20秒の勇気 〜「幸せへのキセキ」を観て〜

 今週観た映画②ということで、「幸せへのキセキ」を観てきました。TOHOシネマズスカラ座で。ここは、ずっと行ってみたいなぁと思っていた映画館なんだけど、まぁ広かった!

 お話の内容としては、母を失った家族が、環境を変えようということで、動物園付きの一戸建てを買って、動物園を再建するという実話をベースにしたお話。主演がマット・デイモンであるということと、ネット上の評価が高いことが見に行くきっかけになりました。詳細はこちら→http://eiga.com/movie/57473/

 まぁ、うまく行き過ぎじゃない?って言われちゃえばそれまでなんだけど、やっぱり、悲劇の後には、なにかうまくいって欲しいと思いませんか?(笑)なんだかんだ、最後の動物園がオープンした後は、涙が流れそうになるくらい感動してしまったよね。最近、個人的に、努力が報われる系に弱いんだよね。

 全編通して描かれるのは、動物園がテーマということもあり、動物の描写とかが多いのかなと思いきや、個人的には、「人と交わる」ことの大切さみたいなのを学んだかな。自分も世界を広げて、色んな人と交わらなきゃなぁと思ったりした。そして、人と交わるうえで、大切なのは、素直であること。自分が素直にならないと、相手も素直になってくれないしね。

 気に入ったフレーズ①は、「20秒恥をかく勇気を持てば、素晴らしいことが起こる」です。確かに、恥をかくのっては一瞬で、うまくいって得られるものってのは、本当に素晴らしいもので、勇気を出すってのは大切なことだよね。無謀と勇気は違うと思うけど。最近、勇気を持つためにはどうすればいいかを考えることがあって、勇気を出すためには、自信が必要なんじゃないかと思ったりする。PKを決める自信がなければ、PKをける勇気って出てこないでしょ?そして、これって、悪循環に陥ってしまうと思うんだよね。だから、堂々と自信を持って、20秒の勇気を持つことって大切と思った。物語でも、父親と息子の和解は、結局その勇気をお互いが持ったことによりもたらされるものであったし、その後、勇気を出した息子にはすばらしいことが待っていたしね。

 気に入ったフレーズ②は、物語の重要な場面でよくでてきた「Why not?」。「なぜ?」という質問に、「Why not?」って返してみたくなった。確かに、世の中、理由が必要なことが多いけれども、ポジティブな「Why not?」ってのは全然ありだと思う。やりたくない理由なんて考えずに、とりあえず、やってみるって大事。直観って意外とあてになるってのは、私の持論でもあります。

ありえない人とはありえないんだよねぇ… 〜「ワンデイ 23年のラブストーリー」を観て〜

 今週観た映画その①ということで、「ワンデイ 23年のラブストーリー」を観ました。初めて、TOHOシネマズ有楽座に行きました。
 映画の内容はというと、大学卒業からの23年間の7月15日だけを描くラブストーリー。駅で見かけた看板のキャッチフレーズ「23年後の今日。あなたの隣にいるのはその人ですか」に惹かれて、前売り券を買ってしまいました。
 お互いが想っているのに、すれ違ってしまうというありがちな展開。うまくいきそうになっては、うまくいかない。それは、ほとんど男側が幼すぎるが故。好きってことに気づくのって難しいよね。また、ラストが切ないのは個人的に好みな展開だし、7月15日の意味がちゃんとあるってのもよかった。 

 個人的に抱いた感想としては、好きな人は、やっぱりいつまでも好きだし、そうではない人とは、やっぱりそうではないのかなぁということ。主役の女の人が、違う男の人と付き合うみたいな感じになったりするんだけど、結局、主役の男の人が忘れられないという。人ってやっぱりそうなのかなとか考えてみたりした。あと、夢を追うっていいよなぁと思った。
 
 個人的に、気に入ったセリフは、主役の男の人が、お母さんに言われる「立派で礼儀正しくて愛情深い人間になってほしい」というセリフ。自分もそうならなきゃいけないよなぁと思った。やっぱり、自分から、愛情をいろんな人に配れる人にならなきゃなぁ。あと、地味に礼儀正しいって大切。最近、いろんなとこで、礼儀正しさを失ってるから気を付けないと。

文章の書き方 〜『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読んで〜

 私は文章を書くということが苦手だ。しかし、そう考える方は意外といるようで、本屋に行くと、様々な「書く技術」に関するハウトゥー本が置かれている。どうすれば文章がうまく書けるようになるのだろうかというのは、多くの人の共通の悩みなのかもしれない。そこで、今回、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読んで、学んだ文章術をまとめてみたい。

