ガンダム接待

この話は、ほっつこと細野晴彦さんのところ(id:hhosono) の、10月18日の話題(http://d.hatena.ne.jp/hhosono/20031018)、とくにオタク趣味が「大人の男性」のたしなみとして、「ゴルフ並に社会で役立つコミュニケーション・ツール」になっちゃうかもね、というid:natsu-kさんのコメントに対するレスとして書こうと思ったのですが、先方のコメント欄ではなくこっちに書くものです。内容は本題の通り。
ようはですね、そんなものがすでに現実のものとして語られているのだ、と。高崎から東京に向かう新幹線のなかで目撃されたのですが、20代〜30代くらいの、メーカー勤務とおぼしきサラリーマン4人組が「……××さん相手のガンダム接待なんですが」などとそのダンドリについて、ビールかなんか飲みながら高崎-東京間ずうっと、ガンオタ話に花を咲かせていたらしい。取引先の課長クラス(?)がたいへんなガンオタで、ならガンダム接待だ〜! と盛り上がったらしいんですね。
で、どんな話をしていたかといえば、延々とモビルスーツよりの設定解釈話をしていたらしい……と、いうことなんですが、ぼくとしてもひとから聞いた話なので、いささかディテールが弱くってもどかしいところがあります。ちなみに、時期は2000年の春先。しかし「ガンダム接待」は危険だと思う。ゼッタイに神学論争になるもの。「…きっ、きみはファーストガンダムを分かっていなーーーい!」とか、「最初に見たガンダムがGガンだなんていうヤツの話は聞きたくないね!!!!!!」とかいわれちゃって、もうメチャクチャ。取引話もパー。なんていう展開になりそうな気がします。
もとより、ある程度以上ディープな趣味は、会社員的な社交には向きません。みなそれぞれに固有のこだわりがあり、場合によっては欲や競争心が働くからです。『釣りバカ日誌』が、実は「釣り」という趣味の孕む会社員的な社交の不可能性のうえに成り立っていることを見れば分かりやすいと思います。わりとしょっちゅう、釣りがらみのトラブルが物語を牽引しているでしょう。これはオタであるかどうかには関わりません。「ガンダム接待」のエピソードにしても、ガンダム関連のコンテンツやマテリアルが、「オタク」という領域にのみ属しているとされていた状態から、単に「趣味」の領域へとスライドしているという話でしかない。しかし、それが、真の意味で「趣味」である以上、会社員的な社交には本質的になじまないものとぼくは思います。その意味では、ゴルフを本当に「趣味」とすることが、いまの日本ではもっとも困難なことなのかもしれません。

鉱物趣味におけるオタのイメージ

そして、鉱物マニア(この言い方も実はあんま好きではないのです。イギリス英語のmineralistのほうがピッタリ来る感じなのですが、外来語としても一般的じゃないし、どうもイギリスではちょっと斜に構えたニュアンスで使われているようだし。かといってアメリカ英語のRockhoundっていうのもちょっと……。まじ具体的にわんこのイメージを背負ってるし)の世界で、マニア/オタクの分割をどこで捉えるか、ということを考えてみると、どうも、長年この趣味をやってるけど、いつまで経っても初心者の域を出ず、他人の成果を消費してるだけのひと、というイメージとなります。あくまで私見ですが。
「他人の成果を消費」ってのはいまひとつ分かりにくいと思います。ようは、鉱物には産地があるわけです。しかし、一度、採取されてしまった鉱物はそれで終わりです。なので、既知の産地でも見方を変えたり、少し離れた場所を探してみるとか、また、さまざまな資料を検索し、新しい産地を開拓するとか、そういった営みが必要になってくるわけです。そうした探索派(ここのコメント欄にいつも書き込んでもらっている方々もそうですね)の「成果」を聞きつけ、情報を得ると速攻でそこに飛んでいき、既知の情報の範囲内で鉱物を探し、基本的に新知見を他にもたらすことのない行動、それを「他人の成果を消費」といっています。この手のひとの特徴には、

  • 他人のうわさ話には熱心
  • すごく情報を蓄積しているようで、実は不勉強
  • 地球科学的な知、化学的な知などの体系に無関心
  • 鉱物種の定義など、抽象的な概念が理解できていない場合がある
  • 自分の採集スキルが低く、成果があがらないことを、誰か他人が産地を荒らしているためだ、と責任転嫁をする
  • なぜか鉱物標本の売買に対しては批判的

といったことがあるのではないかと思います。というより、鉱物趣味の世界では、こういうヤツがオタだ! と考えているのですね。ぼくが詳しく知っているのは鉱物だけですが、天然のものを対象にした博物学的な趣味の世界では、おそらくマニア(コレクター)/オタクの分割は、このようになされるのではないかと思います。個々の対象物を相互に結びつけることで、自分なりのコレクションを作り上げていく営みに結び付くことのない、個々の対象物に対する欲望のみのドライブ、といった具合に定式化できるかもしれません。結果、ものはどんどん蓄積されていきますが、しかし、知は蓄積されていかない。だから彼/彼女は飽きることなく、今年と同じ行動を来年も続けられる、というモデルです。やや批判的なイメージです。
あと、「標本を整理しない」というのも付け加えてもよいのですが、それを入れてしまうと、ぼく自身が見事なオタになってしまいます。でも、ゆくゆくは整理する意志はあるんですよ(汗。