・カーンとアヌシュカー・シャルマー

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主演のサルマーン・カーンがなにしろいい。自分は彼の『ダバング 大胆不敵』(2010)、『Dabangg 2』(2012)以降の数作がどうも好きになれなかったのだが、『Bajrangi Bhaijaan』(2015)、『Prem Ratan Dhan Payo』(2015)と来て、もはや彼の存在感の素晴らしさを認めざるを得なくなってしまった。そして今作においても「ちょっと単純だが気のいいあんちゃん(まあ既におっさんなのだが)」キャラは大全開であり、そのコミカルな演技に大いに笑わされ、同時に不撓不屈の根性にどこまでも胸を熱くさせられた。最近はちょいと太目になったが、太目だからこそ醸し出される頼り甲斐と安定感に安心させられるのだ。そして今作では踊りもいい。さすがにキレはないが、それでもよく音楽に馴染んだ動きをしている。

一方ヒロインとなるアヌシュカー・シャルマーがまたいい。オレがこれまで観た『pk』(2014)をはじめ『Rab Ne Bana Di Jodi』(2008)、『Band Baaja Baaraat』(2010)、『Ladies vs Ricky Bahl』(2011)といったアヌシュカー作品では、前半のツンツンした現代的なヒロインが、後半にはデレデレのロマンス展開を迎えるものが多く、オレは彼女の事を個人的に「ツンデレの女王」と呼んでいるのだが、今作でも初っ端から怒涛の勢いでツンツンぶりを披露し、主人公スルターンを翻弄しまくるのである。そしてそんな彼女が、いったいどの辺で「デレ」の部分を見せてくれるのかが今作の見所の一つともなるだろう。それにしても今作のアヌシュカーは女子プロレスラーという役柄だが、細身の美人女優であるにもかかわらず劇中では実に女子プロレスラーらしく見えるのは彼女の演技力の賜物なのだろう。

■インド映画上映会の楽しさ

さてインド映画上映会の話を。これは一般のロードショー公開と違う在日インド人向けの上映会であり、英語字幕だし、当然インド人観客が多い。この日は映画上映間もなく、席に付いていなかった大勢のインド人観客が暗い劇場内でスマホのライトを瞬かせながら、多分あっちの席だこっちの席だというような事を言いながらバタバタガヤガヤと入場してきて若干面食らったが、何度もこういった上映会に足を運んでいると、なんだかもう慣れっこになってしまった。上映中のスマホライト点灯もお喋りもしょっちゅうなのだが、インドでもこんなもんなんなんだろ、と思うと気にならなくなってくるから不思議なものである。

それよりも会場の盛り上がり方の半端無さを伝えたい。なにしろ映画の画面にサルマーンが登場した瞬間歓声が上がり指笛の音が飛び交う。「いよ!待ってました!」という塩梅だ。その後もレスリングや格闘技試合でサルマーンが善戦するとまたもや指笛の大コーラス(?)、あんなシーンやこんなシーンでも指笛と歓声、しまいにはサウンドトラックで手拍子、そして映画終了後には大きな拍手が鳴り響いた。もうホント、全然ノリが違うのだ。全身全霊で映画を楽しんでいるのだ。こんなに賑やかだったのは初めてかもしれない。こんな周囲の楽しさが伝染して、オレもなんだか大いに盛り上がった。やはりサルマーン・カーン主演だからなんだろうなあ。あと、美人ちゃんなインド女性も結構来てましたですテヘ。

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madaari first day collectionmadaari first day collection 2016/07/18 22:04 <a href="http://www.madaari.totalboxofficecollection.in/">madaari first day collection</a> Provides you all the news about the Earning of New Movies and new upcoming Movies. Here you got all information about the Movies.

SultanSultan 2016/07/20 11:29 Sultan公開後、興業成績の伸びが止まりません。
3日間で100カロールを越え、4日間で142.62カロールと
それまで今年トップだったAirliftをあっさり越えました。
5日目となる日曜日で180にも届きそう。
さらに1週間で200を超えるのはほぼ間違いありません。
このままいけばPKすら追い抜くかも?

globalheadglobalhead 2016/07/20 11:53 コメントありがとうございます。あれだけ王道の作りで誰にでも親しめる作品だったらそのぐらい売れるでしょうねえ。サルマーン映画は本当に強いなあ。

WWE Battleground Result 2016WWE Battleground Result 2016 2016/07/23 14:52 Have interest in WWE? Find everything about its upcoming event WWE battleground 2016(matches, venue, Winner, Result) at <a href="http://gossipworm.com/"> WWE Battleground Result 2016 </a>

Independence Day GreetingsIndependence Day Greetings 2016/07/23 14:54 Find the best Independence Day Greetings here at <a href="http://independencedaygreetings.com/"> Independence Day Greetings </a>

shubhshubh 2016/10/19 16:27 Want to be a part of Bollywood?? Check the questions which are asked in a Bollywood interview. Vist http://bestinterviewquestions.net/

20160714(Thu)

[]Xファイル大復活!〜オカルトSF・TVドラマシリーズ『Xファイル 2016』を観た Xファイル大復活!〜オカルトSF・TVドラマシリーズ『Xファイル 2016』を観たを含むブックマーク Xファイル大復活!〜オカルトSF・TVドラマシリーズ『Xファイル 2016』を観たのブックマークコメント

X-ファイル 2016 ブルーレイBOX [Blu-ray]

真実はそこにある!誰も信じるな!あの『Xファイル』が帰ってきた!1993年から2002年にかけて9シーズン、全202話にのぼるエピソードが放送されたアメリカのオカルトSF・TVシリーズ『Xファイル』が13年ぶりに再開されました。『Xファイル 2016』と日本語タイトルの付いたこのシーズン10、オンデマンドでは6月あたりから観られたのですが、やっぱりソフトで持っておきたい……ということで7月のBlu-rayボックスセット発売を待って視聴しましたよ。

いやーオレ、この『Xファイル』の大ファンで、エピソードも全部観たしもちろん映画化された2作も劇場に行って観てきました。エピソード9終了後は、まあ長々とやっていたしこのぐらいが潮時だったかなとは思っていましたが、シリーズ復活を知った時はやはり嬉しかったですね。今回製作されたシリーズ10は6話のみのミニシリーズですが、前作からの休止期間も長かったし、再開の肩慣らしとしてはこのぐらいの長さでよかったかもね。とは言いつつ、早くシーズン11が観たいんですが!

13年ぶりの『Xファイル』を観始めて、一番最初の感想……「オープニングが全然変わってない!」13年ぶりのシリーズだから心機一転して新しいオープニングになっているかと思ったら、第1話から連綿と続いているアレなんですね。個人的にはここは新しくてもよかったかな。そしていよいよ現代のモルダーとスカリーが画面に登場!……いやあ、二人とも、老けたなあ……。まあ第1話が20年以上前の放送だから、老けてて当たり前ですけどね。モルダー役のデイビッド・ドゥカブニーさんは若干貫禄が付いてこれはこれでアリかな。ダナ役のジリアン・アンダーソンさんも皺増えましたが今でも十分セクシーざんすよ。さらにスキナーFBI副長官も復活!今度は髭生やしている!ただふと思ったが、1作目から20年以上ずっと「副長官」のままっていうのも社会的にどうなの……。

さて収録エピソードのざっくりした感想。

■第1話「闘争 Part1」……うおお!やっぱ『Xファイル』といえばUFO!拉致!人体実験!政府の陰謀!もうこれだけでメシ釜一つ食えるわ!

