まるで不幸の絨毯爆撃みたいなインドのサスペンス映画『Kati Patang』

■Kati Patang (監督:シャクティ・サーマンタ 1971年インド映画)


「なんだこの不幸の絨毯爆撃みたいなオープニングは!?」1971年公開のインド映画『Kati Patang』を観始めたオレは愕然としたのである。『Kati Patang』はこんな具合に始まる映画だ。

・主人公マドゥーリ(アーシャー・パーリク)は結婚式の始まるその時、かつての恋人の手紙を読んで結婚式を取り止め飛び出してしまう。
・しかしマドゥーリが恋人カイラス(プレーム・チョープラー)の部屋で見たのは彼が別の女と睦み合っている姿だった。
・悲嘆の中、マドゥーリが家に戻るとただ一人の家族である叔父が死んでいた。彼女は身寄りを失う。
・マドゥーリは町を出ようと汽車に乗る。そこで幼馴染だった女プーナンと出会う。彼女は子連れの寡婦となっており、亡夫の家族の元に身を寄せようとしていた。
・しかしその汽車は脱線転覆事故を起こす。瀕死のプーナンは「子供のために私に成り済まして亡夫の家族と暮らして。彼らは私の顔を知らない」と言いこと切れる。
・プーナンの義理の家族のいる町に着いたマドゥーリはタクシーに乗るが運転手に追剥に遭う。助けを求めるマドゥーリ。
・マドゥーリはからくも森林警備員のカマル(ラジェッシュ・カンナ)に助けられる。しかし後にカマルの使用人から、彼が最近結婚式で相手から逃げられ酒浸りであることを知らされる。そして、その逃げ出した結婚相手というのが、マドゥーリ本人だったのだ。

とまあ、これだけのことが冒頭のたった30分で繰り広げられてしまうのだ。なんという不運に継ぐ不運、不幸の波状攻撃であろうか。これはいったいどんな悪夢なのだろうか。オレは最初「これってホラー?」と思ってしまったぐらいだ。
いったいなんなんだこの映画…と思い一旦DVDを止め調べてみる。するとこの作品、原作がアメリカのミステリ小説家ウィリアム・アイリッシュによる『死者との結婚』という作品なのだという。タイトル通り「既に死んだ男の妻に成り済まし別の人生を生きようとした女」の物語であるらしい。またこの作品は1960年に高橋治監督により日本でも同タイトルで映画化されており、さらに1996年にリチャード・ベンジャミン監督で『くちづけはタンゴの後で』という邦題でも映画化されている。要するにミステリ・サスペンス作品なのだ。
物語はその後プーナンと偽って生きるマドゥーリの姿が描かれる。しかし、かつて結婚を袖にしたカマルが、何も事情を知らずに彼女に愛を告白し、彼女もまた彼を愛し始めていることに気付く。激しく苦悩するマドゥーリ。さらに、マドゥーリの本当の素性を知る者が彼女の前に現れ、真相を知られたくなかったら金を出せ、といやらしく恐喝を始めるのだ。
こうして、たった一つの嘘が大きな波紋を呼び、次第に取り返しがつかなくなってゆく、というのがこのドラマだ。こういった物語スタイルはインド映画ではコメディ作品としてよく見られるもので、アメリカ小説を基にしながらも、インド映画とは水が合ったのだろう。
最初に書いたように冒頭から悪夢じみた異様な雰囲気で進んでゆく物語なのだが、それと併せ主演のアーシャー・パーリクの顔がなにしろコワイ。醜いという意味ではなく、いつも精神崩壊の一歩手前みたいな緊張感ギリギリの顔で役を演じ切っているのだ。彼女は嘘をつくことで幸福を得るが、それとて人に頼まれたもので、誰かを不幸にする嘘ではない。しかし嘘によって得られた幸福はどこまでも脆いものであり、それがいつか破綻するかもしれないという不安と恐怖が物語のサスペンスを高めてゆく。タイトル『Kati Patang』は「糸の切れた凧」という意味らしいが、糸の切れた凧のようにどこにも自らを繋ぎとめるものがなく、ただ風に運び去られてしまうような不安を言い表しているのだろう。
映画を観る側は主人公の抱える真相を既に知っているのだが、この嘘がいつどのようにして破綻するのか、破綻した後に彼女に何が待っているのか、ハラハラしながら物語を見守ることになるのだ。インド映画はとかくサスペンス作品が少ないと言われているが、そんな中でこの『Kati Patang』は貴重なインド産サスペンス映画として観ることが出来るだろう。インド産サスペンスといえば名作『女神は二度微笑む』を思いだすが、質こそ違うけれどもあの作品を気に入った方なら一度観られるのもいいかもしれない良作だろう。

死者との結婚 (ハヤカワ・ミステリ文庫 9-3)

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