ひよこ白書

二十四節気でいえば今頃は立春啓蟄の間の雨水。確かに周期的にまとまった雨が降ることが多くなった。2月22日と2ならびの絵面は、雨の中を仲良く歩くアヒルの行列を連想させる。
▼大学一年目の今頃、僕は再会した高校の同級生の女の子にせっせと手紙を書いてたっけ。散歩の途中に見つけた梅の花を桜とまちがえて、まだ人生のトバ口に立ったばかりのひよっこのくせに、「僕は今まで何を考えて生きてきたんだろう」なんて大げさに嘆いてみせたりして、まさに2並びの日に相応しいピヨピヨぶりだね。
▼なぜこんなことを思い出すかというと、東大が秋入学移行の検討会を設置して各大学に参加を呼び掛けているというニュースをきいたからだ。一橋大も秋授業開始という独自のカリキュラムを発表したらしいが、どちらも入試が従来通りの春なら単なる囲いこみに過ぎないと思うけど、そんなことはどうでもいい。
▼カリキュラムを国際基準に合わせることでグローバルに優秀な人材を確保するというねらいもどうでもいい。春に高校を卒業して9月入学までの半年のギャップタームが問題になっているが、そんなこともたいしたことじゃない。なぜならごく一部の優秀な、特に研究テーマのある理系の学生以外の普通の学生にとっては、学生時代そのものがギャップタームみたいなもんだからだ。
▼東大の秋入学なんて、正確な数字はわからないが人口比でいえばほんの零コンマ何パーセンにしか関係ない話だ。いくらコンテンツ不足とはいえ、大衆メディアたる新聞が自らの購読者層に直接には関係のないニュースばかり載せてもしょうがないだろう。秋入学に限らず、報道の9割方はパンピーには何の関係もない話だ。
グローバル化社会云々の話も、意識して行動して対応できる人っていったいどれくらいいるんだろう。それともそんな記事を読んでみんな「このままでは世界に遅れてしまう!」なんて思ってるんだろうか。みんな自分が東大生にでもなったつもりでいるんじゃないかな。まったく日本人は国際化に対応する前に意識と情報のギャップタームをなんとかするのが先決だな。
▼冬から春にかけてのほんの三月ばかりの間に、彼女との往復書簡は十何通にも及んだだろうか。電話ではうまく話せなかったところを見ると、結局僕は自分のことを言いたいばっかりだったんだろう。そしてそれは彼女も同じだったのかもしれない。封書に入っていた彼女が部屋の窓から撮ったという夕暮れのスナップ写真を、僕はしばらく下宿の鴨井の上に飾っておいた。その写真を眺めては、彼女と同じ景色を見ている気分に浸ったもんだ。
▼彼女は今どうしているだろう。バブル期にチヤホヤされて、こんな時代になって苦労してるんじゃないだろうか。余計なお世話か。でもバブル前夜に僕が銭湯の行き帰りに凍えながら彼女に電話をかけた学生時代も、その少し前のかぐや姫の「神田川」の世界も、もっとずっと前の「坂の上の雲」で根岸から江の島まで歩いた子規や真之たちの貧乏旅行も、青春の匂いは似通っている気がする。最近の若者に、その文字通り青臭い匂いがしないとしたら、何かが決定的に変わったのかもしれない。
▼土曜はすきやき丼。

日曜はキッシュにビーフシチュー。


月曜は写真がなくなんだか忘れた。
火曜は昼に弁当を食べるヒマがなく夕食に回る。