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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20170807(Mon)

[][]シャー・ルク・カーン主演の新作インド映画『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』を観た シャー・ルク・カーン主演の新作インド映画『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』を観た - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク シャー・ルク・カーン主演の新作インド映画『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』を観た - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■ジャブ・ハリー・メット・セジャル (監督:イムティヤーズ・アリー 2017年インド映画)

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久しぶりにSpaceBoxさんのところで主宰しているインド映画上映会に行ってきた。タイトルは『ジャブ・ハリー・メット・セジャル(Jab Harry Met Sejal)』、シャー・ルク・カーン主演のロマンチック・コメディである。原題は「ハリーとセジャルが出会う時」といったような意味だろう。

シャールクの純粋なロマンス映画は久しぶりかもしれない。シャールクはやはりロマンス映画が似合う。最近のクライム風味の作品が自分にはどうも今ひとつだったので今回は期待大だ。そしてヒロインとなるアヌシュカー・シャルマー、彼女がまたいい。日本では『命ある限り』(2012)、『pk』(2014)の公開作がある。人気実力ともにとても優れたインド女優なのでインド映画ファン以外の方も名前を覚えておくといいだろう。彼女はシャールクとの共演作に先程紹介した『命ある限り』の他にも『Rab Ne Bana Di Jodi』(2008)があり、これも非常に名作で、観ておいて損はない。

監督はイムティヤーズ・アリー。これまで『Jab We Met』(2007)、『Rockstar』(2011)、『Highway』(2014)、『Tamasha』(2015)といった作品を観たことがあるがどれも表現力に優れた秀作を作り上げてきた監督だ。特に『Jab We Met』は最も重要なインド映画10作のうちのひとつに数え上げている評者もいるほどだ。個人的にもどれも思い出深い作品ばかりだが、ランビール・カプールディーピカー・パードゥコーン主演による『Tamasha』は特に好きな作品だ。

さて物語はヨーロッパでツアーコンダクターを生業としているハリー(シャールク)が、ツアー中に婚約指輪を失くしたという女セジャル(アヌシュカー)に絡まれる所から始まる。セジャルは大事な指輪を失くし婚約者にも家族からも激怒を買い、一人ヨーロッパに残ってどうしても見つけなければならないので同行しろという。ハリーとしてはそんなものオプション外だからやる義務はないと突っぱねるが、結局は嫌々ながらセジャルに付き添うことになる。だがオランダのアムステルダムで済む筈だった指輪探しは二転三転し、遂にはプラハ、ウィーン、リスボン、ブダペストを巡るヨーロッパ大探索の旅へと発展してしまうのだ。そしてその旅の間に、二人の間に仄かな恋心が目覚め始めるが、片や婚約者のいる女性、その恋は決して成就する筈は無かったのだ。

感想を先に書くと、心を揺さぶられるとても優れたロマンス作品だった。やはりシャールクのロマンス作は鉄板と言わざるを得ない。もちろんヒロインを演じるアヌシュカーの表情豊かな演技にも心ときめかされた。最初は嫌々付き合っていたシャールクと相手の迷惑なんて完璧無視なアヌシュカーとのギクシャクしたやりとりは、前半のコメディ要素となり、大いに笑わせながら観る者の心をほぐしてゆく。しかし旅を通じて心寄せ合うようになってゆく二人の、そのあまりに危うい「道ならぬ恋」の行く末を気になりだした時に、物語は辛く心切ないものへと様変わりしてゆくのだ。

最初は相性の悪そうな男女が旅の中で次第に心を通い合わせてゆく、といった物語はインド・ロマンス映画の十八番なのかもしれない。シャールク映画ではあの『Dilwale Dulhania Le Jayenge』(1995)がそうだし、ディーピカー・パードゥコーンとの共演作『チェンナイ・エクスプレス〜愛と勇気のヒーロー参上〜』(2013)もそんな物語だった。しかしそもそも監督であるイムティヤーズ・アリーの作品というのが、【旅とロマンス】を重要なファクターとするものが多く見られるのだ。先に紹介したイムティヤーズ・アリー監督作品4作はどれも【旅とロマンス】に関わる作品だ。その中で特に『Jab We Met』は、「本来ロマンスが生まれるべきではない二人の男女にロマンスが生まれてしまう」といった物語構成から、この『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』と大きな共通項を持っていると言えるだろう。

