2012-02-19 大雪になった。
2012-02-18 雪だった。
2012-02-17
■[エッセイ]金曜日の午前中は「きらくにエッセイ」の講座にいった。

前回予定していたグリュックのことを書いた。
太りすぎのロットワイラー 中村克博
先ほど僕が食べた頭としっぽと骨しか残っていない鯵の開き、白菜の煮付けと味噌汁の残りもの、それに湯呑ワンカップほどのドッグフードをくわえてお湯を注いだ。ベランダと境のガラス戸を開けるとグリュックが待ち遠しい顔をして見上げた。細かい雨が静かに降っている。僕が顎をしゃくって促すと、思い当たったようにエサ入れを取りに行った。
朝早く立ち寄った友人と座敷でお茶を飲んでいた。目の前のグリュックが左の前足でガラス戸を軽くたたいている。爪の先がガラスに触れて気兼ねそうな音が出る。「入れてくれっち言いようとやろか、外は寒かもんね」といってグリュックと僕を交互に見る。確かに冬の朝に降る雨は雪よりも寒く感じる。と言って犬を部屋に入れる考えはないが、そんなことは口にせず「いや、うんことしっこに行きたいっちいいよると」と言ってベランダのゲートを開けてやった。グリュックはびっこを引きながらもつれたような足取りで出ていった。
六年ほど前の春だった。そのころ僕は手首の骨を四ヶ所も折る怪我をして通院していた。ギブスが取れると指が動くようなので嬉しかったのを覚えている。外科の医者は僕とは幼馴染の先輩で町では犬好きで知られている。その奥さんから声が掛かった。治療が終わって帰ろうとしていた時だった。「中村さん、いま、お宅では犬を飼ってますか」と言った。「いいえ、今は飼っていません」と応えた。「来月はじめ、うちのビービーが子犬を生みます。一匹もらってくれますか」。「えっ、あの、ドーベルマンの太りすぎのですか」と思わず言ってしまった。「ドーベルマンではありませんよ。ロットワイラーです」
予定通りビービーが出産した。十二匹生まれて二匹は死産、二匹は親がうっかり踏んづけて死んだので残りは八匹だった。先輩が選んでくれた。「メスの方が飼いやすいし、骨格がこれはよさそうだ。鷹揚な顔もいい」と。僕もその子犬が気に入った。のんびりしてワンテンポ遅れていた。乳ばなれしたばかりだった。両手に乗るほど小さかった。
ロットワイラーは、ドイツのロットワイル地方原産であるが元をたどればアジアのマスティフ系の犬がアッシリア、ペルシャ、バビロニア、エジプトを経て古代ローマに到った犬種らしい。これはもともと闘犬として使われていた犬である。体が強いだけでなく知能も優れた犬であったため牧牛犬として、更に軍用犬として改良されてローマが北のゲルマンに侵攻するとき従軍したらしい。骨格が大きく頑丈でたくましい体躯をしているが太りすぎると股関節形成不全になりモンローウオークになりやすい特徴がある。
グリュックの体重は現在四五キログラムくらいだろう。去年の夏頃はおそらく六〇キログラムをとっくに超えていたにちがいない。重くて歩くこともままならなかったが、それでも食べていた。というよりも食べさせていた。母やお手伝いおばさんが残飯だけでなく、おやつに饅頭やパンそれに時にはグリュックのために犬用の料理まで作ってたべさせる。「食べさせてはいけない」と言っても聞かない。
体重がピークになった頃だった。体調が悪いので病院に連れていったら腹の中に脂肪の塊があって肉腫のようになっているらしい。さっそく手術をして脂肪の塊を取り除いた。医者は摘出したのを見せてくれた。見たくはなかったのだがそれは一眼レフカメラに標準レンズを付けたほどの大きさだった。食べ過ぎが原因だと医者は言わなかったが、僕は食べ過ぎのせいにして餌やりが楽しみの年寄り二人にそのことを伝えてやった。以来しばらくは二人の餌やりはなくなったが、抜糸もすんでグリュックが少し元気になるとまた僕の目をかすめて以前に増して餌をやりはじめた。
去年の夏だった。あるとき、僕は外出する予定が変更になって座敷にいると母が母屋の勝手口から出てきた。小さな鍋を両手で抱えてグリュックのいるベランダの方にやって来る。杖がつけないのでヨチヨチと用心しながら歩いている。僕がいる部屋のガラス戸は開いていたが網戸は閉まっていた。日差しが強かったので屋外にいる母からは網戸の中は見えにくい。「グリュックぅ、ほぉら、できたよ。おいしいよ。食べて早ぅ元気にならなねぇ」と聞こえる。グリュックがエサ入れをくわえてベランダの手摺にまで運んできた。エサ入れをコトンと置く音が聞こえた。母のニコニコ顔が網戸のむこうに見える。
幼馴染の外科医は以前から「お母さんは年寄りやから言ってもわからんよ。餌はお母さんに任して、あんたが(餌を)やらんならいいよ」と僕になんども日をおいて何度も言っていた。ちかごろは僕もそう思うようになっている。
しかし、母がグリュックに餌もオヤツもやるのもやめてしまって随分になる。いつだったか、母が台所でお手伝いのおばさんと雑談していた。勝手口の引き戸が半分開いていて時おり笑い声が聞こえる。僕は二人から見えないように戸口の外に近づいてグリュックに話はじめた。「おまえ、食べ過ぎて、いつまでも歩けんなら安楽死しかないね、病院にたのむぞ」。二度ほどゆっくり言った。グリュックはじっと上目でそれを聞いていた。
戸口の中にも聞こえたのだろう、二人の話し声はなくなった。僕は静かにそこを離れたが、それ以来母が餌を運ぶのを見たことがない。
あんなことして後悔している。今は母にまた餌を運んでもらいたいと思っている。僕に隠れてこっそり運んでくるのを見たい気がしている。
平成二四年二月一五日
LAKI
確かに犬をよく知らない人が見たら太りすぎのドーベルマンかと思うかもですね(笑)。餌やりはお願いしては?
glucklich
そうですね、母にお願いできればいいですね。
ドーベルマンはドイツ在来の短毛牧羊犬(ピンシェル)にロットワイラー、
テリア各種、ワイマラナーなどを交配して固定に成功したものだそうですね。
Yoko
最後の一行が、とても好きです。
何度も読み返しました。
息子の気持ちと言うか…、すごく良い感じです。
glucklich
そうですか、ありがとうございます。
褒めていただくと、うれしくなります。
調子に乗ってもっと書こうと思うようになりますね。
けなされると、なんとか工夫しようと考えますね。
どちらも、ありがたいけど、やはりほめられたほうが、いいね。
2012-02-15
■[映画]昨日、天神で映画を観た。「キツツキと雨」いい映画だった。

