孤独な妄想イカフライ
イカフライが平川氏のブログのコメント欄で調子に乗っている。
coffeなる人物がお追従コメントを書き付けると早速反応、涎を垂らさんばかりに喜んでいる。
自分可愛さもここまで来ると笑止である。
自惚れ鏡のイカフライ
「自分のことばを持たないで、違和なコメントには一様に「荒らし」なる平らな言葉で応酬するようなみっともない真似を喜ぶと思っているのだろうかと。
もしそうならわたしの見込み違いだったということになる。」
☆イカフライがまたまた平川氏のブログに書き込んでいる。
勝手に「こんな人間だ」と思い込んで、そうでは無いとなると「見込み違いだった」。
ボケ老人にはふさわしい言葉だな。
「荒らし」なる平らな言葉?
お前のコメントは、「荒らし」なんかじゃない。犬のウンコみたいなモンなんだよ。それが分からずに執拗に書き込む。
朝起きて、玄関先に犬のウンコがしてあったら片付ける、あたりまえだろ?
自分の文章を立派なもんだと思い込んで、警醒的な役割を果たしていると自惚れているんだろうけれど、それ自体が笑止千万なんだよ。
他人様の文章も読み込めないようなボケに何も言われたく無いね。
削除されて誰も相手にしてもらえなくなったら、さびしいだろう。
ま、そうなるのがお前にはお似合いだよ。
鏡を見ろよイカフライ
あ、ついでにいっておきますが、わたしの承認が必要なコメント欄にその手の戦いを挑むアホウが来て、
さんざんわたしに毒づいた後、
わざわざわたしの悪口や誹謗中傷を書いた掲示板のURLを提示していきます。
大笑いです。わたしがその手のゲームにのせられると思っているんですね。
わたしが見に行かないのがわかると、今度は迂回経路で
「こんな悪口がのってるよ」なんて知らせてくる。
☆上記は、12月23日のイカフライのブログの一部。
平川氏のブログに自分のURLを書き込んで自己顕示欲の塊であることを満天下に知らしめたボケ爺が書くことか?
私がコメント欄に投稿したことは「悪口」でも「誹謗中傷」でもない。すべて「事実」。
私が書いたことが「誹謗中傷」か、「辛らつな批判」であるのかは、そのコメントを読んだ人が決めることであって、お前が決めることじゃないんだよ。
で、コメント欄は書き込めないようにしてる。
そんなに怖いのか?うそがばれるのが。
自分が書いたことはすべて自分に還って来る。そんな稚拙なやり方をいつまでやってんだか。
馬鹿は死ななきゃ直らない。
笑わすなよイカフライ
ボケ爺のイカフライが、平川氏のコメント欄に以下のように書き捨てている。
「自分の気に入らない意見だけがその場にあってほしいのなら公に意見を公開するな。
一人前の大人なら、どのように辛らつな意見でも笑って受け止めるだけの度量をもちなさい。
なんとまあ、みっともない。
ミミズ以下の精魂のみみっちさだ。
少しは、もう少しは大人になりなさい。少しは物事をさまざまな角度から、また、時間を置いて、また空間をかえてみてごらんなさい。
ふつうあたりまえの精神をもっているのなら。」
☆ボケ爺さん、ふざけたことをぬかすなよ。
ということは、てめえは「一人前の大人」でもなく、「どのような辛らつな意見でも笑って受け止めるだけの度量」もないわけだ。
自分がやれもしないことを他人様に偉そうに説教するなよ、オレの「辛らつで事実に基づいた」コメントをすべて非公開にしたくせに。
ついでに、「イカフライ様」と擦り寄ってくる同類のコメントは公開する。
「ぬるい」どころの噺じゃないだろうが。
さて、これもイカのボケ爺のブログに書き込むこととしよう。
きょうもまたウンココメントイカフライ
あのね、思考法を根本からかえなきゃダメなんですよ。
そういう、旧態依然たる知的スタイルで物事を裁断していったってモグラタタキを際限なく繰り返すだけでしょう。
とりあえず、その言説で、とりあえず正しそうな指摘をしてみせただけのことで、
次の瞬間にはまた別の「モグラ」が顔を出す。
もちろん、そういう無意味な知的スタイルが批評家なるものを存在せしめ、お飯を食わせているのだけど、
ほんとうはね、集団的な思考を制御することができるかどうかなんですよ
