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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう 八十

 

貝原益軒を書こう 八十            中村克博

 

根岸は下宿先の久兵衛を訪ねていた。天気はいいが青い空がすこし霞んでいた。二人は縁側に座っている。近くの桜が屋根の向こうに見える。花びらがこちらまでちらちら散ってくる。ときに風が強く吹くと花びらは部屋の中まで舞い込んできた。

 久兵衛が湯呑にはいった花びら指でとりながら、

「花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる」とくちずさんだ。

 根岸はそれを聞くと空をのぞいて、

「霞んではおるが雨はふっておらんよ」と真顔でいった。

新古今和歌集にある歌ですが誰の作かわすれました」

「そうか・・・ 昔の平安時代のやまとうたか・・・」

 久兵衛はお茶をひと口飲んで、

後鳥羽院のころ鎌倉時代のはじめです」

 下宿の娘がお盆に菓子皿をのせてやってきた。二人のあいだにお盆をおいた。

「八刻です。おやつをどうぞ、黒砂糖をからめて、おいしいですよ」

 久兵衛が「これは、めずらしい、かたじけない」と礼を言った。

「根岸さま、久しぶりですね。ほんとにながくお見えになりませんでしたね。どこに行っておられたのですか」

 根岸は黑い駄菓子をつまんで口にいれて顔をほころばせた。

「油でこんがり揚げたイモムシのようだが、うまい」

 久兵衛がサトを見て、

「サトさんも一緒にお茶を飲んでお菓子を食べませんか」

「そうですか、ありがとうございます」

 サトは二人のうしろにまわって座敷にあがり、「おじゃまします」と敷居の前に二人に向かってすわった。

久兵衛は座を立って鉄瓶からサトのお茶をいれている。

 根岸が菓子皿のお盆をサトの前にうごかした。

 サトは菓子をつまんで半分口にいれ噛んだ。カリッと音がした。

根岸はお茶をごくりと飲んで、

「うまいでしょう。近ごろは黒砂糖がでまわって、甘い世になったもんだ」

 サトは菓子の半分をもったまま、

「いえ、いえ、黒砂糖は私どもには貴重でめったに手にはいりませんよ」

「そうですか、台湾や厦門では露店で籠に入れて売っていたが・・・」

「えっ、根岸さま・・・ ながいあいだ、そんな遠くに行っていたのですか・・・」

 根岸はキョトンと自分の言ったことに気づいて、とまどった。

「なにしに、そんなところにお行きになっていたのですか・・・」とたたみかけるようにサトが問いただした。

 久兵衛がサトのお茶を小さな盆にのせてサトの横においた。

 サトはおじぎをして、

久兵衛さま、根岸さまは海をわたって台湾、高砂の国に行かれたのですか、どんなところかお聞かせください」

 久兵衛は笑って、

「そうですか、それは私も聞きたいもんです。根岸殿お願いします」と言った。

 根岸はは話をそらそうと、

「先日、黒田藩邸で口外無用の役目を申しつかってな」

「どんな、お役目ですか」と久兵衛とサトは同時にたずねた。

「じつは、ちかごろ、京の街中で辻斬りがあるそうです。それで拙者に下手人たちを成敗するように申し付かったのです」

「えっ、辻斬り仲間の成敗を、根岸殿が一人で・・・」

「いや、手立ては、まかされておる。事件の記録もあるので、まずは状況の下調べをして、策をたてねば・・・」

「手伝ってくれるか」と久兵衛を見た。

 サトは驚いて、

「辻斬りのうわさは私も聞いています。根岸さまが、それを成敗されるのですか、それはたのもしい・・・」と胸に両手をあてた。

久兵衛は菓子を手にしていたが、

「今どき辻斬り征伐など・・・ たいへんなお役目ですね」と言った。

 根岸は菓子をバリバリ食べて、

「戦はなくなって剣術は無用になって、活人剣などと、禅の坊主が柳生の殿様に諭しておるそうだ。なのに・・・ わけがわからん」

 久兵衛が気の毒そうに、

「私も沢庵禅師の不動智神妙録や玲瓏集とか太阿記をよんで、剣術はそして刀は武士の精神に、禅的な存在になるのでしょうか・・・」

「わけがわからん」と根岸は久兵衛を見た。

 サトが神妙な顔になって、

「武士は民の手本になる生きかたをすることがお役目になるのではありませんか」

 根岸が考えるように、

「武士は国を守ることが、親や家族を守るのが、主君の義に殉じるのが役目と・・・」

 久兵衛がたしかめるように、

「武士が守る国とは何でしょうか、国土とか領地、そこに住む臣民ですか・・・ 」

根岸がこたえて、

「いやそれだけではない。ご先祖や、今につづく歴史とか受け継がれる習慣とか心もだな。それに、季節のうつろいも木や草の植生も、人のいきざま、きずな、もだ」

 サトが、

「いただく食べ物も、お芝居や踊りや、茶とかお花のお稽古ごとも」

久兵衛が言った。

「領土や民は目で見える。しかし民の心が侵略されるのは見えません」

「そうか、心の侵略を防ぐことも武士の勤めというのだな」

令和六年四月十九日

貝原益軒を書こう 七十九

 

貝原益軒を書こう 七十九            中村克博

 

 根岸と佳代それに松下は平戸の船の船長や船乗りたちに別れを告げて大坂奉行の小早船に乗りかえ大坂城に近い船着き場に送られた。三人はほとんど口をきくことはなかった。さきほどの平戸の船でおきた騒動をまだ引きずっていた。ときおり薄雲の間からさす朝の日差しが温かで顔に当たる風がここちよかった。城の石垣がだんだんと近くなって見上げるようになるころには気分が穏やかになっていた。

三人は船を下りた。松下はその足で大坂奉行所に出向き根岸と佳代は伝馬船に乗りかえて三十石船の駅に向かうことになる。

陽が雲に入って風がひんやりしていた。根岸と佳代は松下に別れの挨拶をしたあとも別れづらくて三人は無言で動かなかった。根岸と松下は互いにほほえんでもう一度かるく頭を下げた。すると佳代が二三歩すすんで両手で松下の左手をとった。たまっていた涙がぽたぽたと地面におちた。

松下は佳代の肩に右手でふれて、

「名残惜しいがきっとまた逢えますよ」といった。

 根岸が松下を見てさわやかな顔で、

「お達者で、ごきげんよう」といった。 

 

根岸と佳代は三十石舟の枡席にすわっていた。淀川の流れに逆らって曳舟人夫が五人ほどで曳いていた。船は道頓堀の船着き場に着いた。下船客が数人おりた。新しい客が乗り込んできた。そのなかに足のおぼつかない老女が娘に連れ添われていた。二人は根岸たちの枡にはいってきた。根岸と佳代は体をよせて席をあけた。

 佳代が思いだしたように、

「朝勝さま、あなた様に初めてお会いしたのはこのような三十石船で京に行く道中でございましたね。あれから、ほんとにいろんな出来事が・・・ 夢のようです」

昼になると、わんこ舟が近づいて船のまわりをまわってにぎやかな掛け声をだしながらおにぎりや弁当を売っていた。

佳代がうれしそうに、

「ひさしぶりの日本の食事ですから、たくさん買いすぎましたね」

 根岸は梅干しのはいったおにぎりをほおばって、

「いやいや、これくらいが丁度いい」とうれしそうだ。

 

