ゆるキャラとテヅカ・イズ・デッド、シモンちゃん

そんなわけで今年度最初の授業週間が終わったわけですが、キツかったすよ〜! 終わってみればまぁそんなでもないなと思うんですが、しかし、はじめての学校が三校も一気に増えたわけで、やはり緊張しまくりです。
学校によってそれぞれ雰囲気も勝手も違うしね。
ちなみに武蔵野美術大学の講義(表象文化論・マンガ論)は、それをもとに某社で新書として刊行の予定であります。テヅカ・イズ・デッドのアウトテイクを中心に、新ネタも入れていく感じで。「ゆるキャラ」の話題もでるよ。もちろん紙屋研究所さんhttp://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/totsuka-saikaihatu.htmlのご指摘の通り、ここにこそ「プロトキャラクター態」がある、という文脈です。
以下、みうらじゅんゆるキャラの本』あとがきから引用。

 どんなものにも目を描くと、とたんにキャラ化するのはなぜ?
 いや、キャラ化したと思ってしまうのはなぜなんだろう?
 勢いづいて手と足を描き加えると、とたんに人間っぽくなってしまうのはなぜ?
 いや、人間ぽいと思い込んでしまうのはなぜだろう?
 ”○○君””○○ちゃん”
 名前を付けてみると、とたんに愛着が湧いてくるのはなぜ?
 いや、愛着を感じずにいられないのはなぜだろう?
 何もないところから突然、誕生するキャラクターに人は驚きと命の息吹を感じる。それがたとえカボチャであってもチクワであっても、分かり合える何かがあるような気がしてうれしくなる。人は淋しい生き物だから、人間以外の友達も欲しくなるんだ。


みうらじゅん 「ゆるいあとがき。」『ゆるキャラの本』 p.156 扶桑社 2006



ゆるキャラの本 (扶桑社サブカルPB)

ゆるキャラの本 (扶桑社サブカルPB)



まさに、私の言葉でいう「プロトキャラクター態」を見事に言い表した文章です。
そもそも、テヅカイズで展開した「キャラ/キャラクター論」のもとには、「えここ」や「任意たん」のようなネット発の萌えキャラや、アスキーアートのほかに「ゆるキャラ」もあったわけで、順序は逆なんですが。
そういえば三年くらい前、某ネット雑誌(誌名を忘れてしまった……)で「みんくる」と「はまりん」、そしてバスのキャラつながりでダイナマイツな「しじみ君」を紹介しつつこの「キャラの成立要件」についてまとめた文章を書いたりしてました。

てことは、当時からキャラ/キャラクターにつながるアイディアは持っていたわけか。


で、紙屋研究所さんでは「プロトキャラクター」にすら至ってない「プロト・プロトキャラクター」として、「とつか再開発君」をあげていますが、紙屋さん! あなたはまだ甘い! キャラがキャラとして成立する本当のギリギリのラインを超えて、しかも「これがキャラですよ」と言い張るそんなデッドラインを私たちはすでに見ている。


たとえば、こんなの。


いちおうキャラなんですが、目玉焼のがむにゅむにゅ動いてます。
わりと珍しい不定形タイプ。
ただし、固有名はない様子。


・目ん玉の町 平田町
http://www.town.hirata.yamagata.jp/


> 平田町は人の横顔の形をした
> 山形県のちょうど
> 目のあたりにあることから
> 目ん玉のまちと呼ばれています。


というのが由来。たしかに山形県の形は男性の横顔に見える。
鶴舞う形の群馬県」(上毛かるた)よりはよほど無理がない。


そして、これ。


札幌市ごみ減量キャラクター
http://www.city.sapporo.jp/seiso/slim/index.html


キャラ絵をイラスト的に洗練させようとしたのか、キャラの存在感をひどく曖昧にしてしまった例。
ある意味、はからずも批評的ともいえるんだが、キャラの存在感が、はっきりとした描線に宿っていることを逆説的に示している。
さらに、公募で決まった命名がひどく投げやりなあたりに、限界キャラ感が強く出ていると思う。




あとそれにしても、紙屋研究所さんは下妻市シモンちゃんについてはどう考えておられるのだろう。
自治体キャラとしてはピカイチの萌え物件である。





しかも、オスのオオムラサキの羽を背負っているので、これはショタキャラ、女装美少年だという解釈がついている*1。というか、ショタっこに決まってんだろシモンきゅんは。そっちのほうが何万倍も萌えるもの。

*1:もちろん、ネットで勝手についた解釈。為念