そしてこの作品のもう一つの魅力は、「有り得ない出会いの要素を力技でロマンスとして成立させてしまう」といった点だろう。それは「現実的である」事から大きく飛躍してしまうことを全く意に介さない冒険的な演出である事を意味している。まず失くした指輪をツアコンの男と同伴して、あまつさえヨーロッパ中探し回る女性、といった展開はあまりに有り得ない。飛躍し過ぎだ。そしてそんな同伴を強要しながら「でも恋愛はありえないし!」と言ってのけ、にもかかわらず終始ベタベタしてくるセジャルのメンタリティは、あまりに有り得ない。そんな女性など多分いないか、いてもとんでもない少数派だろう。

ではこの物語というのはひたすら飛躍し過ぎで現実味が無くて有り得ない、ご都合主義のシナリオによって書かれた陳腐なものなのかというとそれが全く違うのだ。ここで描かれるシチュエーションそれ自体は確かに非現実的なものかもしれない。しかしこのシチュエーションから導き出される心情の在り方は、全く有り得ないものではないばかりか、どこか酷く心動かすものを含んでいるのだ。逆に「現実的であること」の拘泥から解放され、「有り得ない事」の可笑し味へと飛躍させることで、想像力豊かに物語を膨らませ、同時に普遍的な心情の物語へと帰結さているのである。そんな自由さに富んだシナリオが面白いのだ。

そしてそれこそが、【物語】というものの、現実を軽く蹴り飛ばす楽しみなのだ。多くの人は、なにも別に、「道ならぬ恋」をしたいわけではない。しかし人は時として、「不可能な恋」に出会ってしまうことがある。そして、どこまでも遣る瀬無い悲しみに堕ちてしまうことがある。『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』は、そんな物語なのだ。

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20170731(Mon)

[]極悪女ミイラはハクいチャンネーだったッ!?〜映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女極悪女ミイラはハクいチャンネーだったッ!?〜映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 極悪女ミイラはハクいチャンネーだったッ!?〜映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 (監督:アレックス・カーツマン 2017年アメリカ映画)

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映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』である。「マミー」というのはミイラの事でお母さんとか乳飲料とは関係ない。1932年に公開されたホラー映画『ミイラ再生』のリブート作であり、同じくこの映画のリブート作である『ハムナプトラ』シリーズの異母妹みたいな作品でもある。お話は古代エジプトのとっても悪い女王のミイラが運ばれてきた現代のイギリスで復活して大パニック、と、そういう映画である。

しかしこの映画、それ以前にトム・クルーズが主演している作品でもある。トムクルとホラー。今まで無かった組み合わせである。無かった、というよりあまりに似つかわしくなくて誰も組み合わせようなどと考えなかったのだろうと思う。あの溌剌としたおっさんをどんよりじっとりしたホラー・ジャンルに抜擢してもホラーのクセに颯爽としてしまう訳の分からないものになってしまうだけではないか。ところがこの作品ではその禁を犯してトムクル主演のホラー映画を作ってしまったのである。

結果はどうかというと、当たり前と言えば当たり前だが、いつものトムクル主演映画になっている。ホラーだろうが何だろうが、とりあえずトムクル映画として完結しているのである。しかも水と油とかそういうこともなく、いわばトムクルがホラーを捻じ伏せた形で完成しているのだ。ミイラ女の呪いガー、復讐ガー、とかいう物語なのにもかかわらず、トムクルが颯爽と溌剌と飛んだり跳ねたり拳にモノを言わせていればそれは紛う事なきトムクル映画でしかないのである。げに恐るべきはトムクルのスター性である。

逆に言うならトムクルがそのスター性でもって牽引していなければ単にしょーもないB級ホラーに成り果てていただろう。いや、実際の所、作品それ自体は古臭いプロットしか持たないホントにしょーもないB級映画であるのは確かなのだ。

実はそんなしょーもないB級ホラー作品を魅力的に見せたのはトムクルだけの尽力ではない。悪い女ミイラ役のソフィア・ブテラ、彼女がいいのだ。かつては『キングスマン』のガゼル役でキャラ萌え男女を大いに沸かせた彼女だが、この『ザ・マミー』でも悪い女ミイラを実に魅力的に演じているのだ。いやーソフィアちゃん可愛かったなー、人間のヒロインとして登場したアナベル・ウォーリスとソフィアちゃんだったらオレ、やっぱりソフィアちゃん取っちゃうなー、呪われてゾンビになってもソフィアちゃんのほうが断然いいよ!というわけでトムクルとソフィア・ブテラ、この二本柱の存在によりしょーもないB級映画でしかないはずの『ザ・マミー』がそこそこに楽しめるエンターティメント作品に仕上がっているのである。

