3.11地震のその後

  • 地震当日の私は、パート先のアウトドアショップに勤務中。

大きなプレハブ倉庫のようなお店がグラグラと揺れだし、だんだんと大きく、いつまでも続く揺れの中、店内にいた従業員と身を寄せ合い、しばらくはしゃがみ込んでいたけれど、一層揺れが激しくなり、ガシャガシャと物が壊れる音や、高い場所に積み上げられていた在庫が崩れ落ちてくるのを目の当たりにし、恐怖心が倍増。
いったん、揺れが収まった間に、入り口付近に倒れ落ちたカヌーをまたいでみんなで店外に駆け出しました。
地震直後の店内の様子

  • グラグラ揺れてる間も、頭に浮かぶのは「ナル君、カイ君、大丈夫か?今日は夫もまだ家にいる時間、ちゃんと守ってくれてるはずだよね・・・」と、家のことばかり。

地震直後は携帯電話は全く使えず、実家の母のことも気がかりです。
「とりあえず、家の様子を見てきます」と許可をもらい、自転車でキュンキュンと自宅へ帰宅(約10分の距離)する途中、地震後に急に吹雪き出した雪で濡れた道路の鉄の側溝のふたで大転倒して、右手親指と左下半身をしこたま強打し、いまだに右手親指が腫れて痛いし・・・。
帰宅途中の道路は陥没したり、塀が倒壊したり、瓦が散乱していたり、被害の大きさに不安は増すばかりです。
自宅に着いて家に入ると、神棚の物や、食器棚の上に置いてあった観葉植物の鉢がガシャガシャと落下し土が散乱、リビングの照明器具も根元から外れて床に散らばっていましたが、食器棚や食器は無事で被害は思いのほか少ないという状態でした。
夫と猫たちを探すと、車の中に避難中。「やっぱり、ちゃんと猫たちを守ってくれていたのね」と安堵です。
「仕事には行かないで。すぐに実家の母の様子を見てきて」とお願いすると、「もちろん、そのつもり」ということで、あとのことは夫に任せ、余震の続く中とりあえず職場に戻った私でしたが、結局その日はお店の片付けも出来ずに帰宅ということになりました。
地震の翌日はお店は臨時休業でしたが、従業員は出勤し店内の片付けや整理を。一段落させ夕方4時には帰宅。
地震の翌々日も出勤し、必要なものがあれば販売するという状態でお店をオープン。水を入れる容器を探す方が次々と来店しましたが、ウォータータンクは在庫なし、乾電池やホワイトガソリンなどの燃料系、ランタンや非常食があっという間に売れていきました。
地震の3日後、月曜日から今週金曜日までは本来のシフトでも休みになっていて、今は連休中の私ですが、流通も止まっていて入荷もないし、果たして非常用の物以外を買いに来るお客様がいるのかどうか・・。もしかしたら、しばらくはお休みになるかもです。
一方、夫の会社はガラスが割れたり、建物の被害も少なくないということで、一週間は自宅待機の指示が出ています。
そんなわけで、今は地震当日から我が家で一緒に生活する実家の母(実家も我が家から約3キロ程度の距離)と3人で一日中一緒に生活しています。
地震以降は、私の怪我を慮(オモンパカ)ってか、サバイバル本能が目覚めたのか、3食の食事の支度、後片付け、お風呂の掃除から買い物、断水中の給水と、家のことは全部夫がやってくれて、母と私はただゴロゴロとテレビのニュースを見ている状態。
水も使えるようになり、ちゃんとした食事の支度もできるようになった今夜は、白菜を使って炒めものを作る夫。「ケンちゃん、味付けうまいね〜。なんでもやってくれてミキちゃんは幸せだね〜」なんて言う母、呑気な会話をしながら食事をする我が家でした。
「避難範囲が50キロになったらどうする?」、「このままいったら食料も尽きちゃうね・・」、「スーパーには紙製品が何も売ってなかったよ」、「いつになったらガソリンくるかな・・」だの、話してる内容は緊迫ムードいっぱいだけど、実際はそれほど焦ってなくて、当事者はいたってノンビリしてるって感じです。
民放局ではバラエティ番組も放送し始めたり、徐々に元の生活に戻ってきつつある部分もあって、そういうのを「不謹慎だ」とか「この緊急事態に非常識だ」なんて、目くじらを立てる人もいるかもしれないけど、節約・節制を心掛けて、自分が出来る範囲の協力をしつつ、フツウの今までと同じ日常生活を送れる人は送って欲しいし、送りたいと思ってます。
心配事はいっぱいあるけど、我が家では、けっこう「アハハ・・・」と笑って暮らしています。