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2017-05-28 海軍記念日

昨日の土曜日、「日本海海戦107周年記念大会

自衛艦隊の「くろべ 」艦上で黒田藩柳生新影流の洋上居合奉納が行われた。

1905年5月27日、日本連合艦隊バルチック艦隊対馬沖で決戦した。

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基準排水量 2,200トン                 旭日旗マイク師範コントラストがいい。

全長 100.5m 全幅 16.5m

最大速 20ノット 乗員143名

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出航して間もなく居合奉納演武が始まった。 

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「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」この電文で決戦の火蓋が切られた。

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13時55分、東郷平八郎大将連合艦隊旗艦三笠」へZ旗(「もう後がない」の意味)の掲揚を指示した。

この時連合艦隊が使用していた信号簿でZ旗

皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」という文言が割り当てられていた。

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先頭の「三笠」は約150度の回頭を終え東北東に定針し、バルチック艦隊航路の斜め前方7,000mを浅い角度、約20度で圧迫を始めた。

それに対応するようにバルチック艦隊砲撃を開始、「三笠」に攻撃を集中した。

それから五時間余り激戦が続きバルチック艦隊は戦力のほとんどを失った。

ウラジオストクに到着したのは「グローズヌイ」と、二等巡洋艦「アルマース、駆逐艦ブラーヴイ」の3隻のみ。

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19時10分に「三笠」は砲撃を中止し、後続の各艦もそれに倣い19時20分に砲戦が終了した。

この海戦勝利した5月27日、日本はこの日を海軍記念日と定めた。

   バルチック艦隊艦船の損害は沈没21隻(戦艦6隻)、兵員の損害は戦死4,830名、

   捕虜6,106名、捕虜にはロジェストヴェンスキーとネボガトフの両提督が含まれる。

   連合艦隊の損失は水雷艇3隻沈没戦死117名、戦傷583名、

   大艦隊同士の艦隊決戦として前代未聞の一方的勝利となった。

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奉納演武が終わったので、写真班の僕は解放されて館内を見学して回った。 艦橋にある舵輪は、こころもとない、ほど小さい。

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会場の見張りは、昔ながらの目視で注意深く小まめにされていた。

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信号旗の掲揚が始まった。「Z」旗が艦橋の上に掲げられた。

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艦橋下のデッキに船鐘が吊るしてあった。水兵さんに問うと「一度も鳴らしたことがない」そうだった。

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博多湾を出てすぐに回頭して戻りはじめた。 日露の戦没者への慰霊の式典がはじまった。

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船尾甲板に下りてくると旭日旗半旗になっていた。

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弔銃が発射された後も水兵の銃卒は式典の間、海に向かって整列していた。

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接岸準備が始まり、タグボートが近づいてきた。 大きなロープが舫われた。岸壁との接地面には毛布が丁寧に巻かれた。

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無事に奉納を終えた柳心会の剣士たち、お疲れさんでした。

2017-05-19 女大学

きょうのエッセイ教室貝原益軒について書いた。

いつものように書き終えて、妻に見てもらうと機嫌が悪くなった。。

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テッセンの花が咲いていた。 二枚目に撮ったのはホワイトバランスの設定がまずかった。

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ベレンダに小さなバラが咲いている。見ていると楽しくなる。


今日出したエッセイ原稿は、

 

    貝原益軒について                  中村克博


 朝起きて散歩に家を出て歩くと旧国道が交差している。車はめったに通らない。二、三年ほど前に八木山バイパスの通行が無料になって、この旧国道は車の量が少なくなった。タヌキやイタチが撥ねられたのを見かけるので夜はイノシシやシカなども往来に利用しているのだろう。この道を横断すると、広くはない高原の田園風景が広がり、今ごろは田植えを終わって間もない一面の水田朝日を映している。すぐに八木山川にさしかかる。旧国道から山麓までの中間地点だ。その橋を渡って農道左折すると間もなく右手に大きな石碑が見えてくる。この四十坪ほどの石垣宅地貝原益軒が八歳から十一歳まで生活した場所らしい。八木山は益軒が幼少の時期、貝原家の知行地だったそうだ。この道は僕が散歩のときによく通るのだが、これまで貝原益軒については、せいぜい養生訓とか「接して漏らさず」とかに思い当たるくらいでそれ以上は考えたことは無かった。  

 戦後七十年たって、日本国憲法改正がこれまでとは違う機運で政治課題になっている。ここに来て国のありかたが、あらためて不可欠な条件として問われているのだと思う。皇位継承について国民の関心が高まっている。民間では後継者問題企業経営危機がしばしば起きている。大企業ニュースになったのだけでも大塚家具ロッテ出光興産セブン&アイホールディングスなどだが全国の中小企業では枚挙にいとまがないだろう。もっと視点を下ろしてみると、親と子それぞれの家庭のありかたや夫婦の関係にまで行きつく。社会が大きく変わるときには国の寄って立つ基本的な条件も変わるのだろう。家庭での秩序や夫婦のかかわりも根本的な考え方が見直されねばならないのだろうが、こうなれば相続税や家族制度との関りも出てくる。憲法だけでなく民法のありようも考えを問われるのかも知れない。

 貝原益軒著述に女大学というのがある。僕は「女大学」という書き物があったのは知っていたが、それが貝原益軒のだとは知らなかった。まして読んだこともなかった。それを今回読んでみて驚いた。四千字ほどの文章だし、わかりやすく簡易なのですぐに読める。

 読んでみて、びっくり驚いたのを幾つか抜粋すると、

出だしの、次の文章などは、まだ良い方だが、

   女子は成長して他人の家へ行き舅姑に仕える者なれば、男子よりも親の教えをゆるがせに(=安易に)すべからず。父母が寵愛して自由に育てれば、夫の家に行って必ず気随(=きまま)に振る舞い夫に疎まれ、また正しい舅の教えを耐え難く思い、舅を恨み誹って仲が悪くなり、ついには追い出され恥をさらす。女子の父母は、自分の教えなきことを言わずして、舅夫が悪いとのみ思うは誤りなり。これみな女子の親の教え なきゆえなり。

女は形(=容姿)よりも心の勝れるを善とすべし。心映えの悪い女は心騒がしく、眼を恐ろしく見出して人を怒り、言葉が荒く物の言い方が悪く、口聞きて人に先立ち人を恨みねたみ、我が身を誇り人をそしり笑い、自分が人に勝ったという顔でいるのは、みな女の道に違えるなり。女はただ和らぎ従いて、貞信(=まこと)に情け深く静かなるをよしとす。

 僕でも、これは、なるほどと思えるところもあるが、

 それでは、この教えはどうだろう、

   婦人は別に主君なし、夫を主人と思い敬い慎みて仕えるべし。軽んじ侮るべからず。総じて婦人の道は人に従うにあり、夫に対するに顔色言葉使い慇懃にへりくだり、和順(=素直に従う)なるべし。おごりて無礼なるべからず、これ女子第一の務めなり。夫の教訓あればその仰せに背くべからず。疑わしきことは夫に問うてその下知(=指揮)に従うべし。夫が問うことあれば正しく答えるべし。その返答がおろそかなるは無礼なり。夫がもし腹を立て怒るときは恐れて従うべし。怒り争いてその心に逆らうべからず。女は夫をもって天とす、返す返すも夫に逆らって天の罰を受けるべからず。

悪しからず先にまいります。

   嫉妬の心、ゆめゆめ起こすべからず。男が淫乱なれば、いさめるべし。怒り恨むべからず。妬み甚だしければ、その気色言葉も恐ろしくすさまじくして、かえって夫に疎まれ見限られるものなり。もし夫に不義、過ちがあれば、自分の顔色を和らげ、声を柔らかにして諫めるべし。諫めを聞かずして怒れば、まずしばらくやめて後に、夫の心和らぎたるときに、また、諫めるべし。必ず気色を荒くし、声を荒らげて夫に逆らい背く事なかれ。およそ婦人の心ざまの悪い病は、和らぎ従わざること、怒り恨むこと、人を誹ること、物妬むこと、知恵浅きことなり。この五つの病は十人に七、八人は必ずある。

そうか…ひょっとして、この時代女性…益軒がこうまで言わねばならないほど奔放自在だったのかもしれない。標語など、およそ人が出来ないことを書いてあるもんだ。では次ぎに、

    女は陰性である。陰は夜で暗い。だから女は男に比べて愚かで、目の前のしかるべき事も知らず、また人の誹るべきこともわきまえず、わが夫わが子の災いとなるべき事も知らず、罪もない人を恨み怒り呪詛し、あるいは妬んで、自分が一人立派と思っても人に憎まれまれてみな我が身の仇となることを知らず、たいそう、はかなく浅ましい。

