Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20170630(Fri)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージック 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックを含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックのブックマークコメント

■Silent Stars / Jimpster

SILENT STARS

最近最も繰り返し聴いているのがJimpsterによるこのアルバム、『Silent Stars』。Jimpsterはこのアルバムで初めて知ったアーチストだが、UKのテックハウス・プロデューサーとして20年以上ものキャリアを持っているのらしい。一言でテックハウスと言っても様々ではあるが、個人的には打ち込み主体で機械的に漂白を掛け過ぎたハウスといったイメージもあり、作業用で聴くならまだしもアルバムとして感銘を受け愛聴する程のアーチストはそれほど思い浮かばない。しかし、このアルバムは違った。十分にメロディアスであり、さらにドラマチックでロマンチックでもあるのだ。サンプリングされた個々の音に対する配慮が実に行き届いており、それがシンフォニックに響き渡る様は非常に有機的な音の結合を感じる。R&Bの熱情とジャズのメランコリーも加味されながら、かといって情感の高さのみに振り切れることなく、マシーンミュージックのクールな美しさも兼ね備えている。これはもう非常に知的な音楽構成を練っているからということなのだろう。特に↓のYouTube動画で貼った曲『The Sun Comes Up』では、バレアリックな落ち着きと長閑さから始まりながら、中盤からうねるようなコーラスがインサートされ荘厳に盛り上がってゆく。こういった技巧の数々が堪能できる非常に優れたアルバムなのだ。これは今回の強力プッシュ盤だ。 《試聴》

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Silent Stars

Silent Stars

■Loop-Finding-Jazz-Records / Jan Jelinek

Loop-Finding-Jazz-Records

Loop-Finding-Jazz-Records

Jan Jelinekが2001年にリリースした1stアルバムのリイシュー。このアルバムは古いジャズのアナログ・レコードをサンプリングして構築されたものだというが、これが実に素晴らしい。いわゆるジャズ・サンプリングというとヒップホップあたりでは割とお馴染みの手法なのだろうが、このアルバムでは相当なトリートメントを施しているのか、音源がジャズなのにもかかわらず聴こえてくるのはダウンテンポなミニマル・テクノであり、さらに言うならこれはダブ・ミュージック化されたジャズという表現もできる。また十分にアンビエント的な味わいもあり、クールダウンにも最適だ。15年以上たっても全く古びていないばかりか今でも十二分に新しい。それにしてもこんなアルバムの存在を今まで知らなかったとは。名作であり名盤なので是非聴いてください。 《試聴》

■Beyond The Five Senses (reissue) / Aura Fresh

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2015年に50枚限定でリリースされたAura Freshのアルバム『Beyond The Five Senses』のリイシュー盤。ダブテクノならではの重低音・反復音を響かせるが、催眠的な他のダブテクノ・アーチスト作品よりもより荒削りでアグレッシブな音に仕上がっている。 《試聴》

■Prescription : Word, Sound & Power / Ron Trent

シカゴ・ディープ・ハウス・シーンのベテランRon Trentが、彼の主宰するレーベルPrescriptionの作品を集めたコンピレーション全24曲。ああこれはお腹いっぱいになれる……。 《試聴》

■Devout / Mr. Mitch

DEVOUT

DEVOUT

ロンドンのグライム・プロデューサー、Mr. Mitchの2ndアルバム。ヴォーカル曲の多いR&Bのテイストさえ感じるベース・ミュージックで、内省的であると同時にドラマチックですらある。 《試聴》

■3 Years Of Faut Section / Various

3 Years Of Faut Section

3 Years Of Faut Section

ポルトガルのFautレーベルが3周年を記念してリリースしたコンピレーション・アルバム。CD3枚組全27曲。内容はなにしろダークでヘヴィーなテクノで、オールドスクールと言えばそれまでだがたまにこの辺の音を聴かないと頭がしゃっきりしなかったりする。 《試聴》

■Hyper Opal Mantis / Kangding Ray

Hyper Opal Mantis

Hyper Opal Mantis

ベルリン在住のアーチストKangding Rayのニューアルバム。ソリッド&ハードな完全フロア仕様の爽快テクノ。元建築家とあってか残響音の処理が独特の空間性を感じさせてくれる。これはカッコイイ。 《試聴》

■April / Bochum Welt

April

April

イタリアで活躍するプロデューサーGianluigi Di CostanzoのユニットBochum Weltによるアルバム。柔らかく暖かいシンセ音が心地よいアンビエント的な側面を持ちながら、時折賑やかなリズムで浮き立たせてくれる表情豊かな作品。 《試聴》

20170629(Thu)

[]最近読んだコミック 最近読んだコミックを含むブックマーク 最近読んだコミックのブックマークコメント

ベルセルク(39) / 三浦健太郎

ベルセルク 39 (ヤングアニマルコミックス)

おー『ベルセルク』39巻やっと出たぞー嬉しいぞー楽しみだぞー、という訳で読み始めたオレである。お話はガッツさん一行がエルフヘルムに辿り着くところから始まる。ここならキャスカの精神を回復させることができると知ったからだ。で、このエルフヘルム、いわゆる「妖精の島」で、鬱蒼とした森の中にあっちにもこっちにも妖精と、それから魔法使いがいる。最初こそ上陸を阻む戦いこそあったけれども、受け入れられてからは歓迎モードだ。そして、このエルフヘルムを隅々まで描くその描写が、なにしろ凄い。そして、強力にファンタジックだ。三浦健太郎の画力はそもそも凄まじいものがあるが、このエルフヘルムにおける描き込みは、これまで以上に鬼気迫るものがある。正直よくここまで描き込んだものだなあ、と呆然とさせられる。PCの導入もあったようだが、それにしたってハンパない。それはもちろん、三浦の頭の中に「描くべきもの」がパンパンに詰まっていて、それを全て描かなければ気が済まないからなのだろう三浦健太郎は、絶妙に精緻なグラフィックで定評のあるバンドデシネが3年掛けてやっていることを、たった一人で1年でやってしまっていないか。ただでさえ命削って描いている三浦はこのエルフヘルムの描写だけで10年ぐらい寿命縮めていないか。グラフィックだけではなく物語展開もいい。お祭り気分に沸くエルフヘルムで、キャスカの精神にファルネーゼとシールケがダイブする。それはエルフヘルムの百花揺籃の美しさとは真逆の暗くどこまでも続く荒涼とした大地だ。このコントラストがまたいい。ファルネーゼとシールケは、この寒々とした荒野を、一歩一歩、全ての絶望の中心、「蝕」の記憶の核心へと迫ってゆくのだ。もともとクオリティの高さは一貫している『ベルセルク』だが、この38巻はまたしても一つ上の高みに辿り着いた気さえする。

ベルセルク 39 (ヤングアニマルコミックス)

ベルセルク 39 (ヤングアニマルコミックス)

■竜の学校は山の上、竜のかわいい七つの子、ひきだしにテラリウム / 九井 諒子

竜の学校は山の上 九井諒子作品集

竜の学校は山の上 九井諒子作品集

九井諒子作品集 竜のかわいい七つの子 (ビームコミックス)

九井諒子作品集 竜のかわいい七つの子 (ビームコミックス)

ひきだしにテラリウム

ひきだしにテラリウム

ダンジョン飯』の九井諒子がそれ以前に書いていたファンタジー・ジャンルの短編集3冊。雑誌掲載ものもあるが同人誌や書き下ろし作品も含まれ、九井のこれまでの足跡を辿ることが出来た。そして分かったのが、九井諒子、『ダンジョン飯』以前から並々ならぬ才能を持った漫画家だったということだった(ファンの方からしてみたら「何をいまさら」ということだろうが)。なにしろ絵が上手い。ただ上手いだけの漫画家なら掃いて捨てるほどいるが、流行りに迎合せず、老若男女のそれぞれの顔付きや世界観にあった風景をきちんと描き分け、さらに描線は美しく簡略化も絶妙なのだ。そしてそのストーリーテリングだ。現実世界にほんのちょっと入り混じるファンタジー世界、といった作品はありがちなのだが、九井の作品においては現実世界のシビアさがより強固に描かれ、ファンタジーの幻想世界に逃避した甘ったるい物語では決して無いのである。むしろ世相を巧みに取り入れることにより、ファンタジー要素が寓意化され、物語が孕む要素をより豊かなものにしているのだ。九井の物語は、結局現実が勝ってしまうものが多いのだけれども、しかしファンタジーはそれに負けたのではなく、逆に生き難い現実にささやかな温かみと希望をもたらそうとするのだ。そこがいい。九井の物語の楽しさはひとえに、彼女のそういった部分にあるのかもしれない。また、『ひきだしにテラリウム』などは2〜8ページ程度のショートショートを集めたものだが、物語のクオリティの高さと併せ、作品の内容によってそれぞれ絵柄を変えているところなど芸が細かくて感嘆する。いやホント、才能あるわこの人。

■みずほ草紙 (4) / 花輪和一

みずほ草紙 4 (ビッグコミックススペシャル)

みずほ草紙 4 (ビッグコミックススペシャル)

花輪和一の『みずほ草紙』がこの巻で完結だという。連作短編集『みずほ草紙』は、おそらく昭和初期あたりの日本の農村を舞台に、そこで起こる幻想と怪異、それにまつわる人間の業と地方共同体の暗部、さらには緑濃く水豊かな自然のもたらす神秘を描いた作品だ。このブログで何度も書いているがこと花輪和一に関しては日本漫画界においてオンリーワンの貴重な才能であり、諸星大二郎と並ぶ圧倒的な幻視者であると確信している。花輪はもともと怨念と土俗信仰の合体したどろどろとした怪異譚を多く描いてきたが、同時にそこからの救済をも描いてきた漫画家であった。そしてこの『みずほ草紙』最終巻では、これまで通りの怪異こそ描かれはするが、どこか悟りに似た涅槃の平穏を感じるのだ。中心となるのはいつもの丸顔少女と、かつて仙人に師事したという奇妙な老婆である。少女は老婆を通し現実の背後に存在する見えない世界とその世界がもたらす真理を体験するのだ。そしてその真理を担うのが実は猫なのである。ある意味花輪の猫愛の発露とも取れるが、それは愛玩獣の猫であると同時に世界の真理を司る者の使役獣としての猫でもあるのだ。神秘への案内役として猫が描かれるこの作品は猫好きには堪らないものでもあるだろう。

■幻想ギネコクラシー(1)(2) / 沙村広明

幻想ギネコクラシー 1

幻想ギネコクラシー 1

幻想ギネコクラシー 2

幻想ギネコクラシー 2

『幻想ギネコクラシー』、1巻目は2014年に出ていたらしいが存在を知らず、2巻目がこの間発売されたので併せて読んでみた。内容は沙村広明の透徹した画力で描かれたひたすらしょーもない短編作品集である。SFやファンタジーチックな物語が多いが、殆どが思い付きとダジャレみたいなオチばかりである。もう、才能の無駄使いとしか思えないような脱力的な作品ばかりでありさらに下品この上ないので人にはとてもお勧めできないのである。とはいえ、このしょーもなさもまた沙村広明であり、沙村の本質の一つであることも否めないのである。才能の無駄使いとはいえ、着想の段階で一個抜きんでてるものがあるのも確かなんだよな。

