伊藤剛のトカトントニズム

(04/04/16-)

  マンガ評論家/鉱物愛好家・伊藤剛 *プロフィル* によるはてなダイアリー/マンガ/音楽/鉱物/日々の雑記
  メールはこちら→googooito(at)gmail.com  ※(at)を@に直してください。

  トカトントン をふりはらう。


  書き下ろしマンガ批評書
 『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』
  (税込み)、星海社新書より発売中。
  →内容の詳細はこちら
  →アマゾン購入ページへ

2003-11-19 Wed 『隠蔽された障害』が絶版になった理由 このエントリーを含むブックマーク

「アックス 29号」(青林工藝舎 2002.10)を見ることが出来ました。

山田花子の両親である高市俊皓・裕子の両氏による手記石川元著「隠蔽された障害」(岩波書店刊)成立から出版に至る経緯とその真実」が掲載されています。

両親が抗議をし、絶版に至った理由は、石川氏が「山田花子の”評伝”を書く」といって協力を要請したにもかかわらず、刊行された本書が「症例研究」であったこと、両親が内容を刊行に至るまで知らされなかったこと、無断で診療カルテなどを入手し、公開したこと、そして事実誤認です。


私達の立場からすれば、言葉巧みに私達には「表現者としての山田花子」を書くものと思いこませ、実は、精神医学または脳機能障害研究材料を収集し、刊行したものと考えざるを得ないのである。

今回の一連の事態の最大の問題は、先生が、面接調査を開始するに当たり、その真の目的をはっきり告げず、常に曖昧にしたままに終始し、また、出版に先立ちゲラ等を私達に提示し、最終的な確認と了解を得ようとはしなかった事にある。然るに、先生は、言を左右し、見苦しい弁解に終始し、今日(2002年9月:引用者註)に至るも、真摯な謝罪の言葉一つはない。


そして、2002年3月、弁護士を立てて岩波書店と石川元に交渉開始、同年8月末、絶版・廃棄処分。岩波書店と石川元が両親に対して謝罪文を提出することで決着したとのことです。裁判には至っていないようです。少なくとも「手記」には、裁判に至ったという記述はありませんでした。過去の日記(http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20031115#p1)(http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20031017#p2)で裁判があったかのような記述をしてきましたが、伝聞にもとづくものでしたので、ここに訂正します。


山田花子のプライバシーの公開が大きな問題となっていますが、背景には、作家・表現者としての「山田花子」についての「評伝」であるのか、「症例・山田花子」についても研究であるのか、というアプローチの違いがあります。もちろん、症例研究としてみたとしても、小学校の通知票やカルテの引用は、読んでいて「こんなものを何の関係もない第三者のぼくが読んでしまってよいのか」と自問せざるを得ないようなものでした。このブログでの記述を見たひとの、のぞき見的な興味を喚起しないことを祈るばかりです。少なくとも、単なる読者であるぼくには、そこまで他人のプライベートに立ち入る権利はないと思います。その意味で、読んでいて気分の悪くなるものでした。


ぼくの問題意識は、石川元の「マンガ表現」を扱うときの態度や手法のほうにあります。あくまでも「マンガをめぐる言説」の問題としてとらえています。ですから、精神科医としての、あるいは物書きとしての倫理については、あまり立ち入るつもりはありません。しかし「評伝」か「研究」か、という問題は、著者の作品分析の手法や態度に関わってきます。となると、いくら言及を「マンガをめぐる言説」の問題に限る、という立ち位置でいたとしても、やはり、絶版に至った経緯と、その文脈での本書の問題にも触れないわけにはいきません。


石川元には、やはり山田花子を扱った文章を収録した著書『こころの時限爆弾』(岩波書店)があります。こちらは、ゲラの段階での両親のチェックもあり、現在でも刊行されています。この本での記述と、『隠蔽された障害』の骨子は、おおむね同一です。しかし、より「実証的」に、山田花子の「作品」に、一見、緻密にみえる分析と検証を行った『隠蔽された障害』のほうが問題となったのは、どういうことなのでしょうか。ぼくは、著者が、次第に自らの手法におぼれ、どんどん見据えるべきものから離れていったのではないかと考えています。『こころの時限爆弾』では、山田花子の作品を高く評価するという記述があり、また「アックス」の手記によれば、作品の「オチのなさ」に至る山田花子の姿勢も「しきりに賞賛し、全集刊行を私達に薦め」ていたものが、『隠蔽された障害』では一転して、同じことを障害の徴候としてしか記述していません。この二冊の本の間、刊行時期の差にして約3年半のあいだの変化がうかがえるのです。


石川元の主張は、一貫して、曖昧な「こころ」を排し、「モノ」を媒介に語ることにあります。彼は、その考え方を進める過程で、たとえば作品のもつ「力」であるとか、あるいは「美」のようなものから次第に目を背けていったのではないでしょうか。もっといえば、「山田花子作品にこころを動かされた自分」から目を背け、否認していったのではないかと思います。

rucharucha 2003/11/19 12:47 精神病者」の端っこにカテゴライズされていて、いつも思うのが「精神病」や「心の病」はなんてあやふやな言葉だろうということです。自分自身が言葉を扱いことを職業としていることも影響しているかもしれませんが、全てを「脳に障害を持っていた」という視点で見ようとすると、薬物治療だけで治癒するはずの病気にカウンセリングが必要な理由が失われてしまいます。いまだに精神科や神経科にカウンセリングルームが併設されていることが少ないこと、また保険ではなく自己負担である場合がほとんです。石川氏は「あくまで障害者としての山田花子を語る精神科医師である自分」が、「山田花子(病気の人間)の作品に心ひかれる」ことに無意識に恐怖を感じたのではないでしょうか。全てを理解できると思って読み出した作品を理解できないとき、足下をすくわれるような感覚に怯えてしまったのではないかと感じます。

H.OdagiriH.Odagiri 2003/11/19 14:07 最後の節、ちょっと無造作に他者の内面を斟酌しすぎな気がします。危ういですよ、そーゆーの。ところで22日はいらっしゃいます? スゲー近所なんでオレは行きますが。

hesoheso 2003/11/19 14:16 goito-mineralさんの個性のよくでた感想と言うことで。しかしこの本は古本屋でも見かけませんね。山田さんのご遺族にすればその方がよいのでしょうが。

goito-mineralgoito-mineral 2003/11/19 17:15 22日は…どうしようか微妙に考え中です。●ご指摘はひじょうによく分かります。方法論の変化を指摘するにとどめておくのが節度かもしれない。もちろん、ぼくはぼくなりの根拠があってこう推論しています(おもに「こころの時限爆弾」に収録されたほかのエッセイがその材料です)が、「危うい」のも分かる。しかし、弁明するわけではないですが、石川氏の誤謬は、まさにそうした「危うさ」を可能な限り回避しようとした末のこととも取れるのです。難しいところですが、こうした「危うさ」をどのように、あるいはどの程度、抱え込むかが課題かなと思います。

goito-mineralgoito-mineral 2003/11/20 11:09 22日…どうも行けなさそうです。

H.OdagiriH.Odagiri 2003/11/20 13:49 あら、それは残念です。時間があるようなら、ちょいとおもしろいところに案内しようかと思ってたんですが。

goito-mineralgoito-mineral 2003/11/20 14:41 ちょいと面白いところ……なんすか。気になるー!

H.OdagiriH.Odagiri 2003/11/20 14:46 ホンモノの「飾り窓」見物。どースか?

goito-mineralgoito-mineral 2003/11/21 01:21 「飾り窓」って、「飾り窓の女」の「飾り窓」?? まぁ…ジョー様ったら……。