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関内関外日記(跡地) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2009ねん07がつ03にち

そのまんま東はやっぱりなんか怖いんだよ

 俺は、2007年1月にこんなことを書いた。

 そのまんま東知事選勝利。いろいろな要因はあるのだろうし、いろいろ言及されている通りなのだろう。が、それとは別にどうしても違和感がある。

 「お笑い芸人知事になる」という違和感とは別だ。「事件やスキャンダルのある人間知事に」というのも違う。なんだろう、もっと別の。

 と、いろいろな感情を当てはめていって、一番しっくりきたのが「怖い」というものだ。目が笑っていない。「官製談合の後だから、政財界と縁のない人を」などという消極的な選択で選ぶにしては、ちょっと危険なんじゃないのか、わるいやつなんじゃないか、と。無能ではなく、危険そのまんま東仮面越しにもダークな雰囲気を漂わせてきた、東国原英夫の本体が表舞台に立つ。

 けど、県知事一人で何ができるのかね。東国原国として独立しようにもできまい。つーか、俺が怖がってるのも、ほぼ見た目の印象批判だからな。ともかく、自分の県でなくてよかったと思いつつ、様子を見よう。単なる小悪人で、前任者と似たような失脚するなら、それはそれで。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20070122#p4

 それから2年と半年。何ができるのかね? 結局なにもできないんじゃないのかね? ……と、思いつつも、なんだかんだで目立ち続け、宮崎県の知名度向上、存在感向上というのには繋がっているように見える(地元政治、生活がどうなってるかは知らない)。ともかく、空気のようにはならなかった。いや、それどころか、なんかもうすごい増長しているというか、イケイケドンドンになっているのだから怖い。

「ボクが行けば自民党は負けない。負けさせない。負けたら地方分権ができないんです」聴衆を引き込むド迫力で、立候補した場合は政権交代阻止に全力を挙げる考えを示した。

no title

 総理総裁椅子だとかなんだとかから(……関係ないけれど、さいきんテレビで見る古賀誠の人相がよくなったような気がする。プチ整形とかしたわけじゃないだろうが……)、このありさまだ。

 で、俺はこれを見ていて、やっぱりなんか怖かった。「なに思い上がってるんだ」とか、「がんばってほしい」でもなく、「なんか怖いよ、やっぱりこいつ、目が」って。

 いや、目で政治家を判断してもしゃあないけど、なんだかな、なんか怖いよって。よくわかんねーけど、もしも日本独裁者が現れるとしたら、こういうあたりじゃねえのか? お笑い芸人から独裁者って、なんかちょっとディストピアSFにありそうな感じだし、なあ。うーん、しかし、なんだろう、もしも東国原首相、みてえなラインが万が一あるとすれば、まあ、たしかにこの、落ち目自民党に食い込むというのは、千載一遇のチャンスなんだろうとは思うけれどもね。

「3年前に知事選に出る時、高千穂で決めた。神のお告げがあった。天孫降臨の地で、ぼくに白羽の矢が立ったと勝手に思っている。くしくもこんな日、また高千穂に来たのも何かの縁と感じている」。閣僚人事が発表になる3時間前、国政転身に向けて決断する節目の日になるかもしれないとほのめかした。高まる気分を抑えきれない様子だった。

朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか?

 それで、まあ、天孫降臨、神のお告げまで出てきて、いよいよ神がかりかという吹き上がりっぷりで、まあ俺も怖くなっていたんだけれども。

東国原知事、期待の大臣職巡ってこず 「コメントなし」

 という見出しの通りになって、なんつーか、もうとりあえずは大丈夫だろうかと。

 というわけで、なんだかわからんけど、俺にとって東国原英夫は、「なんか怖い」であって、まあ、世間一般は今回の件ですげえ下がったりすると思うけれども、俺は一人、なんかP.K.ディックの主人公のような気分で、このプチ・ヤンシーあるいはプチ・ストレイター大佐に警戒していこうと思うのでした。おしまい