    子を育てても愛におぼれて行儀悪く、このように愚かだから何事も我が身をへりくだって夫に従うべし。昔の法律に「女子を産めば三日床の下に寝させる」という。これも男は天で女は地を象徴するから、すべてのことについて夫を先立て自分を後にし、よいことをしても誇る心なく、また悪い点があって人に責められても争わず、早く過ちを改め、何度も人に言われないように身を慎み、また人に侮られても腹立ち憤ることなくよく堪えて物を恐れ慎むべし。このように心得れば、夫婦の仲おのずから和らぎ、行く末長く連れ添って家の中が穏やかなるべし。

   右の条文は幼いときからよく教えるべし。また書き付けて折々読ませ忘れることなからしめよ。いまの世の人は、女に衣服道具など多く与えて婚姻させるよりも、この条文を十分に教えることが一生身を保つ宝なるべし。昔の言葉に「人は百万銭を出して娘を嫁がせることは知っていても、十万銭を出して子を教育することは知らない」という。誠なるかな。女子の親たる人、この真理を知らなければならない。

まあ、以上のような論調ですが、

貝原益軒一六三〇年一二月一七日(寛永七年一一月一四日)に筑前国、福岡藩士、貝原寛斎の五男として生まれる。一七一四年(正徳四年)に没するとある。元禄年間は一六八八年から一七〇四年だというから元禄時代の真っただ中に生きた人のようだ。徳川家幕藩体制の基礎を整えて政治の基調が武断政治から文治主義に転換する時期だ。経済農業生産が増大し、貨幣経済が発展し商品流通が急速に拡大していた時期である。江戸大阪京都ばかりか地方の都市も繫栄して武芸を励み軍事にたずさわる武士存在意義が問われ新たな道徳規範が必要になった頃だった。

大阪夏の陣一六一五年(慶弔十九年)に終わり徳川政権になって七十年あまり、現在と同じように長らく平和で豊かな社会が続いたが、いろんな歪みも大きくなって、ここらで新たに社会の仕組み作りが必要になった大転換の時期なのかも知れない。

平成二十九年五月十八日

   

LAKILAKI 2017/05/19 23:51 窮屈な時代だったんですね。現代の若い女性が読んだら機嫌悪くなるどころか冗談だと思って笑うような気がします。おそらく男も理想論があったりして今の若者は「ウザイ」とか「だるい」なんて言うんでしょうね。

2017-05-16   太陽に虹が…

きのう、妻のご両親が訪ねてくれた。

前日は薬院教室に寄ってくれた。夕食は近くのイタリアレストランに行った。

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今の時期は野の花が少ない。キショウブアザミをとってきた。

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今年はタケノコができない。梅の実とフキを少し採取した。   太陽のまわりに虹がかかっていた。

そういえば、一昨日のイタリアレストランで孫の入園祝いをしていた。

携帯電話で撮っていたのを忘れていた。

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壁の鏡の効用で期せずに全員が写っていた。

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子供は幼年期ほど成長を早く感じる。老齢は月日が早く、いや年月が矢のごとく過ぎてゆく。

ハナママハナママ 2017/05/17 19:09 おめでとうございます。
皆、段々と進化して行くファミリーが楽しみですネ。
我が家は孫が昨日で7歳に成った女の子、1人です。

千葉の熊さん千葉の熊さん 2017/05/17 21:24 小生21日(日)より(ANA247)23日(水)(ANA256便14:15)飯塚に帰省します。22日午前中、93歳の母に会う予定出です。飯塚のニューガイアに宿泊します。昼飯でも食べましょう!?

glucklichglucklich 2017/05/19 15:36 思いかえせば、ブログを始めたのは60歳のときでした。
脳梗塞の後遺症の回復に、娘がヨガとブログをすすめてくれたのが切っ掛けです。
おかげで、その効果があって、運動機能も体力も元通りです。
ありがたいことだった、と感謝しています。

熊さん、
了解です。中学時代の同級生たちが食事会を予定しているようです。
僕も参加します。

2017-05-09   山にはいろんな花が咲く

藤の花が池に浸かっていたので切ってきた。

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枝がない花の房だけを大きな器に入れただけ、

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昨日、夕方の散歩で、アザミの花がたくさん咲いていた。   名前のわからないつる草の花が咲いていた。

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若葉を出してまもないシダの群生があった。 大きく育つとこうなるようだ。

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黄色い花が咲いていた。

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散歩の帰り道、遠くの景色黄砂で煙っていた。

2017-05-07   五月になって

久しぶり、唐津焼 高麗窯にでかけた。

四月二十九日、いい天気だった。

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窯元のおじいさんと話がはずんでいた。 「我一人横に行く」!!   なるほど…と思った。揮毫文字も額装には収まらないようだ。

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話は展示場を移動しながらいつまでも続いた。       おじいさんは話しつかれて、腰をおろした。

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数年前に買った「はないけ」の様子を見てもらった。 器の作者はとても嬉しそうだった。

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五月の一日、僕の友人たちが Le-Haru の新しい教室を訪ねてくれた。晴さんはいつも同じ服装だ。

2017-04-23   刀剣と居合の講演会

[]昨日の22日土曜日、箱嶌さんの刀剣研究会が開催された。

場所は大丸三越のある渡辺通4丁目の四つ角から南東へ300mほど、

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研究会開催の前に柳生新影流、柳心会の蒲池十三宗家を偲んで初期の門弟の対談があった。

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戦後間もない頃、柳心会の道場が再建されて間もない頃、両人が若いころの貴重な話が聞けた。

福岡藩伝柳心会、柳生新影流、免許皆伝の藤田氏と蒲池流の居合道場を開かれた小金丸氏。

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いよいよ、第一回の刀剣研究会が始まった。

日本刀歴史やまつわる文化に興味のある人、居合同好の士、家に刀が伝わっている人など一五人ほど。

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いろんな資料をもとに、箱嶌講師おもしろい話があり、質疑があり、丁寧な応答がなされた。

会も中盤になると笑い顔や気楽な質問もでて、会場がなごみ勉強会は盛り上がっていた。

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時間余りが、短く感じるほど過ぎたが、次回は途中休憩と飲み物の用意があればと思った。

会費は無料だが、次回はむしろ飲み物代と資料代くらいは頂いてもいいのでは、その方がいいのでは、と思った。

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講習会は終わっても、展示してある日本刀を、いつまでも興味深げに手にしたり、写真にしたりしていた。

2017-04-21 放射能の被害

[]きょう、午前中はエッセイ教室

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きょう提出した原稿は、


福岡市民劇場「島」の公演を観に行った。      中村克博


 一瞬の光で命を失うことのないように

 吸った空気で命を失うことのないように、とは原作者堀田清美の言葉らしい。

あらすじを劇場会報から拾えば、

   一九五一年、瀬戸内海小島。二十歳のときに原爆に遭い、九死に一生を得た栗原学は、故郷の島へ戻り教師をしている。島は、前年に始まった朝鮮戦争特需によって支えられ、学の妹・史はアメリカ進駐軍臨時雇いで働き、叔父大浦は、?魚雷ばらし?で儲けている。学の教え子である川下家の次男・邦夫は高校への入学が決まっており、かっての教え子・玲子も学を慕い、よく家にやって来る。のんびりした発動機船の音とハンマーの音が交差する島に、ある日、東京から学の同級生清水が現れて…

終戦から6年が過ぎていた。朝鮮戦争特需に支えられている瀬戸内海の島。呉に近い小さな島が舞台になっている。呉は広島から三〇キロ余り、当時のバスでも一時間はかからない距離だろう。青年教師・学は、二十歳のとき広島被爆していた。いまは母のゆう、妹の史とともに暮している。そんなある日、東京で働く同級生清水が訪ねて来たことをきっかけに、平穏暮らしに変化が始まる。

学は切なく恋している教え子・木戸玲子との将来を考えて?島?を出たいと思いはじめていた。もちろん、母や嫁入り前の妹への思い、長男としての責任自覚している。そこに、被爆のため時折り体調がすぐれない苛立ち、被爆者への差別、GHQと政府被曝実態隠蔽と将来への危惧が重なって悩んでいる。そんな折、隣人で親しくしている、にぎやかな川島キンさんが白血病で急死した。被爆から七年目、このころから白血病で亡くなる人が急に増えていたが国民には放射能汚染原爆症についての実相公表されなかった。

 僕はこの演劇を観るまで、広島長崎原子爆弾投下による被害について詳しい知識はなかった。調べてみようとも思わなかった。毎年、八月になるとテレビの関連する映像を見るくらいだ。この日は防災放送の大きなマイク黙とうの呼びかけをするので、折がよければ起立して一分間ほど目をつむって頭を下げている。しかし原爆について考えたことは無かった。第二次世界大戦日本が戦った大東亜戦争とか太平洋戦争とかで起きた出来事の一つだと思っていた。