アオイホノオ(17) / 島本和彦

ホノオ君遂にメジャーデビューである。ヤッタ!とはいえメジャーにはメジャーの「あなたの知らない世界」が広がっていたのである。まあしかしここからは果敢に未来に突き進んでゆくんだろうなー。頼もしくなったもんだなー。

監獄学園(25) / 平本アキラ

やっと!「監獄学園体育祭極限騎馬戦編」が終了!長かった!そしてなにやら新キャラが!?まあ25巻目ともなるとダラダラですが、こっちもダラダラ読むから構わんです。巻末の「巨悪学園」コラボはちょっとつまらんかったです……。

いぬやしき(9) / 奥浩哉

いぬやしき(9) (イブニングKC)

いぬやしき(9) (イブニングKC)

大殺戮と大破壊が終わってその後始末ってことですか。しかし次の10巻で完結ですか。ダラダラやるよりしっかりまとまっていいかも。しかもアニメ化で実写映画化ですか。

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20170628(Wed)

[]知覚の扉の彼方〜『アルクトゥールスへの旅』デイヴィッド・リンゼイ知覚の扉の彼方〜『アルクトゥールスへの旅』デイヴィッド・リンゼイ著を含むブックマーク 知覚の扉の彼方〜『アルクトゥールスへの旅』デイヴィッド・リンゼイ著のブックマークコメント

アルクトゥールスへの旅

地球外の惑星アルクトゥルスの天地開闢にまで遡る善と悪との一大闘争史を巡る恐るべき宇宙ファンタジー。C.S.ルイス等に巨大な影響を与えた、真に想像力の奇跡と言いうる幻想の大遍歴譚。

この作品は随分昔、サンリオSF文庫で出ていたのを買って読んだ覚えがある。しかし、たいそう面白かったのだが、途中で別の小説を読み始めてしまい(多分その頃お気に入りだった作家の新刊が出たか何かしたのだと思う)、結局3分の1程度読んだ程度でそのまま頓挫してしまっていた。そういった経緯のある作品なのだが、なぜか急に再挑戦したくなり、文遊社から再刊されたものを購入して3、40年ぶりくらいにページを開いてみたのだ。

さてこの『アルクトゥールスへの旅』、タイトルから宇宙旅行に関わる何がしかのSF作品だと思われるだろうが、確かにアルクトゥールス星系の惑星に旅こそすれ、実の所"サイエンス"なフィクションでは全く無いのである。ある意味"スペキュレイティヴ(思弁)・フィクション"と言ったほうが正しい。そしてその思弁性は、いわゆる【神秘主義】に裏打ちされたものなのだ。

まずこの作品は1920年に書かれたものだ。作者は1876年ロンドン生まれのデイヴィッド・リンゼイという作家だが、生前は殆ど認められなかったという。だがこの『アルクトゥールスへの旅』は「オラフ・ステープルドンに影響を与え、C・S・ルイスに別世界三部作を書かせる役割を果たし、1960年代に入ってからはコリン・ウィルソンが絶賛して、その評価が定まった*1」ともある。確かにそういった経緯も頷けるほどこの作品は孤高にして独特の物語性を兼ね備えている。

物語は降霊会から始まる。ここからして時代を感じさせるが、実は、「時代」なんて言ってられるのはここまでだ。主人公はスコットランド海岸に位置する荒れ果てた天文台から「アルクトゥールス逆光線」なるものの作用により魚雷型ロケットでもってアルクトゥールス星系の惑星トーマンスへと旅立つのである。しかし、有り得ない色彩で彩られた惑星トーマンスで主人公が出会うのは、超知覚を持った異形の人々であり、彼らの持つ異様な世界認識であった。彼らによって自らも異形と化し超知覚を会得した主人公は、それにより次々と【知覚の扉】を開き新たな世界認識を会得し、めくるめくような【認識の刷新】を体験してゆくのである。

『知覚の扉』といえば1954年発行の、オルダス・ハクスレーによる幻覚剤によるサイケデリック体験の手記と考察だが、この『アルクトゥールスへの旅』はドラッグ抜きのサイケデリック体験を文章化したものだと言えば近いかもしれない。そしてここで主人公が会得する新たな【認識】は、現実に存在する何がしかの教義と共通する点を全く持たず、またそれが暗喩するのかもしれないなにかを容易に想像できない、デイヴィッド・リンゼイ独自の神秘主義的秘儀を思わせるものなのだ。

さらにこの物語が非常に面白いのは、主人公が次々と認識の刷新を体験しながら、それが次第に認識の高みへと昇ってゆくのではなく、認識を刷新することによりそれ以前の体験を捨て去ってしまうということである。つまりこれら"新しい認識"は、唯一至高のものではなく、相対的なものでしかない、ということなのである。即ち、相対化され続ける認識とは、認識そのものの無意義性であることに他ならず、ある意味認識の"虚無"を謳った物語だとも言えるのだ。つまりこの『アルクトゥールスへの旅』は、その暗澹たるラストも含め神秘主義的であると同時に、虚無主義についての物語だったとも言えないだろうか。

こういった点全てを含めて、実に謎めいた、そして解読の容易ではない不可思議な物語ではあるのだが、他に類を見ない強烈な読書体験だったことは確かだ。そして読者はここで描かれるそれ自体が異形の世界観に翻弄されながら、最後に【知覚の扉】の彼方にある昏く終末感溢れる【深淵】に辿り着くことになるのだ。

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20170627(Tue)

[]兎角世知辛い世の中でございます〜映画『ジーサンズ はじめての強盗』 兎角世知辛い世の中でございます〜映画『ジーサンズ はじめての強盗』を含むブックマーク 兎角世知辛い世の中でございます〜映画『ジーサンズ はじめての強盗』のブックマークコメント

■ジーサンズ はじめての強盗 (監督:ザック・ブラフ 2017年アメリカ映画)

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今年で55歳になるオレにとって、最大の心配事は老後のことである。あと5年もすれば停年だ。さらに還暦だ。年金支給は65歳からだし、その支給額にしたって微々たるものだし、貯金だってそんなにあるわけでもない。なにがしか仕事をして糊口をしのぐにしても、60過ぎからの健康がどうなっているのかもわからない。思えばたいした人生設計もしてこなかったつけが回ってきているのであり、自業自得と言えばそれまでだが、そう自分を戒めたところでお金が天から降ってくるわけでもない。世知辛い。ああ世知辛い。もはや将来に残された道は生活保護か、野垂れ死にか……あとは銀行強盗でもするか?

映画『ジーサンズ はじめての強盗』は、それまでつましく生きていた3人の老人たちが、年金を止められ銀行にも騙され、明日の生活にも困り果て、遂に追いつめられて銀行強盗を計画しちゃう!?というコメディである。この3人の老人を演じる俳優というのがいい。まず『サイダーハウス・ルール』、『ダークナイト』シリーズのマイケル・ケイン(84歳)。『ミリオンダラー・ベイビー』、『ショーシャンクの空に』のモーガン・フリーマン(80歳)。『リトル・ミス・サンシャイン』、『アルゴ』のアラン・アーキン(83歳)という全員80オーバーのいずれ劣らぬジジイ俳優が出演している。

さらに脇を固めるのが『Tommy トミー』、『愛の狩人』のアン=マーグレット。76歳とは思えない色っぽさが堪らない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのクリストファー・ロイドも出演しているぞ。78歳なのに主演3人よりも年食って見えるのは何故だ。しかもボケ老人役だ。3人を追う警官役で出演している『クラッシュ』、『ドラッグストア・カウボーイ』のマット・ディロンは53歳なるが、この出演陣の中ではまだまだ嘴の青いひよっこだな!監督のザック・ブラフは他に『終わりで始まりの4日間』という監督作があるが、『マンハッタン殺人ミステリー』や『ブロークン・ハーツ・クラブ』なんてェ作品で俳優もやっていた人らしい。実はなんとこの監督が一番若くて42歳だ。ちなみに映画は1973年に公開された『お達者コメディ/シルバー・ギャング』という映画のリメイクらしい。

物語に出て来る3人の老人は単に生活に困窮したから犯罪を犯したというわけでもない。彼らはそれまで真面目に仕事を務めあげてきたが、会社の合併により、どういうからくりか年金が差し止められてしまったのだ。こうなると人生設計もへったくれもあったもんじゃない。しかもその裏側ではとある銀行の悪どい思惑が動いていたのらしい。こんな酷いことが許されるか!ジジイたちの強盗計画の背後には、阿漕で悪辣な銀行への怒りもあったのだ。同時にそこには、真っ当に働いて生きてきた筈なのに最後に残されたものが不幸でしかなかったという世の中への遣り切れなさもあったのだろう。

しかし、そういった社会の不条理が根底にある物語なのだけれども、全体のトーンが決して暗かったり主人公たちが絶望的に描かれることが無かったのは、ひとえに彼らが豊かな人間関係を持っていたからなのだ。まず3人の主人公たちはお互いに気の置けない間柄であり、他のジジイとの交遊もきちんとあり、さらにそれぞれに愛する家族がいたり、年寄とはいえ新しい恋人を見つけ愛が花開いていたりする。年金は毟り取られてしまったし、将来はまるで明るいとは言えないのだけれども、それでも少なくとも孤独ではないのだ。要するに、お金はないけれども人間関係という財産はたっぷり持てていたのだ。

オレはこの映画、ここが重要ポイントなのではないかと思ったのだ。確かに将来は不透明だし、世の中世知辛いし、お金はいつ無くなってしまうのか分かったものではない。しかし、長年掛けて築き上げてきた人間関係や愛情は、そんな不安を少しでも和らげてくれて、そして生きる力にもなってくれる。だからオレはこの映画を観ながら思ったのだ。相方さんは絶対大事にしよう。介護もしてもらわないといかんからな。それから、ネットで知り合ってたまに遊んでくれるあの人やこの人も、これからも大事にしよう。そして将来困ったことがあったら、家に飯食いに行ったり、酒奢ってもらったり、図々しく無心しに行こう。その為には今の少ない交友関係を絶やさないようにしよう。というわけで、オレのお知り合いの皆さんこれからもどうぞよろしくお願いします(いいのかよそれで)。

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20170626(Mon)

[]沖縄決戦:前田高地の死闘〜映画『ハクソー・リッジ沖縄決戦:前田高地の死闘〜映画『ハクソー・リッジ』を含むブックマーク 沖縄決戦:前田高地の死闘〜映画『ハクソー・リッジ』のブックマークコメント

ハクソー・リッジ (監督:メル・ギブソン 2016年アメリカ・オーストラリア映画)

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「第2次世界大戦の沖縄戦で75人の命を救った米軍衛生兵デズモンド・ドスの実話」という触れ込みの映画『ハクソー・リッジ』観たんですけどね、いやあこれがメッチャ面白かったんですわ、なんといっても連合軍vs帝国日本軍の血で血を洗う熾烈極まる戦闘シーンがね。あれは凄かったなあ、やっぱり年に1回は戦争映画作って最新のVFXがどれだけ人が殺し合うシーンを迫真の描写で描くことが出来るかを確かめるべきですね。あと今年は『ダンケルク』がありますね、でもあれノーラン映画だからちょっとどうしようかなあとは思ってるんですけどね。

