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関内関外日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016ねん05がつ01にち

埴谷雄高・立花隆『無限の相のもとに』を読む

無限の相のもとに

無限の相のもとに

 おれは埴谷雄高の『死霊』を自分の本として所有していて、読もうと思えばいつでも読み始められるし、いついつの期限までにどこぞの図書館に返却しなきゃあいけないってこともない。けれどおれは埴谷雄高の『死霊』を1ページも読んじゃいない。おれにはまだ早い。もっと賢くなって、外堀から埋めていくんだ、という気がするのだ。

 その外堀の一つが本書である。おおよそ立花隆による埴谷雄高へのインタビューとなっていて、そのおおよそは埴谷雄高の語りである。おれは埴谷雄高という人を、立派なアナーキストだと思い、その言葉に信頼を抱いている。本書を読んでその思いをまた強くしたといっていい。

 インタビューの内容はといえば、埴谷雄高共産党での活動ことなから始まる。スパイMのこと、ハウスキーパーのこと。そして、日本の官僚主義への批判

……実際上、しかし日本では不可能なんです。日本はロシア以上の固定主義なんです。日本の官僚主義というのはすごいものなんです。いっぺんなったらずーっとなっちゃう

 おれの好きな(?)ベリヤの名前なんかも出てくる。

……一枚岩という時代は、ある意思があれば、その意思真実で、真実永遠にいくということになっているから、それを離れたものは全部不真実で嘘ということになる。それは体制崩壊しない限り変わらない。ベリヤのことはいまだに出てこない。僕は政治論文に書いていますけど、はたがみんなベリヤをどういうふうに墓に埋めたかということを言わないと、墓を開けてもベリヤの死体もないということになる。

 「墓を開けてもベリヤの死体もないということになる」、これである。おそろしい。たしかベリヤの最期は諸説ある(さよなら、ラヴレンチー〜『ベリヤ 革命の粛清者』を読む〜 - 関内関外日記ベリヤ好きなら警戒! 『ベリヤ スターリンに仕えた死刑執行人 ある出世主義者の末路』 - 関内関外日記)。もう墓を開けてもベリはいないかもしれない。

 あるいは、おれの好きな(?)アゼフも、「スパイM」のところに名前が出てくる。

 とにかくアゼフと同じように能力はあったわけですよ。党からも信用されるほど、いろいろなことをやってるわけだ。大きくしておいてバサッとやるということは、やはり能力がなくちゃやれませんよ。

 やはり「M」は日本のアゼフか(日本のアゼフ? 『スパイM』を読む - 関内関外日記)。などと思ったり。

 ……とかなんとか、世俗的(?)なことはともかく(まえがきにも対談にも出てくる「スプーン曲げ少年」のインチキ埴谷雄高が見破った話なんかもおもしろいけど)、もっとなんか高尚な、観念世界の話なんだよな。でも、一部『死霊』前提で、そこは前述のとおりわからん

 ぼくは「自同律の不快」ということを言いました。これはぼくの言葉ですけど、普通の人は自同律の「不快」とは思わないが、ただ、今よりもっといい自分になろうと思う。というのは新聞を読む、本を読む、すべて自分の知らない何かを知ろうと思って……。誰かと話する。まあこの対談もそうですけど、相手の胸の内を知ろうと思う。ぼくは自同律の不快というものは「満たされざる魂」という言葉としても使っているんです。「満たされざる魂」という言葉は、カント的に言えば魂、ゼーレというのはいちばんだめな言葉であって、魂というのはどうとでも言えるような言葉から困るんですけれども。しかし我々は宇宙に出ていくまでは、地球人である間は魂という言葉を使っていいんだとぼくは思っているんですよ。

 これである。そして、立花隆量子コンピューター宇宙飛行士話題最近話題ディープラーニングの(アイディア、幕開け)のことなんかを持ち出す。埴谷雄高はそういう話に食いついてノリノリというところがある。100年後が見たいなどと言う。これは92年の対談だから埴谷雄高は80歳を超えている。宇宙的規模の人だな、と思わせる。『死霊』を火星オリンポス山の頂上に置いて欲しいなどと言う。映画2001年宇宙の旅』を観て「あの当時よく作ったですよ」なんて言う。

