得ること。
84歳で、文字の読み書きを学ぶため、小学校に入学するマルゲ。
ある手紙を、自分で読み、理解したいという想い。
実話。「われわれの世代は、犠牲を払ってきた」という言葉の重み。
同級生の子どもたちを見つめる優しい目。厳しい目。それはケニアという国の将来を見る目なのだと思います。
自分自身、その歴史の知識がなく、そうだったのかと思い知る作品でした。
恥ずかしながら。
学ぶ楽しさを感じられるまでの、彼の本当に悲惨で過酷な過去は、あまりに重すぎるように思います。
その学ぶものが、「英語」であることの、重さも。
「当たり前」の大切さや貴重さを、いろんなことで、最近考えていますけど、それを得るまでの苦難にまでは、想いは至っていませんでした。
失うことは、もしかしたら、本当に、一瞬なのかもしれません。
だからこそ、今あることを、今、ふと思い、感じて、心にとどめておかないといけないのだなと思いました。
失うことは、得る苦しさと同じくらい、やっぱり、辛いことですから。
とても。
最後、マルゲは、あんなに自分で読もうとしていた手紙を、信頼する教師に託します。
彼の想いは、どんなものだったのだろうかと、さっきからボーっと考えています。
その言葉を聴く彼の表情が、柔和だったので。
子どもたちの笑顔と、同じ温かさ。
学ぶことで、子どもたちに見るように、彼自身に、未来を見つけたのかもしれません。
ボクも知らなかったことを、少し調べてみます。
◇
“Tetsuya Ishida”
昨日、金曜日に買ったパンツの裾上げに街へ。
連休初日で、人もたくさん。
連休後半はどんたくなので、もっとやろな。
2時間ほど、かかるということで、昨日が初日の絵画展へ。
『石田徹也』
何年か前、テレビで特集されているのを観て、
静かな衝撃を受けた画家さん。
作品の中の、自画像のような「彼」は、無表情で、
だからこそ、そこからいろんなことが読み取れて。
今回は、本の中のページではない、大きな作品を前に、
いろんなことを考えさせられました。
病気になってからの、絵の中の物悲しさ。
彼もきっと、色々考えたのだろうな、とか。
さ、今日、来週の授業準備済ませて、残った時間を大切に使います。
◇
レンズ。
「風が気持ちいいね」
最後にそんなセリフで終わりました。
「できない」のと「しない」のは違う。
普段、ことばのことは、仕事柄考えることが多いのですけど、
もう一度、いろんなことに気づける映画でした。
心は複雑です。
でも、風が吹いて、気持ちいいと思えるように、
実はとてもシンプルに、反応するものなのかもしれません。
この映画を見て、ホロッと泣けるのも、きっと、シンプルな反応です。
歳のせいで、涙もろくなったことを差し引いても。
しかし、その風が強すぎれば、窓を閉め、雨戸まで閉めてしまうように、
まわりの環境で、心でのとらえ方が限られてしまうのでしょう。
人は、自分の一つのレンズで何かを見て、それをとらえています。
レンズの内側からのその景色は、その人だけの景色。
そこから、自分のレンズのそとにあるたくさんのカメラを見て、
そのそれぞれのレンズを外側から見ることはできます。
自分の視点からの景色の中で、いろんな人のそれぞれの景色が、
一つ一つ、進んでいって、そのレンズの中からしか見えないことの
集まりが、普段の生活なのかもしれません。
いつもまわりにいる人のレンズにどんなことが映っていて、
それを心地よい風ととらえているのか、窓を閉めるほどの
暴風と考えているのかなんて、外のレンズからは見えないのです。
一つの生活の中に、それぞれのレンズの視点があって、たぶん、
ことばにしないと、察することのできないこと。
その、ことばにしようと思える、誰かがいることが、
生きていく上での最高の幸せなんだと思います。
その誰かがいる、映画です。
また、ふと思い出して、観てみます。
◇