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関内関外日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014ねん04がつ18にち

ガブリエル・ガルシア=マルケスの死

……しかし、ついに天使は飛び立った。エリセンダは自分のために、そして天使のために、ほっと安堵のため息をついた。老いぼれた禿鷹のようなはらはらする羽ばたきではあったが、なんとか体を支えながら、場末の家々を越えて飛んでいく天使の姿が見えた。タマネギを刻み終えるまで、エリセンダは天使を見つづけた。見ることがもはや不可能になるまで、見つづけた。なぜなら、そのときの天使はもはや彼女日常生活の障害ではなくなり、水平線の彼方の想像の一点でしかなかったからである

「大きな翼のある、ひどく年取った男」

 『百年の孤独』は読んだことがあるが、『族長の秋』は読んだことがない。『愛その他の悪霊について』は読んだことがあるが、『コレラ時代の愛』は読んだことがない。『大佐手紙は来ない』は読んだことがあるが、『迷宮将軍』は読んだことがない。『予告された殺人の記録』は読んだことがあるが……まあいい。だいたい半分くらい読んだことがある。まだ半分も読むことができる。

 一時期、たいそう夢中になって読んだ。もっとも、おれの一時期はたいして長くないので、全部読んだ、とはならない。それでも、藤沢の遊行通りの古本屋で、ちょっと高くなっていた『青い犬の目』を買ったりした。

 ガルシアマルケスはべらぼうに面白い。おれが最初に読んだのは『百年の孤独』だったが、忘れがたい読書体験と思える。おれはだいたい15〜20冊くらいは小説を読んだことがあるが、『予告された殺人の記録』も『愛その他の悪霊について』もベスト10に入っきておかしくはないだろう。

 どこがどういうふうにべらぼうに面白いのだろうか。それがマジック・リアリズムと呼ばれるならば、それはおれのどこを魅了してやまないのだろうか。

 ある種のリアルさ? そもそも、海の向こうのラテンアメリカ自体がおれにとってリアルではないはずだ。かといっておれは魔術だけの世界を好まない。さすれば住む日常世界を超えて共通する、なにか人の生きることについての底があって、そこから立ち上がってくるのものがあるのやもしれん。そこに立ち上がった天使や美しい水死人、大佐たちが歩きまわっている。おれの日常を歩きまわる。多くの人間日常を歩きまわる。そうであるからこその世界作家ノーベル賞微妙なバランスで組み立てられた精巧ななにか、ただし幹は太い。とてつもなく太い。太いが、横から見たら紙かもしれない。紙は蝶になって飛んでいってしまう。おれは取り残される。

 ガブリエル・ガルシアマルケスが死んだからといってなんだというのだ。ここには不死さえもがある。ガルシアマルケスもまた不滅であり、われわれもまた不滅である適当なことを言って終わる。

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エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

青い犬の目

青い犬の目

↑持ってるものを挙げてみたが(文庫で持ってないものもあるが)、短編とかどこにどう入ってるかとかわからんね。

 

『セデック・バレ』はすごかった

 おれの祖父は化学博士で、戦争中は海軍大尉として台湾の第6燃料廠にいた。松根油の研究などしていたらしい。祖母が語るところによれば、戦争が終わったあとも職場にいた台湾人から毎年新年のあいさつがあったなどという。そのせいか、おれは勝手に親台湾のところがある。勝手に、だ。

 それはさておき、『セデック・バレ』はカッケー映画だ。チャラい表現をしてしまうとそうなる。悲惨なる実話を元にしているというのに、だ。セデック族の男たちのたたずまいがかっこいい。酒を飲むのも、煙草を吸うのもかっこいい。その戦いがかっこいい。いきなり歌うのも、踊るのもかっこいい。男たちというより、叛乱を率いたモーナ・ルダオがかっこよすぎるのだ。もちろん凄みはある、強さを感じさせる、その上、なにか包容力があり、どこか子供っぽさというか、いたずらっ子のような表情もあり……ともかく、このおっさんを見るだけでもこの映画を観る価値がある。しかも、この人は台湾の大物名優かなにかと思っていたら、セデック族の血を引く素人(らしい?)というのだから、まあなんという。

 ともかく、大日本帝国に対して台湾山岳部族たちが叛乱を起こすのである。「するっていうと、日本が悪役かい?」ということになる。そういうのが嫌いな人間もいるだろう。おれは、何度でもいうがぜんぜん平気なタイプなのだが(左翼から保守からも攻撃されそうな、妙な肯定感によって)。とはいえ、ずいぶんと日本側に配慮された内容にもなっているように思える。もっと苛烈な悪役に仕立ててくれたっていいんだぜ、というくらいのもの(そっちの方が反逆心に感情移入しやすいでしょ)。とくに最後河原さぶ台詞とか必要だったのかね。武士道ね……。カンヒザクラの咲くのが早いとか、そんな会話だけでよかったような。つーか、むしろ、どこかの農村から駆り出されてきて、台湾ジャングルゲリラ戦で敵の標的になる日本兵悲惨さというものがあろうに。おれなんかは、すぐに背を向けて逃げようとして後ろから矢にぶっ刺されて死ぬタイプだろうな……などと。

 とはいえ、文化文化、あるいは文明文化だろうか、そのあたりの価値観の衝突というか、軋轢というか……。死生観からして違う、というのはある。出草(首狩り)の習慣、しつこいくらい繰り返される彼らの神話。戦って真の男(セデック・バレ)になれたものけが虹の橋渡り祖先たちの家に……っていう。ポリティカルにコレクトなのは、彼らの首狩りの習慣を保護することなのかどうか。それをやめさせることは倫理的なのかどうか。マイケル・サンデルにでも考えさせておけばいい、か。おれには正直、わからんしかいえん。むろん、その手の学問というものはあるだろうし、学べば答えに近いものを手に入れられるかもしれないが。

 つーか、死んだら靖国で会おうというのも、たいしてセデック族と変わらないんじゃないのか。とはいえ、日本の場合靖国で会ったあとどうなるんだろうか。祖先たちやかつての敵たちとも平和に楽しく暮らすのだろうか。あまりそういう話を聞いたことがない。また、似ているからといって、高砂族合祀の問題とか……。

 まあ、そういうお堅い話は脇に置いといてもいい。この映画のすげえのは、娯楽作品アクション映画戦争映画としてもおもしれえんじゃねえかってところだ。まあ、先にWikipedia霧社事件とか調べないで、とっとと見ていいだろう。それにしてもなんだろう、圧倒的火力、兵力を持つ日本軍ゲリラ戦に苦戦する。しかし、その日本軍が今度はアメリカ軍にやられる。でも、アメリカ軍は日本のゲリラ戦を恐れたりもする……。

 そんな繰り返しもあるのだろうか。まあそんなことも頭をよぎりつつ、ちょっと盛りすぎじゃねえか、でもいいかという殺戮アクションちょっとCGが雑なのも、殺しっぷりでカバー。ああ、しかし、すげえよ。『ザ・レイド』観てインドネシアすげえとか思ったけど、この台湾もすげえよ。いや、多国籍映画っぽくもあるんだけど……。まあなにか不思議と、まだ映画の中に居たいというか、あの風景にあの歌、あの世界に浸りたいという、そんな面もあって。長すぎるといえば長すぎるし、前編のテンションが後編まではという気もするがまあ、ええ、気にしない。日を置いてでもいいし、一気にでもいいし(そういや、ジャック&ベティに来てたの観に行けなかったな。ちょっと時間上映に腰が引けたというのもあるが)、ともかく一回観たらいいと思うよ。マジで。ほな。

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