『百年の孤独』 G. ガルシア=マルケス 鼓直 訳 新潮社

百年の孤独

百年の孤独

レメディオス・バロの「螺旋の回廊」が表紙絵に使われているので、

バロネタでゲームシナリオを作る時の共闘相手の資料として買った。

中南米の架空の都市に住む、

とある一族の五世代100年の物語。

メディオスという女性が3人出てくるのは、ゲーム化に際してたいへん参考になった。

一人目は、9歳の時に40歳のロリコン男に見初められて、そいつとの結婚を承諾してしまうという文学少女

ロリコン男はラブレター書いても、変態と社会にバレるのが怖くて投函しなかったのだが、

彼の狂おしい思いに同情した友人がラブレターを勝手に持ち出して、レメディオスに届けてしまうのだ。

メディオスが承諾した理由はラブレターに感動したからだが、

文章読解能力がない(9歳であるのは不自然だ藁)パープーだったら、誤読されて酷い目にあうぞ。

いくら名文を重ねようと、40男が9歳と結婚したいと思うのは犯罪である。

メディオスの親も本人が承諾するのならOKと、すぐに結婚を認めてしまうのは笑える。

この都市の法律はどないなっているんや!?

ロリコン男は中南米に移住せよ!(笑)

親は、性器の挿入は初潮があった後にとロリコン男に頼むが、

それ以外は9歳でもやらせていいんかい!

強制猥褻を認めるとはなんて親だ!

で、ロリコン男と9歳少女の夜の営みですが、描写は無かった気がする。

メディオスは結婚する前に事故で死んでしまうんだったかな?

地の文のみが改行無しで延々と続くパターンがほとんどなので、

読み辛くて、内容はほとんど覚えていません(藁)

二人目のレメディオスも性に無頓着で、20代の時ですら、

風呂場を覗かれても気にしない白痴美人。

風呂場の天井から覗いている男に、「そんなとこにいて落ちたら怪我するのでやめなさい」と言うほど。

白痴を装っているだけという説もある。

ちょっと頭のいい奴は自分の権利のみを満たすのに一生懸命になって、

他人の行為をすぐに犯罪だと騒ぎ立てるよな。

世の中に正義を実現させたいが、犯罪者の欲望を正面から否定せずに、

犯罪者の人格を傷つけずに、犯罪者の命を守り、それでいて犯罪的行為を無くそうとしている

すんげぇ、頭のいい女という説もある。

犯罪者を糾弾するだけでは、犯罪はなくなりません。

何故、犯罪的行為をするようになったかを深く考えて対処するべきだと思います。

人は生まれたときは、全員無垢な赤ん坊だったのですよ…。

三人目のレメディオスは、修道院に入れられて、絵の勉強をすることになる

もろ、レメディオス・バロがモデルだと思われる。

メディオス以外に強いて書くことは、ない。

こんなもんがノーベル文学賞を受賞しているとは、天国で(地獄か?藁)

アルフレッド・ノーベルは怒り狂い、神々を爆殺していることであろう。

受賞理由は、原文が名文の為としか思えない。

ストーリーもキャラクターも、値段とページ数に見合っていない。

350P過ぎから起こる、本が起こす奇跡は感動的だが、

それまでは、ちょっと変なキャラクターのつまらないエピソードの羅列である。

ゲーム化の為に読むのではないと、読むのは苦痛であろう。

作者が頭使って書いたとは思えない。

実は壮大なギャグで、作者は、これを傑作と崇める奴らを影で笑っている気もする。

『ママ・グランデの葬儀』 G. ガルシア=マルケス 集英社文庫

ママ・グランデの葬儀 (集英社文庫)

ママ・グランデの葬儀 (集英社文庫)

●大佐に手紙は来ない
●火曜日の昼寝
●最近のある日
●この村に泥棒はいない
●バルタサルの素敵な午後
●モンティエルの未亡人
●土曜日の次の日
●造花のバラ
●ママ・グランデの葬儀

無理して読む価値はない。

無理して褒めれば、

「大佐に手紙は来ない」の落ちは衝撃的というか、ギャグかよ!

と脱力してしまって、面白いといえば、面白い。

真面目な暗い話に思えて、

実はギャグが潜んでいるのが、マルケスの個性であろう。

内容ではなくて、マルケスの執筆態度がギャグ(藁。

『愛その他の悪霊について』 ガブリエル・ガルシア=マルケス 新潮社

愛その他の悪霊について

愛その他の悪霊について

本書のベストセリフ

「愛というのは自然の理に反した感情であって、

見知らぬふたりの人間を、

さもしい不健康な、

相互依存の中に閉じこめるものであり、

強烈であればあるほど

はかない関係に陥らせるのだ」


もう一丁いくぜ!