あ、本当はこの映画、一人の衛生兵の鬼のような尽力の様を描くヒューマン・ドラマなんでしたっけかね、でもまあ、主人公の大活躍が見られるのは139分もありやがる長いお話の後半3分の1ぐらいなんですよ、なにしろこいつの出番は負傷兵がいっぱい出ないと無いわけですから、その為に中盤ガンガンに飛ばして殺戮シーンが描かれるわけなんですけどね、これがあんまり凄まじすぎて、衛生兵が仲間助け出し始めてやっと「あ、こっちが本題だったか」と気付いたぐらいでね。いやもうここまでのとことん肉体破壊を極めた阿鼻叫喚の地獄な戦場描写がとにかくナイス過ぎてヘラヘラ笑いながら観てしまいましたよ。

でもね、主人公が「ボクは人を殺しません(キリッ)」とかやってる前半が、なにしろもうつまんないんですよ、この主人公のドス君というのをアンドリュー・ガーフィールドが演じてるんですが、最初「この方、ちょっと頭の足りない方なのかな?」と思っちゃったぐらいなんですよ。なにしろまあ、不殺の信念というのが強くて、これはキリスト教絡みでもあるんですが、兎に角頑固で融通効かないんですよ、まあそれが信念ってものなんでしょうけどね、頑固過ぎて見ていてイライラしてくるんですよ。

で、人殺さないのに軍隊入っちゃって、周囲も上層部も大弱りですよ。「最初に人殺さないって言ったし自分は衛生兵で役に立ちたい!」みたいなことも言ってましたが、軍隊入ってそれじゃあ通用しませんよ、でもなにしろドス君は銃を持とうとしない、前例だって無いしそりゃあみんな困っちゃうし怒っちゃいますよ。まあ結局は周囲が折れてドス君の希望通りになるんですが、結果オーライとはいえオレが上官だったらこんな我ばっかり通そうとする部下なんて持ちたくないですよ。規律や士気に影響するじゃないですか。

しかし落ち着いて考えてみるなら、専任衛生兵というシステムのない組織にそのシステムを認めさせたドス君というのも思い込みが激しすぎるとはいえ熱情の人でもあるし、また、そういった例外を排除することなく組織の中に組み入れた当時の米軍の柔軟さというのもある意味画期的ではあるなあとは思わされましたね。軍隊なんてヒエラルキーの強固さで言えば最たるもんじゃないですか。それが一兵卒でしかないドス君の要求を最終的に受け入れた訳ですが、そこに至る法の在り方に対する確固たる公明性は、やはりアメリカならではなのかなあと思いましたよ。

とはいえ、やっぱりこの映画の本質はグヂャドロ殺戮シーンにある、とオレは確信してますけどね。いやもう凄惨極まりない戦闘シーンの連続で辺り一面死体だらけなんですよ。オレ、監督のメルさんもホントはこっちを描きたかったんじゃないないか、と勘繰ってるんですけどね、メルさんの前作に『アポカリプト』ってあったじゃないですか、古代マヤ文明の生贄ぶっ殺しまくり映画ね、あれも屍累々でしたが、そういった部分は全く一緒なんですよ、メルさんああいうの好きで好きで堪んないんじゃないかと思いますね、今作も「とりあえずヒューマニズム謳っとけば集客見積もれるし賞も取れそうだし、そこにかこつけて兎に角ぶっ殺しまくる映画作っちゃれや!」と怪気炎上げてたんじゃないですかね、オレはメルさんってそういう人なんじゃないかと思いますけどね。

参考:『ハクソー・リッジ』〜作品の舞台をご案内します〜

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アポカリプト Blu-ray

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20170621(Wed)

[]ニコラス・ケイジ主演、ポール・シュレイダー監督によるユルくて奇ッ怪な犯罪ドラマ〜映画『ドッグ・イート・ドッグニコラス・ケイジ主演、ポール・シュレイダー監督によるユルくて奇ッ怪な犯罪ドラマ〜映画『ドッグ・イート・ドッグ』を含むブックマーク ニコラス・ケイジ主演、ポール・シュレイダー監督によるユルくて奇ッ怪な犯罪ドラマ〜映画『ドッグ・イート・ドッグ』のブックマークコメント

ドッグ・イート・ドッグ (監督:ポール・シュレイダー 2016年アメリカ映画)

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ニコラス・ケイジ主演の『ドッグ・イート・ドッグ』ってェ映画観たんですけどね。なにしろ主演がニコラス・ケイジってェ段階で、たいていの映画ファンは「ああ(察し)」って感じで遠い目をするでしょうけどね。オレは以前から思ってたんですよ、この世の中には二種類の人間がいる。それはニコラス・ケイジの映画を観る人と観ない人だ、って事なんですが。その辺で言うと、オレなんかはニコラス映画を観る人間なんですけどね、じゃあ好きかって言われると、いやあ、って考えちゃうんですけどね。なんかこう、ニコラス君って「しょーもねーなー」って雰囲気がビンビンしまくっててね、そのしょーもなさを味わいたいがためについついニコラス映画を観ちゃうっていうかね。

ただね、毎回ニコラス映画の新作が公開されるたびに、「もう見るのは止めよう」と思ってしまう自分もいることは確かでね、今回も一瞬思い悩んですけどね、「ニコラス映画なんだから別にソフトになってからでもいんでね?」とね。しかしねえこれがアナタ、今回の共演はウィレム・デフォーなんですよ。まあ実はついこの間まで「ウィリアム・デフォー」だとばっかり思ってたんですが、なにしろこのデフォーさん、なんかもう腹空かせた野良犬みたいな顔してますよね。ほとんど(本人が)怪奇な俳優ですよね。いやでも嫌いじゃないんですよ。このデフォーさんとニコラス君が並んで立っているだけでもう見ちゃいけないものを見てしまったような危険な匂いがビンビンしますよね。

それだけじゃない。なんと監督がポール・シュレイダー。あの『タクシードライバー』(レヴュー)の脚本家としてオレの脳裏にパンツの染みみたいにこびりついている名前ですよ。ニコラス・ケイジウィレム・デフォーポール・シュレイダー。いやあクセありまくりですよね。コーラで煮詰めた牛モツみたいなメンツですよね。これはもう映画館で観るのが運命というものでしょう。ちなみに原作はエドワード・バンカーの同名小説なんですが、このエドワードさん、タランティーノ映画『レザボア・ドッグス』でミスター・ブルーの役柄だった人でもあるんですよ。

物語はっていうと、要するに犯罪ドラマですよ。ムショ帰りの3人のクズ野郎が出所も果たしたことだしさっさとヤヴァイ仕事やって一発儲けようや、とクズにしかできないクズ思考で再び犯罪行為に手を染めるっちゅうよくあるクライムストーリーなんですね。で、ヤクの売人襲って小金をせしめて図に乗った彼らは、今度は高額の報酬を提示された誘拐計画に乗り出すんですが、不測の事態が次々に起こり3人はピンチに立たされる、とまあこれもよくあるお話ではありますね。そういった点では新しいものはなんにもないんですが、そんなお話自体よりも、3人のクズっぷりと、なんだか知らんがミョーな演出が続いてゆくその展開ぶりが愉快な作品なんですよ。

主人公の3人というのはムショ仲間同士だったトロイ(ニコラス・ケイジ)とコカイン中毒のマッド・ドッグ(ウィレム・デフォー)と巨漢のディーゼル(クリストファー・マッシュ・クック)。この3人がなにしろもう負け犬を極め尽くしたクズ野郎なんですが、特にデフォー演じるマッド・ドッグの頭のおかしさが格別。最近公開されて話題となった『トレインスポッティング2』(レヴュー)でいう所のべグビーみたいなヤツでね、でもべグビーなら暴力だけで済むんですがマッド・ドッグはすぐぶっ殺しちゃうんですな。

それと全編に渡るミョーな演出。冒頭なんてなにからなにまでピンクの部屋でマッド・ドッグがダラダラとTV観ていたりとか、3人に再会の場所であるストリップ・バーではなぜかモノクロだったりとか、ヤクをやるシーンではとても楽しげにサイケデリックなエフェクトがかかったりとか、小金を手にした喜びのあまりお互いケチャップやマスタードをかけあってキャッキャウフフする3人組とか、そしてなにより呆然とさせられるあのラストとか、なにしろミョーだしある意味ドラッギーでもあるんですよ。おまけにそんなシーンに被さるサウンドドラックがまた微妙にユルくて奇ッ怪な雰囲気を盛り上げるんですね。犯罪ドラマではありますが緊張感溢れるサスペンスとアクション!とか全然そういうのではなくて、バカでダルくて頭がおかしい、そんな方向のお話なんですね。

これ、何かに似てるなーと思ったら、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『バッド・ルーテナント』(レヴュー)やウィリアム・フリードキン監督の『キラー・スナイパー』(レヴュー)あたりのトチ狂った雰囲気とでもいうのでしょうか、実際これらの作品ほど極め尽くした感じはまるでないんですが、「犯罪ドラマだと思ったらなんか変なモノ見せられた…」とあっけにとられてしまう感覚は通じるんじゃないかと思います。それと感じたのは、この映画のユルい快感というのは映画館の暗がりで観てナンボのアンモラルさが漂っているからで、これを日常品で埋め尽くされた部屋でDVDで観ても退屈な凡作としか感じないでしょう。だからね、皆さんも終わっちゃう前に劇場で観ましょうよ。

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20170620(Tue)

[]ガイ・リッチー版剣と魔法のアーサー王伝説〜映画『キング・アーサーガイ・リッチー版剣と魔法のアーサー王伝説〜映画『キング・アーサー』を含むブックマーク ガイ・リッチー版剣と魔法のアーサー王伝説〜映画『キング・アーサー』のブックマークコメント

キング・アーサー (監督:ガイ・リッチー 2017年 アメリカ・イギリス・オーストラリア映画)

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君は「アーサー王伝説」を知っているか。オレはそのう、ええっと多分イギリスのお話で聖剣エクスカリバーで円卓の騎士でランスロットがどうとかで聖杯探究で魔法使いマーリンで、……という単語ぐらいしか出て来ない知識度である。知ったかぶったことをこのブログに書こうと思って今Wikipediaを開いたのだが、あんまり長々と書いてるから読むのを止めた。まあ、要するによくは知らないから許してくれ、ということである。

そのアーサー王伝説をガイ・リッチーが映画化するのだという。映画の惹句は「スラムのガキから王になれ!」となっている。予告編を観るとなんだか現代劇っぽいルックスのアーサーさんが暴れまわっている。なんじゃこりゃ、と思ったのである。なんだか軽い。伝説は伝説でも「バリバリ伝説」のほうに限りなく近い。しかもなにやら異様に話題になっていない。しかし、なにしろ監督が『シャーロック・ホームズ』『コードネーム U.N.C.L.E.』のリッチーさんだ。まあそれなりの出来にはなっているんじゃないか、少なくともこの間の『グレート・ウォール』程度には面白く出来ているんじゃないのか、と思いオレは劇場へと向かったのである。

お話はいきなり王様の軍隊と蛮族っぽい連中との白兵戦である。切り立った岩山に建つ城郭とそこに通じる長い長い橋が戦闘の舞台だ。おまけに初っ端から巨大な象みたいな魔法生物がのっしのっしと進みながら王国軍を蹴散らし、それを操る悪い魔法使いが目を金色に輝かせているのである。王国軍は壊滅寸前だ。そこに!聖剣を掲げた王様が突撃してゆくのだ!おおーファンタジーだー。まさしく剣と魔法だー。なんか『ロード・オブ・ザ・リング』みたいだー。とそこそこに盛り上がるオレである。なかなか悪く無いじゃないか。

