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2018-08-20 そうめん流し

きのうの日曜日、山小屋同窓生とすごした。

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今回はソーメン流しを楽しむことになった。まだ準備中なのに、とりあえず乾杯練習らしい。

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渡辺君の持参した装置は孟宗竹で作った本格的なもの、何とも、おいしかった。木陰にいると風がすずしい。

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そうめんの後は室内でメインディッシュ焼肉料理がはじまっていた。

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何度目かの乾杯をして、食べきれないほど食べて飲んで騒いでいた。

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室内の冷房機が壊れていた。窓を開けて風を通して汗をかいて、あっという間に夕方になった。

菰田の住人菰田の住人 2018/08/20 15:46 昨日は楽しい時間をど〜もでした。
70過ぎの爺さん、婆さんが子供様に屈託のない笑顔の楽しい時間が過ごせるとは
全く幸せなもんです。いつまでも元気で人畜無害で在りたいものです。

菰田の住人菰田の住人 2018/08/20 15:46 昨日は楽しい時間をど〜もでした。
70過ぎの爺さん、婆さんが子供様に屈託のない笑顔の楽しい時間が過ごせるとは
全く幸せなもんです。いつまでも元気で人畜無害で在りたいものです。

2018-08-16 筆掛けを作った

埋もれ木を組んで筆掛を作った。

書道先生の依頼で指示どうりにできたと思う。

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屋外で見るのと室内とでは感じがちがう。筆を下げるとどんな風になるのだろう。

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茶釜の蓋おき、沢カニをあしらってみた。 カニが移動すると雰囲気がかわる。

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反対側から見るとこうなる。

菰田の住人菰田の住人 2018/08/18 00:44 すげえ〜、小説家の次は木工芸術家、今度はどうなると?19日(日)久保白でお話を。

glucklichglucklich 2018/08/20 11:38 久保白のそうめん、おいしかったね。
小説家に木工作家ですか、どちらも駆け出しの始まりです。
どちらも面白いです。

2018-08-13 お盆まいり

昨日の十二日夕方にお坊さんがお経をあげに来た。

久しぶりに親族が集まってにぎやかだった。

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ガマの穂がいい加減にふくらんできた。

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夜は危なくない暗闇を探して線香花火を楽しんでいた。

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孫がお泊りした朝、おばあちゃんの手伝いをしていた。

おばあちゃんのアサガオが干からびそうです。

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おばあちゃんには重すぎるようです。

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溝が危ないよ。おばあちゃんの背中にトンボ!!

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日の出前ならジャスミンの花の匂いがさわやかだ。

2018-08-03 生まれて初めて

今日は午前中エッセイ教室だった。

先日の大濠能楽堂に行ったことを書いた。


生まれて初めて能舞台観劇した。           中村克博


先月二八日の土曜日、大濠能楽堂に出かけた。異常に暑い日だったが妻は着物を着ていた。僕も麻のジャケットを持たされたが丸めて後部座席に置いていたら皺だらけになっていた。僕は大濠能楽堂に行くのは初めてだった。そもそも能を鑑賞するのが初めてだった。車のナビどおりに能楽堂駐車場に入れたら関係者以外使用禁止だった。妻が「だから、ここはダメだと言っているのに…」とつぶやいた。

 

大濠公園能楽堂は一九八六年に建設された。独立した本格的な能楽専用の公立施設としては石川県立能楽堂国立能楽堂に次いで全国三番目の開設らしい。 

能舞台は八方正面といわれ同じ演目でも見る場所を変えることで、正面近くから能役者衣装能面を観る、舞台の脇で橋掛かりの役者の動きや横の動きに注目する、遠くから舞台全体を見渡すなど違った発見があるのが能舞台であり能のおもしろいところでもあるそうな。

インターネットで調べると、

能舞台は、本舞台、橋掛がり、後座、地謡座からなっています。本舞台は三間四方の正方形で、その中で演者の舞が行われます。観客席(見所)と舞台の間に緞帳も幕もなく、極度に簡略化された空間です。もともと、能舞台は野外にありました。能楽堂に収められた現在も、舞台屋根がついていたり、欄干のある渡り廊下が伸びたり、松ノ木が立っていたり、というのは、野外の能の舞台再現するためであり、さまざまな工夫がなされています。

たとえば、橋掛かりに植えられている一ノ松から三ノ松は、手前から次第に小ぶりになりますが、これは遠近法を用いた工夫です。照明も自然光と同様の状態を作り出すため控えめになっています。

そして、音響上の工夫も成されています。能舞台の床下や橋掛がりの下に、大きな甕(かめ)を据える場合があります。これは、適度な吸音効果をもたらし、足で踏む拍子の響きをよくするばかりではなく、笛や太鼓といった囃子の音、謡の声にも影響するといわれています。(国立能楽堂舞台にはありません)

能舞台は檜で作られています。舞台中央の後方に「鏡板」。舞台前方に「階(きざはし)」。向かって左に「橋掛かり」、その奥に幕があります。この形式が確立したのは、織田信長活躍した時代より少し前だろうと推測されています。現在の構造になった最古のものは秀吉が作らせたという西本願寺の北能舞台で、能舞台では唯一国宝に指定されているそうです。

世阿弥は、夢幻能と呼ばれる能を生みだしました。今でも能の多くは夢幻能の構成を受け継いでいます。夢幻能には、「この世のものではない亡霊」が登場します。既に亡くなっている人物が、ありし日の姿で現れ過去の経験や悲しみ、栄光を語り、舞い、そして去っていくという展開です。つまり、能の多くは「あの世の人がこの世の人に出会い語る」というスタイルをとっています。そして、その舞台である能舞台が「あの世とこの世の境目」と呼ばれるのです。

能楽は、そもそも寺社勧進つまり、寄付を集めるための興行として演じられてきました。そのため、お寺、神社と縁が深く、安芸の宮島西本願寺などには古い能舞台が伝わっています。

また、江戸時代には能が武士芸能として定着したことから大名屋敷やお城には能舞台が必ず作られていました。古い能舞台は、屋外に作られ、舞台には屋根がついているものの観客が見る部分は野天という構造でした。現代では、屋外にあると不都合が多いため能楽堂として、建物の内部に舞台を作るようになりました。演出の上でも、あの世の人は橋掛かりを通って登場し、一通り舞い終わると橋掛かりを通って帰っていきます。橋掛かりはこの世とあの世の境目を結ぶ橋のように見えるのです。

 なるほど、能舞台建築構造だけでも、おいそれとは理解できない。さらに役者の着ている衣装についても、冠っている能面についても知識があった方が鑑賞しやすくなるのだろうと思ったがこれさえも大変な知識がいりそうだ。それに演者のしゃべる言葉が何を言っているのか分からない。舞台の右手に十人近くの裃紋服袴が横向きで二列に正坐している。登場人物役者(シテ・ワキなど)以外の演者たちの演技を第三者側から説明しているようだ。叙情、叙景ばかりではなく、登場人物の台詞(せりふ)の代弁、心理描写説明もしているようだが何を言っているのか想像はするが、さっぱり理解できない。

 演目第一部が能「巴」、第二部が狂言「泣尼」仕舞が「誓願寺」と「融」第三部が能「望月」だった。十二時半の開演で十五分の休憩が二回、終演がいつだったか忘れたが四時間くらいは椅子に座っていたと思う。途中で少しは居眠りしたかもしれないが退屈はしなかった。というより面白かった。ときどき感激もした。見て良かったと思った。これからも時々は能楽を鑑賞したい。いいもんだ。

料理は食べて見んと分からんし、旅行は街を歩いてみんとわからん。テレビ映像を見ても、本で読んでも実際に体験して感じた事とはちがう。能舞台構造も能衣装のことも、能面知識もないが、それに肝心の台詞も何を言っているのか理解できないけれど能舞台の前で演者をみながら訳がわからない台詞を聞いていると不思議物語理解できたような感じがするのはなぜだろうかと思う。居眠りして頭が空になっていたとき、かもしれないが能面の中に自分が入っているような錯覚をすることがあった。それに狂言を見ていて演者の台詞は分からなくても、思わず声を出して笑ってしまい気をとりなおして姿勢を正したこともあった。後で知ったのだが狂言で笑ってもいいらしい。

拍手については、いろんな意見があるようだが井伊直弼は茶湯一会集で、客が退出した途端に大声で話し始めたり、扉をばたばたと閉めたり、急いで中に戻ってさっさと片付け始めたりすべきではないと諭している。主客は帰っていく客が見えなくなるまで、その客が見えない場合でも、ずっと見送る。その後、主客は一人静かに茶室に戻って茶をたて、今日と同じ出会いは二度と起こらない(一期一会)ことを噛みしめる。この作法が主客の名残惜しさの表現、余情残心であると述べている。

 能の観劇に拍手は無用と解した。

平成三十年八月九日

2018-07-30 蓮の花

福岡城の蓮の花がきれいだ。

マリノアアウトレットに行く途中、お堀の花がきれいだった。

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塩見櫓に車を停めてお堀端を歩き回って撮った。台風が過ぎた後で風が強かった。

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蓮の花は朝五時くらいから咲きはじめ、夕方のの三時ごろには閉じるそうだ。

