ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中はエッセイ教室だった。

平戸の二の姫が芦辺にやって来た。

アテナの銀貨                  中村克博 


夜は明けても日差しはなく外は薄暗かった。昨日までの天気はかわって雨がしとしと降っていた。流れるほどではないが軒先を雨のしずくが連なっていた。芦辺の屋形の厨房はおおぜいの厨女(くりやめ)が立ち働いて忙しそうだ。野菜の塩漬けを樽から出して運んでくる人や大きな甕(かめ)から梅干を取り出している人、土器に盛られた味噌を竹の皮に小分けする人、そして、いくつもの竃(かまど)の湯釜の上には甑(こしき)や蒸籠(せいろう)がかけられ勢いよく湯気を噴き上げていた。
年増の厨女が竃の薪をととのえながら、
「平戸を夜明けん前に出ても、こん風じゃ昼をかなり過ぎるばい」
そばで若い厨女が炭壺の蓋を開けながら、
「囚われておった芦辺の水夫が一緒だそうですが」
「三人らしいが、どなたたちやろな」
「小早船を五艘も仕立てて来るようですが」
 そのとき、竃の中の燃えさしが弾いて赤い炭が飛んできた。
「わぁ…」と若い厨女が声をたてて顔をふせた。
 年増の厨女は何事もないように、
「そんうちの二艘は芦辺の船じゃそうな」と火箸で燃えさしを炭壺にいれた。

 そのころ、為朝の居室で惟唯と次郎それに丁国安が煎じ茶を飲みながら談笑していた。為朝のそばに女の宮司がいた。
宮司は火桶の茶釜に水瓶から一杓すくって、
「平戸の人たちは、この雨では難儀でしょうね」
「風が弱かで櫓を使うておるでしょうな。はなからの予定なら数日速く天気も良かったんやけど、この時期は崩れると長雨になりますな」と丁国安が茶をすすった。
「しかし、兵衛が無事とは…」と次郎がありがたそうに言った。
 丁国安が目頭をあつくして、
「黒崎兵衛、船頭の技量だけでなく、水夫に慕われております」
「そうか、そのようだな」と為朝がいった。
「私を博多から壱岐に初めて運んでくれたのは兵衛でした」
「そうであったな、惟唯…」
丁国安が鼻をすすって、
「大怪我をした行忠様を博多に運んだのも黒崎兵衛でした」
 次郎が思い出したように、
「黒崎兵衛、先代までは黒鳥と称しておったようです。壇ノ浦合戦のあと黒崎に名を変えたと聞いております」
「そうか、みちのくにゆかりのある者かもしれぬな」と為朝がつぶやいた。
筑前の大島に親族がおりますが…」と次郎が為朝を見た。
「大島に流された安倍宗任の郎党かもしれませんね」と惟唯が為朝を見た。
 為朝がさもありなんと、
源頼義に滅ぼされた安倍頼時の子で、父や兄が戦死したあとで降伏し許された。このとき宗任を都まで護送したのが源義家で我が祖父にあたる。死一等を減ぜられ伊予の国から筑前の大島に流された。今から百五十年ほども前のむかし話だ」
 むつかしそうに話を聞いていた丁国安が、
「長い年月で血縁は入り乱れ今や安倍の血は平戸松浦にも流れておるようです。いずれにしろ黒崎兵衛は蝦夷武者の流れをくむ」としめくくった。
「そうですね。むつかしい話よりも、今日は惟唯さまが平戸の二の姫さまと初めてお会いになる日でございます」と宮司が言った。