■第2話「変異」……遺伝子操作モノ。そう、そして『Xファイル』といえば手術室!死体解剖!あといろいろグログロなものが出てきて楽しい。

■第3話「トカゲ男の憂鬱」……おっとこれはモンスターモノ!しかもひねりが効いててコミカル!まだまだこんなシナリオ書けるんだね。

■第4話「バンドエイド・ノーズ・マン」……都市伝説モノ。不気味!暗い!おまけにバッちい!そして何も説明されないことがまた『Xファイル』ぽいんだよな。

■第5話「バビロン」……冒頭いきなり爆弾テロ!しかし本題はそこじゃなかった!こういう構成も『Xファイル』らしい。しかも思わぬ乱調が非常に愉快!

■第6話「闘争 Part2」……6話にしてもう終末モノ!そして新捜査官キャラ登場!さらにあの敵役復活!そしてラストはうわあああああ!?

たった6話とはいえ「これぞ『Xファイル』!」というエピソードばかりでしたね。そして以前と同じようなことをやっていながらなんだかちょっと違う。モルダーが妙にひょうきんだったりダナのセクシーショットまである。もちろんそれだけじゃないんですが、この「変わらない部分と新しい部分」のバランスもよかったですね。そして二人のロマンスの行方と養子に出してしまった子供への悔恨が今回の裏テーマともなっています。

このBlu-rayボックスセットは特典映像も充実していて、スタッフたちの打ち合わせや製作の様子だけではなく、素のデイビッド・ドゥカブニーやジリアン・アンダーソンが見られるのがいいですね。二人ともカメラが回っていないときはとても表情が豊かで魅力的なんですよ。長年観続けてきたシリーズの主役たちのこんな姿はほっこりさせられます。それと特典映像には未公開シーンやNGシーンの他、『グレース』というタイトルの10分ほどの短編が収録されています。

『Xファイル』の面白さは「グレイのものをグレイのまま描いちゃう」という部分にあるんじゃないでしょうか。UFOやらモンスターはあからさまに描かれますが、それ以外の超常エピソードはなんだかもやもや……と終わっちゃう。「なんなのか分からない」という不安を残すんですよ。テラーやホラーじゃなくあくまで"不安"が主人公なんです。実の所UFOだって政府の陰謀だってそれは不安の裏返しなんじゃないでしょうか。そんな所が『Xファイル』の面白さ、醍醐味なんですね。

それと特典映像で製作のマーク・スノウが語っていて興味深かったのは、旧シリーズ終了は911テロの影響だった、ということですね。テロの影響により、それまでの「信頼できない政府」が国民にとって「強くて信頼できる政府」である必要が出てきた。そういった世相を読み取ることで旧シリーズ終了を決断したということらしんですね。まあもちろん視聴率やマンネリも大きな要因だとは思いますが。こうして再び『Xファイル』が甦ったのはファンのニーズと昨今のTVドラマブームがあるのでしょうが、もうひとつ、新たな世相の変化がそこにはあったかもしれないですね。

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20160713(Wed)

[][]ハリウッド作品『チャイナタウン』を原案としたインドの傑作ノワール・スリラー『Manorama Six Feet Under』 ハリウッド作品『チャイナタウン』を原案としたインドの傑作ノワール・スリラー『Manorama Six Feet Under』を含むブックマーク ハリウッド作品『チャイナタウン』を原案としたインドの傑作ノワール・スリラー『Manorama Six Feet Under』のブックマークコメント

■Manorama Six Feet Under (監督:ナヴディープ・シン 2007年インド映画)

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寒々とした荒地ばかりが広がるラージャスターン州のある小さな町。ここで繰り広げられる醜い陰謀と、それを知ってしまったばかりに命の危険にさらされた男。2007年にインドで公開された映画『Manorama Six Feet Under』は、インド流ハードボイルド・ストーリーとでも呼べそうなノワール・スリラーだ。

この作品、監督がインドの闇を描いたサスペンス映画『NH10』のナヴディープ・シンのデビュー作だというのがなにしろ見所だ(レヴュー:辺境の地を訪れた男女を襲う暴力の恐怖〜映画『NH10』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ)。さらにロマン・ポランスキー監督による名作ノワール『チャイナタウン』(1974)のリメイクだというから期待値はいやがうえにも高まる(映画ではこの『チャイナタウン』の例のシーンがTVで流れている、なんていう場面も)。主演に『Dev.D』(2009)、『Zindagi Na Milegi Dobara』(2011)、『Raanjhanaa』(2013)のアバイ・デーオール。共演にライマ・セン、クルブーシャン・カルバンダ。ナワズディーン・シディッキが小悪党役で出てくるのもお楽しみだ。

《物語》舞台はラージャスターン州にある旱魃に悩む町ラコット。自治体の公共事業部門で働くサティヤヴェール(アバイ)は妻と子とのささやかな家庭を持っていたが、ミステリ小説家となるのが夢だった。けれどその夢も「Manorama」という売れない小説を書いた切り鳴かず飛ばずだ。そんな彼のもとにある日、地元の灌漑大臣ラホール(クルブーシャン)の妻を名乗る女から夫の浮気調査が依頼される。小さな町では探偵も雇えず、ミステリ作家だった彼に白羽の矢が立ったのだ。しかし調査終了後、サティヤヴェールはその女が実はラホールの妻ではなく、しかも謎の交通事故で死亡したことを知る。

事件に興味を抱いたサティヤヴェールは調査を続け、その女が孤児院の職員だったこと、何らかの理由でラホールを恐喝しようとしていたことを突き止める。そこで突然の襲撃を受け負傷するサティヤヴェール。そして死んだ女のルームメイト、シータル(ライマ)もまた襲撃を受けたことを知り、サティヤヴェールは彼女を家に匿うことにする。次第に心を通い合わせる二人。だがサティヤヴェールは、思いもよらない陰謀が背後で進行していることをまだ知らなかった。

傑作である。ボリウッド映画においてスリラー・サスペンスの名作というとあの『女神は二度微笑む』(2012)を思い浮かべてしまうが、あれに匹敵するサスペンス作品といっても過言ではない。この作品自体ヒットはしなかったのだが、評論家の評価は上々だったという。確かにナヴディープ監督による次作『NH10』の研ぎ澄まされたサスペンス構築のあり方を考えると、このジャンルに特化したセンスを持つ才能ある監督であることがうかがえる。しかも『NH10』はどちらかというとショッカー作品だったが、この『Manorama Six Feet Under』は『チャイナタウン』という原典はあるにせよ、細かな物証を積み上げながら事件を検証してゆくミステリ構造を持っている。意外とこういった監督はインド映画界では珍しいのではないか。

そのサスペンス演出は実に抜きん出ている。まず舞台となるラコットの町の、旱魃と冷害に悩む土地の荒涼とした風景が観る者の心に重くのしかかってくる。主人公サティヤヴェールはかろうじて中流家庭を維持してるが、その生活は苦しく、また作家になる夢も潰えた、どこかやさぐれた男なのだ。そんな彼が依頼された浮気調査は次々と予想外の展開を迎え、謎が謎を呼び、その中で幾つもの死を目の当たりにするばかりか、自らも襲撃を受け満身創痍となる。それらの描写は乾いていて、主人公が足を踏み入れた闇はどこまでも暗く冷え冷えとし、最後に辿り着いた真実はあまりにも重く醜悪だ。重低音を基調としたサウンドトラックは不安と恐怖をあおり、次第に明らかになってゆく恐ろしい事実に、片時も目を離せなくなってゆく。

