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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20170728(Fri)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックだのジャズだのソウルだのロックだのレゲエだの 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックだのジャズだのソウルだのロックだのレゲエだの - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックだのジャズだのソウルだのロックだのレゲエだの - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■Mulatu Of Ethiopia / Mulatu Astatke

MULATU OF ETHIOPIA [帯・ボーナストラックDLコード・日本語解説付国内仕様盤]

いつもは殆どエレクトロニック・ミュージックばかり聴いているオレだが、実は最近、部屋でジャズを聴くことも多くなってきた。聴くというよりも、単にBGMとして優れているから鳴らしているだけで、全く造詣はないし、思い入れもないのだが。そんなオレが最近部屋でよく流しているジャズ・ミュージックの一つがMulatu Astatkeによるアルバム『Mulatu Of Ethiopia』、いわゆる「レア・グルーヴ」モノである。Mulatu Astatkeは1943年エチオピア生まれのミュージシャンで、ヴィブラフォン、パーカッションを操る打楽器奏者だ。「エチオ・ジャズ」の生みの親と呼ばれ、現在も現役で活躍中のジャズ親父である。詳しいバイオなどはネットで調べてもらうとして、なぜジャズに疎いオレがよりによってエチオ・ジャズなんかを聴いているのかというと、その独特な音が面白かったというのがある。まず全体的に妙にこってりしている。そしてホーンの音がやはりねちっこく、さらにセクシーだ。音も十分に黒々している。詳しくはないがいわゆるアフロ的な音だということなのかもしれない。オレの知るようなジャズの音がキリッと冷やしてライムを加えたジンのような無駄のない味わいだとすると、このMulatu Astatkeの音はカルーアリキュールにホットコーヒーとホイップクリームを加えたティファナ・コーヒーのような味わいだ。燻されたような甘い匂いが漂っている。しかし全体を見渡すとこれはこれでジャズの音に間違いない。そういった"臭み"の面白さがオレがこのアルバムを気に入った理由である。このアルバムは7曲のステレオ・バージョンに同じ7曲のモノラル・バージョンが同時に収められているが、やはり若干響きが違う。さらに日本版には9曲分のセッションのダウンロードコードが付いていてちょっとお得だ。 《試聴》

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■It'll All Be Over / The Supreme Jubilees

It'll All Be Over

It'll All Be Over

The Supreme Jubileesの『It'll All Be Over』はゴスペル/ソウル・アルバムである。エチオ・ジャズの次はゴスペル/ソウルかよオレいったどうしちゃんだよ、と思うが、なにしろこのアルバムも部屋聴きに適した実に和みの一枚で、仕事から帰ってきたらバドワイザー缶を開けながら居間にある安物のステレオコンポ(3万円)で一発キメている。The Supreme Jubileesは1979年にカリフォルニアで結成されたファミリー編成のバンドであり、アルバム自体は80年に自身のレーベルS&Kより500枚のみリリースされたレア盤、これが唯一のアルバムなのらしい。なによりイカスのは一曲目の「It'll All Be Over」だろう。↓に動画を貼っておいたから聴いて和むがいい。こういったメロウな曲のみならず、実にファンキーだったりゴスペルした曲も満載だ。なにより、素朴でコマーシャリズムに染まっていない部分がこういったレア・グルーヴものの面白さなのかもしれない。 《試聴》

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■Cracked Actor: Live in Los Angeles / David Bowie

Cracked Actor (Live Los Angeles '74)

Cracked Actor (Live Los Angeles '74)

ジャズ、ソウルと来て次はロックである。いや、エレクトロニック・ミュージックも聴いてますよ、後で紹介しますから。なんたってアナタ、このアルバムはかのデヴィッド・ボウイのつい最近リリースされた公式ライブアルバムなんですよ。ライブ自体は1974年9月にロサンゼルスで行われた「Philly Dogs Tour show」のもので、要するにアルバム『ダイヤモンドの犬』の時代のライブ・ツアーの様子を収めたものなんだね。この様子を収録したテープが去年発見され、長年のボウイの相棒トニー・ヴィスコンティによりミックスされた、というのがリリースの経緯らしい。ところでボウイのライブアルバムというと『デヴィッド・ライブ』というのが存在するんだが、これも実は1974年のライブを録音したもので、曲も結構かぶっているんだよね。しかしだ、『デヴィッド・ライブ』のどうも演奏に熱の無い白けた印象(借金で仕方なくリリースしたという噂もある)と比べると、この『Cracked Actor』は『ヤング・アメリカン』リリース直前のよりソウル・ミュージックに肉薄したボウイのヴォーカルが聴けるんだよ。試しに『All The Young Dudes』を聴き比べてみてもその伸びやかさとアレンジの自由さでは『Cracked Actor』のプレイのほうが楽しいし、名曲『タイム』はよりフリーキーに歌い上げるヴォーカルは非常に説得力があるんだ。そういった意味で『デヴィッド・ライブ』を既に持っているファンでも買いだしもちろん持っていないファンにもこの時代のボウイのヴォーカルを知る良いライブアルバムだと思うな。《試聴》