しかしなんだかモニョっちゃう部分がひとつあって、それがこの作品がユニバーサル・ピクチャーズによる「ダーク・ユニバース・シリーズ」の第1作目となる作品だとかなんとかいうことなんだよな。「ダーク・ユニバース・シリーズ」っちゅうのは、この『ザ・マミー』を皮切りに半魚人とかフランケンシュタインとか狼男とか、かつてのハマー・ホラーを復活させようとかいう企画らしいのだ。で、それをどうやら、「マーベル・シネマティック・ユニバース(アベンジャーズ)」や「DCエクステンディド・ユニバース(ジャスティス・リーグ)」みたいなクロスオーバー作品群にしたいらしいんだよな。

この辺でなんでモニョッちゃうかというと、まずこの『ザ・マミー』には「対モンスター組織:プロディジウム」なんてェのが登場して、ラッセル・クロウ演じるその親玉というのが「ジキル博士」という、その名前だけで「あーハイハイ」って人物だったりするのよ。で、「人類の平和ガー」とか言っちゃったりしてんのよ。この辺で「ハァ?」とか思っちゃうわけなのよ。多分「ダーク・ユニバース・シリーズ」は、この「対モンスター組織:プロディジウム」と「ジキル博士」を『アベンジャーズ』でいう所の「シールド」みたいな位置付けにして今後展開してゆくんだろなあと予測できるわけなんだけど、ハマー・フィルムのモンスターに人類の平和結びつけてどうすんの?って気がしないでもないんだよな。

この展開で思い出す映画が『ヴァン・ヘルシング』と『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』なんだけど、オレは嫌いじゃないんだが、結構「あかんヤツや」という評判も高いんだよなー。あと"ごちゃ混ぜな雰囲気"ということでは『47RONIN』あたりもこの辺りの系譜にちょっと引っ掛かるよなー。

多分コレ、「マーベル・シネマティック・ユニバース」や「DCエクステンディド・ユニバース」、さらにはキングコングゴジラの登場する「モンスターバース」と「バース」流行りのハリウッドで「俺らもいっちょかみして儲けようや!」という映画会社の目論見としか思えないんだよなー。アメコミやゴジラは分かるとしても、ハマー・フィルム・モンスターによる「バース」って誰得なんだ…という気がしないでもないんだよなー。

とはいえ、これはこれで盛り上がったら「ハマー・フィルム・モンスターサイコーっしょ!?」と大いに沸き立つキャラ萌え大好きの善男善女映画ファンも増える事だろうし、そうならば誰得どころかみんな幸せになれると思うので、ユニバーサル・ピクチャーズの企画担当の皆さんにはこれからも頑張ってほしいと思いマス(棒読み)。

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20170724(Mon)

[]タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』 タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 (監督:ヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリ 2017年アメリカ映画)

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『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズは他愛ないと言えばそれまでだが老若男女楽しめる優れたエンターティメント冒険ファンタジー作品ということでよろしいのではないかと思う。オレもとりあえず全作観ているが、とりわけ2作目『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』がお気に入りである。以下にこれまでブログで書いた『パイレーツ』シリーズのレビューをリンクしておく。

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト (監督: ゴア・ヴァービンスキー 2006年 アメリカ) - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド (監督:ゴア・ヴァービンスキー 2007年アメリカ映画) - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

[MOVIE]映画『パイレーツ・オブ・カリビアン / 生命の泉』はピシャンピシャンキシャーキシャーだったッ?! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

とはいえ、3作目以降はどうにも迷走していて手放しで楽しめなかった部分が多々あるのは確かだ。3作目は監督ゴア・ヴァービンスキーの作家性を打ち出し過ぎて娯楽作として不透明になった事、4作目以降は興行成績を高めようとしたのかシナリオを盛り込み過ぎてテンポが悪くなってしまったことなどなどが原因のような気がする。

そんな『パイレーツ』シリーズの最新作『最後の海賊』を観た。前作までがなにしろグダグダだった為、あまり食指が動かず、殆ど期待せず劇場に足を運んだのだが、あにはからんや、これがそこそこに面白い作品だった。『パイレーツ』シリーズもまだまだ終わっていないな、という気にさせられた。