で、まああとはアーサー王伝説っぽく進んでゆく。前述のとおりアーサー王伝説良く知らないけど。王と妃は王の弟の奸計により惨殺され、一人王の嫡子である赤ん坊だけが生き残るが、彼は娼館に拾われ己の身元も知らずにヤンチャに育ってゆくのである。だが!「岩に刺さった抜けない剣」を抜いちゃったことにより、自らが王の真の跡目であることを知るのだ。このアーサーを演じるのが『パシフィック・リム』のチャーリー・ハナム。実に精悍で王の跡継ぎっぽく見える。一方新しい悪い王様はジュード・ロウがなかなか憎々しく演じていた。

このアーサーと彼を助ける仲間、さらにアーサーを亡き者とするべく襲い掛かる王国軍の戦いを描いたのがこの『キング・アーサー』というわけなのである。全体的に実にガイ・リッチーっぽい映像と話の流れを持つ映画で、ある意味映画『シャーロック・ホームズ』を中世イギリスを舞台にし主人公を変え、スチームパンク的だった『シャーロック』を今度はファンタジー風味に仕上げたのがこの『キング・アーサー』だと思ってもらえればよろし。妙に現代的な雰囲気があったり、早回しやスローモーションや痙攣的にカットを繋いで時間感覚を操作したりといった部分も一緒。生活感溢れるごみごみした市街地なんかも同様。ちょっとスカした会話も通じるところがあるだろう。

ガイ・リッチーは『シャーロック・ホームズ』の時のように誰もが知る人気キャラを彼独特のセンスで弄りまわし換骨奪胎して一本映画をでっち上げたかったのだろうと思う。ただポップで軽妙洒脱だった『シャーロック・ホームズ』と比べるとこちらは歴史モノということもあってもっと重々しいし、それほどお馬鹿なことはやっていない。「父を殺した悪い奴に復讐だああ」というお話は少々ストレート過ぎて遊べる要素が少なかったんだろう。アーサーのトラウマを描くシーンはちょっとくどかったし。それでも「聖剣無双」なアーサーの戦いっぷりは実に迫力たっぷりで、「伝説の騎士」というよりも超能力を駆使したスーパーヒーローっぽくさえある。なにより、きっちりと「剣と魔法のファンタジー」を描きあげた部分は十分嬉しいから、ガイ・リッチー映画の好きな人、ファンタジー物語ファンの人はきっと楽しめると思うよ!

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20170619(Mon)

[]アメリカ国民の持つ不撓不屈さ〜映画『パトリオット・デイアメリカ国民の持つ不撓不屈さ〜映画『パトリオット・デイ』を含むブックマーク アメリカ国民の持つ不撓不屈さ〜映画『パトリオット・デイ』のブックマークコメント

パトリオット・デイ (監督:ピーター・バーグ 2016年アメリカ映画)

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映画『パトリオット・デイ』は2013年、ボストンマラソン開催中に発生した爆弾テロ事件の真相を描く実話映画だ。主演を『トランスフォーマー/ロストエイジ』(2014)、『トランスフォーマー/最後の騎士王』(2017)のマーク・ウォールバーグ、監督を『ハンコック』(2008)、『バトルシップ』(2012)のピーター・バーグが務める。この二人がタッグを組むのは『ローン・サバイバー』(2013)、『バーニング・オーシャン』(2016)に続いて3回目となる(ちなみに今年日本公開された『バーニング・オーシャン』も凄まじく面白かったのでお勧め)。

正直に書くと最初この映画、全く観る気が無くてスルーするつもりだった。ボストンマラソン爆弾テロ事件の実話映画という内容に興味をそそられないこと、「パトリオット・デイ=愛国者の日」というタイトルに「またぞろアメリカさんらしい国威掲揚映画なんだろうなあ」と辟易していたことが理由だ。ウォールバーグ&バーグのアメリカ軍人映画『ローン・サバイバー』もどうにも国粋主義的で好きじゃ無かった。今回もまたその流れなんだろ?と思ってしまったのだ。

だが、ツイッターTLでの評判が妙にいい。単なる「テロリストを追いつめるイケイケ国家アメリカ万歳!」という映画ではなさそうなのだ。こりゃ何かありそうだな、といそいそと劇場に足を運んだところ、これがもう、最初に抱いていたネガティブな印象を全て吹き飛ばしてくれるほど面白く、そして良質な作品だった。爆弾テロにとどまらず次々と凶行を続けるテロ犯、それを憤怒と執念で追いつめてゆく捜査班、この二者の追跡逃走劇がおそろしいほどに緊張感たっぷりなのだ。オレはあまりの緊張に座席の肘掛けを思いっきり握りしめていたよ……。

なにより、爆弾テロ事件の後にこのようなことがあったこと自体初めて知ったので、事件の全貌に呆然としてしまった。逃走するテロ犯を警戒しボストンの街は戒厳令状態となり、そしてそのボストンは犯人と警官隊によって遂に戦場と化すのである。こんなことがアメリカの大都市の真ん中で本当に起こっていたのだとは。そんな恐るべき状況に至るまでの冒頭の描き方もまたいい。ボストンマラソンが開催され、そしてそこでテロが行われることを誰も知らずに始まる朝、複数の人々の日常が丹念に描かれるのだ。そしてこれら一般市民らが、事件とどうかかわってゆくのかを固唾を飲んで見守ることになるのである。

この作品は、テロ事件の顛末を映画いている部分から、どうしても「テロ対アメリカ国家」の図式を想像してしまいがちだが、実際はそうではないのだ。テロそれ自体を生み出す要因を自ら作り出しながらアメリカの正義を謳い上げる自己欺瞞的な作品とは全く別個にとらえるべき作品なのだ。それは、テロ犯と対峙するのが、アメリカ国家なのではなく、ボストンの街に住みそれを愛する警官たちであり、そして一般市民である、という構図がそこにあるからなのだ。

これは、実話作品であるこの映画の主人公警官トミーが、実は実在の人物ではなく、当時捜査を担当していた様々なボストン市警官の象徴化された存在である、という部分に表れているだろう。ボストンの街を愛しているからこそ犯人の凶行に断固とした怒りを表明し、ボストンの街を知り抜いているからこそ犯人の所在へ肉薄し、夜も眠ることなく街の警邏を行い続け、そして遂に犯人を追いつめてゆくトミーだが、しかし彼一人が犯人逮捕のヒーローだというのではなく、トミーに象徴される多くの警官たちの尽力がそこにあったからこその事件解決だったのだ。

そしてこの映画に感銘したもう一つの理由は、アメリカという国に住む人たちのその精神性の在り方を非常にストレートに描いている部分だ。「パトリオット・デイ=愛国者の日」というタイトルは事件があったテロ事件がまさに「愛国者の日」であったからであり、その「愛国者の日」に起こった惨劇を愛国者だからこそ執念で解決しようとする、アメリカ人の不撓不屈の精神をまざまざと見せつけられる作品だったのだ。

その精神は、捜査陣だけではなく、このような恐ろしい事件に直面したボストン市民のあくまでも前向きな態度にも現れる。映画『オデッセイ』観た時にも思ったが、アメリカ人という連中は、なにがなんでも諦めないし絶対遣り遂げようとする、少なくともそんな精神を礼賛する。それは一つ間違えば利己心と自己中心主義へと繋がり、アメリカという国家そのものを煙たく思わせる理由の一つになるけれども、同時に楽観性に彩られた強靭な前向きさを発露するのだ。そんなアメリカ国民の精神性に触れさせられるという部分において、とても驚嘆させられ、そして感銘させられる作品でもあった。

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20170616(Fri)

[]不思議に彩られた里山への畏怖と畏敬〜『里山奇談』 不思議に彩られた里山への畏怖と畏敬〜『里山奇談』を含むブックマーク 不思議に彩られた里山への畏怖と畏敬〜『里山奇談』のブックマークコメント

■里山奇談 / coco、日高トモキチ、玉川数

里山奇談

オレは海育ちのせいか、山にはちょっとした憧れがあった。オレが18まで住んでいた北海道の漁港の町は、三方を寒流の海に囲まれ、それこそいつでも飽きるほど海を眺められたが、これが山となると、せいぜい小高い丘程度の高さのものがある程度だった。しかも北海道特有の粘土質と、寒冷による植物相の北限により、植林されたもの以外にこれといった樹木も生えず、当然林だの森だのといった植生が存在しなかった。生えているものといえば北国独特の小振りな草花と、貧相な色をした雑草と、あとは見渡す限りのススキノだけだ。だからTVや映画や漫画で見る「森」というものに、木々を始め様々な草花が生い茂る山という存在に、密かな憧れを抱いていた。

だから今の相方さんと知り合った頃、ちょっとしたことがあるといつも山にハイキングに出掛け、意外と体力量のいる作業を要するそんな休日に、相方さんが不満を漏らしていた、なんていう笑うに笑えない話まである。ただ、オレは、子供の頃憧れていた、山が、見たかったんだ。そんな山の中を、歩いてみたかったんだ。

coco、日高トモキチ、玉川数氏3人による短編集『里山奇談』は、そんな山の、それも、里山を題材にした物語を集めたものだ。"里山"とは、深山の対義にある言葉だという。それは「人の暮らす地と、今なお不思議が色濃く残る山との境界である」だと、まえがきでは書かれている。執筆者3方は、それぞれに野山に生息する昆虫をはじめとした動植物に親しみ、それらを擁する自然を愛する方たちであり、そしてそんな彼らは自称か他称か、"生き物屋"と呼ばれているのらしい。そんな"生き物屋"の彼らが、鬱蒼とした野山の、里山の自然に密かに息づく、奇妙で不可解で不思議な物語を集めたものが、この『里山奇談』というわけなのだ。

それらは、まるで黄昏時のような、薄昏く、曖昧模糊として、所在のはっきりしない、そして容易に説明のつかない物語ばかりだ。そしてそれらは、怪談や恐怖譚というよりも、ただ不思議であるとしかいいようのない、"奇談"を集めたものなのである。

確かに、山には畏怖や畏敬を覚える独特の空気が漂っている。それは霊性だの神性だのという話ではなく、植物、動物、昆虫といった、あまりにも多くの生命を抱え込み、そしてそれらが息を潜め、あるいは百花揺籃として息づいている、その溢れるような生命の蠢きに、たった一個の人間という個体でしかない自らが、圧倒されてしまうからなのではないだろうか。そして、その認識こそが、里山と、そこに住まう幾多の生命への畏敬へと繋がるのではないか。そして"生き物屋"と呼ばれる人たちは、そんな畏敬を人並み以上に持った人たちなのではないだろうか。そう、『里山奇談』は、奇談を通じて描かれる、畏敬についての物語集なのである。

この本には、数ページ程度の短めの物語が幾つも収められている。伝聞や体験談の形を取っており、語り口調は平易で、どれもすぐに引き込まれてしまう不思議の物語ばかりだ。読者は、最初の1ページを開いた時から、自らも鬱蒼とした里山に分け入ったような錯覚に囚われる。そして幾多の物語を経ながら、あたかも里山の奥へと奥へと彷徨いこんでいるような気にすらさせられる。こうして最後のページを閉じ、現実の世界へと戻ってきたときですら、その思いは、どこかにある、緑豊かな、あるいは黒々とした口を開けた、里山の世界を漂い続けることになるだろう。その時すでに、あなたは里山に魅せられているのだ。

