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関内関外日記(跡地) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008ねん10がつ02にち

清原和博の引退

 清原和博がついに引退。俺は俺の物心がついた年を1985年としているので、ちょうど清原プロ野球人生の長さそのままに世界を、プロ野球を見てきたといえる。しかし、清原のことはさっぱりわからないままであった。

 もちろん、我が血に深く根ざすアンチ巨人精神が、巨人に傾倒し、一時は巨人ユニフォームを着た人間に対して、なんらかの色眼鏡になっていた可能性は否めない。しかし、やはりオリックスに移籍しようとも、世間の清原評、清原の扱いについて、どうにも違和感があった。アンチ清原というわけでもなく、ただどうにもどう捉えていいかわからない、そういう心持ちだ。

 振り返ってみるに、デーブ大久保の件のときに触れたが、西武黄金時代は俺の中に深く根ざしている。その打の中心選手としての清原をどう見ていたのだろうか。思い返すには、俺は清原より断然秋山幸二が好きだった。走攻守三拍子。圧倒的に秋山だぜ、というところがあった。次に目を転じれば、辻とか田辺? みたいな趣味。それでもたとえば、「今の巨人で守備を理解しているのは、西武で鍛えられた清原だけ」みたいな評論を見ると、やっぱりそうだよな、さすが清原、などと思いはしたっけな。どんだけ西武好きなんだ俺。

 それに、無冠の帝王ということか。俺はどうも「無冠の帝王」はあまり好きでない。それもある。清原の積みかさねた数字は日本プロ野球史上に輝くものだが、やっぱりどっかで「三冠タイトルないしな」というというところがある。実はこの思い、崇拝に近い思い入れのある前田智徳にすら抱いているのだから、けっこう根深い。

 ……いや、しかし、やっぱりキャラかなあ。もちろんメディア越しのキャラになるわけだけど、どうにもなあ。それがわからん。わからんし、実際に清原とふれあう機会などないわけであって、やっぱりこれはもうわからん、ということだろう。もちろん、イチローのこんなコメントを見ると、いろいろ感じるところはあるけれども。

ただ、今だから言えますが、僕自身、清原さんにあまりいい印象を持っていない時期もあったりして(笑い)、僕みたいな人間を受け入れてもらえないかも、と思っていました。それでも、実際に会うと、すごく僕のことにも興味を持ってくれて、本当にうれしかったことを覚えています。

http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20081002-414966.html

 俺はまたイチロー信者みたいなところもあるのだけれど、端から見て水と油に見える清原と仲がいい。その違和感。しかし、そのイチローも「清原さんにあまりいい印象を持っていない時期もあった」と言う。とすると、やはり清原すごいのかもしらん、などなど。

 しかし、やっぱりそれでもなんだ、清原はわからんということにしておこう。おそらく、これからも、ひょっとすると野球界で大きな道を歩んでいくのかもしれないが、たぶんそれについても、どこか違和感、ずれを感じつづけるのだろう。まあ、それでええ。無理して箱に入れることはないし、清原が俺の考える俺の世界の箱に入りきれない大きさの人間かもしれないしさ、っと。

K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL (←長い)の感想

 ビールでいい気分になって、「小比類巻太信? 夢枕? ありゃ、またやばい倒れ方!」とか、「K-1甲子園ってなんかブレイクしそうな感じもあるけど、止めるの早いのもいいけど、もうちょっとヘッドギアとかいらんのかあ? あと、深夜とかにやればいいんじゃねえの?」とか、「うお、魔裟斗すげえ! いけ、倒せるぞ、危ない! おらっ」とかそんな感じで観ていて、計8ラウンド戦い終えて優勝したときには、「うわー、やっぱり華があるねえ、しかし、真面目な好青年だねえ。髪形もねえ」などとしんみりしてしまった。

 が、終わった後にケータイで評判を見てみれば「なんで二回しっかりダウンしたやつが優勝してるんだ?」、「9-8って採点は何?」みたいな疑問の声の洪水。あれ、言われてみればそういう気もする(←流されやすい)。

 自分の採点はどうだったか。俺はどうも、ドローのついた初回を魔裟斗に振っていて、ダウンしてないもう一回も魔裟斗に振っていたので、28-28ドローみてえなところであって、帳尻合わせ的に延長突入自体はあんまり違和感なかったのだな。解説の谷川貞治が「9-8」って発言もしていて、K-1MAXはそういう採点方法、採点スタイルなのかと思ったし。

 ……まさか後付けでルール訂正がなされるとは、なんとフレキシブル

 それで、試合の内容自体、延長は魔裟斗が押しているように見えて、俺はそもそも佐藤嘉洋好きなのだけれど、そこで蹴りで距離を取りにいくあたりが少し不満で、パンチで勝負してほしかったとか、魔裟斗の対アルトゥール・キシェンコ延長戦危険な殴り合いに身を投じるあたりに「ほら、佐藤、これだよ」とか思ったりとか、まあ魔裟斗びいきで見ていたというあたりもあって。いや、佐藤にそれを求めていいかどうかわからんし、そもそもコツコツコンビネーションで相手を塩漬けにしていくところが好きなんだけど、ただ一発の魅力もあるあたりがもう一つの良さであって、そいつを見せてほしかった、とか。

 まあ、そんなわけで、その時点では何の疑問もなく楽しめたし、魔裟斗佐藤、キシェンコの奮鬪は見事だった。ルール面については、やっぱり問題山積みというのは否めないし、オープンスコアリングなどという方向に足を突っ込んだ以上、そっちに進めていくしかないだろう。そっちに舵を切った以上、そっちでやっていくことを期待するしかないし、正直、個人的に今回はボクシングのように採点ごっこをする楽しみが少し見いだせたところがあって、まあなんとかなっていってほしい。とくにこの階級だけでも、しっかりしていってくれたら、っと。

セマンティックが止まらない

 自分の自動化。秋―田村隆一―詩―別の詩人……。あるいは秋―田村隆一田村隆一の冬の詩―……。三次元的、意味、結合、重重帝網の連鎖、照応。可視化。客体として私の自分の書いた物が意味づけされ、関連づけされ、可視化される。そのことはある種のウエッブサービスが実現している自動化、可視化。それよりこちら側のこと。客体化以前。可視化される私自身を私が視る主体そのままにしてそのものを視る。可視、可聴、可触そのままの私がネットワークの結び目であり、宝珠でありなおかつネットワークの全てでありネットワークのすべてはひとつの宝珠に照応されるということ。そのままのあるということが、そのままにして世界そのものであるということ。色は色で無く、無音の音あり。咄。