 船は枚方に着いた。佳代はここで下船して、父の宗州が枚方に持っている屋敷にとどまる。屋敷を取り仕切る中年の女はよねといった。三十石船に乗ってから根岸はよねのことが頭から離れない。会いたいと思うが佳代がいるし、行けば泊まることになる。心のうちは会いたいのは山々だが屋敷にあがればややこしい時の過ごし方になる。それで根岸は立ち寄らないことにした。どのように佳代にそのことを伝えるか根岸は考えていた。日差しはあたたかい。佳代はなつかしそうに船からの景色を見ている。

枚方が近くになった根岸は佳代に口をひらいた。

「身共は役目がら一刻も早く京の黒田藩邸に出向いてこのたびの出来事のあらましを家老に報告しなければなりません。それが務めのめりはりです」

藪から棒に話しかける根岸に佳代は、

「しかし、およねさんにも早く無事だったことを知らせねばなりませんよ。それに父の宗州はどこにいるか分からないし、堺の自宅かもしれません。枚方のお屋敷においでならいいのですが、京の町家にいるやら・・・ およねさんに会えばそれがわかるはずですよ」

根岸は額を右手の指でかきながら、

「いずれにしても早く二人に無事に帰ったことを知らせたい。それを佳代さんにひきうけてもらいたい。拙者はお役目がある。それに京の久兵衛殿にも早く会っていろんな話がしたい」

雲行きがかわって空は暗くなっていた。同じようなやりとりがつづいて、佳代は、一緒に枚方の宗州屋敷に立ち寄ってその足で京に上りたい。それができないなら一緒にこのまま京に行くという。それはできない。

それでも、枚方に船が着くまえにどうにか佳代は根岸の言い分に納得した。

風が吹いて雨になりそうだった。

枚方に着いた。大勢の人に混じって佳代は下りた。佳代が岸辺で船の根岸を見ている。新しい客が乗りおえ船が岸をはなれていく。佳代は大きな風呂敷包みを右手にさげていた。二人担ぎの竹駕籠が佳代の側でまっていた。そのようすを見ている根岸の頭には中年女のよねの顔がうかんでいた。船を下りた佳代を一人にして離れるのもつらかった。複雑な自分の心にとまどっていた。気が重くなった。

船は岸から静かにはなれていった。佳代は大きな風呂敷包みを両手に持ちかえていた。おもそうだった。船が進んで佳代の姿が遠くに消えても根岸の複雑な胸苦しさはいつまでもきえなかった。行き交う船の数が多くなった。

 

おなじころ、京の久兵衛は下宿の部屋にいた。座卓の前で資料の書類や書き留めたものを整理していた。庭に履物の音がせわしくして下宿の娘がやって来た。手提げ篭をもっている。

縁側から声をかけ障子を開けてはいってきた。

「めずらしいお菓子をいただきましたので・・・」

 久兵衛は座をたって、

「そうですか、それはありがたい。お茶をいれましょう」

 娘はすわって籠から皿をだして菓子をのせながら、

「おもしろい形をしていますね。ご存じでしたか」

「いや、はじめてです。おひねり、巾着袋のようですね」

「むかし遣唐使が伝えた唐くだもので、千年の姿を、そのままだそうです」

 久兵衛は棚から茶箱をとりながら、

「せっかくのめずらしい茶菓子ですから抹茶を点てましょう」

 久兵衛は火桶の前に座って鉄瓶の湯を二つの茶碗に注いで温めた。

娘は庭の障子を背にして坐って、

「栗、柿、あんずの実を、かんぞう、あまづらで味付けしたこし餡を米粉と小麦粉の生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じ、上質な胡麻油で揚げると由緒書にありました」

 久兵衛は茶碗の茶筅ふりながら、

「どんな菓子でしょうね。きっと奈良時代の味がするのですね」

 久兵衛は娘に茶碗をだして今度は自分の茶を点てていた。

「サトさん、どうぞ先に味わってください」

 久兵衛に名前を呼ばれて嬉しそうだった。菓子には手をつけずにニコニコして久兵衛の所作をみている。久兵衛は少し多めに湯をついだ茶碗を口元に運んだ。

うまいと言った。

「サトさんもどうぞ」

 サトはニコニコしながら、

「ちかごろは、町の人もお茶道を習うことがひろまっています。菓子はお茶の前にいただくのではありませんか」

 久兵衛はゆるりと茶を飲んで、

「そうですか、いろんな作法があるようですね。サトさんと私は好きなように楽しんだらいいのでは・・・」

「そうですね、たのしくいただけばいいのですね」

 久兵衛奈良時代の菓子をつまんで半分口に入れて食べた。

「ほんとに、これは初めての味ですね」

 サトも皿の菓子を黒文字で切って口に入れた。

 

 二人は奈良時代の菓子を食べ茶を飲み終えた。サトは水屋に行って茶碗を洗ってもどってきた。久兵衛は先ほどのように書籍などの整理をしていた。

 サトは久兵衛の前に座卓ごしにすわって、

「きのうはお帰りが遅かったのですね。二条のお城ちかくの講習堂から御所のそばの尺五堂にうつられてから遅い日がおおくなりましたね」

 久兵衛は手を休めて、

「そうですね。尺五先生とも受講生同士とでも議論の時間が多くなりました。朱子学陽明学との違いなど・・・」

 サトは煎茶をいれて、湯呑を座卓に置いて、

「江戸の幕府は朱子学をひろめようとして、陽明学などをよく思っていないようですね。山鹿素行や熊沢蕃山などのえらい先生をいじめるのはなぜですか」

「えっ、そ、そのようなこと、どうしてサトさん、知っているのですか・・・」

「なぜって、久兵衛さんがサトにたまに話してくださっていますよ」

 久兵衛は湯のみのお茶をごくりと飲んで、

「幕府は国の英知を集めて必死になって国政の教義をつくっています。二度と戦国の世に戻さないためです。サトさん、考えはいろいろあっても、幕府の定めが唯一の正義です。それに逆らえば久兵衛切腹になります」

令和六年四月五日

貝原益軒を書こう 七十八 

貝原益軒を書こう 七十八             中村克博

 

 

 検閲船は平戸の船との距離が一町ほどになると取舵で折り返した。折り返すと平戸の船の右舷に並んだがすぐに船足を速めて前に出た。

 船長が松下に、

「弁天船の大きな一枚帆は扱いがむつかしいが幕府の船乗りは巧みな帆さばきをしますな。碇を入れる場所まで先導するようです」

 検閲船は平戸の船を淀川の河口近くに停船させ、接舷して役人が三人乗り込んできた。ひょろりと背の高いのが上役だとわかる。三人は船頭と挨拶をかわして甲板にある船室に案内された。船室に船長、松下、根岸それに佳代も入っていった。応対は立ったままでなされた。

 

 船長はひょろりと背の高い役人に琉球で薩摩の在番奉行所が出してくれた積荷の証明と通行手形を提出した。積み荷の内訳のあらましを話した。松下は大坂奉行の署名のある通行手形と自分を証明する書状を提出した。根岸と佳代は通行手形もなにもなかった。自己紹介もしなかった。

