そして父になる

週初来、空は厚い雲に覆われたままである。九州四国地方に続いて近畿東海地方も梅雨入りした。まあ気象予報がどうであれ、蛙の鳴声がやたらに大きくなり、近所の田んぼにどこからともなくカモが現れたらもう梅雨だ。
蛙鳴く遠くに夜行こだまして
▼そのカモだが、登場の仕方が毎年少しずつ違っておもしろい。今年は数日前に忽然と二匹現れ、すぐに一匹になった。

いなくなった一匹か残った一匹かはわからないが、いずれかがコガモを引き連れて再び現れる日も近い。この時期あちらの川、こちらの田んぼでカモの親子を見かけるが、それぞれ別の家族であることは疑いえない。住宅街の真ん中に残るわずか一反の田んぼに、ここを根城とするカモ一家が存在することが少しうれしい。
▼早咲きの桜以来、やはり今年は季節の歩みが十日ほど早いのだろう。懸念した通り、今年はさわやかな初夏らしい日を存分に堪能することができなかった。アサリもタケノコも今年は全くの不良(不漁、不猟?)だったときく。生き物の成育には、相応の時間が必要なのだ。なんでも促成栽培というわけにはいかない。
▼毎年この時期に下の子の下唇が水膨れになるが、ヘルペスだと思って放っておいた。皮がむけて食事の時「しみる」と痛がるので妻が皮膚科に連れていったら、なんと日焼けだそうだ。どうりで毎年同じ時期になるはずだ。初夏の陽射しの強さは半端じゃない。肌の弱い人は紫外線にやられてしまうんだね。
▼先週末の県大会で敗退した長男は「打ち上げ」とかで二日ほど遅かったが今日はうちにいた。部活をしている間は毎晩22時過ぎだったのに、これから毎日早いと思うと少しうっとうしい。引退すれば普通は進路のことを考える番だ。子供がうちのと同じ高校に通う同業者が、僕が事業所の営繕を担当している超優良企業に過去に採用実績があることを調べてきて、なんとかならないかという。長男の学校ではとても無理だと思っていた僕も、採用枠があるならそれがベストだと思う。
▼個人的な意見を言わせてもらえば、大学に進学するのが珍しかった頃ならともかく、大学全入時代の今、よほどのところでない限り進学のメリットはゼロどころかマイナスにしかなるまい。貴重な四年間を棒に振り金をドブに捨てるようなものだ。件の優良企業にしても、地元の三流高校に枠はあっても、学卒なら旧帝大か院卒の研究職にしか枠がないというように、門は狭くなるばかりだろう。
▼子供の進路については、親兄弟親戚先生友人等関係者それぞれがいろんな意見を持っているはずだ。それはそれぞれの時代のそれぞれの人生経験からくるものなので、多少の違いはあるかもしれない。ただ僕はもう、求められればアドバイスはしても、子供の進路に自分から口を挟むことは一切やめようと思っている。理由は僕の人生ではないから。ただそれだけ。
▼親が子供にできることは物的支援だけである。そこのところでたいしたことができない僕は人の親である資格がないかもしれない。表題は是枝裕和監督のカンヌ受賞作。この人テレビではオオコケするし、映画では一本だけ見た「ワンダフルライフ」がひどかったので才能のない人だと思ってたけど、試行錯誤しながら少しずつ父になっていく方法もあるのかもしれない。

月曜はタケノコヌキチンジャオロースに蒸し鶏のトマトソース。火曜は牛丼にワカメスープだったけど三人でがっついて写真撮る前に食べちゃった。妻は十二分に子供たちの母親である。