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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20170724(Mon)

[]タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』 タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 (監督:ヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリ 2017年アメリカ映画)

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パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズは他愛ないと言えばそれまでだが老若男女楽しめる優れたエンターティメント冒険ファンタジー作品ということでよろしいのではないかと思う。オレもとりあえず全作観ているが、とりわけ2作目『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』がお気に入りである。以下にこれまでブログで書いた『パイレーツ』シリーズのレビューをリンクしておく。

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト (監督: ゴア・ヴァービンスキー 2006年 アメリカ) - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド (監督:ゴア・ヴァービンスキー 2007年アメリカ映画) - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

[MOVIE]映画『パイレーツ・オブ・カリビアン / 生命の泉』はピシャンピシャンキシャーキシャーだったッ?! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

とはいえ、3作目以降はどうにも迷走していて手放しで楽しめなかった部分が多々あるのは確かだ。3作目は監督ゴア・ヴァービンスキーの作家性を打ち出し過ぎて娯楽作として不透明になった事、4作目以降は興行成績を高めようとしたのかシナリオを盛り込み過ぎてテンポが悪くなってしまったことなどなどが原因のような気がする。

そんな『パイレーツ』シリーズの最新作『最後の海賊』を観た。前作までがなにしろグダグダだった為、あまり食指が動かず、殆ど期待せず劇場に足を運んだのだが、あにはからんや、これがそこそこに面白い作品だった。『パイレーツ』シリーズもまだまだ終わっていないな、という気にさせられた。

今回の物語はシリーズの中でも相当シンプルである。3作目で呪いをかけられ幽霊船の船長となってしまったウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)の呪いを解くため、成長した彼の息子ヘンリー(ブレントン・スウェイツ)が、伝説のアイテム「ポセイドンの槍」の在り処を求め探索することになる。そしてそのカギを握るのが例によって我らが海賊船長ジャック・スパロウだった(ジョニー・デップ)、という訳である。これに女性天文学者カリーナ(カヤ・スコデラリオ)、「海の死神」サラザール(ハビエル・バルデム)、ジャックの宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)が絡んでゆき、ドラマを形作ってゆく。

物語は冒頭こそジャックとその仲間たちの金庫破りを巡る派手なドタバタが展開し、この辺りは従来通りの『パイレーツ』だな、という気がする。コメディ要素たっぷりのこのドタバタは泥臭くまるでドリフのコントを見せられているようで、安定した楽しさはあるが新味には欠ける。しかし「旅の仲間」たちが集結しいよいよ「ポセイドンの槍」探索が始まると、これが実にテンポよく物語が進んでゆく。

このテンポの良さは前作までのゴチャゴチャと盛り込み過ぎのシナリオへの反省があったのかもしれない。なにしろこの『最後の海賊』、シリーズで最も上映時間が短いいのだ。これまでのシリーズでは1作目『呪われた海賊たち』が143分、2作目『デッドマンズ・チェスト』が150分、3作目『ワールド・エンド』が169分、4作目『生命の泉』が141分という結構な長尺だったものが、5作目であるこの『最後の海賊』は129分となっているのだ。シナリオのシンプルさと併せ見せ場も整理されそのせいでタイトな上映時間となっているのだ。まあこれにはこれまでよりも抑えられた製作費にも要因があるだろう。

反面、タイトさを意識し過ぎたのか演出がぶっきらぼうで、場面によっては端折り過ぎではないかと思えた部分もあった。そこは見せてもいいだろうという場面が省略されていたりするのだ。また、ジャックやヘンリー、カリーナがしょっちゅうマストに縛られていて、この辺の演出の拙さが妙に気になりもした。この辺りは今作を手掛けたヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリ監督のハリウッド大作への経験値の問題なのかもしれない。

だが、作品が若干小振りになったことによる物語の明快さは、これまでのシリーズに抱えていた欲求不満を十分に払拭するものであったことは確かだ。そもそも、3作目で呪いをかけられたウィルの救済という物語は、本来4作目で語られるべきものではなかったのか。シリーズ中最も哀惜に満ちたこのエピソードの顛末をようやく目にすることができるというというのはファンにとって非常に興味をそそられるものであり、その分物語への吸引力も高まっているのだ。そのラストは想像通りとは言え、カリーナにまつわる想像し得なかったもうひとつのドラマが物語られていることにより、非常に余韻の残るクライマックスを導き出すことに成功しているのだ。

ビッグバジェットの超大作を意識するあまり肥大し過ぎたシナリオをもう一度整理することによって生み出されたこの小気味よさは、"そこそこに大作"であるフットワークの軽さを生み出しており、今後も展開するらしいシリーズへの期待を改めて取り戻すことが出来た。そういった部分でこの『最後の海賊』、オレにとっては非常に好印象の作品だった。

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20170516(Tue)