■Outside The Echo Chamber / Coldcut/On U Sound

お次はレゲエ/ダブ・アルバム。サンプリング・ミュージックのパイオニアColdcutとUKダブ・ミュージックのパイオニアAdrian Sherwoodがタッグを組んだレゲエ/ダブ・ミュージック・アルバムがこの『Outside The Echo Chamber』。リー・スクラッチ・ペリー、ジュニア・リードも参加。全体的にはAdrian SherwoodによるメタリックなダブにColdcutによるサンプリング・コラージュが被さるといった形か。それにしてもColdcut、実に懐かしい…。 《試聴》

■Paradygm Shift / Robert Hood

Paradygm Shift

Paradygm Shift

というわけでやっとエレクトロニック・ミュージックの紹介。こっからは淡々と行きます。というかエレクトロニック・ミュージックは淡々として聴けるのがいいんだよ。さてこちらはデトロイト・テクノ・プロデューサーのベテラン中のベテランであり元U.R.のメンバーでもあるRobert Hoodのニューアルバム。もはや時代を超越したようなゴリッと歯応えのあるデトロイト・ミニマル・テクノが目白押しです。ファンならもちろん買い。デトロイト・テクノ聴けーッ!! 《試聴》

■D.E.G. / Bola

BOLA

BOLA

IDM/エレクトロニカ・ムーブメントの立役者、BOLAの10年振りとなる新作アルバム。ミステリアスかつメランコリックな曲が主体となるが、その中で時折エッジ―の効いた音が被さりドラマチックに盛り上がってゆく。ヴォコーダーが多用されている部分などは奇妙に変態的でエキセントリックな印象。 《試聴》

■Work / Nick Höppner

Work

Work

ベルリンの先鋭テクノレーベルOstgut TonからリリースされたNick Höppnerの2ndアルバム。リスニング向けからダンサンブルなものまで、全体的に非常にバリエーション豊かでカラフルなミニマル・ハウス〜テクノ〜エレクトロニカ・アルバムとなっているが、これはPanorama Barのレジデントを勤める彼の豊富な知識と経験を最大限生かしたものなのだろう。良盤。 《試聴》

■Theory of Colours / Dauwd

Theory of Colours

Theory of Colours

ベルリンで活躍するUK出身のプロデューサーDauwdによる1stアルバム。チルハウス〜ダウンテンポなその音はスモーキーかつまたもやメランコリックであり、聴いていて深く鎮静化してゆくトランキライザー・ミュージックとしての効果は大。ある意味オレの聴くようなエレクトロニック・ミュージックの殆どはトランキライザー代わりなんだよな。 《試聴》

■Porchlight & Rocking Chairs / Jimpster

Porchlight & Rocking Chairs

Porchlight & Rocking Chairs

最近Jimpsterのアルバム『Silent Stars』に非常に感銘を受け(レヴュー)、Jimpsterがこれ以前の2013年にリリースしたアルバム『Porchlight & Rocking Chairs』を聴いてみることにした。そして新作同様このアルバムも実にインテリジェンス溢れるハウスミュージック・アルバムであり、曲はどれも粒揃いで、美しく、力強く、明快で、素晴らしい。オレはこんな音楽が一番好きなんだと思う。新作と併せて聴かれることをお勧めする。 《試聴》

■Cocoon Compilation Q / Various

Cocoon Compilation Q

Cocoon Compilation Q

作業用ダンス・ミュージックとして個人的に絶大な支持をしているCocoonレーベルのコンピレーション、ノンミックス。アゲ過ぎずサゲ過ぎず明るくも暗くもなく心地良い機械音が一定のムードとテンポで並べられているところがお気に入りの要素なのかもしれない。 《試聴》

20150630(Tue)

[][]『Devdas』原作者による一組の男女のすれ違いを描く文芸ドラマ〜映画『Parineeta』 『Devdas』原作者による一組の男女のすれ違いを描く文芸ドラマ〜映画『Parineeta』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ を含むブックマーク 『Devdas』原作者による一組の男女のすれ違いを描く文芸ドラマ〜映画『Parineeta』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ のブックマークコメント

■Parineeta (監督:プラディープ・サルカール 2005年インド映画)