俺の政治家

『宇宙をかける少女』がなぜ残念に終わったのかうまく説明できないんだけれども

 第一話を見たあと、俺は次のように書いた。

 して、『宇宙をかける少女』である。予備知識まったくなしで見始めた。正直、開始5分、いや、まだまだ10分、15分、このあたりでやめようかと思った。なぜって、とくに説明できるものではないけれども、なんとなくの好みの合う、合わないだ。「ここがよくない!」と説明できるようなものではない。

 でも、せっかくなので30分は見ようかとしていると、コロニー統治のための人工知能(?)、レオパルドが出てきた。見た目はウォドムっぽいそれ。うーむ、『ゴールデンフリース』のイアソン、『星を継ぐものシリーズゾラック、そのあたりが思い浮かぶ。

 ……などと、ちょっとだけSF的な気持ちになっていると、とりあえず30分は過ぎた。正直、見続けるかどうかはわからない。公式サイトの設定など見ると、設定は凝っているようだし(あの宇宙移民の感じはGガンダムっぽい?)、まあとりあえず、どのくらい俺にとってのSFらしさが見えてくるかどうか、そのあたり。

『宇宙をかける少女』第一話を見た - 関内関外日記(跡地)

 正直、半信半疑というか、「これは、俺の好みに合うのだろうかどうか」というあたりを、いったり来たりしつつ、そのまま26話の長丁場を見終えた、という気になった。コロニーたちは、正直いって、イアソンゾラックっぽさはなかった。なかったけれども、ただ、コロニー同士の戦いというあたりは、なかなか嫌いじゃないけれども……、もうちょっと重厚なもんであれば、とか……。

 あとは、なんだろう、あまり主人公とその姉妹に魅力がないというか……。なんかわからんけれども、ナミの方がいいじゃんか、というか。なんか、主人公も成長してんだか、してないんだか、というような、そしてだんだん、いつきやほのかの存在感も薄くなるわ、で。あと、生徒会まわりとか、そのあたりも全部なんだか、出してみたけど、使えなかったというような。そんな中、唯一健闘していたといっていいのが、馬場つつじとベンケイコンビで、つつじのはっちゃけぶりがなかったら、正直なんかもたないような気がしたりとか。

 うーん、なんだろうね、こういうのは、どうなんだろうね。どこがどうだったらよかったとか、よくわからんが……。どっかしら、悪くないというか、魅力的な要素もあったろうに、なにかその、たとえばエニグマをめぐるあたりに、もっとSFつめこんでもよかったんじゃとか、うーん。神楽も、単に洗脳されてただけ? なのも、なんだかだし、いや、軽く戻ってくるのはいいけれどもさ……。なんか、メモ、あったっけ? 

 あー、でも、音楽はよかったな。後期のエンディングとか、あと、エニグマの中で流れてるやつとか……。うーん、しかし、なんだろうね。なんか惜しいな。どこが惜しいのかわからんが。煮っころがしも報われないというか。あー。わかんねーなー。

 そうだな、たとえば、わざわざ「ネルヴァリスト」なんて言葉まで使ってさ、ネルヴァルの考え方っつーのか、一応は、「人類にとって幸福とはなにか」みてえな、そういう問いかけがあってさ……。なんか、やっぱ、主人公側としては、そこんところに、「それじゃあ駄目なんだ」って、こう、それを叩きつけて、乗り越えるところがなきゃいかんかったように思う。秋葉が一回箱に入れられて、まあ出てくるわけだけれども、そんでもその、他の箱の人たちの安楽をどう否定するのかって、そこんところがなきゃあかんのやと思う。コロニーっていう、宇宙に出た人類にとっての世界そのものみたいなものに意思があって、じゃあ、人類どうなのがええんやって、それこそ神さま的なさ、そういうところと、この、人の齟齬とかさ。そこんところが面白くなるんじゃないのかって、俺は思ったし、たぶん、途中まではそんな感じをにおわせていたと思うよ。でもね、なんか最後、その、真の敵がレオパルドの暗黒面みてえな、そんなんで、なんだかさ。