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

 まず、書くということは、「渦巻いている感情を“翻訳”」することであり、「考えるために書く」のであると、著者は述べる。確かに、書くということは、自分の考えを整理することができるし、整理したことによって新たなことに気づくことができる。私は、時々、人と話をしていて、何話そうと詰まってしまうことがあるのだが、これはものを考える習慣が身についていないということであり、だからこそ、書くということが苦手なのかもしれないと思った。

 そして、何かの感想で、よかった、面白かったとしか言えないのは、伝わらない文章の典型であり、それを掘り下げて、「どこがおもしろかったのか?」、「それはなぜなのか?」を考えなければならないと著者は論を続ける。私自身を振り返ると、よくそのような感想を言ってしまうので耳が痛い話だが、これは至極まっとうである。何かを語ろうとする際に、すべてを伝えようとすると、どうしても消化不良になってしまう。そのため、ピントを絞り、どこが魅力だったか。なぜ魅力に感じたのか。そこに何を見出したのかを語るということが大切なのだろう。

 ここから、著者が論じる文章を書く上で重要な技術について論を進める。
 まず、著者は、「文章はリズムで決まる」と述べる。そして、このリズムとは、論理展開によって決まるのであり、文と文とのつなげ方、展開の仕方、が正しいかをしっかり確認することが大事だと述べる。文と文とのつなげ方に関しては、接続詞を意識することが大切であると著者は述べる。文章が下手な私は、確かに、よく、なぜこの文の次にこの文がくるのか、この論の後にこの論が来るのかを相手に丁寧に伝えないことが多い。これは、後に述べるが、めんどくさいと思わずに、細部を丁寧に文章にすることが、書くこと、話すこと、ひいては、コミュニケーション全般で大切なのではないだろうか。

 そして、ここが、私が、文章や話すことが下手な大きな要因の一つなのではないかと感じたのだが、文章には、自分が伝えたいこと、伝えるべきことがあり、それは、自分の意見であり、主観であり、感情なのである。私は、あまり自分に伝えたいことなんてないのではないだろうかと思っていた。しかし、最近、ツイッター等をやっていて思うのだが、そんなことはなく、やはり自分にも伝えたいことがあるのだと思う。ここで重要なのは、その伝えたいことが何なのかしっかり掘り下げて考えることなのではないかと私は思う。

 また、著者は、文章の面白さとは、構成・論理展開なのではないかと述べる。確かに、お笑い番組等を見ていて、思うのは、面白いというのは、「裏切り」であり、流れから人は予想をするのだが、その予想の裏切りというのは面白いものである。また、書いてある内容が同じでも、構成が違うだけで、全く違うものが書かれているように感じることがある。私も、これから、言いたいことをうまくいうためには、どのように構成をすればいいかを考えていきたいと思う。

 次に、著者は、文章の導入は、読者の期待をあおるために大切であり、三つの技術を紹介している。一つ目が、インパクトがある文章を持ってくること、二つ目が、寸止めすること、三つ目が、Q&Aではじめることを紹介している。確かに、どれも興味を惹き、次に読み進めたくなる技術である。やはり、最初に興味を引き付けるということが、コミュニケーションにおいては大切である。

 そして、文章の三層構造として、「主張・理由・事実」の三つをしっかり入れて、連動させていることが大切であると主張をする。確かに、コミュニケーションとは、主張するものであり、その主張を成り立たせるためには、その主張をなぜしているのかという理由、そしてその理由を成り立たせるための事実が必要である。私自身、感覚的に主張をしてしまっていることが多いので、反省した。人によく「なぜ」と聞かれるので、それにしっかり答えられるように物事をしっかり考えなければならないと思った。

 また、「面倒くさい細部の描写が読者の理解を促し、文章の説得力を強化する」と著者は主張する。これは、映画等でもよく感じるので、すっと胸に落ちた。自分で行うとなるととても難しいことだが…。映画では、二時間ほどの時間で物語を完結させなければならないことが多いため、序盤の細部の描写で、登場人物の性格等を描くことが多く、ここが間違うと、あれ?なんで、この人がこんなことをするんだろう?と理解できなくなってしまうことがある。細部の描写こそが説得力をもたらす典型例であろう。

 そして、書くことの心構えとして、著者は、もう一人の読者を想定して書くこと、説得ではなく、納得させることをあげる。この「納得させる」ということが重要で、納得させるためには、「他者の心の変容」を求めなければならず、他人事、正しいことでは読者の心は動かないので、仮説と検証を一緒に行っていくこと、無駄な回り道も時には歩きながら、ゴールまでの道のりをともに歩くことが大切であると著者は述べる。確かに、人は、自分事でないと動かないというのは、職場でもよく感じることであり、いかに、自分事と思わせるかというのは大切なことだろうと思う。また、よくできた物語は、自分事のように感じさせるため、感動するのであり、共感するのであろう。

