ぼくがブログを書いている場所

 ぼくは、というか、ぼくたちは、ささやかなブログを書いてきた。ぼくたち、すなわちジョンとレノンとショーンとマッカートニーとレオンとレロンのリー兄弟のユニットは、わりあい多くの記事を、それなりに仲違いせずに書いてきた。そのブログは、だれにも顧みられることもなく、注目されることもなかったし、毀誉も褒貶もなく、ただただ書きつづけれられていった。はじまりもなければ終わりもなかった。原因も結果もなかった。結実することはずっとないとわかっていた。
 そのうち、おもに自転車について書くジョンが抜けるといい、写真を担当していたビッグ・レオンとジュニア・レオンのレオン兄弟も抜けると言い出した。みなそれぞれに合致するところと決して合致しないところがあって、ついに合致しないことがわかってしまって、ついにはついにぼくらはばらばらになってしまった。
 そうしてぼくは先生のところの世話になった。先生の建物のエレベーターは、うちがわにシャッターがあって、はじめはぼくが危険にあわないようになっているのかと思ったら、その逆なのかもしれない。
 先生の前でぼくはせいいっぱいかしこい人間のふりをしようとした。ぼくはほんらいこんなところにいるはずではないのだけれども、なにか一つおおきな欠陥を抱えていて、しかたなく迷いこんでしまったのだという、ふりをしようとした。傍観者のつもりでありたいと思った。だからぼくは、「学習性無力感」とか、「ロバチェフスキー空間」とか、知るかぎりのむつかしそうな言葉を使ってみたのだった。
 けれども、ぼくはそんな言葉のなにひとつをきっちりと、ひとつの筋にのっとって説明することもできないことに気づいてしまって、まったくぼくが簡単だと思っていた言葉の意味さえもわからなくなってしまって、まるで呆けて、口を開けて、真っ白なきぶんでいることが多くなった。先生はとくになにも言わないので、ぼくはそうしていた。
 クランクとボトムブラケットを抜く。シマノのすばらしいコッタレス抜きの工具は用意されている。アーレンキーでクランクボルトを抜いて、すばらしいコッタレス抜きをセットする。クランク抜きは15mmのすばらしいHOZANのペダルレンチで挟めそうで挟めないのだから、エビの印のモンキーレンチで挟んで回すことになる。ジョーの向きを確かめて、回転の方向を間違わない。右側は逆ネジと唱えて、せいいっぱい力をこめる。すばらしい コッタレス抜きが手に緩みを伝え、くるくると回す。クランクは抜け落ち、死んだカブトガニのように横たわる。あるいは生きているかもしれない。次にボトムブラケットを抜く。すばらしいシマノボトムブラケット抜きは用意されている。だが、すばらしいボトムブラケット抜きは、力を加えようとするとあっさりと外れてしまって、コンクリートの上でけたたましい金属の音を立ててしまう。右ワンは逆ネジだと確認して、自家製のナットを用意するという話もあるのだけれど、摩擦力を600倍に高める摩擦増強液を塗りつけてはめ込み、すばらしいエビ印のモンキーレンチに全体重をかける。なんどかためすうちに、足元に緩めの応えがあって、ついにボトムブラケットは回転をはじめる。両側それぞれに回転させて、くるくるくるくるまわって、ついにボトムブラケットを抜くことができる。ボトムブラケットを見ると、すこしグリースのあとがついていて、ボトムブラケットの抜けた穴を見ると、すこし汚れているだけで、わりあいきれいなものだった。
 ぼくに施された処置というのは、そういうものだった。ぼくの脳みそをクランクを抜いて、ボトムブラケットも抜いて、ひどくすっきりしてしまった。ぼくはジョンやレノンから別れても、うまくやっていけるのだと、そう説明されて、ボトムブラケットの抜けた穴を見て、すばらしいグリースを塗らければいけないと思うように言われた。ぼくはよごれを拭きとったまっさらなボトムブラケットの抜けた穴になって、新しいグリースを塗らなければいけないのだと、そのようなことを言われたのだ。
 ぼくは淡いブルーや白くてまるい錠剤をうけとり、おさゆで流しこむ。一日に三回のことで、ぼくのような人もなんにんもいて、言葉をかわすことはないので、ひどく楽な気持ちになる。そのあと、生き物の世話や、植物の手入れをすることになっている。ぼくは一からやりなおすことになって、まったくまちがった土台の上に建ったものはすべてわすれてしまって、まったく一からやりなおすことになったのだと言われた。ただしいエンピツの持ち方に○をもらい、ただしいお箸の持ち方に◎をもらう。ぼくはここではじめてただしいお箸のもちかたを学んだのだし、ぼくはそれでほめてもらうこともできる。ぼくはそれをうれしいと思う回路を失っているのだと言われたのだけれども、あらたに芽生えさせることもできるかもしれないと言われる。
 ぼくはそれをじゅうぶんに信じていないのだけれども。
 夜のベッドでなにか太い女がのしかかってきて、その代償にぼくはテレビを見ることができる。みにくい女がなんの資格があるのかわからないけれども、ぼくの見るテレビをさげすむけれども、こいつはほんとうにばかだと思う。イカちゃんのかわいさがわからないなんて、ばかだ、おおばかだ、ほんとうに、おおばかだ。
 そしてまた、ぼくはこうやって借り物の、ふかふかのキータッチのおかしなパソコンで、インターネットに接続することもできる。ぼくはクランクもボトムブラケットもなくなってしまって、ペダルを回すこともできない。先生に聞いてみたらカメラも自転車も貯金もなくなってしまって、三ヶ島のすばらしいプライム・シルバン・ロードのペタルもなくなったみたいだ。蹴返しはと聞いたら、それは何だろうかと聞き返されて、ぼくは説明できなかった。それで、ぼくはレロン・リーの兄貴か弟が言った、忘れがたい言葉を思い出す。忘れがたいあの言葉、それも忘れてしまったみたいだった。
 それで、ぼくの脳みその一部みたいだったインプットメソッドの学習辞書に二度とアクセスできないし、借り物のキーボードと借り物のPC、借り物のぼくはかつてのぼくの大きな欠如をうめるマイナスのぼくで、こうして通信網の最果てから君に言葉を送るのだけれども、はたして君がだれなのか、ぼくにはとんと思いだすこともできないし、思いうかべることもできない。ぼくはなにか大きな欠落があって、それを埋めるためによりおおくのものを捨てなくてはならなかったのだし、そのように言われた。ぼくはそれをじゅうぶんに信じてはいないのだけれども、なんらかの理由によって、ぼくはそれを伝えたいと、思うのだ。