窓の外が騒がしい、多くの役人がこちらの船に乗り込んで十人以上が甲板に整列した。全員帯刀し抜き身の手槍を持っている者もいる。

松下の書類に目を通した役人が、

「松下殿は柳生家のご家臣ですな。大坂奉行の通行手形をお持ちですが、あて先は長崎奉行になっております。これはどのようなことですか」

 松下が役人を見すえて、

「ご不審はもっとも、しかし、これについては内密な役目がありますので大坂奉行に直に申し開かねばなりません」 

ひょろりと背の高い役人は了解したように軽く頭をさげた。

「はい、では、そのようにはからいます」

 窓から室内のようすをうかがう武士がいた。初老で布のしころが付いた陣笠をかぶっていたので顔はよく見えないが高位の役職だとわかる。

 ひょろりと背の高い役人は根岸に頭を下げ佳代を見て、

「そちらの女人、失礼ですが通行手形はお持ちですか」

 佳代は不安そうに松下を見た。松下は笑顔で役人を見て、

「そちらの御仁はこのたびのお役目を仰せつかった拙者の同僚ですが、お隣の女人はその御新造であらせられる」

 佳代は緊張していたが、松下が発した御新造という言葉に嬉しそうだった。

 役人は困った顔をして聞いていたが、

「女手形を拝見するのが決まりになっております」と佳代に近づいた。

 根岸が佳代の前に一歩出た。左手の親指を腰に差す刀の鍔にかけていた。

「申し訳ない。そのようなもの持ちあわせておりません」

 ひょろりと背の高い役人と根岸はしばらく見つめ合った。根岸の目は涼しかった。役人のそれはまばたきしてそわそわと焦点が合わなくなったが、

「それはこまりましたな・・・ 琉球からの船に女人が乗って通行手形がない」

 松下が咄嗟、やりとりにはいって、

「この件も仔細あって拙者が大坂奉行にとくとご説明いたします」と言った。

 ひょろりと背の高い役人は顔だけ松下に向けて、

「そうですか、しかしこれは合点のいかぬお申しようです。松下殿のお役目がご公儀の密命を受けての情況であるとは察しますが、そこに女人がからむとは思えません。女人の移動に制限があるのはご承知のとおりです」

 根岸のうしろにいた佳代が根岸からはなれて、

「ご役人さまの言われるように、私にとががあるとすれば私ひとりの事態、根岸さまには関わりのないことでございます」

 松下があわてた声の調子になった。

「佳代殿、はやまるのはいけません。おまかせください」といらだった。

 佳代は泣き出した。へなへなと座り込んだ。松下は苛立ちから戸惑いのようすをしていた。根岸はどうしたものかと佳代を見ていた。

 松下がひょろりと背の高い役人を見て、

「お役目がらは重々承知しております。しかしこの際はご公儀の意向をお汲み取りください」

「しかし、公儀のお役目に女人がおるとは、どのように考えても・・・」

 佳代が袖口で目頭をおさえて、

「この仕事のはじめには数人の伊賀の女人がくわわっておりました。おなごは私だけではありませんでした」

「なんと、それでは佳代殿といわれるそなたは伊賀の隠し目付なのですか」

 佳代は顔の涙もぬぐわずに、

「い、いえ、ちがいます。わたしは大坂から大勢の人と船に乗って・・・ そのお世話に伊賀のかたがたが、肝煎のお役目の女人がおられました」

 松下が何か言おうとしたが、ひょろりと背の高い役人が佳代のそばに屈みこんで、

「そうですか、たいへんなお役目でしたね。大勢の女人の世話を・・・」

「女人だけではありません。老人も小さな子供たちも大勢・・・」声をつまらせ佳代は顔を袖でぬぐった。

 松下はけわしい顔をして考え込んでいた。

ひょろりと背の高い役人はひょうひょうとした話し方で、

「そうですか、小さな子どもたちまで、船でどこまでいったのですか」

「遠く台湾までです」

「そうですか、そんなに遠くに、たいへんでしたね」

 ひょろりと背の高い役人は立ちあがって松下を見た。

「お聞きのとおり、国外からとなれば職責として見逃すことができません」

 松下は、窓から中の情況を窺っている初老の武士を見てかるく頭を下げた。それから、向きを変えて、ひょろりと背の高い役人の部下二人に向かって、

「ご同輩の詮議は手慣れて感心いたした。しかし、これでは拙者の役目が内密には済みません。もはや切り結んで腹を切るしかない」

 松下はいい終わらぬうちに二人の正面に左手で刀を鞘ごと前に送り柄にかるく右手指をかけ左手で鞘を引き戻して低く抜いた。切っ先が床につくほど腰を落とし右脇に構え左手を柄頭にそえ顔は左に向けてひょろりと背の高い役人の顎の下に目付した。一連の動きが流れるようにうつくしかった。三人の役人は斬られる危うさも分からないように見とれ力が抜けたまま動けないでいた。

 佳代は何がおきたのか訳がわからず目を見開いていてかたまっていた。根岸は先ほどと同じ姿勢で左手は腰元の刀の鞘口を握り親指は鍔を押さえて右手はだらりと自然に下げていた。

 ひょろりと背の高い役人は目がさめた顔をして、

「ま、松下殿、なにをなさる。これでは柳生家にも迷惑がかかりますぞ」

 松下は無言で左足を開いてにじり寄る。背の高い役人は右手を大きく開き前に出した。じりじりとあとずさった。壁に刀の小尻が当たった。

 

「ばかもの~、やめんかぁ・・・」と窓から大声がした。

初老の武士が窓から部屋にはいろうとしていた。体の均衡をくずして戸板をつかんで戸板ごと頭から落ちてきた。二人の役人が駆け寄ってかかえ起こした。布のしころがついた陣笠がおちて転がっていた。

初老の武士は床に胡坐をかいて座ったまま、

「松下殿、その方、拙者に見覚えがあろう」と怒鳴った。

松下は顔だけ声の方に向けた。松下は「はっ」と気づいて体をまわして立膝になって刀を後ろにかくして頭を下げた。

「おおこれは、大久保様・・・ このような失態、お恥ずかしい限り」

「刀を収めなさい」

 松下は納刀してその場に正坐した。

 部屋の者もみんなその場に正坐した。佳代は根岸の横に並んで座った。

 大久保は胡坐で坐ったままおもむろに、

「何から話そうか・・・ いずれも長い話になるが、手短に言えば、松下殿がご公儀からの密命を城代の松平重次様から大坂奉行所で受けたおりに身共がただ一人陪席しておった。そうであったな」

 大久保は松下に同意を求めた。

「はい、おぼえております」とこたえた。

 大久保はみんなを見わたして、

「そういうことだ。検閲の役目も見ておったが申し分ない。松下殿の態度もさすがに柳生家の家臣、おそれいった。それに、根岸殿といわれるか、そなた、ご苦労でありましたな。黒田武士のほまれだ」

 根岸は「滅相もありません」と頭を下げたが、なぜほめられたかわからない。佳代はいまだに何がどうなったか分からないでいたが、とにかくうれしかった。

令和六年二月二十九日

貝原益軒を書こう 七七

貝原益軒を書こう 七十七                中村克博

 

 

 久兵衛太秦広隆寺の山門から境内につづく石畳におりた。空は暗くはないが薄い雲がおおって寒かった。小さな雨粒が漂うように降って羽織を濡らした。佐那は頭巾をかぶってきれ地の傘をさしていた。

佐那がうしろから久兵衛の頭にそっと傘をさしかけた。久兵衛は頭を下げて礼をいった。年老いた門番がくぐり戸を閉じて小走りで近づいて自分の番傘を久兵衛にさしだした。佐那が笑顔でそれをことわった。

久兵衛が手拭いをだして月代をふきながら、

「尺五先生から広隆寺を訪ねるように言われたとき、私どもが・・・ 京都で一番古い寺で後水尾法皇から七大寺に加えられた名刹で、それを参詣できるなど思いもよりませんでした」

