ネット革命なんてない

なんだかたいへんなことになっているようだ。中東の独裁国家民主化の砂嵐が吹きやまないかと思えば、極東の受験大国では何者かが試験中に問題を質問サイトに投稿し、ウェブ上で解答が一般公募されていた。
▼各大学では対策に頭を痛め、ネット規制国家中国は自国の民主化運動に飛び火しないか戦々恐々としている。もはやどんなシステムもネットの影響から完全に自由でいることは不可能だ。アメリカ初の黒人大統領の誕生も、東欧の自由化に続く中東の民主化も、みんなネットパワーによるものだ。といった興奮気味の論調が巷に溢れている。
▼ちょっと前のウィキリークス騒動や、中国のネット規制批判も含めて、ネットの影響を過大評価するこの種の議論を前にすると、アナログ世代の僕なんかは辟易してしまう。ウィキリークスなんて別にたいした情報が漏れたわけじゃなく、本音と建前程度のネタで、ようはオフレコ発言が暴露されただけだろう。
▼それにしても黄金の国ジパングに暮らす僕が家計が苦しくて端末のパソコンすら持てないのに、独裁政権の圧政で貧困に喘いでいるはずのアラブの民衆の連絡手段がネットっていうのはどういうわけだ?解放に湧く群集の中にノートパソコンを掲げて喜ぶ人の映像がよく流れるけどホントにそんな人いるんか?ラジカセ肩にかついだラッパーじゃあるまいしヤラセじゃないの?
▼インターネットの普及や情報テクノロジーの発達による社会生活への影響を全て否定するつもりはない。だが本質的な影響ではない。少なくとも僕にとっては。秘かな自己顕示欲を満足させてくれるこのカキコミも、ケータイに記録されたたくさんの連絡先やアドレスも、ちょっとした手違いやポッチャンで一瞬にして消滅することを僕は知っている。
▼そのことで多少ガッカリしたり困ったりすることはあっても、妻から離婚されたり友人から絶交されたりはしない。ネットを利用して何かに合格しようとも思わないし、反体制運動を展開するつもりもない。
▼人間最後は起きて半畳寝て一畳。その間の人間活動の広がりの中に人生の醍醐味があるのだが、ネットによる人間関係や世界の広がりなんて、たいしたことじゃない。少なくとも僕の好みじゃない。