第二次世界大戦の人的被害をみると、戦死者は、いろんな統計があるのだが連合国側で、ソ連が二千万人、中国が九百三十万人、ポーランドが五百四十万人、ユーゴスラビアが二百三十万人、インドが二百万人、イギリスが六十八万人、フランスが六十万人、アメリカ四十万人、ギリシャが三十万人、オランダが二十万人。枢軸国側で、ドイツが六百三十万人、日本が二百九十万人、ルーマニアが八十万人、イタリアが六十一万人、ハンガリーが六十万八千人、チェコスロバキアが二十万人、フィンランドが十一万七千人、タイが八万千人、ヴィシーフランスが一万人、全世界推定では、軍人が二千三百万人、民間人が三千万人となるらしい。

一九三一年(昭和六年)の満州事変、一九三七年(昭和一二年)の盧溝橋事件と第二次上海事変から南京攻略戦の日中戦争へ、そして、一九四一年(昭和一六年)の真珠湾奇襲から太平洋でのアメリカとの戦争シンガポールインドネシアビルマでのイギリスオランダとの戦争オランダフランスドイツ占領していた)、それらの大東亜戦争太平洋戦争についての東京裁判史観まやかしは、アメリカイギリスなどの当事者から、それまでとは違う情報が出始めてこれまでの定説が変わりつつある(なぜこの時期にと勘ぐれば彼らの思惑は想像できるのだが)。それよりも近年のインターネットの進化と普及によって、いろんな情報が誰でも手に入ることが歴史真実を暴きだす手助けになっている。新聞テレビに依らないでも、自分情報分析判断ができるのだ。政府による情報操作プロパガンダもできにくい世界になっている。

僕は福岡百道パレスで演劇「島」を観ながら、福島原発事故のことが頭に浮かんでいた。そういえば、二〇一一年三月一一日に起きたあの事故も七年目にはいった。

家に帰って、福島原発事故についてインターネットで調べてみた。

福島県は二〇一六年七月五日までに、東日本大震災東京電力福島第1原子力発電所事故による県内外への避難者数が九万人を下回り、八万九千三百二十三人になったと発表した。

福島原発事故によって福島県内に拡散した放射性物質除染した際に発生した除染廃棄物福島県だけでも最大で二二〇〇万立方メートル…これは東京ドーム約十八杯分にもなる膨大な量、二〇一六年六月三十日は福島県内の放射能に汚染された除染土を日本全国に分散し、道路防潮堤の下に埋める方針正式に決定した。

   第一原発原子炉建屋には大量の地下水が流れ込んでおり、一日約四百トンの汚染水が発生している。東電放射性物質を除去する多核種除去装置「ALPS」を使い、汚染水浄化しているが放射性トリチウム三重水素)は除去できず残る。東電はこの処理水を敷地内のタンク約一〇〇〇基に保管しているが、汚染水の総量はすでに八〇ンを超えるという。

   

児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長の、衆議院厚生労働委員会での発言日本記者クラブでの質疑の様子をユーチューブで長い時間みていたが、話は難しく僕にはよく理解できなかった。放射能放射線についての専門的な知識がないし、まして、それが及ぼす人体への影響は医学的なその分野での知識がないと、判断ができない。

二〇一五年三月一三日付の? 報道するラジオ“「東日本大震災4年〜福島原発のいま」という映像ユーチューブにあった。京都大学原子炉実験所助教小出裕章という人が聞いてびっくりするような話をしていた。

原子炉が壊れてしまっている訳で、格納容器という放射能を閉じ込めるための最後の防壁も、多分あちこちで穴が開いてしまっていまして、水を入れてもみんな漏れてきてしまうという状態ですので、今でも放射性物質大気中、あるいは汚染水としてあちこちに漏れています」

「これまでに福島第一原発事故放出されたセシウムの量というのは、今までの物と合わせるとどれぐらいになるんでしょう?」

「はい。えー、どこまで正確かよく分からないのですが、日本国政府がIAEA国際原子力機関という原子力を推進する団体に提出した報告書があります。それによりますと、1.5×10の16乗ベクレルという数字が書かれていまして、それは広島原爆がまき散らしたセシウム137に比較すると、168発分に相当しています」

 このあとも、解決のめどが立たない現状の説明がつづいていた。このようなことが事実なら、一体全体、我々はどうするのだろうか。

平成二十九年四月二十日

2017-04-13   刀のお話

[]来週…「日本刀剣歴史文化研究会」が開催される。

初心者講座を四月二十二日(土)十四時より

福岡市中央区渡辺通五丁目14−10 サトウビル601

世話人 箱嶌八郎 092−761−3685

電話でお申し込みください。女性の方もお気軽にどうぞ!! だそうです。

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上記の研究会の案内をしようと、刀を写真にしようとして、

はて、刀掛けに正しく置く方法は・・・と考えた。つまり知らなかった。 抜き身で置くことはないだろうが…

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柄は右左、どちらに置くのだろうか、刃は飢えを向けるのだろう。

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この置き方は、なんだかシックリこないようだが…

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脇差や前差しと置くときには、どうするのだろう。

当日の会場には真剣が数多く展示されるようだ。ガラス越しでなく、触ることもできるようだ。

柄や鞘などの拵えも年代順にいろんな形のものが見学できるらしい。

刀の拝見の仕方、見どころ、それに刀にまつわる小話もたくさん聞けそうだ。

居合の各流派の方々はモチロン、刀に興味のある人なら老若男女とわず、どうぞお越しください。

2017-04-08 雨上がりのコブシ

[]昨日の金曜日、午前中はエッセイ教室、夕方から居合稽古

暖かい一日で、居合稽古は汗ばむほどだった。

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居合稽古が終わって、宗家が柳心会のパンフレットに載せる写真を撮っていた。

ぼくも、ブログ用に横から数枚撮った。

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僕はあいにく一眼レフを持参していなかった。最近はスマートフォンでも、それなりによく撮れる。

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きょうの土曜日、お茶稽古の後すこし休んで雨上がりの花の写真を撮った。

ズームレンズを使ったが手ぶれでうまくいかない。

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雨のつゆが花びらに光って美しかった。

今度は単焦点レンズ三脚を持ってきてスローシャッターで撮ってみよう。

[]昨日、エッセイ教室に提出した原稿は、


アテナ銀貨出版準備中       中村克博


 このエッセイ教室で書き溜めた「アテナ銀貨」を出版することにしました。出版販売の展開を郁朋社さんに依頼して、先月からその作業が始まっています。小説原稿本体とあらすじ、それに著者の経歴をSDメモリーカードに入れて先方に送っていますが一回目の校正が今月中に終了する予定です。それで次に、おもな登場人物を紹介する原稿を送ろうと思っています。

 本を出版するからには多くの人に読んでもらいたいし買っていただきたいです。本屋さんの店頭で、本の表紙が眼に留って手に取れば、まず、あらすじを読み、次に目を通すのが登場人物の紹介だろうか…と思う。

「これはおもしろそうだ」と思える登場人物の紹介をしたい。それで、教室先生や皆さんにそのための助言と指導が頂けると有り難いと思い、お時間拝借しようとしています。よろしくお願いします。 


おもな登場人物(出場順)


栄西

永治元年(1141年)〜建保三年(1215年)香椎宮の領家であった平頼盛の援助で南宋遊学するが、平家が滅亡してからは鎌倉と親密になる。源頼朝から寄進された博多の地に聖福寺を、また北条政子創建した鎌倉寿福寺、さらに源頼家創建した京都建仁寺など多くの禅寺を開山する。日本臨済宗開祖とされる。喫茶の習慣を日本に伝え『喫茶養生記』『興禅護国論』などの著書がある。

この物語では、南宋貿易の元締めとなる聖福寺を拠点に、我国のありようを模索しつつ朝廷源頼朝との連絡に京、鎌倉を行き来する。日本国内に宋銭を普及させ、鎌倉による貨幣経済での支配体制作りに勤しむ。為朝と同年配の指南役でもある。 

為朝

保元の乱に破れて伊豆大島に流刑されるが、紀伊熊野に逃れる。当時の熊野三山支配するのは為朝の実の姉であった。平家が滅び頼朝鎌倉を開くと九州に渡り彦山英彦山)に隠れた。その為朝を栄西が訪ねることから物語は始まる。

鎌倉の追及を逃れるため、為朝は栄西のすすめで壱岐島へ逃れる。栄西にたのまれ平家難民琉球へ運ぶが途中でイスラムの船団との海戦を余儀なくされる。そのおり海商マンスール出会う。琉球からの帰途、マンスールが為朝に随行することを願いでる。マンスールから贈られた優美イスラム船で宋銭一万貫を敦賀の海まで運ぶが、朝廷からの密使が急ぎ京に出向くようにとの、みことのりを伝える。

定秀

豊前彦山の修験僧で刀鍛冶保元物語では為朝に従う三町礫の紀平次として登場する。敗れて奈良東大寺千手院に逃れ鍛刀の技を十余年修練した。後に彦山三千八百房、坊舎八百の学頭を務める。豊後国僧定秀作と銘文の太刀現存する。豊後行平の祖である。

沙羅

定秀の娘。幼い時から兄とも慕っていた行忠の嫁になる。源新宮行忠は為朝の甥であるが栄西のはたらきで夫婦して豊後大友の地に移り住む。これによって彦山鎌倉との和睦がなる。

