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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20161130(Wed)

[]『水曜どうでしょう』DVD第25弾・「深夜バス」と「試験に出る」を観た 『水曜どうでしょう』DVD第25弾・「深夜バス」と「試験に出る」を観たを含むブックマーク 『水曜どうでしょう』DVD第25弾・「深夜バス」と「試験に出る」を観たのブックマークコメント

■水曜どうでしょうDVD第25弾「5周年記念特別企画 札幌〜博多 3夜連続深夜バスだけの旅/試験に出るどうでしょう 日本史」

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水曜どうでしょうDVD第25弾は「5周年記念特別企画 札幌〜博多 3夜連続深夜バスだけの旅/試験に出るどうでしょう 日本史」である。タイトル長い。要するに「深夜バス」と「試験に出る」のカップリングということである。

最初に「深夜バス」。どうでしょうといえば深夜バスだが、今回は5周年記念ということで原点に戻って"究極の深夜バスツアー"を敢行することになった。それは札幌〜博多間を深夜バスだけで走破するという無謀な、そして全く意味の無い企画である。札幌〜博多間深夜バスなどというものは存在しないので、これは3台のバスを乗り継いで行くことになる。まず札幌〜函館。青森〜東京。最後に東京〜博多。これを金曜夜から月曜朝まで乗り続けるのだ。過酷である。あまりにも過酷である。ケツが鉄筋コンクリート化してしまうに違いない。だがそんな労苦に何一つ意味が無いのだ。無情である。悲惨である。そして深夜バスという縛りなので昼間は移動しない。ひたすら非効率だ。さらに撮影スタッフは同乗せずバスの後ろを追ってゆくだけだ。……おいおい!バスに乗る鈴木さんと今泉が全く写せないじゃないか!?……なんというでたらめな企画であろうか。しかしそのしょーもなさで笑いを取るどうでしょうメンバーはもはや神懸かりだ。何も考えて無いともいうが。このどうでもよさがどうでしょうの魅力だ。

続いて「試験に出るどうでしょう 日本史」。今回は織田信長を中心とした戦国時代を学ぶのらしい。どうでしょうメンバーは織田信長にゆかりの深い地を探索しながら戦国時代に思いを馳せるのだ。ところでかくいうこのオレ、学校では歴史関連が全くダメだった。歴史に何の興味も湧かず、何が面白いのかさっぱり分からなかったからである。誰が何をどうしたって?どうでもいいよ!と思っていたのである。さらに暗記必須という科目であることもダメだった理由だ。オレは暗記が皆目ダメなのである。暗記しようとすると拒否反応が起こり頭痛がして動悸は早くなり手足は痺れ口からは滝のように涎が流れるのである。試験の結果は推して知るべしである。しかし大人になってから歴史の大切さと面白さを知り自分で調べて覚えるようになった。何事も面白いと思わないとやらない人間なのである。そんな訳で今回の日本史編も大変興味深く眺めていた。面白かった。しかし、クライマックスに出される試験では、オレも一緒になって考えたが、結局何一つ覚えていなかった。

購入はこちらで。

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20161129(Tue)

[]今度の戦いは太陽系全域だ!〜ゲーム『コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア』 今度の戦いは太陽系全域だ!〜ゲーム『コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア』を含むブックマーク 今度の戦いは太陽系全域だ!〜ゲーム『コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア』のブックマークコメント

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年末になると必ずやってくる寅さん映画のような(もうやってねーっつーの)ゲーム、『コール オブ デューティ』シリーズ最新作でございます。今回のタイトルは『コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア』、オレは『CoD』シリーズは「とりあえず出たらやる」を繰り返してきたので一体何作目になるのかすっかり定かではありません。ちょっと調べましたが去年が『コール オブ デューティ ブラックオプス3』でその前が『コール オブ デューティ アドバンスド・ウォーフェア』でしたか。なるほど。もうストーリーなんか覚えてませんよ。とりあえず銃構えてドンパチやるだけですから。

で、今回の『CoD:IW』、なんと宇宙が舞台です。いや確かにこれまでも(多分『コール オブ デューティ ゴースト』あたり)宇宙ステーション&スペースシャトルで銃撃戦みたいのはありましたが、今作では「太陽系全域に版図を広げた人類」がドンパチおっぱじめる、というお話になります。『CoD』に限らず"近未来戦"が扱われるようになってきたミリタリーFPSですが、ここに来て遂に"近"ではない"未来戦"なんですな。もちろん宇宙を舞台としたSFタイプのFPSは『ヘイロー』をはじめこれまでも存在しましたが、これらはSFを前提として製作されておりましたけれどこの『CoD:IW』はあくまで"ミリタリー"であることに主眼が置かれております。

「どっちだっていいだろ」と言われそうなややこしい話ではありますが、『CoD:IW』は"未来戦"ではあってもSFストーリーをやろうとしているのではなくて、これまでのミリタリーFPSの舞台をそのまま宇宙に移し変えただけのものであるというのが正確です。ミリタリーFPSもいろいろ面倒臭くて、世界大戦やベトナム、アフガンなど史実を舞台にした戦争ものはあれこれ作られてきましたが、現代〜近未来を舞台にしようとすると"敵"となるものの扱いに対してデリケートになってきてるんですな。これまでも現代〜近未来の"敵"としてテロ組織や急進派軍事組織、民間軍事会社なんてのが出てきましたが、あんまり現実とリンクしすぎると政治的商業的にあれこれ面倒なのでしょう。そこでぜ〜んぶ架空の未来の戦いにしてしまえば面倒事がないというわけです。それによる今回の『CoD:IW』ではないかと思うんですけどね。

というわけで未来が舞台となる今回の『CoD:IW』、国際宇宙同盟連合(UNSA)と、反抗勢力の「Settlement Defense Front」(SetDef)の2つの陣営が戦いを繰り広げるというお話になっています。ゲームをはじめるといきなり木星の衛星エウロパでの軍事作戦が始まりびっくりさせられます。戦いはあらゆる惑星とその宙域で用意されており、白兵戦のみならずスペースシップを駆っての敵空母襲撃、また惑星に点在する敵施設の爆撃なんてのも行います。ロボットなんてのも当たり前にいて、ヒューマノイド・タイプのものから戦車級のものまで登場しちゃいます。空母なんてスペースジャンプまでしてしまいます。しかし未来戦とはいえあまり突飛な武器は登場せず、せいぜいエネルギー銃とか無重力爆弾ぐらいなものでしょうか。この辺、あくまでミリタリーFPSであることは外してないんですね。

だからといってつまらないということではなくて、「舞台は変わったがやることはこれまで通りの『CoD』」として安心してプレイできるクオリティではあるんですね。ただどうしても「ぜ〜んぶ架空の未来の戦い」になってしまうと血生臭さといいますが戦いの重みやその背景にある暗さというのが全く無くて、例えばこの間発売された『バトルフィールド1』が舞台を第一次世界大戦に移しただけで相当の血生臭さと歴史の重みを感じさせてくれたものになったことと比較すると、「ぜ〜んぶ架空」であることのしがらみのなさを払拭するのが実はシナリオの重要さということなんではないかと思いましたね。やはり同じく最近発売された『タイタンフォール2』にしても、全部架空のSFドラマではありますがシナリオや舞台設定、キャラ設定の面白さがゲームを引き立てていたと思うんですけどね。こうしてみると今回の『CoD:IW』、決して悪いゲームではないし十分楽しんでプレイしているんですけど、今後の展開はちょっと苦戦するんじゃないかな、と思えましたね。

で、この今回の『CoD:IW』、ソフトによって『コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア リマスタード』のダウンロード・コードの付属した『CoD:IW レガシーエディション』というのが発売されているんですね。この『CoD:MW』、2007年に発売されたゲームですが、『CoD』シリーズの名作中の名作といっていいゲームなんですよ。発売当時自分はPCでプレイしてましたが、革新的なシナリオに度肝を抜かれましたね。これのHD化された『リマスタード』、やってみましたがやはり素晴らしく面白い。畳み掛けるような戦闘に次ぐ戦闘、後から後から湧きまくり時として包囲までしてくる敵、久しぶりの『CoD:MW』でしたが最初プレイしたときの緊張感と驚きがそのまま蘇ってきましたよ。あーそっかあ、『CoD:IW』に足りないのはこの「死の恐怖」なのかなあ、と同じメーカーの製品自体が反面教師になってしまっているという皮肉な部分を目にしたような思いでしたね。『CoD:IW』購入を考えてる方はちょっとお高くなりますが『レガシー・エディション』を是非購入してもらいたいですね(今回もゾンビモードがありますが手が回っていません・・・・・・悪しからず)。

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20161128(Mon)

[]大日本帝国軍アメリカ征服!巨大ロボット出撃!オタクネタ満載!〜『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』 大日本帝国軍アメリカ征服!巨大ロボット出撃!オタクネタ満載!〜『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』を含むブックマーク 大日本帝国軍アメリカ征服!巨大ロボット出撃!オタクネタ満載!〜『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』のブックマークコメント

■ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン / ピーター・トライアス

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第二次大戦で日独の枢軸側が勝利し、アメリカ西海岸は日本の統治下にある世界。巨大ロボット兵器「メカ」が闊歩するこの日本合衆国で、情報統制を担当する帝国陸軍検閲局勤務の石村紅功(いしむら・べにこ)大尉は、特別高等警察の槻野昭子(つきの・あきこ)の訪問を受ける。槻野は石村のかつての上官、六浦賀(むつらが)将軍を捜していた。軍事ゲーム開発の第一人者の将軍が消息を絶っているというのだ――21世紀版『高い城の男』の呼び声が高い、話題沸騰の改変歴史SF

■攻めの姿勢の早川書房!

第2次世界大戦で枢軸側が勝利し、日本がアメリカ西海岸を支配するもう一つの世界。期待の新人作家ピーター・トライアスによるSF長編作品『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』は、鬼才フィリップ・K・ディックが描く全く同じテーマを持つSF名作『高い城の男』に真っ向から挑戦状を叩きつけたのかと思わせる作品であり、ディック好きのオレとしては大いに盛り上がったわけである。しかも版元の早川書房では"新☆ハヤカワ・SF・シリーズ"と"ハヤカワ文庫SF"で同時発売というではないか。おおなんだか力が入っているぞ。攻めの姿勢だぞ早川。SFマガジンも隔月発売になってしまったしここは攻めて行かないとな早川。

さてSFシリーズと文庫のどっちを買おうかと思ったが、上下巻で刊行されているが両方の価格足してもSFシリーズより安い文庫のほうにした。しかし実際手にしてみるとこの文庫、値段の割に薄い……1冊1000円ぐらいするのに300ページぐらいしかない。しかも本を開くと微妙に字が大きい。う〜ん出版不況は分かるが謀ったな早川。攻めの姿勢は分かるがこんな所で攻めなくてもいいぞ早川。

■サービス満点な日本描写!

そんなことをブツクサ言いつつ読み始めたが、これが結構いい感じだ。アメリカを征服した日本の文化の描き方は流石に「勘違い日本」ぽくもあるが、そんな些末なことでガタガタ言う程オレは心が狭くない。むしろその奇矯さが楽しく感じるし、そもそも時間軸の異なった宇宙での日本文化なのだからそれが奇異に見えるのは当たり前じゃないか。しかも押える所はきちんと押さえてあって、「どうしてこんなこと知ってんの?」と思ってしまう程日本の事を細かく調べ上げているのがわかる。「伊勢神宮は20年毎に建て替えられている」とかさ。

そして読み進めていくと、最初に想像していたディック的な不条理劇とは違うアプローチで並行世界を描こうとしているのが分かってくる。なんというか、P・K・ディックというよりも、"クール・ジャパン"に侵略されたアメリカの光景をラノベ・テイストで描いた作品に思えるのだ。しかしラノベという言葉から連想する低年齢向けの作品というわけではなく、日本のアニメやコミックやゲームの膨大なディテールがサービス精神満杯で散りばめてある部分でそう感じるのだ。「これって"艦コレ"じゃないの?」と思ったり「これ”スペース・コブラ”のサイコガンだよね?」と思ってしまう場面が頻繁に登場する。

そして極めつけは巨大ロボットの登場だろう。しかも太平洋戦争において既に日本が投入していた、という唐突さで腰を抜かした。正直この巨大ロボの登場には何の必然性もないのだが、「いやだって日本と言えば巨大ロボだしロボ登場させれば間違いなく盛り上がるし」などという作者のなし崩し的な策略に、こちらとしても「よしよし乗ってやろうじゃないか」という気にさせられるというものだ。実のところロボ絡みのエピソードはそれほどないし、物語の中心的なものでもなんでもないから、ロボをメインに押し出した表紙は微妙に詐欺っぽいのだが、そこは早川の攻めの一手ということなのだろう。早川さん……おそろしい子……!!

■グロテスク描写満載!

登場人物も少々毛色が変わっている。まず主人公の一人、帝国陸軍検閲局勤務の石村紅功。物々しい勤務先だが、実は国威掲揚ゲームの製作者で、さらにコンピューターのエキスパート。だが見てくれは腹の出た中年で、出世の見込みが皆無のスーダラ軍人。一方、特別高等警察の槻野昭子は筋金入りの特高で、常に目が三角で血管ブチ切れ気味の狂犬みたいな女。ハイテク知識を生かし常にからめ手で難局を乗り越える石村と、邪魔者は四の五の言わずとりあえずぶっ殺す槻野との、あまりにかけ離れたコンビによる行動が見ものだろう。

物語はこの二人が、敵に寝返ったとみられる失踪した将軍を捜索するというもの。そこで彼らが見ることになるのは、覇権国家日本の横暴とそれに対抗するアメリカ人レジスタンスとの戦いだった。そしてこの「覇権国家日本」を現実の「派遣国家アメリカ」と読み替えるとまた違った面白さがある。”クール・ジャパン”のキッチュな文化描写とは裏腹に、主人公二人が足を踏み入れるのはどこまでも不条理で暴力的なアンダーグラウンド・ワールドだ。物語では殺戮と肉体破壊描写が徹底的に描かれ、最初のイメージとはまるで違うグロテスクさが横溢する。まあしかしこれはこれでまた面白い。作品的には名作問題作といった類のものではないが、OTAKUネタ満載の怪作として十分楽しめるだろう。

■追記

うおおお〜〜ッ!このレヴューをツイッターでリンクしておいたら作者ピーター・トライアス本人からリプ貰ったぁ〜〜ッ!!

yoyoshi yoyoshi 2016/11/28 12:29 表紙絵を見たらパシフィック・リムとかガンダムとかエヴァを思い浮かべてしまいます。でも、ちょっと違うような。主人公とヒロインの過去にシュンとしてしまい・・・。ゲームが重要な位置を占めるSF映画で「ニルヴァーナ」を思い出しました。

globalheadglobalhead 2016/11/28 21:00 主人公の一人、特高の槻野は作中ちょっとぐらい女っぽいところを見せるのかと思ったら全くでしたね。訳文のせいもあるのでしょうがずっと男みたいな女性でした。

20161125(Fri)

[]少年二人が発明した"夢の車"で冒険の旅が始まる〜映画『グッバイ、サマー』 少年二人が発明した"夢の車"で冒険の旅が始まる〜映画『グッバイ、サマー』を含むブックマーク 少年二人が発明した"夢の車"で冒険の旅が始まる〜映画『グッバイ、サマー』のブックマークコメント

■グッバイ、サマー (監督:ミシェル・ゴンドリー 2015年フランス映画)

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フランスを舞台に、14歳になる男の子二人の友情と冒険を描いた映画がこの『グッバイ、サマー』だ。これだけだと子供たちによるありふれた青春ドラマのように思えるけど、なんと監督はあのミシェル・ゴンドリーなのである。これはただで済む筈がない。

ミシェル・ゴンドリー。オモチャ箱をひっくり返したようなビジュアル・センスの監督で、結構お気に入りだ。PV集のDVDも楽しかったし『エターナル・サンシャイン』(2004)や『僕らのミライへ逆回転』(2008)も素敵な映画だったな。極めつけはボリス・ヴィアン幻想小説を映画化した『ムード・インディゴ うたかたの日々』(2013)だろう。悲痛な愛を変幻自在の映像で描いたこの作品はオレ自身の2013年日本公開作品ベスト作品にも推した(ええと、『グリーン・ホーネット』(2011)だけは勘弁して下さい……)。

そんなミシェル・ゴンドリーが描く14歳の青春とはどんなものなのだろう?そもそも"青春ストーリー"だなんてしゃらくさいし、自伝的ストーリーとは銘打っているけど、なんだか感傷的なだけだったりしないだろうか?などと若干の心配もあったが、いや全くそんなことはなかった。なんと主人公となる二人の少年、「家型の車」を作って旅に出るのである。「家型の車!?なんじゃそりゃ!?」と思われるかもしれない。いやしかし、ホントに「家型の車」なんですよ!?