[]『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目にノレなかったオレが2作目である『リミックス』を観たのだが 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目にノレなかったオレが2作目である『リミックス』を観たのだが - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目にノレなかったオレが2作目である『リミックス』を観たのだが - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス (監督:ジェームズ・ガン 2017年アメリカ映画)

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最初に正直に書くと、2014年に公開されたマーベルヒーロー映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』には、まるでノレなかったオレである。大宇宙を舞台にちょっとやさぐれたヒーローが活躍し、異郷の惑星!スペースシップ!エイリアン!宇宙戦争!といったものが画面に躍るいわゆる「お気楽スペースオペラ」は、オレのようなSF好きには格好の作品だった筈なのに、あにはからんや、つまらなかったのである。

しかし映画は周囲に大絶賛で受け入れられているのではないか。これはもう、作品の質の是非というよりも、オレに合わなかった、ということなのだろう(この辺はブログ記事『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はオレには合わなかったが、それは映画のせいじゃない、オレのせいだ。 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミで書いた)。

それにしてもなぜ面白く観られなかったのだろう、と思ったのである。むしろ、面白く観たかった、とすら思ったのである。面白く観られなかったことが残念だったのである。そして今回続編である『リミックス』が公開されると聞き、オレは「今度こそ面白く観たい」と思ったのである。そしてもう一つ、実は前作は劇場ではなく自宅でBlu-rayでの視聴だったからではないか、と思ったのである。

実はこのBlu-ray、「きっと買ってもいいぐらいに面白いに違いない!」とわざわざ購入しての視聴だったのだ。オレなりにリスペクトはしていたんだ。しかし劇場と自宅では視聴環境は雲泥の差だ。オレはここで「ちゃんと劇場で観れば!きっと!面白いに違いない!」と自分を鼓舞したのだ。だから、前作が合わなかったつまらなかったとか言っていたにもかかわらず、初日に観に行ったのだ。この辺の心掛けだけでも、ファンの皆さんは少しは許してもらえるだろうか。

という訳で劇場で観た『リミックス』、ええと、『スターウォーズ帝国の逆襲』で『ルパンVS複製人間』で『マンオブスティール』でちょっと『エクスペンダブルズ』と『タクシードライバー』が混じってて、結論的に言うなら『ワイルドスピード』だった。そういう映画だった。え、面白かったかって?あ、う〜ん……。

劇場で観ることの迫力と醍醐味は確かにあった。少なくともつまらなくはなかったし、楽しめた部分は多かった。映画を観ながら懸命に「ツッコミ禁止!ツッコミ禁止!」と自分に言い聞かせ、「きっと楽しい!きっと楽しい!」と思い込もうとしていた。しかし観終ってみるとやはり、悪くはないが良くもなかった。物語にしてもキャラにしてもあちこちにばらまかれたフックにしても外連味たっぷりで、というか殆ど外連味しか感じなかったのだが、その外連味が「好き」か「好きになれない」かしかない映画なのだなあ、と思えた。

特にキャラクターが、やはりダメだった。全員出オチ感丸出しな方々だった。主人公にはあまりに薄っぺらい人格しか感じなかったし、アライグマはアライグマにしか見えなかったし、ちっちゃい木は「どうです可愛いでしょ!」とツイッターで猫画像連投されている時の気分にさせられたし、筋肉男は雛壇芸人程度の賑やかし役だったし、青男は青かったし、触覚女は目ん玉フォトショ女を思わせたし、何と言っても緑女が、大変申し訳ないのだが、オレにはビジュアルが気色悪すぎて、ずっと違和感以外のモノを感じなかった。「肌の色で人を差別するなんてレイシストのやることだわ!ヒドイ!」とかどうか言わないでくれ。そんなつもりじゃないんだ。頼む。この通りだ。

こういったキャラも含めてSF的なビジュアルが香港のタイガーバームガーデンや台湾の金剛宮やベトナムのスイ・ティエン公園やシンガポールのハウパーヴィラやタイのワッパーラックローイみたいだった。どういう意味かはあえて聞かないでくれ。すまない。大変にすまない。こうして謝っているので許してほしい。

いや、よかった部分もある。金色星人だ。金星人ではない。あいつら顔からなにからみんな金色なのな。スゲエよな。だって金色なんだぜ?頭悪すぎだよな。おまけにタカピーなのよ。金色だから。こいつらが金色のバトルシップを遠隔操作して襲ってくるんだよ。スゲエよな。なにしろ金色だし。しかしそれにしてもやっぱりウンコも金色なんだろうか、と考えてたら映画どころではなかったよ。いや、重ね重ね、すまない、本当にすまない。

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azecchiazecchi 2017/05/19 12:40 めっちゃわかります!(あ、僕は2作目観てませんが) 確かに悪くはないんですけどね。なんかね。

globalheadglobalhead 2017/05/20 14:49 ひどく単純で子供っぽいからなのかもしれません。逡巡も葛藤も苦悩も無くあったとしても取って付けたようなものばかりで、なんだか薄っぺらいなーと思えてしまう。