丁国安

博多居住して交易船数隻を采配する南宋貿易商人、南宋の都、臨安に家族がいるが宗像神社宮司の娘タエを歳の差のある嫁にして恐妻家博多網首である。栄西とのつながりが深く、為朝とともに琉球まで十一隻もの外洋船団を率いて航海するが途中、トカラの海でイスラム船団との海戦に遭遇する。

タエ

宗像神社宮司の娘、幼い時から海と船が大好きで腰には家伝来の小太刀を差している。夫の丁国安の船に乗って航海するのが楽しみの世話女房である。 

チカ

壱岐の国、芦辺の豪族西文慶の娘、海も好きだが馬に乗るのも巧みである。半弓の使い手でもある。アラビアの海商マンスールを婿に迎える。

行忠

第十九代熊野別当行範の息子。叔父の為朝に従い熊野から彦山へ来る。彦山の僧定秀の娘を妻として豊後に移り、名工紀新大夫行平になる。行平は後鳥羽上皇番鍛冶の一人、国宝古今伝授太刀などの名刀を鍛造した。 

惟唯

豊後大神一族の名門、戸次家の嫡男彦山暗殺団を率いて為朝を襲い失敗し負傷する。許されて為朝に従う。為朝軍の将として鬼界ヶ島の陸戦で頭に重傷を負う。のちに平戸松浦の二の姫に婿入りする。 

兵衛

黒崎兵衛、先祖安倍宗任と共に筑前大島に流された蝦夷豪族末裔壱岐芦辺の沿岸帆船の船頭であるが大型の外洋交易船の船長も務まる。海戦での操船も巧みである。海ではいつも為朝のそばにいる。

次郎

高木ノ次郎といい豊前添田地侍の息子である。為朝に従い平戸海戦鬼界ヶ島の陸戦、トカラでのイスラムとの海戦と戦いにくれる。そのおりマンスールと同じ船室で戦傷の養生をして義兄弟の仲になる。高麗海賊との戦いでも重傷を負いマンスールの美しい女奴隷介護を受ける。その二人を嫁にと進呈されて戸惑う。

マンスール

アラビアの海商、十字軍交戦中の本国鬼界ヶ島硫黄を送ることが使命であったが、イスラムエルサレム奪回してキリスト教軍と休戦になりマンスール仕事がなくなった。主人でもあるイスラム盟主サラディーンが死亡したことにもより、為朝に従い壱岐島に渡る。

栄西の密命を受けアラビアの船団を率いて黄海を渡り金国に交易する。その帰途についた夜明けほどなく南宋戦艦に捕捉され壮絶な海戦を展開する。のちに壱岐芦辺の姫、チカの入り婿になる。

イヌブル

マンスールが父から譲られた奴隷マムルーク隊長マンスールの忠実な部下でアラビア船団の指揮を執る。マンスールを迎えに壱岐まで来るが、なりゆきで金国との交易黄海渡航するが往路で高麗海賊に襲われ、帰途には南宋戦艦待ち伏せていた。どうにか壱岐に帰り着き、マンスールから船団を乗組員ごとゆずられアラビアに帰還する。

月読神社の女宮司

京の朝廷から派遣されている壱岐の月読神社の女の宮司、月読神社には為朝の本陣が置かれ、五人の巫女と為朝の身の回りの世話をする。為朝とともにアラビアの船で敦賀の海へ、のどかな航海をしたおり、京でともに暮らそうと誘う。

平戸の二の姫

平戸松浦の次女、平戸水軍の指揮ができる女将、体も大きく髪は潮焼けして茶色であるが和歌をたしなみ教養もある。栄西のとりなしで、戸次惟唯を婿養子にし、その妻となる。これによって平戸松浦豊後大友とは姻戚となるが為朝とのかかわりが、むつかしくなる。

二人の禅僧

聖福寺の若い禅僧で、宋の言葉を上手に話す。武勇に優れている。諸学を学び、交易事務や庶務に明るい。栄西意向を忠実にはたし為朝にいつも随行して補佐している。

2017-04-06 山もあたたかくなってきた

花が咲きはじめた

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桜が咲いている。写真は昨日の朝だが、曇って朝日に輝いてはいない。

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桃の花が咲きだした。

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ボケの花も咲きはじめた。

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今年も、近所のリンゴ農家から伐採した枝をもらってきた。二年もすれば、いい薪になる。

2017-04-02    青春の門

中学校時代クラス会があった。

久保白の山小屋にあつまって、軽いランチの後しゃべった。

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天気は晴れたり曇ったり、アラレが降ったり、風が強かった。 

食事のあと見晴らしのいい小部屋に移動した。コーヒーがなんともうまかった。

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暖炉のたき火や、石油ストーブそれに日なたの暖かさがありがたい花冷えの日だった。

部屋が狭いと寄り添う距離も近くなる。

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同窓会は久しぶりに会っても、すぐに打ち解けて昔のように話がはずむのは不思議だ。

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我々の中学時代五木寛之が描いた青春の門と同じ場所と年代なのだ。 先生は益々お元気!!

2017-03-28   山にも春が来た

久しぶりに堂々としたニワトリを見た。

広い鶏舎の土の上をゆったりと歩いていた。

知り合いの大工さんの作業場に打ち合わせに行くと、動物園のような柵の中に数種類の鳥がいた。

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この雄鶏は四五羽の牝鶏を従えて、ときおりその背中に乗って押さえつけていた。

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春の花が咲きはじめている。

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部屋の床の間も春の花になっている。

菰田の住人菰田の住人 2017/03/30 21:11 鶏を描き続けた伊藤若冲の鶏の様に立派な姿ですね。

glucklichglucklich 2017/04/02 22:35 こんなニワトリが生んだ卵を食べたいね。

2017-03-18   居合の稽古

[]昨日は夕方から居合稽古に出かけた。

午前中のエッセイ教室を終え、八木山に帰って再び出かける。福岡を二往復だが、

しかし、これも今回が最後になる。来週からは福岡にとどまったままで道場に行ける。

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今日も新人が稽古に参加した。毎週のように入門者がふえている。   宗家が刀の持ち方から指導する。基本が肝心だ。

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宗家のあとに、若い師範が何度も、何度もやってみせて指導する。

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宗家が高段者に組太刀演武指導されていた。  入門希望女性道場稽古風景を見学していた。

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高段者も新人も7時から8時半まで、相手との組太刀個人演武稽古を思い思いにやっている。

福岡黒田藩柳生新影流、柳心会は入門者を募集中です。

場所・福岡市中央区大濠1丁目 福岡武道館

道場への入門は、稽古のあっている日に直接おいでになるか、

事務局へお電話下さい。

092-523-6283または携帯090-6299-5289(清水)まで

ホームページは http://www.shinkage.jp/

道場の見学、体験入門は随時自由にどうぞ!!

2017-03-17   昨日、小石原。今日はあまざけ作り

[]昨日、小石原焼き物を買いに行った。

里帰りした金沢の友人夫婦と一緒に出掛けた。

福岡ホテルに迎えに行って、高速道路で60分以内で着く予定が道を間違えて、

鳥栖をすぎ熊本の近くまで行った。山道日田まで戻った。道を誤れば新しい発見があるもんだ。

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いろいろ窯元をまわって、ここに来た。来るたびに斬新な発掘をしたような作品をつくっている。

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窯開きをしたばかりの登り窯を見せてくれた。 なぜか、巨大なスピーカの部屋に案内された。

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道路をはさんで前にある銘木店にいった。黒柿の床柱が並んでいた。びっくりした。一本、400万円とか言っていた。

ここにも、巨大なスピーカーが下がっていた。静かな曲がゆっくり小さく流れていた。大きければいいもんと違うだろうが・・・


きょうは午前中、エッセイ教室だった。


あまざけ作り                中村克博


あまざけを作ることが僕の役割になってひと月になる。二合ほどのもち米を寸胴鍋で炊いてお粥を作る。炊き上がると、ほどよい温度になるまで冷ます。この場合、フライパンに水をはってその中に寸胴鍋を漬け、熱々のお粥しゃもじでゆっくりかき混ぜる。スティック温度計が六五℃になったら寸動鍋を取り出して麹をくわえる。一キロの麹をお粥とよく混じり合うように満遍なく攪拌するが、あらかじめ麹をよく揉みほぐしておいた方がうまくいく。麹をくわえた後には鍋の温度が下がっているので再び火にかけて六五℃になるまで温め直さなければならない。そうして仕込み終えたあまざけの素を発泡スチロールの箱に入れて一晩ねかすと、朝になるのが楽しみになる。

朝になると、発泡スチロールの箱から鍋を取り出して出来上がったあまざけを適量、手鍋に移す。粉末にして乾燥させた生姜の粉をくわえる。それから手鍋を温めるが、我が家ではその前に豆乳を少量注ぎ足すことになる。