物語を説明しよう。主人公の名はダニエル(アンジュ・ダルジャン)。ちょっと変わった性格の彼は、女の子みたいな容姿をしていることもあってクラスでは浮いた存在だった。家ではパンクな兄や意識の高い母親(なんとオドレイ・トトゥ!)にうんざりする毎日。そんな彼の生活が転校生テオ(テオフィル・バケ)の登場により一変する。決して周囲に溶け込もうとしないテオとダニエルはすぐに意気投合した。絵を描くことの好きなダニエルと、手先の器用なテオはまさにうってつけのコンビだったのだ。「親も学校も下らない!こんな毎日から逃げ出してやる!」そう決意した二人は、スクラップを集め「夢の車」を作って大冒険の旅に出ることを計画したのだ!

そう、そしてこの「夢の車」というのが↑のポスターに写っている「家型の車」なのである。なんで"家型"なのか?実は最初、車までは作ったのだけれど、よせばいいのに運輸局の許可を貰おうとして断られたのだ。「じゃあこうしよう。車体を家の形にするんだ。そしてもしも警察に見つかりそうになったら、道端に止めてあたかも最初から家だったかのように偽装するんだ!」子供の考えることとはいえ、いや子供の考えることだからこそ、なんとまあこの自由な発想!そもそも公道を「家型の車」が走ってたらそっちのほうが目立つに決まってんじゃん!とは思うが、田舎町だったからなのかなんなのか、二人の計略はまんまと成功し、かくして二人と「家型の車」とのロード・ムービーの始まり始まり!というわけなのだ。

この「家型の車」の登場により既にしてミシェル・ゴンドリーらしい稚気溢れる摩訶不思議さが漂っている作品だと言わざるを得ないだろう。ゴンドリーの自伝的映画とはいえ、ホントにこんな車を作ったのかどうかは定かではないが、少なくとも常にこういった自由な発想の中で遊び、そんな想像力を駆使した物作りの喜びに浸る少年時代であったろうことは、その後の活躍を見れば明らかな事だ。そしてそんなゴンドリーの少年時代に、テオのような無二の親友がおり、輝くばかりの夏を過ごしたであろうことも十分に伝わってくる。道中では様々な珍事件が起こり、それらのエピソードはどれもクスリと笑わせてくれる結末を迎え、またはしんみりとさせ、そしてそれらの体験が二人の友情をさらに篤くしてゆくのだ。そして物語ではダニエルのちょっとした恋の顛末までも描かれる。

オレは子供時代は、こんな車こそ作れなかったけど、一番近いのだと「秘密基地」だなあ。友達と集まって、木っ端やらその辺の廃物を持ち寄り、空き地の隅に「秘密基地」を作ったもんだった。そしてその「秘密基地」の中に友達と籠り、アニメや特撮ドラマの「秘密基地」を想像の中でそこに重ね合わせ、敵のスパイや怪人や宇宙人と戦う計画を練っていたのだ。空き地の隅っこだから秘密もなにもないんだけれど、そこで進行する妄想の中の出来事はなにより秘密計画で、そしてそれは友達同士の中でだけ分かち合われた"秘密"だった。ダニエルとテオが作った「家型の車」の中は、それは親や学校や乱暴なクラスメイトが決して立ち入ることの出来ない、あたかも「絶対領域」の如き心地よい世界だったに違いない。

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20161124(Thu)

[]オレ的戦争映画ベストテン! オレ的戦争映画ベストテン!を含むブックマーク オレ的戦争映画ベストテン!のブックマークコメント

■ワッシュさんの「戦争映画ベストテン」に参加するよ

ワッシュさんのブログ『男の魂に火を付けろ!』年末恒例企画である映画ベストテン、今年のお題である『戦争映画ベストテン』に参加したいと思います。

個人的には「戦争映画」というジャンルそのものに特に思い入れがあるわけでもないので、「戦争映画として優れている」というよりも「面白かった映画で戦争映画だったもの」のランキングになりました。ただそれだけだとポピュラーな作品ばかりになって面白くないので、ハリウッド作品を中心とする戦争と戦時下を描いた作品5作と、ヨーロッパ映画を中心とした戦争そのものから若干離れた表現のもの5作を選んでみました。それらは内戦を扱った作品、SF、コメディ、超現実的な作品、戦後の人々の心情を描いた作品が含まれます。

優れた戦争映画は数ありますが、自分は悲惨さのみを取り上げた作品というのはどうも苦手で、こうして並べてみると戦争それ以外のドラマがある作品が多かったような気がします。それでは行ってみよう!

■1位から5位

第1位:地獄の黙示録 (監督:フランシス・フォード・コッポラ 1979年アメリカ映画)

コッポラのあまりに有名なこの作品、冒頭の凄まじさこそ目を引きますが、後半にいけば行くほどグダグダになってゆく啞然とするような映画でしたね。しかし何度も観ていると、後半のこのグダグダこそが面白い。戦争そっちのけでインナートリップしてゆくんですよ。戦争の狂気だの不条理だのといったお題目よりも、このいびつさと混乱をそのまま映画にしちゃったところが凄い映画だなあ、と思います。 (レヴュー:『地獄の黙示録 3Disc コレクターズ・エディション』Blu-ray買った - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

第2位:フルメタル・ジャケット (監督:スタンリー・キューブリック 1987年イギリス/アメリカ映画)

やっぱりこの映画は前半のハートマン軍曹ですね。この傑出したキチガイを描いた部分で秀作なんですね。で、こんなキチガイなんて、よく探せば結構社会にいるもんなんですよ。戦争の狂気なんかじゃなくて、人間の社会はこの程度の狂気をホントはどこかに内包していて、それをあからさまにしたのがこの映画なんじゃないかと。だから後半の不条理劇は割とどうでもよかったですね。ただしミッキーマウスは最高。

第3位:シンドラーのリスト (監督:スティーヴン・スピルバーグ 1993年アメリカ映画)

ヒューマニズムを描いた作品ではありますが、ヒューマニズムだけなら別に面白くもなんともないんですよ。同じスピルバーグの『プライベート・ライアン』が冒頭以外は凡作だったのはヒューマニズムに寄っちゃったからでしょうね。じゃあこのシンドラーは何がよかったってその虐殺ぶりですよ。下手なホラー映画より陰惨でしたね。そして人間なんて時と場合によってはこの程度の残虐さを容易く発揮しちゃうもんだと思いますよ。

第4位:イングロリアス・バスターズ (監督:クエンティン・タランティーノ 2009年アメリカ/ドイツ映画)
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これはタランテイーノらしい演出が楽しい映画でしたね。戦争映画ってのはいつ殺されてもおかしくはない状況への緊張と恐怖が描かれますが、同時に戦争という理由があればどんな人間でもどれだけでもぶっ殺せるやりたい放題の愉快さもありますよね。別に戦争が題材だからって悲惨とヒューマニズム描く必要はないんですよ。大虐殺する楽しみだって描いたっていいんですよ。 (レヴュー:いいナチスは死んだナチスだ!〜映画『イングロリアス・バスターズ』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

第5位:ブラックホーク・ダウン (監督:リドリー・スコット 2001年アメリカ映画)

なにしろ延々と銃撃戦ばかりしている映画で、最初に観た時は物語が全然無くてつまらなかったんですが(おまけに銃撃戦の音がうるさ過ぎるし)、なんだか気になってもう一度観た時にこの「物語無しで延々銃撃戦」という内容が段々気持ちよくなってきましたね。なんかもうとことん殺伐としてるんですよね。この殺伐さをひたすら味わうという部分で面白い映画でしたね。

■6位から10位(さらに次点)

第6位:アンダーグラウンド (監督:エミール・クリストリッツァ 1995年フランス/ドイツ/ハンガリー映画)
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ドイツ侵攻とその後のユーゴ内戦にかけて20年に渡り地下に隠れ住んでいた人々を描くこの物語、戦争や国家分断の悲劇が物語の背後にはありますが、それよりもクリストリッツァ監督のマジックリアリズム的手法が大爆発した非常にファナティックかつシュールな物語に仕上がっている部分が凄いんですよ。そしてこの幻視に溢れた光景は、現実の悲惨さを突き抜ける為のものだったのだろうと思う。 (レヴュー:これぞ映画だ。〜エミール・クストリッツァ畢生の傑作映画『アンダーグラウンド』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

第7位:キリング・フィールド (監督:ローランド・ジョフィ 1984年イギリス映画)

1970年代のカンボジア内戦により政権掌握したポル・ポト政権による大虐殺を描いた作品です。その犠牲者は70万〜300万人にのぼるといいます。実は自分、そういった史実を何も知らずにこの映画を観たものですから、その凄まじい殺戮の嵐に心底魂消てしまったんです。もうどこもかしこも死体と白骨の山。そしてこれを観て思ったのは、もっと歴史を知らなければならないということでした。

第8位:スローターハウス5 (監督:ジョージ・ロイ・ヒル 1975年アメリカ映画)
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稀代の名作家カート・ヴォネガットの小説を原作としたこの作品は、第2次世界大戦中に2万5千人とも30万人とも言われる死者を出したドレスデン爆撃の悲惨をその中心として描きます。特筆すべきは現在過去未来を慌ただしく行き来する奇妙奇天烈なその構成であり、しかもSFであるということなんです。そして物語の核心にあるのは戦争に翻弄される人間存在の無力さであり人生の無常です。しかしそれでも生きてゆく為に希望を持とうとする部分で胸を打つ作品なんです。 (レヴュー:生きることのニヒリズムを超えて〜映画『スローターハウス5』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

第9位:まぼろしの市街戦 (監督: フィリップ・ド・ブロカ 1967年フランス/イタリア映画)

第一次大戦下にあるフランスのある町、爆弾を恐れて全ての住民が逃れたその町に残っていたのは精神病院患者だけだった、という物語です。戦争という"異常"が"日常"となった世界と、"妄想の中に生きる人々"だけが残されたことにより"妄想"が"現実"として取り扱われる町とが対比され、非常にアレゴリカルな構造を持った作品として完成しています。同時にそれは目を覆うような戦争の悲惨からどこまでも逃避し、そうあるべきだった真正な世界を夢想しようとする悲しい物語でもあるのです。 (レヴュー:まぼろしの市街戦 / 監督: フィリップ・ド・ブロカ (1967年 フランス・イタリア)  - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

第10位:イーダ (監督:パヴェウ・パヴリコフスキ 2013年ポーランド/デンマーク映画)
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ホロコーストを描いた戦争映画は数ありますが、しかしそれはどこか「ホロコーストの消費」へと形骸化しているように自分は感じます。戦後70年が経った今でもヨーロッパはホロコーストの呪縛から逃れられないのでしょうか。そんな中映画『イーダ』はホロコーストを経た後に生きる人々の心情を描き、ポスト・ホロコーストの物語として特筆すべき作品であると思います。 (レヴュー:ホロコーストを乗り越えた未来にあるもの〜映画『イーダ』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ)

次点:吾輩はカモである  (監督:レオ・マッケリー 1933年アメリカ映画)
我輩はカモである [DVD]

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戦争をブラックな笑いで描き、その狂気を浮かび上がらせる作品といえばキューブリック監督作『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964)を真っ先に思い浮かべますが、この『吾輩はカモである』は主演のマルクス兄弟自体が既に狂っているので「戦争の狂気」どころかただひたすら「頭がおかしい」作品に仕上がっています。戦争への批判も当然盛り込まれているのでしょうが、戦争すらも「ネタ」でしかないマルクス兄弟のとんでもないスラップスティックぶりが楽しい作品だと言えるでしょう。まあとりあえず今回の「オチ」ということで。

■まとめ

という訳で集計しやすいように一覧にまとめておきました。ではワッシュさんよろしく!

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20161122(Tue)

[]映画『ホドロフスキーの虹泥棒』はホドロフスキーの抱えるジレンマを具現化した作品だったのではないか 映画『ホドロフスキーの虹泥棒』はホドロフスキーの抱えるジレンマを具現化した作品だったのではないかを含むブックマーク 映画『ホドロフスキーの虹泥棒』はホドロフスキーの抱えるジレンマを具現化した作品だったのではないかのブックマークコメント

ホドロフスキーの虹泥棒 (監督:アレハンドロ・ホドロフスキー 1990年イギリス映画)

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I.

好きな映画監督は多々いるが、アレハンドロ・ホドロフスキーともなると別格だ。『エル・トポ』を中心とする"神秘主義3部作"(そんな言葉はない。今捏造した)はもとより、最近日本でも公開された『リアリティのダンス』(2013)も胸を抉るような名作だった。また、『アンカル』をはじめとするバンドデシネ作品の原作者としても非常に注目すべき活動をしている。

そんなホドロフスキーが1990年に監督し、これまで日本未公開だった作品が公開された。日本タイトルは『ホドロフスキーの虹泥棒』。イギリス製作作品らしい。詳細などはオフィシャルサイト掲載の紹介文を拝借したので参考にされたい。

アラビアのロレンス」の伝説のコンビ、ピーター・オトゥール&オマー・シャリーフ主演によるホドロフスキー監督初のメジャー大作。加えて、クリストファー・リーも印象深い役を怪演している。本作はホドロフスキー監督長編第6作目にして初のメジャー資本、また初のイギリス映画である。撮影はポーランドのグダニスクで行われた。本作はイギリス(1990)、イタリア(1990)、フランス(1994)などで公開(公開当時は87分)されたもののアメリカでは未公開であり、日本においても完全未公開のままであった。今回、ホドロフスキー監督監修による「ディレクターズ・カット版」(92分版)にて日本初公開となる。

II.