里山奇談

里山奇談

20170615(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージック 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックを含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックのブックマークコメント

■The Distance / Gaussian Curve

The Distance

Gaussian Curveはアムステルダムを拠点として活躍するGigi Masin、Jonny Nash、Marco Sterkの3人によるユニットだ。このアルバムは彼らの3年振りとなる2ndアルバムだというが、今までこのユニットのことは知らなかった。分類としてはニューエイジ・サウンドということになるのだそうだが、このアルバムに関してはIDMなテクノとどう違うのか分からない。とはいえ、多分レトロ機材も使用しながら構成したと思われるその音は非常に澄み渡ったアンビエント/チルアウト作品であり、リズムボックスや時折聴こえるギターの旋律の使い方からはかつてのファクトリー・レーベルの鬼才、ドルッティ・コラムを思わせるものすらある。このあたりのしっかりした美しいメロディの存在と楽器音の絶妙な使い方が凡百のアンビエントと違う部分だろう。これはいつまでも聴き続けたい名盤の一つと言ってもいい。 《試聴》

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The Distance

The Distance

■Reflection / Brian Eno

ブライアン・イーノが今年の1月にリリースしたアンビエント作は全1曲、53分59秒である。このコンセプトは1985年にリリースされた『Thursday Afternoon』と同じである。それにしてもイーノのアンビエント曲はどうも広義の意味での"環境音楽"していないような気がする。茫漠とした音の連なり(垂れ流しとも言う)のように思えて実は相当に計算された構造(偶然要素も含めた)となっており、部屋で流しっぱなしにしていてもなんだか落ち着かないのだ。落ち着かない環境音楽ってなんだ。だいたい音が重いんだ。というよりも、イーノのアンビエントが流されるべき場所は尖がった現代建築の広いホールやアートしまくったギャラリーを想定しているような気がする。オレの4畳半しかない居間ではアートしすぎてそぐわないのだ。「アンビエントなんて聴くやつに限って4畳半に住んでるんだよな」と揶揄する漫画を以前よんだことがあったが、確かに4畳半だよ悪かったな。 《試聴》

■Lux / Brian Eno

そこへゆくと2012年にリリースされたこのアンビエント作『Lux』はまだまだ"環境音楽"として機能していると思う。20分弱の曲が4曲、という構成がいい。このぐらいのほうが流していて時折空気感が変わる感触を味わえる。なんでもリリース当時グラミー賞にもノミネートされたのらしい。アンビエントグラミー賞、なんだか全然結び付きが感じないのだが。ところでオレはアンビエントに限らずイーノのアルバムは好きだし、イーノのアンビエント作も結構買っていたりする。ただ正直に書くと半分ぐらいはピンとこない。昨今のエレクトロニック・ミュージック・アーティストによるアンビエント作のほうがしっくりくることは否めない。単にイーノ・ブランドに踊らされているのかもしれない。ううむ。 《試聴》

■Defected Presents Dimitri From Paris: In The House Of Disco / Dimitri From Paris/Various

Defected Presents Dimitri from

Defected Presents Dimitri from

オレにとってハウス・ミュージックDJといえばディミトリ・フロム・パリス(以下DFP)であり、実は結構な枚数のMixアルバムを購入していたりする。なんだろ、奇妙にノスタルジックでセンチメンタルな味わいがあり、ベタで、スイート。ハウスというよりもディスコティークな雰囲気。不思議なもので、このDFPをはじめ、フランシス・Kやローラン・ガルニエなど「極めちゃってるなあ」と思うのはみんなフランスのDJなんだよな。このMixアルバムは2014年発売のもので、これまでと比べると若干淡白になっちゃったかな?という印象。いやーこれまでがこってりでしたから。 《試聴》

■Death Peak / Clark

DEATH PEAK

DEATH PEAK

UKの鬼才Clarkによる3年ぶり8作目のアルバム。前々作『Feast/Beast』(2013)や前作『Clark』(2014)は相当よく聴いたなあ、神懸りだったなあ、と思ってこのアルバムも楽しみにしていたが、うーむ悪く無いんだがちょっと不完全燃焼ぽくないか。 《試聴》

■II / Vermont

II

II

ドイツのKompaktレーベルからリリースされたVermontのセカンド・アルバム。Kompaktらしい実に整理整頓された電子音が五月雨のように響き渡る美しくもまた心地よいアンビエント・アルバムで、朝の通勤時はよく聴いていた。 《試聴》

■The Light Years Reworks / Planetary Assault Systems

The Light Years Reworks

The Light Years Reworks

UKテクノの重鎮Luke Slaterによるプロジェクト、Planetary Assault Systemsのリミックス・アルバム。過去作品を精鋭アーチストがリワークしたものらしい。オールドスクールな重いミニマルテクノ・サウンドがズシンと響き渡る。64分に渡るメガミックスも収録。 《試聴》

■Presence / As If

PRESENCE

PRESENCE

デンマーク出身のプロデューサーKenneth Wernerによるプロジェクト、As Ifの新作。流れる雲の如くゆったりとしたアンビエント・テイストのミニマルテクノ&ダブ作品。和みの1枚。 《試聴》

20170614(Wed)

[]物語は人に何をもたらすのか〜映画『怪物はささやく物語は人に何をもたらすのか〜映画『怪物はささやく』を含むブックマーク 物語は人に何をもたらすのか〜映画『怪物はささやく』のブックマークコメント

怪物はささやく (監督:フアン・アントニオ・バヨナ 2016年アメリカ・スペイン映画)

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映画『怪物はささやく』は『永遠のこどもたち』(レヴュー)のJ・A・バヨナ監督作品によるダーク・ファンタジーだと知って観に行くことにしました。『永遠のこどもたち』、物凄くいい映画でしたね…(そんなこと言いつつ同監督の『インポッシブル』は観て無いんだけど)。配役もこれまたよくて、『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』のフェリシティ・ジョーンズ、『エイリアン』シリーズのシガニー・ウィーバー、さらにリーアム・ニーソンが声の出演をしていたりします。主人公役の少年は『PAN ネバーランド、夢の始まり』に出演していたとのこと(観てない)。原作はイギリス作家パトリック・ネスによる世界的ベストセラーということらしいですが、これ、日本でも課題図書として結構取り上げられているのだとか。

《物語》13歳になる少年コナー(ルイス・マクドゥーガル)の母親(フェリシティ・ジョーンズ)は重い病を患っていた。それだけではなく、学校ではイジメに遭い、嫌いな祖母(シガニー・ウィーバー)が家に押しかけ、コナーは暗く憂鬱な日々を送っていた。追い打ちを掛けるように、彼は悪夢を見るようになる。それは窓の外に見える墓地の巨木が怪物と化し、彼に迫り来る、という悪夢だ。そして怪物(リーアム・ニーソン:声とモーションキャプチャー)はコナーにこう告げる。これから3つの「真実の物語」を語るということ、そして4つ目の物語はコナー自身が語らねばならないということ。悪夢の怪物は日毎コナーの元を訪れ、それに影響されたコナーの日常も次第に変容してゆく。そして、母の容体は刻一刻と悪化してゆくのだった。

この物語における「怪物」は、あくまで悪夢の中の存在であって、実際に超常現象が起こったり本物の怪物が出現したり、といったホラー作品という訳ではありません。あくまでダーク・ファンタジーなんですね。そして、悪夢の中で怪物が語るそのお話は、悪夢を見ている少年自身の深層心理の中の物語であり、それは即ち「寓話」である、ということにすぐ気が付かされます。しかし、最初の幾つかの物語は、それがどう少年自身の内面に関わった物語なのか容易に想像つきません。それら3つの物語は、即ち少年の深層心理は、少年に何を伝えようとしているのか?というのがまずこの物語の面白さの一つになります。そして、怪物の物語るお話が、非常に美しいアニメーションで表現されているのがこの作品のもう一つの見所になります。

最初はもやもやとした御伽噺にしか過ぎなかったそれら物語は、次第にコナー少年の現実の行動に影響を与えてゆきます。というよりも、コナーが常日頃押さえつけてきた感情が、実は悪夢の中の怪物であり、それが怪物という形を取ることで、現実世界に表層化してゆくんです。しかしそれだけなら、怪物に姿を変えたフラストレーションの発露、という単純な仕組みのお話に過ぎません。そうではなく、そもそもこの物語の発端は、母親の病にあるのです。悪夢の怪物が顕現しだしたのは、コナーの母親の病気が悪化の一途を辿り始めてからです。怪物は、母親の死病について、コナーに何を伝えようとしているのか、というのがこの作品の本質となるのです。

それは、物語は、現実を変えられるのか?という命題です。そして、物語ごときで、現実は変えられない、という事実です。さらにそれは、それならなぜ、人は物語を求めるのだろう?という問い掛けでもあります。辛く厳しい現実を前に、人は何一つなすすべもないことがあります。物語はその時、せめてもの慰めになることもあるでしょう。それでは、物語は、慰み以上でも以下でもないものなのでしょうか?映画はこうした問い掛けの中、最後に「語るべき4つ目の真実の物語」を主人公コナーに要求します。ここで言う「真実」というのは何なのでしょう。なぜ「真実」でなければならないのでしょう。これらが明らかになった時、映画は、「物語は、人に何をもたらすのか」ということを静かに観客の胸に刻み付けるのです。

こうしてこの映画は、残酷な現実の中にある一人の孤独な少年の魂の救済を描く作品であると同時に、ひとつの「物語論」としても展開してゆくことになるのです。"物語"を愛する全ての人にとって、映画『怪物はささやく』は、大切な贈り物のように心に残る作品になる事でしょう。傑作です。

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20170612(Mon)

[MOVIEオレもエル・ファニングに添い寝されたい〜映画『20センチュリー・ウーマン[MOVIEオレもエル・ファニングに添い寝されたい〜映画『20センチュリー・ウーマン』を含むブックマーク [MOVIEオレもエル・ファニングに添い寝されたい〜映画『20センチュリー・ウーマン』のブックマークコメント

20センチュリー・ウーマン (監督:マイク・ミルズ 2016年アメリカ映画)

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1979年のカリフォルニア州サンタバーバラを舞台に、息子との関係に悩むシングルマザーと二人を取り巻くアパ―ト住人たちとの心の交流、そしてそれぞれの人間模様を描いたのが映画『20センチュリー・ウーマン』だ。

まず主演となる3人の女優と彼女らの演じるキャラクターがそれぞれに個性的で魅力に溢れている。なんといっても主人公である母ドロシー(アネット・ベニング)だ。知性に溢れ好奇心旺盛でいつも明るく前向きであり、常にパワフルで息子への理解も深く、片親だからと言ってもなにひとつ遜色なく息子を育てている。新しい伴侶を求めているがあまりに完璧な彼女に夫など必要なのかとすら思えてしまう。

アパート住人アビー(グレタ・ガーウィグ)は音楽好きの写真家だが、体に悩みを抱えている。パンク/ニューウェーブ真っ盛りのこの時期に、ドロシーの息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)をクラブに連れてゆき音楽の楽しさを教え込む。アパートの近所に住むいつも気だるげな少女ジュリー(エル・ファニング)はジェイミーと幼馴染であり、いつも彼の部屋に忍び込んで添い寝してゆくが「セックスしたら友情は終わり」とジェイミーに堅く言いつける。

