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関内関外日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2009ねん03がつ17にち

ひとがたの君の時代

ピグマリオンコンプレックスとは人形偏愛症を意味する用語。心のない対象である「人形」を愛するディスコミュニケーションの一種とされるが、より広義では女性人形のように扱う性癖意味する。学術的にはピュグマリオニズム (英語:Pygmalionism) と呼ばれる。また、パラフィリア (性嗜好異常) の用語としては、こうした嗜好はアガルマトフィリア (英語:Agalmatophilia) またはスタチューフィリア (英語:Statuephilia) とも呼ばれる。

ピグマリオンコンプレックス - Wikipedia

 俺の性的嗜好について説明するのはひどく簡単で、わりあいストライクゾーン広めという具合だと思う。逆にいえば「これじゃなきゃダメなんだ!」という、狭く、深い、そんな偏愛、フェチズムの深淵には至らないというところだと思う。

 というわけで、人形も好きだ。人形にはひかれる。けっこうひかれる。少女人形少年人形などというと、なにかぞくりとくるところがある。究極的なところ、あるいは他のエロ嗜好をさしおいて、最後に人形に行きつくのかもしれない、などと思うこともある。

 そうだ、俺は人間が苦手なんだ。たとえ愛する女だって人間だし、好きだった少年だって、結局は人間だった。生身というのは腐敗だ。春だ。その点、人形は冬だ。冷えていていい。腐らない。清潔だ。美しい。あり方が美しい。人形みたいな、ではだめだ。また、人形みたいに扱える、でもだめだ。人形じゃなくてはならない。人と同じサイズの、人形であってほしい。ただ、固まっていてはあまりおもしろくない。動いてほしい。心はいらない。

 そういうわけで、この話題は、俺の心を、みょうにかき乱す。かき乱さずにはおられない。ここまでくれば、もう少しだ、というところだ。あとは、体の方を、オリエントオリエント時計などの技術で、さらに人間らしく、いや、美しい人形らしくしてくれればいいと思う。俺はその時代に間に合ったのか?

 ……いや、現実には間に合っていない。オリエント……時計すら買えない俺が、2億円だの2,000万円だのロボットをどうするというのだ。あと、50年おそく生まれておれば、人形少女と暮らせたものの……。いや、老人介護に、この彼女らが使われる日を夢見ようか。機械に世話されて、死ぬ。いいじゃないか、なんかとてもいいと思う。人生の最後くらい、人間の手から離れたっていいじゃないか。さらば娑婆、俺は、人形の、世界へ、行く……!

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水着2着着られるから人類は月にだって行けたんだ

競泳オーストラリア選手権でテレース・アルシャマールスウェーデン)が17日、女子五十メートルバタフライ予選で25秒44の世界新記録に当たるタイムを出したが、オーストラリア水連は記録を取り消すと発表した。アルシャマール水着2着を着用していたことが判明したため。

ページが見つかりません - MSN産経ニュース

 このニュースには感心したわー。いや、アルシャマール選手にっていうか、ひょっとしたらそうなのかもしんねえけど、ともかく、どっかの誰か、誰かっつっても、アホな中学生とか高校生じゃなくて、それなりのアスリートだかコーチだかしんねえけどさ、こう思ったわけじゃん。

最近水着って速くなんじゃん。だったら、2着着たら、むっちゃ速くなるんじゃねえの?」

 ってさ。えー、マジかよ? ただでさえキツキツじゃん。でも、試しちゃうの? え、マジやんの? うわ、あいつ馬鹿だな。きつくてぴちぴちじゃん、歩けてねえし。えー、泳げてんじゃん、って、……なんだって−! マジ速いの。超ウケる。マジ、俺も、俺も、え、お前やんの? 俺もやるか、あたしもやるかって、もう、マジ大ブーム、このクラス、アホかと思った。

 あー、あのさ、『ちびまる子ちゃん』でさ、遠足でさ、坂道のぼるのにさ、誰かが「後ろ向きに歩くと楽じゃねえの?」って発案して、大ブームが来て、でもすぐに去る、みてえな話があったじゃん。あれだよな、あれはたしかにポシャった、大の大人はあんまり坂道後ろ向きに登らない。ひょっとしたら、甲野善紀古武術的には後ろに登るのがマジ楽。介護にも使える。ヤバイ」とかいったら、急に流行るかもしれないし。でも、危ないからやめた方がいいと思う。

f:id:goldhead:20090317215648j:image:left それで、まあ結局アルシャマールさんの世界記録もポシャったんだけどさ、やっぱりどっかそういうさ、バカがさ、バカのノリがさ、こう、人類技術を発展させてきたんじゃねえかって、俺はもう、今、文明の萌芽の地球にいて、そんな感じのノリをさ、この猿すれすれの連中から感じてるだけれども。だから誰かが、マジ、モノリスじゃん、映画でやってたやつ! お前触れよ、いやだよ、俺はいやだ。じゃあ、俺が触る! いや、俺が! いや、俺! 俺! ……えー、じゃあ俺も……、どーぞ、どーぞ。まあ、そんなもんだよ、それで、マジ触って進化してこうなってんの。超うける。そんなんで、なんかどんどん見つけるんだよ、見つけてきたんだよ、バカ、バカ、バカ。

