恩讐の彼方

昨日は湿りがちの肌寒い一日だった。まだ夏服だけど。うちの会社の衣更えは11月半ば。お局が冬服のオーダーをとっていたのはつい先日のことだ。温暖化の昨今はそれで正解かも。案の定今日は一転して夏日だ。気温差10度。いい加減にしてほしい。
東日本大震災津波にのまれ児童74人が命を落とした大川小の遺族による訴訟で、県と市に賠償を命じる判決が出た。争点は津波を予見できたかどうか。判決は少なくとも津波到達の7分前には予見できたとし、裏山への避難誘導が適当とした。震災4か月後に現地を訪れた僕の感想を言わせてもらえば、裏山を下から見上げれば急。でも登ってみれば案外簡単というもの。
▼大人になって卒業した小学校を訪ねると、あまりに小さくてびっくりする。大人が急に思える傾斜に子供が登れっこないというのもひとつの考えだろう。でも小学生ほど野山に分け入って遊ぶものだ。僕自身よく小学校の裏山でアケビをとって食べた。きっと大人と子供では空間の把握の仕方が違うのだろう。なんにしろ「なぜ子供が死ななければならなかったのか、その理由が知りたい」という親御さんの思いを納得させる答えなどありはしない。
▼日曜は現場が終わった後も宿題があって、会社に戻って事務処理。それもこれも締切ギリギリまでやらない自分が悪い。おかげで楽しみな真田丸は車載テレビでの鑑賞。うちに帰って風呂に入って夕飯を食べるともう22時だ。このまま日曜が終わるのは忍びなくて、家人が寝室に消えても未練タラタラ居間に残ってザッピングしていると、NHKで海外ドラマ「戦争と平和」第5話をやっていた。
▼ロシアの文豪レフ・トルストイの「戦争と平和」は「アンナ・カレーニナ」と並ぶ僕のマイフェイバリットノベルだ。僕がこの小説を読んだのはたしか大学6年の彼女にフラれた後だったか。少なくとも大学4年の時、年上の彼女を好きになった時にはまだ読んでいなかった。なぜなら酔った勢いで彼女に電話をかけドストエフスキーについて熱く語った後、彼女に「トルストイは?」ときかれ、僕は返事に窮したからだ。
▼「戦争と平和」はヘップバーン出演のもの以外に最近も映画化されていたはずだが、リトルドものっぽく思えて観なかった。このような大河小説はドラマ化には不向きだ。僕はドラマが始まってかなりたってからもずっと、まだ予告編だと思っていた。とはいえ第5話はヒロインナターシャ・ロストフが、婚約者アンドレイ公爵の不在中、色男アナトールに誘惑される前半の山場である。
▼家族の機転ですんでのところで駆け落ちは阻止されるものの、スケコマシの誘惑に落ちた自分を赦すことができず自殺を図るナターシャ。また自分以外の男に一瞬でも気をゆるした婚約者を赦すことができず、再び戦地に赴くアンドレイ。やがてアンドレイは重症を負い、看病するナターシャの腕の中で息を引き取る。このようなあらすじだけでは小説の魅力を十分に説明したとは言い難い。
トルストイの小説の魅力は、その人物描写にある。茫洋とした大男の主人公ピエール、美人で我儘なナターシャ、お人よしの父親ロストフ伯爵、繊細で気位の高いアンドレイ公爵、マットな感じの妹マリア、気難しい父親のボルコンスキー公爵、スノッブなピエールの妻エレーヌ、その兄で妻子持ちの遊び人アナトール…小説の全てのエピソードが、これら主要人物のキャラを補強していく。その歩みに乱れがない。
▼例えばナターシャがオペラでアナトールを初めて見た時に覚えた今までに感じたことのない感覚の描写は、村上春樹の小説によく出てくる性欲の理不尽さの表現よりよほどよくできている。第5話にも何が悲しいのか唐突に浴びるように酒を飲むピエールの描写があるが、理想を追求する途上の青年には往々にして見られる態度だ。本人にもわけがわからないのである。
▼長い回り道を経て最終的にナターシャとピエールは結ばれるのだが、これらの苦難や試練も、全てはここに至る道だったと思えてくる。世の中にはいろんな人がいて、いい人も悪い人もいる。せめて自分はよき方向を目指して歩いていこう。ジタバタしても仕方ないと思えるのだ。

日曜は白菜と豚肉のミルフィーユ鍋にポテサラに妻が大北海道展で買ってきたカニ入りコロッケ。コロッケがポテサラに負けて箸が進まない。

月曜は豚丼に中華スープ。最近ようやく汁物が解禁になった。我が家では7〜9月は味噌汁は休みである。

火曜は鶏とさつま芋と里芋の炒め煮。

シメに会社の女子社員に頂いた生シラスを丼にして生卵を落とす。スーパーで売っている灰色に溶けたものとは違って真っ白だ。

そして今日はミートローフに野菜サラダ。

帰省前に妻が得意のチョコチップクッキーを焼いてくれた。
▼ピエールと結婚したナターシャをトルストイはたしか乳牛のように表現していたと思う。か細かったナターシャは今やすっかり豊満で逞しい母親になったという風に。妻は最初からか細くはなかったが、さりとて今も乳牛ではない。しかし僕を含めて三人のバカの母親であることは確かだ。誰かに刺されるといけないからこの辺でやめときます。