原作『チャイナタウン』とも幾つかの設定が異なってる。まず主人公が本来探偵ではなく、さらに家庭を持っていることが大きいだろう。これにより家族の命の危険がほのめかされ、さらに美しい娘シータルとの淡い恋に背徳の匂いを漂わせる。主人公が作家であることも物語の流れに微妙にかかわる。そして主人公には警官の親戚がいて、時折主人公を助けはするものの"警察官ですら足を踏み入れられない事実"を否応なく主人公に突き付ける。「水道利権を巡る巨大な陰謀」といった部分は原作と同様だが、その先にある真実は『チャイナタウン』と同じある種の地獄の様相を呈しながらも、着地点は全く別個のものだ。つまり映画『チャイナタウン』を知っている映画ファンでも、十分に楽しめ、そして驚愕させられる物語である、ということだ。

それにしてもインド映画はおそろしい。こんなそれほど話題になっておらず、自分もついこの間まで存在の知らなかった作品が、観てみるととんでもなく秀作だったりするのだ。全く掘っても掘っても鉱脈の尽きない世界である。この『Manorama Six Feet Under』にしてもどのぐらい掘ったかというと、タイトル通り6フィート下ぐらいまでは……。オヤジギャグも飛び出したことだしおあとがよろしいようで……。

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20160712(Tue)

[][]アガサ・クリスティそして誰もいなくなった』を原案としたインドのサスペンス・スリラー映画『Gumnaam』 アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』を原案としたインドのサスペンス・スリラー映画『Gumnaam』を含むブックマーク アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』を原案としたインドのサスペンス・スリラー映画『Gumnaam』のブックマークコメント

■Gumnaam (監督:ラジャ・ナワテ 1965年インド映画)

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■インド映画版『そして誰もいなくなった

孤島に集められた10人の男女が一人また一人と殺されてゆき、そして最後に誰もいなくなった……アガサ・クリスティが執筆した超有名な古典ミステリ小説『そして誰もいなくなった』は、読んだことがなくとも多くの方がそのタイトルを知っていることでしょう。

この作品はこれまで何度か映像化されていますが、実はインドでも映画化されていたんですね。それが今回紹介する1965年公開の作品『Gumnaam』です。

今回観るにあたって、原作をどの程度改変しているのかにも興味があったんですが、自分がアガサ・クリスティの原作を読んだのは大昔で、犯人を含め内容をすっかり忘れています。もう一度読み直すのも億劫だったのですが、調べるとR・クレール監督によるハリウッド映画化作品がパブリック・ドメインになってネットに置いてあったので(しかも日本語字幕付き)、最初にこっちを観てみる事にしました(ただしこの映画版はラストが原作と違うそうです)。

◎【日本語字幕】そして誰もいなくなった/And Then There Were None (1945) 【パブリックドメイン

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この作品自体初めて観たのでちょっと得した気分でしたね。

■いきなり殺人!いきなり歌と踊り!

というわけで『Gumnaam』です。まずいきなり交通事故に見せかけた謀殺が起こり、さらにそれを指示したとみられる男が何者かに射殺されます。おお!さっそく原作と違う展開!そしてなんと!場面変わってダンス大会における歌と踊りが繰り広げられるんです!さすがインド映画!そしてこれが超カッコイイ!

◎Jaan Pehechan Ho

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これ、「Legend of Legends」とも呼ばれるインドの国民的歌手、Mohammed Rafiによる「Jaan Pehechaan Ho」という曲なんですが、ゴーゴー・ダンスっぽい曲調がレトロモダンしていて今観ても相当いかしてますね。実はこの曲、コミック原作のアメリカ映画、『ゴースト・ワールド』の冒頭を飾った曲でもあるらしいんですね(映画観たけど忘れている)。

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このダンス大会での勝者7人は賞品として飛行機で行くリゾートアイランドでのバカンスが約束されていました。しかし彼らが乗った飛行機は突如見知らぬ島に緊急着陸し、彼ら7人とキャビンアテンダント一人を下したまま飛び去ってしまうのです。訳も分からぬまま島を彷徨う8人はとある洋館を見つけ、そこに入ります。彼らを出迎えたのは一人の召使いでした。そしてこの洋館で、彼らは一人また一人と何者かに殺されてゆくのです。

■インド版『そして誰もいなくなった』はやっぱりインド版だった

ここでお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、この『Gumnaam』、洋館に取り残された人間の数が原作の10人と違って召使い含め9人なんですね。さらにこの作品では、原作にある「10人のインディアンの歌」と10体のインディアン人形が登場しません。原作ではこの歌の通りに人が殺されてゆく、といういわゆる「見立て殺人」が行われるのですが、『Gumnaam』ではそれがないんです。それと原作では洋館に集められた人間の罪業が最初に明かされますが、映画ではこれがなく、誰かが殺されるたびにその罪業が手紙で届くんですね。しかしこの映画、本当に違うのはそんな所じゃないんですよ!

まずなにしろ、歌って踊ってばかりいて全然人が死にません!冒頭の殺人以外は、映画が始まって50分ぐらい経ってからやっと一人殺される程なんです。映画自体は2時間半あるんですけどね。で、殺されたと思ったらまた歌と踊りです!映画では10曲のソングシーンがあり、実際は歌だけのシーンのほうが多いのですが、絶海の孤島に訳も分からず取り残され、謎の殺人者が次々と人を殺し続けているという状況なのに、その合間に歌って踊ってって、みんないったいどういう神経してるんだ!?

◎そもそもこれを見て原作が『そして誰もいなくなった』だと誰が思うんだ!(これ、実は妄想シーンなんです)

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全体的なお話の流れは「歌と踊り」→「殺人」→「サスペンス」→「歌と踊り」が延々繰り返されるという作りになっていて、観ていると「歌と踊りがあったから次は誰かが殺されるな」と予想が付くという訳ですね!一応この作品はミステリなんですが、なんかもう謎解きとか犯人探しとか観ていてだんだんどうでもよくなってきて、楽しい歌と踊りと陰惨な殺人とが、ミルフィーユのごとく重ね合わせられながら描かれてゆく、その異様な構成が、次第に面白くなってくるのですよ。

もうひとつ、映画『Gumnaam』が原作と違うのは、ホラー的な味付けが成されている、という部分ですね。洋館や島のあちこちで、時々どこからともなく女の歌声や、女の笑い声が聞こえてくるんですよ。誰かもう一人の女が島にいるのか?それとも亡霊なのか?これが正体不明で不気味なんです。他にも殺された人たちの幻影が現れたりとか、朽ち果てた教会に薄気味悪い彫像があったりとか、どことなくお化け屋敷っぽい映像効果で観るものを震え上らせるんですね。この作品が本当にミステリじゃなくてホラーだとしたら、いくら『そして誰もいなくなった』が原作だとしても全然違う話になってしまいますが、実際どちらなのかは一応秘密にしておきましょう。全体的にこんな構成が飽きさせることなく物語を引っ張り、思った以上に楽しめた作品でしたね。

20160711(Mon)