 そして、著者は、推敲段階において、自分でツッコミを入れること、何を書かないかを考えること、疑う心を持って文章を読んでみること、なぜ、ここでこの一文が入るのか?入らないのか?を説明できるように考えて文章を書くことをテクニックとして披露している。自分以外の人というのは、自分と全く違う価値観を持って生きている。その他者を納得させるためには、自分の考えを深いレベルまで掘り下げ、丁寧に伝えるということが不可欠である。私自身もそのようにコミュニケーションをとっていきたいものだと思う。


 ここからは、全体的な私の感じたことになるのだが、この本を読んで、文章の書き方というものがよくわかったし、なにより、文章を書くということは、考えることであり、考えるために、文章を書くことの大切さを痛感した。面倒くさがらず、丁寧に伝えようと思った。ただし、この記事は、あまり、本書で教わった技術を生かして書けなかったことを反省しなければならない。本を読んで気になったとこをメモし、そのメモをすべて書き、そこに少し自分の考えを加えただけで、全く、構成は美しくないし、面白くない文章になってしまったことだろう。しかし、これから、書く習慣を身に着けていこうと思い、そのための自分用のメモ的な意味合いがあるので、文章の書き方に迷った時は、この記事を読み返すこととしよう。そして、これから、文章を定期的に書くようにしよう。

AKB48を消費する二つの視点

 まず、拙い文章であり、AKB48に関しての知識も不十分なので、何かあればご指摘お願いします。



 AKB48について、ネガティブな印象を抱いている人も少なくないと思われるが、そのような人々も含め、非常に多くの人々に認知されてきていることは、同意を得られると思われる。
 
 もちろん、AKB商法に象徴されるような過剰な販売方法が報道されたことにより、「叩く材料」となったことも要因の一つだろう。

 しかし、ある程度の人気を得ていることも事実だろう。そこで、その人気について考えてみたい。

 
 まずこのグループの特徴は、その人数の多さを活かした多様性だろう。

 AKB48ほど、あらゆる雑誌の表紙を飾った存在を私は知らない。

 週刊プレイボーイヤングジャンプの表紙やグラビアから、篠田麻里子前田敦子ら個人の活動による『MORE』などの女性誌のモデル、『De View』など幅広い。これは、幅広いメンバーの年齢層によるところだろう。
 
 それに加えて、全国握手会など、「会いにいける」というコンセプト、成長を一緒に見ていくことができることも注目を呼んだ要因と考えられる。 

 
 しかし、ここでは、AKB48の楽曲から考えてみたい。その中でも、曲調も合唱曲を取り入れたりと注目する要因があるのだが、特に歌詞について考えてみたい。

 そして、キーワードは、「共感」という視点と「萌え」という視点の両立である。

 AKB48は、秋葉原を拠点として始まったこともあり、当初は、男性向けに作られていたと考えられる。

 そのため、歌詞も、「萌え」という視点が重要視されていたと考えられる。これは、こんなことを歌っている彼女達に萌えというメタ的な視点である。

 初期には、このような楽曲が多かったように感じられるし、旧チームBは、この視点が強く出ている楽曲が多かったように感じられる。

 シングル曲でも、「桜の花びらたち」、「会いたかった」、「制服が邪魔をする」、「軽蔑した愛情」と明らかに、「萌え」を意識した楽曲であると考えられる。

 そして、その流れが頂点に達するのが、「初日」である。

 「初日」は、2009年のリクエストアワーセットリスト100の一位に選ばれた曲である。この曲の特徴は、彼女達の具体的な苦労を彼女達自身が歌うというものであり、自己言及的であるということである。

 しかし、時は前後するが、レーベルが変わったあたりから、シングル曲において、女子中高生達がベタに「共感」するような曲へとモデルチェンジを果たしていく。

 レーベル変更後のシングル曲は、「大声ダイヤモンド」、「10年桜」、「涙サプライズ!」、「言い訳Maybe」とオリコンランキングでも、安定して、3位以上を獲得し、知名度を上げていく。これらの曲は、女子中高生にありがちな心情を歌っている。そもそも、盛り上がれるアイドルの曲は、モーニング娘。のヒットからもわかるように、女子も求めているのである、しかし、重要なのは、そのアイドルが好きと言うことが出来ることであり、そのためには、「共感」出来る歌詞は重要な要素である。そして、もちろん、これらの曲は、男性にとっては、「萌え」の視点から解釈することも可能なのである。