なにがどう、いい映画だったのか分らんけど、いい気分になる映画だった。
雨でも… きっと晴れるさ。 日本の木こりには面白い人がいるようだ。
キャスト: 役所広司、小栗旬、高良健吾、臼田あさ美、古舘寛治、黒田大輔、
監督: 沖田修一
後からじ〜っと効いてくるような、重たいけどいい映画だった。
この時代のイギリスの政治の形態は今とはずいぶん違うようだと思った。
それまでの貴族の政治からアメリカ流の民主主義への転換期に起きたできごと、
国の政治を司る人も、日常の人々の出来事も、振り返れば同じように切ないのだろう。
そして、現代はアメリカ流の資本主義のデモクラシーが転換期の名残りを止めようとしている。
1993年のイギリスの映画。カズオ・イシグロの同名の原作小説「日の名残り」を映画化したものである。
アカデミー賞では、主演男優賞、主演女優賞、美術賞、衣装デザイン賞、監督賞、作曲賞、作品賞、脚本賞の
8部門にノミネートされた。
2012-02-04 凍りついている
2012-02-03 ツギハギ・エッセイ
■寒い、昨日の夕方、八木山はマイナス7℃だった。

記憶では、これまでの一番低い気温だったと思う。昼間は雪がかなり降った。
いっとき晴れて太陽が照った時もあった。そんな時の雪を何とか雪というらしい。忘れた。
陽が照って雪が舞うのは美しかった。
椿に雪はよく似合う。・・・!!、そんな言い方はおこがましいか。椿に微笑まれる。
■[エッセイ]今日は「きらくにエッセイ」の受講日だった。

雪のためにエッセイ教室には行くことができないと思っていた。
昨夜はそう思っていたので提出する原稿は手付かずのままだった。
グリュックのことを書こうとしていたが出来ていなかった。
ところが、朝になると積雪は大したことはない。行けそうだ。
それで急遽、鵜戸神宮の奉納を記事にすることにした。
これまで三年、三度、奉納に出かけたのでブログの書き溜め文がある。
それをツギハギすればなんとかなりそうだ。
雪が積もった道をゆっくり下りて国道に出た。
国道は除雪の管理がよくて雪はない。
今日のエッセイはツギハギだった。
鵜戸神宮での居合の奉納 中村克博
二月のついたちの日は宮崎県の日南市にある鵜戸神宮に柳生新影流は演武奉納をおこなう。この日は鵜戸神宮にとってとくに縁のある日で皇室の弥栄と国民の安泰を祈るお祭りであると鵜戸神宮のホームページに書いてある。神武天皇の父君、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)はここの洞窟でお生まれになったと伝えられる。神社のご創建は、第十代崇神天皇の御代とされる。
この日のために二台の車に分乗して宗家や師範たちにしたがって前の日から一路南に九州自動車道をひた走った。
鵜戸神宮は剣法発祥の地でもある。足利時代に剣法の達人と云われた相馬四郎義元が「念流」を、さらに愛洲移香斉が「影流」を鵜戸神宮での神示によって創始した事によると伝えられている。例年、祭典前に福岡藩伝柳生新影流の奉納が行われる。福岡黒田藩伝柳生新影流兵法は第十四代宗家長岡源十郎鎮廣氏がつとめている。福岡藩伝、柳生新影流と徳川将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)、同じ柳生でも、影と陰、が異なっていて、その根拠には未だに定説はなくていろんな説明がある。
居合の奉納は一人三本づつの個人演武と他に組み太刀がおこなわれる。道場での稽古とは緊張の仕方がちがう。真剣勝負とまではいわないが昇段試験よりも身が入るのはたしかだ。何しろ神様にお供えする演武なのだから。我々の出番が終われば、それからは厳かな神事がはじまる。神事は様々に粛々と続く、海風が吹き込んで寒いが、終わるまで動かずにじっと耐えるしかない。
影流・陰流の始祖愛洲久忠(移香斎)の出自とされる愛洲氏は、太平記などによると建武年間に熊野(紀伊)愛洲氏と伊勢愛洲氏に分かれたとされる。伊勢愛洲氏説は延元二年(一三三七年)北畠親房卿等と共に南朝を支えた伊勢神宮神領奉行職・愛洲忠行の一族とする説。熊野(紀伊)愛洲氏説は、熊野(紀伊)水軍で海運や海賊を生業とした一族で熊野灘に面した志摩国五ケ所に進駐したと云う説とがある。伊勢神宮と海運、どちらの説でも愛洲移香斉が鵜戸神宮で修行した事とは何となく繫がりそうな気がする。この時代、商人、大名のほか神社もお寺も明との海外貿易を盛んに行っていたらしい。我が国からは、 硫黄、銅などの鉱物、扇子、漆器や屏風などの工芸品のほか軍需製品である刀剣が大量に輸出されていた事は多くの古文書でしられている。貿易の相手国に製品と一緒に運用方法を輸出する事は古来も行われていたようだ。現代では新幹線の車両や原子炉などと一緒に、その運用や保全のシステムをセットで輸出する。おなじように室町・戦国の時代に刀剣は重要な輸出品であったなら、その使い方、兵法などの運用ソフトとノウハウをセットにして行う商法は有効だったはずだ。剣豪は実は海外貿易のセールスマンだったのかもしれない。
影と陰。昨年の奉納で鵜戸に来たときだった。中国語に知識のある師範が面白い話をしてくれた。影、かげ、これを中国ではイン(YING)と発音するらしい。陰、かげ、これを中国ではイン(YIN)と発音するそうだ。後に「G」が付くかどうかの違いだが、何度聞いても僕には違いがわからない。 であれば当時のセールスマンにも聞き分けのできない人がいた可能性はある。影と陰。案外に単なる聞き間違い、書き間違い、だっただけなのかもしれない。それでも元々の文字は、意味は、どうだったのかの疑問は残る。
式典はすすんで、詔(みことのり)が神官によって奉読された。意味不明なのりとごとの文言を聴きながら、日本人とは何だろうと思った。日本とはなんだろう、と思う。うつらうつら思っていると舞楽・納曽利(なそり)の奉納が始まった。 愛洲移香斉は「影」をどんな意味で使ったのだろうか、 やはり気になる。鏡に映る姿は実態ではなく影というが、はたしてそうなのだろうかと思う。あんがい影こそが、自分では気づいていない本質を見せているのではないのか、移香斉が鵜戸の岩屋で開眼したというのはそう言う事かもしれないと思った。敵の本心を見抜く、自分の本当を知る。それは自分自身を守ることになるのだろう。後世、活人剣は人を活かすものというが、その前に自分が生き延びる手立こそ本義なはずだ。影、と陰、本来同じ意味なのだ。広辞苑を引いてみた。日・月・灯火などの光。月影とは月の光のこと、水や鏡の面などにうつる物の形や色。とある。新影流の「影」のことを考えていたら、神社の御霊代(みたましろ)に鏡が使われている理由に思いが馳せた。
きっと、鏡そのものがご神体ではないのだろう。鏡の前に座って、そこに映っている自分自身を見つめる。表面だけでなく、そこから自分の本当の姿をみつめる事なのかもしれない。自分とは何か、を問い続ける事が鏡に映る自分の影の意味なのかもしれない。
今年も僕は海上安全のお札を買って帰った。なにしろ、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)をお生みになった豊玉媛は海神の娘だ。ギリシャ神話で海神はポセイドン、その娘はガラティア、別名をアプロディーテー、英語ではビーナスという。ビーナスに思いを寄せたアドーニスという青年がいたらしいが、アドーニスは狩猟の最中に野猪の牙にかかって死んだ。という。影流は摩利支天を信奉する。摩利支天、この守護神はイノシシに乗っている。何とも伝承とは入り組んでややこしいもんだと思う。
平成二四年二月三日
glucklich
寒いですよ。まだ冬ですからね。
マイナス16度はどんなでしょうね。
福岡も昨日は川を薄氷が流れていたそうですよ。
ソウルの漢江は氷が厚くはって歩けるのでしょうね。
nampoo
素晴らしいエッセイですね。この作品を読んだら私の十数年の文章修業はなんだったんだろうと思いました。しかも急遽、作品にして出されたとか、これから文章を書いて行くことに疑問を感じましたよ。文才のなさをしみじみ噛みしめています。
glucklich
ご無沙汰しています。
引越しうまく進んでいますか、はやく出てきてください。
昨日は2月14日、午前中は箱嶌先生の四柱推命の講義に、
昼から映画を二本見ましたよ。面白かったです。
2012-02-01 鵜戸神宮に柳生新影流の奉納
■[居合道]鵜戸神宮に柳生新影流の奉納をした。

