ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

朝雪が降ったが昼前にはやんだ。

目がさめると雪が降り続いて3cmほど積もっていた。

昼前には降りやんだので散歩に出かけた。
ヨガ教室を休みにしたが、この雪なら休みにしなくてよかった。


先日のエッセイ教室に提出したのは、


アテナの銀貨                  中村克博
 

綸旨を読み上げた後、勅使は為朝の言葉を待ったが為朝は無言であった。勅使の一人が為朝をうながすように口を開いた。
「明日より始まる船荷の陸揚げがすみ、出立の準備ができしだいご同行くださるよう」
 為朝は何も応えない。風の音も波の音もしない。
 しっくりしない雰囲気がただよいそうだった。
静かな天幕の中に丁国安の声がした。
「はばかりながら、ご勅使とは思いもよらず、わきまえのない応接の不作法お許しください」
 それを聞いて月読の女宮司が微笑んでいた。
 四人の賓客は、こぞって丁国安を見た。
「勅使と分かっておれば、上座にお座りいただいたものを…」
「いや、いや、我らは朝廷からの使いではありますが勅使ではありません」
 丁国安は為朝の様子を見たが、為朝は目をつむっている。二呼吸ほど静かに息をついて待つが何も起きない。となりの女宮司を見るが微笑は消えていた。妻のタエはと顔を向けると、ぷいと鼻をそらされた気がした。話の糸口を作ったのだが…、
あとの助け船はないようだ。
「しかし、先ほど読まれたものは綸旨ではありませんのか」
「あれは、朝廷の切なる願いでありますが、御内印も御名もありません」
 丁国安はさすがに、しゃべり過ぎている、と思ったが、
「それでは、参内せよとは、どなたさまの願いでありますか」
「むろん、さるお方で、ございます。我らをその密使とお心得ください」
 丁国安はまた為朝を見たが先ほどと変わらない。切れ長の目はつむっているようで少し開けているようでもある。何も言わない。
 そのとき、丁国安の妻、タエが、
「なぜ、参内をのぞまれますのか、我らも京まで一緒ですか」
 丁国安が妻を制するように小声で、
「これ、さしでがましい振る舞いですぞ」
「しかし、理由もわからず、何をお受けできますやら」
「これ、おだまりなされ、無礼であろう」
 この一言で、場がまたしても静かになった。天幕の中は音がなかった。
 ぎこちないやり取りのあと、朝廷からの使いの者は為朝を見たり、右を見たり左を見たり、そわそわ頭が動いている。精一杯おごそかに振る舞おうとするさまが気の毒に思えた。
 すると、月読の女宮司が、床几を降り敷物に直接座って勅使に両手をついた。
「このたび鎌倉殿が思わず身罷られ、宮廷は動揺し都では三左衛門事件のあとも騒動が絶えず、院中警固軍陣の如し、と聞きます」
文官の一人が、
「さようです、いつまた騒乱が起きるやもしれず、朝廷は武士の動員をはかるにも平家が滅び源氏は鎌倉を動かずで、朝廷には直属の軍も、それをを束ねる将軍もおりません」
 文官のもう一人が、
北面の武士は忠勇無双なれど、いかんせん勢力がたりません」
「それで、西面の武士団を編成する計画があります」
 月読の女宮司が顔を上げて、
「それで参内せよとは、西面の武士を差配するためですか」
「お持ちしましたご書面には参内するようにと書いてあるだけです」
「そうですか、都大路の警備なら検非違使もおりましょうに、ただ参内せよと…」
 二人の文官は共に頭を下げて、
「こたび、私どもは、ご書面をお持ちする役目で参りました。何とぞ、大御心をおくみになり参内いただきますよう御願い申し上げます。我ら軍勢は京までお供致するため参りました」
 月読の女宮司は床に座ったまま両手をついて為朝を見上げたが、為朝はかるく目を閉じて口は結んだままであった。天幕に風が流れて灯台の炎が大きくゆれた。
 みんなは為朝が何か言うのをまった。
 為朝の顔が灯りにゆらいで見える。
 為朝が口を開いた。
「あい分かった。咄嗟のことにて考えが及ばぬ、ところで、後ろの二人は武士のようであるが、馬には乗れるのか」
 二人は、いきなり声をかけられ、二人一緒に、
「は、はい、乗れます。このたびも騎馬でまいりました」
「ほう、そうか、琵琶湖はどうした」
「は、はい、琵琶湖は船でまいりました」
笑い声が聞こえた。五人の巫女が口を手でかくしていた。
「む…、そうであろう、馬では渡れぬな。馬も乗せたのか」
 若武者はちらりと笑い声の方を見て、
「いえ、馬はおいてまいりました」
「そうか…」
 もう一人が、
「京から大津まで騎馬で、そこで馬は帰して船に乗り、塩津浜からは代え馬です」
「そうか、ところで、そこもとたちは、わしがわかるのか」
 言われて、一瞬戸惑いをみせたが、
河内源氏、八郎為朝様でございましょう。鎮西総追捕使様でございます」
「おぬしら保元の乱の頃はまだ生まれてもおるまいに」
「はい、祖父が崇徳上皇方についておったようです」
「ほう、それが敵方、後白河法皇の孫にあたる後鳥羽上皇武者所におるとな」
「はい、祖父は上皇方ですが父は後白河天皇についておりました」
「そうか、お前の家もややこしいのだな」
 気になるのか、若武者は巫女を見て、
「敵味方になろうとも朝廷の御ため、戦に引けは取りません」
「そうか、しかし、その朝廷が割れては、国が乱れるもとだな」
「うみ行ゆかば 水み漬づく屍かばね やま行ゆかば 草くさ生むす屍かばね おおきみの 辺へにこそ死しなめ かへりみはせじ であります」
「なんだ、それは…」
万葉集のなか、大伴家持の歌だそうですが」
「そうか、長い書き物の一部だけを切り取っては、意味も変わるのではないか」
「長うたとも、言立とも、聞きましたが全文を見てはおりません」
「そうか、戦を美しく語る者を信用するな。やつらは決まって戦場にはいかぬ者たちだ」

                               平成二十八年二月四日