 佐那がほほえんで、

広隆寺賀茂社をつくった秦氏の氏寺ですね」

「佐那さんは賀茂社の巫女をしておったそうですが、秦氏とつながるのですか・・・」

 佐那はそれにはこたえず、

久兵衛さまは以前、南禅寺の金地院をおたずねでしたね」

「そうです。そのときは尺五先生の紹介状を持っていきました。金地院も普通にははいれません」

「このたび広隆寺を訪ねるように言われたのは、どのような意図がおありでしょうね」

 久兵衛は先を歩く案内の門番が番傘をたたむのを見て、

「さあ、何をどう拝観するか、見きれないほどの仏像を・・・ 雲が、晴れてきたようですね」

 佐那は傘をさしたままで久兵衛に寄り添って、

聖徳太子さま、薬師如来阿弥陀如来地蔵菩薩さま、それに弥勒菩薩半跏像、私はこの弥勒さまがとても好きです」

「そうですか、 私はまだ、どれも拝観したことがないので・・・ 佐那さんが好きな弥勒様は本殿にあるのですか」

「いえ、本殿のご本尊はたしか、聖徳太子さまか、薬師如来さまだったと・・・ 子供のころだったのでよく覚えていません」

「寺の本尊が取り換えられるのはおもしろいですね。きっと意味があるのでしょうね」

「そうですか、いずれにしても尊くてありがたいことです」

「あぁ、そう言えば、広隆寺弥勒菩薩半跏像は家康公が拝観するために江戸城まで運ばれたと聞いたことがありますが・・・」

「えっ、そうですか・・・ まさか東照大権現様がそのような」

 年老いた門番が本殿の階段には上らずに待っている。

久兵衛と傘に入っていた佐那は後に下がって傘を閉じた。

門番が頭をさげて、

「堂内で上座様がご案内いたします。私はここで失礼します」と言ってもどっていった。

 

 広隆寺の境内をいくつかの建物を案内されて奈良時代から平安、鎌倉の時代の仏像をゆっくり拝観してまわった。佐那はなんども佇んで感涙していたようだが、久兵衛は少々食傷ぎみだった。そもそも堂内が暗くて目を凝らしてもよく見えない。

静まり返った寺で暗い仏像に向き合ってほとんど説明はなかったが無言のながい時間をかけ親切に案内してくれるのはわかった。心眼で向き合うのだろうが、しかし寒かった。尿意が高まって、厠をと思ったが言い出せる雰囲気ではなかった。なぜあんなに緊張していたのかわからない。

 

 帰り道はよく晴れていた。昼はとっくにすぎていたが茶店にもよらずに歩いた。佐那も歩くのを楽しんでいるようだった。

 風がなく冬の日差しを暑く感じた。久兵衛は羽織を脱いで手に持っていたが腰の刀に掛けて手ぬぐいをだして首筋の汗をふいた。

 佐那がそれを見てとがめるように、

「貝原さま、黒田家のおさむらいがそのような格好をしてはいけませんよ」

「あ、ああ・・・ そうですね。かたじけない」

 そう言って羽織に手を通して羽織紐を結んで歩いた。背なの汗を感じていた。

「貝原さま、あそこに茶店がありますよ。喉がかわきましたね」

 久兵衛広隆寺にいるときから喉がかわいていた。茶も水の饗応もなかった。佐那が意外と世話を焼くのがうれしかった。

 

 茶店の中は日差しが明るい土間で暖かだった。畳一畳ほどの縁台が四つほどあって緋毛氈が敷いてある。先客が二組ほどいた。佐那が目の会った客にかるく頭をさげた。それぞれの縁台に炭火が赤い手あぶり火鉢が置いてある。縁台の端に腰をおろした。

 佐那が火鉢に手をあてながら、

「この火鉢は京焼と思いましたが、ちがいますね」

「そうですね。これは唐津かもしれませんね」と久兵衛が手をかざして言った。

「あちらのバンコのは楽焼のようですね。いろいろちがう焼き物を置いてありますね」

「あ、バンコ、京でも縁台をバンコといいますか、長崎の言葉と思っていました」

 茶の入った大ぶりの湯飲みと白い饅頭が運ばれてきた。

 

久兵衛は茶をふーふー息をかけて冷ましながら吞んでいた。

「佐那さんは秦氏の一族なのですか・・・」

 佐那は湯呑を両手で包み込んでいた。

「いえ、私は賀茂の姓です。が、秦氏の血統も入っています」

秦氏賀茂氏は親族なのですね。秦氏は秦の始皇帝の一族で徳川の御代から千数百年ほど前に百済を経由して京の太秦あたりに定住したのですね」

「どれくらい昔かしりませんが、秦氏の先祖は西域の弓月の国から・・・ いえ、もっともっと西の国からきたという出自を調べる神官がいました」

「そうですか、新撰姓氏録には秦氏始皇帝につながると、弓月の君の一族と人民を新羅の国から移住させたとの記録があるようです」

「えっ、新羅ですか、百済ではないのですか・・・」

「そうですね、千年も昔の話です、いろんな説があります。いずれにしても古代に我が国には遠くのいろんな地域からさまざまな民族が移ってきています」

 久兵衛が饅頭を二口で食べおえたのを見て、まだ手をつけていない自分の皿を久兵衛にすすめた。

「そうなのですか朝鮮半島や江南からだけでなく南の琉球をえてジャワや天竺あたりから船でいろんな国の人が大勢でおとずれているのですね」

「そうです。何百年にわたっていろんな人々が民族の単位で宗教と言葉や習慣をたずさえて移り住んでいます。それを受け入れ同化して何世代も幾重にも重ねて一つの民族のように溶け込んでいる。

「ふしぎですね。それで、京にはいろんな由緒の神社やお寺さんがあるのでしょうか・・・ それも、お寺にも鳥居がありますし、神社にも五重塔がありますし・・・」

日光東照宮は家康公を祀ってありますが立派な五重塔が建っておりますね。それに東照宮には秀吉公も一緒に合祀されている」

「ふしぎですね・・・ 由緒のちがう神社やお寺が百年も千年も代々受け継がれて・・・私の祖先は、賀茂氏はどこから来たのでしょうね」

「たしか佐那さんは翡翠でできたうつくしい十字架を身につけておいででしたね」

「はい、子供のころ祖母にいただいたもので賀茂家に代々伝わったものです。今はお返しして持っておりません。徳川さまの御禁制にふれますので」

「徳川家の禁教令はイエズス会などのローマのキリシタンを禁じたもので、千年も前にローマから追われた景教や、まして秦氏賀茂氏はそれ以前の・・・」

「尺五先生が広隆寺を訪ねるように言われたのは、なぜでしょうね。なにか感じられましたか」

「いや、まだわかりませんが、書物を読んだり文献を調べたり、講義を聞いたり意見を論じ合うだけでなく、言葉以外の何かにふれて感じることをさせようと・・・ 言葉ではあらわせない本質を少しでもわからせようと・・・」

 久兵衛は先ほどから壁の隅に掛かっている厠の案内の表示札に目をとめていた。

「佐那さん、ちょっと失礼して・・・」といって席を立った。

 

 そのころ根岸たちの乗る平戸の船は大坂城天守閣がみえる海の上にいた。風は陸に向かっておだやかに吹いていた。弁財船が近づいていた大坂奉行の検閲船だった。

 船長が不安そうに横にいる松下を見て、

「佳代さんを、やはり船底の床下に隠した方がいい。今なら間に合います」

 検閲船は帆の裾をすぼませて巧みに風を上っていた。

 佳代は根岸に寄り添って袖をしっかりつかんでいた。

                            令和五年二月十六日

貝原益軒を書こう 七六

貝原益軒を書こう 七十六                   中村克博

 