天気予報では雪だったが雲ひとつなかった。暖かだった。ありがたかった。
神殿が建立されて数千年、愛洲古伝影流の奉納を五百年、ありがたいことだ。
今の宗家は先代のお供で鵜戸神宮に奉納をしてから二〇年を超えるのだろう。
宗家とマイク師範、マイクはアメリカから居合の修行に来て二〇年を超える。
演武の前にお払いを受ける。朝の日差しが差し込んで、さすがに神々しい。
宗家は四方祓いの後、居技を数本、奉納された。
師範の人たちの個人演武が奉納された。
マイク師範の演武、まるで天空の雲龍に向かって神事をするような古武士の荘厳さを感じた。
女子部師範と井釜剣士の木剣組太刀、うまいと思った。信士が司る天覧試合のようなの演武だった。
昨年の国家的な惨事をいたみ、今年の五穀豊穣と国家の安寧をねがった。
舞が奉納され演者が退場したあと、
皇室からのお供え物が届けられ、
関係者の参拝が続いた。
式典の後お昼をいただいた。
奉納された太刀が会場に展示してあった。
宗家は宮司さんにご挨拶された。
2012-01-30 グリュックが頑張っている
ドッグサークル
わんちゃん、心配ですね・・・
やはり、食べたい時たべさせてあげたいですよね。
でも、過保護になりがち・・・その辺が難しいですね。人の子供も一緒だけど・・・
早く、元気なグリックちゃん見たいです。
LAKI
食欲旺盛みたいですね。ひと安心です。
またグリュックに八木山を先導してもらって散歩したいです。
glucklich
心配かけて、お気遣いありがとう。
おかげで、二月一日現在、かなり良くなっているようです。
食欲は死にかけていても忘れないようです。
まだ外への散歩はできないようですが、愛想はふりまきますよ。
nozaki
グリュック、股関節痛めていたんですね。。。早く、減量成功させて春には八木山を駆け回り側溝にザブザブ入っていって欲しいデス☆でも、変な病気じゃなくて良かった。。。
glucklich
かなり体重は減っていますよ。
去年の夏、いやその前の年の春にはすでに股関節を痛めていたようですね。
僕は気づきませんでした。散歩で歩くのが遅くてきつそうだったのに。
あの頃から後ろ足に無理が来ていたのだろうと思います。
そのころ、僕が気づいていたら、もっと早く減量にとりかかったのに。
申し訳ないと思いますが、仕方ないです。
でも、まだ6才です。きっと良くなります。
心配してくれて、ありがとう。。
2012-01-27 グリュックの試練
かず
グリュックが心配です。
グリュックがメロンを拾い食いして具合が悪くなってる夢を見ました。
拾い食いは辞めたほうが良いって言う予知夢かも。。。
病院に連れて行って下さい。
足のトゲが取れてないのかも。。
心配です。
glucklich
そう、そう、です。
散歩のときいつも畑の白菜やカブやキウイなどをたらふく食べていました。
帰ると家の人々が決まった食事以外にたらふく食べさせています。
太り過ぎは良くないですね。
足の刺はとっくに治っていますよ。
心配かけて申し訳ないけど、食べ過ぎ太らせ過ぎを
もう少し深刻に考えて対応しなかった飼い主の責任です。が …
It's too late グリュックがたくましければ克服できるよ。
2012-01-26 寒い朝
LAKI
ありゃりゃ!グリュック元気ないですね。
体の調子悪そう。一度、病院に連れて行ってはどうでしょう。
賢いですがココ痛いあそこが痛いとは言えませんので。
Yoko
私もそう思います。
お忙しいとは思いますが、水が飲めないほど悪いのではないかと心配です。
グリュックも歳なので、夜は湯たんぽか何か必要なのでは?
犬ってネコと違って、湯たんぽはいらないのですか? 無知ですみません。
でも、病院には連れて行ってあげてください、心配です。
与作
生き物はみな人間と同じで馴染んだ気候に順応してしまいます。
私は、以前、野良犬の犬小屋にホッチキスでビニールを張ってあげていました。
出入口の下を20センチほど開閉するようにしておけば勝手に潜って出入りしていました。そうして囲っておけば中が犬の体温で温まるようです。また、眼やになどが出ているときは風邪をひいていることがあります。
glucklich
グリュックは元気がありません。
散歩に行こうと言うと、いやがります。
しつこく誘うと左手を上げて、痛い、痛いと、そんな顔をします。
仮病かと思ったら、キンカンの木下にビッコを引いて歩いていきます。
キンカンの実が落ちているのを知っていて、食べています。
>私もそう思います。
僕もそう思います。
水は、水入れ(以前いただいた炊飯器の中窯)の水が凍っています。
それで、飲もうと思っても飲めません。自然は厳しい。
時々、牛乳やスープを温めてのましていますよ。
湯たんぽ、!!そんなのはお祖母さんでもしないよ。
しかし、母の飼い猫は電気カーペットの上に寝ていますね。
困ったことです。猫は過保護です。
ロットワイラーは北国ドイツで2000年生きてきたので、
と思っていたけど、そおうですね。動物は環境に順応するのですね。
そうか、考え違いをしていました。
明日から、犬小屋の毛布を増やしてやろうと思います。
目やにが出ています。風をひいているのでしょうかね。
生姜の汁でも飲ませてみます。
2012-01-25 雪が積もった
2012-01-23 日差しをさえぎる
2012-01-21 系統は同じなのに
■いつもの散歩道に枝垂れ桜の並木がある。