[]大雑把なエイリアンvs大雑把な人類の大雑把な戦い!!〜映画『インデペンデンス・デイ:リサージェンス大雑把なエイリアンvs大雑把な人類の大雑把な戦い!!〜映画『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』を含むブックマーク 大雑把なエイリアンvs大雑把な人類の大雑把な戦い!!〜映画『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』のブックマークコメント

インデペンデンス・デイ:リサージェンス (監督:ローランド・エメリッヒ 2016年アメリカ映画)

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  • でっかいUFOに乗ってやってきたエイリアンが人類に返り討ちに遭った『インデペンデンス・デイ』から20年……またもやあいつらが帰ってきたッ!?もっとでっかいUFOの乗って!?という映画『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』でございます。
  • 今回のエイリアンUFO、なにしろデカイ。ひょっとしたら北アメリカ大陸ぐらいはあるんじゃないでしょうか。デカイです。デカ過ぎです。UFOっちゅうよりも殆ど小惑星。ひょっとしたらSF映画に出てきた最も大きな宇宙船になるかもしれなせん。こんなのが襲ってきて人類に助かる術はあるのでしょうか。
  • しかし人類も負けてはいません。前回の戦いでエイリアンが残したテクノロジーを研究し、「あいつらぜってーもう一回襲ってくる」と予想して強力な軍備で武装しています。地球のみならず月面にも基地を持ち、さらに土星辺りにも前哨基地を設けているようです。この辺『2001年宇宙の旅』へのオマージュでしょうか。常温核融合炉が当たり前のように使われ、アサルトライフルはゲーム『ヘイロー』に出て来る武器みたいでカッコイイです。
  • しかも「打倒エイリアン!」の掛け声のもと、地球は一つにまとまり、どうやら戦争や紛争も無くなってしまっているようにすら思います。「強力な敵の為に地球がひとつにまとまる」って『ウォッチメン』みたいですね。
  • この「エイリアン・テクノロジーの転用によって発展した科学技術」と「新たな地球国家の誕生」という設定はSF映画としてとても斬新で面白いです。
  • とはいえ作品としては笑えないぐらい大雑把な出来です。「とにかくデカけりゃいいだ!」という大雑把なエイリアンと「今回も根拠希薄な作戦で勝利間違い無し!」という大雑把な人類とが、戦略も戦術もなく大雑把に正面対決するという、とても大雑把なSF映画です。
  • この大雑把さはどこかで観たことがあるな……と思ったらあの『アルマゲドン』でした。そう、今回の『インデペ2』は『アルマゲドン』と並び比す、いやあるいはそれ以上の「大雑把SF映画」として歴史に名を残すであろう作品でありましょう。
  • まあエメちゃん作品だし、こまけえことはいいんだよッ!!
  • それと今作、前作からの登場人物出し過ぎで、それにさらに新キャラ加えてますから人物多くて感情移入なんかしている暇がありません。それによりドラマが薄いんです。ただしこれだけ大人数のキャラを登場させながら全然訳分からなくならないのはさすがハリウッド流シナリオ術の成せる業だと思いました。
  • それと今回の戦いの鍵を握るデウスエクスマキナ級のアレもチート過ぎるよなあ。まあ前作の「敵のOSハッキング」も噴飯モノのチートさでしたからそれを律儀に踏襲したとも考えられます(いや、でもこういうのそんなに嫌いじゃないです)。
  • 前作は「破壊の快楽」とも呼べるような強大な災厄シーンが見所でしたが、昨今ではCG技術の進歩で映画におけるそんなシーンもそれほど珍しいものではなくなり、どれだけ派手にぶっ壊そうともはや既視感しか感じなくなってしまったのが今作の敗因かもしれません。なんかエメリッヒの『2012』に『カリフォルニア・ダウン』混ぜたみたいなんだもん。それと、人類側の悲壮感とか絶望感も薄かったなあ。
  • それにしても超巨大UFOエイリアンと人類との命運を掛けた戦いがたった120分で収められているのには感心しました。戦いだって実質1週間も掛かってないんじゃないのかしらん。これ、どちらも前作よりも短いんじゃない?ゲームなんかもそうですが、チート使うと早く攻略できるということなんですね。まあそのかわり全然面白くありませんが。

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20160708(Fri)

[]インドとアメリカを舞台にしたある家族の破綻と再生の物語〜『低地』 ジュンパ・ラヒリ インドとアメリカを舞台にしたある家族の破綻と再生の物語〜『低地』 ジュンパ・ラヒリを含むブックマーク インドとアメリカを舞台にしたある家族の破綻と再生の物語〜『低地』 ジュンパ・ラヒリのブックマークコメント

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

カルカッタ郊外に育った仲睦まじい年子の兄弟。だが過激な革命運動に身を投じた弟は、両親と身重の妻の眼前、自宅近くの低湿地で射殺される。報せを聞いて留学先のアメリカからもどった兄は、遺された妻をカルカッタから連れだすことを決意する。喪失を抱えた男女はアメリカで新しい家族として歩みだすが、やがて女は、小さな娘と新しい夫を残し、行方も告げず家を出る―。

インド映画は好きだけれどインド作家の小説はあまり読んだことがないな、と思っていたのだ。今回手にした作品の作者、ジュンパ・ラヒリは、ベンガル系インド人移民の娘としてロンドンで生まれ、その後アメリカに移り住んで作家になっており、厳密な意味ではインド人作家というよりも、インド系アメリカ人作家ということになる。だがその作品の多くはインド系移民の物語だというから、なにがしかインドの風を運んでくれそうだ。そして読んでみたところ、これは十分にインドについての物語であり、さらに文学小説としても非常に高い完成度を誇る作品であると感じた。なお、昨日紹介した映画作品『その名にちなんで』もこのジュンパ・ラヒリが原作となっている。

二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ〜映画『その名にちなんで』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

物語はあるインド人の半生を描いたものである。そして彼を取り巻く家族、妻、子供たちを描いたものである。主人公は独立前夜のインドで生まれ、青年となってからアメリカに渡り、そこに定住し、結婚し、子供を育て、そして老いてゆく。その彼の生涯の中で起こったある波乱と、それがどのように彼の人生を変え、どのように家族へ波紋を投げかけてゆき、その中で彼とその家族が何を選択していったのかがこの物語となる。

物語の中心となるのはカルカッタ郊外に生まれ育ったスバシュとウダヤンの兄弟。仲睦まじく育った二人だったが、青年となったスバシュは学業の為アメリカに渡り、一方ウダヤンは学生運動が高じて過激派へとなっていった。ある日そのウダヤンが警官に殺害される。故郷に戻ったスバシュはそこでウダヤンの死により若くして未亡人となった娘、ガウリと出会う。彼女はウダヤンの子を宿していた。不憫に感じたスバシュはガウリをアメリカに呼び、結婚する。生まれた子は女の子で、ベラと名付けられる。スバシュは死んだ弟の妻と結婚し、死んだ弟の娘を我が娘として育てることを、ひとつの運命として受け入れていた。だがそんなある日、何も言わずガウリが家を出てしまう。