 

 平戸の船は日が落ちる前に厦門の港を出た。外海に出ても天気はよく月の夜空が明るかった。西の風が白波をちらほら見せていたが波はおだやかだった。三人は甲板にある船室で夜具にくるまっていた。三人とも話はしないがいつまでも眠れなかった。それでも、いつしか深い眠りについて朝になった。

東の空は朝日に染まってまぶしく遠くの海は黑く輝いていた。船から見えるのは海と空だけだった。波が高くなってうねりがあった。顔が風にあたると射すように冷たかった。これでも南の海かと思うほどだった。船はゆれて部屋の中では立つこともできない。三人とも部屋から出なかった。佳代は船酔いがつらかった。昼が過ぎて二日目の夜が来た。食欲はなく何も食べていなかったが夜はまた朝になっていた。

 

それから昼が過ぎて、海のうねりはおだやかになっていた。佳代は根岸や松下の足袋や手拭いを洗って干していた。室内にわたした紐に吊るした洗い物がゆれている。根岸は横になって肘を曲げ頭をささえていた。することもなく目を閉じたり開いたりしていた。

 佳代が根岸のようすを見て、

「朝勝さま、そんな恰好をしてごろごろしていては体に良くないですよ。外に出て素振りでもされればいいのに・・・」

 根岸は体を起こして胡坐をかいた。

「朝勝さま、などと呼ばれると、なんか妙な気がしますな。今までは根岸殿とかウジとか様とかをつけて姓で呼ばれておったので・・・」

 佳代が小さく笑いながら、

「はは、は、夫婦になるのに・・・、すぐに慣れますよ」

 根岸は小首をかしげて、

「実は根岸という名も、父上が黒田家に仕える前の姓で、黒田家からは信太と書いてシノダと言う姓を頂いております」

 佳代はおどろいて、

「へぇ、そうなのですか、では私は根岸佳代、または信太佳代、どちらになるのでしょうね」

 

 操舵室で船長と話をしていた松下が部屋に帰って来た。

「部屋はありがたいですな。操舵室は吹きっさらしで寒い、寒い」

 佳代が火鉢にかかった鉄瓶から湯をそそいで、

「ほどよく湯が沸いています。さむかったでしょう」といって、大ぶりな木椀を手わたした。

 松下は湯の入った木椀で手を温めながら船長からの話を二人に報告した。

「明後日には那覇に入港しますが、我らの上陸はできないようです。薩摩の琉球在番奉行から検閲役人が船に来て取り調べがあるようです」

 佳代がびっくりしたように、

「えっ、なんと・・・ 上陸もできないのですか」

「当初は長崎に入る予定でしたが、それが平戸にかわり、さらに琉球になりましたな。長崎奉行あての通行手形は用意しておったのですが、まして、琉球になるとは・・・」

 佳代が心配そうに、

「それで、積荷の交易はどうなります」

「それは、できそうです。船長はこれまでにも何度か琉球には来ておるようです。在番奉行所には二十人ほどの薩摩の役人がいて顔なじみも多いそうです。奉行とも面識があると言っとりました」

「それでは、私どもの品物も売れるし、琉球での買い付けもできるのですね」

「あ、いや、積荷は売ることができますし買うこともできますが、しかし、それを船で運んで大坂で売るとなれば幕府の通行手形が無くてはかないませんぞ」

 佳代は落胆した声をだして松下を見た。

「なんとも妙な、仕入れた商品は藩をまたいで商いするたびに手形がいるのですか、それでは、江戸幕府の治世は信長さまの楽市楽座には及びませんね」

 松下はこまった顔をして、

「信長公も太閤殿下もお膝下では楽市楽座でありましたが国をまたいでは自由取引ではありません。江戸幕府は五十数か所の関所があり各藩もそれぞれに関所はありますが通行手形が必ずいるわけではありません。わずかな通行料を払ったり、顔見せだけのところもあります。女人と鉄砲の出入りは厳しく制限されますが・・・」

 根岸は二人の話をじっと聞いていた。佳代が納得するように、

「そうですか、船での交易がきびしいのですね。陸路はいろいろ、あいまいなのですね」

 松下が話をそらすように、

「窓から、南の遠くに台湾の山が見えますよ。山頂は白く雪をかぶっているようです」

 根岸が右舷側の窓を少し開いた。冷たい風が吹き込んだ。

 佳代が根岸にくっつくように外をのぞいた。

 根岸が目を細めて、

「南の国でも雪が降って寒いのだな~」

佳代がつぶやいた。

「朝勝さま、京の陰陽寮の見立てでは年々気候が寒くなっていると・・・」

 

琉球が見えてきたのは夕方だった。風も波もおだやかで東のかなたに、かたむいた太陽が照らす緑の台地がひろがっていた。

静かな港に帆を降ろしながらゆっくり入っていった。特徴のある琉球の大型船が五、六隻も碇を下していた。手漕ぎの小舟が近づいてきた。船長は一人でその小舟に乗って岸壁に向かった。薩摩の役人と琉球の役人が四人ほどが待っていた。平戸の船長が役人たちと話をしているのが夕映えで赤く見えた。話は短時間で終わって船長は戻って来た。

船長が松下たちの船室にやって来た。

「日が暮れるので入港の手続は明朝になります」とつげた。

 佳代が船長を部屋にまねいた。

「どうぞ、おはいりください。おいしい嬉野のお茶があります」

 船長は部屋にとおされて、足を組んですわった。

「日本のお茶が飲めるとはありがたいですな」

 佳代はすでに銅製の急須にお湯をそそいで用意していた。

「上等のお茶です。湯は少しぬるめに、しばらく静かにして味をだします」

「は、はは、それは先日私が平戸から運んだ茶ですな」

「ほほ、そうでした。茶の入れ方も船長さんにおそわったのでしたね」

 船長は茶をごくりと一口飲んで、

「薩摩の役人も琉球の役人も顔見知りがおりましたよ。なつかしがっておった」

 佳代は急須を直接おだやかな炭火にかけて、

「それなら、上陸して近くを散策することはできませんか」

「そうですな。お願いしてみます」

 

 あくる日の朝、佳代と根岸と松下は港の近くを散歩していた。琉球の役人が一人、案内で一緒に歩いた。小さな食堂があった。四人は店内に入った。案内のすすめでチャンプルという簡単な料理を注文した。

 佳代が一口食べて、

厦門を出て久しぶりに陸でのおいしい料理をいただきますね」

 案内の琉球の役人が、

「豆腐や豚肉が冬の野菜と沖縄麺にからまって炒めてあります。この店ではごま油を使って炒めているようです。

 松下がうまそうに食べながら、

「この料理は厦門にもありませんな。長崎でも食べたことがない」

 沖縄の役人がうれしそうに、

「これは庶民の食べ物で、秋ごろなら苦瓜の入ったゴーヤチャンプルが人気です」

「沖縄には手の込んだ宮廷料理があるのですね」と松下がいった。

「そうです。明とは冊封朝貢の関係がありましたが明からの使節団を饗応するために琉球の料理が発展しました」

「そうですか、どんな料理でしょうな」

「どんな料理か、私はまだ見たこともないのです」

 