 あー、いや、しかし、まあそんなんでさ。そんなところ。

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小さいことが気になってしまう三題

シートベルトin肥後という男パート2

 「アメトーーク!」のいいところは、少々難ありかもしらん企画でも、一年かけて第2弾を作ってしまうようなところであって、肥後克広の特集。最後に見せてくれた「シュールダチョウ倶楽部」まで、非常に楽しませていただいた……のだけれども、ひとつ気になった点が。それは、肥後が車を運転するシーンなんだけれども、断言はできない、できないけれども、なーんかシートベルトしてないように見えたわけ。

 で、そのとき俺がどう頭の中で思うかというと、「なんだ、けしからん! 抗議してやる!」ってことじゃなくて、「あー、こんな小さなミスで、なんかこの番組とかリーダーケチつけられたらもったいないなー」ってこと。そんで、「編集してて、スタッフ気づいたのかな? 気づいた上で、オーケーしたのかな? それとも、見過ごしかな?」とか悩んじゃうわけ。

 でまあ、それはともかくとして、たとえば俺は、ドラマの中の緊迫感あるシーンで、なんか急いで車で逃げるのに、しっかりシートベルトするの見たりすると、げんなりするわけで。で、そこで考えるのが、「ひょっとすると、『けしからん!』人間の声もあるだろうけれども、こういう風に、小さなことをいちいち気にしてしまう人間が、ドラマシートベルト着用義務を持ち込んでる可能性はないか?」というようなことであって、どのように? というと理路もステッチもつながらないが、なんとなく、「気にするな!」というあたりでいいんじゃないのか、とか思うこれをこう公開する時点で、やはりまたこれは社会を重苦しくしていくのか? という自己矛盾

メッカin産経新聞の記事

足場工の男は20年12月7日未明、ドリフトメッカとして知られる飯能市名栗の通称「山伏峠」で危険ドリフト行為などをしたとして、道交法違反(共同危険行為)の現行犯逮捕されていた。

no title

 たとえば、なんか誰かの原稿が俺の手元に来て、観光案内でもなんでもいいけれど、「メッカ」って使ってたら、俺はもう自動的に「なんかいい言葉ねーかなー?」って言い換え考えはじめる。メッカはねーよ、今どき、みたいな。それは、こないだハルヒアニメを見ていても思った。でも、これ、用字用語にはうるさい新聞社原稿で、普通に使ってるよって。

 うーん、どうだろうね。ただ、正直、こういう用法のメッカという言葉には、なんというのか、一つばっちり当てはまったイメージがあって、実のところ、「ドリフトメッカ」以上に「ドリフトメッカ」をあらわす、シンプル言葉ってあんまり思いつかない。いや、俺の語彙というか、表現が貧困なだけかもしれないけれども、なんかこの、雑多な感じもあるような、けっこう俗な雰囲気の中心地みたいな、行楽の〜、登山の〜、ギャンブルの〜とかになると、どうも「メッカ」のイメージが強い。それはたぶん、子供のころ、イスラームメッカを知るより前に、この言葉マスメディア日常会話で刷り込まれてるところがあるんだと思う。なんか、俺の中では、人でごった返した海水浴場の遠景が思い浮かぶ。これ、「聖地」と言い換えると、ちょっと雑多な部分が減るように思える。

 ……が、もちろん、ムスリムの人らがさ、この例えを嫌がるだろうし、あんまりポリティカリーにコレクトじゃねえなってのは、ある。もちろん、俺はイスラームに向き合ったことも、ムスリムの人と話し合ったこともないわけであって、やっぱりそれは、直接の声や抗議に対する予防というよりも、「メッカって言い換えた方がいい(らしい)ということ知らないの?」という目をおそれるところもあったりして、そうすると、ますますイスラーム不在なわけじゃん。「嫌がるだろう」でさ。でも、俺としては、いずれにせよ、比喩としてのメッカは使えないなってことになって、でも、こういうところから表現の幅が狭まるのかとか思いつつも、べつにたとえば産経が「メッカ」使ってても、べつに大きな問題にはなってないようだしさ。まあ、別に俺だって、この日記で使う分には使うだろうし、でも、たとえば仕事で赤を入れるってのは、じゃあそれはどういうことなんだって、事なかれ主義か、表現の幅を狭めているか? みてえな。じゃあ、実際メッカってどのくらい抗議されているんだろう、みたいな。でも、いちいちそこにあたれないじゃないか、という。もちろん、それは不誠実と責められることだろうが、しかし、そこまで労力を割けない。まあ、そのあたりで、新聞社や、新聞社以外も、どっかしらの新聞社の用字・用語辞典に準拠したりするのだけれども、誠実ではない。