 だから人間、たまに水着2着着たり、後ろ向きに歩いたりするのもいいかもしれねえって人生訓だよ。勝間和代さんならそう言うかも。でも、俺はおすすめできない。たぶん、人類歴史の中では、水着2着着て溺れ死んだり、後ろ向きに歩いてダンプカーに轢かれて死んできたやつの方が多いと思うからだ。マジ悲惨。無知が栄えた試しなしって言うけど、たぶんマジ。バカはよく死ぬと思う。でも、一発打ち上げるのはバカなんだよ、たぶん。それだからって、たぶん、誰かが「俺も立派なバカになって名を残そう」とか考えても、無駄。俺はそう思う。なんか、それに気づかないからバカなんだよ、バカになってないとダメなんだ、自分がバカだとか、坂道登りで歴史に名を残したいとか、そう思った瞬間、モノリスに見放されてダンプに轢かれる。

 でも、轢かれたんなら立派なバカじゃん。そうだ、バカだよ。そのバカの上に、この豊かさや、それなりにマシな社会システム法律、そんなもんができあがってんだよ。ああ、だから俺は、教科書に載ってないバカ、人知れぬ人類人柱、バカの死屍累々に手を合わせる。ありがとうありがとう野菜が腐りませんように、水が美しい結晶になりますように、もっと賢くなれますように……。

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『前衛仏教論』を読んで

前衛仏教論 (ちくま新書)

前衛仏教論 (ちくま新書)

 新書。いつか読もうと思っている『法然対明恵』の著者。どこかしら、新書っぽいと思った。ビジネス書的な。ある意味、寺の経営者たちに語りかけるような、お坊さんに語りかけるような、呼び掛けるような。

 でも、俺はそれ、あんまり興味ねえや。はっきりいって、生の僧に興味がない。生臭い話に興味がない。「だから今の寺や坊主はだめなんだ」とか、そういう論の尻馬に乗る気もおこらない。まったく興味ない。勝手にやってくれ、というところがある。

 なんといっても、俺が、何冊か仏教関係の本を読んできて思ったのは、さかのぼればさかのぼるほど前衛的というか、アバンギャルドというか、エキサイティングというか、まあすげえことこの上ない、ビッグネームたちの振る舞いであり、物言いであって、まあ、本の中のそっちを追うのがおもしろくてしかたない。だから、いくら道元に叱られても、寺と坊主はいらねえやって。

 つーかさ、俺、べつに坊主になるつもりもないし、それどころか、名乗れるような仏教徒になるとか、そういうつもりもねえし。本読んでると面白い。本に書いてあったことを考えてると面白い。それにつきるし、それでいいだろう。

 なので、この本のなんだろう、鈴木大拙よりも秋月龍みんに色濃い部分の、さらに濃いところ(ようするに、仏教の教団としてのあり方とか、そういうの)については、あんまりよう知らんというところ。

 でも、最後の方に、いいこと書いてあった。

 悟りへの近道は、自分の愚かさに気づくことです。徹底して、自分の愚かさに感じ入ることです。

 これはいいな。これ、単なる自虐ではない。自己憐憫の愚かさも、また感じ入ってさ、玉ネギの皮みてえに。むしろ、どっかもう開きなおるくらいで。俺くらい愚かなのが、楽しく生きられないで、この世がよくなるはずがあるかよ、くらいの。でも、だからって、別に悪いことしたりすることもなくてさ、本願ぼこりみてえな。そりゃあつまんねえよ。それにたぶん、自分の愚かさに気づけば気づくほど、というか、気づくだけで、なんていうか、愚かさを一つ知れば、一つ片づけられるというか、すくなくとも怒りなら怒りとか、欲なら欲に気づいて、気づくだけで、たぶん、それをどうにかしなければ、とか、修正しなければ、とか、気張ることなしに、ああ、今、地獄だと、でも、地獄に生まれたわけでもなし、と、トートロジー的に、どうにかなるんじゃねえのって。レコーディングダイエットじゃねえけど、まあ人間、そんなに無理しなくても、まあてめえのことそれなりに見られていれば、そりゃあもう聖人君子だかなんだかにはほとんどなれるわけはねえけど、なんかもう、取り返しもつかないような、そういう間違いは、まあ、少なくとも、そいつの領分の中ではしなくてすむんじゃねえのって、そう思う。

 そりゃあもう、なんかもっと大きなものとか、どうしようもねえ、そいつには左右できないことが、もうたとえば、生まれるところだってなんだって、圧倒的に不自由であって、世の中に自己責任なんてものはないんだって、そうとも言えるわけで、俺なんかはもう、なんというか、よくわからないところから、あらゆるものに免罪しつづけたくなる、そんな心持ちであってさ、もう好きにやれ、好きにやる、というところが、いいなあって、そうなっていけよって。もう、俺は十分だよ、なんかわかんねーけど、それなりに満足だよって。

 で、たぶん、足ることを知るっつって、ここで自分が満足することを、「悪しき体制への加担」、「日和見主義の奴隷根性」などと批判する、そういう意見もあろうが、まあ、俺はもうそういうの御免だ。そうののしってくれて構わん。もしも俺が、為すようになれば、為すだけのことであるし、為さねばそれだけのことだし、その程度のことがなんだろう。そんなもんでいいんじゃねえのか。まあなんというか、俺は俺の怠惰理屈をつけたいだけかもしれねえけれども、無理はよくねえよ、無理は。無理しても成し遂げなきゃいけないことがあるんだ、勝つまでは我慢だって、そういうので、まあ人が人を殺したりしてきた面もあるんじゃねえの? すげえかったるかったら、もう戦争とかしたくねえじゃん。でも、かったるいで済まない、黙ってたら死ぬようなときがあって、それを救うために、やはり無理や我慢が必要かというと、俺は愚かにも答えられないし、かしこいやつ、勇気のあるやつ、力のあるやつを心底応援したいと、それだけは言っておきたいんだけれどもさ。

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