「あなたがたの宗教は死の宗教だ。

信仰が、死と向かいあう

勇気と至福とを吹きこんでくれることになっている。

私は違う――私は生きていることが

唯一根本的なことなのだと信じている」


愛と宗教を否定した素晴しい文学。

ヒロインもヒロインの母もウンコ塗れになる至高の文学に爆笑せよ!

前書きから大嘘爆裂!

これがっ!!

不条理を平然と事実として書く、

マジックリアリズムだっ!!!

『幸福な無名時代』 G・ガルシア=マルケス 旦敬介訳 ちくま文庫

幸福な無名時代 (ちくま文庫)

幸福な無名時代 (ちくま文庫)

小説の短編集ではなくて、ベネズエラねたのルポルタージュである。

マルケスベネズエラの週刊誌の記者だった時代に書いた記事を集めたもの。

コロンビアの新聞記者だったマルケスはヨーロッパ特派員としてヨーロッパに派遣されたが、

派遣元の新聞社がコロンビア政府を批判する記事を書いたため政府に潰され、

マルケスはヨーロッパに取り残される(藁

別の新聞社が、帰国旅費を出して雇おうか?

と申し入れてきたが、マルケスはヨーロッパ文化を学びたくて、

貧乏暮らししながらヨーロッパに留まり、小説を書き始める。

が、コロンビア人の小説がヨーロッパで売れるわけが無い(爆

ベネズエラの週刊誌から申し入れがあって、諦めてベネズエラに渡ったのだが、

ヨーロッパで小説書いていたくせが抜けず、

ベネズエラの政治や経済や特異な人物ネタのルポルタージュの筈だが、

ほとんど小説に近いルポもある。

小説家としてのマルケスも一流とは思わないので、

この本の中のベストは、数奇な運命を辿ったベネズエラ人の物語ではなくて、

経済ネタの「ベネズエラは犠牲を払うに値する」だと思う。

独裁者を倒したものの、独裁者の無茶苦茶の政治の付けで、

新生ベネズエラ民主政府には、外国借款3億ドルの問題が発生する。

貧乏な国が外国に3億ドルもの金借りたら、将来破綻することが目に見えている。

が、今すぐに3億ドルないと、現在の地獄を解消出来ない。

ベネズエラ政府は外国に金借りるつもりであったが、

一人の洋服店店主の行動から、あっと驚く解決策が誕生する。

「素晴らしい国ベネズエラは、国民が犠牲を払うに値する。

 私は個人資産を政府に寄付します。

 国民全てが犠牲を払えば、3億ドルなんてすぐ集る。」

政府は全国民に寄付をお願いするキャンペーンを張る。

低所得者からは1ドルぐらいしか寄付が集らないが、

高所得者はそれなりに出したので、3億ドルを政府は工面出来たのです。

感動のキーポイントは、金持ちが率先してお国の為に金を出したことである。

日本と日本国民に置き換えると、ベネズエラの素晴らしさが理解出来ますね。


   では、声高々に叫べ!

「国民に痛みを強いる前に、金持ちの政治家は個人財産を政府に譲渡せよ!」

『戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険』 G・ガルシア=マルケス 後藤政子 訳 岩波新書

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

本書のベストセリフ

ポブラシオンの名無しさん「我々が欲するものはただひとつ、我々が奪われたもの、すなわち声と投票である」


日本での代表作は「アルシノとコンドル」というチリ人映画監督

ミゲル・リティンが、世界一の文化芸術の都スペインのマドリードに暮らしながらも、

軍事独裁国家となった祖国を解放したくて、

ドキュメンタリー映画を撮るために、

12年ぶりにチリに潜入した記録を、

ノーベル文学賞作家のガルシア=マルケスがしたためたルポルタージュである。

リティンはアジェンデ政権が軍事クーデターに倒れた時、

アジェンデ派としてチリ・スタジアムに連行されて、

虐殺される筈だったが、

映画監督としてのリティンのファンの警官に助けられ、

亡命に成功した。

政府はリティンを危険人物とみなし、帰国を許さない。

名を変え、変装し、偽りの過去を捏造し、

ブルジョアウルグアイ人としてリティンはチリで映画を撮る。

もちろん、チリ政府を告発する映画の撮影許可が出るわけがない。

複数の映画撮影隊を組織し、

リティンは影の総監督として采配を振る。

イタリア人で組織されたチームは、チリのイタリア系移民のドキュメンタリーを撮るという名目。

フランスチームは、チリの地理に関する生態学的なドキュメンタリーを撮るという名目。

オランダチームは、地震の調査隊という名目。

一つのチームがチリ政府に正体を看破されても、他のチームを検挙させない為、

複数のチームを指揮していることは、どのチームにも秘密にして撮影は進む。

ドキュメンタリーなので、キャストはほとんど必要ないが、

スタッフ自身が撮影の目的を隠すという芝居を演じるという皮肉に満ちた撮影隊。

敵は、拷問が当たり前の軍事国家の警察だけではない。

軍人も敵だが、中立の軍人もいる。

そして味方になるべきレジスタンスも本当に味方なのか?