物語は大富豪ルドルフ(クリストファー・リー)の遺産を巡るいざこざから始まる。その遺産の相続人として名が挙がったのは甥のメレアーグラ(ピーター・オトゥール)。しかし親族たちの骨肉の争いを眼にしてうんざりしたメレアーグラは地下下水道に身を隠し、そこで暮らすようになる。そんな彼の身の回りの世話をするのはチンケなコソ泥のディマ(オマー・シャリーフ)。彼はいつかメレアーグラの遺産の分け前を手にすることを当てにしながら貧民街でかっぱらいを続けるが、ある日メレアーグラと仲違いし地下下水道を飛び出してしまう。そんな折、世紀の大暴風雨が街を襲いメレアーグラの住む地下下水道は濁流に飲み込まれようとしていた。

ホドロフスキー作品であるという以前にピーター・オトゥール&オマー・シャリーフ出演の日本未公開作が観られる、というのも嬉しいが、そのピーター・オトゥールが単なる変人でありオマー・シャリーフがアコギなコソ泥であるといった配役が面白い。クリストファー・リー演じるこれまた変人の大富豪の役柄も楽しいが、イギリスのパブ・ロック・アーチスト、イアン・デューリーがバーテンダー役で出演しているところもブリティッシュ・ロック・ファンには嬉しいだろう。こうして見ると癖がありながらもなかなか豪華なメンツが揃っており、なんでホドロフスキー作品に?とは思うがこれもまたホドロフスキーの人望の厚さなのかも知れない。

III.

さて先に紹介したザックリした粗筋だけだと伝わり難いが、映画全体がホドロフスキーらしい奇抜なガジェットで覆い尽くされ、奇矯な人間たちが立ち現れ、そしてそれらが摩訶不思議に結びつきあいながら物語を展開してゆく様に目が引かれる作品である。大富豪ルドルフの犬だらけの奇妙な邸宅、そこに訪れる売春婦たちの淫蕩ぶり、地下道隠遁者のメレアーグラが暮らす廃物再生品で埋め尽くされた住居、そしてコソ泥のディマが闊歩する貧民街の猥雑さとそこに住む風変わりな住民たち。街で行われる怪しげな大道芸の様子もホドロフスキーの面目躍如といったところだろう。

しかし「地下道隠遁者とそれを支えるコソ泥との物語」というその内容は、上っ面だけ観てしまうとそれほど深い物語性を感じさせないものであることも確かだ。だがそこは神秘主義者であるホドロフスキー作品、物語に配されたキーワードを拾い上げながら意味を探してゆくしかない。ここからはオレの解釈なのでこれが正しいと主張するつもりはない。まず地下下水道というのはいわゆる胎内であり非日常であり、即ち現実世界から隔絶された場所である。ここに引き篭もる隠遁者メレアーグラは現実を否定し自らの大いなる夢想の中のみに遊ぶモラトリアム者である。一方それに使役するコソ泥ディマは、生きるためにコソ泥をしなければならない現実に塗れた男であり、それは現実の汚濁をも自らに背負い込んだ存在である。

こうして「地下と地上」「内と外」に分かれるメレアーグラとディマは「精神と肉体」「妄想と現実」「形而上と形而下」「使役する者とされる者」「清廉と汚濁」「無垢と罪業」…といった二項対立の中にある存在として描かれる。しかしこの物語で描かれる両者は相互依存的な関係であり、それぞれが存在しなければ生きていけない。即ちそれらは対立した概念ではなく補完し合う関係なのだ。とはいえこの両者は水と油のように離反したまま存在している。しかしここで大災厄が訪れる。これにより離反した相互の概念は混沌の中で暴力的に淘汰させられるのだ。ではそれは何を意味するのだろうか。

IV.

冒頭、巨額の遺産金を手にするはずだったメレアーグラは、しかし金にまつわる諍い事を嫌い地下道に隠遁する。なぜなら彼には金よりも尊いものがあったからだ。とはいえ彼はディマが盗んできた食料や日用品なしでは生活できない。ここにメレアーグラのジレンマがあり、さらに物語の中で描かれる様々な二項対立は全てメレアーグラのアンビバレンツを表したものだといえる。そしてこれは同時に初のメジャー資本作品を手掛けたホドロフスキーの抱えるジレンマでもあったのだろう。ホドロフスキーは最近のインタビューの中で「金が無ければ映画は作れないが、それでは商業作品だと認めることになってしまう、しかし自分の作りたいのは芸術作品なのだ」と呟いていたが、製作費とその出資者の思惑、それと芸術性との狭間でいつも頭を悩ませていたのだろう。

映画のタイトルは「虹泥棒(The Rainbow Thief)」、それは追いかけても追いかけても手に触れることのできない幻影である「虹」を手にしようということである。ここでタイトルが「Seeker(追い求める者)」ではなく「Thief(泥棒)」であることに注意したい。泥棒はそれが犯罪であろうとも手に入れたいものを手に入れる。手段を選ばないということだ。金にまつわる疎ましさに悩みながら芸術性を追い求めるホドロフスキーは、しかしそれが綺麗事でしかないことにも気付いていたのだろう。だからこそ泥棒のように狡猾に振る舞わねばならない。映画はアンビバレンツとジレンマの果てに大災厄を迎えるが、その後に待つものこそがホドロフスキーの獲得した新たな認識だったのではないか。映画『ホドロフスキーの虹泥棒』はホドロフスキーが自らに課したサイコセラピーだったのだろうと思う。

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リアリティのダンス

リアリティのダンス

yoyoshi yoyoshi 2016/11/23 13:16 国書刊行会から監督のタロットの本が出るそうで本当に多才な方なのですね。今月はベイリーとヴァンス、諸星先生の新刊、シャーリー・ジャクスンが二冊も出て嬉しい!

globalheadglobalhead 2016/11/23 18:11 ホドロフスキーの神秘主義界隈は話半分に聞くことにしているんですが、あれこれ刊行されるのは嬉しですね。諸星新刊出ますか。早速買わなきゃ。SF小説も読んでみたいのが沢山ありますが読むスピードが追いつく予感が全くしません……。

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20161121(Mon)

[]人間と巨大ロボットとの戦いを描く名作FPSゲーム『タイタンフォール2』 人間と巨大ロボットとの戦いを描く名作FPSゲーム『タイタンフォール2』を含むブックマーク 人間と巨大ロボットとの戦いを描く名作FPSゲーム『タイタンフォール2』のブックマークコメント

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うおおお『タイタンフォール2』やっと発売だぜメッチャ楽しみにしてたぜやるぜやるぜやりまくるぜえ!(とわめいているうちにキャンペーンクリアしてしまったが)

「人間+巨大ロボット&壁走りFPSゲーム」、『タイタンフォール2』である。「2」ということでなにしろ続編なわけなのだが実は1作目はプレイしていない。2014年に発売された1作目は、その斬新なシステムから大いに話題になり多数のゲーム賞も獲得した。そしてなにしろSFファンのハートを鷲掴みにするゲーム映像がひたすらカッコイイ!ロボット自体にそれほど思い入れの無いオレですら「これに乗るの!?これに乗るの!?」と興奮しまくっていたものである。

しかしこの1作目、購入直前にマルチプレイオンリーと知って、結局買わなかった。実はその後無料のD/Lコードが手に入ったのだが、やっぱりプレイしていない。いや実はマルチプレイしない派なんである。「なんで?ゲームはマルチプレイが一番面白いのに」とおっしゃられる方が殆どだと思う。ただ個人的にどうもモニターの向こうに他人がいると思うのがダメなのだ。そう、非コミュでコミュ障なのである。クソヘタレ野郎なのである。しかし、この『2』でいよいよキャンペーン・モードが導入されると知り、おおこれでやっとボッチプレイを満喫できる!と色めき立ったという訳である。

『タイタンフォール2』の舞台は未来の宇宙である。その辺境の惑星である。ここで暴政を敷く惑星開発企業IMCが派兵した傭兵部隊と、ミリシアと呼ばれる入植者部隊が戦闘を繰り広げていた。プレイヤーはミリシアの新米兵士としてIMCとの過酷な戦いを切り抜けてゆかねばならないのだ。戦死したベテラン兵士からロボット兵器タイタンを受け継ぐことになってしまったプレイヤーは、ミリシアの要請する様々なミッションをこなし、さらに敵兵、そして敵タイタンとの死闘を繰り広げてゆくことになる。

いやあ、評判通り素晴らしいゲームだった。最初に魅せられたのはそのグラフィックデザインだろう。辺境の惑星の情景や、そこに建築された巨大施設の内側、兵士や銃の装備デザイン、そしてもちろんタイタンの雄姿、どれもSF世界にありながら圧倒的なリアリティをもったものとしてデザインされているのだ。この辺同じSF作品『Halo』あたりのやたら大仰だけどなんなのかさっぱり分からない超未来世界の描写を軽く凌駕している。そして緊張感溢れる物語と個性的なキャラクター。いや、キャラはちょっと濃すぎたかもしれないが(特に敵キャラ)、このコミックぽさはそれほど嫌いではない。それと銃器の使い勝手の良さ、さらに敵に銃弾がヒットした時の生々しいサウンドと倒れる敵兵の挙動がリアルでいい。

そして噂のウォールラン。いや、実は最初は手こずった。なにしろアクション操作のドン臭いオレなので、なかなか要領を得ない。キャンペーンではこのウォールランを駆使することでパズル的にマップをクリアして行かねばならない箇所が非常に多く盛り込まれ、そこがひとつの醍醐味ともなるが、ひたすら操作のダサいオレには過酷だった。だがYouTubeで他人のプレイ動画を見て「ああこういうことだったか」と理解してからは、面白いぐらいにするすると操作出来る。それが慣れてくると今度は実に楽しく爽快なプレイ感覚を味わえる。さらにはガンガンウォールランをしたくなる。

そしてなによりタイタンだろう。タイタンに乗り込むときのモーション、タイタン内部コンソールのHUD画面も「ロボット操作してるぜええ!!」と気分が上がる。シナリオをクリアするごとに強力な武器が増え、それぞれの性能を考えながら選択するのが実に楽しい。タイタン武器の弾数やエネルギー数は無限というチートな設定もむしろ潔くていい。そしていざ戦闘となるとシナリオ毎にボスキャラ的な敵タイタンが登場し、いやらしい攻撃で攻めてくるところを攻略法を考えつつ撃破してゆくのがまたまた楽しい。

プレイヤーの搭乗するタイタンBT-7274、通称ビーティーは自意識を持つAIを搭載しており、このビーティーの助けを借り、協力しあい、減らず口を叩きながら戦闘を続けてゆくと、知らずにビーティーとの友情が育まれていることに気付かされる。そのビーティーが傷つくと、心さえ痛んでくる。こんなFPSゲームのシナリオが今まであっただろうか。ビジュアル、シナリオ、システム、それらにおいて現在最高峰のことを成し遂げているであろうゲーム『タイタンフォール2』、キャンペーンクリア時間は短かったが、「もっとこの世界に浸っていたい」と切に思ってしまったほど素晴らしいゲームだった。

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20161118(Fri)

[][]インドの「AKIRA」が覚醒する!?〜映画『Akiraインドの「AKIRA」が覚醒する!?〜映画『Akira』を含むブックマーク インドの「AKIRA」が覚醒する!?〜映画『Akira』のブックマークコメント

Akira (監督:A・R・ムルガードース 2016年インド映画)

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■女ダバング・ソーナークシー・シンハー!?

西暦20XX年。オリンピック開催の為再開発の行われていたネオ・ニューデリーを巨大な光球が覆う。圧倒的な破壊力を秘めたその光球の中でネオ・ニューデリーは壊滅した。そう、AKIRAが目覚めたのである。大友〇洋原作、A・R・ムルガードース監督によるSFインド映画『AKIRA』の始まりなんだッ!?……というのは全くの大嘘で、ソーナークシー・シンハー主演による2016年公開の映画『Akira』でゴザイマス。えー、Akiraっちゅうのは主人公女性の名前で、「アキラ」というよか「アキーラ」という発音でしょうかね。「シャキーラ」みたいなもんだと思ってもらえればよろし。

さてこの『Akira』、先程も書きましたがインド女優ソーナークシー・シンハーの主演によるアクション映画なんですよ。ソーナークシー・シンハー。例によって美人ちゃんです。ぽっちゃり美人です。アーモンド形の瞳が魅力的です。デビュー作はなんとあのベルトクイクイ親父の主演した『ダバング 大胆不敵』(2010)です。その後も『Action Jackson』(2014)、『Tevar』(2015)とアクション作品に多く出演されていますが、今回は本人自ら体を張ってのアクション作となるのですよ!『ダバング』でデビューし遂に自らも「女ダバング」に!?やっぱりベルトクイクイなさるのかしらん!?いやもっと別の部分でクイクイが!?いやこれは目が離せませんね!

監督のA・R・ムルガードースは『pk』のアーミル・カーンが復讐鬼を演じる大傑作『Ghajini』(2008)やアクシャイおじさんがハードなアクションを見せる『Holiday: A Soldier Is Never Off Duty』(2014)なんてェ作品を監督しています。そして!なんとこの作品、ついこの間IFFJで公開された大傑作『ボンベイ・ベルベット』(2015)や、『Ugly』 (2014)、『Raman Raghav 2.0』(2016)なんてェ作品を監督しているインド映画界の鬼才中の鬼才、アヌラーグ・カシュヤプ監督が超クソ野郎のいやらしい悪党を演じているのも見所なんですよ!いやーアヌラーグ監督、以前拙ブログの記事本日開催!インド映画祭IFFJ上映作品はこんな監督が撮っている! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミで「オヤジの中のオヤジ」と評したこともあるぶっとくて油ギッシュで黒々としたオヤジなんですね!いやこれは楽しみだわ!

■おおっとびっくりダーク展開!

