得ること。


84歳で、文字の読み書きを学ぶため、小学校に入学するマルゲ。
ある手紙を、自分で読み、理解したいという想い。
実話。「われわれの世代は、犠牲を払ってきた」という言葉の重み。
同級生の子どもたちを見つめる優しい目。厳しい目。それはケニアという国の将来を見る目なのだと思います。

自分自身、その歴史の知識がなく、そうだったのかと思い知る作品でした。
恥ずかしながら。

学ぶ楽しさを感じられるまでの、彼の本当に悲惨で過酷な過去は、あまりに重すぎるように思います。
その学ぶものが、「英語」であることの、重さも。

「当たり前」の大切さや貴重さを、いろんなことで、最近考えていますけど、それを得るまでの苦難にまでは、想いは至っていませんでした。

失うことは、もしかしたら、本当に、一瞬なのかもしれません。

だからこそ、今あることを、今、ふと思い、感じて、心にとどめておかないといけないのだなと思いました。

失うことは、得る苦しさと同じくらい、やっぱり、辛いことですから。
とても。

最後、マルゲは、あんなに自分で読もうとしていた手紙を、信頼する教師に託します。
彼の想いは、どんなものだったのだろうかと、さっきからボーっと考えています。
その言葉を聴く彼の表情が、柔和だったので。

子どもたちの笑顔と、同じ温かさ。

学ぶことで、子どもたちに見るように、彼自身に、未来を見つけたのかもしれません。

ボクも知らなかったことを、少し調べてみます。







『 CUT 』

しんどい道を選ぶとき、信念は芯になりますが、
狂気とそれは紙一重なのかもしれません。

主人公は、信念に奮い立たされ、信念に癒され、
強い狂気となっていきます。

狂気は「自分」の壊れた結果なのだと思っていましたけど、
自分を保持する最後の芯にもなるんだなと、思いました。
危ういですけど。

でも、とりあえず、でんでんさんが、すんごく怖いです。(笑)






湿度、緑、花。


梅雨のように、少し蒸し暑さがありました。

朝はまだ少し、空気は冷たかったけど。




常備薬切れてたので、散歩がてら買いに。


蓮はどうかなと、お濠を見てみましたが、まだまだ、ですね。

6月中に、水面一面に、葉が広がって、山笠の時期には、
白い花が咲くでしょう。



でも、小さな昼顔が、のんびり咲いていて、和めました。






さ、明日は太陽が少し隠れる日なのだとか。


雲にも隠れそうな感じですけど、早起きの楽しみではあります。











『TIE ALL HEART 2012』


前の見えない怖さや不安は、それを考えないように、

何かに没頭したりすることが、一つの解決方法なんじゃないかと、

ときどき、ふと思ったりするのですけど、その没頭するものまでも

見えないとき、人はどれだけきつくてつらい心の状況なんだろうと

思います。



忘れないこと、考えること、できることを、できる範囲で

「続けて」いくことが、きっと大事で、小さな力でも、

何の役に立つのと、自問しても、やっぱり「続ける」ことが

きっと、大事なんだと思います。



無力の、力も、きっとあります。




今年も、神戸のショップの力をお借りして、賛同させていただきました。

スタッフの皆さんに、感謝です。


ありがとうございます。











“Tetsuya Ishida”


昨日、金曜日に買ったパンツの裾上げに街へ。



連休初日で、人もたくさん。


連休後半はどんたくなので、もっとやろな。




2時間ほど、かかるということで、昨日が初日の絵画展へ。

石田徹也

何年か前、テレビで特集されているのを観て、
静かな衝撃を受けた画家さん。





作品の中の、自画像のような「彼」は、無表情で、
だからこそ、そこからいろんなことが読み取れて。


今回は、本の中のページではない、大きな作品を前に、
いろんなことを考えさせられました。



病気になってからの、絵の中の物悲しさ。
彼もきっと、色々考えたのだろうな、とか。




さ、今日、来週の授業準備済ませて、残った時間を大切に使います。








レンズ。


「風が気持ちいいね」




最後にそんなセリフで終わりました。




「できない」のと「しない」のは違う。



普段、ことばのことは、仕事柄考えることが多いのですけど、
もう一度、いろんなことに気づける映画でした。


心は複雑です。

でも、風が吹いて、気持ちいいと思えるように、
実はとてもシンプルに、反応するものなのかもしれません。



この映画を見て、ホロッと泣けるのも、きっと、シンプルな反応です。
歳のせいで、涙もろくなったことを差し引いても。




しかし、その風が強すぎれば、窓を閉め、雨戸まで閉めてしまうように、
まわりの環境で、心でのとらえ方が限られてしまうのでしょう。




人は、自分の一つのレンズで何かを見て、それをとらえています。

レンズの内側からのその景色は、その人だけの景色。


そこから、自分のレンズのそとにあるたくさんのカメラを見て、
そのそれぞれのレンズを外側から見ることはできます。


自分の視点からの景色の中で、いろんな人のそれぞれの景色が、
一つ一つ、進んでいって、そのレンズの中からしか見えないことの
集まりが、普段の生活なのかもしれません。


いつもまわりにいる人のレンズにどんなことが映っていて、
それを心地よい風ととらえているのか、窓を閉めるほどの
暴風と考えているのかなんて、外のレンズからは見えないのです。


一つの生活の中に、それぞれのレンズの視点があって、たぶん、
ことばにしないと、察することのできないこと。


その、ことばにしようと思える、誰かがいることが、
生きていく上での最高の幸せなんだと思います。


その誰かがいる、映画です。






ツレがうつになりまして

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また、ふと思い出して、観てみます。