二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ〜映画『その名にちなんで』

■その名にちなんで (監督:ミーラー・ナーイル 2007年インド/アメリカ映画)


日本でソフト・リリースされているインド映画をちまちま消化していっているが、インド/アメリカ製作作品であるこの『その名にちなんで』はタイトルを知りつつもなんだかすぐ手に取る気がしなかった。粗筋を読んでも、なんかこう「売り」というか、「観てみたい!」と思わせるものがあまりなかったのだ。それが最近、インド系アメリカ作家のジュンパ・ラヒリの小説を読む機会があり、同じ作者の原作であるということを知ってやっと観る気が起こったという訳である。
とはいえ、俳優や監督は実は非常に充実している。主演がハリウッド映画でも引っ張りだこのインド俳優イルファン・カーン、その共演としてインドの名女優タブーが出演する。監督は『サラーム・ボンベイ!』のミーラー・ナーイルだ。ミーラー・ナーイルは他にも日本で観られるソフトが多く、ひょっとしたら日本で一番一般に紹介されているインド人監督かもしれない。ミーラー・ナイールの幾つかの作品は「2016-06-01 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール」で紹介されているので参考までに。
物語はあるインド人家族2世代を描いたものだ。最初の舞台は70年代のインド。ここでコルカタ生まれで現在アメリカに学ぶアショケ・ガングリー(イルファン・カーン)が、インドに戻ってお見合いする様が描かれる。相手の女性の名はアシマ(タブー)。二人は結婚してアメリカで生活することになり、やがて男の子をもうける。その時この子には「ゴーゴリ」という名が付けられる。17世紀ロシアの作家、あのゴーゴリだ。これには訳があって、かつて列車事故に遭ったアショケがたまたま手にしていたゴーゴリの本が目印になり助かった、という経緯があったのだ。しかしその子が大きくなり、この名前を嫌い、ニキル(カル・ペン)と名を改めることになる。ニキルは建築家として成功し、恋人とも幸せな毎日を送っていた。そんなある日、アショケが病に倒れてしまう。
こうした粗筋だけからだとこの作品のテーマや面白味が伝わらないだろうし、タイトル『その名にちなんで』や原題である『The Namesake("名前をもらった人"の意らしい)』が意味が通じ難いだろう。この作品はインドで生まれアメリカに住むことになったアショケとアシマ、そしてアメリカで生まれたがインドの血を持つニキル/ゴーゴリの物語である。いわゆる「印僑」の人々を描いた物語だ。彼らがインド/アメリカという二つの国にそのアイデンティティを分裂させたまま生きざるを得ないことの葛藤がこの作品のテーマだと言っていいだろう。彼らは二つの故国を愛しつつ、同時に自分が真に属すホームグラウンドがどちらなのか、常に心を揺れ動かせながら生きることを余儀なくされているのだ。
そのアンビバレンツはアショケとアシマの息子がニキル/ゴーゴリという二つの名前を持つことに端的に表れている。ニキルはアメリカで生まれアメリカ人としての人生を謳歌する青年だ。一方ゴーゴリは、インド人である父が願いと思いを込めて付けた名である。「ゴーゴリの本」で命を救われたアショケにとって、それは単なるロシア人作家の名なのでは無くて、「自分がなぜ今の生を全うできたのか」「その生をどのようにして次の世代に繋いでゆくのか」という意味が込められているのだ。その生とはアショケの血筋ということであり、インドの血ということでもある。アメリカ人である「ニキル」としてインド人である「ゴーゴリ」を否定したニキル/ゴーゴリは、ある日父のそんな思いを知り、「ゴーゴリ」としての、即ちインド人としての自らのアイデンティティを見出すのだ。
原作者であるジュンパ・ラヒリはイギリスで生まれたインド移民の娘であり、後にアメリカに渡って作家として大成したインド系アメリカ人である。現在はイタリアに渡り生活しているとのことだが、それもイタリア語がベンガル語に近い響きがあるからなのだという。どこに住もうと彼女もまた自らの"血"を否応なく感じているのだ。一方監督であるミーラー・ナイルはインドに生まれてからアメリカに渡り、欧米資本ながらインドを舞台とした映画を多く撮った監督でもある。彼女の場合は欧米にいながら懸命に"インド的なもの"を模索しようとしているように感じる。そんな二人の内面にある"二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ"を描いたのがこの作品なのだろうと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=Z-27dshhQl0:movie:W620

その名にちなんで (新潮文庫)

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外套・鼻 (岩波文庫)

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