そんな3人の女性に囲まれた15歳の高校生ジェイミーは丁度反抗期と言うこともあってか母親とうまく行かない。そんな息子を心配して母ドロシーはアビーとジュリーに助けを求める、というのが物語となる。

全体的に感じたのはそれぞれの女性たちの心の機微を繊細に、かつ大胆に描いていることだろう。特にアネット・ベニングの溌剌として輝く演技の素晴らしさには個人的にアカデミー賞を上げたいぐらいだった。アビーとジュリーにしてもそれぞれに生き方を持ちながら悩みを抱える女性であり、演じるグレタ・ガーウィグエル・ファニングの存在感溢れる演技は素晴らしかった。また、全編を通じて流れるこの当時のパンク/ニューウェーブ系のロック・ミュージックが、同時代に現役で聴いていた自分には実に懐かしく、また嬉しいものだった。まさかスーサイドが流れるとは。

ただ、そんな女性たちに比べて男性の描き方がパッとしていないように思えた。息子ジェイミーは高校生にしては大人しすぎて、ヤンチャこそするもののなんだか周りの目を伺いながらのようにも見えてしまう。しかしこれは母子家庭にいる一人っ子というものが他よりも早く大人びてしまうからということなのかもしれない。フェミニズム本で頭でっかちになる部分は苦笑したがこの年齢ならではなのだろう。一方アパートの住人で元ヒッピーのウィリアム(ビリー・クラダップ)も男臭さに欠けているせいか存在感が薄い。ドロシーと恋が生まれるか否かといった展開もあるが最初っからキャラクター的にまるで合うように見えず、ドロシーのような女性に興味を持つようにすら見えない。

一番感じたのは15歳のジェイミーが性に対してあまりに淡白に見える事だ。魅力的な美少女ジュリーがいつもあんなに側にいてちょっかいを出してくるのに「友達だからセックスしない」と言われて大人しくしているなんてまるで説得力が無い。所謂草食系の走りだったのか?女性たちの性は奔放に語る物語なのに15歳の男の子の性欲は綺麗に描き過ぎじゃないか?15歳の少年なら頭ン中エッチのことでいっぱいなんじゃないのか?それともそんなドスケベな高校時代を悶々と過ごしていたのはオレだけだったのか?

ところで自分事になるがこのオレも母子家庭の生まれだ。しかし母親はこの物語のドロシーのように聡明でも闊達でも学識があるわけでもなく、仕事は水商売だったし家は貧乏だった。ドロシーは最高に素敵な女性だったが所詮シングルマザーでも問題なく生きていける成功者ではないか。そこには努力もあるからだが、70年代アメリカの豊かさと、そして運だってあるのだ。だから完璧な女性であるドロシーはオレには絵空事のような白々とした非現実さ、一歩譲っても自分とは関係ない世界の住人にしか見えなかった。そしてもしドロシーが自分の母親だったら、なんでもお見通しなその態度に辟易して話もしなかっただろう。一人にしてくれ、と思っただろう。

そしてもしアビーとジュリーのような女性がオレの近くにいたら、股間をパンパンにさせながら幼稚極まりない方法で求愛して見事に鼻であしらわれ、心を傷つけてとても不幸になっていただろう。アビーとジュリーぐらいの年代の、これまで沢山ボーイフレンドのいた女子だったら15歳の頭でっかちな童貞高校生なんて単なるガキかせいぜい可愛い玩具でセックスする相手じゃないからだ。でもリアリズムなんてそんなもんだ。

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20170609(Fri)

[]負け犬たちの墓標〜『ヒットマン5』 負け犬たちの墓標〜『ヒットマン5』を含むブックマーク 負け犬たちの墓標〜『ヒットマン5』のブックマークコメント

■ヒットマン5 / ガース・エニス

ヒットマン5

■セクション8の最期

非情と無情が交錯するタフでマッチョなハードボイルド・ストーリー『ヒットマン』の最終巻、第5巻である。この巻は以下の章により構成される。それは「スーパーヒーローになろう!」「スーパーガイ」「終わりの時」「月の裏の闇にて」の4章だ。この巻でいよいよ主人公トミーの命運が決定付けられる。

「スーパーヒーローになろう!」「スーパーガイ」はヌーナンの酒場にたむろするあるスーパーヒーローの物語である。その男の名はシックスパック、またの名を「酔って酒瓶で頭を殴るマン」。そう、コミック『ヒットマン』の名を知らしめることになったゴッサム・シティの3流ヒーロー軍団、セクション8の一人である。とはいえこのセクション8、ヒーローとは名ばかりの単なる変人奇人負け犬集団でしかない。このシックスパックにしたって「俺はヒーローだ!」と酒場でくだを巻くだけのアル中親父である。妄想だけでなんとか自分を保っている哀れな敗北者なのだ。そんな彼の前に、異次元からやってきたモンスター軍団が襲い掛かる。

すわ一大事とばかりシックスパックはセクション8の招集をかけ、ここにセクション8vs異次元モンスターの熾烈な戦いが繰り広げられる……筈だった。いや、確かに『ヒットマン』第2巻ではこのセクション8の面々の、奇態を凝らしたとんでもない戦いぶりが敵を撃退していた。それは、負け犬たちの痛快極まりない一発逆転だった。だがしかし、二度目は無いのだ。この章では、3流ヒーロー軍団セクション8が、結局は単なる負け犬に過ぎないことが冷徹に描かれてゆく。作者ガース・エニスは、ここで遂に『ヒットマン』世界の解体へと乗り出してゆくのだ。

■終わりの時

そして物語は『ヒットマン』のある意味最終章ともなる「終わりの時」へと向かってゆく。ある邪悪な実験を目撃してしまった一人の女。トミーは、彼女を守るために立ち上がることになる。しかしその邪悪な実験は、CIAによってなされたものだった。ここでトミーは、アメリカの誇る巨大諜報組織を相手に戦うことを余儀なくされてしまうのである。確かに『ヒットマン』2巻までの、調子よくお気楽なトミーであったら、奇想天外な戦法を繰り広げ、例えそれがCIAであろうとも、こともなく撃退していたかもしれない。しかし、今のトミーは、戦いに次ぐ戦いの果てに、虚無と、無力と、悲嘆の味を知ってしまった男なのだ。彼は今たかが一介の殺し屋でしかなく、己の限界をも十分理解しているのだ。能天気な無敵のヒーローではなく、死すべき運命を背負った生身の男、殺し屋の腕と、タフな虚勢だけが頼りの男、それが今のトミーなのだ、そして物語は、"ヒットマン"トミーの、最後の戦いへとなだれ込んでゆくのである。

こうした大筋の合間に、トミーを巡るあらゆる物語もまた展開してゆく。それはトミーの少年時代の物語であり、盟友ナットと出会った軍隊時代の物語であり、殺し屋であるトミーを嫌った元カノ、ティーゲルとの最終的な決着である。これらがあたかも走馬灯のように物語を駆け巡り、鮮烈なクライマックスへと疾走してゆくのだ。また、この章ではFBI女性捜査官キャサリン・マカリスターが再登場し、トミーとの共闘を約束するが、トミー同様クールな殺し屋であるキャサリンの戦いぶりはこの最終章を華々しく染め上げている。ところでこのキャサリン、『Xファイル』のダナ・スカリーにそっくりで、ダナ・スカリー・ファンのオレは大いに盛り上がったことも付記しておく。

■エピローグ:月の裏の闇にて

こうしてトミーの最後の戦いに決着がついた後に物語られる「月も裏の闇にて」はいわゆるエピローグといったところだろう。これまで陰鬱に展開し続けてきた『ヒットマン』の物語だが、この章ではスーパーマン、バットマンワンダーウーマン、フラッシュなどDCコミックお馴染みのスーパーヒーローが勢ぞろいとなって活躍を見せ、お得感満載の章として楽しめる。その中には我らがトミーもいるのだが、スーパーパワーを兼ね備えたスーパーヒーローの中でボンクラ野郎トミーがいったいどんな戦いを見せるのか?というのがこの章の面白さだ。漫画担当(ペンシラー)はこれまでと同じジョン・マクリアなのだが、カラーリストが違うせいかこれまでの『ヒットマン』のグラフィックと一線を画し、スーパーヒーロー勢揃いに似つかわしいカラフルなグラフィックを見せてくれるのも楽しみの一つだろう。どちらにしろ、この「月の裏の闇にて」で、"ヒットマン"トーマス・モナハンの物語は大団円を迎えるのだ。

■『ヒットマン』とはなんだったのか

こうして全5巻を振り返ってみると、『ヒットマン』とは、DCコミックを始めとするスーパーヒーローコミックへのアンチテーゼであったことがよくわかる。『ヒットマン』の世界では、正義というものの姿がどこまでもグレーだ。殺し屋トミーはスーパーヒーローを名乗りながら決してスーパーでもヒーローでもなかった。タフでマッチョでハードボイルドだったトミーは、実際の所とことん負け犬だった。そんな負け犬の彼が、己の信ずるものと、己の愛する仲間のためだけに、体を張って戦いに乗り込んでゆく。そこには正義も大義もないけれども、しかし、彼の心には決して嘘はない。それがトミーの魅力であり、コミック『ヒットマン』の魅力だったのだ。

そして『ヒットマン』においてスーパーヒーローコミックへのアンチテーゼを描いた原作者ガース・エニスは、それをさらに深化させた途方もない暗黒作、『ザ・ボーイズ』を世に送り出すことになるのだ。この『ザ・ボーイズ』についてもいつか書こうと思う。

■『ヒットマン』レビュー一覧

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殺し屋たちの挽歌〜『ヒットマン4』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

負け犬たちの墓標〜『ヒットマン5』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

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20170608(Thu)

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■ヒットマン4 / ガース・エニス

ヒットマン4

■殺し屋たちの挽歌

非情と無情が交錯するタフでマッチョなハードボイルド・ストーリー『ヒットマン』の第4巻は以下の章により構成される。それは「死者の国」「殺し屋たちの挽歌」「その夜の翌朝」「新鮮な肉」「老犬―オールド・ドッグ」の5章である。

まず最初の「死者の国」ではトミーとその仲間とがゴッサム・シティに巣食う吸血鬼の軍団と一戦交える様が描かれる。まずは軽くウォーミングといったところか。しかし荒唐無稽な題材ながら、冒頭では前巻において心に深い傷を負ったトミーの空虚な日々が描かれもする。そう、全ての物語は引き継がれているのだ。

続く「殺し屋たちの挽歌」ではトミーの仲間であり、同じ殺し屋である中国系アメリカ人リンゴ・チェンの物語が中心に描かれる。リンゴはこれまでの物語にも登場していたが、ここではトミーと対立しお互い銃を向け合うようになってしまう。それもこれも単純な行き違いからなのだが、仲間をファミリーの如く扱うトミーは心が重い。そんな折、復讐に燃えるマフィアが二人を拉致監禁し、惨たらしい拷問を繰り返してゆくのだ。死を悟ったリンゴは自らの過酷な生い立ちをトミーに語り始める。そして物語は、壮絶極まりない戦いへと否応なく繋げられてゆくのだ。この章はジョン・ウーチョウ・ユンファに捧げられており、彼らの映画作品を彷彿させるような男たちの非情の挽歌が語られてゆく。監禁され拷問を受けるトミーにスーパーヒーローの面影は既にない。ここにあるのは、常に死と隣り合わせであり、今生きているのはたまたま運が良かったからに過ぎない非力な男の影なのだ。

