痛いなー、でもそうなんだよね。


元のエントリーも読ませてもらったけど、次なるべんとーさんの展開が私の心のアンテナにピントきた感じ。好きなことをするということ のエントリーにひどく共鳴しました。
 今の世の中では、流していくしかないと言う確固たる諦めを持つ自分と、社会でのキャリアー(仕事)が、どうしても上手くいかない。一時は凄く悩んだテーマだけど、悩んでもどうしようもないこととして、どこかで括ってしまった気がする。

宗教めいた話でもあるんだが、人がこの世界の人やものに自然に注げる愛情として、自分の性向にあったことをし続けなさいということだった。

これが見つかるととってもラッキーな人生だと思う。私は未だに見つけられていないと思っているし、暗中模索の状態だけど、「これは違う」という匂いだけは感じる。今の社会は、選べる選択肢が沢山あって、その中から好きなことをつまめるけど、私のような人間は、自分にしか出来ない事で世の中の役に立てるような事は何か?と探しているのかもしれない。一人一人のその性向を寄せ集めて、より良い社会が成り立っていたら、きっとこれこそが私が目指すものかもしれないと思っている。 
 やりたい事をやる自分の満足は、満たされると空虚な物で、何をやっても自分の力量の限界を見ることが出来る。そこから更に進む時、気持ちがそぐわない事でも続けていこうというエネルギーは、自分の周りの人からもらっている事も多い。ベタな感情的なものでなく、あくまでも自分が感じる「感」の事で、その感性かな。人に求めず、人から褒められもせず、それでいて人に必要な事を提供する一方通行な自分。
 こんな風に言ったらその仕事って何でもいいじゃん!です。ただ、そこに少しだけ潜むのが、「自分がしたいこと」「自分に出来る事」かしら。私はこの歳で、肉体労働は出来ないしです。37歳で私は夫の仕事を辞め、母業に専念すると宣言してから一切生産的な仕事には関わっていない。でも、夫が働いて家族を養うことに貧しても、私は自分を曲げなかった。その事で思うのが、人は何とかしていく力があるということ。ただね、最近これを一般的なこととして言えなくなってきているのと、言っている事が分からない世代も多いと思うよ。

I want what you want when you want it.かな。