前置きが長すぎましたが物語を紹介しましょう。主人公の名はアキーラ(ソーナークシー・シンハー)、彼女は幼い頃のある事件をきっかけに格闘技を学び、その技によりチンピラどもを叩きのめしたことで少年院に入れられます。成長した彼女はミッションスクールに学びますが、生真面目な彼女に絡んできた不良連中をまたもやぶちのめしてしまいます。一方、警察官であるにもかかわらず愚劣な行為を繰り返す男ACP(アヌラーグ・カシュヤプ)は交通事故車のトランクの中に大金を見つけ、まだ生きていた運転者を殺して金を奪います。しかしその行為を情婦にほのめかしていた場面をビデオに撮られ、しかもそのビデオカメラは置き引きに遭ってしまいます。置き引きをしたのはミッションスクールの学生であることを突き止めたACPはビデオカメラを取り戻そうと、誤ってアキーラを拉致してしまうのです。

とまあこんなザックリとした粗筋だけだと「この後アキーラが悪玉相手にアクションに次ぐアクションを展開してゆくのだな」と思わされ、確かに冒頭ではアキーラの「いよう、待ってました!女ダバング!」と掛け声掛けたくなるような強烈な格闘シーンこそ描かれますが、その後は結構なダーク展開に足を踏み入れてゆくんですね。なんとアキーラは証拠隠滅の為ACPに精神病院に入れられ、そこで鎮静剤打ちまくられの半ば廃人状態となってしまうんです!しかしアキーラが孤立無援という訳ではありません。女性警察官ラヴィヤ(コーンコーナー・セーン・シャルマー)は異様な事件が進行していることを察知し捜査に乗り出していたんですね。

■様々な映画のオマージュ

この女性警察官ラヴィヤ、物語内容と何も関係ないのにお腹の大きな妊娠中の女性として登場するのが面白いんですね。「妊娠中の女性」というとヴィディヤー・バーラン主演によるインド産傑作ミステリー映画『女神は二度微笑む』を思い起こしますが、実はこの映画ではなく、コーエン兄弟制作のサスペンス映画『ファーゴ』(1996)へのオマージュなんじゃないかなと思います。『ファーゴ』では妊娠中の女性署長が殺人事件の捜査に乗り出すんです。

一方、証拠隠滅の為鎮静剤を打ちまくられ廃人状態の主人公、というのは、ジョン・フランケンハイマー監督による1975年公開のアクション映画『フレンチ・コネクション2』ではないでしょうか。この作品では麻薬捜査官が麻薬組織に拉致され麻薬漬けになってしまう姿が描かれます。さらにこの『Akira』、クライマックスの展開がなんと『ダークナイト』なんですよ!そう、クリストファー・ノーラン監督により2008年に公開されたバットマン映画、アメコミ映画作品の一つの金字塔とも言える作品『ダークナイト』なんですね。クライマックスなのでどの辺が『ダークナイト』なのかは明かせませんが、正義というものの苦さがこの『Akira』では描かれているんですよ。

痛快アクションではなくダークな物語展開には『Ghajini』を監督したムルガードース作品らしさを感じますが、この作品でいわばダーティーな役柄を演じたソーナクシーは、単なる「カワイコちゃん女優」を演じるだけではない演技の幅の広さを感じさせられました。そしてやはり、肥溜めの蛆虫みたいなクソ野郎を堂々と演じ切ったアヌラーグ・カシュヤプ監督!ドロドロとした作風の多いカシュヤプ監督と全く印象の違わないドロドロぶりでしたよ!この辺のルサンチマンの発露というのは、自らの撮るヤクザ映画でヤクザ役が嘘みたいに板に付いている北野武監督と同様のものがあるんじゃないかかな、と感じました。

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20161117(Thu)

[][]性被害に遭ったにもかかわらず罪に問われた女性を救え〜映画『Pink』 性被害に遭ったにもかかわらず罪に問われた女性を救え〜映画『Pink』を含むブックマーク 性被害に遭ったにもかかわらず罪に問われた女性を救え〜映画『Pink』のブックマークコメント

■Pink (監督:アニルッダー・ローイ・チョウドゥリー 2016年インド映画)

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この作品『Pink』は性被害に遭った女性たちを巡る裁判を描いた作品なのらしい。う〜ん、これは重そうだ。しかも主演がアミターブ・バッチャンで、彼が弁護士となるのだろうがポスターのこの怖い顔はいったいなんなのだろう。ひょっとしてアミターブ、被害者女性をよってたかって有罪にしてしまう悪辣な弁護士とかそういうイヤ〜ンな役柄なんだろうか。だとしたらこれは相当鬱展開のイヤイン(イヤなインド映画)かもしれんな……。と思いつつ観ていたら決してそういうことではなくて、アミターブ演じるデーパックは双極性障害(今は躁鬱病をこう呼ぶらしい)を患って弁護士を隠退した男という役柄で、だからこんなユーウツな顔つきなのらしい。

さてこの作品のユニークな点は、物語の中心となるべき「ある事件」を具体的に描かない、その時何があったかを一切本編映像として見せない、という部分だろう。映画を観る者は「ある事件」のその後の出来事、裁判における証言から「そこで何があったか」を想像するしかないのだ。

映画が始まるとまず頭に怪我をし血塗れになった男とその友人たち、それとは別に返り血を浴び何かに怯える3人の女たちが登場する。物語はその両者に何かがあったらしいことをモヤモヤとほのめかしながら、遂に男に怪我を負わせたとされる一人の女性ミナル(タープスィー・パンヌー)が殺人未遂容疑で逮捕される様子を描く。女たちはおまけに男たちに脅かされていて、それを見かねた近所の老人デーパック(実は元弁護士)が弁護を買って出る、といった内容だ。ただこの冒頭は、観る側としては何の映画か分かってて観てるわけだからちょっとまだるっこしい。

さて裁判が始まり男たちの側の弁護士が登場するが、これがまた分かり易いぐらい下品で愚劣そうな男で、この男が本来被害者である筈のミナルをあることないこと並べ立てて殺人者に仕立て上げようとする。しかしこの男の下品さ、愚劣さ、そして同情心の欠如と無関心さとは、女性を見下し性の道具としか関知せず、そして容易く言いなりにできるものと思い込んでいる数多の男の思考様式を象徴したものなのではないか。同時にこの作品は、女性であるだけで卑しめられ暴力を振るわれる多くのインド人女性の立場を描いたものではないかとも思う。

そんな中、女性たちを救おうと立ち上がったのがデーパックだった。彼がそうしようとした真意は特に描かれない。だが病床の中にいる妻の描写が挿入されることから、彼を生涯において慈しんできたものが愛する妻という女性だったから、そしてその妻の病の苦しみに自分がどうにも無力だったから、だからこそ自分の力の及ぶ範囲で別の女性を救おうとした、という理由がそこにあったのかもしれない。

このデーパックの答弁シーンがまた独特なのだ。よくあるような映画の裁判シーンでは、弁護士が快刀乱麻の弁舌を振るい一刀両断に真実に切り込んでゆく様子が痛快に描かれたりはするけれども、このデーパックは違うのだ。なんというか、それは流れる雲のように鷹揚として詩的ですらあるのだ。これは彼が双極性障害であることに起因するのかもしれない。その陰鬱さの中に取り込まれた彼の内面が、裁判における答弁の中で人間心理やその行動を、陰影に満ちた口調であぶり出してゆくのだ。彼は障害の闇の中にいるからこそ逆に、真性さという眩しいばかりの光を乞い求めていたのではないか。

そしてそんなデーパックを演じるアミターブが一世一代の名演技と言えるほどに素晴らしい。証人の、あるいは裁判官の前に立つ彼は、例のあの深いバリトン・ボイスでもって、真実とそして人間というものに対する深い同情心とを明らかにしてゆくのだ。それはどこかシェイクスピア舞台を観せられているかのような張り詰めた緊張感と重々しさに満ちたものだ。彼の眼は常に暗く淀んでいるが、それは過ちを容易く犯してしまう人間存在の不確かさへの憂いからであり、同時にまたそんな人間へ真性さを期待してしまう自省からだったかもしれない、そんなことまで考えてしまうような演技だった。

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20161116(Wed)

[][]故殺か?正当防衛か?海軍将校による殺人事件裁判〜映画『Rustom』 故殺か?正当防衛か?海軍将校による殺人事件裁判〜映画『Rustom』を含むブックマーク 故殺か?正当防衛か?海軍将校による殺人事件裁判〜映画『Rustom』のブックマークコメント

■Rustom (監督:ティヌー・スレーシュ・デーサーイー 2016年インド映画)

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1950年代のボンベイを舞台に、一人の海軍将校が起こした殺人事件を巡る裁判を描いたのがこの『Rustom』となる。公開時結構話題にもなったしボックスオフィスの成績も悪く無い。ただどうも最初観る気が起きなかったのは主演がアクシャイ・クマールだったからだ。いや、ボリウッド俳優アクシャイ・クマールは嫌いではない。むしろ割とお気に入りかもしれない。それに、実はアッキー、誕生日がオレと同じだったりする(オレより5歳下だがな!)。しかしアッキーは映画に出過ぎだ。一年に3作以上の作品に出演しているし、それに最近の主演作はなんだかキナ臭い役が多くて、顔付さえ段々軍曹顔に見えてきた。

そんなことをブツクサ言いつつ、話題作だったからとりあえず観てみたのだが、開けてびっくり、これが物凄くよく出来ているではないか。というかここ2、3年のアッキー主演作の中でもピカイチかもしれない(ちなみにオレの一番好きなアッキー主演作は『Rowdy Rathore』(2012)。あと『Special 26』(2013)もいい)。物語の舞台が50年代ボンベイということで、その作り込まれたレトロなボンベイの光景にはアヌラーグ・カシュヤプ監督の大傑作『ボンベイ・ベルベット』(2015)を彷彿させる部分もあるが、よくできているもののそれはあくまで背景に過ぎない。それよりも、当初「妻の浮気に嫉妬したことによる射殺事件」という実に単純な故殺事件から始まったと思わされた物語が、実はどんどんとややこしく覆されてゆく部分が面白いのだ。

そして答弁が開始されると、これがもう悔しいほどにどんどん引き込まれてゆく面白さなのだ。法廷が中心となる作品だが、抽象的な答弁ではなく主に状況証拠が並べられるので、英語字幕にそれほど苦労しなかったのも好印象だった。そもそも主人公ルスタムは「人を殺したので自首します」と警察に出頭する。その前に彼は妻の浮気現場も目撃している。確かに妻の浮気はあった。それに対し多分嫉妬もした。そして男の家に乗り込み、そこで銃による殺人が成された。こんな分かり易い状況のどこが覆されるというのだろう。しかしだ。にもかかわらず彼は「私は無罪です」と主張し、「あれは正当防衛だった」とまで言い始める。そしてその状況が説明されるのだ。

それはどこまで真実なのか?それとも最初から正当防衛による無罪を主張することを見越して仕立て上げられた殺人だったのか?あまつさえルスタムは裁判において自らの弁護士役までやってしまうのだ。そしてまたこの弁護における答弁では本職もかくやと思わせるような鋭い質疑応答を繰り出すのだ。こいつナニモノ?とは思うがなにしろ海軍将校だ。しかしこの海軍将校である、お国の為に身を捧げる軍人である、という部分を大いにアピールすることで印象操作しようとする抜け目の無さも見え隠れする。なにしろ海軍将校である彼は、身なりも立ち振る舞いも実に端正かつ堂々としていて、本当に天に恥じる様な事をした人間には見えない。しかしその清廉潔白な印象作りが、どうも引っ掛かりもするのだ。

しかしもし仮にこれが最終的に自らの弁護までも見越した計画的な犯罪だとしたら、ルスタムという男は相当の知力と狡猾さを持った男だと言わざるを得ない。だがそれは同時に恐ろしく冷酷な男だけができる所業であり、裁判期間中に浮気した妻を赦してしまうルスタムという男が、そんなサイコパス並みの冷徹さを持った男にはどうにも思えないのも確かなのだ。ルスタムは果たして冷徹な殺人者なのか?それとも愛の深さゆえに期せずして人を殺す結果となった哀れな寝取られ男なのか?いやしかし、と思う。実はこの物語は、そんな単純なものではないのかもしれないではないか?それではいったい?というわけで様々な疑惑を孕みながらクライマックスへとなだれ込んでゆく『Rustom』、非常に優れた法廷劇であった。

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20161115(Tue)

[][]気付いたらそこはパキスタン!?〜映画『Happy Bhag Jayegi』 気付いたらそこはパキスタン!?〜映画『Happy Bhag Jayegi』を含むブックマーク 気付いたらそこはパキスタン!?〜映画『Happy Bhag Jayegi』のブックマークコメント

■Happy Bhag Jayegi (監督:ムダッサル・アズィズ 2016年インド映画)

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結婚式を逃げ出してきたインドの女性が、気が付いてみたらパキスタンにいた!?ええ!?どうしたらいいの!?というロマンチック・コメディです。そもそもなんでパキスタンに行っちゃったのか?それはおいおい説明しましょう。出演は『Cocktail』(2012)のダーヤナー・ペーンティ、『Dev.D』(2009)、『Zindagi Na Milegi Dobara』(2011)のアバイ・デーオール、『Fukrey』(2013)のアリー・ファザル、『Tanu Weds Manu』(2011)、『Bang Bang!』(2014)ジミー・シャーギル、そしてパキスタン女優のモーマル・シャイフ。監督は『Dulha Mil Gaya』(2010)のムダッサル・アズィズ。

《物語》パンジャーブ州に住むハッピー(ダーヤナー・ペーンティ)は、冴えない音楽家のグッドゥ(アリー・ファザル)と愛し合っていたが、親の決めた別の男との結婚が迫っていた。二人は花屋の車を利用して駆け落ちを決行するが、手違いによりハッピーは全然別の車に隠れてしまう。そして彼女が気が付くと、パキスタンの町ラホールに住むある一家の元に到着していた!?びっくりしたのは家長であるビラール(アバイ・デーオール)、しかし事情を知った彼はハッピーがインドに帰れる術と、恋人グッドゥとの再会に骨折ろうとする。しかしハッピーに逃げられた男バッガー(ジミー・シャーギル)も、ハッピーを奪還しようと憤怒に燃えていた。

インドからパキスタンに迷子の娘を返しに行く物語、というとサルマーン・カーン主演のヒット作『Bajrangi Bhaijaan』(2015)ですが、こちらはパキスタンからインドに迷いこんだ娘を帰国させる、という物語になっているんですね。インドとパキスタン、印パ独立の頃から確執を抱え政治的緊張状態にある国同士、簡単に行き来することはできません。しかしそんな状況にありながら、この作品では相互の国民感情はそんなに悪いものではなく、主人公のビラールなどはむしろ積極的にハッピーの為に尽力します。袖振り合うも多生の縁とは言いますが、そういった暖かい人情噺としての面白さがこの物語にはあります。

ビラールはなぜそこまでしてハッピーの為に頑張ろうとしたのか。それは彼が政治家の卵であり、ある種の公正さや人間味を持った人間であったのと同時に、女性であるハッピーに魅せられた、という部分があります。そんなビラールですが実は既にゾーヤー(モーマル・シャイフ)という婚約者があり、そういった気持ちを決して表には出すことができません。とはいえ女の勘は鋭いもの、ゾーヤ―はそんなビラールの気持ちをなんとなく察しているんです。ゾーヤーは内心複雑ながら微妙にビラールに釘を刺しつつ、ハッピーの帰郷にも協力するんですよ。こういった決して成就しない中年男のプラトニック・ラブもこの物語には盛り込まれます。

こんなビラールを演じるアバイ・デーオール、自分の今まで観た彼の出演作はどこかどんよりとした汚れ役が多かったのですが、この作品では見違えるような公明正大な男を演じて好印象でした。ビラールの婚約者を演じるモーマル・シャイフも落ち着いた演技がとてもよかった。そしてビラールの手助けをする警察官のオッチャンがまた可愛いんだよなあ。そしてなによりこの作品の魅力を高めたのはハッピーを演じたダーヤナー・ペーンティでしょう。主だった主演作は『Cocktail』1作だけのようですが、ちょっぴりワイルドさを感じさせる美貌と、チャキチャキのパンジャブ娘を演じる様子には目が離せないでしょう。今後の活躍に期待したいですね。だし恋人役のアリー・ファザルはなんだか魅力に乏しかったなあ。