今回の物語はシリーズの中でも相当シンプルである。3作目で呪いをかけられ幽霊船の船長となってしまったウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)の呪いを解くため、成長した彼の息子ヘンリー(ブレントン・スウェイツ)が、伝説のアイテム「ポセイドンの槍」の在り処を求め探索することになる。そしてそのカギを握るのが例によって我らが海賊船長ジャック・スパロウだった(ジョニー・デップ)、という訳である。これに女性天文学者カリーナ(カヤ・スコデラリオ)、「海の死神」サラザール(ハビエル・バルデム)、ジャックの宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)が絡んでゆき、ドラマを形作ってゆく。

物語は冒頭こそジャックとその仲間たちの金庫破りを巡る派手なドタバタが展開し、この辺りは従来通りの『パイレーツ』だな、という気がする。コメディ要素たっぷりのこのドタバタは泥臭くまるでドリフのコントを見せられているようで、安定した楽しさはあるが新味には欠ける。しかし「旅の仲間」たちが集結しいよいよ「ポセイドンの槍」探索が始まると、これが実にテンポよく物語が進んでゆく。

このテンポの良さは前作までのゴチャゴチャと盛り込み過ぎのシナリオへの反省があったのかもしれない。なにしろこの『最後の海賊』、シリーズで最も上映時間が短いいのだ。これまでのシリーズでは1作目『呪われた海賊たち』が143分、2作目『デッドマンズ・チェスト』が150分、3作目『ワールド・エンド』が169分、4作目『生命の泉』が141分という結構な長尺だったものが、5作目であるこの『最後の海賊』は129分となっているのだ。シナリオのシンプルさと併せ見せ場も整理されそのせいでタイトな上映時間となっているのだ。まあこれにはこれまでよりも抑えられた製作費にも要因があるだろう。

反面、タイトさを意識し過ぎたのか演出がぶっきらぼうで、場面によっては端折り過ぎではないかと思えた部分もあった。そこは見せてもいいだろうという場面が省略されていたりするのだ。また、ジャックやヘンリー、カリーナがしょっちゅうマストに縛られていて、この辺の演出の拙さが妙に気になりもした。この辺りは今作を手掛けたヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリ監督のハリウッド大作への経験値の問題なのかもしれない。

だが、作品が若干小振りになったことによる物語の明快さは、これまでのシリーズに抱えていた欲求不満を十分に払拭するものであったことは確かだ。そもそも、3作目で呪いをかけられたウィルの救済という物語は、本来4作目で語られるべきものではなかったのか。シリーズ中最も哀惜に満ちたこのエピソードの顛末をようやく目にすることができるというというのはファンにとって非常に興味をそそられるものであり、その分物語への吸引力も高まっているのだ。そのラストは想像通りとは言え、カリーナにまつわる想像し得なかったもうひとつのドラマが物語られていることにより、非常に余韻の残るクライマックスを導き出すことに成功しているのだ。

ビッグバジェットの超大作を意識するあまり肥大し過ぎたシナリオをもう一度整理することによって生み出されたこの小気味よさは、"そこそこに大作"であるフットワークの軽さを生み出しており、今後も展開するらしいシリーズへの期待を改めて取り戻すことが出来た。そういった部分でこの『最後の海賊』、オレにとっては非常に好印象の作品だった。

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20170718(Tue)

[]そうさ、今日もエンジンは最高さ〜映画『カーズ/クロスロード』 そうさ、今日もエンジンは最高さ〜映画『カーズ/クロスロード』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク そうさ、今日もエンジンは最高さ〜映画『カーズ/クロスロード』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■カーズ/クロスロード (監督:ブライアン・フィー 2017年アメリカ映画)

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ピクサー/ディズニーのCGアニメに興味を無くして久しいが、『カーズ』のシリーズ第3作であるこの『カーズ/クロスロード』は何故か観たかった。ひとえに、劇場で流されていた予告編がとてもカッコよかったからである。

台詞もナレーションも一切無く、主人公の車ライトニングが、サーキットコースを、ダートコースを、海岸をひた走る。ただただ、ひた走る。その映像には、奥田民生が歌う日本版エンドソング『エンジン』が被さってゆく。そしてこの曲がまたカッコいい。歌詞はいかにも車を歌ったものではあるが、ミディアムテンポで、じりじりと盛り上げてゆく曲調がとてもいい。実はオレは、奥田民生というミュージシャンは名前しか知らないし、音楽にも全く興味が無いのだが、ことこの『エンジン』という曲は、心に響くものがあったのだ。そんな部分でなんだか映画も観たくなってしまったのだ。