■その夜の翌朝

「その夜の翌朝」ではトミーと彼の元カノ、ティーゲルとの復縁を巡る物語だ。ティーゲルはトミーを愛しつつも、彼が殺し屋稼業を営んでいることをまるで快く思っていない。併せてトミーの女たらしぶりが彼女の怒りに拍車をかける。そんな二人の諍いの様子はこれまでの物語でも度々差し挟まれていた。トミーはなんとかしてティーゲルと復縁をしたいが、不器用な彼にはそれがうまく行かない。コミカルな章ではあるが、まともな愛すらも得ることが出来ない殺し屋の悲しみが漂う章でもある。

「新鮮な肉」はタイムマシンで恐竜時代に旅してしまい、そこでティラノザウルスに追い掛け回されるトミーと彼の盟友ナットとのドタバタを描いた1作。おまけにその恐竜を現代に連れてきてしまうものだから大騒動である。しかも主人公トミーが肉食恐竜とはっしとばかりに戦うのかというというとそうでもなく、タフな事をほざきながら情けなく逃げ回るだけだ。さすがのトミーも肉食恐竜相手では分が悪い。とはいえ、ここでも描かれるのはスーパーヒーローでもなんでもないトミーの無力さなのだ。

■老犬―オールド・ドッグ

そしてラスト、「老犬―オールド・ドッグ」で物語はまたしても非情の世界に逆戻りする。トミーたち仲間が集う酒場、ヌーナン。ここにはトミーの養父でもある男、ショーンが店主を務めていた。百戦錬磨の男たちですら一目置く男、ショーンには数奇な運命で彩られた過去があった。一方、血に飢えたマフィアの武装集団がトミーの首を取るためにヌーナンを包囲していた。ヌーナンに立て籠もったトミーとその仲間たちは、あたかもアラモ砦のようにマフィアたちとの熾烈な戦いを繰り広げてゆくのだ。ここで描かれる激しい銃撃戦は硝煙の匂いさえ漂ってきそうな緊張感に満ち、その中でトミーとその仲間たちとの固い結束が描かれる。そして、彼らに父のように慕われる"老犬"ショーンの人生が重ね合わされ、哀切極まりないクライマックスへとなだれ込んでゆくのだ。「殺し屋たちの挽歌」でもそうだったが、この「老犬―オールド・ドッグ」でも、登場人物の過去を掘り下げ、彼らのキャラクターに非常に生々しい肉付けをしてゆく手法がとられる。そこから浮かび上がるのは裏社会に生きる者の悲しみや、そんな男の持つプライド、そして、気の置けない仲間たちのささやかな交歓の様子なのだ。こうして、物語は最終巻第5巻へと続いてゆく。

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20170607(Wed)

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■ヒットマン3 / ガース・エニス

ヒットマン3

■果てしなくタフでハードで、そしてあまりに凄惨

オレが今最高にハマっているアメコミ・ヒーロー作品、それは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でも『ワンダーウーマン』でもなくこの『ヒットマン』である。

ヒットマン。本名トーマス・モナハン、通称トミー。アイルランド系アメリカ人で現在ゴッサム・シティに住む。トミーは殺し屋だ。一応悪人しか殺さない、というルールを持っている。女に優しく友情に篤く、タフでマッチョ、ハードボイルドで"ずぼら"。ちょっとした超能力を持つが、作中でたいした役に立つことは無い。いわゆるDCユニバースの作品であり、だから作品によってスーパーマンやバットマンが登場することがある。そしてこの作品の最大の魅力は、主人公トミーを含め登場人物誰もが、「負け犬」であるといった点だ。この『ヒットマン』の1巻と2巻については以前このブログでこんな感想を書いたことがある。

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その『ヒットマン』の3巻と4巻、最終巻である5巻が同時発売されるという。1冊3500円もするからこれは悩んだ。それと、そもそも『ヒットマン』はB級オチャラケキャラが登場するという興味から読み始めていて、その辺はもう確認したから、もういいかな、とも思っていた。だが、『ヒットマン』原作者であるガース・エニスの『ザ・ボーイズ』を読み、その凄まじさに感嘆し、「このガース・エニスという奴はなにか途方もないものを秘めているのではないか」と思い、とりあえず3巻だけを買って読んだ。

するとこれが、これまでの"B級オチャラケキャラ作品"といった内容とは180度異なる、果てしなくタフでハードで、そしてあまりに凄惨な物語が展開していたのだ。これには度肝を抜かれた。オレはすぐさま4巻と5巻を買い揃え、『ヒットマン』ワールドを堪能し尽くした。読み終えて、「これはアメコミ作品の超名作なのではないか」と確信した。出版社が3〜5巻同時発売などというトチ狂ったことをなぜ行ったのかも理解できた。この素晴らしすぎる作品の全てを、早く世に知らしめたいと判断したのだ。文字通り英断である。

■非情と無情の交差するとてつもない物語

さて、1巻2巻とはまるで趣の異なるこの3巻はどういった物語なのか。この3巻は幾つかの章に分かれている。それは「勝利は危険の先に」「トミーの大作戦」「君に捧げる歌」「クソッタレな未来」「ケイティ」の5編。

「勝利は危険の先に」はその冒頭から重く暗い。それはSAS(イギリス陸軍特殊空挺部隊)によるIRA(アイルランド共和軍)の処刑シーンだ。そしてここで登場したSAS隊員たちが、ある理由からトミーとその仲間たちの抹殺に動き出したのである。その様相は既に戦争である。だが、名うての殺し屋であり、一応スーパーヒーローものの片割れであるはずのトミーは、世界最強の特殊部隊SASが相手ではまるで歯が立たない。そう、ここで描かれるのは現実的な武力に対する架空のヒーローである者の徹底的な無力だ。さらに、SAS隊員たちの「なぜ、何のために戦うのか」と繰り返される自問が、単なるアクション・ストーリーの枠を超え、「戦うことの虚無」を浮き彫りにしてゆく。そしてそのニヒリズムを極めたラストがあまりに衝撃的なのだ。

「トミーの大作戦」 では前回の戦いで己の無力と戦うことの恐怖に取り付かれたトミーが、アフリカの架空の国に傭兵として出向く様が描かれる。ここでトミーは国を悩ます反政府ゲリラの掃討を行うことになるが、そこで目にしたのは、人民に対する国家の蹂躙と虐殺だった。真実を知ったトミーは反旗を翻しゲリラと共闘することになるが、政府は恐るべき超能力を秘めたヴィランを派遣するのだ。ここでは善悪の構図が逆転し、さらに善悪の定義が無効化する様が描かれる。アフリカ国家は非道であるが、反政府ゲリラは麻薬をアメリカに流し軍資金としている。どちらも大義名分を掲げながら同時に薄汚いことに手を染めている。トミーはいくらかましなゲリラに未来を託し協力するが、ここで「正義」とは決して清廉潔白なものではないことも明らかにされる。

「君に捧げる歌」はスーパーマンとトミーとの対話が描かれる短編作だが、ここで描かれるのも「正義」というものの不確かさであり、短いながら非常に印象深い作品だ。続く「クソッタレな未来」はタイムマシンが登場するオチャラケ作品だが、重い問題提起の続くこの3巻ではある種の息抜きになっていてちょっと安心させられる。しかし、ラスト作「ケイティ」で、『ヒットマン』の物語はまたもや暗く寒々しい世界へと逆戻りする。ここで描かれるのはトミーの出生の秘密だが、あまりに遣る瀬無いラストには魂が凍り付くような思いだった。

こうして全編に渡り非情と無情の交差するとてつもない物語を描き切ったのが『ヒットマン』第3巻だったのである。そして物語はさらに壮絶となってゆく4巻へと引き継がれるのだ。以降、明日から4巻5巻と順次紹介してゆく。いや、ホント、物凄い作品ですよ。

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20170606(Tue)

[]"正義"の発見〜映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』 "正義"の発見〜映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』を含むブックマーク "正義"の発見〜映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』のブックマークコメント

■皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ (監督:ガブリエーレ・マイネッティ 2015年イタリア映画)

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永井豪原作のロボット・アニメ「鋼鉄ジーグのことは憶えている。資料によると1975年にTV放送されたということだが、当時「テレビマガジン」かなにかの子供向け漫画雑誌で連載を読んでいたような気がする。磁石で関節がくっついたり離れたりする玩具も持っていた。このギミックは楽しかった。ただしTVアニメは観たことが無い。当時オレの住んでいた田舎では放送されなかったのだ。田舎では民放が2局しかなくて、その枠の中に無かったのである。だから実は、マジンガーZもグレンダイザーもゲッター・ロボもTV放送されておらず、観たことが無い。機動戦士ガンダムはオレの田舎でも放送されたが、その頃にはロボット・アニメを楽しんで観るような年齢ではなかった。

そんな「鋼鉄ジーグ」の名を冠した映画が公開されるという。イタリア映画なのらしい。ヨーロッパでは日本製ロボット・アニメが大流行したことがあるというから、そんな流れの中にあるのだろう。内容はロボットが登場する訳ではなく、スーパーヒーロー映画なのだという。

物語は放射性廃液を浴びて超人となったチンピラ、エンツォが主人公となる。だがそもそもチンピラなので、超人となってもその力を活かして泥棒稼業に精を出すだけだ。だが、あるきっかけで知り合った「鋼鉄ジーグ」の熱狂的ファン、アレッシアを悪漢から助け出したことにより、彼女から「鋼鉄ジーグ」の如きスーパーヒーローだと目されてしまう。そんな折、エンツォの働きを快く思わない犯罪者組織のリーダー、ジンガロが死の罠を巡らそうとしていたのだ。

こんな粗筋だけからだと、あたかもアメリカのマーベルやDCコミックのようなスーパーヒーロー・ドラマが展開するように思われるかもしれないが、実はそんな一筋縄な物語ではない。主人公エンツォはなにしろ小汚いなりをした中年のコソ泥でしかなく、スーパーパワーがあるからといって正義を成そうなどとはちいとも思わない。中盤からちまちま善行を見せはするが、それもアレッシアにほだされてなんとなくやってみた程度だ。犯罪組織と戦いもするけれども、それも正義のためというよりも、連中が五月蠅く絡んできたからである。結局、あくまで個人主義的な男なのだ。スーパーヒーローということであれば、デッドプールあたりに近いかもしれない。

問題となるのは、ヒロインにあたるアレッシアだ。彼女は母親の死により精神を病み、アニメの世界に閉じこもり、現実とアニメの世界の区別がつかなくなっている女性なのだ。「鋼鉄ジーグ」を再生するポータブルDVDプレイヤーを取り上げられると暴れ、常に架空の登場人物と架空の世界の話ばかりしている。彼女はスーパーパワーを持つエンツォを彼女の愛する「鋼鉄ジーグ」と重ね合わせるが、それは彼女の知っているものであれば仮面ライダーでもスパイダーマンでもなんでも構わなかったのだ。どちらにしろ、彼女の「妄想」でしかなかった架空のスーパーヒーローが、エンツォという実際にスーパーパワーを持った男の出現によって「肉体化」されてしまう、というのがこの物語だ。ちなみにこのアレッシア、結構オッパイポロリするので眼福である。