インドとパキスタン、実際のお互いの国民感情がどのようになっているのかは分かりませんが、このところのニュースではパキスタンがインド映画を全面禁止にしたりとか、インド映画界がパキスタン俳優を締め出したりとか、なんだか寂しくなってしまう話が伝わってきています。最近のインド映画の国粋主義的な流れもどうにもきな臭く思えます。そんな流れのある中、例えフィクションでもそれぞれの国に住む人々が信じ合い許し合っている姿を観るのは、一人のインド映画好きとして何かほっとするものを感じるんです。映画『Happy Bhag Jayegi』は、こういった性善説でもって成り立っている物語の在り方が、とても素敵に思える作品でした。

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20161114(Mon)

[]『アウトロー』のジャック・リーチャーが帰ってきた!〜映画『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK『アウトロー』のジャック・リーチャーが帰ってきた!〜映画『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』を含むブックマーク 『アウトロー』のジャック・リーチャーが帰ってきた!〜映画『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』のブックマークコメント

ジャック・リーチャー NEVER GO BACK (監督:エドワード・ズウィック 2016年アメリカ映画)

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この『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』はクリストファー・マッカリー監督による2012年公開のアクション映画『アウトロー』のシリーズ第2作となる。今作のタイトルにもなっている主人公ジャック・リーチャーが前作に引き続き活躍するというわけなのだが、物語的な繋がりは無く、『アウトロー』を観ていなくても全然問題は無い。

前作の『アウトロー』、これが滅法面白かった。その年のベストテンの一作に加えたぐらいだ。感想についてはここで書いたが、見た目の派手さに頼ることなく、しっかりした演出と、要所要所でキチッとキメてくれるアクションが実に心地いい映画だった。原作は在米英国人作家リー・チャイルドのベストセラー・ハードボイルド小説だが、『アウトロー』があまりに面白かったので映画とは別のリー・チャイルド作品を読んでみたぐらいだ(小説タイトルは『キリング・フロアー』。感想はここで書いた)。そんなジャック・リーチャー・シリーズがまたまた映画化されたというからこれは非常に楽しみにして観に行った。

さて今作『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』は監督をエドワード・ズウィックに替えての作品となる。エドワード・ズウィック、『ラストサムライ』でトム・クルーズと組んだことのある監督らしいが、バイオを調べてみても、あまり観たことがある作品が無く、観たことのある作品も、あまり印象に残っていなかったりする(実は『ラスト・サムライ』も観ていない)。前作のクリストファー・マッカリー監督が好印象だっただけに、吉と出るか凶と出るかちょっぴり不安はあった。

物語はスパイ容疑で逮捕された元同僚スーザン・ターナー少佐(コビー・スマルダーズ)を救い出す為ジャック・リーチャー(トム・クルーズ)が熾烈な戦いに挑むというもの。この逮捕劇の裏に黒い陰謀が存在し、その首謀者が冷酷な殺し屋を雇って二人の命をつけ狙う。同時並行してリーチャーには身に憶えのない"実の娘"らしき少女が登場し、彼女もまたリーチャーらと命を狙われることになる。リーチャー一行は殺し屋の手から逃れながらターナー少佐にかけられた嫌疑を晴らしその背後の陰謀を暴こうとするのだ。

今回の特色となるのは"ハードボイルドな一匹狼"ジャック・リーチャーが今作ではターナー少佐という女性の相棒と共に行動するという点だろう。しかし女性とはいえなにしろ軍人なのでこれが相当腕が立つ。この二人が最初衝突しながら次第に息が合ってゆくのがバディ・ムービー的で面白い。ターナー少佐を演じたコビー・スマルダーズはハードな役を演じつつも十分魅力的だった。そして"実の娘疑惑"のサマンサ(ダニカ・ヤロシュ)の存在は一見足手まといに見えつつ彼らの逃走劇に様々な形で寄与してゆく。次第に親の愛情を見せてゆくリーチャーの姿はこそばゆいが、家族愛がテーマにある原作を選んだのは案外トム・クルーズの趣味だったのではないか。

そして主人公リーチャーは今回もまたしても「俺の観察眼と思考力は全てお見通しだぜ!」とばかりに先手先手を打ちながら敵を翻弄し、立ちはだかる相手は訓練し尽くされた格闘技で倒してゆく。元米軍エリート秘密捜査官という設定なのだが、地味にスーパーマン的なキャラなのだ。しかし前作でも描かれた原作設定では「荷物を持ち歩かない風来坊なので下着は夜洗って朝まで乾かしておく」という妙に所帯じみた部分もあり、映画を観ながら「リーチャー、今夜はパンツ洗ったのかなあ」とついつい心配してしまった。それとトム・クルーズ、54歳ともあって流石に老けてきたなあ。

全体的に感じたのは前作とは違うアプローチの"ジャック・リーチャー"だったということだ。前作は丁寧にドラマを積み重ねながら合間合間に強力なアクションを挟んでゆく作品だったが、今作は逃走劇が中心となって矢継ぎ早のアクションで盛り沢山となる。しかも130分と長かった前作と比べ今作は118分、割りといい時間で収まっている。その分、じっくり見せてゆく前作と違いスピード感重視の若干ラフな構成だ。飛行機でのエピソードは結構インチキやっているな、というのは気になった。また、悪の親玉が少々弱い。ミステリ要素も楽しみたいなら前作、サクッとアクションを楽しみたいなら今作といった感じか。

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20161113(Sun)

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■レイリ(1)(2) / 岩明均・原作 室井大資・漫画

岩明均が原作の戦国時代漫画と聞いて「ほうほう遅々として進まぬ『ヒストリエ』の傍らで原作まで手を出したか」と思いつつWeb上の「試し読み」を読んでみるとこれがまた実に岩明らしい陰惨な物語で、しかも少女が主人公ではないか。早速1、2巻を買って読んでみたところ、確かに1巻目は相当陰惨極まりない展開を見せており「おおこれはいつもの岩明」と読み進めると、これが2巻目で新展開ではないか。なるほどこれをやりたかったのか。確かに戦国時代ともなれば無いことも無い話で、取り立てて新機軸というわけではないにせよ、「滅法腕の立つ少女剣士」がこの展開をどう生き延びてゆくのかとても楽しみになってきた。画を担当する室井大資の作品はこれまで読んだことはないが、岩明の作風をなぞっているだけではなく、それに少々情感が加わっており、ある意味殺伐とした岩明の画よりも心情的に入って行きやすい。さらにこの物語、陰惨なりにちょっとしたユーモアのスパイスも効いている。これは結構いいコンビかもしれない。

■メカ豆腐の復讐 / とり・みき

メカ豆腐の復讐 (CUE COMICS)

メカ豆腐の復讐 (CUE COMICS)

この作品集は予めクライアントが存在してそれに依頼される形で書かれたいわゆる「企画もの」を集めた作品集だという。だからテーマは種々雑多で非常に短いページ数のものが次々と連発されてゆく。とはいえ、とり・みきという漫画家はもともと多岐に渡る興味を様々な手法で描くのを得意としている人なので、テーマがばらばらにもかかわらず「とり・みき」のテイストでひとつにまとめられると、これがあら不思議、1冊通して何一つちぐはぐさを感じさせないばかりか、いつもの安定のとり・みきクオリティなのである。というかとり・みきファンにとってはこのはちゃめちゃさが旨味なのだということもできる。なにしろ面白いです。それにしても萩尾望都のビキニ写真ってなんだーッ!?

アオイホノオ(16) / 島本和彦

ホノオ君遂に漫画家デビュー!という16巻。それからの展開がまた早いんだが、実際もあれよあれよの状態だったんだろうね。とんとん拍子どころかズドドド拍子だからね。当時の漫画出版業界は優秀な人材に飢えてたってことでもあるんだろうなあ。あ、ホノオ君は相変わらず逆上しまくってて楽しいです。

■エリア51(13) / 久正人

エリア51 13 (BUNCH COMICS)

エリア51 13 (BUNCH COMICS)

久正人も作画・作話共に非常に高くしかも安定したクオリティーの漫画家だよなあ。こういう漫画家の漫画は四の五の言わず出たら読んで堪能する、それだけなんだよなあ。それと久正人ってあのポップな絵柄を持ちながらどろどろとした心理やえげつない状況を描くのがとても巧い。そんなダークな展開を一本気の主人公が熱い思いをほとばしらせながら乗り越えてゆく。だからこそ作品に深みがあって読ませるものになるんだよなあ。

■ジャバウォッキー1914(2) / 久和人

そして久和人の『ジャバウォッキー1914』第2巻。「え、まだ2巻目だったっけ!?」と思わせせるほど展開が濃厚で、よくここまで詰め込めるもんだなあと感心してしまう。この「ジャバ」は"恐竜"と"第一次世界大戦"という、スキモノには堪らない二大噺で構成されているが、多分作者も好きで堪らないんだろうなあ。そういった部分の知識が十二分に生かされることで荒唐無稽な物語に奇妙なリアリティを加味しているんだよね。

アイアムアヒーロー(21) / 花沢健吾

「え、もう新刊出たの!?嬉しいけど早すぎない!?」と思いつつ購入した『アイアムアヒーロー』21巻、買ってみるとこれが微妙に薄い。帯を見て分かったが、どうやら映画版『アイアムアヒーロー』のソフト発売に合わせての発売だったらしい。まあ前巻も映画公開に合わせてだったからちょっと薄かったもんな。とはいえ内容は決して薄く無いぞ!もうこれクライマックスに向けて突っ走ってる状況だろ!まあしかしこの物語を上手く畳むのにはまだ10巻ぐらいいるような気もするけどな!

■ラストマン(2) / バスティアン・ヴィヴェス、バラック、ミカエル・サンラヴィル

日本の"MANGA"に魅せられたバンドデシネ・チームが描くファンタジック格闘アクションコミック第2巻。第1巻の引きが強烈だったので今後の展開は!?と固唾を飲んで読みはじめたら意外と「ああ、その手があったのね」ということであっさり解決、ふう、冷や冷やさせられたぜ。という訳で格闘大会は終了したものの、その後また新たな波乱が!?という所でまた引きかよ!そして次巻はいろいろ謎が多いこの世界の説明がちょっとはされそうなんだよね。そして少年とオッサンの物語は少年の母親とオッサンとの大人っぽい物語へと発展!?

監獄学園(23) / 平本アキラ

まだまだ続く騎馬戦大会!引っ張り過ぎを通り越してこの物語自体が騎馬戦漫画へと変容してしまったのかッ!?もうこのまま10巻ぐらいずっと騎馬戦やっていればいい!そして「第2のアストロ球団」として語り継がれるがいい!(ホントかよ)

yoyoshi yoyoshi 2016/12/25 20:31 筑摩から出たハーン・ザ・ラストハンターの挿絵が久正人先生で、ピッタリです。もう格好良いの何の!

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20161112(Sat)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他のブックマークコメント

■Cow/Chill Out,World ! / The Orb

COW/CHILL OUT, WORLD!

COW/CHILL OUT, WORLD!

The Orbの新作コンセプトは「アンビエント」なのらしい。え、今までもずっとアンビエントだったんじゃなかったっけ、と思ったが、よく考えるとそうでもなかったような気がしてきた。しかしThe Orbのアンビエントは静謐さの中に落ちてゆく音というよりも楽しい夢の中で流れるBGMのようだ。即ちドリーミンなんだ。捉えどころがなくフワフワとしていて布団の中のように暖かい。そして明るいんだよね。こんな音を何十年も出し続けているなんて言うのも驚異だよなあ。 《試聴》

■Fabric 90: Scuba / Scuba

FABRIC 90

FABRIC 90

UKの老舗クラブFabricがなんと無期限営業停止とな。そんな中リリースされたシリーズ90作目のDJはScuba。これはその最後?のMixCDとなるのか?それにしても音源をBleepでD/L購入したけど、内容が41曲5時間41分とかとんでもないことになっている(Mixが1曲扱いで74分、残り40曲がNon-Mixで4時間半収録)。最新エレクトロニック・ミュージックをフルで40曲聴けて9.99ドル。これは相当お買い得かも。 《試聴》

■Appropriation Stories / Shifted

Appropriation Stories

Appropriation Stories

UKのプロデューサーShiftedのニューアルバム。重く無機的な実にテクノらしいテクノで、逆に今こういった音が妙にハマる。このごろ昔のSurgeonを引っ張り出してよく聴いているのだが、あの辺に通じるものがあるな。 《試聴》

■Human Energy / Machinedrum

HUMAN ENERGY

HUMAN ENERGY

え?あ?Machinedrumってこんなに明るかったっけ?と呆然としてしまうようなパキパキ&ピキピキにハジケまくったポップなニューアルバム。とはいえ音の出来はとても素晴らしい。今回のお薦め。 《試聴》

■Outer / Dusky

Outer

Outer

ロンドンを拠点とするハウス・デュオ、Duskyの新作。分かりやすいメロディとアッパーなリズムで相当とっつき易い作品になっている。悪くないんじゃい? 《試聴》

■Cocoon Compilation P

COCOON COMPILATION P

COCOON COMPILATION P

う〜ん、いろんなエレクトロニック・ミュージックをあれこれ聴いてきたが、アバンギャルドな音はもういいかな、という気分で、最終的にこのCocoonみたいな大箱なテックハウスがオレには今一番馴染むかもしれない。 《試聴》

■DJ-Kicks - Marcel Dettmann / Marcel Dettmann//V.A.

DJ-KICKS (IMPORT)

DJ-KICKS (IMPORT)

!K7の人気DJミックスシリーズDJ-KICKSの新しいのはクラブBerghainレジデンツMarcel Dettmannが担当。結構多岐に渡るリスニング系のエレクトロニック・ミュージックを網羅している。 《試聴》

■Awaawaa / Woo

AWAAWAA

AWAAWAA

イギリスの宅録兄弟Wooの70〜80年代に録音した音源をコンパイルしたものらしい。しかしユニット名が「うー」でアルバムタイトルが「あわわ」っていったいどうなっているんだ。録音時期もあってかレトロなエレクトロ音が17曲も繋がっており、これがまたお気楽&ハッピー&サイケな音でもうどうしていいやら。 《試聴》

■Illusion Of The Tale / Phaeleh

ILLUSION OF THE TALE

ILLUSION OF THE TALE

Phaelehは元々ダブステップの人らしいがこのアルバムは静かめなアンビエント・ミュージック。最近歳のせいかアンビエント・ミュージックを聞く割合が増えてきたなあ。 《試聴》

■Defected Presents Sam Divine In The House / Sam Divine//V.A.