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マリノアを歩き回ってくたびれた。妻は見るだけで何も買わない。カルボナーラを食べた。

2018-07-29 能楽を見に行った

昨日の土曜日、大濠能楽堂に出かけた。

生まれて初めて能舞台の前で能と狂言を鑑賞した。

カメラを持っていったがバッテリーを忘れていた。公演中は当然に撮影禁止だから問題ない。

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能楽映像はいい写真インターネットいくらでも出ていた。

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能楽堂で見る能と、映像で見る能と、本などの言葉理解する能とではどう違うのか考えた。

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料理を食べるのと、人が食べるのを見るのと、食べた人の話を聞くのと違いだろうか、

外国の街を歩くのと、旅行テレビ映像を見るのと、旅行記を読むのとの違いだろうか、

2018-07-27 居合の稽古

夕方から居合稽古

稽古の前に散髪に行った。短くさっぱりした。

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マイク師範山崎師範槍術稽古をしていた。

2018-07-21 メリーさんの羊が毎朝ながされる。

昨日、午後からエッセイ教室食事

エッセイ教室食事会には十三名ほど参加した。

会員の生徒さんが多くなって教室は満員状態だ。

夕方から居合稽古に行った。道着が汗で重くなっていた。


メリーさんの羊」                  中村克博


パソコンを開いてワードの画面をボ〜っと眺めていた。エッセイ教室に提出する原稿の書き出しを考えていたら小学校から朝の放送が聞こえてきた。コーヒーカップに手を伸ばしたらまだ熱くて飲めそうにない。半分開けた窓から涼しい風が入ってきたが空は曇ひとつない。今日も暑くなりそうだ。近くの小学校から「メリーさんの羊」が英語歌詞で聞こえてくる。この時間になると小学校から聞こえてくるのは決まってこの曲だ。生徒が登校する時間なのだろう。

この曲は昔からときおり耳にする。ほのぼのとしたいい曲だが毎朝毎朝きまって聞かされると熱苦しさを感じる。さらに曲が終わるとマイクで「グッドモーニング、何たらかんたら」と言いはじめる。アメリカ民謡に続いて朝の挨拶をたどたどしい英語で聞かされては、これが毎日では、いかにボ〜っとした頭でも考えてしまう。

ネットで「メリーさんの羊」を検索してみた。どうも実際の出来事から生まれたアメリカ童謡らしい。

Mary Had a Little Lamb

メリーさんの羊

一八一六年春のとある朝、メリー父親が羊小屋の様子を見に行くと、生まれたばかりの二匹の子羊がそこにいた。ところが、片方の子羊は元気がなく親羊が放置して動かなかった。そこでメリーは父のゆるしを得て、そのかわいそうな子羊を自分が育てることにした。メリーがかわいがって育てた子羊は、やがて元気になってメリーの後を付いて歩くほどになったある日、物語はここからはじまる。

ある日、メリーと弟のナサニエル学校に登校すると、なんと後ろから子羊がついて来ていた。メリーは困ったが、いたずらっ子の弟ナサニエルおもしろがって、そのまま教室内に子羊を連れていくように提案する。メリーは子羊を机の下に隠してショールを掛けていたが、メリー先生に呼ばれ、教室の前方に行くと子羊がついてきてしまった。メリーは恥ずかしさでうつむいていたが、教室内の全員が爆笑して大騒ぎになった。

翌日になって、教室で喜んだ一人のジョン・ルールストンという学生が、その様子を手紙にしてメリーに渡したらしい。この手紙が原型となって、小説家のサラ・ジョセファ・ヘイルという人がそれを詩にまとめ「メリーさんの羊」ができあがった。時としてイタズラは世界中に知られてしまうこともある。というおはなし。 

 

歌詞日本語訳(意訳)

1 Mary had a little lamb

   Little lamb, little lamb,

   Mary had a little lamb

Its fleece was white as snow,

子羊飼ってたメリーちゃん

ちっちゃな羊 ちっちゃな羊

子羊飼ってたメリーちゃん

雪のように白い子羊を

2 Ev'rywhere that Mary went,

  Mary went, Mary went,

  Ev'rywhere that Mary went,

  The Lamb was sure to go.

メリーちゃんが行くところ

あっちへと こっちへと

メリーちゃんが行くところ

子羊は後を離れない

ユーモラスな歌詞西部開拓牧歌的郷愁をさそう。しかし何も日本小学校アメリカ童謡英語の挨拶が登校生を迎えることはないだろう。選曲や朝の放送の内容は誰が考えているだろうかと先生想像する。何人かの先生とは下校時、車の窓ごしに挨拶したことがある。校長先生が転校で代わると挨拶にお見えになる。先生たちは僕から見るとみんな若くて感じがいい。年代は三十過ぎから六十まではいかないようで女性が多い。一九六〇年代から一九八〇年代ころ生まれた人たちだろう。この時代は一九九一年にソビエト連邦崩壊してアメリカ単独覇権確立した。自由貿易圏の拡大で文化民俗イデオロギー国境にとらわれないグローバリゼーションという言葉一般の家庭にまでひろまった世代だ。

グローバル企業地球上のどこの国とでも自由貿易ができるように、経済政治社会などの体制アメリカ型に変えることを意味している。この世代はそのような時代経験したことと関係があるのだろうか、いや文部省小学校学習指導要領に関係があるのだろうか、いや、今はグローバル化反動ナショナリズム国家主義国粋主義が台頭しそうな勢いがある。案外に小学校で「メリーさんの羊」をながして「グッドモーニング」と挨拶させるのは私などの反感をかもして自国文化の重要さを喚起するため逆説的な民族意識の高揚を狙っているのかもしれない。その先に教育勅語のゴールがあると思うのは考え過ぎだろう。この暑さのせいだ。

平成三十年七月十九日

2018-07-05 地域文化を深く知る

西日本文化協会が発行する「西日本文化」に掲載された。

依頼されていた寄稿文が載っていた。うれしかった。

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エッセイ教室先生でもある西日本文化編集長から八木山について書くように言われていた。

先月末に発行された七月号の中ほどに四ページにわたって載っていた。

原稿料までいただけるらしい。作家気分だ!!

LAKILAKI 2018/07/06 19:13 すごい!
本当に作家先生ですよ。

菰田の住人菰田の住人 2018/07/08 19:14 すげえ〜、これから先生って呼ばなイカンね。

菰田の住人菰田の住人 2018/07/08 19:14 すげえ〜、これから先生って呼ばなイカンね。

glucklichglucklich 2018/07/21 09:13 七十の手習いです。
貝原益軒は八十の手習いと言ったそうですね。
八十まではまだ間があります。

2018-07-03 帽子の初おろし

宮地嶽神社に行った。

一年ぶりにお札を返しに行った。

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先日遠くの友人から贈られてきた帽子を初おろしした。

外出用に一つ買い替えたいと思っていた矢先、よく似合う、ありがたい。

小雨が時おり降った。傘を持っている。ステッキではない。

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本殿から奥の宮八社をお参りした。二つもれていた、六社参りになった。

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アジサイがきれいだった。

2018-06-30 壺を飾る棚

飾り棚ができあがった。

三日ほどかかったが一昨日の夜に組み立てが完了した。

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妻に依頼されたときには、どんな趣向か要領をえなかったが

作りはじめると、想像しかねたイメージが少しづつ分かってきた。

友人の製材所から、もらっていた端材が役に立った。

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床の間の横に設置して壺を置いてみた。

時代をえてきた壺を展示するにはいい感じだ。

妻は制作過程を撮って自分ホームページにのせていた。

http://www.hanabito.net/le-haru3/

2018-06-24 日照りのアジサイ

朝起きてアジサイ写真を撮った。

今日も天気がいい。

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友人夫婦が作っている畑のそばガクアジサイがうつくしい。

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座敷のピンクアジサイがうつくしい。

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高校時代の友人たちが山小屋で集まっていた。

2018-06-21 FUJIFILMX-T2 18〜135

カメラを買いかえた。

今まで愛用していたFUJIFILM X-T1を水の中に落とした。

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後続機種のX-T2にした。レンズは18〜135のズームにした。

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夕方の光でアジサイを撮ってみた。

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ズームの倍率が以前のより大きい。手振れもない。

2018-06-16 朽ちた古木

昨日はエッセイ教室だった。


          八木山アジサイ               中村克博

 今年は梅雨入りしてもそれらしい雨が降らない。それでも八木山にもアジサイが咲きはじめている。アジサイにはいろんな種類があるが原産地日本ガクアジサイらしい。アジサイ語源ははっきりしないが『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」の字をあてているそうだ。古く日本から中国へ伝わったものが、さらにヨーロッパへと持ち込まれ多くの園芸品種が作られたらしい。ところで、アジサイが咲く田植えのころ蒸し暑い日が続くと翌日は打って変わって肌寒い日に変わる。今朝も寒くてまだ仕舞っていなかった石油ストーブに火を入れたほどだった。

 アジサイは傘をさして犬と散歩しながら道端に人の家の庭先から咲いているのを目にするのがいい。花の色はいろいろあるが、やはり青いのがいい。もう随分前になるが、雨は降っていなかった寒かった朝の散歩で、アジサイの花を撮ろうとカメラを構えていたら飼い犬のグリュックがレンズの前に来てポーズするのには、おかしいやら腹立たしいやら、カメラの向きを変えるとたちまち移動するので仕方なくシャッターを押したのを思いだした。そうだ、明日の朝、グリュックの墓にアジサイを一輪そなえてこようと思う。花の色はピンクにしよう。