ある物事を考える場合、いつも個人の冷静で怜悧な思惟によっている。
しかしその思惟の対象はいつも集団の行為行動だ。
だが「わたし」は共同体のなかに入れば「わたし」でなくなる。
そこのところをちゃんと押さえることのできる言説でないと、もはや役に立たない時代、瀬戸際にきているのですよ。
わかるかな、何を言っているか、ちみたちに。ま、わからないだろうねえ。w
☆ 以上はイカフライが、平川さんのブログに書き付けたコメントである。
「ま、わからないだろうねぇ」とほざくなら、まずイカフライ、お前が自分のブログでそれをやってみろよ。平川さんのブログの文章は、「それをやろうした」文章になってる。問題はお前にはそれが読めてないということだ。
物事を清澄にとらえる能力は経験の有無や知識の嵩の問題ではなく、こころの問題であるとわたしはつねづね思っているのですが、傲慢が高じると、その眼も曇ってくるのですね。
と「傲慢の塊」のようなチミが書き付けるのも大笑いだけれど、何が何でも批判しなくっちゃと思うから文が読めなくなるんだよ、この馬鹿。
それを批判するというのなら、あとは一つしか道はない。
どうだ!これがオレの文章だ、平川の上を行く「集団的な思考を制御できる」、「そこのところをちゃんとおさえた言説」を書いてみな。
ま、ちみにはできねぇだろうなぁ。何言ってるかわからない文章書いてんだから。
妄想の説明もなしイカフライ
「現代日本の20歳の女性」なるものは、どこにも存在しない統計的かつ平均的な一般概念です。よってそのことばを使うには、かなり広範な裾野からのサンプル採取が必要だ。
☆ と、イカフライは書いている。最近のブログで、
麻生さんに限らず、政治家ってのは「(言い立てる「事実」とうまく整合しない)諸「事実」は無視する」のが取り柄なんです。国会における議員先生方の答弁を御覧なさいな。だれか一人でも自分が「言い立てる事実とうまく整合しない事実を無視」しなかった議員や官僚がいましたか?
と書いた人間が、「政治家」という「どこにも存在しない統計的かつ平均的な一般概念」に寄りかかった駄文を書いた人間が、他人が「現代日本の20歳の女性」と書いたら噛み付く。つまり、イカフライの原則、生き方、考え方は、「俺はやっていいんだ。お前は俺と同じことをやるな!!」という点に集約される。
この人は何に怯えているのだろうか?
と書いているイカフライ。君は何に怯えているの?私が書き込んだコメントを公開もせず、返答もせずに「なかったこと」にしてしまい、私のブログのこのような一文についても書き込みもしない。それほど自分がかわいいのか?日に数万、数千のアクセスがあるようなブログでの「論争」には参加するけれど、それ以外は放置するというひたすら売名野郎がお前の本質だからか?
いったいその三段論法がよって立つ妄想の根拠をご説明願いたいものだ。
これが「本日の白眉」。「妄想の根拠」をご説明願いたいのはこっちの方だよ、イカフライ。他人様のブログにケチつけてる暇があったら、自分の文章を読み直してケチつけてみな。
第一、ある妄想を開陳して、「根拠は何だ」と訊ねられた時に、すべてスルーしたのはあんただろうが。その事を忘れたのか?イカフライ。そうであるとすれば、健忘症もいいとこだ。あんたを気に入ってくれているお医者様にゴルフのパターでしばいてもらいな。
自分がかわいいだけのイカフライ
イカフライのブログのコメント欄は、承認されたものしか掲載されないという仕組みになっている。
つまり、どれほどたくさんの批判のコメントが書き込まれてもすべて「なかったこと」にできるというとっても便利なシステムなのですね。
最近の「承認されたコメント」を見ると、すべてヨイショ・コメントのみ。みごとにそれだけ。
他人様に罵詈雑言を投げつけること、他人様のブログのコメント欄にウンコのようなコメントを書いて、ついでに麗々しく自分のブログのURLを書き込むこの恥知らず、自己愛の塊みたいなイカフライにして初めてできることだ。
公開の場で批判に答える気はどこにもないようで、私が書き込んだコメントはすべて「承認」されず、このブログにも何のコメントもない(きちんとお伝えしているのにね)。