Defected Presents Sam Divine In The House

Defected Presents Sam Divine In The House

ハウスレーベルの名門Defectedからリリースされたいつもと同じようなアゲアゲのMixCD。作業用に聴く。 《試聴》

■Every Now & Then / Jagwar Ma

Every Now & Then

Every Now & Then

オーストラリア・シドニーのサイケロック・ユニットJagwar Maのちょっぴりスイートなニューアルバム。 《試聴》

20161111(Fri)

[]今度の舞台は第一次世界大戦だ!〜ゲーム『バトルフィールド1』 今度の舞台は第一次世界大戦だ!〜ゲーム『バトルフィールド1』を含むブックマーク 今度の舞台は第一次世界大戦だ!〜ゲーム『バトルフィールド1』のブックマークコメント

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(前回までのあらすじ)(もはやゲームレヴューでもなく単なる歳時記)(そもそもゲームレヴューじゃない)オレは疲弊していた。なぜなら歳だからである。ちょっとしたことで疲れるのだ。オマケに仕事も忙しい。最近なんて毎日残業2時間だぞ。1時間でも多いってぐらいなのに。疲れる。大いに疲れる。こんなに忙しくて疲れていたらゲームなんかやってる暇ないじゃないか。なにしろ仕事の疲れには酒が一番だからな。そんな訳で、いつものことだが酒に溺れる毎日であり、ゲームなんかしている暇などないのである。

しかしだ。年末のゲーム発売ラッシュというのが来やがったのである。この間の『Gears Of War 4』を皮切りに、『バトルフィールド1』『マフィア2』『タイタンフォール2』『コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア』さらにトドメとして『人喰い大鷲トリコ』が発売されるではないか。神よ、あなたはオレに何をさせようというのですか。オレは神に問うたのである。すると神はこう仰せられた。「ゲームしろ」。

という訳の分からない長い前置きは終わりにして『バトルフィールド1』である。FPSゲーム「バトルフィールド」シリーズはこれまで何作もリリースされてきたが、今回のタイトルが『バトルフィールド1』。どうやら今作が第1次世界大戦(WW1)を舞台にしているからのようだ。そういえばFPSでWW1というのは珍しい(今まで無かったのかどうかは不明)。昨今のFPSは第2次世界大戦(WW2)から現代戦へ、さらに未来戦へと進化し続けているが、ここへきてWW1というのはどうなのだろう。

しかしこのWW1が舞台というのは大当たりだったようだ。発売前に公開されたグラフィックや動画を観た段階からこれは成功だな、と思っていたが、実際プレイしてみてこれは確信となった。まず、WW1に登場する武器兵器というのが、非常に不格好で物々しく、逆にそれが禍々しい姿に見えてしまうのだ。それと併せ、WW2よりも馴染の薄い武器兵器ばかりなので、妙に新鮮さを感じるのである。そしてプレイして分かるのはその性能の悪さだ。ゲームでの銃は現実通りではないのかもしれないが、単発ライフルや装弾数の少ない銃などは使い勝手が悪く、逆にそれが緊迫感を生む。投擲弾も飛距離が少なくて敵にできるだけ近づかなくてはならない。

そして高性能武器が少なかった時代の、歩兵の数で圧倒しようとする戦略が生んだ、夥しい死体の数である。塹壕と鉄条網と泥濘に塗れた、陰鬱で荒涼とした戦場の光景である。そうした光景の中で繰り広げることになる戦闘は、異様さがいや増す。いや、戦場というのはそもそも異様なものではあるが、現代戦や未来戦に存在する玩具の様なスマートさとはその惨たらしさ、汚らしさといった点で一線を画している。

さらにキャンペーンゲームを盛り上げるのは実際の史実を基に構成された作戦に参加するということだろう。自分はこういった戦史には疎いのでこれらがどこまで再現されたものなのか知る術はないが、ゲーム的な脚色は当然あるにせよ、これとよく似た戦闘が行われていたのだな、と感じながらゲームプレイをするのは感慨深く、さらにその戦局が大国同士の利己的な決定によって覆されたり無に帰したりするのを知るにつけ、戦争の、そしてWW1の持つ不条理さを否応なく体験してしまうのだ。

特に「アラビアのロレンス」篇の、アラブの民として雄々しく戦い勝利した後に、最終的に英仏によって独立を反故にされた、という歴史的事実を突き付けられるのは、戦争の無情をまさに体験してしまったように感じさせられた。それと、今作、物凄くいいシーンで物凄くいい曲がかかる。この辺の演出も素晴らしいな。

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yoyoshi yoyoshi 2016/11/14 09:15 サキやホジスンは第一次大戦で戦死してしまったのですね。あんなドロッドロの塹壕にいたら破傷風になるって!まだ抗生物質や点滴が無いから怖すぎる。

globalheadglobalhead 2016/11/14 10:30
第一次世界大戦が舞台ということから自分はジャン=ピエール・ジュネ監督の『ロング・エンゲージメント』やスティーヴン・スピルバーグ監督の『戦火の馬』を思い出しましたね。

20161110(Thu)

[][]凸凹刑事コンビの誘拐犯大捜査!〜映画『Dishoom』 凸凹刑事コンビの誘拐犯大捜査!〜映画『Dishoom』を含むブックマーク 凸凹刑事コンビの誘拐犯大捜査!〜映画『Dishoom』のブックマークコメント

■Dishoom (監督:ローヒト・ダーワン 2016年インド映画)

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大会中のクリケット選手が誘拐された!それを追う刑事二人!しかしこの二人、水と油のような凸凹コンビでして……というアクション・コメディです。刑事コンビ役に『Dhoom』(2004)、『Housefull 2』(2012)のジョン・エイブラハム、『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』(2012)、『Any Body Can Dance 2』(2015)のヴァルン・ダワン。ヒロインに『Kick』(2012)、『A Flying Jatt』(2016)のジャクリーン・フェルナンデス。それとちらほらカメオ出演があるのでお楽しみに。監督は『Desi Boyz』(2011)のローヒト・ダーワン。

《物語》中東で開催されているクリケット大会の会期中、インドのトップ・クリケット選手ヴィラージ(サーキブ・サリーム)が誘拐された。しかし彼は2日後に予定されるインドとパキスタンとの因縁の対決となる試合にどうしても出場させなければならないのだ。インド当局は事件解決のために急遽スペシャル・タスク・フォースであるカヴィール(ジョン・エイブラハム)を派遣する。現地警察が捜査協力者として選んだ男は新人警官ジョナイド(ヴァルン・ダワン)。だが無口で強面のカヴィールとお喋りで腰の軽いジョナイドはなかなかそりが合わない。そんな中、事件の手掛かりを知る女ミーラ(ジャクリーン・フェルナンデス)の名が浮上し、二人はミーラの確保に乗り出す。事件解決の猶予は36時間、凸凹コンビは無事ヴィラージを救出できるのか?

シリアスだったり実録モノだったりする作品の多い2016年のインド映画ですが、ここに来てやっとインド映画っぽいお気楽アクション・コメディの登場です。いやあ、こういうのが観たかったんですよ!舞台となるのはキンキラキンのアラブの金満国家、ガチムチ男とにやけた兄チャンとの凸凹刑事、背後で蠢く陰謀、謎の美女、宙を舞うバイク、銃撃戦、大爆発、しかして全体的にはお気楽&ゆる〜い展開で、賑やかなダンス・ミュージックがのべつまくなしに挿入され、アラブの陽光は常にさんさんと照り、刑事二人は真面目にやっている筈なのになぜだか妙な目に遭ってしまう。でもそこに時々派手なアクションがドカーンと挿入されて、物語をピリッと引き締めるという訳ですな。数は少ないけど艶やかな歌と踊りのシーンも楽しいよ!

物語の中心となるのはなにしろカヴィールとジョナイドとの掛け合いの様子。カヴィールはとにかく暴力的で自己中心的な野蛮極まりない男。一方ジョナイドは一見おちゃらけ野郎に見えつつ、口八丁手八丁で事態を切り抜ける要領のいい男。「力の1号・技の2号」というか力のカヴィールと技のジョナイドといった感じ。たいていの局面では、力任せに突き進んでコケてしまうカヴィールの横で、ジョナイドがシレッとした顔で事態を収めてしまう。この正反対のキャラが次第に協力し合い、最後には力を合わせて敵を追いつめる!……というのはバディ・ムービーのお約束ですが、だからこそ安心して観ていられるんですよ。そんな男臭くなりがちなドラマに美女ミーラが絡んで華を添える、なんてところも王道でしょう。ハリウッド映画に例えるとジェイソン・ステイサムとジョセフ・ゴードン=レヴィットのコンビにミーガン・フォックスが絡んでくる、みたいなビジュアルかな?

さらにこの作品、カメオ出演者が多数出演して何かと嬉しい。どんな俳優かはお楽しみの為に秘密にしておくけど、インド映画じゃお馴染みのあのAKさんはあろうことかゲイっぽく登場するし、唇の魅力的なNFさんはなんと水着で登場して眼福の限りだし、中堅どころながら印象深い作品に多く出演するPCさんはアイテム・ガールとして楽しい歌と踊りを披露だね!こんな具合に至れり尽くせりで肩の凝らない娯楽作品に仕上がっているんですよ。まあ練りに練ったシナリオの大アクション作って程ではないし、大味っちゃあ大味なんだけど、気楽にサクッと観られるスカッとしたセンスの良作ということはできるんじゃないかな。

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20161109(Wed)

[][]悲痛な過去を持つ男が引き起こした誘拐事件〜映画『Madaari』 悲痛な過去を持つ男が引き起こした誘拐事件〜映画『Madaari』を含むブックマーク 悲痛な過去を持つ男が引き起こした誘拐事件〜映画『Madaari』のブックマークコメント

■Madaari (監督:ニシカント・カマト 2016年インド映画)

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政府要人の息子が誘拐された。犯人の目的はなんなのか?やがてある悲痛な事件が背後にあったことが明るみに出る。2016年にインドで公開された映画『Madaari』は、誘拐事件を通して社会の不正を訴えようとした物語だ。

存在感に溢れた誘拐犯を演じているのはイルファン・カーン、ハリウッド映画でも大活躍する彼に説明は必要ないだろう。そういえば今作のクレジットでは「Irrfan」という名前だけだったけど名前変えたのかな?彼を追う警官役はジミー・シャーギル、『Traffic』(2016)にも出てたよね?とか思いつつバイオ調べたら『Bang Bang!』(2014)にも『Tanu Weds Manu』(2011)にも『マイ・ネーム・イズ・ハーン』(2010)にも出てんじゃん!今度こそ名前覚えます。そして監督はニシカント・カマト、彼の作品は『Drishyam』(2015)と『Lai Bhaari』(2014)を観たぐらいだが、どちらも相当面白く、今作もちょっと期待して観てみた。

物語は、なにしろ誘拐事件だ。内務大臣の10歳になる息子、ローハン(ヴィシェシュ・バンサル)が誘拐されたのだ。動揺する父、泣き崩れる母、捜査に乗り出す警察、騒ぎ立てるマスコミ。しかし、待てど暮らせど犯人からは何の要求もない。身代金要求も、脅迫も、犯行声明も、何もない。ローハンは生きているのか死んでいるのか?焦りばかりが関係者を苛む。さて、その誘拐犯人は誰か。それはニーマル(イルファン・カーン)という男だった。彼は用意周到に誘拐を成功させ、その後誘拐したローハンを僻地に連れまわしていた。そして遂に、ニーマルは内務大臣へとメッセージを送る。それは、ある償いの要求だった。

という訳で犯人ニーマルが誘拐事件を起こした訳が明かされるわけだが、具体的な内容については伏せておこう。最初に書いたように、ある悲痛な事件と、その要因となった社会の不正が元になっている、とだけ書いておこう。そもそも誘拐事件が起こって暫くしてから、犯人の目的が営利誘拐ではないことはなんとなく分かってくる。髭もじゃで髪の毛ぼうぼうの犯人ニーマルは一見怖そうだけど、何故だか寡黙だし、それによく見ると目つきがとても悲しそうなんだ。誘拐したローハンにも強い言葉を投げかけるけど、暴力的という訳ではないし、決して冷たくもないんだ。

そしてニーマルとローハンとの奇妙な旅が始まる。移動することで警察に居所を察知されないためだとは思うけれども、なんでこんなにあちこちへ巡るのかは、正直観ていてよく分からなかった。でもそれはどこかロードムービーのようですらある。誘拐犯と誘拐された者とのロードムービーというと、アーリヤー・バットが主演した2014年公開のインド映画『Highway』を思い出すが、あの映画では、移り変わる風景の中に、登場人物たちの移り変わる心象が託されていたように、この『Madaari』でも、ニーマルとローハンの、移り行き揺れ動く心を仮託しようとしていたのかもしれない。

とまあそんな訳で、物語の核心はそのニーマルが誘拐事件を起こしてまで追求したかったある事件、それも世の中の腐敗や不正によって起こされた事件へと言及されることになる。もはや警察なんて当てにならない、例え重犯罪を起こしたって自分がなんとかしなければ、世の中の腐敗や不正は明るみに出ないし正すことだって出来ない。こんな物語は最近IFFJでも公開された『ガッパル再び(Gabbar Is Back)』(2015)を思い出す。『ガッパル』もこの作品も法律や行政への徹底的な絶望感が立脚点になるけれども、こういった物語が生み出されてしまうこと自体にインドに生きる人たちの社会に対する鬱屈した心が透けて見えてくるようだ。

とはいえ、それを明らかにしようとしたクライマックスのシチュエーションは、遠山の金さんの前で観念した悪党が己の悪行をべらべらまくしたてているみたいで、これにより正義が成されたりと溜飲を下げるのって随分単純すぎるよなあと思えてしまった。そもそも本物の悪党なんていろんな論理が歪みまくってる上にモラルなんて一筋たりとも通用しない爬虫類みたいな連中なんじゃないのか。ただまあ、民衆の求める「正義の物語」ってこのレベルが一番収まりがいいのかもな。それと気になったのはニーマルとローハンが次第に心を通わせ合うようになる過程で「これってストックホルム症候群だよね」と言わせちゃうってことで、いやそれ分かってるけど言葉で説明させちゃダメでしょ。そういった部分で、なーんかシナリオの推敲の仕方が未熟だな、と思えてしまった作品だったなあ。あ、イルファン・カーンはいつものように一ヶ月便秘しているみたいな陰鬱な顔つきしていてとってもよかったです。

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20161108(Tue)

[][]喪われた古代都市モヘンジョダロの姿を描く歴史絵巻〜映画『Mohenjo Daro』 喪われた古代都市モヘンジョダロの姿を描く歴史絵巻〜映画『Mohenjo Daro』を含むブックマーク 喪われた古代都市モヘンジョダロの姿を描く歴史絵巻〜映画『Mohenjo Daro』のブックマークコメント

■Mohenjo Daro (監督:アーシュトーシュ・ゴーワリカル 2016年インド映画)

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モヘンジョダロである。2016年公開のインド映画『Mohenjo Daro』は失われた謎の古代都市モヘンジョダロを舞台にした作品なのである。モヘンジョダロ。紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測されたインダス文明最大級の都市遺跡だ(はいこの辺Wikipediaのコピペ)。これは気宇壮大な歴史絵巻になりそうじゃないか。そして主演がリティク・ローシャン。2014年公開の『Bang Bang!』以来ボリウッド映画ではご無沙汰だったが、やっとその色男ぶりとシックスパックを拝めるのかと思うと楽しみだ。そして監督が『ラガーン』(2001)のアーシュトーシュ・ゴーワリカルときた。そう、『ラガーン』はオレのこれまで観たインド映画の中でも1、2を争う名作中の名作だったな。ただしあの『Swades』(2004)と『Jodhaa Akbar』(2008)の監督でもあるのが相当な不安要素なんだよな……。