 あくる日、東の空が白むころ平戸の船は那覇の港をでた。交易品の積み下ろしはほとんどなかった。厦門で積み込んだ烏龍茶の大壺を十個降ろしただけだった。

 佳代が船長にたずねた。

厦門で積んだ荷を那覇で降ろさないのは大坂で売った方が高い値が付くからですが、琉球仕入れる物はたくさんありそうですが・・・」

 船長は松下のほうを見て、

「佳代さんは豪胆ですな。平戸の船が厦門からの物資を積んで大坂に入るのです。これは大罪です。それで琉球からの荷物を運んだことにしています。琉球は中継ぎ貿易の国で明の商品も扱うからです。それにこの船はタイの国で造船したもので、船の形が日本の船と違い、それだけでも不審がられます。松下殿がお持ちの通行手形は大坂町奉行が出した長崎奉行宛です。入国がうまくいくかは、松下殿が大坂の奉行への申し開きにかかっております」

 佳代は神妙に聞いていた。それでもまだ納得できない顔をしていた。

松下が佳代を見て、

「大丈夫ですよ。案ずることはありません。大坂奉行とは話ができます。それより、佳代殿、やっと大変な出来事も無事に終わりそうですな」

 根岸が松下と顔を合わせて頭を下げた。

 佳代は根岸のそばに行って左腕を抱きしめた。

令和六年二月二日

 

貝原益軒を書こう 七十五

貝原益軒を書こう 七十五                中村克博

 

 

 それから数日がすぎて、厦門島の西の沖合で武器の積荷を鄭成功の船に瀬取りで移し終えた平戸の交易船は厦門の港に回航されていた。根岸と佳代それに松下は昨日からこの船に移動していた。海鳥の群れが岸壁で羽を休め高い空に猛禽が舞っていた。空は青く朝の日差しがあたたかだった。 

三人は甲板の上にあるは船室にいた。部屋には机も椅子もない空間だった。人夫たちの話し声が聞こえる。船倉に烏龍茶の入った大きな壺を幾つも幾つも重そうに積み込んでいた。生糸、絹織物、いろんな薬用品、たくさんな山水画や書などが運び込まれていた。

眼光の鋭い二人の船乗りが積み込み作業を取り仕切っていた。二人は脇差だけで大刀は差していないが平戸藩の武士であった。

松下が窓から外のようすを見ながら、

「平戸は長崎をとおさずにこのような抜け荷の品をいつまでも持ち込んでおるが・・・」

 佳代が手荷物の整理をしながら、

「えっ、明や朝鮮との交易も長崎を通さねばならぬのですか」

 松下は部屋の中に目を戻して、

「二年ほど前の寛永十八年に平戸からオランダ商館が長崎の出島に移設され、オランダ人は出島に隔離されて交易をしますが明や朝鮮は微妙ですな」

 根岸は窓から差し込む朝日を受けてまどろむように座っていたが、

「黒田藩には博多と海外とを交易する豪商が何人かおりますが、なかでも伊藤小左衛門の羽振りが良いようですね」

 佳代がキラキラした顔になって、

「そうですか、この航海で平戸に行きますが博多にも立ち寄るのでしょう。厦門と平戸、博多それに長崎とつながれば、大坂や京に交易品を持ち込む大きな商いの道筋ができそうですね」

 根岸はキョトンとした顔をしていた。松下が佳代を見て忠告するように、

「平戸と鄭成功のつながりを江戸幕府はつかんでおります。さらに、博多の伊藤小左衛門と朝鮮との密貿易も、厦門へご禁制の武器を輸出しておることも幕府は嗅ぎつけています」

 佳代はなおも合点しかねるように、

「ご公儀は、キリスト教の信仰やポルトガルやスペインとの交易を禁止していますが、朝鮮や明との交易まで禁止するのはなぜですか」

 松下は佳代を見て言い聞かせるように、

「スペインやポルトガルは自分たちの知らない土地を発見すると新世界などと称して勝手に自国の領土にしています。そこには昔から現地の人が暮らしているのにです。それにはまずキリスト教の宣教師を送って布教をはじめます。同時に現地の有力者に莫大な特権と金品を与えて手なずけ間接支配をします。そのあとは軍隊を送って武力で自分の国にするのです」

佳代は沈んだ顔になって、

「そうですか、それで太閤さま以来のキリシタン禁制なのですね」

「そうです。ルソンもスペインが領有して、国名を自国の皇太子フェリペ二世の名をとってフィリッピンとしています」

  黙って聞いていた根岸がたずねた。

「しかし、それで朝鮮や明との交易まで禁止するのはなぜですか」

 松下は少し考えてから、

「朝鮮や明とは昔からのいきさつもあってあいまいですが、いまでは松前藩アイヌ対馬藩李氏朝鮮薩摩藩琉球それに、徳川幕府は直轄の長崎でオランダとの交易を許可しております」

 佳代が確かめるように、

「そうですか、ならば対馬藩は朝鮮に渡航して交易できるのですね」

「いいや、寛永十年の海外渡航禁止令で日本から海外に出ることは禁止ですから… それに同十二年には海外に住むすべての日本人の入国を禁止し密航の帰国者は死刑です」

 佳代がびっくりして、

「出国は禁止、帰国はできない。それでは博多の海外交易はできません」

 根岸がふしぎそうに、

「であれば対馬藩は朝鮮とどのようにして交易するのですか」

「表向き朝鮮から来るしかない。ところがですな・・・ 江戸幕府対馬にはときに朝鮮への密航の許可をだすようです」

「えっ、どういうことですか」

対馬藩は朝鮮とは国交の窓口としての役割があります。それに対馬はオランダとも小規模な密貿易をしておるようで、臨機応変な対応ですが、いずれにしろ曖昧なのです」

 佳代の顔が明るくなって、

「それでは博多の商人も朝鮮と交易して、平戸を通じて明との交易もできるのですね」

 松下が困った顔をして、

「博多には朝鮮から船が来ておるようですし、玄界灘の外海で船同士の交易も盛んなようですが、法では禁止されておるので、もしも摘発されれば断罪されますな」

 佳代の顔が暗くなった。

「私には、わけがわかりません」とつぶやいた。

 

 傭兵隊長の内藤がやって来た。

 松下は根岸と内藤を出迎えに船室を出た。朝日がまぶしかった。佳代は手ひさしをおでこの上にかざして目をほそめていた。内藤が二人の平戸藩士と何やら楽しそうに談笑している。船長はその傍でキセル煙草をふかしている。護衛の十人ほどの兵隊が船の外で待機している。

 

 内藤は船室に通された。部屋の中ほどに新しく茶の用意がされた大きな盆があった。それを囲んで四人は座った。平戸の船が厦門の港に回航されてから、空の船倉に交易品が積み込まれる作業に数日かかっていた。その期間に四人は何度も船をおとずれていた。

 内藤が茶をうまそうにごくごく飲んで、

「烏龍茶もいいが、やはり日本の茶はなんとも・・・ ほっとしますな」

 根岸がうれしそうに話しはじめた。

「そうですね、それにはこんな話があります。むかし嬉野に移り住んだ明の陶工がお茶好きで、自分で茶をつくって飲んでいたのがはじめだそうです。それから五十年ほどあとにやはり明から嬉野に移り住んだ紅令民という陶工がもってきた南京釜をつかって最新の製茶法を嬉野に伝えました。釜炒り茶製法のはじまりだそうです。江戸時代になって鍋島藩士の吉村新兵衛が嬉野で茶の産業化をはかります。それから嬉野は日本一のお茶産地です」