CGアニメ『カーズ』については、1作目は劇場で観てたいそう感銘を受けた覚えがある(レビュー)。だが2作目はまるで観た記憶がない。自分のブログを調べたら、DVDで観ていたようだが、2行程度の感想しか書いていない所を見ると、どうやらどうでもいい映画だったらしい。同時にこの頃からピクサー/ディズニーのCGアニメに飽きてきていたようだ。

さてこの3作目、『カーズ/クロスロード』では主人公ライトニング・マックィーンが人生の岐路に立たされる様が描かれる。自分より新型で性能の高いマシン、ジャクソン・ストームの登場により己のアイデンティティに揺らぎが起こるのだ。その末のレース中の大クラッシュ。満身創痍のライトニングはもう一度自分を見つめ直し、そして新たな試練を自分に課して再び勝利を掴む為に切磋琢磨する、というのがこの物語である。

これは人間で言うなら若く才能豊かな新人の登場が、これまで負け知らずだった自分の前に立ちふさがり脅威となる、といった物語に読み変えられる。かつては自分も、若くパワフルで、溢れんばかりの才能に満ち溢れた存在だった。しかし、新しい世代の登場は、自分を時代遅れのものとしようとしているのだ。

計算しつくされたボディを持ち最新先端機器でトレーニングするジャクソンに対しライトニングの"新たな"特訓は泥臭くアナログだ。正直この程度の訓練ならこれまでとっくに行ってきただろうし、"新たな教え"を乞いに出向いたベテランレースマシンの助言すら、それほど新しいものがあったのかと思う。ここにはどこか根性を連呼する精神主義に通じる自己満足しか感じない。これで本当にライトニングは勝つつもりだったのか、勝てるつもりだったのか。そしてもしこれで勝ったとしても、物語は白々しい終わり方しかしないではないか。

だがここで登場するのがライトニングの担当トレーナー、クルーズ・ラミレスの存在である。かつてレーシングカーを目指しながら挫折しトレーナーの仕事に甘んじていたクルーズの、そのレースへの「想い」にライトニングは心揺さぶられるのだ。ここから先の展開は書けないが、既に老雄となった者が成すべきことは何かを描いた無理のないシナリオだったと思う。

しかしこの3作目を観て思ったのは、やはりアメリカ人というのは負けないことを第一義とする国民なのだな、ということだ。負けたくないのは別にどこの国の人間でも一緒だろうが、その勝つための前向きさと楽観主義の在り方と自信過剰ぶりがアメリカ人らしいなと思ったのだ。実際の所ライトニングにはジャクソンに勝てる要素が少しもなかったように思う。しかし時代遅れだろうが精神主義だろうがライトニングは勝つための方法をなんとしてでも模索しようとする。

それによるクライマックスへの展開もご都合主義と言えばそれまでだが、少なくとも、勝利の為のドラマとしてはとりあえず綺麗なまとまり方をしている。映画としても十分面白く観ることが出来た。だからただ文句が言いたくて言ってるだけなのだが、このアメリカ人ならではのポジティブさと理想主義が時として煩わしく感じるのも真実であり、この『カーズ/クロスロード』にしても、「そんなに綺麗にまとめんなよなー」と減らず口を叩きたくなる自分がいるのも確かなのだ。すまん、ひねくれ者なんだ。ああ、でもやっぱりラストの奥田民生の歌はサイコーだったよ。

■「カーズ/クロスロード」日本版エンドソング:奥田民生「エンジン」PV

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■「カーズ/クロスロード」予告編

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20170714(Fri)

[]火星から来たビロビロのアレはとっても締まりがキツかったッ!?〜映画『ライフ』 火星から来たビロビロのアレはとっても締まりがキツかったッ!?〜映画『ライフ』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 火星から来たビロビロのアレはとっても締まりがキツかったッ!?〜映画『ライフ』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■ライフ (監督:ダニエル・エスピノーサ 2017年アメリカ・イギリス映画)