 妻のやっている、いけ花教室の生徒さんが野外レッスンで八木山に埋れ木や立ち枯れた古木を探しに来る。先月から土、日曜日に五人から一〇人が敷地内の山にはいる。案内するのは僕の役目だ。先頭を歩いて、マムシヤマカガシ、それに大きなムカデに注意しているが、そのことは言わない。不要に怖がるかもしれない。せいぜいカズラに足をとられないように、刺のある草木に気をつけて、ゆっくり歩くようにと言う。ゆっくり歩けば蛇は見つかる前に逃げるはずだ。

 山の頂上に、といっても、さっさと歩けば家から一五分ほどで行けるのだが、そこに大きな石碑と石組の祠がある。石碑には五穀豊穣と刻まれ文字が見える。左の側面には文化五年とうっすら読める。文化五年は一八〇八年だから二一〇年ほど前に建てられたようだ。石碑の横の祠には猿田彦大神が祀られている。そういえば先月も、いけ花のみなさんが自然に手を合わせていたのは印象的だった。

 今月十日の日曜日にも、いけ花教室女性たちが山道を登って、林の中をかき分け倒木をまたいで古木を探しながらこの場所まで時間をかけて登って来た。この辺りはすでに先月随分採ったあとなので、今回はさらに気を配って探したのに、まだ目ぼしい古木は見あたらず誰もが手ぶらだった。所在なさそうに登って来ると、そこで忽然あらわれた石碑と祠を目にして生徒さんたちは、しばらく珍しそうに不思議そうにながめていた。そのうち誰からともなく一人二人と手を合わせはじめ、ほかの女性たちも一斉に手を合わせてしばらく頭を下げた。僕も、つられてか、仕方なくか、手を合わせて頭を下げた。

 そのあと意外なことが起きた。それまで見つからなかった古木が次々と生徒さんたちの目につきだした。根っこの部分が土に埋もれている背丈ほどの形のいい立ち枯れの古木があった。リーダの花いけ人が興味ありげだ。これが欲しいと言われたらどうしようと思った。掘り出すのは一苦労だ。それにスコップも鍬も持参していない。手鋸とナイフはあるが、それではどうしようもない。ところが朽ち果てて硬い芯だけになった古木をゆすってみると少し動いた。昨日の雨で山の表土が緩んでいるようだ。しばらくゆすっていると動きが大きくなって根っこが少しずつ地面から浮き出てきた。それが何とも形がいい。ついには何の苦労もなく手間も掛からずに地面から取りだせた。みんな大喜びだ。それぞれ生徒さんたちも思い思いの朽ちた古木を手にしていた。猿田彦の祠の下斜面に、倒れた大きな木に手首ほどのツタが絡まっているのが見つかった。どんな使い方をするのか知らないが、花びとの要望にこたえて指示されるとおりに切りはなした。

足場の悪い藪の中を両手いっぱいの古木を抱えて歩く若い女性たちが何ともたくましい。僕は重たい古木を抱えて山を下りながら、少し休みながら、息が切れるがすてきな女性たちに囲まれると奮い立つ本能を久しぶりに実感した。山を下る途中で肥え松の朽ちた古木腐葉土から覗いていた。これはいい花材になるようで花びとが欲しいという。大きすぎるので鋸で三つに切り分けた。運ぶ荷物が増えていく、うれしくもあるが皆でかかっても一度では運べない量になっていた。下の家で朽木を磨いている生徒さんに援軍を要請する伝令をリーダーの花いけびとが放った。

 お昼を食べて一休みして、僕はみんなが採ってきた古木高圧洗浄機できれいにしていた。土がとれ朽ちた木の表面が剥がされていくと硬い芯の形が出てくる。何とも自然は、アバンギャルトな彫刻家が刻み出すようなフォルム創るもんだと思う。いや自然にそんな意図はない。花いけびとの感性が朽ちた古木に美しさの創造を見出すのだ。妻がのぞきに来た。部屋で生徒さんたちが古木を使って花をいけているので見に来るようにと言う。ついて行くと壺や水盤古木を取り合わせて花がいけられていた。どれもすばらしいらしいが、いけている生徒さんもすてきな人たちに思えてきた。こんな女性に尽くされるなら男は命にかえて守るだろう。妻や家庭を郷土や国を自分たち継承する文化歴史を命を懸けて守ると思う。日本若い人たちから変わってきているのだろうかと思う。昔からの文化祖先や先達を誇れる歴史を、山から古木を掘り出すように民族独自性見出しているような気がしてきた。

昔、我々世代ニュースを知るには新聞ラジオテレビからがほとんどで、まして広範囲世界の動きを、立ち位置の異なる時事論評を、専門の政治学者や社会思想家の意見を、取捨選択して接することなど思いのほかだった。ところが現代若者ネットにつながっているので、ニュースは発生した時間にその場所からそこにいる人の目線で様々な角度から知ることができる。時事評論でも著名な専門家の意見を異論を交えてユーチューブで見れる。しかも講演会場に行かなくていい。最新のものから数年前の見方再現できる。その中から自分独自の見かたや考えも出来てくるだろう。今では一方的な考えや情報操作若者には通用しない。なんと、1951年5月3日に行われた米国議会上院軍事外交合同委員会でのマッカーサー証言ですらスマートホンから再現できる。そこでマッカーサーは「・・・したがって日本戦争をしたのは自衛のため余儀なくであった。」と言った。GHQの最高司令官東京裁判否定している。戦後史の根底が変わる。しかし、「花いけびと」たちは論理政治から離れた自然の中から本能的にこれからの日本の国のありようを感じてはじめているのかもしれない。

平成三十年六月十四日

2018-06-05   つゆになった

梅雨入りしても晴れが続いていたが今朝は雨だった。

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座敷の隅にアジサイがいけてあった。

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埋れ木が手入れされて、出演を待っているようだ。

2018-06-03 愛用のナイフ

先日の金曜日エッセイ教室だった。

夕方から居合稽古に行った。

気に入りのナイフを失くした               中村克博


 先週の晴れた日、裏山で愛用のナイフを落とした。スギヒノキを伐採した後の斜面に日が射すようになってから、それを待っていたようにタケノコが幾つも日々伸びてくるので手鋸で切り倒しながら歩いていた。倒れて重なっているスギ丸太の上を歩いたり跨いでいたら何度も転んだ。足場が悪くて滑るし小枝や蔓に足をとられて尻もちをついたり、つんのめったりしていた。ふと腰のベルトに目をやるとナイフケースの中が空になっている。先ほど頭から転んだ時に藪の中に体がはまり込んで小枝や刺のある葛草から這い出るのに四苦八苦した。きっとあのときに鞘から抜け落ちたのだろうと思った。

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 この山のスギヒノキの林は数年前に専門の業者間伐していた。間伐森林組合が国の費用でやってくれた。育ちの良くない木は間引かれ木の間隔が広がって山がスッキリなっていた。それから数年して今回は木立が伸びて建物に日が当たらないのと風通しが良くないので、かなりの量を木こりさんに頼んで伐採した。樹齢が五〇年ほどだろうか、もう立派に建築材料として使えそうに育っていた。寄り付きのいい道路そばなので森林組合が見に来てくれたが原木を山から出して運搬して製材すると製品にしても採算がとれないという。それでスギヒノキは切り倒したまま、虫や微生物に長年かけて分解してもらうことになった。スギヒノキのなくなった山にこれから雑木自然に生えてくれればいい。できれば落葉樹で大きく育てば秋には紅葉して、春には若葉が新緑を重ねてくれるだろう。

 今年の冬は部屋の暖房薪ストーブか暖炉が使えるようにしたいものだ。燃料になる木材無尽蔵にある。薪を山から住いする家にまで集めてくるは一苦労だろう。それから適当な大きさに切りそろえるのにもかなりの時間と体力がいる。おもしろそうだ。おかげで山はきれいになるし、体はいろんな動きをして骨も筋も筋肉も溌溂となりそうだ。それに運動競争でなく、時間の制約もなく、気分にまかせて適度にやれるのがいい。これは年取ってから健康に年を重ねるためには、日々の過ごし方の一つに良さそうだ。

 空想は広がって…、そうだ、現役を引退する団塊の世代といわれる高齢者は全国でどれくらいの人数になるのだろう。ネットで見ると、

    厚生労働省は、その白書において「団塊の世代」ではなく、「団塊世代」は「団塊世代(一九四七年(昭和二二年)〜一九四九年(昭和二四年)生まれ)」としている。日本医療制度上は、前期高齢者(六五〜七四歳)に該当する世代である。

この三年間の年間出生数は二六〇万人を超えている。一九四七年(昭和二二年)生まれは二百六十七万八千七百九十二人、一九四八年(昭和二三年)生まれは二百六十八万千六百二十四人、一九四九年(昭和二四年)生まれは二百六十九万六千六百三十八人であり、三年間の合計出生数は約八百六万人にのぼる(厚生労働省統計)。