まず、母のところにコップ一杯のあまざけをお盆にのせていく、

「そうね、いただこうかね」

 母は炊事の手を休めて椅子に座る。腰の萎えた老猫が母によろよろ近づいてミャー、いや、ミギャ〜と皺がれた声を出す。

コップはテーブルに置かず、お盆から僕が手渡すと、母は、おいしそうに一口飲む。それを見とどけて離れの自分たちの部屋にもどる。

なぜ我が家で、あまざけを作るようになったか思い出せない。僕が自分から作る気になったとは思えないので、たぶん妻が提案したはずだが、そういえば、ちかごろ、あまざけ作りがブームらしい。どうも妻は世間のはやりごとに同調する気風があるようだ。

そういえば、僕の友人にあまざけ作りの名人がいて、彼に我が家まで御足労いただいて妻が教わっていた。そのときに発泡スチロールの箱と麹と小瓶につめた生姜の粉末を提供してくれた。僕はあまり興味がなかったので、ときどき台所に顔を出したが、ほとんど自分の部屋で本を読んでいたのを思いだした。

麹は必要な量を前もって注文して毎週月曜日の二時すぎに飯塚市内の麴屋に買いに行く。一週間に一日だけしか販売しないようだ。妻の車を僕が運転して野菜や肉やコーヒーの買い物のあとに麹屋に着くが麹屋の前の狭い道路交通量が多い。僕は車の中で待っている。愛想のいい麹屋の奥さんが妻に麹を渡しているのが見える。

三回目かのとき妻にたのまれて一人で麹屋に行った。

愛想のいい奥さんはいなかった。麹屋の主人が、

「どれくらいの量ですか」と聞いてきた。

「これくらいです」と両手の指を近づけて大きさを示した。

 主人は了解して麹をビニール袋に入れてくれた。

 家に帰って五〇〇グラムだとわかった。注文していたのは一キロだった。僕もいい加減だが麹屋のおやじにも、こまったもんだ。

 このエッセイを書いているいま、僕が小学生のころ、母があまざけを作っていたのを思いだした。飲ませてもらった味は思い出せないが、あまざけを発酵させるのに、布に包んだ容器を炬燵の中に入れていたのは鮮明に覚えている。それは一辺に二人は座れそうな大きな掘り炬燵だった。僕の前に御嫁入りが近い、きれいなお姉さん座っていた。お店の事務員さんで帳面や伝票を広げ算盤をはじいて仕事をしていた。

部屋の外から母がドアを半分開け顔をのぞかして、僕に炬燵の火を小さくするように言い付けた。僕は炬燵掛けをめくって暗い炬燵の中に息を止めて入った。練炭の赤い穴がいくつも見えて、ムッとする熱さと練炭の燃える臭いがした。七輪の空気調節金具は焼けて触れないほどだった。目が慣れると僕の鼻の前にお姉さんの足があった。かるく閉じられたストッキングの足が燃える明りで色づいて見えた。ひざっ小僧が見える。顔がほてって頭がくらくらして来た。息を吸いに炬燵から出た。お姉さんは先ほどと変わらず鉛筆を指で挟んで算盤をはじいている。

二キロのもち米で作ったあまざけは、かなりの量だが毎朝コップ一杯ずつ飲んで一週間はもたない。ぼくは、妻から教わった通りに、あまざけ仕込みを楽しんでいる。作るのが面白いし、出来上がりが楽しみだし、飲めばおいしいし、体にも良さそうだ。これからも欠かさず僕の役割を続けようと思っている。

この書き終えた原稿を笑いながら読んでいた妻が、私は、はやりごとに同調したりしませんよ。と何度も抗議していた。そうだろう。

麹屋のおやじが、

「麹をいくら作っても足りません」と言っていたのを思いだした。

平成二十九年三月十五日

 

2017-03-08 春の雪

朝から雪が降っている

花開きて風雨多し…

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朝早くは晴れ間が見えたが、その後は雪になった。

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積ることはないようだが、午後からも降っている。

2017-03-07 アラレが降った。

霰が降ってたが、春らしい花がいけてある。

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2017-03-02 春が近い

ベランダ植物に花が咲きはじめた。

今はまだ、夜になる前に防寒シートでくるんでいる。

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午前中は晴れたり曇ったりしていたが、午後からは雷が光って大粒の氷雨が降っていた。

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朝はまだ水たまりが凍ることもあるのに、花は春が近いことがわかるらしい。

ハナママハナママ 2017/03/02 19:00 可愛いお花ですネ。其れにしても早いですネ。
今日はこちらも気の所為か暖かいです。
其処迄、春がやって来てる感じです。✨✨✨

LAKILAKI 2017/03/06 21:07 週末に犬の散歩をしてたらツクシを見つけましたよ。

glucklichglucklich 2017/03/08 14:05 春になって、雪が降る。
そんなことも、ありますよね。

ハナママハナママ 2017/03/08 18:10 真ん中の紫のお花、ローズマリー。コレ、ハーブで肉料理等に使う。
我が家のある香里園の駅に1階にも2階にも歩道にも沢山、植わっている。
家の婿殿は外国人で其れも料理が得意。勿論ハーブにも詳しい。
其のローズマリー(写真のと同じ)を見て「一番、上等なのがどうしてコンナに👀」って言う。
私も2階のは🐶も余り通らないし時折、頂戴する。

ハナママハナママ 2017/03/08 18:15 👀 沢山   👀 犬 が文字化けしちゃった。

glucklichglucklich 2017/03/17 23:54 この写真から2週間過ぎて、今は花がもっと咲いていますよ。

2017-02-23   自分で梅をいけた。

自分で梅をいけた。

静かに降っていた雨が朝には止んで、梅の枝を切ってきた。

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活けてみるように、うながされて気は進まなかったが、やってみるとおもしろい。

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おもむきが乏しいようで、キンカンの枝をとってきた。

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よくできたと、ほめられた。 室町時代のむかし花は男がいけていたらしい。

2017-02-19 枝を薪にする

きのうの土曜日、薪にする木を取りに行った。

友人が世話をしている神社の木の枝がたくさんあった。

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二年は乾かした方がいいらしいが、来年の冬は使おうと思う。

2017-02-17 居合の会員募集中

[]今日エッセイ教室にだした原稿は「門弟の募集

居合道場の柳心会が会員の募集をしている。夕方は居合稽古道場稽古の様子を写真に撮った。

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夕方七時から始まる居合稽古のようすを写真にした。マイク師範が新入会員に指導していた。

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マイク先生は初歩の指導にも全身全霊で、真剣さといっしょに謙虚な優しさもつたわる。    若い師範指導態度もとても丁寧だ。

旧約聖書に「モーセは乏しい」とあるらしい、修業がすすむと人は謙虚になるようだ。

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宗家道場を動きまわって、気軽に指導してくださる。  新人に最古参師範が入れ代わり話しかける。一見、怖そうだが優しい人だ。

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入門して始めは作法指導を基本から教えてくれる。   今日は木剣組太刀稽古があちこちでされていた。

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老熟な先輩の指導を見ていた。  宗家がピンポイントで口伝の教えをさずけてくださる。


今日エッセイ教室教室に提出した原稿は、

      門弟の募集                    中村克博


 僕が所属している居合道場が会員の募集をしている。これまでは入会を随時受け付けていたのだが会として積極的募集を表明したのは僕の記憶では初めてのようだ。先週の稽古始めのとき宗家がみんなに協力をお願いされ、事務局から会員募集ポスターが配布された。僕はその趣旨に応じて自分ブログに入会者を募るための記事掲載した。写真を三十枚ほど展開して、その下に道場内外での様子を簡単な文章にした。始めの写真宗家マイク師範香椎宮奉納する真剣でおこなう組太刀の一撃をのせた。そのあとに高段者たちが演じる組太刀写真がつづく。

道場での厳粛な昇段試験雰囲気も老若男女をなごやかに写真にして紹介した。試験会場に張られる幔幕に文字がみえる。居合道場の名称が「柳心会」であること、福岡藩伝承の正統な柳生新影流の道場であること、現在は長岡源十郎鎮廣が十四代宗家として道場をあずかっている旨が書かれている。そのことを黒田家の当主黒田家家臣の会、籐香会が連名で証明している。

筥崎宮で毎年おこなわれる五月二十七日の日本海海戦を記念する「日本海海戦記念大会」の奉祝行事写真掲載した。式典の前に長岡宗家師範たちの居合演武奉納される。神官が総出で並ぶ前で陸海空、三軍将官がそれぞれ神殿に参拝して祝詞があげられ巫女が舞う。各界の代表には東南アジアの国々の招待者も見える。その中に黒田藩道場、柳心会の宗家師範が参列している。 

道場の様子も写真で伝えたいが、これまで撮った一人稽古写真は背景に掃除道具が見えたり、絵になるものがない。探しているうちに老熟な先輩が女性剣士と組太刀をしている一枚にいいのが見つかった。若い女性に右肩を斬り下げられた高段者の憐れな後ろ姿がなんとも嬉しそうで、背景に摩利支天様の掛け軸もあるし、これをポスターにすれば女性の入門者が押し寄せること請け合いだと思った。この日は、ちょうど、どこかのテレビ局取材に来ていた。