数年前に老人会の人たちのボランティア活動で植えられた桜だ。
順調に育っている。十年もすれば八木山の風物詩がまたふえる。よく見ると育ちがまちまちだ。
見れば曲がって、素直でないのもあるが、かえって力強くもある。写真で比べてみようと思った。
一段と豊かに育っている桜がある。それらは植えられた時期がもっと早かったのだ。
これまで気に留めなかったのだが、写真を撮っていて気づいた。
中には発育が悪く苗木のままのような小さな桜の木もある。
始めは同じ苗木だったはずなのに、なぜ、こんな格差ができただろうと思った。
苗木そのものに原因があるのか、植えられた場所に関係するのか、わからない。
はじめは同じ親の木から生まれたのだろうに、ま、しかし先のことも解りはしない。
2012-01-20 庭の木を切った
■[エッセイ]今日は第二金曜日、午前中は「きらくにエッセイ」の教室に行った。

前回は授業初めの日を間違えて、これが今年初めての提出になった。
庭の木を切った。 中村克博
木を切ろうと思った。敷地の南側にある杉の木立で根元の直径が四〇センチから六〇センチほどのが二〇本ばかりある。高さは十メートルをゆうに超えて高いのは二〇メートルくらいもありそうだ。夏なら木陰は日差しを優しくするし見た目にも涼しいと思うが実はそうでもない。夏の太陽は真上から指す。木の真下にでも行かなければ日除けにはならない。目の前に立ちはだかるばかりで圧迫されそうな鬱陶しい感じさえする。以前は見えていた竜王山から流れるように続く稜線の峰も全く目に入らない。昔は春が近くなると遠くの山の斜面に山桜の枝が色付いてくるのがよくわかった。冬場の今はありがたいはずの縁側の日溜まりも無くなって久しい。それにお天気な日、洗濯物を干す場所は日差しを求めて年々洗濯機から遠くに移動する。これは何としても切らねばならない。
チェンソーのエンジンを掛けようとスターターグリップを先程からなんども引いているがエンジンはプスッともいわない。スターターのケースを開けたり、あちこちいじってみるが見当がつかない。このチェンソーはドイツ製のSTIHLというメーカーのもので寒冷地に強いそうだがエンジンが掛からなくてはどうしようもない。思えばこれは買った当初からエンジンの掛かりが悪かった。一度始動してエンジンが温まれば後は調子がいいのだが僕がやるといつも掛かりが悪い。そういえば使い始めて二年になるのにまだ説明書を読んでいなかった。昔から何台も使っているので今更と思いながらページをめくっているとマスターコントロールレバーの位置について書かれている箇所が目に止まった。いわゆるチュークレバーの扱い方だがよく読むとこの部分の操作が適切でなかったのがわかった。あらためて書いてある通りにすると一発でエンジン音が鳴り響いた。気分が良くなった。
エンジンのかかったままのチェンソーを持って時々「ブー、ブブー」と空吹かししながら木立に近づいていった。天気はいいし風はない。どれから切ろうかと思う。切ってから倒れる方向を考えると電線がある。椿や蝋梅などの庭木を痛めそうだし母屋の屋根でも直撃すれば瓦が割るくらいではすまない。その時の母の怒り顔が目に浮かぶ。よく考慮して見ればどれも僕の手に余るほど大きいのに気づいた。以前にはよくやった木にのぼって高い細い部分から少しづつ刻んでいく方法はどうだろうかと思ったが止めにした。落ちて足でも痛めたら喜ぶ奴が多過ぎる。歳をとると冒険をしなくなるようだ。面白くないがこれが分別なんだろう。しかし止めにすると言っても今更その気になっている体の勢いがそうは収まらない。何か適当なものはないかと チェンソーを「ブー、ブブー」といわせながら庭を歩いていた。母家の北側に樅の木やモッコクそれに椿などが軒先を超えてこんもりと茂っているのが目に止まった。
木の高さは平屋の屋根の棟よりも低い。頃合な相手だがチェンソーでは鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いんと言われそうだ。チェンソーを置きに戻って代わりに片手ノコを持ってきた。脚立も運んできた。始めにモッコクの前にある山椒の枝を落とした。誰が植えたのか自然に生えたのかは知らないが年々伸びて軒先をはるかに超えている。家の北側に場所を得たので日光を求めて上に上にと細い枝が真っ直ぐに束になっている。この時期に葉はない。刺があるので触ると痛い。台所に近いので葉っぱや実を料理に使うのに便利だが日当たりが悪いので美味しくないだろう。八木山は山椒の木は土地に合うようでいくらでも大きなのがある。いっそのこと、すりこぎにすれば大小いくつもいいのができそうだ。それでも腕ほどの幹を根元から切ろうかと思えば踏ん切りがつかない。