 根岸が流暢に話すのを聞いて佳世はびっくりして、

「まぁ、うれしい。根岸さまのお話、こんなすてきな話・・・」

 松下も意外な顔をして、

「まことに、根岸殿のこのような見識ある話は初めて聞きましたな・・・」

 根岸が少し照れるように、

「黒田藩の長崎警衛に動員された折に、帰りの道中で貝原殿に同行して嬉野茶の調査にまいったことがあるのです。吉村新兵衛殿の案内で皿屋谷一円の手入れの行き届いた広大な茶畑も拝見して、いろんな話を聞かせていただいたのです」

 佳代が目をキラキラさせて、

「京では茶は抹茶を点てていただきます。煎茶もありますが炒り釜でなく、蒸し釜を使います。でも、抹茶も煎茶も庶民にはまだ馴染みのないことです」

 松下が佳代を見て、

「嬉野の茶を京都に運ぶ交易なら可能なようですな」

 佳代が根岸の袖を引っ張って、

「そうですよ、嬉野の近くには有田焼があります。平戸も近いし、対馬も遠くはありませんよ。博多の伊藤小左衛門とも商いできますよ」

 根岸はうつろな顔をしていた。内藤が根岸を見て、真顔になって、

「根岸殿、日本では剣術はもう時代遅れですよ。これからの日本では刀も弓も槍も鉄砲も使い道はありませんな。佳代殿の見立ては的をえておる」

 根岸は松下を見て、

「松下殿、大和の柳生家は徳川家の将軍家御流儀としての剣術、兵法指南役ですが、兵法が、剣術が必要ない世となれば、これから武士はどうなるのでしょうか」

 松下は正面切って問われ、こまった顔をした。

「わが柳生藩の初代宗矩公が大目付の役を授かっております。ご老中や諸大名、高家の監察がお役目です。諸国に柳生新陰流の師範を派遣しておりますな。沢庵禅師の剣禅一致の考えもありますな。兵法家伝書をあらわして武士道をといておられます」

 根岸は一所懸命に聞いていたが煮え切らない顔であった。内藤が笑いながら、

「ようするに、剣はいらん。秋の虫でもないのに倫理リンリと鳴いておる」

 内藤は寂しそうな顔をして笑っていた。松下は内藤を見て寂しい顔をして口をむすんだ。根岸は松下のその表情を見て同じような寂しい顔になった。

 内藤は二人を見て、そして思いついたように、

「そうだ、大事な知らせがある。この船は平戸には行きませんぞ。平戸は江戸幕府の取り締まりの手が伸びて危ない。それでこの平戸の船は急遽琉球に向かうことになったのです。薩摩の支配する琉球からは大坂にはいくらでも船が出ております」

 松下が笑顔になって、

琉球から薩摩の船で大坂へ行くのは日本の国内航路です。兆しが明るくなりましたな」

 佳代がうれしそうに根岸の腕を抱くようにして顔をうずめた。

「根岸さま、これで決まりですね。大坂と、琉球、博多、平戸、嬉野、対馬とむすんで・・・」

 内藤が松下を見ておもむろに言った。

「松下殿、鄭成功は近々、台湾のゼーランジャ城を攻めて台湾からオランダを追い出しますぞ。いま南京を攻めるために兵力を集結して軍備を整え、多くの船を調達しておるが、これは台湾進攻のためオランダを欺く偽装作戦です。これ以上の諜報はない。貴公へのはなむけです」

 松下は内藤を見つめていた目をおとしてかるく頭をさげた。

令和六年一月十二日

 

 

 

貝原益軒を書こう 七十四  

貝原益軒を書こう 七十四                 中村克博  

 

 

 根岸たちは平戸の船での会合を終え、厦門の行きつけの茶屋でくつろいでいた。店の奥で五つの卓に分かれてたむろしている。日差しが西に傾いて陽は店の奥までとどいていた。十人以上の若い日本の傭兵たちは大きな声で話すこともなく、うれしそうに茶を飲んでいる。ほかに五組ほどの男女の客がいてにぎやかに茶を飲んでいた。そこに三人づれの新しい客が入って来たが店がいっぱいなので出ていった。

背の高い店の娘が柳生の松下のそばにやってきた。厦門の言葉で、隣の飯店に食事の用意ができ、それに寝泊りをする部屋も準備していると伝えた。傭兵の頭目厦門語を日本語になおして松下につたえた。

佳代が椀を両手で持ってうれしそうに、

「お城をでて外泊するなんて初めてですね。お風呂はあるのでしょうか」

 松下が笑いながら、

「風呂はありませんよ。いつでも湯に入れるのは日本だけですよ」

「へぇ~、オランダにもないのですか」

「長崎の出島で湯屋の設備を見たことがありますが日本の勤め人が使うためでした」

 

 根岸たちと傭兵の一行は茶屋の裏口から棟続きの隣の飯店に向かった。根岸たち三人と傭兵の頭目は二階の奥のこじんまりした部屋に通された。日本の傭兵たちと根岸たちの護衛兵は一階の大広間におさまった。

根岸たちが部屋に入ると女主人がニコニコして待っていた。入り口付近に女主人が座って大きな円卓のある奥の席に根岸と佳代が椅子を引いて腰かけた。その左右に向かい合って傭兵の頭目と松下が座った。それぞれの目の前に白磁の盃がおかれていた。温かい紹興酒が入って医た。女主人が白磁の盃を手にしてカンパイといって目の高さにかかげた。

佳代はそっと口に付けて、

「このお酒は甘くておいしいですね」と言った。

「そうでしょう。紹興酒にナツメを漬けこんでいます」と女主人が流暢な日本語でこたえた。

 根岸が盃を飲み干して傭兵の頭目に向かって、

「内藤殿、この度は重ね重ねお世話になります。おかげで日本に帰る目途が立ちました」

 日本人傭兵の頭目は内藤といった。

「いや、いや、当然の手助けです。もう会えないことが残念だ」

 松下も佳代も深々と頭を下げた。

料理が次々と運ばれてきた。

内藤が女主人の名を呼んで、

「馬麗那(マーレイナ)、今日は食事の前にもう少し酒を飲ましてくれ」と言った。

 馬麗那と呼ばれた女主人は内藤と懇意で根岸たちとも顔なじみだった。女主人は女給に酒の手配をするように言い付けていたが内藤が大声で割り込んだ。現地の言葉で女給に何やら注文をつけていた。馬麗那は内藤を見て笑顔でうなづいた。 

 壺に入った酒を女給が重そうに抱えてきて内藤の近くに置いた。別の女給が柄杓と湯呑を五個お盆にのせている。

 酒は白い濁り酒だった。内藤が椀に注いで女給がそれぞれの前に置いていった。

 内藤が濁り酒の入った椀をかかげて、

「これをかぎりの酒宴になる。お三人とは予期せぬ出会いで、そして、短いが忘れられない思い出になった。ほんとうに名残はつきません」といってグイグイと飲み干した。

 根岸は、自分も何か言わねばと思うが言葉が思いつかない。佳代を見たり松下のようすをうかがって、もじもじしていた。

 松下が飲み干した椀をおいて、

厦門に向かう途中、オランダの戦艦から砲撃を受け、輸送中の武士半分を奪われた。そして我々はオランダの台湾に、内藤殿は厦門にと分かれていったが、厦門で偶然にも再会したのはまさに天佑でした。徳川幕府は海外と人の出入りを厳しく禁じており、内藤殿の手立てがあればこそ我らは帰国できます」