20160821(Sun)

[]小雨そぼ降り台風近付く中「2016神宮外苑花火大会」に行ってきた 小雨そぼ降り台風近付く中「2016神宮外苑花火大会」に行ってきた - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 小雨そぼ降り台風近付く中「2016神宮外苑花火大会」に行ってきた - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

先日は相方さんと二人、明治神宮外苑で開催される「2016神宮外苑花火大会」へ行ってきました。毎年12000発の花火が炸裂する、という景気の良い花火大会で、オレと相方さんも何回か観に行ったことがあります。

ヒロミGO!花火大会ジャパーン!アチチアチチ! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

『2011神宮外苑花火大会』に行って来た - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

この花火大会、神宮球場・秩父宮ラグビー場・神宮軟式球場・東京体育館敷地内の4つの場所に会場が設けられ(もちろん会場外で観ることもできます)、場所によっては打ち上げ前にライブコンサートが催されたりします。そして今回も神宮球場のアリーナのチケットを取って行くことにしました。

……とはいえ、この日を前後して台風が関東に上陸しつつあり、前日から雨が降ったり止んだり、朝方なんかは結構強い雨が降っていたりして「本当に開催するのか?」と心配だったんですよねえ。当日はあれこれと天気予報を調べたんですが、とりあえず一日中天気が悪く、花火打ち上げの7時半前後にはなんとなく晴れるが、その後は分かんない、ひょっとしたらゲリラ豪雨があるかも、という状況だったんですよねえ……。まあしかし運を天に任せ、雨具一式を鞄に詰め込んで行って参りました!

この日はお昼から相方さんと六本木で映画を鑑賞してその後に花火に出掛けようと思ってたんですが、映画の終わった5時ごろには結構な雨が降っておりました。ツイッターで「神宮」で検索すると、水浸しの会場の椅子にレインコートを着て座っているお客さんの写真や、「地獄だ……」なんていう書き込みまであり、暗澹たる気持ちになってしまいました。しかし花火大会のHPでは「小雨決行」となっているし、チケットも買っちゃったし(実は結構お高かった)、ちょっとは晴れる予報だし、1時間ほどハンバーガー屋で雨宿りしてから会場の明治神宮に向かいました。しかしあにはからんや、レインコートをしっかり着込み、会場近くの青山一丁目で地下鉄を降り、会場目指して暫く歩いたんですが……なんか降ってない……。

明治神宮に着くと相変わらず大混雑で、ビールを買って席に着いた頃には渡辺美里がライブをやっていました。渡辺美里、人気のあった頃から全く興味が無かったんですが、こうして生で聴かされると、曲の好き嫌いとか良し悪しとかではなく、流行ってた当時の自分が突然フラッシュバックしてしまい、妙に感慨深かったですね。以前神宮花火大会で観た郷ひろみの時も思ったんですが、歌謡曲、いわゆる流行歌ってやつは、実は結構侮れないもんなんですよ。実はこの渡辺美里のライブの前にはAKB48もライブをやっていて、興味は無かったんですがネタ的にちょっと見てみたかったオヂサンでありました。

というわけで7時半のカウントダウンが始まり、いよいよ打ち上げです。ドーンッ!

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iPhoneだと花火写真はたいして上手く撮れません。何枚か下手な写真撮ったんですがこれでご勘弁を。

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いやもうバンバン派手に打ち上げてくれて実に楽しめました。それと、花火玉の欠片が結構降ってくるわ(Tシャツがザラザラしてた)、燃焼した火薬のせいか目はしょぼしょぼだわ、至近距離で花火を見る醍醐味もしっかり味わいました。しかしこの日は気圧や風向きの関係か、花火の煙が上空に滞留し、その曇った中にまた花火が打ち上げられる、といった感じで、なんだかはっきり見られなかったのが残念でしたね(お高いチケット取ったのに……)。最後なんて会場は煙でもうもう、なんだか空爆された戦闘地帯みたいな有様でしたよ(それはそれで面白かったけど)。

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それにしても、あんなに心配していた雨が、花火打ち上げが始まる頃にはピタリと止み、あまつさえ晴れ始めたというのが凄かったですね。台風どこいっちゃったんだ?実はオレと相方さんが旅行やイベントに出掛けると、どんなに前日まで荒天でもその日は殆ど晴れる、というジンクスがあり、密かにオレら「晴れカップル」なんじゃないのか、と思ってたんですが、その神通力がこの日も発揮されたんでしょうか。いやーオレと相方さん、神懸りですね。

