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関内関外日記(跡地) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011ねん04がつ23にち

俺はたまたま子供を6人轢き殺していないだけ

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 俺は俺のことを睡眠障害者と呼びたくなることがある。家族の一人が一級の手帳を持っていたし、障害者という言葉は軽々しく自称してはいけないのかもしれないが、そう思いたくなる。俺の病気はといえば軽度の睡眠時無呼吸症候群であって、今のところマウスピーススリープスプリント)を用いれば症状はでない。しかし、ちょっと鼻づまりの症状など出ようものなら、またぶり返すのはこないだ書いたばかりだ。そんな中、不幸にも子供6人がクレーン車で亡くなるという事件が起きた。俺は他人事ではないと思い、このところそのことばかり考えている。

 俺の睡眠時無呼吸症候群の症状がどう出るかと言えば、強烈な眠気だ。いかに強烈とはいえ眠気は眠気であって、所詮は眠くなるだけといえばそうだ。そうではあるが、あまり積極的に体のケアなどをしない、医者嫌いの俺が原因を知りたくなるほど強烈なものだった。それまで感じたことのある眠気とは質が違った。ストンと落ちる。仕事で人と喋りながらも落ちる。人間の眠気というより、コンピュータスリープするそのスリープに近い。ものすごい早さで襲ってきて、ひどく重く抗しがたい。意識が消えるわけではないが、どうしようもないくらい眠くなる。頭がおかしくなりそうだった、というかおかしくなっていた。

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 これは睡眠時無呼吸症候群を自覚していないときに、異様な疲れとしてこれを受け取り、頭がおかしくなって書いたものだ。睡眠の質の悪さは日中の生活の質の悪化を呼び、酒などあおってはますます睡眠の質が悪くなる。頭もおかしくなる。

 俺は幸いにも近くに睡眠時無呼吸症候群専門医院もあり、適切な治療を受けられた。マウスピース改善したといっていい。如実に改善した。震災直後、俺は緊急時の避難用具をかついで通勤していたが、その中にはかならずマウスピースを入れていた。あれがなければ、津波から逃げているときにも眠りに落ちる。これに限っては表現の誇張でない、自分の中の圧倒的なリアルだ。

 そういうわけで、俺は睡眠時無呼吸症候群であって、なおかつ治療の効果も知っている。俺がはてなブックマークなどでしつこいほど「睡眠時無呼吸症候群ではないか?」と言うのも、自らの体験があるからだ。世の中の多くの人が睡眠時無呼吸症候群を知らず、あるいは軽視して、ひどいことになっているのかもしれない。そう思うといてもたってもいられない。わりかし人生台無しにする代物のわりに、いびきや眠気くらいということで軽視されてはいいか? 大丈夫か? ……ゼブラ先生メンヘルを心配するのも同じことかどうかは知らないが、少なくとも俺は今後も「睡眠時無呼吸症候群ではないか?」と心配しつづけるだろう。枝野、寝ろ。しかし、その首回りは睡眠時無呼吸症候群ではないか

 して、話は事故に戻る。その事故の最初の報道を見て、ただ居眠りとあったので、俺は「睡眠時無呼吸症候群ナルコレプシー可能性もあるか。」とメモをした。その後、車を走らせてからほんの僅かの間ということがわかり、その病名もはっきりしてきたといっていいだろう。その病名とは、てんかんだった

 睡眠時無呼吸症候群ではなかった。だが、それがなんだというのだろう。俺は他人事とは思えなかった。いや、てんかんの人から見たら「一緒にするな」と言われるかもしれないし、病気の、症状の軽重でいえば、やはりたかが眠気と言われてしまうかもしれない。だから、そう言うことが妥当なのかどうかわからないが、俺は抗しがたい眠気に襲われる類の人間として、同じく抗しがたい脳の中の働きで意識を失ってしまうかもしれない人間を、他人事とは思えない。

 そうだ、俺はいたまたま、おおよそ一日をMacintoshの前で過ごして、はてなブックマークしながら暢気にAdobe製品を使って仕事している。俺が仕事中居眠りをしてマウスを机の上から落としても人が怪我することはないし、一つのキーを押し続けて画面が「っっっっっっ」でいっぱいになっても人が死ぬことはない。