 そして、「共感」の視点からの受容を通して初めて、女子中高生もこんな歌を歌っている彼女達がかわいいという「憧れ」の視点からの受容も起こるのである。加えて、女子中高生の人気は、男子中高生にも伝播することになる。

 このように、AKB48は、まず、「萌え」という視点を用意し、その後に、「共感」という視点を加えることになり、男性の支持に加え、女性の支持も獲得することになり、人気を呼ぶことになったと考えられる。



神曲たち(DVD付)

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日記を書くこと

日記は、3パターンくらい書き方があるのではないかと思う。

1、自分のためのメモ書き
 この場合、自分にわかるように書けば、何の問題もない。

2、わかる人だけわかればいいスタンスで書く。
 これは、1と3の中間で、わかる人にだけわかるような言葉遣いで書く。

3、社会に向けて書く。
 この場合は、しっかり、読み手を想像しながら、わからないところが無いように書かないといけない。

自分の今までの日記は、1か2が多かった気がするので、3のように書かないとなと強く思う。

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

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わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)

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ディアドクターとサマーウォーズを観ました。

 普段、あんまり映画を観ないのですが、偶然、結構立て続けに、二本観ました。

 まぁ、ちょっとした感想でも。


まず、ディアドクター

 西川美和監督のすごさが、この年齢になってわかったって気がした。

 ぶっちゃけ、見終わって、すぐは、「これで終わりか」って感じで、何か微妙って思ってたけど。

 なんか、中途半端に、正義と悪に関して描かれているっていうイメージを持って観に行っちゃったから。


 一、二時間後、ブワッと不思議な感覚が来たね。

 正義と悪そのものが、両方ともすごく曖昧に描かれていて、なんかすごいグレー色の世界みたいなのが、リアルなんだなって思った。

 
 以下ネタばれ含む

 
 
 
 つるべは、人間らしい人間なんじゃないかっていう。

 皆に求められるから、応えてしまう。求められているものを拒むことの難しさ。祭り上げられていく故に、余計ね。

 その上、何人かの周りの人間は、薄々感づきながらも、それをアシストする役割を担う。

 でも、このまま、役割を演じきれるか、時々不安になる。

 でも、頼まれたら、断れないんだよね。自分が損をしても、依頼に応えてしまう。

 そして、vs井川遥

 両方、ロジックとして、正しいので、苦しむ。

 でも、生の論理には勝てないよね。

 それ以上に、自分で責任を負いきれないと判断したのかも。ここらへんが、どこまでも、人間っぽい。

 そして、最後、生きているところが、やっぱ、人間っぽい。


 また、違うテーマからも論じてみたいし、もう一度観てみたいと思う。




次に、サマーウォーズ

 いやぁ、一言で言えば、ベタだったとは思う。

 けど、最近、こういうの弱いんだよね。

 むちゃくちゃ頑張っている人ってすごいと思う。し、そういう人が、「やればできる」とか言っちゃうから、泣きそうになる。

 頑張るって難しくて、何かに向かって頑張るわけだから、その何かがまずないといけないんだよね。


 あとは、ネットの世界はリアルには感じたかな。

 
 あと、大きな物語亡き後は、「繋がり」で行こうぜって空気はすごい感じた。

 バトルロワイアルを挟んで(ここは微妙)、強大な敵が現れても、「繋がり」で乗り越えようぜって感じがしたかな。

 
 まぁ、この「繋がり」が一方的なのが、少し違和感を覚えるところではあったかな。

 任すー任されるっていう関係性。

 とりあえず、その状況において、一番すげぇ奴を信じて、任せるっていう。


 まぁ、任される側は、それでいいんだろうけど、任す側はそれでいいのかなとは思ったかな。

 でも、完全に任せきっているわけではなさそうっちゃ、なさそうだったけど。

 そこが、また、皆で戦ってるって感じがして良かったんだけど。


 うぅん。全然まとまってないや。また、こっちも書き加えていきましょう。

26時間テレビをみて

ヘキサゴン人気は、少し年齢層高めの人達の家族・コミュニティへの憧憬があるんじゃないかな。

紳介の番組って、紳介が中心になって、家族というかコミュニティになってるっぽいのが多い気がする。

特にヘキサゴンは、出来の悪い子達、少し落ち目の芸人を集め、居場所を作り、成長していくみたいなのを強く感じる。

よく考えると、レッドシアターとかも家族っぽいよね。

何らかの時代的背景があるのかも。