というわけで1時間ほどで花火大会は終わりこの日は帰ることに。毎回数万人いる帰りのお客さんで帰り路はごったがえし大変な目に遭うんですが、何回か花火大会に行ってるので結構慣れてしまい、時間調整したり歩いて遠回りしたりしないでそのまま着た駅に向かいました。しかし駅のホーム大混雑なんだろうなあ、と思ってたんですがそんなでもなく、電車も山手線の乗らない遠回りの路線を選んだらあっというまに人の波は消えて割と普通に帰れました。なんだ、こんなことだったのか。家に帰ってやっと人心地付き、しっかりシャワー浴びて寝ましたが、翌朝の今日はなんだか筋肉痛で体が痛いです。まあしかし、花火大会も観たことだし今年の夏のイベントは全て終りで、後は秋を待つだけだな、とちょっと思いました。

20151210(Thu)

[]鬱蒼たるアメリカの森林地帯でヘルボーイが出遭った邪悪の存在〜『ヘルボーイ:捻じくれた男』 鬱蒼たるアメリカの森林地帯でヘルボーイが出遭った邪悪の存在〜『ヘルボーイ:捻じくれた男』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 鬱蒼たるアメリカの森林地帯でヘルボーイが出遭った邪悪の存在〜『ヘルボーイ:捻じくれた男』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■ヘルボーイ:捻じくれた男 / マイク・ミニョーラ、リチャード・コーベン

ヘルボーイ:捻じくれた男

1958年、ヘルボーイはアパラチアの山中で"捻じくれた男"と出会う。悪魔に仕えるというその男は、ヘルボーイをさらなる不可思議な体験へと誘っていく……。表題作に加え、ミニョーラ自身の筆になる作品も含んだ短編集、待望の邦訳!

今回の『ヘルボーイ:捻じくれた男』は中短編集となる。収録作は中編『捻じくれた男』短編『船に乗り込み海に出る奴ら』『モロクの礼拝堂にて』『ほくろ』の4編。

前回まで日本で刊行された3部作、『闇が呼ぶ』『百鬼夜行』『疾風怒濤』が古今東西のあらゆる神話とフォークロアを高濃度圧縮して描かれた、「ヘルボーイ・アポカリプス」とでも呼ぶべき重厚かつ壮大な長編であった為(その辺のコミックなど及びもつかない大傑作なので読むべし)、今回はちょっと息抜きにぴったりだ、と思って読み始めたのだが、あにはからんや、これがまた中短編集らしからぬ高密度な物語の数々で腰を抜かした。

特に中編『捻じくれた男』だ。アメリカのバージニア州アパラチア山脈を舞台にし、この地に住まう魔族に魅入られた青年とヘルボーイとが、恐るべき超常現象と戦いを繰り広げてゆく、といった物語だ。これまでの物語の多くはヨーロッパ各地のフォークロアをアイディアの源泉としてきたヘルボーイだが、アメリカ民話を取り扱ったのは今回が初めてなのだという。そしてこれがまた、深く、暗く、怪しい。アメリカの地にはアメリカの地ならではの《魔》が潜んでいるということなのだろう。しかし考えてみれば、ヘルボーイのそもそもの設定の大元となるクトゥルー神話は、アメリカ作家ラブクラフトの生み出したものだ。そしてその《魔》とは、アメリカ大陸に移住してきたヨーロッパ人の、その異質過ぎ広大過ぎる大地への畏敬と不安が無意識の中に結晶化したものなのだろう。ここで描かれる物語は、S・キング的であり、またジョン・カーペンター的であるとすらいえる。中編ならではの物語の描き込みが功を奏し、この短さでは考えられないような様々な要素の詰め込まれた傑作ということができるだろう。2009年にアイズナー賞ベスト・リミテッド・シリーズ部門受賞というのも頷けるというものだ。

続く『船に乗り込み海に出る奴ら』は実在の海賊船長黒髭の伝説を基に、首なしとなった黒髭の亡霊が首を求めてさまようといった物語だ。ゲーム玩具「黒ひげ危機一髪」は実はこの残虐な海賊船長黒髭が元となっているのだ。物語は短編らしいストレートな展開を迎えるが、「幽霊海賊対ヘルボーイ」というありそうでなかった組み合わせが楽しい。なおこれはヘルボーイ・ゲームの販促用として描かれた作品であるという。

『モロクの礼拝堂にて』はこの巻唯一のマイク・ミニョーラ自らがグラフィックを担当した物語で、ミニョーラならではの卓越したテクニックを堪能できる、といった部分でも貴重な作品だ。ポルトガルを舞台に邪神に魅入られたある画家の謎をヘルボーイが突き止めてゆくといった内容だ。地獄の王子ヘルボーイはやはり邪神との戦いが似合う。テンプル騎士団を改編した聖ハ―ガン騎士団の伝説というのもいわくありげで味わい深い。