《物語》紀元前2016年。小さな農村で暮らす青年サルマーン(リティク・ローシャン)は噂に名高い大都市モヘンジョダロへ遂に足を踏み入れることになる。これまで観たことも無いほどの沢山の人々、無数に立ち並ぶ煉瓦作りの建物、物珍しい交易品、それらはどれもサルマーンの目を奪うものばかりだった。さらに神官の娘チャーニー(プージャー・ヘーグデー)の美しさに心奪われたサルマーンは、とある事件をきっかけにチャーニーの信頼を得るまでになった。しかしチャーニーはモヘンジョダロ首長の息子ムーンジャー(アルノーダイ・シン)の許婚だった。しかも首長であるマハム(カビール・ベーディー)は私利私欲から強権的な政策を敷き、権力の為に暗殺まで行うばかりか、モヘンジョダロを危機に陥れる悪辣な企みを働かせていたのだ。そんなマハルとムーンジャーの奸計に怒りを爆発させるサルマーンだったが、大立ち回りも空しく捕えられ、死の闘技場に送られることになるのだ。

う〜む。最初に書くと、鑑賞前に抱いていた不安が的中し、どうにもグダグダの作品ではあった。監督のアーシュトーシュ・ゴーワリカル、確かに『ラガーン』はインド映画史に残る名作中の名作だったが、その後の『Swades』はシャー・ルク・カーン主演ながら箸にも棒にも掛からぬ凡作で、さらに割と評判のいい『Jodhaa Akbar』ですらオレにはたまらなく退屈だった。この『Jodhaa Akbar』、6世紀のムガル帝国を舞台にした作品で、歴史大作である部分やリティク・ローシャン主演である部分などがこの『Mohenjo Daro』と被っているのだが、『Jodhaa Akbar』に感じた不満と全く同じ不満をこの『Mohenjo Daro』にも感じてしまった。仮にも悠久の歴史の中に存在した栄華を誇る一つの文明なり国家を描きながら、お花畑な恋愛ドラマに矮小化してしまっている部分や、歴史ドラマに求められるであろう壮大さが、ちゃちいセットと少ないモブで貧相極まりないものになっている部分や、そこで描かれる戦闘シーンが、まるでやる気の無い適当さで描かれている部分などが全く一緒だ。

何よりも、本来の主役である筈の都市モヘンジョダロと、そこに暮らす人々の風俗に、なんのリアリティもイマジネーションも感じなかったということだ。確かに、モヘンジョダロはいまだにその全貌が判明しない謎の都市である。残された文字が解読できないばかりに、どのような人々が住みどのような暮らしを送っていたのかほとんど解明されていないのだ。だからその歴史的考証といっても不可能なものが多かったことは十分理解できる。だからこそ映画の冒頭では「(よく分かってないので)自由に作らせてもらってるから」という但し書きが流れる。それでも、映画を観終った後に調べると、この作品はアメリカの大学を含めた幾人もの学術研究者の協力を仰ぎ、残されたモヘンジョダロの遺物から様々なものをできるだけ正確に再現しようとしていたことが伺える。例えば映画の街並みのパースは実際の遺跡通りだというし、古代文明に多く見られる神権政治を描くことをしていない部分、強権的な支配者は描かれるが、強大な権力を示す建造物が存在しない部分、これらは現在の研究内容と一致しているのだ。「自由に作っている」ように見えて、最大限の考証は行われているのだ。しかし、それだけでは結局駄目なのだ。

なぜならこれは科学ドキュメンタリーではなく映画でありドラマであるからだ。だから考証を無視してでも、どれだけ嘘をつけるのか、驚く様なものを観客に見せられるのかが映画というフィクション本来の楽しさなのではないか。しかし、まさに監督の腕の見せ所である筈の美術や物語にまるで目新しさも魅力も感じない。描かれる美術も衣装も習俗もどうにも想像力貧困な作りもの臭いものばかりで、「この映画、サンジャイ・リーラー・バンサーリに監督させろよ」と何度思ったことか。その物語も「田舎から大都会に出てきた青年が身分違いの恋をして土地の権力者にどやされるがそれを乗り越えてゆく」というあまりにもありきたりのもので、まあ歴史絵巻ですらロマンス中心というのもインド映画らしくはあるが、それでは何のために舞台をモヘンジョダロにしたのか必然性をまるで感じなくなってしまう。異質な世界、異質な時代、異質な文化をテーマにしながら、その異質さを際立たせることなど全くせず、描かれるのはお馴染みの遣り尽された物語なのだ。意欲は分かるが凡作、怪作の部類の作品だろう。

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fun*arifun*ari 2016/11/08 15:37 遺跡、姫君、流れ者でインド版敦惶かと期待してたんですが、そうじゃないんですねトホホ。リティクのファン以外はスルーしてもいいくらいですかねー。

globalheadglobalhead 2016/11/08 16:54 あ!実はこの作品、敦惶なのかもしれませんね。自分はその辺知識が無いのでピンと来なかったんですが、そういう観方をすれば面白いのかも。個人的にはユルい作品だなあとは思ったんですが『Jodhaa Akbar』が好きな方だったら問題なく観られるかもしれません。

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20161107(Mon)

[]叙述トリックめいたシナリオのあざとさ〜映画『手紙は憶えている叙述トリックめいたシナリオのあざとさ〜映画『手紙は憶えている』を含むブックマーク 叙述トリックめいたシナリオのあざとさ〜映画『手紙は憶えている』のブックマークコメント

手紙は憶えている (監督:アトム・エゴヤン 2015年カナダ・ドイツ映画)

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認知症を患い人生に残された時間もあと僅か、という90歳の老人が、たった一つやり残したことを遣り遂げる為に養護施設を抜け出した。彼の名はゼブ。ゼブの遣り残したこと、それは家族を殺した者への復讐。ゼブはかのアウシュビッツ収容所の生き残りであり、そこでナチスに家族を皆殺しにされたのだ。養護施設で出会った彼と同じ収容所の生き残りの男は、一人のアウシュビッツ職員の名が記された手紙をゼブに託した。その名前はルディ・コランダー。こうしてゼブの復讐の旅が始まる。

第2次世界大戦におけるナチス・ドイツの爪跡を描く映画作品は枚挙に暇がない。特にアウシュビッツを始めとする絶滅収容所に関わる物語は、その惨たらしさと痛ましさから様々な問題作を残した。自分はやっぱりスピルバーグの『シンドラーのリスト』が一番好きかな。アウシュビッツからは離れるが、ポーランド将校大量虐殺事件を描いた『カティンの森』(2007)も臓腑を抉るような作品だった。そして大戦が終わり、せっかく生き残った人々の中にも悲しみや怒りはいつまでもくすぶり続ける。これらポスト・ホロコースト作品としては自分には『イーダ』(2013)がとても心に残っている。映画『手紙は憶えている』はこの、ポスト・ホロコースト作品の一つとして数え上げられるだろう。

戦争により家族全てを奪われることの怒りや悲しみは自分の想像を超えるものだが、しかし、映画を観て思ったのは、90歳になり、平和となった時代にそれなりの生活を手に入れ、子を成し多分孫もいるのだろう老人が、その最期の時に復讐だけを胸に秘めて行動するのだろうか?ということだ。戦後70年余りが経ったとはいえ、その70年で怒りも悲しみも決して消え去ることはないとは思う。だが、その戦後の70年にあった人生全てが怒りと悲しみだけだった筈はない。ましてや殺人まで決意した復讐となると、これはもう妄執に近い意志の強さだ。それは鬼の行為である。だがしかし、認知症にまでなった老人が妄執に塗れた鬼とはどうしても思えないのだ。

そして、主人公ゼブが認知症であり、記憶が殆ど覚束なくなっている、ということだ。ゼブは妻が亡くなったことすら覚えておらず、劇中何度も死んだ妻の名を呼ぶシーンがある。認知症と記憶障害は違うものだが、自分が復讐をしようとしていることすら忘れてしまう老人の復讐、というのはいったいなんなのだろう?この「記憶障害を持つ男の復讐劇」として、2009年に公開されたジョニー・トー監督作品『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』、さらに映画『pk』の主演でもあるアーミル・カーンが主演を務めた『Ghajini』(2008)あたりを思いだすが、あの「ジェイソン・ボーン」シリーズもその範疇に入るのだろう。

しかし、記憶障害すら乗り越え悪党に鉄槌を下そうとするその執念の凄まじさには息を飲まされるものがあるとしても、これら作品の巌窟王の如き復讐鬼となった主人公と、『手紙は憶えている』の主人公ゼブとは質が違うように思う。むしろゼブには、収容所での憎しみを乗り越え、戦後70年の間に体験した幸福だけを噛み締めながら生きるべきだったのではないのか。いや、別にこれは実際の戦争被害者に対して思うことではなく、映画というフィクションの中の主人公の心理に、なにかリアリティを感じないということなのだ。

ナチス・ドイツという人類史上稀に見る絶対の悪役を掲げることで、映画というフィクションは大いに正義の行動を描くことができるようになったが、個人的な感想としては正直ナチスの極悪さばかりを見世物にする映画作品にはどうにも食傷してしまったのも確かだ。確かに大量虐殺の惨禍は決して忘れるわけにはいかないとしても、その悲惨を乗り越えて何を見出し、何を作り上げてきたのか、戦後70年の、ポスト・ホロコースト時代に描かれるべきなのはそういった作品なのではないのか。そういった部分で先に上げたポーランド/デンマーク映画『イーダ』には大いに感銘を受けたが、この『手紙は憶えている』から感じたのは叙述トリックめいたシナリオのあざとさだけだった。ああ、シナリオライターはアメリカ人なのか、なるほど。

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globalheadglobalhead 2016/11/07 15:06 コメントをいただいたのですが、クライマックスに触れておりネタバレしていたため大変申し訳ないのですが削除させていただきました。悪しからず。

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20161104(Fri)

[][]少年少女のロマンスを瑞々しい映像で描きながら恐るべき展開を見せる問題作『Sairat』 少年少女のロマンスを瑞々しい映像で描きながら恐るべき展開を見せる問題作『Sairat』を含むブックマーク 少年少女のロマンスを瑞々しい映像で描きながら恐るべき展開を見せる問題作『Sairat』のブックマークコメント

■Sairat (監督:ナーグラージ・マンジュレー 2016年インド映画)

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良家の娘と貧しい少年とのカーストを超えた恋。2016年に公開されたマラーティー語映画『Sairat』は、インド映画ではお馴染みの美しくもまた辛苦に満ちた恋を、瑞々しく情感に溢れた映像で描き出した作品だ。しかし、この作品は、ただそれだけではない凄まじい展開を迎える。監督は『Fandry』(2012)のナーグラージ・マンジュレー。

物語は、そう、少年と少女の出会いから始まる。貧しい生まれだが快活な少年パルシャー(アーカーシュ・トーサル)は、地元の有力者の娘アールチー(リンクー・ラージグルー)に心奪われていた。遠巻きに付きまとうパルシャーに最初怪訝な表情を見せるアールチーだったが、その屈託の無さに次第に彼を受け入れるようになり、いつしかふたりは愛を囁くようになる。美しい日々、輝く様な毎日。しかし、アールチーの父はそんな二人を決して許そうとはしなかった、何故なら、二人は異なるカーストだったからだ。度重なる軋轢と暴力の果てに、二人はなし崩しのように駆け落ちをしてしまう。

この前半では、陽光鮮やかで豊かな自然の光景をバックに、年若い少年少女の出会いとその恋を伸び伸びと描いてゆくことになる。少年パルシャーはその年齢にそぐわない落ち着きと穏やかさを持ち、一方少女アールチーは、トラクターに乗るわバイクに乗るわ乱暴者は一喝するわで、なかなかに男勝りの性格だ。どこか対称的な二人だったからこそお互いが惹かれたのかもしれない。そんな二人の恋が身分の違いから強権的な父親に阻まれ……という展開を迎えるのだが、正直に言うとこの前半は若干退屈した。恋する少年少女はあまりに年若すぎて観ている自分には共感する部分が無かったし、身分違いの恋はインド映画ではあまりにありふれた題材だからだ。

しかし、大人たちの反対を押しのけ、友人たちの力を借りて駆け落ちする二人の光景に、ああこれはインド版の『小さな恋のメロディ』なのだな、ということが段々と分かってくる。ワリス・フセイン監督により1971年に公開されたイギリス映画『小さな恋のメロディ』は、やはりまだ幼い少年少女が出会い、大人たちの憤怒と妨害を尻目に、友人たちの協力を得て駆け落ち同様の旅に出る、という物語だ。同時にこの作品は中流家庭の少年と労働者階級の少女というイギリス階級社会の格差の中にある二人の恋を描いていた。こういった部分で映画『Sairat』前半は『小さな恋のメロディ』と相似形を成しているのだ。

そして後半では駆け落ちしてはみたものの、知らない街で現実の厳しさに打ちひしがれながら生きざるを得ない二人が描かれることになる。そう、駆け落ちして恋の成就が相成ってメデタシメデタシ、で終わるありていな物語では決して無いのだ。二人が辿り着いた街では言葉も満足に伝わらず、IDが無いためモーテルに泊まることもできず、着の身着のままで野宿する毎日を過ごす。二人を不憫に思ったスラムの中年女性に拾われたものの、紹介された宿はやはりスラムの物置の様な小屋だ。仕事を探しなんとか生活しようと努力する二人だが、寂しさと惨めさが二人を苛んでゆく。

この後半では、美しく夢のようだった恋が次第に現実に塗れて疲弊してゆく様子が描かれ、この物語が最初思っていた凡庸なものではないことに気付かされる。そしてこの後半では、ルイス・ギルバート監督による1971年のイギリス映画、『フレンズ〜ポールとミシェル』を想起させるものとなっている。この映画もまた10代の少年少女の恋の物語だが、やはり駆け落ちした二人は現実の厳しさに苛まれ、貧困生活を余儀なくされる、という展開を持つのだ。『小さな恋のメロディ』と『フレンズ〜ポールとミシェル』、同じ1971年のイギリス映画だが、かつてイギリスを宗主国としたインド生まれの監督がそれら映画の影響をどこかで受けたのではないかと想像できる。

という訳で一見ありふれたインド産ロマンス映画と見えて、実はイギリス産の二つのロマンス映画をその骨子として持つと思われる『Sairat』、意外と技ありの作品だということができる……のだが、実はこの物語、それで終わりでは全く無かったのだ。この映画のラストに、驚愕の展開が待っているのである。この作品の全ては、"これ"を描くためだけにじっくりと熟成させながら周到に物語を用意していったといっていい。これ以上は触れられないが、なにしろ観ていてあまりのことに呆然としてしまった。そしてこのラストは、愛や恋だけではどうしようもできないインドのある一面を抉り出す。優れた問題作であり、恐るべき傑作だということができるだろう。