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火星で発見された微生物が宇宙ステーション内で成長し乗組員を襲う!というSFパニックスリラー映画『ライフ』でございます。しかしこのタイトル、原題そのままなんですが何とかならなかったんでしょうかね。オレは最初「ベン・スティラー主演映画『LIFE!/ライフ』の宇宙篇なのか?」と思っちゃいましたよ。邦題が何かと取り沙汰される昨今ですが『襲来!恐怖のクラッシャーモンスター!』とか『実験ナンバーX:火星から来た殺人クリオネ』とかなんとかインチキ臭いタイトル適当に付けちゃえばよかったのに。

お話は火星で微小な生命体が採取される所から始まるんですよ。これが地球軌道上の国際宇宙ステーションに持ち込まれ調査研究されることになる。その細胞は次第に成長してゆき、「世紀の大発見だ!」と大いに沸いたのも束の間、その生命体は乗組員を襲いラボを逃げ出し、他の乗組員も一人また一人と餌食にされて行っちゃう、というもんなんですね。乗組員たちは生命体を撃退し生き残ることが出来るのか!?というのが物語となります。出演はジェイク・ギレンホール、レベッカ・ファーガソン、ライアン・レイノルズ、真田広之。

宇宙ステーションという閉鎖空間でのモンスターとの追いかけっこといいますとどうしてもあの『エイリアン』を思い出しちゃいますな。それとかショーン・S・カニンガム監督の深海ホラー『ザ・デプス』ね。でもねー、オレはむしろこの映画、深作欣二監督が1968年に撮った東映映画『ガンマ―第3号 宇宙大作戦』に一番近いんじゃないかと思ったんですよ!『ガンマ―』も宇宙で発見されたゲル状の生命体が成長し宇宙ステーションの乗組員を襲う、というものでしたからね。他にも地球軌道上の宇宙ステーションが舞台という事で『ゼロ・グラビティ』を思わせるシーンも多かったですね。

確かに『エイリアン』その他のSFスリラー・クローンと言えばそれまでなんですが、このジャンルの作品としてはそれなりに面白いことをやっていたんじゃないでしょうか。まず他の「宇宙生物パニック物」と違って、搭乗するモンスターがクラゲみたいなビロビロの半透明生物で、攻撃方法も最初は強烈な力で締め付けたり口から体内に入ったり、見た目通り軟体生物的なんですよね。いやービロビロで締りがキツイとかって相当下品ですね(オレが)。で、軟体生物ならではの神出鬼没な隠れ方や出現の仕方が新鮮だったと言えるかな。しかもコイツ、宇宙空間でも生きられるし、火は苦手みたいだけど決して焼け焦げたりはしない、という強靭な生命力を持ってるんですね。

そういったモンスターパニックSFとしてはまあまあ頑張ってはいるんですが、いかんせん設定やシナリオや登場人物の描き方がどうも拙くてねー。まず最初検疫室に隔離状態で研究されてたのに結果的にそこから抜け出せたって、いったいどんな検疫室なんだ。さらに宇宙ステーションの外に出されてもまた内部に潜り込めるっていったいどんなスカスカな構造の宇宙ステーションなんだ。これはアリなのかなあ実際そんなもんなのかなあ。まあ『アンドロメダ...』の宇宙ウィルスだって厳重な隔離施設から漏洩しちゃったぐらいだからなあ。

それとやはり登場人物キャラに魅力が無くてさー。ジェイク・ギレンホールはスティーヴ・カレルにしか見えないし最後のほうなんてエスパー伊東に見えちゃうぐらい精彩に欠けてたしライアン・レイノルズはなにかやってそうに見えてなんにもやってないし真田広之は日サロで焼き過ぎたみたいな顔してるし、一番最悪だったのがレベッカ・ファーガソン演じる検疫官で、冒頭から「私は検疫官!私の指示には従って!」とブイブイ言ってたくせに結局あらゆる検疫体制がぜ〜んぶ突破されてしまうという無能ぶりが露呈して「こいつ何の役にも立ってないばかりかいるだけ邪魔な疫病神キャラじゃないか」と呆然としてしまいましたよ。

これらは俳優のせいというより全ては演出の拙さで、結局監督が力足らずだったってことじゃないの。結構いい俳優揃えているのに結局B級SFの域から出られなかったというのもこの監督のシャープさに欠けるモヤっと暗い画面作りにあったんじゃないかな。とはいえ、あれこれ書いたけど駄作凡作と貶めるほど悪い作品でもなくて、B級SFだからと割り切って観るなら楽しめるよ。なおこの映画で最も緊張しなおかつ期待が高まったのはAEDのシーンだったという『物体X』マニアはオレだけではあるまい!