『ほくろ』は短編ならではの小話で、ヘルボーイのほくろが…といった幻想的な作品。こんな短い作品でもダイナミックにグラフィックが踊るのがまたいい。

ヘルボーイの物語の多くはグラフィックとしての情報量の多さ(緻密な描き込みというのではなくて、その世界を一目瞭然に描き切る説得力)と物語それ自体の情報量の密度が相乗効果を生む稀有なグラフィック・ノベルとして楽しむことができる。グラフィックだけとか物語だけとかが突出していないのだ。ヘルボーイの物語はオカルティズムを基盤とした怪奇譚であり、テラーと呼ぶべきものではない。ヘルボーイ物語はマイク・ミニョーラの博覧強記ともいえるオカルト知識が撚り合わされ、鬱蒼たる世界を構築されているが、それをヘルボーイが腕力ひとつでぶち壊してしまう。ヘルボーイはアクションもいける物語なのだ。このインテリジェンスとフィジカルの拮抗するバランスがヘルボーイ物語の醍醐味と言えるのだろう。

○《参考》ヘルボーイ3部作レヴュー

ヘルボーイ:闇が呼ぶ

ヘルボーイ:百鬼夜行

ヘルボーイ 疾風怒濤

20150128(Wed)

[]北極海上の謎の研究施設を巡る冒険活劇〜『アイス・ハント』 北極海上の謎の研究施設を巡る冒険活劇〜『アイス・ハント』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 北極海上の謎の研究施設を巡る冒険活劇〜『アイス・ハント』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■アイス・ハント(上)(下) / ジェームズ・ロリンズ

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北極海を潜行中の米海軍調査潜水艦が、最新鋭ソナーで浮標する氷島の内部に廃棄された基地らしきものを発見した。モニタには多くの人間の死体と、何物かの蠢く影が映り込んでいた―。2か月後のアラスカ。元グリーンベレーで野生動物監視員のマットが、攻撃を受け墜落したセスナから新聞記者のクレイグを救出。クレイグは北極の米軍基地オメガへ取材に行く途中だった。マットは別れた妻とともに、謎の追撃者を振り切り記者をオメガへ送り届けようとするが、そのとき北極では恐るべき事態が出来していた―。

“グレンデル”という伝説の巨人の名が付けられた基地の恐るべき正体と、そこに込められた暗い野望の姿が徐々に明らかになり、北極は風雲急を告げる。マットとその元妻ジェニファー、グレンデルに魅せられた科学者たち、新聞記者のクレイグ、ロシア海軍提督ペトコフ、デルタフォース、そして“生きているはずのない者たち”…。それぞれの人生と人類の未来を懸けた極寒の闘いは驚きのクライマックスを迎える―。冒険小説の新たな巨匠が企みの限りを尽くして描き出す怒涛のエンタテインメント!

ジェームスロリンズの『アイスハント』、1年前に買ったきり積ん読になっており、そもそもなんで買ったのかすら覚えておらず、どうしようこれ、と積ん読延長しかかっていたんですが、やっと重い腰を上げて読み始めると、あにはからんやこれがすこぶる面白い。うーむ読んでおいてよかった。

お話はザックリ言うと北極海上の氷島(氷山以上にデカイので氷島)で発見された謎の秘密研究施設を巡り、アメリカとロシアがドンパチを繰り広げるというもの。しかもこの研究施設、中は死体だらけ、さらに怪しげな実験を行っていた跡があるばかりか、あるトンデモナイものが"存在"していた!という訳なんですな。そしてこの紛争に、アラスカで自然監視員をやっていた主人公と、保安官である元妻、その他その他が巻き込まれてしまうんですよ。

もうなにが凄いってこのお話、冒頭からアクション・アクションとアクションの乱れ撃ち。アラスカでの銃撃戦から始まり小型飛行機による追跡・逃亡劇、秘密研究施設では恐ろしい謎の存在が調査員たちを屠り、ロシア原潜の艦長は密かに世界を滅亡させる破壊兵器を持ち込み、冷徹なロシア兵がアメリカ人調査員たちを蹂躙したかと思うと、お次はデルタフォースが乗り込んでド派手な戦闘を繰り広げちゃうといった感じで、それを全くだらけさすことなく次から次へと描写してゆくんですね。

それと併せ、この基地はいったいなんなのか?ロシアはなぜ躍起になってこの基地を隠蔽しようとしているのか?さらに、基地に蠢く謎の存在はいったい何なのか?という謎要素も散りばめられ、読者にグイグイ読ませてゆくんですよ。しかしこの物語を読ませるものにしているのは、主人公を始めとする登場人物の、人間関係、そして彼らの心の底にあるもの、それらが情感豊かに描かれている部分なんですね。この巧さには舌を巻きました。