 まもなくして巫女の案内で、開けられた障子から丁国安の妻たえが立ったまま顔をのぞかせた。立ったままで部屋に二三歩はいり、正座して為朝にかるく頭をさげ挨拶の口上をのべた。
「作法も心得ず、おゆるしください」と丁国安が笑顔でいった。
 たえが不機嫌な顔になって、
「どのような決まりがあるのですか、南宋の流儀は知りませんよ」
「いや、その、京風というか…」
 たえは膝を突いたまま爪先を立て膝行して丁国安のそばに胡坐をかいて座りなおした。
「これでいいですか」と笑いながら亭主をみた。
「京で、私は片膝を建てておりましたよ」と女の宮司がほほえんだ。
 閉口している丁国安を見て為朝が、
「は、は、は、京でも内々ではもっと気楽にやっておったよ。それに、ここ壱岐や博多には南宋イスラム琉球も高麗も熊襲や隼人までおるでな、は、は、は」
 たえは思い出したように正座に座りなおして、
「先ほど早馬で知らせがありました。平戸の小早船五艘が壱岐の南端、海豚鼻の沖を通過したとのことです」と為朝を見た。
次郎が惟唯を見て、
「この風では、あと、ふた時ほど、正午はかなりすぎますね」
「昼からは吹きまっしょ」と丁国安が障子をあけて空を見ていた。
 惟唯がたよりなさそうに、
「私は芦辺の屋形にいつごろ参ればいいでしょうか」
「松浦の姫の準備ができて、案内がまいるとぞんじます」とたえが微笑んだ。
「私が一人で参るのでしょうか」
 為朝が笑いながら、
「わしも行って見たいが、あいにくこの世に居らぬことになっておるでな」
 丁国安がおどけるように、
「先ほどの話では、平戸松浦の姫は安倍一族の血統らしい。宗任の兄、貞任は背丈が六尺を越え、腰回りは七尺四寸という巨漢だったそうな、眉間に八寸の鉄釘を打ち付けて柱に懸けられたそうな」
 聞きながら、そばで妻のたえが怒り顔で、いらぬことを言う亭主をにらんでいた。惟唯はこうべを垂れて、為朝は中空を見ていた。

 平戸からの五艘は壱岐の東端に腕のように突き出した左京鼻を縦列に、まわろうとしていた。強い西風が壱岐の丘陵をかけおりて雨が激しく筵帆に吹きつけていた。岬に沿ってそのまま進めば芦辺の浦にはいれるが西風に向かうことになる。
「姫さま、いかがいたしますか」と船頭が聞いた。
 聞かれたことには答えず艫屋形から出て風の方を見ている。冷たい雨が顔を打つが大きな目を開いて地形を見ているふうであった。
烏帽子はかぶらず潮焼けして明るい茶色になった長い髪が濡れ、風に重たく流れていた。二艘目が岬を回って筵帆が風に合わずしばたいていた。
「しばらく北にもどしますか」船頭はやきもきしていた。
「いや、帆をしぼれ、このまま芦辺にはいる」
 船頭は甲板の水夫に大声で指示を出した。舵取りは了解し帆に合わせて舵を動かした。後続の二艘目もそれにならって帆をしぼり北西に舳先を向けていた。

 芦辺の浦にはいると風はおさまり海は静かだったが雨は変わらずにふっていた。五艘の小早船は次々と帆を降ろして両舷に四人ずつ八丁の櫓をだして進んだ。芦辺から一艘の艀が出てきて先導していた。
桟橋に二艘が接岸して他の三艘は離れて碇を降ろした。待ち構えていた芦辺の水夫たちが、投げられた綱を受け取り船を引き寄せて杭に舫った。
平戸松浦の武士たちが船から下りてきてその場を固めた。みな侍烏帽子をかぶり直垂に佩刀していたが雨はさらに強くなってずぶ濡れだった。
 二の姫が下りてきた。武士と同じ直垂を着ているが被り物も佩刀もなかった。桟橋に立って動かずに道の先を見ていた。芦辺の屋形が見える。さらに目で道をたどると丘の上に騎馬武者が三人、雨にかすんで小さく見えていた。
お付の者が二の姫にこがね拵えの毛抜き型太刀を着装した。もう一人のお付の者が烏帽子をすすめたが断って歩き出した。芦辺の水夫たちは桟橋の端によけて頭を下げて並んだ。

 三人の騎馬武者は雨にうたれていた。次郎は右手の手綱を左手に持ちかえた。すでに肩の傷は治り右腕を首から吊っていた白い布はなかった。
 次郎が横にいる惟唯に、
「先を行く三人の武士のあと、烏帽子のないのが二の姫ですね」
「そうだな…、いま後ろの船から下りてきたのが兵衛たちだな」
「芦辺の者たちが取り囲んで騒いでいます」
 次郎がもう一人の騎馬に声をかけて、
「行文、もどって殿にありさまを伝えてまいれ」
「まて、まて、体が冷えてきた。いっしょに帰ろう」と惟唯が次郎を見た。
                          平成二十七年四月十五日