 もし、これらの時間にゆとりのある人たちが冬の暖房に薪を使うようになったらどんなことがおきるだろう。なにしろ、団塊世代三年間で合計出生数は約八百六万人だそうだ。半分が男だとして四百三十万人になる。元気に生活している人は四百万人はいると仮定して、それらの人が山にはいって燃料用の薪を集めてまわったらすごいことがおきそうだ。世界有数の森林日本、その国土面積の約七割が森林、そして、 その約三割に当たる七五八万ヘクタールが「国有林野」らしい。それに郊外の山林には入会地が何世代も手入れされずに放置状態だ。  

まず法律改正が必要だが、日本の山がもっときれいになる。高齢者の体力や機能が向上してもっと元気になって国の医療費負担が削減できる。建築材に使われないスギヒノキが伐採されてスギ花粉被害が減るだろう。花粉症には国民の三割が罹患しているそうだ。これによって国内生産性が二兆円ほど下がっているとの試算がある。薬や医療費マスクなどの花粉関連グッズが一〇〇〇億円の市場になっているらしい。

花粉症がなくなれば女性マスクをしなくなって若い男性がイキイキしてくる。山に落葉樹が植えられれば秋の景色にも彩りができる。ドングリヤマモモなどの木の実が山に多くなってイノシシやシカが山奥にもどってくれる。そうすれば村中の田畑を囲んでいる害獣避けの金網が取られて風景がよくなる。電気、ガス、灯油の消費が減って高齢者の使えるお金がふえる。冬の夜には暖炉の薪が燃えるそばで本が読める。クリスマスの夜が楽しくなりそうだ。

失くしたナイフを探してまわった。何度か転んだ場所にもどって枝をかき分けてメガネをかけなおして屈みこんで注意して見つけようとしたがとうとう目にすることができなかった。使いやすくて手に馴染んで山仕事にはいつも腰に吊るして長年愛用していた。昔マタギが使っていたという同じ形で片刃小刀で素朴な木の柄がついていた。失くすと余計に不便を感じる。荷づくり紐を適当な長さで切るとき、宅配で届いた箱のガムテープを切り開くとき、シュロの繊維質が包んだ皮を切り取るとき、それよりも山を歩くときに腰に何もないと寂しいもんだ。

フィンランド大統領だった スヴィンヒューブド(一九三〇年代)は、「ナイフ は男の服装の一部である」と日ごろから言っていたそうだ。大統領の腰にはいつも銀製の イーサッキを下げて愛用していたと言われている。イーサッキとは、北欧最古の歴史を誇る一八七九年創立の会社創立者の彼の名前が、そのまま会社名となっている。一八九四年にロシア皇帝 ニコライ二世皇后 アレクサンドラにナイフを献上し、以来「皇帝御用達」の名が与えられることとなりました、そうだ。

僕は三日前、イーサッキと同じフィンランドのマルティーニ社の新商品、「折りたたみ式プッコ」をネット通販で注文した。ハンドルカーリーバーチ(白樺の瘤材)を使用し、全体的な形状は伝統的なプッコの佇まいを継承している。プッコは語源的に「突刺す」という意味を持っている。フィンランド伝統的なフィンランド様式スカンジナビア様式のナイフ。木工、釣、料理などの道具として使われるほか、武器としても使われる。 

平成三〇年五月三〇日

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2018-05-27   日帰りの長距離ドライブ

先週の月曜日、友人夫婦と日帰りの遠距離ドライブに出かけた。

朝7時半に飯塚をたって熊本へ、フェリー島原へ、具雑煮を食べて

雲仙観光ホテルコーヒーを飲んで、有明湾岸を走って祐徳稲荷についた。

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友人は祐徳稲荷を昔の思い出と重ねてなつかしんでいた。

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雲仙からは諫早湾干拓堤防道路を通って佐賀に向かった。

2018-04-30   住吉神社の能楽殿

住吉神社能楽殿を見に行った。

筑前国一宮大阪住吉大社下関住吉神社とともに「三大住吉」の1つ、

日本全国に約600社ある住吉神社の始源とする説がある。

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母屋造、波子鉄板葺、妻入りで、北側1間半、南側1間半には桟瓦葺の下屋が付く。東側の北・南端は切妻造の屋根を付けて、北端は妻入り出入口となる。

住吉神社能楽殿日本古来の伝統を残し福岡市文化財指定らしい。

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舞台神聖な場所、舞台上では必ず白足袋の着用をお願い致します。とのことだ。

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客席は四段の階段式桟敷になっており、伝統的な様式洋風建築技術を一体にした劇場建築全国的にも極めて貴重な建物といえる。そうだ。

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古代力士像」が参拝者の人気になっている。ギリシャ神話ヘラクレスのようだ。

2018-04-28 丸太ストーブ

一昨日、友人たちと丸太ストーブを作った。

スウェーデン トーチ」と呼ばれ北欧の国では昔から山中で使っていたらしい。

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幾つか作ってみたが、製作者によって好みの形は違うようだ。

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チエーンソーは、二人では危険だ!!   そうそう、離れて、離れて・・・

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チエーンソーの刃を研ぐ、道具の手入れがいいと疲れない。 疲れたらこれが一番いい。

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湯を沸かすのに焚火では大きすぎる。    これが無駄なくいい感じだ、暖かい季節になればなおさらだ。



八木山峠の今と昔                   中村克博


 八木山峠を登りつめると国道は平坦になり、まっすぐな道が四キロほど続く、それに並行して流れる八木山川のふちには千四百本のシダレザクラが植えられ春には、桃色の並木が緑に映える。近くに山がせまっているので広大な山間風景とはいえないが、川をはさむように広がる田んぼや畑は近年の圃場整備で大きく区画され、農道が直線にのびている。八木山川はコンクリート石垣でおおわれ、川の所どころに水位を調節する油圧式の水門がある。巨大な農業用水路のようだがイギリスの田園を流れる運河のようでもある。

山にかこまれた村の朝は南東の山影から寝すぎた太陽が顔を出す。そして夕方には早々と南西の山に駆け込むように姿を消す。  

 子供のころは飯塚の市内に住んでいた。そのころ筑豊日本有数の炭鉱地帯で、町は賑わっていた。しかし小学生八木山峠を越えて福岡に出かけるなど一年のうちに一、二度だった。狭い峠の道は折りたたむように曲がりくねった砂利道でバス運転士は腕まくりした大きな腕でハンドル体重をかけて回していた。バスが道をせり出すように曲がると窓から崖下に谷底が見えていた。春になって遠くの山にいろんな緑が重なるころ道の両脇の桜並木が花を咲かせ、バスは白い花のトンネルを幾つも幾つも、くぐったのを思い出す。

 中学生のころ同級生三、四人と自転車八木山峠を上った記憶がある。市内からどれくらい時間がかかったのか、お昼はとっくに過ぎていた。腹が減っていたが弁当の用意はなかった。水筒もなくて畑の横から湧き出ている水を手ですくって飲んでいた。すると、野良着に草臥れた麦わら帽をかぶった三〇歳前後の若い農夫が竹笊に入ったイチゴを湧き水で濯ぎにやって来た。場所を開けるとそこにしゃがみ込んでイチゴを一つずつ水で洗って笊に入れていた。小さなイチゴドングリのような円錐形で、赤く熟れているのや、ヘタに近いところがまだ青いのもあった。小柄な若い農夫は洗い終わると立ち上がる前に、囲んで見ている中学生たちに軽く一掴みずつイチゴを渡してくれた。二つか三つ、小さなイチゴは歯ごたえがあって甘くて少し酸味があって、なんとも幸せな味がした。夏の空が果てしなく青かった。そのころの八木山の畑は斜面のあちこちに、どれも小さくて形もまばらだった。どんな野菜が育てられていたかは思い出せないが、ビニールハウスはまだなかった。 

 そういえば、やはり中学校のころ八木山には遠足で何度か登ったことがある。砂利道は凸凹して車が通ると砂ぼこりで目は開けていれなかった。川も好きなように曲がりくねって川原には葦が広がって川面には至る所に大きな岩が出ていた。田んぼは直線でなく、いろんな形をしていた。秋になると田や畑の畔に彼岸花が赤く咲いて、ハゼ古木に干からびたブドウ房のような実が下がっていた。農家屋根はどこも藁ぶきで、柿の木には実がたくさんで、中庭にはニワトリが数羽、歩きながら地面と突っついて、放し飼いの犬は日なたにまどろんで、おばあさんが孫の子守をしている。

昔から八木山の米や野菜はおいしいと言われる。一日の寒暖の差が大きく、豊富な湧き水があちこちに出ている自然条件と農家の丹精のおかげだ。林道散歩すればツクシワラビは刈り取るほど、冬は寒くて大きなツララが軒下に三メートルにもなるが、そのかわり南国には珍しいリンゴ生産地でもある。ところが、ここ数年、イノシシやシカが山から出て来て田畑を荒らす。そのため村中に害獣避けの金網が張りめぐらされているが、こればかりは風物詩にはなりにくい。   