 馬麗那が松下の空になった椀をとって内藤の近くにおいた。内藤は柄杓で白い酒を椀に満たして馬麗那にかえした。

馬麗那は椀を松下のほうに左手を添えてわたしながら、

「松下さまたちはよろしいですね。帰る国があるのですから、故郷には待っているご家族もおられるのでしょう・・・」

 松下は少しうつむいていたが頭をあげて内藤を見た。

「内藤殿はこちらでの生まれだそうですが、お父上はどちらのご家中でしたか」

 内藤は椅子から立って根岸の椀に壺の濁り酒を柄杓ですくっていたが、

「わたしの父は高山右近様にお仕えしておりました。父は松永久秀の弟、松永長頼の嫡男で内藤如安です。長頼は三好長慶の部将でしたが丹波守護代の内藤国貞の娘婿となって内藤を名乗りました」

 松下はうまそうに酒を飲んでいたが、驚いたように、

「おお、それでは、お父上は高山右近様と一緒にルソンに渡られたのですな」

 内藤は自分の椀に酒をついで一口飲んで、

「父は三好家の家臣でしたが、その後、肥後国小西行長様に仕えます。肥前国有馬でイエズス会コエリョ様の葬儀に小西行長様の名代として参加しますが、このときは小西姓を名乗っておりました」

 馬麗那がおどろいたようすで、

「内藤さまはキリシタンなのですか」といった。

「わしはキリシタンではないが、父は太閤様の文禄の役で明と和睦交渉のおりに万暦帝に拝謁したがこのとき父はキリシタンの小西飛騨守ジョアンと名乗っておるよ」

 松下が湯呑を飲み干して、話をつなぐように、

小西行長公は関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦うが敗れ打ち首になった。そのおり、お父上の如安殿は同じキリシタンである肥前有馬晴信の手引きで平戸へ逃れますな。それから加賀の前田家に客将として迎えられるが、それが高山右近様と運命の出会いですな」

 内藤は椀の酒を飲み干して、

小西行長様が切腹しなかったのはキリシタンが自害を禁止されているからです」

 松下がなるほどとうなずいて、

「そうですな、そう言えば有馬晴信も長崎を舞台にした岡本大八事件での断罪で徳川家から切腹を申し渡されるが、配所にて家臣に斬首させたのでしたな」

 内藤の顔色がけわしくなった。機嫌がわるくなったようだ。

 女主人の馬麗那が、

「さあ、さあ、みなさん料理がさめてしまいますよ」といって内藤の皿に麻婆豆腐をついでわたした。一階から楽しそうな歓談の声が日本語で話す若い兵士たちの声が聞こえていた。

 

 佳代は魚の料理を食べていた。箸で骨と身をほぐしながら、

「魚の料理は台湾でもいただきましたが、こちらの餡掛けはまたおいしいですね」

 馬麗那が牡蠣を溶き卵やネギなどを混ぜて炒めた料理を食べていた。

「佳代さん、日本の魚料理はどんなですか」

「はい、煮魚は酒と醤油で煮つけますが、私はあくる日に残っていた煮詰まったのが好きです。もう鯖の身が醤油色になったのが・・・」

「そうですか、私の故郷は北京よりも北の方ですが、そこでは水餃子の残りものを鍋底で軽く焼いていました。私はそれが好きです。北京は今では清の国ですね」

 根岸は皿をいくつも取り換えて黙々と食べていた。

 佳代は根岸が食べおえた皿を引いて女給に渡し新しいのにかえた。

「根岸さま、そろそろ白いご飯がほしいのではありませんか」といった。

 馬麗那が急須からウーロン茶を小さな湯呑に注いで松下と内藤に出しながら、

「佳代さんは根岸さまのお妹だそうですが、ほんとうはどうなのですか、もう会えないのですよ。よろしければ話してくださいよ」と優しく佳代を見つめた。

 佳代が顔を染めてとまどうように根岸をみた。根岸は笑って、

「そうですね。こんなにお世話になってお別れするのに隠し立てするには失礼ですね。

では、少し長くなりますが、私は京の鴨川で佳代さんともうお一人の女人を警護して舟遊びをしておりました。そのおり、待ち伏せておった暴漢の舟に襲われました。いきなり頭から投網をかぶせられ、棒で打たれて、不覚にも連れの女人を拉致されたのです。それで探し求めて伏見まで行ったところで、見つかりません。腹を切らねばと思っていたら伏見の奉行所から呼び出されて、使いの上役から藩の上意を受けました。それが大そうなお役目で、今回の渡航になるのです」

 馬麗那は興味深く聞いていたが、

「それは大変なご苦労をされましたね。それで・・・、佳代さんとの関係はどうなのです」

 根岸は落ち着きをなくして、とまどって、

「そ、それは、私は佳代殿の警護をしておったのですが・・・」

 佳代がくすッと笑いながら馬麗那の顔を見て、

「あとは、私がお話しします。私は根岸さまをお慕いしています。どこまでもご一緒すると決めています。それで大坂から移民の船の浪士家族にまぎれ込んで、薩摩の鬼界ヶ島ではオランダの船に忍び込んで南の海の上で根岸さまの船にやっと乗ることができました」

 馬麗那は驚いたようすで、

「なんと、まぁ、そんなことがあったのですか、可憐で美しい良家の息女がなぜ遠く戦乱の地にと、不思議に思っていましたよ」

 松下が根岸を見てさとすように、

「根岸殿、このように素晴らしい女性に思いを尽くされて、これ以上の冥利はないはず。このさい、みんなの前で佳代殿の思いにこたえてはいかがなものかなぁ」といった。

 根岸は神妙な顔をして、

「ありがたいことで、私も佳代殿をみごとな人だと思っております。しかし今は役として果たさねばならない務めがあります。この成否は幕府の国政にかかわり、またわが黒田家の名誉にもおよびます。それが個人の事情で女人を伴っていては・・・」

「役目は立派に果たしたております。なんの支障もありません」と松下はいった。

「はい、ありがたいことです。しかし、私は佳代殿の親御から嫁入り前の娘の警固をまかされておりました。無事に親元に送り返す責任があるのです」

 佳代が凛とした態度で、

「親が私ののぞまない婚約を家のためにすすめています。しきたりで、なりゆきで話がすすんで・・・ そんなこと、いやです。私は根岸さまと生きていきたいのです。日本に帰ったら私は自分の意志を父にきっぱり言います。根岸さまも父を説得してください」 

 柳生の松下がふと、思いついたように、

「そうですか、お家のために、ですか・・・ 」

 松下はすこし間をおいてしんみりと話した。

「日本では徳川家が武断から文治の統治をすすめています。戦のない豊かな国にするため、さまざまな国法を定め、流通の仕組み、学問、芸術の振興をはかっております。その基礎となるのが人々の心根、ものの考え、倫理の同一です。その、よりどころになるのが先祖とつながる家です。これが壊れては国の統一が成り立ちません」

 静かに話を聞いていた傭兵の頭目の内藤がいきなり口をひらいた。

「それでは松下殿にお聞きするが、我らのように国を追われたものはどうなる。明の民も清に侵略されいずれ国はなくなる。ルソンの民もスペインに支配され国はない。バタビアにオランダが来る前はいくつもの王国があったではないか・・・」

「まさにそうだ。そうならないため徳川家は、いや豊臣のときから国を閉ざし天皇家を軸にして日本を守ろうとしておる」

「おお、それで、考えのちがう多くの国の民を追放するのだな。武で立つ柳生が武を使わないなどとぬかして、甲賀しのびや伊賀間者と隣り合わせの柳生藩、徳川の飼い犬だな」

令和五年十一月三十日