命を賭けた撮影隊の感動のドキュメンタリー。

これだけで終わったら並みのドキュメンタリーである。

命を賭けた行動録だが、ユーモア溢れる視点があるのが、

さすがガルシア=マルケスである。

ベストセリフを、

ストリッパー「だんな様、私のお尻がお好き?」

にしようかと悩んだぞw

「ママ・グランデの葬儀」を読んで、

ガルシア=マルケスの本質はギャグだと看破した自分の見識に自信が持てましたww

悲惨な軍事独裁国家の現状を撮影しようとして、

サンチアゴに降り立ったリティンが、

サンチアゴが輝く美しい都市で、

人民が幸福に見えて、

自分の予定稿と違ってうろたえるシーンも面白かった。

ホルヘ=ルイス・ボルヘスは、「ボルヘスと私」だけを読んで糞だと看破した私であるが、

チリ軍事政権を称賛していたと知り、

またもや、自分の見識の高さに自信がつきました。

マリオ・バルガス=リョサは政治問題には曖昧な態度をとる

自己保身しか考えてない小物だと理解出来たのもよかった。

ガルシア=マルケスの長所は、マジックリアリズムではなくて、

悲惨な現実から目を逸らさないルポライター精神にあると思う。

社会的問題意識に溢れていても、

うっとおしいアジテーターではなくて、

ユーモアやギャグを忘れないのが、

ガルシア=マルケスの一流の証明である。

ノーベル文学賞をとったのなら、

適当に美しい言葉を並べただけの意味のない小説でも、

権威主義の信奉者はありがたがって、小説は売れると思うが、

ノーベル文学賞作家になってから、

ルポルタージュを書いたガルシア=マルケスは偉大だ。

賞の権威に汚染されずに、

賞の権威を、名も無き大衆を救うことに利用したガルシア=マルケスはかっちょええよな。

ガルシア=マルケスで読むべき作品はこれと、

「幸福な無名時代」である。

マジックリアリズム作品は、純文学よりのファンタジーやSFでも、

同じような感動は感じます。

ガルシア=マルケスの傑作は、ルポルタージュと、

ルポルタージュのような小説と、

小説のようなルポルタージュでんがな!

同じ新聞記者出身の作家、マイクル・コナリーがガルシア=マルケスも抜くと思うけどね。        

『夢魔のレシピ』 レメディオス・バロ 野中雅代訳 工作舎

夢魔のレシピ―眠れぬ夜のための断片集

夢魔のレシピ―眠れぬ夜のための断片集

スペイン人のマイナー画家の短編小説集というか、

SSというか、雑文集である。

自分の絵の自己解説文も30作分収録されているので、

メインはもちろんそれであろうが、

バロネタでゲーム化を試みる人には貴重な参考文献となるであろう。

基本的にバロの絵からイメージされる物語をゲーム化するが、

共闘相手の候補も色々想起出来る種本となり得る。

ゲームのタイトルは「我が内なる火」でどうよ?

共闘相手は

レオノーラ・キャリントンもの
アンドレ・ブルトンもの
オクタビオ・パスもの
マックス・エルンストもの
「百年の孤独」
「競売ナンバー49の叫び」

がメインか?

バロの魔術的世界で、マックス・エルンストが、

メカンダー・マックスとエルンスト・エラートに変容して、

合身戦隊メカンダーロボ

宇宙英雄ローダンシリーズ

も絡めるか(藁

絵画ネタなら、絵画漫画総動員して

ギャラリーフェイク
「オークションハウス」
「キュレイター」
「ゼロ〜神の手を持つ男〜」
「銀と金(セザンヌ編)」
「青き炎」
「マッシュ」

も加えるか?

バロの魔術的世界は仮想空間にあることにして、

「プラモ狂四郎」

のユニットとしてガンダムも出せば受けるな。

絵画テーマなら絵をガシガシ描く必要があるのが面倒だが、

死ぬまでには、作りたい。

ってゆうか、誰か作ってくれ(藁)

バロの絵の模写はチマチマと始めたいが、

私の寿命が尽きそうな場合は、取り込み画像でバシバシ行くぜ!