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20世紀中葉のカルカッタ(現コルカタ)を舞台に、二つの家の諍いが相愛である一組の男女に投げかける波紋を描く文芸ドラマである。主演は先ごろ日本でゾンビ映画『インド・オブ・ザ・デッド』の公開されたサイフ・アリー・カーン、ヒロインに『女神は二度微笑む』の日本公開でその美貌と演技の才を知らしめたヴィディヤー・バーラン。彼女はこの作品がデビュー作となる。そしてこの作品の注目点は、SRKも主演した名作インド映画、『Devdas』の原作者シャラッチャンドラ・チョットッパッドヤーイの原作作品を元にしているということだろう。ちなみに「Parineeta」とは既婚女性、といった意味なのらしい。

カルカッタに建つ豪奢な屋敷。そこで一組の男女が諍いを起こしていた。男の名はシェーカル(サイフ・アリー・カーン)。女の名はラリター(ヴィディヤー・バーラン)。屋敷の階段でシェーカルに気易くしなだれかかるラリターを、シェーカルは「この裏切り者、売女!」と怒気露わに叱責する。二人に何があったのか。シェーカルは富豪ナヴィーン・ロイの息子であり、シェーカルは隣家グルチャラン家の養女だった。幼馴染の二人はいつしか相思相愛となり、結婚も間もなくだと思われていた。しかし富豪ナヴィーン・ロイへのグルチャラン家の借金が元で、二つの家の関係は雲行きが怪しくなっていた。そこへ現れたのはロンドン帰りの実業家ギリーシュ(サンジャイ・ダット)。ギリーシュはグルチャラン家の借金を肩代わりすることで、ラリターと急速に接近していった。これによりシェーカルとラリターの仲はこじれ始めるが、そこにはグルチャラン家をよく思わないシェーカルの父の策謀もあったのだ。そしてラリターとギリーシュの結婚が決まってしまう。

以前YouTubeでとあるインド映画解説の様子を視聴したことがあったが、そこでの話が面白かった。インド映画界を日本映画界に見立てた話だったのだが、いわく、ムンバイ(いわゆるボリウッド)で作られる映画は日本でいう東宝映画(娯楽映画)であり、南インドで作られる映画は東映映画(任侠映画)であり、そしてベンガルで作られる映画は松竹映画(文芸映画)である、ということなのだ。確かに、自分が今まで観た中では、ベンガルを舞台にした作品は文芸作が多く、その表現の在り方もシリアスであったりどこか端正だったりするが、なによりもインド映画=明るい、といった世間一般的なイメージを覆す暗く救いのない物語も散見するのだ。だからちょっと展開の暗い映画を観ると「ん?これベンガル?」なんて思うようになってしまったぐらいだ(まあ、オレそんなに多く作品観てないから断言できないけどね…と一応自信無さそうに言っとく)。

カルカッタは西ベンガル州に位置する街であり、そういった意味でもカルカッタを舞台にしたこの『Parineeta』は非常に文学の薫り高い作品だということができる。文学と言っても様々だが、この作品においてはその抑制された美術と話法、細かい心理描写を中心とした物語性、安易なコマーシャリズムや過度なドラマチックさに頼らない作品主義、といったことが挙げられるだろうか。伝統的・古典的な味わい、と表現することもできるだろう。これは同じ文学作品を原作とした『きっと、うまくいく』とはまた違った味わいである、ということなのだ。また、カルカッタならではの雰囲気、文化といったものもあるだろう。豪邸が現れてもそれは金満ではなく旧家の落ち着きを感じさせるし、衣装やライフスタイルのありかたもまた同様だ。そういった中で物語られる物語も、恋愛を中心としながら奥ゆかしく淡白なものを感じさせる。こういった全体を覆う空気感が物語を魅せるものとしている。

ただしこの『Parineeta』はミスリードを促す「ひねり」が物語の中に隠されており、それが物語を分かり難いものにしているだけではなく、物語のそもそもの立脚点をこじつけめいたものにしてしまっているように感じた。それと主人公シェーカルは幼馴染であることにあぐらをかいていたからラリターと反目したとしか思えず、この辺りに古臭い単細胞な男性像を感じた。それに対するラリターのけなげさ、ひたむきさがこの物語の中心となるのだが、これも古典的な女性像だともいえてしまう。そういった部分はあるにせよ、全体的には実に味わい深く美しい作品に仕上がっており、覚えておくべきインド映画の1作であるのは間違いない。また、ラリターを演じるヴィディヤー・バーランの素晴らしさは特筆すべきだろう。

もうひとつ指摘すべきなのは『Devdas』との相関性だろう。『Parineeta』と『Devdas』は相愛の幼馴染同士が二人の家同士の諍いにより引き裂かれてゆく、といった部分でひとつの兄弟のような物語であり、またそれを幻想と眩惑でもって描いた『Devdas』とあくまでトラディショナルに徹して描いた『Parineeta』といった部分ではコインの裏表のような物語であるといえるのだ。もちろん同一原作者であることからだが、そういった部分で見比べるのが面白い作品でもある。

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