 俺はそうなりたいと強く願ったわけでもないし、いくつかの選択肢から選んだというわけでもないし、たまたま流れ着いたというだけだ。ひょっとしたら、たまたま日常的に車を運転する仕事をしていたかもしれないし、大きなクレーン車を運転していたかもしれない。全く自分の進路だのキャリアだのに興味なく生きてきた人間として、その確率五分五分、ほかのあらゆる可能性も含めて五分五分というところがある。そんなもの、ただの運命、偶然にすぎない。

 だから俺は、クレーン車で6人の子供を死なせてしまったやつのことを考えずにはいられない。彼が症状をおさえる薬を飲んでいなかった理由も、あるいは過去事故を起こしていたり、その病気を隠してまたその職についた理由もわからない。わからないが、想像せずにはおれない。他人事ではないのだ。果たして俺がたまたま運転する仕事に就いていて、睡眠時無呼吸症候群に気づいたらどうしただろう。その持病があることを明かせば、仕事を失うかもしれないとき、どうするだろう。あるいは、新しい仕事に就けないのかもしれないということを。俺がそこで正しい選択をするかもしれないし、誤るかもしれない。正しい選択をした結果、ひどい不利益に陥ることもあるかもしれないし、誤った選択をしながら大きな失敗をしないですむかもしれない。それはわからない。

 ただ、俺は必ず正しい選択をするというほど賢くはないし、世間から見て悪と言われるような選択をしないほど善人でもない。彼がどうだったか知らないが、俺は意志薄弱だしやる気がない。正義感もないし、流されて生きている。できれば誤りたくないし、不正義をしたくはないとは思うが、俺は臆病だからちっぽけな保身のために人殺しの顔をして人殺しだってするだろう。現にしているだろう。またそれを自覚しているからと言って免罪符になるようなことはないと知っているし、さらに言ってしまえばそんな自分の実感にすら実感がこもっていない。俺は骨身にしみるような、魂が傷つけられるような良心の呵責を感じたりはしていないのだ。あるのは不平不満と憎悪、我が身さえよければの我欲ばかりと言っていい。

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 愚か者、くず、ろくでなし、俺の実体はそこにある。実際はそこまででもないのに露悪趣味でそういう振舞いをしているのかもしれないし、それならばさらに低いところにいるといってもいい。この世の底にあって、下から目線で世界を見ている。下から目線で高見の見物だ。そこにいられるのもたまたまといっていい。たまたま俺でなく、たまたま誰かが、俺のかわりにろくでもない失敗をやらかしてくれたおかげなのだ。そしてそいつもたぶん世界の底の方にいて、愚か者で、くずで、ろくでなしなのだ。だから俺は彼のことを悪く言えるような気にもなれない。

 回りくどい言い方をやめれば、同情しているといっていい。そして、俺や彼が救われるべきだといっている。

 じゃあ、俺はそのことを、たとえばそいつ犠牲になった遺族の前で言えるのか? 情状酌量を訴えるのか? そんなことするはずがないだろう。我が身がかわいいからだ。皆が石を投げていれば、俺も石を投げる。我が身がかわいいからだ。ただ、同時に石を投げられているのは俺であって、石を投げる俺と石を投げられる俺に紙一重の差があるかどうかすらあやしい。俺はそのことを心のなかで思って、おくびにも出さない。ただそれだけのことだ。ただ俺はおろかで間抜けだから、そんなことも簡単に見抜かれて、火炙りにされるかもしれない。ただ、そのとき薪を運んできたり、火をつけたりする嫌な役目をやってるやつはたぶん俺だろう。

 すべてのクズどものための終わらない歌は同時に加速するブルースであり、皆殺しのメロディでもある。俺はそんなもの聴いて、獣臭いラーメンを食って、この世の底から高見の見物をしている。俺が最初に救われるのか、最後になるのか、中途半端なところなのかもわからない。それは俺のはからいでどうにかなるものでもないし、誰かが決めて56億7千万年後までにはどうにかしてくれるとかいう話だ。米軍情報じゃないが、ほぼ本当。おしまい

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