モッコクは木に登って思い切って枝を落とした。お手伝いさんが通りかかったので剪定の具合を問うと「いい感じよ。明るうなったがぁ」と言うのでさらに登って思い切って枝を落とした。枝の先に実の弾けたあとの殻が沢山付いているので襟首からそれが入ってくる。あたかもモッコクが作業を阻んでいるような気がした。抗えば反動がおきる。手の届かない上の方だけ残してほとんど葉の付いた枝は切り落とした。木の上から見て周りの見晴らしが良くなったが下から見上げるとモッコクは柱のようになった。
椿は一段と茂っていた。遠目には赤い花がチラチラするだけだったが登ってみると青い葉っぱに隠れて硬いつぼみがびっしり付いていた。ノコを当てた枝をよく見ると少しピンクに色づいたつぼみもたくさんあって忍びなかった。ためらいながらも枝を切った。ひるまずに小ぢんまりと整えた。切り落とした枝が小山のようになったので、翌日つぼみの付いたのを切りそろえて生け花教室に届けたらとても喜ばれた。
次の樅の木に取り掛かかるころには夕日がかなり傾いていた。まだ枝を落としていない木の上にいて少し休んでいると母を訪ねていた弟の娘が帰っていくところだった。声をかけると一瞬戸惑っていたが落ちている枝に気づいて笑顔で上を見た。「おじちゃん元気ね。木のぼりが好きなんやね。またね」といって車のドアを閉めた。それから樅の木をかなり切ったが日が落ちてしまった。残りは明日にしよう。それに切るときには枝ぶりも考慮しようと思って木から降りた。次の日は雨だった。
二〇一二年一月一九日
与作
sthihlはドイツ製ですね。このチエンソーは海抜の高い場所では、エンジンを三分くらい温めないと調子が悪いです。どうかすると、点火プラグが濡れてしまいます。
今日から、我が家は5人家族になりました。女房が半野良犬を連れて帰っったのです。捨てて来い!と怒ったら、犬はクンクン泣いてすがるし、女房は泣きべそをかくし------。人間二匹、犬二匹、猫一匹です。みんなでお布団で寝ています。
LAKI
いいエッセイですね(生意気にスミマセン)。分かりやすくて情景が目に浮かんできます。
敷地内のレイアウトも知っているだけになおさら心境が分かりました。
glucklich
sthihlはドイツ製ですか、スエーデンかと思っていました。
スエーデンはハスクバーナですね。そうですか、ブログを訂正します。
犬猫と一緒に寝るのですか、僕には考えてもみないことです。
グリュックが部屋に上がると蹴飛ばしてやります。
エッセイ、ほめてもらってうれしいです。
エッセイを書くのは誰かに見てもらいたいからだと思います。
すべての創作や演奏もそうだと思います。ありがたいです。
nampoo
久しぶりにエッセイ拝読いたしました。庭の木を切りながらも作者の優しい気持が現れたいい文章ですね。懐かしかったです
glucklich
引越しの作業順調ですか、時々は休養しながら、のんびり、
お茶でもすすって、気分を変えて書き物をするのはいかがですか、
大先輩に褒めていただくと励みになるます。
2012-01-16 筥崎宮
与作
東郷平八郎と乃木大将、坂の上の雲で見ました。
マオの上下、アマゾンで注文しました。読みはじめたばかりですが、おもしろいですね。勉強になります。私のSFこれに負けないくらいおもしろい作品に仕上がりそうです。
えいちゃん
昨年11月に久しぶりに箱崎宮に行って来ました。箱崎宮はいろんな歴史があるんですね。文永弘安の役で元寇を追い出して以来、敵国降伏の看板なんですよね。
日本が朝青龍や日馬富士の先祖と戦っていたなんて、驚かされます。
glucklich
与作さんのSF小説、どんな話が展開するのか、楽しみです。
いつかは乃木大将の軍人として正当に評価の高い
歴史小説を書いてもらいたいです。
永ちゃん、福岡に帰っていたのですね。
筥崎宮、立派な御宮さんですね。
神社やお宮に参るといい気分になりますね。
2012-01-14 お茶の初稽古だった
2012-01-13 不抜心勝
2012-01-07 お参り
LAKI
朝早くからお邪魔しました。
寒い中でしたが和やかな散歩ができました。
グリュックの歩き方が少しぎこちないので心配です。
賢いだけに悟られまいとしているのでは?
花・佐助
昨日はお邪魔いたしました。
もっと寒いかと思っていましたが、あのキーンとした感じが何とも気持ちよく
いい運動ができました。
豪快に転んだせいか、筋肉痛が…(笑)
glucklich
早朝の山の空気は冷たいけど気持ちがいい散歩ですよね。
グリュックは太りすぎて体調を壊していた時期がありました。
食べ過ぎは不健康の元ですね。
適度な食事で時には一食抜くのもいいかと思います。
キーンとした冷気が気持ちいいですね。
少し過保護かと思いましたが、
転んだ時でも犬だけは安全に掲げているのは感心しました。
新年にふさわしい写真が撮れていいタイミングでした。
黒い雲間から光が差してくるのは神秘的ですね。
2012-01-02 新しい年がはじまる。
■福岡黒田藩伝柳生新影流の奉納が香椎宮であった。

