伊藤剛のトカトントニズム

(04/04/16-)

  マンガ評論家/鉱物愛好家・伊藤剛 *プロフィル* によるはてなダイアリー/マンガ/音楽/鉱物/日々の雑記
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  トカトントン をふりはらう。


  書き下ろしマンガ批評書
 『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』
  312ページ・2520円(税込み)、NTT出版より発売中。
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2007-09-28 Fri

よつばと! 7巻 15:35 よつばと! 7巻を含むブックマーク

『よつばと!』7巻、買う。読む。すばらしすぎる。

3年くらい前(……ってもうそんな前か!)に書いたレビューを再掲。リンクですが。

http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20041128/p1


そして今日、この新刊を読んで、さらに「よつばの世界」に満ち溢れている幸福と、同時に感じるはかなさのようなものはいったい何なのかについて考える。恵那と、よつばと、みうらが自転車や一輪車に乗って町を行く数コマの身震いするほどの美しさを前にして、どのように言葉を紡げばいいのかとすら思う。素晴らしい。


よつばと! 7 (電撃コミックス)

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追記:7巻P40に、よつば視点(同一化技法モンタージュ型)のコマがみられる。

「よつば視点」とは、かつて作者あずまきよひこ氏自身が「ユリイカ」2006年1月号のインタビュー(インタビュアーは私)で意図して描いていないと語ったものだ。「よつば視点」を描かないのは、よつばの「内面」は見せないという意図によるいうことだったが、ではこれは何を意味するのだろうか。

もしかすると、すでに既刊からあったのかもしれない。もう一度見直してみなければ。


追記の追記(08/01/21):明確なよつば視点(同一化技法・モンタージュ型)が大きく導入され、それによるコマわりではじめて全体が牽引されるのは、6巻『はいたつ』が最初だった。



追記の追記の追記(09/06/24):4巻・第27話 「よつばとつくつくぼうし」が「よつば視点」導入の最初でした。なぜいままでツッコまれなかったのか分からないけれど、これは単に見落としです。

多少、フォロー気味に批評家的に付け加えておくと、「よつば視点」(=主観ショット)の導入は、よつばに「内面」を生じさせる。つまり、私たちと同じく「人間」になってしまう。言い換えればそれは、「無敵」であった「よつば」にとってはある喪失を意味する。その最初の契機となるエピソードが、「夏休みはもう終わり」を暗示する「つくつくぼうし」によって描かれるということは、やはり示唆的であろう。



ユリイカ2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線

ユリイカ2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線

nagataninagatani 2007/09/29 10:27 そう!素晴らしいですね。前に三輪車で学校まで行ってしまう
回がありましたが、あれは絵画的にも絶品ですね。
よつばが「認識する」道路のイメージが、背景にしっかり描かれ
ていたのには驚きました。
『陰陽師』で描かれた、京都大路の<当時感じたであろう>
道幅の広さ表現もそうだったんですが。

同一化表現分析のなかで、論じるのも面白いと思います。
竹内さんは、おれが最初に論じた〜で止まったまんま。
これではどうしようもないのでねえ。

京都のパーティで、ちょっと「あれではダメ、もっとやらないと」とハッパかけた(笑)んで、怒っていらっしゃるかも
知れませんが…。

goito-mineralgoito-mineral 2007/09/30 02:40 まあテヅカイズでの竹内さんの批判も、あれは同一化技法・モンタージュ型という発想の可能性を抽出しようというものだったんですがね。彼は個人攻撃と受け取ったみたいです。それって学者の態度ではないと思うし、結局真剣に考えてなかったんだなと思います。あの世代のひとは誰でも大学に就職できたんですかね。いまは相当優秀なひとでもポストがないというのに。