 三月のなかば、昼すぎ近所のラーメン屋に出かけた。看板メニューの八木山味噌ラーメンにしようと思ったが、「味噌チャンポンギョウザ」と注文した。カウンター席に顔なじみの長い髭をはやしたおじいさんがいた。ラーメンを食べ終わったようで厨房に向かって料理人のお兄さんに笑顔の大声で話しかけている。お兄さんは僕の注文を聞いて麺を手に取ってほぐし始めた。おじいさんは、なおも話しを続けている。

 味噌チャンポンが出来て僕の前に置かれた。間もなく餃子も来た。まずギョウザにたっぷり酢醤油をつけて口に入れた。おじいさんの話し声が聞こえる。

「石坂明神が〇〇〇・・・」

天正八年、大友宗麟が〇〇〇・・・」

 なんと、不思議なことだ。さっきまで僕が部屋で調べようとしていたことを、長い髭のおじいさんがカウンター越しにしゃべっている。僕は食べ終わって、おじいさんの横に坐りなおした。

「大きな一本松があってな○○○・・・」

「そうですか、大友秋月が戦った千人塚がありますね・・・」

「ああ、千人塚はむかしアチコチにあった塚を一つに集めたったい」

「そうですか、入れ忘れた武者が一人おって、ときどき畑に迷って出とったのを、数年前に畑の持ち主が小さな石の祠を作っていましたね」

「そうな、そりゃ知らん」

「そうですか、ここに長く住んでいるのですか」

「俺な、俺で八〇〇年になるかな」

「えっ、そうですか、平安末期か鎌倉の初めですね」

「家の古文書で確認できるのは四〇〇年くらいやな」

 二人はラーメンチャンポンも食べ終わって、コップの水を注ぎ足して話していたが、いつまでも座っている訳にはいかない。

「そんなら、今から俺の山に来んな」

「いまから・・・、いいですよ。ほんなら、いちど家に帰って伺います」

 長い髭のおじいさんはまだ帰っていなかった。山の頂上は広くならされて見晴らしがよく飯塚の街が眼下に広がっていた。遠く田川の香春岳や、さらに英彦山の独特な稜線も小さく望めた。数頭の日本犬が檻の中にいて、猟犬だろう、うろうろする僕を見てしばらく威嚇の吠え声をあげていた。まもなく、おじいさんが軽トラックで帰ってきた。横に乗るように言われてドアをバタンと閉めると勢いよく走りだした。

 軽トラックは急勾配の坂を下り左右を確認して国道に出た。そして飯塚の方に曲がると、すぐ左に折れて狭い間道を潜り込むように下りて行った。こんなところに道があったのかと思うような小道は樹木でうっそうとして薄暗かった。二階建ての古い建物があった。軽トラックはそこで止まった。牛の石像と古めかしい石塔が二つあった。石塔文字が刻んであるが風化して読めない。その近くに人がやっと入れるほどの小さな横穴があって水が湧き出ていた。このあたりは先ほどのラーメン屋で聞いた明神坂の遺跡のようだ。

「ここは昔の道ですか」

菅原道真もこの石坂を通って大宰府に行ったと・・・、それで牛が祀ってある。昔は銅で出来ちょったばってん、戦争で取られて鉄砲の弾になったと・・・」

「穴から水が湧いていますね」

「この水を柳原白蓮が飲んで、そこの二つの大岩を歌にしたと・・・」

長い髭のおじいさんは白蓮がここでよんだ歌を二首、声を出して二回ほど唱えてくれたがメモを取るのを忘れた。

「白蓮がですか、そら、顕彰して石碑でも建てんといかんですね」

「ここには茶屋があって黒田如水もここを通ったと・・・」 

へぇ、そうですか・・・」

 あとで調べたのだが、郷土史家の文章に、

筑前国風土記には「石坂は八木山村の東にあり」とある。嘉摩、穂波郡の諸村は眼下にあって佳景、田河郡(田川)まで見通せることが書かれている。筑前国風土記の書かれた頃の「石坂」が今日と同じであれば、石坂明神の石だたみは黒田長政入国後「黒田如水」によって開かれた路筋とかさなる

  元の路は「北方の山さがしき所にありて」とあって、「人馬のわづらひおおく」とあり、このためこの難所を避け、如水が今の石坂を開いたのである。石坂の上には茶屋があり、如水の逗留した茶屋は、代々年貢が免除されたという、とあった。

 四月のはじめ、日の出前に窓の外を見ると梅の枝がピンクになっていた。雲ひとつない日差しが何日か続いて八木山にも春が来たようだ。いけばなの花材にと、枝を切りに脚立を持って出かけた。見上げるとメジロが数羽、枝を飛び跳ねていた。満開だった。花材には少し遅すぎた感がある。軽トラックの音がして誰かやって来た。早朝に誰だろうとおもったら、長い髭のおじいさんだった。いや、僕と同年輩なのでおやじさんと言いたい。

「おらっしゃったな」

「はい、梅の枝を切っとります」

「切り花には、少し遅かろう」

 白い髭が胸まで長く、朝日に光っていた。

「あんたに、おもしろい本を持ってきた」

 表紙に、「ふるさといいづか、歴史のさんぽみち」と見える。

八木山歴史がのっとる」

 長い髭のおじいさんが帰り、僕は部屋にもどって小冊子の目次を見ていた。明星寺跡の遺跡山伏塚、高取焼初代八仙の墓跡、大隈言道と宝月楼跡、貝原益軒学習の碑、八木山千人塚、竜王神社八木山峠の石だたみ、八木山峠石坂の牛像、伝説女郎の墓、建花寺の六地蔵、僕の知りたいことが次々と目につく。小冊子には柳原白蓮の歌がのっていた。

清水流れて寒き八木山

        峠を越えて福岡にゆ

この短歌伊藤伝右衛門再婚した白蓮が福岡市にいく途中に、八木山で詠んだものです。と書いてあった。長い髭のおじいさんが先日、唱えてくれた白蓮の歌の一つだろうか… もう一首はどんな歌だったのだろう。

 

2018-04-21 柳生剣士が宇宙と交信

コニカミノルタ天空未来プロジェクト2018

宇宙人類を元気にする〜

<全国3会場とISSとを繋いだリアルタイム交信

開催日時 2018年4月26日(木) 19:00〜22:00

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柳生新影流柳心会の最年少剣士緒方太郎君が

国際宇宙ステーションISS滞在中のJAXA金井宇宙飛行士リアルタイム交信を行います。

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人気アニメ宇宙兄弟』の主人公「南波六太」役の平田広明さんと

宇宙飛行士を目指すタレント黒田有彩さんによるクロストーク実施

その模様は全会場に配信されます。

[福岡会場]

福岡市科学館  ドームシアター 及び サイエンスホール

[東京会場]

コニカミノルタプラネタリウム天空”in東京スカイツリータウン

[茨城会場]

日立シビックセンター科学館  天球劇場 及び 多用途ホール

2018-04-11  江口美智子 書作品展

きのう福岡新天町書道個展を観に行った。

村岡屋ギャラリー 4月10日(火)〜15日(日) 11:00〜18:00(最終日は17:00

江口美智子(玉鳳) NHK文化センター講師もしておられるようだ。

妻が展示会に花を添えていた。

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小さなギャラリーだが、書道個展には、しっくりする広さだと思った。

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添えてあった「いけばな」は、主体との調和を考えて工夫したようだ。

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象形文字なのだろう。何と書いてあるか教えてもらったが忘れた。 花が書の意味を語っているようだ。

小さな徳利と白い花が表しているのは枯淡だろうか、書も花も人柄も、さっぱりしておもむき深い、そんな意味だろうか、

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座花酔月と書いてあるらしい。花見て一杯、月見て一杯と言ったら笑われた。もっと高尚な意味らしい。

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個展は事前の準備はもちろんだが期間中気が抜けないようだ。もっと丁寧に観覧しなくてはと思った。

2018-03-17   急に寒くなった

青い空に枝垂れ梅がはえる。

天気はいいが風が冷たい。

早朝の気温は1度だった。

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桜はまだ小さな蕾だが、枝垂れ梅が満開だ。

昨日はエッセイ教室だった。

前回に続いて、八木山のことを書いた。



       山清水 流れて寒き 八木山の                  中村克博


 日の出前に窓の外を見ると梅の枝がピンクになっていた。雲ひとつない日差しが何日か続いて八木山にも春が来たようだ。いけばなの花材にと、枝を切りに脚立を持って出かけた。見上げるとメジロが数羽、枝を飛び跳ねていた。満開だった。花材には少し遅すぎた感がある。

 枝を高いところから手鋸で切り落とそうとするのだが、小枝には刺があるし入り乱れて伸びているのでからまって落ちない。無理に引っ張ると花がパラパラと落ちてしまう。面倒なので大きな枝ごと切って落とした。逆さに落ちると細い先の枝が都合よくクッションになって花の損傷が少なくて済むようだ。妻が教室で使う一日の花材には多すぎるようだが、梅は切らぬと馬鹿と言われるそうだから手あたり次第にどっさり切った。

