凡庸な芸術家の肖像

日曜も快晴の一日である。日中の気温が上がるのは雨の予兆でもある。台風の前もそうだった。天気がもつのも明日まで。明後日には雨になりそうだ。
▼土曜は朝ヨガから戻ってきた妻と、結局デ・キリコ展を観に行った。お祭りは夕方からの参加にしたらしい。朝ヨガ→掃除洗濯→デキリコ→買物→夕飯の支度→お祭りという妻の一日のスケジュールに対し、僕のは朝ブロ(グ)→風呂掃除→テレビ→デキリコ→テレビ→夕飯というもの。20時に妻が帰ってきた時には既に布団の中だった。男と女ではマルチタスクマネジメントについての潜在的なポテンシャルが違うと言わざるをえない。
▼いや、女性でもビッタレな腐女子はいくらでもいるし、デキル男でなおかつイケメン+イクメンもいくらでもいるだろうから単なる個人差か。いずれにしろ妻の方が格段に優秀であることは間違いない。結婚直後は外で妻ばかり褒められるのを余裕で受け流していたが、転職の度、雇い主に妻と挨拶した際の反応が悉く同じなのでやっと気がついた。人品は見る人が見れば一目瞭然なのだ。
▼こちらに移り住んで10年以上になるが、市立美術館は初めての訪問である。新しい仕事にもようやく慣れ、暮らしぶりに余裕が出てきたのだ。一人前になるのに、普通ならそれくらいの時間はかかる。新卒の人が懸命に働いて、ようやく所帯を持つ決心をする頃だ。職も定まらない状態で、よくも結婚して子供なんか作ったと思う。先日の騒動の際、上の子にもそう言われたっけ。
▼さて、シュルレアリスムの画家として有名なデ・キリコは、僕らの頃はどこかの路地で少女が輪っかを転がす絵が教科書に載っていたりして、日本でもポピュラーな画家だと思う。絵画が、そこに表象されている意味内容とは別に、見る人に不安や憂鬱などの感覚を抱かせることから、マグリットなどと共に形而上絵画とも呼ばれる。
▼けれども我々が所謂デ・キリコとして認知している画風は、1888年に生まれて1978年に90才でその生涯を終える画家の長いキャリアの、ごく初期のほんの一時期のことだ。30代以降、彼の作風は古典的な趣向に変化し、シュルレアリストたちに「裏切者」呼ばわりされている。
▼展示をひと通り見て回るのに30分かかっただろうか。パリ近代美術館所蔵のものを中心に、個人所有の絵はがき大の素描が全体の約1/3ほどを占め、ほぼ制作年順に並んだ展示のうち入口の数点を除けば、ほとんどが全く見たことのない絵である。質量ともに不十分で、見るべきものの少ない、料金に見合わない展示の典型である。
▼内容的には騎士と馬が好んで描かれている。日本人にはわからないが、イタリア人にはなじみの深いモチーフなのかもしれない。馬は僕が小学校で描いた絵にそっくりだ。馬に特徴的なフォルムの躍動感が全く感じられない。思想上の転向云々の前に、率直に言ってヘタクソな絵だと思った。
▼企画展のキャッチコピーは「ピカソが最も畏れた画家」。もしそれが本当だとしたら、ピカソも買いかぶりすぎというものだろう。印象派風の肖像画、ダリ風の小道具、古典主義的な背景…転向後の作品は、何かに似るまいとしてオリジナリティを模索しながら、ついに果たせなかった絵の下手な画家の歩み以外のなにものでもない。
第一次大戦前後のパリという時空を想像してみる。それはある意味バブル期の東京に似ていないだろうか。そこではテーマやイズムが幅を利かせ、作品の質は問われない。仲間といっしょに何か目新しいことをやっているということ自体が重要なのだ。「裏切者」以外のシュルレアリストたちのその後もあまりパッとしたものではない。
▼ギョーム・アポリネールの死が、キリコの転向のきっかけになったのではないか。シュルレアリスムの名付親であり、自身も文字で絵を描くカリグラムなどの実験詩を発表した前衛芸術の擁護者も、後世に残る著名な作品といえば、結局のところ画家マリー・ローランサンとの恋を詠った「ミラボー橋」くらいである。
▼世の中は不公平なものだ。持てる者と持たざる者との間には、そもそもの最初から圧倒的な差が存在する。その差は、人ひとりが一生の間に努力してどうなるようなものではない。芸術はその事実を、才能が全てだという点で我々の眼前に一望の元に提示してみせてくれる教師だ。ランボーアポリネールの対比において。ピカソデ・キリコの対比において。しかし持たざる者にも人生はある。
デ・キリコは持たざる者のアポリネールの死に際し、他のシュルレアリストたちのように持てる者のフリをすることをやめたのではないか。持たざる者として長い人生を生きる。それはそれで芸術家のひとつの役割といえるのではないだろうか。

今日は妻の友人のダンナが釣ってきたブリの刺身に豚汁。妻は人づきあいも料理の腕前も非凡である。