インド独立を前後した政府の悪政に対し蜂起する反政府グループ、そのいちメンバーとして行動し、最期に警察によって射殺される弟ウダヤン、こういったインドの政治的歴史性と、その犠牲となった市民といった点を除けば、この物語はある家族の破綻と再生とを、じっくり淡々と描いた作品ということになる。確かにそこにはインドとアメリカという二つの故国を持つ人々の、寄る辺なき悲哀こそあるけれども、中心となるのはやはり家族のドラマであり、そこに波乱があったとしても、特殊だったり特別な事件が起こるわけでは無い。決して有り得ないわけでは無い事情を抱えた、普通の家族の物語なのだ。いってしまえばこの物語は、ウダヤンが単なる事故死であったとしても成立してしまうのだ。にもかかわらず、この作品には、非常に心奪われ、魅せられるものを感じた。

それは作者であるジュンパ・ラヒリの、透徹した描写力にあるだろう。ここに登場する人物たちは、誰もが重層的なレイヤーを持った人物として描かれ、人格として統一されてはいても、時として思わぬ行動に出てしまう。しかし物語として読み進めてみるとそれが一個人として矛盾したものではない。つまり一人の人間が抱える複雑なパーソナリティーを描く時に説得力があるのだ。同時に、人間という複雑なものを抱えた者同士が理解しあうことの難しさがこの物語では描かれることになる。そして、その難しさを乗り越えて、どうお互いが理解しあい、または譲歩しあうのかを描くのがこの物語だったのではないかと思う。そしてそれをあくまで日常的な状況と、平凡な生活を営む人間たちの心理の中から組み立ててゆくのだ。これは実は子細な観察力から導き出されたものであり、それを巧みに描写することのできる技量の賜物ではないか。優れた文学とはこういったものではないか、とすら思わせられたほどだ。

また、その構成のテクニックも抜きんでている。物語は、インドとアメリカ、という空間的な距離を行き来しながら、過去と現在という時間を行き来し、さらにそれを語る人称ですら次々と変わる。章の始まりは誰がそれを語っているのか最初分からない導入を使い、物語の流れに注意と集中を促す。こうしてどんどんと物語に惹き込まれてゆくのだ。そしてその中で移ろいゆく思いと、決して変わらぬ思いとが描かれ、変化してゆく事象と、変わることのない事象とが描かれてゆく。それは人の生は常に変わりゆくものだけれども、人の本質的な部分は常に変わらないのだと言っているのかもしれない。タイトル『低地』とは、スバシュとウダヤン兄弟が子供時代遊んだ場所であり、ウダヤンが射殺された場所だった。時を経てその低地は住宅地となり消え去るが、スバシュ家の人々にとってそこは未だに"あの場所"なのだ。ここでも変化するものとしないものとが描かれてゆくのだ。

そしてやはり物語で描かれるインドの情景とその習俗にやはり魅せられる。カルカッタといえばドゥルガー祭であり、その時の町や人々を描く場面は憧れをこめて読んでしまうし、インドでの日常的な暮らしの様子や、細かな風習にも思わず注視してしまう。その時の気候、気温の様子にすらインドを感じる。好きなインド映画のあんなシーンやこんなシーンが頭に思い浮かんだりする。そもそも、「亡くなった弟の妻を娶る」ということ自体、実はインド的な習俗であるように思う。インド映画好きのオレとしては、このキャラクターにはどんな俳優がいいだろう?などと頭で映像化してみたりする。文学小説だから、配役は地味目がいいだろうが、こことここには有名俳優を入れたいな、なんて妄想までしてしまった。もしあなたがインド映画好きなら、結構ハマる作業なのでちょっとやってみるといいかもしれない。もちろん小説も最高の出来なので、是非読んでみるといい。

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

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20160707(Thu)

[][]二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ〜映画『その名にちなんで』 二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ〜映画『その名にちなんで』を含むブックマーク 二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ〜映画『その名にちなんで』のブックマークコメント

■その名にちなんで (監督:ミーラー・ナーイル 2007年インド/アメリカ映画)

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日本でソフト・リリースされているインド映画をちまちま消化していっているが、インド/アメリカ製作作品であるこの『その名にちなんで』はタイトルを知りつつもなんだかすぐ手に取る気がしなかった。粗筋を読んでも、なんかこう「売り」というか、「観てみたい!」と思わせるものがあまりなかったのだ。それが最近、インド系アメリカ作家のジュンパ・ラヒリの小説を読む機会があり、同じ作者の原作であるということを知ってやっと観る気が起こったという訳である。

とはいえ、俳優や監督は実は非常に充実している。主演がハリウッド映画でも引っ張りだこのインド俳優イルファン・カーン、その共演としてインドの名女優タブーが出演する。監督は『サラーム・ボンベイ!』のミーラー・ナーイルだ。ミーラー・ナーイルは他にも日本で観られるソフトが多く、ひょっとしたら日本で一番一般に紹介されているインド人監督かもしれない。ミーラー・ナイールの幾つかの作品は「2016-06-01 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール」で紹介されているので参考までに。

物語はあるインド人家族2世代を描いたものだ。最初の舞台は70年代のインド。ここでコルカタ生まれで現在アメリカに学ぶアショケ・ガングリー(イルファン・カーン)が、インドに戻ってお見合いする様が描かれる。相手の女性の名はアシマ(タブー)。二人は結婚してアメリカで生活することになり、やがて男の子をもうける。その時この子には「ゴーゴリ」という名が付けられる。17世紀ロシアの作家、あのゴーゴリだ。これには訳があって、かつて列車事故に遭ったアショケがたまたま手にしていたゴーゴリの本が目印になり助かった、という経緯があったのだ。しかしその子が大きくなり、この名前を嫌い、ニキル(カル・ペン)と名を改めることになる。ニキルは建築家として成功し、恋人とも幸せな毎日を送っていた。そんなある日、アショケが病に倒れてしまう。

こうした粗筋だけからだとこの作品のテーマや面白味が伝わらないだろうし、タイトル『その名にちなんで』や原題である『The Namesake("名前をもらった人"の意らしい)』が意味が通じ難いだろう。この作品はインドで生まれアメリカに住むことになったアショケとアシマ、そしてアメリカで生まれたがインドの血を持つニキル/ゴーゴリの物語である。いわゆる「印僑」の人々を描いた物語だ。彼らがインド/アメリカという二つの国にそのアイデンティティを分裂させたまま生きざるを得ないことの葛藤がこの作品のテーマだと言っていいだろう。彼らは二つの故国を愛しつつ、同時に自分が真に属すホームグラウンドがどちらなのか、常に心を揺れ動かせながら生きることを余儀なくされているのだ。

そのアンビバレンツはアショケとアシマの息子がニキル/ゴーゴリという二つの名前を持つことに端的に表れている。ニキルはアメリカで生まれアメリカ人としての人生を謳歌する青年だ。一方ゴーゴリは、インド人である父が願いと思いを込めて付けた名である。「ゴーゴリの本」で命を救われたアショケにとって、それは単なるロシア人作家の名なのでは無くて、「自分がなぜ今の生を全うできたのか」「その生をどのようにして次の世代に繋いでゆくのか」という意味が込められているのだ。その生とはアショケの血筋ということであり、インドの血ということでもある。アメリカ人である「ニキル」としてインド人である「ゴーゴリ」を否定したニキル/ゴーゴリは、ある日父のそんな思いを知り、「ゴーゴリ」としての、即ちインド人としての自らのアイデンティティを見出すのだ。

