タイトルにも裏切られるけど傑作! 『アゼーフ』を読む

アゼーフ (1970年)

アゼーフ (1970年)

 エンツェンスベルガーの本読んで、ある意味で史上最大級のスパイ、エヴノ・アゼフについてもっと読みたくなったので読んだ。小説だ。著者は中学時代にミハイル・トゥハチェフスキーと同級生だったという亡命ロシア人作家。で、アゼフはこんなやつ。

社会革命同盟の代表であったセリュークとともに、エスエル(社会革命党)を結成する。さらにアゼフは1903年エスエル党首ゲルシューニが逮捕された後、ボリス・サヴィンコフと共に要人暗殺組織「社会革命党戦闘団」を結成し、戦闘団の指導者、党中央委員となる。実際の戦闘団の指導はサヴィンコフが行い、サヴィンコフ指揮の下に1904年内務大臣ヴャチェスラフ・プレーヴェと皇帝ニコライ2世の叔父でモスクワ総督のセルゲイ大公の暗殺に成功する。さらに内相ドルノヴォ、ミルヌ将軍等の暗殺を手がけるなど、帝政ロシア秘密警察のスパイでありながら社会革命党のテロリストとしてロシア革命で最も革命的とまで評されるまでになった。

 で、タイトル『アゼーフ』だから、アゼフ(本書ではタイトル通り「アゼーフ」だけど、エンツェンスベルガーの本でもアゼフだったし、そっちで覚えたから以下「アゼフ」にするわ。ウィキペディア先生で採用されている方が今日的なんだろうし)のがっつりした話を期待してたんだけど、違うね、主役はアゼフじゃなくてサヴィンコフ(本書では「サービンコフ」だけど以下略)a.k.aロープシンといっていい。


 あえて言えば、サヴィンコフの目を通して描かれるアゼフ。あるいは、エスエル戦闘隊興亡史といったところ。背が高く貴族的で、あるいは英国紳士に化けても不自然のない伊達男サヴィンコフと、太った身体に細い足、太すぎて回らない首を持ったアゼフ。エスエルの戦闘隊を二人三脚で指揮していくこのコンビ。それに、セルゲイ大公暗殺の「詩人」カリャーエフ(その刑死前の描写たるや、ギロチン社の古田大次郎を思わずにはいられない。うつくしいテロルのたましい!)や、老女性革命家ブレシコ・ブレシコフスカヤ、ずっと死にかけているみたいな党首ミハイル・ゴッツ、アゼフの秘密を暴く「革命運動のシャーロック・ホームズブルツェフ、帝政側のゲラシモフ将軍、馬のマーリチックやカリャーヤなどなど脇役もみないきいきと描写されている。最後にはピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキンまで審判役で出てきたりすんだよ。
 って、ところで、彼の登場時の表記がペ・ア・クロポトキンだったりするのは、あるいは一緒に出てくるゲ・ア・ロパーチン、とか、ウェ・エヌ・フィグネルとかはなんか原著がどうなってるわかんねーけど、それぞれピョートル・アレクセイヴィチ、ゲルマン・アレクサーンドロヴィチ、ヴェーラ・ニコライエヴナの略だったりするんだろうけど、べつに統一表記でいいんじゃないかとか。というか、ロシア人、名前長いし、この本は偽名使う局面多いし……とか文句いってもしかたねえけど。
 そんでまあ、そんなんどうでもいいけど、ともかくこの小説おもしろいよ? 息をつく間もなく、ぐいぐい引き込まれるスリルとサスペンス。本物のスパイ小説、歴史小説、革命小説。
 そんで、なんつーのか、サヴィンコフの描かれ方なんかがとくにいい。サヴィンコフの『夜の果てへの旅』といっていいかもしれない。とくに、アゼフの裏切りののちに名誉回復のために皇帝を殺る! とか言いながら、てめえの小説とただひたすらの放蕩に溺れていくあたりがなんとも言えない。パリ駐在のオフラーナの腕利き諜報員がずっと見はってんだけど「この道30年のおれがいうけど、こいつはもう腑抜けてて革命家じゃないから、見張ってても予算の無駄っす。高級料理店から安酒場まで飲み歩くばっかだし、競馬場に入り浸って、女買って、こないだなんか部屋で売春婦と3Pやってたの見ちゃいましたよ」みたいな報告されるくらいになってんの。仲間からも、やっぱりあいつはダメだって見放されてってさ。
 それがあの、忠臣蔵大石内蔵助みてえだったらともかく……っていうか、まあサヴィンコフの人生はそこで終わらんから、そのあたりはウィキペディア先生で、みたいな。というか、最初はサヴィンコフの『革命家群像』から行こうかと思ったけど、まあここはアゼフ興味で、ってとこもあったんだけどさ。
 そう、それでアゼフ。怪人物。いや、なんというか、内面に踏み込んだりはされてない。単に追っていけば、右からも左からも日本からも(明石元二郎の名は出てこないが、フィンランドのKonni Zilliacus経由で日本から……みたいな話は出てくる。どうでもいいが、そのへんで「下瀬火薬」なんて単語が出てくるあたり、原著者が元将校だったからかね?)、ともかく「こいつ、金で動くぞ!」みたいな。いや、違うな、あくまで主導権があんのはアゼフ、そう感じさせるのが不思議なところ。オフラーナも社会革命党戦闘団も手玉に取る。けど、やっぱり超人じゃないし、どっちにも生命を狙われるし、べつにいつ消されたって不思議じゃない。それなのに、家庭があり、子供もいて、愛人もいて(たぶん本物の、愛人相手の自殺級ラブレターがさらされたりしてるけど)、人間臭い。それで、どんどん疲弊していくさまとかの描かれ方なんかいいね。つーか、映画化しろや。
 しかし、なんか裏切り者には惹かれるものがある。しかも、生き残ったやつなんかに惹かれる。って、ほかに二例、フラウィウス・ヨセフスとジョゼフ・フーシェくらいなんだけど。後者が裏切り者かどうかっていうと、やはりそれはエンツェンスベルガーの旦那が言ってたみたいに、国家というものが潜在的にすべての人間を裏切り者にしうるというあたりのことでさ。
 まあ、しかし、そんなわけで、どうも負けて消えていったものの歴史というのは少ないし、とくにボルシェヴィズム(?)偏重みてえのはあるみたいなんだけど、アナーキズムなりブランキズムなりなんでもいいが、埋もれたあたりにあるもの、人類必敗の歴史、おれはなんか、そういうのを読みたい。非常に後ろ向きかもしらんけどもね。

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ヨセフス (ちくま学芸文庫)

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ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

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……これ読んだの文庫じゃないし、違う訳だったかもしらんけど、おもしろかった。