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20170710(Mon)

[]今度の『ジョン・ウィック:チャプター2』も殺して殺して殺しまくりだッ!? 今度の『ジョン・ウィック:チャプター2』も殺して殺して殺しまくりだッ!? - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 今度の『ジョン・ウィック:チャプター2』も殺して殺して殺しまくりだッ!? - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■ジョン・ウィック:チャプター2 (監督:チャド・スタエルスキ 2017年アメリカ映画)

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伝説の殺し屋ジョン・ウィックさんが前作に引き続き殺して殺して殺しまくる!という映画『ジョン・ウィック:チャプター2』でございます。

こんな零細映画ブログをやっているオレでも、観た映画のことを書くときは一応ネタバレしないようには気をつけているのですが、今回の『チャプター2』はどう書いてもネタバレの恐れがありません。ええ、なにしろ今回もとりあえず殺して殺して殺しまくっているだけだからです。細かい枝葉はいろいろありますが、どれもこれも殺しまくるための方便、殺しまくるための理由付けに過ぎません。

ただまあとりあえず物語を書いておきますと、「前作で殺し屋を引退した筈のジョン・ウィックさんが止むに止まれぬ理由で再び殺しをやることになり、それによりまたもや大騒動となる」、これだけです。映画を観る方もきっと「今回もどんだけ殺してくれるか」が一番の興味だろうと思われますので、ストーリーなんてあってもなくても一緒です。ちなみにこのブログで前作の感想を書いていますが、この『チャプター2』に関して言いたい事もそんなに変わりありません。ですから前作を楽しんだ方は今作もきっと楽しんで観られることでありましょう。

前作の感想:殺して殺して殺しまくったれ!〜映画『ジョン・ウィック』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

しかしこれではあまりに内容のないブログになってしまいますので(まあもとから内容がないと言われればそれまでですが)、ちょっと感じたことを二言三言付け加えてお茶を濁してみましょうか。

だいたいジョンさん、「伝説の殺し屋」とか言われてますが、逃走経路を計算しないで殺しをやってその後敵方に発見され当然のようにエライ事になるっていうのは、少なくとも殺し屋としてはかなーりマズイ事なんではないでしょうか。殺し屋っていうのは隠密裏にターゲットを葬り去って跡形もなく消え去る影のような存在の筈じゃないんでしょうか。前作の流れも同じようだったことを考えると、学習能力皆無っていうかそれとも単なるお茶目さんなんでしょうか。

むしろ「ターゲットを葬った後のドンパチを楽しむイカれたおっさん」という見方もできますが、相当不効率であるのは確かです。これって「プレイしてるのがステルスゲームなのに何を勘違いしたのか無双しまくって弾薬も体力もジリ貧になりゲームオーバー間近」というのと同じ状況じゃないですか。これでは殺しの腕は最高だが殺し屋としては3流以下ということになってしまいます。

それともう一つ、この『ジョン・ウィック』世界、殺し屋が多過ぎ!今作ではジョンさんの命を奪うため街中の殺し屋が次から次へとジョンさんに襲い掛かり死闘が繰り広げられますが、いやなにこの「犬も歩けば殺し屋に当たる」みたいな過密な殺し屋人口は!?そもそも「殺し屋の為の秘密ホテル・コンチネンタル」って世界のあちこちにあるみたいだけど、世の中こんなに殺し屋だらけでのべつまくなしに殺し合いしてたら普通に世の中崩壊してね?

・・・なーんてことを書きつつ、実のところホントはそんなことはどうでもいいんですけどね!だってそんなこと言ってたらドンパチにならねえもん!この映画はほとんどチートの如く殺しの手腕に長けた男がひたすらカッコよく殺しまくる様を楽しむための映画なのであって、余計な茶々を入れるのは野暮というものでありましょう。殺し屋だらけの世界、というのもある種のコミック乗りともいえ、その馬鹿馬鹿しさや有り得ない設定こそが楽しかったりします。そういった面でこの作品はひとつのおバカ映画として楽しめればそれでいいんだと思います。チャプター3も製作されているようですが、次回もきっと面白い作品になっていることでしょう。

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20170707(Fri)

[]シニシズム漂うイギリス産ゾンビ映画『ディストピア パンドラの少女』 シニシズム漂うイギリス産ゾンビ映画『ディストピア パンドラの少女』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク シニシズム漂うイギリス産ゾンビ映画『ディストピア パンドラの少女』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■ディストピア パンドラの少女 (監督:コーム・マッカーシー 2016年イギリス映画)