そして、最初はスーパーパワーをコソ泥にしか使わなかったエンツォが、アレッシアの「妄想」により"ヒーローである"という人格を付加され、「自分が何者であるのか」を見出し、自らもその「妄想」の中の住人として、すなわちヒーローとして生き始める、という展開を見せるのだ。最初は「強大な力」でしかなかったものが、「鋼鉄ジーグ」というヒーローの名をつけられることにより、自らのアイデンティティを決定するのである。ここでは、アメコミ・スーパーヒーローのような、"善"や"悪"といった事柄が、アプリオリな、演繹的証明の必要のない自明的な事柄としてあらかじめ位置づけられていないのだ。即ち、正義なるものが、当為なのではなく、それを「発見」してゆくまでの過程、それを描いたものが映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』だったのだ。だからこそこの作品は、アメコミ・スーパーヒーロー映画と一味も二味も違う作品として完成しているのである。

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20170605(Mon)

[]アメリカから逃走するマイノリティーたち〜 映画『LOGAN/ローガンアメリカから逃走するマイノリティーたち〜 映画『LOGAN/ローガン』を含むブックマーク アメリカから逃走するマイノリティーたち〜 映画『LOGAN/ローガン』のブックマークコメント

LOGAN/ローガン (監督:ジェームズ・マンゴールド 2017年アメリカ映画)

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映画『X-MEN』シリーズはなんとなくだいたい観つつも、正直なところそれほど好きなシリーズではない。なんかあのコスチュームが……(ゴニョゴニョ)。とはいえスピンアウトである『デッドプール』は相当好きな作品だった。バカだからである。そもそもスーパーヒーロー映画は無意味に深刻ぶり過ぎていけない。

そしてウルヴァリンを主人公としたスピンアウト作品もそれほど嫌いじゃない。『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』は話がストレートでよかったし『ウルヴァリン: SAMURAI』は舞台となった変な日本が実にサイコーだった。

今回観た『LOGAN/ローガン』はヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンの最終作なのらしい。まあこの辺は実はどうでもよかった。それよりも映倫区分がR15+だというではないか。おお。結構バイオレンスしまくってくれるのだろうか。その辺りを楽しみたくて今回この映画を観たというわけである。

映画が始まり登場するのは人生に絶望し身体を壊しアル中と化したウルヴァリンと老衰し訳の分からないことを喚きまわるプロフェッサーXである。おまけに舞台となる2029年においてミュータントはほとんど死滅しており、新しいミュータントも25年間生まれていないという。しかしここで謎の組織に追われるミュータント少女が現れ、ウルヴァリンが彼女を安全な場所に送り届ける役目を負う。しかし謎の組織の追撃は凶暴かつ残忍、ウルヴァリン一行は満身創痍で旅を続けることになるのだ。

物語設定からしていきなりの塩展開である。ウルヴァリンといえば不死身の身体を持つ男であるが、これがびっこひいいてノソノソ歩いているんである。冒頭チンピラと戦うシーンもあるが微妙に弱い。体力ばかりではなく気力もなく、どうやら自殺まで考えているらしい。一方のプロフェッサーXと来た日にゃあヨボヨボの爺さんなばかりか超能力を押さえるために薬漬けであり、頭もどうやらボケ気味である。今まで『X-MEN』として熾烈な戦いを潜り抜けてきた彼らの姿はもうない。彼らの人生に待っているのはただ"死"のみなのだ。もはや彼らは「最期のジェダイ」ならぬ「最期のX-MEN」なのだ。

そこに現れた少女ローラはウルヴァリンと同じ能力を持つミュータントだ。実は彼女は謎の組織の実験によって生まれた存在なのらしい。子供ながらにこれが相当に強い。追いつめられたら殺人など厭わないほどに凶暴性を発揮する。彼女を追う謎の組織がこれまた凶悪だ。幾多の傭兵を抱えローラと彼女をかばうローガンを亡き者にせんと執拗に追撃してくる。このウルヴァリン一行と謎の組織が衝突し、生首かっ飛びもがれた手足が宙を舞う戦闘シーンは残酷描写満載で実に楽しめる。流石R15+だけのことはある。

どちらにしろ物語のトーンは相当に暗く絶望的だ。この作品はどうしてこうも悲惨で絶望的だったのか。そもそも『X-MEN』という映画シリーズはミュータントという鬼っ子のような存在に社会的マイノリティ―の姿を重ね合わせたものだという。1作目から殆どのシリーズ作品を監督したブライアン・シンガーはゲイであることをカミング・アウトしているが、彼の中にあるマイノリティーとしての心象が反映されたシリーズであるともいえる。

しかし、マイノリティーたちが彼らの能力を活かし正義の戦いを繰り広げた『X-MEN』だったにもかかわらず、この『LOGAN/ローガン』においてマイノリティーであるミュータントたちは既に死滅しているか死ぬ運命にある。穿った見方をするならこれはマイノリティ―差別をあからさまにした現トランプ政権のアメリカに対するマイノリティーたちの絶望を現してはいまいか。

物語後半、ローラたちは謎の組織を振り切るためアメリカ国境を越えようとする。国境を超えさえすれば安心だと言いきる。しかし圧倒的な兵力を誇る武力組織が国境を超えた程度で追撃を諦めるとはどうにも思えない。しかし、これがトランプ政権のアメリカなのだとしたら、そのアメリカの激化するヘイトクライムからなのだとしたら、越境は当然有効なのだ。映画『LOGAN/ローガン』は、アメリカに住むマイノリティーたちの絶望と希望を描こうとした作品だったのかもしれない。

D

どらどらどらどら 2017/06/07 19:32 さっき見ました。ラスト、チョッと泣きました。

globalheadglobalhead 2017/06/07 19:41 悲壮感溢れてましたよね〜。ちなみにコメントだぶってたので一個消しときましたよ。

20170602(Fri)

[]地図で紐解く世界の不思議〜『世界不思議地図 THE WONDER MAPS』 地図で紐解く世界の不思議〜『世界不思議地図 THE WONDER MAPS』を含むブックマーク 地図で紐解く世界の不思議〜『世界不思議地図 THE WONDER MAPS』のブックマークコメント

■世界不思議地図 THE WONDER MAPS / 佐藤健寿

世界不思議地図 THE WONDER MAPS

『クレイジージャーニー』(TBS系)で話題沸騰!『奇界遺産』写真家・佐藤健寿による親子で楽しめる奇妙なワールド・ガイド

未確認生物から超古代遺跡、都市伝説から少数民族まで──世界各地の“奇妙なもの"を撮り続ける著者が、不思議な事件・出来事・物・場所・お祭りなどを膨大なイラスト、さらに写真と解説で紹介。好奇心あふれる子どもたちと、好奇心を忘れた大人たちへ贈る、空前絶後の不思議な世界地図。

オカルトの好きな子供時代だった。UFOやネッシーや幽霊の話が好きだった。怪奇現象や不可解な古代遺物の話が好きだった。世界は科学では解明しきれない不気味で怪しい謎と不思議に満ち満ちていた。

そして大人になってみると、世界には不思議なんて何も無いんだということが分かってしまった。UFOもネッシーも幽霊もいない。怪奇現象も古代遺物もみんな合理的な理由が存在する。だけれども、全てが説明された世界は、味気なく、つまらないものでもあった。

『奇界遺産』、そして「クレイジー・ジャーニー」で有名な佐藤健寿による新刊本『世界不思議地図 THE WONDER MAPS』は、そのタイトル通り地図で旅する世界の不思議を著したものだ。そこには昔懐かしい「UFOやネッシーや幽霊の話」「怪奇現象や不可解な古代遺物の話」で満ち満ちている。しかしこの本で扱われているのはそれだけではない。佐藤お得意の様々な"奇界遺産"がその中に含まれているばかりか、世界各国に存在する奇妙な文化や風習、伝説や神話、クレイジーな偉人、そして実在する異様な景色なども収められているのだ。まさに"世界の不思議"を網羅した、『世界不思議地図』なのである。

そこには、既に見知っていたものもあったが、多くは、聞いたことも無かったもの、名前こそ知っていたが詳しくは知らなかった"不思議"が溢れ返っていた。そして、見知っていたものですら、とても新鮮な気持ちで接することが出来た。これらは、地図の形で体系的に網羅されているがゆえなのだろう。これらは、以前から佐藤が運営していたオカルト関連のニュースを扱うウェブサイト『X51.ORG』の流れに則ったものだろう。

そして、「世界には不思議なんて何も無い」と思っていたオレにすら、これらの"不思議"は、新風のように心ときめかされるものを感じてしまったのだ。

左様。UFOもネッシーも幽霊もいないかもしれない。しかし人は、そういった"不思議"になぜか心奪われたり、語ってしまうものでもある。佐藤は本書の前書きでこう書く。「しかしそれらが本当か、あるいは実在したかどうかは、実は私にとって大きな問題ではありません。(中略)もしもそれが人間の想像の産物だとしても「人間はどうしてそんなことを考えるのか?」と、結局不思議に思えるからです」そして、これら地図を埋めたものを、【人類の想像力と好奇心が発見した奇妙で不思議な何か】と結論付けるのだ。

そう。この世界に不思議なものなど何もないかもしれない。だが、それらに不思議を見出す【人間】が、最も不思議な存在であるということなのだ。

併せて、本書でイラストを担当している阿部結氏のグラフィックがまた楽しい。最初は絵じゃなくて写真を載せてほしかったな、とも思ったが、版権などもあってこれに落ち着いたのかもしれない。だがしかし、この阿部結氏のグラフィックにより、ガチなオカルト本ではなく老若男女楽しめる"不思議本"として完成しているのだ。文章にはルビも振られ、低年齢層読者にも対応している部分が心憎い。お父さんお母さん、子供へのプレゼントにも最適ですぜ(ニヤリ)。

それにしても佐藤健寿、ひょっとしたら新時代の荒俣宏になってしまうのかもしれないな。今後の活躍も楽しみだ。

世界不思議地図 THE WONDER MAPS

世界不思議地図 THE WONDER MAPS

■奇界遺産 2 / 佐藤健寿

奇界遺産2

そんな佐藤健寿を有名にした大型写真本『奇界遺産』の第2巻。2014年に刊行されていたらしい。1巻目は随分前に入手していて楽しんでいたが、2巻目まではいらないだろう、と暫く放置していたものの、最近の佐藤健寿フィーバーについつい買ってしまったという訳である。するとこれがまた、面白い。確かにやっていることは1巻目とは変わりはないのだが、1巻目が選りに選った世界の奇観をじっくりと見せてゆく編集だったものが、この2巻では「まだまだいっぱいありまっせ!」とばかりにこれでもかとばかりの分量の"奇界"を見せつけてゆくのである。ページ数は1巻と同じぐらいだが、濃度が濃いのだ。しかも"奇界"自体のクオリティ(?)が、1巻にまったくひけをとらないのである。1巻目ではイラストを漫☆画太郎が担当していたが、この2巻では諸星大二郎が担当している、というのも嬉しい(あれ、両者とも名前に星がついてる!?)。つまりどういうことかというと、1巻目を持っている人も、2巻目も買い、ということなのである。

奇界遺産2

奇界遺産2

奇界遺産

奇界遺産