曇り空に時たま霧のような雨が漂っていた。
今年は現在の長岡鎮廣氏が第一四代宗家を継承して一五年になる。
居合の奉納の前に神事が行われた。
御幣が鈴の音と共に振られ宗家は額づき榊を供された。これまでを深謝しこれからを祈願をされたのだろう。
全員で刀を捧げ神殿に刀禮をして、宗家の四方拂の儀式が行われた。
僕は演武の最初に出してもらったので参加者みんなの写真が撮れた。剣士の技もいいが迫力ある写真になった。
上手な人は技にメリハリがある。緩急と間が一連の動きの中に流れる。
一瞬だが目は剣の動きに先駆けて敵をとらえ見据える。目玉が大きいので参考になる。
女性剣士の技はしとやかなさまがある。しかし、斬る気配を隠すのなら面妖でもある。
高段者の演舞だが刀の動きは目に止まらない。真剣であんなことよくできるもんだ。と密かに思ってしまう。
藤田師範は流派の技の奥深いところを見せている。めったには見れない。
宗家とマイク師範の斬試があった。真剣の示威運動ではない。大切な神事だとおもう。
活人剣の演舞。兵は不祥の器なり、切るとばかりおもふはひがごと也、
さらに、懸待一如、有無の拍子、水月、心を返す、などと続くがその意味は
柳生但馬守宗矩が起こしたという『兵法家伝書』を見ても僕にはまだわからない。
勅使が使う有り難い建物を提供された。新影流は大切な伝統文化なのだ。
頭山満の揮毫した書が架かっていた。左の文字は何と読むのか、
宗家と師範が口をそろえて、忠孝と読むと。すでに忘れられた言葉だ。
戦後六六年たった。そろそろ根っこがあるのを思い出してもいい頃だろう。
2012-01-01 元旦
■元旦は曇り空ときおり小糠雨がただよっていた。

年賀状を書かなくなって20年ほどにもなる。年々いただくハガキは少なくなった。
始めは祝い事を慎むとの理由もあったが、それもなくなったのに書かなかった。
来年からは年の瀬の習慣として復活して続けようと思った。魔王とやらはよく効く。
夕暮れ前、いつも散歩で通る神社へお参りした。昨日の大晦日にもお参りした。お礼参り。
神殿の裏の方にも歩いてみた。隅々まで綺麗にほうきの跡が残っていた。
ときどき参拝者が登ってきた。一人また一人、見かけたことがない若者だった。
居合の練習に使う刀の鍔を取り替えた。自宅用の真剣は龍の浮き彫りのにした。
模擬刀には平安城の鍔を着けてみた。気分が新たになりそうだ。
えいちゃん
明けましておめでとうございます。
いい年にしたいですね。本年もよろしくお願いします。
nampoo
明けましておめでとうございます。
昨年は忙しい時期に色々ご迷惑お掛けして申し訳ありませんでした。
今年もよろしくお願いいたします。
ご健筆期待しています。
LAKI
明けましておめでとうございます。
今年もブログを楽しみに拝見させていただきますね。
iriina
明けましておめでとうございます。
いつも楽しみに拝見しています。
今年も期待していまーす。
glucklich
ありがとうございます。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年一年が良い年でありますように、おいのり申し上げます。
2011-12-29 刀のバッグ
■[居合道]日本刀のキャリーバッグを作ってもらった。

友人から革製品の製作工房に連れていってもらって注文していた。
数日前に出来上がって、刀を収納してみたが具合がいい。
バッグには刀が二ふり収納できる。
僕はまだ道場では模擬刀を使用している。
自宅で一人稽古をする時には用心して真剣を使う。
真剣を使うと、なぜかわからないが稽古が丁寧になるようだ。
ポケットが付いていて刀の登録証や鑑定書が入るようになっている。
目立たないが簡単な肩にかける紐が付いている。
昨日の夕方、同じ友人から今度は刀の研師のところへ連れていってもらった。
研ぎの話の後、数振りの現代刀を見せてくれた。
大切っ先で刃文が大きな、清麻呂写しだそうな。
現代刀は案外に価額が高く値も下がらないようだ。
同じ価格なら現代刀の方が時代をへた刀より押し並べて品質がいい。
古刀は往年からみれば今は破格の値段になっている。
実戦で使われた古刀は研ぎ減りして草臥れているが歴史を含んでいる。
2011-12-27 朝早く電話が鳴った。
■弟の息子からだった。窓を見ると朝日が差し込んでいた。

「おじさん、ただいま、昨日の夜、帰りました」
「そうか、おかえり」と応えた。
うれしかった。たった一言の電話でも嬉しいもんだ。
お茶でもいれようかと思っていると、また電話が鳴った。
いきなり喜び声で「今朝の新聞に載りました」と聞こえた。
「へぇ〜、それは良かった。よかったねぇ」と応えた。
「友人から、おまえ新聞にのっとぉぞ、っち、電話がありました。
いま見たら、のっとります。あぁ〜、うれしいです」
僕もうれしかった。いい気分で母屋に母の新聞を見に行った。
夜、友人夫婦と食事をした。奥さんにシャンペングラスをプレゼントした。
小さなグラスに託した途方もなく大きな感謝の気持ちだった。
nampoo
私も記事読みました。神崎氏は良かったですね。
これから書かれる励みにもなるでしょうね。おめでとうございます。
済みませんが25日に誤って同じ文章が二つ載っています。
お手数ですが一つを消していただけませんでしょうか。
LAKI
木こりのハーレー乗り、やりましたね!
グリュックも元気そうですね。また近いうちに冬の八木山散策に伺います。
菰田の住人
先日はお世話になりました。
楽しい時間でした。
。
時々、ヨガにもお世話になりたいと思っています。
色々と繋がりが出来ていいですね。
木こりの方、どんどん頑張ってほしいですね。
そして、お母さんの椅子、素晴らしいですね。
お母様の喜ばれる様子が想像できます。
もういくつ寝るとお正月。
なんだか、妙にお正月が待ち遠しい気分です。
みんなが集まるからでしょうか?
glucklich
箱嶌さんが九州文学に掲載されたり、それが西日本新聞の記事になるのは、
さもありなんと敬服するのですが、
木こりの「小説家書き」が歴史のある同人誌に入会と同時に取り上げられて、
それがまた地元紙に紹介される、とは近しい人だけに驚きです。
世の中に埋もれている才幹はあるもんなのですね。
木こりのハーレー乗り、やりましたよ。
びっくりやら、うれしいやら、これからが楽しみです。
グリュックも元気です。寒くなるほど生き生きしてきます。
菰田の住人さん、来年からはヨガに出てきてください。
65才からの若返るヨガをみんなで研究しましょう。
いずれ、木こりの小説家の講演をみんなで聞けるようになればいいね。
2011-12-25 クリスマス
■23日は雪だった。