ただマイナス要素もあって、まずこの現代に隠密裏とはいえアメリカとロシアが派手にドンパチやっちゃうのはリアリティがないし、世界滅亡兵器を持ち込むロシア原潜艦長の動機が意味不明だし、研究施設にいる"謎の存在"も、いってしまえば「トンデモ」の領域で、この辺、一旦シラケちゃうと物語をつまらなく感じる方も出て来るとは思います。オレも若干シラケました。だからもし読まれるのであれば、この作品は「細かいところは乱暴だがアクションは迫力たっぷりのB級作品」と納得づくで読まれると良いかと思います。

逆に、こういったリアリティの薄いB級要素が綿密に絡み合いながら物語を盛り上げているのも確かで、このお膳立てがあることによって様々な危機的なシチュエーションと血沸き肉躍るアクションが盛り込まれることになる、という訳なんですよ。スカッ!と楽しめる冒険活劇を読みたい方にはお勧めしたいですね。それにしてもジェームズ・ロリンズ 、全く知らない作家だったんですが、こうして読んでみると非常に技巧に優れた冒険小説作家なんですね。おみそれしました。

20150115(Thu)

[]年末年始にダラ観したDVDだのなんだの 年末年始にダラ観したDVDだのなんだの - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 年末年始にダラ観したDVDだのなんだの - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■トランスフォーマー/ロストエイジ (監督:マイケル・ベイ 2014年アメリカ映画)

「あーもう4作目かあ…キャスト変わってるらしいけど、どうせいつも通りなんだろうなあ…」と思い劇場はパスしたが、レンタルで観てみたら、これがなんと、滅法面白く出来てて逆にびっくりした。冒頭のアメリカ田園風景とか発明バカオヤジとか父娘の確執とか、その辺は果てしなくどうでもいいのだが、物語を単純化してる分、本来の主役であるオートボットたちに必然的に目が行くのだ。さらに今回、アメリカ海兵隊が出てきてドンパチ始める、という展開が全く無かったのがいい。あれはあれで楽しかったにせよ、やはりオートボットの影が薄れるのだ。なにしろ今回はオートボットそれぞれの個性が非常に豊かであり、それゆえにそれぞれの個性を活かした活躍を十分堪能できるところがいい。また途中から登場する恐竜タイプのロボットは、最初低年齢層向けの受けを狙ったもののように思えて鼻白んだが、実際動いてるのを見ると結構パワフルに活躍しているうえに強力で、これも観ていて楽しかった。また今回は、画面に目一杯あれやこれやをごちゃごちゃ写し込む物量作戦を止め、敵なり味方なり単体もしくは対峙する姿にフォーカスする写し方をしているせいで、1対1体のキャラの動きがすっきりと確認でき、その分魅力的に見ることができた。中国ロケも実に目新しく、これも好印象。ううむなんだかベタ褒めじゃないかオレ。Blu-rayまで欲しくなったぞ。あとは「強大なパワーを秘めたあるアイテムを巡る追っかけっこ」という1作目から全く様変わりしないストーリー展開をどうにかすればいいと思う。

■ザ・ヘラクレス (監督:レニー・ハーリン 2014年アメリカ映画)

今更レニー・ハーリン監督に期待するものなど何も無く、この映画も「古代ギリシャが舞台のコスチュームプレイが観られりゃそれでいいや」程度の気持ちで観始めたのだが、あにはからんや、これが思いの他面白い作品だった。これには個人的理由もあったので後で書く。まあなにしろギリシャ神話の英雄ヘラクレスの物語、しかも監督レニー・ハーリン、ということで大雑把な作品を予想していたが、大雑把なりに見せ場を設け、楽しませてくれた部分がいい。冒頭のヘラクレスとヒロインのキャッキャウフフシーンが相当観る気を殺いだがそこからがいい。奴隷となったヘラクレスの剣闘士エピソードが魅せるのだ。このシーンから『グラディエーター』『300/スリーハンドレッド』あたりが引き合いに出され、その二番煎じ的な見方をする評もあるだろうが、実はそうではないのだ。実はこのシーンはアメリカケーブルTVの歴史バイオレンスシリーズ、『スパルタカス』への強烈なオマージュとなっているのだ。なぜならその証拠に、この作品には『スパルタカス』に主演していたリアム・マッキンタイアがサブキャラクターとして出演してるではないか!最初知らずにこの映画を観ていたが、リアム・マッキンタイアの姿を発見した時は大いに驚いたし喜んだ。これはドラマ『スパルタカス』の熱心なファンだったオレぐらいにしか分からないものだとは思うが、だからこそリアム・マッキンタイアの姿を発見した瞬間からオレにとってこの映画はあっという間に格が上がったのである。それは別にしても剣闘シーンはこれまで観た同工の作品と比べても工夫が多く楽しむことができた。クライマックスでの「遂に神の力を得たヘラクレス」の大立ち回りは適度に馬鹿馬鹿しいがこれも許容範囲だ。

■ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪 (監督:ツイ・ハーク 2013年中国/香港映画)