死を覚悟すれば、何も怖いものはありません。

2017年に600万分の一の確率で、彗星が衝突して人類滅亡だそうだが、

その時は取り込み画像を使いまくります!

↑人類滅亡するなら、普通に強姦や殺人をやれよ(藁

『遠い女―ラテンアメリカ短篇集』 フリオ・コルタサル他 国書刊行会

遠い女―ラテンアメリカ短篇集 (文学の冒険シリーズ)

遠い女―ラテンアメリカ短篇集 (文学の冒険シリーズ)

オクタビオ・パス 目当てで買ったのだが、

収録されてる「流砂」って『鷲か太陽か?』 に収録されてる「動く砂」の抄訳じゃん!

オクタビオ・パス ファンは買う必要はない。

ガブリエル・ガルシア=マルケス タイプのギャグが爆裂してるマジックレアリズム作品は少ない。

どっちかと言うとJ・L・ボルヘス ファン向けか?

『鷲か太陽か?』 オクタビオ・パス 書肆山田

鷲か太陽か? (Le livre de luciole (45))

鷲か太陽か? (Le livre de luciole (45))

本書のベストセリフ

愛する人よ、閉じてくれ、おぞましい無意味がぎっしり詰まった、その瞳を閉じてくれ」


短編小説としか思えない作品も収録されているが、

オクタビオ・パス は詩集だと主張してますw。

オクタビオ・パス のモットーはジャンル汚染ww。

挑戦的なブンガクですが、抽象的な言葉遊びに思えて青く感じたwww。

オクタビオ・パス はやっぱ批評家としての文の方が知的興奮するよな。

オクタビオ・パス のベストは「弓と竪琴」 でOK?

『弓と竪琴』 オクタビオ・パス著 牛島信明訳 ちくま学芸文庫

弓と竪琴 (岩波文庫)

弓と竪琴 (岩波文庫)

アンドレ・ブルトンのお友達だから、シュルレアリスム小説と思い込んで買ったが、評論であった。

しかも、難しい批評用語が多用され、ほとんど改行なしで400Pを越える大作なので、

読み始めた頃は地獄であったが、詩の話題がメインではなくなり、

小説・絵画・音楽・演劇・映画等、全ての文化芸術に論点が発展し始めてから、どえりゃあ面白くなります。

メキシコに生まれ、世界一の美術大国のスペイン文化圏で育ったが、

パスの知性と教養はスペインネタには留まらず、

西洋も東洋もラテンアメリカも総括する、素晴らしい知的な記述が頻出する、現代知識人にとって必携の書。

短く言えば、全ての多様性を含有する一元論が真理だということである。

生きる希望が湧いてくる哲学書としても有効である。

わたしはあなたであり、あなたはわたしであり、

全ては無であり、無は全てであり、

生は死であり、死は生なのである。

生きるべきか死ぬべきかと二元論で考えては悩みは解決しませんぜ。

私たちは生き続けているし、死につつあるのです(藁

抽象的な哲学論議だけではこの本の魅力が伝わらないと思うので、具体的な例を挙げると、

スター制度で自らを固定した映画は、その面白さの可能性を100%発揮できないメディアである。

という指摘は鋭いと思いました。

パスは映画は百分の一の面白さしか発現されてないと思っているらしい。

ミーハー映画にキャーキャー言ってる腐女子は、

普通の知識人の1%の知性と教養しか持ってないということだね(藁

演劇ネタでは、ギリシャ演劇とイギリス演劇とスペイン演劇の違いが説明される。

庶民の視点に立ったスペイン演劇ビバである。

美術大国スペインは、演劇も世界一の、芸術大国であるのだ!

ゴヤの話題も勿論出ます。

文化芸術を語った本で、世界一の画家のゴヤの話題が出ないものは、三流ケテーイですな。

一流の文化芸術を語りたい人には必須の本である。

「弓と竪琴」というタイトルの元ネタは、ヘラクレイトスである。

ヘラクレイトスヘラクレスもヘトロドロスも区別付かない人には、

この本はとっつきにくいかもしれないが、本書は人類の叡智の結晶である。

人間に生まれたのに、この本を読まない人は、

原始のジャングルに帰りなさい。

本書の唯一の欠点はギャグが無いことであるが、

真面目な評論にギャグを期待するのは間違っているか(藁

でも、お友達のブルトンはギャグ評論書いたじゃん!

パスの他の著作ではギャグも爆裂してるといいなぁ。

知ってる人は教えてちょんまげ。