 クレーターというのは、今残ってるのは陸の上ですけど海の底のにもあるんですよ。海の底クレーター、これはまた火星とかいろんなところから隕石が生の因子を運んできて、海に落っこって、そして太陽の光と水で栄養を得て生物が発生した。生物は恐らく地球で発生したよりほかから持ってこられて海に落とされたんじゃないか。クレーターの底から発生したから、何となく人間は喜びより絶望の方が文学的に感銘度が高い。アリストファネスよりソフォクレスのほうが偉いと自然に思うようになって、喜劇より悲劇のほうがいいというふうになったのは、全部いちばん始めに原因がある。

 地球に落っこったやつが全部クレーターをこしらえて、そこの中から生物が少しずつ、悲哀の念にかられながら……

 おれの好きなパンスペルミア説おれはパンスペルミア説の支持者だけど……『スリランカの赤い雨』 - 関内関外日記)だけれども、まさかそっから人類の悲哀について考えるところまでいくとはすごい。発想が違うな。

……椎名麟三クリスチャンになるといったときにぼくは論争しまして、だめだと。おまえ、なるんならひとりイエスになれ。教団に入るのはだめだ。堕落の始まりは教団であって、あらゆる発見発明それから先覚的な預言、これは個人がなし得る領域から、おまえがイエスになれば何かやれるかもしれない。だから、ひとりイエスになれ、教団はだめだと言ったんですよ。

 これもすごい。宗教の個人化というものを見抜いている。そして、人間集団というものに対する諦観のようなものがある。「ひとりイエスになれ」。しびれるじゃあないの。

 あとはもう、『死霊関係の話なんかがあって、もしおれが今後『死霊』を読むことがあったら、本書も再読しようかという具合。あと、何枚も埴谷雄高写真が載っていて(小さな風呂に入ってる写真である)、これが渋かった。難しそうだけど埴谷雄高。いつか挑んでみよう。

>゜))彡>゜))彡>゜))彡>゜))彡

『花とアリス殺人事件』を観る

花とアリス殺人事件 [Blu-ray]

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 岩井俊二、というとなにかこう、おのれのスタンスを語らねばならない名前のように思えるが、思い込みかもしれない。おれはあまり岩井俊二を知らない。そして、『花とアリス』のシリーズ(?)があることもよくしらない。ただ、アニメ長編映画からチェックしとくぜ、というふうに思って手にとった。

 して、これははっきりいってたいへんこれおれ好き、な作品だった。プレスコロトスコープ手法のことはよくわからないが、登場人物の動きを観ているだけでわりと楽しい。その上に話が面白い。背景も美しい。本業声優でない蒼井優鈴木杏の声もいい(やや鈴木杏の声が低く、男の子のように聴こえはしたが、すぐに慣れた)。

 それでもって、なんというか、味があるなというところだ。どんな味かというと、ひょっとすると岩井俊二っぽい味、なのかもしれない。行き違いや勘違い、でもなんかわかっちゃう、そんな感じ。若さがあるし、若い世界があるし、それでもなんか俯瞰みたいななにかがあってさ。

 つーわけで、悪くねえ、というか、良い。あまり使いたくもない言葉だが(べつに積極的に嫌ってるわけでもないけど)、アニメファン以外にもおすすめ、の一作じゃあねえかと思う。そうだ、これを観たことで岩井俊二Y150のなにかは許された、それほどのものであるY150のなにかが許されるのはすごいことだぜ。以上。

邦画も悪くねえだろ―園子温『新宿スワン』

新宿スワン

新宿スワン

 おれが好きな映画監督を幾人か挙げよと言われたら、園子温名前絶対に入ってくる。その園子温の『新宿スワンである。これがたいへんよかったのである園子温作品をぜーんぶ観てきたわけじゃねえし(だったら今頃『新宿スワン』もねえだろう)、作風もいろいろで、全部大好きっちゅーわけじゃねえけど、やっぱりやってくれるぜって感じだった。