 とりあえず見てもらおうと、妻を呼びに行った。すでに朝日が山の上に出ていた。

「こんなに切ってどうするのですか」

「多すぎたね」

今日は花市場での買い物が多いので、時間があまりありません」

 これから、切った枝の長さをそろえて形を整えてビニールシートで包まねばならない。花が落ちないように気づかいながらの作業なので時間がかかる。急がねば・・・

 軽トラックの音がして誰かやって来た。早朝に誰だろうとおもったら、山のおじいさんだった。いや、僕と同年輩なのでおやじさんと言いたい。

「おらっしゃったな」

「はい、梅の枝を切っとります」

「切り花には、少し遅かろう」

 白い髭が胸まで長く、朝日に光っていた。荷台に大きな切り株と古い時代木こりの道具が目に付いた。寝起き姿の妻はいつの間にかいなかった。

「あんたに、おもしろい本を持ってきた」

 表紙に、「ふるさといいづか、歴史のさんぽみち」と見える。

八木山歴史がのっとる」

 百ページほどの小冊子だが手に取ってページをめくると、明星寺跡の遺跡山伏塚、高取焼初代八山の墓跡、八木山千人塚、竜王神社八木山峠の石だたみ、八木山峠石坂の牛像、伝説女郎の墓、建花寺の六地蔵、僕の知りたいことが次々と目につく。嶋田光一という飯塚郷土史家が長年調べたようだ。

「これには、のっとらんが、うちの山には秋月大友の兵をさらし首にして引き上げた跡がある」

「ほう、そうですか」

「四百人の生首をさらしたげな」

「いろんな歴史が蘇りますね」

「石がこづんであるんで祠にしたと」

 柳原白蓮の歌がのっていた。

清水 流れて寒き 八木山

        峠を越えて 福岡にゆ

この短歌伊藤伝右衛門再婚した白蓮が福岡市にいく途中に、八木山で詠んだものです。と書いてあった。さらに読み進むと、大正十年、白蓮は「まったくの愛と理解を欠いていた」という理由で、夫伝右衛門に別れを告げ、宮崎龍介のもとに走ります。このときの離縁状は「朝日新聞」に公開され当時大反響をよびました。とある。

昨今の「朝日新聞」による森友学園事件スクープ記事から政治が混迷している様相何だか重なるから面白い。この白蓮事件解決するため伊藤家の介添人として麻生太郎のおじいさんの麻生太吉上京した。柳原家は当主の義光と除エ子の姉婿・入江為守らが出席し、奥平昌伯爵仲介役となった。

 すこし、話が脱線した。山のおじさんは軽トラックの荷台にある品物を下して並べはじめた。滑車や鎖、クサビや斧など、むかし木こりさんが使っていた道具類で興味が引かれる。今では貴重なものだった。これは写真に収めねばと思って、あわてて部屋にカメラを取りに走った。

山のおじいさんは道具の説明をしてくれた。

「この斧は刃が薄うしてある。鋸を入れる前に使うと」

「ほう、軽いですね」

「倒す方に切り込みを入れるとに使うと」

「このクサビは・・・」

「追い口に鋸を入れたら打ち込むったい」

 切った溝に鋸の刃が挟まれんように隙間を開くためらしい。

「この環のついたクサビは・・・」

「これな、これは、おもしろかばい」

山のおじさんは、環のついたクサビの束を重そうに持ち上げて、

「大きな丸太を牛に曳かせるとき、切り口に打ち込んで環にロープを通して引くと」

「こんな小さな短いクサビで、抜けんですかね」

「そいが、山ん中で曳いてくさ、抜けんったい」

「なんでかね〜」

「そうたい、そいがくさ、終わって抜くとき、頭をチョンと打ったらスッポンと抜けるきな〜」

 おじいさんは昔の光景を思い出しているように白い髭の中でニンマリと笑っている。今ではユンボで吊り下げて運ぶようだが、それも、まれなことで多くの伐採され木は枝を落とし、短く切られてその場所に放置される。山は荒れている。この季節になると遠くの山が黄色く煙るほどスギヒノキ花粉を撒き散らすが、きっと手入れされず粗末にされて反乱を起こしているのだ。

「この滑車は車の溝が大きいですね」

「細いワイヤーがないとき、太い麻のロープで引いたとやろな」

「これは何に使いますか」

 槍の穂先が曲がったような長い道具を指さした。

「落とした枝も集めるときにこげんして」

 おじさんは先の曲がった槍を手にして仕草を真似た。それからまだまだ、いろんな道具の説明が続いた。木を切りだすにも昔は人の手が多くかかった。運び出すにもいろんな工夫をしたのだろう。木にはそのつど人の思いが入ったはずだ。それに、代を経て使われ続けた道具は形がうつくしいのは不思議だ。そんな地元で育った木を使って大工さんが昔からの技術で建てた家はいろんな人の心がこもっていて、なんだか住み心地がいいような気がする。

平成三十年三月十五日

2018-03-14  普賢岳を見た。

先週末、雲仙にいった。

天気がよくて春の兆しだった。

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普賢岳は近くからはじめて見た。

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雲仙市国見神代小路歴史文化公園 鍋島邸にも言った。

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帰路はフェリーに乗って熊本から帰った。

LAKILAKI 2018/03/14 22:46 あっ島原の具雑煮ですか?
久しぶりに食べたくなりました。

glucklichglucklich 2018/03/17 14:55 具雑炊、おいしいですね。
「島原の乱」寛永十四年〜十五年(1637年〜1638年)で原城に籠城していた
人たちが食べていたとの記録があるそうですね。
最後は食料が尽きて元気がなくなったのでしょうかね。

2018-03-13 麻生さんが、えらいことになって・・・

麻生太郎の原点  祖父 吉田茂流儀

「心清ければ意自ら閑なり」

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悪事は己に向き   好事は他に与え   

己を忘れて   他を利するは   慈悲の極みなり

(伝教大師 最澄言葉らしい)

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2018-03-04   いけばな展に行った

いけばな展を観に行った。

博多大丸の八階であっていた。

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西日本華道連盟のいけばな展。写真を撮った。妻の作品はこじんまりしたのだった。

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家で試し活けをしていた時は銅製の花瓶だったが水漏れしていたので花瓶を代えたようだ。




先週の金曜日エッセイ教室だった。

八木山歴史をしらべて           中村克博


 先週の昼すぎ、パソコンを開いて八木山歴史について調べていた。めぼしい記事が出て来ない。これは八木山の古老にでも聞いてみないと分からんと思った。小学校横のおばあちゃんはどうだろう。ときどき畑の菜っ葉沢庵漬け手土産に母を訪ねて来るが、いや、リンゴ園のおじいちゃんがいいかも知れない。今は隠居してデイケアに行っているが長いこと村の世話役をしていた。

腹が減ったが今日は妻がいない。近所のラーメン屋に出かけることにした。久しぶりに天気がいい。風は冷たいが日差しは暖かかった。看板メニューの八木山味噌ラーメンにしようと思ったが、 

味噌チャンポンギョウザ」と注文した。

 カウンター席に顔なじみの長い髭をはやしたおじいさんがいたので挨拶した。ラーメンを食べ終わったようで厨房向かって料理人のお兄さんに大きな笑顔で話しかけている。お兄さんは両手を前にそろえて、かしこまるようにうなずいていたが、僕の注文を聞いて麺を手に取ってほぐし始めた。長い髭のおじいさんは、なおも話しを続けている。

 味噌チャンポンが出来て僕の前に置かれた。間もなく餃子も来た。まずギョウザにたっぷり酢醤油をつけて口に入れた。髭のおじいさんの話し声が聞こえる。

「石坂明神が〇〇〇・・・」

天正八年、大友宗麟が〇〇〇・・・」

 なんと、不思議なことだ。さっきまで僕が部屋で調べようとしていたことを、おじいさんがカウンター越しにしゃべっている。味噌チャンポン野菜がたくさんだ。半煮えで歯ごたえがいい。それに汁がうまい。おじいさんは僕が聞き耳を立てているのに気づいて、厨房のお兄さんと僕の顔を交互に見ながら話し続けていた。僕は食べ終わって、おじいさんの横に坐りなおした。

「大きな一本松があってな○○○・・・」

「そうですか、大友秋月が戦った千人塚がありますね・・・」

「ああ、千人塚はむかしアチコチにあった塚を一つに集めたったい」

「そうですか、入れ忘れた武者が一人おって、ときどき畑に迷って出とったのを、数年前に畑の持ち主が小さな石の祠を作っていましたね」

「そうな、そりゃ知らん」

「そうですか、ここに長く住んでいるのですか」

「俺な、俺で八〇〇年になるかな」

「えっ、そうですか、平安末期か鎌倉の初めですね」

「家の古文書で確認できるのは400年くらいやな」

 ラーメンチャンポンも食べ終わって、二人はコップの水を注ぎ足して話していたが、いつまでも座っている訳にはいかない。

「僕は、鎌倉の初めの、この辺りのことを本にしています。読んでくれますか」

「ほう、そうですか」

「どちらに、お持ちしたらいいですか・・・」

「そんなら、今から俺の山に来んな」

「いまから・・・、いいですよ。ほんなら、いちど家に帰って伺います」

 峠の国道から急斜面につくられたコンクリート坂道は勾配がきつくてローギヤで唸りながら上っていった。おじいさんはまだ帰っていなかった。頂上は広くならされて、右翼の宣伝カーや黒塗りの街宣バスが置かれていた。数頭の日本犬が檻の中にいて、不意な侵入者に警告のような吠え声をしばらく発していた。見晴らしがよくて飯塚の街が眼下に広がっていた。遠く田川の香春岳や、さらに英彦山の独特な稜線も小さく望めた。