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20161103(Thu)

[][]7時間2分で65キロもの距離を走破した4歳の少年の実話映画『Budhia Singh : Born to Run』 7時間2分で65キロもの距離を走破した4歳の少年の実話映画『Budhia Singh : Born to Run』を含むブックマーク 7時間2分で65キロもの距離を走破した4歳の少年の実話映画『Budhia Singh : Born to Run』のブックマークコメント

■Budhia Singh : Born to Run (監督:ソーメンドラ・パティー 2016年インド映画)

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インドに住むたった4歳の少年が世界最年少のマラソンランナーとして記録を打ち立てた。少年の名前はブディヤー・シン。彼は7時間2分で65キロもの距離を走破したのだ。映画『Budhia Singh : Born to Run』は、このインド最年少ランナーを巡る真実の物語である。主演はインド3州に渡り1200人のオーディションの中から選ばれたマイヤー・パトレ、彼をサポートするのは『Veer-Zaara』(2004)、『Gangs of Wasseypur – Part 1』(2012)、『Aligarh』(2016)の実力派俳優マノージュ・バージパーイ。

ブディヤー・シン(マイヤー・パトレ)は2002年、インド、オリッサ州のスラムで生まれた。父親はすぐに亡くなり、母親の手一つで育てられていたが、その家庭は極度の貧困の中にあり、ブディヤーは行商人にたった800ルピー(日本円で約1250円)で売られることになってしまう。行商人に虐待されているブディヤーを救い出したのはビランチ(マノージュ・バージパーイ)という男だった。ビランチは柔道道場の師範だったが、篤志家でもあり、孤児院を開いていたのだ。そんなある日ビランチは、ブディヤーにマラソンの才能があることを見出し、特訓を開始する。ブディヤーはオリンピック出場も夢ではない貴重な子供だ、そう信じたビランチはマスコミや政界にアピールするため、オリッサ州プリーから州都ブヴァネーシュヴァルまで、65キロのノンストップ・フルマラソンをブディヤーに科したのだ。この時、ブディヤーはたった4歳だった。

インドにもスポーツ映画ジャンルというのがあって、意外と面白い作品が並んでいるのでよく観ている。ちょっと古いのだと『ラガーン』(2001)、『Chak De! India』(2007) はどちらも名作だし、最近だと『Mary Kom』(2014)、『Saala Khadoos』(2016)という女子ボクシングものもあった。さらに『Brothers』(2015)、『Sultan』(2016)あたりはどちらも大いに盛り上がって観た。そしてなんといっても日本公開もされた『ミルカ』(2013)だろう。インドスポーツ史に残る金メダリスト、ミルカ・シンの半生を描いた『ミルカ』は、今回紹介する『Budhia Singh : Born to Run』と同じマラソンランナーの実話物語という点で共通している。この『Budhia Singh』はさらに、貧しい生まれの少年のスポーツに賭ける夢といった点で、インライン・スケートに夢を賭ける少年の物語『Hawaa Hawaai』(2014)と共通する部分も持つ。

とはいえこの物語、いくらインドスポーツ史に名を残すとはいえ、描かれる主人公の年齢はまだ4歳。たった4歳で実話映画の題材にされるというのも凄いが、逆に言うなら他にエピソードを盛り込みようがないだろ、という気もする。今年のインド映画は実録作品が多く、その流れもあるのかもしれないが、ネタが豊富過ぎるのか逆にネタ切れなのか、よくこんな作品を作ったな、という気がしないでもない。だって、メインとなるエピソードは「4歳の少年が7時間2分で65キロもの距離を走破」、これだけである。確かにそれ自体は凄いことだが、日本なら「世界仰天ニュース」みたいな番組で5分か10分で紹介し切れてしまう内容だろう。実際にイギリスでもドキュメンタリー番組が製作されたらしいが、映画として物語を成立させるにはなかなか難しいんじゃないのか。

そんなことを思いながら観ていたのだが、やはりメインエピソードだけではない作品には一応なっていた。それはまず「4歳の子供に過酷なスポーツをやらせるわけにはいかない」というお役所の猛反発と、コーチであるビランチとの対立だ。お役所はブディヤーの長距離走を禁止しようとするが、一方、「子供ながらに大活躍するブディヤーは我らがヒーロー!」とばかりに祭り上げる、例によってお祭り騒ぎ大好きなインドの民衆の応援がそれを阻む。

そしてもう一つは、コーチであるビランチの慢心だろう。ダイヤモンドの原石のようなブディヤーに魅せられたビランチは、家族そっちのけでブディヤーに掛かりきり、「この子はいつかオリンピック選手だ!」と一人で浮かれている。当然奥さんはおかんむりだし、本当の子供もほっぽらかしだ。ブディヤーのおかげで地元の有力者と仲よくできて舞い上がっている様は実の所みっともないし、さらにビランチはブディヤーの記録を伸ばすため虐待じみた行為までしてしまう。また、一度は子供を売り飛ばした母親が、我が子の名声を聞いて親権を主張し始める。

こんな具合に、物語はブディヤー少年とは別の所で、大人たちの思惑が入り乱れる様子が描かれてゆくことになる。「少年が大記録を達成した!よかったよかった!」という物語では決して終わっていないのだ。とはいえ、そんなことよりも、ブディヤー少年が成長し、さらなる記録と栄えある成果を出し続ける物語を見たかったのだけれども、結局「早すぎた天才」を描く「早すぎた映画」になってしまっているところが惜しい。ブディヤー少年は現在14歳で、ブバネシュワールにあるカリンガスタジアムのホステルに寄宿しながらトレーニングの日々を送っているそうだが、4歳の時の輝きは消え、将来に期待はあまり持てないという。しかも最近のニュースだと、そのホステルから失踪したというではないか。やはり早世の天才は大成しないものなのかなあ、と映画とは別の部分でちょっと寂しかった。

そんな作品ではあるが、やはりコーチ役のマノージュ・バージパーイが素晴らしい。この人がいたから物語に一応の締りが出たのだと思う。そしてブディヤー役の子役の子が可愛い。オレは今まであんまり言わないようにしていたのだが、インド映画に出て来るインドの子供たちって、とっても可愛いよね。まあ世界全国、子供は可愛らしいものだけれど、インドってそもそもあんまり豊かじゃない人たちが多いから、かえって子供たちが健気に見えちゃうんだよね。

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20161102(Wed)

[][]ドラッグによる精神の解放を描くインドのヒッピー映画『M Cream』 ドラッグによる精神の解放を描くインドのヒッピー映画『M Cream』を含むブックマーク ドラッグによる精神の解放を描くインドのヒッピー映画『M Cream』のブックマークコメント

■M Cream (監督:アグニア・シン 2016年インド映画) 

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映画『M Cream』はデリー大学に通う4人の男女が中心となって描かれるインディペンデント系のロード・ムービーだ。作品は2014年にロードアイランド・フィルム・フェスティバル上映後2016年にインドで一般公開されている。

タイトル「M Cream」とは何か?というと、これがヒマラヤにあるという極上のハシシ(大麻樹脂)の名前。実はこの物語、麻薬を中心としたインドのヒッピー・カルチャーを描いたものなのだ。その昔ヒッピーの幻想はインドを目指したが、この作品はインドのヒッピーが目指す幻想を描いたものであるということもできる。2016年に公開された『Udta Punjab』はインドを蝕む麻薬禍を描いた作品だったが、この『M Cream』は麻薬による精神の開放を描く。この辺の真逆のアプローチというのも面白い。

《物語》主人公フィグズ(イマード・シャー)は裕福な家に育ち、将来を嘱望される青年だが、若者ならではの反抗心と皮肉な性格も併せ持っていた。フィグズはカメラマンのニッツ、彼のガールフレンドのマギー、そして人権活動家の女学生ジェイ(アイラ・デュベィ)と共にヒマラヤを目指す。道中彼らはドラッグ・パーティーのコミューンに立ち寄りドラッグによる精神の解放を体験する。しかし羽目を外し過ぎたマギーのせいでフィグスら一行の旅は危うくなる。

最初に目を惹くのは主人公4人のリアルな描写だろう。大学のパーティーでは酒をあおり大麻を回し議論に熱中したかと思うとDJのプレイするダンスミュージックで踊り、気が合ったカップルは部屋にしけこみセックスする。ハリウッド映画ではお馴染みのシチュエーションだがインド映画となると結構珍しい。そして彼らが旅するヒマラヤ山脈の麓の、折々の山々と木々の光景が美しい。これはヒマラヤに近いヒマーチャル・プラデーシュ州でロケされたのらしいが、その透き通った光景は一見に値するかもしれない。

ところでこのヒマーチャル・プラデーシュ州の観光地クッルー〜マナーリーはもともとインドの数ある避暑地の一つだったが、1970〜80年代に欧米人ヒッピーの溜まり場となった過去があるのらしい。なぜならそもそもこの土地は世界でも指折りのハシシの生産・流通地だったからだ。インドでハッパやりながらレイブ・パーティーというとインドのゾンビ・コメディ『インド・オブ・ザ・デッド』(2013)の舞台ゴアが思い浮かぶが、どうやらクッルー〜マナーリーも欧米人がイッパツキメてレイブ・パーティー、という土地柄なのであるらしい。まあ現地のインド人は相当迷惑しているらしいが。

さて物語の中で主人公一行は、ここにあるドラッグ・コミューンで極上大麻の幻想体験をし、さらに山奥で森林保護を訴える活動家たちのコロニーに入って共に行動する。精神の解放と権力からの自由、文明を離れた自然の中での生活。この作品で謳われるのはまさにアメリカ60年代ヒッピーカルチャー/フラワームーブメントの再現であり、何をいまさらといった古臭さは感じるものの、これがインドである、というその一点のみにおいて物珍しさがある作品である。しかし物語ではそれらへの幻滅までもが描かれ、その先にあるものを模索しようとする。

作品として見ると物語性とカタルシスの希薄さ、曖昧に終わるアンチクライマックスなシナリオが実にインディペンデント映画らしく、退屈さを感じる部分も多かったが、ドラッグによる精神的解放を描こうとした部分、ヒマラヤの自然の美しさといった部分で見るべき点もある。

この作品を観て思い出したのはディーピカー・パードゥコーン、ランビール・カプール主演の『若さは向こう見ず』(2013)だ。『若さは向こう見ず』は意気投合した4人の学生のヒマラヤへのトレッキングの旅とそこで生まれる恋、といった点で『M Cream』と非常にプロットが重なっている。しかしキラッキラでバブリーな嫌味さえあった『若さは向こう見ず』と比べ、『M Cream』の青春はセックスとドラッグと政治活動という実にベタなリアルさで描かれる。おまけにドラッグやりすぎてメンバー解散とか実にリアル過ぎる。なんとなれば『M Cream』は"裏"『若さは向こう見ず』と言うこともでき、その辺の意識の違いの様が妙に興味深い。ある意味『若さは向こう見ず』はインド経済発展の最後の仇花であり、『M Cream』は経済低迷後の若者の意識の在り方だったのかもしれない。

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20161101(Tue)

[][]消えゆく映画館へのエレジー〜『Cinemawala』 消えゆく映画館へのエレジー〜『Cinemawala』を含むブックマーク 消えゆく映画館へのエレジー〜『Cinemawala』のブックマークコメント

■Cinemawala (監督:カウシィク・ガングリー 2016年インド映画)

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映画『Cinemawala』は西ベンガルの小さな町を舞台に、廃業した映画館の館主とその息子との対立を描くノスタルジックなベンガル語映画である。主演はパラン・バナルジー、それに『女神は二度微笑む』(2012)の警官ラナ役でお馴染みのパランブラタ・チャタルジーが出演しているのが嬉しい。

《物語》プラナバンドゥ(パラン・バナルジー)はかつて映画館を経営していたが、時代の趨勢に取り残され廃業を余儀なくされていた。しかし彼は今でも妻の名を付けた自らの映画館に足を運び、老朽化したオフィスでベンガル語映画の黄金時代を懐かしんでいた。一方、プラナバンドゥの息子プラカーシュ(パランブラタ・チャタルジー)は魚屋を営む傍ら密かに海賊DVDの販売を行っていた。彼はある日プロジェクターによる海賊DVD上映会を思いつき、見事に成功してしまう。しかし父プラナバンドゥは映画に対する敬意のないプラカーシュに苦々しい思いを抱いており、さらに違法上映に対する警察の捜査が始まっていた。

シネコンの台頭とデジタルメディアの普及は、セルロイド・フィルムを上映する単館上映館の経営を脅かし、インドでもその数は急速に減少してきているという。これはそんな単館上映館へのノスタルジーとオマージュを盛り込んだ作品だ。映画館主プラナバンドゥの脳裏をよぎるのは、かつてスクリーンに躍った膨大な数とスターと映画作品であり、そんな古き善き過去の時代にプラナバンドゥはすっかり取り込まれたまま出てこない。依怙地なまでに過去を全肯定し、現代の作品には目もくれない様子はどことなく異常ですらあり、それは単なる強烈な映画愛というよりも、そこに彼自身のこれまでの人生への幻滅があったのではないか。あるいはただ老いてゆき、なにもかもが過ぎ去った後に悔恨と懊悩しか残らなかったことへの絶望が。

一方プラナバンドゥの息子プラカーシュはただ単にちゃらんぽらんな男である。彼は人並みに映画は好きではあろうが、基本的に映画は彼のお手軽な金儲けの手段でしかない。海賊DVDを売り違法上映を行うプラカーシュには少なくとも「映画愛」は皆無だろう。この作品ではインドで流通する海賊版の実体をうっすらと伝えるが、確かにネットをちょっと探すとリッピングされたインド映画が山ほど出て来るのは確かで、かの国の映画産業も確かにこれでは頭を悩ますだろう。しかし違法行為はともかくとしても、結局彼には映画に対する「こだわり」がないだけなのだ。なにより彼が最も必要とするのは「金を儲けて」「生活すること」であり、腹の足しにもならない「映画愛」など優先順位が限りなく下のものでしかないのだ。これは映画を芸術や文化と捉える人間と、たまさかの暇つぶしであり娯楽以上のものではないとする人間の違いだろう。しかしそれは、どちらが正しいとか間違っているという問題ではない。

物語はこうして、映画を中心としながら新旧二つの世代、二つの価値観、二つの生き方を描いてゆく。この拮抗の果てに何が待ち構えているのか、と固唾を飲んで見守っていたら物語の展開は果てしなくネガティヴな方向へと向かってしまう。ノスタルジーという名のこじらせすぎた思い込みの果てが、こういった救いの無いものでしかない、という結末の付け方は少しどうにかならなかったのだろうか。ただこの感想は、鑑賞したオレ自身がノスタルジーというものにまるで興味が無い即物的な人間であるせいなのかもしれない。全体的に美しい映像と音楽が牽引してゆくこの物語は、滅びゆく単館映画館へのエレジーであり感傷なのだろう。そういった文学的なセンチメンタルさ、という部分においては、確かにベンガル映画らしいものであるとも思えた。

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