そのあくる日は穂波町田舎の湖畔で斬試会があった。昨日のテレビ局が同行取材した。宗家の逆袈裟斬りやマイク師範が太巻きの藁を斬ったきれいな切り口を見た女性レポーターが驚く様子の写真をのせた。それを見ていた斬試に巧みな剣士が負けてはならじと、一抱えもある巻き藁を運んで斬り台に乗せた。みんなが一斉に注目した。愛刀の肥前国忠吉を振りかぶった。

「やぁ〜っ」… 刀は巻き藁の中ほどで止まっていた。

食い込んだ刀を引っこ抜いて、

「きぇ〜ぇ」… やはり中ほどで止まった。

超太巻きの真ん中にはモップの柄ほどの青竹が仕込んであった。

「ぎぇ〜〜ぃ」… 

レポーターの姿は見えなかった。

この様子は連続写真掲載した。見れば今でも笑いが出てくる。

斬試会の後は囲炉裏を囲んでの、もつ鍋会だ。飯塚での斬試会では恒例になっている。もつ料理大正昭和の初めころ、トンちゃん、とかホルモン焼といって炭鉱時代の炭住で広まったようだ。近年、博多女性も食べる上品なものではない。そのころは厚い鉄板の上で豚か牛かの、分けのわからんいろんな部位の内臓をぶつ切りにして、ニンニクたっぷりの甘辛い味付けで豆炭七輪にのせ強く焼いて、味がしみ込んだのをみんなで囲んで熱いのを、ほーほー言いながら口に押し込んでいたものだ。

いまの時代居合稽古をするのはなぜだろう。その理由がわかれば会員募集方法的を得たものになる。刀が武器である以上、道具としての使用目的ははっきりしているのだが、まさかその効用のために居合練習をする人はいまい。しかし、稽古は、いかに人を傷つけ殺傷し威圧するかの練習にはちがいないが…

研ぎ澄まされた日本刀の美しさや鍔、目貫、縁頭などの芸術性に興味を持つ人もいるだろう。華道茶道にみられる洗練された、お稽古事としての要素もあるかもしれない。また日本文化精神性から言えば弓道に近いのかもしれない。鎌倉時代から室町時代江戸時代から近代へと刀の用法の変化から歴史物語洞察する楽しみもあるだろう。相撲柔道剣道空手などの闘技として、あるいはスポーツとしての要素もあるし、ヨガ太極拳のように体をゆっくり、あらゆる方向に動かす動作から心身の機能を復活涵養して養生するはたらきもあるはずだ。本物の真剣を使って居合稽古と鍛錬を重ねることで武士道論理だけでなく疑似体験して感じてみたい人もいるかもしれない。

そして、そのような現代居合実践しようとする人を募集するには、どのような層の人が対象になるのだろう。2015年(平成二十七年)以降、日本刀ブームになっているらしいが、これらの現象を支えているのは若い女性だそうだ。それならカジュアル刀剣展示会など天神でやれば時流に合う居合啓蒙活動になるだろう。

その折、刀にまつわる歴史背景と挿話を合わせてやるのはおもしろい。「童子切安綱」は平安の頃、京の大江山に巣くっていた酒呑童子の首を源頼光が切ったはなし、「小夜左文字」は地元筑前の左文字作、十五歳の少女が父殺しの浪人短刀で討ち取ったはなし、「へし切長谷部」は台所の御膳棚の下に隠れた茶坊主信長が胴体ごと圧へし切った刀、これは現在、福岡市博物館にある。時代をへて伝わった刀には、それぞれに物語がついていて、このような話はごまんとある。体系たて女性向の講演ができれば人気のセミナーになりそうだ。

もう一つの居合を勧められそうな層に定年退職した高齢者がある。総務省統計局ホームページだったか、団塊の世代は1947年(昭和二十二年)から1949年(二十四年)のあいだに生まれた人たち、その間の出生数は約八百万人とされる。その世代は、2017年から七十歳になる。心身健全退職して新たな生きがいを求めている人たちだ。仕事をしている人や探している人(男性)の割合は、六十歳から六十七歳にかけて、九割から五割に徐々に低下していくとされる。そして、日本の総人口に占める高齢者(六十五歳以上)の割合は、27.3%(平成二十八年(2016年)九月一五日現在)、この年齢層が時間にも生活にもゆとりがある。物質的な合理性を求めていた仕事から、武士精神性とのふれあいを求める、居合稽古をするかもしれない最大の対象者になるはずだが…。

平成二十九年二月一六日

2017-02-12 居合剣士の募集です

[]福岡黒田藩柳生新影流は門弟の募集をしています。

道場福岡市大濠福岡武道館で毎週金曜日の夕方七時から始まります。

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宗家長岡源十郎鎮廣、黒田藩柳生新影流第十四代です。指導は四人の師範のほか熟練の門弟たちが手伝います。

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写真香椎宮での新年奉納演武です。奉納演武筥崎宮太宰府天満宮鵜戸神宮など各地の神社でおこないます。

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福岡武道館での昇段試験演武です。

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昇段審査宗家神事のあと、門弟が見守るなかで厳粛に、また和気あいあいにおこなわれます。今年は宗家継承二十周年になります。

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筥崎宮での奉納演武です。5月27日には日本海海戦を記念して「日本海海戦記念大会」の奉祝行事がおこなわれます。

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日本三軍将官神殿に参拝します。福岡藩柳生新影流からは宗家師範が参列します。

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福岡武道館での練習風景です。老熟な先輩が女性剣士と組太刀をしています。

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この日、どこかのテレビ局取材にやってきました。外国人剣士に興味があるようです。

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真剣を使って巻き藁を斬る。斬試会が二三ヶ月おきにおこなわれます。

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宗家神事のあと、門弟たちは思い思いに厳粛に愛刀を試します。

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テレビ局取材抜刀術の理合について、質問も深くなるようです。

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宗家の逆袈裟斬りに驚くレポーターの女性、 「すごいゎ!んもぅ、ぞくぞくしちゃう」と言っているようです。

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マイク師範の斬り口に感心する男性レポーター、斬った瞬間、しばらくくっついたままで落ちませんね。

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レポーターの女性、「きゃぁ!きれいな切り口…」   それを遠くで様子を見ている剣士の眼差しが斜めに光っていた。

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特別に大きな巻き藁を運んできた。芯には竹が入っている。後ろで最古参師範が首をかしげて見ている。

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愛刀は肥前五字忠の名刀、「ぎぇ〜〜」…。 二度目の袈裟切りも刃は通らない。三度目、それでも、さらに挑戦する気構えがほほえましい。

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なかなか、こうはならない。

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斬試会のあとの、この時間宗家はおたのしみなようです。

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冬は囲炉裏の火があたたかい。

道場への入門は、稽古のあっている日に直接おいでになるか、

事務局へお電話下さい。 092-523-6283  清水まで、

ホームページは http://www.shinkage.jp/

道場の見学、体験入門は随時自由にどうぞ!!

2017-02-09   いく日か暖かかったが

立春が過ぎて暖かい日が続いていたが

今朝は雪がチラついていた。

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床の間の花も春が来たようだったが、今日は急に寒くなった。

LAKILAKI 2017/02/11 21:07 かなり降りましたね、雪。
八木山は積もったのでは?

glucklichglucklich 2017/02/12 20:30 寒かったですが、積雪は3cmほどでした。
食事前に雪かきをしましたが、お昼過ぎには溶けていました。
今年は八木山、雪が少ないようです。

2017-02-05   立春

きのう筥崎宮に、ご祈願にいった。

節分の翌日で立春、天気がよくて参拝者が多かった。

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おみくじを引いていた。

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おみくじを結んだあと、境内を歩いて食事に行った。

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きれいな花が咲いていた。 料理を待つ間、孫娘はインターネットゲームに夢中だった。

2017-02-03 エッセイ教室

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[]今日は午前中、エッセイ教室だった。


    長崎に行った                      中村克博


 長崎ランタンフェスティバルを見に行った。寒かったが天気は良かった。新幹線に乗っていった。もともとは中華街の人たちが中国旧正月を祝う行事だったそうだが、いまでは一五日間の期間中、一万五千個のランタンと、会場のさまざまなオブジェ、それに中国雑技団の演技が、訪れる百万人を魅了するようだ。中国本土からやって来た演技者たちが伝統的な曲芸を見せてくれる。すごい、寒さを忘れて見ていた。中華街祭りを初めて見学した。おもしろかった。ホテルの窓から見た長崎夜景が美しかった。妻の両親に新年の挨拶をまだしていなかったので、それが主旨だったが思いがけない小旅行になった。この祭りは、もともと長崎に住む華人旧正月を祝う祭りだった。新地中華街で行っていた春節祭という祭りが一九九四年から長崎市全体での行事となって今のような大々的な祭りになったらしい。あくる日は長崎南端軍艦島を見に行った。

