生きると言う事

どうも。

メンシエです。


え〜、前回のブログで宣言した通り、
絨毯、買って来ました!

あ。
絨毯じゃないや。
足拭きマットやった。。。

絨毯なんてとてもじゃないけど買えないので
ふかふかの足拭きマットを買ってきました。


大きさ的には2つ必要やったけど持ち合わせがなく(2つで130元(笑))
1つだけ買って帰ってきました^^;


効果は・・・?


きっとあるはず(笑)
底冷えは随分緩和された気がする♪
足下全体を埋める為に
今度、またもう1枚買って来よう!






さて、昨日はクリスマスイヴ
自分は可愛いあの子と一緒に、、、



いれたらいいなと妄想しながら過ごしてました。



でもしてたのはそれだけではなくて、
校長先生に誘われて田舎の方に行って来た。
九龙坡と言う所。


目的は新鮮な豚を食べるため。
(今日の内容は結構エグイので、
 耐えられそうにない方は
 途中で退室して下さい。)




ただ新鮮なだけでなく、
食べる直前にシメてそれから調理をしだすと言う超新鮮なもの。



こちらでは年越しの際に「年猪」と呼ばれる豚をシメて
それを振舞い皆でだべるのが習慣の一つだそう。
この行為を「杀年猪」と言うらしい。



校長先生からこの話をもらい、「杀年猪」と言う言葉を聞いた瞬間から
心に決めた事。



豚をシメる瞬間をきちんと見届け、感謝する



中国でもそうだけど、日本で普通に生活していると
家畜をシメる瞬間に立ち会う事はまずない。


どうして自分達が肉を食べて生きて行く事が出来ているのか。


毎回確認する事は出来なくても、
一度は目にしておくべき事だと思った。


以前、都会の小学生に
今日は魚を書いてみましょう〜!」とお題を出した所、
切り身が泳いでる絵を描いた子がいた、と聞いた事がある。


日本のスーパーでは肉でも魚でも
綺麗に捌かれた状態で陳列されている。


海や川に行った事のない子供が「魚=切り身」と思ってしまう事も
ムリは無いのかも知れないけど、何か哀しいなって思った。



その一方でこの家に住むこの子供は哺乳瓶を加えながら
シメる瞬間も吊るされた豚も動じる事無く見つめていた。


環境が人を作る
別に知る必要がないって言う人がいるかも知れない。
気持ち悪いからみたくないって言う人がいるかも知れない。
可哀想で見てられないって言う人がいるかも知れない。


でも、自分はそうじゃ無いと思う。


正直、シメる瞬間を見た後、肉を食べれるのだろうかとか考えた。
シメるのを見た瞬間、卒倒するかも知れないとも考えた。
それでも、見ておくべき事だと肚をくくって見守った。




この状態から、
喉もと、ひと衝き。



一カ所からこんなにも溢れ出るんだ、と
信じられない程の量の血が出て来た。


完全に動かなくなってから場所を移動し、毛をむしり捌いていった。



シメてからこれだけの長い時間がかかり、これだけの事をして
ようやく自分達が食にありつけるのだと思ったら、
不思議と気持ち悪いと言う感情はほとんどなくなっていた。


生かされてるって思った。
これに関しては偽善者って思われても構わない。
でも、本当にそう思ったから。
きっと、シメろと言われてもシメられないだろうし、
体内に空気を入れたり、捌く為の第一刀を入れろと言われても
出来ないだろうから。


もう見る機会は無いかも知れない。
でも、また見る機会があるならば目を逸らさない様にしよう。
この文章を書いている間、
何度もあの大量の血が脳裏をよぎっているけど
それがあるから自分達が生かされてる。



豚にも、振る舞ってくれた人たちにも感謝



この感謝の気持ちを忘れない様に、
毎回食にありつく様にします。