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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20170726(Wed)

[]ロシアの収容所の町を巡る親子3代の物語〜『五月の雪』 ロシアの収容所の町を巡る親子3代の物語〜『五月の雪』を含むブックマーク ロシアの収容所の町を巡る親子3代の物語〜『五月の雪』のブックマークコメント

■五月の雪 / クセニヤ・メルニク

五月の雪 (新潮クレスト・ブックス)

目を細めると、今も白い雪山が見える――。米国注目のロシア系移民作家が描く、切なくも美しい9篇の物語。同じ飛行機に乗りあわせたサッカー選手からのデートの誘い。幼少期の親友からの二十年ぶりの連絡。最愛の相手と死別した祖父の思い出話。かつて強制収容所が置かれたロシア北東部の町マガダンで、長くこの土地に暮らす一族と、流れ着いた芸術家や元囚人たちの人生が交差する。米国で脚光を浴びる女性作家による、鮮烈なデビュー短篇集。

ソビエト連邦、今でいうロシア連邦という国には人それぞれ色々なイメージがあるだろうが、オレは多分それらの人たちとちょっと違う感情を持っている。それは、ソ連がオレがかつて住んでいた町のご近所の国だったということだ。オレが昔住んでいた北海道の町、稚内は北にサハリンが見える町だった。サハリン=樺太は第2次世界大戦後日本からソ連領になってしまった島である。返還要求もあるようだが実質ソ連/ロシアの島であると言っていい。それが海を挟んだ向こうの水平線に見えるのだ。

ソ連/ロシアが近いという事もあり、ロシア漁船が寄港することもよくあるし、この辺りの貿易絡みで町にはロシア人の家が多くあった・当然ロシア人も町中を歩いていたし、アーケードにはロシア語が併記されていたり、ロシア人専門の免税店があったりもした。1983年に起こった大韓航空機撃墜事件では、撃墜地点がサハリン沖という事もあって幾つかの遺留品が浜に打ち上げられ、町にはその慰霊碑が建っていた。戦前日本領だった樺太で亡くなった人々の慰霊碑も公園にあったりもする。そんな具合に、ソ連はオレのご近所の国だったのだ。

ロシア系アメリカ人、クセニヤ・メルニクによる短編集『五月の雪』は、ロシア極北の町マガダンに暮らす市井の人々の生活を描いたものだ。そしてこのマガダンというのが実は、かなり曰くのある町なのである。ここはかつて、シベリア強制収容所があった場所なのだ。マガダン郊外にはコリマ金鉱が存在し、この採掘の為に多くの犯罪者が送り込まれたのだという。第2次大戦終結後には、いわゆる「シベリア抑留」と呼ばれる日本人捕虜の移入地のひとつであったともいう。

しかし『五月の雪』は、このシベリア強制収容所の現実を描いた作品では決して無い。むしろ、そこに集められた強制労働に従事していた人々が、収容所閉鎖後もそこに住み続け、奇妙な文化を築き上げたことがそもそもの発端となっている。奇妙な文化とは何か、というと、それはここに集められた犯罪者が、決して刑事犯ばかりではなく、知識階級の多い思想犯だったということなのだ。それは人文や工学に強い者ばかりではなく、芸術家も含まれていた。つまり、かつての収容所の町マガダンは、極北にありながら奇妙に文化的な町へと形成されたという事なのである。

そしてこの『五月の雪』では、これらを全て背景としながら、旧ソ連時代に極北の町に住む人々の哀歓をささやかに描く作品として仕上がっている。そしてそれは、1958年から2012年に渡る、親子3代の、それも女性を中心とした物語として構成されているのだ。ここに収められた9編の短編は、時代こそ順不同であり、主要人物も様々ではあるが、最後に全体を見渡してみると、連綿と続く家族の物語の物語であったということが分かる仕組みになっている。

そこで描かれるのは、老朽化した国営集合住宅での物資や食料が不足し生活にも事欠く毎日と、そんな生活を逃れるために女に残されたのは軍人と結婚しより良い暮らしを手に入れるしかないことの世知辛さだ。とはいえ、そこには淡い恋と忘れられぬ愛の物語も物語られ、決して窮状のみが描かれる作品ではないのだ。それらは古い時代のこととして描かれるが、これがソ連崩壊後となると今度はアメリカ移住とそれによりロシア/アメリカでばらばらに暮らさざるを得なくなった家族の気苦労が中心となってゆく。どちらにしろ、文化圏の異なる国で暮らす人々の、今まで全く知らなかった生活への態度が伺い知れる部分が面白いのだ。

そしてなによりも驚かされるのが、このソ連/ロシア50年に渡る人々の細かな暮らしの様子を、30歳になるかならないかという女性が書きあげたということだ。古い時代も含まれているにもかかわらず、食生活から身の回りのことまで、その再現度があまりにも高いのだ。これは作者クセニヤ・メルニクが、彼女の家族から旧ソ連時代の暮らしを徹底的にリサーチした結果なのだという。ということであるなら、この作品自体が、作者自身が自らのルーツを辿る旅として描かれたものだと言うこともできる。

個々の物語は特別な何かが起こるわけではなく、非常に淡々として始まり終わるため、物語的なカタルシスには乏しいかもしれないけれども、当時の生活様式に注視するなら、実に発見があり楽しめるものとなっている。しかしこれが、最終話『上階の住人』において、いよいよ「収容所の町マガダン」に肉薄する段になると、物語は一気に数奇さと波乱とロマンの薫りを匂わせるのだ。