参考______________________

日本語のもとでは長らくメッカと呼び慣わされてきたが、近年は学術的な分野を中心に標準アラビア語の発音により近いマッカが好まれつつある[1]。サウジアラビア政府は、1980年代に当市の名前の公式な英語訳を、西洋人が以前から一般に用いてきた綴りである Mecca IPA: [ˈmɛkə] から Makkah IPA: [ˈm〓kə] に改めた。

 マッカ? 知らなかったな。英語表記経由でカタカナ語にするとなれば、まさにマッカだな。じゃあ、そちらのマッカマッカで、メッカ言葉だけくれませんか。……って話でもねえか。ただしムスリムサウジアラビア政府はこのような用法を好まない。の出典はどこなんだろうか。ところで、Googleって「メッカ」って検索すると、勝手に「メーカー」の結果混ぜてきやがるね。

メッカ」という言葉は、宗教的な意味に限らず、重要な場所、人を引きつける場所、あるいはどっと押し寄せた人々を表す言葉として、イスラム教徒に限らず、世界中のどこででも用いられるようになっている。

 あー、そうなの? 

a place that many people want to visit for a particular reason

mecca | meaning of mecca in Longman Dictionary of Contemporary English | LDOCE

 簡単な英英辞典でも出てるわな。あー、しかし、英語みたいに小文字のmeccaで、ってわけにもいかないし、さーどうしたもんだろう。あと、どんぐらいメッカ俗語使用が非難されているか、というあたりについてもわからん。今の俺には、わからん。

すべからくin『涼宮ハルヒの憂鬱

 こないだ生まれて初めて読んだラノベ、『涼宮ハルヒの憂鬱』感想に書いた通り、スイスイ読めてすげーって思ったんだけれども、三つか四つか誤用の「すべからく」出てきたんだよ(そういや、こないだアニメに「メッカ」も出てきてたな)。で、これも、「正しい日本語を使うべきだ!」とか言う気はさらさらないんだけれども、なんつーの、気になる。これはもう、たぶん、親父のすすめで呉智英の本を読んだ小学校高学年か中学に入ったあたりからはじまった病なんだけれども……。なんつーの、この場合、「あ、間違ってる」→「ああ、それを気にする俺、小っちゃいな」のコンボで決まって、俺が俺に非常にうざいんだよ。それでさらに、「でも、これ、キョンの回想記のような形で書かれているわけだから、高校生(?)のキョンが『すべからく』を誤用していてもおかしくはないよな」みたいなボーナスまでついてきて、嫌になるよね。

 でも、だからってさ、俺が「すべからく」がなんなのか、あるていど正しい、というか、伝統に則した意味を知っていること、それを否定することかというと、そうでもねえような気もして。やはりその、あるていど正しい、というか、伝統に則した意味を、まあ、語彙があることによって、『ハルヒ』にしろ、なんにせよ、本を、文字を、ブログを読むことができるあたりもあって、でも、それゆえに、なんか小さいことを気にしちまう、そのあたりが歯がゆいというかなんというか、あと、そんなに気にしてんのに、てめえがブログに垂れ流す文章にもうちょっと気をつかえとか、いや、使う気はさらさらないんだけれどもとか、もう、そういうことになって、頭の中がたいへんなことになってます。

 

 ……あー、そういうわけで、なんかその、うーん、もうちょっと、おおらかな心で、テキトーに生きていきたいと思ったのでした。でも、脳のデチューンの仕方とかよくわかんねーし、いや、なに思い上がってるんだ、俺、そもそもチューンが足りない可能性の方が高いだろ、たぶん。まあ、しかし、いずれ、どうにかなるだろうと思いました。おしまい

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