 おじいさんが軽トラックで帰ってきた。横に乗るように言われてドアをバタンと閉めると勢いよく走りだした。まず、おじいさんの敷地内を案内するようだ。山をさらに上っていった。道路舗装はなく、おじいさんの運転は慣れている道だろうが滅法に荒く山道を飛び跳ねるように走った。軽トラックは四輪駆動なのだ。高圧線の高い鉄塔が建っている。この辺りは九電敷地らしい。コンクリート舗装され、ヘリコプターが発着できるほど広かった。林道につながる鉄扉まで来ると軽トラックは狭い道を前後して向きを変えた。別の道を下って、間もなく奇妙な「お社」のような建物が見えてきた。車を降りて中をのぞいた。

「なんですか、これは・・・」

炭鉱大勢死んだ。その人たちを祀っとる」

へぇ〜、そうですか・・・」

 お社は石炭をとったあとのボタ石を積み上げて作ってあった。僕は手を合わせてお辞儀をした。おじいさんもそうしていたようだ。採炭が盛んなころガス爆発や落盤事故でたくさんの人が亡くなった。筑豊炭鉱で死んだ人を悼んで、後世の世代がそのことを忘れないように・・・。

 一通り山を案内したら、こんどは、軽トラックのおじいさんは急こう配の坂を下り左右を確認して国道に出た。そして飯塚の方に曲がると、すぐ左に折れて狭い間道を潜り込むように下りて行った。こんなところに道があったのかと思うような小道は樹木でうっそうとして薄暗かった。二階建ての古い建物があった。軽トラックはそこで止まった。

 この家は昔、旅館をしていたようで、おじいさんの持ち物らしい。牛の石像と古めかしい石塔が二つあった。石塔文字が刻んであるが風化して読めない。近くに小さな横穴があって水が湧き出ていた。このあたりは先ほどのラーメン屋で聞いた明神坂の遺跡のようだ。

「ここは昔の道ですか」

菅原道真もこの石坂を通って大宰府に行った。それで牛が祀ってある。昔は銅で出来ちょったばってん、戦争で取られて鉄砲の弾になったと・・・」

「穴から水が湧いていますね」

「この水を柳原白蓮が飲んで、そこの二つの大岩を歌にしたと・・・」

 おじいさんは白蓮がここでよんだ歌を二首、声を出して二回ほど唱えてくれたがメモを取るのを忘れた。

「白蓮がですか、そら、顕彰して石碑を建てんといかんですね」

「ここには茶屋があって黒田如水もここを通ったと・・・」 

「そうですか・・・」

 あとで調べたのだが、

筑前国風土記には「石坂は八木山村の東にあり」とある。嘉摩、穂波郡の諸村は眼下にあって佳景、田河郡(田川)まで見通せることが書かれている。筑前国風土記の書かれた頃の「石坂」が今日と同じであれば、石坂は黒田長政入国後「黒田如水」によって開かれたと路筋と言う。

  元の路は「北方の山さがしき所にありて」とあって、「人馬のわづらひおおく」とあり、このためこの難所を避け、如水が今の石坂を開いたのである。石坂の上には茶屋があり、如水の逗留した茶屋は、代々年貢が免除されたという。とあった。

   黒田長政一六〇〇年(慶長五年)に起きた関ヶ原の戦いによる論功行賞で旧領の豊前中津 十八万千石から筑前名島 五十二万三千石に移封された。十二月初め、黒田長政は父孝高(如水)と共に豊前中津を出た。長崎街道から花瀬街道にはいり飯塚の太養院に宿泊した。坂の下に出てそれから石坂の急坂を登り八木山を越え篠栗街道を通って筑前名島城にはいることになるが、海外貿易大湊博多大津を要する筑前は昔から博多商人や禅僧の力が強い地で、黒田の家臣団は威力を示すために武装して領地に入部した。これを「筑前お討ち入り」といった。とある。

 八木山のことを調べようと思うが、思いがけない故事遺跡を新たに知ってまだまだ時間がかかりそうだ。

平成三十年三月一日

2018-02-18   天気がよくなった。

一昨日の金曜日エッセイ教室だった。

夕方、からは居合稽古に行った。

参加者が少なかった。作法のあと一〇人で基本刀法を始めた。さみしかった。    

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 軒先の巨大なツララ                  中村克博

 今年の冬は寒い。これまでにない寒さだ。雪も多くて先週は断続的だが一週間ほど降りつづいた。風も強く乾いた雪が風に舞い遠くの景色は見えないほどになった。八木山山村とはいっても南国九州なのに、それが軒先にはツララが三mほどにも育って、降り積もった雪は三〇cmをこえた。屋外にとめていた車は雪ダルマになっていた。

 部屋に閉じこもっていては体に悪い。妻と散歩に出た。家から一〇〇mも歩いて国道に出るとそこだけには雪がない。車は通常走行雪景色の中を何事もないように走っている。そのうちに黄色除雪車が路肩の汚れた雪を押して通り過ぎると、そのあとから大きな排土板を付けた黄色い大型の道路作業車が融雪剤の粒を道路一面に撒いていく。国道に雪がないのはこれら作業車のお陰なのでありがたいことだが、大量に撒かれる塩化カリウムかカルシュムはどこに流れていくのだろうか、側溝を通って川に流れ込んでダムに貯められ、しまいには海に運ばれていくのだろうか、もともと同じ塩だ、海に流れれば問題ないのだろうか・・・

 八木山峠を登りつめると国道高原状の平坦な道をほぼ一直線に三kmほど続く、それに沿って流れる八木山川もほぼ一直線だ。川の両岸はコンクリート石垣でおおわれて巨大な農業用水路のようになっていて、所どころに水位を調節する油圧式の水門が設けてある。村を縦貫する用水路の両岸にはシダレザクラが植えられ春にはうす桃色の花並木が延々と続くのはきれいだ。

 すぐに山がせまっているので広大な田園風景とはいえないが、八木山川の両脇は圃場整備によって大きく平坦に区画された田んぼや畑が広がって真っ直ぐな農道や、あぜ道が伸びている。山にかこまれた村で冬は空が明るくなっても日の出は遅い。南にかたむいた太陽は山影から寝すぎたような顔を出す。そして夕方には早々と西の山に駆け込むように姿を消す。短い日照時間を補うのか、ビニールハウスの畑が目に付くようになって年々増えているようだ。

 子供のころは飯塚の市内に住んでいた。そのころ筑豊日本有数の炭鉱地帯で、町は賑わっていた。しかし、小学生八木山峠を越えて福岡の街に出かけるなど一年のうちに一、二度くらいだった。峠の道は折りたたむように曲がりくねった砂利道でバス運転士は腕まくりした大きな腕で大きなハンドル体重をかけるように回していた。狭い道をバスがせり出すように曲がると窓からは崖下に谷底が見えていた。そんな峠道に春には大きな桜の木が真っ白い花を咲かせて、花のトンネルをくぐって通る場所が幾つも幾つも続いていたのを思い出す。

 筑豊炭鉱と言えば当時は戦後復興期を支える貴重な石炭エネルギー生産地帯で日鉄、三井三菱住友古川などの中央資本と貝島、安川麻生、などの地元炭鉱主が石炭を掘りまくっていた。飯塚は遒ピラミッドボタ山があちこちに出来ていた。五木寛之の「青春の門」の背景になった時代だろう。柳沢白蓮の夫で有名になった伊藤伝右衛門はこの時代より少し前になる。

 筑豊で有名な人と言えば麻生元総理大臣、今は財務大臣副総理麻生太郎だろう。彼の父親麻生太賀吉ロンドン滞在中に白洲次郎のとりなしで当時駐英大使をしていた吉田茂の三女・和子と帰国結婚した。それで麻生太郎吉田茂の孫になり明治の元勲大久保利通につながる。妹は故、寛仁親王のお妃になったので天皇家近衛家につながり、今の安倍総理大臣とも縁戚になる。八木山峠を通っているうちに寄り道して、えらいところに来てしまった。迷わないうちに元の道に戻ろう。

 中学生のころ同級生たちと自転車八木山峠を上った記憶がある。市内からどれくらい時間がかかったのか、お昼はとっくに過ぎていた。腹が減っていたが弁当の用意はなかった。水筒もなくて畑の横から湧き出ている水を手ですくって飲んでいた。すると、野良着に草臥れた麦わら帽をかぶった三〇歳前後の若い農夫が竹笊に入ったイチゴを湧き水で濯ぎにやって来た。場所を開けるとそこにしゃがみ込んでイチゴを一つずつ水で洗って砂を落として笊に入れていた。小さなイチゴドングリのような円錐形で、赤く熟れているがヘタに近いところがまだ青いのもあった。天気がよくて空が青かったのを思い出す。小柄な若い農夫は洗い終わると立ち上がる前に、囲んで見ている中学生たちに軽く一掴みずつイチゴを渡してくれた。無言で笑顔もなかったが口のまわりのまばらに生えた髭が優しかった。二つか三つ、小さなイチゴは歯ごたえがあって甘くて少し酸味があって、なんとも幸せな味がした。そのころの八木山の畑は一つ一つが小さくて形もまばらで斜面のあちこちにあった。どんな野菜が育てられていたかは思い出せないが、ビニールハウスはまだなかった。