ツイ・ハークの作品はこれまで何作かは観ていると思い調べてみたが、並んだタイトルだけ見てもどれがどれだか判別付かない。それにしても中国の方かと思っていたらベトナム生まれの方だったのらしい。さてこの『ライズ・オブ・シードラゴン』、「モンスターでカンフーでなにやら楽しそう」と思って観始めたのだが、観終ってみるとどうも最初の期待とは違う作品だった。モンスターでカンフーなのは間違いないのだが、登場人物たちのキャラクターが四角四面過ぎて面白味が無いのだ。もうちょっと馬鹿馬鹿しくはっちゃけて欲しかったのだ。アクションにしても、何やら伝統芸能を見せられてるいるようで、何かテンポが違う。モンスターの一人も、ワルモノのように見えて、実は…というのもなんだか煮え切らない。きっと期待の仕方が間違っていたのだろう。唐朝末期を舞台にした探偵物語という設定は面白かった。

■ポンペイ (監督:ポール・W・S・アンダーソン 2014年アメリカ/カナダ/ドイツ映画)

ポンペイ [Blu-ray]

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「あーポンペイが爆発する映画かー」などと思っていたが、ちょっと待て、爆発するのはヴェスヴィオ火山であってポンペイじゃねーだろオレ。アブナイアブナイ。まあしかしそのぐらいどうでもいい気持で観た映画ではある。剣闘士がなんちゃらで復讐がうんちゃらで禁断の恋がどうのこうのというストーリーはあったようだが、まあ、基本的に極めてどうでもいい物語であるのは間違いなく、とりあえずヴェスヴィオ火山が「どっかーん」と爆発する様を最新VFXで再現された映像を「凄いね凄いね」と堪能し、ポンペイの不幸な皆さんが逃げ場を失い阿鼻叫喚の地獄に落とされる様子を「怖いね怖いね」と菓子食いながら眺められればそれで十分、という映画である。こういったアトラクション・ムービーの類は、IMAX3Dあたりで特撮部分だけの30分1000円ぐらいの映像作品として公開したほうがよくないか?

■イントゥ・ザ・ストーム (監督:スティーヴン・クエイル 2014年アメリカ映画)

「すっげー大竜巻が来て、街も人もギッタギタにされる」という、ただそれだけのお話である。これもまたアトラクション・ムービーのひとつであり、登場人物もお話も何の魅力もないが、巨大竜巻さえ凄ければそれで問題ないとも言える。たまに「90分なり2時間映画に集中するのもかったりーし、酒飲んだりネットやりながらながらでも十分観られる映画とかないかなあ」などと思うことがあるが、この作品など最適だろう。なにしろ竜巻のシーンだけ観てれば事足りるのだ。お話は最高につまらないのだが、最新VFXで画面一杯に猛威を振るう巨大竜巻の映像はこれまでこんなの観たことない、と思わせるほどに凄まじいのだ。

■テルマエ・ロマエ II (監督:武内英樹 2014年日本映画)

テルマエ・ロマエII DVD通常盤

テルマエ・ロマエII DVD通常盤

実は1作目は結構好きな作品なのである。もともとオレは原作ファンだったが、原作部分と映画オリジナル部分がいい具合に折衷され、これはこれで面白い映画を作ろうという気概が感じられたのだ。しかしこの2作目は「続編は駄作」のセオリーを見事に踏襲してしまっている。同じキャストでそれなりに予算も掛けられているであろうに1作目の面白さにまるで届くことがなかったのはひとえにシナリオの杜撰さだろう。この2作目ではオリジナルな要素が多く、それが原作のスピリットを殺してしまっているうえ、余計なエピソードの連続は、シナリオの無能さを恥ずかしげもなくあからさまにしてしまっている。とはいえ、ルシウスの行く末までに触れたラストはそこそこに汚名挽回をしている感はあった。

20140922(Mon)

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■マシュー・ボーンの「白鳥の湖」

バレエである。「白鳥の湖」である。なにをトチ狂ったのかこのオレがバレエ「白鳥の湖」を観に行ったのである。とは言ってもクラシックのそれではなく、コンテンポラリー・ダンスと呼ばれる、いわゆるバレエの現代的解釈版というやつだ(多分)。演出・振付はマシュー・ボーンという方。この『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』は、1995年に初演された演目であるらしい。この日は東急シアターオーブへ相方さんと二人で観に行った。

バレエのバの字も知らないオレが、この舞台を観に行くきっかけとなったのは相方さんが興味を示していたからであった。「なんじゃいな」と思って調べたところ、この『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』、男性が白鳥となって踊っているのである。「ほう」とオレは思った。この段階で英国の匂いがぷんぷんする。英国流の批評と皮肉、そして同性愛的な性向が見え隠れする。あにはからんや、マシュー・ボーン氏は英国人だという。それと併せ、オレはデヴィッド・ボウイやペット・ショップ・ボーイズら英国産ロック・パフォーマーの、シアトリカルなステージ構成を楽しんだ覚えがあるので、その原点ともなるイギリスのダンス・パフォーマンスを観てみたいという興味が沸いたのだ。

