卯月妙子『人間仮免中』を読む〜曰く言いがたく何も言えねえ〜

人間仮免中

人間仮免中

 方々で高評価らしいのがなんとなく伝わってきたので……って、この「なんとなく伝わる」というのは、まあ交遊関係というのがリアルにもインターネットにも存在しないおれにとっては、ほんとうに「ネットをたらたら見ている間に」という感じなのだけれども、じゃあネットが無かったころはどうだったんだろうみたいなことを思ったり思わなかったり、と。
 ……とか、いきなり本題じゃない話をするときは、だいたいなにか言い淀んでいるのがおれの癖なんだけれども、まあそういう作品なんですね。なんかどう言っていいかわかんない。ちなみに、おれはまったく著者についての予備知識はなかったです。
 というわけで、統合失調症、飛び降り自殺未遂(これが飛び降りる未遂ではなく、結果として顔面から落ちての未遂なわけです)、そこに愛する男と家族と性と日常と……を、読めるぎりぎりのラインで必死でペンで刻んだものなわけです。
 なんですけれども、正直言いますとそこまで刺さってくるところがなかったわけです。「これが統合失調症の世界というものか」という、そう承知した、というか。いや、変な話ですけれども、昔から興味があった精神の病の話の一種として読んだというところで、自分の中の箱に整理してしまったというところです。もちろん、顔面の大怪我についての描写とか、この絵ならではの凄みというのはあるんですけれども。
 このあたりの自分の不感性みたいなものは、この著者に比べたら種類も違い、規模も大違いの軽さではあるけれども、自分の病気が頭の中でどっかで変なブレーキみたいになってるかもしれない、とは思います。「自分はここまで重くなくてよかった」という気になって、「自分は軽症なんだからもっと頑張って、人生を楽しまなきゃ」とかに繋がるのはゴメンだという。おれはおれの問題として、強迫性障害なり鬱病なり双極性障害なりとしておれの脳(いや、まだ心臓の結果出てないけど)に向きあわなねばならないし、そこに立ち入るのはせいぜいおれと医師と薬剤だけだという。そこで、ピッと一線引いてしまって、他人の心の病の体験談というものは、軽重や相違などを見はすれども、共感とか、あるいは逆に違和感とか、そういうものを抱けないか、あるいは知らんあいだに抱かないようにしているんじゃないかと思うのです。
 そういうわけで、「これは上も下も右も左もなくそれぞれおのおののものの話であって、おれのはおれの話だ」という、なんというか、そういうところに部分けされたものについては、えらく心が閉じてしまうのです。言語化した瞬間に間違ってる、という感覚は拭い切れないのですけれども、とりあえずこう書いておきます。
 さて、こんなおれですら、自分の脳をアンコントローラブルと思って、どうしたものかと毎日愚痴を絶やさずにはおられないわけですけれども、いったい、自分が自分の人生の支配者であり指揮官だと思えるような心境で人生を送るっていうのは、いや、そんな心境に一瞬でもなれるっていうのはどういうものかと、また、そういう人間がこのおれのような小物から、もっとすごい大物などを見てどう思うのか、これは少し気になるところなのでした。おしまい。