この冬初めての冠雪だった。
八木山の朝は気温マイナス2℃だった。犬は元気が出るようだ。
畑の白菜を食べるが、節度があるようで外側の捨てられた葉っぱを食べている。
しかし、知らない人が見れば、犬にそんな配慮があるとは思わないだろう。
雪の朝には焼き芋がうまい。
石油ストーブにダッチオーブンをのせて20分でいい匂いがする。
お茶室に置く母の椅子が出来てきた。
桜で作ってくれた。絹糸杢では普段は素材の色をそのままにオイル仕上げが多いのだが、
今回のこの椅子は茶室に合うように色を考えてくれた。
いい感じに完成した。母も気に入ってくれた。 キズはあえて残してある。
24日は山小屋に泊まった。
25日、八木山でヨガの後パーティがあった。
暖炉をたいたが寒かった。エアコンが冷房になったままだったのが終盤にわかった。
nampoo
素敵な椅子が出来上がりましたね。和室に自然に調和していますね。茶室の入り口にお座りのワンちゃんかわいらしいです。雪が積もったなんてびっくり!
寅
お母さんに良く似合う椅子ですね。私もそんな物がつくればいいけど、、、
船のインテリアはハルよりはるかに難しいんですよ。
glucklich
いい具合に出来上がりました。
はじめは「茶室に椅子ねぇ〜〜」といぶかっていましたが、
事情を説明すると木工所のオヤジさん茶室の現場にまで見に来てくれて、
ほんとに良く作ってくれました。母も喜んでありがたいです。
寅さん、ディンギーを造る腕があるのだから、
椅子も作れるよ。 腕も大事だが心も大事だと分かったよ。
いい作品は何でもやはり心が大切なんですね。
2011-12-21 絹糸杢で茶室の椅子を
■絹糸杢(木工所)に椅子の制作をお願いしている。

茶室に椅子をね…といぶかしい様子だったが、
作業に取り掛かれば仕事は早い。それまでの思案に日数がかかる。
母にプレゼントしようと思う。お茶の稽古は3時間以上続く、その間の正座は僕には難行苦行。
僕は時々母の目を盗んで、上体は真っ直ぐに足だけを後ろにヨガの要領で伸ばしている。
母は指導中は作法をしないので長い時間ほぼ正座のままで動かない。
絹糸杢はデザインを考えるに茶室の現場まで来てくれた。彼も茶道の嗜みがある。
息子のプレゼントなら「茶室に椅子など」とは言わずに座ってくれると思う。
作業場での工程は仕上げに入っていた。微妙なカーブは小さな鉋を少しづつ丹念にかける。
小さな鉋はいく通りも大きさや形の違うものがある。鉋が使えないところは切り出しを使う。
23日の夜には出来上がるらしい。 24日の朝にどんな具合か座ってもらおうと思う。
ドッグサークル
お母さんお元気で良いですね。
いつまでも親孝行してあげてください。きっと喜ばれますよ・・・
nampoo
よい椅子が出来ていますね。
きっとお母様はお喜びになるでしょう。すわり心地がよさそうですもの。
massi
小振りないい格好の椅子ですね。ここは広いんですね。暖房は入っていないんでしょうか?両手で使っておられる道具はナイフかと思いましたが、よく見ると鉋のよう、、、。始めて見ました。
glucklich
母は元気です。畑仕事もします。
白菜や大根、カブ、それに、あんこ餅のアズキは自家製でしたよ。
高尾(石川)さんはヨガに来ています。時々母から野菜をもらってくれます。
良い椅子ができましたよ。
おかげで、いいクリスマスのプレゼントになりました。
お茶の稽古の間これに座ってくれれば疲れが少ないと思います。
絹糸杢の作業場は木工機械や材料が置いてあるますが、
わりと広々しています。まさしさんは行ったことがなかったですかね。
今度おいでの時には行ってみましょうよ。
2011-12-20 池に氷が張った
■今朝は一段と寒かった。

目が覚めると背中が涼しく感じた。
寝台の床が板格子なので寒気を受けているようだ。
ベランダに出るとグリュックはねぐらから出て待っていた。
この犬は寒いほど元気が出るようだ。
池が凍っていた。
2011-12-19 天気がいい。
2011-12-18 忙しい日だった
■木こりの小説書きがハレーでやってきた。

響きのある音をこだましてやって来た。
天気は良かったが山は零度にちかい。 「寒かったろう」と言うと、「いいや、」と言う。
濃いめのミルクティに蜂蜜をいれてだした。熱いのをおいしそうに飲んでいた。
マフラーを交換したらしい。なるほど、
今日のエンジン音は遠くから近くなるのが良くわかった。
同じ時間に同級生がパソコンの設定にきてくれた。
僕には仕組みがわからない。パスワードもわからない。
NTTやOCNから送られた書類もわからない。友人は呆れて困っていた。
時間はかかったが夕方までに完了した。
友人が作業に四苦八苦しているあいだ僕は横で本がよく読めた。
この本は面白い。エッセイ教室の先輩にすすめられたのだが、
人に勧められる自分で普段h読まない系統の本は新鮮にかんじる。
LAKI
うん、確かに書類がないと設定のしようがありません…木こりにハーレーに小説家、異色でかっこいい!
nampoo
木こりの作家さんはイメージ通りの方でした。
オートバイには全く疎いのですが、ハーレダビットソンンは知っていました。かっこいい!!
「精姫様一条」の下が金色の扇だなんて glucklich 様のセンスが光ります。
glucklich
送られた書類が見当たらなくて、パスワード、何でも最近パスワードですね。
こんな困った人は多いようで、友人は電話で調べていました。
電話は中々継りませんんね。待つ時間が長い。本人確認が厳しいですが
思ったより簡単でしたよ。 後日郵送でお知らせ、などはなかったです。
glucklich
nampooさん、精姫様一条、面白かったです。
時代考証も江戸の街の地図や様子も正確なようで、
あたかも今そこに住んでいる人が書いたようです。
杉本章子の本を他にもっと読んでみたくなりましたよ。
いつか皆さんがこちらへおいでの時に木こりの物書きさんを呼んどきますね。
黒いハーレーでやってきますよ。
和恵
私は池上永一のテンペストを読みました。
幕末の琉球王国が舞台の話です。
琉球王国の滅亡までの物語です。
お勧めです。
glucklich
読みかけの本が数冊あるのでそれが読み終えたら
そのテンペストという本を貸して、読んでみます。
2011-12-17 一年のおさめ頃
■[居合道]居合は昨日が稽古おさめだった。