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映画『ディストピア パンドラの少女』、なんだか意味ありげな邦題ですが、要するにゾンビ映画です。とはいえ、よくあるゾンビ映画と少々違った雰囲気を持った作品なんですよ。

まず冒頭から物語はなんだか謎めいています。地下室のような場所で、車椅子に拘束され銃を突き付けられた子供たちがひとつの部屋に集められ授業を受けているんです。ここはどこなのか?子供たちは何故拘束されているのか?今何が起こっているのか?……等々、様々な疑問が湧き、物語に引き込まれてゆくんですね。

まずここはイギリスの軍基地であり、外の世界では特殊な菌類によりゾンビ禍(劇中では「ハングリーズ」と呼ばれています)が起こり、世界は滅亡に瀕していたんです。そしてこの子供たちというのは、母親の胎内で菌に感染し、「人肉を好むが人間としての意識も思考力もある」ハイブリッド体であった、というのが分かってきます。

主人公の名はメラニー、彼女はハイブリッド体の少女ですが、高いIQを持ち、豊かな感情も兼ね備えています。しかし彼女を始めとする子供たちは、ゾンビ抗体ワクチンの実験被験者でもあったんですね。そんなある日軍基地をハングリーズが襲撃、メラニーと生き残った者たちはまだ安全とされている別の軍基地を目指し廃墟と化したイギリスを横断するのです。

こんな作品なんですが、ゾンビ映画として要所要所で新しい試みが成されているところが目を引きます。なんといっても「人間/ゾンビ」のハイブリッド体というのが登場し、しかも見た目はまるで人間と変わらない、といった部分です。このハイブリッド体の存在それ自体が物語の大きなテーマになります。主人公少女メラニーはハイブリッド体であるためゾンビに襲われません。それにより同行者の危機を救ったりすることもあります。細かい所では「ゾンビ避け軟膏」でしょうか。これ、人間の臭いを消してゾンビに襲われないようにするペースト状の薬なんですね。

そしてゾンビ禍を巻き起こしたのが菌類であるという部分です。まあ原因が何でもゾンビなんだからいいじゃん、と思われるかもしれませんが、この「菌類である」ということが最終的に物語に大きく関わってきます。これまでのゾンビ映画では"原因"はあまり重要視されてきませんでしたが、この作品ではこの"原因"こそが要となるのです。そしてゾンビになった者の最終的な運命は、今までのゾンビ映画では決して描かれなかったものでしょう。

菌類によるパンデミックがもたらしたゾンビ禍、という部分ではゾンビ・アポカリプス・テーマの名作ゲーム『The Last of Us』を思い出さずにはいられません。このゲームでは「感染者」の顔にぶよぶよした茸のようなものが生えていますが、映画『ディストピア〜』でも「感染者」の顔を菌糸のようなものが覆っています。両作の主人公少女がゾンビ抗体ワクチンと関わることになるのも一緒です。とはいえ物語の流れは全く違うものとなっています。

映画のもうひとつの見所は廃墟となったイギリスの街々の光景でしょう。同じくパンデミックによる世界の滅亡を描いた『アイ・アム・レジェンド』(2007)でも、冒頭の廃墟と化したニューヨークの光景があまりにも美しかったのですが、どちらかというと廃墟の無機質ぶりが印象深かった『アイ・アム・レジェンド』と比べるなら、『ディストピア〜』では緑の中に飲み込まれていってしまう廃墟の様子がどこかイギリスっぽい気がしました。そしてこの廃墟の光景、チェルノブイリ原発事故により廃墟となったプリピャチの街をドローン撮影したものを一部使っているらしいんですね。

そして物語全体を見渡すなら、これは自分にはイギリス流の強烈なシニシズムが根底にあるのではないかと感じました。ゾンビ映画の基本にあるのは、キリスト教で言う「最後の審判のための死者の蘇り」が逆説的に地獄を生み出してしまうというペシミズムですが、この作品においてはむしろ、種としての人類の存在が既に時代遅れのものでしかなく、それは無力で滑稽なだけのものである、ということを冷笑的に描いているように思えましたね。イギリス産ゾンビ映画というとダニー・ボイル監督の『28日後…』がありますが、むしろエドガー・ライト監督の『ショーン・オブ・ザ・デッド』に通じる皮肉がこの作品にはあるのではないでしょうか。

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