 長崎中華街のことをWEBで調べると、

長崎新地中華街は、長崎県長崎市新地町形成された中華街である。横浜中華街神戸南京町とともに日本三大中華街と称される。

江戸時代鎖国下でも長崎対中貿易港として、最盛時には約一万人の福建省出身者を中心とした中国人長崎市中に住居した。当時の長崎人口は七万人であったから、いかに華僑が多かったかがわかる。その後、中国人の住居は丘陵地の唐人屋敷に限定されたが、一六九八年の大火で五島町大黒町にあった中国船の荷蔵が焼失したため、唐人屋敷前面の海を埋め立てて倉庫区域を造成した。この地域新地と呼ばれた。幕末鎖国政策放棄により、一八五九年長崎港は国際開放され、唐人屋敷は廃墟となり、在住中国人海岸に近い新地に移り住むようになった。これが長崎新地中華街起源である。

なるほど、それで肥前国天領長崎といえば…WEBを見ると、

   寛永一八年(一六四一)二月八日 福岡藩五島藩および大村藩長崎警備を命じ参勤交代を停止する。これが長崎警固番役の初めだが、寛永一九年三月佐賀藩長崎警固番となる。翌年は福岡藩が命じられ、これ以後は両藩の隔年勤番となり明治維新をむかえる。

佐賀藩長崎南端飛び地のような深堀領六千石を領していた。この 地を治める深堀氏は鎌倉時代から続き起源佐賀鍋島氏より古い。長崎に近いため佐賀藩は深堀に長崎警護の現場指揮を委ねていた。長崎半島の南にある深堀には江戸時代から各地で石炭がとれていた。軍艦島で知られる端島明治時代から昭和時代にかけて海底に炭鉱を掘り進め世界文化遺産登録されているが一八六八年に佐賀藩とグラバー商会が共同経営で始めた高島炭鉱開発がその始まりである。明治七年、佐賀の乱により政府に取り上がられ官営となるが、そののち三菱に払い下げられ本格的な端島での石炭開発が始まったようだ。

 さらにグラバーについてWEBには、

グラバー商会はジャーディン・マセソン商会の長崎代理店に勤務していたグラバーが一八六一年五月に設立した。ジャーディン・マセソン商会の前身は東インド会社設立当初の主な業務清朝中国アヘン販売と茶のイギリスへの輸出だった。ジャーディン・マセソン商会は、アヘンの輸入を規制する清国政府と争いが起こるとイギリス本国に軍を派遣するためのロビー活動をおこなった。国会は九票の差で軍の派遣を決定し、清とイギリスとの間で一八四〇年から二年間にわたってアヘン戦争がおこなわれた。香港上海銀行HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金イギリス本国に送金するために設立された銀行である。 

WEBを見ていると、ランタンフェスティバルから、えらいところへ飛んできた。香港上海銀行HSBC)とはどんな銀行なのだろう。

  一八六六年には日本支店横浜設立し、その後神戸大阪長崎にも 次々に支店を開設した。日本政府貿易金融政策顧問業務を担い、大阪造幣局における金銀通貨の造幣にも協力した。横浜正金銀行(後の東京銀行東京三菱銀行三菱東京UFJ銀行)がその体制を作る際には、香港上海銀行モデルとなったし、香港上海銀行支援した。

 

 横浜正金銀行といえば、

   貿易金融外国為替に特化した銀行であり、明治維新後急速に成長し、やがて列強の仲間に加わっていく日本を国際金融面で支え、香港上海銀行チャータード・マーカンタイル銀行と並ぶ外国為替銀行へと発展していった。日清戦争後には清国からの賠償金の回収 (送) 業務などにあたり、いずれも明治政府財政金融政策に対応して重要な役割を担うとある。第二次世界大戦敗戦後の一九四六年(昭和二一年)にGHQによって解体・清算された。そういえば清国からの賠償金といえば…、WEBを見ていると次々ときりがない。

明日のエッセイ教室にだす原稿を書こうと思ってWEBを見ていたら、エッセイは書かずにとんでもないところに流れ着いた。もう寝る。

平成二九年二月三日

2017-02-01   長崎に行った

長崎ランタン祭りにいった。

寒かったが天気は良かった。新幹線に乗っていった。

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もともとは中華街の人たちが中国旧正月を祝う行事だったそうだが、いまでは15日間の期間中、

1万5000個のランタンと、会場のさまざまなオブジェ、それに中国雑技団の演技が、訪れる100万人を魅了するようだ。

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中国本土からやって来た演技者たちが伝統的な曲芸を見せてくれる。すごい、寒さを忘れて見ていた。

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中華街祭りを初めて見学した。おもしろかった。

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長崎夜景が美しかった。

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あくる日は長崎南端軍艦島を見に行った。

菰田の住人菰田の住人 2017/02/01 19:29 楽しい雰囲気が感じられました。私ども夫婦は10日〜11日の予定です、楽しみです。

glucklichglucklich 2017/02/05 19:58 ランタン祭り、初めてでした。いい天気で楽しかったです。
軍艦島も知らないことがたくさん分かってよかったです。

2017-01-23 寒くて、そして忙しい

朝起きると雪がつもっていた。

昨夜降った雪は10cmほど、朝は降りやんで昼から時折り日がさした。

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戸外の蛇口は凍って水が出ない。池も凍って白くなっていた。


昨日は午前中がヨガ教室、昼からマンションインテリアオプションの打ち合わせ、

夜は居合新年会と忙しかった。高校時代の友人との山小屋会食もあったが、ダブルブッキング

僕は参加できなかった。お詫びに前日、薪を作って差し入れしておいた。

[]先週の金曜日はエッセイ教室、提出した原稿は、

イノシシ被害               中村克博


 一昨日、所用で飯塚市内に出かけた。最近開店した瀟洒レストラン簡単な昼食をとって帰ってくると、家の畑にイノシシがはいったようでナイロン網の防護柵が押し倒されていた。出かけるときには何ともなかったのでお昼前後にひと暴れしたようだ。畑の斜面が五メータほど小型のユンボで掘り返したようになって柵の網も支柱も無残な状態だ。夜だけでなく、ついに昼間にも出てくるようになった。最近はイノシシにくわえてシカの被害の方が大きいそうだが、この仕業イノシシに決まっている。今年の冬になって我が家の畑にイノシシが二、三度入っている。その度に玉ねぎの苗も大根も掘り返す。玉ねぎや大根は食べないで、ただ掘り返す。ミミズを食べているらしい。畑の隅にアジサイが植えてあるがその根っこは特に徹底して五十センチ以上も掘っている。ミミズにしては深すぎるので冬眠している蛇を狙ったのかもしれない。そういえばここ数年、散歩していて蛇を見かけなくなった。冬眠中にイノシシから食べられて春になっても出て来ないのだろう。

飼い犬のグリュックがいたころ、散歩に出かけると、この付近マムシをよく見かけた。道の陽だまりに、とぐろも巻かずに短い体を長々と寝そべっている。ほかの蛇は大きな青大将でも毒々しいヤマカガシも黒くなったカラス蛇でも人の気配で慌てて逃げるがマムシには逃げないのがいる。そんなマムシに出くわすとグリュックはそっと避けるように通りすごしていた。僕は手ごろな石を抱えて来てマムシの頭の上で手を放す。マムシは三角の頭をつぶされて陽だまりの眠りを続けてた。

グリュックで思い出したが害獣イノシシやシカだけではない。ハクビシンというのがいる。農作物被害イノシシほどではないが近くに住み着くと大変迷惑する。糞をきまった場所でするらしく倉庫の隅にこんもりと重なったのを発見したことがあった。スコップで片づけクレゾール液で消毒したがクレゾール液が乾かないうちにまたこんもりしている。そのうえハクビシンには毒ダニが寄生しているのがいるようで、そいつの通う行きつけの場所には毒ダニが付着しているらしい。夏の暑い日、グリュックがそれにやられたことがあった。散歩の歩調がおそい、足が上がらないようにポタポタと情けない歩き方をしている。開いた口の中が白く見えた。瞼をひっくり返すと両方とも血の気がなかった。ひどい貧血だ。犬猫病院に連れて行った。獣医が耳の裏をひっかいて検体を顕微鏡でみている。

「バベシアですな」

「なんですか、それは…」

「この付近ではハクビシン寄生するダニによって媒介します」

 それまでハクビシンという名前は知らなかった。獣医顕微鏡映像テレビモニターで映し出して僕に見せてくれた。画面いっぱいに大きな蜘蛛のような黒いものがいくつも蠢いていた。