 やってくれるぜ、といっても、なんかこう、作家性(?)のようなものに突き抜けてるんじゃなくて、ぼくたちの好きなヤンキーヤクザ漫画実写版をがっしりと作ってくれたなあ、という感じだ。男の子ならだれでも……とは言わないけど、おれはヤンキー漫画ヤクザ漫画が嫌いじゃない。そのおれが観て、この映画はその手の空気がビンビンに漂っていて、ええなあと思ったのである。ちなみに原作は未読である

 登場人物、というか、役者も良かった。綾野剛といえば松平容保? とかいうおれにしても、このはっちゃっけっぷりはすげえと思ったし、「ウシジマくん」じゃあないの? という山田孝之にしてもいい感じだし、パーフェクト超人みたいに見える伊勢谷友介もその存在感をばっちり醸し出している(そういえばこの映画の事前情報といえば、浜松でのロケ伊勢谷さんギャラリーに憤る、くらいだった)。そのうえ、さらに脇を固めるキャストもなんかビシっと当てはまってて(原作既読組にとってはどうか知らないが)、関さんなんかもうスゲェいいのな(『真田丸』の福島正則だってよ)。

 つーわけで、なんかこう、邦画にパワーねえよ、おもしろくねえよ、とか思っていたら、このあたり一本いかがですか? という感じがした。悪い言い方に思われたらやや不本意だが「普通におもしれえからよ」というところだ。そして、東京とはおそろしいところだと改めて思った。おしまい

島田荘司『異邦の騎士(改定完全版)』を読む

異邦の騎士 改訂完全版

異邦の騎士 改訂完全版

 日常というものは、何とも頼りない受身存在だ。記憶がなくなれば成立しないのに、人はそれが陽なたにできる自分の影のように、何があろうと絶対に去っていかないと確信している。

 おれは一時期「新本格」と呼ばれるミステリーを読み漁ったことがあった。今となってはなにを読んだか、どんな内容だったか覚えちゃあいない。まったくいい加減な記憶であって、おれは日々異邦の中を生きているといっていいかもしれない。

 とはいえ、おれはこの『異邦の騎士』を読んでいないという記憶はあった。あったので、読んでみた。ひょっとしたら読んでいるかもしれないなぁと思いながらも、やっぱり読んでねえやと思って読んだ。御手洗潔シリーズなの? と思いながらも(その御手洗潔ものを読んだかどうかも覚えていないんだが)、読んだ。

 主人公記憶を失った男である。それ以上のことは書かない。世の中には「ネタバレぜんぜん平気」とか、「むしろトリックを知った上で読んだほうがいい」という人がいるのは知っているが、おれはそうじゃあない。読み進んでいてひっくり返る仕掛けがあるなら、それを楽しみたいタイプだ。そんなおれが、『異邦の騎士面白かったぜ、というのに、余計な情報は出したくない。ゆえに、『異邦の騎士面白かったぜ、というに留める。

 ……というだけでは自分読書メモとしてはなんなので。やっぱりなんだろう、著者の実質的処女作(といっておれはその後の島田荘司を読んだか読んでいないかという記憶がない)だけあって、ちょっと無理あんじゃね? というところがないわけじゃあなかった。でも、まったく記憶を失った男の奇妙な体験にグイグイ引き込まれていく。その力は強く、「こうだろう」、「ああだろう」思いながらも、最後まで持っていかれた。これまた記憶にないが、何らかのミステリランキングなんかでそれなりに名前が挙がってくるだけのことはある。

 で、なんで急にミステリー(というジャンル分けでいいのかな)を読んだかというと、たまたま、としか言いようがないが、ひさびさに小説というものを読んで新鮮な気がした。しばらくノンフィクションばかり読んでいたのでそう思った。今後しばらくミステリーを読むかどうか、そのあたりはわからんが、嫌いじゃないんだ。そういうところで。