原作者であるジュンパ・ラヒリはイギリスで生まれたインド移民の娘であり、後にアメリカに渡って作家として大成したインド系アメリカ人である。現在はイタリアに渡り生活しているとのことだが、それもイタリア語がベンガル語に近い響きがあるからなのだという。どこに住もうと彼女もまた自らの"血"を否応なく感じているのだ。一方監督であるミーラー・ナイルはインドに生まれてからアメリカに渡り、欧米資本ながらインドを舞台とした映画を多く撮った監督でもある。彼女の場合は欧米にいながら懸命に"インド的なもの"を模索しようとしているように感じる。そんな二人の内面にある"二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ"を描いたのがこの作品なのだろうと思う。

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その名にちなんで (新潮文庫)

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外套・鼻 (岩波文庫)

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20160706(Wed)

[][]ハリウッド映画『アイ・アム・サム』を翻案したインドのハートフル・コメディ〜映画『神様がくれた娘』 ハリウッド映画『アイ・アム・サム』を翻案したインドのハートフル・コメディ〜映画『神様がくれた娘』を含むブックマーク ハリウッド映画『アイ・アム・サム』を翻案したインドのハートフル・コメディ〜映画『神様がくれた娘』のブックマークコメント

■神様がくれた娘 (監督:A・L・ビジャイ 2011年インド映画)

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日本で公開されたインド映画DVDをぽつぽつと観ているのだが、2014年日本公開の『神様がくれた娘』は少々食指が動かず放置状態だった。実はこの作品、ジェシー・ネルソン監督、ショーン・ペン主演による2001年公開のアメリカ映画『アイ・アム・サム』のインド版リメイク作なのだ。知的障碍者の親権を巡るというこの物語、オリジナルはお涙頂戴路線に思えて興味が湧かなかった。そのリメイク作である本作も同様である。

そんなことをブツブツ言いながら観始めたのだが、映画が始まってびっくりした。いやなにこれインドはインドでもタミルの映画じゃないの!日本公開のタミル映画にハズレはないぞ!そして主演はヴィクラムさんじゃないの!ヴィクラム主演作といえば大傑作『I』、『Raavanan』オムニバス『David』を観たことがあるけどスッゲエ個性的でいい俳優なんだよなあ!これはもう観なくても傑作じゃん!いや観るけど!と突然興奮しまくり観る気満々になったオレなのであった。しかしインド映画好きと言ってるくせに相変わらず無知だよなあオレ!わはは!(笑ってごまかすしかない)

舞台となるのは避暑地としても有名なインド南部の街ウッティー。この街はずれのチョコレート工場で働く知的障碍者クリシュナ(ヴィクラム)が主人公だ。彼には5歳の娘ニラー(ベイビー・サーラー)がいたが、母親は出産の際に死亡する。だが周囲の暖かな支援と親子の強い情愛により、ニラーは屈託なく育つ。そんな幸せな日々も束の間、死んだ母親の親族が親権を主張しニラーを連れ去ってしまう。嘆き悲しむクリシュナに声を掛けたのは若手弁護士アヌ(アヌシュカー)と彼の同僚ヴィノード(サンダーナム)だ。アヌとヴィノードは裁判を起こすが、相手側は百戦錬磨のベテラン弁護士バーシャム(ナーセル)を立てて徹底抗戦に挑む。果たしてニラーはクリシュナの元に戻るのか。

オープニングこそニラーを奪われたビシュヌの様子が描かれるけれども、その後物語は徹底してコミカルに展開してゆくところがいい。テーマから感じさせるような余計な湿り気が存在しないのだ。むしろ明るく暖かな雰囲気が全編を覆い、豊かな情緒でこれを描いているのは、ロケーションであるインド南部の風光明媚な風土と柔らかな陽光、そこに住む気さくで開放的な人々の賜物だろう。深刻な問題を孕みつつも、決して暗く深刻ぶることなく、それを家族の繋がりとコミュニティーにおける互助精神で解決しようとする。前向きで楽観的なのだ。これはもう、インド映画であることの勝利としか言いようがない。インドには欧米キリスト教圏におけるキリスト教的な「原罪」や「個人主義」が存在しない、そういった部分にこの明るさと楽観性があるのではないかとよく思う。

そしてこれら明るさと軽やかさを可能にしているのは、登場する俳優たちの力量に負う所も大きいだろう。ヴィシュヌを演じるヴィクラムは、障碍を持つ者の痛々しさを感じさせることなく、むしろ優しさと純粋さを持ち、豊かな愛情に満ち溢れたキャラクターを圧倒的な演技で演じ切る。表情もいいが、どこかぬぼっとした大男であるところもどこか安心感と安定感を感じさせる。そしてその娘ニラーを演じるベイビー・サーラーだ。この子の可愛らしさは格別すぎる。観る者は「この子は絶対守ってやらなきゃ」と父ヴィクラムに成り替わって感じてしまうだろうし、この子を奪われたことの喪失感もヴィクラムと同じように感じてしまうだろう。この二人のやりとりを観ているだけで幸福感に満たされてしまうほどだ。さらに弁護士アヌの真摯な正義漢、弁護士ヴィノードの徹底したコミカルさ、弁護士バーシャムの憎々しさ、そして彼らに限らず多くの登場人物の明快にコントラスト分けされた個性が物語を豊かで奥深いものにしている。

確かに、どれほど豊かな心を持っていようと、深い愛情で結ばれていようと、知的障碍者に果たして親権を持たせられるのか、子供を問題なく育てることができるのか、ということを現実的に考えてしまえば、これは楽観的だけで済まされる話ではない。しかしむしろ、これはピュアな心を持ち、それだけで生きざるを得ない者が、現実の厳しさと何を持って対峙するのか、という一つのファンタジーとして観るのが正しいのだろう。そして、時としてファンタジーは、現実逃避の手段ではなく、現実を乗り越えるための方法を、人に教えてくれるものなのだ。そういった部分で、これは決してお涙頂戴の親子物語ではなく、美しい心が現実を乗り越える物語であることが、きっと観る者に伝わってくるはずだ。

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神さまがくれた娘 [DVD]

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20160705(Tue)

[][]お母さんは同級生!?〜映画『Nil Battey Sannata(ニュー・クラスメイト)』 お母さんは同級生!?〜映画『Nil Battey Sannata(ニュー・クラスメイト)』を含むブックマーク お母さんは同級生!?〜映画『Nil Battey Sannata(ニュー・クラスメイト)』のブックマークコメント

■Nil Battey Sannata (ニュー・クラスメイト)(監督:アシュヴィニー・アイヤル・ティワーリー 2016年インド映画)

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「ええっ!?お母さんが同級生になっちゃうのっ!?」という2016年に公開されたインドのコメディ・ドラマです。「お母さんが同級生」とは言っても”お父さんが結婚したのが同級生だった”とかいうお話ではありません。自分のお母さんがホントにクラスの同級生になっちゃう、というお話なんですね。いったいこの親子に何があったのでしょう?主演は『Tanu Weds Manu』(2011)『Raanjhanaa』(2013)のスワラー・バースカル、共演に『Khoobsurat』(2014)『Kapoor & Sons』(2016)のラトナー・パータク。監督はこれがデビュー作となるアシュヴィニー・アイヤル・ティワーリー。

