桜玉吉、盲腸、手塚治虫エピソード

竹熊健太郎さんのところ(たけくまメモ)に、桜玉吉の退院話が出ていた。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post.html


「退院話」ということは、当然、入院したということだが、最初、鬱病がひどくなって精神科に入院したのだと思った。ブログでは「盲腸を我慢していて腹膜炎を併発」と明記されていたけれど、その前日に書かれたミクシィのほうでは「入院が一日遅かったら生命も危ういところだったらしい」としか説明されていなかった。そこで、「これは自殺未遂か抗うつ剤のオーヴァードーズだな」と思ってしまったわけだ。
不謹慎っちゃ不謹慎だけど、桜玉吉のここのところの著作からして、そう考えるのも無理はないとは思う。なんせ、身辺のことを鬱の具合から親族の話まで、セキララに過ぎるくらいに描いているわけだから。ちょうど新刊『御緩漫玉日記』1巻を買ってきたところだっただけに、余計にそう思ったというか、作品の側に現実への想像が引っ張られたというか。ちなみに『御緩(おゆるり、と読む)』1巻は、このまま昔の離婚話へ突入するのか? アシスタントの女子には手を出したんか? と思わせるなかなかスリリングなところで終わってます。
いずれにせよ、業の深い話ではある。桜玉吉のマンガ家としての「業」もそうだけど、オレの読者としての「業」もやっぱり深いということだろう。


御緩漫玉日記 (1) (Beam comix)

御緩漫玉日記 (1) (Beam comix)



しかし、「盲腸を我慢していて腹膜炎」ってのは、炎症を起こした虫垂が破けるまでガマンをしていたということで、その苦痛たるや、相当なものだったんじゃないかと思う。まあ、そのへんの事情は、これから「コミックビーム」に描かれる『漫玉日記』を読めば明らかになっていくのだろう。


というわけで、「盲腸」「マンガ」「竹熊さん」という三題話ではないが、手塚治虫の逸話を思い出したので書いとく。


これ、オレなんかがウェブで書いちゃっていいもんかとも思うのだが、かつて手塚番の編集者だった方から伺った話だ。手塚治虫が若い担当編集者の虫垂を切ろうとした話である。


手塚先生が、若い編集者と旅館かどこかに缶詰になっていたときのこと。
夜、二人きりである。


突然、手塚先生が「きみ、盲腸は済ましているか」と尋ねてきた。
編集者氏が「まだです」と答えると、「虫垂なんていうものは、あっても役に立たないし、炎症を起こす危険がある。だからあらかじめ取ってしまうのがよい」などという。
編集者氏は「そんなもんですか」程度にあいづちを打っていたらしいのだが、手塚先生は
「ぼくは医者ですから、いま、手術してあげましょう」といい出したのだ!


当然、編集者氏は困惑し、冗談でしょうといいつつ逃げまわったのだが、手塚先生はというと、目がマジだったらしい。


結局、冗談だったのか「手術」はされなかったのだそうだが(よく考えれば当たり前だが)、かなり困ったんじゃないかと思う。道具がないでしょう、と言うと、いや、マンガの道具の小刀があるから、などと答えられたんだとか。
その当時、手塚先生の担当には屈強な男性をつけるのが各社のならわしになっていたんだそうだが、この編集者氏は優男で二枚目だった。そして、手塚先生が以前から「彼はかわいいですね」とか何とかいっていたのだのだそうだ。


そこで、「あれは陰毛を剃ってみたかったんじゃないか?」と噂されたんだそうだ。


まあおよそ、手塚先生自身は軽く冗談をいって困らせたつもりだったんだろうが、そこはやはり「大手塚」だ。どうしても後の我々は「神話」的なエピソードとしてみてしまう。それこそ、ときおり作品で見せる倒錯的なテイストと結びつけたくなってしまう。
実際、「手塚治虫のエピソード」として語られたり、本に書かれたりしたものの中にも、かなり誇張されたものや、伝言ゲームの結果、実際とはまったく違ったものになったりしたものも、少なくないらしい。


ぼくも、この話を伺ったとき、メモなど取っていなかったので、ディテールはかなり曖昧だったりする。いい加減で申し訳ない。出版社は確か講談社だったと思うが、少々自信がない。時代もいつのことなのか‥‥。