そして実際に観た『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』は、バレエには門外漢のオレが観ても素直に面白く、そして素晴らしいと思えるものだった。実はオリジナルの物語すら知らなかったし、チャイコフスキーの『白鳥の湖』だってあの有名な一節しか知らなかったオレではあるが。公演時間は休憩時間20分も含む2時間20分、この間たっぷりと楽しんだ。美しく力強く、そして十分芸術的だ。しかも決して堅苦しかったり難解だったりという敷居の高さが無く、むしろ時としてユーモラスであり、当初想像していた通り批評と皮肉がスパイスされ、さらに官能的であるのだ。

「現代的解釈」ということから、物語の舞台は中・近世のヨーロッパの王室ではなく、現代を思わせるものになっている。王室の中こそ古めかしいものであるけれども、そこでは今風のセレブやパパラッチが登場し、車があり携帯電話があり、怪しげなナイトクラブではヒップな客たちがさんざめいていたりする。しかし演じられるのは確かに『白鳥の湖』なのだ。こういった部分がまず新奇で面白い。そしてバレエのことを知らないオレでも入り込みやすい。

物語は、幼い頃から母親である女王の愛に飢えつつもそれを満たしてもらえない王子の孤独を描くものだ。その孤独から死を選ぶ王子だったが、そこで雄々しく舞う白鳥の美しさに心癒され、生きる気力を得る事になる。そんなある日、舞踏会に現れた謎の男にあのときの雄々しい白鳥の面影を見出し、王子は近づく。だが男に拒絶され、さらにその男に愛する母まで奪われ、王子は狂乱したまま悲劇へとひた走ってゆくのだ。

■マシュー・ボーンの「白鳥の湖」を解題してみる

この物語構成は、実のところ奇妙である。この舞台では、白鳥たちを上半身裸の細マッチョな男性ダンサーたちが演じ、それに王子が魅入られ惹き付けられるという部分に同性愛的なモチーフがあり、かの謎の男へと擦り寄る王子の態度も同性愛的である。だからこの演目も、英国流の同性愛的なイメージに満ちたもの、と簡単に片付けてしまってもいいのだけれども、そもそも白鳥は人間ではないし、それに思慕を覚えたところで同性愛へとは至らない。では白鳥とはなんだったのか、そして謎の男とはなんだったのか、というのがこの「現代版・白鳥の湖」の核心ではないのか。

母の愛を得られず苦悩する王子はいわゆるマザー・コンプレックスであるということもできるが、それと同時に、父親の不在は、「予め不発に終わることが運命付けられたエディプス・コンプレックス」ということができないだろうか。即ち王子には、乗り越えるべき父が存在せず、そして父を乗り越えることで獲得できる「男性性」、つまり男として生きるためのロールモデルが無かった、ということなのである。

この舞台で演じられる白鳥たちは優雅で美しくあると同時に、男性が演じることにより、野生の猛々しさと逞しさを備えた生き物として登場するのだ。その中で王子が思慕を覚えるのは白鳥たちのリーダーである。将来王室のリーダーとして期待される王子は、その中に自らの「男性性」のあるべき姿を見出したということができないか。白鳥のリーダー、ザ・スワンの腕の中に抱かれる王子は、別に同性愛に目覚めたのではなく、そこで自分自身のあるべき姿に抱きしめられたのだ。

そして舞踏会に現れた謎の男もまた、王子の理想する「男性性」の権化なのだ。謎の男は自信たっぷりに振る舞い、色気たっぷりに宮殿の女たちを誘惑する。つまり白鳥に見出した「男性性」と同様の「男性性」をそこに見出したからこそ、王子は謎の男に近づいたのだ。これもまた、同性愛の具現なのではなく、自分自身のあるべき姿に抱かれたい、という願望だったのだ。しかし、その男に母を奪われ王子は狂乱する。なぜなら、その母から溢れんばかりの寵愛を受ける筈なのは自分だったからである。つまり、自分がまだそこに至らない、自分自身の分身に、母親を奪われたからの狂乱だったのである。

こうして見ると、ファンタジックで素朴なエロスの物語であったオリジナルの『白鳥の湖』とこの『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』では、そのテーマとするところが180度違うことが判ってくる。このマシュー・ボーン演出は、同性愛も含めエロスの物語ではなく、「男が男であろうとすることの苦悩と悲劇」、これに尽きる。こういった、同じ演目を換骨奪胎することによりまるで違う物語にしてしまう批評性、こういった部分でも、この舞台は楽しめるものだった。

※カーテンコールは撮影してよいということだったので自分も調子に乗って撮影しちゃいました。この日は今公演で最も注目を浴びていたマルセロ・ゴメスという方の出演日だったのでラッキーだったのかも。

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