《物語》シングルマザーのチャンダー(スワラー・バースカル)は貧しい暮らしの中、15歳になる一人娘アプー(リヤー・シュクラー)を女手一つで育てていました。しかしこのアプー、勉強がまるで駄目で特に数学は壊滅的。勉強しなさい!と叱るものの、「お母さんとおんなじメイドになるからいいもん!」と口答えする始末。家庭教師は無理だし勉強を教えられるほど自分も賢くない。悩みに悩んだお母さん、奉公先のジワン(ラトナー・パータク)の提案である行動を起こします。それは生徒として娘と同じクラスに通うこと!そして嫌がる娘にこう言います。「数学で私よりいい点を取りなさい。だったら学校に行くのを止めるから」。こうして、娘と母の勉強合戦が始まるのです。

勉強しない子供とそれを叱る親、どこの世界でも家庭の事情は一緒ですねえ。しかしこのドラマは、そんなありふれた光景にずっと切迫感が込められています。それはインドの貧困問題です。主人公となるお母さんはシングルマザーで、メイドだけでなく一日中いろんな仕事を掛け持ちしてやっと家計を維持できる、いわば低賃金労働者です。それはとても大変な事でしょうが、愛する我が娘を立派に育てるために労苦を厭いません。彼女は自分と同じ辛い思いをさせたくないからアプーに勉強しなさい!と叱咤するんです。しかし親の心子知らず、反抗するわ遊びまわるわで全く言うことを聞かない始末。それでお母さんは一計を案じ……というのが今回の物語なのですが、それが「同級生になっちゃえ!」と斜め上の方向に行っちゃうところがユニークなんですね。

理屈としては妙なんですが、「同じクラスに通う母子」というシチュエーションの面白さがそれを力技でねじ伏せちゃうんですね。なにより、15歳の娘がいる主婦の筈なのに、制服を着て教室に座っているとそんなに違和感を感じないんですよ。せいぜい上級生ぐらいにしか見えない。しかも、クラスメイトとなる少年少女たちがそれを普通に受け入れちゃっているばかりか、友達までできちゃうじゃないですか!有り得ないようなシチュエーションの筈なのに、「あ?ありなのか?」と観ているこっちも思いこまされちゃう。フィクションというのは要するに嘘なんですが、この「嘘」のつき方がとても巧い。こういったところが非凡なドラマなんですよ。で、クラスでは親子ということを隠している。だけど、アプーがクラスで叱られているとチャンダーはやっぱり心を痛めている。こういった描写もいい。

「勉強ばかりが人生じゃない」という言い方もあるかもしれませんが、ことインドに関しては、貧困から抜け出すにはやっぱり勉強するしかない。チャンダーがアプーに勉強勉強とうるさいのは、それはアプーに幸福になってもらいたいからです。それはチャンダーがアプーを愛していればこそなんです。そんな母親の気持ちをアプーは理解できるようになるのか?というのがこの物語の見所となります。また、こういった物語の他に、日々のささいな情景、インドの日常の風景、そんなものがとても美しく表現されている映画でもあります。鉄橋の掛かる川の河辺で洗濯をするチャンダーの様子、狭く貧しい家だけれども親子二人身を寄せ合って暮らす生活のささやかさ、そういったものが暖かく身に迫ってくる作品でもありました。

そしてこの作品、日本公開されやすい要素が沢山あるんですよ。まず母子の物語であり、女性が主人公であること、さらに教育がテーマであり、現代劇であること、物語の背景に貧困があり、その貧困の中で懸命に生きる人々の物語であること、それが湿っぽくなく、明るく軽やかに描かれること、展開が分かり易く、コミカルであること、等々。そもそも「お母さんが同級生」というストーリーはとてもキャッチーだと思うんですが。日本公開され易いインド映画は女性映画的な側面を持った作品が多いような気がしますが、この作品などはまさにそうじゃないでしょうか。煌びやかなインド映画が好きなインド映画ファンには物足りないかもしれませんが、2016年公開作という新鮮さも併せ、一般公開されそうな作品でしたね。…と思ってたら7月17日・20日に【SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016】で『ニュー・クラスメイト』のタイトルでの公開があるようですね。興味の湧いた方は是非どうぞ。 

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20160704(Mon)

[]アリスが時を遡るファンタジー・スト―リー〜映画『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』 アリスが時を遡るファンタジー・スト―リー〜映画『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』を含むブックマーク アリスが時を遡るファンタジー・スト―リー〜映画『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』のブックマークコメント

アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅 (監督:ジェームズ・ボビン 2016年アメリカ映画)

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1.

この『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』は前作から3年後のアリスが主人公となる。

おさらいすると、前作『アリス・イン・ワンダーランド』ではアリスが幼い頃に体験した「不思議の国」での冒険から13年後が舞台となり、望んでもいない婚約パーティから逃げ出したアリスが再び「不思議の国」へ迷い込み、マッドハッターら仲間たちと協力しあいながら「不思議の国」を支配する赤の女王を打ち倒す、という物語だった。そしてこの物語を、オレはアリスの深層心理の世界を描いたものだったんじゃないのかな、と思った。

『不思議の国』と名付けられたこの世界は、アリスの深層心理の世界だ。その世界における白の女王と赤の女王の戦いは、善と悪の戦いなのではない。血の繋がった姉妹である赤と白の女王のその性格は、実は1つのパーソナリティーの内面と外面なのだ。それは無意識と意識であり、アニマ・アニムスとペルソナであり、幼児性と社会的成人なのだ。つまりこの戦いは、子供から大人になろうとしている少女アリスの成長の葛藤なのであり、結果的に白の女王は勝利するが、それは社会的自己を確立するための通過儀礼ではあっても、決して内面や無意識や幼児性を否定するものではない。なぜなら、白の女王その人もまた、不思議の国の住人ではないか。人はいつか大人にならなければならないものだけれども、それは子供であったことを捨て去るといったことではない。子供であった頃を内包しつつ、人は大人になるのだ。

深層心理の国のアリス〜映画『アリス・イン・ワンダーランド』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

2.

1作目は大人になろうとするアリスの、その精神的葛藤が不思議の国での戦いという形になって現れたのだろう。一方、この『時間の旅』におけるアリスには、「現実世界との戦い」が、みたび不思議の国に彼女を連れ戻すきっかけになったのだ。それは前作でアリスが求婚を退けた貴族の御曹司ヘイミッシュの汚らしい企みだ。アリスは父の形見である船を手放さねばならぬ危機に陥れられたのだ。さらに「女は家にいるべきもので、大航海など似つかわしくない」といった蔑視がそこにはあった。そんな状況の中にあるアリスが今回旅した不思議の国では、前作での盟友マッドハッターが瀕死の状態に至っている。マッドハッターを救う為には、時間を遡り過去を改編するしかない。その為には時の番人タイムの領地に忍び込み、時を操る"クロノスフィア"を奪う必要があった。

さてこの『時間の旅』、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を原作にしているように見えて、実際内容は殆ど関わりのないオリジナル・ストーリーであると思っていいだろう。けれどもその分、原作の制約を抜け出た新しいファンタジー作品として観れば問題はないし、オリジナルであるからこそ斬新な物語展開を成しえていたように思う。それは日本版タイトルにある「時間の旅」にまつわるファンタジー・ストーリーであり、その中心となる時の番人タイムの領地の、暗く冷たいメカニカルなビジュアルと、アリスが手に入れた航時機クロノスフィアによる、巨大な「時の海原」を乗り越えてゆくスペクタクルがこの作品の見所となるだろう。

3.