 そういえば中学校のころ八木山には遠足で何度か登った記憶がある。砂利道は凸凹して車が通ると砂ぼこりで目は開けていれなかった。川も好きなように曲がりくねって川原には葦が広がって川面には至る所に大きな岩が出ていた。田んぼは直線でなく、いろんな形をしていた。秋になると田や畑の畔に彼岸花が赤く咲いて、山裾のハゼ古木に干からびたブドウの房のような実が下がっていた。農家屋根は藁ぶきで、柿の木には実がたくさんで、中庭にはニワトリが数羽、歩きながら地面と突っついて、放し飼いの犬は日なたにまどろんで、おばあさんが孫の子守をしている。

 それから半世紀すぎて、いつの間にか今は村じゅうの田畑が真っ直ぐに張られた金網でおおわれている。畑を耕す耕運機の運転席はガラス張りで空調機がついている。暖房された大きなビニールハウスで作る巨大イチゴは小さな湯呑ほど大きくて赤くてムクムクしてビックリするほど甘い。農家の庭にニワトリはいないが養鶏場工場のように卵を生産している。子守するおばあさんの姿もない。設備のいい近くの老人施設で残りの時間をすごしている。家族単位専業農家八木山から年々少なくなっていくようだ。麻生さん、日本農業をどうするのですかね。

平成三〇年二月一五日

ドッグサークルドッグサークル 2018/02/19 16:39 毎日寒いですね 昔の八木山 なつかしく 思い出しました

千葉の熊さん千葉の熊さん 2018/02/19 17:47 約55年前の事が走馬灯のように走り過ぎ去りましたね!高校の柔道部の合宿最終日は八木山展望台茶屋まで駆け上り、学校に帰ると腹一杯すき焼きをご馳走になった思い出があります。

glucklichglucklich 2018/03/04 21:54 幼なじみは共通の思い出があっておもしろいですね。
あのころとは別の世界ですね。子供たちに話しても小説の世界でしょうね。
すき焼ですか、あのころは特別な御馳走でしたね。
バナナも病気したときしか食べてなかった。

2018-02-10   鵜戸神宮での居合の奉納

鵜戸神宮の例祭に黒田藩柳生新影流の演武奉納があった。

二月一日は鵜戸神宮で最も重要な祭典。皇室弥栄国民の安泰を祈るお祭りです。

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海彦、山彦、伝説の地に建てられた神社。 

山幸彦が兄である海幸彦釣り針を探しに龍宮へ、そこで海神のむすめ豊玉姫命と結ばれたお話。

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大昔からある洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地。宗家による四方払い神事のあと演武がはじまる。

神秘洞窟の中、朱塗りのおごそかな神殿御神体が祀られている。演武はご神体奉納される。

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神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇延暦元年には、

天台宗の僧、光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となった。

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「剣術三大源流」の一つ影流の祖、愛洲移香斎久忠(1452〜1538)が鵜戸神宮洞窟

蜘蛛の変じた老翁から秘太刀の極意を授かったといわれる。

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愛洲の里がある南伊勢五ヶ所浦の歴史資料館に新影流十三代蒲池宗家と後を受けた十四代長岡宗家の若かりし写真が展示してある。

鵜戸神宮神殿裏の洞窟で撮られたこの写真は先代から引き継いだ影流本家の証、鵜戸神宮での奉納はわが道場の誇りでもある。

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黒田藩伝でもある柳生新影流の道場、柳心会の居合演武奉納され、参列者が席について厳かな例祭は始まった。

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神代から伝わってきた霊地での神事は途切れることもなく、今日まで日本人生活の中でいとなまれている。

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この地は平安時代以来、海中からそびえる奇岩怪礁が相まって特徴ある修験道の霊地としても栄えた。

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剣術の源流は修験道と関連があるかも知れない。霊場は初め大和国葛城山を中心としたそうだ。

出羽羽黒山月山湯殿山大和の金峯山、大峰、紀伊熊野山、伊予石槌山摂津箕面山

豊後彦山加賀白山信濃戸隠山などが有名である。

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例祭は終盤になって、参列者の代表はそれぞれ玉ぐしをささげ参拝をおこなった。

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今年もよろしくお願いします。

2018-02-06    雪に閉ざされて・・・

雪が今日も降っている。

雪がこんなに降りつづいた記憶がない。

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家のまわりは雪が膝の下ほども積って車が出せない。国道に出ると雪はなかった。

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20分ほど歩いて農楽園のファーマーズストアまで行くことにした。大型の除雪車があった。

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小型の除雪車が通っていく。しばらくしてもう少し大きいのが塩化カリウムを撒きながら通っていった。

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楽園は雪で休園だった。田んぼも畑も雪で覆われていた。麻生太郎ポスターが頼もしく見えた。

ハナママハナママ 2018/02/09 09:30 今日はピーカンの大阪です。
でも、寒いのは寒い。
私の実家はもう無いけれど大雪に成ってる事でしょう。山陰は浜坂(新温泉町)ですから….

glucklichglucklich 2018/02/10 23:48 そうですね、こちらも今日はいい天気です。
しかし、日曜日からまた寒波がくるそうですね。
こんな季節は温泉、いいでしょうね。

2018-02-05    乾いた雪が降る

雪に閉ざされている。

今朝の雪は凄まじく吹き荒れ、一時は景色が見えないほどだった。

サラサラした乾いた雪で溶けそうにない。

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時間にみるみる積った。外に停めていた妻の車は雪ダルマだった。

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今月の一日に宮崎鵜戸神宮居合奉納があった。

そのときの写真は、道場運営部に提出しているので戻ったら掲載する。

奉納したあくる日の二日はエッセイ教室だった。原稿は1枚だけになった。


思い出せない                   中村克博


 ほんの先ほどトイレに起きるときに壁の時計をのぞいたのだが、それが何時だったか思い出せない。フットライトの薄明りでボーっと見たのだが何時だったか記憶がない。それで枕元の懐中電灯を取り出して壁の時計を一瞬照らしたのだが、五時少し前だった。起きるには早い。もう少し眠ることにした。ところがたった今懐中電灯でパット照らした記憶が、つぶった目の奥に時計映像が数字も針もはっきり見えるのが不思議だった。

なぜだろうと思った。たぶん初めに見たのは数字の記憶なのだろう。次に見たのは映像記憶なのだろう。どう違うのだろう・・・。映像原始的機能だろう。犬や猫や鳥と同じだ。数字は新しい機能なんだ。人間発明したのだ・・・。

いや、そうだろうか、犬も多いとか少ないは分かるようだし・・・。人間も多いとか少ないまでにしとけばよかった。三つ以上数が分かるようになって争いが増えたのかもしれない。

人類は数字を考え出して、それから時間というものを思いついたのだろうか。これから、とか、これまで。のぞみ、とか、おもいで。未来と過去、希望と後悔。予算と結果、評価と達成・・・。とうとう目がさめた。懐中電灯をつけた。五時半だった。

ひょっとして、たいへんな物理先生夜明け前トイレに起きて寝ぼけた頭で時間空間のことを思いついたのかも知れない。人類にとって迷惑計り知れない夜明けのトイレだ。

今日エッセイ教室があるが提出する原稿は書けていない。そうだこの様子を、目がさめたベットでもうろうとする様子を書いてみようと思った。

昨日の夜はくたくたに疲れていた。妻から追い立てられるように寝室に入ったのは一〇時前だった。明日のエッセイには提出原稿なしで参加しようと決めていた。昨日は宮崎から高速道路を飛ばして家に帰り着いたのは日が落ちて暗くなるころだった。この日の朝に鵜戸神宮居合奉納に参加したのだが、前日は民宿に泊まった。九時すぎの遅い夕食に宗家の前に座って、食後の焼酎を飲み過ぎた。僕は日ごろ酒を飲まないのに宗家が大きなコップに氷を入れて鵜戸神宮差し入れの一升瓶からドクドクと注いだ。ところが飲んだ焼酎がうまくて二杯も飲んだ。頭がもうろうとして気分がよくなった。ろれつが回らない経験をはじめてした。おもしろいと思った。何をしゃべったのか覚えていない。右となりに清水師範がいた。ちらりと見ると、むっつり口をむすんでいた。左にいる人に、僕は何か良くないことをしゃべってはいないかと、こっそり聞いた。

「だいじょうぶです。おもしろい話です。もっと話してください」

と言って、若者らしい屈託のない笑顔でそっと言った。

安心して調子乗って、どんどんしゃべったようだ。

何を言ったか思い出せない。

平成三十年二月二日

2018-01-29 新しい車に慣れてきた。

車の慣らし運転で、毎日のように遠出している。

今月の19日に納車されてから街中や山道、雨の日、雪の日、いろいろ走っている。

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先週の土曜日は高速道路杷木の友人宅を訪ねた。

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月曜日の今日は、佐賀鹿島市太良町に出かけた。引き潮で干潟が遠くまで広がっていた。林立する竹は海苔牡蠣養殖のようだ。

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有明海牡蠣が食べごろの季節だった。妻の実家に向かいお線香をあげてきた。土産にオハギのお重と高菜漬けをもらった。