甦る記憶たち

二日休めば二日分の仕事が溜ってなかなかスムーズに更新できないが、東京弾丸ツアーのつづきである。二日目は肌寒い一日となった。朝食前の山下公園の散歩は早々に切り上げ、ホテルに戻って二日分のシャツを重ね着した。手荷物が軽くなって一石二鳥だ。
▼横浜は学生の頃それぞれ別々の友人と三度訪れたことがある。一度目は横浜球場の阪神横浜戦。当時は現在の横浜に劣らずダメトラだった阪神に、横浜は不思議と地元で勝てなかったような気がする。あるいはバース掛布岡田擁する最盛期の阪神が、そのゲームに限って横浜に一蹴されたのかもしれない。いずれにしろ僕がスタンドに陣取った側のチームが勝った試しがなく、野球観戦は常に盛り上がりに欠けた。
▼もうひとつは横浜中華街での待ち合わせ。僕は関内駅の改札、友人は中華街の門で待っていて結局会えなかった。まだケータイもみなとみらい線もない頃のことだ。ケータイ解禁の最大の功績は、こういう行き違いがなくなったことだと個人的には思う。当時の僕はこんな風に人と会えないことがよくあったが、それはまた別の理由がある。
▼三度目は親友といっしょに行った観光。山下公園から港の見える丘公園、赤レンガ倉庫から外人墓地まで、当時からデートスポットと言われた場所は全て回ったはずだが全く記憶にない。どちらも夜景と異国情緒がウリの、同じ友人と行った函館の記憶とごっちゃになっている。やっぱりデートは女の子と行くに限るね。
▼ホテル13階での朝食は、眺めもよく種類も豊富で素晴らしいものだった。妻は洋食、僕は和食を攻める。

この後のことを考えてセーブしているわけで、もちろん両方食べて構わない。
▼この後というのはホテル近くのハワイアンパンケーキのお店。ホテルをチェックアウトして9時前に行くともう並んでいる。前日も中華街の後寄ってみたが、行列で断念したのだ。相当な人気店である。一食につき二軒ハシゴしようとする僕らも相当な欲張りだけど。

妻はイチゴのパンケーキ、僕は本日のスペシャルオムレツ。

ものすごいボリュームだ。コーヒーもマグカップなみなみに注がれている。このために和食だけにとどめておいたのだが、結果的にこれが東京での食べ納めとなってしまった。
▼ホイップのボリュームに目を丸くし、遠慮なくスマホに収めるとさっそく頬張って「おいしい」と笑う。喜色満面の妻の顔を見ているとグアムの新婚旅行のつづきのような気がしてくる。屈託がない人というのは本当に魅力的だ。自分の妻ながらつくづくそう思う。カッコつけたり見栄をはるだけみっともないが、そのことに気づかない人が多い。
▼これで横浜はオシマイ。お次は六本木の洋菓子店である。僕はただ妻を行きたいところに連れていくだけでいい。妻がお目当ての品を物色している間、僕は回想に耽る。

▼八年間東京にいて僕が六本木に行ったのは一度だけである。オーソンウェルズの「フォルスタッフ」を観に行き、終わるや一目散にシモキタのマスターの店に向かった。金髪に真っ赤なジャンバーという出立ちである。そのあと店にやってきた当時のマスターの彼女が、カウンターの僕を見て入口で固まってしまったことを今はっきりと思い出した。
▼ジャンパーは実家で来ていたものだから、上京して割と早い時期のことである。僕は最大の失恋のショックで髪を脱色したものと自分で思い込んでいたが、その前に少なくとも一度は金髪にしていたことになる。我ながら痛々しいほど張りつめていたんだな。
▼地下鉄日比谷線から千代田線に乗り換え千駄木で降りる。谷中銀座を散策し、日暮里駅を超えて繊維問屋を歩く。妻はメーター100円の生地を二種類とメーター50円のチロリアンテープを何本か買い、母親にワンピースを縫ってもらうと言った。結婚式の二次会も、彼女はお義母さんの手作りのドレスを着てたっけ。とてもよく似合っていた。
▼今度は間違いなく人生最大の失恋の後、僕はここで写真現像用の暗幕を買った。当時写真を師事していた同級生の女の子の彼氏に「僕ならそのお金で絶対レンズを買う」と言われたくらいだから、かなり高価なものだったと思う。お湯を沸かす以外使ったことのない台所を現像所に見立てて暗幕で覆い、わずかな光に感光することを恐れて更に部屋全体を覆った。
▼その即席の現像所でオモチャのような現像キットを使い、僕はいったい何本のフィルムを現像したのだろう。前にも書いた通り、すぐにカメラそのものを失くしてしまった僕は、その年度いっぱいただの真っ暗な部屋で過ごした後、暗幕を捨てて引っ越した。
▼日暮里駅に戻り山手線で東京駅に向かう。この旅も終幕を迎えつつある。丸の内側に出て完成したばかりの東京駅舎を振り返りパチリ。

それから大手町側に回って丸善に立ち寄り、日本橋高島屋本店の地下で妻がお土産を買った。二日目も最終ギリギリまで楽しむ予定だったが、淋しがり屋の下の子が部活から戻る前に家に帰っておいてやれば喜ぶだろうと早い便に乗った。僕らも人の親だ。