今作は確かに、前作でティム・バートンが手掛けたファンタジー・ワールドの狂ったようにカラフルな楽しさはないかもしれない。全体的にビジュアルもお話も暗めで、さらに破滅の匂いすらする。しかしこれは、前作がその根底にあったものが「子供から大人になることの葛藤」だったのと比べると、今作の根底にあるのは「現実との戦い」である以上、暗くならざるを得なかったのではないか。そして、不思議の国でアリスが戦う相手は「時間」なのである。それは「死」との戦いですらある。

さらに今作では、マッドハッターが死の病に臥せっており、全く活躍しないキャラクターであるばかりか、登場する「不思議の国のキャラクター」も、添え物程度の登場で、殆ど物語に寄与しない。逆に一人気勢を挙げているのは赤の女王ぐらいである。だがこれも、この物語が「大人になったアリスの物語」である、ということの証拠なのではないかと思う。今作のアリスは、「不思議の国を彷徨い歩く少女」ではない。友の為に危険を顧みず行動し、自らその運命を切り開いてゆく「大人の女」である。もう"不思議ちゃんな子供"でない彼女に、「不思議の国のキャラクター」はいらない。こんなアリスを演じるミア・ワシコウスカも、前作から十分に成長し経験を積んだ女優になったな、ということがありありとうかがえる。

そういった部分で、ファンシーさを極めた前作と比較すると見劣りする部分があることは認めるけれども、一個の別なファンタジー作品として観るなら、これはこれで非常に楽しく、妖しい美しさに彩られた、とても完成度の高い作品なのではないかとオレは思ったけどな。ただひとつ、あの素っ頓狂な顔とルックスをしたマッドハッタ―の家族というのが、なんだかどうにも普通過ぎるのだけはちょっと納得できなかったが。

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不思議の国のアリス (角川文庫)

不思議の国のアリス (角川文庫)

鏡の国のアリス (角川文庫)

鏡の国のアリス (角川文庫)

yoyoshi yoyoshi 2016/07/05 11:34 アラン・リックマン様の遺作になってしまって。蝶の中の人。風間賢二先生によると、大学のゼミでアリスを取り上げるとテニスンの挿絵を気味悪がる生徒さんが多いそうです。英語の教科書でアリスの原文とテニスンの挿絵に触れた世代なので隔世の感。これからの世代はジョニー・デップの映画がデフォになるのでしょうか?

globalheadglobalhead 2016/07/05 23:16 いやむしろゲーム『アリス マッドネス・リターンズ』のゴスなビジュアルをデフォにしたいですね。
http://d.hatena.ne.jp/globalhead/20110804/p1

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20160701(Fri)

[][]シャー・ルク・カーンがインド一の大悪党を演じるアクション映画『DON 過去を消された男』 シャー・ルク・カーンがインド一の大悪党を演じるアクション映画『DON 過去を消された男』を含むブックマーク シャー・ルク・カーンがインド一の大悪党を演じるアクション映画『DON 過去を消された男』のブックマークコメント

■DON 過去を消された男 (監督:ファルハーン・アクタル 2006年インド映画)

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2006年に公開され大ヒットしたシャー・ルク・カーンのアクション大作『DON 過去を消された男』、やっと観ました。実は続編である『DON ベルリン強奪作戦』(2011)は観ていたんですが、「まあまあかなあ」程度の感想だったもんですから、1作目は観なくてもいいやあ、と思ってたんですよ。ただこれはインド映画に慣れ親しむ前に観た時の感想なので、今もう一回観たら絶対評価が変わる気がします。また観てみようかなあ。ちなみにこの作品、2008年に日本公開されていて、DVDは廃盤のようですがレンタルで探せば日本語字幕付きのを観ることが出来ますよ。

そんな1作目をなんで今観ようと思ったかと言うと、この間アミターブ・バッチャン主演によるオリジナル作品『DON』(1978)を観たからなんですね。インド映画ファンにはお馴染みなんですが、この『過去を消された男』はアミターブ主演の『DON』のリメイク作なんですよ。このオリジナルとリメイクはどう違うのかな?と比較して観たくなってしまったという訳です。

《物語》マレーシアを拠点に巨大な犯罪組織を築き上げていた男ドン(シャー・ルク・カーン)は明哲な頭脳と酷薄な性格で恐れられていた。ドンを捕えるべくインド警察のデシルバ(ボーマン・イーラーニー)は厳戒態勢を敷き、インドに潜入していたドンを遂に拘束するが、その時ドンは瀕死の重傷を負い、病院で死亡していた。そこでデシルバはドンの組織を壊滅させるためある計画を秘密裏に遂行する。それはドンに瓜二つの男ヴィジャイ(シャー・ルク・カーン二役)をドンの替え玉として組織に送り込むことだった。しかし、この計画をただ一人知るデシルバが命を落とし、ヴィジャイはドンとして警察に追われることになる!

物語にはさらにインターポールのマリク(オーム・プリー)、ドンに恋人ラメーシュを殺されたカーミニー(カリーナー・カプール)、さらにラメーシュの妹ロマ(プリヤンカー・チョープラー)、そしてマリクに恨みを持つ男ジャスジート(アルジュン・ラームパール)が登場し、復讐と陰謀の渦はますます深まってゆく、という作品になっているんですね。製作・脚本・監督はファルハーン・アクタル、この人実は日本でも公開された名作スポ根映画『ミルカ』の主演も務めたという才人なんですよ。

粗筋から分かるようにこの作品、「瓜二つの別人」が登場してサスペンスを盛り上げるという、いわゆるドッペルゲンガー・ストーリーになっているんですね。いやーこのブログで何度も書いたような気がしますが、インド映画ってホンット、ダブルロール好きですよねえ。安易とか何とかいうよりも、インド人にとってのフィクションの基本なんでしょうかねえ。このジャンルの作品だけ並べてもリストひとつ作れそうですよ。とはいえ、決して陳腐に陥ることなく作品を面白く作っているんですから流石です。

まずこの作品、物語構成が実に巧みな複雑さを持っているんですね。まず犯罪王ドンの冷酷無比さを描き、そんなドンに復讐を誓い組織に潜入するロマの怨念と、組織壊滅の極秘計画を遂行するデシルバの思惑が絡みます。そして替え玉となったにもかかわらず組織からも警察からも追われてしまうヴィジャイの逃走劇が展開してゆきます。さらにその外側で一匹オオカミのジャスジートが怪しげな計略を巡らせている。こんな具合に物語は非常に錯綜していて予測困難であり、これらが否応なしにサスペンスを盛り上げてゆくばかりか、驚く様などんでん返しすら用意している、という作品なんですね。

とはいえそんな緊迫した物語にもかかわらず、インド映画お得意の歌と踊りがきちんと配されているんですが、実はこれがまた作品にゴージャスさとクライム・ストーリーならではの色気を加味していて、全然ちぐはぐさを感じさせないんですね。悪の帝王と追われる男、という二つのシリアスな役柄を演じるシャー・ルクは絶好調の演技を見せ、彼の周囲で暗躍する女ロマ役のプリヤンカーもクールで危険な女を手堅く演じ、とても魅力的でした。いやあ、この作品観て「プリヤンカーに蹴られたい…投げ飛ばされてみたい…」としみじみ思ってしまいましたよ(なんじゃそりゃ)。

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DON ドン -過去を消された男- [DVD]

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boxofficecollectionboxofficecollection 2016/07/03 21:06 If you want to know about the World Wide collection of movies then <a href="http://www.totalboxofficecollection.in/">box office collection</a>

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