午前中はエッセイ教室に行った。
寒かったが参加者は多かった。この冬一番の寒さだがいつもの冬はもっと寒い。
一年間、みんなにお世話になった。 宗家がマイク師範になにやら教授していた。
女子部長が今年最後の指導をしていた。
「参る・・・」 「いざ・・・」
宗家の手厚い教えに、 師範のつつしんでうやまいひたむきな心構えを感じた。
500年練磨された型はうつくしい。
それを体が表現して精神は時代につながるのだろうが、
そうなるまでには長い絶え間ない修練があるのだろう。
■[エッセイ]昨日、「気楽にエッセイ」の教室に出かけた。

山は小雪がちらついていた。 天神は小雨だったが強い北風は冷たかった。
今回のエッセイはこんなだった。
「ゆうメール」で届いていた。 中村克博
八木山の自宅に帰りついて、車のドアを閉めると外は意外と明るかった。吐く息は白かったが寒くは感じなかった。顔を上げると大きな月がかかっていた。上半分は雲に隠れて下の半分にも薄い雲がたなびき始めていた。今月は十日が満月だったので一三日の今日はまだまん丸に近いはずだ。ベランダを通ってグリュックの犬小屋を覗いたが真っ暗だった。毛が黒いので暗闇との見分けがつかないのだ。僕が夕暮れ時を過ぎて帰宅するとグリュックは出迎えてくれない。「グリュックただいま」と言っても鼻も鳴らさない。いつもなら夜遅く帰っても小屋の中から鼻くらい鳴らして応えるのだが今日はそれもなかった。
自分の部屋に入って明かりを付けると「ゆうメール」で書籍のつつみが届いていた。送り主は神崎猛、田川郡香春町… とゴム印が押してあった。ほう、彼は香春町に住んでいるのかと思った。宛名の名前が間違って「克彦」になっている。僕は退職してから名刺を持っていない。すでに五年になるが不都合を感じたことはなかった。時々名前を間違われるがそれは仕方がないと思っている。この人と初めて名前を交わしたのは今年の五月の初めの頃でそれから夏が過ぎ秋が過ぎて山はすっかり冬になった。神崎さんはハーレーダビッドソンのオートバイに乗ってやて来る。風防のないネイキッドタイプで飾りのない黒い精悍なデザインだ。がっしりした体型に口ひげを蓄えて顔の見える小さめの黒いヘルメットを被っている。
林野庁の「森林・林業再生プラン」では、平成三〇年の木材自給率を現在の二四%から五〇%にする計画らしい。そのためだろう今年のはじめの冬が終わる頃から八木山でもあちこちの山からチエーンソーのエンジン音が聞こえていた。その音がだんだんに我が家に近くなって。四月になると木を切る人の姿が家の庭から見えるようになった。ついには顔を合わせるようになって挨拶から言葉を交わすようになった。その人が神崎猛さんだった。はじめのうち二人の会話は森の話や山の話だったが、バイクの話から互いの家族の話になって、実は彼が若い頃から小説を書いていることを打ち明けた。
つつみ紙を開いて本を取り出した。「九州文学」の二〇一二冬号、平成二四年一月一日発行と表紙に印刷されていた。目次を開くと小説のジャンルの中ほどに神崎たけし「帰郷」とある。本の中程に親指を入れて数枚ずつページをめくった。二一九ページだ。
「倒産寸前の運送会社を畳み、家も土地も何もかも売り払って債務を完済すると、通帳には僅かな残金だけが記されていた。」
すでに草稿のコピーで何度も読んでいた冒頭の書き出しだった。こうして製本されているのを読むと全体の内容まで違っているような感じがした。木こりの神崎さんがこれまでに書き溜めている小説はこの他にもかなりあるようだ。そのうちの幾つかのコピーした原稿を今年の春ころ読んだことがあった。今回九州文学に掲載された「帰郷」もいいと思ったが、ほかに二編印象に残っているものがある。
題名は伏せるが、それは田川の香春岳城が落城するまでの城下町での出来事を書いていた。室町時代の頃だ。町役場で史実を調べて、土地の古老の記憶する昔からの言い伝えを聞き集めて、城あとの発掘をするために金属探知機まで買い求めるような人だ。
さらにもう一編は、筑豊の石炭産業が隆盛だった時代から半世紀も過ぎ去ったころの遠賀川流域での出来事をハードボイルドな筆致で軽妙に書き進んでいる。主人公の少年を軸に話が展開されていくのが裏社会の話を陰湿にしていないのだろうと思った。木こりの小説家、神崎たけしの何編かを読んでみたが、どの作品にも推理小説のような趣向があるようだ。
神崎さんは五十歳前後だろうか、若い頃から一人で少しずつ書いていたようで、これまでどこにも所属したことがなかったらしい。ほんの数箇月前に九州文学の同人会に参加して作品が取り上げられたのだから長年の想いが叶えられて嬉しいだろうと思う。
二〇一二年 一二月 一五日













































































































































































































ヒョウタンの下半分のように見えますが、とても磨き込まれた良い色と艶ですね。
春が近いって感じられます。
ユウガオ、ヒョウタン、トウガンなどの総称とありました。
そうです、ヒョウタンの花いけです。 ヒサゴというのですね。
瓢箪の酒とっくり、いいね。 欲しくなったよ。
サカズキもヒサゴの小さいので作ったのがいいですね。