「わぁ、気持ち悪いですね」

「このダニがバベシア原虫を赤血球感染させます」

「ダニがですか」

「ダニがです。溶解性貧血発症させます。死ぬ場合がります」

 グリュックは、すぐに大きな注射をされた。グリュックは情けないようにうなだれていた。それから毎日注射を打ちに通った。イヌ用の注射がないそうで牛用の大きな注射だった。獣医注射器に液を入れて用意するのを横目でチラリと見てうなだれる表情を思いだした。日に日に良くなっていくのがわかるようで、病院に行くのがうれしそうだった。だんだん元気を取り戻すと注射針を刺されると「ヒュン」と小さな声を出すので看護婦さんが笑っていた。

 イノシシの話からグリュックの思い出になっていた。

それで、畑のまわりに丈夫な金網のフェンスを巡らすことにした。頼みつけの大工棟梁業者をつれてきた。「田園風景も昔とは変わったね」「人間の方が檻の中に入っとるように村じゅうが金網に囲まれたね」そんな話をしながら設置場所の確認をしていた。

「最近は、国が支給した金網では間にあわんと、イノシシが端をへし曲げて畑にはいりよるばい」

「そうやね、うちも、二、三年はビニールの網でよかったばってん、いっぺん入ったら、もうだめやね」

 畑のまわりを巻き尺で測りながら三人で歩いていた。入口は二か所で耕運機が入れるようにする。地面から少し開けるが地面を掘って入らんようにするにはどうするかは未定だ。石垣の上に来た。

「ここに、イノシシ罠を作ろうと思う」

「どげんすると、ですか」

「三尺幅の二間ほどの板を差しかけて、ギッタンバッコンのようにすると、エサを置いとって、イノシシが来たらバタンと板が下がって檻の中に落ちると、いい考えやろ」

 大工棟梁は笑いをこらえるように、

「つごうよう、はいりますかね」

「なぁし… はいろうもん」

「は、は、イノシシに笑われますバイ」と前歯の抜けた口をかくした。

                       平成二十九年一月十九日

2017-01-19 キンカンをもぎった。

夕方、林道散歩にでかけた。

出かけようとすると、キンカンが色づいていたのでポケットいっぱいに採った。

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食べながら黄色いのをもぎった。何ともうまい、さわやかな気分になった。

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キンカン採りで少し遅くなったが一時間ほど山道を歩いた、ほどよく疲れた。

ハナママハナママ 2017/01/19 21:16 金柑もジャム、作りたい。
年末、柚、頂いたのでジャムにした。
婿殿のお母様に上げたい。多分、地中海には美味しいレモンは在るけれど無いと思うから...

glucklichglucklich 2017/01/23 12:12 妻もジャムを作ろうと言っていました。
ところが、その日の夕方までに僕が食べてしまった。
台所に近くを通るたびに摘み食いしていたら無くなっていました。

ハナママハナママ 2017/01/23 13:37 私もあれ位だったら生でいっちゃったかも... 友人がくれるって言ってたから楽しみにして居ます。

2017-01-17 雪と花

日の出前、花の写真をとった。

雪が降りやんで青い空がでて、とけかけの雪がひかっていた。

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水仙がみんなひしゃげていた。

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2017-01-15  雪が降っていた

朝起きると雪がふっていた。

小雪がしずしずと降っていた。この冬初めての雪だとおもう。

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気温は氷点下、池も凍っていた。鯉が固まって動かない。

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遠くの景色も近くの木も白黒の二色だった。村の初寄りに行った。

和恵和恵 2017/01/16 07:34 寒そう❄こっちは青空快晴だったよ。

glucklichglucklich 2017/01/18 10:55 山と平地の気候はかなり違うようですね。

2017-01-06 金網の中の村人たち

[]エッセイ教室初日だった。

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提出した原稿はこんなだった。

      害獣避けの金網と中にいる村人             中村克博


 正月の三日、散歩の帰り道、並んで歩く連れの人との影が長く伸びて、背中に当たる夕日が温かかった。青い空を遠く見渡しても薄雲すらなかった。近くの山の木が輝いていた。うしろから声がした。ふり向くと目の前に太陽が眩しく誰だかわからない。足をとめ両手で日をかざして頭をさげた。

 逆光から足早に近づいてきた人が、

「こんにちは、久しぶりですね」

 横に来ると顔見知りのおばあさんだった。

ニコニコしているが、急いだせいか声がはずんでいる。

「あ、明けまして、今年もよろしくお願いします」

妻と二人いっしょに挨拶した。僕はおばあさんの歩く速さに合わせて少し歩調を早くした。

「わたしゃ、足の骨を折りましてね」

「足をですか、どこをですか」

「ここですたい」と右の大腿部を歩きながらさすっている。

「そら、たいへんでしたね」

 歩きながら足を折ったときの様子や病院での手術の話から、リハビリ中のいま、どんな運動をしているかの説明がしばらく続いた。

「とにかく、歩かないかんとです。動かさんと縮むとです」

「そうですね。動かせば回復しますよね」

 それにしても、おばあさん、以前より動きが活発になったようだが、と思った。これまで、ずっと健康で年とともに運動量が少なくなって徐々に老いていった農家のおばあさんだが、足の骨を折ったことでリハビリに取り組んだ。心機一転運動量が増え、散歩に出かけ村の隅まで歩いて人との挨拶も多くなったようだ。

「ここ数年、イノシシがふえましたね」

 僕は、散歩道の左右に延々と張り巡らされた害獣避けの金網を見て言った。

「そうですたい、近ごろはイノシシよりシカが多なってですな」

「ほう、シカが、ですか、声は聞くけど姿は見ませんが」

「昨日も、この先で二頭獲れましたと」

「そうですか、檻に入ったとですか」

「いや、シカは足罠ですと」

 イノシシを獲る檻を箱罠と言い、シカを獲る足罠をくくり罠と言うらしいが、ここでは檻とか足罠とか言うようだ。もちろん、どちらの罠でもイノシシもシカも掛かると思うのだが…

イノシシよりシカの方が旨かですたい」

「そうなんですか」

 数年前、飼い犬のグリュックが元気がったころ朝の散歩で、このおばあさんの家の前を通ると、おじいさんが出て来てイノシシの肉の大きな塊を新聞紙に包んで手渡してくれた。猪が獲れるたびにいただいて、どうして食べたらいいのか分からないのに閉口したものだ。そのころの出来事だが、早朝にグリュックと散歩していたら携帯が鳴りだした。このおじいさんからだった。いま大きなイノシシが獲れたので見に来いという。急いでグリュックと一緒に現場にかけつけたら誰もいない。大きな鉄の檻の中に、身動き出来ないほど大きなイノシシがおとなしくしていた。誰もいないので不思議だったが、しばらく待っていた。

 グリュックは檻のまわりを嗅ぎまわっていた。イノシシは思い出したようにグリュックに頭突きをした。そのたびに檻が音をたてて揺れた。そのうちにグリュックはイノシシの前で足を止め、イノシシの顔を見つめてしばらく動かなくなった。グリュックが用心しながらイノシシに近づいた。金網ごしに二頭の鼻息が互いに届くほどになった。イノシシが小さな音を鼻からだした。グルックは顔を近づけて何か聞き取ろうとするようだった。イノシシはさらに鼻から小さな音をだした。

 僕は、二頭の会話が聞こえるようだった。

 イノシシが、

「ドウニカシテモラエンダロウカ」と言った。

「それは無理だ、できないよ…」と、グリュックが言った。

「ソウカ、デキナイヨナ…」と、檻の中からつぶやいた。

 軽トラックの近づく音がして三人ほど農家の人がやって来た。猪を屠殺する手伝いの人と道具を持ってきたようだ。朝日が山から出て明るくなった。猪を逆さに吊るす作業が始まった。足場板を半分檻に差し込むとそれを猪が頭突きで跳ね飛ばす。用心がいる作業だ。檻を板で仕切ると広い方にもがき出る。行ったり来たり、長い時間がかかった。驚いたことに、それを見ていたグリュックがいきなりイノシシの尻に咬みついた。立場を明確にしたのだろう。猪の最後の抵抗が始まったが結果は決まっている。仕切りで隅に閉じ込められて後ろ足をワイヤーできつく縛られた。体力が尽きたのか、もうこれまでと諦めたのか地面に倒れ込んだ。

農家の人も畑の作物を守らねばならない。互いに生きるためなのだが凄惨だ。丹精した畑を荒らされる農家にも生活がかかっている。猪も食べ物の無い冬は山から出てくる。生きるためだ。目をそむけたくなるが見るべきだと思った。昔のように犬を放し飼いにしていれば猪も鹿も猿も山から出ては来ないだろが…

昔は人が行かない山奥の谷の沢にもコンビニ弁当持ってスニーカーで行けるようになった。山のあちこちに自動車道路が通って山奥の森の中にも簡単に行ける。Webを見れば、お天気は一週間先まで分かって竜王山で雨乞いの必要もない。人から山や森への畏れも霊妙さも消えて神と一緒にイノシシ山里に下りてくる。神様イノシシも人間界との住み分けができない。後で写真を見て分かったのだが、イノシシがこちらを見ている目が、何とも言いようがなかった。

平成二十九年一月四日